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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、森小神族の親子編
73/179

62時間目 「課外授業~お返しと仕返しは紙一重~」 ※流血表現注意

2015年12月31日初投稿。


遅くなりましたが、今年最後の続編を投稿させていただきます。

筆が進めば、もう一話も考えています。


それから、先日ブックマーク件数が200を超えました。

作者にとっては、初の快挙です。

今後ともよろしくお願いいたします。


今日で最後の年の瀬に何をしているのか…。

今年も1年、ありがとうございました。

来年もこのような作者ではありますが、よろしくお願いいたします。

皆様、良いお年を~。



62話目です。

タイトルの通りに、ギンジの仕返しが始まります。

***



 その日の夜は、酷く静かだった。

 勘の良い者ならば「嵐の前の静けさ」だと、呟いたかもしれない。


 宵闇に昇った月は、既に中点を過ぎて久しく。

 真夜中とも朝方とも呼べる時間帯。

 その中で、未だ煌々と明かりの付いた場所は、限られていた。


 貴族の邸宅の一角。

 一等地とも形容できる区画のほとんどを占領したその邸宅は、白を基調とした意匠の凝ったデザインだった。

 ダドルアードの城もかくや、と称される景観をもった邸宅。

 この王国内で、その地位にある人物はおのずと限られてくる。


 代々、このダドルアード王国の騎士団長を務める貴族家、ウィンチェスター家。

 この白を基調とした意匠の邸宅は、彼の貴族家の邸宅であった。


 その邸宅の一部には、まだ明かりの灯った部屋が見受けられた。

 数本の蝋燭の明かりだった。

 そこは、執務室。

 ウィンチェスター家の現当主である、ラングスタ・ウィンチェスターの執務室だ。


 本棚が立ち並び、中には大量の蔵書。

 見る物を圧巻とさせる威圧感は、本人と似通っていた。

 厳格なラングスタは、若くしてこのウィンチェスター家を継いだ。

 父が早世しているからである。

 この執務室は、元は彼の父親のもの。

 この蔵書の数々も、彼個人の所有物では無く、家督や執務室同様父から譲り受けたものだった。


 見る者に圧迫感を与えるその本棚に囲まれるようにして、彼は執務机に向かっていた。

 手元には、この世界でも高級品である紙。

 書類仕事である。

 最近は、騎士団長本人が城を不在にしていることが多く、その為に発生した書類仕事などはすべてラングスタが引き受けていた。

 騎士団長が不在の理由は、国王からの指示である事を彼も十分承知している。

 でなくば、彼は当の本人を叱り飛ばしてでも、この書類を片付けさせようとしていただろう。

 しかし、いくら立場はそう変わらないと言っても、国王とその臣下。

 体裁を考えるのであれば、否やは言えず、むしろ言おうとも思わない。

 これも、「貸し」だとラングスタは考える。


 かつて、この国の国政が傾きつつあった時、政策や金策が滞っていた。

 税金の徴収すらも儘ならなかった時期が、少なからずあったのも事実だ。

 そんなもの、絞り出してでも徴収しろと、ラングスタは言った。

 しかし、それを却下したのは国王に他ならない。

 民の生活が乱れているのは、我等が国の責務だと言い張り、徴収の免除すらも検討し始めた。

 それで、貴族家方方から借金をして立ちまわっていたのだから、もはや眼も当てられぬと皮肉を呟いていたものだ。


 しかし、それも最近になって変わった。

 貿易の循環が、思った以上に軌道に乗ってしまったからだ。


 石鹸や、シガレット。

 その他、細々とした布製品の流布も、白竜国からの貿易枠を超える勢いで輸出可能になりつつあった。

 転がり込んでくる金額は、ここ数カ月だけを見ても増加傾向にある。

 方々への借金返済は勿論、最近は国庫の補充も然ることながら、騎士団の拡張にまで手を伸ばせるまでになった。


 その背景には、国王が抱え込んだ『予言の騎士』の存在。

 ラングスタの息子でもある騎士団長や、あらかたの体面すらも犠牲にしてを抱え込んだ一縷の望みであった。


 と、そこまで思い出した時点で、ラングスタはその口元をへの字にひん曲げた。

 その『予言の騎士』と謳われた、おおよそ騎士にも不釣り合いな貧相な青年の不遜な顔や態度までもを思い出したせいである。


 黒髪に、白い肌。

 ひょろ長い手足に、威厳の無い立ち姿。

 言われなければ、男だとも分からない。

 女であった方が、まだ需要があったと陰で笑った。


 しかし、その頭脳、そして胆力は眼を瞠るものがあった。


 輸出品の考案を始め、国庫を立て直したのは勿論のこと。

 現在は、医療技術への参入も検討していると言う。


 胆力は言わずもがな、ラングスタからの嫌味や皮肉にまったく反応していなかったところからもうかがえる。

 そもそも、交渉術や口先に長けており、国王どころか参謀各位すら歯が立たない白竜国国王相手に、あろうことか1対1の会談を要請し、更にはそこから盟約条件の撤回やらなにやらをもぎ取った件は、今でも城の重役達の語り草だ。

 

 更に実際に重要になってくる『予言の騎士』としての戦闘能力。

 これは、飛び抜けて高い。

 ゲイルとは、既に同格だと聞いている。

 ただほんの数カ月鍛えただけ。(※元軍人云々の件は、まだラングスタの耳には入っていないらしい)

 キメラ討伐の時はまだ半信半疑であったが、ここ最近になってからはそれが事実である事を認識した。

 間者の気配にもよく気付き、間者から失敗の報告が上がった時には冷や汗を掻いた。

 天龍族を御した時とて、武力では到底手が負えぬと悟った。


 だからこそ、搦め手を使う事を決めた。


 そこで、ふと溜息を零したラングスタ。

 手元の書類は、残すはサインだけとなっていた。

 簡単な書類だと言うのに、書き上げる事に随分と時間がかかってしまった。

 それも、その筈。

 夜中は疾うに過ぎた。

 彼は、これまでも度々、執務に追われて眠る時間を削って来た。

 それは、どこかの誰かさんとも同じではあるが、そろそろ年齢が60代へと届こうかと言うラングスタにとっては、年々厳しくなって来ている作業でもあった。


「(…そろそろ、眠るか。どうせ、これを終わらせたとしても、また明日から書類は増える)」


 これが終えても、次は来る。

 途中で終わったとしても、誰も文句は言えないだろう。


 最近は、こうして中途半端な放棄すらも慢性的に続けてしまうようになった。

 それもこれも、騎士団長と言う職務のある当の本人がいないことに起因するのだが。


「(…さて、あ奴はどうするか)」


 その表題に上がった騎士団長。

 もとい、彼の息子の顔を思い出し、ラングスタは口端を歪めた。


「(…兄と友を天秤に掛けるか、さもなくば友に泣き付いて私を糾弾するやもしれんが、)」


 今日の朝方、ラングスタはその騎士団長本人であるゲイルを呼び出している。

 最近は、『予言の騎士』が責任者を務める校舎に入り浸ったまま、帰宅すらもしていない状況。

 中で何をしているのかという邪推はあった。

 しかし、間者からの報告では護衛の傍ら、教師として魔法の授業を任されていると聞いた時は驚いた。

 確かに、ゲイルは子どもの頃から魔法の才能も飛び抜けていた。

 自身ですら覚え切れなかった『十分節』以上の魔法を、片手間で習得していたのは確か12歳の時だったか。

 父親でもある彼も、度肝を抜かれたものだ。

 それを見抜いたようで、『予言の騎士』はゲイルを教師としても迎えている。

 このままでは、自宅に寄り付かなくなるのも時間の問題か、と妻も子ども達も不安そうにしていた。

 先に釘を刺すべきだと認識し、彼はゲイルを上司として呼び出した。

 そうでもしないと、ゲイルが応じなくなっていたのは確かである。


 その呼び出しの時だ。

 彼に、嘘では無いが、真偽は不明である話をした。

 「兄の常駐している砦で、ボミット病が出た」と。


 これは、兼ねてより報告に上がっている事象であった。

 ボミット病の発症は、年々増えている。

 それも、あの最南端の灯台砦だけが。


 そこで、ラングスタは、苦笑にも似た表情で、口元を歪ませた。


 ボミット病。

 今でも、特効薬どころか治療法すら分からない不治の病。

 それが、あの砦では頻発している。

 今回の報告も、何度目かも分からない報告だった。

 奇しくも、報告を上げるのは、ゲイルの兄であり、ラングスタの一番上の息子。

 その彼も、実際にはいつ発症しても可笑しくないと、ラングスタは踏んでいる。


 既に、彼は気付いていた。

 ボミット病の発症条件の中に、『闇』属性が関わっている事を。

 それは、こうして頻発する発症を聞けば分かる。


 そして、今回はその報告を逆手に取った。

 「兄の常駐している砦で、ボミット病が発症した」と、今回が初めてであるように、ゲイルの耳に入れたのである。

 その時のゲイルの反応は、劇的なものであった。

 おそらく、兄の安否を気にしていたのだろう。

 それが、突然の報告によって、焦りが生まれる。

 そこへ、ラングスタはつけ込んだ。


 嘘でも無い。

 だが、真偽を確かめるには、不明な点が多い話。

 そんな曖昧な情報を、ゲイルに握らせ、一言吹き込むだけで良い。

 彼は、昔から歳の離れた一番上の兄を、敬愛していた。


『あやつの代わりとなる、灯台守がいるな』


 連れて帰ってやりたいのは山々ではあるが、灯台守が決まらないままでは連れ帰る事も出来ない。

 そう暗に含めた言葉。

 その後は、予想通りに進み、ゲイルは、自分が灯台守の任を受けると言って来た。

 しかし、それは現状では不可能だ。

 彼は騎士団長であり、早々『終着点はかば』と呼ばれる灯台守の任に就ける事は出来ない。

 国防が疎かになるどころか、国民からの反発を食らう事となるだろう。

 彼はそれだけ、国民からの信頼が高い。


 その上で、兼ねてより耳に入っていた森小神族エルフの子どもを出汁にした。

 聞けば、母は『太古の魔女』だと言う。

 伝説としか考えてはいなかったものの、もし本当であれば国で抱え込む事はやぶさかでない。

 しかし、その『太古の魔女』に関しては、王国自体が確執があると聞いた。

 直近では、40年程前の戦時下に、彼女が開発した魔法具を強引に徴収。

 その前は、彼女の主人や娘を人質に、戦役へと投入など。

 城で登用するのは難しいだろう。

 しかし、別の場所で登用するならば、どうだろうか。

 つまり、彼女を身柄を確保することが出来れば、兄を連れ戻す事も可能。


『兄を助けたいと思うのであれば、余計な情は切り捨てろ。

 家族と知り合いというだけの少女の、どちらが大事なのかを今一度考えろ』


 そう言って、ラングスタはゲイルに詰め寄った。

 確保を命じた訳では無い。

 命令では無く、あくまで念押し。

 狡猾と言われればそこまでながら、ラングスタはゲイルの思考誘導を御した。

 勿論、国王すらも通さぬ独断のまま。


 それに対し、ゲイルはさっそく行動を開始した。

 校舎の護衛の騎士団半数を招集し、昼頃には王国の東門より出向したと報告を受けている。


 私も、この貴族の社会に染まり切ったものだ。

 内心、辟易としながら、自嘲とも言える表情を顔に貼り付ける。

 しかし、次の瞬間にはその表情を、厳格な無表情の裏側に隠した。

 それも今更だと、気付いたからである。


 ラングスタはサインを書き終えた。

 書類の束を少しだけまとめ、椅子を立ち上がる。


 ふと、その時。


「…何の音だろうか、」


 彼の耳には、何か別の音が聞こえてきた。

 オカリナでも鳴っているのか。

 いや、それにしてはどうにも音が高い。

 耳に届く音に、ラングスタは集中する。


 ポーン、ポーン。


 一定の間隔を置いた、音の根源。

 それは、ピアノの音だった。

 思わず、ラングスタの背筋が凍る。


 執務室の近くには、確かにピアノを設置された大部屋がある。

 この世界では、既に誕生しているとはいえ、とても高価な楽器だ。

 流通は、主に白竜国からの輸入である。

 ラングスタですら手に入れるのが、大変だった。

 そしてその大部屋は普段、貴族達を集めて会食や催事などを行っているホールであった。

 だが、そんな事は良い。

 問題はそこでは無い。


「何故、こんな夜分に?」


 時間帯が、問題なのだ。

 昼間ならば、別段驚きはしなかった。

 ピアノ自体は、彼の子ども達にも習わせているし、昼間ならば時たま妻も叩いている。

 だが、今は朝方に近くなろうとした真夜中だ。

 子ども達でも、妻でも無い。

 そこに思い至った時、ラングスタは硬直した。

 ならば、誰なのか、と。


 彼は、手元にベルを引き寄せた。

 使用人たちを呼ぶベルを、けたたましいと形容できる勢いで鳴らした。

 しかし、それに応える者は、いない。


「おい、誰かいないのか!!」


 呼べども呼べども、誰も来ない。

 いつもならば、どんな時間であろうとも駆け付ける執事はおろか、この時間には働き出しているであろう下男下女すらも来ない。

 それこそ、妻や子ども達が聞きつけているかもしれない。

 しかし、誰も来ない。


 ラングスタは、半ばパニックとなりつつも、力無くベルを置いた。


 斯くなる上は、確かめる他あるまい。

 ラングスタは、震える体を叱咤し、執務室の奥の壁に向き直った。

 そこには、執務室にも不釣り合いな武器類が掛けられている。

 装飾の付いたものから、実用性の高い武器まで。

 その中から、最も使い慣れた槍を手に持つ。

 彼もまた、ゲイルの前任の騎士団長。

 代々騎士団長の任を拝命していたのは、何も家柄だけでは無い。

 その実力も踏まえた上で、数百年代守り続けている任であった。


 執務室を出る。

 廊下は、明かりすらも灯っていない。

 中点を超えた月と、近づきつつある夜明けのおかげで、多少の光源はある。

 しかし、それだけだ。

 足元は、若干覚束ない。


 更には、静か過ぎる。

 聞こえるのは、先程から不気味な程に続くピアノの音だけ。

 いつもならば、この時間から既に下男下女が動き出している。

 執事達とて、夜勤の者たちがいた筈なのに、その気配すらも皆無。

 まるで死んだ屋敷の中に迷い込んだような気分を味わった。


 緊張の面持ち。

 こめかみからは、冷や汗が吹き出している。


 彼自身、騎士団長の任を離れて久しい。

 ゲイルにその後進を譲ってからも鍛練を続けてはいたが、それでも襲い来る年波には勝てない。

 全盛期の半分の力も無いだろう。

 それでも、彼は退く訳にはいかない。

 それが、前騎士団長としての矜持だった。


 廊下を進み、連絡通路を超える。

 すぐそこが、件の大部屋。


 その扉は、少しだけ隙間を残して開いていた。


 ぞわりと、背筋を這い上る悪寒。

 誰もいない筈の屋敷の中。

 静かな空間に響くのは、ピアノの鍵盤を叩く音。

 音は『シ』だろうか。


 腹に力を込め、一気に突入する段取りをする。

 息を整え、彼は一度汗で濡れたこめかみを拭った。

 思った以上に冷たい感触が手に残っている。

 ズボンで汗を拭い、槍を握り直した。


 彼は、中途半端に開いた扉に槍を引っ掛けて、恐る恐る開いた。

 扉がゆっくりと開いていく。

 それに合わせて、槍に対し半身となりつつ、大部屋へと滑り込んだ。


「誰だ!!」


 槍を向けつつ、ホールに反響する程の大声を発する。

 そこで、ピアノの音は止まった。


 そして、ラングスタの動きも止まった。

 眼を向けた先。

 ピアノの鍵盤を叩いていたであろう人物の姿が、窓から差し込む明かりの中に浮かび上がっている。


「……ーーーーーッ」


 ラングスタは引き攣った息を発した。

 確かに、そこには人がいた。


 黒髪。

 白い顔。

 長身でいて、がっしりとした体格。

 着込んだ甲冑は、ダドルアード王国の紋章も掘られている。


「あ、アビィ…!…な、何をして、……?」


 見慣れた、三男の姿。

 それが、ピアノの鍵盤の前に立っている。

 外の明かりの中に、ぼんやりと浮かび上がっていた。


 ラングスタの、警戒心はすぐに薄れた。


 その筈だった。


「…ど、どうした、その姿は…!それに、お前…任務で王国を出たと、」


 しかし、彼の脳が、そんな筈が無いと、現実の光景を否定しようとする。


 彼は、今このダドルアード王国にいる筈が無かったのだ。

 昼頃に東門から出向して、『クォドラ森林』へと向かったと聞いていた。

 ならば、どんなに急いだとしても、往復の行程は2日掛かる。

 こんなに早く、帰ってくることは無い。


 更には、その姿。


 ラングスタは、こめかみどころか顔中から冷や汗を吹き出した。


 泥か何かで汚れ、振り乱された黒髪。

 いつもは艶やかであった髪は、見る影も無い。

 白を通り越して、いっそ青白く見える肌。

 光の加減を差し引いても、その白さは異常だった。

 立ち尽くすと表現できる立ち姿にも、生気すら感じられない。

 雄々しかった甲冑姿すら、不気味に映る。

 その甲冑すら、各部に罅や凹み、更には泥か何かの液体を付着させていた。


 はっきりと言えば、不気味。

 さながら幽鬼のようにも見えた息子の姿。

 そんな息子の姿を、ラングスタはただ呆然と眺めるしか無かった。


 そこで、ふと、ゲイルが俯き気味だった顔を上げた。

 前髪に隠れていた目が、露になった。


 その途端、


「あ、アビィ…ッ!!ーーーーーー…ッ!!なんて事だ…!!」


 ラングスタは、怒声とも悲鳴とも付かない声を上げて、大広間の床に崩れ落ちた。


 俯いていたことで見えなかった目が露になった。

 そこには、真っ白い眼球が覗いていた。

 黒眼は無く、ただただ充血した白目だけ。


 そして、夜明けが来たのか。

 窓の外が、俄かに明るくなった。

 そこで見えた。


 彼の髪や、顔、甲冑を汚していた正体。


「あ、…アビィ、アビィ…ッ!!なんて、なんて酷い…ッ!…うぉおおおおおお!!!」


 彼を不気味に染め上げていた泥のような何か。


 それは、血だった。

 赤黒く、酸化した血潮。

 それが、べったりと彼の体を汚していた。


 ラングスタは、崩れ落ちたその場で、蹲った。

 その場で、恥も外聞も無く泣き出した。

 雄叫びにも似た声を上げ、滂沱の如き涙を流して。


 それを、真っ白い眼球で、ゲイルはただ眺めているだけ。

 命は無い。

 ただ、立っているだけ。

 血潮の量からして、既に致命傷だとすぐに分かる。

 既に彼に、命は無い。


 本能的に、ラングスタは悟った。

 自分の命令が、息子の命を奪ってしまったことを。

 彼は悟った。

 この状況が、何を意味しているのか。


「…『予言の騎士』…!何と言う事を!!…我が息子に、何と言う事をしてくれたぁああああああ!!」


 涙を流し、涎を撒き散らして、彼は叫ぶ。

 息子を殺す事となった遠因は自分とは言え、それを実行した人物は一人しかいない。

 そもそも、この王国にゲイルを害せる人物など、数えるほどもいない。


 そう考えた瞬間だった。


「ご名答」


 ぽーん、とピアノの鍵盤が叩かれた。

 更には、聞こえる筈の無い第三者の声。


 ラングスタの脳裏に蘇る『予言の騎士』の姿。

 そして、その人物の声。


「…いかがです?制御は難しいですが、なかなかの出来でしょう?」


 その言葉と共に、ポーンとピアノの音が鳴る。

 跪いたままのラングスタには、見えた。

 ピアノの椅子には、二人分の足が見えていることに。

 ひとつは、命を失ったままのゲイル。

 ならば、もう一つは?


 そこで、そのもう一つの足の持ち主は立ち上がった。


 窓からの明かりの中、真っ白な肌をした、女にも見える顔が姿を現した。


「『予言の騎士』…!!貴様ぁあああああああ!!」

「おやおや、随分とお怒りですね。…寝不足ですか?」

「ふざけた事を!!…私の息子に何をしたぁあ!!」


 そこに立っていたのは、彼が思い浮かべた人物だった。

 黒髪に、白い肌。

 群青の瞳に、貼り付けたような軽薄な笑み。

 『予言の騎士』と呼ばれたギンジ・クロガネその人が、ゲイルの隣に立っていた。


「何をしたとは、また難しいことを聞かれますね。 説明としては、死体を再利用しているとしか言いようがないのですが、」


 死体を再利用した。


 そんな言葉を臆面も無く発せられ、ラングスタの怒りは頂点に達した。

 たとえ、反抗ばかりの息子であったとしても、ラングスタにとっては息子だった。


 それが、人を人とも思わぬ所業で、このような形で動かされている。

 それに耐え切れるほど、ラングスタは人を捨てた覚えは無かった。


「なんて惨たらしい事をしてくれる!!我が息子をなんだと、」

「その言葉は、そっくりそのままお返ししましょう? あなたは、自分の息子を何だと思っていたのです?

 そして、その息子を使って何をさせようとしていたのですか?」


 息子を殺した遠因。

 それを、指摘された気がして、ラングスタは思わず鼻白む。

 そして、絶句した。


 残念ながら否定は出来なかった。

 事実だったからだ。

 彼は、ゲイルを真偽の定かでは無い情報を握らせたまま、送り出した。

 命令では無いと一口に言っても、その言い訳は生きている間だけ有効だった。

 死んでしまったとなれば、取り返しが付かない。


 涙でぼやけた目線。

 それを、もう一度ゲイルへと向けた。

 しかし、相変わらず息子の顔には、生気など感じられず。

 白く濁った眼球は、どこも見ていない。

 よくよく見れば、まだ口元から赤黒い血液が溢れ出している。


 改めて見た、息子の惨たらしい死に様。

 惨いと、口の奥で転がした音。

 それを、更に仮初の命として扱われて使役された。

 そんな息子の姿に、ラングスタはその場で嘔吐いた。


「貴様は…ッ、貴様は、息子に何をした…っ!」


ラングスタは、その言葉を発するので精一杯であった。

 息子の死も、その死に様も、とても直視できない状況。

 だというのに、更に死体を弄ばれたとなれば、精神的な面で崩壊しても可笑しくは無い。


 それでも、踏みとどまっているのは父親としての矜持。

 最後に残された、息子を想う父としての矜持だけが、彼を繋ぎとめていた。


「先程も言いましたよね。死体を再利用しました、と」

「…返せ!…息子の命を、死を!…これ以上冒涜する事は許さん!!」

「許さない?このような原因を作ったあなたが、その言葉を使うのですか?」


 『予言の騎士』は、にっこりと微笑んだままだった。

 その表情は、一度たりとも崩れていない。


 その微笑みすらも、ラングスタには不気味に思えた。


「ああ、そんなに睨まれなくても大丈夫ですよ。そのうち、処理して埋葬ぐらいはさせていただきますから…。

 まぁ、寂しいかもしれませんけどね」

「か、返せっ!息子を返せ!!」


 ラングスタは、腹の奥底を絞るようにして声を吐き出した。

 その声は、憎悪に塗れて、濁っているようにも感じられる。

 これ以上ない程の殺気を向けた。

 だが、彼には到底、届きそうにもない。


 対する『予言の騎士』は、まったく動じていない。

 それどころか、更に笑みを深める始末。


「…そうですねぇ。…まぁ、そのうちに、」

「今すぐだ…!…息子の死をこれ以上、冒涜することは、」

「冒涜?せめて、最後に一目でも会わせてあげようと言う心遣いのつもりだったのですが、」


 にこりと、微笑んだ『予言の騎士』。

 あろうことか、彼はその場で、ピアノの鍵盤を手持無沙汰に弾き始める。


 余裕とも取れる行動。

 その実、余裕なのだろう。


 そして、慈悲も無い。

 あるのは、残虐な嗜好。

 この男には、手を出すべきでは無かった。

 今更になって、ラングスタは思い至る。


 力無く、彼は項垂れた。

 そこには、今まで貴族としての矜持に勇んでいた男の面影は無かった。

 ただただ、疲れ果てた貴族の男が、槍を片手に蹲っている。


 しかし、


「ああ、それと、」


 それだけで済まされなかった。

 重苦しい空気に不釣り合いな陽気な声。

 さも今何かを思い出したかのような振る舞いを見せる『予言の騎士(あくま)』。


 ラングスタは、忌々しそうな視線を隠しもせずに、当の本人を睨み付ける。


 やはり、その視線に動じる事無く『予言の騎士』は、徐に歩み出す。

 ラングスタとは反対側にある、広間ホールの扉へと。


「…これに対しては、少し謝罪をしなければならないかと思いますが、」


 そう言って、振り向きざまに笑った男。

 その笑顔は、今までに無いほど爽やかで、同時におぞましい微笑みであった。


「屋敷が少し静か過ぎたでしょう? すみませんが、騒がれると面倒でしたので、先に色々と処理をさせていただきました」


 そんな彼の言葉を聞き、ラングスタの背筋に悪寒が走る。

 彼も、今思い出したのだ。

 自棄に静か過ぎた、屋敷の気配。 

 ベルを鳴らしても来ない執事や使用人達。

 あれだけ騒いだと言うのに、一向に駆け付ける気配のない家人の姿。


 ラングスタの脳裏に、過る最悪。

 眼を向けた先では、未だに悪魔が笑っていた。


「察しが宜しいようで」


 そこで、彼は扉を開いた。

 遅れて漂って来た異臭。


「ーーーーーーーーーッ!!」


 ラングスタは、声なき声を上げた。


 扉を開けた先。

 そこには、


「うぉおあああああああああああああああ!!!!」


 死体が積み重なっていた。

 赤黒い血潮に濡れた、家人達の姿があった。

 執事も下男も下女も等しく、死んでいた。


 その中には、勿論彼の家族の姿もあった。


「寂しいかもしれません、と言ったでしょう? だって、」


 血潮に濡れた妻や娘、息子。

 愛して止まない妻は、ナイトドレスの胸元に無骨な斧を突き立てられていた。

 年端もいかぬ子ども達は、それぞれ首を掻き切られていた。


「もう全員、殺しちゃいましたから」


 悪魔が笑った。

 不釣り合いな程に、穏やかに。

 それでいて、艶やかに。


 ラングスタは、その場で嘔吐した。

 父としての矜持も、元騎士団長としての矜持も無くなった。

 彼は、この一晩で全てを失った。

 愛する家族は事切れて、過度な期待をしていた息子すらも幽鬼のような有様となっている。

 心が折れた。

 そして、吐瀉物の中におぼれるようにして、彼は気を失った。



***



 そんな夢を見た。


 ラングスタは、跳ね起きた。

 彼はいつの間にやらベッドの上で就寝していた。


 そして、跳ね起きるなり、床へと転がり落ちると、その場でげぇげぇと嘔吐した。

 しかし、胃の中身は何も無かった。

 それもその筈。

 朝方である起きがけの胃の内容物が詰まっている訳もない。 


 ひとしきり嘔吐いたところで、異変を聞き付けた執事が駆け込んできた。

 夢の中では不気味な程に感じられなかった人の気配。

 それも、夢から覚めたラングスタには感じられた。

 それがなによりも、ほっとした。


 ただし、いつ就寝したかは、ラングスタ本人すらも覚えていない。

 違和感を禁じえないながらも、彼はそれを喜ぶ事にした。


「大丈夫ですか、旦那さま。今日は養生をされては、」

「いや、大丈夫だ。…夢見が悪かっただけだからな、」


 心配する執事の声も心地よく。

 ラングスタは、安堵とも辟易とも思えぬ溜息と共に立ち上がった。

 床の汚れを執事に任せ、彼は身支度を整える。

 ベルで呼び出せば、着付け用の執事も現れた。

 ついでに、モーニングティーの給仕も現れて、そそくさと準備をして戻っていく。

 ここでも安堵したのは、言うまでもない。


 汗で濡れた夜着が気持ち悪かった。

 彼はその夜着を処分するように申し付け、いつも通りの正装へと着替えた。


 モーニングティーは、紅茶であった。

 少し柑橘系の果実を搾ったものが、最近のお気に入りであった。

 給仕が出て行く姿を見送って、彼は殊更安堵のため息を吐いた。


 しかし、彼は知らない。

 その給仕の瞳が、白く濁っていたことなど。


 床の清掃も終わり、着替えも終え、執事から本日の予定を聞いて。

 ラングスタのいつも通りの朝が始まった。

 程無くして、使用人が朝食の準備が整った事を知らせに来た。

 彼は予定を聞くのも程々に、寝室からダイニングへと移動する。


 廊下には、朝から忙しそうな使用人達が溢れていた。

 ここでも彼は安堵した。

 夢見が悪かっただけだ、と震えそうになる体を抑え込む。


「…遅れたかな」


 そう言って、ダイニングの扉をくぐる。

 いつも通りの朝の風景。


 しかし、ふと眼を上げた先には、


「いいえ、お気になさらず、」


 黒髪の悪魔が笑っていた。


「ひっ…!」


 乾いた悲鳴と共に、踏鞴を踏んだラングスタ。

 その姿を見て、頬笑みを浮かべたままの悪魔。

 もとい、『予言の騎士』。


 悠々と紅茶のカップを飲み、傍らには黒い長髪の偉丈夫を携えて。


 その傍らの偉丈夫を見れば、


「あ、アビィイイイイイイイイイイ!!!」


 ラングスタは、悲鳴を上げた。

 そこには、夢で見た姿と寸分違わぬ息子の姿があった。


 血潮に濡れて、髪を振り乱し、顔を青白く染め、不気味に立ち尽くす息子ゲイルの姿。

 その眼球も、やはり白く濁って、充血していた。


 更には、


「朝食にお誘いいただきまして、恐悦至極。

 ああ、遅れた事に関しては、お気になさらず。奥方をはじめとした皆さまとも、とても楽しくお話をさせていただきましたので、」


 そう言って、紅茶のカップを置いた『予言の騎士』。

 手を差し出した先には、


「うぁあああああっ!!うぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 既に事切れた妻や子供たちも、椅子に座っていた。

 その眼は、ゲイル同様に白く濁り、充血している。

 死に際の恰好のままなのか、全員がナイトドレスや夜着であり、その胸元には斧が突き立っていたり、ぱっくりと首が掻き切られていたり。


 ラングスタは悲鳴を上げた。

 夢の中同様に、恥も外聞も無く泣き喚いた。


 そして、ぶつり。

 脳内で何かが切れる音を聞いたと同時、彼の意識は途絶えた。



***



「旦那様…!!」


 悲鳴にも似た執事の声。

 それと同時に、ラングスタは眼を覚ました。


 それと同時に、またしても跳ね起きる。

 夢の内容と同じく、その場で嘔吐えずいた。

 しかし、これまた夢と同様に、中身が詰まっている訳も無い。

 胃液だけが、床を汚した。


 彼は、執務室の床に倒れ伏していた。


 傍らには、ベルが落ちていた。

 まとめた筈の書類も散らばっている。

 そして、カーテンで締め切った窓からは、月明かりとも朝日とも判別の付かない光が差し込んでいた。


「いかがなさいました?吐き気の他に、どこか体調が悪い場所はございませんか?」


 蝋燭を立てた燭台を持ち、執事が心配そうに彼を覗き込んでいる。

 その顔を見て、彼は荒い息を吐き出した。


 今までのすべてが夢だった?


 半ば呆然と、ラングスタは目の前の執事を注視した。


 眼は不安げな色に揺れている。

 勿論、白く濁ってもおらず、充血もしていない。

 血のりどころか、鉄錆の臭いすらしない。


「…今は、何時だ…?」

「はい。現在は、朝の5時でございます」


 ラングスタは思わず安堵した。

 詰めていた息を吐き出し、冷や汗で濡れたこめかみを拭う。


 体を起こし、辟易とした顔を隠さぬまま、大きな溜息。

 執事は心配そうにしながらも、床に落ちていたベルを拾い、それを鳴らした。

 俄かに、騒がしくなる廊下。

 家人の気配がある事に、ラングスタは再三の安堵の溜息を吐いた。


「何がありましたか?」

「…いいや、少々立ちくらみがしてな…」

「き、気分が優れないようでしたら、一度医者をお呼びいたしましょうか」

「いいや、平気だ。…それよりも、アビィから何か連絡は入っておらぬか?」


 体を起こし、執事へと問いかける。

 執事は、ハッとした表情となった。


 思わず、嫌な予感。

 ラングスタも表情を引き締めた。


「い、いえ。…若様からでは無いですが、国王からの通達がございました。 急ぎ、登城されるようにと、」 

「そ、そうか…」


 ふと、安堵した。

 執事が受けた言伝は、息子からのものでは無かった。

 しかし、安心は出来ない。

 この王国の筆頭である国王からの通達である。

 しかも、こんな朝方にも関わらず通達されたとなれば、緊急であると察しが付く。


「分かった、すぐに向かおう。着替えを頼む」

「し、しかし、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ。…体を拭く布も頼めるか?」

「は、はい。かしこまりまして、」


 その後も続々と駆け付ける使用人達。

 一通り、彼等の眼の色を確認して、ラングスタもようやく詰めていた息を吐き出した。

 皆が生きている。

 それだけのことで、ここまで安堵するとは夢にも思わなかっただろう。

 彼等に囲まれるようにして、ラングスタは執務室を後にする。

 残されたのは、散らかされた書類達だけだ。


 しかし、その執務室の窓の外。

 そこには、黒いフードを被った人影があった。

 全部で三人。

 その口元は、見るからに微笑んでいた。

 見る人によっては、おぞましいとも思える微笑みで。


 しかし、それに気付く者はいない。

    

 その後、ラングスタは手早く身支度を整えると、王城からの迎えの馬車に乗り込んだ。

 護衛の人物数人と、付き人を連れて。

 早朝の冷たい空気の中、馬車は進む。


 その馬車の御者台に座った男達が黒いコートのフード姿であった事など、気付く事は無い。



***



 朝の6時を回ろうとする頃。

 王城へと到着したラングスタを待ち受けていたのは、鎮痛な面持ちをした『白雷ライトニング騎士団』の面々であった。

 ひやり、と嫌な予感がラングスタの脳裏を過る。

 それを極力、表面に出さないように努めながら、騎士団達の先導の元、彼は国王が指定した貴賓室へと通された。


「…これで、オレ達も解散、か…」

「馬鹿もの、公爵閣下に聞こえるだろう…!」

「…だけど、騎士団長が、」


 後ろ背に聞いたその声に、ラングスタの目の前が真っ赤に染まる。

 やはり、緊急の呼び出しは、ゲイルに関することだったのか、と。


 貴賓室へと入れば、国王は神妙な表情をしていた。

 対面に座る人間はいない。

 国王は、自分の姿を認めると、すぐに手を差し出して対面のソファーを指し示した。


「遅ればせながら、馳せ参じました」

「…良い、公爵。…こちらへ座れ、」

「はっ」


 言われた通りに、ソファーへと座る。

 高級品である革張りのソファーは、自棄に冷たかった。


「…主を呼び出したのは、他でもない。主の息子、アビゲイルの事で相談があってな、」

「は、はっ。…不詳の息子が、何か致しましたでしょうか?」


 国王は切り出した。

 はっきりと、ゲイルの名前を口にし、そこでラングスタを見た。


 ラングスタ自身、息子の名前とその末路に関して、心当たりが無いわけでは無い。

 夢の内容もあってか、ついつい固い声と共に、体を強張らせた。

 国王は、そんなラングスタの姿を見て、溜め息を一つ。

 まるで、出来の悪い息子か何かを嘆くような姿であった。

 そう思ったのは、幾度か眼にしている光景だったからだ。

 国王には、とうが立ち始めた息子が一人いるが、その息子が最近は好き放題にしていると聞いている。

 彼からしてみれば、もしかしたら臣下も同じように見えているのかもしれない。

 ふと、嫌悪とも悔しいとも感覚が沸き起こるが、それをなんとか抑え込んでラングスタは国王を見返した。

 次の言葉を、静かに待つつもりであった。


「…ここからは、私では無く彼に説明をして貰うべきだろう」

「…はっ…?」


 しかし、国王の次の言葉は、予想とは違った。

 説明をするのでは無く、説明をして貰う。

 ラングスタの脳裏に、再三の嫌な予感が過る。


 それと、同時に、


「…お呼びですか、国王陛下?」


 テノールの、良く通る声であった。


 ここ最近、彼にとって耳慣れてしまった声が、ラングスタの耳に届いた。

 びくり、と体が強張った。

 今まで以上に、固く、そして恐怖するように、おこりのように震え始める。


 それを国王は、眺めているだけだった。

 神妙な表情を隠しもしないまま、ただ眺めているだけだった。

 白く、濁った瞳で。


 ラングスタはそれに、気付かない。

 視線は、床へと縫い付けられてしまっていた。

 先ほどラングスタが入って来た、扉。

 そこから、数名の足音が入室してくる。

 ひとつは軽快な、革靴の音。

 うち、ひとつは酷く鈍重な鎧の足音。

 混ざり合った足音の不協和音は、まっすぐとこちらに続いている。


「久しくお目にかかります、公爵閣下」


 国王の呼びかけに応じ、入室したのは『予言の騎士』。

 黒髪に白い肌、群青の瞳に軽薄な笑み。


 夢で見たのと寸分変わらない姿形の人物が、ラングスタの目の前に立っていた。


「…あ、う…お、ひさしゅう」

「お隣、失礼いたします」

「えっ…あ、いや…!」


 ラングスタの言葉を待つ事も無く、銀次はソファーに座った。

 彼にとっては、上座となる位置。

 傍らには、黒いコートにフードを被った数名が控えている。

 身長も体格もバラバラ。

 フードから覗く口元には、生気も感じられない。

 異様な姿に、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 嫌な予感は、更に強くなった。


「…国王からの、緊急の呼び出しは私からの要請です。

 お忙しい中、応じていただきましてありがとうございます」


 会話の発端を作ったのは、銀次。

 彼は、ラングスタに向けて、にっこりと貼り付けたような笑みを向ける。

 その視線は、見るからに笑っていない。


「その様子ですと、どうやら心当たりがあるようですねぇ」

「…な、何のことだ?」

「おや、ご冗談を。…陛下より先に、言われたのではありませんか?

 貴方のご子息であるアビゲイル・ウィンチェスターの件で、相談がある、と」


 ラングスタの目が、これでもかと見開かれた。

 対する銀次は、笑ったままだ。

 それも、おぞましい程の笑顔で。


「貴方のご子息は、無謀にも私や私の庇護下にある生徒に対し弓を引きました」

「……。」

「つきましては、本人の口から真意を聞こうと思いまして、このような形で対談を組ませていただきました」


 そう言って、銀次は徐に右手を掲げた。

 ぱちり、と指が打ち鳴らされる。

 その音は、彼が喋る以外の音が無くなっていた部屋に、酷く響いた。


 そこで、ふと動き出したのは、銀次の背後にいた数名だった。

 ほとんど同じ動作で、被ったままであったフードを脱ぎ棄てる。

 赤髪の少年。

 黒髪の偉丈夫。

 水色の髪をした青年。


「…あ、ああ…ッ…ああ…ッ!!」


 そこで、ラングスタは見てしまった。

 フードを被っていた一人。

 黒髪の偉丈夫。

 一番の長身でもあったフードの下からは、彼の見慣れた三男坊の顔が覗いていたからだ。


 ただし、夢の通りの姿で。


「アビィ…ッ!!…アビィイイイイ!!」


 ラングスタは、叫んだ。

 思わず、その場で取り乱した。


 眼球を白く濁らせて、自身の息子はそこに立っていた。

 口元から赤の血潮を零しながら、そこに立っていた。

 銀次の僕のように。

 さながら、幽鬼のように従って。


「…息子に…ッ、貴様は、息子に何をした!!」


 ラングスタは怒鳴った。

 立ち上がりがてら、その場で糾弾をするように銀次を指さして。


 しかし、返って来たのは冷ややかな視線。

 それと同時に、そんなラングスタに向き合ったのは息子だった。

 まるで、銀次を守るように。


「死体を再利用しました、と言えばお分かりになるのでは?」

「……っ!!」

「…いやぁ、馬鹿な騎士団長を矯正するのに手間取りまして、いっその事殺して眷属として使役することにしました。

 …使い勝手が良いのでこのまま、貰っておきますね」

「なっ…!!」


 夢の内容よりも、更に酷い口上だった。

 銀次の口調は、既に軽薄を通り越して白々しくもある。


 更には、夢の中とは違う内容。

 死を与えられ、惨たらしい姿のままで使役される息子の体。

 それを返還する気は、一切無いと断言したようなものだ。


「何を驚いているので?こちらとしては、むしろ喜んでいただきたいものです。

 馬鹿過ぎて死ぬことでしか矯正出来なかった貴方のご子息を、こうして再利用して使い回して差し上げるのですから、」

「そ、そんなふざけた事を!よくも…!…ッそんな!!」


 怒鳴る声に力がこもる。

 しかし、怒りが先立ち過ぎたのか、ラングスタの言葉はそれ以上続かない。


 そこを皮切りに、ずけずけと切り込んでくるのは銀次だった。

 ラングスタの言葉に、更に笑みを深めた彼。


「何分、要らぬ所から茶々が入っては邪魔をされているので、存外迷惑を被っておりまして、」


 言葉に含まれた毒は、容赦なくラングスタを追い詰める。


「すでにゲイルの口から、貴方からの命令ありきであると聞き及んでおります。

 ゲイルには、これ以上の罰を課す事はありません。…まぁ、死んでしまっては元も子も無いでしょうけども…。

 ただ、次に手出しをする時は、もっと大事なものが失われると思いますのでご注意を。

 奥方やお子様方には、よろしくお伝えくださいませ。

 もっとも、次に会う時は死体やもしれませんけどね」


 奇しくも、この状況は夢と同じであった。


 彼は死体を操り、ラングスタを糾弾する。

 夢の終わりには、彼の大切なものを壊していた。

 ゲイルは勿論、妻や子ども達。

 彼の言葉は、暗にその家族達の安否を、脅かしている事に他ならない。

 ラングスタは恐ろしさの余りに、その場で数歩後退した。


「……返せ…ッ、いや、返してくれ!!頼む!息子の命をこれ以上、弄ばないでくれ…!」


 半狂乱になりながら、ラングスタは叫んだ。

 もう、夢の内容と現実が混じりあって、どれが本物なのかも分からなくなっているのだろう。


 どんな技を使ったのか。

 魔法の類か、呪術の類か。

 ラングスタには、到底考え付かない。

 それは、いっそ恐怖だった。

 息子が第一の被害者とも限らない。

 そのうち、彼に賛同する者たちほとんどが、死体だったと発覚するかもしれない。

 そして、眼の前にいる男は、それが可能なのだ。

 善人のような顔をしておきながら、その実何をするか分からない悪人。

 これ以上「不気味」なものは無い。


 そんな不気味な事をやってのける相手に、自分はとんでもない事をしてしまったのだと気付いた。

 気付いた所で、今更どうしようもない事だとも。


「頼む!…息子を返してくれ…!…あ、アビィをこれ以上、苦しめないでくれ…!」


 だが、彼はそれでも無様とも言える格好で、心の底から願った。

 その場で蹲ると同時に、床に手を付き、彼は初めて自発的に頭を下げ、懇願する。

 産まれて初めてのことだった。


 それを、眺めているだけの銀次と国王の視線は冷たかった。


「では、お認めになってください。

 あなたが、ゲイルに対し、森小神族エルフの親子の確保を命じ、その引き換えにゲイルの兄を連れ戻すという与太話を吹き込んだ、と」

「そうだ…いやッ、そうです!」

「砦でのボミット病の件も、狂言だった?」

「…そ、それは違う!ただ、今回が初めては無い…!」

「………兄がいつボミット病にかかるかもしれない事を、知っていながら放置していたのですね?」

「そ、そうです…!申し訳無かった!私が、すべて悪かった!

 だから、家族にも手を出さないでくれ…!家族だけは助けてくれ…っ!」


 夢の内容は、今でもはっきりと覚えている。

 ラングスタにとっては、悪夢以外の何物でもない。


 このままでは、あの夢の通りになる。

 それが、この男には可能なのだと言う事も、こうして目の当たりにすれば分かる。

 恥も外聞もなく、泣き喚いてでも阻止しようと考えた。

 それしか、方法が無かったのだ。


「では、取引を」


 そんなラングスタの様子を見ていただけの彼が、静かに告げた。

 ラングスタは、思わず顔を上げ、眉尻を上げる。

 意図が理解出来なかった訳では無い。

 ただ、その意図を読み切れない。


 しかし、次の言葉に合点が行った。


「今後一切、ウチの校舎、及びその庇護下にある森小神族エルフの親子には関わらないでいただきたい。

 無論、口出しも無用。ついでに、不可侵の条件も付けましょう。

 貴方が魔族排斥派の筆頭である事は十分に理解しておりますが、こちらとしても無用な口出しをされるのは御免ですから」


 それは、実に簡潔な要請であった。

 関わるな。

 ただ、それだけだ。

 今後の行動に関しての、口出しは勿論、手出しもするな。

 釘を刺されたと言っても過言では無い。

 そうなれば、『予言の騎士』ともあろう者が魔族と交友があるという糾弾すらも、ラングスタ側からは出来ない事になる。

 彼の言葉通り、魔族排斥派の筆頭ともなっているラングスタ。

 彼にとって、これ以上無い牽制だった。


 その引き換えに、死を与えられた息子は返還される。


「ああ、もちろん、この処置は一時的なものですので、お返しする時には綺麗さっぱり死体に戻してお返しして差し上げますとも。

 まぁ、動く事の無くなった死体だけでは、なにかと寂しいかもしれませんが、」

「世迷い事を…ッ!!」


 ラングスタは怒鳴った。

 しかし、その声に既に覇気は無かった。

 それでも、彼はこれ以上糾弾する事は出来なかった。

 たとえ死体となったとはいえ、息子の返還を引き合いに出されて、否やは言えず。


「…分かった」


 力無く、頷いたラングスタ。

 その返答に、銀次は満足そうに席を立った。


 その去り際に、もう一度指を鳴らす。

 それと同時に、その場でゲイルは倒れ伏した。

 まるで、糸が切れた人形のような有様で、ラングスタは茫然とその姿を見ているしかない。


 それと同時、


「ひぃぅっ…!」


 背後で、同じく何かが倒れ伏した。

 それは、国王であった。

 彼もまた、白く濁った眼球のまま、椅子から崩れ落ちた。 


 彼は悟った。

 この国は、既に彼の手に落ちた事を。


 颯爽と歩いて、残ったフード姿の数名を引き連れた銀次。

 去り際に、彼はラングスタを冷たい眼で見下ろした。


「それから、もう一つ。

 ゲイルの兄に関しても、こちらで片付けさせていただきますので、先ほど同様手出しも口出しもしないでいただきたい。

 ……ゲイルの最後の望みだったので、尊重してやるぐらいの事はしてやりたいので、」


 その視線は、さながら炉端の石ころか虫でも見るような色だった。

 暗にお前のせいで、こうなったのだと、知らしめるように。

 ゲイルの最後の望み、という言葉を使ったのもそのためだったのだろう。

 無機物のように、冷たい群青の瞳に晒され、ラングスタの心はいっそ呆気ない程に圧し折れた。


「…承知、いたしました…」


 ラングスタは、その場で平伏した。

 無様と言われようがなんだろうが、自身の命や家族の命。

 それに比べれば、貴族やら何やらの矜持など安いものだと放り捨てた。


 その姿を見て、今度こそ満足そうに微笑んだ銀次。


「肝に銘じておいてくださいね」


 そう言い残し、彼は部屋を退室して行った。

 静まり返った部屋に、扉の開閉音だけが響く。


 その向こうからは、騎士団のすすり泣く声すらも聞こえた気がした。


 死体が二つ。

 そんな部屋の中に取り残されたラングスタ。

 平伏したまま、彼はその場でおいおいと泣きじゃくっていた。


 顔を上げれば、倒れ伏したままの自身の息子が見えるだろう。

 白く濁った瞳のまま、床に力無く投げ出された四肢。

 命の無くなった、愛すべき息子だったもの。


 その部屋の中、ラングスタは泣きじゃくった。

 そのうち、その声も遠くなり、



***



 パチンッ!


 と、広い廊下に響いたのは、指の音だった。

 それは、合図。

 簡潔でいて、一番分かりやすい合図である。


「…後は良いのか?」

「国王には話を通してあるし、後はあの下僕ゲイルの仕事だ」

「……つくづく、お前は怖いな」

「言っとけ。…オレにここまでやらせた、あの公爵閣下が悪い」

「…違いない」


 部屋を退室したオレと、その後に続くフード姿の二人。

 一人は部屋を出たと同時に、フードを脱ぎ去っていた。


 赤髪の少年、間宮である。


「(これで、少しは大人しくなりますかね?)」

「どうだかな?全部、夢幻だったって分かったら、嬉々として糾弾に来るかもしれんが、」

「…それはどうだろうな」


 そう言って、フード越しに苦笑をした一人。

 先ほどまでは人間然りとしていた顔色が、浅黒く変わっていた。


 水色の髪の青年。

 今は、フードを被り直した闇子神族ダークエルフのライドパーズである。


「『幻覚』の中では、ある程度ならば、相手の心情が読み取れる。 あの様子を見るに、二度と関わる気など起こそうとはしないだろう」


 彼は、『闇』属性の魔法の中で、『幻覚魔法』と呼ばれる類の魔法を使った。

 これは、人間の社会にはほとんど浸透していない魔法と言っても過言でなく、打ち破れる人間は少ないとの事。

 以前、ラピスもこの方法で、シャルを路地裏へと迷い込ませたことがある。

 打ち破る方法をする者は、人間には少ない。


「…まさか、協力要請がこんな方法とは思ってもいなかった」

「そうか?薬を使って、って方法とかもオレ達の常套手段だけど、」

「つくづく恐ろしい男だな、お前は」


 苦笑ともつかない苦い顔をして、ライドは先ほどと同じような言葉を言った。

 半ば、本心からである。


 更に、彼等の後ろ。

 その背後に突き従った騎士団からは、すすり泣く声が聞こえている。


 ただし、それは、悲しみに暮れる男達の泣き声では無い。

 むしろ歓喜から来る噎び泣きであった。


「うぅッ!あんなことをしたオレ達を、まだ許してくれるなんて…!」

「い、一生ついていきます、ギンジ様…!」

「げ、ゲイル団長も、これで報われるでしょう!」

「手段はどうかと思いますが、その心遣いに多大なる感謝を!」


 そう言って、感涙に噎び泣く騎士団。

 若干、鬱陶しい。


「いやいや、報われるも何もゲイルは死んで無いし、マシューのその感想もどうなんだ?」


 と、こちらも若干、合ってるのか間違っているのか分からない感想を呟きつつ、廊下を進む。


 そのうち、別の意味での叫び声が聞こえる事になるだろう。

 誰の?

 ラングスタのだ。


 ぶっちゃけ、それを聞いたところで何の感情も浮かばない。

 殺されなかっただけマシだと思え、としか思っていないので、聞きたくもないというのが本音。

 だって、これは茶番だもの。


 廊下を進み、向かうは外。

 玄関ホールへと辿り着けば、その場には既に騎士団の用意してくれた馬車が待っている。

 先ほど、ラングスタが乗って来た馬車をそのまま利用させて貰うのだ。


 そこに、間宮とライドともども乗り込んで、東門へ向かう指示を出す。

 騎士団は、この場で一旦お別れ。

 後々、こちらに向かう予定にはなっているのだが、とりあえず別行動である。

 感涙に噎び泣いたまま、見送られる。

 やはり、鬱陶しい。


 さて、そろそろ種明かしと行こう。


 今回、オレ達はゲイル父親である、ラングスタへの仕返しを敢行した。

 それは、ゲイルを使ったうえで、ラピスやシャルを狙ったから。

 そして、ゲイルを動かす材料として、仮にも肉親の存在を悪用したところを持ってきて、それがオレにとって容認できるものでは無かったから。


 一応言っておく。

 ゲイルは殺していない。

 勿論、半殺しぐらいにはした。

 だが、殺してはいない。


 だから、死体を利用した云々に関しては、ただの演技と狂言だ。


 最初、考え付いたのは邸宅への襲撃だった。

 けど、それはどう考えても後々の禍根になりそうだったので、却下。

 しかし、そこで思い出したのは、ラピスの昔語りの一部。

 『幻覚魔法』の事である。

 彼女は、この魔法を駆使して、町娘に化けて(?)人間社会に紛れ込んでいた。

 この方法は、彼女の夫であるランフェジェットも使っていたらしい。

 そして、この魔法は闇子神族ダークエルフの十八番だとも聞いた。


 今回は、その魔法をラングスタ相手に使う事にした。

 空間の掌握、更に干渉。

 それを主に行っているらしいのだが、ライドは元々が闇子神族ダークエルフと言うだけあって、随分と手の込んだ幻覚まで使えるようだった。

 先ほどオレが言っていた薬を使って、という内容では到底出来ないような事まで出来る。


 作戦決行は、すぐさま行った。

 決行担当は、オレと間宮、ライド。

 ゲイルを含めた騎士団は言わずもがな。

 『転移魔法陣』を使って、大人数で王国に戻る。

 その上で、城に乗り込んで国王を呼び出し、事の次第を伝えれば国王からは再三の謝罪と共に、すんなりと許可や協力を得た。

 ラングスタの行動に関しては、そろそろ国王も耐え兼ねていたらしい。

 夜中に叩き起こして悪かったけど、今後はもうちょっと臣下の言動に注意しておいて欲しいものだ。


 そして、国王の許可と協力を得られた後、すぐにウィンチェスター家の邸宅へ。

 侵入はすんなりと終わった。

 ゲイルがいつものように使う、遅くなった時の侵入口とやらから邸宅へと潜り込んだのだ。

 ……アイツは、意外とやんちゃ坊主らしい。


 それはさておき。


 その後は簡単。

 ライドが『幻覚魔法』を使って結界を張り、屋敷の人間達を支配化に置く。

 おかげで、誰もラングスタの執務室には立ち寄らなくなり、余計な手間が省けた。

 それから、窓の外で催眠薬の煙を焚いて、間宮に『風』魔法を使って部屋の中に送り込ませる。

 執務室で彼が寝入ったのを確認し、本格的にライドの『幻覚魔法』で悪夢を見せた。


 内容に関しては、割愛する。

 改めて説明する内容でも無い。

 それも、二回。

 二回目に関しては、念押しの形。

 一度目だけだとインパクトが少なすぎるかなぁ、と思ったから夢落ちに見せかけた二段構えにしたのである。


 ゲイルのアンデッドや、家人達のアンデッド。

 むしろ、アンデッドというよりもゾ○ビに近いような気がしたけど。

 まぁ、若干、ライドのアドリブも入ったとはいえ、概ねオレの言った通りの内容を見せた。

 (※アドリブに関しては、オレが大量虐殺をしていた件である。やめてよ、オレの性格捏造すんの…。………最初は、本当に殺ろうとか思ってたけどさぁ…)


 それに関しては、ライドどころか間宮もゲイルまでもがブルっていた。

 オレを敵に回すとどうなるか、今更になって自覚したらしい。

 まぁ、やられたら倍返しは基本だし。

 ついでに、徹底的にやる。


 そして、最後に王城へと招いてからの三段構え。

 これは、一番最初から決めていた内容。

 今回ばかりは、『幻覚魔法』だけでは飽き足らず、オレ達も姿を見せた。

 国王にも朝も早くから出張って貰っている。


 『幻覚魔法』に掛かっているのは、ラングスタだけ。

 オレ達は、それに惑わされて振り回されるラングスタを見て、にやにやとしながら演技を続けていただけだ。

 勿論、国王もその様子を見ていたし、ゲイルだって見ていた。

 父親の威厳皆無な姿を見てどんな顔をするのかと思っていたが、なにやら難しい顔をしていたので茶化すのはやめておいた。


 だが、今後は泣くまでいじめてやる。

 それだけの事をしたのだと、少しは自覚させてやらなきゃいけない。

 オレだって、例え生徒だろうが友人だろうが、堪忍袋の緒が切れる事はあるのだから。


 閑話休題。

 どこまで話したっけか。


 まぁ、内容的には説明したとおり。

 ほとんどが『幻覚魔法』であり、キャスト以外は偽物だ。

 ゲイルだって死んで無いし、国王だって殺していない。

 そんな事したら、今後この国がどうなっていくのは分からないし、貸しだって返して貰って無いから大損になる。

 国王やゲイルに立ち会わせたまま、ラングスタからあらかたの経緯を吐かせる。

 これで、ラングスタにとっては、国王やゲイルに対して、無視できない程の弱みが出来たことになる。

 後は、念押しで取引を行い、それを承諾させる。

 その言質も取って、念押しとばかりに国王に誓約書の発行まで行わせるつもり。

 顎で使っているとか言わない。


 そして、部屋を出たと同時に、ライドへ合図。

 指パッチン一つで、ラングスタに掛けていた『幻覚魔法』は解除された。


 我ながら上手くいったものだ。

 ほとんどライドの援護でしか無いと思いつつも、ふくふくと腹の底から込み上げてくる達成感が収まらない。


 おそらく、公爵閣下は今頃、大いに混乱しているだろう。

 眼の前には、死んだはずの息子。

 そして、アンデッドと化していた筈の国王。

 何が現実で、何が悪夢だったのか、分からなくなっても可笑しくは無い。


 後は、国王とゲイルが上手くやっておくと言っていた。

 ついでに、しばらく大人しくしてもらう意味も含め、ラングスタには謹慎処分か何かも科すらしい。

 それなら、もう一つついでに、ゲイルの謹慎処分もして欲しいものだ。


 さっきも言ったが、堪忍袋が切れる事が無い訳じゃない。

 なんとかの顔も三度まで、とよく言うが、三度どころの話じゃないんだけど?

 なんなの、このイベント。

 アイツは、数ヶ月単位でオレに対して、嫌がらせをしているんじゃなかろうかと思ってしまう。

 懲りないものだ。


 ふぅ、と溜息を零す。

 馬車に揺られるままの空間は、どこかお疲れムード。

 そういや、ここにいる全員が完全徹夜だったな。

 ごめん、間宮。

 15歳の少年にさせるような苦行じゃなかったわ。


 そこで、ふとライドが口火を切った。


「改めて、感謝する。ラピス姉の事もそうだが、わざわざ今後の為にこのような計らいまで…」


 そう言って、頭を下げたライド。

 フードを被っているとはいえ、その姿勢は真摯に見えた。

 律儀なものだ、と苦笑を零す。


「気にしなくて良い。それにオレにもちょっと気になる事があるから、なるべくなら魔族と決裂はしたくねぇんだ」

「それでもだ。…オレ達だけでは、どうしようも出来ない事をお前はやってくれた。感謝してもしきれない」

「それも良いって。ただ、今後、もし困った時には、少しだけ力を貸してくれるとありがたい」

「勿論だ。闇の子の名誉に誓う」


 そう言って、ライドは胸元で小指を立てた。

 どうやら、それが約束事の動作らしい。

 指きりげんまんとか十字を切ったりするとかみたいな感じ。


 苦笑と共に、間宮と顔を見合わせる。


 まだ一人、魔族の協力者が増えた。

 これもまた、オレの肩書きのおかげ。

 掌返しが凄いとしか思って無かったが、こうして知り合いが増えるのはやぶさかではない。


「そういや、今後はどうするつもりなんだ?

 随分と派手にお仲間と喧嘩しちまったみたいだし、戻るのも大変だろう?」

「ああ、それに関しては、しばらくラピス姉とシャルに同行しようと思っている」

「……ってことは、ウチに?」

「いや?安心しろ。お前達のところに厄介になるつもりは無い。

 アメジスと一緒に、この街で冒険者を始めようと思っているのだ。

 ラピス姉も、元々冒険者として暮らしていたと聞いているし、排他的な里に帰るよりも武者修行でもしてしまおうと思ってな」

「…そうか」


 ふと、ライドの言葉に嬉しくなった。

 彼等は、この街で冒険者をしてみたいと、思ったらしい。


 最初の時、オレ達を見て人間なんぞ、と言っていた彼等がだ。

 そんな二人が、たった一日で、少しでも意識を変えてくれた。


 オレが喜ぶことでは無いと思いつつも、ついつい頬を緩んでしまう。


「それに、ここならボミット病を発症しても、治療が出来るのだろう?」

「ああ、まぁ、今後の薬の到着次第だけど、」

「それなら、十分だ。里では治療どころか、処分されるのが関の山だからな」


 うわぁ、殺伐。

 ってか、やっぱりボミット病に関しても、種族柄排他的なんだねぇ。

 ……それで、種族が少なくなってるとかだったら、どうするつもりなんだろう?


「……否定出来んな」


 ライドは苦笑していたが、オレ達は引き攣った笑みしか返せない。

 いつか絶滅すんぞ、それ。


 まぁ、それはさておき。

 その後は、どこか穏やかにライドが笑っていたので、馬車の中の凍った空気も緩和された。


「ラピス姉の病気の完治を見届けることも出来れば文句も無いし、シャルが健やかに育ってくれるのが少しでも見ることが出来るなら、こうして里を離れるのも悪くないさ」


 そう言って、手を差し出したライド。

 オレも、迷わずに手を差し出した。

 お互いに肉刺の出来た手でごつごつしていたが、温かさはほとんど変わらない。

 むしろ、オレの方が冷たいかも。

 魔族だろうが、人間だろうが、こうした温もりは変わらないのだ。

 ローガンもそうだったし、ジャッキーもそうだった。

 ライドは、握手と同時に今まで見せた事のない、穏やかな笑みを浮かべた。

 オレが迷い無く握手を受けた事も付随している。

 どうやら、本格的にオレ達を信頼してくれたようだ。


「これから、よろしく頼む。ギンジ」

「こちらこそ、よろしく」


 また一人、他種族の知り合いが出来た。

 ついでに、彼も友人認定をしてしまいそうになるのは、ちょっとセンチになっているせいなのかもしれない。

 こちらに来た初めての友人が、あんなんだからだろうか。



***



 だが、しかし。


「あー、おかえり先生。間宮も、ライドさんもお疲れ様」


 と、腰に手を当てて仁王立ちした榊原。


「と言う訳で、」


 と、こちらはにっこり笑って腕組みをしていた伊野田。


「アンタはとっとと寝なさいよッ!!」


 そして、眦を吊り上げてオレを怒鳴ったシャル。


「兄さんも、そいつ捕まえて!」


 オレの捕縛指示をあろうことか兄に向けて放ったアメジス。


 上手くいったと思ったのは、ここまでだった。


 行きと同じく『転移魔法陣』を使って、森の奥の丸太小屋へと到着したと同時。

 待ち受けていたのは、榊原と伊野田、そしてシャルとアメジス。


 わざわざお出迎えか、と苦笑を零してのほほんと近寄った。

 ら、何故かシャルに怒鳴られた挙句に、背後から間宮とライドに羽交い絞めにされた。


 あれぇ?


「どくたーすとっぷ、だったかのぅ?」


 そして、いつの間にかオレの目の前には、元気になり過ぎたであろうラピス。

 にんまりと微笑んで、オレを見ていたかと思えば、


「『眠りの誘いスリープ』」

「だ…ッ!?…この…ッ…ラピス、てめぇ…」


 額に宛がわれた、細く白い指。

 それを視認する間もなく、オレの意識は落ちた。


 強制的な睡眠魔法発動らしい。

 元気になって欲しいとは思ってたけど、ここまで元気にはなって欲しくなかったぞ。


 そのまま、オレは昏睡。

 元々徹夜続きだったので、抗える訳もない。

 間宮とライドに連れられるまま、強制的に就寝させられた。


 後から聞いた話しだ。

 事の始まりは、榊原と伊野田が、気付かなくて良いことに気付いたことから始まった。


『あれ…?そういえば、先生。今日はいつ眠るつもりなんだろうね…』


 という、息ぴったりの一言。

 そこで、シャルが絶句。

 次にラピスも、昨夜の徹夜を思い出す。

 更に、アメジスはかくかくしかじかと説明を受けて納得。


 ちなみに、河南と紀乃は既に仲良く就寝していたらしいが、


「あの男、人には休めと言う癖に、」

「アイツ…!!まだ懲りて無かったわね!!」

「……流石にあたしも、そこまで強行軍はしたくねぇな」


 と、言う訳で、冒頭の会話が成立。

 オレが帰って来たのを、榊原が発見。

 小屋の中に呼びかけて、全員が玄関前に待機。


 そして、シャルの怒声を皮切りに、一連の流れと相成ったらしい。


 今回ばかりは、榊原と伊野田の機転が口惜しい。

 気付かなくて良いっての。

 それに、シャルもラピスも一緒になったばかりか、弟子の間宮、友人認定しようとしていたライドまでそっちに回らなくても良いじゃないか。

 ……オレ、お前達の為に完全徹夜カンテツしてまで一仕事終えて来た筈なんだけどなぁ。


 という内心は、結局彼らに届く事は無い。


 その夢の中で、


『難儀よなぁ、お主も…』

「…ぐす…ッ…泣いてなんか、ねぇやい」

『ふははははっ!これまでの跳ね返りよ。素直に受けておけ』 


 アグラヴェインに愚痴ったのは言うまでもない。

 怒らずにすんなり受け入れてくれたのは、地味に嬉しくて涙線が決壊するかと思った。

 慰めてはくれなかったけど…。


 最近、説教で終わってばっかり。

 なんで?



***

仕返しは、倍返しが基本のギンジ先生。

書いてて楽しかった倍返しだ!

主に、精神的な部分をめった刺しにする方法は、精神的な部分でゲロ吐くぐらい弱いギンジの十八番です。

………ねじ曲がっている性格は、どこで矯正出来ますか…(笑)



今年最後の投稿が、こんなのってどうなんでしょう…?


誤字脱字乱文等失礼致します。

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