出会い(2)
青年は右の利き足で力強く地面を蹴った――その刹那、硬い肉と肉がぶつかるような鈍い音がした。鈍い音ではあったが、離れたロビーの耳にも聞こえる大きさだ。
音がしたところから黒い物体が高速で射出され、木の枝をへし折りながら森の奥へと消えていった。
物体が射出された場所には青年がただ一人、立ちつくしていた。
我に返った青年は、腰回りに違和感を覚える。
(なんだか、スースーするな?)
ふと後ろを振り返って見ると、そこには腰に巻いていたはずの毛皮が落ちていた。
「キャー‼」
「何が起きたんだ……?」
ロビーはそう言いながら状況を確認する。熊はいなくなっており、突っ立っている青年とその近くにいるナトに別状はない。青年が全裸であること、ナトが手で目を隠して悲鳴を上げている以外は。二人とも無事なようだ。
「おい! 大丈夫だったか? 変な音と悲鳴が聞こえたが」
ロビーと似たような恰好をした猫耳男が二人、先ほど熊が現れた場所から出てきた。一人は大柄で横にも大きな男。もう一人は鼻の下と顎に髭を蓄えていた。
「どうやら無事みたいだな。知らん兄ちゃんがいるが。この森の原住民か? 熊の姿は見えないみたいだが」
「名無し! 何がどうなったんだ?」
「……さあ?」
ロビーに答えた通り、青年には何が起きたのかわからなかった。覚えているのは、無我夢中で熊の方に駆け寄ろうとしたこと、地面を蹴った次の瞬間に何かにぶつかった感触がしたことだけだ。毛皮は既に腰に巻きなおしていた。
「まさか、ぶっ飛んでった黒いのが熊だっていうんじゃないだろうな。ナトちゃん、調べてくれるか?」
ロビーがナトに話しかけるが、ナトの返事はない。
「ナトちゃん!」
「あ、はい! すみません。探索魔法で調べてみます。<広域探索>。対象、熊」
杖を掲げたナトから黄色い光が放出した。その光は地面と平行にナトを中心とした円を描き、徐々に大きくなりながら森の奥へと進んでいく。
光が見えなくなってから数分後、ナトが口を開いた。
「私が探索できる範囲には、熊はいないみたいです」
「熊が死んでいても探索できるのか?」
「はい、熊が死んでいても見つけることができます」
「黒いのが飛んでいったのは村の方向か。あれが熊だったとしたら帰りがけに回収できるかもな。近くに別の熊はいないみたいだし、どうする? 帰るか?」
ロビーの問いかけに、髭を蓄えた猫耳男が答える。
「もうじき日も暮れるだろう。今日は帰るとしよう」
「そうだな」
大柄な猫耳男も頷く。
「よし! で、名無しはどうするんだ?」
「その名無しってのは何だ?」
「この兄ちゃんが記憶を失ってここに倒れてたんだとよ。裸で」
「裸でか。はっはっはっ」
(しょうがないだろ、本当なんだから! しかし……、このあとどうしよう。できればナトちゃんと一緒に行動したいんだけど……)
「良かったらうちに来るか? 一部屋空いてるんだ。もちろんタダじゃないぞ。狩りを手伝ってもらうけどな」
熊がふっ飛んだり、消えたりすることは別として、自分の五感で感じたものや、猫耳男たちのやり取りはあまりにもリアルだった。ここが現実世界かもしれないと思い始めていた青年に取って、ロビーの提案は渡りに船だ。今後、ナトと一緒に行動できる可能性も高い。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「そうと決まればさっさと帰ろうぜ。名無しの歓迎をしないとな。一応、枝が折れた木を辿りながら帰ろう」
(早いとこ名前決めないと、名前がナナシになっちゃうな。でも、名前決めるの苦手なんだよなあ。ゲーム主人公の名前もデフォルトかメーカー名だったし……)
猫耳男達とナトは歩きだしていた。それに気づいた青年も歩き始める。
「おい、で、結局さっきは何がどうなったんだ?」
「俺が見たのは、熊がナトちゃんに突っ込んでいって、間に合わないと思ったら、鈍い音がして熊がいなくなって、代わりに全裸の名無しがいたんだよ。音がしたところから黒いのが飛んでいって――」
猫耳男達は歩きながら、さっきの出来事を整理しているようだ。
青年が猫耳男三人の後ろについて歩いていると、ナトが近づいてきた。
「あ、あの、さっきはありがとうございました」
「え?」
「熊に襲われそうになったのを助けていただいて。魔法を使って助けてくださったのですよね?」
「え、や、いや、残念ながら魔法は使ってないよ。そもそも俺が助けたのかな? 実はナトちゃんが魔法使ったんじゃないの? あ、ナトちゃんって呼んでも大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です。……私、強い攻撃魔法は使えないんです。支援系の魔法を専攻しているので……」
「じゃあ、さっき使った探索魔法みたいなのを買われて熊退治に?」
「そうなんです。魔法学校の卒業試験の一環で町や村の役に立つ仕事をするっていうのがあって……」
「良かったら教えてほしいんだけど、ナトちゃんて何歳なの?」
「今年で十五歳になります」
(じゅ……十五歳かぁ……。俺が十五歳の時って何してただろ……。こんなかわいい子がこの歳で命を懸けて仕事してるってのに……)
青年がしみじみ考えていると、不思議そうな顔をしたナトが尋ねてきた。
「おいくつなんですか?」
(……三十五歳です! って言えるかよ‼)
「ごめん、それも覚えていないんだ」
「あ、いえ、ごめんなさい。謝る必要はないですよ。でもきっと私と近いですよね? 見た目からして十代後半くらいだと思うんです」
「え⁉」
(この世界では俺の顔は若く見えるのか?)
「私ひとりっ子で、ずっと兄が欲しかったんです。だからなんだか嬉しくて」
(ああ、初めて笑ってくれた。天使の笑顔やぁ。お兄ちゃんって呼んでもらうのも良いな……おっと)
「兄からすると、こんな危険な仕事をやっているのは気にかかるけどなあ。他の生徒の仕事も危ないの?」
「いえ、危ない仕事はそんなにないのですけど、私はこの仕事に決まってしまって。……あ、いえ、この仕事が嫌って訳ではないんですよ」
「そのことなんだけどな」
前を歩いていたはずのロビーが会話に割り込み、ナトに話しかけてきた。
「まずは、さっきの失敗はすまなかった。謝罪させてくれ」
「いえ……」
「いくら名無しっていう想定外な要素があったとはいえ、君の命を危険に晒してしまったことは本当にすまないと思ってる。だから、これからは全力で守ることを誓う。……あ、いや今日も全力だったけどな。作戦面とか位置取りなんかを含めてってことだ」
話しながらロビーの表情がより真剣になっていく。
「だがな、それでも今日みたいな不意な危機が発生するかもしれない。そん時はもう、自分で自分の身を守ってもらうしかない。今日みたいに足がすくんでちゃ、命がいくつあっても足りないぜ。いくら名無しっていう原因があったとしてもだ!」
(おいおい、えらく俺に突っかかるな……)
「無理そうなら学校に帰ってもらってもいい。だけどな、ナトちゃんは今日新しい盾……って言っちゃ悪いか。……そう、騎士だ、騎士を手に入れた」
「え?」
「名無しお前だ! お前がナトちゃんの騎士になれ! ナトちゃんが学校に帰るまでのあと一ヵ月位だったか。全力でナトちゃんを守れ‼」
ナトの顔に満面の笑みが浮かんだかと思うと、青年にこう言いながら頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
「お、おう」
オクスは戸惑いながらも返事をする。
(もしかして、ロビーってめちゃくちゃいいヤツなんじゃ……)
「よし! で、明日の狩りは休みだ。その代わり午後から今日の反省と、今後の方針やら狩りの時の位置取りを話し合おう。あと、名無しは名前を考えておけよ!」
そう言うと、ロビーは前を歩く猫耳男二人の方に戻っていった。
話が終わったので、オクスは気になっていたことをナトに聞くことにした。
「……ところでさ、魔法学校ってどんなところなの? どれくらい生徒がいるの?」
「人数はとても多いですよ、たしか……」
オクスとナトがそんな話をしながら歩いていると、飛んでいった物体の痕跡がほとんどなくなってきた。目印がなくなったので、ナトが探索魔法をもう一度発動する。結果、熊だったと思しき死体を発見した。
大柄の猫耳男が死体を見て「どうやったらこんな死体になるのかわからない」と言うほど、損傷が激しかったが、使える部位があるということで村に持って帰ることになった。
村に帰ったあとは青年の歓迎パーティが催された。村の広場にテーブルが乱雑に置かれ、その上に様々な料理や飲み物が並べられている。
村の全員というわけではないが、猟師である猫耳男三人の親類縁者、ご近所さんが集まって結構な人数だ。やはり猫耳が多かったが、他の動物の耳やしっぽを持つ人や、普通の人間も見受けられた。
(正直言ってこういう場は苦手だけど、人間のぬくもりを感じるな。手料理も久しぶりだし。死ぬ前はコンビニやスーパーの弁当ばっかりだったなあ。うぅ、涙が出てきやがった)
テーブルの上の料理も尽きかけてきたころ、簡易ステージにロビーが姿を現した。
「それでは最後に、新入りの名無し君が皆さんに見せたいものがあるということです!」
(はぁ⁉ 嫌な予感がする)
「ほら~、名無しこっちこっち」
青年は渋々、ステージに上がる。それを見届けたあと、ロビーは観衆に向かって発表した。
「こいつが見せたいもの、それは……裸で~す!」
(駄目だコイツ、完全に酔ってやがる……)
ロビーの言葉に青年はクラっと来たが、倒れそうになるのを持ちこたえた。その場から逃げようとするが、ロビーに服をつかまれて動くに動けない。
脱ごうとしない青年に痺れを切らした参加者たちが、ヤジを飛ばす。
「どうした脱がねぇのか? 酒が足りないんじゃないのか⁉」
「森の中ではあんなに見せびらかしてたじゃないか!」
「脱―げ! 脱―げ!」
必死に抵抗するが、集まってきた村人数人に酒も飲まされつつ徐々に服を脱がされていく。
「あらやだ、なかなか良い体してるじゃない」
「たく、うちの亭主にも見習ってほしいわ。見てよこのお腹」
「キャー! キャー!」
青年の意識はそこで途絶えた。




