第一話 脱、底辺職
……朝か。
会社に行きたくない。
毎朝そう思いながら、俺にはサボる勇気もない。
「オハヨウゴザイマス……」
オフィスに入って、なるべく小さな声で挨拶する。
そして、同僚たちには声が聞こえただろうが、奴らは返事も返さない。
まあそれも仕方ない事だ。
俺は一応PCの電源を入れて、机の下でスマホをいじる。
最近ハマってるのは、『ミロルオンライン』ってソシャゲだ。
大して面白いわけじゃないが、プレイヤー人口がともかく少ないのがいい。
なになに? 今回のイベントは……ほお、星六武器実装。
トップ10には限界突破済みの新武器をプレゼント?
これは、やるっきゃない!
俺は社内ニートで、仕事にやる気は出さないが、ソシャゲには本気を出す。
こういうランクイベントで一位を取るのが唯一の趣味と言ってもいい。
いくらマイナーソシャゲとは言っても、ランク一位になるにはメチャクチャ大変だが、仕事中も休みの間もフルにイベントマラソン出来る俺に死角はない。
やるぜ!!
「黒木、お茶」
「アッハイ、スグニ」
せっかくやる気になってたのに……早速邪魔が入った。
偉そうに命令してきたのは、山田哲人。
我が書類整備部の部長だ。
年は俺より11歳も年下の29歳。イケメン。不遜、やなやつ。死んでほしい。
「早くしろ」
「ハ、ハイ」
クソ、いい気になりやがって。
そう思いながら、俺は彼に頭が上がらない。
なぜなら、彼は元々ダンジョン攻略部に所属していた超エリートだからだ。
まあ、そこで戦力外だと判断されて、こんな閑職に左遷されたわけだが、「井川鉄鋼」の「ダンジョン攻略部」は、国内でも屈指のエリートが集う場所だ。トーキョー大学に入るよりも遥かに難しいとされている。
そんな『超』がつくエリート様は、当然この部署では特別扱い。
入ってきたと同時に部長になり、年上である俺に雑用を押し付けてくるわ、新人の女の子を堂々と口説くわ、手に負えない。
……しかし、それは仕方ないことだ。
この世界じゃ、実力がすべてだから。
☆
「おい黒木。これ」
昼休憩に入ったとき、そう言って山田部長が俺に一つのA4サイズ封筒を面倒臭そうに投げて来た。
「アリカ゛トウゴザイマス」
それをキャッチして、封筒に書かれている文字を読んで見ると……
「……健康診断。この前の人間ドッグか」
俺も今年で40歳。そろそろ体にガタがきはじめていたところだ。
毎日肩が痛むし、目も遠くなったし、歩くだけで息が上がるし……最近は胃も痛い。
不安だ。いっそ中身を見ないで捨てたい。
……まあ、見るんだけどさ。
なになに? フムフム。ほおほお。
幸いなことに、体の方は特別異常なさそうだ。
ほっと一安心すると、封筒の中にさらに別の封筒が入っていた。
「なんだろ」
『精密ステータス検査』
ああ、そういえばそうだった。
四十歳を迎えた社員は、人間ドッグの検査項目が増える。
バリウムを飲むやつもそうだが、目玉はこれだ。
普通、ダンジョン攻略志望の人間以外は、精密ステータス検査は行われないんだが、
四十歳を迎えると、スキルを自動的に習得する特殊イベント【第二の贈り物】が発生する。
それが大抵は、バッドスキルだから、人間ドッグでの検査が必要というわけだ。
……はあ、気が重い。
【疲労倍加】とか、【強烈な加齢臭】とかだったらホントやばい。
けどま、見ないわけにもいかないか。
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黒木 康隆
基礎値
攻撃力 15 <G>
防御力 12 <G>
素早さ 17 <G>
魔力 5 <G>
武器熟練度
剣 1
ステータス評価<G>
スキル
【二段切り】
ユニークスキル
【攻撃力微増】
攻撃力に1.1倍の補正がかかる。
【不死】
あなたは死なない。
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えーとなになに……
不死? ……とりあえず、バッドスキルじゃないから良いけど。
でも、これって……
「なあ黒木、ステータスはどうだった?」
「……大したことはありません」
「まあ、そうだろうな。ちょっと見せてみろ」
山田はそう言うと、俺の手から強引に紙を奪って、そこに目を向けた。
「ぷふぅ~! すげぇな! オールGって初めて見たわぁ!
逆にすごいよ。俺の息子ですら、Fはあるわ」
山田がわざとらしく息を吹き出した。
ステハラじゃねーか、クソ……
顔が熱い。恥ずかしい……まじに、このステータスを見られるくらいなら、童貞がバレた方がマシだ。
「エ~、ダッサ~wwwwww」
「逆にはんぱないっすね、鈴木さん」
山本さんと、国枝が山田の意見になびくように笑った。
クソ。クソ。
まじで全員ぶんなぐりてぇ。
山田は俺のステータス表をそのばでひらひらと他の社員に見せびらかしている。
完全に個人情報漏洩だ。ひどすぎる。
「紙、返してもらっても……?」
「いや、悪いけどこれ、俺がもらうわ。ちょっと他の部署のやつに見せたいからさぁ」
そして、山田は俺にステータス表を返さなかった。
もはや違法行為なのでは? と、拳を固く握ったが、彼を殴ることは出来ない。
上司だからというのもあるけど、単純に向こうの方が百倍は強いからだ。
多分俺の攻撃は一発も当たらないだろう。それはわかりきっていた。
だから俺は屈辱に耐えて、ただ負け犬の笑い顔を作るだけだった。
☆
……一体、どういうことだろう。
今日の朝になって、急に、
「あの、鈴木……くん? ちょっとダンジョン攻略部の大河原統括部長が君と話をしたいんだって。今日の仕事は良いから、急いでミーティングルームに向かってくれないかな?」
と、えらくかしこまった態度で、山田部長に言われた。
山田部長の態度も妙だが、何よりも……大河原統括部長が俺に用事というのが理解できない。
部署の長という意味じゃ、彼は山田部長と同じ階級だ。
でも、山田部長と大河原部長は、実際は全然別次元の存在だ。
なんせ彼は、この井川鉄鋼の花形、ダンジョン攻略部の長なんだから。
知名度でも、たぶん社内での発言力でも、社長より上だろう。
「……でも、俺なんかになんの用だろ?」
不思議に思いながら、ミーティングルームに向かうと、すでに大河原さんが待っていた。
彼は和服を着て、髪の毛は力士のように結っている。
基本的に、井川鉄鋼ではスーツ着用が義務で、俺も今はスーツを着ているが、ダンジョン攻略部だけは例外。特権階級って奴だ。
「……君が黒木康隆か」
えらくものものしい喋り方だな。ちょっと緊張する。
「は、はい」
「単刀直入に言うが……ダンジョン攻略部に来ないか?」
「はぇ?」
「じつはだな、部下が君のステータスを偶然目にする機会があってだな、君の才能に目をつけたんだ」
才能……ステータスオールGの俺に?
なにか間違ってるんじゃないか?
「あの、お話はありがたいんですけど……」
俺は話を断ることにした。
多分、俺をからかう算段なんだろう。
この人だって、もともとは山田部長の上司なわけだし、グルなのかもしれない。
「まあ待て。君、いま給料はいくらだ?」
「えっと、手取りで21万です」
「なるほどなぁ。私のところにくれば、最低でもその『十倍』は保証する。
どうだ? もちろん、それは基本給だけの話で、歩合は更に別だ。どうだ?」
じ、じゅうばい? 更に歩合もつく?
話がすごすぎて、言葉が出てこない。
つまり、今の年収が月収になるってことお!!?
一年働いたら、それだけで家が建つな……
「あの、冗談です……よね?」
「……どうして冗談だと?」
大河原部長は不思議そうに聞き返してきた。
……どうやら、本気らしい。
だから、俺は山田部長のことをまず説明して、彼の嫌がらせの片棒を担いでいるのだと勘違いしていたことを告げた。
「なるほど、あの落ちこぼれが君のステータス表を私の部下に見せびらかしたのか。
……昔の部下のしたこととはいえ、済まなかった。私の教育不足だ」
すべてを聞いたあと、大河原部長は白い会議机にぴったりと頭をくっつけた。
「あの、全然気にしないでください! それに、こっちこそ疑ってすみませんでした」
「……そうか。わかった。君はなかなか心が広いんだな」
そう言って、大河原部長は頭を上げてくれた。
どうやら、かなり誠実で真面目な人らしい。
そしてつまり……俺の転属は冗談じゃないってことか。