別れ(2)
「ということで、ナトちゃんの騎士のオクス君。ナトちゃんと一緒に住むのはどうかな?」
「……へあ⁉」
ありえない提案に、オクスは変な声を出してしまった。
「ナトちゃんは安心を得ることができる。お前は住処を得ることができる。一石二鳥だろ。あと、仕事は指南役の先生を手伝えばいい。仕事の合間を縫って教えてもらえ。俺がそうお願いしてやる。だって、兵士になるのは嫌だろ? 束縛はきついし、旅に出るのが難しくなりそうだからな」
「いやいやいやいや、ちょっと待った! ナトちゃんと一緒に住む? そりゃあ、俺は大丈夫だけど、ナトちゃんが駄目でしょ!」
「ナトちゃんには了解をとっているぜ。な、ナトちゃん?」
「……はい」
ナトは恥ずかしそうに、うつむきながら返事をした。
「えええええ? そういう問題なの⁉ いや、それは嬉しいけど‼ 世間一般からすると――」
「落ち着けよ! いいか、ナトちゃんに変なことするんじゃないぞ。せめてナトちゃんが魔法学校を卒業するまでは我慢しろよ。いいな!」
(それって暗に魔法学校を卒業したら良いって言ってるようなもんじゃないか! ナトちゃんも黙ってないでなんとか言ってくれぇ!)
「よし! 反論もないみたいだし決まりだな。オクスは王都に行く準備をしておけよ? まあ、持っていくものはあんまりないだろうが」
混乱する意識の中、オクスが一つだけ確実に思っていたことがある。
(ロビーって神的に良い人だったんだな)
それからのことをオクスはほとんど覚えていないし、その夜オクスはあまり眠れなかった。
ナトが村から王都に帰る日となった。オクスにとっては村から出ていく日だ。
村ではデハドウルフを警戒して、一番近い町から派遣された兵士が見張りをしている。国の調査団も数日すれば到着するらしい。
ナトの帰省は遅らせるべきという意見もあったが、予定通りとなった。デハドウルフが夜行性であるのに対して日中に移動すること、そしてなにより、オクスが一緒だからだ。
村には王都から迎えの馬車が来ていた。
二頭立ての馬車だ。御者の男性は特徴的で、馬耳と馬のしっぽが付いている。顔も馬面で、馬耳との相乗効果で、もう馬にしか見えなった。オクスが御者に挨拶をした時、全身をなめ回すように見られたことが、特にオクスの印象に残っている。
馬車にお土産を含む荷物を積み終え、別れの挨拶が始まった。馬車の周りにはナトとオクスの他に、ロビーと奥さん、猟師、お世話になった人が数人いる。
ナトが来てくれた人へ順にお礼と挨拶をしていく。最後はロビーだ。
「ロビーさん、大変お世話になりました」
「こちらこそ。前にも言ったけど、いつでも遊びに来てくれよ。それと、試験がんばれよ」
「はい、ありがとうございます」
オクスもロビーのところにやってきた。
「ロビーさん、色々とありがとうございました」
「ああ、ナトちゃんを頼んだぞ!」
オクスはこの世界で目覚めてからのことを思い返す。何も着ていない状態からここまで生きてこられたのは、ロビーのお陰だった。
デハドウルフを退治してから変わった村人の態度も、ロビーに力のことを話した次の日から気にならなくなった。きっとロビーが何か言ってくれたのだろうと、オクスは考えている。
ロビーがいなければナトとも離れ離れになっていたかもしれない。
全てロビーがうまく取り計らってくれたのだ。そう思うと、オクスの目に涙が浮かんできた。
「ロビーさんがいなかったら、俺……俺……」
「おいおい、大の男が泣くなよ。……まあ、この恩はいつか返してくれ。……そうそう、お前が王都で生活してるうちに、また俺の顔に会えると思うぜ」
オクスはロビーが最後に言ったことがよくわからなかったが、王都に遊びにでも来てくれるのだろうと解釈した。
オクスとナトが乗り込むと、馬車が走り出した。馬車の扉のない入口や、ガラスのない窓から身を乗り出し、オクスとナトはロビーたちの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
ロビーたちの姿が見えなくなると、オクスとナトは馬車の座席に座る。前方の席は荷物で埋まっているので、後方の席に隣り合わせに座る形だ。今までで最もナトに近い距離にいることに、オクスはドキドキしていた。
まずは気になっていたこと、いや、この幸せな時間がどれくらい続くのかを確認するためにオクスはナトに話しかける。
「王都まで、どれくらいなの?」
「三泊四日の行程ですね」
「そんなにかかるの⁉」
喜びよりも単純な驚きの方が強かった。
「とんでもない。本当はもっとかかりますよ。馬と馬車に魔法をかけているので」
「魔法ってすごいんだね」
オクスは心底そう思った。
「ナトちゃん。……本当にナトちゃんの屋敷に住まわせてもらっていいの?」
「はい。屋敷が大きくて、一人では持て余していたんです。丁度良い空き部屋がありますよ」
微妙に求める答えとは違う気がしたが、オクスは突っ込まないことにした。
「オクスさんこそ、王都に来るということで良いのですか? 村に残るという選択肢もあったと思いますが……」
「うん。村に残っても、いつかは村を出たと思うんだ。なんだか、すごくもったいない気がしてさ。……それに、ナトちゃんを守りたいってのもあるし」
ナトは一瞬驚いた顔をして、そのあとうつむいてしまった。オクスはナトが気になったが話を続ける。
「あと、王都には未開の地とか、南東の大陸の情報があるよね? 戦いの技術を身につけながら、情報を集めようと思うんだ」
「……そういえば、王都に戻ればオクスさんの記憶も戻せるかもしれませんね!」
事情を知らないナトが笑顔で話してくることに、オクスは心を痛めた。これから長い時間を一緒に過ごすのに、隠し通せるはずがない。ここで話した方が良いと判断したオクスは、今まで隠していたことを正直に話し始めた。
「実はさ、俺、記憶がなくなったわけじゃないんだ」
「え?」
「いや、こっちの世界の記憶がないわけだから、半分は正しいのか。……俺に前世の記憶があるって言ったら信じる?」
「前世の記憶ですか? どんな記憶なんですか?」
「まず、俺がいたのはこの世界じゃなくて、別の世界だと思う。その世界には魔法がなくて、科学ってのが発達してるんだ。例えば、電気っていうエネルギーで明かりを灯したり、機械を動かしたり。油で動く鉄の車とか、空を飛んで人を運ぶ飛行機ってのもある」
ナトは頷きながら、オクスの話を聞いている。
「その世界で俺は両親を亡くして……。俺自身も、仕事も私生活もうまくいかなくてさ。仕事を辞めてお金がなくなって、どうしようもなくなって……自分で……死んだんだ……。で、目が覚めたらこの世界にいた。だから、この体も本当は俺の体じゃないんだ。この体の本当の持ち主がいなかったらいいんだけど……」
話の途中でうつむいて動かなくなったナトが気になったオクスは、ナトに目をやった。ナトは目に涙を溜めて、今にも泣きだしそうだった。
「あ、ごめん! 泣かせるつもりは――」
「私と同じです。私も両親を亡くして……。でも! それでも! 死んだら駄目です! ……死んだらもう、戻ってこれないんです。……私も辛いけど、必死に生きてます。だって、死んだら何にもならないから……」
泣きながら話すナトの言葉に、オクスは何も返せなかった。そして、自殺という手段を選んだ自分がひどく恥ずかしくなった。
「もう死ぬなんて言わないですよね⁉ オクスさんがいなくなったら、私……」
「ああ、大丈夫だよ。死ぬのは二度とごめんだし。死ねない理由もできたし」
「それは君さ」という歯の浮くようなセリフを思いついたが、オクスには言えなかった。
落ち着きつつもまだ少し、しゃくっているナトが、涙をぬぐいながら聞いてきた。
「前世の記憶があるということは、本当の名前も覚えているんですか?」
「覚えているけど、もういいんだ。俺の名前はオクス。オクス以外の何者でもないよ」
そう、もう勝に戻ることはない。このとき勝は、完全にオクスになることを決めたのだった。




