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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、生徒達の期末試験編
76/179

65時間目 「期末試験~特別クエスト(生徒達編)~」3

2016年2月14日、初投稿。


バレンタインの日に何をやってんのか、チョコタルトを作る片手間にスランプ解消されましたので、駆け足投稿致します。


65話目です。

そろそろ、生徒達の期末試験ドキュメントは終了します。

***



 香神の再三感じていた違和感。

 そして、嫌な予感。

 それは、最悪の形で的中してしまった。


 違和感ばかりの胡散臭い老人が依頼人。

 作業の途中で忽然と消えた徳川。

 焚かれた睡眠薬で強制的に眠らされたディル。

 倉庫内に閉じ込められたかと思えば、何者かに連れ去られたエマ。

 

 犯人は十中八九、決まっている。

 あの胡散臭い笑顔を浮かべていた老人だ。

 上記の一部始終が終えるまで、依頼人の老人は、一度も姿を現さなかった。

 良い証拠だ。


 消えた徳川やエマの叫び声。

 その声が、獣人特有の優れた聴覚で聞こえているディル。

 彼が先導し、香神とサミーも駆け出した。


 邸宅へと飛び込もうとしたものの、鍵が閉まっていて開かない。

 しかし、そこはAランクの冒険者。

 慌てる様子も無く、ディルが怒りをぶつけるかのように叩き付けた斧。

 おかげで、難なく扉を粉砕。

 彼等は、邸宅へと雪崩れ込んだ。


「……ッ!」


 しかし、ふと香神が立ち止まる。

 それに、サミーとディルも気付いて、同じように立ち止まった。


「…ど、どうした…!?」

「やばいぞ、これ…!精霊が騒いでる…!」

「…せ、精霊が騒いでる…?コウガミくん、もしかして、精霊と対話を…?」


 再三の驚きを露にしたサミーとディル。

 彼の言葉は、そのままの意味だ。

 しかし、その言葉には驚かざるを得ない。


 普通ならば、魔法の行使に関して精霊との対話は必要ない。

 加護を受けているのであれば、詠唱とある程度の魔力の調節で発現出来るからだ。

 一般的には、そう伝播されている。


 だが、ここである意味、異世界クラスなりの落とし穴。

 何を隠そう、異世界クラスを担当する教師が、『闇』属性。

 そして、ボミット病。

 その為、精霊と対話をしなければ魔法が発現出来なかったのである。

 それを見ていた生徒達は、それが当たり前だと考えてしまっていた。

 否定する人間はいない。

 この世界の常識と、異世界クラスの常識に格差が生まれた瞬間である。


 この背景のせいもあって、生徒達は各々で精霊との対話を試みていた。

 今のところ、成功しているのは約数名ながら、それでも格段に魔法の発現時間の短縮や意力の増強に貢献している。

 そんな事は、知り合ったばかりのサミーとディルも知る由も無いのだが。


「…オレ達だけじゃ手に負えないかもしれない…!悪いけど、どっちか冒険者ギルドに走って、増援を頼んで来てくれないか…!?」

「そ、それは、戦力が分散する!そっちの方がむしろ危険だ!」

「だけど、オレ達だけでどうにか出来る相手じゃなかったら…!」

「…オレ、行く!今のオレ、戦力にならない!けど、助け呼ぶ!出来る!」


 サミーの反対の声を押し切り、ディルが駆け出した。

 確かに、先ほどまで焚かれた睡眠薬の香袋で眠っていたディルは、万全の状態では無い。

 咄嗟の判断も間違っていない。

 そして、先ほども言った通り、ディルは獣人。

 脚力に関しては、人間など比べ物にならない程の速度を誇る。


 この場合、窮地に飛び込むよりも先に、救援を求める方が無難だ。

 たとえ全滅したとしても、何があったのかだけでも伝える事が出来れば、正式な調査も出来る。


 そして、それは銀次から教えを受けていたからこそ、香神は判断出来た。


「オレ達は、なんとか時間を稼ぎましょう!」

「ッ…ああ!」


 そう言って、香神は邸宅の中、階段を駆け上っていく。

 その後に、サミーは難しい顔をしながら続いた。


 サミーは、少しばかり香神の評価を修正した。

 修正せざるを得なかった。


 ディルもサミーも、チームの中では割と猪突猛進気味の戦士と剣士だ。

 それを、リーダーのレトや、精神的にも落ち着いているライアンやイーリが、フォローをしてくれる。

 そういうパーティーだった。


 しかし、その三人は今はいない。

 戦力を分散したのは、護衛の為や目付けの意味もあったというのに、彼等がいない事で自分達の粗の目立つ性格が表に出てしまった。


 それを、香神が無意識とは言え調整したのである。

 彼の言葉や言動が無ければ、おそらく彼等はこのまま突っ込んでいただろう。

 いくらAランクとはいえ、今のディルでは半分の力も出せなかったと予想出来る。

 それだけ、彼等獣人にとっては、睡眠薬や毒の類は危険なのだ。

 そして、サミーはディルには勿論、レトにすら、力量が及ばない。

 あのままであれば、身の程も知らずに未知の敵に挑んだ挙句、全滅し、誰にも知られる事が無かったかもしれない。


 しかし、今の行動のおかげで、わずかではあるが光明が差した。

 ディルを冒険者ギルドに走らせたことで、一人でも多くの人間に、この切迫した状況を把握させることが出来る。

 獣人の彼ならば、屋根を伝っていけば数十分もあれば冒険者ギルドへと到着するだろう。

 そして、そんな彼の様子と要請に、父親でもありギルドマスターでもあるジャッキーが、出動しない訳が無い。


 だとすれば、残された自分達の仕事は、時間稼ぎ。

 ディルの足での往復の時間約30分近くを彼等は稼がなくてはならない。

 そして、その判断をあの一瞬で、彼は導き出した。

 たった一つの些細な違和感に気付き、それを確実に正確な答えの方向へ導いた。


 彼の評価は、間違ってもBランクでは無い。

 これから、経験を積めば、AランクだってSランクだって目では無いだろう。


 サミーは、難しい顔を更に悔しさに歪めながらも、香神の細い背中を追いかけた。

 細くとも、年相応には見えない大きな背中だったと、彼は後に語る。



***



 飛び込んで来た人影に、冒険者ギルドの面々は度肝を抜かれた。


 いつもは兜に隠された、獣人の冒険者、ディルゴートン。

 実は端正なその素顔が、白日の下に晒されている。

 かと思えば、黒髪を振り乱し、今にも死んでしまいそうな程に息を乱し、顔色は真っ青。

 更に、獣人特有の瞳孔の裂けた瞳が、あらん限りに見開かれて血走っている。


 乱心の兆候だと、経験のある冒険者達はすぐに分かった。

 そして、すぐさま迎撃態勢に入ろうとしていた。


 しかし、彼は別に乱心した訳でも暴走している訳でもない。

 北側の居住区から、屋根を伝ったり四足を踏ん張って駆け付けて、約数十分。

 彼は、睡眠薬や気付け薬の影響で、覚束ない足取りとなりながらも、なんとか冒険者ギルドへと駆け込むことが出来たのである。


「うぉおおおおおおおん!!」


 遠吠えのような叫び声を上げれば、冒険者ギルドの中では失神者まで出た。

 だが、彼はその遠吠えと同時に、床に倒れ込んだ。

 バタンと凄まじい音に、冒険者ギルドの建物ですらも若干揺らいだ。


「ど、どうした!?ディル!!」

「何があったの、ディルくん!?」

「ディルさん!?」


 遠吠えや建物の揺れを聞き付けて現れたのは、彼の両親であるグレニュー夫妻。

 受付のクロエ。


 床に倒れ込んだディルの、必死の喘ぎを目の当たりにした。

 そして、そんな彼の様子を見て、心当たりのあったジャッキーは、すぐさまこの状況を悟った。


 何かが起きた。

 それも、異世界クラスの少年少女達を巻き込んで。


「い、依頼人の爺さん、可笑しかった…!そしたら、オレ、眠らされた!煙吸った!」

「居住区の外れの一軒家だな!」

「そう!トクガワ、いなくなった!エマも、いなくなった!変な魔法陣、使われた!!コウガミ、オレにギルドに救援!頼んだ!!」

「よし!!」


 それだけで、ディルの伝言は事済んだ。


 この件に関するジャッキーの心当たり。

 それは、つい数十分前に、大慌てのクロエから受けた報告から始まっている。


 ディルが担当していたA班が受けた、依頼の一つ。

 それは、ある意味曰く付きの依頼だったからだ。


 過去、三度以上の失敗歴。

 低ランクの依頼にも関わらず、その失敗歴は異常だった。

 しかも、その翌月には、同じ内容の依頼が貼り出され、その依頼すらも受けた冒険者のほとんどが失踪している始末。

 処理済みの束の中に入っているにも関わらず、同じ内容の依頼書が貼り出されたのは冒険者ギルドの不手際だ。

 しかし、その不手際を除いたとしても、今回の依頼は奇妙な事が立て続けに起きている。

 それを、あろうことか異世界クラスの生徒達が受けてしまった。


 その報告を受けた矢先である。

 こうしてディルが『獣化』一歩手前の状態で駆け込んできた。

 微かに香る睡眠薬や気付け薬の臭いに、眉根を寄せる。

 そこで躊躇する理由は、ジャッキーには無い。


「テメェは、このまま休んでろ!睡眠薬と気付け薬が抜けるまでは絶対に動くんじゃねぇ!」


 ディルを支えていた腕を、その背後に付き添っていた妻のハンナへと任せる。

 ハンナはすぐに、彼の腕を抱え上げて、近くのソファーへと寝かしつけた。


 ジャッキーは、その様子を横目に、救援に向かう為に動き出す。

 そんな彼の腰には、既に彼の愛用の武器。

 柄の短い手持ち斧が二本、ぶら下がっていた。


「お願い!トクガワもエマも、良い子!オレ達の事、嫌わない!トモダチ!コウガミだって…!オレの事、信じてくれた!…頼ってくれた!ナカマ!!死なせないで!!」


 ジャッキーの後ろ背に、ディルが食い下がる。

 興奮気味なのか、口から唾を吐き飛ばして、『トモダチ』『ナカマ』と言った、彼等の命をただただ懇願している。


「分かってる」


 そんな息子の姿に、ジャッキーの腹の奥底では怒りが湧き上がった。

 言わずもがな、息子にこんな思いをさせた元凶へ。

 更には、異世界クラスの生徒達を巻き込んだことへの、怒りも相俟って。


 彼はあらん限りの息を吸い込んで、吠えた。


『ぅううううううおおおおおおおおおおおおおおおおん!!』 


 遠吠えの声に、今度は建物が揺れるどころか窓ガラスが弾け飛んだ。

 圧倒的な威圧感に、びりびりと空気が振動する。

 ディルの遠吠えの際に倒れずになんとか残っていた大抵の冒険者達が、一斉に意識を手放してひっくり返した。

 残ったのは、ほんの1割にも満たない。


 ジャッキーは、その場で『獣化』した。

 

 体毛が圧倒的な速度で肌を覆い隠し、彼の丸太のような腕は更に筋肉を盛り上がらせて硬化していく。

 背中で一つ括りにしていた髪紐が、ぶちぶちと千切れ飛ぶ。

 それにも構わずに、彼は黒髪をたてがみのように振り乱しながら、更に四足を床に叩き付ける。

 それだけで、冒険者ギルドの床が悲鳴を上げて軋み、床板が割れて盛り上がる。


 魔族でもある獣人のみが使える『獣化』。

 それは、所謂先祖返りである。

 普段は人間の姿形をしていても、ある一定の年齢になると獣人はこうして暴走したかのような『獣化』を迎える。

 腕力や脚力は当然のこと、『獣化』によって魔法耐性や物理耐性などの身体強化(ブースト)まで施される。

 これが、成人の証でもあり、これを制御する事で一人前と称される。


 そして、ジャッキーの先祖は、戦狼ウォーウルフ

 かつて伝承にも記された戦狼だ。


 そんな伝承通りの先祖と同じ姿となったジャッキー。

 腰から突き出していた尻尾が一際大きく波打ったと同時。

 暴風か何かが通り過ぎたかのように、冒険者ギルドを飛び出して行った。


 彼が去ったギルド内には、唖然とした様子の冒険者達が残されていた。


 ディルは、ソファーに寝かされたまま、母であるハンナの胸に埋もれて泣きじゃくっている。

 姿形に似合わぬ、その様子。

 だが、それを笑える人間は、この場にはいない。

 それを笑えるような小物は、既に失神した上に失禁して床を汚しているだけだ。


 受付のクロエが、放心状態で床にへたり込む。

 自分の落ち度だ、と心の中で強く責めた。

 自分がもう少し良く依頼書を確認すれば良かった。

 もしくは、もう少し早く依頼書の束を整理していれば良かった。


 しかし、それももう後の祭り。

 事は、起こってしまった。

 最悪な形として、異世界クラスの生徒達を巻き込んで。

 目の前が、絶望の二文字によって、真っ黒に塗り潰されていく。

 ぼろぼろと、眼から独りでに涙が零れ落ちた。

 彼女は、心の底から湧きあがる罪悪感に押しつぶされそうになった。


「あらまぁ、クロエまで泣かないの」


 そんな中、ふと場違いな程にまろい鈴の声が響く。

 その声の主は、今しがた『獣化』して飛び出して行ったジャッキーの愛妻。

 泣きじゃくるディルの母親でもある、ハンナだった。


 ディルとクロエが涙で滲んだ視界を向ければ、彼女はこれまた場違いなほどに、微笑んでいた。


「が、があざん…!」

「ハンナさん…」

「二人とも、もう泣かなくて大丈夫よ。だって、ジャッキーが『獣化』してまで向かったんですもの」


 そう言って、彼女は殊更綺麗に微笑んだ。

 その笑顔に、人知れずに安堵したのは、言うまでも無く。

 不思議なものだ。

 いつの間にか、ディルもクロエも、その場で静かにぽろぽろと涙を流しているだけとなった。


「大丈夫よ。だって、あの人はSランクの冒険者で、このギルドのマスターだもの。

 それに、レトちゃんやディルくんのお父さんでもあるし、なんたって私の夫だもの。絶対に大丈夫」


 それは、絶対の自信。

 そして、その自信に裏付けられた事実がある事は、このギルドに伝わるジャッキー本人の数々の伝説が知らしめている。


 獣は放たれた。

 絶対無二の、最強の男だ。

 それが、ディルの救援に応じた。

 生徒達の救援に向かった。

 彼が、到着するまで、後数十分。

 下手をすれば、10分も切るかもしれない。

 後は、香神やサミーが、上手く時間を稼ぐだけだ。

 そうすれば、この依頼は間違いなく片が付く。


 そうと分かれば、ディルにはもう意識を保つ術は無い。

 もともと、体は度重なる睡眠薬や気付け薬の影響と、その状況下による全力疾走の為、限界を迎えていた。

 彼は、襲ってきた強烈な睡魔に抗う事すら無く、静かに母の胸に抱かれて眠りに落ちた。



***



 漆黒の獣が到着する、十分前。


 依頼人の邸宅に飛び込んだ二人。

 サミーと香神は、肩を怒らせながら邸宅内を走り回っていた。

 屋根裏に続く階段は、すぐに見つかった。

 階段を三階まで駆け上がり、踊り場に出た瞬間に目の前には更に上へと続く梯子が出ている。

 まるで、誘われているかのような気分だ。


 しかし、四の五の言ってはいられない。

 香神は、シャツの胸ポケットに差していたペンのノックを押し込み、尻ポケットへと挟み込む。

 保険の為に、武器としても仕込んだ。

 生憎と、彼にはこれぐらいの武器しか、持ち合せがないのも事実である。

 あるのは、己の体と、習練途中の魔法のみ。

 それは、最初の段階でサミーにも伝えてある。


「先に僕が上ります。コウガミくんは、後ろを警戒してゆっくり着いてきて、」

「はいっ」


 階段を上った事で上がり切った息を、梯子の前で整えて。

 前衛にサミー、後衛に香神。

 彼等はお互いにお互いの視覚をカバーするかのように、ゆっくりと梯子を上りはじめた。


 そこは、やはり屋根裏だった。

 積み上げられた家財や、使い古したカーペットなど。

 間取りはおそらく、6畳程。

 一見すると倉庫のようにも見えるそこ。

 その更に奥には、扉も見えた。

 壁で仕切られた向こう側にも部屋があるようだ。

 ただし、この部屋には外から見たような小窓は無かった。

 おそらく、徳川やエマがいるのは、向こう側の部屋だろう。


 上り切ったサミーが、前方を警戒しながら香神に合図。

 香神はその合図を受けて、後方を注意しながらも、同じように梯子を上り、屋根裏に到達した。


「おそらく、向こうの部屋です。気配を三つ感じます」

「徳川とエマと、あの爺だな」

「そのようで…ッ!」


 そこで、サミーは言葉を区切る。

 小さな、音だった。

 それは、ドアノブを捻った音。


 咄嗟に隠れる暇も無く、開け放たれた扉の中から出てきた老人と目が合った。

 ただ、老人にはある程度、見透かされていたようだ。

 サミーや香神の様子とは裏腹に、驚いた様子も無い老人は、胡散臭い笑みを隠しもしないままカンテラの灯りを掲げて見せた。


「ようこそ、勇気ある冒険者達」

「……テメェ、何を抜け抜けとぉ!!」

「…そう怒鳴らずとも聞こえているよ」


 屋根裏の中が、蝋燭の灯りによって仄かに明るくなった。

 そして、明るくなった事で、扉の先まで見通せた。


「香神!!香神なの!?」

「うぉおおおおお!!香神ぃい!!助けてくれぇえ!!」

「エマ、徳川!!」


 そこには、エマのズボンに包まれたままの足が見えた。

 声だけでは無く、一部だけでも体も見えている。

 外傷は無さそうだ。

 ついでに、エマに関しては服をひん剥かれたりしている危険な目には合っていないと、違う意味でのほっと一息。


 しかし、安心してばかりはいられない。


 二人が発見できたとしても、その二人が捕らわれている状況には変わりがない。

 そして、彼等がすべきは時間稼ぎ。

 最低でも、ディルの足での往復30分近くを稼がなければならない。


 香神は、表情を引き締め、傍らのサミーへと目線を流す。

 それに対し、サミーも力強く頷きを返す。


「テメェ、あいつ等をどうするつもりだ!」

「それを、君達に言って何か解決するのかね?」

「あ…?」


 ただし、時間稼ぎが出来るだけの胆力が、香神にもあった訳では無い。


 飄々とした老人からの返答。

 ただでさえ血の気の多い香神だ。

 そんな彼が、怒りやら何やらで腸が煮えくり返った状態で冷静でいられるかと言えば、それもやはり冷静も何もあったものでは無い。


「……テメェ、ぶち殺す」

「お、抑えて、コウガミくん!…何か、罠でも仕掛けているのかもしれない…!」


 そして、それを抑える歳の功。

 サミーの声に、香神はなんとか冷静さを取り戻した。

 それでも、鼻息荒く、老人へ射殺さんばかりの視線を向けた。


「おお、怖い怖い。…君達は、血の気が多そうな割には、随分と頭が回るようだったからねぇ。

 少々、乱暴なやり方にはなってしまったが、ようやくこうして分断する事が出来たよ」

「…分断して、どうするつもりだったんです?捕まえただけで、満足するような様子には思えませんが?」

「それを聞いてどうすると言うのかね?」

「…全力で持って邪魔をして差し上げます」

「腸の代わりに鉛詰めて、生きたまま井戸に沈めてやらぁ…」


 サミーの言葉に同意するかのように、香神が拳を鳴らす。

 同時に呟かれた物騒な台詞には、流石にサミーが冷や汗を流した。


 これも、銀次からの教育の賜物である。

 冷静さを保つ胆力は今一つ足りなかったが、脅し文句だけは一丁前にマジギレ銀次とそっくりであった。


 しかし、それにすら老人は怯んではいなかった。

 それどころか、薄ら笑いを深め、カンテラの灯りの中で、不気味に笑った。


「…はははっ。これは、これは、吠えるのは一丁前だねぇ」

「余裕ぶっこきやがって!今すぐ床に這い蹲らせてゴメンなさいって言わせてやるから覚悟しろや」


 安い挑発だ。

 サミーには分かった。


 しかし、香神にはそんな簡単な挑発でも、即座に着火する。

 先ほどの冷静さはどこに行ったのか、とサミーが内心で頭を抱えていると、


「這い蹲るのは、君達の方だよ」


 老人は、口元を裂けさせるかのように笑った。

 サミーの背筋に悪寒が走る。

 同時に香神も、足下に不穏な魔力の流れを感じ、咄嗟に飛び退こうと動く。


 瞬間、


「…ぅが!!」

「ッ…こ、これは、『スタンプ』!!」


 彼等の足元が、不気味な程の青い発光を発した。


 それは、彼等が踏み付けていた古ぼけたカーペットに書かれた、魔法陣の発光。

 そして、彼等の体勢は咄嗟に動けるような状態では無かった。

 ただでさえ、屋根裏の天井は低い。

 それに加えて、彼等は今しがた梯子を上って来たばかりだった。

 しゃがみ込んだ体勢のまま、老人と相対していたのが災いして、咄嗟に動いた香神ですら逃げ切れなかった。


 二人は成す術も無く、まるで引き寄せられるかのように床に叩き付けられた。


「香神!?サミーさん!!なにがあったんだよ、香神!!」

「おい、どうしたんだよ!!香神!!サミー!!ディル!!」


 様子が見えない二人には、音だけでしか判断できない状況。

 拘束され、状況が把握出来ず、恐怖心を露わに叫んでいた。

 この場にディルがいないことも気付いていないだろう。


 一方、サミーの言葉通りに『スタンプ』よろしく、地面へと縫い付けられた二人。

 両手や肘を踏ん張って、なんとか顔面の強打は免れた二人だったが、強力な磁場を発生させる魔法陣の前では無力にも程があった。


 『スタンプ』と言うのは、行動阻害魔法陣の通称のようなものだ。

 本来の名前は、『磁力魔法陣』、もしくは『魔法無効化魔法陣』と呼ばれる。

 どちらも、名前の通りの影響を及ぼす魔法陣で、それ相応の魔法陣の知識が無ければ使えない。

 そして、どちらの魔法陣も、この世界では内側からの破壊は困難。

 捕らわれたら最後、外からの救援を待つ他無いのが、こういった行動阻害系魔法陣の概念であった。


 あっという間に、無力化された二人。

 仲良く地面に這い蹲る姿は、奇しくも、先ほどの老人の言葉通りとなってしまった。


「はははっ。先ほど、自分で言っていたじゃないか。罠が仕掛けられているかもしれない、と。

 こんなにあっさりと掛かってくれるとは、拍子抜けも良いところだがねぇ」

「て、めぇえええ…!」

「そんな格好でがなり立てても、怖くもなんともないさ」


 はははっ、とまた不気味な笑い声をあげ、老人はカンテラを置いた。

 そして、徐に開け放されていた扉が閉められる。


『ちょ、ちょっと香神!!大丈夫なのかよ!!』

『おい、香神!!おーい!!サミー!!ディルー!!誰でも良いから助けろよぉお!!』


 扉越しの声も、どこか遠く。

 二人の姿は、扉の向こうに消えて見えなくなる。

 そして、香神達二人は、地面に縫い付けられた状態。

 万事休す。

 そんな言葉が、脳裏に浮かぶ。


 なんとか地面に顔を付けるのを堪えて、腕やら額に血管を浮かび上がらせて耐える二人。

 しかし、そう何時間も耐えられるものでは無い。

 人間の筋肉と言うのは、突発的な力はあっても、持続的な力に関しては疲労による衰えがある。


 今は、お互いに自身の体重を、支えるので精一杯。

 限界は、いつか訪れる。

 香神とサミーの額に、脂汗とも冷や汗とも付かない汗が滴り落ちた。



***



 特別学校異世界クラスの期末試験1日目。

 順調に思われたA班の、2件目の依頼は、まさに悪魔の罠とも言うべき波乱を齎した依頼だった。


 時刻は、5時を回ろうとしていた。

 ディルが彼等と別れて、たった数分。

 稼げた時間も、僅か5分程度。

 救援は未だ、見込めない。


 彼等は、魔法陣に縫い止められて、床に這い蹲ったまま、ただただ不運を嘆いた。

 こんな依頼を選択してしまった不運や、巻き込まれた不運に、心の底から嘆くしか無かった。


 やはり、過去に受けた教授は間違いでは無かった。

 内心でそう思いつつ、香神はぎりぎりと歯を食いしばった。


 一度でも不信感を感じたら、信用など出来ない。

 今更になって、彼はこの依頼を受けた時、最初の印象で不信感を抱いた段階で依頼をキャンセルしなかったのか、と本気で後悔した。

 それも今となっては後の祭りであったが。


「…さぁて、君達は何が聞きたかったんだっけねぇ?

 確か、あの子ども達をどうしたいのか、だったかい?」


 形勢が圧倒的に有利となった途端だった。

 老人は明らかに余裕を滲ませて、魔法陣スタンプによって地面に縫い付けられた2人を見下ろしていた。

 その表情には、もはや好々爺然りとした笑みなど微塵もなく。

 不気味に歪んだ笑みが浮かんでいる。


「そうだねぇ…。教えてやっても良い。どうせ、君達に教えた所で、最後は死ぬんだからねぇ…」

「…テメェ、」

「はははっ。だから、そんな格好で威嚇したところで、怖くもなんとも無いよ」


 ますます、香神の殺気や眼光が強まるが、老人はものともしない。

 圧倒的な優位は変わらない。

 老人は気を良くしたのか、自然と饒舌になって行った。


「彼等にはねぇ、生け贄になってもらうんだよ」


 そして、まるで軽い買い物に行くかのような口調で、今後の彼等の末路を語られた。

 二人の背筋に言い様の無い悪寒が走る。


 『生け贄』


 と、この老人は、はっきりと言った。

 その言葉で片付けられる末路に、良い印象など微塵も無い。


「私は兼ねてより、魔族や悪魔などの生態や魔法技術などを調べていてね…。

 あぁ、仕事では無く、あくまで趣味と言う形だったんだがねぇ。

 調べれば調べる程、魔族や悪魔、関連する宗教や魔法なんかもわんさか出て来て、楽しいったら無かったんだよ」


 聞いてもいないのに、老人は自身の趣味を語りだした。

 悪趣味極まりない、醜悪な嗜好。


「ただ、どれもはっきりとこの目で見た訳でも、直接調べる事も出来ない空想上の仮説ばかりだったり。

 本物かどうかですら定かでは無い魔法陣ばかりが出回って、真偽なんてあったものじゃない。

 だが、そんな魔法陣を見ているうちに、それだけでは満足出来なくなってねぇ…」


 そう言って、老人は香神たちを見下ろし、次の瞬間にはしわくちゃの顔をこれでもかと醜悪に歪める。

 笑声が上がった。

 乾いたとも表現できる、しわがれた笑い声。

 狂ってやがる、と香神は、心の中で悪態を吐いた。


「誘惑に負けてしまったよ!兼ねてよりどうしても、研究していた魔法陣を起動してみたい誘惑に駆られていたんだが、それを遂に実行してしまった。

 いやはや、流石に一度で成功するとは思っても見なかったがねぇ!」


 つまりは、この老人は悪魔を呼んだと言う。

 それが、魔族なのか、悪魔なのかという判断はさておき。

 この老人は、魔法陣の研究だけでは飽き足らずに、本物を呼び寄せてしまった愚か者だった訳だ。

 言うなれば悪魔付きである。


 ただ、この時香神は、「エクソシストを呼んで祓ってもらうよりも、銀次を呼んでぶち殺して貰った方が早い」と考えていたりした。

 やはり、どこかの誰かさんに内面的に似て来ている。


 それはさておき、


「素晴らしいものだ!古ぼけた魔法陣一つで、まさかここまで素晴らしい研究材料が召喚出来るなんて夢にも思っていなかったよ!!

 強靭な体は言わずもがな、身体能力だって魔族に負けずとも劣らないだろう!

 ある程度は知性が備わっていたのも、嬉しい限りだった!おかげで、契約は問題無く終わらせられたよ!」

「それは…契約紋か…!」


 そう言って、老人は嬉々として袖を捲り上げた。

 そこには、黒い模様。

 一度、香神も見た、用途の不明な刺青だった。


 『契約紋』


 サミーはそれを知っていた。

 この世界でも、度々確認されている存在である悪魔。

 その悪魔と契約を交わし、配下やそれに類する僕の証。

 『奴隷紋』とも称される、禁忌の証だった。


 またしても、香神は後悔した。

 この刺青に気付いた時に、何故先にサミーに相談しなかったのか、と。

 サミーは、その『契約紋』を知っていたというのに、何故自分は気付いた時に言わなかったのか。

 そうすれば、こうなる前に少しは、対策を取れたかもしれない。

 理由をでっち上げて、逃げる事も出来たかもしれないと言うのに。


 今更、たらればを口にしても取り返しは付かないが、それでも香神は自身の失態を悔いた。


 血が滲む程に、唇を噛み締める。

 判断を少し間違っただけで、このような結果になった事が心底悔しかった。


 そして、元凶である老人に、成す術も無く拘束されているこの現状も悔しかった。


「ただ、やはり強大な力にはそれ相応の代償が必要でね。

 最初は死肉や魔物の生肉で我慢してくれていたのに、悪魔様は人肉を求めるようになった。

 妻や子どもを差し出したりもしたが、結局足りなくなってしまったよ」


 次に続いた言葉は、罪の告白のようなものだった。

 だと言うのに、声音は一つも変わらない。

 先程の『生け贄』の時と同じような、ちょっとした出費のような言い種で話された内容。

 香神ですら半分聞き逃し掛けてしまった。


 ゾッとした。

 この老人は、自身の研究への欲求を満たす為に、妻や子どもを犠牲にしたらしい。


「アンタ、奥さんと子どもまで犠牲にして、悪魔を飼いたかったってのかよ!」

「折角召喚した悪魔の申し出だったからねぇ。仕方無いから差し出したんだよ?

 まぁ、そもそも、妻や子どもは、私の研究には酷く否定的だったから、丁度良かったと言えば丁度良かったんだが…」


 それは当たり前だ!

 妻も子どもも、判断は間違っていなかった。


 そう言って、香神は吠え掛かってやりたかった。

 サミーですら、その老人の醜悪な言葉に、額に青筋が浮き出ている。


 だが、老人は香神やサミーの心情など知らない。

 そのままペラペラと口を滑らかに動かし続けた。


「足りなくなったら、増やすしかないだろう?

 だが、妻も子どもは使ってしまったし、親類もいなかったからねぇ。

 仕方ないから、外から調達する事にしたんだ。

 まぁ、そうは言っても、私は非力な研究者だったし、荒事なんて一度も体験した事は無かったから骨が折れたよ」


 そして、語られた全貌。


「スラムに行って子どもを攫ったりもしたんだ。

 だが、どうにも途中でならず者に目を付けられてしまって、なかなか成功しなくなってしまった。

 だから、冒険者ギルドの依頼を利用させて貰うことにしたのさ」


 彼は、冒険者ギルドの依頼を使い、「悪魔の餌」を募っていたのだ。


 そこで、サミーはすぐさま契約違反だ、と分かった。

 この老人は、故意的に人命を脅かす依頼をギルドに申請していたのだと。


 一方、香神も同じ考えに行き着いていた。

 それは、ギルドへの依頼をする内容では無い。

 詐称行為を行って、殺す為に人を集めていたのだから、それは立派にギルドへの契約違反だ。


 殺人。

 誘拐。

 詐欺。

 そして、現状での徳川達の誘拐や、自分達への殺人未遂。

 挙げればキリがないだろう。

 以前の依頼を遡れば、きっと更に余罪は出てくる。


 だが、これだけでは足りない。

 脳裏で、教授を受けた二人の青年の姿。

 そして、その言葉。


『糸口を掴んだなら、とことん突き詰めろ』

『やるならば、徹底的にやれ。埃が出なくなってぼろ雑巾のようになるまで叩け』


 つまりは、内容の確認を怠るなという事。

 そして、その確認した内容の真偽を、あやふやなままでは終わらせずに、とことん突き詰めて白状させろ、という意味だ。

 香神にも、まだ冷静な部分が残っていた。

 そして、脳裏に浮かんだ二人の青年の立ち姿に、彼は頭の芯を多少なりとも冷やす事は出来た。


「だから、アンタは誰も受けてくれなかった、ってシラを切ってたんだな…」


 ぼそり、と呟く。

 汗を顎先から滴らせながら、香神は息も荒く老人へと言及した。


 サミーがハッとして、視線だけを香神へ向ける。

 老人は、面白いものでも見るかのように、口の端を歪めただけだ。


 それに苛立ちを覚えそうになる。

 だが、それでは駄目だ。

 この状況で、自分のやるべき事を忘れてはいけない、と必死に激情を抑え込む。


「最初は、違和感だけしか感じなかった…。けど、今のを聞いて合点がいった。

 アンタ、オレ達が依頼を受けたことに、あんまり驚いてなかったよな…」


 それは、最初のコンタクトの際。

 老人は、彼等を睨み付けただけだった。

 しかし、驚きはしていないかった。

 警戒はしていたのかもしれないが、構えてはいなかった。


 依頼があってから、随分な日付が経っていたにも関わらず。

 通常ならば、「今更来たのか」「もしくは、受ける人間がいたんだ」と驚いても不思議では無い時間が経過していた。


「言うなりゃ、…また来たんだ、って感じだったんだよ、アンタ。

 それなのに、説明を受けた時にアンタは「誰も受けてくれなかった」って言ってた」

「……コウガミくん、」


 サミーが再三の驚きを露にする。

 それと同様に、老人も少しばかり驚いている様子だった。


 おそらく、図星だったようだ。

 驚きはしない。

 老人はむしろ、来て当たり前だと思っていた事から、そんな些細な反応一つを、香神に悟られた。

 落ち度は、老人にある。


「それから、依頼書の件もそうだ。これも、少し違和感を感じてたんだ。

 結構な日付が経ってるのに、紙の色とかも同じで、劣化とかも一つも無かった。

 定期的に複製か何かをして、誤魔化してやがったんだろ…?」


 これもまた、香神の異能のなせる技。

 依頼ボードの中に貼り出されていた紙の内容までも把握している彼には、紙の違いや劣化だって見過ごすことは無い。

 些細な違和感をも、見落とさなかった。


「しかも、何回か貼り直されたのか画鋲の痕が沢山あった。

 適性ランクはEランクなのに、何度も貼り直される程の難易度なんである訳無い…」

「……そうだねぇ。そこまでは気が回らなかった。

 いつの間にか依頼書の用紙が新しくなったり、貼り出される期間が遅れたりしていたからね。

 勝手に貼りだしていたんだが、まさか君程度の駆け出し冒険者に気付かれるとはねぇ」


 香神の言葉に、老人は首肯。

 そして、愉快そうな顔で、香神を見下ろした。

 気付かれたことが少し意外だったようだ。


 これに関しては、普通の人間には無茶な話だ。

 香神は異能を持っているが、普通の人間に一度見ただけの記憶を長期間保存しておくというのは難しい。


 ただし、彼にとってはハッタリだったりもした。

 何が?

 依頼書の複製の事だ。


 ギルドの受付達だって、依頼の整理ぐらいはする。

 その時に、書き換えられたものだと言われればそこまでだったが、老人は否定しなかった。


 おかげで、彼は言及を続ける事が出来る。


「次に、可笑しいと感じたのは、倉庫の中のあの腐臭だ…。

 あれは、食料品やら木材だけで出る腐臭じゃない。

 …あれは、生き物が死んで腐った、脂や臓物の臭いだ…」


 これも、ハッタリ。

 だが、ある程度は確信している内容だった。


 きっかけは、ディルだった。

 いくら嗅覚が優れているとはいえ、食料品や木材の腐臭程度で体調を崩すだろうか?と、少々気になっていたのだ。

 犬猫でも獣人でも無いので、気持ちが分かる訳では無い。

 ただ、客観的には香神達にとっては大して耐えがたい臭いでは無かった。


 しかし、その腐臭が、別の何かの腐臭を隠していた場合はどうだろうか?

 香神達には、表面上の腐臭しか嗅ぎ取れない。

 それ以外の腐臭をディルが、嗅ぎ取ってしまっていたのではないか。


「…まさか、驚いた。まだ若い癖に、死体の腐臭に気付くとはねぇ…」

「…今までの冒険者の死体、倉庫の床下に埋めたのか?」

「その通りだよ。…はははっ、次からはもう少し埋める場所を考えた方が良さそうだな…」

「……まだ、やるつもりなのかよ」

「…悪魔が仰せなんだ。人肉を寄越せ、とねぇ…」


 ハッタリにも関わらず、やはり老人は肯定した。

 香神の的を射た指摘は、あながち間違ってはいなかったようだ。


 しかし、


「そこまで、分かってくれたなら、話は早いだろう?」


 その瞬間、老人は手を打ち鳴らした。

 突然の、喝采とも言うべき手拍子。


 香神もサミーも、驚きのあまり、喉を干上がらせてしまった。


 一回、二回、三回、四回、五回。

 尚も続く。


 それと同時に、何か得体の知れないぞわぞわとした気配が、どこからか感じ取れた。

 悪寒が走る。


「今日は、生け贄がいっぱいいるからねぇ。

 君達を分断する時に、無理なお願いもしてしまったし。

 ………そろそろ呼んでおいてやらないと、臍を曲げかねないんだよ」


 鳴らしていた手を止め、老人は呟いた。

 主語が抜けている。

 だが、香神にもサミーにも、漠然とではあるがその意味は分かった。 


 精霊が騒いだ元凶。

 それは、今も続いている。


 そして、老人の言葉通り、彼等が分断された相手。

 その答えは、先ほどから嫌と言う程、老人の口から聞いている。


 『悪魔』だ。


 解けていない謎は、まだ残っている。

 そもそも、彼等は『悪魔』という存在が何なのか、はっきりとは理解していなかった。


 しかし、それは突然に現れるものだ。


「きゃあああああああああああああああああああああああああ!!」

「うぎゃあああああああああああああああああああああああ!!」


 響き渡った絶叫。


「エマァ!!徳川ぁ!!」

「まさか、向こうの部屋に…!!?」


 香神達と、ドア一枚を挟んで分断された2人の悲鳴である。

 それは、絶望にも似た声音を含んでいた。


「…彼等の後は、君達だ。…生きたまま、血肉を啜られると良い」



***



 拘束をされたまま、訳も分からない。

 床に投げ出されたままのエマと、箪笥に寄り掛かったままの徳川。


 香神やサミーが屋根裏に上がって来ていたのは分かったが、その位置からでは何も分からなかった。


 だというのに、


ーーーパン、パン、パン、パン。


「な、何?この音…ッ!?」

「おい、なんだよ!何がどうなってんだよ、香神!サミー!ディルー!!」


 突然響いた、乾いた音。

 それが、手拍子だという事には、ドア一枚を挟んだ彼等に分かる訳も無い。


 しかし、別の音であれば、彼等は分かった。


 それは、彼等の背後から、欝蒼とした威圧感を齎しながら、ゆっくりと這い上がってきたかのように見えた。


「ひっ…!」

「なんだよ…!」


 エマと徳川が目線を向けた先。

 そこには、古ぼけた暖炉のようなものがあった。

 しかし、そこには煙突らしきものも、炭も灰も残ってはいない。


 だというのに、その中からは煙のような靄が、ずるずると溢れては床に広がって行く。

 そして、それを纏うかのように、黒い光沢を持った影も。


 咄嗟に、2人は自身の声量の限りに叫んだ。


「きゃあああああああああああああああああああああああああ!!」

「うぎゃあああああああああああああああああああああああ!!」


 絶叫にも似た悲鳴。

 正直、この時の2人には、叫ぶ以外の選択肢は残されていなかった。


 暖炉のようなものは、どうやら上か下が開くようになっていたようだ。

 そこから、ずるりずるりと這いずるようにして現れたのは、表皮が黒く光沢を持った異形だった。


 山羊のような頭に、鰐か蜥蜴のように四足で這いずる姿。

 そして、こめかみのあたりから渦を巻き、捩れるようにして生えた角。


 四足を動かし這いずる度に、床に広がっていた靄から粘着質な音すらも響く。


「(やっぱり、この黒い変なの、アイツの皮かなんかだったーーーー!!!?)」

「(うげぇええええええええ!!なにあれ、気持ち悪ぃいいいいいいいいいいいいッ!!!)」


 その姿にか、もしくは威圧感にか。

 圧倒され、声すらも発する事が出来なくなった2人。

 そんな2人の前に現れた異形の怪物は、拘束され、棚にあるいは床に放り捨てられた2人を見て、怖気が走るような口をぱっくりと開きつつ舌舐めずりをした。


『今日ハ、マタ一段ト、旨ソウナ獲物ダナァ』


 その異形の口から発せられた言葉は、しゃがれ割れ幾重にも重なっているような声音と共に。

 それと同時に、この上なく楽しそうにも聞こえた。


 しかし、


「(………喋った!!)」

「(………喋ったけど、気持ち悪いぃい!!)」


 当の本人達である2人にとっては、内容よりもむしろ喋ったことの方が驚きで、それどころでは無い。

 勿論、この異形が老人の研究の結果に召喚されてしまった『悪魔』である事など、知る由も無かった。


 しかし、そんな事を考えていられるのも、そこまで。


『サテ、今日ハ、男ト女、ドッチカラ、イタダコウカナァ』

「………いただく?」

「………いただかれる?」


 その時、2人の脳裏に過ったのは、食いっぱぐれた昼食と夕食の事。

 だが、その瞬間、その食事のメニューが、脳裏で拘束された自分達へと切り替わった。


 理解してしまった。

 理解などしたくなかったのに、彼等はこのたった一言で、自分達の置かれた状況を理解してしまった。


 ………自分達が拘束を受けているのは、逃亡阻止だけでは無い。

 抵抗すらも許されないまま、この異形の食物として文字通り食われる事を意味している、と。


「……嘘、…嘘でしょ…ッう、ウチ等を食うつもり!?」

「ふざけんな、畜生!こんなのに食われてたまるかーーーッ!!」


 理解したとなれば、後は早かった。

 2人はあらん限りの力を振り絞って暴れ、眼前でのったりのったりと近付いてくる異形から少しでも離れようと動いた。


 しかし悲しいかな。

 彼等に施された拘束は強固なもので、棚により掛けられた徳川はともかく、床に放り投げられたままだったエマなど、のたうち回ってやっと数センチを移動できる有様。

 しかも、その数センチ程度など、異形の一歩には遠く及ばない。


『ヤッパリ、マズ最初ハ女ダナァ。

 男ノ肉ハ、筋張ッテイテ、噛ミ切ルノニ、時間ガ掛カッテシマウカラネェ』


 獲物として、最初にエマが選ばれたのは、やはりと言わざるを得ない。


「でええぇッ!?…クソ、エマ!もっと早く逃げろ!!」

「む、無茶言うなし!!クソッ…!なんで、全然…進まねぇんだよ…ッ!」


 徳川の声にエマも必死に堪えるが、やはり這いずって逃げるのは骨が折れる。

 ましてや、彼女はいくら魔法の習得が早かろうとなんだろうと、このクラスでも女子としての領分にしか収まらない。

 強化訓練でも女子らしく、下から数える方が早い。

 徳川のように馬鹿力でも、永曽根のように武道に通じても、ましてや間宮のように特殊な技能を習得している訳でもない。

 あくまで一般人に毛が生えた程度の、普通の女子学生でしかない。


 そんな彼女が、どれだけ必死に這いずったところで、結果は火を見るよりも明らかで、


『クハハハハハハハハッ!

 ソラ、モット早ク逃ゲナイト、モウスグ丸齧リダァ!』


 エマの足下には、既に異形の四足が迫っていた。

 それよりも、更に長く伸びた爬虫類然りの首は腰元まで、その口から伸びた異形の2本にも分かれた舌は、今にもエマの耳筋を掠めて行こうとしている。


「エマァアアアアアッ!」


 徳川の絶叫。

 次いで、エマの首に舌が届いた。


「いやぁああああああああああああ!!!」


 エマが悲鳴を上げた。

 今まで、徳川が聞いた中では、一番の悲痛な悲鳴だった事だろう。


 それを、彼は茫然と眺めているしかなかった。

 ………否、


「銀次…ッ!助けて…!!助けてよぉ…ッ!!」


 そう言って、涙を零して必死に助けを求めた彼女の顔を見て、彼の目の前は真っ赤に染まった。

 その瞬間、目の前の光景がまるで、スローモーションのようにゆっくりと進んで行く。


 そんな世界の中で、彼、徳川の脳裏に蘇ったのは、エマが助けを求めた『銀次』の後ろ姿を思い出す。

 その背中は、いつも遠かった。

 しかし、その背中はいつもどこか寂しげで、それでいて頼もしかったとも思いだした。

 更に言えば、


「(……先生なら、こう言う時どうするのかな?

 ………先生なら、こう言う時捕まってすらいないんだろうけど……ッ)」


 模範となるであろう、銀次の行動を思い浮かべる。

 思い浮かべたのは、もはや当たり前の姿。


ーーー『生徒を守るのも、オレの仕事だ…』


 彼はそう言って、自身の体どころか命すらも犠牲にしようとして来た。

 その度に、命懸けでオレ達を守ってくれていた。


 最初はこの世界に来た当初、避難訓練と言う名目の逃亡の時。

 二度目は牢屋に放り込まれて、自分達を守る為に拷問を受けた時。

 三度目はあってはならないというのに、榊原やシャルを守る為に囮になったとも聞いた。


 四度目は、もうあっちゃいけない。

 でも、きっと、


「(銀次なら、こう言う時、絶対………見てるだけなんて事、しないッ!!)」


 導き出された、当たり前とも言える回答の前に、徳川の視線は純然たる決意を宿した。

 それと同時に、意識がスローモーションとなっていた光景を、はっきりと認識する。


 瞬間、


「止めろぉぉおおおおおおおおおおお!!!」


 雄叫びのように彼は吠えた。

 吠えたと同時に、扉の向こう側では何かを破壊する轟音や、香神やサミーの悲鳴のようなものと、今回の主犯であった老人の乾いた悲鳴も聞こえた。

 しかし、彼はその一切の音を遮断して、猛然とその場で立ち上がった。


「………と、徳川…ッ」


 そんな彼の姿を見て呆然と呟いたエマの声も、耳に遠い。

 その中で、彼はそのまま体勢を前屈みに構えたと同時、


「こンの、化け物ぉおおおぉおおおああああああああ!!!」


 助走も無く、前置きも無く、彼は跳んだ。

 あらん限りの力を込めて、屋根裏の床板がひしゃげて抜け落ちるまでの膂力を込め、頭からまっすぐに弾丸のように跳んだ。

 渾身の頭突きを放った。


 目測などあって無いようなもので、彼は後先も考えずに悪魔へと飛び込んだ。


 先ほど扉の外で聞こえた轟音にも匹敵する程の、更なる轟音と共に。


『グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!』


 轟音の元となった悪魔は、溜まらず悲鳴を上げた。

 嫌悪の悲鳴を上げていたエマの次は、この悪魔が痛みによる絶叫を上げることとなった。


 なにせ、徳川の頭突きは、この悪魔の不気味な山羊頭のこめかみ辺りから生えていた角を圧し折ってもまだ足りない程の威力を持っていたのだから。

 対する徳川も、頭へと走った激痛は無視できないものだった。

 捩じり曲がっていた為に刺さる事は無かったが、まるで石か鉄の棒に頭を打ち付けたかのような痛みであり、眼の前に一瞬星が散ったのを確かに見た。

 勿論、多少の怪我なら物ともしない頑丈な作りを自負している徳川の皮膚は、激突の威力とその硬さに負けて切り裂け、真っ赤な血を迸らせる。


 しかし、彼は床に倒れ込む前に、痛みも体勢を崩すのも堪え、エマの目の前にしっかりと両の足で着地していた。

 多少膝を付いて、小さな呻き声をあげたとしても、彼はそのまま全てを堪えた。


 今しがた、自分が頭突きで吹き飛ばし、角をへし折ってやった悪魔を、この世の何よりも憎悪しているかのような視線を向けて。


『ナ、何故動ケルゥ…ッ!?拘束ニハ、大ノ大男デアッテッモ、解ケナイヨウ魔力ヲ練リ込ンデアッタノニ、』

「知るかよ、ンな事!!」


 悪魔が角を折られた事によって弱った。

 この時の徳川にとっては知る由も無かった事だが、悪魔の力の根源はどこか、と言えば角や核、と言う共通の認識がこの世界にはある。

 そして、この眼前の悪魔も、角を力の根源とするタイプだったのだ。


 奇しくも、彼の命懸けとも言える渾身の頭突きは、本来は電動のチェーンソーでも持ち出さなければ切る事も折る事も出来ない悪魔の角を、文字通り根本から圧し折った。


 これによって、まず彼等の拘束が緩んだ。

 エマも身体を雁字搦めにしていた黒い拘束が力を失った事に気付き、その場で身を捩じる。


 徳川も拘束が緩んだのは気付いていたが、その場でそれ以上を動こうとはしていなかった。

 その姿が、エマには頼もしくも危なっかしくも見える。

 しかし、そんな彼の視線は、獲物を見つけた肉食獣のように思えたのは気のせいでは無かったことだろう。


『クソォ!ナラバ、貴様カラ食ラッテ、』


 体勢をなんとか立て直そうとした悪魔。

 床に倒れたままだった前足を掻き、四足を踏ん張ろうとしたというのに、


『…ナ、何故動ケン!…コンナ事デ、人間如キニ死ヲ与エラレルナド…ッ』


 その前足も後ろ足も、何故か床を力無く滑るだけで、立ち上がるという肝心の動作が出来なくなっていた。

 これには、さしもの悪魔も驚いた。

 そして、信じられなかった。


 今まで、人間を餌や生贄としか考えていなかった悪魔の事である。

 人体や動物の体の仕組みに対して、理解など一つもしようとは思わなかった。

 それに自身も当て嵌まる事は多いという事も、分かってすらいなかったのである。


 その身体の一連の動きは、先ほどの徳川からの頭突きの余波とも言えた。

 こめかみ辺りに生えていた角をへし折られる程の頭突きを受けたのだから、当然その中に詰まっている脳味噌はどうなるだろうか。

 激しくシェイクされ、一時的に麻痺したとしてもおかしくは無い。


 それに気付いたのは、案の定理屈は分からずとも徳川と、理屈を分かっているエマの両名。


 そして、それに好機であると考えたのは、紛れもなく、


「逃げられねぇなら、こっちから行くぞぉおおおおおお!!!」


 徳川だった。


 その場でまたしても、助走も無く跳躍した彼は、そのまま屋根裏すれすれまで飛びあがったかと思えば、今度は渾身の蹴りを放ったのである。

 またしても、部屋の中に響いた轟音に、思わずエマが肩を跳ね上げた。

 そして、その中に含まれた湿った音には、眼を瞑って声なき悲鳴を上げる。


 徳川が放ったドロップキックは、見事に身動きを取れなくなった悪魔の脳天に直撃した。

 それだけには留まらず、頭蓋骨をメキリと凹ませ、その下にある脳味噌まで衝撃を到達させた。


『ヒギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』

「これは、エマを怖がらせた分だ!!」


 しかし、徳川はあろうことか、その場でもう一度跳躍。

 もともとバランス感覚が優れていた事もあってか、悪魔の脳天に立ったまま寸分違わずに同じ位置へと着地出来るぐらいには、銀次の強化訓練を受け、成長していたこともある。


 三度目ともある攻撃は、単なる踏みつけ(スタンプ)であった。

 しかし、その威力が常人の域を遙かに超えている事など、言うまでも無い。


 再三の轟音と湿った音。

 その中に、今度はめしゃり、ともぐしゃりとも形容出来ない音が混じった。


 その瞬間、そんな徳川の姿を呆然と眺めていたエマは悟った。

 ………コイツは、この化け物を物理攻撃だけで殺せる、と。


 いつかのカミングアウトで馬鹿が付く怪力である事は知っていたが、今ではそれが恐ろしいとも感じた。

 だが、その力が恐ろしいだけであって、徳川自身を恐ろしいと感じている訳では無いと直感的には分かっていた。

 それが、何よりも頼もしいと思える事にも、気付いていた。


「(………あたしも、あんな風に誰かを守れるように、)」


 何度も、その背中を見てきた。

 銀次は勿論のこと、永曽根、榊原、香神、そして徳川。

 最初はほとんど同じスタートラインにいた筈のクラスメートの全員が、同じように成長し、前に進み続けていた。


 その背中に、銀次という存在が重なる程には、頼もしく強く成長していたようだ。

 少なからず驚いたのは、そう言った風に頼もしく感じる背中を見て、自分もそうなりたいと感じ始めていたことだった。

 今まで守られるだけだった自分の姿を省みて、少しだけ悔しくなったのも。


「(………このままじゃ、いけないんだよね。………ウチも、強くならなきゃいけないんだ)」 


 今までは姉を守る為に、意地を張り見栄を張り、ただただ虚勢を張る事しか出来なかった。

 でも、これからは違う。


 姉だけでは無く、今まで守ってくれていた銀次や、クラスメート達を守れるように強くならなければいけないんだ、と本能的に理解出来た。


 ならば、と、


「徳川、退いて!」

「………ッ、おう!」


 強烈な踏み付け(スタンプ)を繰り返し、悪魔を半分程挽き潰していた徳川の背中へ、彼女は威勢の良い掛け声と共に退避を要請した。

 そして、内心で(・・・)完結した詠唱のままに、その手を眼前へと翳し、


『『氷柱の檻(アイス・ゲージ)!!』


 彼女の適正のあった『水』属性でも、中級の魔法(・・・・・)

 それを、手加減や魔力の匙加減など一切考えず、精霊へと嘆願の後、発現した。

 勿論のこと、無詠唱である。


『グォオオオオオアアアアアアアア!!』


 まだかろうじて生きていたとでも言うのか、悪魔が絶叫を上げたがもう遅い。

 その場で、詠唱の文言通り檻のようになった氷の柱の中に、閉じ込められた悪魔。


 まさしく、氷漬けの剥製と言った有様となった悪魔に、ふんと鼻息を荒く、


「テメェみてぇな化け物、怖くなんてねぇんだつうの!」


 見下すようにして言い放った虚勢混じりの一言。

 それだけで、彼女は少しだけ強くなれたと感じたのは、我ながら現金であるとは分かっていたが。


「徳川、ありがとう。おかげで、助かっちゃったじゃん」

「…お、おう…ッ!」


 先ほど自身の怪我も省みずに救援してくれた徳川へも一言。

 そして、にんまりと笑みを浮かべれば、徳川は急展開とも言える状況に戸惑いつつも、同じようににんまりと笑ってサムズアップした。

 黒い拘束は、既に先程の怒涛のスタンプの最中に解けて絡まっているだけであった。


 一方徳川は、そんなエマの豹変ぶりに戸惑いながらも、


「(………オレ、守れたよな。

 ………こんな化け物みたいな力を持ってても、エマの事を守れたって事で良いんだよな…ッ)」


 自らの掌を見下ろし、ぎゅっと握る。

 その手には、血が滲み、ボロボロとなった酷い有様ではあったが、彼にとってはその怪我や汚れすらも成長の証だと思えた。


 ただ、ひとつ気掛かりだったのは、その力を振るった事による恐怖。

 なにも、制御できない力に恐怖を覚えているだけでは無く、その力を垣間見たであろうエマが怯えていないかどうかを恐怖していた。


 しかし、


「勝利の合図じゃん!」


 そう言って、エマがにんまりと笑ったまま、彼の眼前へと差し出した掌。

 女性らしく、細く整えられた、掌。


 その掌は、震えてもいなかった。

 彼女の表情にも、どこにも怯えや恐怖は無かった。


「………へへへっ!勝利の合図だな!」


 そう言って、限りなく加減した掌を、同じように彼女の手に当てる。

 軽く押すようなイメージながらも、ぱちりと鳴ったハイタッチの音。


 思えば、彼にとって初めてとなったハイタッチであった。

 嬉しさのあまり、涙まで滲んだ視界を隠す為に、彼は満面の笑みで微笑んだ。



***



「おい、こら!生きてるか!!」

「エマ、徳川!!」


 そんな最中、扉を蹴破って現れたのは、


「うにゃあああああああ!!熊男ぉおおお!!」

「うぉおおおおわぁああああああああ!!」

「失礼なこと言ってんじゃねぇ、誰が熊男だぁあああああ!!」


 彼等が見間違えた通り、熊男であった。

 熊男の影に隠れるようにして、香神も一緒だったのだが、それには結局しばらく経たないと気付けなかった。


 エマと徳川はこの時、あの悪魔の事よりもこっちの熊男の方が、何倍も怖いと考えていたのは余談としておこう。



***

現在、本編を一から再編集して改稿している最中なので、今後の更新はいつになるのか分かりませんので、あらかじめご了承くださいませ。

なるべく、早く投稿出来るように頑張りたいと思います。


誤字脱字乱文等失礼致します。

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