005 トリカラ攻略戦1
レオンはトリカラの巨大な壁を見上げていた。城兵から攻撃を受けぬよう一定の距離をとっているのだが、それでも見上げなければならないような高さである。
「さすがは難攻不落のトリカラ。今まで落とされたことがないというのも分かる気がする」
横でマリウスが素直に関心している。当然攻略する自信があっての評価である。そうでなければ、呑気に感心するような余裕などあるまい。
「それだけに、ここを落とせば帝国の奴らも俺の才覚を認めざるをえないだろう。まずは力をつけなければな」
そう語るレオンの横顔をディアーネは見つめていた。ここには彼ら三人しかいないが、少し離れた場所には帝国軍が控えている。
レウクトラの騎士20人は信じられるが、その他の騎士500人はいずれも皇帝から借りている帝国騎士である。
彼らはレオンに一定の評価は与えているだろうが、忠誠を誓っているかどうかは分からない。不穏なことを語るには十分に気をつけなければならない。特にあの男には……。
「レオン、口を慎んだ方が良いわ。ヴラドは油断ならない男よ」
ディアーネは後方で軍を指揮する男を見た。ヴラドはディアーネと同格の第四騎士団の副隊長である。彼ら三人よりも歳上の29歳であり、帝国側のお目付け役としてレオンを監視している、というのが彼らの共通の見解だった。
ヴラドは宰相スピロの一族に連なる下級貴族の出身である。スピロはマーシェロンとの婚姻に反対したように、レオンを警戒している人物である。ヴラドはその影響下にある人物として、警戒せざるを得ないのであった。
だが、今のところ副隊長としては十分な働きをしており、軍人としての才能を示している。第四騎士団のこれまでの功績は、ヴラドの働きがなければ成し遂げられなかったかもしれない。
いずれにせよ、レオンはヴラドのことなどそれほど警戒しようとは思わなかった。副隊長に対して過剰に心を悩ませるなど、上を目指す者の態度とは思えない。
彼が真に警戒に値するなら、マリウスやディアーネが上手く処理してくれるはずだ。仮に危険があれば、2人はヴラドを力づくで排除するに違いない。
「ディアーネとマリウスは手はず通り頼む。お前たちの働きがこの戦いの鍵を握るのだからな」
「門を開けたら、すぐに城内に突入できるように準備しておいてよ」
「分かっている。お前たちを孤立させることなどないさ」
レオンは笑って頷いた。
「さあ行こうか。お前たちもしばらくはのんびりしていてくれ」
****
レオンが率いる軍は、第四騎士団の約500と5000の歩兵で構成されていた。一方守備側のテッサリア軍は約1500、帝国軍に比べて随分と数が少ない。
だが、帝国軍にとっての問題は、守備兵というよりはトリカラの城壁である。これがあれば戦力差に関わりなく帝国を追い返すことができる、テッサリア側はそう考えていた。実際これまではそうしてきたのだ。
「帝国軍の奴らついにここまで来やがったか」
「それもこのトリカラまでだろ? いくら兵がいたって意味は無いからな」
外に展開する帝国軍を見て、守備兵たちが会話を交わしている。普通守備側は追いつめられた気持ちになるものだが、彼らの様子にいささか緊張感が欠けているのは、まさにトリカラの難攻不落という神話にあるのだろう。
要塞司令官ガレスは兵士ほど浮かれた気持ちではなかったが、やはり帝国の襲来をそれほど深刻に受け止めていなかった。
実際帝国軍は初日に短い攻撃を行っただけで、あとはトリカラの城壁を取り囲んでいるだけであった。この城壁に恐れをなし持久戦を挑んでいるという見方には説得力があった。
「フハハハ、帝国軍め。このガレスが守るからには、トリカラの不敗記録に新たな一ページを加えるだけよ」
ガレスは部下の前で勇を誇り、部下たちもそれを聞いて追従したものである。
ガレスは名将と呼ばれるほどの武将ではなかった。テッサリアの名門貴族の出身であり、貴族としては軍才に恵まれていたが、要塞司令官にまで出世したのはその身分ゆえである。
豪放で部下に好かれるたちであったが、少々軽々しいところがあるというのが周囲の人間の評価である。そんな人間に重要拠点を任せるのはどうかというのは後の世でこそ可能な思案であり、トリカラの防御力を考えれば十分に守り切れるはずであった。
ガレスの自信には裏付けがあった。帝国軍は兵糧攻めを考えているようだが、トリカラには本国から十分な食料が輸送されており、半年は籠城を維持できる計算である。
以上のような状況から、テッサリアの守備軍に緊張感がなかったのも無理はないかもしれない。だが、そこにこそ帝国軍の狙いがあったのである。
今回の作戦の焦点は、ディアーネとマリウスの奇襲にあった。
険しい山岳を登る作戦のため、数はレウクトラの精鋭20人に過ぎない。これはトリカラの急峻な地形を登ることが出来るのは、山に慣れたレウクトラ人だけだからである。
だが、それゆえ多数の城兵に阻まれれば作戦が失敗する可能性も高くなる。
そこで敵の油断を誘い、出来るだけ城門の守備力を減らす必要があるのである。持久戦と見せかけたのはそのためである。
そしてトリカラを包囲して二週間後。
この日帝国軍は、密かに戦局を変える奇襲作戦を実行しようとしていた。