ヌコだ…
皆さんは喋るネコと聞いて何を思い浮かべますか?
国際的にも大人気。元は黄色だけど、ネズミに耳を齧られて失い泣き晴らし、青くなったタヌキみたい彼?配達人をやる魔法使いの少女と共にいる黒ネコ?ボールにモンスターを入れるゲームの小判を額に着けたネコもどき?
私の先輩の小島さんなら、きっと妖怪がいっぱい出てきて"名前"が関わる作品の丸くてカワイイのを思い浮かべるでしょうか…喋るネコは大抵の作品では愛らしい見た目にカワイイ声が基本です
「なんだよ、嬢ちゃん?そんなみっともなく口をポカンと空けて。さては、俺ちゃんの可愛さに惚れちまって…」
「ねっ…ねっ…!」
「"ね"?」
「ネコが喋ったぁあ~あぁ〜!」
ですが、私の足元のネコはごく普通の猫なのです。愛らしさよりは"ふてぶてしさ" が目立ち、声に至っては若者から渋いおじさんまでコロコロと変わる。
不思議の国の猫はデフォルメされたキャラクターだから怖くはありませんが、普通の見た目のネコが声音をあれこれ変えて喋られれば普通の人は驚きます。
勿論、私も例外ではありませんでした。TRPGよろしくSAN値というヤツが猛烈に削れた私は、足元の異常な何かに恐怖を感じると昔の感覚を呼び覚まし身をのけぞらせて距離を取ったのです。
喧嘩の常は、"相手の手の内が判るまで腕一本分距離を取る"ですよ。
「おいおい、喋るネコくらいでそんなに驚くなんて…それはそれで傷付くんだけどなぁ。俺ぁ、ここいらじゃ、ちょっとした"マスコット"なんだぞ?」
「そりゃ驚くでしょうが!見た目まんま野良猫でしょうに!それがこんな"ハスキーボイス" だ"渋いオッサン声"で話して、ビビらない人がいるもんですか!」
「オっ、オッサン…だと…」
「少なくとも子ネコには見えませんよ!」
今思えば、喋るネコを前に慌て距離を取りながらファイティングポーズを構える人間が、"本気で驚いた"なんて信用できないでしょうね?
きっとその時の大刀洗さんも同様で、突然跳ぶように距離を取った私に、彼は目を細め前足で耳の裏を数回掻くと呆れた様に声をかけました。
そんな大刀洗さんへ私は思った事を全て口に出すと、彼は衝撃を受けたとばかりに呻き、私は更に畳み掛けました。
「そもそも、何でこんな喋るネコが居るのに騒ぎに…」
「そんなのどうでも良い!こんなプリチーでチャーミーな俺がオッサンだと…ンな訳あるかいな!」
「若いヤツが、プリチーだチャーミー言うか!なまら田舎暮らしか年寄りだけでしょうが!」
「"なまら"って言ってる小娘に"田舎暮らし"なんて言われるヤツが気の毒だわ!」
「何だと!野良の癖に!」
今更、ようやく気づくのですか、私…
普通なら、ネコ相手に騒ぐ女の子…もとい、独り言でうるさい女がいれば目立ちます。自分が本来ならどれだけ白い目で見られていた事か…
そんな嘗ての私は、街ゆくに人に何も言われずまるで無視されている様な状況に、大刀洗さんへ尋ねようとしました。だって、明らかに元凶に見えるでしょ?
ですが、大刀洗さんは私の質問より"オッサン"と"野良"に傷付いたのか目を見開き黒ブチの尻尾を地面に叩きつけながら近寄って来ました。
「"野良"…だと…?俺は立派なイエネコだ、こら!ネコパンチ食らわすぞ、ボケ!」
「やるのか、あぁ!三味線にするぞ!」
「あぁ!…あの…それは勘弁してもらって良いですか?いやぁ、無益な殺生は良くないと僕は思うんですよね。動物愛護団体も騒ぎますしアハハ」
「えっ…えっ、あっ、はい…」
ドスの効いた売り言葉に、私も負けじと買い言葉を返しました。喧嘩の感覚は不思議と"体"が覚えていた様で、自分でもいい響きの声が出たものです。
そんな"三味線にする"が効いたのか、大刀洗さんは急速に語気を緩め置物のネコの様に座ると言い訳を始めたのです。
"ヤル気"を急速に低下させた大刀洗さんやその早口でまくし立てる言い訳に、私も面食らうとつい同意してしまいました。
リアルなネコの顔で気まずく笑う大刀洗さんは、何と言うかブスカワイイというヤツで…私も、戦意というか警戒心も少し薄れたのでした。
常人なら既に全力で逃げるでしょうに…
「それで?その"大刀洗"って自称するイエネコが私に何の用で?まさか、化け猫よろしく食べるとか?」
「バカ言え!今どき化け猫連中だってもっといいもん食うわ。人肉なんて不味すぎて食えたモノじゃない…俺が食うのは旬の魚かマグロ。肉ならA5の和牛以外認めん!」
「マグロに…和牛?」
「いや〜グルメだから、俺って」
今思っても、妙にグルメなネコだ…
そんな戯言を言いながら首を傾げる大刀洗さんに、私も首を傾げるしかありませんでした。
お互いの間に突然出来た沈黙を前に、私は何を言えばいいのか解らなくなりました。その間にも多くの人が私達の周りを通り過ぎていき、私はさり気なく身を反らして避けました。
そんな私を不思議そうに眺めると、大刀洗さんは逆立って乱れた頭の毛並を軽く整えると、招き猫の様に私に手招きしてきたのです。
「んっうん!まぁ、そんな事はどうでも良いな!所で、嬢ちゃんは観光かい?」
「えっ、自さ…まぁ、そうですね観光地です。特に目的地は決めて無いんですけど」
「なら丁度いい!そもそも、俺は客引きだから話しかけたんでな。ナンパするような軟い奴じゃないんでね」
「客引き…ですか?」
拍子抜けした私は、手招きする大刀洗さんへ近づきました。無警戒過ぎるでしょうに…
そんな私に大刀洗さんは軽く咳払いすると、べらんめえ口調で話しかけてきました。彼の聞いた目的に、思わず私は"自殺未遂"なんて言いかけました。
それをぐっと飲み込み言い直すと、大刀洗さんは私に話し掛けた本当の目的を話したのです。
「あたぼうよ!こんなプリチーな…こんな目を引くような愛らしいネコが、客引き以外でこんなゴミゴミした所をふらつくかい?」
「いや…化け猫の事情なんて知らないですよ…」
「俺をあんな礼儀知らずな連中と一緒にするな!"人ん家に上がりこんで良くしてもらい、オマケに家主を喰う"だ?いっちょ前に"ネコ"名乗るなら、"ゴロにゃん"言って撫でさせて、構ってやるのかスジってもんだろ?」
「だから、知りませんよ…そんな事…」
オッサン臭さを気にして言葉を選び直した大刀洗さんに、彼を化け猫と思った私は随分ストレートに失礼な事を言ったものです。
そんな言葉にも大刀洗さんはそこまで怒らず…いや、結構起こってた様な?とにかく、彼の考えるネコのスジと言うヤツを語っていました。
当の私はどうでもいい訳ですが…
「とにかくだ!俺は客引きで、嬢ちゃんは行き場所の無い通行人。それを客に仕立てるのが俺の仕事なんだ。ここで会ったも何かの縁。どうだ、そろそろいい時間だし、1杯やってかないかい?」
「ホストクラブか何かですが?なら結構ですよ、金前提の男女関係するくらいならバイクに費やします」
「言ったろ!俺は軟い男とちゃうんだよ!バーだよバー!ホストクラブなんて所みたいに法外な値段は取らねぇ、普通なバーだよ。第一、バイクに金かける女もどうなのよ?」
「言ったな〜、女だってバイク乗るのは普通ですよ!それを言うなら、普通のバーが客引きなんてしますか?」
話を脱線させ続ける事をよくないと思ったのか、大刀洗さんはようやく本題に移りました。
確かに、夜はフケ始め"1杯やるにはいい時間かもしれない"と思える時刻ですし、日付は金曜日。
とはいえ、私はお金なんてそんなになく、客引きする様な店となればホストクラブや居酒屋さん。一人で居酒屋ならまだしもホストクラブは…
そう思った私は、何よりも大刀洗さんの"バイクに金かける女"と言う言葉にもカチンと来ると、彼の首を掴んで軽く持ち上げました。後ろ足が軽く地面から浮いて踏ん張れなくなると、大刀洗さんも抵抗するようにもがき始めました。
「なっ!こら、離せ!俺をそこいらのネコみたいに扱うなバカ!首を揉むなぁ!」
「あ~、ヌコだ。こうして扱うと普通のヌコだな。ほら、大刀洗さん…だっけ?今の一言は訂正してくださいよ。でないと、この後どうなるか解りませんよ?」
「わっ…悪かった!悪かったって、小さいものをイジメるなよ!解ったから、何なら格安で飲ませて…いや、2、3杯くらいなら奢ってやるから!」
「何、奢り!言いましたね?奢りって言いましたね!」
上手く動かない前足を必死にバタつかせる大刀洗さんに、私はとにかく謝罪を求めました。納得いく訳が無いでしょう?女の子だってバイク乗りたいし、偏見でしたもの。
そんな私の物理的主張を受け入れたのか、大刀洗さんは抵抗を止めて"奢り"なんて事も言い出したのです。とはいえ、普通の人なら怪しい人…いえ、怪しいネコの言う事なんて信用しないでしょう。
なのに、当時の私ときたら金欠で禁酒の日々を前に"奢り"で"お酒が飲める"なんて言われたら、どうにも弱くなるものですよ。少なくとも私は…
「フローズンダイキリありますか!」
「しっ、渋いセンスだな。あるけどもさ…」
「チャージ代は?カクテルは何かはあります?出せない品とかありますか?そうだ、食事も出来たりしますか?だと嬉しいなぁ、それと…」
「待て待て、嬢ちゃん。どぅどぅ、落ち着けって。そうだな、チャージは500円。出せない物は無いな、ウチのバーテンは歴が長いし発注担当は品にうるさいからな。飯も出せるしそこがウチのウリってやつさ。"飯の食えるバー"ってな?」
大刀洗さんを抱き上げるようにまくし立てる程でした。奢ると聞いた途端に、我ながら恥ずかしい…
そんな私を前に、ネコながら表情豊かな大刀洗さんは私のチョイスに驚く表情を浮かべると、私を馬のように言いながら落ち着かせました。
今更ですが、女相手に"どぅどぅ"って…
ですが、そんな事を気にしない程に私は奢りと言う事と久しぶりにお酒が飲めるという事に舞い上がったのです。こんな奇っ怪な状況にも関わらず…
「乗った!」
「よし来た!気風が良いな嬢ちゃん。それこそライダーらしいな!いいぜ案内しようか!」
即決した私に、大刀洗さんは私へおだてる様に言いましたね。確か…
私が大刀洗さんの案内すると言う言葉に納得して彼を地面に下ろすと、大刀洗さんは突然私に飛びかかって来ました。驚くのも束の間、彼は私の腕や肩を器用によじ登ると私の頭の上に寝そべってきたのです。
「なっ、何です!いきなり!」
「いや、俺は小さいからよ?案内するなら、良く見える所から道を指示するのが楽なのさ。ほら嬢ちゃん、とりあえず来た道を少し戻んな」
「あのねぇ…」
「いいからいいから。奢るってんだしこれくらいはな?ほれ、行きなって」
私の適応力も高いもので…
突然大刀洗さんが頭に乗ったにも関わらず、雷門通りをトボトボと歩き出したのでありました。
「ノミとか大丈夫ですか?」
「アホんだら…俺は何時だって清潔だ…」