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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、技術開発部門設立編
25/179

21時間目 「道徳~技術・医療部門の同時進行、女神の奇跡~」

2015年9月15日初投稿。


そろそろタイトルが長過ぎて考えるのが大変問題。

それでも、長ったらしくタイトルをつけてしまうのは作者の昔からの悪い癖。

小学校・中学校の頃は常に漫画を描いて過ごしていた寂しい時期でしたが、その頃からの悪癖です。

10年以上付き合っています。

感慨深く思えて、今更辞められない。

貧乏性です。


41話目です。


(改稿しました)

***



 『吐き出し(ボミット)病』

 別名、魔力沈殿型症候群。


 発症すると倦怠感や、発熱、嘔吐、吐血などの症状が現れる。

 体質的に魔力と相性が悪い人間に発症例が多い病気との事。


 体に溜まった魔力が、排出される事無く体内に蓄積され、蓄積された魔力が、身体の中で魔石を精製。

 魔石は患者の生命力を吸い込み、それを沈殿した魔力と共に体外に吐き出させる。

 それは、命を吐き出すのも同義だ。


 魔石の逆流によって粘膜を傷付け、吐血するのも一般的に知られている症状。

 そして魔石や血液を吐き出す事による、体力の低下、脱水症状。

 粘膜を傷付けられる事によって、自然治癒力が活性化される為魔石の精製は、時間を置く事に加速して行く。

 やがて死に至る病。


 通常であれば、魔法を使う事で魔力はある程度排出出来る。

 だが、それだけで済まないのが、この病気の厄介な症状。

 魔法を使う為の魔力のコントロールを、沈殿した魔石によって狂わされてしまう。

 その為、患者は魔法を使う事すら出来なくなる。


 そして、魔石の沈殿が更に加速し、子どもや老人であれば発症から10日前後、健康な大人であっても最高で半年前後で死に至る病。


 それが、『吐き出し(ボミット)病』。


 そして、


『…残念ながら、この病気に特効薬は無い。治療法が確立していないのだ…』


 ゲイルの静かな声。

 自棄に落ち着いて聞こえるそれは、無理矢理感情を抑え込んでいるようにも思えた。

 演技派の彼の事だから、努めて、オレに感情を現そうとしていないのだろう。


 そんな彼の声を聞いたとしても、脚の力が抜けた。

 壁に凭れ掛かっていた身体が、不恰好にもずり落ちて行く。


 ずるずると、壁伝いに座り込んで、


『…なんなんだよ、畜生』


 頭を抱え込んだ。


 目の前に立ったゲイルの、足元しか見えない。

 その彼の脚も、小刻みに震えていた。 


 神様は、そんなにオレの事が嫌いか?


『女神様が、ついているんじゃなかったのかよ…』


 女神様はオレの事を好いてくれていると思っていたのにな。


 なんで、こんな事になるんだ。

 なんで、生徒がこんな目に合うんだ。

 何もしていないじゃないか。


 オレの前で、同じくへたり込んだオリビア。

 大きな瞳から、これまた大粒の涙を零している。


 そんな彼女を見ても、今のオレには慰めようなんて感情は生まれてくれなかった。

 泣く前に、永曽根を加護してやってくれ。

 ………オレ、最低だ。


『…ごめんなさい、ギンジ様』

『謝る前に…なんとかしてくれよ…』


 謝る彼女の事を、慰める事も出来ないまま、更には、彼女に責任を擦り付けようとしている。


『わ、私がはやく気付けば…良かった!

 …彼の体調が悪いのは、分かっていたのに…ッ、『吐き出し(ボミット)病』だなんて…気付けなくて…ッ!』

『泣き喚く前にどうにかしてくれよ…。女神様なんだろ?』

『出来ないんです!…『吐き出し(ボミット)病』は、どうして魔石が精製されるのかも分からなくて…!』


 じゃあ、何が出来るんだよ、女神様おまえは。


 そんな、酷い言葉ばかり、脳裏を過ぎる。


 特効薬も治療法も無い病気?

 なら、そういう時こそ、女神様や神様の力が必要なんじゃないのか?

 神様ってのは、そういう時の為にいるんじゃないのか?


 その姿や力が本物だって言うなら、その力を少しでも使ってみてくれよ。


『奇跡って奴を、見せてくれよ…ッ。

 信仰心が無いのは、今に始まった事じゃねぇけどな…ッ!

 見せられるもんなら、見せてくれ!奇跡を起こして、永曽根を助けてくれよ!

 そうしたら、オレだって神様でも女神様でも絶対服従してやるさ!』


 八つ当たりとしか言えない怒声を張り上げた。


『ッ……ごめんなさい…!!』


 またしても、大粒の涙を流して。

 彼女は俯いたまま、顔を覆ってすすり泣く。


 そんな彼女を見たとしても、オレの脳裏には何の感情も浮かばなかった。

 あるのは、空虚と絶望。


 泣くのも謝るのも、もうたくさんだ。

 何も出来ないなら、ここにいないでくれ。


 オレは彼女を見向きもしないまま、オリビアに犬猫でも追い払うかのように、手を払った。


『………なんなんだよ、畜生!』


 苛立ちばかりが募って、感情すらもセーブが出来そうに無かった。

 先程も、力無く呟いた言葉を、今度は唸るようにして張り上げる。


『これ以上、オレに何をしろってんだ!?

 こんな訳の分からない世界で、一体何から生徒を守れば良いって!?

 召喚しといて最後まで面倒も見れない癖に、オレ達に何をさせようってんだよ、テメェの姉貴は!!』


 そんなオレの声に、オリビアは震えあがった。

 その顔には、まるで捨てられた子どものような、絶望を浮かべていた。


 そして、そのまま眼の前で、光の粒子を残して消えて行く。

 気配が遠ざかり、オレと契約していたとか言う眷族の証も消えたのか、体からごっそり力が抜けるような感覚を味わった。

 ………精神感応も切られたようだ。


 逃げやがったんだろう。

 オレの怒声にも、現状にも堪え切れなくなって。

 たった4日でお役御免とは、仮にも女神様だろうに、役に立たないものだ。

 漠然とした思考の中、下種な事しか考えられなかった。


 堪え切れないのは、オレだって同じなのに………ッ。


『……畜生…ッ。……これ以上、どうしろってんだ…!!』


 唇を食い縛って、堪える。

 これ以上、何かを口にすれば、また良からぬ事を吐き出してしまう。

 これ以上、抱え込めば、吐き出す事も出来なくなってしまうと分かっていながら。


『…オレ、教師なのに…っ、生徒一人助けられないのかよ…ッ』

『………ギンジ、』


 ゲイルの言葉も、耳に入らないほど、オレは憔悴してしまっていた。

 そして、口々にやってくる生徒達にも、まともな対応すら出来なかった。


 精神的に限界だった。


 何から、守れば良いのか。

 オレの生徒達。

 オレを信じて、ここまでやって来た生徒達。


 そんな彼等を、オレは何から守れば良いのかも、分からなくなってしまった。


 怪我から守れば良いのか?

 病気から守れば良いのか?

 世界から守れば良いのか?


 なのに、オレは守れない。


 特効薬も治療法も無い病気を、どうやって治せというのか。

 そして、そんなものがありふれている世界から、どうやって守ればいいのか。


 何もかも分からない。

 何もかもが煩わしくなって、癇癪を起した子どものように蹲って、ただ堪えるしか出来なかった。



***



 どれぐらい、そうしていたのだろうか。


「……ん、あ…うん?」


 気付けば、オレはいつの間にか眠っていたらしい。

 明かり取りの階段の踊り場の窓から、月明かりが差し込んでいる。


 驚いて身体を起こせば、肩に掛けられていた毛布が落ちた。

 オレが寝ていたのは、永曽根の部屋の前の廊下だった。


「………情けねぇ…」


 何も出来ないまま、蹲っていただけのオレ。

 しかも、生徒が大変な時に、不貞腐れたように蹲ったまま転寝をしていたなどとは、情けなさ過ぎて泣けてくる。


 ………いや、これは一度身体のスイッチが落ちただけだな。

 そういえば、今日も朝から睡眠不足とトイレとオトモダチになっていた所為で、体がどことなく重かった。

 ついでに、授業途中から感じていた体調不良も、表面的に出て来てしまっている。

 体がダルくて、正直動くのが億劫だった。


 しかし、またこのまま転寝をしている訳にもいかないだろう。


「………永曽根の事、どうにかしなきゃ…」


 新たに発生した問題は、この世界ならではの病気だった。

 これには、流石にオレだって、太刀打ちするのは難しいだろう。

 そんな事分かっている。


 しかも、オレは今日一日、何もかも中途半端に投げっぱなしだったような気がする。

 思い出して、体だけではなく頭が、どっと重くなった。


 授業参観の途中だったの、すっかり忘れていた。

 オルフェウスへの接待も中途半端なままだった。

 それに、生徒たちへの説明だって満足にしていなかったし、ゲイルとのやり取りだってオリビアとのやり取りだって、おざなりにしてしまった。


「………オリビアの事なんて、八つ当たりじゃねぇかよ、オレの馬鹿…」


 思い出して、最低だと嘆かわしい。


 彼女に迫っても意味は無かった。

 彼女だって、病気の事など察知できなかっただろうし、それをどうにかしてくれなんて、蛍光灯程度の明かりを生み出すので精一杯だった女神様に出来る訳も無い。

 なんて無茶を言って、彼女を傷付けてしまったのか。


「後で、……謝りに行かなきゃ…」


 彼女は、最終的にはオレの目の前から、光の粒子を残して消えた。

 しかし、彼女が移動出来る範囲というのは、この国内に限られているので、おそらくは彼女の実家ともなる教会へと戻ったのだろう。


「………教会、か」


 そう言えば、オレは何も知らないままだ。

 永曽根の発症した病気『ボミット病』の事。

 教会ならば、もしかしたら症例か何か、もしくは対応策のようなものも知っているかもしれない。


 彼女は知らなくても、もしかしたら彼女の姉達である女神様なら、何か知っているかもしれない。

 希望的観測であって高望みと言うのは、分かっているが、それでも行ってみる価値はあった。

 そこまで考える余裕が生まれていたのは僥倖か。

 オリビアが悪い訳では無かったと、今更ながら思い出して、辟易とした溜息を吐き出してしまうが、


「(……素直に謝って、……自分で調べられるだけ、調べてみよう)」


 許して貰えるかどうかは、分からないけれど。


 そう考えて、立ち上がる。

 毛布が床に落ちた。


 ふと、立ち上がった事で、ふらりと眼の前が揺れる。

 後ろに傾げそうになったところで、


『………お前も、倒れるな。生徒達が、今度こそパニックになるぞ…』

『……ッ、げ、ゲイル…』


 そんなオレの背中を支えた力強い腕。

 危なかった、このまま倒れたら階段から転げ落ちるところだったよな。


『悪い…』

『いや、大丈夫だ。それより、』

『分かってる、永曽根の事もだし、オルフェウス陛下の接待の事も…。

 …………それに、さっきは悪かった』

『気にしなくて良い。あんな状況なら、仕方ないさ』


 彼にも謝って、ついでに背中を支えてくれたお礼も言っておく。

 ただ、彼には『それよりも先に、オリビア様に謝ってくれ』と信徒らしく、厳しい視線と共に叱られた。


 だが、一度床の上とはいえ、しっかりと眠った事ですっきりしたらしい。

 大分、落ち着いたおかげで、今やるべき事のリストもすんなりと上がってきた。


 まずは、永曽根の容体の確認をしたい。

 しかし、ふとそこで、


『………下に、まだオルフェウス陛下が、お待ちだ。

 どうやら、陛下もお前やナガソネくんの容体が気になっているようで、送迎を遅らせてまで、』

『………うわぁお、申し訳ない』


 そう言って、少々困惑気味な顔を向けてきたゲイル。

 ………それって、他国の国王陛下がすることだろうか?

 帰るタイミングを間違えた?とか、そんな感じでも無いだろうけど、まさか送迎を遅らせるなんて事までして、気にかけてくれているとか。

 ………無茶な要求をされない事を激しく求む。


『平気だ。間宮が、なんとか接待を継続してくれている』

『分かった。なるべく、早めにとは思うが、永曽根の様子を確認してから行くよ』


 ゲイルはそんなオレの様子を見て、苦笑を零して去って行った。

 本当に、オレの確認だけに来てくれただけだったようで、そんな彼のちょっとした気遣いに、ささくれ立っていた内心が少しだけ穏やかになった。


 彼が階段を降りて行く音を後ろ背に、オレは永曽根の部屋へと向かう。

 途中で、頬をぱしんと若干痛いぐらいに叩けば、何故か水滴が散った。


 ………また泣いてたのかよ、オレ。

 気付かなかったし、ゲイルも何も指摘してくれなかったよな。


 まぁ、それはともかく。

 永曽根の部屋の扉を、ノックする。


「…はいっ」

「あれ?伊野田?」


 物は試しだと、ノックをして永曽根の起床を期待していたのだが、意外にも返ってきたのは同じクラスメートである伊野田の返答。

 続いて、がちゃりと開けられた扉の先にいた彼女は、泣いて腫れぼったくなった眼をしていながらも、オレを見上げてにっこりと微笑んだ。


「先生、起きた…?」

「………伊野田、目、真っ赤…」


 そう言って指摘したと同時、


「先生程じゃないよ?」


 彼女からは、苦笑と共に指摘され返してしまった。

 ………人の事、言えねぇでやんの。


「看病しててくれたのか、」

「…うん。大した事、出来ないけどね、」


 そう言って、くしゃりと顔を歪めた彼女。

 きっと、永曽根が吐血する瞬間や、苦しげな咳を聞いて不安に思ったことだろう。


「いや、ありがとう。オレの方こそ、何も出来なくてごめんな…」


 そんな彼女の髪を撫で、落ち着かせるようにして二・三度叩いた。

 宥められた事で安心したのか、またぽろぽろと涙を零し始める彼女に、今度はオレが苦笑を零す番となった。


 そんな中、


「なぁ…せん、せい…」


 掠れた呼吸音と共に、部屋の中に空気を微かに震わせた声。


「目が覚めたのか、永曽根…!」

「永曽根くん…ッ」


 永曽根が、眼を覚ましたらしい。


 ぼーっと天井を眺め、ベッドに横たわっている姿は体格など関係も無く、死人のようにも見えて背筋が粟立つ。

 青白くなった頬に、たった数時間であってもこけた頬。

 そんな彼に駆け寄って、彼の状態を確かめるようにして頬や額を触り体温を確かめる。

 正直、触って確かめなければ、死体だと言われても納得してしまいそうだったから。


 体温は、オレよりも低くなっているだろう。

 脈拍は止まっていないし、どちらかと言えば少し早目。


 血圧も測りたいが、医療道具は一階のダイニングにあるので、引っ張り出してくるのは、情報漏洩を考えると後に回した方が良いだろう。


「…悪いが、伊野田。布を絞って持ってきてくれ。

 口を濯ぐ為の水やバケツなんかも持ってきて欲しいんだが、」

「う、うん!ちょっと待ってて!」


 早口に彼女へと指示を出して、見送った。

 他にも異常が無いか確認をしながら、浮いた汗をタオルで拭ってやる。

 その手が、首筋まで降りた時、


「……ご、めん」


 掠れた声で、彼からの謝罪を聞いた。

 

「良い、謝るな。…オレこそ、気付けなくて、」


 彼からの謝罪に、胸に痛みが走る。

 怪我ばかりに気を取られ、病気の予防を失念し、国王陛下の対応に追われて、彼の不調に気付いていながらおざなりにしてしまった。

 謝るべきは、オレの方だ。


「オレこそ、ごめん」


 そう言って、絞り出すのが精一杯だった。


 今回の事は、オレの監督ミスが要因だ。

 しかも、それを認めるのすら困難なまま、先ほどまで腐っていたばかりか転寝していたなんて、何をしているのかと怒りすら湧き上がる。


 そうして、オレが内心で一人、懺悔している時だった。


「………オレ、死ぬ、のか?」


 か細くも、震えていても、はっきりと紡がれた言葉。


 鼓動が跳ね上がり、痛みを訴えた。

 彼の汗を拭っていた手が止まり、感覚が消えていく。


 一気に思考が、冷めていった。

 同時に、怒りが湧き上がる脳内は沸騰寸前で、どうしようもない気持ちに無性に泣き叫びたくなった。


 しかし、


「オレ、まだ…死にたく、ない…」


 そこに聞こえた言葉は、確実に彼の本音だった。

 そして、彼がそんな気持ちでこの言葉を発しているのか、オレには痛いほど分かってしまった。


 死にたくない。


 死に近づく自身の体が分かる事は、恐怖だ。

 諦めることだって出来ず、そんな簡単に諦められる程、命だって軽くは無い。


 かつて、現状を嘆いていた自分も、こんな気持ちだったのだから。


「分かっている」


 先ほどまで沸騰しかけていた思考が、急激に理性を取り戻していく。


「……なぁ、先生…。オレ、まだ、教わりたい、事…あるんだ」

「………ああ」


 そんな事、オレだって一緒だ。

 まだまだ教えていないことも、教えてやりたいこともある。

 この世界に来てからは、乗馬もしたがっていたし、オレの元で武術の修練もしたがっていた。


「まだ、たくさん………、やりてぇ事…あるんだ」

「………ああ」


 オレだって、一緒だ。

 この学校を卒業して、後々には軍人か特殊部隊に入ると決めていた未来。

 それを守る為に、ここまでやってきたのだ。


「………まだ、約束…守れてねぇ…ッ。…幼馴染の………アイツが、待ってる…から…ッ!」

「………ああ、分かっている」


 約束があると言って、5年後の未来を語ってくれた事は今でも覚えている。

 幼馴染の少女と10年越しに出会い、そして5年後に更生して再会するのだと、未来の事を恥ずかしそうにしながらも語った。


 彼は、その約束を果たしたい。

 その為に、生きようとして、諦めようとはしていない。


 それが、今彼が流している大粒の涙の理由。

 今まで、泣いたところなんて、数えるぐらいしか見た事も無かった彼の、本音と共に零れ落ちた涙を、オレは拭ってやる事しか出来ない。


「……先生、頼むよ…ッ。…助けて、くれ」


 ありありと、伝わってくるのは、彼の本心。


 彼は今、必死で死への恐怖と、諦めそうになる恐怖と戦っている。

 死へと近付く身体を、なんとかこの場に留めようと、足掻いているのだろう。


 ならば、


「分かった、永曽根。………待ってろ」


 オレが、それを諦めてどうするのか。

 握りしめたままになっていた、タオルをぎしりと軋む程に握り締める。

 含まれていた水が絞り出され、更には食い込ませた爪の間から、血すらも一緒に滴り落ちる。


「………すぐに、治してやる。だから、お前も絶対に諦めるな」


 宛てすらも無く、いつになるのかも分からない。

 けれど、それをオレが諦める訳には行かない、と半ば覚悟を新たにした。


 未知の病へと感染した当人である永曽根だって、諦めていないのだ。

 オレの生徒が、生きることを諦めていないのだ。

 ならば、それをオレが諦めてなるものか。


 助ける。

 何が何でも、生かす。

 彼が、諦めかけたとしても、オレだって諦めない。

 こんな訳の分からない世界で、むざむざと生徒を死なせてやるものか。

 いるかどうかも分からない、神様にも天使にも死神にだって、絶対に彼を渡してやるものか。


「………ああ。…待ってる、先生…」


 そう言って、安心したかのように、落ちるようにして眠った永曽根。

 少しだけ赤みが戻ったように思える、彼のそんな寝顔を見て、オレの決意も固まった。


 その為には、


「(まずは、協力者が必要だ。

 この世界の常識を知っていて、なおかつ病気に対する知識がある人間だって必要だ。

 ………オリビアは、確定だな。彼女は、オレ達にとって今一番必要な存在だ)」


 ………それに、ひとつ気になる事も出来た。

 シャツのボタンを外し、首元を緩める。

 息が詰まって仕方無いと感じていたが、それでも息苦しさが霧散する事は無かった。


 彼が本格的に眠ったのを確認し、部屋を後にした。


「あ、先生、布とお水、持って来たよ」

「わっ、先生、起きてたの!?」

「大丈夫?」


 部屋を出ると、そこで伊野田と杉坂姉妹に出くわした。

 女子組総出で看病して貰えるとは、永曽根も嬉しいだろう。

 オレもちょっと羨ましい。


「ああ、大丈夫だ。水は部屋に置いておいてくれ。

 布は、替えてやってくれると助かる。もし、吐血したらそのバケツの中に貯めておいてくれ」


 またしても、早口ではあるが指示を出して、そのまま彼女達の横をすり抜けた。


「先生、どっか行くの…?」

「教会に行ってくる。女神様を迎えにな」


 そう言って苦笑を零せば、同じように生徒達からも苦笑が零された。

 この分だと、あの時のオレのオリビアへの怒声は、ダイニングにも聞こえていたんだろう。

 罰が悪くて困るが、それもオレが撒いた種だ。


 階段を2段飛ばしで駆け降りる。

 1階のダイニングまで勢いのまま駆け降りれば、生徒達が不安そうな顔をして勢揃いしていた。

 苦笑を零して、彼等を見渡した。


「今は、永曽根も落ち着いている。大丈夫だから、そんな顔をするな」

「良かった~…」

「あ゛ー…寿命が縮んだぜ…」


 そう言って、それぞれが力を抜いたように、机に突っ伏したり壁に靠れかかったり。


 そんな中で、オレは改めて表情を引き締めて、


『このような夜分遅くまで、お待たせしてしまって申し訳ありませんでした』

『いいえ、お気になさらず。帰る頃合いを失してしまっただけの事ですので、』


 授業参観も接待も、全てが中途半端になってしまっていたオルフェウス陛下へと声を掛け、頭を下げる。

 こんな事になってしまったからには、おそらく失敗したと考えて良いだろう。

 不敬と詰られ、約束の期間や引き渡しに関しても、反故にされても文句は言えない。

 それも、オレの責任だ。


 せめて、猶予だけでも勝ち取ることを前提に話をしたかった。

 その為には、オレは誠心誠意を込めて、頭を下げていた。


『……教え子様のご容体は、いかがでしょう?』

『幸いにも、今一時の間は、落ち着いたようでございます』


 だが、予想に反して、オレへと返された声は柔らかかった。

 そして、顔を上げた時に見た彼の表情は、どこか気遣わしげにも見える。

 状況や、現在の心情は察してくれているという事で良いのだろうか。


『………このような時に不躾ではありますが、『ボミット病』について、治療法が無い事はご存知でしょうか?』


 ………包み隠さず、コロッと言ってくれたよ全く。

 オレの背後で、香神が息を呑んだ。

 間宮も、どこか驚いた様子で、唇を引き結んだ。


 気遣ってはくれていたらしいが、彼も言い回しを考える余力は無かったらしい。

 明け透けな言い方をしたのも、この状況なら仕方ない。

 ………いや。

 もしかしたら、彼は何か対抗策を知っていて、それを盾にオレ達の身柄の要求につなげようとしているのかもしれない。


『存じ上げております』


 それに、オレは真っ向から答える。


『無いのなら、作ります』

『………作る?』


 そんなオレの言葉に、愕然とした表情を見せたオルフェウス陛下。

 背後に立っていたベンジャミンも、びくりと体を強張らせていた。


 そりゃ、今まで特効薬も治療法も無かった病気に、無知なまま太刀打ちしようとしているのを見れば驚くかもしれない。

 もし、オレが逆の立場でも、驚きはする。


『…治療法を確立しようと言うのですか?』


 震えた声と共に、膝に乗せられていた手がぎりりと握られた。


 どうやら、オレの予想は当たっていたようだ。

 何か、対抗策か何かを切り札(カード)として、持っていたのだろう。


 再三となる、愕然とした表情のオルフェウス陛下。


 だが、オレはその手は取らない。

 永曽根の為にも、生徒達の為にも、オレの為にも。


『あくまで教師と言う立場ではありますが、その為に培って来た経験がございます。

 その経験を今ここで使わずとして、いつ使いましょう』


 問題が発生したのであれば、それを解消するのも解決するのもオレの仕事。

 生徒達の不安も、解消するのがオレの仕事。


 それにオレの知識と力、今まで培って来た経験が役に立つなら、いくらでも使い尽くしてやる。


『い、今まで、数百年と蔓延して来た病ですよッ?

 治療法も対策すらも無い病に、あなた一人で太刀打ち出来るとお思いなのですか…!?』

『………オレも、教え子も、まだ生きる事を諦めてはおりません』

『そ、んな事を言ったところで、半年も生きられるか否かの病です…!

 そんな簡単に、治療法を確立できると、本気で考えていらっしゃるので…!?』

『………オレは、本気です』


 まだ、死にたくない。

 諦めたくないと語った、永曽根の言葉を、姿を思い出しながら、


『本気で、この病に勝たなければ、オレ達にはこの世界の終焉すら止められませんから』


 オレ達の使命を、引き合いに出す。


 死の病だから、どうした?

 治療法が無いから、どうした?

 それで諦めるぐらいなら、オレはこの世界で戦っていくことすらも諦めなければならなくなる。


 ………生徒達全員、生かしてこの世界から元の現代まで戻す。

 その為には、どんあ病気だって、どんな問題だって、オレ達は太刀打ちしなければならないから。


『こ、の病は、死の病だと言っているでしょう!

 気持ちの問題では無く、事実として受け止めなさい!

 貴方ともあろう方が、そんな希望や使命に縋って成し遂げられるものだと言って、どうにかなるものでは無いのですよ!』


 オルフェウス陛下の叱責の声は、鋭かった。

 その実、『何故、希望や使命に縋れるのに、眼の前の自分に縋らないのか』と叱られているのは分かるのだが、それでもオレは今は彼に弱みを晒すつもりは無かった。


 残念ながら、オレはこの世界の常識には疎い。

 この病が、どこまで浸透し、恐れられているのかは分かっていても、その治療法を探す事が、どれだけ大変かは未だに分かっていない。


 だが、それでもオレには、ひとつだけ確信があった。

 その確信の元となり得るだろう問題を解決できれば、少しであってもこの世界に太刀打ち出来ると、無謀にも考えていた。


『先程言った通り、無いなら作るまで。

 …オレの知識を持って、必ずや治療法でも対抗策でも、確立してやります』


 そう言って、再度辞儀を一つ落とした。


 そんなオレの姿に、オルフェウス陛下は絶句して、そのままオレを憎々しげに睨み付けていた。

 これで、彼の有利に働くべき切り札(カード)を握りつぶした形。

 ………口に出す前から封殺って、自分でもえげつないとは思うけどね。


『最後になりましたが、このような形になってしまい申し訳ありませんでした。

 本日は、日も疾うに暮れております。どうぞ、お気をつけてお帰りくださいませ』


 そう言って、ダイニングの隅に待機していたゲイルへと視線を送る。

 彼は、ひとつだけ頷いて、すぐに騎士団を送迎組と護衛組へと割り振った。


 しかし、ふとそこで、オルフェウス陛下が徐に頭を抱えた。

 嘆かわしい、と言う感情を隠しもせずに、体で表現している。


『貴方は、『ボミット病』の治療法を確立せんとして、今後どうしようと言うのですか?』


 ぼそりと落とされた言葉に、少しだけ固まった。

 ………ああ、そういや、確立するとか大見栄切ったけど、その後どうしようとか考えて無かったや。

 うっかり図星を附かれて固まっていると、


『貴方という人間の知識を疑い、あるいは求めて、要らぬ諍いとて起こりますよ』

『………それは、今も同じかと』

『これ以上ですよ。何故、そこまで考えていらっしゃらないのですか!』

『その時はその時ですし、』


 オルフェウス陛下から発せられたのは、意外にもオレ達を気遣う言葉だった。

 しかも、オレの少々の皮肉に対しては、厳しい叱責の声まで付いていた。


 だが、それはそれ、これはこれ。

 今だって、いっぱいいっぱいではあっても対処出来ていたし、これからも続くと言うなら、全力を持って事の対処に当たるまで。

 とはいえ、まさか事後の事まで心配してくれるなんて思いもよらなかったけど。


『ご心配いただきまして、ありがとうございます。

 もしも、治療法や対抗策を確立出来た暁には、必ずや国王陛下にも御一報致しましょう』

『………ええ。是非ともお伺いしたいものです』


 そう言って、立ち上がった彼の眼は、オレを怜悧な視線で見据えていた。

 おそらく、あの眼は半ばオレという存在を疑い、警戒している目となるのだろう。

 最初の時よりも、取り繕う事も無くなった視線に、思わず背筋が薄ら寒くなった。

 最初からこの状況で来られていたら、オレでも前哨戦負けちゃってたかもしれない。


『お見送りを、』

『いいえ、結構です。

 貴方は、私にその中途半端な愛想笑いをするより、教え子様方に付いていて差し上げた方がよろしいかと、』

『………これは、手厳しいことで』


 随分と明け透けになったものですこと。


『もう少し、貴方は賢い方だと思っておりました』

『それは、買い被り過ぎで、』

『ええ、そのようでした。ここまで、浅慮で短慮な方だとは思っておりませんでしたので、』


 ………明け透けって言うより、これは貶されてるんじゃ?

 思わず、ぐっと喉奥を鳴らしそうになって、


『しかし、勘違いはなさらないでくださいませ。

 私はこれでも『竜王諸国』南方を預かる『白竜王』。

 このような事で、貴方のような有望な人材の勧誘を諦めるつもりは、毛頭ございません』


 その実、念押しのようにして言われた言葉に、立ち竦む。

 そして、遂には、


『………ただ、いらぬ見栄を張られるのが、煩わしいのですよ』

『………。』


 オレの目下再三の悩み事となっている、悪癖を指摘されて口元が引き攣った。

 しかも、いつの間にか背後にやってきていたゲイルに、裏拳で背中を小突かれてしまう。


『ほら、見ろ。お前の見栄っ張りが裏目に出たぞ』


 そんな事を言われてしまえば、オレもこれ以上は口答えも出来ない。

 見栄っ張りな悪癖の所為で、つい先日も恥ずかしい黒歴史を量産したばかりだから、特に。


 しかし、それを何故、今オルフェウス陛下に指摘されたのか。

 間宮では無いが、思わずこてりと首を傾げてしまう。

 ………他国の国王陛下が言うようなことでも無いと思うんだが。


 そんなオレの思考は余所に、彼はそそくさと辞去の礼を取ると、そのまま校舎の玄関をくぐり抜けてしまった。

 慌てて追いかければ、彼は校舎の前に既に停まっていた馬車に乗り込もうとしていた寸前に、


『………正直、我慢ならないのですよ。

 私の得意分野で負かせた貴方が、そのような世迷い事を言って、意地を張っているのが、』


 落された言葉に、思わず脱力。

 まるで素直になれない駄々っ子のような言葉に聞こえてしまったのは、オレの気のせいでは無いだろう。


『次は半年後にお邪魔する予定です。

 その時に、貴方が私の手を取らなかった事を懺悔するか、私が貴方に再三の敗北を喫するかは、お預けとしておきましょう』


 いつの間にか、オレはこのオルフェウス陛下に、敵対意識を持たれていたようだ。

 先ほどの言葉も、実際には叱咤激励のつもりだったのだろう。

 愛想笑いが、いつの間にか苦笑に変わってしまっていた。


『盟約の条件として提示していた引き渡しに関しては、貴方の思惑通りに半年の期間を設けて差し上げます。

 その時までに何らかの成果が無ければ、名実ともに『白竜国』の者として連れて行きます。

 首を洗って、待っていてくださいませ』


 吐き捨てるように言われた言葉と共に、馬車の扉は閉められた。



***



 オルフェウス陛下は、そのまま自身の騎士団と、ゲイル達騎士団を連れて帰って行った。

 明日辺り、またこの王国のウィリアムス国王と会談して、また貿易の盟約やら何やらを締結してそのまま帰って行くことになるのだろう。


 それもそれで、オレの交渉が功を成した形。

 後は、ウィリアムス国王が、ヘマをしない事を祈るしかない。


 実際には、オレとの交渉は反故にされることは無く、設けられた期間は半年。

 たった6ヶ月、されど6ヶ月。

 おそらく、永曽根の命のタイムリミットと同義な、突き付けられた引き抜き宣言。

 それが、どういった形で行使されるのかは、まだ分からないまでも。

 オレ達に残された期間は、永いようで短い。


 ならば、後は進むのみ。


「やってやろうじゃねぇの…」


 永曽根の病気、『ボミット病』の治療法の確立。

 貿易に役立てる事の出来る商品の開発。

 それだけでも、済まないだろう。

 同時に、オレや生徒達を守る為の実質的なバリケードを確保しなくてはならない訳だ。


 やる事は、一杯ある。


「まずは、女神様を迎えに行ってやらなきゃな…」


 苦笑と共に、胸元をぎゅっと握りしめ、息苦しさすらも超えた痛みやり過ごす。

 気になっていたことは、どうやら当たっていたらしい。


「ゲホッ…んじゃ、オレは教会に行ってくる。

 オレの所為で、ウチの女神様が家出しちまったからな、」


 そう言って、オレもそのまま校舎を後にした。



***



 薄ら寒い街の空気は、夜になると途端に冷え込んでいた。


 校舎から飛び出したオレに、容赦なく冷たい風が吹きつけて来ている。

 教会までの道のりが、以前よりも遙かに長い気がした。


 少し急いでいたとはいえ、スーツだけで出てきてしまったのが悔やまれる。

 いや、まだ上着なんてもの用意出来てなかったけど、そろそろ冬支度が必要になって来るな。


 しかも、今更ではあるのだが、学校の設備として暖房が無かったのは地味に痛い。

 暖炉は最初から備わっておらず、各階に一台だけ魔法具らしきものがあっただけなんだ。

 ゲイルに聞いたら、魔石と組み込まれた魔法陣で起動するタイプの暖房用の魔法具らしいんだけど。現状では魔法が使えるかどうかも分からないオレ達には、高度な技術が必要になる。

 それならオレ達は暖炉を使った方が良いだろう。


 脳内にメモしてあったやる事リストに、インフラの充実というのも追加だな。


「…本気で…ゲホッ……やる事、いっぱいだなぁ…」


 息苦しさとダルさを感じつつも、咳込みながらも歩き続ける。

 正直、喉が渇いて、がらがらになっているのは、十分自覚している。


 そんなオレの体の事は正直、どうでも良い。

 問題は、オレ達が今後取り組むべき事が、1日ごとに増えて行くこの事態だ。


 まずは、技術開発部門で、『石鹸』と作らなければいけないのと、同時進行で考えている他の開発商品についても、まずは材料集めからスタートしなければならない。

 『石鹸』の元になる材料は、歴史を知っていればある程度は揃えられるし、以前話した通り、ゲイルが『商業ギルド』の伝手を使って繋ぎを付けてくれたので、材料集めに関してはまぁまぁの目途が立っている。

 その後の商品提供した後の繋ぎも、今後はオレの交渉次第となるだろう。


 次に技術開発部門と同時進行で、医療開発部門を立ち上げることになった。

 永曽根の事もあったので、前倒しに進めて行く事は既に確定事項となるだろう。

 

 オレの医学知識は、一般人よりは高いとはいえ、なにかしらの医療資格を持っている訳では無い。

 あくまで、聞きかじった技術や経験による、目測ぐらいしか立てられない。

 ………校舎に戻ったら、一度間宮がどこまで出来るのかを確認しないと。

 アイツの師匠の『ルリ』が、医療知識の分野での免許や資格等はエキスパートとなっていた筈なので、その知識を受け継いでいることを地味に期待しておくしかない。


 それよりも、まずは、教会に行かなくては。

 目指したのは、この王国の中心地ともなっている大通りの噴水広場を眼の前にした『聖王教会』本部。


 オレが八つ当たりをしてしまった事で、おそらくオリビアは怒っているだろうし、悲しんでいることだろう。

 だって、オレは出来る事をやれとは言っていない。

 出来ない事をやれと、理不尽な事を言ってしまったのだ。

 これでは、教師どころか人間も失格だ。


 神様は信じていないが、存在を関知している彼女達、女神様ならば少しは信じている。

 だから、罰を当てられて人間じゃなくされても困る。


「………ゲホッ…人間じゃないかもしれなくても、な…」


 呟いた自嘲の声に、ふと喉奥が締め付けられたような気がした。


 今感じている倦怠感や、空咳を繰り返す喉。

 体温が冷え込んでいるせいか、体が自棄にがたがたと震えるのも、きっと彼女をないがしろにした、罰なのだろうな。


 だが、自分の体の事は、さっきも言った通りどうでも良い。


 オレがやるべき事は、まず自身の体の事よりも、オリビアに謝る事。

 一人で勝手に背負いこんで余裕を無くし、八つ当たり紛いな理不尽な要求をして、泣いている彼女を犬猫を払うように追い立てた。


 馬鹿な事に、彼女を蔑ろにしてしまった。

 そんな事をしても、良い事などありはしないのに。


「………子ども泣かせて、良い訳ねぇよな…」


 許してもらえないかもしれないが、謝るしかない。

 オレには、それしか出来ないのだから。



***



 到着した教会の中に滑り込むと、しん、と静まり返っていた。

 一応、時間帯は関係なく参拝や懺悔に来る信徒の為に開いているという事を聞いたので、オレはそのまま目当てである聖堂へと一直線に歩く。

 教会の中には、蝋燭が灯され明るかったし、暖炉か魔法具が稼働しているのか暖かった。

 ただ、そんな中でもオレの体の震えは、あまり止まってはくれなかったけど。


『おや、このような夜分にいかがいたしましたか?』


 音か何かで気付いたのか、教会内を進んでいたオレに声が掛けられた。

 ふくよかな恰幅の良い身体をした、温厚そうな神父のようなオッサンだった。


『ちょっと、懺悔に…』

『そうでしたか。……ですが、そちらは聖堂でございます。懺悔室は、2階の懺悔室で行いますので、』


 そう言って、神父のオッサンが手を指し示した2階。

 ただ、オレの用事は懺悔では無いので、仕方なく軽く用向きを説明しようと、振り返った時だった。


『ギンジ様ですね…』


 今度は、そのオレの背後から掛けられた声。

 オレを神父のオッサンと挟み込むような形で、今しがた聖堂から出てきた彼。

 チラリ、と横目で確認しても分かるほど、彼は怒りを露にオレの元へと歩いて来ていた。


『クラウス。彼は、『予言の騎士』様です』

『…おっ、おおっ!…それは、失礼を致しました…!』


 オレの身分を明かし、そのままふくよかな神父のおっさんは下がらせる。

 2人きりになった途端、彼の怒りは暴発した。


『このような夜分に来たのであれば、女神(オリビア)様への御用向きでお間違いないですね!』

『………ああ、迎えに来た』

『何が迎えに来たですか!先に説明と謝罪をしてください!一体、何があったと言うんです!』


 イーサンの怒りはごもっともだ。

 オレはたった5日で、彼からの「女神様を蔑ろにするな」という要請を忘れてしまっていたのだから。

 再三の罰の悪さに、苦笑いすらも返せない。

 その代わり、乾いた咳が出たけど。


『………体調が悪いようですね』

『いや、寒い中を歩いて来たから、ちょっと乾いてるだけだ』

『………。』


 怪訝そうな顔をされたが、オレはそのまま体調の不良は隠す事にした。

 今言ったところで、何も変わらない。

 それよりも先に、オリビアと話したいからな。


『オリビアは、やっぱりここに帰ってきてるんだな』

『………聖堂にいらっしゃいます』

『何があったかは、聞いたか?』

『いいえ。お話が出来る状態には思えませんでしたので、』


 そうか、そこまで彼女を悲しませてしまっていたのか。

 自然と目線が床へと縫い付けられてしまった。

 イーサンからは見る人が見れば、凍えるような視線で睨み付けられているのを感じる。

 オリビアは聞けなかったから、オレから説明を求めているという事だろう。


 ………ここは、教会だ。

 そして、イーサンも神父であるなら、懺悔ぐらいはするさ。


『………ウチの生徒の一人に、『吐き出し(ボミット)病』が出た』

『………ッ!そ、れは、真で…ッ?』

『吐血の際に、魔石を吐き出したからすぐに分かった…。それで、オリビアに無理を言っちまったんだ…』


 正直に、素直に吐き出した言葉。

 それに対して、イーサンは絶句するだけだった。


 流石に、彼も教会関係者として、数百年前以上、不治の病として蔓延しているこの病気に関しては分かったらしい。

 そして、その病気の発症が意味する『死』も。


『教え子様のご冥福をお祈りいたします』

『まだ死んでねぇよ!』


 思わず手が出てしまったオレは、悪くないと思う。


 勝手に永曽根を殺すな、こん畜生。

 今やられると縁起でもないから、嘆かわしげに十字を切るのを止めやがれ。

 今後どうなるかは分からないまでも、気持ちが早すぎるわ。


『オリビアを迎えに来たのと、ちょっとお前にも相談に乗って欲しくてな。

 悪いが、彼女に謝って説得した後でも良いから、時間を貰っても良いか?』

『分かりました』


 オレの要請に、すんなりと答えた彼は、先ほどまでの怒りは全てどこかへと放り投げたようだ。

 流石は神父様。

 そのまま、オレを聖堂へと促す。


『………既に、御存知とは思いますが、』

『知ってる。治療法が無い事も。その為にも、オリビアが必要なんだよ』

『………。』


 イーサンは、オレの言葉の意味を分かっていないようだったが、オレが咳込んだ辺りで、追及は諦めたようだ。


 ただ、オレの言葉はそのままの意味。

 彼女の女神様としての力が、必要だからこそ。


 オレも、彼女の加護を受けていたからか、彼女の力が絶大であった事は分かっていたつもりだ。

 今後、彼女の協力を得られないという事になれば、オレ達にとっても世界にとっても良い影響があるとは思わない。

 想像してしまった所為か、背筋に走った悪寒で体が震えた。



***



 イーサンに促され、二度目の聖堂へと足を踏み入れた。

 真夜中になりつつあるというのに、聖堂の中には蝋燭が立ち並び、幻想的な空気を齎しながら、オレを迎え入れてくれた。


『………熱烈な歓迎だな』


 それと共に、オレは女神様方からの、容赦のない視線に迎えられた。

 殺気とまではいかないが、それなりの威圧感が込められた視線に思わずたじろぐ。


 オリビアもこの女神様方姉妹の中では、序列4番目のお姉ちゃん。

 愛されているのだろう。

 それも当然だろうが。


『オリビア、迎えに来た』


 オリビアは探す必要もなく、ビロードの真っ直ぐ向かう先の祭壇に向かって膝を付き、何かを懸命に祈っているように見えた。

 オレの声に気付き、彼女が振り返る。


 その眼には大粒の涙。

 憔悴し切った表情で、オレを振り返り、途端に眉をハの字にしてぼろぼろと泣く。


『………ぎ、ンジ様…わ、わたし…!』

『良いんだ、オリビア。ごめん、オレが言い過ぎた…』


 そんな彼女の姿を見て、胸が苦しくなった。

 いつもは可愛らしい彼女の顔を、泣き顔にしてしまったのは間違いなくオレだから。


『ごめんな、オリビア』


 まずは、素直に、正直に謝罪を口にする。


 それに対して、オリビアは眼を瞬いた。

 そして、またしても表情を苦しげに歪めてしまう。


『あ、あやまらなきゃ、いけないのは、私の方です…!だって、…私、…わたし、何も出来なくて…!』

『……いいや、オリビア。それは、もう良いんだ』


 オリビアがその小さな肩を震わせて、しゃくりあげる。

 それを、オレは首を振って否定し、更に言葉を重ねて行く。


『オレが謝らなきゃいけないことなんだ。

 オレは、お前に理不尽な要求をして困らせ、お前を悲しませてしまったんだから…』


 オレの目的である、謝罪をさせてくれ。

 許すかどうかは、彼女にゆだねるしかない。


 許して貰えるかどうかなんて、分かりはしないけれども、オレが謝らなきゃいけない事には変わりないから。


 そして、その上で、


『頼む、オリビア…。お前しか、今は頼れないんだ』


 彼女に、もう一度オレを加護して貰う為に、ここに来た。


『ゲホッ………お前がいなくてなって、初めて気付いた。

 お前の存在自体が、オレ達には必要なんだ』


 気付いていた事、そして気付きたくなかった事。


 オレは、彼女の加護があった事で、さまざまな恩恵を受けていた。

 それが、彼女がいなくなった途端に、表面的に表れてきた。


 先程から繰り返しているこの咳もそうだ。

 そして、倦怠感。


『お前がいなくなってから、自棄に体が重たい…。

 それに、お前の加護が無くなってから、すぐに意識を失っていた』

『………そ、んな…ッ』


 愕然とした様子で、オレを見たオリビア。

 けど、それは彼女のせいでは無いのだから、二の徹を踏んではいけない。

 言葉の言い回しを慎重に考えつつ、彼女に向かって歩き出す。


 ………オルフェウス陛下の時よりも、頭を回転させているかもしれないな。

 自嘲にも似た微笑みを浮かべる。


『今も、ゲホッ…息苦しい感覚が消えない。

 ………それに、体が重たくて、さっきから動かすのがキツイ…』

『……う、嘘ですよね…ッ、そんなの…!』


 思い返せば、オレも色々と永曽根と同じ症状に当て嵌まっていた。


 倦怠感に、身体の重さ。

 息苦しさを強く感じ、既に胸元のボタンは三つも開けられている。


 そして、彼女がいなくなった途端に、虚脱感。

 あれは、彼女の精神感応が抜けたとかそんな理由では無く、彼女の加護が消えた事で表面上に現れた、オレの症状だった。


 授業中にも感じていた熱は、背広を脱いだ後でも変わらなかった。

 外を歩いてきた所為で、より顕著に現れた悪寒や体の震え。

 今も、背中に汗を掻くほど湿っているというのに、体の震えは止まっていない。


 腹部にも不快感が渦巻き、吐き気が込み上げてきそうになった。

 

『………ゲホッ…!おそらく、オレも体質的にそう(・・)だ』

『そんな…ッ!』


 そこまで言って、オレは苦笑を零す。

 オリビアは、その場で固まって震えてしまっていた。


 自分自身であっても、全く他人ごとでは無かったのは気付きたくなかった事だ。


 オレもおそらく、『吐き出し(ボミット)病』だろう。

 長曽根と同じく、オレも体質的に魔力を上手く体外へと排出出来ない。


 だが、


『…ゲホッゴホッ!…オレは、まだ発症していない。何故だと思う?』


 まだ、感じているのは倦怠感や、悪寒、倦怠感と腹の不快感だけだ。

 永曽根のように、空咳を繰り返してはいるが、未だに吐血はしていない。


 それが何故か、気付いたのは、不貞腐れて廊下で眠って、眼が覚めてからの事。


『お前が消えて、いきなり、意識が落ちた。

 ……ゲホッ…永曽根が発症したのなら、オレだって同じ期間に重なっても良い筈だった』


 むしろ、オレの方が先に発症しないのは、可笑しいのだ。

 オレ達は、同じ時期にこの世界に来ている。

 魔力の蓄積は、空気からの摂取や、食べ物からなどの経口摂取、ついでに魔法での治療を受けた際の残留魔力によるものだと聞いた。


 永曽根は、一度だけではあるが、魔法を受けた事があった。

 それは、この異世界に召喚された一番最初の時、騎士の拘束を受けた際に怪我をしたからだった。


 だが、それを言うなら、オレだって同じだ。

 むしろ、オレの方が回数は多い筈だ。

 最初の拘束の際の怪我はもとより、拷問の際に受けた傷も治癒魔法を受けて完治させたと聞いているし、真夜中の校舎の探索の際には、ゲイルに散々治癒魔法を掛けられた。

 思えば、あの時から体に圧し掛かる倦怠感を感じていたのを覚えている。


 だが、オレは何故か発症が、永曽根よりも遅れている。

 同じ時期にこの世界にやって来て、毎日ほとんど同じものを口にしていたというのに、だ。


 それは、永曽根とオレとの、唯一違う部分。

 彼女、オリビアの加護があるか無いかの違いだ。


『オレの魔力とやらを、……ゲホッ…!…お前が吸っていてくれたんだよ。

 意識的なのか無意識なのかは、…ッぐ…分からなかったが、それでもおかげで、ゲホッ…!

 オレの発症は永曽根よりも大幅に遅れていた』


 以前、彼女から聞いた話の中に、その実一番大切なワードが隠されていた。

 オレは、その時の彼女の言葉の、大事な部分を聞き逃そうとしてしまっている。


ーーー『昨日は久しぶりに『聖神』の力を使いましたが、ギンジ様と契約をしてからはとても調子が良いですの!』


 彼女の言葉に、ヒントがあった。


 あの『蒼天アズール騎士団』の暴走騎士メイソンに人間を辞めさせた後の事だ。

 彼女は、嬉々としてオレにそう言っていた。


 最初は蛍光灯の光と同等かそれ以下、という『光』の魔法しか使えなかった彼女。

 そんな彼女が、オレと契約して3日も経たない内に、人間に人間を辞めさせる程の罰を当てる力を使っていた。


 つまりは、そう言う事。


『オレと契約してから、ゲホッゴホッ…!

 ……力の回復が以前よりも格段に早まったんだろう』


 だからこそ、永曽根が発症しても、オレだけは発症していなかった。

 ならば、その力を応用出来るかもしれない。


『その魔力の吸収を、今度は永曽根にも使ってやって欲しい』


 それが、今出来る緩和策だと、オレは確信している。


『……わ、私が、魔力を吸収…?力の回復を、していた?』


 驚いた様子の彼女は、オレの言葉をゆっくりと反復して噛み砕いているようだ。

 信じられないものを見るような眼でオレを見ているが、その眼すらも真っ赤に腫れ上がってしまって痛々しい。

 こんな表情をさせてしまったオレが言うのは、おこがましいのかもしれない。

 そんな事は分かっているが、それでもオレは彼女に更に言葉を続けた。


『オレに魔力なんて……ゲホッ!…ものがあったのは、驚いたがな……ゲホッゴホッ!』


 ついでに、この病気の進行が早過ぎて驚いているがな。

 空咳だった筈のそれが、段々と痰が絡んだ湿った咳へと変化し、腹の奥底で感じていた不快感が、とうとう吐き気に変わり始めた。


『…ゲホッ…。お前と、契約してから、オレの魔力が、お前に流れていたと推測できる。

 ゲホッ、ゴホッ!…そうなると、永曽根とオレの時間差での発症に、ゲホッ……!…説明が付くんだ』


 それが、今現在、オレが絶不調の原因である。


 眩暈を感じ、思わず体が傾いだ。

 だが、まだ倒れる訳には、いかないのだ。


 ちゃんと伝えないと。


『八つ当たりしてゴメン…ッ…ゲホッ!

 お前に無茶を言った事も、悪かった…!』


 再三の謝罪を続け、そのまま彼女の元へと歩く。


 許してくれ、とは言えない。

 許してほしいとは思っても、それを決めるのは彼女だから、オレが強要できる事では無い。


 それでも、


『頼む、戻ってきてくれ…』 


 オレの為にも、永曽根の為にも戻ってきて欲しい。

 オレ達にとっては、既に彼女という存在が必要不可欠で、大切だった。


 能力があるとか無いとか、そんな利害関係では無く。

 彼女と言う存在が、たった5日でオレ達にとって大事な仲間に変わっていた事も含んだ上で、


『ごめんな。…役に立たないなら、いなくて良いなんて……ゲホッ…!酷い事、言って…悪かった…!』

『そ、そんな事…!わ、私が、何も出来ないのは、本当の事です…!

 だって、今だって…ッ!ギンジ様の、お役に立つどころか、こうしてご迷惑を…ッ!』

『……ゲホッ!……迷惑なんかじゃ、ないよ』


 手を伸ばし、彼女へと差し出した。

 その手を取ってくれるかどうかは、彼女次第ではあるけど、


『迷惑なら、そもそも、迎えになんて来ないから、さ?』


 茫然と見上げる彼女へと微笑みながら、オレはその場に跪く。


『ゲホッ、ゴホッ…っ!』

『ぎ、ギンジ様……ッ!………ギンジ様ッ!!』


 そして、そのままビロードの上へと倒れ込んだ。

 参ったなぁ、まだ最後まで言えて無かったのに。


 足にも身体にも力が入らず、ただ蹲るだけとなったオレに、オリビアが縋り付いた。

 

 咳が酷くなり、既に吐き気は猛然と胃の腑を押し上げている。

 軋むように痛むのは胃だけでは無く、その実どこが痛いのかすら分からなくなっていた。


 こんなものに、永曽根は耐えていたのか、と漠然と思う。

 しかも、アイツ、マラソンまで走ってたよなぁ。

 本当に、なんでもっと早く気付いてやれなかったんだろう。


『ごめんな、オリビア…ッ!……八つ当たりして、蔑ろにして…本当に、ゴメン…ッ!』

『む、無理して、喋らないでください…っ!いやです、こんなの…!』


 オレの肩に縋り付いたオリビアが、泣きながらオレをゆすっている。

 また、彼女を泣かせてしまうのは心苦しいが、もうオレも限界だ。


『ゴホッ…ッがは……ッ!おえ゛…ッ!』


 収縮する胃の腑の痛みに耐えきれず、そのまま中身を吐き出した。

 聖堂の赤絨毯(ビロード)を汚していく、更に濃い赤色。


 見なくても、分かる。

 吐瀉物と、血の塊と、魔石。


 永曽根の発症から体感ではあるが、約5時間程度。

 どうやら、この病の進行は思った以上に早いらしい。

 しかし、それを抑えてたという事を逆に考えれば、オレは彼女からとても凄い加護を受けていたという事になるな。


 本当、失ってから気付くなんて、馬鹿にも程があるよ。


『ギンジ様…!!』

『そんな、まさか…ッ!!』


 オリビアの悲鳴と共に、いつの間にか聖堂の中にいたイーサンがオレの元へと駆け寄ってきた。

 まさか、『予言の騎士』まで『ボミット病』に掛かるとは思ってもいなかっただろう。

 オレも、思っても見なかった。


 体が熱いのに、冷や汗と悪寒が止まらない。

 喉の痛みと息苦しさに喘ぐが、更に迫りくる吐き気に苛まれて満足に呼吸すらも出来なかった。

 咳き込むか、嘔吐しか出来ない。

 思った以上に、この病気は体への負荷が強過ぎて、話をするのすらも困難だ。


 だが、


『頼む…戻って、きてくれ…ッ!…永…曽根を、助けたいんだ…!』


 オレは、もっと酷い地獄を知っているから、耐えきれる。

 堪え切ってみせる。


 だから、どうか、お願いします。


 痛みに疼く身体を無理やり引き起こしながら、不格好ながらオリビアへと頭を下げる。

 初めて自発的に行った、情けないとしか言いようの無い土下座だった。


『ゲホッ…ゴホッ…!頼むから、戻ってきてくれ…!』


 ゴメンなさい。

 泣かせてしまって。


 ゴメンなさい。

 八つ当たりしてしまって。


 ゴメンなさい。

 蔑ろにしてしまって。


 心底からの精一杯の謝罪だった。


 オレの事はどうでも良いから、永曽根の事だけでも良いから、助けてくれ。

 少しでも、長引かせてやって欲しい。


『ギンジ様、頭を上げてください!謝るのは、私です!私が何も出来ないからいけなかったんです!

 戻ります!戻りますから、安静になさってください…ッ!』

『オリビア…ッ、オレは…ッ』

『お願いですから…ッ、私こそ戻らせてください…ッ!』


 涙混じりに、オレに抱き付いたオリビア。

 治癒魔法を唱えようとして、


『………魔法を、使うのは逆効果…?』


 辞めた。

 おそらく、先ほどのオレの話を思い出したのだろう。


『私が吸い上げる………』


 彼女が無意識下でも行っていた、女神としての力を回復していた方法。

 それは、『契約者オレ』との魔力の共有と、その契約者本人の魔力を吸収する事。


 少しだけ考え込んでいたオリビアも、オレに抱き付いたまま、そっと目を閉じた。

 ふわりと、彼女のウェーブの掛かった髪が揺らめいたのが、視界の端に映った。

 空気が揺らぐ。

 オレの魔力を吸い取って、彼女が自身のものへとして行く。


 それは、眼を疑う程の、荘厳な光景だった。

 彼女の髪の一本一本まで、オレの魔力が行き渡って行くと同時、彼女の奥底から感じられる、その気持ち。

 温かい、嬉しい、そして、少しの悲しみ。


 オレ達の間で共通となっていた精神感応って、実はオレにも分かるものだったというのは、この時初めて知った。 


 ふわりふわりと、揺れていた髪がゆっくりと落ち付いて行く。


『………女神様の、奇跡ってやつだな…』


 苦笑を零しつつ、オレは彼女の膝を枕に眼を閉じる。

 ぶっつけ本番と言う状況ではあったが、効果は覿面に現れた。


 彼女がオレの排出し切れずに、体に蓄積されていた魔力をほとんど持って行ってくれたようだ。

 まず、感じていた倦怠感が、緩慢ではあるが抜けて行く。

 悪寒や胃の痛みもみるみるうちに消えて、残るのは若干の不快感のみ。


『………オリビア、お前は凄いよ』

『………ふ…ッ』


 そう言えば、オリビアはオレにしがみ付いたまま、大粒の涙を零した。

 またしても泣かせてしまったが、


『(………お前は、嬉しい時、こんな風に感じていたんだな)』


 精神感応で流れ込んでくる感情は、熱く激しく、それでいて柔らかい感情だった。

 彼女の嬉しいという気持ちが、オレの中にも流れ込んで来て、思わずオレも涙が零れ落ちそうになった。


 どうしようも無い現実に絶望し、奇跡を願った。

 信仰心はこれっぽっちも無い癖に、都合の良い時だけ神頼みである。


 だが、それも存外、宛てになるもんだ。


『………き、奇跡…これが、女神様の本当の御業…っ!』


 駆け寄ってきていたイーサンが、その場で呆然と膝から崩れ落ちた。

 コイツも涙をぼろぼろと流し、その眼は恍惚とした色を交えながら、オリビアやオレを交互に見ている。


 オレもコイツも、奇跡を目の当たりにした。

 よりにもよって、自身で体現する事になってしまったのは、少々情けないと感じながらも。


 ………あ゛、そういやゴメン。

 聖堂のお高そうな赤絨毯ビロードが、オレの血ゲロで毒々しい真っ赤な色に変わってしまっている。

 ここだけ、殺人現場か何かと思ってしまう。

 しかも、オレの血は毒素が含まれているから、掃除の時に要注意だな。

 まぁ、そんな事には気付いてもいないのだろうけど。


『私、ギンジ様の、ひくッ…お役に立てます…ぐすッ…、でしょうか?』


 余計な事を考えていたオレの頭上から、オリビアの柔らかい声が降ってくる。

 片手で涙を拭いつつ、残った手でオレの頭を撫でていた彼女。


 そんな彼女を見上げて、微笑む。


『オレの現状を見て、どう思う?』

『………はい』


 小さく頷いた彼女が、涙を拭って。

 そうして、オレと同じように微笑んだ。

 オレなんかよりも、よっぽど綺麗な微笑みで。


 倦怠感も不快感もほとんど消えた。

 痛みも熱も引いて行き、正直オレも驚いているぐらいだ。


『………こんな簡単な方法で、『ボミット病』の症状が緩和出来るなんて、夢にも思っていませんでしたわ…』

『………女神様も夢を見るのな』

『そ、それは当たり前です!』


 そう言ってちゃっかり茶化せば、オリビアは頬をぷっくりと膨れさせた。

 ただ、本気で怒っていないのは、すぐに分かる。

 ………この精神感応って、結構オレにとっては死活問題かもしれない。

 だって、感情丸分かり。


 閑話休題それはともかく


『破れかぶれではあったけど、成功して良かった』

『………ギンジ様』

『怒るなよ、オリビア。…成功したんだから、良かっただろう?』


 成功したのだから、なにはともあれ無問題。

 だから、この女神様の力で、永曽根の『ボミット病』も緩和してやってくれ。


 緩和策は見付かった。

 たった一日だけで見付かった方法だし、女神様の加護で、半ば奇跡に頼った不確定要素の高い方法だ。

 それでも、立派な緩和方法。

 順調過ぎて揺り返しが怖いものの、今は信じて前を向くしかない。


 その間に、オレは他の患者にも応用出来るような緩和策と、治療法を確立するから。


 この『ボミット病』は、要は魔力を自力で排出出来ない悪循環から起こる。

 なら、自力で排出出来ない魔力を、外部から干渉し、毒素の排出方法と同じく、排出・吸収をしてやれば良い。

 食べ物や飲み物で、排出させる方法もあるかもしれない。


 オレの足下近くで床にへたり込んだままのイーサンにも協力を要請しよう。


 過去の医療・診察記録や、今まで効果のあった治療法なども聞いてみたい。

 効果があった治療法が果たしてあったのかどうかは別として、それでも症例の記録があるのなら、パターンを知る為にも知っておきたい。


 発症後、どれだけの期間で死亡まで至るのか、その経過や統計も必要だ。

 治療期間への明確な期間設定をしたい。


 ついでに、今この王国内に患者がいるなら、確保しておいて欲しい。

 オリビアの力が及ぶならそれで良し、もしもオレがその他での緩和策を考え付いたのなら、それもそれで良し。

 どれだけ症状が緩和出来るのか、もしくは症状の進行にどのように影響するのか、という経過観察と治験がしたい。


 それに、オレ達当人達を見て研究するよりも、他の患者を診察することで、客観的に分かる事もあるかもしれないから。


 今回のこのぶっつけ本番のオレの確信は、治療法確立の為の貴重な第一歩。


『ゴメンな…オリビア』


 何も出来ないなんて、八つ当たりして。


『いいえ、謝らないでくださいませ。

 私があの時、何も出来なかったのは、本当の事ですの…』


 再三の謝罪に、オリビアは首を振った。


『帰って来てくれるよな?………むしろ、帰って来てくれないと困る』


 彼女の膝に懐いていた身体を起こし、彼女へと振り返る。

 オレを抱きかかえていた所為で、折角買ってやった衣服が、真っ赤な斑模様を描いてしまっていた。


 それでも、


『喜んでッ』


 彼女は、まったく気にした素振りは無く、オレの胸元へと飛び込んできた。

 途端、彼女へと流れて行くオレの魔力。

 本当に触れることで無意識のうちに、魔力を吸収しているようだ。


 本当、オレも馬鹿な事をしたもんだな。

 彼女の存在が無いと、オレだって命が危ないというのに、むざむざその加護を放り投げようとしていたのだから、始末に負えない。


 しかも、戻ってきて貰う理由だって、掌返しも程がある自分勝手。

 我ながら現金なもので、申し訳ない。


『そんな事、ありませんの』

『あ……また、心の中を…』

『だって、ギンジ様の声は、心の中の方が素直ですもの…』


 ………否定できない。


 オレを仰ぎ見たオリビアが、泣きながらも満面の笑みを浮かべていた。

 まるで、純白の花が開いたかのように綺麗で、それでいてどこか可愛らしい笑み。

 やはり、彼女は笑っている方が、可愛い。


『もう、ギンジ様ったら…ッ』


 ぽっと、頬を赤らめてオレの胸元へと顔を埋めた彼女。

 ………また、内心が読まれたようで。


 そこで、ふと気付く。

 周りに集まっていた女神様方の気配が、また更に近くなっていく気がした。


『………ああ、ゴメンな。アンタ達の姉妹を泣かせてしまって…』


 心配そうな視線や、大丈夫?と話しかけてくる女神様もいる。

 本当に、ゴメンなさい。

 君達の姉妹をお預かりしたのは、まだたったの5日だけだったというのにリリースしてしまうところだった。


 ただ、彼女達はそこまで気にしていないようだった。

 オリビアが、既にオレを許しているので、怒る理由が無いとの事。

 うわぁ、ご寛大ね。


 その間にも、女神様方はオレの周りをふよふよしていたり、駆け回っていたり、オレの吐き出した魔石を拾ったり、


『いや、ちょっ…待て待て待て、それは汚い!』


 ばっちぃから、ポイしなさい!

 しかも、オレの毒素入りの血にも塗れているから、余計に危ない代物だしさぁ。


『………えっ?それ欲しいの?』


 おい、嘘だろ、やめてくれよ。


 何故か、拾い上げた女神様に、小首を傾げて催促された。


 やめとけ、ゲロだから。

 ………ゲロゲロ言い過ぎているオレもどうかと思うが、それを拾い上げた女神様もどうかと思う。


 しかし、ふとそこで、オリビアも一緒になって魔石を拾い上げてしまった。

 だから、ばっちぃからポイしなさいって!!


『今気付きましたが、この魔石、凄い魔力が宿っておりますわ。

 ………もしかしたら、ギンジ様の魔力の強さに比例しているのかもしれません』


 どういう事?


『そうですねぇ…。言うなれば、純度とか精度でしょうか?

 ……上手く言い表せなくて申し訳ないのですが、とても魔力の質が高いようです、』


 気になる言葉を聞いたな。

 一応、魔力の概念や魔法の概念は、端っこだけならゲイルから聞いていたけど、魔力に純度とか精度とかがあるのは初耳だ。

 これは、もしかしたら、一から魔力とか魔法の勉強をした方が、『ボミット病』の研究も捗るかもしれない。

 そんな予感がして来たので、これも脳内メモのやる事リストに追加だな。

 ………開発に研究に勉強って、オレはいつから科学者にランクアップしたんだか。


 でもまぁ、なにはともあれ。


『戻ってきてくれるか?オリビア』

『はい、ギンジ様!』


 まるで妻に逃げられた夫のような心境だな。

 ああ、そういや『契約者パートナー』だったし、


『やり直させてくれ。全部許してくれなんて、言わないからさ』

『私こそ、不束者ですが、よろしくお願いいたします』


 お約束も言わせて貰いましょうね。


『おかえり、オリビア』

『ただいまです。ギンジ様』


 オリビアが、またオレ達『異世界クラス』に戻って来てくれた。


 なんか、嫁入りしたような感じではあったけど、今は戻ってきてくれた事を喜ぼう。



***

さぁ、いざ行かん。

幼女の園へ。(エ?)


たった一日で緩和策。

そして、アサシン・ティーチャーも発症しておりました。

実は、結構前からフラグを挟み込んでいたのに、残念ながら発揮しきれず。

はっちゃけすぎていた為、活かされなかったようです。

書くだけじゃ駄目って事ですね、分かります。



ピックアップデータ

出席番号3番、香神 雪彦。18歳。

身長177センチ、体重63キロ。

黒髪にくすんだ茶髪、目の色は茶色。

生粋の日本人の髪や顔を持っているが、英語が堪能。

持っている能力が関係しているらしい。

右目だけを前髪で隠している。

ここがコンプレックスらしい。

大手建築業者の跡取り息子で、基本的に勉強が好き。

ただし、時たま白紙回答を出してくる為、成績はギンジのクラスでも4番目。

運動も好きだけど、片目しか使っていないハンデなのか、良く転んだり、ボーっとしたりとする。

中学生の時に誘拐事件にあった事がある。

その時の警察関係者の男気に惚れ込んで、将来はそっち方面を目指しているらしい。

でも実は、銀次に対しても惚れ込んでいる。

男としては及第点でも人間としては満点の銀次先生に憧れて、教師になるのも悪くないかもしれないと思い始めている。

ちょっと家庭環境が複雑に育ったのか、色々と面倒くさいお年頃。

恋愛に関しては特に不器用らしい。

童貞。


三回目のピックアップデータ。

香神くんは、地味に出番が多いのに、あんまり人となりに触れられていません。

申し訳無いです。

英語が話せる理由などは、しっかりきっかり閑話などで説明します。


誤字脱字乱文等失礼致します。

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