んん〜〜!フカフカだぁ〜…
「うわああぁあぁあ!」
「うっ、うお!何だお嬢ちゃん、いきなりデカイ声を出すなよビビるだろ」
「だだだ、だって!だって、だって…」
「"だってなんだもん"ってか?」
「がっ、骸骨ですよ!」
「喋るネコに適応出来て、骸骨男にゃぁびっくりするのかよ…」
頭の上で呆れる太刀洗さんの言葉もごもっともです。
えぇ、そうですよ。おかしいのは解りますよ?でも、私は一応ファンシーと言えなくもない太刀洗さんより、目の前の骸骨男…もとい、ヒロさんのリアルな骸骨姿に驚愕したのです。
「えっ、本物?骨格標本に服着せて糸で釣ってるとか?」
「ばっ、バカ!いくらヒロの見た目がおっかないからって、そりゃ言い過ぎだろ?まんま骨格標本みたい…ふふっ…骨格標本…ぷぷっ…」
「お客さん、私はこれでもれっきとしたバーテンダーですよ。それと太刀洗さん、笑わない」
「わっ、わりぃな?でもよ…本人の真ん前で中々の悪口…ハハッ…」
確かに、本人を前にして私も随分と失礼な事を言ったものです。とは言え、ヒロさんの見た目は骨格標本そのままで、彼の背後に木製の柱があり場所が理科室だったら、きっと全員がそう言うでしょう。きっとそうですよ!多分…
とにかく、ヒロさんは骨格標本に白いシャツと黒いベスト、黒いズボンに革靴という出で立ちだったのです。
そんな私の発言にやたらとウケる太刀洗さんに、カウンターにカクテルグラスを置きながらストリチナヤのボトルを取るヒロさんは柔らかい口調で一言述べつつ、私の頭上の太刀洗さんへ刺すように指摘しました。
まだまだ笑う太刀洗さんも、ヒロさんに軽く謝ると私の頭から床に飛び降りて店側のカウンターへ入っていったのです。
「えっ…ちょっと、太刀洗さん?」
「職場なんだ。店に入るのは当たり前だろ?」
「あっ、コラ!太刀洗さん、外出たならちゃんと足とか洗って下さいよ!」
「当たり前だろ?ウチゃ飲食店なんだからよ。店長ぉ〜、足洗うの手伝っておくれ〜」
何ともシュールな光景でしょう…バーテンの足を避けながら店の奥に消えるネコと、そのネコに足を洗うよう指摘する骸骨…
あまりのシュールさに、ヒロさんへの驚きも私の中では不思議と薄れていったのでした。
去っていった太刀洗さんの気怠気な声が店奥から流れる中、静かに着席を促すヒロさんの慣れた…いえ、優雅な身振りを前に私は何故か不思議と落ち着いて、普通にカウンターへと座っていたのでした。
「あのっ…えっと…その…」
「驚くのも無理はないですよ。むしろ、人は初対面の相手を見た目で判断するもの。本能です」
「でも…」
「まぁ、来店する皆さんも大抵は同じ反応ですよ。正直、役所で説明されても皆さん理解しきれてないでしょうし、自分でも鏡を見ると時々驚きますよ。仕方ない事です」
「"皆さん"?」
「つまり"お客さん"ですよ。バーですから」
ヒロさんの前に座った私は、不思議と言うかなんと言うか…とにかく彼の熟達したバーテンダーの動きに見惚れたのでした。
骨しかないとは言え、細く長い指が器用にカクテルメジャーへストリチナヤやホワイト・キュラソー等の材料をシェイカーへと注ぐ姿は、まるで漫画やアニメの様な光景なのです。
骸骨って言うのは何だかホラーでしたけど、ヒロさんが落ち着いた口調で言葉に困る私に話し掛けた時は、"イケメンなら劇的な出会い"なんて無意識に頭を過ぎったものです。現実は骸骨ですけど…
そんなヒロさんの言葉で謎の罪悪を感じ始めた私に、シェイカーへ一通りの材料を入れた彼はそのストレーナーをグッと閉じて優雅な身振りで構えつつ、他の席を一瞥して見せました。
その視線に周りを見た私でしたが、ヒロさんの存在感で気にしなかったですが確かに数人のお客さんが既に店に居た事にようやく気に留めたのです。
奥に座る髭を蓄え和服を着こなすオジサンや小太りと痩せたサラリーマン風の男性2人、チェックのシャツで既に相当に酔っているらしい青年1人等と狭い店の中には広さに相応の客がいた訳です。
「綺麗なバラには棘があり、空飛ぶ勇ましいハクトウワシは思いのほかロマンチスト…この世は見かけによらない…」
「はっ、はぁ…そうですか…」
「ジュンヤさん、何でワシがロマンチストなんです?」
「ハクトウワシの求愛は、オスメスが空中で足を繋ぐスカイダイビング。そのまま落下し死ぬ事もあって、彼等は一生同じツガイで添い遂げる。ロマンチストでしょう、ヒロさん?」
「なるほど、意外と”生き物全てが見た目で判断するものではない"と?」
「ヒロさん、そういう事」
何が”そういう事”なの?
ヒロさんがシェイカーを黙々と振る中、客の中の1人に居た和服のオジサンが話し掛ける内容に、私は困惑しつつ適当な返事を返しました。
別に面倒とか訳が解らないとかではなくてですね?皆さんも、いきなり話し掛けてくる人には困惑するでしょう?そういう事です。
でも、そんな"ジュンヤさん"の言葉にシェイカーのトップを外してグラスに中身を注ぐヒロさんは納得したように頷いていたのです。
そしてこの時、私は"骸骨"とまともに会話出来る人がジュンヤさんを"普通のオジサン"と思えていたのです。普通な訳がないのですが…
「コスモポリタン完成。マリーさん、テーブル席に運んで下さいよ。マリーさん?」
「うっさいよ、ヒロ…私は今休憩中なの」
「30分前も同じ様な事言ってたでしょ?サボるのと休むのは全くの別物ですよ」
「はぁ…はいはい、わかったよ。2番テーブルね?」
「マリーちゃ〜ん!こっちだよ!」
「うっさいねぇ、酔っ払いは…」
グラスに薄赤色のカクテルを注ぎきってレモンの皮細工をフチに刺したヒロさんは、カウンター外の店の奥に声を掛けました。
カウンター席の奥は誰も座っていなかったのは私も気付いていました。ですけど、私の隣3席先に座る"ジュンヤさん"とやらを越えた1番奥の席には、何時の間にか女の人が座っていたのです。
そりゃもう美人で、ウェーブの掛かったロングヘアーの金髪に、日本人離れした整ってスッキリした目鼻立ち。それだけでなくスタイルも抜群ですよ。これを美人と言わずして何を美人と言うのか…
ですか、グラスをヒロさんから受け取りサラリーマン2人の元に向かう美人に、私は綺麗だ何だよりもっと違う感想を抱いたのです。
「耳に…尻尾…」
「灰色というか、黒というか…まぁ、ギンギツネではあるだろうね?」
「ジュン、私はそうやって分類だ何だされるの嫌いなんだ。次言ったら、ぶつよ」
「まさに"綺麗なバラには棘がある"」
「マリーちゃ〜ん、尻尾触らせて〜」
「これ!酔っ払い、触ったら代金に3万重ねるぞ!」
金髪の頭に目立つ灰色や銀とも言える毛を生やした耳に、黒いズボンの後ろからは毛並みの良く柔らかそうな尻尾が生えていたのです…
サラリーマン2人へ向かう"マリーさん"は何とも美人でしたが、おくれ毛と髪の隙間には耳がなく、頭部の耳が左右に動く姿を間近で見ると驚いたものですよ。
ですが、私以外の客はマリーさんの耳や尻尾を前にしても動じず、酔っ払い小太りサラリーマンに至っては左右に揺れる尻尾を触ろうと手を伸ばし彼女から手を叩かれる始末でした。
異常でしょう?ようやく私も自身の取り巻く世界の異常性に恐怖し始めたのです。
だって…
「あれっ…何か、あの人色素が薄いような…」
「お客さん、ご注文は何にしますか?」
「いや、あの…注文とかより…」
「何、あんた?メニュー欲しいのかい?なら最初から"メニューください"って言えばいいのに。」
「マリーさん、言い過ぎだよ。きっと彼女は、こういう店に慣れてないんですよ。一人で来るには"早すぎた"ってヤツで…なら"早すぎた"繋がりで…」
店が暗いのもあり当時の私はぎりぎりまで気付きませんでしたが、マリーさんと話すサラリーマン2人や、横に座る男2人も何だか向こう側が少し透けて見えるのです。
そんな事実に今更気付いた私は、ヒロさんか注文を尋ねる中でその事実を尋ねようとしまた。ですけど、おどおどし始めた私の態度が鼻に付いたのかマリーさんは見た目に似合わない日本語であれこれ言ってきたのです。
今思えば、接客業であの態度ってマズイと思うのによく店員なんて…いえ、言い過ぎましたね。
とにかく、ヒロさんも私がメニューとか注文の仕方が解らないと察したのか、一言呟くとビーフィーターのボトルとライムジュースを取り出したのです。
「"ギムレットにはまだ早すぎる"かな?」
「ジュンヤさん、ネタバラシにはまだ早すぎですよ」
「なら、ローズ社製ライムジュースじゃなきゃね」
「ローズ社製ライムジュース?」
カクテルメジャーで測り入れるヒロさんに、カウンターでロンググラスに入った黒いお酒を揺らしながらジュンヤさんは流し目に自信のある口調で尋ねたのです。
その時はあまり何も思いませんでしたけど、あの人って相当空気読めない人だったよな…
シェイカーに全ての材料を入れたヒロさんもジュンヤさんの言葉に困ったように呟き、私も"長いお別れ"は読んでいなかったので正直困惑しました。
「まあ、たとえ早くても遅くてもギムレットは美味しいですよ。普通のライムジュースでも。どうぞ」
「あっ、私のですか?」
「注文に困っている様だったので、自分のオススメを1つ」
「オススメってアイリッシュコーヒーで、貴方の好みじゃ…」
「まっ、まぁとりあえず飲んでさ」
ここで止めていればいいものを…
勧められるままにグラスを持った私は、ゆっくりと口を付けて口にふくんだのです。
鼻にぬけるジンの透き通る風味とライムの香り。キリっとしたジン特有の雑味の少ない味に、ライムジュースの甘味がアクセントとなっている。完璧なシェイクによる素晴らしい味なのは、とにかく忘れられません。
今の私の目標はあの味ですかね?
「おっ、美味しい…」
「ありがとうございます」
「あの、これ本当に美味しくて…」
「お嬢さん。本当に良い物には、飾り立てる言葉なんて必要あるのかな?今はただ味わえばいいのさ」
私の感想に軽くお辞儀するヒロさんへ、私は何か一言付け加えようとしたんです。それを止めたジュンヤさんの言葉に、私は納得するとお通しの小鉢に入ったナッツをツマミに黙々とギムレットを味わったのでした。
私って単純…
「2杯目は、どうします?」
「えっと…かっこいい感じのお酒ってありますか?」
「セックス・オン・ザ・ビーチなんてどうよ?」
「太刀洗さん…セクハラは駄目ですよ…」
「こら!ヒロ!俺は単純にいいカクテルだから勧めただけだよ!なら、XYZなんてどうだ?マンガのネタにもあったろ?」
「終わらせちゃ駄目ですし、私は困ってもないですよ」
すぐにグラスを空けた私に、ヒロさんは注文を尋ねて来ました。接客の鏡だよな…
言う程カクテルの種類を知らない当時の私が注文に困っていると、何時の間にかカウンターの上に太刀洗さんが座っていました。格好もバーテンダーのヒロさん同様に白いシャツに黒いベストと、何だかマスコットキャラクターみたいに見える格好に変わっていました。
まぁ、セクハラしてどやされるマスコットってのも考えものですよ…
「なら、スクリュードライバーをお願いします。それと…何かオツマミもらえますか?」
「だったら、オイルサーディンなんていいぞ?うちのは他のトコより遥かに良い品で、すぐ出せるしな。ほれヒロ、早う作りんしゃい!」
「散々ふらついて仕事してるのか解らない人の癖に…スクリュードライバー、承りました」
「それと…料理のメニューってありますか?」
「マリーちゃん!食事のメニュー…」
「仕事してるか怪しいヤツの指示が聞けるか。第一、カウンターに近いヤツが取るべきでしょ?」
「マリー…サボってるヤツにも言われたかないわい!あぁん、自分で取りゃいいんでしょ」
私の注文に太刀洗さんが偉ぶって答えるなか、ヒロさんとマリーさんは指示に対して気乗りしない風を装っていました。
太刀洗さんって好かれてる様で嫌われてたのかな?今どきのイジメかな?
食事のメニューを取ろうと猫パンチをかます太刀洗を横目に、ヒロさんの慣れて素早い手付きで用意されたオイルサーディンにスクリュードライバーを私は堪能し始めたのです。
それはともかく、お酒は良いものですよ。嫌な気分を変えて、自身をリセットしてくれる。明日へ歩む気力をくれる気がするんですよ。
あっ…言っておきますが、私はアル中じゃないですよ!
「ひ、ヒリょしゃん…次は、ヒッく、うぇ…サイドカーってヤツを…」
「おいおい、少し混んできて目を離したら…ヒロ、コイツ何杯飲んだ?」
「いや、8…10杯くらいかな?さっきまで普通のだったんですよ。この1杯で突然…」
「バっ、多いわ!注文されるとホイホイ作ってからに…オメェの悪い癖だぞ!度数高くてショートカクテルばっかり頼んでんだから、少しは水出すなり何か言って止めさせろよ!お嬢ちゃんも随分と酒豪だな。あぁ、こりゃベロベロだよ…」
「ちょっとアンタ、大丈夫…って!人の尻尾にいきなり触るな!」
「んん〜〜!フカフカだぁ〜。うちの煎餅布団よりえぇのぉ〜!なんだね、このフワフワ!素晴らしいね!アハハハ!」
こんな感じだったかな?まぁ、とにかく酔ってしまったんですよ!バーで過剰に飲みすぎるのは絶対ダメですよ…思考が濁り始めた時が帰り時。
でもですよ。つい数時間前まで自暴自棄だった人間にお酒ですよ?まぁ美味しい訳で、飲み過ぎちゃう訳で…
「アッハッハ…ハァ…かぁぁ…」
「ハッ、ちょっと、アンタ!抱き付いたまま眠るな!」
「おお!ガチ百合ワロス!」
「マリーさん大丈夫ですか?お客さん、しっかり!」
「それ見ろ、ヒロ!ここはホストクラブじゃ無いんだぞ、客を寝かせてどうする?」
曖昧な記憶のある範囲でも、まぁ…この経験は醜態な訳です。
そして、この時周りのみなさんが顔を真っ赤にする私を介抱しようとしてあれこれ喋っていた訳ですが、誰が何を言っているのかさっぱり解らない訳です。
でも、最後に聞こえる低く響く厳つい声と大きな影だけははっきり覚えているんです。この奇怪な場所が何処なのか察しのつく一言が…
「おい、誰だ!生きてるヤツをこっち側に引き入れたのは!」