師匠(1)
オクスは王城の城壁の前にいた。今日は兵士の指南役の先生に会う日だ。初めてのことにオクスは緊張していた。先生がいる訓練所に行くためには、兵士に場所を訪ねる必要がある。地図には訓練所の場所どころか、城壁の中のことはまったく示されていなかった。
動くのがやっとな逆風の中を進むように、さっきから刺すような視線を向けている兵士に近づきオクスは挨拶した。
「おはようございます」
「なんだ貴様は」
(なんでこんなに高圧的なんだ)と思いながらも、オクスは自己紹介と用件を伝える。
「今日から訓練所で働くオクスと申します。訓練所に行きたいのですが、どこから入ればよいでしょうか?」
「お前がそうか。話は聞いている。あちら側にある二つ目の入り口から入れ」
「わかりました。ありがとうございます」
兵士に聞こえないであろう距離までくると、オクスはフッーと息を吐いた。国を守るために威厳ある態度が必要なのだろうが、理解はできても嫌悪感はぬぐえなかった。
教えられた入り口に着くと、見張りの兵士と先ほどと同じようなやり取りをして、やっと城壁の中に入ることができた。
城壁の中は一本道だが、曲がりくねっている。進んでいくと、広々とした場所に着いた。地面は踏み固められた砂地だ。周りには訓練用と思われる武器、木や藁で出来た人形、矢の的や木材が置いてあった。
オクスが辺りを見渡していると、武器を手入れしている中老の男性に気づいた。他に人影はないので、目的の人物である可能性も考えながら近づいて声をかける。男性はもちろん猫耳だ。
「おはようございます。オクスと申します。ムーガナロさんですか?」
中老の男性は手を止め、こちらに顔を向けた。
「そうだが、お前がオクスか?」
そう言うと、中老の男性は作業のために中腰だった姿勢を正し、オクスと向き合う形になった。男性が立ってみてわかったが、背丈はオクスとそれほど変わらない。鎧ではなく服を着ているが、体格も特別良いという感じは受けない。顔はさっきの兵士と比べれば、やさしそうにさえ見える。
「ロビーからの手紙は読んだ。なんでも異常な力を持っているとか」
中老の男性はそう言いながら、人形が置いてある場所まで行き、木の人形を一体持って戻ってきた。
「まずはお前の力を見せてもらおうか。これを壊してみろ」
「わかりました」
(う~ん、手刀でいいか?)
オクスは森で木を切ったことを思い出し、一番見た目が派手そうな手刀で木の人形を切ることにした。
ムーガナロが地面に置いた人形にオクスは近づき、右手を手刀の形にして上げ、斜めに振り下ろした。オクスの手が通った線に沿って人形の上部が滑り落ち、地面で暴れながら乾いた木の音を立てる。
それを見ていた中老の男性は表情を変えずにこう言った。
「驚いたな。ロビーのことだから冗談で書いたのだと思ったが、これほどのヤツが本当にいるとは……」
男性の表情とセリフが一致していないため、本当にそう思っているのか疑っていたオクスに、少し表情をやわらげた男性が話しかけた。
「悪かったな。お前の力に興味があって、どうしても真っ先に確認したかったんだ。わしの名はムーガナロ。この国の兵士の指南役を仰せつかっておる」
ある程度はコミュニケーションが取れそうなことに安堵したオクスだったが、ムーガナロの次の言葉で動揺する。
「確認ついでだ、オクス。わしと手合わせしろ」
「え?」
(手合わせってなんだよ。勝てる気がしねえ)
「お前はまだ力の加減が出来んそうだな。だからお前は攻撃するな。お前の身体能力からすれば、わしがお前に攻撃を当てればわしの勝ちということで丁度いいだろう」
通常なら理不尽すぎるハンデだが、オクスは頷いた。
(下手に当てたらやべぇもんな)
ムーガナロの威圧感から、さっきは勝てる気がしなかったオクスだが、逃げ回れば良いとわかると負ける気がしなくなった。
(当たると思えないんだけど、秘策でもあるのか?)
ムーガナロは武器置き場に行き、木剣を手に持ってきた。
ムーガナロとオクスが、訓練場の広場の中央付近で向き合う。
「じゃあいくぞ……。はじめ!」
ムーガナロが大声を出すと共に、オクスに向かって走り出した。外見から予想できる年齢からすれば、考えられないスピートだ。だが、オクスのスピートとは比べるべくもなく遅い。それに、オクスにはその動きがゆっくりに見えていた。
向かってくるムーガナロを、オクスは左にかわす。
(熱っ!)
オクスはかわした身体の勢いを止めるために地面に足をつけたが、足の裏に熱を感じた。
(このままじゃ、靴の底に穴が開くな)
オクスのスピートは相当なものだ。その勢いを殺すとなると、靴の底と砂地との摩擦で熱が生じ、靴底を削っていた。
かわされたムーガナロは、間髪を容れずにオクスに追い打ちをかける。オクスはさらにかわす。靴の底を気にして、かわす速度は抑えている。それでもムーガナロの攻撃を余裕でかわすことができた。ムーガナロはオクスがいた場所に、達人の域にある速さで木剣を振るう。
オクスのスピートに慣れてきたのか、オクスがかわしてムーガナロが剣を振るうまでの間隔が短くなってきた。
それでも、オクスに木剣が当たる気配はない。だが、オクスは念のため、避ける時にムーガナロからさらに距離を取るようになってきていた。速度を落として長い距離を移動するため、オクスの動きは直線ではなく、地面に垂直に弧を描いたものになっている。
(これ、いつになったら終わるんだ?)
オクスは深く考えず、右へ左へかわしやすい方へ逃げている。時間を決めておくべきだったと後悔し始めていたオクスは、周りの景色が変わっていることに気づいた。
(あれ、もしかして俺、追い詰められてる?)
広場の中央で逃げ回っていたはずが、いつの間にか広場の隅の方に追いやられていた。近くに訓練用具が見える。
(やべぇ、広い方に逃げるぞ)
そう思い、足で地面を蹴った次の瞬間だった。
オクスにはムーガナロが投げた木剣が自分に近づいてくるのが見えていた。だが、方向を変えることはできない。空中にいて、足が地面につかないからだ。体をひねっても避けられそうにない。木剣は斜めに回転しながら飛んできているからだ。
音はしなかったが、木剣が体に当たったことをオクスは感触で悟る。地面に着地したオクスに少なくない敗北感と、大きな感動が襲ってきた。
(すごい……)
オクスの腕の毛は逆立ち、鳥肌が立っていた。
オクスが靴を気にしてかわし方を変えたことを、ムーガナロは看破していた。それに、オクスが本気にならないよう、余裕でかわせるくらいに、ムーガナロは手を抜いていたのだ。靴の底を気にして跳躍するオクスよりも、投てきした木剣の方が速い。
「わしの勝ちだな」
ムーガナロはオクスの方に歩いてきて、落ちていた木剣を拾い肩に担いだ。
「どうだ? これでわしをなめるようなことはないだろ。これが経験の差だ」
ムーガナロの表情に喜びの色は見えない。彼にとって勝つことが当たり前であることを、その表情が物語っていた。
やはり必要なのは経験だとオクスは痛感する。
「これからはわしのことを師匠と呼べ。……一度呼ばれてみたかったのよ」
オクスが会ってから初めて、ムーガナロの顔に笑みがこぼれた。




