誰が"シュワルツネッガー"だ!
「いやよぉ、聞いてくれって店長!」
「聞かねぇよ、バカネコ。それと、俺はマスターだ」
「変わんねぇだろ、ンナの!それより、俺は本当にコイツが死人だと思ったの!そう見えたの!現に死んでるだろ、色んな意味で」
深酒というものは…なんと言いますか、ジェットコースターの様な物です。最初や2回目は問題ないのです。けれど、乗りすぎるぎると何時しか感覚が麻痺ってきまして…そうなると周りの音さえも過敏に感じ、鬱陶しい重力が体を神経から捻じ曲げてゆくのです…
そうなると…
「うっ…うぇぉおぉぉ…気持ち悪っ…うぅ、気分が…いくない…うぉえまぁゔぉぉ!」
酔うまでの量は多いんですよ、私。でも、一度酔うとこの様でしてね?椅子を2脚横に並べた即席のベットに横たわる私は、耳に聞こえる男二人の声に意識の肩を揺すられると、とにかく嗚咽と共に起き上がろうとしたのでした。
まぁ、酔いの抜けきらない私はすぐに突いた手を滑らせて簡易ベッドから倒れるのですけれどね。
「痛っつつ…あ〜…頭が重い…悪酔いした訳でもないのに」
「アンタねぇ、あれが悪酔いじゃなきゃ、世の中なんでもありだよ。まったく…」
「えぁ…あぁ、すみません…」
盛大に落っこちた私は、肘だの何だのをそこそこ強めに打って店の床を芋虫の用にのたうち回ったのでした。まぁ痛みより気持ち悪さのが勝って、痛覚が麻痺してましたから軽口で済みましたけどね。
なかなかにいい音がしていたように思えますよ。
そんな私を助けてくれたのはマリーさんでして、床で蠢き呻く私に手を貸してくれたんです。ただ、あのときの彼女の瞳と悪寒に引きつった顔は忘れられません…そんなにグロかったのかなぁ、私の顔?
とはいえ、そのときは全く気にしなかった私はマリーさんの白い手を取ってなんとか椅子の上へと戻ろうとしたのです。あるとも言えないほど低い背もたれに手をかけ、力の入らない手足を踏ん張ってなんとか戻ると、そこには少し前まで見ていたカウンターテーブルとお酒の入ったボトルがずらりと並んだ棚、その前に立つヒロさんの頭蓋骨が見えるのでした。
「お客さん、大丈夫ですか?出し続けた私も悪いとは思いますが、"酒は飲んでも"ってやつですよ」
「いやぁ……そんなに飲んだ記憶は……ない……」
「嘘つけ、記憶がない奴が口籠るかよ!いくら分呑んだ上で惚けるんだ?」
このヒロさんの優しい言葉は前半だけで良かったよ。あの人はいつも最後に余計な一言を付け足す。根はいい人でも、これは鼻につくよ。
しかし、この時の私は泥酔から冷めたばかりのか弱い乙女…嘘ですね、酔っぱらいです。なので、不要な追求はとにかく避けようと誤魔化す訳です。それを早速ブチ壊したのは大刀洗さんでした。今思うと、大刀洗さんも余計な一言が多いお人だった。
その大刀洗の言葉は当然反論の余地がなく、駆け巡る血流さえ感じて目を回す私は頭を揺らしてカウンターに突っ伏すのです。
「へけっ?」
「テメェ、馬鹿にしてるのか!猫にネズミが噛み付いていのは"トムジェリ"だけなんだよ!」
「大刀洗、アンタ随分と懐かしい作品出すね。年齢バレるよ?まぁ、アタシより遙かにジジイなのは変わりゃしないけど」
「ネコがネズミにナメられないようにするには、あれ観て学ぶのが一番だ!それとマリー、俺がジジイならテメェは……」
「あぁあ!アタシの賄いは"猫鍋"かい、マスタぁー!」
私のすっとぼけに律義に応える大刀洗さんに、マリーさんの言葉の刃が突き刺さる。あの時の大刀洗さんの顔面ときたら、ネコながらに露骨な"不貞腐れたような顔"していたのです。まぁ、あの人は芸人みたいなものでしたから、顔芸にも長けてましたね。
今思っても"トムジェリ"がネコにウケるというのはおかしな話だ。普通はネズミに売れて、ネコは怒りそうなのに。
そんな大刀洗さんも、流石に野生の法則には敵わないのです。だって口が回る猫とはいえど、マリーさんは狐だし。というか、マリーさんって店の中だと本当に口悪い人だったな。"あのとき"はあんなに……
おおっと、脱線!いや、ネタバレってヤツか!危うく話をつまらなくするところだった。
「いや〜……猫鍋とか……あっ!プリチーな俺を鍋に入れて写真撮ろうってか!いやぁ、写真じゃ腹は……」
「三味線よりゃ、アタシの血肉になって貢献できるんだ。悪くないだろ?」
「お前!猫食うとか正気か?犬猫食うとか人食うのと同じだぞ!テメェ、カニバリズムなんて出来んのか!」
とにかく、大刀洗さんはマリーさんとバチバチやってて、正直、頭のガンガンしてたそのときの私にはまぁ不快で、不快で。とにかくカウンターに突っ伏してヒロさんの出してくれた水を飲むのでした。
いや、あれポカリだったかな。そういや、謎に冷蔵庫にポカリが列をなして鎮座してたな……あれってこういうときのためだったのか……いつもあのポカリが仕込みとか品出しの邪魔でどうにかしたいと思ってたんです。あれのせいで掃除も邪魔だし、それに……
いや、話の脱線多くてすみませんね。
とにかく、私の横で言い合いをする2人は、今思うと"イヌ科とネコ科の戦い"をしていたとも思えますね。まぁ、大刀洗さんの言うとおり、確かに犬猫を食べるってかなり禁忌に思えますよね。突っ伏してた私も、あの一言のときには頷いていた気がします。
「でも、中国では犬も猫も食べるって文化、あるみたいですよ」
いや、ヒロさんもヒロさんもで話をぶっ込む人だった。
まぁ、白熱するイヌとネコの戦いで逆転を狙ったネコの発言は、骸骨乱入によってあっさり論破されたのです。
いやぁ、ねぇ、小首傾げてなんともない口調でヒロさんに言われたら、突っかかって文句言うのは野暮ってもんですよ。
「皆、話を戻そう!このままだと状況が先に進まない。マスター、状況を纏めてくれ。ヒロ!その嬢ちゃん起こしな!」
「全く、このバカネコは……」
大刀洗さん、その逃げ方は露骨ですよ……まぁ、大刀洗さんのキャラだから許された訳ですがね。
とにかく、大刀洗さんの余計な一言から始まってマリーさんがふっかけた口喧嘩は、負け猫の強引な話題転換で本筋へと戻され消えたのでした。
そんな大刀洗さんと話すマスターの声は……あれ、誰だっけ?声優に渋い声で"来いよ、ベネット"とかってセリフで有名な人……
まぁ、いいや。とにかく大刀洗さんの声の他に聞こえるマスターの渋い声も耳に入れず、そのときの私はコップの中の氷を噛み砕くのに集中していたのです。
いや、何やってんだ私は?
「お客さん、氷食べるのはそれくらいにして起きてください」
「かき氷食べたい……小倉抹茶にバニラアイス乗せて……」
氷を食べきって水の入っていたグラスの縁を齧る私に、ヒロさんは優しく声をかけてくれました。いやぁ、ホントに親切な声でしたよ。肩掴まれて猛烈に振られなければ……
いえ、ヒロさんもヒロさんですが、私も私ですね。せっかく優しく声をかけてもらって、激しく肩を揺らされるにも関わらず、良いの冷めきってない私は軽口を言うわけです。
当時、私の中では流行ってたんですかき氷。氷にもこだわって上にかけるシロップやアクセントにもこだわるかき氷専門店のものは、祭りの出店のものとは大違いなんです。本当に食感は雲を食べるようで、そこに小倉とか抹茶の甘みが……
「おい、嬢ちゃん!冗談言ってる場合か?お前さんは……うぉ!」
揺れる頭の中でガラスの器に山のように盛られた映え映えのかき氷を思い浮かべる私に、大刀洗さんの文句の声と猫パンチが炸裂しました。あのときの状況では、確かに大刀洗さんの行動は正しいですよ。だって、ホントに冗談言ってる場合じゃないんですもの。
ですけど、まだ何も知らないこのときの私には謎に頬を叩く肉球とギャップのありすぎるおっさん声へイラッと来たのです。そうしたら、まだ酔いの冷めない私は容赦がありません。私の手は大刀洗へ向けて伸びました。
「私はなぁ……"荒牧政子"ってんだよ!このヌコ野郎がぁ!」
「やっ、ヤメ!止めろって!おあぁ!ちっ、力が抜けるぅ……」
猫の首筋のところって、ムニッとしてて皮とか摘むと気持ちいいですよね。イヌ派の私もこれはなかなかに嫌いになれません。
そんな私の首筋ツマミに大刀洗さんたら早々に足腰が立たなくなったんです。なんだろう、見た目猫であの声って、あれはあれでギャップがあって見る人によってはカワイイのでは?
「それで、その"荒牧政子"さんさ。なんで"ここ"に来たんだい?ここってのは簡単に来れる場所じゃねぇんだがな」
「いやぁ、ここに来たのは……」
皆さん、言いたいことは解りますよ。解りますとも。
"こいつ、口籠る回数多くないか?"と思ってるでしょう。そうでしょう!私だってそう思いますよ。
でも、私って結構口が回る方だって思うんです。女の子にしては饒舌だし、度胸があるし、喧嘩は強かったし!
あれ、これは女子として誇れるのか?
「なっ……なんだ、嬢ちゃん。"鬼の俺がおっかない"……ってか?」
でもですよ、私より30cmは高い身長で外人バリの目鼻立ちした渋いおっさんに見下されたら言葉を失うでしょう?見た目シュワちゃんだもん、鬼って言うとおりオデコ辺に生えた2本の角が店のランプに光り輝いてても、シュワちゃんだもん!右側の角は半端に切れててもシュワちゃんだもん!おまけに室内なのにグラサンかけてるし!狙ってるだろぉ!
確かに厳つさは若干劣るかもしれないし、毛の色は黒かったりシュワちゃん独特の優しそうな雰囲気少なかったけど、シュワちゃんなんだもん!少し話すのにまごついて"んっ?"てなったけど、シュワちゃんなんだもん!
そりゃ黙るよ!
「あの、"トータル・リコール"と"プレデター"に出てました?」
「だっ、誰が"シュワルツネッガー"だ!おっ、お前らも笑うな!」
いや、失礼だな私。初対面の人にこれは流石にやりすぎだろ。
なるほど、就活の面接官は私のこの内面に気づいていたんだ。だから、"とても仕事ができるけど明け透けにもの言うヤツ"より"バカで媚びうるしか出来ないけど困ったら黙るヤツ"を採用するのか……
日本社会め、許せん。
すみませんね、脱線多くて。
とにかく、私が怯えて黙ったと思ったマスターのスカした言葉に、"純粋乙女な政子ちゃん"は怖くて失礼な一言をカマしてしまったのです。この一撃は厳ついマスターの頬も赤くするし、凍りつきかけたその場も一瞬でぶっ飛ばしたのです。
「フフッ……いや、悪いね、マスター」
「私は"ツインズ"とかコメディやってるシュワちゃんも好きですね」
「ヒロよぉ、そこなんだよ。シュワちゃんは"映画も何でもできる"ってとこが凄いんだよ。"バーのマスターなのに飯しか作れない奴"とは大違い……」
あぁ、このときからマスターの本質は見え隠れしていたのかも。おまけに皆さん好き放題な発言して、まぁ。
まぁ、ヒロさんは素っ頓狂な映画話し始めましたけど。空気読めない人だね。それでも発言は確かにそのとおり、シュワちゃんはコメディもイケて凄いんです。
ただ、大刀洗さんの一言は多すぎた。あの人は調子に乗りやすいから困っちゃうんです。そして、あの時の私には初回でしたけど……
「うぁぁぁいぁみぁぁ!動物虐待、動物虐待!助けて止めろって!アバババババ!」
"猫マシンガン"される猫の気持ちって、あんな感じなんですかね?いえねぇ、よく見るのは嫌がってるようには見えないから。
まぁ、とにかく大刀洗さんはマスターのゴツい腕のが作り出す振動の中で、悲鳴という発砲音を奏でる訳です。
あの2人の組み合わせは、なんとも言えない感覚を抱かせますよ。仲がいいのか悪いのか……
「あの、それで……酔い潰れたのは申し訳なく思いますし……お代もきちんと払いますから……」
そして、あの頃の私はこのアットホームな状況下で、"借りてきた猫"のようになった訳です。
いえ、"シュワちゃん"当たりからですよ。その前の流れと記憶から"借りてきた猫"というほどに礼儀知らずではありませんがな!
そんな私の素晴らしく礼儀正しい……いや、酔が冷め始めてビビり始めているのか。そりゃ"シュワちゃん"出てきたらビビるか。ビビった私は帰ろうとお財布を出そうとする訳です。
でもね、そうは問屋が卸さないんですよ。カバンに伸ばそうとするその手は、マリーさんの手に止められたんです。
「いや、そんな簡単にはいかないんだよ」
「お会計額がすごいとか?確か……料理1皿とカクテル3杯……」
「「「「嘘つけ」」」」
いや、全員で総ツッコミするほど……程か。
「お前、"ミートソーススパゲティ"に"マッシュポテトのグラタン"、"ペペロンチーノ"に"レバーペースト"、"チョリソー"、"アンチョビピザ"、"オイルサーディン"、"ローフトビーフ"、"シーザーサラダ"……」
「いやいやいやいや!こんなか弱い乙女の胃袋にそんな入るわけないでしょ!」
「"ビーフシチューオムライス"、"パンケーキ"、"チョコレートパフェ"……」
「おい、ここは"バー"なのか!"ファミレス"の間違いだろ!」
いえ、その……女の子だって極貧やってたらそれぐらい食べるんです……よ?"フードファイター"って思ったヤツは許しません。
いや、今思うと随分食べたものです。あの時の伝票、確か最後まで記録を破られなかったはず……だって……
「ここにバーテンダーがいるからバーですよ。お客……"政子"さん各ベースのカクテル4杯以上飲んでましたからね」
言い訳させてください、極貧は人を人間以上のなにかに変えるんです。あの時の胃袋と肝臓はおかしかったんです。
いやぁ……痛かっなぁ、マスターのグラサン奥の哀れむ瞳とヒロさんの髑髏なのに感じる同情心……マリーさんに至っては……
「キッショ……」
辛辣かよ!
「代金が凄いなら、カード……カード使えないってことですか?なら、近くで卸して……」
「いや、問題はそうじゃない……あぁ、いや、あれもあれで問題なんだがな。一体何万飲み食いしたのか。伝票書いてたマリーのやつは目が死んでたぞ」
「まだ指と腕の筋肉痛が取れないよ」
しかし、私の適応能力高いな。こんな面白い面子にハチャメチャな状況でも、きちんと支払いして退散しようとするなんて。逃げ出してもおかしかないぞ?
でも、私の支払いと交渉はマスターに阻まれる訳です。確かに、あの伝票は問題ですよ。何枚も上書きされた注文票に書き換わる会計額。まぁ、1番の問題はマリーさんの会計ミスの連発でしたけどね……
あの人ときたら、メニューの大体の値段を覚えてないから微妙に違う値段を書き込んでて、まぁ計算の合わないこと合わないこと……本当にあの人はフロアに立たせちゃいけない人だ。特に会計は……
いや、学習しない訳じゃないんですよ。とかく思い出すことが多くて……
話を戻して、あのときの私は、支払いよりもっと問題がありました。というのも……
「じゃあなんです?トイレにぶち撒けたから掃除しろって感じですか?嫌ですね、私は"トイレには行かない"し"オナラ"もしないんです!」
「お前は昭和のアイドルか!」
「"キョンキョン"をバカにするのかぁ!」
「話を脱線させるな!」
もぅ!なんで私はこう余計なこと言うのかなぁ!この店の従業員の必須条件ともおもえちゃいますよ。
脱線ついでに、"キョンキョン"と"ユーミン"は人生の師匠です。
それで、再び話を脱線させかけた私と大刀洗さんにマスターのお叱りが飛ぶと、私はカウンターの座席に縮こまり、大刀洗さんはまるでアニメの猫のように手足をピンと張って飛び上がったのでした。
「問題ってのはお前がここにいるってことだ。ここはな、死人しか来れないんだよ。なのにお前は生きた臭いがする。それが一番マズイんだ!」
そう、マスターの一言通りそれが一番マズイ状況なのですよ。私の人生最大の危機とでも言いましょうか?
しかし……私と来たら……
「ふぇ?」
この一言はなしでしょうに……