009 皇帝の意向
「なに? アルカディウス殿下がいらっしゃるだと?」
帝都からの使者に、レオンは思わず声を強めた。
「はい、陛下の御意にございます。殿下は今年で25歳。軍事の経験を積むに得難い機会でありますれば」
使者は、あらかじめ理由をたずねられるのを予期していたらしく、用意された答えをスラスラと並べ立てた。
レオンは眉をひそめた。マリウスやディアーネも同様である。
アルカディウスはスパルディア帝国の第一皇位継承者、つまりは皇太子である。余程のことがなければ、ガイウス4世の跡を継ぐのは確実と見られていた。その皇太子が、レオンのテッサリア攻めに参陣するというのである。
レオンたちは皇太子個人になんら含むところがあるわけではない。アルカディウスはレオンに好意的な人物であり、帝国のなかでは数少ない知己とさえ言えた。
問題はテッサリアの都を落とそうという時になって、アルカディウスを参陣させた意味である。テッサリア征服の功績の一部は皇太子のものとなり、レオンたちは功を奪われる形になる。
使者が帝都に帰った後、レオンはマリウスたちと協議せざるを得なかった。
「皇帝はどういうつもり? これでは部下の功を盗むということではないの」
ディアーネが怒りを露わにしたので、マリウスはかえって冷静になっていた。
「いや、これは恐らく皇帝の考えではあるまい。こんな底の浅いやり口は、宰相閣下辺りの発案じゃないかな」
宰相スピロは以前からレオンたちを警戒していた。テッサリア王国の征服は武勲として大き過ぎる。レオンの力が制御できなくなるのを恐れたのではないか。
だが、いずれ情報に長けたマリウスが事実を明らかにするだろうが、現在のところ全ては推測に過ぎない。
「俺たちは思った以上に奴らの脅威になっているということだな……。
まあ良い。テッサリア征服の功など皇太子に分けてやるさ。この先あげる武勲に比べれば大したことはない。
かえって皇太子に恩を売る良い機会と考えるべきだ。皇帝になるにも、武勲の一つや二つは必要だろうからな」
レオンは微笑を浮かべつつ、口惜しそうな色は見せない。レオンにとってテッサリアなど小さな一国家に過ぎない。真実帝国を我が手にしようとするなら、取るに足らない功と言うべきであった。
ならば、皇太子との繋がりを深める方がよほど有意義だと考えたのだ。
「そうだな。そういうことなら、万全を期して皇太子殿下をお迎えしようか」
どうせなら、この機会を最大限に活かすべきだ。マリウスは部下にそう指示を下した。
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皇太子アルカディウスがトリカラに到着したのは二週間後のことであった。レオンたちとすれば、すぐにでも王都ラミアを攻撃したいのだが、皇太子の到着が遅れたため待機していなければならなかった。
「呑気なものだ。この戦時に戦いの役に立たない者をぞろぞろと引き連れているんだからな」
皇太子「御一行」の行列を見て、マリウスが皮肉をもらす。帝都から二週間もかかったのは、その行軍が極端に遅かったためである。
皇太子が前線に出るともなれば、お付きは騎士や兵士だけというわけにはいかない。髪結いや着付け、果てはコックまで従っていた。非戦闘員が多すぎるのだ。
「まあ、仕方があるまい。未来の皇帝陛下なのだからな」
レオンは苦笑いした。実際のところ、テッサリアとの戦いは王都付近の攻略を残すのみで、すでに決着は付いていると言って良い。多少物見遊山的な雰囲気があったとしても、大した問題にはならないだろう。
レオンは皇太子を出迎えるため、マリウス、ディアーネを引き連れて城門に赴いた。
皇太子ともなれば、絶対権力者に最も近い者である。アルカディウスがトリカラの城門をくぐった時、レオン以下、第四騎士団の者はみな片膝をついて皇太子を出迎えた。皇帝に対するのと同等の扱いである。
アルカディウスの乗った馬車がレオンの眼の前で停車した。
「やあ、レオン=フィルメダス。久しぶりだな」
皇太子は、前線にいるとは思えないような爽やかさであった。皇太子とは帝都で長い間交流がある。大人になってからは君臣の別をつけなければならなくなったが、まだ若い時分には友として付き合ってさえいた。
「皇太子殿下、此度は前線への御来着、恐縮にございます。このトリカラからラミアの制圧まで、全て滞り無く整えてご覧にいれますれば、わたくしにお任せ下さいますよう」
「なに分よしなに頼む。そなたに任せておけば安心だ」
馬車から降りる皇太子の側には、一人の男が付き従っていた
「レオン殿、殿下は長い行軍でお疲れである。落ち着けるところに御案内したまえ」
そう命じたのはロイゼン伯ゲオルグであった。やはり宰相スピロの一派であり、帝国の上級貴族である。政治に強い影響力を持つ人物であり、レオンはこれまでたびたび宮廷で彼と顔を合わせていた。
そして悪いことに、スピロの意向があってか、ゲオルグもレオンには非友好的な態度をとっていた。
厄介な奴がやって来た、レオンは気が重くなる思いであったが、それを表情には出さず、二人を丁重に大広間まで案内した。
これまではレオンが城将の椅子に座っていたが、これからはそうはいくまい。
「それでこれからどういう予定になっているのだ?」
アルカディウスは身体を休めつつ、側に起立するレオンにたずねた。この分ではすぐに出発するわけにはいかないだろう、レオンは心のなかで溜息をついた。
「殿下の軍は到着したばかりなので一両日お休みいただき、それからトリカラを出発したします。
テッサリアの王都ラミアまでは目ぼしい軍事拠点はありません。恐らくラミアまで組織だった抵抗はないものと思われます」
「当然ガレスなる捕虜は尋問したのでしょうな?」
「当然です」
横から問いかけたゲオルグに、レオンが簡潔に答える。
「それで、敵はどれだけの戦力を残しているのかな?」
「ガレスの言では、ラミアに残された兵力は約2000とのこと。これは我々の事前調査の数字とほぼ同じで信憑性は高いと思われます。
これに対し、我軍は我々ブラウヴァイスリッター(第四騎士団)が約5000、殿下の軍が約4000の合わせて9000です」
敵将ガレスは拷問を行うことなく、テッサリアに関する情報をはいた。滅亡は免れぬ運命と悟り、抵抗するだけ無駄と思ったのだろう。
「ラミアの都市としての守備力は?」
「はっ、殿下。ラミアは私も使節として赴いたことがありますが、防衛拠点としては見るべき点がありません。
王都として政治や経済の中心でこそあれ、戦をするには不向きな都市です」
「だが、王都なのだろう? 守りを重視していないのか?」
アルカディウスは、ほとんど経験していない戦争に参加して好奇心を刺激されたようである。レオンはこれも接待のうちと、皇太子に対して丁寧に説明する。
「テッサリアはこれまで敵の進攻を全てトリカラで防いでいました。彼らにとって、トリカラこそが最終防衛拠点だったわけです。したがって王都の守りがおろそかにされたわけです」
それだけに、レオンのトリカラ占領は大きな意味を持っていた。
「なるほど、我が帝国とは大分違うのだな」
皇太子が感心したように言った。スパルディア帝国の帝都ソフィアは、トリカラほどではないが高い城壁を有し、敵に攻められることを想定して至る所に防衛上の工夫が施されている。
実際に過去何度か戦場となったこともあるのだ。
「ですから、そう危険な事はないはずです。陛下もそれゆえ、殿下に参陣するよう命じられたのでありましょう」
皇帝ガイウス4世は優れた君主であったが、自分の子どもに対しては甘いところがあった。この戦いがもし負ける可能性があれば、皇太子を派遣することはなかったのではないか。
(お甘いことだ)
レオンは皇帝の心情を嘲笑っていた。