前夜
ケンレンが侵攻準備をしている間、オクスは王都で平穏に過ごしていた。侵攻にはオクスも参加することになっている。だが、防衛の時とは違い、ち密な作戦を実行するわけではなく、遊撃隊として参加する。
そのため、準備があまり必要ないオクスは暇を持て余していた。基本的にはナトから借りた魔法の教科書を用いて、魔法の練習。ナトの仕事が休みの日は、ナトに教えてもらう。たまに、図書館に行って魔法の本や地理の本を読んでいた。
オクスはこの時間を大切にしていた。戦争により、旅に出ることがうやむやになりナトと一緒に過ごせる時間が伸びたのだ。オクスは深く考えずに、楽しんで過ごしていた。
王都も戦争中というわりには落ち着いていた。それは、オクスやケンレン軍が、敵の侵攻を防いだことによるのだが。それにしても、戦争中の国の都という感じは受けない。これから敵国に侵攻もするのだ。それなのに、せいぜい兵士があわただしく動き回っているのが目にとまるくらいだ。オクスは、それが良いことなのか悪いことなのか考えたことがあったが、わからなかった。
時間というものは知らないうちに確実に進んでいる。オクスは、侵攻までの期間、兵士の訓練所で手伝いや修行をしていた時と比べて、時の流れが遅いと感じていた。それでも、いつのまにか、バーヘンザへの侵攻開始が明日へと迫っていた。
オクスはご馳走が置かれたテーブルを前に、ナトと歓談していた。料理の中には、トンカツもある。オクスが教えた数品の前世の料理は、ナトのレパートリーに加わっていた。
オクスは料理を食べながらナトと話している間、心なしか元気がないナトが気になっていた。戦争へ行く自分を心配してくれているんだろうか。
オクスは自身の身体の強靭さから、まったく心配していなかった。だが万一にも戦争で死んでしまったら、これがナトとの最後の晩餐となる。そんなことを考えながら、オクスはいつもより量の多い料理を食べ切った。
寝る前の日課で、前世の記憶をノートに書いていたオクスは、ふと遺言を残した方が良いのではという考えに至った。オクスが死んだとして、オクスの気に掛かるのはナトのことだ。だが、遺言として何を書けばよいのか。好きでしたとでも書くのか。
オクスがこの世界に来る前は、元々一人で住んでいたナトのことだ。オクスがいなくなったとしても、たくましく生きていけるだろう。そう考えると、変に遺言を残すことはないとオクスは思った。ボーゴーゼ軍を壊滅させた時も書かなかったのだ。思い直したオクスは、代わりに明日の朝、ナトと別れるときに何を言うかのシミュレーションを始めた。
オクスが妄想していると、部屋の扉がノックされた。こんな時間に、部屋に人が尋ねてきたことはない。そもそも、訪ねてくるとしてもナトしかいないのだが。そのため、オクスは声を出すほど驚いた。
「うえあぁ⁉ ……ナ、ナト?」
「……うん。お兄ちゃん、入ってもいい?」
「もちろん」
おじおじと扉を開けてナトが入ってきた。ナトは寝間着で、手には枕を持っていた。
(これは……)
ナトの姿で察したオクスは、念のためナトに確認する。
「どうしたの?」
少しの間をおいて、ナトが口を開いた。
「なんだか寝付けなくて。……一緒に寝てもいいかな?」
予想通りの回答にもかかわらず、オクスは困惑する。
「いいよ。俺もちょうど寝ようと思ってたところなんだ」
少し声が裏返りながらも、オクスはなんとか、了承の言葉を返した。
オクスがまずベッドに入り、続いてナトが枕を置いてベッドに入った。二人の顔が向き合う形だ。ベッドは二人がやっと寝られる大きさなので、顔と顔の距離は近い。
ナトは目線を外しながらこう言った。
「お兄ちゃん、絶対無事に帰ってきてね。私、待ってるから……」
その後、ナトはオクスの顔を一瞬見たが、恥ずかしくなったのか、寝返ってオクスに背中を向けてしまった。
「ああ、大丈夫だよ。絶対、帰ってくるから」
オクスはかろうじて返答できたが、頭の中はパニックだった。ナトがこの部屋に来た理由、この後どうすれば良いのか、考えれば考えるほど分からなくなっていった。
(これはあれか? 抱いてくれってことか? でも、まだ告白してないし……。今ここで告白する⁉ 何にも考えてなかったぞ。かといって、何もしないってのもどうなんだ。ナトの事だから変に考えたりしないか? いや、単に本当に怖かっただけという可能性も。兄妹だったら無きにしも非ずか。いや、でも……)
かれこれ三十分近く悩んでいたオクスは、終に結論を出す。そして、意を決してナトの名前を呼ぼうとした。
「ナ……」
「スー、スー」
オクスが耳を澄ますとナトの方から、かわいらしい寝息が聞こえてきた。
(寝てたのか……)
オクスはほっとしたような、残念なような複雑な気持ちになった。
(帰ってきたらはっきりさせよう。だから、絶対に帰ってくるよ。なんとしてでも)
ナトの背中に向かってオクスは誓う。
いつもと違い人のぬくもりがあるからだろうか、その夜オクスはぐっすりと眠ることができた。




