作戦決行
ボーゴーゼでは、バーヘンザがケンレンに書簡を送ったころから出兵の準備をしていた。遠い町から順に、ケンレンに向けて行軍を開始している。
オクスたちがボーゴーゼに着いたころには、行軍の規模は数万になっていた。
オクスたちの作戦の目的。それは、この数万、すべてが集結すれば十万を超えるだろう大軍を、この地にとどめることだ。
オクスたちは、作戦に最適な場所をすでに見つけていた。周りには視界を遮るものがなく、街道だけが通っている見通しの良い平野。あと数時間もすれば、行軍するボーゴーゼの大軍がここを通るはずだ。
オクスは極度の緊張で、胃の内容物を吐きそうだった。ケンレンの命運はオクスにかかっているといっても過言ではない。
余計なことを考えて、重圧に押しつぶされそうになったオクスは、ネガティブな思考をやめた。今から自分がやるべきことをもう一度整理し、オクスは腹をくくる。
そうこうしているうちに、行軍の先頭が見えてきた。オクスは街道から少し離れた場所の地面の隆起と、背の高い草を利用し隠れている。さらに数種類の隠密魔法をかけてもらっており、敵に見つかりにくくなっている。
オクスが敵に発見されるのが早ければ、それだけ作戦の成果は少なくなる。いかに、悟られないかが鍵となる。
(いくぞ!)
そう自分に言い聞かせて、自分が思う絶好のタイミングで、オクスは飛び出した。
オクスの両腕には腕輪が付いており、その腕輪からそれぞれ十数本の鎖が伸びていた。その鎖でボーゴーゼの兵士をなでながら、行軍の中をただ一人、逆方向に進んでいく。
スピードを抑えつつも、できる限り素早く兵士の中を駆け抜ける。あまりに早く鎖を当てると、相手を殺してしまうかもしれないからだ。
鎖でなでられた兵士の反応は様々だ。絶叫する者。その場にうずくまる者。逃げだす者。
<精神操作><恐怖>
鎖にかけられている魔法だ。衣服や鎧の上からでも、鎖に触れただけで強い恐怖を与えるよう調整されている。恐怖状態に陥ったものは、もう戦場に立つことはできないだろう。
通常、オクスのような戦法をとることは不可能に近い。鎖にかけられている魔法が高度で、使用できる魔法使いが数えるほどしかいないというものある。だが、なによりも、普通の人間なら鎖にかけられた魔法で、鎖を付けている自分も恐怖に陥ってしまうからだ。
魔法発動の条件付けをするとき、動物と人間の区別ならつくが、同じ人間だと、それ以上の区別をつけることは現状の魔法技術ではできなかった。
使用者に恐怖への耐性を魔法で与えた場合、恐怖を与える魔法と耐性魔法が発動を繰り返し、すぐに魔力が切れてしまうため、これも実践できない。
まさに、オクスにしか実行できない戦法だった。
オクスの目標はできるだけ兵士を恐怖状態に陥れ、兵士の数を減らすこと。もう一つは――。
(あれは指揮官か?)
敵の指揮官と魔法使いを優先して、恐怖状態に陥れることだ。指揮官と魔法使いを戦闘不能にすれば、一兵卒に比べて何倍、何十倍の戦果がある。
オクスは指揮官を率先して攻撃する。今のところ魔法使いの姿は見当たらない。魔法学校がないボーゴーゼでは、魔法使いは希少だった。
きれいな整列だった行軍は、オクスが通りぬけると、蜘蛛の子を散らしたような状態になった。オクスの感覚ではもう、かなりの時間、かなりの人数を相手にした気分だったが、行軍の全体からすれば、まだまだ少ない割合だ。
(やっぱり長期戦になりそうだ。できるだけ集中を切らさないように……)
敵の兵士を戦闘不能にするのであれば、殺す方が手っ取り早い。だが、それをしないのは、戦争が終わったあとを見据えてだ。ケンレンが勝ったとしても、兵士を大量に殺していたのでは、ボーゴーゼの人間の恨みは増幅され、禍根を残すことになるだろう。
もう一つの理由は、オクスの精神崩壊を防ぐことだ。普通の人間なら、人を殺すことに抵抗がある。まして、それが大量の人間ともなれば、精神へのダメージは大きい。
余裕がなければ、殺すという選択肢しかなかったかもしれない。だがオクスという存在によって、殺さない選択肢もとることができたのだ。
前方から聞こえてくる音や、雰囲気、逃げてくる兵士により、行軍の後方も、非常事態に気づき始めていた。
魔法使いを擁する部隊の指揮官が、いつでも魔法を使えるようにと指示を出す。
混乱の元凶は目前まで迫っていた。
「今だ! 放て」
指揮官の指示により、魔法使いたちが思い思いの魔法を放つ。炎の魔法。雷の魔法。氷の魔法。魔法で岩を具現化した者もいた。それらの魔法はオクスがいた辺りを襲った。
「やったか⁉」
土埃や煙が舞い上がる中から、オクスが飛び出してきた。
「くっ! もう一度だ‼」
指揮官の声を起点に、今度はオクスに向けて魔法が放たれる。すべての魔法がオクスに直撃した。
しかし、オクスを止めるどころか、勢いをそぐことすらできない。
「馬鹿な! 魔法が効かないだと⁉ そんなことが――」
あるのだ。
この作戦を決行するまでに、オクスは様々な魔法をかけられた。攻撃魔法から精神操作、支援魔法まで、手の空いた魔法使いを呼んで試したのだ。
結果として、オクスに害のある魔法はすべて無効化された。魔法で具現化された物体で、ダメージを受けることもない。思い返せば、この魔法耐性で命を救われたことが何度もあった。
だが、翻訳魔法などの害がなく有用な魔法は効果がある。どこまでが害と判断されるのかは、時間がなかったため試していないが、作戦に関わる魔法が効かないとわかっただけで十分だった。
併せて、オクスの魔力量も調べた。相手を恐怖に陥れる鎖には、オクスの魔力を供給する。
様々な方法で試したが、オクスの魔力が尽きることはなかった。
魔法の耐性に、無尽蔵の魔力。人並外れた肉体に加え、この特性を持つことにオクスは驚き、そして感謝した。
オクスを攻撃した指揮官と魔法使いたちは、既に恐怖状態に陥っていた。
オクスは足を止めない。まだ道半ば。時間をかけすぎて、後方の兵士を取り逃がすわけにはいかない。
「はぁはぁ……」
行軍の最後尾にオクスが到達したのは、陽が一度沈み、再び高いところまで登ったころだった。さすがに疲労があるのか、オクスの息が荒い。
その場に残っている兵士は少なかった。ほとんどの兵士は恐怖状態に陥り、自分が住んでいる場所に逃げ帰っていた。この場にいる兵士が帰るのも時間の問題だろう。
中には、その場の混乱によって大けがを負った兵士や絶命した兵士もいたが、オクスにそれらを気に掛ける余裕はなかった。
周囲の安全を確認して、オクスに同行していたパーティーのメンバーたちが現れる。
「オクス様、お疲れ様です。少し休憩されますか?」
「……集結している兵は他にもいるんですよね?」
オクスは荒い息を抑えながら、質問し返す。
「はい、あと二か所ほど。ですが、数は今回の半分以下です」
「わかりました。少しだけ休憩して向かいましょう」
地べたに勢いよく座ったオクスは、渡された携帯食を噛みくだいて飲み込む。目をつむればすぐにでも眠れそうだ。だが、後ろに手をついて、空を見上げて深いため息をつくだけにとどめる。
「よしっ!」
立ち上がって、差し出された水を飲み干すと、オクスは他のメンバーと共に次の場所へと向かった。




