~貧困な国の見分け方?~
先日ツイッターで、なろうのお気にいりの非表示の是非をうたっている記事があったが、極めて微妙な問題だとおもう。
正直私は、表示して欲しい派だ。
世の中、個人の権利とばかりに、いろんなことを隠す風潮だ。
だが、折角の縁。
良くも悪くも、隠すことない方が清清しいと思っている。
あと、個人の権利で思い出したが、昭和の50年代に生まれたオッサンとしては、日本は最近にて凄い個人の権利意識が向上していると思う。
欧米の様に、個人の権利が向上しすぎてギスギスとしていると思うのだが、まぁどんなのがいいかは更に年月による証明が必要になるのだろう……(´・ω・`)
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なろう批判は、ある期間の周期で繰り返す!という人がいる。
2~3年くらいで人が入れ替わるから、批判エッセイもそれに応じて出てくるだろうという話だ。
だが、本当にそうなるだろうか?
実際になろう批判の記事の出現で得をするのは、その記事を論破するであろう、なろう擁護派の精鋭たる人々だ。
老獪な彼らはいまも手ぐすね引いて、なろう批判の記事の出現を待っている。
……そこへむざむざ、餌になりに行くのは愚行だ。
現実のなろうがどうあろうと関係ない。
現在、擁護派が論客ぞろいであるために、黒を白とでもいうほど力の差があるのだ。
ある意味。
現在のなろうエッセイは肯定派の天下だ。
戦力が違いすぎる!
批判派は風前の灯だ。
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異世界恋愛ブームが暴風雨の様に吹き荒れている (`・ω・´)シ
読む人が求めているのだから、それはそれでいいのだが。
逆に、それが苦手な人にとっては、かなり厳しい季節だ (´・ω・`)
拙者、恋愛小説なんて書けねぇ~><。
モテてこなかった子にとって、恋愛なんて敵だ!ww
……という気持ちは多少なりともあるw
恋愛が描ける人って、いままでが多少なりともリア充だった人だ!
過去の恋愛ヒエラルキーが、今になっても影をおとす (・ω・`;)
売れっ子小説家であるリア充への道は遠い ( ˘ω˘ )
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最近、とあるところで重厚なファンタジーという言葉を聞いた。
私にとって、重厚なファンタジーとは宗教がえがかれることだ。
中世ヨーロッパとは神の在り方を問うた時代であるからだとおもうからだ。
騎士団も教会の護り手たる存在で、民衆の護り手というわけではない。
……まぁ、そんなことはどうでもいい事でもあるのだが (゜∀゜)/~♪
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貧困な国かそうでない国かの見分け方は、好き嫌いが存在するか否かだそうだ。
人が「この食べ物嫌い!」といえるのは貧困な国ではないらしい。
わかりやすい見分け方ですね (*´▽`*)




