兄(4)
「そこまでだ! 俺の妹に手を出すな!」
「誰だ⁉」
突如上がった声に、マッゾーが声を上げ返し、三人が声のした方を見た。そこにはオクスが立っていた。
「お兄ちゃん!」
ナトは緊張状態から一転、安堵したことで体中の力が抜け、その場にへたり込みそうになったが、杖で体を支えることでかろうじてこらえた。
「なあんだ、本当は連れてきてたんじゃない。何がしたかったのよ。それに何? 兄妹にでもなったつもり? 馬鹿じゃないの」
ミアンがそう言っている間に、オクスはマッゾーとナトの間に割って入っていた。
「お兄ちゃん、ごめんなさい」
「話はあとだ。……まったく、ナトもあんたたちも言動がベタすぎんだよ。思わずベタなセリフ吐いちゃったじゃないか」
オクスの独り言に、ミアンが反応した。
「はあ? 意味わかんない。まあいいわ。最初の目的だった使用人としての教育を施してあげる。マッゾー、やりなさい」
「いいところを邪魔しやがって。俺様の怒りを上乗せしてやるからな」
オクスはどんな教育をされるのか興味津々だった。マッゾーはオクスの目の前まで来ると、拳を作った右腕を引き絞り、力を溜め始める。どうやら肉体言語を使用するようだ。相変わらずのベタな展開に、オクスは落胆してため息をついた。
「おらあ!」
声を張り上げながら、マッゾーはオクスに殴り掛かる。マッゾーの拳がオクスの顔に到達したが、音は出ない。
「ん?」
違和感を感じたマッゾーがすぐに右腕を引き、警戒態勢をとる。
オクスは微動だにしない。不思議な感覚に襲われながらも、マッゾーは確認も兼ねて、もう一度オクスの顔に拳を叩き込んだ。
だが、先ほどと同じだ。まったく手応えがないのだ。通常なら拳の先から腕を伝わってくるはずの衝撃を感じない。衝撃が全てオクスの頬に吸収されているかのようだ。
「な、なんなんだ?」
混乱しながらも、警戒態勢は崩さない。人を何度も殴ったことがあるが、こんな経験は初めてだった。マッゾーは恐ろしさすら感じていたが主人の手前だ、無様な姿を見せるわけにはいかない。
顔で駄目ならと、みぞおちや腹、あごなど、急所やダメージが通りそうな個所を次々と殴る。しかし、どこを殴ってもさっきと同じで手応えがなかった。呼吸ひとつ乱さず、直立不動のオクスに対して、マッゾーは疲労と恐怖から息を荒らげ、汗を全身から流していた。
「はあはあ……、お前……、魔法か何かかけてやがるのか?」
「どうしたのよ⁉」
マッゾーの見慣れぬ姿と直立不動のオクスに当惑していたミアンが、やっとの思いで口を開いた。
「お、殴打が効かねぇんです。そんな魔法ありますか?」
「待って、確認するから」
ミアンが呪文を呟き、オクスを凝視した。
「……翻訳系の魔法だけ……。その男に防御魔法はかかってない……」
「……へ、へへ、わかったぜ。お前、やせ我慢しているんだろ?」
そんなことがあるはずないのはマッゾーにもわかっていたが、そう思い込まずには正気を保てる気がしなかった。
「死なない程度に手加減していたが……、もう知らねぇぞ!」
マッゾーは近くに転がっていたレンガを拾う。ダメージが通る可能性を少しでも高めるためだ。
「ちょ、ちょっと! マッゾー!」
マッゾーの行き過ぎた行動に、ミアンが声をかける。
「くそがぁ!」
ミアンの声に耳を向けず、マッゾーはレンガでオクスの頭に殴りかかった。
――コツン。
マッゾーの攻撃で初めて音が鳴った。軽く小突いたような音だ。マッゾーが軽く叩いたわけではない。全力で殴りかかったのだ。
「まだわからないかな……」
レンガで殴られても動じなかったオクスがそう言いながら、放心しているマッゾーの持つレンガを奪い取った。
オクスはレンガを左手で持つと、突き出した右手の人差し指を、不意にレンガに突き刺した。
「これでどう? 見える?」
オクスは人差し指で開けたレンガの穴から、マッゾーを覗いた。
「……ば、化け物だああああああ」
マッゾーは叫びながら、呆気にとられているミアンの横を通りすぎ、あっという間に逃げていってしまった。
ミアンはその場から動こうとしなかった。逃げることは可能だが、ただ逃げるのはミアンのプライドがゆるさない。皮肉の一つでも言ってやろうと、当惑する頭で必死に考えているミアンに、オクスが声をかけた。
「ミアンさん……だっけ? もう、こんなことは止めたら? 女の子を男に襲わせるとかシャレになってないよ。ナト……お嬢様と同い年だよね? だったら、大人になった方がいいんじゃないかな。もっと別に有意義な時間の使い方があると思うんだけど……」
一呼吸おいてミアンが返してきた。
「うるさいわね! 使用人の分際で! あんたに言われる筋合いはないわ! 時間の使い方なんか私の好きなようにするわよ。ブサイクはブサイクな者同士、勝手に慰め合ってなさい!」
「ふんっ!」と頭を横に振ると、ミアンはその場から去っていった。彼女の金切り声が聞こえなくなると、辺りの静けさが余計に際立った。
「さて……」
オクスはナトの方へ振り返る。怒られると思ったナトが先手を取って謝ってきた。
「お兄ちゃん、ごめんなさい」
「……今回はたまたま俺が気づいたからよかったけど、運が悪かったら襲われてたよ? 次はくすぐってでも言ってもらうからね」
「……」
オクスは黙ったナトのフードの上に手を置き、頭を撫で始めた。
「まあ、ナトに何事もなくて良かったよ。それに、ナトが俺のことを思って言わなかったことはわかってる。だから、あんまり気にしちゃだめだよ。大事なのは同じ失敗を何回もしないこと。次に同じようなことが起きた時に考えればいいよ」
「……うん、ありがとう、お兄ちゃん」
そう言いながらナトがオクスに体を寄せる。ナトの着ているローブから、なんだか懐かしくてやさしい香りがした。
「おっ、おう……、じゃ、じゃあ帰ろうか」
二人が寄り添いながら歩き始めると、ナトが口を開いた。
「ねえ、お兄ちゃん。さっき言ってたベタってどういう意味?」
「ああ、あれはね――」
そんな話をしながら、二人はナトの屋敷までくっついて帰っていった。




