サエッタの魔女と白い少年 ~集会は伴侶同伴で~
もう3月となるのに一向に雪が溶ける気配がない。
このままでは作物の育ちに害が出ると、村の者たちは底が尽きかけた食糧庫を眺め、東のサエッタ山に目を向けた。
サエッタ山には雪の結晶のように美しくも冷徹な魔女が住むという。その魔女に贄を出せば、この冬が終わるやもしれない———
領地に人が踏み入ると屋敷の鐘が鳴る仕組みとなっているのだが、ここ40年、その境界を人が超えることはなかった。目でもわかるように意味のない文字を描き、ここから入るなと大見得を切ってみたのだが、誰も来ないのは来ないで寂しいものだ。そう思っていたところでもあったので、嬉々として誰かが侵入したであろう場所へ赴くと、白い包みが1つ置いてある。
めくり開けると、そこには髪の毛も睫毛も産毛すらも酷く真っ白な少年が袋に入っていた。
「サンタの季節にゃ早いな……
あんた、名前は?」
小さい顔が左右に揺れた。
「あんた、村に帰る?」
さらに俯き、大きく左右に頭が揺れる。
「したらあんたの名前はネーヴェにしよう。あたしの名前はミオ。サエットの魔女だ」
彼女は言いながら袋からネーヴェと名付けた少年を取り出し、抱え上げた。
歳は4つぐらいだろうか。あまり育ちはよくないようだ。身体は皮と骨だけで、か弱く脆そうだ。
持ち上げた少年の目が魔女を見下ろしてくる。その赤い瞳はまるで溶岩のかけらのようで、ミオは薄く微笑んだ。
「美しい目だね、ネーヴェ」
「……おれ、魔法使いになる…」
「初めての会話がそれか。まぁ、それはお前次第だ。
………復讐するのか?」
復讐。このふた文字に彼の瞳が見開いた。
———心の底からマグマが沸いている
ミオは鼻でそれを笑い、暴れる彼を小脇に抱え、自身の屋敷に向かって歩きだした。
贄を出したから春が来たかというとそうではない。
別段彼女が何かしなくても、もう春は山のそばまで来ていたのだ。
あと3日も待てば春の嵐が山から降り、雪解けが一気に進んだはずだ。
1日でも早く何かしなければという気持ちが、ネーヴェをここに置き去りにした理由だろう。
さらにもう1つ理由があった。
彼は村での生活のことは一切口にはしなかったが、家族らしい・人間らしい生活はしていなかったようだ。
よくできたと頭を撫でようと手を上げれば肩をすくめ、少し大きな声を出せば背を丸めた。
復讐心はあるものの、虐げられた日々の傷はなかなか癒えるものでもない。
「ネーヴェ、白い自分は嫌いかい?」
剣を振るう彼を見つめミオは言うが、魔術で作り上げた雪の兵士を斬り倒しながら、
「白いからここへ来れた。俺は感謝してる」
「そう」少なくなった兵士を指先で足すと、
「あんたも17になっただろ? 復讐はしないのかい?」
兵士に覆われ彼の姿が見えなくなり、こりゃまずいかもと腰を軽く上げたとき、いきなり爆発音が轟いた。
氷の波が兵士を襲い、瞬く間に氷像に造りかえていく。
彼はそのまま一気に飛び上がり、その反動で地面に剣を突き刺した。
地面に亀裂が走ると同時に鋭い氷柱が立ち上がり、氷漬けの兵士たちは粉となって崩れていく。
まるでガラスの砂が辺りに散らされているようだ。彼が踏みしめるたびに音色は軽やかで美しい音が響いてくる。
だがその音が鋭利で硬いものであることを教えてくれる。しゃらしゃらと地面をこする音がより際立たせてくるのだ。
彼は足で崩れた氷を蹴散らしながら、
「復讐はもう少ししたら、する」
言いながら去るネーヴェを見つめ、「根が優しい子だからねぇ」ミオはにやにや笑いながら彼の後をついて屋敷へと戻った。
さらに2年が過ぎ、彼は19歳。ただの山の中で暮らすには狭く感じる年齢だろう。
「ネーヴェ、あんた、山降りたら?」
「なんで?」
いつの間にか彼女のかわりに料理番となっていた彼だが、今日のディナーをテーブルに並べながら聞き返した。
今日の料理は鴨のバターソテー・オレンジソースかけ、マッシュルームスープとかぼちゃのサラダだ。
ここは雪山の奥地ではあるが、彼女の魔力で常に春と秋を行き来する素晴らしい場所である。そのため年がら年中食べ物が採れ、食材には不自由しないのだ。
並べられた料理を挟んで2人は座るが、
「別に俺はここの暮らし、嫌いじゃない」
「嫌いじゃなくたって、こんな狭い世界、あんたに向いてないんじゃない?」
彼女は鴨肉を切り分け口に運んだ。
焦げたバターの風味と、少しくせのある鴨の脂の香りが見事に合わさり、さらに甘酸っぱいオレンジソースが鴨の脂っこさをうまく流し、さらにオレンジの甘みが肉の甘みを増大させている。この調和は見事なもので、肉の臭みすら旨味に変えてしまうのはさすがとしか言いようがない。
満面に笑顔を浮かばせながら料理を頬張るミオを彼の赤い目がきつく彼女に向いた。
「ミオ、あんた今年に入ってからそればっかだ。なんか隠してんだろ」
「隠してるわけ」
彼女の声を上書きするように屋敷の鐘が鳴り響いた。
自身の領地に侵略を知らせる鐘の音だ。
慌てて屋敷を飛び出し眼下に見えた景色は、オークに攻め入られている村の姿だった———
立ち上る煙、小さいながらも響く悲鳴、怒声、泣き声、叫ぶ声………
小刻みに震えながらも戸惑いに足が揺れるネーヴェに、ミオは肩を叩いた。
「復讐、するんだろ?」
ネーヴェは子供の時のように目を見開くと、小さく頷き、魔法で氷の馬と剣を作り出し駆けて行く。
それを見送りながらミオは適当な薬を袋に詰め込み、いつも着ている白いローブを翻したとき、もう彼女の姿はそこにはなかった。だが彼女が立った地面は、昔の形を留めておらず、まるで違う村に降りたかのようだった。
自身の領地に入るまで鐘はならない仕組みなのが災いしてか、村は壊滅状態。
ただ侵攻していたオークの群れはネーヴェに叩かれたようで、大半のオークは息絶えている。
焦げた家と土と人の臭いが鼻をかするが、それほど強い臭いとなっていないのは、氷の海に塗り替えたネーヴェの魔法のおかげだろう。火は消され、多くのオークが氷像と化している。
「丁寧に一匹ずつ氷漬けにしてる。アイツらしいわぁ」
ミオはつぶやき、白い爪でオークの氷像をつつくと、簡単に砂時計のように落ちていく。あまりに脆く崩れるので、見つけては崩し、見つけては崩し、さらに息のある人間に治療を施しながら歩いていくと、大将クラスだろう。ひと際大きなオークが人を盾に何やら叫んでいる。だがオークの言葉なので理解はできないが、身振り手振りからいって、近づいたら村人を殺すとでも言っているのだろう。
対峙しているネーヴェに近づくと、彼女を一瞥したのち、
「来たのか」前を見据え直した。
「一応ね」彼女も答えつつ、いつでも魔法が唱えられる準備をしてみるが、そのオークの盾になっていたのは中年の女だ。子供でも少女でもない。その女がネーヴェに向かって叫んだ。
「カイル、助けてちょうだい!!!」
皺に涙が伝い、顔全体が濡れてしぼんだのではないかというほどの女がカイルと呼んでいる。
ミオは、女とカイルと呼ばれたネーヴェを見つめ、
「覚えてる?」
ただ疑問で問いかけるが、
「カイル、母さんじゃない! 覚えてるでしょ?」
女は必死に声を張り上げ、助けるべき者と主張を続けている。
だが、どちらの声にも彼は表情を崩さない。
ただ氷の像のように、白い仮面が張り付いている。
ミオは騒ぎ命乞いをする女を眺め、杖を振り回しながら、
「チャンスじゃないの?」
口が裂けるのではと思うほどに、唇を冷ややかにつり上げた。
一瞬、眉をひそめてはみたが、思いついたようにネーヴェも同じく唇をつり上げると、
「お前は俺を親父の暴力の盾にした。
今度は俺の前で敵の盾になるなんて、似合ってんじゃん」
脚を一気に踏み込んだ。
地面がえぐれ、土埃が舞う。
砂埃で視界が隠された瞬間、オークの胸に熱が走った。
「凍れ」
オークの胸に突き刺さった剣から冷気が溢れ、大木のような身体を一気に砕き散らした。
ダイヤモンドダストのように煌めくなか、そこに残されたのは、あの女だ。
ただ立ち尽くす女に向かってネーヴェはミオの手を取ると、
「育ててくれたのは、サエッタの魔女で、あんたじゃない。
他の親は、子だけでも逃がすのに、お前は俺をオークの前に呼び出した。
本当にお前は最低だ。だから殺さない。お前が苦しむのをまだ見たいからだ。覚えておけ」
言い切るや否やミオの手を引くと、右手をひと振りし、先ほどの真っ白な馬を召喚した。
冷たいたてがみを撫でてからミオを乗せ、その後ろに彼女を抱えるように綱を取ると、屋敷への道へと馬の腹を蹴った。
リズムよく揺れる身体を楽しみながら、
「あんた、殺さなくてよかったの?」
ミオはネーヴェの胸に背を預けながら尋ねるが、
「殺すだけが復讐じゃない」
「あら、大人になったこと……」
ミオはつまらなそうに呟き、彼を覗き込むように背伸びをしてみせる。
色白の端正な顔が目前に映し出され、いつの間にこんなに美しくなったのだろうと魅入ってしまうが、思わず目が合い、すぐに起き上がった。
「なぁ、ミオ、あんた魔女の集会で困ってんだろ?」
「なんのことよ」
お互いに前を向いたままだが、ネーヴェはミオの耳のそばで声をかけてくる。まるで何かこっそりと脅すような、そんな口ぶりだ。
「俺を下僕にするか、魔女の弟子にするか、どちらにするか他の魔女から突かれてるんだろ?」
ミオはそれには答えず、ただ前を見据える。答える気はないようだ。
それを感じ取ったのか、ネーヴェはそのまま昔話でも話すように淡々と彼女の耳元で言葉を続けた。
「俺は知ってるんだぞ?
下僕にすれば一生俺はお前のそばにいられる。だが、寿命で俺はそのうち死ぬことになる。
弟子にすれば俺は魔女になって半永久的に生きられる。だが、魔女の掟で魔女同士は同じ土地に住めないため、そばにはいられない」
彼の言葉に大きくため息をつくと、
「……よく勉強してるじゃない」投げやりに応えた。
「それで俺は考えたんだ」
再び耳元で囁いた。
「俺と結婚すれば、俺が魔女になっても、ずっといっしょにいられる。
そうだろ?」
「は? あ? な、」
あまりの言葉に彼女は言葉を無くすが、ネーヴェの手がミオの腰にまわり、彼自身の方へ引き寄せられる。
一層彼の唇が耳元に近くなり、彼女の耳から頬から熱が広がっていくのがわかる。
「顔赤いけど?」
耳たぶにかする彼の唇と、彼の声の息が、ミオの頬をさらに赤く染めていく。
「ま、全部妖精から聞いたんだけど、ね」
「は? あいつらだったら……
だいたい、ガキが何言ってんのよ。キスのキの字も知らない子供がそんなこと」
「キスの仕方も、……まぁ、他のことも、彼女たちから教わってるよ」
「はぁ?!」
勢いよく横を振り向いたとき、彼の頬が真横にあった。
ミオの肩に顎をのせ、白いまつげを揺らしながら、彼の薄い唇がさらに開く。
「彼女たちが言ったんだ。
復讐って蚊を殺すようなものかと思ったけど、人は違うのねって。
邪魔だからいなくなってスッキリではない。
人は邪魔なものにすら意味をつける変な生き物だって……
それ聞いて、俺はもっと違う生き方をしたいなって思ったんだ。
例えば、そう、好きな人と一緒にいるとか」
それは一瞬だった。
瞬きなどする暇はなかった。
眼前にあった彼の目はミオの瞳を捕らえ、彼女の唇をいきなり奪ったのだから———
冷たい唇だな。ミオは思ったが、きつく回された彼の腕からは逃げられることはできず、優しく頭に添えられた大きな手からも逃れることはできない。
ただ冷たい唇なのに、口の中は温かいと蕩ける頭で感じていた。
「ちょっとミオ、魔女の会議に旦那なんか連れてきてぇ」
そう言うのは西の魔女のルーンである。
「うっさい。あんたも連れて来ればいいでしょ?」
「うちの人は悪魔なんで、集会には来ませぇーん。
だいたい、あんたも惚れてたんでしょ? 何年かけてんの?
20歳じゃけっこうおっさんじゃない?」
「バカね。あたしだって20で魔女になったの。ババアとは言わせないから」
「あー、だから、それまで待ってたんだ、ミオは」
横からするりと現れると、ネーヴェはミオの腰に両手を回し、彼女の体を引き寄せた。
ぴったりと自分の胸板に彼女をくっつけ、彼女の髪の頭にキスをしながら、
「ねぇそうなんでしょ?」彼は彼女の耳元で囁いてみる。
「ちちちち違うってば!!!」
ミオは赤面しながら耳を塞ぎ、聞こえないふりをしているようだ。
それをルーンは眺め、
「なんかミオ、デレが多くなってきたわね。可愛らしいわ」
「そう思う? 俺もそう思う」
きぃきぃ喚くミオを無視しながら首に吸い付くネーヴェを見やり、ルーンは白けたように笑うと、
「ごちそーさまぁ。集会はあと15分後だからねぇ。イチャつくのもほどほどにねぇ」
手をひらひらさせながら去っていく。
その背をミオは目で追いながら、
「ちょっとネーヴェ、いい加減にしてよ!?」
「だってルーンって男の魔女だろ? 見た目は女にしてるけど。
俺は自分の女を守りたいだけ」
「もぉぉぉぉ、小さい頃のネーヴェに戻って!!!!」
「無理!!!!!!!」