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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
特別学校異世界クラス設立
7/179

5時間目 「実習~謝罪は誠心誠意、真心を込めて~」2

2015年8月29日初投稿。


予言のフラグを圧し折り続ける先生ですが、一番圧し折れてしまいそうなのは彼だったようです。


(改稿しました)

***

 


 目の前には、必死になって顔を蒼白にしているジェイコブ。

 脂汗まで浮かんで、まるで決死の覚悟でここまで来たようだ。


 しかし、オレが驚いたのは彼にではない。

 その彼の背後に、まるで幽鬼のように立っていた男にだ。


「きゃあっ…!」

「ひっ…!」

「…----ッ!!」


 女子達が乾いた悲鳴を上げる。

 どうやら、扉の隙間から見えてしまったようだ。


「…ウッ…」

「うッぁ…」


 永曽根と、香神が思わず呻き声を上げた。

 こちらも扉の隙間から見えてしまったのだろう。


「………。」


 間宮は、扉から首だけを出して、覗いているだけだった。


 酷い顔だ。

 顔面が腫れ上がり、額も口も切れて血が滴っている。

 物理的に鼻をへし折られたのか、あらぬ方向へとひん曲がり、その鼻からも血が止まっていなかった。

 まるで、化け物のような有様となっている男だったが、その風体にはどこか見覚えがあった。


『メイソン…か?』


 唯一の心当たりは、その男だけだった。

 再三の驚きだ。

 たった1日会わなかっただけで、ここまで物理的に顔の配置が変わるとは。


『なんだ?…整形でもしたのか?』


 思わず質の悪い冗談を放ってしまったが、驚きを誤魔化すのは丁度良い。

 おかげで、少しは冷静になれた。


 メイソンは、ジェイコブと一緒に、オレや生徒達を捕縛した騎士団の一人で副団長だった男だ。

 更には、エマを娼婦と罵った、オレの一番の怒りの矛先である。


 生徒達には端折って言ってはいないが、オレが『予言の騎士』の要請を一蹴したのも、遠因はこの男だった。

 どんなに拷問を受けたとしても、正直オレの事はどうでも良い。

 謝礼を受け取ったし、掌返しの対応で溜飲を下げた。

 次が無い事を祈るだけだ。

 しかし、この男はそれを覆すような事を、オレの生徒に向かって口走った。


 エマを娼婦だと罵った。


 だが、実際それはただの勘違いで、彼女は悪寒を感じていたオレを暖めようとしていただけだ。

 それを、たった一度見た勘違いから、娼婦と決めつけ、罵り、謝罪もろくにしなかった。

 事実に基づかない暴言を吐くだけ吐いて、オレに追い出された男。

 オレがこの王国ではなく、メイソン相手に怒りを感じている理由がそれだ。

 たとえ、国王に謝罪を受けたとしても、この気持ちはおそらく消えないだろう。


 とはいえ、このメイソンの顔面の惨状はどうしたことだろうか。

 生徒が怖がるので、そのまま無言で扉を閉める。

 勿論、オレは外に出た。

 生徒達とオレの間に、扉を一枚挟んで隔離した形。

 この程度で、守れるとは思っていないが、一応念の為である。


 ただし、扉を閉める瞬間に見えた間宮が、一瞬だけではあったが何故かにんまりと笑っていたのは気の所為だっただろうか。

 良い性格しているよ。


『弁解の機会を失いたかったのか?

 生徒達に刺激の強いものを見せないでくれ』

『そ、それは申し訳ない!

 だが、この期に及んで見苦しいと思われても、私にもメイソンにも弁解の機会を設けて貰う為には、これしか…ッ!』


 ああ、なるほど。

 なんとなくではあるが、どうしてメイソンがこんな顔になっているのか理解したかも。


 それを肯定するかのように、更に横合いから現れた騎士。

 豪奢な甲冑は白銀に輝き、意匠は白。

 そして、どこかで見た顔だと思ったら、あのドSの痴女騎士の後ろに従ってた騎士の一人だ。

 オレに水をぶっかけてった騎士とはまた別の一人。


『こ奴には、私から直々に、叱責と懲罰を与えさせて貰いました。

 ここにいる愚弟メイソンの兄にして、イザベラ様率いる『夕闇トワイライト騎士団』副団長ジェイデン・メラトリアムと申し上げます』


 そう言って、床に傅いた男。

 元の顔のメイソンにそっくりなところと、名乗りを聞けば、コイツがメイソンの怖がっていた兄君らしい。

 思った通り、あの痴女騎士の部下。

 オレの警戒心が、またぐっと高くなる。

 再三続いた面倒事に、オレも神経が高ぶっているのか、腹の奥が熱を持っている。

 思った以上に、冷たい声が出た。


 …とはいえ、ジェイコブにジェイデンって、ややこしいなぁ。


『それで?』

『貴殿には、再三の申し出と情けなく思われるかもしれませぬ。

 ですが、我等にはどうしても貴殿と貴殿の教え子等の力が必要なのです!

 今一度、御熟考くださいますように、平にお願い申し上げます!』


 そう言って、ジェイデンが、左胸に拳を当てて頭を下げた。

 この世界の、この王国の懇願の礼とやらだろうか。


『私からも頼みたい!いや、お頼み申す!

 この世界を救えるのは、貴殿等だけなのです!どうか、この通りです!』


 ジェイコブも、ジェイデンに習って傅いた。

 メイソンが棒立ちになっていたが、次の瞬間にはジェイデンに髪をわし掴まれて引き倒され、同じような体勢となった。


 三人の騎士達が、オレの足下に跪いた。


『この愚弟が、貴殿や貴殿の教え子等に放った罵倒は、到底許されるものではないでしょう!

 しかし、こうしてメイソンには懲罰を科し、今後二度と貴殿や貴殿の教え子等の前には立たせぬ事を誓いまする!』


 これが、彼等にとっての謝罪。

 メイソンをぼこぼこにして、謝罪をさせ、責任を取らせると言う方法。

 ふむ、確かにこれはすっきりする。

 顔面の様相は凄いことになっているが、別に同情はしない。

 だって、もっと凄い事になった顔面は見たことがあるからね。

 と、そんなことはさておき。

 謝罪をしたのは、まだそれで良い。

 ただ、要請に関しては、受諾しかねる。


『頼まれたって、無理なもんは無理なんだ』


 だって、それは、生徒達を危険にさらすのと同義だ。

 

『オレは教職者なんだ。生徒達(アイツ等)を守る義務がある。

 なのに、なんでそんな危ない橋を渡らなきゃいけねぇんだ』


 オレの命よりもなによりも、生徒達の命が大事だ。

 仮にも、預かっている命だからだ。


 もし、これがオレだけなら、まだ良かったのかもしれない。

 それならば、元々死んだと思われていた命をどう使おうが勝手だし、少しは捨てる気にもなれたかもしれない。


 しかし、生徒達を抱えて来てしまっている以上、それは出来ない。

 文字通り、生徒達の生命線は、オレの生死によって左右されるだろう。


 そもそも、オレは教師だ。

 元は暗殺者であったとしても、既に引退しているのだ。

 それなのに、どうしてこんな馬鹿げた世界に飛ばされた挙句、何の関係も無い世界の為に命を掛けなければいけないのか。


『オレは一介の教師で、それ以上でもそれ以下でも無い。

 生徒達だって同じだ。喜怒哀楽も持った普通の子ども達だったんだよ』


 それを、この世界が変えた。

 オレは教師では無く、『騎士』になる事を要求されている。

 生徒達は、普通を脱却し、『騎士の育てた子等』へと勝手に祀り上げられる。


 そんなの可笑しいじゃないか。

 異世界の常識も知らない、夢も希望も前途有る子ども達11名を、勝手に浚って来た癖に、何が『石板の予言』だ!

 

 馬鹿げている。


 看過出来る訳が無い。

 了承出来る訳も無い。

 受領する義務は無い。


『テメェ等みたいな奴等を見ていると虫唾が走る!

 女神の予言だかなんだか知らないが、それが正しいと思っているのか?

 命を捨てろと言われているようなものだ!

 だというのに、お前達はのうのうと他人の犠牲の上で幸せを噛み締めたいと言っているようなもんじゃねぇか!』


 お前達はただの人殺しだ。

 そう言外に言い捨てて、オレは踵を返す。


『そ、それは、重々承知!し、しかし我等とて、他に道が無いのだ!』

『オレ達にだって道はねぇよ!今まで平穏に暮らして来た生徒達しかいねぇんだから!』


 無理なものは無理。

 それは、何度言われようと、変わらない。

 これまでもこれからも、オレは『予言の騎士』では無いし、転向しようとも思わない。


 しかし、踵を返したオレの足に、ジェイコブが縋りつく。

 振り解こうとしても、存外に強い力は振り解けなかった。


『お願いします!どうか、どうかこの世界を救ってください!』

『平に、お願い申し上げます!』


 平身低頭。

 それを体現するかのような、彼等の姿。


 彼等にも退けない事情というものがあるのだろう。


 予言に記された世界の終焉とやらが、目前に迫っている。

 記憶違いで無ければ、『二つの日は落ち、水が枯れ、野に屍が積み上がる』という一節がある。

 現実のものとなれば、彼等もその一部と化すのも時間の問題。

 更にその中には、愛する家族や、守るべき自国の領民達も含まれてくる。


 地獄だ。

 理解は出来る。


 だが、それはオレ達も一緒だ。

 退けない理由は、オレ達にもある。

 オレ達にも、命を守る権利はある。

 納得は出来ない。


 ぎりぎりと、唇を噛み締める。

 腸が煮えくり返ったかのように腹部が熱を持ち、いっそ痛い。

 純粋な怒りに、眼の前がちかちかと明滅しているかのような感覚を覚えた。


『そもそも、オレ達はこの世界の人間じゃない!

 なのに、何故お前達の世界の理を押し付けられないとならない!?』

『そ、それは…!』

『それでも、お頼みするしか方法が無いのです!

 どうか、後生です!…どうかご慈悲を…!』

『この世界の問題をオレ達に押し付けようとしておいて、何が後生だ!何が慈悲だ!?

 有無を言わさずオレ達を牢屋にぶち込んだ癖に、掌を返した途端、自分達のお願いを聞いて欲しいなんて、調子が良いにも程があるぞッ!!』


 怒りは怒声となって、口から吐き出された。

 廊下の隅々まで反響するような、その声に彼等は体を強張らせる。


 ふと、部屋の中からも緊張が伝わってきた。

 しまった、殺気まで漏れてしまったらしい。

 中で、生徒達が怯えている気配もある。


 だが、更に酷いのは目の前の三人。

 ジェイコブは、瘧のように震え出し、オレの足に縋り付くだけになっている。

 元々限界だっただろうメイソンが、床に倒れ込んだ。

 そのまま、死んでくれれば清々する。

 だが、


『わ、分かって、分かっているのです…!き、貴殿等を拘束し、拷問した事は、間違う事無く我等の責…ッ!

 罰があるなら、喜んでこの身を差し出しましょう!』


 ただ一人、震える身体を叱咤し、オレへの懇願を続けるジェイデン。

 彼も既に、床に跪いた状態になっているものの、それでも顔を真っ青にしながらも必死に訴えかけている。


『そ、それでも、もう既に召喚は成されてしまった!

 召喚されたのは貴殿等だったのです!もう、既に起こってしまった事は取り返しが効きませぬ!』

『…分かってる、そんな事…ッ!』


 知っている、そんなこと。

 オレだって、分かっているんだ。


 だから、それ以上を言わないでくれ。


『もう、この世界には時間がありませぬ!

 そして、実際に貴殿等は、女神様の石板の予言の通り、この世界に来てしまった…ッ!』

『…黙れ…!』

『この終焉に向かうこの世界に来てしまったからには、貴方は『騎士』であり、そうでなければ、貴殿も貴殿の生徒等も、この世界で共倒れになってしまうのです!!』

『黙れってば!!』


 癇癪を起こした子どものように、オレは叫んだ。

 叫ぶしか無かった。


 一番痛いところを突かれたようなものだ。

 ジェイデンの言っている事もまた、正論だから。


『そんなの分かってる!だからって…、だからって、生徒達を危険に晒す事は出来ない!!』

『教え子等を守りたい気持ちは、私にもよく分かります!!

 しかし!!この世界に終焉が訪れれば、貴殿等とて、二度と元の世界に戻ることも出来なくなるのですぞ…ッ!!』

『分かってるよ!!それでも、オレは生徒達を戦場に送り出すなんて…ッ!!』


 実際に、世界の終焉は始まってしまった。

 そして、オレ達もこの世界に来てしまった。

 もう、この世界にどれだけの時間が残されているのかなんて、オレ達にもこの世界の住人にも分からない。

 数ヶ月、数年先なのかもしれない。

 もしかしたら、明日にでも終わるのかもしれない。


 そんな中、オレ達は召喚されてしまった。

 つまり、オレ達はこの世界と、命運を共にしていると言う事だ。


 オレだって、考えていない訳では無かった。


 石板の予言には、オレ達が『暗黒の災厄を払う』なんて書いていても、内容はまったく書かれていない。

 どうすれば良いのか、その指針すらも無い。

 その結果は、何が待っているのかも分かりはしない。

 生きて帰還する事が出来るのか。

 命の保証どころか、そもそも元に戻れる保証も無い。


 怒りは、容易く恐怖に摩り替わる。

 図星を突かれて、動転した。

 その途端、


『--ヒュ…ッ!!』


 凍りついたかのように、声を発せられなくなった喉。

 背筋に怖気が走る。


 息が、引き攣った。


 そして、


『ぎ、ギンジ殿…!!』


 ふと、目を見開いた。

 目の前には、ジェイデンが跪いている。


 しかし、オレの目の前には、違う情景が広がっていた。


 マズイ。

 これは、記憶の回想(フラッシュバック)だ。



***



 思い起こすのは、戦争の情景。

 目に映っているのは、燃え上がった家屋。

 積み上がった死体。

 土に沁み込んでいく、赤い血潮の変色した黒。


『…なんで、殺したんだよ!!オレの家族を、なんで殺したぁあああああああああ!!!』


 命ばかりは助けてくれと、母の助命を懇願した子ども。

 しかし、その母の命も、空前の灯火。

 オレの手には、未だに煙を上げた自動拳銃。

 弾は、後1発。


 そして、


『…やだ!やだやだやだやだっ!!なんで!!なんで!?

 なんで、オレ達が殺されなきゃいけないんだ!!なんで母さんが殺されなきゃいけないんだよぉおおおおおおおっ……っ!!!』


 絶叫が、少年の喉から迸る。

 今でも耳に張り付いて、その少年の叫び声が離れない。


 拳銃の引き金を引いた。

 乾いた発砲音と共に、少年の叫び声が途絶えた。


 ガスマスクの奥、オレはどんな思いだったか。

 今でも思い出せる。


 本当なら、助けたかった。

 だけど、それは命令が許さなかった。

 オレは、病魔に侵された女も子どもも撃ち殺した。

 男も女も、老いも若いも関係なく、撃ち殺した。

 抵抗した村人も殺した。

 抵抗しない村人も殺した。

 全部、オレが殺したんだ。


 細菌をばら撒かれ、テロによって踏み躙られた村の一つ。

 その村を焼き払ったのは、


『これも、世界の為なんだ…』


 オレだ。


 世界の為に、オレは村一つを犠牲にした。

 その犠牲の為に、


『…お前、オレの村を焼き払った時の、メンバーだったんだろ?』


 目の前に迫った顔。

 端整な、日本人らしからぬ黒い肌をした、科学者風の男。


 すぐに分かった。

 あの村の関係者だという事は。


『知ってんだよ、テメェがあの村を焼いた実働部隊だった事は!

 …復讐する機会をずっと待ってたんだ!』


 腕に、脚に、体の至る所に、見せ付けるようにして打ち込まれていく培養細菌。

 その実、オレを殺す為ではなく、甚振る為の小さな小さな爆弾達。


『オレの弟、どんな顔してた?お前はオレの弟になんて返した?

 …助けてくれなんて、言えるのか?あの細菌も元はと言えば、ジャパンが開発したものだったじゃないか…!

 口封じで燃やし尽くしただけだろうが!!』


 あの村を政府が焼き払った意味。

 それをオレは知ってしまった。


 その時に、唐突に理解した。


 オレの行為は、世界の為になってもいない。

 むしろ、世界の為にならない事ばかりだ。


 ならば、いっそ。



***



「銀次ッ!!」


 叫び声にも似た呼び声と共に、眼を瞠る。

 いつの間にか、オレは天井を見ていた。


 そして、オレを覗き込んでいるのは、科学者然りとした黒人の男では無く、


「先生、どうした!?」

「なにしてんだよ、銀次!?」


 オレの生徒達。

 各々、困惑と、驚愕とを浮かべて、オレを覗き込んでいた。


 5年前の、戦場で見た少年の顔では無い。

 分かっているのに、体が勝手に強張ってしまう。


 記憶が、混乱している。

 先程まで、オレは何をしていたのだろう?


 記憶の回想があった。

 その記憶は、今もべったりと脳裏にこびり付いて、離れない。 

 喉がひり付く。

 乾いて、張り付いて、いっそ痛い。


 だが、眼の間に広がるのは、手術台の目に焼き付くライトでは無い。

 寝ているのも、あの血塗れとなった手術台では無く、絨毯の敷き詰められた床だ。

 そしてここは、5年前の地獄の場所では無い。


「し、しっかりしろよ、銀次!」

「…え、ま」


 目の前で、悲痛な顔でオレを呼ぶエマ。

 先ほどの叫び声にも似たオレを呼ぶ声も、どうやらエマのようだ。


 寝転んだまま、周りを確認する。

 オレが寝ているのは、客間の中。

 足が、廊下にはみ出している。

 視界の端には、開け放たれた扉が見えた。

 

 先程閉めた筈なのに、どうして開いている?

 それに、生徒達も扉を挟んで、隔離した筈だったのに、何故オレを覗きこんでいる?


 あ、分かった。

 ぶっ倒れたんだ。

 扉に寄りかかっていたら、異変を聞き付けた生徒達が扉を開けて、オレが無様に床に転がった。


 足下には、呆然とオレを見ているジェイコブとジェイデン。

 そういや、コイツ等を相手にしてたんだっけか?


「どうしたんだよ!!なぁ、銀次!!」

「い…や、なんでも、ない…」

「なんでも無いのに、どうして、床に転がるんだよ!!

 そ、それに、この痕何…っ!?」


 エマの手が、オレの首へと伸びる。

 その手が、オレを捕縛した蛇男の手と重なった。


『辞めろ…ッ!!』

「えっ…!?…きゃあ!!」


 気付けば、オレはその手をあらん限りの力で掴んでいた。

 再三の記憶の回想。

 どっちが現実で、どっちが夢想なのか分からない。


 オレの首に手を掛けた、あの蛇男の手。

 その後、オレがどうなったのか(・・・・・・・)は、忘れてはいない。

 未だに忘れられない。


「い、た…っ痛い!!辞めて、銀次…ッ!腕が…っ折れる!!」


 エマの悲鳴が上がる。


「ちょっと、先生…!!やめてよ!!どうしたのッ!?」


 榊原の制止の声。


「何だよ、その目…!!」


 永曽根が、戸惑ったような声をあげる。


 だが、この時のオレには、まったく聞こえていなかった。

 記憶の中にべったりとこびり付いた、幻想を見ていたせいだ。


 エマの手首から、ミシミシと聞こえた悲鳴。

 骨が発する、異音。

 後少し、力を込めれば、彼女の腕は小気味良い音を鳴らして圧し折れただろう。


「やめてぇええええええええええええッ!!!」


 エマの悲鳴が耳を劈く。


 ふと、その時、


『…オレは、何をしている…?』


 彼女の悲鳴に、眼が見開く。

 目の前に広がっていた幻影が、消えて、代わりに現実が見えた。


 駄目だ。

 違う。

 彼女は、違う。

 オレを、地獄に引き摺りこんだ男じゃない。


 駄目だ。

 感情に振り回されるな。

 混乱に引き摺られるな。

 感情を抑えろ!

 彼女はオレの生徒だ!!

 傷付けては、駄目だ!!


「エマ…ッ!!」


 正気に戻ったと言えるのだろうか。


 本当に、間一髪だった。

 間一髪、オレの腕は彼女の腕を離していた。

 後、数秒もすれば、エマの腕は折れていただろう。

 危なかった。


「ぎ、ぎん…じ…ッ!」


 涙目でオレを見た、エマ。

 体をがくがくと震わせて、オレに掴まれて折れる寸前だった腕を抱えている。


 何をやっているんだ、オレは。

 生徒達の危険を語っておいて、その実、一番の脅威となるところだった。


「ゴメン!!ゴメン、エマ!!…オレ、こんな事…!!」


 オレも、無様にがくがくと震えていた。

 そんなオレに、彼女は悲痛な涙声を飛ばす。


「何、なんで…ッ!?なんで、突然、こんな事すんの!?」

「ゴメン…!本当にゴメン!」


 首筋を生徒に触られただけ。

 だというのに、こんなに過剰な反応をしてしまうなんて。


 オレは、いつの間にこんなに感情が脆くなってしまったのか。


「…ゴメン…ゴメン…ッ、ゴメン…!」


 無様に謝るしかないオレ。

 実際、彼女に出来るのは、謝る事だけだ。


 しかし、


「ねぇ…ちょ…ちょっと!…ぎ、銀次…!?ねぇ、しっかりして…ッ!」


 それを止めたのも、エマだ。


「なんで、アンタがそんな顔すんの!そんな顔で泣かないで!!」 

 

 甲高い音が響く。

 エマの手が、オレの頬を叩いた。

 無様に、オレは平手を食らった。


 だが、


「な、泣く?…」


 彼女の言葉には、思わず呆気に取られた。

 泣く?

 オレが?

 まさか、と。

 信じられずに、目線を上げれば、


「…銀次、泣かないでよ…っ!な、なんか、ウチが、…悪いみたいじゃん…」

そこには頬を大粒の滴で濡らしたエマ。


 珍しい事は、何度も続くものだ。

 エマは元々、泣くような子じゃなかった筈なのに。


 でも、それはオレも同じこと。

 ぱたぱたと、座り込んだ太ももに落ちる生ぬるい感触。

 ズボンの生地に染み込んでいく、水滴。


 いつの間にか、知らない間に。

 オレも泣いていた。


「…そもそも、こんな事でそんな反応しないでよッ!

 た、確かに…痛かったけど、銀次に…そんなに泣かれたら…っ、気にされたら、あたしが逆に悪い気がして…っ」


 そう言って、彼女は、気丈に振舞う。

 瘦せ我慢だと分かっているのに、


「…そ、それに…別に腕つかまれたぐらいじゃなんともないしっ!

 そ、そもそも…ッ、銀次の事怖いなんて…思ってない…し…」


 くしゃりと、顔を歪める彼女。 


 そうか。

 オレが怖かったか。

 申し訳ない事をした。

 コイツは、男性に対して、過剰反応とも言える恐怖心を持っていたのに。


「ゴメンな…」


 その恐怖心を、オレが与えてしまった。

 守らなきゃいけない立場のオレが、ただ一時の感情に振り回されて。


 それを、彼女は抑え込んでいる。

 無理をしているのは、見なくても分かる。

 なのに、尚も気丈に振舞おうとしている。


 必死にひた隠すその感情は、彼女らしく彼女らしくない。

 だが、それをさせてしまったのは、オレだ。


 目頭が熱い。

 涙が、止まらない。


「ごめん、」


 もう一度、謝って、


「……本当に、………ごめん」


 それ以上を、続ける事が出来なかった。


 ひくり、とエマの喉が鳴った。

 オレの目線は、床に縫い付けられたままだ。


 背後で、生徒達が困惑している。

 宥めてやらなければ、と思っているのに、オレの体はぴくりとも動いてくれない。


 なんで、こんな事になった?

 首を触れられそうになったから?

 相手が生徒だと分かっていながら、首を触られたぐらいで、何を過剰に反応してしまったのか。


 きっと、記憶の回想があったせいだ。

 オレの心因的外傷トラウマが、逆に彼女を傷付けた。

 くそったれ。


 唇を噛み締めて、なんとか視線を床から引き剥がす。

 こうなったのも、オレのせいだ。

 なら、少しでもエマに対して、真摯に謝らなくちゃいけない。


 謝罪は、真心を込めて行うものだ。


「……ごめん、エマ。…オレのせいで、…ッ」


 そして、意を決して、顔を上げた瞬間だった。

 視界がぶれた。

 その視界の中で、金糸が少しだけ揺れていた。


 鼻腔を擽る、少し汗の臭いが混じった柔らかな香り。

 甘酸っぱいと形容できる香りが、オレの鼻先を掠めて、


「ぎ、んじぃ…!!」


 気付けば、オレはエマに抱き締められていた。

 彼女の腕が、オレの首に巻き付いている。

 膝立ちになって、オレに胸を預け、首筋に額を擦り付けている。 


 その体は、まだがくがくと震えていた。

 悪夢にうなされた幼子のように、震えながらオレに縋り付いていた。


「…え、ま…」

「…怖かったっ…!…ウチ、…銀次が死んじゃうかと思って怖かった…!!

 しかも、銀次…首に変な模様浮かんでるし…目の色も変わってるし!

 …この世界に来て、ちょっと可笑しくなっちゃってるんじゃないかって…今も、ちょっと怖いし…ッ!」


 早口で、捲くし立てるような声。

 これが、彼女の本音らしい。


 そして、やはりと言うかなんというか、見られてはいけないものを見られてしまっていたらしい。

 これも、オレの5年前の後遺症と言うべきか。


 本物よりも精巧に彫り入れられているらしい刺青が、血行が促進されると浮かび上がってしまう白粉おしろい彫り。

 蛇の鱗を模ったような、刺青だ。

 オレが、5年前のあの日に、捕食された事を如実に証明している。

 更には、化学薬品の影響で、色調変異した眼球。

 激昂したり、興奮したりすると、勝手に色が反転してしまう。

 群青の瞳が、いきなり銀色にも似た色に変わってしまう。


「…それも、ゴメン」


 見る人が見れば、恐怖すら覚えるだろうそれ。

 オレは、抱えている爆弾が大き過ぎる。


 オレの腕の中に納まったエマ。

 オレとの接触すら最低限にしていた筈の彼女は、今はオレの背中におずおずと手を回していた。


 最後に彼女を抱き上げたのは、いつ頃だったか。

 生理がきつくて、貧血で倒れた時だったか。

 それとも、4ヶ月前の脱走事件の時だったか。

 記憶は定かでは無いが、あの時の警戒度と比べて、今は危機感すら覚えていないようで、不安になってしまった。


「…なんで、銀次、…倒れたの?」

「………。」


 そんな思考をしている間に、エマの嗚咽は収まっていた。

 代わりに、吐息のように呟かれた、彼女の疑問。


 ただ、流石にどストレート過ぎて、何を話せば良いのか分からない。

 淡々と説明するのはちょっと違う気がする。

 だが、弁解をするのも、それもなにか違う気がして、口が思うように動いてくれない。


「…そ、の、…えっと、」

「…香神と間宮が、さ。…頑張って…訳して、銀次達の会話、聞いてた…」

「…え…?…香神と間宮が…?」


 だが、それよりも先に、エマの呟きが続く。


 目線を上げれば、香神も間宮も近くにいた。

 香神は、ちょっと得意げな顔をしている。

 一方、間宮は、どこか剣呑な眼をしたまま、オレと交互に騎士達を見ている。


 お前、やっぱり、オレの後輩だろう。

 しかも、持っているナイフの構え方が、確実に同僚にそっくりなんだが。


 ………閑話休題。


 どうやら、オレと騎士達の会話は、半分以上は筒抜けになっていたらしい。

 成長を喜ぶべきなのか、それとも盗み聞きを叱るべきなのか、判断に困ったが、


「…け、けど、銀次、突然怒り出したって…、怒鳴って、焦ってたって…、」


 続くエマの言葉に、ふと目線が逸れた。

 それは、間違いない。

 怒り出したというよりも、吐き出したという前提。

 怒鳴っていたのも、本当。

 この分だと部屋の中にも、オレの怒声は響いていたのだろう。


 エマの肩越しに周りを見渡せば、生徒達は変わらずに困惑した表情をしていた。

 伊野田やソフィアは、涙を零しながらオレ達の様子を見ていた。


 申し訳ないとは、思う。


 ただ、エマの言葉通り、焦っていたのだとは思う。

 オレも、混乱していた。

 図星だったから、動転したのもある。

 頭では冷静なつもりでも、もしかしたらこの現実を一番受け入れていないのは、オレだったのかもしれない。


「ウチ等の事、必死で守ろうとしてくれたんだよな…?

 ウチ等を危険な目に合わせたくない為に、今回の国王からの難しい予言だかなんだかの話、蹴っちゃったんだよな…?」

「……うん、」


 確認のように、言葉の一つ一つを選んでいるエマ。


「…突然、倒れたみたい、だから…、何があったのか、吃驚したけど…」


 やはり、倒れたのか。

 これで、生徒達に倒れる姿を見せるのは、この世界に来てから、もう三度目になる。

 申し訳無さと、情けなさ。

 また、目頭が熱くなってしまった。


 そこで、更に、エマの言葉が続く。


「何かされたのかとも思ったけど、変な騎士の奴等もぽかーんってしてるし…、

 銀次…どこにも怪我してなかったけど、泣いてるし…ッ!

 また、ここに初めて来た時みたいに、荒い息してるし…っ」


 ああ、それは、


「…ごめん、驚かせた、」

「べ、別に、…で、でも、…怖かった、」


 まるで、怯えたように震えが強くなったエマ。

 誤魔化すようにして、更にオレに強く縋り付いた彼女の腕。


 全部、オレのせいだ。

 勝手に感情を高ぶらせて、振り回されて、混乱して。

 それで、生徒達に心配をかけているのだから、世話が掛かる。

 質も悪い。

 こんなんじゃ、生徒達を助けるだの守るだの、言える立場じゃ無い。


 オレも、無様に震えてしまった。

 それを、


「…銀次、もう、無理しないで、良いから…!

 見栄を張らなくても、ウチ等を守るためとか言って、頑張らなくて良いから…!」


 彼女は、震える声で叱咤する。

 牢屋の時のように、激しくオレの内心を鼓舞する言葉だった。


「…さっき、徳川にだって言ってたじゃんっ!…生き残る為には、全員の力が必要だって…!

 それなのに、頼ろうともしないで、一人で頑張って、無理なんかすんなよ…ッ!」


 その通りだ。

 否定も出来ない。


 未だに甘えた考えだっただろう徳川に、オレ自身がそう言った。

 なのに、実際には、その力を当てにしていなかった。


 オレは、身勝手にも先走って、自分一人で考えて、行動しようとしていた。

 生徒達を守る大義名分として、危険なことをさせられないと言っておきながら、その実一番危ない橋を渡らせようとしていたのは、オレだ。

 オレがいなくなった時、彼女達がどうなるのか、考えてもいなかったのに。

 裏切りも同然だ。


「…う、ウチ等に何が出来るのか、分かんないけど…!

 協力して、何かが出来るなら、協力するからさ…!」


 だから、受けようよ。


 と、エマの震える微かな声が、オレの脳裏に焼き付いた。


 受ける。

 それは、王国や騎士達からの要請である『予言の騎士』の大役を、オレが背負うと言う事。

 生徒達の命だけではなく、この世界の人間達の命も背負うと言う事。

 危険な道を、生徒達に進ませてしまうと言う事。


 おそらく、ここが最後。

 この分岐点で、今後オレがどう行動するべきかは、決まる。

 生徒達を危険に晒す事は、怖い。

 だが、予言の通りに、世界が終焉を迎えれば、その実オレ達も共倒れとなる。

 ジェイデンの言葉の通り、オレ達は既に、この世界に来てしまった。

 今さら、その現実は覆せない。


 だが、それでも、


「…お前達を、戦いに、巻き込みたくない…!」


 自覚をしたとしても、覚悟がある訳ではない。

 オレ達の常識が通用しない世界では、何が正解なのかも分からないのだから。


 唇を、血が滲む程に噛み締めた。


 オレには、まだ最後の決断が出来そうに無い。


「ねぇ、先生…」


 そこで、ふと、傍らで誰かが立ち上がった気配。

 オレの背後に回り込み、ぽすり、とエマごと抱き締めた優しい腕。

 思わず、不格好にも体が強張ったが、


「…先生の気持ち、分かるよ?」


 ふんわりと香る柔らかな香りと、穏やかな声。

 オレの生徒の一人で、エマの姉でもあるソフィアの声だった。


 強張った体の力も、抜けた。


「あたし達の事、心配してるんでしょ?…やっぱり、なんだかんだ言ったって、普通の女子どもと変わらないもんね、」 


 ああ、そうだ。

 彼女の言うとおり。

 彼女達は、色々と家庭環境や過去の経緯、自身の異能などで問題を抱えている。

 だが、問題があるからと言って、それが戦闘力に直結するかどうかは別だろう。

 喧嘩慣れしている永曽根や、香神、榊原だって、やはり学生相当。

 オレのように裏社会人上がりでも無く、特殊な訓練を受けている訳ではない。


 そんな彼等を、オレの一存で、この世界の問題に立ち向かわせる事など、出来ない。

 だが、


「でも、さ…もう、皆分かってる。

 先生の気持ちは嬉しいけど、…あたし達もこのままじゃ駄目なんだって事ぐらい、分かってるよ…」


 そう言って、


「だから、エマの言う通り、受けよう?

 先生が一人で辛い思いしてまで、あたし達の事守らなくても良いように、あたし達も頑張るから、」


 震える声で、彼女はオレの首筋に顔を埋めた。

 首筋を濡らす水の感触。

 それに、頭が冷えた。


 オレは、やはり、一人で抱え込もうとしていた。

 だから、爆発したのだ。


 エマやソフィアの言うとおり、生徒達の事を頼ろうともしないで。

 実際には、オレなんかより、よっぱど現状を受け入れていただろうに。


 そこで、涙で歪んだ目線を上げる。

 周りを見渡せば、


「ソフィアの言う通りだろ?来ちまったもんは仕方ねぇし、出来る事からやっていこうぜ?」


 香神が、力強く頷く。

 彼も、いつの間にか、通訳が出来る程に成長していた。

 

「そうだよ。来ちゃったからには、この世界で生き抜く方法を考えないと、さ?」


 と、榊原。

 泣いている伊野田の頭を撫でて、宥めている余裕も成長の証。


「…ぐす…っ、先生の気持ちは分かるけど、こんな世界で、…ひっく…死ぬなんてイヤだもん」


 そう言って、頑張ると目を擦った伊野田。


「…オレだって、男だからな。…何もしないで死ぬよりは、死ぬまで足掻いてやりたい…」


 そう言って、オレの傍らで息巻いた永曽根。

 頼もしい視線には、もう既に怖れの色は見当たらなかった。


「そうだよっ。そ、それに、剣も魔法も、勉強より頑張れそうだし!」

「そうだよなっ!やっぱり、男なら剣と魔法で戦いたいよな!」


 色々とすっ飛ばしているように見えるが、意気込みだけは一人前の浅沼と徳川。


「簡単とは思ってないけど、…少しでも役に立てるように頑張るよ」

「僕もサ。応援だけしてる訳に行かないだろうからネ」


 苦笑と共に頷いた、河南と紀乃。

 2人とも、最初からオレの味方だったな。


「(お供いたします)」


 そして、オレの前に跪いて、頭を垂れた間宮。

 そんな懇願の礼はどこで覚えたのか知らないが、それでもこの中で実は一番心強い生徒だ。


 これで、生徒達の意見は、オレと真っ向から割れた。


 だが、そのおかげで、オレの決心も付いた。


 オレのやるべき事は、最初から決まっていたのだ。

 予言にある通り、『育てて』やらないといけないんだ。


 オレが守るだけではなく、生徒達が自分の身を守れるように、もしくは仲間を守れるように育ててやらないといけなかった。

 守ることだけに意識を向けていたから、気付けなかった盲点。

 何も、いますぐ戦争が始まる訳では無い。

 それまでの間に、爪を研ぐ。


 常識が当て嵌まらない世界。

 だが、それはオレだけの常識だったのかもしれない。

 オレの常識が駄目なら、全員の常識を当て嵌めてしまえば良い。


 だったら、


『ジェイコブ、ジェイデン…』


 声と共に、目線を向けた先。

 蹲ったままだった、2人の騎士。


 何が何やら、まだ分かっていないような顔をしているが、


『テメェ等の勝ちだ。

 『石板の予言の騎士』でもなんでも、やってやるよ』


 苦笑と共に、オレからの敗北宣言。

 結局、コイツ等の粘り勝ちみたいなもんだからな。


 生徒達の言うとおり、この話を受ける。

 受けた上で、これからの事を考え、そして、少しずつ順応していけば良い。


 美人の双子姉妹に抱き締められたままという、何とも締まらない体勢をしている上に、涙でぼろぼろになっている顔では格好も付かないだろう。


 だが、見る見る内に、2人の騎士は喜色満面。

 眼にはうっすらと涙を浮かべ、顔を高揚為に真っ赤にしながら、


『寛大なるご英断、ありがとうございまする!!』


 揃って、頭を下げていた。

 声が、廊下へと反響するが、どこからか歓声のようなものが聞こえてきたのは気のせいではあるまい。


 これも、王国の掌のうちだって事なら、お手上げだ。



***



 秋も深まる、10月某日。

 現実とは違う異世界に、ひとつの異色のクラスが誕生した。


『特別学校、異世界クラス』


 そのクラスは、男子教員1名、生徒11名。

 名簿は以下の通り。


 教員、黒鋼 銀次。(23歳)


 以下、出席番号順。

 1番、浅沼 大輔。(22歳)

 2番、伊野田 みずほ。(18歳)

 3番、香神 雪彦。(18歳)

 4番、榊原 颯人。(19歳)

 5番、杉坂・エマ・カルロシュア。(17歳)

 6番、杉坂・ソフィア・カルロシュア。(17歳)

 7番、常盤 河南。(18歳)

 8番、常盤 紀乃。(16歳)

 9番、徳川 克己。(18歳)

 10番、永曽根 元治。(20歳)

 11番、間宮 奏。(15歳)


 生徒内訳は、女子が3名、男子が8名である。


 今後は、『夜間学校、特別クラス』ではなく『特別学校、異世界クラス』として就業していく事になりそうだ。

 オレも、教師としてだけではなく、『騎士』としても活動していく事になるらしい。


 騎士に転向したのは、言わずもがな。

 執拗な宗教団体、王国の勧誘と騎士達の必死の懇願に根負けした。

 それと同時に、生徒達からの後押しがあった事も明記しておく。

 平穏だった生活は、文字通り一変する事になるだろう。



***



 その翌朝である。


 二日目の雑魚寝から目覚めて、軽く身支度を整えてからのHR。

 相も変わらず、夢ならば覚めてくれと願う現実は、現実のままだった。

 昨日、ボロクソに泣いた事もあってか、ちょっと罰が悪い中で、出欠を取り、簡潔な朝の挨拶と、再度現状の把握を生徒達に落とし込む。


「まず、現状で一番気になっているのは、オレが『騎士』に転向するきっかけになった、予言の事だと思う」

「先生、嫌々だね…」

「まぁ、気持ちは分かるけど…」


 と、苦々しげに口を開けば、案の定。

 杉坂姉妹には、呆れられてしまった。


 昨日はどうもありがとう。

 そして、ごめんなさい。

 だから、オレのベッドでひっついて寝るのは、今日限りにして欲しいんだが。

 ああ、頭痛が痛い。


 話が逸れた。


「真偽に関しては、既に全員が確認したと思う。

 実際に、予言の通り、空には太陽が二つ昇っている」

「つくづく変な光景だよね」

「その通りだ」


 そう言って、オレが顎をしゃくって、生徒達の視線を促した先。

 そこには、客室に供えられた一面の窓ガラス。


 その窓の外から見える景色は、流石に王国で一番の高さを誇る城の中。

 まさにオーシャンビュー。

 壮観なものだ。


 だが、オレ達が見たいのはその壮観な景色では無く、その頭上に燦々と輝く二つの光源。

 問題は、その光源が何故か二つもあると言うことなのだが、


「オレも初めて見る現象だから、何とも言えないが、月食や日食とも違う。

 太陽が完全に分離して存在している所を見るに、もしかしたら内部爆発の影響によって二つに割れて軌道を外れたか、もしくは太陽ではない別の惑星が太陽同等の光を放っているかのどちらかだ…」

「…いきなり、天文学に飛んだね、先生」

「科学の世界から来たからには、少しは科学的解釈をしてみようと思ってな、」


 まぁ、オレも理化学を専攻して学んだ訳では無いから、詳細に関しては不明としか言いようが無いのだが。

 まさか、こんな異世界で天文学を教授するとは思いもよらなかった。


「先生、科学者みたいね?」

「白衣着てたら、科学者よりもマッドサイエンティストに見えそうだけどね」

「伊野田も榊原も黙らんか」


 失敬な事を言うな。

 誰がマッドサイエンティストだ。

 しかも、オレは被害を受けた側だ。


「………。」

「え、なんでしょぼんとしちゃったの?」

「……ちょっと傷ついただけだ、」

「うぇええ!?ごめんなさい!」


 いや、自爆しただけなんだけどね。


 って、またしても話が逸れた。

 えっと、二つの太陽の他に、予言に記されていた内容は、


「次に、災厄の黒煙とやらだが、どうやらこれは揶揄表現であるらしい。

 『聖王教会』神官のイーサンによると、魔族や魔物の活性化を指している可能性が高いそうだ」


 二つの太陽が昇ったのは、その兆候。

 現に、ジェイコブの話を聞く限りでは、ここ十数年で魔物の異常繁殖や奇形生態の確認、大陸の一部では魔族の侵攻なんかもあったらしい。


「そして、いきなりファンタジーに飛んだな」

「さっきまでの先生なら、格好良かったのにねぇ…」

「…オレだって好き好んでファンタジー談義をしている訳じゃないんだ」


 しかし、またしても生徒からの指摘で話を中断。

 ソフィアのしみじみとした言葉には、思わずげっそりしてしまった。

 思わず泣きそうになってしまうが、そこはそれ。

 話を元に戻すとしよう。


「ついでに、魔族や魔物の活性化に伴い、人身被害も頻発しているらしい。

 郊外の町や村も被害を受け、土地もやせ細っているそうだ。

 おそらく、これも災厄の黒煙の余波と言えるだろう。

 人がいなくてなれば、どんなに土地が潤っていても田畑は荒れるからな」

「そうなんだ。この世界の人もちょっと大変だな」


 常盤兄弟の兄、河南が眉を寄せる。


「でも、それがオレ達に何の関係があるって言うのさ?」

「正直、とばっちりだヨネ」


 だが、徳川と常盤兄弟の弟、紀乃の見解には、どちらも同意見だ。


 確かに大変だろう。

 それは、現代社会で地震だ津波だ噴火だと、気象に振り回されていた日本人である自分達も良く分かる。

 ちなみにオレは、台風に巻き込まれたこともある。


 だが、それとオレ達が召還される事はイコールでは結ばれない筈。

 とばっちりも良い所だが、もうそれ以上は言っても栓が無いことなので、そのまま放置する事にする。


「次に、『二つの日は落ち、水は枯れ、野には屍が積み上がる』という一節。

 これに関しては、既に兆候が現れ始めていると取れるだろう。

 オレ達がまず最初に、この世界に来た当初、校舎の窓から見た景色を思い出してみろ。

 あそこは昔、草花に囲まれたのどかな草原地帯だったそうだ」


 鬱蒼と茂った森と、荒野。

 オレ達はそれしか見ていないから想像も付かないが、イーサンやジェイコブ曰く、あそこら辺はのどかな草原や、清らかな水を湛える泉の密集血帯だったそうだ。

 西側には、開拓村や町も点在していたらしい。

 しかし、今は見る影も無い。


「ファンタジーじゃありがちだよね。世界の風景が一変するとか」

「こら、浅沼。現に問題が生じているんだから、面白そうにニヤニヤするんじゃない」

「違うよ、先生。ニヨニヨしてるんだよ」

「どっちも同じ意味だろうが」


 ちょっと誰か、浅沼の頭のネジを探してきてくれないだろうか。

 ファンタジー世界の知識は頼もしいが、危機感が無いのはどうかと思う。


 まぁ、良い。

 コイツは後で説教をする事にして、今は放置。


「状況は芳しくない上に、この世界の問題は、結局オレ達の解決すべき問題となってくる」


 そう言って、オレ自身も脳内で情報を整理する。


 確かにオレ達は、この世界とはまったく関係が無い。

 この世界の問題は、この世界の人間が解決すべきだとも、未だに思っている節がある。

 だが、昨日、ジェイデンに図星を突かれた。

 この世界の問題が解決されない限り、オレ達も共倒れになると言う事。


 既に、予兆を始めとした、世界の変調は始まってしまっている。

 オレ達が召喚されたのも、石板の予言のうち。


 しかし、ここで大きな落とし穴。


「確かに、オレ達はこの世界に召喚された。

 それは、予言の一節の通りに、当て嵌まっているだろう。

 だが、どうやって災厄を払うのか、もしくは、どうやって元の世界に戻るのかは、今現在は全く判明していない」


 そのオレの一言に、生徒達の表情にも影が落ちる。

 今まで、なし崩し的に誤魔化して来た事だ。


 帰還の目処があるのかどうか。


 実際には、不明だ。

 オレは、今、それを認めるしかない。

 認めた上で、前に進むしかない。


「イーサンの話によれば、まだ解読出来ていない石板があるらしい。

 その中に方法が記されているのかどうかも定かでは無いが、」

「これからどうすれば良いのか分らないって事だよな」

「そう言うことだ」


 永曽根の一言は、ある意味大正解。

 一番のオレの悩み事だ。


 予言は分かった。

 何が起こるのか、というのもだいたいは分かる。

 だが、その起こった現象を、この先どのようにして解決するかの過程が記されていない。

 要領を得ない内容だ。

 過程も無く、結果だけを導けというのも、それは無茶な話。


 仕方ない。


「…現状、ひとまずは、世界の終焉云々よりも、オレ達の戦力強化や地盤固めにまい進した方が妥当だと、オレは思っている」


 爪を研ぐ。

 文字通りの意味で。

 世界の終焉に対して、オレ達現代人がどこまで抗えるのかは、正直なところは分からない。

 だが、その足音を、ただ震えて待つだけではいられない。


 昨日、それを生徒達から教えて貰った。

 生徒達が、率先して、自分達の強さを磨く事を決断してくれた。


 だから、オレはそれを可能な限り、実現する。


 と、言う訳で、


「全員、今日から精進するように。スパルタ開始だから覚悟しておけ?」


 生徒達全員へと向けて、オレは決定事項を言い渡す。


「特に言語。この世界での共用語は、知っての通り英語だ。

 2ヶ月以内に、全員が通常の日常会話をマスターしなければ、剣も魔法も習得は出来んと思え!」

『ええっ!?それ、横暴じゃん!!』


 見事な程に声を揃えた、徳川と浅沼。

 徳川は勉強が嫌いで、浅沼は英語が苦手だからだな。


 ちなみに、他の生徒達は、各々でしかめっ面をしていた。

 香神と間宮だけが、なんでもなさそうな顔をしているが、


「ちなみに、お前達も連帯責任だ。励めよ、諸君」

「んなっ!?」

「∑…ッ!?(がびんッ)」


 予想外だったのか、驚いた様子の香神と間宮。

 剣も魔法も一足飛びで出来ると思っていたのだろうが、そうは問屋が卸さない。

 能力値での贔屓はしない。

 それに、


「それに剣も魔法もまずは、体力を付けてからだ。

 武器の扱いには、それ相応の習練が必要だし、体力が無ければ、武器だって扱わせる訳にはいかない」

「あー…つまり、英語の習得と、体力強化を中心に進めていくって事か?」

「そう言う事だ」

『えええぇええっ!?』


 武道家の家に生まれた永曽根は、流石に理解が早い。

 そして、悲鳴を上げたのは浅沼と、今度は伊野田。

 所謂運動音痴の二人組である。


「ちなみに、例外として紀乃には、オレが持っている知識を出来るだけ教授してやろうと思っている」

「うん、分かったヨ。どのみち、僕ハ動けないしネ」


 下半身不随の紀乃には、体力強化では無く知識の強化に励んで貰う事にする。

 オレの持っている知識と言っても、どれも中途半端ではあるが。

 ただ、出来れば、医療関係を厚くしていきたいんだよな。

 この世界、どこまで医療技術が進んでいるのか、判断に迷ってしまうし。


 しかし、ふとそこで、


『おはようございます!

 ギンジ・クロガネ様は、起床されておられますでしょうか!』


 穏やかなノックの音。

 それと同時に響いた声は、最近聞き慣れ始めた声だった。


 ジェイコブだ。


『起きてるー』

『軽くねぇっ!?』


 返答を返したら、香神に突っ込まれた。

 地味にヒアリングが一段と早くなっている事は、多いに感心する。


 扉を開けば、やはり見慣れた顔。

 昨日の今日ぶりである、ジェイコブだった。


 昨日とは打って変わって、清々しい顔をしている。

 お気楽なものだな、とふと苦笑を零す。


『改めまして、おはようございます。朝食をお持ちいたしました』


 そう言って、ジェイコブが一歩退く。

 そこには、給仕係がカートやトレーを持って、大量に待っていた。


 ……この大人数の気配に気付けなかったとか。


『ああ、じゃあ、頼む。……ここで、食うことになるんだよな?』

『ええ、勿論でございます。

 それから、少しお話をさせていただきたいと思っておりますが、』

『ああ、そう?じゃあ、入って』


 そう言って招き入れた。

 ジェイコブを皮切りに、入ってくる給仕や、執事達。


 先ほどまで12名だった教室が、自棄に手狭になった。

 だが、そんな事も気にならないのは、部屋の中に一気に充満した芳しい香りのせいだろうか。

 美味しそうな食事の匂いに、生徒達の腹から歓声のような虫の声が上がる。

 地味にオレも、腹が鳴った。


『昨日の今日で、お疲れかと思って少し遅れてしまいましたが、どうぞお召し上がりくださいませ』


 そう言って、客室のテーブルを埋め尽くした料理の数々。

 警戒を解いていない訳では無いものの、背に腹は代えられない。


『御馳走になります』


 難しい話は、一旦中断して、まずは朝食としよう。



***



 朝食は絶品だった。

 主食は悲しい事にパンだったが、それでも添えられたおかずはどれも美味しかった。

 生徒達の言っていた通り、魚介系が中心で、生魚のカルパッチョには度肝を抜かれた。

 鯛か何かだとは思うが、こりこりとした白身魚は、脂が乗っていてまさに旬だった。

 思わず『生きてて良かった』と、呟いてしまったものだ。

 生徒達の一部には噴き出され、終いには大爆笑された。


 そんな朝食も終わった後、食休みの紅茶でブレイク。

 朝食の間は席を外していたジェイコブが戻ってきて、同じように席に着く。


『改めて、ギンジ様には感謝を』

『……別に、そこまでお礼を言われることじゃ、』


 自棄に畏まった様子のジェイコブ。

 まぁ、オレの返答次第では、もしかしたらコイツも何かしらの罰があったのかもしれないが。

 なんか、むず痒いから口調は戻して欲しい。


『……まぁ、確かに違和感を感じてはいたから、ありがたい申し出ではありますが、』


 そう言って、ジェイコブは咳払いを一つ。

 そして、改めて、オレに向き合って、謝辞を述べた。


『ありがとう。おかげで、我等『蒼天アズール騎士団』の首も繋がった』

『そ、れは良かった』


 聞けば、オレの説得如何によっては、彼等の騎士団も相当危なかったらしい。

 彼も今回の事で、処罰は免れないらしいが、死刑を免れただけは僥倖との事。


 何その交渉人THEデッドオアアライブ。

 お前等の王国って、交渉にまで命を賭けなきゃいけないのかよ。


 今更ながら、自分の肩書きが『予言の騎士』で良かったと思った。

 オレも、お気楽なもんだ。


 そんなオレの心情はさておき、


『国王陛下から、貴殿等の処遇についてのお達しがあった』

『……誠意ある回答である事を祈るよ』

『ああ、勿論だ』


 頷いたジェイコブは、やはり清々しい笑顔をしている。

 これを見る限りでは、そう悪い返答では無かったようだ。


『昨日の謁見の際に渡した目録の通り、謝礼や家屋の提供、そして国賓としての待遇に変更は無い』


 そして、説明を受けた内容は、今後のオレ達の行動について。


 どうやら、この王国内に限っては、比較的自由に動き回って良いらしい。


 ダドルアード王国は、魔物対策で都市を丸々囲んだ外壁がある。

 その城壁の出入り口は、西側と東側に一つずつ。

 出入りをする場合は、行先や目的を詳細に報告し、王国の許可を得てから出入りして欲しいとの事だった。

 まぁ、それも妥当だよな。


 オレ達が万が一、勝手に外壁の外に出て魔物に食われただの死んだだのになったら、王国側だって困るだろうし。

 ついでに、これはある種の予防策にもなっているのだろう。

 この王国から、別の国への亡命を阻止しているのだ。

 今のところ考えてはいないが、もしこの王国が再度やらかした際には、他の国に飛ぶ可能性も視野に入れておいた方が良さそうだ。


 後、ついでに、


『これからは、貴殿等に我等騎士団の護衛が付く事になっている』

『それも、国王の判断か?』

『勿論だ。無いとは思うが、王国内で何かあっても困るからな、』


 うん、まぁ、それも妥当だな。

 外壁の外だけではなく、内部であっても、危険度はあまり変わらない。

 この世界には、オレ達の常識外筆頭である魔法が普及している。

 中には、冒険者などと言う職業の人間達もいるそうで、そう言った輩は荒事に特化している為、それ等への警戒だろう。

 まぁ、その真意の中に隠された意図も、気付いてはいるが言わないでおこう。


『それから、もう一つ。

 こちらが、実は本題であるのだが、』


 ジェイコブが、そう前置きをして、ふと紅茶のカップを置いた。

 オレは、その動作を横目でちらりと確認。


 その表情は、どこか戸惑っているように見えるが、


『『聖王教会』より、正式な通達があった。

 『石板の予言』について、司祭のイーサン・メイディエラ殿より、詳しい説明を行いたいとの事だ』

『…説明ねぇ』


 どうやら、オレの予想は少し当たっていたらしい。

 オレが彼の表情から読み取った戸惑いは、おそらく本格的に始動する形となる『予言』に関してだ。

 おそらく、昨日の今日で、オレの地雷がその『予言』の事だと思っているのだろう。


 まぁ、眼の前で派手にぶっ倒れたからな。


『分かった』

『……そ、の、大丈夫なのか?』

『別に。…オレは、予言がどうこうじゃなく、先の事が不安だっただけだからな、』

『そ、そうか…』


 オレがそう言えば、ほっとした様子で頷いたジェイコブ。

 喜んでほしい訳では無かったんだが、まぁ良いか。

 今後は、おそらくお互いに、色々と協力しなければならない部分もあるだろうし、ひとまずは休戦だ。


 という訳で、オレ達の食事の休戦も終わり。


「今日の予定が決まったので、連絡するぞ。

 これから、『聖王教会』本部に直接殴り込みに行くことになるからそのつもりで、」

『ぶふぅっ!!』


 生徒達の約半数が、飲んでいた紅茶を噴き出した。

 いやぁ、生徒達の反応で遊ぶのは実に楽しいもんだ。



***




 と思っていたのが、不味かったのか。


『ああ…ッ、良い!…ギンジ様ぁ!』

「ちょ、誰か…!誰か助けて!」

「なんで、オレの後ろに隠れんだよ、先生!」

「丁度良いバリケードがお前しかいない!」

「生徒をバリケードにせんで?」


 客室を一歩出た途端に、オレは不運にもそいつに遭遇した。


『ギンジ様…!ああっ、隠れた姿も素敵ぃ…!』

「銀次先生の、隠れた姿も素敵だとよ」

「お前は冷静に通訳をしなくて良い!通訳なんてしなくても、オレの耳にはしっかり届いてるッ!」

「…永曽根のバリケードで聞こえないかと思ってな」

「オレの扱いは、防波堤の次は防音壁か!?」


 香神が永曽根に殴られた。

 黒髪と白髪の見事なオセロコンビの、華麗なコントだった。


 それはともかく、


『…ギンジ様!是非…是非とも、私も跪かせてくださいまし…っ!』

「…なんて言ってるの?この人、気持ち悪いぐらい発情しちゃってるみたいだけど…」


 エマの言葉通り。


 跪かせてくださいなんて、問題発言をかましている人物が、不運にもオレが遭遇した元凶である。

 発情しているし、気持ち悪いし、おまけに超が付く程のドSで、痴女だ。

 ちなみに、そんなドS痴女が騎士団の一人で、毒々しい赤い髪をしていて、オレの足下に傅いているとか、悪夢でしか無い。


 もうお分かりだろうか。


 痴女騎士だ。

 間違った。

 イザベラだ。


 このダドルアード王国の国王であるウィリアムス・ノア・インディンガス姪。

 国王の近衛騎士団『夕闇トワイライト騎士団』団長、イザベラ・アヴァ・インディンガス。

 オレを拷問した張本人である。

 今でも、あの恥辱は忘れていない。


 嬉々として鞭を振り回し、挙句に海水を使った水攻めを駆使し、更にはオレの体を舐め回すような視線に晒してくれたあの、痴女騎士である。

 ああ、もう痴女騎士で良いと思う。


 だって、考えても見て欲しい。


 拷問吏として最初に現れた痴女騎士。

 それが、突然恍惚とした表情で、廊下の奥から現れる。

 更には、オレの元に『ギンジ様ぁあああああああんwww』みたいな感じで、ハートを乱舞しながら近寄ってくる。


 背筋を走る怖気は勿論、フラッシュバックする拷問時のあの恍惚とした笑みも相俟って、この痴女騎士への感情は、嫌悪が2残りで、8割は圧倒的な恐怖だ。

 色んな意味で恐怖しか無い。


「(銀次様に傅くのはオレだけです。オレだけの特等席なんです!)」

「張り合うところなのかそこはっ!?」


 と、矢表に立った間宮。

 しかし、見解は軌道を大きく逸れて、もはや修正不可能。

 対抗すんな。

 コイツと張り合っても、ドSか変態が感染うつるだけだ。


 閑話休題。

 結局、バリケードにしていた永曽根に引き剥がされて、オレは痴女騎士の前に立つことになった。

 早速足下に縋り付かれた為、体中が拒否反応を起こして鳥肌が立った。

 今脱いだら、間違いなく丸剥ぎにされた鳥のようになっているだろう。

 いや、脱がないけどね…?


『ああ、ギンジ様!この不肖イザベラは、恐れ多くもギンジ様が『石板の予言の騎士』様とは露知らず、多大なご迷惑とご無礼を働いてしまった事を、重々承知でございます!

 かくなる上は命を持って贖う所存でございましたが、ギンジ様はご寛大なお心のおかげで赦免されました!』


 と、オレが現実逃避をしている間にも、オレの足に縋り付いた彼女はマシンガンの如く、小難しい口舌を吐き出している。


『しかし、こうして無罪放免になったとしても、私の犯した罪は消える事などありませぬ!

 ならば、一度亡くしたと思っていたこの命を、是非とも貴方様の為に使わせていただきたく、』

『却下。頼んでない』

『ああ、なんとご無体!でもそこがまた良い!』


 やめてやめてやめて!

 そんな事されたら、オレの精神衛生上最悪な未来しか想像できない!


 しかも、却下したのに、赤面して受け入れないで!

 なにその、ドM思考!

 真性のSが一周まわってMになるの!?


『だいたい、何だよ!オレは、赦免なんてしてない!』

『な、ならば、罰を!私に相応しい罰を、ギンジ様御自ら与えてくださいまし…ッ!!』


 ぎゃああああああ!!

 やっぱり、コイツドMに進化してる!


 確かに赦免してはいないけど、罰を与えるとかも考えて無かったし!

 元々、どうこうするつもりも無くて、むしろ二度と関わらないでってばぁ!!


 半ば涙目となりながら、周囲に助けを求めるが、生徒達は勿論言葉が分かっていないからそもそも、宛てにはならない。


「(殺しますか?)」

「やめろ、間宮!ハウス!」


 しかも、間宮に至っては、薄らと邪念の篭もった気配を漂わせている。

 駄目駄目!!

 こんなんでも、一応は王族だから!

 殺しちゃダメ!


 更に周りを見渡すと、


『おいこら、ジェイデン!テメェの主人だろうが、なんとかしろ!!』


 眼が合ったのは、昨日振りのジェイデン。

 確か、昨日顔面整形劇的ビフォーアフターで現れたメイソンの兄貴。

 テメェの上司が暴走してんだから、どうにかしてくれ!


『我等は、イザベラ様の指示に従うまでですので、』


 と思ったら、まったく役に立たなかった。

 何その雇用形態!!

 フリーダム過ぎるわ!

 テメェ等の行動が、ほとんどイザベラの一存で決まるって事じゃねぇか!!………って、それが当たり前だったな。

 誰か、本気で助けて!


『従うまでじゃねぇよ!お前達がオレに水ぶっかけたのはまだ忘れて無いからな!

 お前たちみたいなのに引っ付かれても、安心なんて出来ねぇよ!』


 そうそう。

 イザベラにくっついていた拷問吏共も、この騎士団の連中だったの。

 あんな拷問吏紛いというか、そのまんま拷問吏だったのが近衛騎士とか、本気でこの王国が心配。

 主に頭が。


『申し訳ございません『騎士様』!!今すぐ、命を持って謝罪を…!!』

『命なんて貰っても迷惑だ!テメェ等の上司を止めて即刻立ち去れぇ!』


 しかも、むざむざ切腹なんてしようとしてるし!?

 迷惑過ぎて、むしろ嫌がらせに見えるぞ!!


 やめて、マジ。

 もう、本気で、この状況を誰かどうにかしてください!!


『無理ですな』

『無理だな』


 と、名前にジェイの付く2人に揃って言われて、敢え無くオレは轟沈した。



***



 あの後も結局、痴女騎士イザベラの追従には勝てず仕舞いだった。


 ジェイコブ率いる『蒼天アズール騎士団』と、イザベラ率いる『夕闇トワイライト騎士団』が、オレ達の護衛に引っ付いているという、滅茶苦茶異色の布陣。


 なぁ、痴女騎士さんよぉ。

 アンタ、国王の姪なんだよねぇ?

 なんで、そんな御大層な人に、傅かれなきゃいけないの?


 という、オレの内心は余所に、既に場所は街の中。

 城を出た後に、騎士達の強面に囲まれながら、本日の目標地点である『聖王教会』の本部に向かっている。


 久々に吸った娑婆の空気は、最高だ。

 たとえ、空に太陽が二個浮かんでいようがなんだろうが、久々の外の空気は、自棄に清々しい気がする。


 そんな清々しい気持ちも、今後の事を考えると憂鬱になるんだがな。


『詳しい説明って?具体的に何か聞いていないのか?』

『それが、我等は何も。…ただ、謁見の間にて司祭殿が語られたのは、予言の一説に過ぎませぬ』


 え?ああ、そうなの?


『『石板の予言』に関しては、まだ解明できていない部分も多いと聞き及んでおりまする。

 ただ、女神様の伝承の中に、それ相応のヒントが隠されているのでは無いか、という事で、おそらくはメイディエラ司祭様が、独自に推察されている部分を抜粋されるのではないかと』


 ジェイコブの言葉を補足するようにして、痴女騎士がオレの隣に並んだ。

 いや、ちょっと近いから。

 それはともかく、


『上手くいけば女神様方からの『神託』を受けられる可能性もございます』

『…『神託』?』


 これは、ますます持って、ファンタジーの世界だ。


 彼女の話を鵜呑みにするなら、女神の伝承の中に、未だに解読出来ていない『石板の予言』の一部、方法や過程の部分のヒントが隠されているかもしれないとの事。

 しかし、『神託』という言葉を聞く限りでは、助言のようなものだと考えられる。

 確か、神官であるイーサンも、女神が夢枕に立って『神託』を降ろしたとか言ってたしな。

 召喚された時に、もっと早く通達してくれれば、オレ達も捕縛も拷問もされずに済んだ筈だったのに、と今更ながらに思う。

 『神託』も何も、あまり意味が無いじゃないか。

 おかげで、ありがたみが感じられない。


 ふと、ここで、


「痛…ッ!」

「あ、また来たの?」

「罰当たりな事考えてたんだな」


 首筋に、忘れかけていた地味な痛みが走った。

 女神様のオイタである、静電気攻撃だ。


『おおっ、やはり、ギンジ様は、女神様からのご加護を受けているのですね!』

『これは、加護とは言わない!』


 加護ってのは、文字通り守護や保護であって、まかり間違っても攻撃じゃない。

 こんな地味な攻撃が出来るなら、せめてアンタ等が災厄とやらを追い払え。


『………静かになりましたな』

『出来ねぇのかよ…!』

『…正直、ここまで女神様が懇意にされている人間を見たのは初めてだが、まさかここまで信仰心が無い人間を見るのも初めてだな。

 魔族や魔物ぐらいだと思っていたんだが、』

『信仰心がねぇと格下げされんのかよ!』


 何それ?

 この世界のまず第一に問題なのは、絶対的信仰が女神様だって事だと思う。

 こんな悪戯をしてくる女神様、信仰したいと思わんけどな。


『ああ、見えて来たぞ。

 あれが、『聖王教会』本部の教会だ』


 そうこうしているうちに、目的地に到着したようだ。

 ジェイコブが指示した先には、


『我等が女神様方のお膝元だ』


 ダドルアード王国首都国家の中心ともなる、巨大な教会がお目見えしていた。


 白い壁に、木目が際立った大扉。

 小さな城とも思える、三本の塔を擁した佇まい。

 中央の塔の先端には、重厚な鐘が吊られていた。

 

 荘厳とも言える、神秘的な建物が『聖王教会』。

 街の名物ともなっている中央の噴水広場を眼前に佇む教会は、まるで御伽噺の世界から出て来たような様相をしている。

 これが、現実でなく映画のセットだと言われれば、少しは感嘆出来たのかもしれない。

 しかし、現実の世界の実物の教会を見る事になったオレの気持ちは、


「…本物過ぎて、逆に引くわ…」


 という、心からの憔悴である。


「…先生、本当に夢がないよね」

「しょうがないじゃん?だって、銀次だし」

「夢がなくて結構。あと、エマは名前の後ろにせめて先生を付けなさい」

「…嬉しい癖に」

「感情論じゃなく、オレの威厳の問題だ」


 ここ数日で、自棄に気安くなった杉坂姉妹の言葉に挟まれながらも、その教会の全貌を臨む。

 だが、ひとつ言わせてほしいが、エマさんや?

 名前を呼ばれるのは確かに嬉しいけど、少しはオレの教師としての威厳を守らせてくれ?

 いや、もう悲しいことに失墜しているのかもしれないけどね?


 そんなオレの内心はさておき。


 オレの教会へのイメージは、結婚式、葬式、ついでに人生の懺悔部屋。

 信仰心の強い人間には申し訳無いとは思うし、信仰を否定するつもりは無いが、オレにはそもそも信仰心が分からない。


 だって、産まれてこの方、神様なんぞ信じちゃいない。

 そもそも、神様も女神様も、オレにとってはファンタジー世界の空想人物でしか無いし、6歳の時には、サンタなどいないと分かっていた冷めたお年頃のオレだ。

 だから、女神様なんて、信じられる訳も無い。 


 そして、またオレの内心を読んだかのように、


『…ある意味分かりやすいな、ギンジ殿は』

『放っとけ』


 首筋を走るスパーク。

 痛いし、弱いからやめろと言うに、ぱちぱちぱちぱちと鬱陶しい。


 悪かったな、信仰心がゼロで。


 まぁ、なにはともあれ。

 『聖王教会』本部に、到着である。



***

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