閑話 「それぞれのクラスメート達~出席番号4番と、2番と、11番の場合~」
2015年8月27日初投稿。
視点は、19歳の天才ハッカーやら、19歳の小人症の少女やら、15歳の無口な奇抜な赤い髪少年やらです。
ただ、このクラスの生徒達は、どうやら先生依存症のようです。
(改稿しました)
***
いつも通りの授業だった。
音楽聴きながら、先生の眠くなる授業を聞いて。
いつも通り、適当に板書を書き写すだけ。
本当に、夜間学校の特別クラスとは思えない程、普通の授業風景。
外が真っ暗だなんて、思えない。
先生は普通にオレ達の先生で、オレ達も普通に先生の生徒だった。
色々問題を起こして、退学せざるを得なかったオレ。
そんなオレが、こうして普通に時間帯が違うとは言え、同じ年代(※一部は違うけど、)の奴等と普通に授業を受けている。
拍子抜けするような、光景。
曲りなりにも、先生は器用だった。
授業は、8科目もあるのに、全部を教えている。
国語、数学、理科、社会、英語、保健体育、倫理、情報処理。
その中でも、特に英語と情報処理は、一番オレも好きな課目。
授業もそこそこ上手いし、オレが馬鹿みたいに噛み付いても、それを跳ね除けるだけの頭脳も力もある。
元々のスペックがオレなんかとは比べ物にならなかった。
だからこそ、こうして問題児ばかりの特別クラスに配属されてるんだと思ったけど。
このまま、この学校を卒業するのも悪くない。
そう思っていた。
それなのに、先生でも対処出来そうにない問題が起きた。
突然の、発光現象。
夜だった所為もあって、余計に眩しく感じたその現象。
まるで、原子爆弾でも落ちたような、明るさ。
オレ達は、気付けば意識を失っていた。
最初に目覚めたのは、オレだった。
しばらくは、呆然としていたと思う。
隣に、伊野田が寝転がっている。
その奥に、杉坂姉妹。
周りを見渡せば、クラスメート達も。
間宮が、次に目覚めた。
跳ね起きて、それから見渡して。
オレを見て、首を傾げただけだった。
大丈夫?
と聞かれているような気がしたので、オレは呆然としながらも、頷いた筈。
次に、香神が起きた。
そして、真っ先にオレのところに来て、何が起こったか聞いた。
分からないと首を振れば、舌打ちを零された。
こんな状況の所為か、腹は立たなかった。
次に起きたのは、徳川。
起きるなり騒がしくて、その所為で跳ね起きた永曽根にゲンコツを食らっていた。
コイツとつるんでいるオレが言うのもなんだけど、相変わらず徳川は五月蝿いよね。
次に、浅沼が起きた。
そして、窓の外を見て、絶句している。
外は相変わらず、夜だった。
だけど、その風景は一変していた。
起きていたオレ達全員が、窓の外を見て思わず絶叫した。
何だよ、これ。
どうなってんだ。
みんな、似たような事を言っていた。
いつもは馬鹿みたいに騒いでいるオレ達が、文字通り馬鹿になったように思えた。
オレ達の声を聞いて、女子組と常盤兄弟が目を覚ました。
皆、窓の外を見て、すぐに状況がおかしい事を悟ったのだろう。
なのに、先生はまだ目覚めていない。
それどころか、酷く魘されて、体中をがたがたと震わせていた。
何かあったのか。
今は唯一の大人(※浅沼や永曽根も20過ぎているけど、精神的な大人は先生だけだ)である、先生に何かあったのであれば、それこそオレ達は途方に暮れるしかない。
杉坂姉妹の姉のソフィアが絶句している。
妹のエマは、そんな先生の様子を、見下ろしているだけ。
伊野田も同じ。
一体、何をしているのか。
オレも、先生に近付いた。
香神も後ろに付いてきた。
そして、先生を見て、
「…な、に…どうしたの先生!」
オレ達も絶句した。
絶句するしか無かった。
先生の顔、真っ青だ。
なのに、汗が止め処なく流れている。
唇を酷く食いしばって、血が滲んでいる。
喉を張り付かせて、何か傷みに堪えているように体を縮こまらせている。
こんな先生は見た事もなかった。
どうしたのか?
怪我をしているのか?
それとも、何かの病気か?
心臓の発作でも持っていたのであれば、洒落にもならない。
こんな状況で、そんな病人の面倒なんて見れる訳も無い。
焦りに、どうしようもなくて周りを見渡した。
香神も、同じく真っ青な顔をしている。
女子組も同じ。
だが、元々彼女達には期待していない。
間宮は常盤兄弟の弟の倒れた車椅子を元に戻していた。
コイツは、嫌に冷静だ。
少し心強いと感じた。
しかし、呼んでも彼に何が出来るだろう。
それに声を発する事も出来ない彼に、処置を頼まれたところで何が出来るとは思えない。
他の生徒達は、まだ事態の状況が分かっていない。
浅沼と永曽根は窓にへばりついている。
徳川はそんな永曽根に引っ付いて、パニック寸前。
役に立ちそうな人間がいない。
このクラスの問題が、如実に浮き彫りになった瞬間だったと今では思う。
先生以外に、何かを冷静に対処できる存在がいない。
間宮はまだ冷静でも、声が発せないという生まれ持ったハンデがそれを打ち消してしまう。
この中で、状況が分かっているのは、オレぐらい。
オレぐらい?
本当にそうなのか?
オレは、本当に冷静に状況が分かっているのか?
ふと、冷めた思考が、脳裏に居座った。
その途端、またしても自分が馬鹿な事を考えている事を悟った。
何を、自惚れているのか。
自分を、叱責する冷たい声。
オレは、こうして、何度も自惚れてきた。
その所為で、とんでもない過ちを犯したというのに。
その冷静な声に、オレは我に返った。
と同時に、震え上がった。
どうしよう。
またもし、オレが間違っていたら、それこそどうしようもなくなる。
先生が対処できるのは、先手を打つからだ。
後手に回ったら、いくら先生でも何も出来ないかもしれない。
むしろ、このままでは先生が死んでしまうかもしれない。
見ろした先生。
もう、呼吸が荒いなんてものじゃない。
過呼吸のような、そして病気のような震え方。
呼吸に伴うようにして、身体がガクガクと震えている。
いやだ。
このまま、先生を見殺しにしたくない。
見殺しにしてしまっては、どうにもならなくなる。
オレ達は皆、どうして良いのか分からなくなる。
情け無くも、目尻に涙が浮かぶ。
オレは、何一つ出来ない。
役立たず。
結局は、オレは役立たずだ。
オレは、もういても立ってもいられずに、先生の肩を掴んで揺すった。
そうじゃないと、先生が消えてしまうような気がして、一心不乱に揺する。
「先生っ!先生…っ!?」
それでも、先生は起きなくて。
オレは、先生の肩を叩いた。
骨ばった肩に、指の骨が当たって痛かった。
それでも、何度か叩いた。
そして、ふと…、
「…あ…?」
先生の眼が、開かれた。
途端に、収まった激しい呼吸。
先程までが嘘みたいに、先生の震えていた身体が収まった。
「さ、…榊原…か?」
名前を呼んだ、その声。
目は、まだ揺れている。
顔も真っ青で、唇にも血が滲んでいるし、なにより血色が悪い。
まるで、真冬の海に使った尼さんみたいだ。
けど、オレは何よりも安心した。
途端に、体の力が抜け落ちそうになって、
「そうそう!先生、お願いだから起きてくれよ!
今は頼れるのアンタしかいないんだってば…ッ!!」
自覚した。
オレが、先生に依存して居る事。
きっと、オレは、このクラスじゃないと駄目だ。
駄目になる。
馬鹿な考えは元々だった。
けど、このクラスにいたからこそ、馬鹿な考えも起こさなくなっていた。
それもこれも、先生がいたからだった。
だからこそ、
「(…頼むよ、先生。
…どうしたら良いのか、教えてよ。
こんな状況、どうにか出来るの先生しかいないんだ…)」
オレは、信頼していた。
黒鋼 銀次という、偽名を使っている、この人を。
この人じゃなければ、オレはもう従う気もなかった。
だが、まだ終わってない。
危なげな息をした先生。
目が、大きく見開かれたのは見た。
見てしまった。
まるで、肉食獣を思わせる、縦長の瞳孔を。
だが、それも、
「ちょ…っ、頼むから、落ち着いてくれよ!
…おい先公!…黒鋼!」
「…香神…?
…ああ、クラスで…倒れたのか?」
「違ぇよ!…いつまでも寝てねぇで、外を見やがれ!
とんでもねぇ事になってんだぞ!?」
香神が叫んだおかげで、すぐに収まった。
「(なんだったの、今の…)」
まるで、先生が人間じゃないものに、一瞬見えた。
更には、彼の周りに何か、酷く濃密なきな臭い香りを感じ取ってしまって、怖気が走った。
未だに、その気配が何だったのかは分かっていない。
今はもう、それ以上を聞ける状況ではなくなっていた事もあった。
立ち上がってからの先生は、自棄に冷静だった。
窓の外を見て、
「…どこの樹海だ、ここは?」
そんな揶揄をして。
オレですら叫んだそれに、先生の反応は淡白を通り越していっそ滑稽だ。
酷いと思う。
オレ達、散々叫んだのに。
そんな、オレ達の気持ちを他所に、先生はオレ達を振り返る。
睨み付ける、とまでは行かないまでも、鋭い視線でオレ達を眺める先生。
居心地が悪くなる視線だった。
幾度と無く感じた、値踏みをするような目。
そんな目を先生に向けられたのは、転入の時以来だったのに。
しかし、その後、
「…浅沼、異世界トリップって奴は、どういうものか説明してくれるか?」
先生は、浅沼を名指し指定し、説明係りに抜擢。
そして、あろうことか
「…お前ら、椅子と机を元に戻して、とりあえず座れ」
はい?
と、オレは一瞬何を言われているのか、理解できなかった。
オレの信頼は、どこに放り投げてくれるつもりなのだろうか、この先生は。
呆然としたオレ達を他所に、先生はちゃっちゃと倒れた教壇を直している。
「出席を取ってから、浅沼に説明をしてもらう。
それから、今までの事を全員で話し合って、そこからどうするか決めるぞ」
そして、そう宣言した。
参ったね、この人。
冷静なのかと思ったら、馬鹿になってるの?
こんな状況で、授業も何も無い筈なのに。
しかし、体は勝手に動き始めていた。
オレ達は、多少渋々ながらもHRの準備を開始していた。
そして、本当に出席を取られた。
思えば、それも先生なりの処世術だったんだろう。
緊迫している訳でも、急を要する訳でも無い状況。
周りの状況よりも、オレ達の混乱を優先的に抑えようとしてくれている結果。
分かったと同時に、納得した。
そして、いつの間にか、教室は多少混乱はしていても、いつも通りの戻されていた。
謎の発光現象から始まり、集団気絶、そして知らない世界。
校舎ごと、異世界とか言う訳の分からない世界に、ぶっ飛ばされたと、理解出来た。
他にも、理論立てて説明されていく内容。
何故、どうして?
そして、誰が?
危険な存在は、何か。
黒板に白と赤色が踊る。
いつもの授業風景さながらの、異世界談義。
いつの間にか、落ち着いて受け止める事が出来ていた。
一番パニックになっていた伊野田や、徳川も落ち着いている。
杉坂姉妹も、常盤兄弟も、浅沼も香神も間宮も永曽根も。
全員が、一様に落ち着いて、先生の言葉に耳を傾けていた。
「(…やっぱ、駄目だよ…先生がいなくちゃ。このクラス、皆先生に依存しちゃってんだからさ…)」
オレは、それが当たり前のように見えてしまった。
だから、教室を飛び出した時も、自然と指示にだけ従っていた。
セットにされた、徳川の腕を引っ張りながら、いつも以上に大きく見える先生の背中を見ていた。
そのうち、教室が爆発した。
舐める炎を、オレは横目で見て、更に安堵した。
あのまま、あの中で授業を行っていれば、皆纏めて丸焦げだったのだろう。
辿り着いた視聴覚室。
バリケードを組まされても、当たり前のように従った。
脱出用のシュートの存在を知らされた時には、流石だと感心した。
そして、背広を脱ぎ捨てて、銃を取り出した時もオレは恐怖どころか頼もしいとしか感じなかった。
「どうりで、落ち着いている訳だよね」
「褒め言葉として受け取っておくぞ」
こんな時まで、先生は軽口だった。
ただ、唯一。
怖かったのは、先生を置いていくことだった。
男子とその間に女子を挟んで、先に脱出させた先生。
オレと香神は、最後に残されても文句は無かった。
だけど、背後には敵と思しき奴等が迫っている。
しかも、言葉だって分からない。
いや、英語っぽかったけど、オレがそれをリーディングするぐらいの語学力が無かった所為。
ただ、先生は分かっているようだった。
流石は、8科目を教えているだけあるよ。
でも、オレの心配は言葉じゃない。
あっちの雰囲気が、好戦的過ぎることだった。
「良いから行け。殿はオレがする」
ドアの外からの騒がしい音。
怒声と共に、叩き付けられる何か。
ドアに嵌め込まれたガラスが割れ、甲高い音がしていた。
それなのに、先生は動じていないみたいだった。
安心するのは、安心する。
けど、どこか死に急いでいるようで、そんな先生が怖くて嫌だった。
まるで、それが、自分の役目だとばかり。
足止めでもするつもりなのか、拳銃のセーフティを解除したのも見えてしまった。
先に、香神が降りた。
オレは、少し足が竦んだ。
シュートからの脱出もそうだが、先生を残していく事に足が竦んだ。
だから、
「先生、死なないでよ?こんな所に、オレ達だけで放り出されたら生けていけないよ」
オレの本心を、素直に告げた。
「分かってる。そう簡単に死ぬような、鍛え方はしてないさ…」
そう言って、オレを振り返った先生。
扉を叩く音も、騒がしくなっている。
バリケードも崩れ始めた。
なのに、
「…行け。すぐ追いつく」
先生はただ笑っただけ。
いつもの無表情を小さく崩しただけ。
オレを安心させようとしているのだろう。
子ども扱いのように感じられて、少しだけ唇を尖らせた。
だが、オレは結局、役立たずだ。
先生と此処に一緒に残ったって、戦力になる訳もない。
オレも、シュートを潜った。
途端、圧し掛かる浮遊感と、押し寄せる重力による加速。
不恰好にも、息が喉に張り付いて乾いた悲鳴が出てしまった。
ジェットコースターだって、もっと楽しく乗れるだろう。
シートベルトの重要性を、こんな機会に理解するなんて思わなかった。
けど、
オレは、そのシュートの先で、結局訳が分からないままに拘束された。
そして、オレが拘束されたと同時に、間宮が成す術も無く殴られるのを見た。
間宮は、殴られて動かなくなった。
香神は既に、地面に倒れたまま、騎士のような格好をした男達に頭を踏まれている。
格好悪いなんて、思う暇も無い。
オレも、地面に押し付けられるようにして騎士のような男達に抑えつけられた。
そして、それと同時に、爆発音がした。
先生を残して来た、校舎。
シュートが伸びている視聴覚室の窓ガラスが割れ砕け、そこから炎があふれ出したのを見た。
それを見た瞬間、一瞬息が止った。
凄い勢いで燃えていて、先生も無事じゃないかもしれないと思っていた。
残してきた事を、結局後悔した。
だが、先生は無事だった。
結果としては、最悪の事態は免れたと思う。
先生がいなかったら、オレ達の末路なんて決まっている。
永曽根が怪我をしていた。
死ぬかもしれない、大怪我だ。
オレ達もすぐ、後を追うかもしれない。
背筋に、嫌な汗が噴出した。
オレは役に立たない女子組と浅沼と一緒に、拘束されたままだった。
正直、苦痛だった。
けど、先生は英語で、彼等と何かを話していた。
槍を向けられたり蹴られたり殴られたりしながら、それでも必死に何かを訴えていた。
そのうち、永曽根が治療されるのを見た。
香神や、間宮も同じ管。
信じてもいなかった「魔法」らしきもの。
それが使われて、あっという間に三人の傷は無くなった。
浅沼が何故か鼻息を荒くしていたけど、オレは違う事を考えていた。
先生には?
先生も怪我をしている。
蹴られて殴られて、血を流しているのに、なにもしないのか?
オレの心の奥底で怒りが噴出した。
しかし、先生は放っとかれたまま。
オレも、何も言えないままだった。
それから、騎士に連行された。
喋るを禁止された所為で、詳しくは分からなかったけど、ダドルアードって王国に連れて行かれるらしい。
変な森、有り得ない状況、騎士、魔法、そして可笑しな名前の王国と言う存在。
本当に異世界なんだ、と純粋に感動してしまった。
ただし、すぐに後悔したけど。
王国に着いたと同時に、オレ達は裸に引ん剥かれて牢屋に放り込まれた。
先生は拷問を受けて、鞭を打たれたり、水を掛けられたり。
先生は、苦しそうにしていた。
でも、呻き声は上げても、叫び声は上げていなかった。
それが、3日。
皆、体も心も限界だった。
なのに、先生はオレ達を守ってた。
元軍人だって聞いていて、なんとなく納得していたというのに。
それを一身に引き受けようとするなんて、普通の人に出来る筈無い。
オレ達を守って、ああして一人だけ吊り上げられて拷問を受けていたというのは、後から騎士の男に聞いた。
香神が通訳してくれた。
それを聞いた時、オレ達は色んな意味で泣いた。
それこそ、全員で大号泣した。
普通の教師なら、まず有り得ない。
先生は見捨てなかった。
オレの事も、みんなの事も。
それが、一番、凄いと思っていた。
オレ達は、解放された。
語弊がある訳でも、勘違いでも無い。
文字通り、オレ達は解放された。
なんか、良く分からないままの3日間だった。
けど、先生がとにかく凄いという事は分かった、3日間だった。
「(…先生の為にも、オレは…自分のやるべき事を見つける…出来る事をする。役立たずなんて、もう二度と御免だ…)」
そう思って、決意した。
解放されてから、オレ達はこちらの世界で初めての食事を振舞われた。
泣きながら、食べた。
皆、同じ様に号泣しながら食べていた。
この歳になって、ここまで泣くなんて思っても見なかっただろう。
特に永曽根。
でも、涙が止らなかった。
オレ達、先生に生かされている。
先生がいたから、生きていられたと自覚できた。
オレ達は、彼を心から尊敬し、信頼する事を決めた。
基、オレ一人でも、彼を尊敬し、信頼し続ける事を決めた。
絶対に、裏切れる訳がないから。
***
信じられない。
最初は、そう思っていた。
「…CA?150cm以下のCAなんて見た事無いけどな…」
「…いつか大きくなってみせます!先生よりも!」
「やめとけやめとけ。180cmの女なんて怖いだけだ」
折角、将来の夢を話したのに、馬鹿にされた。
正直、この先生は嫌いだった。
黒鋼 銀次。
23歳なんて言って実はもっと歳を食ってるんじゃないかと思えるぐらい、落ち着いた無表情の先生。
身長は、180cm。
さり気無く自慢されたその高身長が、酷く不快だった。
あたしは、140センチしかない。
もう18歳になるのに、13~15歳にしか見られない。
生まれた時から危惧されていたらしい。
あたしの父が、先天性の小人症だったらしい。
クラスで、一番小さい。
そんなの、今まで暮らしてきた学生生活で分かっている。
それが、元々の発端で、あたしがこの夜間学校の特別クラスに通うことになった始まりでもあった。
他の生徒達は、頭一個分、二個分以上も小さいあたしを見下して、そして罵倒した。
心無いその言葉、態度。
全て、あたしの心に突き刺さった。
学級イジメに発展して、結局あたしは両親に泣きついた。
あたしを苛めた彼等は知らないのだろう。
あたしの父や、母が誰なのか。
父は、普通のサラリーマン。
海外の証券会社を、小人症ながらも取りまとめている。
そして、母。
あたしも、実は本当の役職を知らなかった。
けど、その時初めて知らされた。
母は現役の、エージェント。
漫画みたいだと思われるかもしれないが、本当の事だった。
まさか、日本にもそんな人がいるとは思っていなかった。
母は、裏社会のスパイだった。
あたしがそれを知った時には、全て終わっていたけど。
あたしを苛めていたクラスメートの一人が突然消息を絶った。
その子には、酷い罵倒をされた覚えが合ったが、まさか突然いなくなるとは思ってもみなくて、その時はどうしたのかと心配していた。
翌日、死体として見付かるまで。
その後は、ドミノのようだと思った。
次々に、不幸に見舞われるクラスメート。
食中毒に始まり、事故、家族の不幸、転勤。
色々と積み重なっては、人がいなくなっていく。
そして、全員が死んでいた。
気付いた時には、全て遅かった。
一ヶ月もしないうちに、あたし一人を残して教室には誰もいなくなっていた。
「どうして?」
教室で、一人泣くあたし。
「あたしの宝物を、罵倒したのだもの。…死んで当然でしょう?」
母さんは、笑っていた。
そして、あたしに、こう言った。
「さぁ、転校しましょう?今度は、誰もあなたを苛めないところに、転校させてあげるわ」
ねぇ、母さん。
何かの間違いだよね。
あたし、何がいけなかったの?
そうして、あたしは、この学校への転校を決められた。
決めさせられた。
14歳の時だった。
この夜間学校は、母さんも出資している学校だという。
つまり、母さんのお膝元。
直感的に悟った。
母さんは、あたしも同じ道に進めるつもりだと。
だから、この学校に来た時も、絶対に泣くまいと思っていた。
そして、誰も信用しないようにしないと、心に決めた。
だって、ここは、監獄だ。
母さんのような人を作る為の養成所だ。
そう思っていたから。
だから、あたしは、別の夢を持つことにした。
いつか、その夢を実現させられるように、背は小さくても努力する事を決めた。
その為にも、もう二度と母には泣き付くまいと決めていた。
それも、3年で終わったけど。
父がまず死んだ。
小人症故に合併症を患っていたらしい。
母さんは、葬式には参列しなかった。
そして、母さんも死んだ。
なんでも、父さんが死ぬ前から、日本で結婚していたらしい。
最低だと、思った。
もっと、最低だと思ったのは、その死に方だった。
母さんの死因は、麻薬の過剰摂取だった。
母親であるあたしのお婆ちゃんも巻き込んで、とあるアパートの一室で死んでいたそうだ。
見つけたのは、結婚相手のあたしの知らない男のその友達。
知らない、戸籍上の父は、既に海外に飛び立っていたらしい。
それを聞いたのは、警察に呼び出されてからだった。
天涯孤独。
犯罪者の子ども。
麻薬中毒者の娘。
あたしの世間からのレッテルは決まった。
あたしは、この歳まで、結局夜間学校には行かなかった。
第一発見者が、あたしの存在を知って引き取ろうとしてくれたらしいけど、あたしは全て突っぱねた。
引き取られた施設で引きこもって、泣いていただけだった。
夢も、諦めざるを得ないと思っていた。
でも、諦め切れなくて。
あたしは、意思表明のように、そう呟くようになった。
CAになりたい。
あの空飛ぶ鉄の鳥の中でなら、あたしを知る人なんていない。
それなら、あたしも自由に空を飛べる。
我ながら、単純で子どもっぽい考えだった。
自覚をしていても、あたしの目標はもはやそれしか無かった。
生きる目標が、それしか無かった。
「まぁ…良い夢じゃないのか?オレは、応援してるけどな」
この一言は、あたしにとって初めての言葉だった。
誰もが馬鹿にした。
誰もがあたしに呆れて、見限った。
寮に入っても、それは変わらないと思っていたのに、
「…うーんと伊野田 みずほ?伊野田って、どこかで…」
「…あたしの母の旧姓です」
苗字に、勘ぐられた。
この人が、あの事件を知っているとマズイ。
そう思って、冷や汗を掻いたのに。
「母?………ああ、思い出した…あの時の」
と、言って彼は、あたしの頭に手を置いた。
「お前、ミキノの娘だったのか…気の毒だったな」
まるで、見てきたかのような、その声と台詞。
ミキノとは、母の名前。
母が日本で名乗っていた、名前だった。
「…第一発見者、オレだよ。…オレの同僚が、彼女の旦那だった…」
彼の答えは、簡潔なものだった。
母の、死を知っている理由。
彼は、立ち会ってしまったから。
その母の死を、一番に知ってしまった張本人だったから。
まさか、そんな運命があるとは思っていなかった。
彼があたしを引き取ろうとしてくれた張本人とも思っていなかった。
彼はそれを、侮蔑する事もなかった。
あたしが、振り払った手を怒る事もしなかった。
嘲る事も、下手に慰める事もしなかった。
「…悪い事したな。オレが、もっと早く…気付けば良かった」
謝罪を、述べられたのは初めてだ。
あたしの胸に、じんわりと沁み込んだ優しい声。
滲んだのは、涙だった。
あたしは、気付けば彼の腕の中で、あやされていた。
あたしは、その時、年甲斐も無く泣き叫んだ。
毎日毎日泣いて過ごしても、まだ足りない悲しみが胸にせっついてしまって。
子どもみたいな扱い。
実際、あたしの身体は、彼の片腕で抱き抱えられている。
だけど、不思議と、彼の腕は安心できた。
時折、彼が口ずさむように歌っている子守歌。
海外のそれに、自然とまどろんだ。
「ねぇ…先生。本当にあたしの夢、応援してくれる?」
「ああ…頑張ろうな。オレも、協力するから英語は特に頑張って覚えろよ?」
先生は、味方だと思えた。
初めて、味方だと思えた人間だった。
友達は、皆敵だった。
死んでしまったけど、心はそれ以上痛まない。
そして、母さんも敵だった。
父さんは、助けてくれなかった。
世界が敵だと思っていた。
あたしは、この敵だらけの世界で、生きていくしかないんだと思っていた。
CAになるなんて馬鹿みたいな夢物語を描いて、馬鹿みたいにそれにすがり付いて生きていくしいかないんだと思っていた。
「……駄目だったら、先生が責任とってよ?」
「いや、頑張れよ。無茶をしろとは言わないが、お前の努力だって必要なんだぞ?」
別の意味の責任も押し付けて。
先生は、分かっていないみたい。
知ってる。
先生は、色々知ってて、人の気持ちには敏感の癖に、自分の事となると鈍いって。
あたしだけが知ってる。
先生の首筋に見えた、銀色の髪。
黒髪のウィッグを被った、銀色の髪の先生だと言う事。
今でも、それは内緒。
誰にも言っていない、あたしと先生だけの秘密。
「先生が、責任持ってくれるなら頑張るって約束してあげる」
「責任重大な上に、金が掛かるおねだりだな」
言質を取って、あたしは彼の肩に頬を擦り付けた。
いつかあたしを、海外に連れて行って。
そして、あたしをあなたのお嫁さんにしてください。
やれやれと、首を竦めた先生。
やっぱり、意味が分かっていないんだと思う。
けど、今はそれで良い。
あたしは、きっとCAにはなれない。
そう分かっているし、今はそこまでなりたいとは思っていない。
なりたいのは、先生のお嫁さん。
だから、
「(…その為にも、少しでも身長伸ばさないとね…)」
体は寸胴だ。
これ以上の発育も無い事は、分かっている。
だけど、身長はまだ諦めない。
いつか、先生に並んでも見劣りしないぐらいになってやる。
怖かろうがなんだろうが、あたしは先生と並んで歩いてみせる。
諦めは、まだしていない。
***
オレは、先生を知っていた。
オレは、先生と同じ、施設で育っているから。
黒鋼 銀次。
そう名乗っている先生が、実は施設のOBで、元暗殺者だと言う事も、知っていた。
そして、今は怪我や心因的外傷で引退した先輩だと言う事も、知っていた。
「…アイツは、凄いよ」
「ああ?何がだよ。アイツは、負け犬だろ!?」
「馬鹿!仮にも敵に捕まって生還したんだ。それも、情報も持ち帰ってる。仲間がアイツを称えてやらなくてどうすんだよ!」
「…そうかよ」
施設の先輩達の会話を、断片的に思い出す。
武器の手入れをしていた所為で、断片的。
だけど、凄い人だというのは、分かった。
この世界に、片足を突っ込んでいるオレ。
数え切れない訓練を黙々とこなしてきた。
先天性の声帯閉塞の所為で、声が発せ無いから元々喋る事も無かったけど。
訓練は、酷いものだ。
銃を扱えるようになれば、次はそれを避けろと言われる。
毒の扱いを覚えれば、今度はその毒に耐性を付けろと言われる。
そして、一番苦手としたのは、任務で捕まった時の対処法だった。
逃げ方も教えられたり、鎖や縄の解き方も教わった。
その為のピッキング用のキットも携帯をさせられた。
いざ任務で捕まった時の為に、自害の方法すら刷り込まれた。
だけど、オレは一度も逃げられなかった。
その時はまだ、11歳だとしても、オレには出来なかった。
ただ、腕が良い裏社会の人間には、必須の条件だった。
先生もそうだったと聞かされている。
そして、先生はその条件を13歳の時にはクリアしていたと聞いた。
そんな先生でも、今回は逃げられなかったらしい。
だとすれば、自分のして居る事に意味があるのか。
腕が良いという評判の先生だって無理だったという捕縛時の対処。
結局、オレは先生のクラスに行くまでの4年間でも、クリアする事は出来なかった。
真っ先に死を選んだ方が良いとしか、教わらなかった。
責め苦を味わって、仲間を売る背徳感に苛まれて死ぬよりはよっぽど良いと、教わった。
耐え切れないだろう、と暗に言われたと思っている。
そして、それは間違いじゃない。
オレは、きっと、先生のように耐え切れない。
だから、今回も死のうと思っていた。
なのに、オレはそれを選べなかった。
恐怖もあった。
けど、それをする前に、昏倒されてしまったという理由もある。
更には、
「間宮…先に言っておく。馬鹿な事は考えるな。オレがなんとかするまで、絶対に先走るなよ?」
釘を、刺されてしまった。
先生は分かっていたのだろうか。
オレが、死のうとして居る事。
それを先んじて、止めてくれた。
だから、オレは先生の合図があるまで待つことにした。
とても、単純かもしれない。
けど、それが一番の方法だと思えた。
3日間も、それに耐えることになるとは思っていなかったけど。
先生が、目の前で吊り上げられている。
先生達の話は聞いていた。
『オレだけにしてくれ。責め苦を受けるのは、こいつ等の先生であるオレの役目だ』
そう言って、一人で拷問を受けていた。
『強情な男だ。…教え子達を守りたいと思うなら、そろそろ本当の事を話した方がお互いの為になるとは思わんのか?』
『…オレは、真実しか…言ってない…っ』
嘘でも良いから、でっち上げれば良いのに。
先生は、頑なに訴え続けた。
正直、見ているのが辛かった。
だが、オレも知っている。
先生も同じ意見だからこそ、嘘をでっち上げないのだろう。
嘘はいつか、バレるものだ。
その時に、後々になって、オレ達が危険に晒される。
それを先生も分かっているからこそ、嘘を言わず、ただただオレ達の為に耐えているのだろう。
涙が、滲む。
感情を削ぎ落としたオレの胸が、張り裂けそうに痛んだ。
先生は、凄いと改めて理解した。
黒鋼 銀次という偽名の先生。
そんな彼は、間違いなくオレの先輩で、尊敬に値する男だと。
「アイツは、馬鹿だよ。馬鹿でどうしようも無い男だ。じゃなきゃ、オレ達はこの場にいない。アイツがいなくなった2年前に、とっくに情報を流されて抹消されたのに…アイツは、オレ達をあんなになっても、売らなかったんだから…」
最後に聞いた、先輩の声。
あれは、涙声だったか。
「…何、お前。もしかして、アイツの話聞いて、憧れたのか?」
オレの任務に組んでいた、5つ上の先輩。
実際には、先生と同期だというその人。
後になって、オレを弟子としてくれた彼が、
「そうか。…聞かせてやるよ…馬鹿なアイツの、武勇伝ってやつ」
泣きそうな顔をして、語っていた事。
今でも、夢に見る。
拷問は当たり前。
慰み者にされたのも、当たり前。
そして、生体実験。
人間の体を、物のように扱った凄惨な出来事。
「…それでも、アイツは持ち帰って来た。敵の情報、毒の種類。アイツの身体自身をアタッシュケースみたいにしてな…」
彼の身体ごと持ち帰った、細菌の種類。
それによって、敵が何をしようとしたのかも分かったらしい。
敵組織は、バイオテロを起こそうとしていた。
そして、その混乱に乗じて、こちら側の陣営を崩そうとしていた。
表まで巻き込んだ、その外道なまでの所業。
人間とは思えない。
しかし、未然に事故が防がれた。
先生を助け出したのも、その先輩だったらしい。
その先輩も、結局は涙声になっていた。
「…オレ達、みんな…一度は、アイツに救われてんだよ。なのに、オレ達は何も返せない…」
そう言って、締め括った。
オレは、その話を聞いてから、ずっと考えていた。
もし、その人に一度でも会えるなら、礼を言おうと。
礼を言って、何が変わる訳では無い。
そもそも、オレは礼を言える口は持ち合わせていないけど。
それでも、その人の為に、出来る事をしよう。
その機会は、思った以上に早く訪れたけど。
「ああ、お前が間宮か…えっと、間宮 奏。15歳か。思った以上に小さいな」
先生とは、この夜間学校の特別クラスで出会った。
オレは、15歳になって、そろそろ暗殺術よりも学力や一般常識が必要になったからと、この学校に引っ張り出された。
黒髪のウィッグに、目の色が化学薬品の色に変色して群青色になっている先生。
捕まった時に使われた薬の影響で、髪や目の色に影響していると聞いていた。
そして、その左腕に麻痺が残っている事も聞いていた。
そんな先生は、無表情ながらもオレを物としては見ていなかった。
見定めるようにして、オレを人として見ていた。
ただ、それだけが嬉しかった。
そして、言おうと思っていた言葉。
それを、手話で先生に伝えた。
「(…ありがとうございます)」
言ったと同時に、首を傾げられた。
簡単な手話だから分かるだろうと思っていたけど。
先生には伝わらなかったのかもしれない。
しかし、オレの気持ちは、済んだ。
「施設育ちって聞いているが、こりゃまた随分と可愛いもんだ」
頭を撫でられた感触。
思った以上に、暖かい手だった。
「(どういたしまして)」
と、それと同時に、返された片手の手話。
通じていた。
そう理解した時、
「(………オレ、あなたを信頼します。この命を、あなたの為につかわせてください)」
オレは、初めてこの人を、本当の意味で尊敬することにした。
オレですら、そう思ったのだ。
クラスメート達も、どうやら同じようだった。
今回の件。
先生が、いや銀次様がオレ達の為に、苦行を受けてくれた事。
オレ達を守る為に、一身にその拷問を受けた彼に、一層強い思いを抱いた。
彼がオレを守ってくれる。
その代わり、力が及ばずとも、オレは彼を影ながら守る。
まるで、主君と従者のような関係。
いっそ、忠誠とも思える思い。
それが、オレにとっては最高の褒美。
最高の栄誉。
最高の肩書きだと思えた。
オレは、銀次様のために、命を差し出す。
「(…オレを…あなたの左腕にしてください。そうすれば、オレはあなたの敵を薙ぎ払う、牙となりますから…)」
オレは、腕を握り締め、彼の上着をそっと抱き締めた。
鉄錆の香り。
焦げた繊維質の香り。
その中に感じた、彼自身の香り。
絶対に守る。
この身を盾にして、首だけになっても守る。
誰になんと言われようと、そう決意した。
***
ちょっと、行き過ぎた傾倒。
変態ではありません。
ただただ、一途なだけです。
誤字脱字乱文等失礼致します。