魔法の試行(1)
一日余り走り続けて、オクスはケンレンの王都に帰ってきた。時間は正午より少し前くらいだろうか。
途中の町で道を聞いたりしたが、ほとんど迷わず帰ってこられたのは、ヴィスに借りた羅針盤のお陰だ。
あれだけ帰りたかったオクスだが、いざ王都に帰ってくると不安になってくる。ナトはどう思っているのか、宣戦布告の件はどうなっているのか。
寝不足な頭に、不安な考えを巡らせながら、オクスはナトの屋敷へと足を運ぶ。屋敷に近づくと、玄関先に一人の兵士が立っているのが目に入った。
兵士はオクスを見つけると、オクスの方へ駆け寄ってきた。
「オクス様! ご無事でしたか」
「え? ……あ、はい」
また、様付けだ。(様なんて、飲食店で名前を呼ばれたとき以来だな)と、ぼんやりする頭で考えていた。
「とりあえず、私は城に報告に行きます。どうか、ここを離れられませんように」
そう言って、兵士は走っていった。
オクスが屋敷の玄関をノックしようと、ノッカーに手を伸ばしたときだった。屋敷の中から足音が聞こたと思うと、玄関扉が勢いよく開いた。
「お兄ちゃん!」
ナトは一瞬、オクスの顔を見たあと、オクスの胸に飛び込んできた。
「心配したんだから……」
「ごめん……」
オクスが見たナトの顔は、目の下にクマがあり、とても疲れた顔をしていた。
オクスの身体に顔をうずめているナトから、鼻をすするような音がする。ナトが落ち着くのを待って、オクスはナトに話しかけた。
「話すと長くなるかもしれないけど、理由を聞いてくれる?」
「……うん。でも、その前にシャワー浴びなよ。その間に、ご飯の用意するから。お腹空いてるでしょ?」
シャワーを浴び、ナトの用意したご飯を食べながら、さらわれた経緯を話していると、屋敷に訪問者が来た。
さっきの兵士が、お偉いさんを連れて戻ってきたのだ。ご飯を食べていた厨房から食堂に移動し、オクスは改めて、その二人にもさらわれた経緯を説明した。
「なるほど、話はわかりました。して、オクス様。その話を証明できるようなものはございませんか?」
ドラゴンがビオユチェンゾに進行していたのは、お偉いさんも知っていたらしい。だが、それだけではオクスがドラゴンを倒してきた証明にはならない。
証拠のことなど考えもしなかったオクス。思い当たるものはひとつだけだった。
「すみません、これくらいしか……」
申し訳なさそうに、オクスはヴィスから借りた羅針盤を差し出した。
「羅針盤ですか。……確かにこの国で入手できるものではないようですね。この羅針盤をお借りしてもよろしいですか?」
「はい、返していただけるのであれば。借りものなので」
「承知しました。国王陛下には私の方からお伝えしておきます。それで、お疲れのところ申し訳ありませんが、明日の朝、訓練所に来ていただけますかな? ムーガナロ様がいらっしゃいますので。それとナトさん。あなたも一緒に来てください」
「えっ?」
急に話を振られたナトは、驚いた表情で聞き返した。
「魔法学校や魔法ギルドには、我々の方で話をつけておきます。あなたの力が必要なのです」
「……よくわかりませんが、オクスさんと一緒に訓練所に行けば良いのですね?」
「はい。事情はムーガナロ様から聞いてください。では、我々はこれで失礼します」
ナトは宣戦布告の件を全く知らない。訓練所に来いと言われたことは、寝耳に水だ。
オクスにもナトが呼ばれた理由がわからなかった。師匠のことだ、ろくなことではないだろうが、悪い結果にはならないはずだ。矛盾しているような気もしたが、オクスはそれ以上考えることなく、久しぶりのナトとの二人きりの時間を堪能し、早めに就寝した。
翌朝、歩き慣れた道をオクスは歩いていた。だが、今日はナトも一緒だ。いつもの通勤路が、ナトがいるだけで新鮮に感じる。オクスは、これから何か起こるのかわからないのも相まって、少しだけワクワクしていた。
訓練所に着くと、昨日の話の通りムーガナロが待っていた。さっそく、ムーガナロがナトに事情を話す。
オクスは肝心な部分を隠して説明するのだろうと思っていたが、ムーガナロは宣戦布告の件を包み隠さずナトに話した。
話を聞いたナトは驚いていたが、ムーガナロのこの言葉で失意することはなかった。
「大丈夫だ。この国にはオクスがいるからな」
「はい!」
(そんなに期待されても困るんだが……)
「そう、オクスが今回の戦争の重要人物の一人となる。……そこで、オクスに魔法を教えてやってほしいのだ」
「……私が魔法を?」
「城の魔法使いは皆、忙しくてな。事情が事情だけに、魔法学校に頼むわけにもいかん。闇雲に話を広げたくないからな。すると、君が最も適任だったんだ。オクスが君にずっと隠し通すのも難しいだろうし」
ムーガナロの言う通り、オクスは頭のいいナトに宣戦布告のことを隠し通せる気がしていなかった。そもそも、代わりの言い訳すら考えきれていなかった。ここで、ナトに事情を知ってもらったことで、オクスはかなり気が楽になっていた。
「ただ、魔法を覚えて使うことが目的ではない。魔法の原理、基礎を理解することが目的だ。本番では別の魔法使いにかけてもらった魔法で戦う予定だが、そこはまだ検討中でな。……まあ、しっかり教えてやってくれ。わしは会議に戻る」
と言うとムーガナロは城の方へ歩いて行った。
「ではまず、魔法の原理から説明するね」
「じゃあ、あっちのベンチで座って聞こうか」
オクスとナトがベンチに座ると、ナトが説明を始めた。
「と言っても、魔法の原理については、わからないことが多いの。わかっているのは、体の中の魔力が物質や現象に変化するということ。変化の契機は、意思を持つこと。けど、その意思の持ち方には個人差があって、ちょっと考えただけで魔法が具現化することもあれば、どうやっても魔法が使えないこともあるの。ものは試しだね」
そう言ってナトはベンチから立つ。
「魔法学校にはいってすぐ授業でやらされるの。何も教えられていない状態で、思い思いに魔法を使ってみるっていう。ほとんどの人が使えないんだけどね。あの広場の真ん中でやってみて」
ナトに促され、オクスは訓練所の広場の中央に移動する。
(魔法か……)
おそらく、手刀で物を切るのも魔法の一種だろう。そうなると、オクスは既に魔法を使えるということになる。
だが、オクスが持つ魔法のイメージとは異なる。ナトが言ったように、何もないところに物体を出したり、現象を起こしたりする。どうせなら、そんなわかりやすい魔法を使ってみたい。
オクスがどんな現象を起こそうかと考えていると、子供のころ見たアニメ映画で、スカートめくりの魔法しか使えない主人公がいたことを思い出した。
「風か……」
まじめな表情をしているオクスだが、煩悩が頭の中にあふれ出し始めていた。




