002 謀議
「謁見はどうだったの? 何か酷い仕打ちはされなかった?」
謁見を終えて戻ってきたレオンにディアーネが声をかけた。彼女は常にレオンの身を案じているので、皇帝や帝国のやり方に対して批判的である。
「心配いらないよ、ディアーネ。何もなかった。少なくともガイウス4世陛下はいまのところ俺に好意的だ」
「そうだと良いけど。私は皇帝も何か良からぬことを企んでいるように思うわ」
執拗に警告するディアーネにレオンは苦笑を浮かべた。彼とて甘い人間ではなく、必ずしも皇帝に心を許しているわけではない。
しかし、必要以上に警戒することで敵を増やすのも良くない。それは人質として生きる上で立場を悪くすることにつながる。
「だが、皇帝から何か要求されたのではないか?」
部屋の奥に位置する男が、腕を組みながら話しかけた。背はレオンよりも低く、細身の身体に赤い髪をした男で、人の悪い笑みを浮かべていた。
「マリウス、なぜ知っている? 誰かから聞いたのか?」
マリウスはレオンより一歳歳上の24歳、レウクトラの近衛騎士隊長の子として生まれた。幼い頃から、レオンの側近となるための英才教育を受けてきた。
やや口が悪く斜に構えた性格をしているが、優れた頭脳を持ちレオンの相談役としてこれまで支えてきたのだ。レオンは彼に全幅の信頼を寄せていた。
「いや、お前が部屋に入ってきた時の表情で分かった。気をつけた方がいい。正直な感情は表に出さないようにな」
「そうか、お前たちだけだと思って油断したな」
レオンは苦笑いすると、正直に話すしかなかった。
「実は皇帝からマーシェロンとの婚姻の申し出があった。テッサリアの攻略が成功すれば、『褒美』としてくださるそうだ」
「なるほど、そうきたか」
マリウスは軍師らしく思慮深い顔となり、考えをまとめていた。
「お前に娘を娶せレウクトラを手に入れるつもりか」
その言葉にレオンは深くうなづいた。それぐらいの計算はレオンにも出来る。だが、分かっていながらも承諾せざるを得なかったのだ。
ディアーネは、二人のやりとりを厳しい表情を浮かべたまま聞いていた。そのディアーネの様子を、マリウスは目の端で見つめていた。
ディアーネはレオンより一歳年下の22歳、レウクトラの名門・伯爵家の令嬢である。名門貴族の子弟であり、幼い頃はレオンの友人としてともに遊んでいたことがある。
彼女が8歳になった時、貴族の令嬢として礼儀作法などを学ばせるために実家に戻され、長い間会うことはなかった。
そしてレオンが人質として帝国へ送られる日、彼女は志願してマリウスとともに側近として同行した。以来、レオンの居るところには常に彼女が付き従ってきた。
絶世の美女であり、優れた剣士、弓の名手であった。人質として異国にあるレオンとしては、ディアーネは最も信用できる戦士である。
マリウスは知っていた。ディアーネは単に側近としてだけでなく、異性としてレオンを好いている。だが、小国レウクトラの貴族というだけでは、レオンの妻として釣り合いが取れない。そのことはディアーネも良く分かっているはずだった。
だが――
理屈は分かっていても、実際にレオンの縁談が持ち上がってみると、平静でいられないのは無理も無い。マリウスは報われない恋心を持つディアーネのことを考え、心のなかで溜息をついた。
「そうだと分かっていても断ることはできん。皇帝の思惑には気づかぬ振りをし、黙って従うしかあるまい」
マリウスの言葉をレオンは黙って聞いている。彼にもそれしか手がないことは分かっているのだ。
「当のマーシェロンとの関係はどうなんだ? 彼女にも何か裏があるのか?」
「いや、それはない。マーシェロンは良くも悪くも純粋だ。」
レオンは皇帝の次女マーシェロンの顔を思い浮かべ、そう断言した。「帝国の華」と謳われるマーシェロンは、レオンが人質として帝国に来た時に、初めて声をかけてくれた女性である。彼女は屈託のない笑顔を浮かべて、優しく接してくれた。
レオンは思い出す。帝国に来て歓迎の晩餐会が開かれた時、誰も知り合いがおらず心細く思っていた彼にマーシェロンが手を差し出してくれたことを。
レオンが帝国でここまで地歩を固めるにあたっては、マーシェロンの支持が大きかった。人質であるレオンに対しては、帝国の人間から疑念や警戒、そして嘲りもあったからだ。
「まあ、そうだろうな。政治向きのことは、彼女自身あずかり知らぬことだろう。とりあえず彼女の気持ちを利用して、後ろ盾にするのが最善だろう」
マリウスにとっては、皇帝だろうがマーシェロンだろうが、帝国の人間は利用するための駒でしかない。その頭のなかには、レオンやレウクトラのことしかないのだ。だから利用価値がある間は、せいぜい有効に利用させてもらうつもりだった。
「そうね。どのみち婚姻は、レオンにとって高く売ることの出来る貴重な商品。皇帝の一族となるというのは、最上の使い道だと思うわ」
ディアーネは感情を押し殺してそういった。
彼女は自分に言い聞かせていた。マーシェロンを妻とするのは、あくまで政略上でのこと。レオンが彼女を愛しているわけではないのだ。自分の方が遥かにレオンの人生を支えることが出来るのだ、と。