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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、新参の騎士編
92/179

81時間目 「道徳~知りたかった真実と、知りたくなかった事実~」5

2016年6月4日初投稿。


81話目です。

知りたくなかったシリーズが、まだまだ続きます。

***




***



 大号泣してしまったジュリアンとキャメロン、そして何故か同じく大号泣していたガハラ。

 彼等もなかなか気安くしていたようなので、オレ達の知らない仲間意識があったんだろうね。


 そんなこんなで、ランディオ兄弟改め姉妹に、最終的にはかなり癒されながらも本日2つ目の予定は終了。

 お出迎えは最悪な形になったけど、見送りはとても丁寧にしてくれて、そんな彼女達に見送られつつ『魔術ギルド』を後にした。


 残りは、1件だけ。

 それも、かなり神経を擦り減らすであろう予定のある用事だ。


 ただ、オレ達には少々、別の問題が発生中。


「そういや、どこで飯食べる?」

「(食事の事まで考えていませんでしたね)」


 12時を過ぎて、腹が減り出した時間帯。

 実はジュリアン達と対談している時も、お腹鳴りそうになってたんだよね。

 腹筋引き締めて、根性で乗り切ったけど。(※普通は無理)


「………ここは、商業区だから表通りに行けば、飲食店はいくらでもあるぞ」

「まぁ、そうだろうね。時間の指定は無かったんだろ?」

「ああ。午後からなら構わないという返答は貰ったが、」


 うーん、と?

 それなら今から行っても問題は無い訳だけど…。


 ただ、交渉の途中で腹が鳴ったりしたら笑えないから、先に食べてからにしよう。

 と言う訳で、一路商業区の表通りへと足を向け、ぶらぶらと目ぼしい飲食店を求めて歩く事にする。


 だが、この世界の料理って、あんまり代わり映えしないんだよね。

 パスタやらパン屋が多いし、飲食店って言ったらほとんどのお店がパスタとかスープ、海鮮系の料理を扱ってる。

 肉の扱いも多少はあるけど、串焼きが主流だ。

 ………オレ、焼き肉とか嫌いだから、マジで串焼きは勘弁して欲しいんだけど…。


 そんな最中、


「そう言えば、お前………肉を食っているところは、あまり見た事が無かったな」

「………だから何?」

「いや、あまり偏食をすると、体力も落ちるぞ?

 たまには、肉類も食べてみたらどうだ?」

「余計な御世話だ」


 うるせぇよ、筋肉だるま。


 オレは焼き肉が苦手なだけで、ちゃんと出された料理は食ってるっての。

 ………ただ、こっちの世界の肉の味があまりにもアレなもんだから、箸が進まんだけで。


「だが、また痩せたんじゃ無いのか?」

「………いつ見たってんだ?」

「さっきだ」


 ………そういやそうだったね。

 頭を抱えて黙り込むしかない。


 いくら年齢がもうちょっと上だからと言って、少女達に見せるべきでは無かっただろう。

 しかも、キャメロンに至っては綺麗な体と褒めてくれたけど、そこまで観察できる程晒していた訳だしね。

 ………あの時のオレの馬鹿!!

 なんでもうちょっと考えて、傷痕を見せるようにしなかったんだよ!!


「………痩せた、というか絞れた?

 今よりも、前の時の方が偏食気味だったから、あの時は結構筋肉も脂肪もあった」

「お前は、これ以上絞る必要はないだろう」

「だから、余計な御世話だっての!」


 なんで、いきなりオレの食生活改善なんて言い出す訳?

 オレに太って欲しい理由が、何かある訳でもあるまいし。


「………心配をしているのだ。

 騎士昇格試験が終わってからも、お前は働き詰めだから」

「うるさいな。休む時には休んでんだろ」


 ああ、もうやかましい。

 しかも、なんで喧嘩腰なんだよ、コイツ。


 腹が減っている所為か、余計にイライラしてしまう。


 そんな最中、


「アビゲイル様!?」


 商業区をぶらぶらと歩いていたオレ達の背後から、声が掛けられた。

 しかも、アビゲイルの名指しで。


 ふと振り返れば、


「ああ、やっぱりアビゲイル様でしたのね」

「………ッ、ゾーイ様」


 やや小さめな歩幅で小刻みにヒールを鳴らして駆け付けて来たのは、15歳ぐらいの少女だった。


 少し濃い金色の髪に、青い目、白い肌。

 おっとりとしているような眼尻に、赤く色づいた頬と唇。

 お姫様、と想像すると誰もが思い浮かべるような、金髪のご令嬢だった。


 ゲイルの呼んだ名前を聞く限り、おそらくゾーイという名前なのだろう。

 しかも、着ている服からすると、いかにもな貴族の子女。

 立ち居振舞いからも、社会階級が結構な高さである事が分かる。


 ただ、この状況で彼の知り合いに出くわした辺り、間が悪いというかなんというか。

 ………間宮なんて、あからさまに溜息吐いちゃってるし。


「御機嫌よう、アビゲイル様。お久しぶりでございます」

「ええ、ご機嫌よう、ゾーイ様。し、しかし、何故ここに?」

「少し息抜きの為に、買い物に出掛けておりましたの。

 それよりも、今日は私服でいらっしゃいますのね。お珍しい」

「え、ええ。この後、諸用がありまして、」


 しかし、間が悪いと感じていたのは、オレ達だけでは無かったようだ。


 貴族令嬢であろう、ゾーイさんに始終気圧され気味のゲイル。

 しかも、何故かチラチラとこちらを気にしている有様で、なんか見ていて哀れ。


 助けろとか言ってんなら、無理だからね。

 貴族なんて相手にするのも面倒くさいから、勝手にしてくれ。


「先に行く。15時に広場で落ち合うぞ」

「ま、待ってくれ、ギンジ…!」

「待ちたくない。腹の虫が、今にもストライキだ」

「わ、分かったから、頼む…!」


 踵を返して、とっとと離れる事にする。

 貴族の子女だからと言って、こちらが挨拶する理由は何一つ無いし。

 ついでに言うなら、オレ達の存在に気付いている筈なのに、眼中に無いって態度をしている女は碌なもんじゃないって、分かってるから。


 あー、腹減った。


「………も、申し訳ないが、急ぎの用事がありますので、」

「まぁ、そんな。こんな所ではありますが、折角会えたのに、」


 背後でなにやら問答をしているのが聞こえるものの、全部無視で良いや。


「(よろしいので?)」

「時間伝えたんだから、平気だろ。今は、貴族連中に少しでも関わりたくないの」

「(………とはいえ、ゾーイ様と言えば、ミリアット侯爵家では?)」


 あれ?意外と、詳しいのね、間宮。

 と思ったら、


「(確か、名前があった筈ですよ?編入受付希望の参加用紙に…)」

「………マジか」


 まさかの吃驚。

 あのご令嬢が、ウチに編入希望だったって、何の冗談だよ。


 しかも、侯爵令嬢とか、ゲイルと地位はどっこいどっこい。

 アイツも侯爵だからね。


 もう一度、首だけで振り返って令嬢の姿を見てみる。


 だが、身体付きは平凡どころかやや痩せ過ぎているように見え、筋肉なんてものがあるようには見えない。

 踵の低いヒールを履いて、膝下丈のスカートから覗く脚も細すぎる。


 ………あんなんじゃ、まず第一関門からしてクリアなんて出来ないだろうよ。

 だったら、良いや。

 どの道、今回の貴族家の編入希望受け入れの試験が終わったら、関わり合いにだってならないだろうから。


 そう思って、視線を戻そうとした瞬間、


「………なんで、オレに殺気飛ばしてるかなぁ」

「(………妬みでは?)」

「やめてよ。オレ、ゲイルの所為で後ろから刺されんのかよ」


 滅茶苦茶殺気立った視線が向けられた。

 誰に?

 例のゾーイというご令嬢からだ。


 ああ、しかも背後から足早に迫って来ている足音がある。

 つまり、ゲイルがあの手この手で、彼女の追及や追従を振り切ったという事だ。


 なんで、アイツの知り合いから、勝手にオレが恨まれる訳?


「置いていくな!」

「子どもじゃねぇんだから、迷子にはならねぇだろ?」

「まッ!?そうじゃないっ」


 はいはい、もう良いから。

 振り切って来ちゃったのはこの際仕方無いから、とっとと飯に行くぞ。


 オレ、唐突にマリネが食べたくなっちゃったけど、レストランって魚を生で出してくれてるのかしら?

 背後で、やれやれと言った様子の間宮が付いてくる。


 その更に背後で、ゲイルはまだ何かを喚いていたが、全部無視しておいた。



***



 マリネは残念ながら無かったよ。

 ただ、海老の料理が結構充実していたのと、なかなか絶妙な味加減だったので満足出来た。


 そんなこんなで、目の前に座ったゲイルがやや煩い食事を終えて。

 その後、やって来ました、商業区の奥に広がる裏路地迷路アンダーグラウンド


 まだまだ蔓延る『カナビスの草(※アヘンの事)』や、更に酷いトリップを体験出来る『煙』や『薬』なんかを常用している異常者がちらほらと見える、無法地帯。


 以前、武器商人との交渉の為に立ち入ったスラムは、まだ健全だったと今なら言える。


「喧嘩売る相手、間違えんなよ~」

「お前も、動かんか!」

「さっきの海老の丸揚げリバースしちゃうもん」

「オレもしそうなんだが!?」


 立ち入った瞬間から、洗礼であろう襲撃を受けること、既に片手の指では足りなくなる回数。

 オレが動かなくても、ゲイルと間宮が頑張ってくれる。

 おかげで、先ほどからオレは、ただ事が終わるのを待ってさくさく進むだけだ。


 別にゲイルがリバースしそうだとか、心底どうでも良い。


 別に怖い訳じゃないし、マジでリバースしそうな訳でもないよ。

 ただ、体力温存しているだけ。


 これから行く場所に、オレよりも凄腕の異世界人、つまり裏社会アンダーワールドのプロフェッショナルがいる可能性がある訳で。


 それなら、この辺の雑魚を相手にして疲れるよりも、少しでも本調子でいた方が良い。


 最悪、先ほどのように『酒呑童子サラマンドラ』に、ごり押しして貰う可能性もあり得る訳だしね。

 体力もそうだけど、魔力も出来るだけ温存しておきたい。


 なんて考えつつも、また更に進むこと数分。


 若干、ゲイルが不慣れな入り組んだ路地の道順を間違えて迷いつつ。

 更には、またまた路地の影から出て来た異常者にいきなり襲われつつ。


 それでも、なんとか15時半には、例の武器商人の事務所へと到着した。

 時間指定は無かったので、あんまり到着時間は気にしていなかった。


 ただ、こんなところに事務所構えるって、かなり大胆ね。


 見た目は酒場。

 というか、元酒場だったのか、看板の名残りがあったり、ドアにはカウベルが付いていたり。


「失礼しまーす。シュヴァルツ・ローランさんとお会いする約束をしていた者ですが~」


 なんて、口調は軽々しくも、かなり警戒をしながらドアを開く。

 やや重みのある音を響かせたカウベルが、静かな空間に鳴り響く。


 やっぱ、内装からして見ても、酒場だったんだろう。

 奥にカウンターもあるし。


 ただ、机や椅子なんかは何も無く、ガランとした空間だ。

 壁にはダーツの的のようなものが掛けられ、部屋の隅には1人掛けのソファーがあったり、本棚があったりと意外と、生活感はある。

 路地裏にある所為か、既に薄暗い部屋の中には、蠟燭が何本か立っているだけだった。


 仕方ないので、声を掛けたまま静かに待機。

 あんまり声をかけ過ぎて、小物のおうに思われても困る。


 10分待たされて誰も来なかったらソファーで寛いで、30分待っても誰も来なかったら奥に行ってみるとしよう。

 ………迷惑だと思われるのも、困るけどね。


 だが、そんな考えは杞憂だったようで、


 がつがつ、とブーツか何かが床を叩く音。

 それと同時に、奥にあった扉が開かれて、


「いらっしゃいませ、『予言の騎士』様。

 当『ローラン商会』へようこそお越しくださいました」


 出て来たのは、黒髪短髪の男。

 長身痩躯で、20代から30代ぐらいの比較的若い男だった。


 例の異世界人との特徴と一致する人物である。

 オレもそうだろうが、背後で間宮もゲイルも緊張したのが手に取るように分かった。


 そして、オレはすぐさまソイツが異世界人である事が理解出来た。


 首や腕、耳に至るまで、じゃらじゃらと付けられたシルバーアクセサリー。

 首にネックレスは勿論、チョーカーにチェーン、腕にはブレスレットやらビス付きのリストバンドやらパワーストーン。

 耳には、全体を覆うようにして開けられたピアスがずらり。

 肩耳は拡張してあるのか、オレの親指を貫通させられるだろう大振りのピアスまで嵌まっていた。


 ………分かり易過ぎるだろ、おい。


「えっと、紹介を受けてこちらに足を運んだんだが、」

「お話はお伺いしております。どうぞ、奥に………」


 そう言って、案内をしてくれた例の異世界人の男性は、物腰だけなら柔らかそうに見えた。

 ただ、気負ってはいないが、警戒しているのは当然だろう。

 纏う雰囲気は、やや物騒なもので、先ほどからどこか冷たくも感じている。


 ………部屋に入った瞬間、ぐっさりやられたりしないよね?


 しかし、そう思っていた矢先の事であった。

 扉を開けた先。


 そこで、視界の端に翻る銀色。


「………ッ!?」

「………何か?」


 思わず彼を見て、手を腰元に持って行ってしまった。

 ナイフか何か、彼の手で翻ったような気がしていたのだ。


 だが、


「(………しまった、陽動だ…ッ)」


 翻ったように見えた銀色。

 それは、彼の身に付けているアクセサリーだ。


 それが、部屋に入った瞬間に、中で灯されていた蝋燭か魔法提灯ランプに反射した。


 だが、男性が薄らと笑みを浮かべたのは見て分かった。

 今のは、完全に仕組まれていた。


 おかげで、オレがどこに武器を携帯しているのかは、この男性には分かってしまったことだろう。

 腰のホルスターに仕込まれた相棒達けんじゅうは勿論、背中に隠しているナイフまで。


 しかも、この青年の眼を見れば分かる。

 咄嗟に動いたのは、右腕だけだった。

 左腕はぴくりともしてくれなかった。

 相も変わらず活動を放棄している、麻痺をした左腕にも、今しがたのたった数秒のやり取りで気付かれてしまった。


 しくじった、と舌打ちをしたくなってしまったが、しかし。


「………いえ、失礼。先程、ここに来るまで異常者の襲撃を何度か受けておりましたので、過敏になっていたようです」

「同中、ご無事で何よりでした」


 なんとか衝動を押し殺し、不格好ながらも笑みを浮かべる事は出来た。


 こっちの異世界の男がどう動くは分からない。

 だが、警戒をし過ぎて、逆に相手にも警戒を触発させてしまうのは、二流のやる事だ。


 ここは、なるべくならば穏便に。

 それも、相手にあまり気取られない方向で、少しでもスマートに。


 しかし、そう思ってみたとしても、相手がどう感じるのかは別。


「………。」

「………え…っと、何か?」


 突然黙り込み、オレの顔を一心に凝視し出した青年。

 今度は、オレが彼に疑念を投げ掛ける番だった。


 間宮もゲイルも、どうすれば良いのが分からないとばかりに、背後で警戒をしたまま固まっていた。


 うわ、第一印象最悪だよ。

 しかも、かなり警戒度上げちゃったんじゃないか、と内心でかなり焦ってしまった。


 何とはなしに、彼の眼を見て、それから困ったように微笑もうとする。

 失敗してしまって、頬が引き攣っているのを感じたが。


 しかし、


「………コハク(・・・)?」

「(ッ………なんで…ッ!?)」


 呟かれた名前に、戦慄が走った。


 なんとか反応を示さないように、と自制したは良い。

 だが、間宮とゲイルが背後で各々反応してしまっては、全てが無意味だった。


 彼が呟いたのは、オレの名前(・・・・・)だ。

 それもオレ自身が記憶の奥底に封じ込めていて、今までほとんど思い出す事の無かった昔の名前。


 過去、オレが裏社会で生きていく傍ら、捨て去った筈の名前だった。


 瞬間、ふと眼の前の男性の口元から、微笑みが消えた。 

 その眼に宿ったのは、怪しい戦闘を示唆する猛り。


 そして、先ほどはただの陽動であった筈の銀色の輝きが、視界の隅で彼の手と共に翻る。


「なんだよ、お前(・・)生きていたのかよ(・・・・・・・・)


 いつの間にか、彼の手に握られていたのは大振りのナイフ。

 それも、オレ達にとっても馴染み深い、コンバットナイフ。


 それが、狂気とも狂喜とも思える、唇を裂いたかのように笑みを浮かべた青年の手によって、まっすぐにオレを目掛けて振り下ろされた。



***



 浮かべられた凶悪な笑顔は、狂気か否か。

 いっそ狂喜とも思えるかもしれない。


 オレの捨て去った筈の名前を知っていた彼は、呆然としているオレ達を置き去りに、突然纏っていた雰囲気を大きく変えた。


 一瞬、唇が横一線に裂けたのか、と思える程の笑みを浮かべた、異世界からの召喚者であろう青年。


 その手に翻った銀色は、ブラフでも無く、アクセサリーなんて紛い物でも無い。


 まっすぐにオレを目掛けて振り下ろされたのは、大振りのコンバットナイフ。

 刃渡りはおそらく、20センチを超えるだろう。


 それが、オレの目の前を横切る。

 気付いた時には、体が勝手に反応していた。


 足を一歩半下げ、更には背筋だけで重心を背中に落とし、最小限の動きで目の前の脅威を避ける。

 反るような格好とはまた違う、背面の緊急回避。

 一歩半という通常よりも少しだけ足を下げることで、バランスを調整した回避手段。

 オレ達の組織、というか施設では、最初の段階で教えられる手法だ。


 そして、その後はまた背筋だけを使い、頭の位置を戻したと同時、


「ふっ!」

「チィッ…!!」


 ガキン!と交差したナイフ。


 先ほど背中を反った瞬間に、既に腰元から引き抜いていた相棒。

 刃が火花を散らすようにしてぶつかり合い、コンバットナイフの柄同士がぎっちりと噛み合ったところで止まった。


 鋭く吐き出した息と、青年の舌打ちが重なった。

 そこで、改めて召喚者であろう青年の顔を見れば、


「おい、コハク。テメェ、なんだよ、その髪と眼はぁ…!」


 笑っていた。

 しかし、どこか苦しげな顔で、オレを見ていた。


「………だ、誰だよ、お前…ッ」

「ああ!?覚えてねぇとは言わせねぇぞ!

 確かに髪も眼も(・・・・)自前(・・)になっちまってはいるが、テメェとは2年(・・)も一緒に訓練(・・・・・)していた(・・・・)んだからなぁ!」


 いや、分からないから聞いたんだよ。


 彼がどうして、オレの名前を知っているのかも、ましてや何故いきなりナイフで切り付けられなければならないのかも分からない。


 だが、しかし。

 ふと、彼が呟いた言葉の中に、何やら重要な意味が含まれていると悟った。


 髪も眼も、自前(・・)

 では、元の色は、どのような色だったというのか。


 脳裏に浮かんだのは、同僚兼友人ルリやラピスの銀色だったが、おそらく違う。

 数少ない同僚達の中に、銀色の髪は彼ぐらいしかいなかった。


 なら、茶髪か金色、もしくは奇抜な色だったのか。

 そう考えると、結構な人間がヒットしてしまうのだが、更に明確なヒントはおそらく『2年』だ。


 オレと、2年も一緒に訓練していた、という人物はかなり限定される。


 オレ以外には、3名だ。


 最初は、50名近くいた筈の候補生は、オレのデビュー当時には減りに減りまくって、オレと他の3名だけになっていたからだ。

 そして、その生き残りは、元同僚兼親友アズマと同僚兼医者の悪女。

 (※ルリとは訓練を一緒になった覚えはない)


 後、もう一人は、


「………お、前、………『ハル』、なのか?」 

「ご名答!思い出すのが、遅ぇよ鈍間のろま!」


 そうだ、いた。

 確かに、これだけのアクセサリーをしていながら、かなりの腕利きだった同期がいた。


 あの時は、見事に染め上げた金色の髪に、カラコンを入れた緑色の瞳。

 黒髪に焦げ茶の眼といった日本人然りとした容姿をしているが、実は北欧人の血が入ったクォーター。


 名前を、フリューリンク・コフマン。

 フリューリンクとは、ドイツ語で『春』を意味している事から、実名が呼び辛くてそのまま『ハル』と呼び出した人物。

 命名は元同僚兼親友アズマだった筈である。

 ………同僚兼医者の悪女とかルリは、馬鹿フールとか呼んでたけど、それはそれで酷い気もする。


 そんな数少ない同期の彼を、やっと思い出したオレに、更に凶悪な笑顔を向けて来たハル。

 嬉しそうな、それでいて怒りを織り交ぜた笑顔は、再会を喜んでいるのかどうなのかは判別も付かない。


 競り合っていたナイフを上に弾かれたと同時、


「あぶね…ッ!」

「おっと、やっぱり鈍っちゃいねぇな!」


 先ほど下げていた一歩半どころか、虚空を滑るようにして飛び退る。

 バチッと下腹部から音がした。


 見れば、片脚を上げたままのハルと、その脚が掠めたであろうオレのジャケットの裾が一部刷れていた。


 あー………、これはちょっとどころか、かなり予想外。

 まさか、こんな所で知り合いと出くわすなんて思わなかった。


 またしても、オレの嫌な予感が的中した形となってしまった。


 当初聞いていた召喚者の護衛が、かなりの腕利きである事は分かっていたというのに、それがまさか同期の人間だったなんて。


「なんだよ、お前。『予言の騎士』って…!

 また、御大層な名前を背負って、こんな所で会うとはねぇ…ッ!!」

「………ッ、お、お前こそ、なんでここにいるんだ!

 それに、お前は死んだ(・・・)と聞いていたのに…ッ!」


 しかし、この状況はかなりレアな状況だ。


 オレは、彼が死んだ、とルリから聞いていた。

 聞いたのは、確かオレが助け出されてから、やっと意識を回復させた2年前。


 任務の途中で、突然いなくなって、そのまま消息不明(・・・・)となっていた。

 見つけ次第抹消しろと言う命令も出ていた筈だが、結局は行方不明のまま、死亡したという判断が下されていた。

 そして、それはオレも同じ。


 まさか、彼がこんな所にいるとは思ってもみなかった。

 例の消息不明の件は、まさかまさか、この異世界に召喚された所為だったとでも言うのだろうか。


 その証拠に、オレもコイツもこうして、ナイフを交えている。

 最後に顔を合わせたのも、5年か6年振りである。


「オレこそ、お前の事は死んだって聞いてたのにな!奇遇じゃねぇか、おい!?」


 ハルがそのまま、突っ込んで来る。

 殺気を乗せたナイフの一撃は、かなり重たい。


 捌くのも満足に出来ないまま、2撃目、3撃目と次々と振るわれるナイフを、受け止め受け流し、後退を続けるほか無い。


 突然始まった、息つく暇も無い攻防に、体が付いていかない。

 心臓が、ばくばくと煩くがなり立てる。


「ギンジ…ッ!」

「………ッ」

「手を出すな!お前等じゃ無理だ!」


 ゲイルと間宮が、困惑しながらも武器を手に取った。

 しかし、それを、オレが制止した。


 この男の力量は、残念ながらオレと同等か、それ以上だ。


 伊達に候補生に残っていた訳では無い。

 オレは刀やナイフ、アズマは銃火器や暗器、同僚兼医者の悪女は暗器と機械類、ハルはナイフと毒。

 それぞれの得意分野があって、それぞれの突出した武器をメインに、デビュー当時の任務に組み込まれた。


 中でも、やはりコイツのナイフの扱いは群を抜いていた。

 オレだって、現役時代であってもナイフを使った組み手では、必ず押し込まれていた。


 先ほど潜った筈の扉から外へ。

 そして、先ほどのがらんとした部屋の中央付近まで押し込まれ、捌くどころか受け流すのも難しい。

 体勢が崩れ過ぎて、このままだと真っ向から受け止めるしかない。


 がつり、と靴底で床を思い切り噛み、なんとか迎撃態勢を整えようとした。


 しかし、それよりも早く振り下ろされたナイフの切っ先。

 ………受け止め損ねた。


 ナイフの柄に半端に噛ませたオレのナイフが、叩き落とされる。

 床板に、垂直に突き立ったのが視界の端に見えた。


 しかも、ハルは追撃の手を休めない。

 そのまま、オレの首を掻っ切ろうと、水平に薙いだ。


 咄嗟に、腕を挟ませた。

 だが、刃物を前に人間の生身の腕など、紙切れ同然だ。


 覚悟した。

 死ぬことは無いとは思うが、痛みは相当なものだろう。

 この数日は、生傷が絶えないような、そんな厄日続きなのだと、割り切ろうとした。


 その瞬間、


『オレの客を勝手に殺すつもりか、ハル!』


 異様な空気に呑まれていた室内に、怒声が響き渡った。


「………ッ!」

「………チッ」


 舌打ちを零し、殺意の滲んでいた瞳を引っ込めた。


 オレの腕の皮一枚を削いで、ナイフは止まった。

 礼服の袖が裂けたが、薄く血が滲んだだけで済んだ。


 今の怒声が、おそらくシュヴァルツ・ローランだったのだろう。

 どうやら、ハルにとっての主人である彼が、この状況を止めてくれたようだ。


 アグラヴェインやサラマンドラ、ついでにゲイルにも匹敵する、腹に響くバリトンボイスだった。


「………命拾いしたなぁ…、」


 唇に笑みを張り付けたまま、残念そうな顔をしているハル。


 ………なんで、そんなに残念そうな顔をしているんだよ!

 5年か6年ぶりに、お互いに生存確認が取れた同期だと言うのに。


「………オレは、お前に命を狙われるようなことはした覚えはないぞ、」

「だろうな。勝手に、オレが命を狙ってただけだ………」


 ………おいおい。

 今、さらっと衝撃の事実が判明したんだが、どうしてくれる?


 なんで、仲間で同期の彼に、命を狙われていたんだ畜生め。


 そこまで言って、ハルは黙った。

 そして、今までオレを殺そうと虎視眈々と狙っていたであろう、獲物を腿に隠してあったホルスターへと仕舞い、


「おら、とっとと入れよ、『予言の騎士』様よぉ。

 ………腰が抜けて立てないってなら、オレが抱えて連れて行ってやるぜ?」


 抱えて、連れて行ってやる、だぁ?

 …。

 ……。

 ………一瞬、オレがハルにプリンセスホールドされる、シュールな図が浮かんだ。


「結構だ」


 若干食い気味に、立ち上がる。

 ハルは、肩を竦めながらオレを見下しつつ、さっさと扉へと向かって行った。


 いやはや、かなりイラっとしたけど、ハルってこんな嫌味な奴だったっけ?


 何分、オレも5年6年前の記憶が薄らいでしまっているので、デビュー当時の事しか記憶が無いんだけど…。


 閑話休題それはともかく


「大丈夫か、ギンジ」

「(お怪我は?)」


 混乱していた彼等も、なんとか立ち直ったようだ。

 先に扉を潜って行ったハルを警戒しつつ、立ち尽くしたままのオレの下へ。


 オレもこんな所で知り合いとエンカウントするとは思ってもみなかった。

 おかげで、混乱しているのはオレも同じ。


 だが、突然目の前でナイフの攻防が始まった彼等よりかは冷静だろう。


 ………ってか、アイツ、本当に何で切り掛かって来たんだ?


「………なんとか、大丈夫だ。

 ただ、『解毒』を掛けてくれると助かる」


 そう言って、先ほど薄皮の切れた腕を差し出すと、血が滲んだ箇所に青黒い沁みが浮かび上がっていた。

 ゲイルがハッとして、慌てて『解毒』魔法を行使してくれる。


 先程も言ったが、ハルの得意分野は、ナイフと毒。

 案の定、ナイフには毒がたっぷりと塗られていたらしい。

 並大抵の毒には耐性を付けてあり、ほとんど効果が表れる事は無いのだが、それでも放置する程馬鹿では無い。

 ましてや、こっちの世界の毒でもある。

 一応、警戒しておいても、損は無いだろう。


「………まさか、お前の知り合いとは思わなかった。

 そ、その、………大丈夫なのか?」

「大丈夫の意味が良く分からんが、アイツに関してはオレに任せて欲しい」


 難しい顔をして「大丈夫か?」なんて聞いてきたゲイルは、多分オレの記憶の中のハルと、示し合せているのだろう。

 ………オレ、本気でアイツに恨まれる覚えは無いんだが…。


「(………ハル、と言う方はオレも知りませんでしたが、)」

「(お前の時にはもう、訓練所にはいなかっただろうな。

 デビュー時期はオレよりも後にはなるが、訓練所にいた期間が短いのはハルも一緒だ………)」


 補足説明とするなら、オレは今言ったような訓練所にいたのはたったの2年だ。

 元々、師匠のところで修行していたので、通ったのは結局最初の1年と最後の3ヶ月程度。

 そして、その時にいた訓練所の候補生の中に、アズマや同僚兼医者の悪女、そしてハルがいた。


 本来なら、訓練所から出る為には、かなり年月が必要となる。

 オレやアズマですらも2年掛かっているのに加え、普通ならば5年や10年もざらにいる。


 ルリが驚異的な1年と言うスピードでデビューした事もあって、それほど難しくないとは思われてしまいがちだが、50名が3名に減るぐらいには過酷な場所だ。


 間宮は、確かルリの師事を受ける前に、例の訓練所にいた筈。

 今現在の年齢が15歳で、訓練所にいたのが何年なのか定かでは無いが、オレ達とは時期が被りようも無い。


 ちなみに、ハルだってデビューしたのは、3年か4年ぐらいだった筈だ。


「………やはり、難しい相手か?」

「ああ。オレも、手首に掠り傷(・・・・・・)を負わせただけ(・・・・・・・)だ」


 ゲイルの顔が更に歪む。


 先ほどのナイフでの攻防で、なんとかオレもハルのナイフを弾こうとしていた。

 手首に浅い傷を付ける程度にしか足掻けなかったものの、刃先を触れさせられただけでも僥倖だ。


 そこで、溜め息を一つ。

 今は、気持ちを切り替えて、交渉に集中しよう。

 これ以上は、先方を待たせるだけで、あまり良い顔はされないだろうから。


「………チッ!目敏く見ていやがる」


 ただ、部屋に入った瞬間に、良い顔をされなかったのはハルだ。

 先ほど手首に付けた傷に、今さら気付いたようで。


 苦笑を零して、先ほど彼がされたように首を竦めて見せれば、彼はまた舌打ちを零してそっぽを向いた。


「………お知り合いだったとは、」

「あ、ええ、まぁ。………昔馴染みの腐れ縁のようなものでして、」


 とはいえ、そんなオレを目の敵にしているハルは、放っておいて。


 改めて、扉を潜って見た先。

 扉の先には、大柄とも言える茶髪の青年が、貫禄のある微笑みと共に待ちかまえていた。


 オレとハルが知り合いだった事に驚いていたのか、苦笑を零している青年。

 先程の怒声とも一致する為、シュヴァルツ・ローランで間違いなさそうだ。


 ただ、


「………そのまま、腐れて消えちまえば良い縁だ」


 ハルからの嫌味はまだまだ続いていた。

 ………オレ、マジでお前に何か恨まれるようなことした?


「ごほん。先程は、護衛の者が失礼を、」

「………チッ」


 咳払い一つで黙らされたハルは、本格的に面白くなかったのか。

 部屋の隅にあった1人掛けのソファーに、やや投槍気味に懐いてしまった。

 ………そのまま大人しくしていてもらえるなら、ありがたい。


「ようこそ、『予言の騎士』様。

 まさか、貴方のような尊き方をお招きする事が出来るとは、思ってもいませんでした」

「はじめまして、シュヴァルツ・ローランさん。

 『予言の騎士』として推挙され、活動をさせていただいている銀次・黒鋼と申します」


 彼がシュヴァルツ・ローラン本人である事は分かった。

 だが、思った以上に若い。

 年齢は、若くて30代で、40代には届きそうにない見た目をしている。

 やや黒味掛かった茶色の髪に、ゲイルと似たような淡い琥珀色の瞳。


 先程も言ったように、貫禄が凄まじい。

 

 ゲイルと並んでも恐らくは遜色が無いだろう、がっしりとした体付き。

 それを、品の良さそうな黒のジャケットと灰色のベスト、チェック柄のような薄い青色のシャツの中に押し込めている。

 シャツから覗いている首の筋肉や鎖骨の隆起だって、かなり逞しいものだ。


 ソファーへと座る仕草も堂々としていた。

 この異世界人特有の長い手足で組まれた脚は、がっちりと逞しい上に見栄えも良い。


 部屋に入った時から芳しい香りもする。

 彼も、最近出回っているフレグランス系石鹸のリピーターのようだ。


「このような場所で申し訳ない。

 出来れば、貴方のような方をお迎えするなら、豪華なディナーの席の方が良かったかと思うのですが、」

「お気になさらず。お会いいただけただけでも、光栄ですから」

「それは、こちらの科白でございまして、」


 言葉もなかなかに上品な使い方をしている。

 それに、目上の人間でありながら、オレのような小僧を軽んじる色も見えてはいない。


 やや過剰に接待をしようとしているようには見受けられるが、それもオレとの距離を測っている証拠だろう。


 出来る。


 この異世界でも、そして裏の世界でもかなりの凄腕だと分かる。


 それに、この部屋の内装にも、彼の敏腕さがうかがえた。


 部屋には、対面しているソファーとローテーブルの応接セット。

 オレは、その対面しているソファーに、シュヴァルツさんとは向かい合わせに座る事になる。


 その更に奥に、執務机らしき大型の机と、やや豪奢な椅子が添え置かれていた。

 他にあるのは、先ほどハルがどっかりと座った1人掛けのソファーぐらいだ。

 それ以外には、全くと言っても差支えの無いほど、物が少ない部屋でもあった。


 ………もしかしたら、ここは仮設の事務所か何かだったのだろう。

 そうだとすれば、一枚食わされたとしか思えない。


 やはり、出来る。


「お噂はかねがね。ですが、もっと筋骨逞しい人物を想像しておりまして、お美しいご尊顔に驚いております」

「ああ、いや、お上手で、」

「これは失敬。どうやら、あまりご容姿には触れて欲しくないようですね」


 んでもって、早速女顔でちょっとだけ弄られたみたいだけど、愛想笑いで乗り切っておく。

 ただ、それでも女顔を気にしている事は、彼には分かってしまったらしい。


 やはり、彼はなかなかの凄腕のようだ。


「昔っからの女顔だから気にしなくて良いぞ、ヴァルト」

「ハル、しばらくは黙っていろ」

「へーいへい」


 そして、オレの女顔事情と昔からのナンパ遍歴を知っているハルからは、またしても嫌味を言われた。

 カチン、と来るのは当たり前だが、これには反応はしないように心掛ける。


 ご主人さまに注意されて、そのまま黙り込んでいて貰えばそれで良い。


「………失礼。知り合いに会えたことで、はしゃいでいるようです」

「お気になさらず」

「それにしても、先ほどの攻防はお見事でございました。

 こちらの不作法とは言え、ハルに対してここまで持ち堪えた人物を見たのは、私としても初めてでございます」

「………伊達に、『予言の騎士』として、活動はしておりませんので」


 純粋な賛美がうかがえた言葉には、きちんと愛想笑いと謝辞を述べておいた。

 またしても、面白く無さそうにハルがそっぽを向いたのが視界の端に見えたものの、本当の事なのだから謙遜はしない。


 さて、そろそろ世間話も、話の枕も終わっただろうか。

 にこり、と微笑まれたので、一応こちらも愛想笑いで返しておく。


「一応、紹介状の件はお話を伺っております。

 まさか、『セフィロト商会』の取締役と御懇意とは思ってもみませんでしたが、」

「ひょんなことで知り合いまして、多少融通を利かせていただいたまでです」


 そうそう、本当にひょんなことで知り合ったもんで。

 最初は、石鹸の流通の際の候補で、次にシャルの買い物で。

 しかも、そこで発覚したのが、ゲイルの姉って事でかなり驚いた覚えがある。


 苦笑を零しつつ、その後の彼の言葉を待った。


 だが、


「ああ、なるほど。

 ヴィクトリアは(・・・・・・・)そこにいるアビゲイル(・・・・・・・・・・)ウィンチェスター(・・・・・・・・)の姉でも(・・・・)ありますからね(・・・・・・・)


 そこで、空気が止まった。


 まさか、そこまで言い当てられるなんて、思ってもみなかったから。


 今、このシュヴァルツ・ローランは、ヴィッキーさんの事を敢えてヴィクトリアと、呼んだ。

 先ほどは、『セフィロト商会』の取締役と言っていた癖に、今はこれ見よがしに名前を出した。


 ………今の真意は、なんだ?


 それに、何故、ゲイルとヴィッキーさんが、姉弟である事を知っている?

 今、ゲイルは変装こそしていないが、トレードマークでもあった騎士団の鎧は着ていないのに、顔まで知られていたって事なら、まだ彼が分かる理由は頷ける。


 だが、ヴィッキーさんはファミリーネームまで変えているというのに、何故姉弟である事が分かったのか。

 オレだって、ゲイルが自白するまでは知らなかったというのに。


 ヤバい、と考えた時には、もう遅かった。

 驚きに染まった目線を、そのままシュヴァルツ・ローランに向けてしまっていた。


「ああ、………ご存知ではあったのですね。

 けれど、私が知っていたのは想定外だった、と言うことでしょうか?」


 その通りだ。

 図星を突かれ、思わず歯を食い縛った。


 こうして見ていると、企業家の好青年にしか見えないが、目の前にいるのは武器商人。

 言うなれば、『死』を売っている『商人』だ。

 油断もならず、ましてや弱みを見せるべきでもないというのに、オレは今馬鹿みたいに反応してしまっている。


 背筋に、冷や汗が落ちた。


「ああ、そこまで警戒しなくとも、ヴィクトリアに危険が及ぶ事はありませんよ」

「………彼女は関係ない」

「ええ、分かっております。紹介状を書いただけでしょう?

 可愛い弟の頼みごとを断れないのは、今も昔も(・・・・)変わっていない(・・・・・・・)ようで、」


 今の彼の言葉尻を捉えれば、察しは付いた。

 おそらく、彼は個人的にヴィッキーさんの事を知っているのだろう。


 ただ、なんだろう。

 彼の視線の中に混じる、自棄に嬉々とした色が気に掛かる。


 またしても、嫌な予感がした。


「失敬。余計に警戒させてしまったようですね。

 ………答え合わせは簡単ですが、少々、口汚くなってはしまいますが、ご容赦を…」


 そう言って、前置きをしたシュヴァルツ・ローラン。

 口汚く、と言っていた言葉の通り、彼は先程の嬉々とした視線を剣呑なものへと一瞬で変え、


「話していなかったとは、驚きだぜ、アビゲイル(・・・・・)

 まさか、オレの事を忘れていたから、話していなかったなんて事じゃねぇよなぁ?」


 不意打ちのように、彼はドスの利いたバリトンの声で、核心へと触れた。

 

 矛先は、オレでは無かった。

 オレの背後に立っていた、ゲイルへ向けられていた。


 しかも、その言葉の奥に潜んでいた真意。


 オレは、振り返ることも出来なかった。


「………ち、違う!オレは、貴方を忘れてなんか、」


 言い募ろうとしたゲイル。

 声音には、焦りが滲んでいる。


「だったら、なんで『予言の騎士』様が知らねぇんだ?」


 にやり、と悪どい笑みを浮かべたシュヴァルツ・ローラン。

 その表情には、怖気が走る程の憎悪が滲んでいた。


 付いて行けない。 


 何がどうなっているのか、混乱してしまって。


 どういう事だ。

 知り合いだったのか?


 いや、今の言葉のやり取りを聞いていれば、彼等が少なからず旧知である事はかろうじて分かる。


 しかし、


「はっ!………どうだかなぁ。言い訳にしちゃあ、お粗末だが?」

「ち、違う!…い、いや、違います!名前を聞いただけでは、オレには貴方である確信が無かったのです!」

「………まぁ、それでも良いや。

 オレには言い訳出来ても、『予言の騎士』様がどう思うかは、知らねぇぞ」


 なんだろう、この2人の空気は。

 旧知ではあるが、剣呑な雰囲気。

 まるで、行き違った夫婦喧嘩のようにも見えるが、絶対に有り得ないだろう。


 そして、オレは目の前に座ったシュヴァルツ・ローランの剣幕に、強張ってしまったままだ。


 なんだ、この男。

 声を荒げている訳でも無いのに、体が竦み上がる。

 こんなの、ジャッキー以来だ。


 ゲイルの瞳と似たような、琥珀色の瞳に宿るのは純粋な憎悪。

 それも、かなり煮詰まったようなどす黒さを、煮立った鍋のように沸々と溢れさせていた。


 背後で、ゲイルどころか、間宮ですらも怯えているのが分かる。


 ………いや、待て。


「………ぁ、」

「おっと…、………お気づきになられましたか?」


 思わず、小さく掠れた、間抜けな声が漏れる。


 ゲイルの瞳の色と、この男の瞳の色。

 よくよく見れば、そっくりじゃないか?


 それに、最初に会った時にも、少しだけ思った。

 ゲイルに似ている。

 並べば遜色ないだろうとは感じたが、どことなく雰囲気が似ていると感じた。

 無意識のうちだったのか、一瞬だけ重ねてしまった。


 そんな既視感を、オレは前にも一度味わっていた筈だ。

 誰でもない、先ほど表題に上がった、ヴィッキーさんに。


「………まさか、アンタがゲイルのもう一人の兄貴…?」


 そう呟いた途端。

 目の前で、悪魔が笑った。


「ご名答です。いやはや、なかなか勘の鋭い方だったようで、少しだけ驚きましたが、」


 嫌味にも似た言葉を吐かれても、オレは反応出来なかった。

 そんな彼の言葉に乗っかって、心底楽しそうにしたハルが鼻を鳴らしたのにも、反応出来なかった。


 シュヴァルツ・ローラン。

 おそらく、旧姓というか本当の姓は、ウィンチェスター。


 以前、聞いていたゲイルの兄貴だ。

 彼が8年以上も顔を合わせていないという、ウィンチェスター家を出奔した次男だ。



***



「良かったのか?」

「あん?」


 時刻は、既に夕暮れとなっていた。


 なにかと騒がしく、そしてかなりの怒りを露にしていた『予言の騎士(ギンジ)』と、その側近の子ども(マミヤ)、弟でもある王国騎士団長アビゲイルの3人が、立ち去った室内。


 彼等が去ってからぼんやりと虚空を眺めていたハル。

 そんな彼の口から洩れた声に、シュヴァルツ、もとい、ヴァルトは怪訝そうな顔をして振り返る。


 蝋燭の灯りだけでは、足りなくなる程に薄暗い部屋の中。

 重くないのか、とヴァルトが考えてしまう程のシルバーアクセサリーに蝋燭の光を反射させながら、ハルは難しい顔をしていた。


 何が可笑しいのか、自棄に今日は機嫌が良さそうだった。

 ………彼は、元々ここまで口数は多くない。


 最初は、あの知り合いだという優男、『予言の騎士』に会えたからだと思っていた。

 あの男が帰ってからは、機嫌が元通り。

 予想通りだと、内心で笑う。


 否、笑おうとした。

 しかし、今では笑えない。


 眼の前にいる信頼を置いた護衛が、酷く何かに怯えているようにも見えて、彼は内心であっても笑えなかった。


「あの武器、やっぱり渡した方が良かったんじゃないのか?」

「………今更、怖気付いてやがんのか?」


 ヴァルトが視線を向けた先には、ハルのアクセサリーに埋もれた手首があった。

 その中に、真新しい傷があるのも、しっかりと見た。


 思えば、この護衛としてであれば優秀な男が、手傷を負ったのを見るのは初めてだ。


 普段は口数も少なく、やっている事と言えば自身の傍らにひっ付いて、自作のアクセサリーやナイフを弄っているか、もしくは危険な毒薬の調合表と睨めっこをしているか。

 どの道、この異世界から来たという青年が、自身の護衛以外の荒事を自発的に行う事は無かった。


 だというのに、今日は違った。


 荒事を自発的に行い、更には自身が止めるまで自制しなかった。

 自身の護衛と言う任すらも放り出して、彼はあの『予言の騎士』を、半ば本気で殺そうとしていた。


 もし、あの時、ゲイルか連れの子どもが、自身に矛先を向けていれば。

 そう簡単に殺されてやるつもりは無かったが、今頃はこの場にいなかった可能性もある。


 護衛としては、致命的なミスだ。

 護衛対象から、完全に意識を外してしまっていたのだから。


 明らかに、この青年は、『予言の騎士』ことギンジ・クロガネに、並々ならぬ殺意を持っている表れだった。


ーーーー『予言の騎士』からの面談の要請があった時。


 妹であるヴィクトリアからの紹介状を持って来たのは、素直に驚いた。

 ただ、それも騎士団長ゲイルという護衛がいるからには、当然と言えば当然だった。


 そして、ヴァルトは、すぐに用件への当たりを付けていた。

 

 それは、いつぞやに持ち込まれた、新兵器。

 魔法も使わず、かなりの長距離での攻撃、殺傷が可能となっている武器。


 『タネガシマ』と呼ばれた、火薬で鉛玉を撃ち出す武器だった。

 それが、10本。

 まとめて、持ち込まれた。


 初めてこの存在を知った時、総毛立ったのは今でも覚えている。

 このような武器は、39年生きて来て初めて見た。

 そして、火力の安定しない火薬を使って、これだけの威力を持たせた事には、心からの賛美を唱えたものだ。


 持ち込んだ男の顔は、フードを被り、口元もマスクで隠していた為、分からなかった。

 しかも、設計図まで持ち込んだ挙句、第一声が「どれだけの期間で売り捌ける?」だ。


 明らかに、男は裏社会に精通していると分かった。

 それも、かなり深いところとも、繋がっているとも思えた。

 自身もそれなりに長い期間、この表と裏の顔を使い分けては来たが、ここまで完全に染まり切った人間を見たのも初めてだった。


 それでも、彼にとって、今回のこの武器の存在は、千載一遇のチャンスだった。


 返事は、した。

 3ヶ月後だ、と。


 方々へと所連絡をするのが、1ヶ月。

 設計図込みで、量産出来る環境を自分で整えてくれる買い手を探すので1ヶ月。

 残りの1ヶ月は、その買い手との交渉と自分自身の移動へと費やす。


 だから、3ヶ月だと、最初に説明した。


 フードの男は、満足したように金額を提示した。

 今後、他国へと進出しようとしていた資金が、おおそよそ半分は飛ぶ金額だった。


 しかし、決して悪い買い物では無かったと思っている。


 これだけ有能な武器であり、設計図もあるならば、戦争の気運の高まっている国には高く売れるだろう。

 量産が出来れば、この南端の国に留まっている理由すらなくなる。


 世界が、自身の存在と、この武器を欲しがるだろう。


 だが、ひとつ。

 この『タネガシマ』を持ち込んだ男が、何故か警告をくれたのは良く覚えている。


「『予言の騎士』には気を付けろ。

 きっと、この武器の事もすぐに嗅ぎ付けて、奪いに来るだろうからな」


 その時は、確かまだ『予言の騎士』という人物が召喚されたのは知っていても、どんな人間かは知らなかった。

 調べる気も起きなかったこともあって、放置していた。

 おかげで、調べる気にもなったし、調べて色々な事も分かった。


 ただ、何故、奪いに来るのか。

 そう聞けば、男はマスクで隠れて分からない筈の口元を、歪めるようにして笑っていた。

 そんな気がする。


「あの男は、他人のものを(・・・・・・)奪い取る天才(・・・・・・)だからさ。

 男も女も子どもも関係なく、おそらく人間も種族も、物だって名誉だって例外じゃ無い」


 今でも、この時の男の眼は覚えている。

 フードで隠れて良く見えなかった瞳が、この時ばかりは憎悪に塗れて爛々と光っていた。


 信じるか信じないかは、彼自身が決めること。

 しかし、ヴァルトは信じる事を決めた。


 この男の眼は、自分も見たことがある。

 鏡を通して見た、自身の昔の眼と同じだったからだ。


 父を憎み、死んでいった母を恨み、弟を妬んだ、自身の眼とそっくりだったからだ。


 男はそのまま、金だけを受け取って消えた。

 その後は、裏社会どころか、ダドルアード王国界隈でも見た者はいないらしい。


 ただ、男が消えたからと云って、『タネガシマ』を売らない理由は無い。

 約束はしたのだ。

 3ヶ月で売り捌くと。

 期限は来月に迫り、既に買い手も見つかっている。


 そんな時に来たのが、今回の武器の購入の打診だった。


 最初から決めていた。

 この『タネガシマ』を、『予言の騎士』に売ることはしない。

 そう、最初から決めていたのだ。


「………それにしてもよぉ、アンタあんなに女好きだったか?」

「ああ?なんだよ、藪から棒に、」


 ふと、少しばかりぼーっとしていた事に気付くヴァルト。

 そんなヴァルトに気付いてか否か、ハルは1人掛けのソファーに座ったままのだらけた姿勢を、突然正す様にして跳ね起きると、不可思議な質疑と共に首を傾げた。

 一瞬、ヴァルトも言われた意味が分からなかった。


 確かに、女に飢えている自覚は無い。

 武器商人になってからは、かなりの数の女に言い寄られている。

 以前の名前の時は、ほとんどが地位や弟目当てだった女達が、金目当てに変わっただけではあった。

 だが、それでも貴族の相手よりはマシな、娼婦や水商売の女ども。

 女なんて、呼べばすぐ来るから、困った事は無い。


 だが、女好きかと聞かれれば、そこまで傾倒している訳では無い。

 なので、ハルの質疑は、言われた意味も分からなければ、その真意も分からなかった。


「だって、欲しかったんだろ?あの学校の生徒とか、エルフ?だっけか、女子ども………」

「………ああ、あの話か」


 それは、自身が出した、交換条件の話だった。


 本題に入った『予言の騎士』は、とにかく綺麗事を並べていた。

 危険だの戦争は嫌だの、挙句には『予言の騎士』としての責務を持ち出して来た時には、鼻で笑った。


 知るか、そんなもの、と。


 それに、調べたからこそ分かって来た噂。

 あの男には、一時期騎士団の中や、一部の街人、冒険者ギルドでも、下世話な噂が多かった。

 本当かどうかの真偽すら馬鹿馬鹿しいものもあれば、確証が得られるような噂もあった。


 調べて来たのはハルで、彼もあのフードの男の話には頷いていた。

 だからこそ、信じた噂も多い。


 その上で、出したのがその、交換条件。


 自身の生徒達、しかも女子どもを優先的に差し出せ、と言ったのだ。

 勿論、最近関わるようになったらしい、森子神族エルフらしき親子も含めて、差し出す人数に応じて本数を交換する、と。


 別に女好きだったから、出した条件では無い。

 言うなれば、そう言った時の彼の反応と行動を見たかった。


 そうして、条件を口に出した時。


 ふ、とヴァルトは思わず口元を歪ませた。


 その時の、『予言の騎士』の反応は見るからに愉快だったからだ。


 怖気が走るような殺気すらも滲ませながら、いっそ滑稽な程に怒りを露にした『予言の騎士』。

 あの小奇麗な顔と愛想笑いで誤魔化していたであろう、本性が垣間見えた。


 背後にいたゲイルも恐々と、その隣にいた連れの子どもは今にも卒倒しそうになっていた有様だった。


 だが、そんな脅しは自分には通用しない。

 裏社会では、この程度の殺気を滲ませた相手なら、そこら辺にごろごろと転がっている。


 だから、恐れるものでもない、と一蹴していた。

 それどころか、次はどうする?と面白半分で、彼を眺めていた。


 しかし、そんな自分の予想に反して、暴発はしなかったのか、そのまま黙って出て行った彼。

 後ろのハルが何か言いたげにしていたが、目線を向ければ黙り込んだ。

 そう、気になることでも無かったのだろう。


「なにを、あんなに目くじら立てる理由があったのかねぇ。

 まぁ、あの噂の通り、生徒を娼婦代わりにしているってんなら、自分の物を盗られるとでも思ったのか、」


 そう言って、シガレットを片手に、からからと笑う。

 それを聞いた時の弟の反応すらも思い出して、今ならば酒が美味しく飲めるだろう、とハルを誘おうと振り返った。


 そんな時だった。


「………気付いて、無かったのか?」


 その場で、真っ青な顔をした彼は、呆然とヴァルトを見ていた。


 そんな彼の眼には、先ほどのように怯えているような、等という生易しい表現は、使えそうにも無かった。

 その場で、発狂しそうな程の、恐怖で揺れた視線とかち合ったからだ。


「………お前、あの話を本気で続けていたら、死んでたぞ………」


 先ほどの女がどうのという話をしていた時と同じく、一瞬、何を言われていたのか、分らなかった。


 死んでいた?

 自分が?

 あの顔だけが整った貧相な男に睨まれただけで?


 まさか、そんなわけがないだろう。

 そう、言い含めることは簡単だった。


 しかし、今のハルの姿を見て、ヴァルトは二の句は告げない。

 こんな姿を見るのも、ヴァルトにとっては初めてだったからだ。


 手傷を負った時と同じく、彼が無感動で愛想の欠片も無い無表情を崩したことも、それどころか、このように恐怖に怯えている姿も。

 今日は、ヴァルトにとっても、初めてなことが多い。


 さすがに、気のせいだと軽んじることは、出来そうになかった。


 そこで、


「貴方、本当に気付かなかったの?」


 ふと背後から掛けられた声に、思わず振り返る。

 居るのは分かっていたのに、ハルの恐怖か何かで竦み上がった様子に触発され、自分でも驚いてしまった。


 かちゃり、と扉が開く音と共に、ヒールの音。

 声の調子と同じく、そのいつもは小気味良いヒールの音にも、心無しかいつもの覇気が感じられなかった。


 扉から顔を覗かせたもう一人の客人。


「………一瞬、私も死んだかと思ったわ」


 そう言って、いっそ死人かと思うほどの血の気の引いた顔で、自分自身を見ていた。



***



 帰り道、オレはかなりキレていた。


 とにかく、早く校舎へと帰りたい一心で、早足で進む。


 今はとにかく、生徒達に会いたかった。

 ラピスやシャル、ローガンやアンジェさん、なんだったらライドやアメジスでも良かった。

 会って、生徒達やラピス達の無事を確認して、安堵したかった。


 だから、早足で帰路を急ぐ。


 間宮は、既に駆け足。

 ゲイルですら、追いつくのに必死だった。


 そんなゲイルの事を、今はもう存在すら意識したくないと、心の底から思ってしまう。


 どれもこれも、全て彼の所為だ。

 オレがここまで激怒していて、更には、ゲイルの兄、シュヴァルツ・ローランとの交渉が全く出来ないまま終わったのも、全て彼の所為だ。


「す、済まなかった、ギンジ…!」

「もう遅い!」

「知らなかったんだ…!いや、確信が無かったんだ!」

「黙れ!言い訳なんて聞く気はない!」


 もうすっかり、夕暮れに染まった街の中を、早足で通り過ぎる男達。

 傍から見れば、異様な光景だろう。


 一人は早足、一人は駆け足、もう一人はそれに追い縋っている。

 しかも、子ども染みた弁解をしている最後の一人を、口汚く一蹴する。


 客観的に、見て非常にシュールだ。

 そして、オレにとってはそうやって、客観的に見ることで現実逃避をしている。


 だって、もう何も考えたくない。


 警戒していた召喚者の護衛が、まさか自分の同期だったなんて思うか?

 しかも、その護衛を雇っている人物に交渉しようとしている側に、身内がいるだなんて誰か思うか。

 更には、それを秘匿していた。

 誰でもない、本人ゲイルがだ。

 名前を聞けば、もしかしたらぐらいは考えることだって可能だった筈だ。

 確信が無かったとか、知らなかったとかでは済まされない。


 しかも、その所為で、交渉が決裂したなんて。


「頼む、待ってくれ!話を、」

「聞く気は無い!もう、お前の話なんて聞きたくも無い!」

「良いから聞いてくれ!」


 無理やりに掴まれた腕。

 一応は、学習能力があったらしく、左腕は掴むことは無かった。


 だが、それでも、触れられた瞬間に感じた怖気は、かなりのものだった。

 ああ、本格的に、オレは彼に対して拒否反応を示している。


「触るな!」


 無理やりに、振り払った。

 しかし、ゲイルも負けじともう一度、オレの腕を掴む。


 今度は、後ろからでは無く、わざわざ回り込んで。


「頼む、話を聞いてくれ!オレだって、こんな事になったのは不本意だ!」

「どの面下げて、テメェがそれを言うんだ!!

 お得意の秘匿癖の所為で、何もかも台無しにしたテメェが…!!」

「済まない。………も、もう謝って済む問題では無い事も、分かっている…ッ」


 もう、謝って済む問題じゃない。

 その通りだ。


 少なからずオレが関与した面もあるだろうが、彼の所為で今回の交渉は完全に失敗した。


 コイツの所為で、シュヴァルツ・ローラン改めウィンチェスターの機嫌は急降下だ。

 ハルの時点でかなり下がっていただろうに、一気に氷点下を下回った。

 コイツが、シュヴァルツ・ローランが自身の兄である事を、オレに隠していた事が一番の要因で。


 なんとか気を取り直したは良い。

 コイツを詰るのは、全てが終わってから、と思考を切り替えた。


 だが、結局は、本題を話しても相手にされず、引き摺り出された条件も最悪だった。


 おかげで、オレの機嫌だって、氷点下通り越して絶対零度。

 今は、怒りで頭がどうにかなりそうだ。


あった(・・・)のに!シュヴァルツ・ローランは、例の武器を持っていたんだぞ!

 あの口ぶりなら、設計図だって持っている筈だ!

 量産でもされたら、本当にこの王国も終わっちまうぞ!!」


 そうだ、あったのだ。

 アイツの手元には、おそらく例の武器、火縄銃やマスケット銃の本体があったのだ。


 しかも、あの口ぶりからすると、確実に売る算段も量産する算段も付けている。

 もしかしたら、今にも取引が始まるかもしれない。


 なのに、引き摺り出された条件は、飲み込むことすらも容易では無い。


「テメェの所為で、女子達を奴隷にしろと言われたんだぞ!!

 エマやソフィアも伊野田も、シャルやラピスすらも差し出せと言われたんだぞ!?」


 女を売れ。


 そう言われたのだ。


 にやにやと笑いながら、女の生徒達を優先的に奴隷として持ち込め、と。

 そして、あろうことかシャルやラピスの存在まで、シュヴァルツ・ローランには漏れていた。


 女の奴隷は、かなりの値段になる。

 人間であってもそれは同様で、シャルやラピス達のように森子神族エルフともなれば、数倍以上の価値になる。

 彼女達の存在を明るみに出したくないのは、その所為だ。


 なのに、シュヴァルツ・ローランには全てバレていた。

 そして、それをネタに、強請ゆすられた。


「それもこれも、テメェが秘匿していた挙句、オレにも話していなかった兄貴本人だったからだ!

 その兄貴本人に、テメェが個人的な恨みを持たれていたからじゃねぇか!」


 何で言わなかった?

 おかげで、彼の機嫌が悪くなったのは勿論、聞く耳すら持って貰えなかった。


 最初から、分かっていれば。


「分かっていれば、テメェなんて連れて来なかったのに!

 テメェの行動一つで、全部台無しになった!」


 ゲイルでは無く、多少心苦しいにしてもローガンやライドを連れて来れば、面子は十分だった。

 最初から分かっていれば、コイツに振り回されることも無かったのに。

 

 コイツの秘匿の所為で、何もかもが失敗した。

 今後、もう面談の要請をしたところで、応じて貰うことは難しいだろう。


 それに、あのシュヴァルツ・ローランには、護衛のハルがいる。

 ナイフの扱いにかけてはオレ以上の腕前を誇る彼がいるのに、当初考えていた強奪作戦は使えそうもない。


 少しならば、やりようはある。

 だが、それはかなり綱渡りの面が大き過ぎて、実行に移せない。


 手詰まりだ。


 どこか、脱力感を覚えて、怒鳴る気力すらも無くなってしまう。

 そんなオレを見て、彼はまだ何かを言いたげだった。


 でも、止めてくれ。

 お前は、もう取り返しのつかない事をしてしまったのだ。


 溜息と共に、覚悟を決めた。


「………元々、話を持ってきてくれたのは、お前だった。

 そこだけは、感謝してる」

「………な、にを、突然…」


 まず最初に伝えたのは感謝だった。

 今まで、オレの変なプライドが邪魔して言えなかった感謝。


 けど、もうそんなプライドもどうでも良い。

 コイツ相手には、もう意固地になる必要はないのだから。


「………けど、結局はお前の所為で、ヴィッキーさんの好意も、オレ達の期待も無碍になった」


 そうして、続ける台詞に、ゲイルは表情を青褪めさせた。

 気付くのが遅い。

 彼は全部、遅すぎるのだ。


 紹介状を書いてくれたのは、姉のヴィッキーさん。

 武器の入手を勝手に期待していたのはオレ達だが、ゲイルの行動一つで、そのヴィッキーさんの好意は無駄になった。


 ここまで偶然が重なったのだから、きっと、彼女はシュヴァルツ・ローランの事はとっくの昔に兄妹だと分かっていてだろう。

 それをゲイルに託したのは、想像に易くは無い。

 兄も弟も想っているからこそ、苦肉の策だったのかもしれない。


 だが、それも全て無駄になった。


 そして、この国は戦争の脅威にも晒される事になるだろう。


 あのシュヴァルツ・ローランがあの武器を、この国に対して売るなんて事は考えられない。

 彼の口ぶりからすると、この王国だって彼の憎悪の対象だった。

 確実に、他国へと売る。

 そして、その資金を足掛かりに、他国へと足を伸ばし、量産へと取りかかるだろう。


 しかも、あの火縄銃やマスケット銃が開発されたのなら、オレがいつか使ったことのあるガトリング等の大型銃器だって、近いうちに開発される。

 そうなれば、魔法なんていらない。

 ヨーロッパの世界地図を塗り替えた惨劇が、この世界でも起こる。


 悪夢だ。


「………国王には、防衛を強化しろと伝えておけ」

「………。」

「後、しばらくは、お前の顔も見たくはない」

「………ぎ、ギンジ、それは、」

「それは、………何だ?」


 まだ、言い募るのか?

 まだ、オレ達に関わりたいとでも言うのだろうか?


 これだけ、掻き回しておきながら?


「なぁ、もううんざりだよ。お前、オレに隠し事しただけでは飽き足らず、オレ達の生活まで無茶苦茶にしたい訳?」

「そ、そんなつもりは…ッ!」


 おそらく、彼の言葉通り。

 そんなつもりなんて、微塵も無かったのだろう。


 だからこそ、厄介なのだ。


「無自覚なのかもしれないけど、もう十分迷惑を被ってんだよ。

 お前、今まで誰も教えてくれなかったから知らないのかもしれないけど、行動自体がまるで子どもじゃねぇか」


 言いたくない事があるから、隠す。

 聞かれたくない事だから、誤魔化す。

 知られたくない事があるから、言わない。


 しかも、それが他人の為ではなく、全て自分の為の嘘だ。

 自分を守る為に吐いた嘘で、コイツは自分自身の行動を全て台無しにしている。


「言ったよな?隠しごとは無しだって。

 オレの記憶を知った時に、お前は『共犯者』になって貰うって、オレはそう言ったよな?」


 確かに、オレだって知られたくない事の一つや二つ、持っているさ。

 それでも、最悪な形だったとはいえ、コイツに知られてしまった。

 だからこそ、コイツを『共犯者』として、オレの至らないところをフォローしてくれるように、傍に置いていたんだ。


 なのに、コイツには隠し事が多すぎる。

 数えて何度目になるのかも、もう考えたくはない。


 きっと、両手の指でも足りなくなるのでは無いだろうか。


 ましてや、以前ラピスの家に襲撃して来た時には、完全に矛先を彼女達に向けていた。

 他人を犠牲にしようとしていた。

 おれが何とかすると言っていた兄貴の件に、先走って。


 隠しごとだけだったなら、まだ許せた。

 でも、あの事件があった事を受けて、コイツはオレを信頼していないって事が、遠回しに分かってしまった。


 そんな奴、『共犯者』なんて言えない。

 言わない。


「信頼されてないんだから、信頼だって出来ない。

 お前が起こした行動は、全部お前の不信感に直結してる」

「………ッ、そ、それでも、オレは…ッ!」


 言い募ろうとしているのは分かるが、明確な言葉を発せそうには無かった。


 ゲイルの顔が、泣きそうに歪む。

 何度目になるのか分らない、コイツのこの表情。


 もう、何の感情も浮かばなかった。


「友達なんて、言えない。『共犯者』とも言えない。

 信頼して無いんだから、護衛としてだって本来なら傍にも置けねぇよ」


 だって、コイツのは義務だ。

 忠義でも友情でもない。


 命令されているから、護衛を引き受けているだけだ。

 だったら、こっちだって義務として扱うしかねぇだろうが。


 そう思って、最後の一言を吐き出そうとした。


ーーー「もう、来なくていい。関わらないでくれ」、と。



***



 しかし、


「あら、ご機嫌よう。『予言の騎士』様」


 それを言う前に、掛けられた声。

 唐突だった。


 からからり、と車輪の音を響かせ、すぐ横で馬車が止まった。

 窓から掛けられた声は、聞き馴染みのある女性の声だ。


「ヴィッキーさん」

「こんばんわ、ギンジ様。こんなところで、奇遇ですのね?」


 馬車の窓から顔を覗かせたのは、豪奢なドレスと帽子姿の女性。

 名前を呼んだ通り、今目の前でオレに叱責されていた、ゲイルの姉、ヴィッキーさん。


 奇遇だ。

 確かに、奇遇だが、何故か気になった。


「何故、ここに?」


 ここは、商業区ではあるが、端に位置している。

 しかも、一歩大通りを外れればスラム街なんていう、危険な場所でもあった。


 そんなところに、大手商会の代表取締役が、見るからに豪華な馬車とドレス姿で何をしているのか、と。


「うふふ。昔馴染み(・・・・)に会いに行った帰りでしたの」


 そう言って、扇子を開いて微笑んだ彼女。

 隠された口元が、嫌に扇情的に微笑んでいたようにも見えた。


 相変わらず、色気も度胸もある人だな。

 オレなら、こんなところに頼まれたって、もう来たくないってのに…。


 そう思っていた矢先に、


「それよりも、差支え無ければでよろしいのですが、ウチの三男坊貸してくださる?」


 話題変換の後、ヴィッキーさんにご指名を受けたのは、ゲイルだった。


「ええ、どうぞどうぞ」

「お、おいっ…!?」


 一も二も無く、オレはゲイルを差し出した。



***



 ゲイルはそのまま、ヴィッキーさんに搔っ攫われて行った。


 渋るような素振りがあったが、オレが彼を馬車の梁に頭をぶつけようが何をしようが御構い無く、押し込んだこともあって、そのまま連れて行かれた。

 ………ドナドナ。


 正直、アイツにとっては、救いだったのかもしれない。

 オレとしては不完全燃焼としか言えないが、顔を見るのもうんざりしていたから、頃合いとしては丁度良かった。


 ただし、


「………中に、何人乗ってた?」

「(おそらく、ヴィッキー様も合わせて3人かと。

 あと、石鹸の匂いに紛れておりましたが、血の臭いが微かにしておりました…)」

「だよなぁ…。………やっぱり、ヴィッキーさんもあの場にいたんだ(・・・・・・・・)


 気になっていた事は、案外すぐに分かった。


 こんな所、例え護衛を連れていたとしても、彼女のような元貴族のご令嬢が来る場所では無い。

 それが、有名な商会の代表取締役であってもだ。


 おそらく会っていた人物とやらも、昔馴染みとは言っていたが兄で間違いない。

 シュヴァルツ・ローランだ。


「………オレが覇気を出した時、もう一つの扉の奥でかなり怯えている気配があった。

 おそらく、ヴィッキーさんだ」

「(ええ。同じフレグランス石鹸の匂いもしておりましたから、間違いないでしょうね)」


 恥ずかしながら、またしてもオレは覇気とやらを発してしまっていた。

 言われても気付かなかったオレが、今回ばかりは自分自身で気づいた。


 そして、その後に齎された反応も。


 シュヴァルツ・ローランには、あまり効果が無かったようだったが、ハルや奥の部屋にいたもう一人、おそらくヴィッキーさんには、劇的な効果を齎していた。


 詳しくは聞いていないが、ラピスが言っていた。

 上位種族に多い、特有の威圧感のようなものだと。


 感じ取れるのは、同等かそこそこの力量をもった人間か、あるいは本能的な危険察知能力に優れた人間かのどちらかだとも、言われていた。


 おそらく、力量としてハルが、本能的に危険察知にヴィッキーさんが反応した。

 そう考えると、シュヴァルツ・ローランは、平然としていたのが多少気になるが、まぁ、今となってはどうでもいい。


 そういや、部屋に入った時から感じていた、石鹸の香り。

 あれも、どうやらシュヴァルツ・ローランだけではなく、ヴィッキーさんのものも混じっていたようだ。


 つまり、彼女もあの場所にいて、先ほどの話を聞いていたと言うこと。


 更に気になるのが、間宮が微かに感じた血の臭いだろうか。

 血の臭いは、今のオレにも染み付いている。

 多少薄れてはいるが、同じく、その臭いが染み付いた人間には、心当たりがあった。


 ………嫌な予感はしている。

 浚わせたのは自分でありながら、やや早まった気がしないでもない。


「………でもまぁ、ヴィッキーさんもいるし、大丈夫だろうよ」

「(………。)」


 間宮は、まだ難しそうな顔をしていた。

 ただ、これ以上は、オレ達が考えても無駄だろう。


 ヴィッキーさんが、何をしたいのかは分からない。

 何故、オレ達とシュヴァルツ・ローランの話を聞きたかったのかも分からない。


 ただ、ひとつだけ言えるのは、彼女が決して悪意を持っていた訳では無いと言う事だ。

 オレに対しては勿論、ゲイルに対しても。


 閑話休題。


「帰ろう。今日は、もうゆっくり休みたい」

「(………やっと、自発的に休むと言ってくださり、ホッとしております)」

「………お前の中のオレって、かなりのワークホリッカー?」


 心の底から、平穏が欲しいと感じた。

 口から漏れ出た声は、誰が聞いても疲弊していると感じる声で、我ながら情けなく感じてしまう。 


 それを聞いた間宮が、何故か心底安心したような顔をしていた。

 それにも、ついつい笑ってしまった。


 それに、また首をもたげ始めたのは、生徒達と会いたいという願い。

 安心したかった。


 この歳になるまで、懐郷病(ホームシック)なるものを感じたことも無かったというのにな。


「初めて、家があるのが、心底嬉しいと思った」

「(同感です)」


 最近嫌なことが続いているとは思う。


 新たに発覚した、オレ達とは別の召喚者達。

 オレの名を騙った頬に傷のある冒険者。

 オレ達の預かり知らない所で開発された、最先端の銃火器。

 そして、今回の武器を手に入れる為の交渉決裂と、ゲイルの秘匿の件。


 それでも、投げ出さないでいられるのは、きっとそのおかげだと思った。

 家があるから、帰る場所があるから、信じている者がいるから、まだ頑張れる。


 ………存外、悪くは無いと感じている自分がいた。



***



 からから、と車輪の音が響く。


 今、自分がいるのは馬車の中。

 なんで、こうなったのか、自分でもいまいち分かっていない。


 半ば無理やり押し込まれた時に強打した頭の痛みと、投げ付けられた言葉の数々に苛まれる胸の痛みは、熱を持ったようにして疼く。


 思えば、彼を怒らせてしまったのは、これで何度目だろうか。

 最近は、何をやってもうまくいかない。


「これは、貸しにしておいてあげるわ、お馬鹿さん」

「………姉さん、」


 今も、そうだ。

 無理やり押し込まれた馬車の中に、待ち構えていた姉さん。


 そして、その奥に座っていた先客の目線が酷く、痛いと感じる。

 最悪、命の危険もあると、考えてしまっている。


 しかし、


「あのまま怒られていたら、お役御免も有り得たのでは無いかしら?

 ………まぁ、どの道、貴方が『予言の騎士』様に言われた通り、その子ども染みた考えを改めない限りは、また同じことが起こるとは思うけれど…」

「姉さん、」

「あら、それともお役御免になりたかったから、ああして人の目の多い往来で怒鳴られていたのかしら?

 仮にも由緒正しい公爵家、ウィンチェスターの三男坊を公然と叱るとは、『予言の騎士』様もなかなか恐れ知らずだわ」

「…姉さん、ちょっと、」

「ああ、そういえば、あの方も今では国賓と同じ扱いだったわね。

 なら、納得とも言えることかしら?

 あの若さで、あれだけ達観しているのも、珍しいものだけれど、言動にも力があるものだわ。

 貴方も見習いなさい?

 ただ、今後どうなるのかは、知らなくてよ?

 叱られるようなことをしたのだから当然だけれどね」

「姉さん!」


 そんなオレの内心は放ったらかしで、姉さんが淡々と告げる小言。

 耳にも、胸にも痛い、図星を突かれた言葉の数々。


 無理やり、声を荒げて止める。

 このまま延々と聞き続けていれば、発狂してしまいそうだった。


「なぁに、声を荒げたりして、落ち着きの無い」

「こ、こんな状態で落ち着ける訳が無いだろう!」


 姉さんに窘められたとしても、今はそれよりも目の前の先客が問題だ。

 先ほどから突き刺さっている(ように感じている)視線も、このまま延々と感じ続ければ発狂してしまうレベルのものだろう。


 先ほどの、ギンジが覇気を発した時にも感じた、悪寒。

 背筋が一瞬でぐっしょりと濡れ、冷たくなって張り付いている感覚が、さらに強くなっている。


 当たり前だ。

 そのギンジを怒らせた当の本人が、目の前にいるのだから。


「あら?久しぶりに会えた、実の兄弟と一緒だから落ち着けないとでも?

 まだまだ、子どもなんだから…」

「そ、そうじゃない!…だって、この人は…っ」

「貴方の実の兄で、8年も会えなかったシュヴァルツ兄様よ」

「そんなこと分かっている!」


 相変わらず、姉さんは冗談なのか本気なのか、分からないままで話を淡々と進めようとしてしまう。

 いつも思うのは、馬鹿にしているのではないか、という猜疑心。


 目の前にいるのは、確かにシュヴァルツ兄様だ。

 オレが今日、8年ぶりに再会した兄の一人。


 腕を組み、目を閉じて、静かに馬車の揺れに身を任せている彼。

 寝ている訳ではないというのは、彼から感じている威圧感から嫌でも分かっている。

 背丈はオレと同等であるからして、肩幅に開いた足が馬車の中では更に窮屈そうだ。


 そして、その隣にいるのは、先ほどギンジをナイフ一本で窮地に追いやった、異世界人の護衛の男。

 確か、ハル、と言っていた筈の、剣呑な雰囲気を纏った召喚者。

 こちらも、ギンジと並ぶほどの背丈をしていたので、やや窮屈そうに窓枠に腕を掛けてこちらを見ていた。


 オレがこの馬車に乗った瞬間から、彼らがここに乗っていた。


 否が応でも、自身が危険であることは分かっている。

 分からなければ、ただの馬鹿だ。


 そも、姉さんも姉さんだ。

 職務が忙しくて顔を合わせたのも、シャルの買い物の時が数年ぶりではあった。


 だが、相変わらずの子ども扱いと、冗談かも判別出来ない話し方には、辟易とさせられてしまう。


 各所に厭味が織り交ぜられているのも、相変わらずだ。

 ………雰囲気が、実はギンジとも似ているから、地味に居たたまれなくなっているのも事実だが。


「分かっているなら、しっかりと挨拶をなさいな」

「………姉さんが、口を開かせてくれなかったのではないか」

「あら、人の所為?これだから、『予言の騎士』様にも、子ども扱いされてしまうのでなくて?」

「………っ!…ギンジのことは、今は関係ない」


 ああ、もう、本当にこの人と話すと、疲れてしまう。


 実の姉であるからして、嫌いではない。

 嫌いではないが、こうしておちょくられているような言葉を投げかけられる度に、返答に窮してしまって目が回ってしまうのだ。


「今は、関係なくても、貴方が職務に戻った暁には、関係がつながるのよ」

「………ッ、分かっている」


 そして、回りくどいかと思えば、いきなり核心に踏み込んで来る一言。

 図星で、事実。


 胸が出血するのではないかと思うほど、痛みを訴えた。


 しかし、ふとそこで、


「オレは、姉弟喧嘩を聞きに来た訳じゃねぇぞ」


 馬車の中に響く、オレよりも低く、また背筋が冷たくなるような冷やかな声。


 今まで、黙ってオレ達のやり取りを聞いていたヴァルト兄さん。

 先ほどまで目を瞑っていた彼が、オレと同じ琥珀アンバーの瞳を開いたと同時、


「なんで、言わなかった?

 あの『予言の騎士やさおとこ』に、オレと兄弟であることを………」

「………。」


 開口一番に聞かれた言葉には、押し黙ってしまう。


 言えるものか。

 確信が無かったのは本当のことだったが、もしかしたらという予感はしていたのだから。


 だが、それは言えない。

 言ったら、どうせまた信じてもらえず、隣の小言魔ねえさんからもからかわれるのは分かっているから。


「………だんまり、か。

 お前は、そうやって、言いたいことだけ言って、言いたくないことは全部隠したがる」

「………っ、そ、れは、」

「あの優男も、それが嫌なんじゃねぇのか?

 だから、35にもなるテメェが、往来であんな青二才に怒鳴られることになるんだよ」

「………ギンジは、優男ではあるが、青二才ではない」

「なるほど?テメェとは雲泥の差だな?」

「………っ」


 結局、押し黙ってしまう。


 いつもこうだ。

 8年ぶりではあるが、兄と話すといつもオレは委縮してしまう。


 一番上の兄はそうでも無かったのに、二番目の兄であるヴァルト兄さんにはオレが槍術を習い出したばかりの子どもの頃から、苦手意識が染み付いてしまっている。

 父にも同じように感じるが、ヴァルト兄さんも負けず劣らずだ。


 そして、聞かれた内容も然ることながら、こうして言われた言葉も事実。

 オレとギンジでは、それこそ力量だって人格だって、雲泥の差だ。

 否定できる要素は、今の自分には無い。


 本当に、姉や兄の言うとおりで、35歳にもなって情けない。

 まだ、ギンジは24歳だというのに。


「………それよりも、オレが聞きたいことは、一つだ」

「………聞きたいこと?」


 ふと、話が急に変わって驚いたと同時に、更に続けられたヴァルト兄さんの言葉には素直に驚いた。

 珍しいことだ、本当に。


 子どもの頃から、ヴァルト兄さんからオレに問いかけることなんて、嫌味を言う時ぐらいしか無かったのに。


「テメェは、随分長いこと、あの優男と行動してるんだろう?」


 そう言って、前置きをしたヴァルト兄さん。


「あの優男に関わっている噂の真偽、どこから本当でどこまでが与太話か、教えろ」


 その後に続いた言葉が、一瞬理解できなかった。


 しかし、理解できたとしても、ノーと言える状態ではなかった。


 全く見えなかった。

 反応も出来なかった。


 ………気づいた時には、鋭い光を放つ銀色の刃物が、オレの太ももに埋まっていたから。



***

ぶち込みたい話が多すぎて、ちょっと文字数が増えてしまいました。

読み応えというよりは、だらだらと面倒臭い心理描写が長いだけ?


ゲイルとの喧嘩シーンは、書いてていつも悩みます。

そして、結局中身はあっても比較的ヤマナシオチナシで終わってしまうので申し訳ない………。


とはいえ、もうちょっと仲違いは続きます。

いがみ合うまではいきませんが、いっそ殴り合いでもさせてやろうかしら。


誤字脱字乱文等失礼致します。

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