16時間目 「課外授業~装備変更の後、武力行使案件~」
2015年9月10日初投稿。
前回は喧嘩別れしたティーチャーと騎士団長。
仲直りは出来るのでしょうか。
16話目です。
100ポイント突破ありがとうございます!
ブックマークいただいた皆様、そして評価してくださった皆様ありがとうございますm(_ _)m
感想を頂いた狐狗狸様、ユキリコ様。
まことにありがとうございます!
(改稿しました)
***
ぷつり、と音がした。
その音が何なのか、自覚をするより先に意識が覚醒する。
たったそれだけの音に、鋭敏な神経が反応し、それが硬い物質が皮膚を破った音だと気付いた時、眼をあらん限りに見開いた。
その視線の先には、眼を開いていられない程の光があった。
その光が何なのか判断する事は、起きがけの脳には不可能だ。
ガンガンと痛む頭と、重苦しい息、胸に鉛でも入り込んだかのようなだるさには、溜まらずに呻き声をあげるしかない。
更には、診察台のような硬い寝台かテーブルのようなものに横たわっていると自覚した時には、背筋を冷たい汗がじんわりと濡らしていく。
腕も足も拘束され、四肢が動かせないという事実に、脳が警鐘を打ち鳴らす。
四肢の感覚はあるというのに、まるで埋もれているような感覚を覚え、不自由な体の状況に半ば拒否反応を起こした。
状況を確認する暇すら無く、暴れ出す。
唯一自由な頭を振って、体全体でのたうつようにして拘束から逃れようとし必死に暴れた。
しかし、そんな行動をあざ笑うかのように、手足の拘束は頑丈で揺るぎもしない。
眼の前の眼を開く事すらも出来ない明かり以外は、周りは真っ暗。
しかも、その光の中に映し出された自身の光景には、息を呑んで絶句する他無かった。
管のようなものが大量に差し込まれた腕や体。
一部は黄土色に変色し、また一部は紫色。
更には、赤黒い血肉を晒したまま、放置されて化膿した部分すらも見受けられる。
それだけでも発狂寸前の脳内に、更に追い討ちを掛けるのは腕や首に絡まっていた何か。
それが、ぬめりとした体液と硬質な鱗を持っている生物である事は、感触だけではっきりと分かった。
蛇だ。
それも、見た目からして毒々しい蛇は、おそらく毒蛇でもあるのだろう。
ちろちろと覗かせた舌が蠢き、毒々しい程の赤色が白肌に近寄る。
今にも晒した腕や首に、その毒牙を突き立てようと鱗の滑る胴を巻き付け、慟哭を上げようとしていた。
そこで、動悸が早まり、眼の前が真っ赤に染まる。
いっそ痛みを訴える心音が、激しく打ち鳴らされる警鐘が、全てが危険信号。
駄目だ、と脳裏に過る冷たい思考。
これ以上は、駄目だ、と訴えかけるその冷え切った思考に従おうと眼を瞑った瞬間、
『あれぇ?もう眼が覚めたのかい?』
ふと、頭上から降ってきた声に、眼を見開いた。
眼が眩む明かりを遮るように、眼の前に影が落ちる。
黒い肌に、赤にも見えた紫砂の瞳。
眼鏡の奥で爛々と輝くその瞳は、無邪気にも見えていっそ禍々しい。
『もうちょっと寝てると思ったんだけど、薬の耐性が強過ぎるのかねぇ…』
原始的な恐怖心すら湧きあがらせた影は、蛇と似ても似つかない顔をしながらも、毒々しい赤を覗かせて笑っていた。
獰猛な肉食獣が、歯をむき出しにしたかと思えるような表情。
『おはよう、実験体』
自然と溢れ出した涙が、眼の前を歪ませる。
これからまたあの悪夢が始まるのだ自覚した途端、
***
『ひぃ…っ…!!』
寝台からシーツやら何やらを跳ね退けつつ、飛び起きた。
情けない悲鳴を上げた事を自覚すら出来ないままに、
『げほ…ッ、おえ゛…ッ!!』
込み上げて来た吐き気に、溜まらず嘔吐いた。
流石に寝台の上で吐き出すのは謀られ、起きがけの格好のままで寝台を飛び降り、廊下へと駆け出した。
『若様…!?』
『どうなさったので、』
『……ゲイル様!!』
なんとか手洗いへと駆け込んで、激しく嘔吐。
胃ごと吐き出すような感覚を覚えつつ、込み上げる不快感すらもまとめて吐き出した。
鬼気迫る様子で廊下を駆け抜けた所為か、それとも起きがけの格好が宜しくなかったのか、家人達に悲鳴をあげられた。
手洗いの扉の先には、おそらく執事や給仕が駆け付けたのだろう。
口々に心配の声を上げて、ノックされる扉。
それに応える事すらも出来ないまま、便座を抱えて蹲る。
酷い夢見の悪い朝だ。
それも、2日も連続している事で、消耗しているのが分かる。
情けない事に、昨日も同じような有様で、家人達に心配をかけさせたばかりだった。
『(………ここまで、情けないとは思いもよらなかった、)』
そう一人ごちて、一通り胃の中身を吐き出す。
全く持って、遺憾な事に、それだけでは違和感が収まってくれる筈も無く、焼け付くような喉の不快感が、未だに吐き気を齎す。
脳裏に鈍の錆の如くこびり付いた記憶。
それは、何故か突如として自身の脳内を占めていた。
人を人とも思わぬ、凄惨な所業の数々。
腕に打ち込まれた管や、鋭い銀色の針にどんな意味があるのかすら分からないまでも、感じる恐怖心は絶大なものだった。
それを、夢の中とは言え受けるのはいつも自身である。
だが、実際には、自身が受けたことでは無く、その記憶の元となっているだろう人物の追体験のようなものだ。
始まりは、一昨日の夜。
不甲斐無い醜態を晒し、当人である彼に多大な迷惑を掛けた夜のこと。
あの夜から、何故か分からないまでも、自身の脳味噌にはこうして凄惨な記憶がこびり付いていた。
まるで、切って貼り付けたかのような断片的な記憶は、こうして夢見の悪さと体調へと、確実に変調を来していた。
『(………こんな思いを、アイツはどうして隠せるのだ…!)』
不甲斐無い、情けないと感じる中でも、脳裏を占めたのは怒り。
それは、この実体験を齎したあの夢の中の黒い顔をした科学者への怒りも然ることながら、この実体験を実際に受けた相手への怒りだった。
叱責をする訳では無い。
しかし、それをひた隠そうと、見栄や意地を張って本心を晒さぬことへの怒りだった。
あのような経験をしていながら、何故彼は正気を保っているのか。
不思議でならない。
しかも、それを押し隠したまま、心因的外傷を受けても尚、それを薄ら笑いの中に覆い、決して表に出す事は無い。
だが、
『(………それは、オレが彼にとって、未だに他人だからなのだろうな…)』
その後、浮上した意識によって、怒りも霧散してしまう。
代わりに押し寄せてくるのは、寂寥。
この何とも言えぬ寂寥感は、たった2日のうちに、何度覚えたかも分からなかった。
更には、
『(………何故、あんな、責めるような真似をしてしまったのだろうか。
苦しめたくないと思っていても、あれでは、彼を苦しめるだけと分かっていたのに、)』
掌に残った、感触。
それは、彼の頬を張った時に残った、鈍い痛みだった。
『(叩く側も痛いのだな…)』
脳裏にこびり付いた記憶と同じく、この手の感触もしばらくは消えてくれそうになかった。
身を預けていた便座を離れ、壁に靠れかかって頭を垂れる。
一筋だけ流れ落ちた涙が、生理的なものだけでは無いと分かって、更に惨めな気分になった。
***
そろそろ、昼時だろうか、と思しき時間帯。
昨日までに、旧校舎からの物品の持ち出しと設置を終えて、やっとこさ開校に漕ぎ着けた『異世界クラス』。
そんな『異世界クラス』の記念すべき始業日となった今日、HRを終えてからの午前中一杯を使って、買い出しへと出掛けていた。
「これ、可愛いね!どうかな?」
「おっ、良いじゃん、伊野田。
正直、こっちのセンスは期待してなかったけど、なかなか良いもん揃ってるし、」
「ちょっと生地が固そうだけど、見た目は合格よね!」
そうして、出掛けた先の衣料店で、買い物をエンジョイしている女子組。
女子達の言うとおり、異世界の衣服もなかなかセンスが宜しいようで、今も伊野田が合わせた服装は、可愛いを通り越して愛らしい。
衣料店の店員どころか、付き添いの護衛の騎士達すらも頬を緩ませていた。
そんな衣料品店は、この異世界でも珍しく軒先にワゴンを引っ張り出した店構えをしている。
そのワゴンに女子達は群がるようにして、商品を物色していた。
彼女達も年頃の女の子だし、買い物が長くなるのも仕方ないだろう。
その間に、男子達へと向き直れば、
「ええっと……、パンツと着替えと、」
「タオルとか?」
「そう言えば、洗顔とか歯磨きとかどうするんだろうね?」
………探しておくよ。
もし無かったら作るよ、頑張って。
ともあれ、彼等はデザインよりも、実用性重視のようだ。
『うふふっ、ギンジ様のプレゼント!未来永劫、大切に致しますわ!』
『いや、それもそれで、無理だろう』
そして、安定のオリビアは、定位置としているオレの肩の上で、先ほど買ってやった淡い紫色のワンピースと同系色のポンチョを、オレの頭ごと抱き抱えて頬ずりをしている。
これまた可愛いを通り越して愛らしいのだが、その所為でオレの視界が半分見えなくなっている。
………そろそろ気付いてくれないかなぁ。
「でも、こんなに買っても大丈夫なの?」
「しかも、既製品とかだと、高いって騎士団の人達が言ってたぞ?」
「ああ、大丈夫だ。金の問題は気にしなくて良い」
そして、気付かなくて良い事に気付いたのは、最近言動がオカン?と首をかしげそうになって来た榊原だった。
しかし、案ずる必要も遠慮も必要はない。
王国から謝礼として頂いた金品100万相当があるからな。
正直、衣服や下着に関しては最低限必要なものだと分かっているから、こうして買い出しに出掛けているのだし、最初ぐらいは大盤振る舞いしても問題は無い。
その後の節約だって心掛けるし、増やしていく算段も付けているから心配しなくても大丈夫。
ふはははは、文明の利器万歳。
技術提供をする準備を整えていけば、くらでも金銭を稼ぐサイクルは作り出せるからな。
むしろ、お前達はお金の心配なんてせずに、自分の心配をしておきなさい。
しかし、ふとそこで、
「なぁなぁ、先公!これは、いらないのかっ!」
「いまのうちにこういうの買っておこうぜ!役に立つだろ!」
と、徳川と香神が嬉々として揃って突き出して来たもの。
それは、鎧だった。
ファンタジーの定番とも言える、標準装備だ。
「………色々と突っ込みどころ満載だが、却下だ」
「えぇ~~!?何でだよ!」
なんでも何も、しばらくは着る理由も必要も無いからだ。
香神はともかく、聞き訳の悪い徳川には拳骨を落としておいた。
そんな様子を見て、生徒達も笑い声をあげていた。
いつも通りとも言える、このクラス恒例のやり取りに密かに和んでいたのは確かだった。
しかし、その直後、
『お前の買い物は、良いのか?』
ふと頭上から降ってきた声。
それと同時に、日の光が遮られ視界に影が差す。
その瞬間、突然のフラッシュバック。
手術台に乗せられた身体と、眼が眩むようなライトの明かり。
オレを覗き込んだ黒人の科学者のせいで、その光が遮られる。
脳裏を、歪んだ笑みを浮かべたあの男と、体に巻き付いた毒蛇が過って行く。
口腔内のあの毒々しい赤がこびり付いていた。
『………ッ、あ、……』
『………ッ』
びくり、と体が強張り、咄嗟に一歩を退いた。
その途端、目線を上げれば、驚いたように見開かれた琥珀色の瞳とかち合った。
目の前で、オレを見下ろしていたのは、昨夜ぶりともなるゲイル。
そんな彼は、オレの顕著な反応に、ただ茫然と眼を見開いていた。
対するオレは、一体どんな顔をしているのかも分からない。
背後で、間宮が息を呑む音がした。
オリビアもここにきて、やっと現実に戻ってきたようだ。
永曽根や榊原が、こちらを振り返ったような気もする。
………何やってんだろう、オレ。
罰が悪くなって、咄嗟に目線を逸らすしか出来なくなった。
『あ、あー……、そうだな。…適当に見繕うわ』
そう言って、踵を返す。
まるで逃げるような形になってしまって、更に居た堪れない。
今回、買い出しに出掛けたという事は、当然の如く護衛も付くという事。
そして、その護衛は騎士達である以上、ゲイルも勿論同行している。
それが、王命にして、現在の騎士団長様の最優先事項となっているからだ。
そんな彼とオレは、目下、微妙にぎくしゃくとした空気を齎している。
ぎこちないとも形容できるその空気には、間宮は勿論のことながら、オリビアも気付いているようで、
『ギンジ様?……ゲイル様とどうかなさいましたの?』
『あ、いや………大したことじゃないから、』
離れ際に、彼女から小声で聞かれて、思わずギクリ。
ただ、内心を読まないと約束をしている所為か、それ以上を詮索するつもりは無かったようで安心する。
『(……大丈夫ですか?)』
『………ああ、気にするな』
相変わらず、オレの背後に追従している間宮にも心配されたが、オレはそう言って会話を避けるので精一杯だ。
本当に、情けないもんだ。
『あからさまに、避けずとも…』
そんな小声の恨み事が、背後から聞こえた気がした。
だが、オレは聞こえないフリを貫いて、生徒達へと合流。
昨夜の一件は、未だにオレの中でもゲイルの中でも、間宮の中でも解消されてはいないようだ。
旧校舎探索の際に発覚した謎や事実は、見事にオレ達へと多大なる心労を齎してくれた。
その中で浮上した問題の一つが、オレの過去だった。
地下室に貼り出されていた写真の所為もあって、ゲイルにはオレの経歴を偽っている事実を知られてしまった。
これは、地味に痛い。
ゲイルは、騎士であるが、言うなれば現役の軍人だ。
しかも、異世界の人間である事も相まって、誤魔化しが一切効かないだろうし、そもそもこれ以上、不信感を植え付けたくは無かった。
バレたのがせめて生徒達であったなら、まだ誤魔化し様もあったのだが。
そんなこんな、オレのそんな過去を知った上で、秘匿をして貰うように再三の念押しをしていた昨夜の事。
発覚したオレの嘘と、生徒達を守る為というお題名目を隠れ蓑にしていた罰の悪さも相俟って、居た堪れなくなった。
開き直った挙句に、茶化し、肩を竦めて陰鬱な気分を笑い飛ばそうとした。
軽率だったと、今では思っている。
それが、ゲイルの琴線に触れてしまったようだ。
叱るとも取れない厳しい声と共に、張られた頬。
今でも、叩かれた時の痛みが残っているような気がする。
去り際に残された言葉の意味も未だに分からないまま、そして、間宮から齎された言葉や感情すらも分からないまま、結局ずるずるとそのままになっていた。
ゆっくりと話せない、むしろ話す事すら出来ない有様。
何がいけなかったのか、分からない。
その答えを見つける為の糸口すら無いのが、いかんせん問題だった。
それなのに、謝罪をしろと言われても、出来る訳が無い。
別に意固地になっているからでは無い。
何をどうして叱責されたのかも分からない、理由も無いままで謝罪をしても意味が無いと分かっていたからだ。
昔から、師匠に言われ続けていた、オレの意味の無い謝罪への叱責が骨身に染みている。
だからこそ、オレは彼に謝罪どころか、話すら出来ないままだった。
本当、情けないとしか言いようが無い。
辟易とした表情を隠さないまま、大仰な溜息を零した。
そして、ふと自身の買い物がまだだった事を思い出し、先ほども言った通りに適当に見繕おうとして、
『………ちょッ…!』
「………嘘ぉ………」
売り物の入っていたワゴンらしきものに手を突っ込んだ途端、ざわりとその場の空気が揺らいだ。
背後で、間宮やゲイルまでもが動揺したように思える。
そして、オレも彼等の空気に触発されて、動揺してしまった。
しかしながら、その動揺に関しては、殺伐とした空気によるものでは無い。
言うなれば、オレが手を突っ込んだ場所に問題があったが故に、非常にしょうも無い理由からで、
「ぅげろ……」
オレは、思わず間抜けなうめき声を発してしまった。
背後で、がらがらと車輪の音を響かせながら、馬車が通り抜けて行く。
その音が、まるでオレの間抜けな行動をあざ笑うような音に聞こえた。
「先生、最低…」
「そっちの趣味、あったの?」
「それは流石に笑えねぇぞ、銀次…」
そんな女子達の冷たい声音と視線を受けて、がっくりと頭垂れる。
オレが手を突っ込んだ場所。
それは、奇しくも女の子達が、いの一番に求めていただろう下着売り場で、勿論のこと、そこに並んでいたのは、女物の下着である。
ピンクの布地で、この異世界にもあったのか、こんなにスケスケでフリフリのエロ下着。
あ、でも、これちょっと良いかも。
………間違った。
思った以上に、オレが動揺していたようだ。
「……男物、どこだっけ?」
泣きそうになりながら、オレはそんな女子達の絶対零度の視線から逃げ出す他無かった。
言っておくが、断じて、オレにはそういった性癖は無い。
間違っただけだ。
だから、オレの変な肩書きを増やすのは、本気で勘弁してください、お願いします。
***
ダドルアード王国は、商業都市ともなっている。
現在の情勢は未だに習得段階ではあるものの、どうやらこの王国は、貿易国としての側面も持っていたようだ。
ちなみに、『聖王教会』を中心とした東西南北の区画ごとに、それぞれ四つの区画様相に比較的分かり易く分断されていた。
まず、王国所有の城や施設が南側に存在し、貴族家各位の邸宅等が東側。
北側には一般市民等の居住区が広がっており、主だった商業区画は西側に存在している。
ただし、北側の居住区と西側の商業区に関しては、多数路地裏やスラムも存在するという事で、滅多な事では歩きまわらないように注意を受けた。
そして、今回オレ達が足を運んだのは、件の西側の商業区。
先述した通り、ダドルアード王国は貿易国としての側面を兼ね備えた商業都市で、西側の商業区市場には、飲食店は勿論のこと、専門店や工房がひしめき合うようにして、軒を連ねていた。
商業区でも主要道となる国民の食糧庫ともなる市場。
市場では先程の衣料品店と同じく、軒先にワゴンを引っ張り出して、野菜や果物、肉類などを並べ、快活な声で客引きをする店員達の声が響き渡っていた。
医療品の買い付けも終わったので、今度は食料品を買い込みに来たのだ。
それこそ、女子組は別にしても、育ち盛りの男子が9名(オレも含む)だ。
この大人数の胃袋を賄うには、それなりの食糧が必要になるのはもはや決定事項。
しかし、しかし、また何とも言えない気分になりつつ、主要道を進む。
騎士の護衛を引き連れたオレ達が歩くと、自然と人波が割れていくのだ。
何とはなしに、居た堪れない感情が芽生えるものの、この際仕方無いと割り切って市場を見て回っていた。
だが、これはこれで大丈夫なのだろうか?
これでまた、オレ達の風評被害が、『横暴』だとか『物々しい』だとかで、拡大するとか言わないだろうか?
ただ、こうした人並みの中でも、オレ達が何者かを分かっている者達もいるらしく、軒先にも関わらず、オレ達に向かって跪いたり拝んだりしている人々も見受けられた。
やめてやめて、と手を振ろうとして、結局意味が無さそうだと自覚してがっくりした。
これ、いつの間にか取り囲まれて『ありがたや~』なんて事にならないよね?
………そういえば、
『実際、『石板の予言』とか『予言の騎士』って、国民にはどれぐらい浸透してるんだ?』
『えっ?…あ、うん?』
ふと気になったのは、この状況を国民がどの程度把握しているのか。
それは勿論、オレ達の存在も然ることながら、『聖王教会』の交付しているだろう女神様の『石板の予言』について。
気になって聞いてみたのは、少し距離を置いて平行して歩いていたゲイル。
今までずっと、お互いにぎこちない空間に身を置いていた所為か、オレからの質問に彼は少し驚いた様子だった。
ただ、そんな表情も一瞬で思案するものへと変わる。
『どれほどか、というのは、統計を取ってみないと分からんが、国宗となっている以上国民の約、8割が信徒だと考えて良いだろう』
うへぇ…。
って事は、このダドルアード王国の規模が、確か3万そこそこだったから、延べ2千4百万人が信徒と言うことである。
………規模が違うよ。
『ちなみに、お前達の召喚を知っているのは、まだ分数以下と言うところだろうがな。
騎士の中には、市井出身の者も多いので、そこから伝わっている可能性はあるだろう。
だが、国王陛下や『聖王教会』の開示で情報も流れている。
まぁ、識字率が低いので、割合は不明だとは思うがな、』
戸惑いつつも、ゲイルは淡々と説明をしてくれた。
どうやら、オレ達が思っている以上に、オレ達の存在は知れ渡っているようだ。
国王も『聖王教会』も躍起になっているんだろうな。
勿論、オレ達が逃げ出さないようにさ。
情報の開示云々に関しては、残念ながらオレ達は知らない。
それは、オレ達が知らない間に齎されていた事であり、つまりはオレ達が知らない間に、国民に知れ渡らせたいという願望が少なからずあった訳だ。
やはり、この王国や『聖王教会』は、オレ達を本格的に『予言の騎士』と『その教えを受けた生徒』として祀り上げたいらしい。
あーあ、だから政治とか、宗教とか嫌いなんだよ。
閑話休題。
『ついでではあるが、定期的に食料を卸してくれるような店舗とか、そう言った業者は知ってるか?』
『ああ、それなら『商業ギルド』か『商会連合』がお薦めだな』
オレは、ふと店先に並んだ商品を見ながらも、思考は明後日の方向へと向かっていた。
今回や次回の買い物は致し方ないにしても、買い出しに出る度にこういった不躾な視線や敬われると言った居た堪れない気持ちになるのは、いかががなものかと。
オレや間宮はまだ慣れがあるとは言っても、生徒達は別だろう。
それに、エマや伊野田等は、昔のトラウマの所為もあってか、人目にさらされるのを殊更嫌っている。
しかも、ここにいるメンバーはほとんどが食べ盛りなので、毎度のごとく大荷物となってしまうだろう。
修行や鍛練にはなるだろうが、正直、現状で警戒すべき事柄が増えているオレ達が分散するのは、あまり好ましくない。
それならばいっそ、今までの学校と同様に、食糧を直接卸してくれる業者に頼んだ方が良いのかもしれないな、と考え付いた訳だ。
『『商業ギルド』と『商会連合』って、具体的には何が違うんだ?』
『いや、特に何かが違うという訳では無く、『商業ギルド』に属していない店舗や業者が、『商会連合』に属しているという形だ。
要は、市場を競い合っているというだけで、取扱いのある商品はほとんど同じだ』
『へぇ~…』
ただし、例外もあって、品質やサービスに関しては『商業ギルド』が、価格や卸売りの基準に関しては『商会連合』がそれぞれ秀でているらしい。
ちなみに、王国に卸しているのは『商業ギルド』らしい。
まぁ、長い目で見るなら、品質やサービスの良い方が無難だろうな。
ちなみに、市場統計で言う店舗や業者数なら圧倒的に『商会連合』が多いのだが、代わりに大手や高級店などを『商業ギルド』は独占しているので、市場売上ではどちらもミートしているそうだ。
更に、ゲイルの説明が続く。
『『商業ギルド』は文字通り、商業に与する商人達の集まった『ギルド』だ。
規約や保証もしっかりと設けているので、事業を始めるとなれば先に顔出しをしておいた方が良いだろう』
『………学校も、事業って事になるのか?』
『そうなるな。一応は、教育機関と言う名の下に、自営業と言う括りに含まれる。
もし、正式に登録をしないのであっても、それは変わらないだろう。
途中で、孤児院などの育児施設や教育施設に切り替えるのであっても同様だ』
といった具合に、なかなか分かり易い説明が続いている。
しかも、オレ達の事情を多分に知っているからこその例題のおかげで、内容も非常に分かり易かった。
………コイツ、悔しいけどもしかしたら、オレよりも教師が向いているかもしれない。
『どの道、『商業ギルド』に話を通さずに、このまま学校を造ると言うのは止めた方がいい。
『商業ギルド』に睨まれると、今後の運営がやりにくくなるのは確かだ。
王国だけでも結構な規模となるが、『商業ギルド』は他国にもあるし、密な連携姿勢を取っている。
確か、お前達は別の事業を始める気だろうし、あまり表立って敵対しない方が無難だろうな』
『まぁ、うん………その通りだろうな』
だとすると、今後の事を考えて、オレ達も『商業ギルド』を選んだほうが良さそうだな。
多分、今後オレ達が技術提供と言う形で扱う物が物だから、有象無象に安く買い叩かれるよりも、高級思考やサービス重視のブルジョワに繋ぎを作った方が良いだろうから。
あー、やだやだ、金策を考えるのにも、結局お上の顔伺いなんだから。
『もし、『商業ギルド』を頼るなら、ちょっとした伝手があるので任せてくれ』
『あー…うん、頼めるか?』
しかし、どうやらそんなお上の顔伺いも、彼のおかげでなんとかなるようでありがたい。
こういう所でも、どうやら彼の騎士団長としての肩書きは有効らしい。
………別に肩書きとお友達になった訳では無いが、早めにこのぎこちなさを解消させないとならないだろうな。
それに、彼の言う通り、伝手を使わせて貰うと、後々のオレ達が今後始めるだろう事業に関しては、商品によってはコケる事があっても、それなりの提供も可能。
更には、それに見合った金銭の受領が見込める。
まさに一石二鳥と言う事だ。
いやはや、まだどこまで技術提供をするか決まっていないまでも、こんなにトントン拍子で進むとは、
『うん?』
………………あれ?
『……なぁ、ゲイル』
『うん?どうした?』
ふと、気になった事があり、思わず立ち止まった。
それに合わせて、ゲイルが振り返る。
背後で、生徒達も勿論の事、騎士達も立ち止まっていた。
オレの肩口で、オリビアがこてりと首を傾げている。
しかし、
『オレ………、お前に学校以外の事業をやるかもしれないって話、したっけ?』
『ッ………』
オレには、それに気を回す余裕は無くなっていた。
オレが、事業を始めようと思っていたのは、技術提供を念頭にしていたからである。
それに関しては旧校舎の物品回収の時に、生徒達を交えて、説明やその他諸々の建前を含めて話をしていた。
しかし、その時に、コイツはいなかった。
いない時を見計らって話をしていたのは当然の事、話をしたのは日本語でだ。
洩らした覚えは無いし、そもそも心の中でしか考えていなかった筈。
香神と間宮以外は英語が喋れないので、生徒達から漏れた可能性も低い。
そして、香神はまだしも、間宮は喋れない上に、オレ達裏側の人間だから情報を漏らす事などまずあり得ない。
赤眼の少女の技術に関しては、惜しいとは考えては見ても、なにもそのまま医療部門を立ち上げる話まではしていなかった筈。
あくまで、研究をしたいから残すだけだと、言っていた筈だ。
そこから、どうして、事業を始めるという話になったのか。
コイツが、そこまで勘が鋭いのか、それとも。
『なぁ、ゲイル…、オレは、一言でもお前に事業を始めるって伝えたか?』
『い、いや…それは、その……』
ゲイルをまっすぐに睥睨すれば、彼は目線を泳がせ、更には真っ青になりながらも、額に汗を浮かべていた。
ああ、なるほど。
『テメェ、ちょっと、面貸せ』
『あぐ…ッ!…ま、待て、ギンジ…!!』
生徒達にしか話していない内容を、どうして彼が知っているのかはすぐに分かった。
そして、分かった瞬間に、気付けば彼の髪を引っ掴んだ上で、近間にあった薄暗い路地裏へと引き摺りこんでいた。
生憎と、覗きや盗み聞きは推奨しない。
そして、オレは覗きや盗み聞きをした小悪党を、許すつもりも無かった。
***
『答えろ、ゲイル』
路地裏に引っ張り込んだゲイルの首元へと、ナイフを押し当てた。
さぁ、白状して貰おうか。
『何故、お前は、生徒達だけに話した内容を知っている?』
こうして、彼を路地裏へと連れ込んで、詰問紛いの事をしている理由。
それは、簡単な事。
彼が、知り得ない筈の情報を知っていたからだ。
オレ達が旧校舎から、物品を撤去や回収をして来た、根本的な理由。
この王国で暮らしていく上で、更に言えばこの世界で生きていく為に一番に必要な金銭。
その金銭を潤滑に手に入れる為の、王国や世界への今後の技術提供を視野に入れていたからこそ。
そして、その中には、オレ達の現代での技術を秘匿する旨と、その理由も含まれていた。
学校以外の事業の立ち上げも、当然その中に含まれていた。
先ほど言ったように技術開発は勿論のこと、最悪の場合は医療技術に関しても事業を立ち上げるつもりであった。
だって、この世界での医療水準が、聞いた限りでも恐ろしい程低かったんだもの。
しかも、『魔法』とか言う概念がある所為か、消毒すら知らないとか何?
そんなこんなで、生徒達に納得を促す為に説明していた内容だった筈。
そう、それだけの筈だったのだ。
なのに、彼はその内容を知っていた。
しかも、学校以外の事業を立ち上げるかもしれない、という突っ込んだ内容まで知っていたのだ。
誰が、どうやって聞いていたのか。
いや、誰がじゃねぇよ、お前だアビゲイル。
それに、どうやって聞いたのかなんて、決まっている。
コイツは、オレ達の話を、盗み聞きしていたのだ。
『………。』
『答えろ、アビゲイル』
『……ッ……』
黙り込んだゲイルを路地裏の壁に押し付け、下から睨み上げるようにしてナイフで脅す。
いつかの決闘騒ぎで先の欠けたナイフだが、それでも人間の喉を掻き切るぐらいは容易だろう。
役には立つと思っていたが、こんな形で使う事になるとは夢にも思っていなかった。
路地裏に男が2人だけなんて、むさ苦しい真似はオレだってしたくない。
だが、今回ばかりは、そんな瑣末な感情は唾棄して、眼の前にいる男を詰問するしかない。
凶器であるナイフを突き付けられながらも、アビゲイルはオレを見下ろしたまま黙り込んでいた。
その顔はどこか罰の悪そうな顔をしているが、そんな顔をするぐらいなら最初から盗む聞きなどしなければ良かったのに。
………それに、問題はそれだけじゃない。
それだけならば、オレもここまで激昂はしなかっただろう。
目下、最大の謎にして、一番の問題になっているのは、
「この言葉が、分かるんだな?」
言語だ。
『………ああ』
溜息交じりに、彼はすんなりと事実を認めた。
オレの日本語で話した言葉に対して、彼は今完璧に『YES』と答えた。
この世界に来た当初から、オレや間宮はともかく、生徒達の間に立ちはだかっていた、言語という壁。
オレが生徒達に話していた内容は、必然的に日本語で話す事になる。
しかし、この異世界の共通語はほとんどが英語で、彼等にとってはオレ達の話す日本語は理解が出来ない言語の筈だった。
それを分かっていたからこそ、オレはコイツ等に聞かれたくない内容は、日本語で話すようにしていた。
逆もまた然りで、生徒達にあまり聞かせたく内容は、英語で話していた。
実際に、自分がそういった形で使い分けていたのだから、良く分かっている。
しかし、その概念が今、覆されようとしている。
オレが今さっき、日本語で話した内容に、彼は英語で返した。
受け答えも間違う事無く、すんなりと。
つまり、意味が分かっているのだ。
「……何故、オレの言葉が分かる?」
『………。』
何故、言語を知っているのか。
こちらの世界の人間でも、日本語を話せる人間がいるのか、もしくは、
「テメェは、どっち側の人間なんだ?」
コイツは、現代の世界の人間なのか。
もし、そうなるならば、危険指数は跳ね上がる。
コイツは、言語が分かる事を今までオレ達に秘匿していた。
ついでに言うならば、あっち側の世界の人間であった場合は、それを隠してオレ達と接していたという事になるが、
「どういう事だ?」
眼を細めて、睥睨するようにして彼を見上げた。
自身でも瞳孔が収縮しすぼまった感覚を覚え、更には眼の色も変色していると自覚できる。
普段は心拍数の上昇や、感情の沸騰に伴った色素異常の変化。
今、オレはそれほどまでに、激昂しているという事になる。
それを見て、アビゲイルが、咄嗟に息を呑む。
驚愕の表情を浮かべながら、しかし、静かに溜息を吐いた。
『……お前の眼は、そうやって変わっていたのだな』
だから、どうした?と言おうとして、ふと口を噤む。
………またか。
何故、コイツはそんな事まで知っているのか。
思わず、歯を噛み締め、腕ごと押し込むようにして更に彼を壁へと押し付けた。
「どうして、これを知っている!」
『………あの校舎での夜、一度だけ、見た事があった。
すぐに戻ったので、気のせいだと思っていたのだが、』
そう言って、アビゲイルが目線を逸らす。
なるほど、コイツが言っているのは、3日前の夜中の校舎探索の時の事だろう。
変化しても可笑しくは無い状況だったから、いつの間にか変化していたのだろう。
ならば、この詰問は端に置いておく事にしよう。
正直、これに関しては、もうどうでも良い。
過去を知られた時点で、秘匿するのも無理な話だろうから。
だが、
「何で、テメェはオレ達の話を知っていた?
オレ達の言語も理解していたのに、それを何故隠していたんだ?」
オレが聞きたいのは、そんな事じゃない。
盗み聞きしていた事はまだ良いとしても、何故言語を理解していたのか。
オレを納得させるだけの理由があるなら、是非とも聞かせてくれ。
詰問体勢に入ったまま、更に顔を近付けて殺気を孕ませた。
そんなオレの殺気混じりの視線に、アビゲイルの逸らされていた視線も戻された。
眼が揺れ、次いで喉が引き攣り、生唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
しかし、そんな揺れていた眼も、次の瞬間には諦めにも似た落胆を映す。
この至近距離だ。
元々感情を読む訓練を受けたオレ達裏社会の人間が、早々読み違えるものでは無い。
別にオレの眼の変化を知ったから、落胆した訳でも無いのだろう?
別の意味があって、なにかしらの理由で落胆したのだろう?
「申し開きぐらいは聞いてやっても良い。
それからどうするかは、オレ達の方で決めるだけだ」
そう言って、問い質す。
しかし、アビゲイルは、ややあって、
『………済まない』
まずは、謝罪。
逸らされていた視線が戻ってきて、それから意を決したようにして口を開く。
『オレは、今、………ズルをしている』
「………は?」
………パードゥン?
思わず言語の切り替えに戸惑って、英語で聞き返してしまった。
しかし、あっさりと白状したかと思えば、残念ながらオレには意味が不明だった。
ズルってどういうこと?
そもそも、今はそんな話をしていたのだっただろうか。
胡乱気か、もしくは訝しげな表情をしていたのだろう。
どっちにしろ、苦々しい表情が混ざっているのは否めなかっただろうが、そんなオレの表情を見越してか。
アビゲイルが少しだけ辟易とした様子でありながら、先ほどの『商業ギルド』の説明の時のように、淡々と話し出した補足。
『ズルと言うのは、そのままの意味でもある。
オレは、今、言葉の精霊に加護を受けているからな…』
しかし、その淡々とした説明すらも意味が分からない。
コトノハノセイレイって、そもそも何?
あ、待て待て待て、もしそれが、言葉通りならば、つまりは『言葉』と言う事で、
「つまり、精霊の能力か何かで、今までオレ達の会話のほとんどが分かっていた、と?」
『その通りだ』
そう言って、アビゲイルが大仰な溜息。
いや、溜め息を吐きたいのは、むしろこっちなんですけど?
『簡単に言えば、オレが加護を受けている精霊は、通じない言語や言葉自体を勝手に変換してくれるんだ』
それ、なんてSi○i?
ス○ホのホームボタン長押しで出てくる人工知能か何か?
もしくは、電子手帳?
『むしろ、分からない単語の方が多かったので、ほとんどというよりは、半分程度しか理解は出来ていない。
……言い訳にしか過ぎないだろうが、この精霊の加護自体も万能では無く、聞く事が出来るだけであって喋る事は出来ない』
と言う言葉で締めくくったアビゲイル。
どうやら、こっちの世界には、こういった加護をしてくれるという不思議な存在がいっぱいって事らしい。
まぁ、オリビアも忘れてしまいそうにはなるけど、女神様だものな。
そして、彼の言っている言語を翻訳してくれるという精霊もその一つだという。
確かにそれは、言語の習得に四苦八苦している生徒達からしてみれば、彼の言葉通り『ズル』と言う事になるだろう。
そんなものが存在するとは寝耳に水だろうが、絶対に教えないでおこう。
『……ただ、もう少し言い訳をさせてくれるなら、この精霊達は通称『補助精霊』と言って、基本的に『聖』属性だ。
オレの他では、教会関係者ぐらいしか使えないので、当然騎士団でもオレだけしか使えない。
知っているのは、家人や国王、それと数名の近衛だけだ』
言い訳、と言うには長く、説明と言う名を借りた隠れ蓑のように思えた。
しかし、更に、彼の説明は続く。
要は、彼がこの言葉の精霊の存在を秘匿していたのは、この王国内でも使える人間が限られている稀少性の為。
しかも、この精霊自体の力は弱いので、一日に一度、無いし二度までしか使えないらしい。
便利だか不便だかわからない能力ではあるが、それでも一定時間(約3時間程度らしい)発動するだけで、勝手に別の言語を本人の分かる言語に翻訳してくれるというのは、十分に重宝出来るだろう能力だ。
この能力さえあれば、どんなに言語が理解出来ない部族相手でも、交渉ぐらいはまともに出来るだろうからな。
………修行時代に謎の部族の集落に放り込まれた時に、オレもこんな能力が欲しかった。
閑話休題。
「つまり、お前はその精霊の加護の力を使って、オレ達の情報を端的とは言え取得していた訳だ」
『………そうなるな』
そういった能力を持っていたから、最低限でも利用していたということなのだろう。
オレ達の言語が理解出来たことで、多少なりともオレ達が言語でカモフラージュしようとしていた情報は盗み出せただろうからな。
先ほど言った通り、生徒達がこぞって探しかねないので、そのまま秘匿しておけ。
では、その言語の謎が理解出来たところで、
「盗み聞きしたのは、それだけじゃないんだろう?
興味本位で聞いていた訳では無いことぐらい、オレだって馬鹿じゃないから分かるぜ?」
ならば、コイツの目的は?
オレ達の護衛の他にも、色々な理由が隠されているのは、既に分かっている。
護衛と言う名目を借りただけの逃亡防止や監視の目的。
しかし、どうも彼の言動を見ていると、他にも目的が隠されている気がしてならなかった。
一瞬だけではあるが、アビゲイルは身体を強張らせた。
しかし、その身体の強張りも、溜め息と共に陰鬱に吐き出したかと思えば、
「……っお、い!」
徐に、首元へと押し付けていたナイフを、あろうことか握った。
先が欠けているとはいえ、鋭利な刃物である事は変わらない。
そんなものを掴んでも押し返すどころか、押し留める事も出来ないだろうに、馬鹿かコイツは。
そう思った矢先、
「………ッ!?」
それは、呆気なく覆った。
押し留めるなんて生易しい勢いで、ナイフを手からもぎ取られたかと思えば、そのまま腕を掴まれ、視界がぐるりと回転した。
反対に壁に押し付けられたオレ。
背中を打った事で息が詰まり、意図せず漏れた呻き声。
そうだよな、体格の問題ってデカイよな。
『クソ…ッ、放せ…!』
あっさりと、形勢逆転となったのは、悔しい以外の何者でもなかった。
しかも、この状況は不味い。
コイツは、まだオレの手からもぎ取ったナイフを持ってる。
『……落ち着いてくれ、ギンジ』
「……ッ」
そう言って、アビゲイルは先程のオレと同じように、オレの眼をまっすぐに射抜いた。
その眼には、
「(……そんな眼でオレを見るな…ッ。…その眼をしたいのは、オレの方だ…!!)」
先ほどと同じ、諦念にも似た落胆の色が色濃く、残っていた。
期待するにも値しないと、信用を裏切られたと、見限られたかのように絶望した眼だ。
しかし、悪いとは思うが、それはこっちがしたい。
だって、期待を覆されたの、信用を裏切られたのもこっちなのだから。
今だってゲイルは、唇を噛み締め、苦々しい顔でオレを見下ろしているが、そんな顔をしたいのはこっちだ。
『…弁解のしようが無いとは、分かっている』
『だったら、退け…ッ』
『聞いてくれ、ギンジ…!』
『聞けない!…お前は信用できない!』
『………ッ、それでも!』
オレの本心からの言葉に息を詰めたアビゲイルだったが、すぐに持ち直したかと思えば、手に持っていたナイフを投げ捨てた。
キンッ、とナイフが地面に落ちる音が、狭い路地裏の中に自棄に響く。
そして、彼はその空いた手を、オレの背後の壁へと叩き付けた。
耳元でガツン、と鳴った破壊音に、思わず体が強張る。
………煉瓦で出来た壁を拳一つで粉砕って、どういうこったよ?
『盗み聞きをしていたことも、この能力を秘匿していた事も悪かったと思っている。
だが、これもオレにとっては、仕事の一つなのだ』
『だったら、最初から何故、それを言わなかった!?』
『そ、そんなもの言える訳も無いだろう!
オレにとっては、当たり前の仕事だとしても、お前達からしてみれば、』
『ああ、そうだよな!実際に言えばオレ達は、お前達に監視されて逃亡すらも出来ない『籠の鳥』だもんなぁ!』
『……気付いて、……ッうう!』
腹立たしさを紛らわせる為に、力付くでも押し退ける為に彼を蹴り飛ばす。
人体急所の一つの腎臓を狙ったからか、流石の彼も眉根を寄せて、その場でしゃがみ込んだ。
ああ、畜生。
なんで、こんなに悔しいんだろう。
悔しいのは、何も力比べで負けただけじゃない。
だって、全部知ってたのに、それをコイツはオレが何も知らないのが当たり前のように話しているのが、悔しい。
オレの偽っていた過去だって経歴だって、全部分かったような顔をしていた癖に。
『国王からの命令なんだろう。オレ達の逃亡防止も、そうだ。
ついでに、オレ達の動向の監視だって、お前が受けた命令には含まれていたんじゃないのか…!』
『……ッ、知って…』
『分からない方が可笑しいだろうがよ!
ただの護衛なんかに、王国の最大戦力を貸し出されるなんて、疑ってくださいと言っているようなもんだろうが!』
皆まで言わせる前に、彼を黙らせるようにして怒鳴り付けた。
またしても、狭い路地裏に自棄に響くような怒声に、耳鳴りすらしてきた。
『オレ達の動向を監視して、何がしたかった!?
オレ達に叛意有りとでも言って、自分達の手元で良いように飼いならしたかったんじゃないのか!?』
『ち、違う!…確かに、不穏な行動があれば、報告の義務はあったが、』
『不穏な行動だと!?ふざけんな!
それは、むしろこっちが聞きてぇ事だ!
王国には、前科があるって事を、忘れんじゃねぇよ!!』
オレ達を最初に拘束して拷問までしておいて、よくも、その口で不穏な行動などと口走れたものだ。
先に手を出したのもあっちなのだから、こっちだって逃亡でも不穏な行動でも取りたくもならぁな!
それでも、それでもだ。
『こっちには、非戦闘員である生徒達がいるから大人しく従ってんだぞ!
必要最低限の環境が整うまでは、この王国に保護されるしか選択肢が無ぇからな!
オレ一人なら、とっくの昔に国外逃亡しているわ、ボケ!』
例えそのような不甲斐無い状況だとしても、そんな事をしていないのは、オレにも守るべきものがあるからだ。
偽善だとは、自分でももう分かっている。
実際には、守って欲しいのは自分自身で、生徒達を隠れ蓑にしようとしているただの虚勢だと言うのも分かっている。
それなのに、その虚勢を、昨夜叱ったばかりのお前が言うな。
苛立ちと共に吐き出した溜息が、自棄に耳に付いた。
実際には、溜息と言うよりも、怒声を上げたことによって上がった息を荒荒しく吐き出しただけになってしまったが、
『それに、他にもお前は隠し事があるんじゃないのか?
事業を始めると言う言葉を耳聡く拾っていたようだし、どうせ技術提供でも持ち掛けようって魂胆なんだろうが!』
『………。』
ほら、黙った。
しかも、どうやらオレの言葉は図星で、コイツにとっては痛い腹を無理やり探られたばかりか、抉られたようなものだったのだろう。
話を盗み聞きしたのは勿論、言語を理解していた事も露見した。
ついでに、特殊な能力である精霊の加護で手に入れた情報を、秘密裏に国王へと上申していた。
何で言わなかったのかなんて決まっている。
後ろめたかったからだ。
オレと同じように、アイツも全部を隠そうとしていたんだ。
しかも、アビゲイルの場合は、王命ありき。
つまりは、この王国の権力すらも孕んでいるのだから、オレよりも質が悪いじゃないか。
これだけでも十分立派なスパイ行為であり、オレに対しての裏切りとも取れる。
同僚兼友人と似ているとは思っていたが、そんなところまでそっくりじゃなくて良いのに。
『その為に、オレ達にすり寄って来たわけだ…』
『そ、それだけでは無い!護衛の職務とて、』
『今更、御託を並べられても、信用出来る訳が無いだろうが』
もう、コイツは信頼も信用もしない。
むしろ、この王国に対しては、不信感や猜疑心しか、既に感じられなくなった。
しかし、そんなオレの答えに、今度はアビゲイルの瞳孔がすぼまった。
『そんなことは…!』
そう言って、立ち上がった瞬間を狙って、再度蹴りを放つ。
今度は下腹部を打ったのか、前のめりになりながらうめき声を発した彼。
その間に、オレは落ちていたナイフを拾い上げ、腰のホルダーへと仕舞い込んだ。
そのまま、怒りのままに踵を返す。
「(………こんな事をしなければ、情報すらも秘匿するように見られていたとはな…心外だ)」
内心で、悪態や罵詈雑言と共に、そんな事を吐き捨てて。
言えば良かったとは思っても、無理な話だとは分かっている。
言うなれば、オレだって同じ側の人間だったから、秘匿すべき情報を持っている場合は、意地でも口を割らないだろう。
それでも、一言言って貰えていれば何か、違ったのかもしれない。
『………せいぜい、オレの過去を知った事にほくそ笑んでろ。
間抜けで情けないオレの姿を見れて、さぞ優越感に浸れただろうからな…』
『……ち、違う!オレは、そんなつもりは、』
『もう、お前の言葉なんて、何一つ信用出来ねぇよ』
そう言い捨てて、オレはアビゲイルを振り返る事も無く、路地裏を後にした。
つい先ほどまでは考えていた、仲直りだって、こんな状態じゃ無理な話だ。
だって、どうしようもない。
もう、信用なんて出来なくなってしまった。
ならば、オレ達の関係だって、これっきりで良い。
『それでも…オレは、お前達を守る為にここにいるのだ…』
そんなアビゲイルの呟きが、オレの後ろ背に跳ね返って掻き消えた。
***
午前中は、目一杯を買い物に費やして、速やかに校舎へと撤収して来た。
途中から、アビゲイルを詰問する為に抜けた所為か、生徒達は訝しげな表情のままだった。
おそらくは、香神がヒアリングが出来るから、端的ではあっても、オレ達の会話も筒抜けになっていたことだろう。
既に聴力強化の訓練を受けているだろう耳が良い間宮ぐらいならば、もしかしたら内容まで把握しているかもしれない。
アビゲイルのおかげで、王国にオレ達の行動が筒抜けになっている以上、これからの身の振り方は、考えなくてはならないだろう。
生徒達には、アビゲイルが絶対にいない時を狙って、触りだけでも説明しておいた方がいい。
閑話休題。
ここ最近、こんな方向ばかりの心配事が増え過ぎているが、シリアス方面の話はもうしばらくご免だ。
ここからは、本日の記念すべき始業日に見合った内容をお送りしよう。
つまりは、授業である。
簡単な昼食を取った後に、HRを開始。
全員が無表情である、恒例の挨拶(もう、突っ込みをするのも疲れる)も出欠確認等も終える。
しかし、昨夜に設置を終えたばかりの教室に、やはり生徒達は少し浮足立っている様子。
並んだ机や、いつも通りの席順に、一番デカイ効果を齎しているのは、やはり黒板だろうか。
久しぶりに手に取ったチョークの感触に、苦笑を零しつつオレも黒板に向かい合った。
ただ一つ、今までと違うのは、入口や教室内に、護衛の名目として騎士達が常時待機にしていることだろうか。
先程、要注意認定となったアビゲイルも、窓際の隅で腕組みしつつ、眼を瞑ったまま立っている。
彼等の存在のおかげで、少々圧迫感を感じてしまうのは、オレや生徒達も同じようだ。
一番後ろの席の連中は、実に窮屈そうにしている。
ただし、黒板横の教壇に待機しているオリビアのおかげで、前列はそうでもない。
ちなみに、彼女は授業中は静かにしていてくれると、大変物分かりの良いお返事をいただいたので、目下荒れ腐ったオレの癒しとなっている。
ああ、話が逸れた。
さぁ、約1週間ぶりとなる、授業を開始しよう。
とは言っても、まず最初にやるべき事は決まっているのだが。
「久しぶりの授業と言う事も、ついでに世界事情が違うと言う事も踏まえ、本日は『道徳』と言う形を取らせて貰う」
黒板に『道徳』と書き出し、改めて生徒達に向き直った。
「内容としては、大した事じゃない。
今後の注意事項の連絡と、今後の授業でどういったものを受けて行きたいのかという、授業内容の精査をお前達に決めて欲しい」
「………先生が、決めるんじゃなくて?」
律儀に手を上げて、榊原からの質問が飛ぶ。
それに対して、オレもなるべく簡潔に答えた。
「オレだけで決めても良いが、それだとお前達の自主性を殺してしまう」
「自主性って、校舎の清掃の時にも言ってたやつか?」
今度は、香神が挙手をしたので、オレはそれに「正解」と答えつつ、以前アビゲイルや騎士達に向かって話した内容を、今度は生徒達に直接話をする。
「正直、お前達はオレに、依存し過ぎていると思っている」
「……依存?」
「そうだ。オレだって万能では無いし、間違えたりもする。
しかし、その間違った答えに対しても、今のお前達は言いなりになってしまうだろう?」
それは、目下、この異世界クラスの問題となっている事だ。
最初の頃は、こんな異世界に飛ばされるなんて事を、微塵も考えたりしていなかった所為で、オレは敢えて自主性を抑え、依存傾向を作るように仕向けてしまっていた。
特に顕著なのは、浅沼や榊原、伊野田、杉坂姉妹。
そうしないと、彼等は精神面で危なかったという言い訳もあるが、それでも他の生徒達にもそれが浸透してしまっているのは、いかんせんオレの手腕が悪かっただけだ。
「論理的な観点や合理的な観点などを総合的に見て、オレが間違っているならば間違っているで指摘して貰わなきゃ困る。
言いなりになられても、オレだって困るし、後々困るのはお前達でもあるからな」
言うなれば、今回はその自主性を育む第一歩という訳だ。
「これから、この異世界の常識に、嫌でも従わなければならない事案も少なからず出て来るだろう。
その際に、オレがその都度、必ずしも正しい選択が出来るとは限らない。
オレだって間違える時は間違えるし、頭が固いから柔軟な発想も難しそうだし」
「確かに、頭は固そうだよね」
「…金属音でもするんじゃない?」
「誰が、超合金製の頭か…!」
こらこら、杉坂姉妹。
今は、自主性を育む授業であって、オレを貶して良いとは言っていない。
ただ、そのおかげなのか、窮屈そうだった生徒達の肩の力が解れたのは何にせよありがたい。
生徒達が笑ったのに合わせて、騎士達も心無しか微笑ましそうに見ているようだ。
ただし、アビゲイルは相変わらずの無表情だが…。
………寝てるだけとか言わないよな、あの野郎。
まぁ、傍迷惑な騎士団長の事は良いや。
「杉坂姉妹の罵倒はともかく、オレも存外短気だし、最近は身体の不調も続いている。
いざと言う時にオレが使い物にならなくても、しっかりと判断をして行動できる人間になって貰いたいってだけだ」
そう言って、生徒達に改めて苦笑を零せば、それぞれが返事や頷きを返した。
はっきり言ってしまえば、オレが『予言の騎士』なんていう大役の所為で、いつ死ぬかも分からない立場にいるからってのもあるけどね。
ただ、それを言うともれなく生徒兼弟子が暴れ出しそうだから言わないだけ。
まぁ、それはともかく。
後々には、オレが引っ張る形では無く、生徒達が進む道を、オレがサポートするという形を取りたいと思っている。
出来れば、強化訓練などの履修完了を目途に、生徒達には一度でも良いから一人立ちをさせてやりたいとも思っていた。
その為に、必要な事を自分で考え、それを自分達の手でやり遂げて欲しいという願いを込めて。
「では、まずはこの世界での簡単な注意事項を説明するから、とりあえず聞いてくれ」
そう言って、生徒達にシンキングタイムを預け、オレは黒板へと注意事項を書き込む。
説明は簡潔なもので、この世界の今の時点で分かっている現状や歴史。
更に、細かく時代背景や世界情勢、技術関連などの発展状況等も書き込んでいき、最後に不可思議な存在である女神や精霊、精霊が関わってくるだろう『魔法』の存在、『石板の予言』、そして魔族や魔物などを例題を交えて書き出す。
勿論、魔族や魔物に関してはオレが遭遇した物しかまだ分かっていないので、履修については、今後の授業内容での歴史か理科学に含む事も連絡した。
この説明書きを書き出している間に、いつの間にか黒板が真っ白になっていた。
ついでに、オレの手も真っ白で、チョーク一本を使い切ろうとしている。
よくもまぁ、こんだけの内容を、頭の中に詰め込んでおけたもんだと自分ながらに思うよ。
シンキングタイムもそこそこに、黒板に書きだした内容を、生徒達はそれぞれノートや羊皮紙(先程の買い出しで仕入れてきたものだ)に書き写していた。
………これ、書く方も大変だったが、写す方も大変だろうな。
「と、こんなところだろう。
他にも、分かり次第連絡事項や、授業中に補足で組み込んでいくよ」
そこで、しばらく生徒達に、板書を書き写す時間を取ってオレもしばらく教壇に寄りかかって休憩。
これ見よがしににっこりと笑っていたオリビアが可愛くて、兎にも角にも癒された。
やっぱ、オレには教師としての職業の方が、落ち着くよ。
裏社会のお仕事はもう引退したっていうのに、最近荒事が増え過ぎて嫌になっちゃうわ、もう。
***
しばらく、書き写す時間を取った後、オレは黒板の文字を消した。
まだ書き終っていなかった生徒からは、「あ゛ー…」と残念そうな声が上がったが、近くのメンバーに見せて貰いなさいな。
「では、お待ちかねの授業内容の決定だ。
今後の授業の提案をしてくれ。
自分達が今後、この世界に順応していく為に、どんな授業を受けたいと思うのかをそれぞれで考えて欲しい」
そう言って、改めて黒板に「授業内容」と書き込んだ矢先、
「はいはいはいはい!!オレ、武器の使い方!!後、魔法!!」
「はいはい、今はしばらく黙ってろ、徳川」
そんなに慌てなくても、全員に聞いてやるから。
後、ボリュームがデカすぎて耳が痛い。
そんな徳川を黙らせてから、忘れてしまわないように、先に必要な必須の履修授業を書き込んでいく。
「まずは、英語。これは、全員の必須科目として諦めろ」
若干2名を除いた生徒達から再三の落胆の声が上がるが、これに関しては仕方無い。
共通語が英語の世界で、言葉を喋れないのは不便以外の何物でもないから。
………目下、自動翻訳機能搭載の精霊だかなんだかの存在を知ったが、それは敢えて教えない。
彼等の為にはならないだろうから。
その代わり、若干2名と称された香神と間宮に関しては、
「香神に関しては、ランクアップしたものを教える。
礼儀作法を含めた難しい方式の英語をマスターして貰おう」
「……あいしー…」
自棄に気が抜けた返答が返されたが、まぁ良いだろう。
………オレが、礼儀作法を知らないように思っているのだろうが、こっちはとある紳士の国の皇太子を護衛した事もあるんだよ。
ちょっとだけイラっ☆としたので、小さくなったチョークを投げておく。
「(オレは習得済みですが?)」
と、流石の間宮は、やはりそういった言語に関してのアドバンテージが半端な無い。
まぁ、彼に関しては、元々オレの同僚兼友人の弟子だったから、それも然もありなん。
オレと修行も控えているので、免除と言うことで良いだろう。
「(ただし、ビシバシ扱くから、覚悟するように…)」
「∑ッ…!?(ビクビクオドオド)」
ははははは、オレの鍛え直しも含めて、徹底的に鍛えてやるからなぁ。
さて、話が逸れた。
その他の必須科目に関しては、数学、歴史、理科、体育、とそれぞれ書き足していく。
数学は、日常的に使わなければあっという間に出来なくなるし、今後学者として進む生徒もこの中にいないとも限らないから。
数学苦手組が、嫌そうな顔をしているが、残念ながら撤回はしない。
歴史については、この世界の歴史を学んでいく機会が、今後増えて行くと分かっているからの選択だ。
理科に関しては、例の魔物や魔族の基礎知識と並行し、この世界の物品への改良・改善などの足がかりにするつもり。
勿論、化学実験も含めるし、技術提供云々も理科の授業の一環として組み込んでいく。
そして、体育については、この世界ではおそらくメインとして行っていく科目となるだろう。
基礎体力を作る為のトレーニングは勿論、今後は強化訓練の予定も組み込んでいく。
……今度は、運動音痴組の2人が嫌な顔をしているが、勿論却下はしない。
ただ、別の意味で浮かない顔ををしている、常盤兄弟には案ずるなかれ。
紀乃、それから補助役として河南には、医療関連の選択授業を受けて貰う事になっている。
これは、事前に通達していたので、別枠として黒板に書き込んだ。
「……あたし達も、そっちじゃ駄目なの?」
「ぼ、僕もそっちが良いです」
「好き嫌いを許す程甘くは無い」
揃って苦い顔をしている運動音痴組(伊野田と浅沼だ)の反発には、遠慮なくノーを突き付けた。
こうして書き出された授業内容は、英語(必須)、数学、歴史、理科、体育(必須)、医療(紀乃&河南)となった。
ただし、ここで医療に関しての、追加連絡。
「医療については、全員応急処置や心肺蘇生など、今までの避難訓練同様に一通りやって行くからそのつもりでな」
そう言って締め括れば、生徒達から素直な返事が返ってきた。
避難訓練が大事だって心底から分かるような事案も、つい先日発生したからな。
………怒りを感じてしまうので、思い出すのはやめておこう。
閑話休題。
必須科目を書き出したので、お次はお待ちかねの特別科目について。
「出席番号順にアンケートを取って行くから、1つないし、2つぐらいは提案してってくれ。
出来るか出来ないかの合理的判断は、その都度行っていくので、くれぐれも無茶な提案はしないように」
『はーい!』
よしよし、良い子のお返事も返ってきたところで、
「では、1番浅沼」
………まぁ、十中八九決まっているとは思うけどな。
「『魔法』がやりたいです!」
「はいはい」
ほらね、と思いつつも、黒板に書き出して行く。
1番、浅沼~『魔法』、と。
「次は、2番伊野田」
「あたしは、裁縫とか料理がやりたいです」
実用性があってよろしいが、花嫁修業?
2番、伊野田~料理・裁縫。
「次は、3番香神」
「オレは、乗馬がやりてぇ」
ブレねぇな、お前も。
3番、香神~乗馬、と。
「次は、4番榊原」
「特にやりたいものって、無いんだけど、」
「趣味とか、好きなものは無いのか?」
「パソコン」
………無茶な提案をするなと言わなかっただろうか?
コイツにも、チョークを投げてぶつけておいた。
「あ、音楽とかは?向こうの授業でもやった事ないけど、」
それは、オレが片腕しか使えないから、楽器が使えなかったからなんだがな…。
まぁ良い。
4番、榊原~音楽、と。
「次、5番エマ」
「ウチはダンスとかやってみたい」
………これまた、可愛らしいのが…。
「何だよ、その顔っ!ウチが、ダンスとか言ったら可笑しいことあるっての!?」
「いや、そう言う訳じゃないんだが…」
しまった、逆鱗に触れた様だ。
ただ、この世界だとどう頑張っても、最低でも社交ダンス程度だと思うんだが、気付いているんだろうか………?
出来るっちゃ出来るけど、オレはまず片腕が使えないからホールド出来ない。
5番、エマ~ダンス、と。
「次、6番ソフィア」
「あたしも、特にやりたい事ないんだよね…。
エマと同じでダンスとか、………バレエとかやってみたいけど、先生教えること出来る?」
「………アイススケートも可」
『えっ、嘘!?なら、やりたい!!』
ソフィアのターンの筈が、いつの間にかエマも混ざっていた不思議。
安定のシンクロ率ですか、そうですか。
まぁ、楽しんでやってくれる授業も、たまにはあっても良いじゃない?
6番、ソフィア~バレエ、アイススケート。
「次、7番河南」
「紀乃が医療をやるなら、薬とかの研究でもしてみたいかな…」
おお、なんかいきなりグレードアップしたぞ。
7番、河南~薬品研究。
「次、8番紀乃」
「僕も兄さんと同じで、薬品研究で良いヨ」
「もうちょっと捻ってみよう?」
「…うーン………、なら、調合トカ調毒トカ?」
………お前は、誰を暗殺したいんだ?
授業にするには不穏で物騒なものが出て来たような気がするが、まぁ良いだろう。
8番、紀乃~調合関連。
「次、9番徳川」
「武器の扱い方!!後、冒険!!」
「却下だ、馬鹿者。体育で強化訓練が必須科目だと言っているだろうが」
「なら、冒険ッ!!冒険したいッ!!」
「だから、それも却下だ!意味が分からん!」
「えぇええええっ!!?何でだよ!!」
いや、だって今後そういった事例が発生するのは、確定事項となりつつあるもの。
なら、体育の強化訓練でまとめてやるわ、バカたれ。
コイツは、補習にしておいてやる。
「さぁ、気を取り直して、10番永曽根」
「鍛冶製鉄」
「……また、渋いのをチョイス…」
いや、まぁ、師匠の勧め(脅しとも言う)で、鍛冶師に弟子入りして守り刀を打ったりしたこともあるから、出来るっちゃ出来るけどさぁ……。
って言ったら「出来るのかよ!?」と吃驚された。
ただし、オレもほとんど記憶の彼方なので、専門家の知識も必要になるだろうから、これに関しては保留としておいた方が良いかもしれない。
10番、永曽根~鍛冶製鉄(保留)
「はい、じゃあ最後、11番間宮」
「(修行だけで良いです)」
「………お前、授業の意味分かってる?学生の本分を分かってる?」
テメェ、コノヤロウ。
最後の最後で、間抜けな回答をしなくても良いわ、ボケ。
しかも、何故かドヤ顔をされたので(後になって聞いたら、微笑んだだけのつもりだったらしい)、本日3本目のチョークを飛ばしておいた。
とりあえず、コイツには勝手に『恐怖心克服』と書いておいてやった。
………安定のマナーモードへと移行した。
まぁ、それはともかくとして、
「うん、全員の意見は出揃ったな」
うち2名の阿呆は覗くとして、今後行なっていきたい授業内容は、『魔法』から始まり、裁縫・料理、乗馬等の実用的なものや、音楽・ダンスなどの娯楽分野。
更には、薬品研究やら調合やら鍛冶製鉄やらと、ファンタジー色が強いのかどうなのかは不明なものが多いようだ。
本来の学校の教育実態としては異色だが、『異世界クラス』と名乗っているのだし、多少規格外だとしても、『ファンタジーだから♪』という魔法の言葉で許されると思いたい。
まぁ、このクラスの全員には、幅広い知識を今後伝授していきたいと思っている。
幸いな事に、オレも幅広く着手出来る立場も、経験も持っているから。
元裏社会人と言う経歴が、まさかコイツ等の教育方針に役立つとは夢にも思っていなかったがな。
「こうして見ると、大変そうだね?」
「先生、見栄張ったりとかしてないの?ほとんど出来るとか言っちゃって…」
「誰が見栄っ張りだ。実演してやろうか、こん畜生」
………おっと、口汚かったな、失敬。
エマの毒舌混じりの疑問はともかくとして、こうして改めて見てみると、オレが考えていたよりも、沢山の授業内容が出て来ている。
一度に履修をしていくのは当然無理があるだろうから、折を見て順番を決め、2ヶ月から3ヶ月程度の期間で徹底的に叩きこんで行こう。
まぁ、オレも齧った程度の知識しかないものもあるし、専門的なものとなるとそれこそ未知の領域にもなるし、ついでに準備にも時間が掛かるかもしれないけど………。
ふと、ここで時計(この世界では懐中時計だ)を見れば、随分と時間が経っていたようだ。
「んじゃあ、授業内容も出揃ったところで、一度休憩にしよう。
次の時間は、英語とするからな」
『はーい』
そう言って、一旦授業終了を言い渡せば、三々五々の返事が返って来た。
ああ、懐かしや、授業風景。
休憩時間を挟んで、必須科目の英語を、この世界の懇切丁寧な使い勝手の悪い英語を、これまた懇切丁寧にオレが教えてやりますよ。
………って、あ゛。
忘れてたよ、もう一個の必須科目。
「ついでに、これはオレからの提案だが、問答無用で追加な?」
と言って、黒板に有無を言わさず書き込んだのは、『礼儀作法』。
『却下ぁーーーーーーッ!!!』
したっけ、一部から猛反発された。
え、なんで?
「先生だって、礼儀作法なんて無いじゃん!」
「アンタに礼儀作法なんて似合わねぇし!」
「だいたい、アンタこそ習った方が良いんじゃねぇのか!?」
「何を言うか、オレは紳士だぞ」
『嘘吐けぇ!!』
そんな事を口々に言われて、若干傷付いてしまった。
オレって、そんなに礼儀作法と無縁な顔をしているだろうか?
ふとそこで、ついついいつもの癖なのか何だったのか、同意を求めてアビゲイルを見てしまった。
本当に、オレにとっては、無意識の行動だった。
しかし、彼は結局、この授業中はずっと眼を瞑ったままである。
ただし、
「(……アイツ、口元プルプルしてんじゃねぇか…!)」
笑うのを堪えていやがったけどな、畜生め。
………というか、今の授業内容も、自動翻訳機能付きの精霊の力を使って聞いていた訳だ。
まぁ、オレはそれよりも、純粋に腹の底で笑われていることに腹が立ったけどな。
おかげで、4本目のチョークが、彼の顔の真横に飛んで行った。
………挑発した訳じゃなかったんだけど、その後呼び出しを食らいました。
勘弁してよ、もう。
***
疑わしきは罰せよ。
ティーチャーは独裁主義に進んでいるようです。
そして女物の下着を手に取った彼の真意は何だったんでしょうね。
履いている想像をしてしまいました。
ゲイル氏に感じた不信。
アサシン・ティーチャーの眼が光る。
そろそろ、シリアスを脱したいと思いつつも、勝手にシリアス方向へとシフトして行く悪循環。
楽しい授業風景をそろそろ書きたいのです。
でも、シリアスも好きなんです。
誤字脱字乱文等失礼致します。




