~そんなわけはない (。´・ω・)?~
SF創作のエネルギー。
AIに聞くと、それは対消滅機関とかでも、話のスケールにおいては全然足りないらしい。
そこで出さなければならないのは、未知のエネルギーや結晶など。
これらがないと、人類は永遠に太陽系から出られないのだ。
また、謎のエネルギーとしてよく描かれる「精神エネルギー、や精神力」との表記は、現在において不味いとおもうのは、AIと一致した意見であった。
うつ病などの精神疾患は、電気信号などからなる物理的な脳組織、いわば脳の体力にまつわること。
SFなどで、「精神エネルギー、および精神力」の過不足、または優劣などを表記すると、一般社会の医療や人権意識に、誤った認知が広がりかねないのだ。
また、それに代替するものとして、脳波などの存在があげられる。
そういう観点からすると、魔力という架空の能力設定は、素晴らしいものである。
「魔力がない」とかの表記は、実際にはなんの差別のネタにもならないのだ。
昔はMPやSPといえば、「魔力」ではなく「精神力」という解釈もあったのだが、これからは段々なくなっていくであろうと思われる。
それは、性搾取表現などと同じで、欧米基準における創作家の最低限の禁忌案件となっていくのであろう。
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エッセイを書くといろんな感想を頂く。
批判記事も多く書くから、批判された側の準拠集団においては、反論したい気持ちになるのは当然であろう。
だが、世間に発表された数値でも、発表元や統計従事した団体などでも数字は異なる。
日本でさえ、各新聞社の調査はかなり大きな差が顕れるくらいなのだ。
また、速報値、確定値、修正値など、時間によっても数値は異なることはよくある。
ほかにも「言った」「言わない」問題は世界の大きな国同士でもあり得る案件だ。
日本の新聞の世紀の誤報なんかも、そういう案件だったとも推測できる。
だから、正しい事案は一つとは限らないし、そもそも厳密に正しい数字などなかなかありはしないのだ ( ˘ω˘ )
反論で、感想欄にめっちゃ分量を書く人も、半日ほどおいておけば、消去されていることも多い。
きっと、人間の感情とは、時間によって変化するのだろう。
中には「言い過ぎでした」みたいな謝罪文を載せて、撤回する男気溢れる方も過去にいた。
きっと、エッセイの感想欄とは、感情溢れる場なのだ ( ˘ω˘ )
だが、あんまり量を書かれると、根拠を調べたりするだけで膨大な時間がかかるので、できればやめて欲しい。
最近は、そんなに量を描くなら「短編エッセイ」にしたら? みたいな風潮でありがたい (;^_^A
感想欄以外に送り付けてくる人は論外で相手にしないが、感想欄に書かれた分に関しては、これからも、できるだけ返信できたらいいなあと思う。
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我らが西宮六甲にゃんにゃんず。
優勝の日が現実味を帯びてまいりました。
……というか、来週の火曜日くらいかな (。´・ω・)?
よく、野球や政治、宗教の話は喧嘩になるからしてはいけないというが、あまり野球の話で喧嘩になった記憶はない。
それは良い人に恵まれていただけかもしれないが、逆に、小説関係の方がよっぽどもめる (;^_^A
現実的に、人間は社会的動物として相手を格下に追いやりたい欲求がある。
それはサル山で、できるだけ上に上ることを渇望するサルと同じである。
だが、そういう生物としての性質を、目を背けず自覚することで、喧嘩を少なくすることが出来ると思うのだ。
学校生活には、やはりカーストがあり、世界は物資を取り合う紛争に塗れている。
これに対して「そんなわけはない!」と明言する大人ほど、実は極めて怖いと思うのだ (´・ω・`)
……ちなみに、AIにこのことについて意見を求めると、
→「そんなわけはない!」と断言する大人は、むしろ現実の怖さを直視してない。
本当に子どもに寄り添うなら「そういうことはある。でもどう付き合うかを考えよう」って言うべき。
との回答であった ( ˘ω˘ )




