~「読みあい」( ˘ω˘ )~
結構人気作とかでも「相手のケリを躱し、すかさず左拳で三回突きをいれた」とか描かれていたりして、正直脳内で再現できなかったりする (;^_^A
実際、パンチとか素早く三回繰りだすだけでもすごいのにね。
最近は、人に殴られたり殴ったりする経験をした人は急減していると言われている。
それは平和で素晴らしいことだが、創作でのシーンを描く上での知識が、別の創作である場合が多いのではないかと思っているのである。
本来、創作を描くにあたっては、出来るだけフィクションを除いていき、論拠ある資料を基にすべきだろう。
だが、WEB小説の世界は、短期間で大量に書かねば勝負にならない。
きちんと調べたりしていたら、ライバルの後塵を拝すことになりかねないのだ。
また、SNSに写真を載せて、「私はこんなに本をたくさん読んでいる」みたいなマウントを取り合っている人は多いが、創作以外の本はどれくらい読んでいるんだろう、と思うことがあるのだ。
一般的に「本を読む人」とは、創作に限らず、多種多様な本から知識を得ている人というイメージである。
創作だけを読むことがいけないわけではないが、読書家や小説家との自負があるならば、創作以外の多種多様な本も、大量に読みこんでいてしかるべきなのではないだろうか (。´・ω・)?
◇◇◇◇◇
私がWEB小説サイトに着た頃。
いろんな「自作を読んでもらうための方法」などがエッセイに投じられていた。
それには、まずは「創作友達を作ること」だったり、「レビューを沢山書く」ことだったりと、色々な方法があることを知ったのである。
だが、未だに「自分は他人のを読みたくはないが、他人には読んで欲しい」みたいな欲望を垂れ流す人を、SNS上で散見する。
以前よく言われたケースで「あなたの短編を読んだから、私の長編を読んでください」という話も有名だ。
私のSNSのDMにも、たまに「あなたの〇△を読んだので、私の×▽も読んでください。できれば☆もよろしくお願いします」とかが来る…… (;^_^A
多くの人が、表では「楽しめればいい」とか「作品に上下はない」と言いつつも、裏ではいかに人に読んでもらい、より上に昇るかを必死に考えている世界なのである ( ˘ω˘ )
ひょっとして、WEB小説の世界とは、奥ゆかしい情緒などとは無縁で、数字と合理性のみが闊歩する殺伐とした世界なのかもしれない (´・ω・`)
◇◇◇◇◇
小説の「読みあい」を蔑む作者は一定数いる。
だが、私は全然いいことだと思っている。
社会性を貴ぶのなら、いわゆる「お返し」があるのが極めて正常だと思うのである。
なぜなら人間は、自分からは何も出さず、相手にだけ労力を拠出させてやろう、という欲望があるためだ。
以前に「自作の長編が読まれない」という人に、「友人にお酒でも奢ってあげれば、読んでくれるんじゃない?」と言ったら、「お酒を飲ませるのが惜しい」と言われた (´・ω・`)
人の本性はこのようにケチなのだ ( ˘ω˘ )
「読みあい」という言葉に、拙者も多少の違和感を覚えるが、そもそも「相手に何かを差し出す」ということはとても偉いことなのだ。
相手の何かと、自分の何かを交換する。
それは「取引」の始まりであり、すなわち「信用」の創造なのだ。
我々は、国債という形を通して、未来の子孫たちとも常に、生々しいお金の「取引」をしている。
いまさら「読みあい」などに、大きな違和感など覚えなくていいのである ( ˘ω˘ )
蒸気の覇権 ――魔導機パイロット、帝国戦線を駆ける――
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