【コラム】私と小説家は遠く、更にそのまた遥か遠くにエッセイストがいる!?
ブヒー (´・(〇〇)・`)
よくこのブタ日記はエッセイと言われることが多いが、個人的にはエッセイでは無いと思っている。
正直言えば、なろうのエッセイ分野と普通のエッセイと言われるものはなんか違うような気がするのである。(←前も言っているww
正直、随筆とエッセイが同じものだとも感じないし、思想書とエッセイも全然違うだろう。思想が感じられたらエッセイと言うならば、ほとんどのハイファンタジーや恋愛小説も作者の思想的な部分の表明は大きい気もする。
正直なろうのエッセイジャンルは非常に戦闘的なものが目立つ。相手の意見を敢然と否定する題が付けられた短編がジャンルを席巻している。
他にも、小説での立身出世方法を書かれたものも多い。
これって、書店の実用書のコーナーにあるものであって、エッセイコーナーにはありませんよね? (;’∀’)ww
エッセイとはもっと女性的でふんわりとしたものであって、自分が書くには少し遠いと感じることが多いモノだと思っている。
正直、自分がエッセイだと思うものは書けていない ……orz
まぁ、これはエッセイだ!! ジャンル詐欺だと言われれば変えなければイケないけれども、しばらく様子見である (´・ω・`)
あ……その他にしておけばいいのか? (;’∀’)ww
例えば、もし意見を述べるのであれば、それは簡潔にすなわち最後まで読む必要がない構成にせねばならない。意見を論じるということは、相手に不明確な要素を一切排除するのがマナーだろう。
小説のように、いろいろな感じ方ができるものであってはならないと考えている。相手に此方の趣旨と異なる受け取られ方をしてしまう様式は失格である。
代表例が取引先や上司にだす提案書の類ではないか? 相手に間違えずに読んで欲しいわけである。
忙しい相手に自分の意見を出すのに、分厚いページの最後に結論が書かれていては社会人としてのマナーとしては如何なものか?
『AかもしれないBかもしれない、ひょっとしてCか?』
みたいなミステリアスなお話は面白いが、それを上司にだしたら次から読んでこらえないだろうwww
結果……。
頭から、
『Cである』
が正しい。
その次に書くのはなぜCなのかという捕捉説明であり、その次に続くのはそれにたいする更なる捕捉説明である。
頭に結論を書けば、相手に誤解されることがほぼなくなる。
これは私だけが考えていることではないだろう。
何十万字の最後まで読まなければ結論がわからない思想書や意見書は欠陥であるとハッキリ書かれている本もある。
矛盾するようだが、『個人的観点から思想や物事を論じる』とはそういうことであり、このブタ日記のように論旨が途中で変わったり、最後まで読まないと何を言いたいのかよくわからんものはソレではないのである。
むしろ、さいごまで読んでもわからんぞ!?ってこれをお読みの方はお思いだろうから、更にそれから遠いのである。
さらに、女性的なふんわりとした素敵なエッセイとも間違いなく違う自信があるwww
そういう意味合いで、ここはエッセイではないと思うのである。
日頃読んで下さるお客様方こそが神様なので、神様が温かく『これはえっせいや~❤』ってゴリゴリ言われたら、次からジャンルが変わっているかもですけどwww
まぁ、でも正直なところ、上手で素直な心理描写を描くエッセイとはまるで違うと、心の底から思うのですがね (*´▽`*)
……違うかな (。´・ω・)?
小説が書けると思ったことは無いが、日直になったときは学級日誌になんかこんなくだらないことを書いていた気がする (*´▽`*)