9話 黄金のドリッピンをサンクチュアリへ(5)
ラギが男の怒鳴り声を耳にして振り返ったとき、開琉に向けられた声だとすぐには気づかなかった。大きな男の体に隠れて向こうにいる開琉が目に入らなかったからだ。
「人間のくせに俺にぶつかってくるとはいい根性だな!」
その言葉を聞いてラギはぴんときた。先ほどから人間の姿はほとんど見かけず、後を着いてきていたはずの開琉がいない。
「頭から食ってやってもいいんだぞ!」
回り込んでみると開琉が締め上げられて足が浮きそうになっていた。
「すいません! ぶつかったのはこちらが悪かった、ごめんなさい。でもこいつを食べても美味しくなんてないですよ!」
半獣人と開琉との間にラギが割って入る。男の腕に乗り上がるようにして止めるラギは体が浮いていた。
「・・・・・・! お前!」
「あっ・・・!」
開琉を締め上げる半獣人と目があった瞬間、互いを認識して動きが止まる。ほんの束の間力を抜いた半獣人からラギが開琉をもぎ取り自分の背後に回した。
「お前、あの爺さん所の見習いじゃないか?」
ラギがじりっと一歩後退する。背後で咳をしている開琉が少し気にかかった。
「何もめてんだ?」
男の声に彼の背後にいた仲間が顔を覗かせる。種族は違うようだったがやはり爬虫類系の半獣人だ。
「ああ・・・こいつ、確かラギっていったか?」
「あー! そうだラギだ。こんな所で何してるんだ? お使いか?」
「はっはっはっ、チビちゃんあめ玉売ってる店なんてここにはないぜ」
半獣人達が口の端に意地悪な笑みを作ってラギを見下ろしてくる。2メートル越えの大人が並んで立つと壁のようだ。
ラギの後ろで彼らの様子を見ていた開琉にはただの知り合いではないとすぐわかった。意地悪な笑顔を向けて親しそうに声をかけてくる。親しそうに近寄ってくる悪い奴ほど厄介な者はいない。
(嫌な感じの奴らだ、どうしよう・・・僕のせいで)
不安と後悔が開琉の頭の中を駆けめぐる。ふたりがかりでも勝てそうにない、体格差は明らかだ。
(ラギはどれくらいの魔法が使えるんだろう。こんな人混みの中で魔法を使ったりしていいのかな)
開琉の前の小さな背が、大きな半獣人を前にさらに小さく見える。
「熊の所のガキじゃないかぁ、こんな所で出くわすとはなぁ」
ふたりの男の後ろから狼に似た男が割って入って来て、ラギの師匠のことを「熊」と言った。
「・・・・・・こいつは後でしっかり絞っておくから・・・許して欲しい」
絞り出すラギの声は震えていた。恐れからではなく怒りから。
「あれぇ? 声震えちゃって、おじさん達怖いかなぁ」
狼のような男はラギがなぜ声を震わせているか知っていながら悪戯な声でそう言った。その言葉に爬虫類のふたりがギャハギャハと笑っている。
「すみません、急いでいるもので」
頭を下げたラギが彼らを避けるように横を過ぎようとした。が、逃がしてはくれなかった。
「何だよぉ、よそよそしいじゃないか」
肩に腕を回そうとする狼男からラギはするりと身をかわした。
「なんだよ釣れないなぁ、仲良くしようぜ魔法使いチャン」
爬虫類系の男より優しそうな顔を作って狼のような男が言う。彼の言葉に改めてラギを見て爬虫類男達がにやりと笑った。
「本当だウケる! まじかよ、こいつローブが変わってるぜ!」
「あははは、あんまりちっこいから気づかなかったなぁ。ごめんよ魔法使いちゃん」
ふたりの爬虫類男が腹を抱えて笑った。
「人間のくせに魔力を使えるなんて・・・ドラゴンの血に感謝しなきゃなぁ」
「俺達のドラゴン様に足向けて寝れないなチビちゃん」
ひとりの爬虫類男が羨ましさとさげすみを混ぜた目で言い、もうひとりが両手の人差し指を天に向けた後に天へ投げキスをする。
道の真ん中で立ち止まる彼らをチラ見しながら人々が過ぎていく。止める者も咎める者もいない。みな厄介事には興味がなく厄介は避けて通る。
ただ、数人がドラゴンの血という言葉に反応して足を止めた。
「見逃してやってもいいけど・・・さ」
狼男の目が意地悪な光を放ち優しそうな粘っこい声音で続ける。
「ラギちゃんの“ドラゴンの血”を少し分けてくれないかなぁ」
さらに数人が足を止める。
「ドラゴンの血だってよ」
「あのちびが持ってるのか?」
ラギの肩が強ばる。立ち止まった人々の不穏な気配に開琉は辺りを見渡した。
(ドラゴンの血? なんだか高価そうな物)
こちらを見ている者達の好奇な眼差しに開琉は落ち着かなくなる。
「のたれ死にそうな所を助けてくれた熊じいさんには飲ませてやったんだろぉ?」
「師匠はそんな礼を受けるような人じゃない」
ラギが歯を食いしばる。
「俺達にも飲ませてくれよ」
「ひと噛みくらいいいだろ?」
「間違って腕ごと食べちゃうかもしれないけどな」
3人して面白そうに笑う。
「あん時、生かしてやったんだ。腕の一本くらい大したことじゃないだろ?」
「熊のじいさんに免じて殺すのをやめてあげたじゃないか」
「止めろッ!」
ラギの肩が震えていた。
「ああ? なんか言ったか?」
歯噛みするラギを見下ろして男達がかぶせてくる。
「全身毛むくじゃらの熊爺に育てられると獣じみて嫌だねぇ」
「なんて事を!!」
とうとうラギの堪忍袋の緒が切れた。ラギがローブの下から杖を差し出す。
「ラギ!!」
開琉の声より早く男の剣が振り下ろされる。
ガキッ!
大きな爬虫類男の重い剣をラギは腕で受け止めた。
「な、なに!?」
驚いた男の口から言葉が漏れる。剣の重みにラギの重心が落ちはしたものの一撃を受けながら持ちこたえていた。
ローブから出た左腕がラギ自身の頭を守っている。ラギは剣を跳ね上げてすぐさまローブに腕を隠した。しかし、ラギの腕にあった黄金色の鱗が消えるのを開琉は目にしていた。
(今のは何? アーマーみたいな物じゃなかった、ラギの腕に鱗が生えてた?)
鱗が消えて肌色の人の腕に戻った映像が開琉の心をとらえた。
公衆の面前で小さい子供に剣を弾き返された男がわなわなと怒りに震える。
「くそっ! このガキがぁ!」
男は怒りにまかせて剣を横なぎに振るった。それを避けて後ろに跳ねたラギは開琉とぶつかってふたり共々石畳の道に転がった。すかさず2撃目が振り下ろされる。
「シャイノギタータ! シャイノギタータ!」
ラギが早口で唱えた次の瞬間、ふたりの姿が消え剣が虚しく石を叩いていた。
回りから笑いが起きて3人の男達が怒鳴り散らす。
「うるせぇ! ちれっ!
「見てんじゃない!」
野次馬の中から貫禄のある男が出てくるのを見て爬虫類男が黙った。
「ガキ相手に剣振るってるような低次元の輩が何言ってやがる」
「ウッ・・・」
人の顔をした犬グループのリーダーらしい男が彼らに凄みをきかせる。身なりの良い上手の者達にに睨まれて迫力に何も言い返せず、3人組はすごすごとその場から消えていった。
道を行き交う人々の流れが元に戻っていき、何事もなかったような喧噪が辺りに広がった。
その光景を道沿いのテラス席から狼男が見ていた。顔だけ獣のままで首から下は人そのものの人物だった。
テーブルを共にする仲間の狼や犬達は気にもとめていないようだったが、狼男の様子にもう一人の狼男が気づく。
「どうしたんだい?」
「んー・・・。大したことじゃないんだけどさ」
狼男が顎を撫でながら通りの向こうを見つめている。
「ちょっと気になることがあってさ」
「ドラゴンの血って、本当かな?」
隣に座る犬男が微笑みながらそう言った。
「どうかなぁ、確かめたくなっちゃうよな」
「ドリッピン狩もそろそろ飽きてきたしね」
別の犬男が利口そうな顔で笑顔を見せる。
「なんか臭う」
「ドラゴン臭がぷんぷんしてる」
仲間も話に加わる。人間の耳なら聞こえないほど離れた場所にいるにもかかわらず、彼らの耳は気にしていないようでいてちゃんと喧嘩の声をとらえていた。お互い目配せしてくすくすと笑う。
「側にいたのは召喚獣だ」
青いローブを身につけた犬男が言った。シベリアンハスキーに似た感じの男だ。
「へぇ・・・。流石だな、青の魔法使い」
このグループは魔法使いひとりを含めた総勢5人。
「召喚獣を連れて町を歩いてるなんて滅多にないことだ」
リーダーが仲間全員に目を配る。
「駆け出し魔法使いが出来ることと言ったら?」
目のあった狼男が答える。
「簡単な魔法で日常の手助け」
「届け物のお使い」
ついで隣のシェパードに似た男が言った。一同の目が合わさる。
「金色の掘り出し物だったら面白いな」
皆まで言わずとも仲間が尻尾を立て耳をそびやかす。真っ直ぐ見つめる彼らの目がリーダーに従うと伝えていた。
「さて、ハウ。どこに飛んだか追えるか?」
「もちろんだよリューク」
青の魔法使いが余裕の笑みを返した。