第七話 封印が破られて世界がやばい
<日本国民の皆様。
日本国総理大臣、古郎志真栗です。
ありのままに起きたことを伝えます。
信じられないと思うでしょうが、これは訓練でも冗談でもありません。
ダンジョンと人間界を繋ぐ次元門に施された魔封結界が破られました。
それに伴い、ダンジョンから魔物が溢れ出しはじめました……>
ナビから聞こえてきたのは、テレビで良く国会答弁で怒声を上げている総理大臣の声。
正直すぎる発言と、単純な腕っぷしの強さだけで総理大臣にまで上り詰めた、有名人だ。
意外にも、国民からの人気は高い。
ただ、その声はいつもよりずっと緊張して、かしこまった調子だ。
「魔封結界が……そんな馬鹿な……」
魔封結界といえば、ダンジョンと人間の暮らす世界の間に存在する結界だ。
これのおかげで、ダンジョンから魔物が出てくることはない。だがそれがなくなれば……世界には魔物があふれるだろう。
しかし一体誰が? そんなこと、可能なのか?
それに、世界に魔物を解き放って、誰が得をするんだ?
<対魔防衛軍と一般企業所属の冒険者によって可能な限り対処を進めていますが、今や地上はどこも非常に危険です。
地下シェルター【岩戸】へ、移動を開始してください>
<聞こえるか、黒木、七目。リリィだ>
ナビの声がまた変わった。リリィ室長からか。
「隊長。今のは本当ですか!?」
<ああ、急ぎダンジョンから帰還しろ。
対魔防衛軍に加わり、街中での救助活動が急務となった。
いそいで合流して、やるべきことをしろ。私もすぐに自分の仕事をする必要がある>
「本当なんですか」
ミカが声を荒げた。
「本当にこんなこと……ありえないですよ!」
彼女はまだ事態が信じられないのか……あるいは、信じたくないのかも。
俺は彼女がまだ未成年なことを思い出した。
「うろたえるな。何が起きたにせよ、事実には逆らえない。
救助の手が遅れれば、人が何人も死ぬことになるだろう。分かるな?」
反対に、リリィ室長は落ち着いてるな。
声に震え一つ無い。【アイアンレディ】のあだ名は、本当らしい。
「了解です、室長。ミカ、行こう」
「……うん、分かった。ごめん、動揺したりして」
ミカも冷静さをすぐに取り戻してくれた様子で、ダンジョンを急ぎ脱出した。
……同時に、全てが本当のことだと理解した。
街中には魔物たちが跋扈していた。
スライム、ゴブリン、ゾンビ……あらゆる魔物達が、街を破壊している。
俺たちは(……というか、ほとんどミカが)魔物を殺しながら、防衛軍が一時拠点としている、近所の七王子第五小学校へ向かった。
幸いにも、市民の多くはすでに避難済みなのか、地上に居るのは多くが俺たちと同じ企業戦士か、防衛軍の人間だけで、襲われている一般人の姿を見ることはなく、目的地に到着した。
「北万住にドラゴンの群れが確認されました!」
「都庁がデーモンに襲われています!」
体育館の中で、対魔防衛軍の人たちが通信機器を持って叫び声を上げている。
ドラゴンにデーモン。滅多に耳にすることのない【最上位種】達だ。
そんなのが各地に……井川鉄鋼社員ならなんとか勝てるかもしれないが、対魔防衛軍や、他の企業戦士では厳しいかもしれない。
「あ。井川鉄鋼の……」
そして、俺たちの姿に――首から下げている井川鉄鋼の社員証に気づいたのか、彼らは目の色を変えた。
「よく来てくださいました! ありがとうございます! 我々だけではどうしようも無かったのです」
隊長らしき男性が、俺のもとに駆け寄ってきて、握手の手を差し出してきた。
それを握り返そうとすると、ミカが間に入って彼を睨みつけた。
「私達はどうすればいいの? どこに助けが必要?」
ミカが切羽詰まった口調で、防衛隊員たちに詰め寄る。
「七王子市立病院です。
……簡単には外に運び出せない重病患者の方々が控えていますから、移動の準備のために、時間稼ぎが必要です。しかし……」
「七王子市立病院!?」
ミカが驚きの声を上げた。同時に、隊員に背を向けて俺に向き直った。
「分かった。今すぐ急行しよう、やっすー」
「え、あ、ああ」
ミカはそのまま外に向かって走り始め、俺もその後を追った。
☆
病院は、燃えていた。
すでに……手遅れらしい。
炎は敷地内の全てを包んでいて、黒煙がもうもうと吹き出している。
夜空の闇が赤くなるほど、強烈な炎。
破壊はほとんど完了し、中の人々が助かる見込みはないだろう。
外から見ても、それは十分に明らかだったが……
「やっすー、中にいこう。私は炎に耐性があるから平気だし、そっちも大丈夫でしょ?」
ミカはまだそれを認める気はないらしい。
「ミカ……もう誰も生きてないよ」
彼女の小さな手を握って、止めようとした。
「無駄な危険を犯すより、他に助けが必要な人達の元に向かおう」
「無駄じゃない!」
ミカが声を張り上げる。少しヒステリックな響きだった。
どうしてそこまで? と、不思議に思った時。
「……ここ、私の父さんが居るの」
彼女は、自らその動揺の理由を教えてくれた。
「え」
「ガンだったんだけど、経過も良くて、もうすぐ退院する」
「……」
「明日にでも」
夜の闇で今まで気づかなかったが、彼女は泣いていた。
「……」
こういう時、なんて言えばいいだろう。
頭の中から引用できる言葉を模索したが、一つも無かった。
「分かった。行こう」
だから、俺は覚悟を決めて、彼女に付き合うことにした。
「ありがとう」
と、彼女はそう言うと同時に【炎魔憑依】を発動させて自らも炎と化し、火事の中に突入した。
……よし。覚悟は決めた。
頬を叩いて、俺も後に続いた。
炎が体を焼くが、厄介なのは呼吸の方だった。
煙を吸い込むたびに意識が朦朧とする。
「ミカ……平気か?」
「うん、大丈夫」
バキバキと、何かが折れるような音が周囲がから聞こえる。
……建物は、そう長く持ちそうにない。
そしてやはり、病室はどこももう火の海だった。
生きている人間は一人も見当たらない。
人間の形をした炭が、時々見つかるくらいだ。
「……ミカ、お父さんの病室に直行しよう。寄り道している時間はないよ」
病室をいくつか確認したあと、ミカに提言する。
病室は何十部屋とある。全て見回る時間は明らかにない。
「でも……」
「俺たちは公務員じゃない。一般企業に務める社員だ。それくらいのワガママ、許されるさ」
ミカの両肩に手を置いて、俺は言った。
いくら俺が不死と言っても、彼女が炎によるダメージを無効化出来る炎魔憑依が使えるとしても、建物の崩壊に巻き込まれたらどうしようもないかもしれない。
それに……おそらく、どの部屋を見ても結果は同じだろう。
「分かった」
彼女もそれを認めてくれたのか、深く頷いた。
「部屋は?」
「A棟の501号室」
「よし、急ごう」
嫌な予感を覚えながら、階段を駆け登った。
どう考えても、待っている結末は……良くないだろう。
それに煙は上に行くほど量が多く、呼吸がますます苦しくなる。
……燻製になりそうだ。
「ゴホッ……ゴホ……ここだな」
なんとか、ミカの父親の病室の前にたどり着いた。
そして……俺はその扉を見て少し希望を持った。奇跡と呼ぶべきだろうか?
501号室の扉は、まだ少しも焼けていなかった。煙はひどいが、これなら可能性はあるかもしれない。