60時間目 「特別科目~森子神族の親子の相談~」
2015年12月24日初投稿。
やっと投稿出来ました。
お待たせしました皆様、申し訳ありません。
60話目です。
***
彼女、ラピスラズリ・L・ウィズダムは、250歳以上という年齢の森子神族だ。
旧姓は、ラピスラズリ・リーリー。
ミドルネームにLとあるのは、リーリーからだ。
彼女が生まれたのは、約250年以上前の森小神族の里だった。
当時、森小神族達は、暗黒大陸の入口近くに大きな集落があったらしい。
しかし、時は『人魔大戦』以降の、魔族排斥の機運の最中。
長年に渡る人間達からの度重なる侵攻。
それによって集落は散り散りとなり、彼女の両親もまた故郷の戦火を逃れた。
逃げ遂せた集団ごとにコロニーを形成。
森の奥地や暗黒大陸に逃れて、隠れ里を作り上げていた。
その一つの里で、彼女は生まれた。
緑がかった銀色の髪と、青みがかった緑の瞳。
そして、赤ん坊の時から分かる美貌。
そのおかげで、『森小神族の始祖』の生まれ変わりだと周囲は喜んだ。
森小神族の始祖もまた、彼女と同じ色合いを持っていたらしい。
実際に、彼女は美しかった。
魔法の適性にも恵まれ、3歳の頃には基本原素の『風』と『水』と『土』の魔法を発現していたようだ。
それに加えて魔力総量も子どもながらに多かった。
頭脳も明晰だったらしく、勉学はすぐに同年代のものとは張りあえなくなる程。
天は二物を与えるとはよく言ったものだ。
彼女は、類稀なる才能を持って生まれてきた。
ただし、それ以外の余計なものも持ち得てしまった。
その一つが『闇』属性だった。
発覚したのは、彼女が14歳頃。
当時の彼女はシャルよりも小さく、人間で言えば5・6歳の頃らしい。
森小神族は15歳ごとに祝い事がある。
最初の祝い事の時には、森小神族に伝わる儀式を行わなければならない。
その時の重圧か何かが原因で、精神的に不安定になっていたようだ。
元々、彼女は両親からも過大な期待を受けていた。
里の人間達からも同様だった。
感情の揺れ幅が大き過ぎて、何か得体の知れない感覚が腹の奥底に渦巻くような錯覚を覚えたらしい。
その時には、既に『闇』属性が発現していたのだろう。
同時に、ボミット病のリスクも高まっていた。
そして、最悪の状況でその能力は開花する。
15歳の祝いの儀式の、その最中。
彼女は緊張や重圧のせいで倒れ込む。
そこで、半ばパニックを起こした際に、彼女の『闇』属性が発現してしまった。
隠れ里の空気は、一変した。
そして、彼女への対応も、掌を返すように反転した。
『闇』属性は、森小神族と始祖の代から確執のある闇子神族特有の魔法だった。
差別、罵倒、排斥。
そこからは、坂道を転がる石のようだったらしい。
両親ともども里を追い出されてしまった彼女。
その両親も、彼女を見捨て、森の奥底で置き去りにした。
その時から、彼女は両親の安否は知らないらしい。
残された彼女は考えた。
どうすれば、この森の奥底で生き残れるかを。
それこそ、必死に考えた。
一重に森と言っても、普通の森では無い。
暗黒大陸の中の密林のような森の奥底である。
魔物も多く、その他の種族とて暮らしている。
その種族の集落に近づけば、確実に彼女は殺されるだろう。
彼女は必死に、森の中を生き残る術を模索した。
ただ幸運な事に、その当時の暗黒大陸の森は今とは違って、豊潤な恵みがあったようだ。
飢えは、食べられる木の実や果実で凌ぐ。
水は魔法で生み出せた。
風を使えば、姿を眩ますぐらいは出来た。
魔物に襲われない為には、少しでも身を隠す。
他種族と遭遇しかけた時も、この方法で乗り切った。
息を潜め、ただただ遠ざかるのを震えながら待ったと言う。
しかし、それだけの事をしても、彼女の魔力総量にはまだ余裕があった。
そこで、彼女は『闇』属性を使う事にした。
持っている力を全て、生きて行く 為に鍛えようとしたのだ。
初めは、ただ周りに纏わせる。
そのおかげで、宵闇に紛れ込む事が出来る。
少しならば、姿形を変える『幻影魔法』も使えた。
それだけの事が出来るぐらいには、知識を蓄えていたのだ。
思考錯誤をしながら、『闇』属性を鍛えた。
移動には『闇』属性は欠かせなかった。
その道中で、森小神族の苦手だと言う『火』属性も覚えた。
『雷』属性も必要に駆られれば、覚えられた。
勿論、『聖』属性は言わずもがな。
しかも、攻撃型防御型を関係なく使えるようになった。
そうして、ただひたすらに魔法の適性を伸ばし、魔法を鍛え、彼女は旅を続けた。
気付けば彼女は、二度目の祝いの年である30歳(人で言う7・8歳相当)。
いつの間にか、彼女は暗黒大陸の森を抜けていた。
彼女は人間領へと逃げ延びた。
辿り着いた街は、ダークウォール。
暗黒大陸の『防波堤』と呼ばれた、滅亡した都市。
彼女がそこに辿り着いた220年前は、丁度最盛期であったらしい。
そこで、彼女はまず仕事を探した。
森小神族として暮らすのは無理があった。
だが、それでも人間領で暮らすには金が入用だと早々に理解していた。
幻影魔法を駆使し、そこら辺の町娘に扮し、彼女はまた必死に働いた。
20年近くその街で働いて、ひたすら金策をしていた。
それでも、50歳。
人間でもまだまだ10歳程度だ。
シャルと同じ年齢にようやく届こうかと言う時。
子どもながらに利発なラピスは、やはり人々の目からは奇異な目に映る。
正体を隠し通せなくなるまで、職を転々とした。
色々な職を転々として行くうちに、医療関連の知識に興味をもった。
それと同時に、自身と人間との成長速度の差異に気付いた。
人間は、1歳で赤ん坊、5歳で幼児、10歳で児童、15歳で成人と事あるごとに姿を変えていく。
彼女は悟った。
人間と自分は違う。
そして、異質は排除される。
彼女は身を持って知っていた。
成長速度の違いのせいで、きっと自分はいつか街からも追い出されると。
そこからは、別の街に移り住んだ。
奇異に映らない5年を目安に、街から街を転々とする。
その度に、職とて変えたものの、やはり興味は医療技術に向けられていた。
いつしか彼女は、その知能にあらかたの医療技術を吸収していた。
ラピスは、魔法の才覚もあった。
特に『聖』属性は、医療関係の職では重宝された。
それと同時に、利権に飢えた医者どもに囲われそうになる事も増えた。
その度に、彼女は街から街へと移り住み、姿をくらまし、逃げた。
しかし、移り住むにも、限界があった。
彼女は、たった2年足らずで、とうとう人間領の街を一巡しようとしていた。
そんな折である。
彼女は、別の街に移り住む途中の道中で、盗族らしきものに襲われている一団を見つけた。
どうやら、商人だったらしい。
盗賊は護衛達を殺し、あるいは打ち倒し、今にも商人すらも手に掛けようとしていた。
彼女は、咄嗟に魔法を使った。
『風』魔法を使って吹き飛ばし、『雷』魔法でトドメを刺す。
まだ息のある護衛達は『聖』属性で助けた。
盗賊を撃退し、護衛達もすべてでは無いが救えた。
護衛達は勿論、商人ですらも諸手を挙げて、彼女を歓迎した。
その過程で彼女はその護衛達の一部が魔族である事を知った。
獣人である。
そして彼等が、冒険者である事も知った。
魔族であっても冒険者であれば、人間領の中では多少はマシ。
そう言った考えを持って行動している彼等に、ラピスは酷く感銘を受けたらしい。
彼女は、そのまま彼等と行動を共にし、冒険者登録をした。
そこで、彼女の伝説が始まる。
登録一発でSランク。
史上二人目のその快挙に、パーティーメンバーは騒然となった。
約200年前からの伝説でもある、『太古の魔女』の誕生であった。
それと同時に、まるで自分達の事のように誇ってくれた温かいメンバー達。
同じ種族であっても冷たい同族の事しか知らなかった彼女は、故郷を忘れる事を決めた。
そして、彼女は彼等と共に冒険者として生きる事となった。
しかし、月日は流れ。
彼女は老いる事も、衰える事もない。
なのに、メンバー達は次々と老いて行く。
その頃には、パーティーメンバーだけには森小神族と言う事は伝えていた。
だが、森小神族は長命だ。
一説には1000年以上を生きる大老もいる。
魔族とは言え獣人は、それよりも遙かに寿命が短い。
人間とて言わずもがな。
幸せな時間はあっという間だった。
『太古の魔女』誕生から100年。
事故死、病死、戦死、そして老衰。
仲間は全て、死んだ。
仲間の子孫とはそれなりに良好な関係ではあったが、それでも彼女にとっては仲間たり得なかった。
彼女はまた一人となった。
失意、
しかし、ふとした拍子に思い返したのは故郷の事だった。
今の自分ならば、受け入れてもらえるかもしれない。
ここまで強くなれた。
魔力総量はもとより、魔法の適性は全属性を使える。
そして、知識も申し分無い。
医療技術はおそらく、森小神族の里でも重宝されることだろう。
心機一転、彼女は故郷を目指した。
しかし、ここでの誤算。
彼女は、暗黒大陸へと入ったと同時に思い返す。
思えば、我武者羅に15年も彷徨った暗黒大陸の森の中。
集落の場所など、既に記憶の遙か彼方である。
暗黒大陸を目指せばいいとしか考えていなかった彼女は、大きく落胆した。
仕方なく引き返そうとした。
だが今度は、帰り道を間違えてしまうという誤算。
更に森の奥地に迷い込んだ。
そんな折であった。
二度目の転機となったのは、森の奥底での戦禍であった。
蹂躙するは、森小神族の集団。
対抗するは、闇子神族の集団。
元々、始祖の代から確執のある森小神族と闇子神族は、暗黒大陸の森林の一部を巡り、100年以上にも渡って諍いを起こしていたようだ。
勿論、ラピスの生まれた集落とはまた違う。
別の集落の森小神族との、戦禍だったようだ。
しかし、この時のラピスは、その様子を見て吐き気すら催した。
森小神族と闇子神族のそれは、既に戦禍では無く虐殺だった。
森小神族による、一方的な蹂躙。
そして、積年の恨みを晴らすかのように、情け容赦の欠片も無い。
森小神族達は、老若男女、女子どもすらも関係なく殺し尽くそうとしていた。
我慢出来なくなったラピス。
己にあの血も涙も無い種族の血が流れていることすらも恥じた。
咄嗟に、彼女は闇子神族を援護していた。
本来なら自分の種族の敵となる種族へと。
言うなれば、それは彼女なりの意趣返しだったのかもしれない。
自分を卑下していた同族よりも、敵である種族を助ける事。
『太古の魔女』という異名を存分に発揮した彼女。
優勢だった森小神族達を、まとめて魔法の力で蹂躙し返す。
情け容赦は不要だった。
彼等もまた、同じ事をしたのだから。
使える魔法はすべて使った。
『水』はもとより、『風』、『火』、『土』、『雷』。
そして、『闇』。
劣勢だった闇子神族達も、まとめて『聖』魔法で治癒した。
更に逃げる為の時間稼ぎすらも引き受けた。
それだけの事を出来るぐらいの力を持っていた。
そして、数時間後。
そこには、森小神族達の屍だけが残っていた。
彼女は、あっという間に自身と同じ種族を討ち果たしてしまったのだ。
その時の記憶は、今でも思い出せると言う。
誇らしい気持ちと、同族を手にかけた空虚が混ざりあう。
あまり、嬉しくは無かったらしい。
しかし、当の本人の心情など、援護を受けた闇子神族達にとっては知らぬこと。
彼等は諸手を挙げて喜んでいた。
更に、その後、彼女は逃げ延びた闇子神族と共に隠れ里へと招待を受けた。
劣勢だった味方を助けてくれた森小神族の女性。
最初はぎこちなかった彼等も、彼女が魔法を使い、医療技術を駆使し、惜しげもなく働く姿を見て考えを改めた。
森小神族であるラピスは、それほど素晴らしい女性だった。
種族の垣根すら越えてしまえる程の。
こうして彼女は、闇子神族の里に迎えられた。
そうして迎え入れられた同時期に、彼女はランフェジェット・ウィズダムと出会ったそうだ。
彼は、闇子神族でも優秀な戦士でもあり、族長の息子でもあった。
将来が有望視された、類稀なる才覚を持ち得た青年。
勿論、ライドパーズも、アメジスエルも一緒だった。
当然のように彼女達は、惹かれ合った。
そうして、大した時間も掛からずに、彼女達は結ばれることとなる。
そこで、50年近くの時を過ごしたらしい。
思えば、彼女にとっては、二度目の充足の時だった。
闇子神族であれば、森小神族程では無いとは言え寿命も長い。
彼女も一人で置いて行かれることも無い筈だった。
だが、それもまた、彼女を襲う不幸の始まりだった。
それは、一見すれば幸福であった。
しかし、同時に不幸の前兆であった。
彼女は子どもを妊娠した。
ランフェジェットは、産まれてくる子どもにシャルアゲートと言う名前を付けた。
この頃、ラピスはある症状に悩まされていた。
体がだるく、胸や腹に不快感がある。
ボミット病の症状だ。
発症をしなかったのは、ある程度は魔法を使っていたせいもあっただろう。
しかして、子どもを授かってからは、動く機会も早々無く。
そのせいかと思って仕事を探したものの、呆気なく里の者たちから止められる。
悪阻や体調の変動も大きく、運動も出来そうになかった。
そして、子どもを産むにあたって、不安が首を擡げ始めた。
現代では、マタニティーブルーとも呼ばれる症状である。
しかし、闇子神族の里での、この症状は意味合いがまるで違った。
不吉の前兆。
不幸の怨嗟。
呪いであるという、古くからの習わしであった。
マタニティーブルーに陥ると、自棄に気性が激しくなったり、攻撃的になる妊婦も多い。
これはホルモンバランスの乱れによるものである。
だが、この世界での認識に、そのような医学的根拠は無い。
そして、闇子神族の里では、『魔に取り憑かれた』と言う認識が浸透していた。
元々が、半ば排他的な種族だった事で、その意識は根強かった。
彼女は軟禁された。
一部の者を除いて接触を禁止され、まるで幽閉されるかのように妊娠期を過ごしたのである。
会えるのは、ランフェジェットをはじめとした家族のみ。
時たま、時代遅れの薬師や祈祷師がやって来ては、彼女を腫れ物のように扱い、罵倒すらした。
当然、その過程で彼女の精神は段々と異常を来していく。
ランフェジェットはその様子を見て、耐えかねたらしい。
秘密裏に彼女に交渉した。
子どもを堕ろし、元の生活へと戻る事を。
彼女は首を縦には振らなかった。
更には、愛する夫からのその絶望的な言葉に、心を打ち砕かれた。
この世界では、産後の肥立ちはあまり良くない。
産後の処置によるものが大きいが、妊娠できなくなる女性も多かった。
それが普通の出産ならばまだ良いが、堕胎をしたとなればその確率は圧倒的に高くなる。
それは、幼い頃より不遇を強いられ、家族を求めていた彼女にとっては信頼を裏切られた瞬間であった。
彼女は決意した。
この排他的な里から逃げる事を。
幸い、その頃には安定期に入っていた。
悪阻もおさまり、逃亡等も魔法でなんとかなる。
体調不良に対しての不安要素はあったが、彼女はそれから程無くして逃亡を決行した。
しかし、すぐに見つかった。
他でもないランフェジェットに。
共にいたライドパーズとアメジスエルにも。
彼女は必死で説得した。
このままでは、子どもが産めない。
安心とて出来ない。
どんな形でも良いから家族が欲しかった。
どうか見逃して欲しい。
そんな彼女の言葉に、ランフェジェットは己の過ちを悔いた。
その上で、彼は彼女に同行する事を決めた。
ライドパーズも、アメジスエルも心を打たれた。
彼等は結託し、数時間分の時間を稼ぐことを引き受けた。
その様子は、かつての戦火の状況と瓜二つであった。
奇しくも、ラピスの立ち位置は反転していたが、それでもライドパーズもアメジスエルもかつての恩を返す事となった。
そして、彼女達は闇子神族の里から、逃げ延びた。
この時、妊娠6ヶ月。
彼女は約200歳を数えていた。
***
「ふぅ…」
溜息を吐いて、彼女は一度話を打ち切った。
その吐息は、震えていた。
オレ達もその溜息を聞きつつ、いつの間にか詰めていた息を吐き出した。
緊張していたのかもしれない。
オレも、いつの間にか握り込んでいた掌が、汗で濡れていた。
彼女は、思った以上に壮絶な人生を歩んで来ているようだ。
ボミット病だけでは無かった。
彼女の半生そのものが、苦難の連続だ。
これなら、この性格も納得できる。
見栄っ張りの意地っ張りで、態度も尊大。
だけど、それでいて家族思い。
気丈に見えて、その実、寂しがり屋。
シャルもおんなじ。
この似たもの親子。
……オレともそっくりだけど。
この過去のせいもあるのかもしれない。
思っていた以上に、彼女の過去は凄惨だった。
「少し、話し疲れてしまったのう…何か、飲み物を頼めるかや?」
「あ、待ってて、あたしが、」
「お主はこのままじゃ」
そりゃ話し疲れるだろうさ。
過去の話は、随分と内容が濃かった。
そんなラピスの要求。
それに対し、眼に涙を浮かべたシャルが動こうとして、しかしすかさず制止される。
背後からぎゅうぎゅうと抱き付かれた彼女。
ぬいぐるみみたいだな。
羨ましいとか思わなくもない。
「…我が可愛い娘。こうしていると、落ち着くのじゃ。
最近は、起き上がる事も出来なかったせいで、満足にこうして抱きしめてやる事も出来なかったからのう」
「お、かあさん…っ」
過去の話を聞いて、涙を流しているのは何もシャルだけでは無い。
ラピスも同じ。
堪えていたのだろう。
だが、シャルを抱き締めたと同時に決壊したたしく、隠れて涙を零しているようだ。
ライドもアメジスも言わずもがな。
そして、彼等も一応の当事者だ。
当時の事は、やはり記憶の奥底で、忌まわしい過去としてこびり付いていることだろう。
彼等は少しそっとしておいてやった方がいい。
なら、オレが動くべきだ。
首を突っ込み過ぎてしまった自覚はある。
その詫びだ。
少しぐらいは、家族だけの時間を与えてやった方が良いだろうから。
懐いていた椅子から、重い腰を上げる。
物理的にも、精神的にも重くなってしまったな。
長時間同じ体勢だった事もあってか、ぶっちゃけ腰が痛い。
「少し待ってろ」
「…おや、お主が淹れてくれるのかや?」
「主に間宮だよ。…この通り、オレの左腕は数年前から仕事を放棄しているからな、」
「難儀よなぁ…」
「……アンタ程じゃねぇよ」
あーあ、こんな事言うつもりは無かったのに。
皮肉めいた言葉を吐いてしまう。
案の定、ラピスは黙った。
ライドやアメジスからは、少々諌めるような視線を向けられてしまう。
居た堪れなくなって、逃げるように部屋を後にする。
背中には、シャルの助けを求めるような視線が貼り付いていた。
それと同時に、何かを探るようなラピスの視線も。
扉を閉めて、その視線を引き剥がす。
間宮は当然のようにくっついて来たが、
「(……大丈夫ですか?)」
「ああ」
「(正直、入れ込み過ぎでは無いかと思われます。…ルリ様に似ているのは当然として、他にも何かあるのですか?)」
痛い所を突かれてしまった。
おそらく、間宮が言いたいのは、「首を突っ込みすぎだ」と言う事だろう。
そのうえで、諌めているというか、窘めている。
「関わり過ぎ」とついでに、「感情が先行していないかどうか」。
オレもそれは分かっている。
自覚もしているし、頭の片隅で警鐘も鳴っている。
これ以上は、足を踏み込むべきじゃない。
リビングに足を運ぶと、流石に眠気に耐え兼ねたのか生徒達は眠っている。
多人数掛けのソファーには紀乃。
一人掛けのソファーには伊野田。
河南と榊原は布に包るようにして、床に寝ころんでいた。
良いな。
オレも、こっちに混ざりたい。
誘惑が首をもたげる。
眠気はどこかにすっ飛んでいるが、これからの事を思うと憂鬱である。
まさか、ここまで壮絶な人生が語られるとは思ってもみなかった。
家族でも無いオレ達が聞いて良いものじゃないと思う。
けど、途中まで聞いてしまった。
その上、これはラピスからの要請である。
せめて最後まで聞いた方が良いだろう。
「…なんで、こんなところまで似てんだろうなぁ…」
「(何がですか?)」
お湯を沸かしつつ、シガレットを咥える。
半ばヤケクソ気味に、フィルターを齧ってしまった。
呟いた言葉。
間宮が見上げてくるも、オレは彼の頭を撫でるだけに留めた。
これは、オレだけが知ってることだ。
何故か、オレは昔からこういう役回りが多い。
相談や、吐露、感情のはけ口。
良い感情も悪い感情も、一度は小耳に挟む。
何故かはわからない。
だが、生徒達以外でも、オレは度々相談を受け付けてきた。
5年前以降は、カウンセリング専門なのかと疑ったものだ。
医者でも弁護士でも無かった筈なのにな。
その過程で、一度だけ聞いた事のある彼の過去。
同僚兼友人のルリの事だ。
「(アイツも家を追い出されて施設に来たんだって言ったら、お前だって感情移入ぐらいはしちまうだろう?)」
内心を吐露するかのように、煙を吐き出した。
ただ、どうだろう。
思って見て、ふと不安になった。
間宮は、オレ以上に感情を削ぎ落している気がしないでもない。
もしかしたら、現状ではオレよりも冷静に物事を捉えているかもしれない。
ならば、いっそ好都合。
今回は、オレは教師としては役立たずだ。
だって、間宮の言うとおりだ。
今のオレは感情移入し過ぎている。
それに加えて、感情が先行しているのは間違いではない。
はっきり言おう。
ラピスに惹かれている。
ここまで分かりやすいのは初めてだ。
ってか、地味に初恋だったりするかもしれない…。
だからこそ、冷静では無い。
今だって、投げ出したいと思う反面、それを受け止めたいと思っている。
彼女を知りたいと思っている。
シャルには悪いが、オレが年上が好みだったようだ。
その上で、敢えて言おう。
「…これも修行だ間宮。…オレは役に立ちそうにないから、背中も内心も少しだけお前に預ける」
「(………、…承知、しました)」
お前は冷静であれ。
オレのようには、なるな。
暗にそんな内心を含めた言葉に、間宮は唇を噛み締めた。
しかし、嫌な気分では無いようだ。
どことなく、嬉しそうな表情。
彼は、オレからの信頼が何よりのご褒美らしい。
そして、お茶に関してもオレは役に立たなかった。
シガレットを吸ってただけだ。
気付いたら、コイツは蒸らしまで完璧に終えて、ブランデーまで入れた特製紅茶を淹れていた。
ちょ…ッ!?
オレの仕事は?
***
結局、オレは配膳をしただけとなった。
相変わらず美味しい間宮の紅茶。
各々が、それぞれで驚いていた。
シャルなんて涙目で「負けた…」とか呟いている。
いつから張り合ってたの?
まぁ、それはともかく。
紅茶を飲んで一息吐いた後。
ラピスはまたシャルを抱き締めたまま、語り始めた。
既に、二世紀分は終えた。
残りは、半世紀分だ。
***
なんとか人間領に逃げ延びた彼女達。
ラピスの経験に基づき、『幻影魔法』によって姿を街人に扮し潜伏していた。
人間領の中でも、魔族への風当たりが少ない土地へと移動し続ける。
ダークウォールは論外。
その次のリンディーバウムとて、同じ。
魔族への排斥運動は、百年が経過した当時でも根強かった。
『四竜王諸国』は理想的だったものの、戦争の機運が高まっており泣く泣く見送るしか無かった。
その次の街は、いつの間にか廃墟となってしまっていた。
ならず者ばかりが住み付き治安が良くなかったので、ここも論外。
最終的に辿り着いたのは、当時はまだ名前の違ったダドルアード王国であった。
彼女がかつて、冒険者として暮らしていた街。
約50年の月日を経て、古巣に戻って来た形となった。
逃亡より3ヶ月後。
ラピスは産気づいた。
十月十日よりは少々早かった。
とは言え、シャルアゲートは生まれた。
この世に、生を受けた。
かつての仲間の子孫に連絡を取り、匿って貰う件となった。
仲間の子孫ですら、既に老齢となっていた。
見た目のあまり変わらない自分を見て、その子孫は異物を見るような眼で見てきた。
しかし、それ以外は何も触れる事無く、隠れ家だけを提供してくれた。
両親が仲間のよしみとして、見逃されたような形だったようだ。
隠れ家は、東の森にある、私有の洋館。
今は既に幽霊屋敷と名高くなってしまった屋敷であった。
そこで、家族三人が暮らし始めた。
幸運な事にシャルは闇子神族の身体的特徴は引き継がなかった。
おかげで、人間領でも紛れ込むことぐらいは可能であろう。
この時は、夫婦揃って多いに安心したそうだ。
問題はランフェであったが、彼も『幻影魔法』ぐらいは使える。
ラピスの受け売りで、街人に扮装した。
樵のような仕事をしながら、街で木材を売り捌く。
定期的な賃金は確保出来た。
それでも、生活は少し余裕が足りなかった。
子育ての傍ら、彼女は知識と経験に基づいて、医療関連の著書を作成し始めた。
著者名は、ラピスラズリ・リーリー。
自分の名前も少しは売れているだろうと言う、根拠のない自信から使った本名であった。
それも木材と共にランフェが売り捌く。
三度目の充足は、生活の余裕は無かったものの。
それでも、家族三人が幸せに暮らしていた。
しかし、運命は残酷だった。
彼女は、失念していた。
既に忘れ去ろうとしていた彼女の異名。
『太古の魔女』の、その名がどれほどの影響力を持っていたかを。
**
ある日の事だった。
隠れ家としていた洋館へと雪崩れ込んで来た、王国の騎士達。
ランフェは必死に押しとどめたが、彼等も訓練を受けた人殺しの集団だ。
多勢に無勢。
すぐに彼は拘束された。
彼女は、当時の王国騎士団長に迫られた。
戦火の機運が高まる昨今、その力を貸せと。
彼女は一度は断った。
しかし、その解答が押しとおる事など無かった。
ランフェもシャルも人質に取られ、彼女は成す術も無く戦争へと参加させられた。
その当時の戦争は、後に当時のダドルアード王国の名を変え、王家すらも一新することとなった。
つまりは、ダドルアード王国の運命を左右していた戦争と言っても過言では無かった。
彼女も戦役に投下された。
求められるのは『太古の魔女』という異名だけだ。
彼女の心は絶望に埋め尽くされた。
元々、重圧や緊張に免疫が無く、精神的に不安定だった彼女。
心の支えとなっていたランフェもシャルも人質に取られ、まさに心が追い詰められた状況。
体調の悪化はもとより、魔法を使う事すら困難になる事すらあった。
それに加えて、戦役での殺し合いは神経を使う。
鬱とも呼べるその状態に陥るには、大した時間は掛からなかった。
そんな折、遂に彼女は魔石を吐き出した。
血と吐瀉物に塗れたその魔石を見た時、彼女は悟った。
自分は死ぬのだと。
彼女自身、この症状には心当たりがあった。
何度も死に行く患者を見送って来た。
『吐き出し《ボミット》病』
いつかは、もしかしたら。
懸念していた事。
ボミット病は自分も罹るかもしれない。
いつかこうして死んでいくかもしれない。
その順番が、今になって回って来たのだ。
彼女は諦念と共に、どこか納得していた。
彼女自身、確証は無かったが、根源に『闇』属性がある事は気付いていた。
この病自体は、闇子神族の里でも発症例があったからだ。
それも、彼女が暮らしていた50年の間にも頻繁に。
それを公に発表する事は出来なかった。
その勇気は無かった。
当時から『闇』属性は、『魔族魔法』と呼ばれていた。
人間領では、今よりも禁忌に近い。
排斥運動も苛烈だった。
自分とて、その『闇』属性を扱える。
それを知られれば、人間領でどうなるか。
そんなこと、分かり切っていた。
彼女は、また逃げる事を決めた。
このままでは、戦争で使い潰される。
病魔に侵されて死ぬか、戦地で惨たらしく死ぬか。
彼女は、前者を選んだ。
ランフェとシャルを救い出し、また故郷の大森林に戻る。
彼女は、行動を開始した。
病気となった事を素直に進言。
戦地から戻され、ダドルアードに戻ってくることに成功した。
秘密裏に魔法を使い、ボミット病を緩和しつつ機会をうかがった。
月に一度は、ランフェとシャルに会う機会は設けられている。
その機会を、彼女は利用する手筈を、着々と整えていた。
そして、その時が遂にやって来た。
彼女は、面会の最中、牢屋の兵士達を昏倒。
魔法を駆使し、彼等の入っていた檻や枷を解き放ち、逃亡を敢行しようとした。
だが、誤算は常に付きまとう。
この時もまた、彼女は運が悪かった。
ランフェもまた、ボミット病を発症していたようだ。
彼は、闇子神族だ。
扱える魔法は勿論、『闇』属性。
元々、森小神族の彼女よりも、ランフェのボミット病発症率は高い。
それを失念していた。
しかも、彼は既に手遅れに近かった。
檻の中で進行し、手の付けようもない状態。
病魔に侵されたランフェ。
ただの赤子でしかないシャル。
二人を抱え、ラピスが途方に暮れた。
逃げる事は可能である。
その場合は、どちらかを犠牲にする事になる。
無意識のうちに、彼女は理解していた。
しかし、それでも彼女は諦めなかった。
『闇』魔法には、『吸収』という魔法もある。
それを使って、ランフェを少しでも回復させた。
それは同時に彼女の病魔を悪化させる諸刃の剣だったが、なりふり構ってはいられなかった。
逃亡した彼女達。
ダドルアード王国からも、脱出した。
しかし、当時のダドルアード王国を取り巻く環境は、まさに戦禍。
更に追手までもが、彼女達を追い詰める。
逃亡は困難を極めた。
森小神族に伝わる連絡手段を使い、なんとか闇子神族の里へと繋ぎを作る。
一度は逃げ出した里ではあるが、ランフェは元々族長の息子。
少しは影響力があると、彼女達は考えた。
破壊された遺跡や、廃墟と化した街を隠れ蓑に、逃亡の旅を続けた。
闇子神族の里からの返答は無い。
当時の様子を、後にライド達の口から聞いたそうだ。
ラピスに大恩がある戦士達と、里の体裁を重く考える重鎮とで意見が対立してしまったらしい。
救出に向かう為の説得には、1年の月日が掛かってしまった。
しかし、そんな事は知る由もない彼女達には、絶望しか残されてはいなかった。
助けも無い。
安寧すらも無い。
病魔に侵され、子どもを残して死ぬかもしれない。
まだ口を利き始めたばかりの、赤子を残してだ。
その精神的重圧は、更に彼等の病気を悪化させた。
先に限界を迎えたのは、ランフェ。
彼は、魔石と血反吐を吐き散らし、衰弱して行った。
彼女は彼の為に、あらゆる知識を駆使したものの、それも焼け石に水。
そんな彼女にも、限界は刻一刻と迫っていた。
逃亡生活は、1年。
とうとう彼女達に、追手の足音が迫っていた。
そんな時、ふとランフェが彼女へと言った。
「…僕を置いて、君は逃げろ。僕はもう足手まといにしかならない」
彼女は拒否しようとした。
逃げるのならば一緒だと。
それが不可能であれば、共に死のう。
彼女は短刀を手に、覚悟を決めていた。
だが、ランフェはそれを阻止した。
無理やりにでも、押し通さなければならなかった。
ラピスとシャルを生かす。
妻である彼女と、子どもだけは生かす。
男として。
夫として。
そして、父親として。
対話によって、まだ彼も『闇』魔法だけならば使えた。
そこで、彼は自身の血反吐を使い、ラピスすらも気付かないうちに、魔法陣を描いていた。
それが、『転移魔法陣』。
既に、人間領では失われていた技術を、魔族だけは細々と継承していた。
その知識を、彼も持っていた。
彼もこの時初めて使ったというそれを、妻と娘の為だけに使用した。
場所は、暗黒大陸の闇子神族の里。
そこに残された遺跡に直結させた、双方向転移型の魔法陣。
本来、『魔法陣』とは、外側からの魔力を供給源としている。
『転移魔法陣』もまた同じだ。
更に『転移』の場合は『転移』する距離によって、消費される魔力が変わる。
大陸の南から北への距離。
いくらダドルアード王国から逃げたのだとしても、大した距離は進んでいない。
せいぜい、3分の1をようよう過ぎたあたりであった。
大陸を横断するようなものだ。
それだけの転移魔法を使うのは、ラピスですら難しかった。
けれど、ランフェはそれを可能にした。
己の吐き出した魔石すらも利用し、己の命すらも犠牲にして可能にした。
『転移魔法陣』は、起動した。
そして、二度と光を灯す事は無い。
気付けば、ラピスは遺跡の祭壇に眠っていた。
腕には泣き喚くシャルを抱き締めて。
その泣き声を聞きつけて、救出に向かおうと準備をしていた闇子神族の戦士達が遺跡に赴いた。
傍らには、ランフェも眠っていた。
間一髪のところで、追手から逃げられることは出来た。
しかし、ランフェは死の顎からは、逃げられなかった。
彼は眠るように、死んでいた。
血反吐に塗れ、薄汚れていた。
しかし、どこか満足げで、誇らしげな死に顔だった。
ラピスもシャルもまた生きていた。
妻と子どもを助ける為に、彼だけが犠牲になった。
戦士達が駆け付けた時、ラピスは大声を上げて泣き叫んでいた。
シャルもまた、わんわんと泣き喚いていた。
戦士達の中には族長もいた。
ライドやアメジスも、当然のようにいた。
そして、戦士達は泣き叫んだ。
族長の息子である、誇り高き勇猛な戦士が死んだ。
妻と子どもを守る為に、逃亡し、そして死んだ。
当然、里ではラピスを糾弾する者もいた。
当時はまだ委細を承知していなかったライドやアメジスも、また彼女を責め立てた。
夫を失い、失意の底に落ちた彼女。
子どもだけを残され、途方に暮れた森小神族。
それを、闇子神族の里は、受け入れなかった。
もはや、受け入れられなかった。
彼女はまた追い立てられた。
かつて、森小神族の里を追われた時のように、彼女はまた暗黒大陸の奥地で放り出された。
あの時とは違う。
失意も悲しみも、絶望も。
胸には、ようよう歩き始めた子どもを抱えたまま。
彼女はそうして、『太古の魔女』としての肩書きも捨て、故郷も捨て、ひっそりと消えた。
人間領の森の奥地に移り住み、そうして約50年。
現在269歳を数えた、ラピスラズリ・L・ウィズダム。
ボミット病を抱えながら、愛する夫を失いながらも彼女は、なんとかその夫の忘れ形見である子どもを育てていた。
58歳になったシャルアゲート・L・ウィズダム。
彼女もまた、そんな母親に愛され愛しつつも、母親の手が足りぬところを補いながら手助けをし続けていた。
二人の親子。
人間でも森小神族でも無いまま、名を変えてひっそりと暮らし続けていた。
***
そうして、彼女は長い昔語りを締め括った。
震える吐息を吐きだし、涙で頬を濡らしながら。
彼女の夫。
シャルの父親。
それが、今現在はいない理由。
妻と子どもだけを残して、彼だけが死んだ理由。
「その後は、シャルからも聞いたじゃろうが、『ルルリア・シャルロット』の偽名を使って、医療関連の著書を続けつつ、細々と暮らして来た。
ボミット病の緩和の魔法具も、私やランフェの経験から考案したものじゃ。
もっとも、売り出そうとした矢先に、また王国から奪われてしまっての。それからは、試作品だけを残して廃棄してしまった…」
なるほど。
オレ達も常用している魔法具には、そんな誕生秘話があったのか。
どうりで、彼女もシャルも血眼になって探していた訳だよ。
これを人殺しの道具にするなんて、それこそ耐えられなかっただろう。
「あの時の事は、オレ達も後から手紙を通じて知った。
兄が何を思って彼女達を生かしたのか。オレ達は、結果だけに捕らわれて、兄の意思を全て拒絶してしまった」
「…あたし達も、あの時の事はこの50年悔やんでいた。
ラピスからの手紙を受け取った時も、その時の罪を償えると思って…こうして、ここに来た」
長い話を語り終え、ラピスは溜息を吐きつつ苦笑を零した。
その表情は、憔悴し切っている。
ライドもアメジスも、その表情は苦々しげだった。
シャルから言われた通りの事。
彼女達もまた、失意に暮れたラピスを追い立てた。
この場にいるのは懺悔と、その贖罪の為だった。
シャルは、それをどう受け止めているのか。
泣き腫らした表情で、俯きながら何を考えているのか。
今のオレでは分かりそうにない。
「どれもこれも、私の浅慮な言動が起因しておった。
ランフェを里の外に連れ出さねば、こんな事にはならなかったじゃろう。
肩書きを過信し、本名を使った事も悔やまれる。」
「義姉さんだけが悪いんじゃない」
「もっと早く、オレ達が救出に迎えれば良かった…。そうすれば、今頃は兄さんだって、」
たられば、と過去を悔む言葉。
後悔は先に立たない。
後になって知る。
だから、後悔なのだ。
オレも、今は後悔していた。
重すぎる。
彼女にとっては、信頼から来る暴露だったのかもしれない。
もしくは、家族以外の誰かに話す事で、心を軽くしたかったのかもしれない。
だが、オレには重すぎた。
引き際を誤って、首を突っ込み過ぎてしまった。
もう、それを引っ込める事は出来ない。
「…その話を聞かせて、アンタはどうしたいんだ?」
口からは、冷たい言葉を発していた。
喉元には、何か詰まっている感覚すらある。
ラピスは、悲しげに眉を寄せた。
闇子神族の二人からは、睨まれてしまったが。
シャルだけは、俯いたまま。
顔を上げる事は無く、ただ肩を震わせただけだった。
「その話を聞かせて、オレに何をして欲しい?どうしたら良い?」
その上で、再度同じような質問を繰り返す。
正直、彼女・ラピスの真意が、計りかねている。
どうしたいのか。
何をして欲しいのか。
どうしたら良いのか。
オレの質疑は、あくまで建前だ。
実際には、オレの気が済まない。
だからこそ、やるべき事を見定めたい。
ああ、認めるよ。
オレは首を突っ込み過ぎた。
そのせいで、感情移入をしてしまった。
今は、自分自身ですら、憎いと思っている。
種族としての人間が。
「なにも、どうにかして欲しいとは頼むつもりは無い。もう過ぎた事じゃ」
「…そうか」
「ただ、頭の片隅にでも覚えていて欲しいのじゃ。
……我等を抱え込むと言う事は、王国からの干渉すらもリスクとして背負う事になるからのう。」
つまりは、オレに対する牽制と言うべきか。
いや、この場合は、さっきのオレの言葉を借りた形になるのだろう。
先にデメリットを伝えたのだ。
過去の確執。
人間達は勿論ながら、王国とも彼女は因縁がある。
今の王国が『太古の魔女』の名声を求めないとも限らない。
それは、確かにオレの扱いを見るに、否定は出来ないだろう。
掌返しなんてお手の物。
更には、平気で取引の材料に使おうとした。
(いつぞやの白竜国との盟約の話だ)
これに関しては、オレから言える事は少ない。
過去の事は過去の事。
あの時の状況とは、既にダドルアード王国の状況は変わっている。
ましてや、今現在の王家と、ラピスが確執のある当時の王家はそもそも違う。
彼女の怒りは、ぶつけようが無い。
「…ライドとアメジスに連絡を取ったのは、私がもう余命幾ばくも無く、シャルを残して死ぬ事を察知しておったからじゃ。
シャルを彼等に預け、私はこの小屋で死ぬつもりじゃった」
「…母さん!」
ラピスの覚悟を決めた顔。
その眼には、オレですら受け止めるのが精一杯の、強い意志が宿っていた。
そんな母の言葉に、シャルはとっさに声を上げる。
おそらく、この話は秘密裏に進んでいたのだろう。
シャルが返ってくる前に、ライドやアメジスに彼女が話していた。
思えば、随分と丁度良くオレ達も到着出来たものだ。
オレ達が遅ければ、今頃彼女は死んでいた。
この話がメインに進み、シャルはたった一人で闇子神族の里に連れて行かれることになったのだろう。
ただし、今は違う。
「…シャルや?私は、お主に選んでほしい」
「…な、何を?」
ラピスの落ち着いた声。
それに対し、反論しようとしていたシャルも口を閉ざした。
母親が、無理にこの話を押し通そうとしていないと、暗に理解出来たようだ。
「シャルはどうしたい?」
「…あ、あたしは、母さんと一緒がいい」
「そうかそうか。話も聞かず、頭ごなしに叱り、酷い言葉を言ったりした母でも、一緒にいたいと思うかや?」
「当然でしょ!…だ、だって、母さんはあたしが憎かった訳じゃないって知ってるもの!」
喧嘩をした事もある。
頭ごなしに叱られ、家を飛び出したのはシャル。
その理由を知らないまま、それを見送ったラピス。
病気で死期を悟った時、彼女は突き放そうとした。
シャルを愛するがあまり、突き離して遠ざけようとした。
そして、静かに、孤独に死んでいこうとしていた。
それもまた、ラピスの母親としての愛だった。
家族を思う、彼女らしい選択のように思える。
それを、既にシャルは知っている。
間にオレをはさんでしまったのは、少々申し訳ないとは思う。
だが、それでも彼女はもうすべて知っている。
そのうえで、彼女はこうしてここにいる。
母親の為に、ここに戻ってくる事を決めた。
友達の事や、自分のやりたい事をすべて、無理やりに抑え込んで。
そうして、また一つ大人になった。
「…母さんがいなきゃ、嫌よ。…だから、あたしは闇子神族の里には行きたくないわ」
自己主張。
それは、はっきりと。
娘は、今一番優先すべき事を、分かっている。
その瞳はまっすぐに、母親へと向けられていた。
その視線を受けて、ラピスはどう考えるのだろうか。
「……振られたな」
「そうね。ちょっと残念」
そのシャルのまっすぐな言葉に、肩をすくめたのは表題に上がった二人。
拗ねてしまっているように見えて、どこか安堵した表情をしていた。
おそらく、彼等としても、ラピスとシャルを引き離すのは心苦しかったようだ。
……コイツ等二人なら、オレもまだ仲良くなれそうだ。
種族柄、あんまり人間に良い感情を持ってないみたいだけど。
「…母さんは、私と一緒にいたくないの?」
「そんな事があるわけなかろうに」
「じゃあ、今まで通りで良いのよね?」
「…ああ、今まで通り、いつも一緒におるぞ」
そう言って、彼女達は改めて抱き締め合った。
ラピスの腕の中に、すっぽりと収まったシャル。
もし、亡き父が一緒にいれば、シャルごとラピスを抱えていただろうに。
ふとその幻影が見えた気がして、ふと眼を細めた。
同時に、胸の奥底から痛みが走り、苦笑を零す。
……死人には勝てないって、分かっているのにな。
「じゃあ、シャルもご招待って事で、話はまとまったかい?」
内心を誤魔化すように。
努めて軽い口調で、オレは声を発した。
空気を読まないとか、言わない。
抱き締め合った親子へと告げる。
「…ああ」
「えっ?…って、どういう事?」
分かっている母親と、分かっていない娘の反応。
シャルったら可愛いなぁ。
更に空気を読まずに、口元が緩みそうになる。
「ラピスとは既に契約は完了している。後は、シャルの同意を得るだけなんだけど、」
「…だ、だから、何の話よッ!」
「これこれ、落ち着いて話を聞こうじゃないか?」
オレの言葉に、良く分からないまま激昂したシャル。
そんな彼女の頭を撫でて、ラピスはすぐに落ち付かせた。
流石は母親だな。
こうして見ると、やっぱり親子って良いなぁ。
少しだけ羨ましくなる反面、オレには無理だろう、と内心鼻で笑っておいた。
ああ、また話が脱線した。
なんか、ちょっとセンチメンタルになってる。
「この話を聞いた後だからこそ、はっきり言っておく。
お前が思っている以上に、人間は森小神族や、延いてはお前達に親子に酷いことをして来た。
これからも、そんな事が起こらないとも限らない」
デメリットは先に伝えておく。
さっきも言ったな。
「…そ、そんなの、分かってるわ!昔からだもの!…そ、そりゃ、ちょっとは嫌な気分にはなるけど、な、慣れてるわ」
そして、それを彼女は承知した。
むしろ、彼女は逆に胡乱気な顔まで返して来た。
「今まで通りの事なのに、何を今さら確認を取っているのか」と、言っているようにも見える。
その実、それが一番ネックだったんだけどね。
ついつい苦笑を零してしまう。
すると、ラピスが何故かウィンクを返して来た。
ああ、もしかして、引き継いでくれるの?
それならありがたい。
彼女に任せる事にする。
「では、シャルや?改めて聞くぞ?」
「…な、何を?」
改まって、ラピスがシャルの顔を見る。
頭を撫でていた手を、頬に滑らせてくすぐるように撫でる。
すると、シャルは人間には無い長い耳をプルプルと震わせて、母親の言葉を素直に待っていた。
いやはや、可愛いです。
……じゃなくて、
「学校は楽しかったろう?」
「…う、うん」
「友達も沢山出来たな」
「…うん」
「好きな男の子も出来たな」
「…ッ…それ、関係あるの!?」
「ああ、関係あるぞ?これから聞くのは、その学校の事じゃからのう」
そう言って、にっこりと笑ったラピス。
シャルは赤面したまま、硬直してしまった。
オレも硬直してしまった。
いや、だからお前は笑うなってば…。
良い意味ではあるけど、顔面凶器なんだから…!
そんなオレの心情はお構いなしで、親子のやり取りは続く。
「学校にまた通いたいかや?」
「…い、良いの!?」
「お主が嫌と言わなければ、良いのう」
「…で、でも母さんが、」
「先にも言ったが、私はいつもお主と一緒じゃよ?」
「えっ…?それって、つまり…?」
ラピスの言葉に、ハッとしたシャル。
彼女は勢いよく振り返り、オレを凝視した。
その表情には、ありありと疑念が浮かんでいる。
頷いておこう。
不信感は抱かせないように、至極真面目な顔で。
オレの首肯に、眼をぱちくりと瞬かせた彼女。
大きな瞳が、今にも零れ落ちてしまいそうになっている。
「…あ、あたし、学校辞めなくて良いの?」
「ああ」
オレに向かって、シャルは呆然と呟いた。
短いながらはっきりと返事を返す。
するとシャルは、今度は改めてラピスに向き直った。
「母さんとも離れ離れにならない?」
「勿論じゃ」
ラピスに向けても、呆然と呟いたシャル。
ラピスもこれには短くも、はっきりと返事を返した。
「………。」
まるで放心状態だな。
言葉を失っているようだ。
何かを言おうとして、口をはくはくと動かすも、唾を飲み込んで言葉も一緒に飲み込んでしまう。
そんな驚くことだったかな?
「あたしの我が儘にならない?」
「ならんの」
「本当に?」
「本当じゃ」
「じゃ、じゃあ、あ、あた…あたし、また…ッ」
茫然としたまま、呟く言葉。
その一つ一つにラピスが優しく答えを返す。
その途端、シャルの中で何かが決壊したのか、
「…我慢しなくて良いの…っ!?…学校も母さんの事も、同じぐらい好きで良いの…ッ!?」
「子どもが我慢なんぞしなくて良い」
「また、学校通えるの?通っていいの!?」
「ああ、勿論じゃ。否やを唱えるは、むしろ私では無くて、あちらのお主の先生じゃがの?」
そこで、シャルが勢いよく振り返った。
ぼろぼろと涙を流しながら、睨むような眼でオレを見ている。
いや、どっちかというと縋ってるんだな。
泣き腫らしたせいで、すっかり腫れぼったくなっちゃっているせいだろう。
それにしても、唐突に振られたな。
びっくりして固まっちゃったけど、
「そんなに気に入ってくれたなら、光栄だけどな?」
口ではすんなり、答えは出せた。
ラピス程では無いけど、少しだけ微笑んで見せる。
……怖いと思われない事を祈ろう。
「…お母さんッ…!!ありがとう!!」
「ほほほっ。礼を言う相手はあちらの先生じゃぞ」
「銀次の馬鹿!ありがとう!!」
「……馬鹿は余計だと思うんだが、」
何、そのお礼の言い方。
吃驚して、ついつい突っ込んじゃったよ。
だが、それもまた彼女なりの照れ隠し。
というか、むしろ甦生術なのかもしれない。
見栄っ張りだからね。
これで、シャルの同意も得られたと言う事で良いだろうか。
苦笑と共に、安堵の溜息を吐いた。
「妬けるな、『予言の騎士』殿」
「あたし達は振られたってのにね」
「それは済まないが、恨まないでくれるとありがたい」
「「恨むものか」」
ライドとアメジスには、揃って苦笑された。
しかも、茶化したら息ぴったりに返された。
流石兄妹である。
結局、暗黒大陸の隠れ里から遠路遙々やって来た二人は無駄足になってしまったようだが、そこまで気にしている様子は見えない。
まぁ、彼女達の安否を気にしていたから、こうして親子が仲良く抱き合っているところを見て安心した事だろう。
これで、ひとまずは落ち着いたって事で良いのかな?
良いよね。
だって、誰も悲しい思いなんてしなくて済む。
ラピスもシャルも幸せ。
生徒達だって、喜んでくれるだろう。
「(…後は、こっちでなんとかするよ)」
少しの懸念材料はあるが、それはこっちであらかた片付けてやるとしよう。
家族水入らずの光景の中、オレと間宮だけが席をはずす。
後ろ背に、ラピスの視線を感じつつも、部屋を抜け出しておいた。
扉を締めると、シャルの泣き声が響いている。
わんわんとまでは行かないまでも、静かに泣く彼女からすると珍しい泣き声だった。
***
さて、オレの感じた懸念材料。
それは、他でもない。
同じ種族の事である。
「…オレ達人間は、つくづく業が深いねぇ」
「(……銀次様は違います)」
オレと間宮。
揃って、リビングへと足を向ける。
ただし、行く先はそこでは無い。
オレの独り言に、間宮はやや唇を尖らせて呟いた。
まぁ、お前の気持ちも分かる。
オレは今回、ラピスの話を聞いただけ。
つまり、彼女の過酷な半生の中には、関わっていない。
ただし、同じ種族として恥ずかしいと思った。
それだけだ。
かつて彼女が、自身の種族に対し、恥じ入る感情を抱いたのと同じように。
口元にシガレットを咥え、火を付ける。
それだけでは、流石に苛立ちはまだ納まらない。
「おら、起きろ榊原」
「ぬがっ…!?」
少しだけ遠回りをして、リビングに寝転がっていた榊原の頭を蹴る。
優しい起こし方なんてされた事も無いから、やり方を忘れたよ。
八当たりでは無いと言い張っておく。
……ってか、ぬがっ…!?ってなに?
舌を噛んだらしいのは、ちょっと可哀想だったけどな。
「…ふぁあ…!痛いっての!…何よ、先生。…話は終わったの?」
「…ああ。客が来たから、持て成すぞ」
「えっ…客?こんな夜中に?」
起こしたのは榊原だけだ。
伊野田と紀乃は戦力外。
河南は一度眠ると起きないから、除外だ。
ちょっと恨めしそうな顔をされたけど、自由に動けるのはお前だけだ。
悪いが、まだまだ夜は長いらしい。
オレの言葉に訝しげに首を傾げた榊原。
だが、やはりここ最近は慣れてきたのか。
オレ達の様子に気付いて、ガントレットを自発的に直し始めていた。
間宮は、既に臨戦態勢。
オレもその様子を背後で感じつつ、小屋の扉へと向かった。
昼間は逆だったが、今回は殺気も気配も隠す必要は無さそうだ。
そして、扉を開け放つ。
小屋唯一の扉は、ゆっくりと開いた。
外気の冷たい空気を、小屋の中に招き入れる。
それと同時に、招かれざる客人も。
「こんな夜中に、こんな辺鄙な森の中で、パーティーかい?」
扉の前には、黒銀の甲冑を着た男が立っていた。
月明かりに輝いたその姿に、珍しく兜を被っている男。
その表情は、苦々しげで、どこか悲しげだった。
「…なぁ、ゲイル?」
ダドルアード王国騎士団長にして、オレの友人兼同僚。
アビゲイル・ウィンチェスター。
彼は、ただ静かにその場に立っていた。
***
ラピスさんの鬱話はこれにて終了。
そして、新たに発生する問題は、今度はゲイル氏が関係しております。
誤字脱字乱文等失礼致します。




