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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、デビュタント編
179/179

171時間目 「課外授業〜赤信号セッション〜」

2019年01月23日初投稿。


難産でした。

遅くなりましたが、続編を投稿させていたきだます。


171話目です。

今後とも、当作品へのご愛顧をよろしくお願いいたします。


※前回初投稿の際に最後のチャプターを付け足し忘れて投稿してしまったので、改めて投稿いたします。

 ***




 自分自身の運の悪さが、これほどのものとは思ってもみなかった。


 突如始まった、三番勝負。

 令嬢方との、実質な直接対決なんてこと、ヴィオラ公爵夫人は、王家のお披露目パーティーでとんでもないことを宣言してくれた訳だ。

 こんな時に、何をやっているのか。という気持ちが先立ってしまう。

 はっきり言えば、苛立つ。


 逃げようにも外堀ががつがつと埋められていたこともあって、回避も出来ない現状が腹立たしい。


 これ、ヴィオラ公爵夫人じゃなかったら、騒乱罪でも適用されないんだろうか。

 いや、適用してほしい訳ではないまでも。


 頭上のハルが瀕死のようだ。(※笑いすぎによる)

 こんな時ばかりは、クーデターが起こってほしいと願うばかりである。


 ごめん、国王。

 オレも、自分の身が可愛いんだ。


「それでは、これよりピアノの裁定をさせていただきたますわ」


 ヴィオラ公爵夫人の号令の通り、三番勝負の第一回戦はピアノ。

 まぁ、最近現れた楽器とはいえ、ピアノを弾けるというだけで貴族令嬢としては極上のステータスとなる、そうだ。


 3人のご令嬢のうち、ゾーイティファニーの得意分野とのこと。


 隠れて苦い顔をしているのは、オレだけだろうか。


 涼しい顔して、他のご令嬢も内心焦ってるとか無いのかなぁ?と、気付かれない程度に周りを見てみる。

 だが、大して表情が変わった様子は見受けられない。

 当のゾーイティファニーは、優越感すらも滲ませた笑顔である。

 うむ、腹立つ。


 サロン内に備えられたピアノの前に移動する。


 ヴィオラ公爵夫人からゲイルだけでも逃せられないかと伺ってみるまでも、流石にそこまで油断はしてくれないようだ。

 ついでに言うと、オレも一緒に逃げられない。


 最終的に、ヴィズとヴィッキーさんも巻き込まれてしまっていた。

 こんな調子で、大丈夫なのか?


「………すまんな、義母上が…」

「………どうにかゲイルを逃がさないと、今日がアイツの命日になる」


 背後から歩み寄ってきたヴィズから耳打ちをされる。


 命日云々は、この状況では有り得そうな話だ。

 これまた小声で返したところで、


「アビゲイル様のお兄様とも、仲がよろしいのね」


 振り返って挑むような表情と声をかけて来たのは、シェリル。

 言葉にも、どこか挑戦的な色が浮いて、ニュアンスにも何か含みがありそうなものだった。


 はっきりと言えば、嫌味ったらしい声だった。


「仲がよろしいというか、それは義兄となりますし…」

「あらぁ、もう伴侶のつもりでいるのかしら?」


 …ああ、しまった。

 まだ、婚約しただけで決まっていた訳ではない設定のことが、念頭から抜け落ちていた。


 すかさず、ヴィズがフォローしてくれる。


「まぁ、私としても、慣れているアイ様が義妹になるのは吝かではございませんよ」

「あら、そんな…私達では、役不足と言うことでございまして?」

「ああ見えて、ゲイルは我が強い。

 手綱を握れるほどの強かさか、あるいはその我を曲げてでも愛せる令嬢ではなくては…」


 にこり、とヴィズが微笑んだ。

 その目が笑っていない。


 うっ、とその目に怯んだシェリルは、おそらく役不足ということになるのだろうな。


 勿論、ヴィズどころかヴァルト判定では、この中のどのご令嬢も勘弁してくれ、という話だったらしいが。


 おずおずと、視線を逸らしたシェリル。

 その背中を睨みつつ、ヴィッキーさんがさらにオレの耳元で囁く。


「騙されてはいけませんのよ?

 さすがはクローバー伯爵令嬢というべきか、純潔でも無いし…」

「えっ!?」


 それ、オレ聞いていい話!?


「調べたところ、歌劇公演の役者に入れ込んで、相当遊んでいらっしゃるそうよ?」


 ニタァ、とヴィッキーさんが笑った瞬間、オレも背筋が震えた。

 あ、これ怒ってる。

 ヴィッキーさんが怒ってる。静かな怒気と、うすら寒い気配が漂って来た。


「そんな女が公爵家に嫁ごうなんて…あろうことかゲイルの嫁になろうなんてねぇ…」


 うん、それはオレが同じ立場だったなら怒ると思う。


 というか、この場にいることからして、既に公爵家当主の嫁っていう立場しか狙っていない気もするが。

 隣のヴィッキーさんが怖くて、あんまり口を開けない。


 はてさて、


「さて、それでは、皆様ご静聴願いますわ」


 ヴィオラ侯爵夫人からの号令を受け、ピアノがご開帳された。

 よくよく見れば、新品同様だ。


「(えっ、これ…チューニングされてんの?大丈夫?)」


 こてり?と首を間宮のように首を傾げてしまった。


「これより、ここに揃った4名様にピアノを演奏していただきます。

 素晴らしい演奏を奏でてくだされば、盛大な拍手を」


 ちらほら、とサロン内から拍手が返ってくる。


 完全アウェイと言われれば、まさにそれだ。

 ご令嬢方はまだしも、オレはぽっと出の『予言の騎士』の妹なんて微妙な立場である。


 これまた、ちらとゲイルを見る。

 彼は真っ青な顔で、いかにも吐きそうだ。


 ………。


 ………あ、あれ?


「あ、あの…ヴィオラ侯爵夫人…?」

「どうかされまして、アイ様?

 無論、あなたも参加を逃げることは出来ませんの…」

「い、いえ、それではなく…ゲイル様のお顔の色が優れませんわ」


 ゲイル、マジで吐きそうなんじゃねぇ?


 ヒールを鳴らして、ゲイルの縛り上げられた椅子へと向かう。

 背後からヴィズとヴィッキーも付いて来た。


 おかげで、ヴィオラ公爵夫人が無理やり止めようとする動きは無かった。


「あら、点数稼ぎでしょうか?」

「アビゲイル様のお顔の色を伺ったりして…」

「これだから、卑しい産まれは…」


 通り過ぎざまに吐きかけられる嫌味や妬みの声。

 随分と、オレに向けて敵意を剥き出しにしているようだな。


 だが、


「貴賤を問う前に、今のあなた方の顔を鏡で一度ご覧になった方がよろしくてよ?」

「たまに出てくる化け魚(セイレーン)があんな顔をしていたかな?」


 その言葉への返答は、オレでは無く。

 オレの背後について歩いていたヴィッキーさんとヴィズ。


 窘めたかのような、その言葉。

 嗜めるなんて生易しい言葉が使われていたけれども。


 ………ヴィズ、流石にそれはかわいそうだと思うんだ。

 何がって、化け魚(セイレーン)が。


 閑話休題。


 たどり着いた先でのゲイルは案の定、青い顔で吐き気を堪えていた。

 縛り上げられて椅子に固定された腕は小刻みに震えている。


 ………あ〜あ、こいつも、トラウマ確定。

 ヴァルト達との確執は無くなっただろうけど、シチュエーションは完全にダメになってんな。

 オレと記憶を共有していることもあって、余計にだろうけど。


「…大丈夫です?」

「………すまないな、情けないところを見せて」


 縄に手をかけると、結構ギチギチに縛られていることに気付く。

 今の空気は例外として、殺伐としたサロン内でこの状況はこいつじゃなくても吐くと思う。


「まるで、醜悪な淫婦サキュバスのようだわ。

 ごめんなさいね、アイ様、巻き込んでしまって…」


 前半は令嬢達へ、後半はオレへ言葉を重ねた彼女。


 縄を解こうと手を出すと、その隣にヴィッキーさんが並んだ。

 その手には、縄が切れる筈もないまでも、食事用のナイフが握られていて苦笑を零してしまう。


 先ほどに比べて、ご令嬢達への怒りも燃え上がっている様子で、縄を解く手もいささか乱暴。

 そのまま、「あなたもこんなことに巻き込まれないように上手く立ち回りなさいな!」なんて、ゲイルの額を引っ叩いていた。


 ご無体。

 間宮の気持ちが、若干分かったかも。


「…すまん。

 とはいえ、あの母上の勢いから逃げられるなら、オレだっていつもそうしている!」

「逃げるのではなく、受け流す術も必要かもしれんな」


 なんて言いながら、ヴィズがゲイルに差し出したのは水の入ったグラス。

 青い顔をして、椅子から立ち上がるのにも難儀していたゲイルは、素直にそのグラスを受け取って勢いよく煽った。


 背後を振り返ると、ヴィオラ侯爵夫人がにっこりと笑っていた。

 その笑顔が怖い。


「勝手なことをされては、困りますのよ?アイ様」


 そんな彼女からの抗議は、分かっているつもりだ。

 先手を打つかのように、口火を切らせてもらった。


「ゲイル様も、歴戦の勇士でございますもの。

 王城とはいえ、参加者とはいえ、王国騎士団長がこのような無用な拘束を受けるなど言語道断では?」


 その言葉に、明らかにヴィオラ侯爵夫人の目が光った。

 剣呑な色が滲み出す。


 背後で、ヴィズとヴィッキーさんが息を呑む。


 周りの貴族達やご令嬢方は気付いていないだろう。

 些細な、それでいて濃厚な怒気が溢れ出ている。


 ………随分と器用な真似をされるようだ。


「………あら、まぁ。

 なにも襲撃など受ける筈もあるまいし、このような祝いの席で肩書きが大事かしら?」

「ええ、大事です。

 たとえ、それがゲイル様の母上であろうとも、無用に侵してはゲイル様の矜持に関わります」

「………アビィの矜持ですって?」


 彼女の、逆鱗に触れようとしている。

 それは分かった。


 嫌われても良い。

 今回限りの相手であるし、オレも腹は決めた。


 だが、この場でゲイルが拘束されたままという状況を回避しておきたかった。


 現に先ほど、ヴィオラ侯爵夫人の口から襲撃という過激な言葉が出た途端、反応した貴族家がちらほらと。

 釣りをしていたなら、大漁と笑ったかもしれん。


 今回、クーデターが虎視眈々と狙われているのは、もはや避けようが無い。

 なら、どれだけ最小限に抑え込めるかに、力を注ぐしかない。


「私の身1つで賄えることなら、いくらでも協力させていただきましょう?

 ですが、その間にゲイル様を無用に拘束する理由は無いのではありませんか?」


「…そ、それは、アビィが逃げるから…」

「逃げるからといって、捕まえるのです?

 侯爵夫人ともあろう方が、いささか乱暴な方法を取られるのですね」


 今度は、オレがにっこりと笑う。

 ヴィオラ侯爵夫人の隠れた額に、青筋が浮かんだのが確かに分かった。


「…先ほどから聞いていれば…」


 と、彼女が手元の扇子に力を込めた時。


「辞めんませんか、ヴィオラ侯爵夫人。

 仮にもウィンチェスター卿の婚約者、『予言の騎士』様の妹君でございますぞ?」


 流石に、不味いと感じたのか。

 その場に割って入ったのは、近衛騎士の姿をしたままのラングスタ。


 彼がオレを庇うとは思っていなかったので、少し驚いてしまう。

 そんな彼は甲冑から見える幻覚の朴訥とした顔を、苦虫でも噛み締めたかのような表情で歪めていたが。


「そ、それは…ですが…」


 この場にいる近衛騎士が誰か、ヴィオラ侯爵夫人も分かっているのか分かっていないのか。


 それでも、重ねようとした言葉を飲み込んだ様子が見て取れた。

 ほっと、息を吐く。


 ピアノの演奏云々よりも、腹芸の方が疲れるもんだよ。


「もしや…」


 背後で、ヴィズが勘付いたようだ。

 顔形は変わっても声が変わっていないらしいからな。


 冷気が溢れそうになったものの、一呼吸で霧散させたのは流石というべきか。


 振り返ると、ヴィズの肩にゲイルが手をかけていた。

 どうやら、ゲイルのその手のおかげだったようで、オレも一呼吸、胸を撫で下ろす。


「………すまない」


 当のゲイルは、オレに向けて苦い顔を向けていた。

 本当だよ。と言いそうになって、苦笑を浮かべつつ。


「いいえ、出しゃばってしまって申し訳ありませんわ」


 ゲイルが嫌がる、満面の笑みを向けてやった。

 曰く、裏があるのが分かりきっていて怖いらしい。


 引きつった顔をしたのはゲイルどころか、ヴィズも一緒であった。

 失敬な。


「でも、困りましたわ。

 きっと、ゲイル様の母君には嫌われてしまったでしょうね」


 なんて、大して困ってもいない顔で嘆息。


 この状況は、オレとしても不本意だ。

 これ以上掘り下げると、確実にSAN値がごりごり掘削される。


「お兄様に、良いお返事が出来なかったのは残念です」

「い、いや…良いお返事も何も、…んんっ!?」


 ゲイルがあたふたしているのを楽しんで見ていた矢先。


 彼が、痛みをこらえたような顔で背筋を伸ばした。

 見れば、ゲイルの背後に猫のような鋭い瞳を向けたご婦人が。


「この甲斐性なしの唐変木。

 仮にも女性に恥をかかせておいて、何を口答えしているのかしら?」


 ヴィッキーさんが、ゲイルのケツを抓っていたようだ。

 ………今日だけで、ゲイルはどれだけ唐変木と言われるのやら。


「………で、ですけど…!」

「良い加減になさってください。

 …あくまで王女殿下の晴れ舞台なのですから、このような騒ぎを起こされては困ります…」

「う、ぐぐぐぐぐ…っ」


 そんな背後では、一見なんの問題も無い夫婦喧嘩。

 口調が可笑しいと感じるのは、その全貌を知っているからこそであろうが、公爵夫人と近衛騎士でなければな、うん。

 身分違いの恋とか騒がれても、オレ知らね。


「しかし、こちらもここまでお膳立てした責任があるのです!!」


 しかし、近衛騎士ラングスタの必死の説得も虚しく、ヴィオラ公爵夫人は制止を振り切って戻ってきた。

 エキサイト続行のようだ。


 残された近衛騎士のなんとも言えない苦い顔が、そこはかとなく哀れ。

 思わず合掌していたオレ達は、悪く無いと思う。


 ………オレも嫁さん達の勢いに勝てないことの方が多いもの。


「さぁ、中断しておりましたが…」


 戻ってきた公爵夫人は何事もなかったかのように微笑んでいた。


 ちなみに、オレには一瞥もくれなかった。

 嫌われたようだ。

 まぁ、こうなるんじゃないかと、薄々感じていたけどねぇ。


「待ってくれ、母上!これ以上は、オレも付き合えんぞ…!?」

「逃げようというなら、もう一度拘束するまでよ、アビィ?」


 そんな中、ゲイルが抗議の声をあげる。

 礼節も何もかも吹っ飛んだ言葉遣いは、既に限界値が近い証左。


 なにがって、堪忍袋だろうけど。


「ああ、あなたと話していては、時間が勿体無いわ。

 さぁさ、まずはどなたから参りましょう?」

「…くっ、…母上…!」


 まだ何かを言おうとしたゲイルだったが、口を開閉するだけに留めた。

 青い顔をしているから、まだ吐き気が残っているのか。


 その背中を撫ですさると、ゲイルがまた小さく「すまない」と零す。

 泣きそうな声で、思わず笑ってしまった。


 本当に、この状況は頭が痛いものである。




 ***




 ——————………結果として。


「ピアノの演奏勝負は、ゾーイティファニー様の勝利ですわ」

「ご静聴、ありがとうございましたわ」


 ピアノの演奏勝負は、やはり無理があった。


 メロディラインだけは弾ける曲の中で選んで見たが、それでも本格的に弾けるかと言えば無理がある。

 伴奏の手がないんじゃ、強弱以外ではどうしようもない。

 もともと、天才ピアニストなんて肩書きがある訳でもあるまいし。


 ピアノはこの世界では一番金が掛かる楽器。

 令嬢として教養にピアノを組み込めるのは、貴族家でも一握りだけだろう。

 ゾーイティファニーの家、ミリオット侯爵家は成金といっても良い為、下地の問題もあるだろうな。


 実際、スカーレットは触ったことがなかったし、シェリルも触ったことがあっても形が整っている程度。

 勝負は最初から、ゾーイティファニーの独壇場である。


 恥をかいただけの現状、オレは早くも辟易としていた。

 頭痛が痛い。


「さて、続いての勝負は、歌をお願い致したく…」


 ヴィオラ公爵夫人の多少、機嫌が上向いた声にすら目眩を感じつつ。

 遠い目をしながら、窓の外へと視線を巡らせる。


 ああ、逃げてぇなぁ。

 クーデター問題とゲイルの許嫁問題が無ければ、真っ先に逃げ出したのになぁ。




 ***




「なんか、凄い話になってない?」

「うん、ヤバイねぇ」


 なんて、遠巻きに眺めているのは、先ほどアイちゃんこと銀次先生が巻き込まれたご令嬢方との三番勝負。


 ピアノやら歌やら、ダンスで勝負!なんて、昨今の漫画の中でもやらないような内容である。


 はっきり言って、公爵夫人とは思えないほどのいじめっ子という感想しか浮かばなかった。

 ゲイルさんが、わりかしまともで良かったと思った瞬間でもあった。


 正直、この不安定な会場内で、変なことしないでほしい。

 多分、オレも含めた他の面々の本音だろうに。


「(あ〜あ、先生も遠い目しちゃって…)」


 伴奏が無いとはいえ、メロディラインだけで結構イイ線行ってたというのは身内贔屓か。

 感想を言えば、単調過ぎて機械みたいだったけど、そんなところが先生らしいというかなんというか。

 あとで伝えようか、迷うところだ。


「歌の勝負って、何するんだろうね?」

「まぁ、生演奏の奏者が何人か移動してきたし、伴奏に合わせるんじゃないの?」


 その言葉どおり、公爵夫人が呼び寄せた奏者達が紹介される声が聞こえた。

 今更だけど、完全にハメに掛かっていたようにしか見えない。


 これは流石に、先生も可哀想だ。


「それって、先生には不利なんじゃ…」

「うん、不利。

 だって、この世界の歌なんて知らないもんね、先生」


 オレの言葉に、みずほが青い顔になった。

 その顔を見て苦笑をこぼしつつ、先生へと視線を向ける。

 だが、ここからでは背中しか見えない。


 どうするのだろう。

 この勝負も、やっぱり捨てるしかないかな?


「アイさんって、………歌えるのかな?」


 なんてそもそもの疑問を零したのは、河南だった。

 紀乃と顔を見合わせて、きょとんとしたまま首を傾げている。


「う、歌える、みたいだけど…」


 と、おずおずと答えたのは、意外なことにシャル。


 その場で囁き合っていた男子組が思わずポカンと口を開けて、オリビアと手を繋いで、はぐれないようにオレ達の足元に避難中である彼女を見た。


 ついでに、警戒心がマックスなのは仕方の無いことだ。

 先ほどまで、ロリペド子爵に追いかけ回されていたのである。

 永曽根と香神が目を光らせている為、まだ安心できるまでも未だに怖気が止まらないらしい。


 余談はさておき。


「アイちゃんが歌ってるところ、聞いたの?」


 先生が歌っているところなんて、オレ達でも見たことないけど?と、信じられない気持ちであった。


 半信半疑でシャルへと問いかける。


 シャルは、少し顔を赤らめながらおずおずと頷いた。

 あ、これ本当だ。


「うっそぉ…」

「う、嘘じゃないわよッ」

「あ、いや…疑ってる訳じゃないんだけど…」


 うん、オレ的には、驚いた意味合いでのニュアンス。


 他の面々も、同じような反応だった。

 シャルはふくれっ面になってしまったが、内容までは話してくれる気分ではなさそうだ。


 赤面される状況で歌うって、どんなことしたんだろうね、先生ってば?


 呑気なもので、公爵夫人は当たり前のように特等席へと移動した。

 その隣には、腕を抱かれたゲイルさん。

 逃亡阻止まで随分と、用意周到である。


「紀乃、音拾える?」

「うン、バッちリ」


 地獄耳きのに頼んで、そんな彼らの会話を拾わせて貰う。

 悪いけど、このままヴィオラ公爵夫人の好き勝手にさせておく訳にもいかないし。


 ————だから、こんな無駄な勝負をやめてくれと…!

 ————無駄とは何かしら?公爵家に嫁ぐというのに、基本的な教養すら無いなんてお断りだわ。


 その言葉に、ゲイルさんが苦い顔をしたのがはっきり見えた。


 まぁ、アイちゃんじゃない相手は、そんな教養があるとは思えないしね。

 鼻歌程度で歌っているのは何度か聞いたけど、ピアノもダンスも出来るようには到底見えない。


 ………ゲイルさんは気付いてないと思ってるけど、お相手に関してウチのクラスでも半分は気付いているからね?


 ————そもそも、あなたがしっかりと相手を選んでくれれば済んだ話ではないかしら?

 ————………選ぶなんて、言葉が嫌いなんだ。

 ————そんなことを言っていては、いつまで経っても孫の顔が見られないじゃない!

 ————ヴィズ兄様やヴィッキー姉様がいるじゃないか。

 ————それはそれ、これはこれです。


 会話の内容に、クスリと笑ってしまう。


 こうして聞くと、公爵夫人と騎士団長様とは思えない会話。


 ドラマの中や、近所で聞いたことのあるような掛け合いだ。

 同感だったのか、みずほと河南も一緒になって笑っていた。


 その時、奏者達の伴奏が始まった。

 どうやら、最初に歌うのはシェリルとか呼ばれた伯爵令嬢のようだ。


 ふとそこで、


 ————それに、勘違いなされないように。


 歌声に紛れて、漏れ聞こえてくる話し声。

 もちろん、音を拾っているのは紀乃であるが。


 ————あたくしだって、無駄にこんな勝負をしている訳ではありませんことよ?

 ————時間の無駄では無いのか?

 ————お黙りなさいな、唐変木。………甘く見ないでちょうだい。


 一瞬だけだ。

 空気が、変わった気がした。


 ————この場で、何かが起きようとしているのは分かっていますもの。


 ゲイルさんが、表情を消した。

 流石に立ち位置的に、ヴィオラ公爵夫人の顔は見えないまでも。


 先生もゲイルさんの表情の変化に気付いたのか、横目で彼女ヴィオラを確認しているのが見えた。


 ————あたくしとて、公爵家の女です。こんな息苦しく物々しい空気を、感じ取れない訳が無いでしょう?

 ————………ならば、何故?


 周りを囲んだ、腹に一物抱えた面子に悟られない為か。

 表情のないまま、ゲイルさんがヴィオラ公爵夫人へと問いかけた。


 ————時間を稼がなくてはならないのでしょう?


 そう言って、彼女は扇子を開いて口元を覆った。


 ————今は、雌伏の時。そういうことなら、今までも何度も経験しましたもの。


 口元を隠した彼女の視線は、鷹のようだった。

 獲物を見定めた、それ。


 ————あたくしが、何も気付いていないと誰もがそう思っている今が、絶好の機会なのです。

 ————………母上。


 ゲイルさんが、目線を少し逸らしたのが分かる。

 その視界の先には、伴奏者達の前に呼ばわれた、戸惑った様子の銀次先生(アイちゃん)


 ————きっと、ラングスタ様も気付いていないのでしょうね。


 公爵夫人が、口惜しそうに呟いた。

 それを、ゲイルさんは聞き逃したらしい。


 だが、この場にいる地獄耳きのには聞こえていた。

 聞いていいのかどうなのか。


 判断に迷いつつも、これも弟子としての仕事と割り切って。


 ————だからしっかりと対応出来るよう、この状況を利用なさい?

 あなたにとっては忌々しい状況であろうともね。


 なるほど、と思わず独り言ちた。

 納得、というよりは感嘆する。


 ヴィオラ公爵時夫人の言う通り、状況を利用することで分かりやすいこともある。


 今この馬鹿馬鹿しい状況で、三番勝負への参加者以外で無駄に緊張している奴ら。

 腹に一物、あるいはやましい感情があるに決まっている。


 見渡してみれば、案の定。

 囲みに参加しながら、虎視眈々と狙っているのが丸わかりな視線と気配だった。


 間宮じゃなくても、分かるものだ。


 ————巻き込んでいることは、申し訳ないとは思っているわ。

 ————………。

 ————けれど、アイ様も気付いてはいらっしゃるのなら、この状況を利用出来るだけの胆力を持っていていただけないと、ね?


 そう言って、唇を噛み締めたヴィオラ公爵夫人。


 強かな、その立ち居振る舞い。

 だが、その扇子を握る手は、微かに震えているのが見えた。


 ………これが、公爵夫人ってことなんだろうね。

 魑魅魍魎、跳梁跋扈の貴族達の中で生きてきた証。


 オレ達ひよっこには、まだまだ逆立ちしたって無理な芸当だろうけど。


 なるほど。

 先生の仮婚約について、見定めも兼ねてってこともあるんだろう。


 恐れ入る限りだった。

 甘く見ていたのは、否定出来なかった。


 やっぱり、オレ達も半人前ってことなんだろうね。


 とはいえ、


 ————勿論、あなたの伴侶を見定める口実はありますけれど…。

 ————………それを聞きたくなかった。


 結局、その言葉で何もかもが台無しになった気がする。

 ちょっと笑ってしまった。




 ***




 屋根と屋根の間を飛び越える。

 あるいは、迂回をする。


 かなりの無理をしながらもソフィアは走った。


 目指すは、『異世界クラス』のその校舎。

 着替えの為に、ルーチェの屋敷に行き、制服はそのまま彼女の邸宅に預けてきてしまっている。

 まっすぐ向かったところで、中に入る手段は限られている。

 ルーチェの家とて、男爵家とはいえ貴族家だ。

 門番がいたのは、記憶にある。

 おそらく先ほどの門番との押し問答と同じ結果になるだろう。


「(………っていうか、行きも帰りも馬車だったから知らないし〜〜〜…ッ!!)」


 そもそも、ソフィアはルーチェの屋敷の道順を覚えていない。

 これまた、迂闊なことである。


 彼女は、道を覚えるのは苦手な部類だった。

 それを除いたとしても、馬車での移動が主だったので、もとより道の把握は無理だっただろうが。


 ならば、そんな当てずっぽうや、迂遠な回り道よりも確かな方法を使うのみだ。


 流石に、彼女とて既にダドルアード王国での生活は半年にもなった。

『異世界クラス』校舎までの道のりならば、屋根の上から方角を割り出すことさえ出来れば辿り着ける。


『異世界クラス』には制服もあり、自分を証明できる。

 そして、なによりもパーティー会場で何かあった時の為の助っ人が、あの校舎にはいるのだ。


「(ソーマさんがどこまで出来るかは、正直半信半疑だけど、悔しいけどヘンデルならSランク冒険者だけあって少しは頼りになるし…!

 ああ本当に、悔しいけどね!あの女泣かせ!

 飛鳥っちが許してなかったら、本当にミンチにしてたはずだけど!)」


 ヘンデルの株は、未だに低いらしい。


 杉坂姉妹の間限定かもしれないまでも。


 ————………それに、あの新しい指南役の柳陸ゆうりくさん。


「(あの人、先生よりも強いし!

 よくわかんないけど…)」


 彼女達も、何度か手合わせをさせてもらった。

 だから、ある程度は分かる。

 力量だけではなく、根本的な人物像が薄ぼんやりとではあるが、分かるつもりだ。


 彼からは、悪意など感じない。

 それこそ、微塵も無い。


「(最初見た時、ヤバい目をした人が来たって思ってたけど、なんか事情があって先生のことめちゃくちゃ気にしてるって感じだし!

 それ以外は、事務的だけど、基本は優しいんだよね…)」


 などと、脳内で彼の指南役を思い返すソフィア。


 授業中だったり、訓練中だったり。

 彼は、銀次を振り回すような素振りで、神出鬼没だった。


 しかし、なんだか邪魔をしている感じはしない。

 銀次も、そこは分かっているのだろう。

 女の体で男として接している矛盾以外は、探られてもある程度は答えている。

 多分貞操観念の問題で、意地でも女体化のことは言わないだろう。


 だが、それ以外は打ち解けているように見える。


 まるで、思春期の中高生相手の、叔父さんの反応のような。

 そんな感じ。


 そう考えて、ソフィアはふと唇が歪むのを感じた。

 悪い意味ではなく。

 良い意味で。


 自然と口角が上がったのだ。


「(うわぁ、まんまじゃん。

 そういえば、そんな感じだよね、あの2人…)」


 可愛がり方がわからない柳陸おじさんと、反応に困る銀次おいっこ


 想像してみると、存外しっくりとハマってしまった。

 このような状況でなければ、ケラケラと笑っていたかもしれない。


 孤独なのだ、銀次は。

 家族を知らないのだろうことが、見ていて分かる。


 だからこそ、そうであって欲しいという願望もあったのかもしれない。


「(————………まぁ、そんなこと有り得ないんだけどね)」


 浮かんだほのぼのしい、ホームドラマを頭を振って打ち消す。


 屋根の終わりが見えたと同時。

 丁度良い位置を見極めて踏み切る。


『風』の補助で落下スピードを抑えつつ、着地。

 勿論、捲れ上がるスカートを抑えるのも忘れないのが、淑女の嗜みである。


 とはいえ、


「………何をしておられるので?」

「なぜ、屋根から…?」


 校舎前の門番には、流石に驚かれてしまうが。


 本日の校舎守衛担当のマシューが呆れながらソフィアに問いかける。

 相棒となりつつあるアンソニーは屋根を仰いで大口を開けていた。


「ごめん、細かい説明は後!」


 そう言って、ソフィアは校舎へと一目散に駆け込んだ。

 門番に止められるなんてことも無い。

 顔パスだ。

 一直線だ。


「わっ、ど、どしたの?ソフィアちゃん」

「わぁ!ソフィアちゃん、綺麗!」

「ありがと!」


 ソフィアは返事もおざなりに、ダイニングを横切り階段を駆け上がる。

 中は、赤ん坊の大合唱であった。

 銀次がいなくて良かったね、と内心苦笑い。


 自身達の部屋に急いで駆け込むと、予備の制服を引っ掴む。


 そこで、はたと気付く。


「(あれ?これ、必要?っつか、邪魔じゃない?)」


 門番に追い返されて、意地になっていた。

 だが、思い返せば必要なのはこれでは無い気がしてきたのだ。


 会場で、何かが起ころうとしている。

 それは確かなのだ。


 それが何か、と言われるとはっきりとは彼女も言えない。

 だが、悪い事が起こりそうな予感はしていた。

 取り越し苦労なら、それでも良い。

 だが、杞憂では終わらないと、何故か確信めいたものがあった。


「(だって、貴族の私兵が武器か何か運び込んでたって…普通、危ない事の前兆じゃない?

 そもそも、王城の中を普通に貴族の私兵が歩けてるあたりでおかしいじゃん)」


 だから、浅沼も確かめに行ったのだ。

 ソフィアはそれを、仲間に伝える為に別れた。


 それが、結局このような形で遠回りになったとしても。


 だが、確かにあの時、嫌な予感がしていた。

 今も、それは変わっていない。


 それならば、


「(助っ人連れてった方が、早くない?)」


 事が起きていた時のことを考える。


 これがただの私怨や報復行動だったのなら。

 それが貴族家ならば良い。

 少々薄情かもしれないが、『異世界クラス』に関係が無いなら、それで良い。

 逃げれば良いのだから。


 しかし、今回は王家でのお披露目パーティーだ。

 そんな中、事を起こそうと言うのなら、それ相応の地位の貴族家が関わる可能性がある。

 加害者か、被害者か。

 どちらにしても、渦中に巻き込まれてしまえばそれまで。

 王家を守る為に、『異世界クラス』ひいては『予言の騎士』として、銀次は引き下がらないだろう。


 その時、もしも万が一に王家を人質に取られでもすれば。


 立場は理解している。

 王家の賓客として、貴族家からいくらか恨みを買っているのは知っている。

 これ幸いと、貴族家が攻撃を仕掛けてくるかもしれない。

 ぞっとしない。

 脳裏に過った最悪の情景に、ソフィアは身震いをした。


 もし何も無ければ良し。

 先ほどのパルクールで、こちらが本物であることは門番も気付いただろう。


 それなら、それで好都合。

 そのまま会場まで案内してもらえば良い。

 助っ人には申し訳ないが、そのまま参加してもらえば良いのかもしれない。


 だが、やはり万が一を考える。

 ソフィアは、今さっき手に取ったばかりの制服を、ベッドへと投げ捨てた。


「ごめん結那っち!

 ソーマさんか柳陸さんは!?」

「えっ、う、裏庭かな?

 って、ソフィアちゃん裸足じゃないっ!?」

「お、オイッ、デカイ声出すなって!」


 今来たばかりの階段を駆け下りて、ダイニングへと駆け込んだ。

 大合唱中の赤ん坊達の泣き声がせっかく下火になっていたのに、火に油を注ぐ形になってしまった。

 申し訳なく思うが、それは飛鳥にだけであった。

 視界の端に入ったしっちゃかめっちゃかになっているヘンデルには目もくれず、裏庭に通じるキッチンの勝手口へと向かう。


 先ほどまで、宛にしていたヘンデルではダメかもしれない。

 彼は冒険者だ。

 王城のパーティーに参加する肩書きが少し足りない。


 冷静に考えれば、ソフィアとてそれぐらいは頭が回る。


 ソーマはまだ大丈夫だろう。


 彼は『異世界クラス』の護衛役としても騎士団と兼ね合いをしている。

 彼が混じったところで、立場的に咎められることは無い。


 柳陸については、少々判断が難しい。

 指南役という肩書きが、王城でどれだけ通じるだろうか。

 とはいえ、この中で最も強いのは誰かと聞かれれば、間違いなく柳陸であると言える。


 裏庭へと飛び出したソフィア。

 裸足の足裏に当たる芝生の感触。

 若干爽快な気分を覚えながら、目当ての人間を探す。


 裏庭の片隅で、まるで機械のように淡々と型をなぞっている男性が1人。

 くすんだ黒髪の偉丈夫、ソーマである。


「ソーマさん!」

「あい?

 ………いやぁ、見違えましたなぁ、ソフィアはん」

「ありがと!

 それよりも、ちょっと聞いて欲しい事があって!」

「はいな、俺で良ければ聞きますよって」


 見た目に半して、ソーマは基本的に穏やかな人間だ。

 銀次の生徒、ということだけで『異世界クラス』のクラスメート達のことも良く立ててくれる。

 今も、鍛錬を中断してくれた。


 しかも、ドレス姿に関しても、賞賛までしてくれるとはなんて紳士だろう。

 にやけそうな表情を引き締めつつ、ソフィアが駆け寄った。


「なんか、王宮の様子がおかしいの」

「………王宮の様子、ですか?」


 小首を傾げた彼に、ソフィアは首肯を返す。


「貴族の私兵がいたの!

 金属系の何かを運び込んでたみたいだし…なんか、きな臭いっていうか…」

「それと言いますと、………武器ってことでしょうか?」

「わからないの。

 大輔が確認に行ってくれたんだけど、あたしは別行動になったし…」


 そう言って、自身の姿を見下ろす。

 どうして、こんな時ばかりはドレスなのだろうか、と。


 心細い。

 心許ない。


 彼が心配で仕方なかった。

 一緒に行けば良かったと思っても、もう遅い。


「きな臭い言うのは、空気のことでええです?」

「………うん、確証は無いんだけど…」

「さよですか。

 そんなら、俺も一緒に王宮戻りますよって」


 俯いていたソフィアが、少し驚いて顔を上げる。


 190センチを超えるソーマは、平均よりも多少身長があるソフィアでも見上げる程。

 見上げた先の彼は、困ったように笑っていた。


「そんな顔じゃ、折角のおめかしも台無しでしょうや?

 なんちゃーないですよ」


 慣れてはいないのだろう。

 だが、ソーマは当然のように微笑みかけた。

 元気付ける為、彼女の頭も撫でる。


 ソフィアは、そんな彼の不器用ながらの優しい仕草に素直にこくりと頷いた。


 ………言っていることはわからないが。


「ありがとう、ソーマさん。

 ………あっ、あと、柳陸ゆうりくさんは?」


 落ち込んでいた気分も晴れたところで、当初の目的を思い出す。


 ソフィアは、きょろきょろと周りを見渡した。

 ダイニングには柳陸の姿が見えなかった。

 朝のルーチンの時には出勤を確認しているのだが。

 ついでに、『天龍宮』から付いて来たという、飛龍の妖精・叢金そうきんもいなかったので、おそらく一緒に行動していると思われた。


「ああ、そんなら確か散歩に行く言うて…」

「あ〜んもうっ!

 こう言う時に限って、行方が分からないとか…!」


 今現在は、不在。


 ソフィアは若干理不尽ながらも苛立った。

 いらない時には、居る癖に、と。


 実は、柳陸のことを杉坂姉妹は苦手としていた。


 やはり第一印象の、ヤバイ目の人間というのがネックだったか。

 ついでに、ヤバイ種族である『天龍族』への偏見も含まれる。


 さて、閑話休題そんなことよりも


「け、結局、何があったので?」

「ああっごめん、ちょっと立て込んだ事情があって…」


 先ほど簡潔に言葉を交わしただけの校舎の警護達も裏庭へとやって来た。


 かくかくしかじか。

 ソーマと同じ説明を繰り返す。


 彼らも、事情を察知してかピリリとした緊張感を滲ませた。


「では、我々が共に、王城へ」

「我らは人手を割いて、叢金様と柳陸様をご捜索に上がりましょう」

「校舎の護衛は大丈夫?」

「ええ、騎士団長がいないということで、本日は2部隊での護衛に切り替えておりましたので…」


 王城への同行は、マシュー部隊の4名。

 警護担当として残るのはアンソニーの部隊とマシュー部隊の残り4名。

 叢金達の捜索も、アンソニーの部隊から派遣されることとなった。


 マシューの言葉通り、本日の警護はいつもよりも数が多い。

 若干、多すぎるきらいもあった。

 甲冑姿の彼らも、苦笑を零していた。

 好都合ではある。

 これならば、分担しても支障は無いだろう。


「武器持ってくるね!」


 ソフィアが善は急げと、走り出す。

 その言葉を聞きつつ、同行予定のマシューが口元を引きつらせた。


 彼女の武器が何かを知っているからである。


「あれ?どしたん?」

「…あ、いや…いいえ、なんでも…」


 槌矛メイスを片手に持ったドレスの令嬢。

 かなり視覚の暴力である。


 絶句した騎士達にソフィアは不思議顔だった。

 ソーマはのほほんと笑うだけである。


 そんな中、


「おやおや、これはこれは。

 天上の御使いが迷子になってしまったかな?」

『いやはや、可愛らしいものだのう?』


 そこには、飛龍の妖精を肩に乗せた、フード姿の偉丈夫が。

 叢金と柳陸だ。


 表へと彼女達が足を進めたところで、彼らは散歩を終えて戻って来たらしい。

 吃驚した表情で、ソフィアが固まる。


 今日のソフィアは、運が良いのか悪いのか。

 クーデターが控えている時点で、マイナスに振り切れているだろうが。


「確保!!」


 それが、咄嗟に出て来た言葉だった。


「おやおや、熱烈な歓迎よなぁ!」

『何かあったかのう?』

「すんまへん!

 かくかくしかじかですって!」


 真っ先に動き出したのは、ソーマである。

 柳陸の懐へと一足跳びに飛び込んだ。


 しかし、


「おろおおおおお!?」


 手が触れる寸前で、柳陸はその手を然も当然とばかりに払った。

 ついでに、足も。


 哀れ。

 身長190を超える長身が宙を舞った。


 その場で、ソフィアですらも呆然だ。

 騎士団は、走り出そうとした格好のまま凍結フリーズした。


「なんぞ、唐突に襲い掛かられても男相手は喜べぬよ」


 そうして、何故かその場で構える柳陸。


「さて、時間を持て余していたところだ。

 女神か天使か、女の取り合いも戦の花よ」

『………いや、そういうことでは無いと思うのだがなぁ?』


 見据えたのは、先ほど吹き飛ばしたソーマである。

 叢金は呆れ気味に、いそいそと柳陸のフードの中へと潜り込んだ。


 対するソーマは小首を傾げた。

 石畳に投げ飛ばされた格好のまま。


 はて、何の話だろうか?

 皆目見当が付かなかった。


 しかし、深くは考えないまま、ネックスプリングで立ち上がる。

 その目には、いつの間にか獰猛な肉食獣の如き好戦的な光があった。


 吹き飛ばされて、頭でもぶつけたのか。

 正気を疑った。

 誰でもなく、その場にいた、まともな人間は例外なく。


 ————立て込んで居る時に、こいつらは何をやっているのか?と。


 脳筋か。

 脳筋なのか?

 そもそも、襲い掛かられて撃退してからの一連の流れがよく分からん。

 ソフィアの取り合い?

 可笑しいだろう。


 その言葉は、何故か校舎の目の前で組手を始めた彼らの騒音に掻き消された。

 ソーマが駆ける。

 柳陸が吹っ飛ばす。

 転がす。

 それでも、ソーマが駆ける。

 痛そうな音と共に、石畳に投げ飛ばされる。

 だが、止まらない。

 何故か止まらない。


 —————………あ、これどうしようもないやつだ。


 ソフィアが、遠い目をしたのは間違いではない。

 どうしようもない。


 その後、見かねた騎士達が参戦しても終わらなかった。

 むしろ、大乱闘になった。

 収拾不可能である。


 ようやっと事態が収拾出来る頃には、30分以上が経過していた。


 満身創痍ぼろぞうきんとなったソーマと騎士達を貼り付けて、柳陸は能天気に呵々大笑。


「はて、何故このようなことになっているのやら?」

「本当にねッ!!」


 真っ先に我に返ったソフィアの無情な叫び。

 蒼天の空に、響き渡る。


 王城での門番との押し問答で30分。

 校舎前での大乱闘に約30分。

 どんなに少なく見積もっても、1時間以上が経過してしまっていた。


 理不尽極まりない。

 世知辛い。


 ただし、この場合。

 実は、一番の戦犯はソフィアであった。


 なにせ、事情をちゃんと説明しておけば良かっただけなのだから。


 そうすれば、柳陸がソーマを投げ飛ばすこともなかった。

 そもそも、ソーマが飛び込んで行くこともなかった。

 咄嗟にかけた「確保」という言葉も悪かった。


 だが、それは誰も言わない。

 誰も気付いていない。


 だって、この場に集まって居るのは一部をのぞいて、脳筋ばかりだったからだ。




 ***




 伴奏者に促されるままに、楽譜を見せられる。

 けれども、残念ながら全く想像が出来ない音符の羅列を見せられては、お手上げである。


 この世界での、メジャーな曲が分からない。

 それこそ、子どもから大人まで知っているような曲すら、オレ達には素養が無いのだから当然のこと。


 ふぅ、と溜息半分、苦笑を零して伴奏者には謝罪をして下がってもらった。


 ちらりと見たゲイルは、ヴィオラ公爵夫人と何やら真剣に話し込んでいるようだ。

 やっぱり、今回も救援は見込めない。

 ヴィズやヴィッキーさんも見てみるけど、彼らも合掌をしているのみだ。


 うん、無理だよね。

 ヴィズもヴィッキーさんも、貴族としての挨拶とかの教養は受けても、音楽とかダンスの教養は必要最低限だったって聞いているから。


 仕方なしに、アカペラでの歌唱へと舵を切る。

 覚悟を決めた。

 なんて羞恥プレイ。


 明日から出立までの5日間、ゲイルは下僕にしてくれる。


 と、これまた溜息半分に、意識を切り替えた時だった。


「あ、あの…!先せ…っアイちゃん、この世界の曲とか知らないはずなんですけど…!」


 駆け込んできたのは、伊野田。

 その場の誰よりも小さな見た目の少女然りとした彼女が乱入してきた時、ご令嬢方も驚きに目を丸めていた。


 オレは、どちらかといえば、そんな彼女の手に引かれて来た2人が気になったが。

 何やってんの、永曽根に香神?

 お前ら仮にも間宮を欠いた今の『異世界クラス』の主力の一部なんだから、包囲抜けておいてもらわないとクーデターの時に大変じゃんか。


 思わず、口元が引き攣った。

 ちなみに、ゲイルも同じような表情をしていたが。


「あらあら、可愛らしいお嬢さんだこと」

「ご挨拶に遅れまして…『異世界クラス』の教え子である、みずほ 伊野田と申します」


 ヴィオラ公爵夫人が、伊野田の姿を見咎めて様相を崩す。

 子どもは無条件で女性の庇護対象になるのは、この世界でも同じらしい。


「可愛い…」


 と、どこからか聞こえて来た無意識らしい呟き。

 それには、オレも大きく頷いてやれる。

 ウチの伊野田は可愛い。


 辞儀カーツェーも堂に入って、ヴィオラ公爵夫人どころか包囲に参加している貴族家からすらも、感嘆の声が漏れた。


「あなたも、『異世界クラス』の生徒様なのですね?

 それは分かりましたが、………それで何故こちらに?」


 公爵夫人からの問いかけに、伊野田はゆっくりと頷いた。

 アップにまとめた髪の花飾りが、ふわりと揺れる。


「今回の三番勝負、あたし達にも参加させていただけませんか!?」

「…と、言いますと…?」


 ヴィオラ公爵夫人と、ご令嬢達の視線が若干尖る。

 それを気付いた様子もなく、伊野田はこれまたふんわりと笑った。


「さっきも言った通り、アイちゃんは勿論私達も、この世界の歌とか曲知らないんです。

 なのに、この世界のご令嬢様方と勝負なんて、少しアンフェアだと思いませんか?」


 堂々と言い切った伊野田に、ヴィオラ公爵夫人が言葉を詰まらせた。

 勝負とはいえ、アンフェア云々は流石の彼女も気にしていたようだ。


 ゲイルが隠れてサムズアップを送っているのを見て、苦笑が浮かぶ。


 ただし、その後に伊野田や永曽根達の後から、河南や紀乃、エマ、シャル、果ては榊原まで包囲の中に入って来てしまったことで、血の気が引いていたのもゲイルだったが。


「今回の勝負だけ、私達に参加をさせてください。

 なにも、一緒に歌う訳じゃないんですけど…伴奏の方に少しだけ変わってもらうこと、出来ませんか?」


 そう言って、彼女が目を向けたのは伴奏者達だった。

 正確には、不思議そうな顔でお互いを見合わせている彼らの手にある楽器を、伊野田はまっすぐに見つめていた。


「アイちゃん、手伝わせてもらっても良い?」


 ヴィオラ公爵夫人からの許可がもらわなくても、とばかりにオレの足元まで駆けて来た彼女。

 ふんわりとしたドレスの裾と背中のリボンが揺れる。


「…可憐だ」

「…妖精だ」

「…超可愛い、オレの嫁」


 無意識下の呟きが、更に溢れる。

 最後の一言は確実に、我が二番弟子だろうが…。


「えへへ、アイちゃん!」

「わ…っあ…!」


 そのままの勢いで、オレの腰に抱きついて来たのはきっとわざとなのだろう。

 受け止めて、よろけるふりをして耳を近付ければ、


「(さっきから、会場サロンの外側に、人が集まって来てるそうです。

 紀乃くんが耳で複数人の話し声を聞いてるから、間違いないらしいので…)」

「(………分かった)」


 案の定、伊野田からの報告は、オレが察知出来ない外の現状。


 いよいよ、クーデターが秒読みに入ったと考えて良いだろう。


 だからこそ、生徒達も包囲から抜けておくのが無駄、と悟ったらしい。


 外からの襲撃があれば、逆に包囲の中にいた方が危険は少ないだろう。

 包囲の中にいる味方の貴族家を巻き込む訳にはいかない筈だ。


 ゲイルへと視線を向けて、目礼だけでこの現状に問題が無いことを知らせた。


 むしろ、彼女達の行動は、状況を良く判断した結果である。

 彼は未だに青い顔ながら、それでも不承不承と頷いた。


「あらまぁ、…ということは、生徒様方が腕前をご披露くださるということでよろしいのでしょうか?」

「はいっ、本職の方達に比べては、劣るかと思いますが…」


 ヴィオラ公爵夫人が、今回ばかりは素直に小首を傾げた様子。

 その様子をみつつも、伊野田はにっこりと微笑を浮かべた。


 そんな彼女の自信の源は、オレにもなんとなく分かる。


 実は伊野田、3歳から中学までピアノを習っていた。

 腕までが錆びついていないのは、最近のダンスレッスンでピアノを弾いていたから分かる。


 だが、その他がちょっと分からない。


 そこに、永曽根と香神を連れてくる理由は?


「ん〜…っと、先せ…アイは気付いていると思ってたんだが?」

「あー、でも実際、アイちゃんは寮でも距離離れてたから気付かなかったか?」


 ………一体、何の話?


 意味がよく分からない為に、小首を傾げてみた。

 改めて近づいて来た榊原が、伊野田と同じくにっこりと笑う。


「何って、バンドの話だけど?

 オレ達、寮の防音室でたまに弾いてたの、てっきり知ってると思ってた」

「えっ…?」


 ………まずい。

 それは、知らなかった。


 オレの表情から、面々が驚いた表情をしていた。

 監督役の教師が、知らなかったという事実が発覚したからな。


 今まで、行動把握をしていた、というのにだ。


 この反応、おそらく生徒達はほぼ知っていたのだろう。

 きっと、この世界に来て、そんな暇すら無かったから言い出さなかっただけの話。


 そうは言っても、結構ショックを受けている自分がいた。


 そんなオレの戸惑いを知ってか知らずか、永曽根や香神、榊原は悠々と奏者達へと楽器の借り受けを頼んでいる。

 それぞれ、エレキギターとベース、ドラムらしい。

 えーっと、この世界では違うから、すこしばかり音慣らしはしなければならないだろうが。


 斯くいう伊野田はオレの手を引いて、ピアノの前へ。


「さっき聞いてたけど、チューニングは大丈夫みたいですよね?」

「えっ…あ、うん」

「………アイちゃん、大丈夫?」


 大丈夫かと聞かれると、心許ないのが本音である。

 なにせ、こんな大人数の前で歌唱したことなんて、ただの一度も無かったのだから。


 普通の中高生並みの生活をしていた人間なら、そう言う学校行事とかコンクールとかで経験はあるかもしれないまでも。

 オレは、残念ながら普通とはかけ離れた生活をして来た、裏社会人アンダー筆頭であると自負している。

 悲しいかな、鍛え上げた胆力もこのような場所での発表などには向かないのだ。

 うん、ぶっちゃけ言って、かなりビビってます。


 ………そんなオレの様子を見て、にこにこ笑顔の榊原は後で裏来いや。


「だと、思った」


 そして、オレの腰元から聞こえた伊野田の、少々嬉しそうな響きを持った声音。

 思わず、苦い顔をしてしまいそうになるのを引き締めた。


「だから、私達も一緒に恥をかいてあげましょうね」

「…はっ?」


 ところが、次に続いた言葉に、先ほどの労力は水の泡。

 間抜けな表情を見せていることだろう。そんなオレを見上げて、彼女は相も変わらず微笑ましい、妖精のような笑顔で笑うのだ。


「ほら、よく言うでしょ?

 赤信号、みんなで渡れば、怖くないって」


 ………。


 ………。


 ………それ、免罪符。


「ふふ…っ、あはは!」


 思わずと言った形で、つい笑ってしまった。

 かろうじて、女としての体裁は守れたと思うが、銀次オレとしてのささやかな抵抗は無駄だったと思う。


 普通に、ごく自然に。

 そんな風に笑うことを、オレが出来るようになっているとは思わなかったからな。


 現に、生徒達がオレをぽかんとした顔で見つめていた。

 驚かれるのも、無理はない。

 笑えばNGだと言われてここ数ヶ月、恐怖の魔王降臨なんてことまで言われていたのだから、こうして普通に笑えるなんて生徒達どころかオレでも思っていなかった。


 うん、本当。

 最近は、更に忙しさと頭の痛い事例が立て込んでいたこともあったからな。


「本当、大した度胸ですね、皆さん」

「…えへへ、アイちゃんには負けると思うけどね」


 先ほどまでとはまた違う、伊野田の満面の笑み。

 そんな伊野田の言葉を皮切りに、永曽根達も笑顔を零して、


「そーいうこったから、オレ達も付き合わせてくれや?」

「まぁ、バンド結成した時のための、予行練習にもなるよなぁってことで…」

「あは〜、このままアイちゃん、ヴォーカルになって見る気なぁい?」

「キーボードの枠は、譲りませんけど!」

「くすくす、考えておきますわ」


 そんな言葉をかけてくるものだから、ますます笑ってしまう。

 キャラが崩れるのも甚だしいものだが、今更なことだと考え直して更に苦笑。


 とりあえず、榊原は調子に乗らないように。


「あれは、どのように…」

「あんなデタラメな配置は見たことも聞いたことも無いぞ?」

「所詮、市井の…」


 着々と音合わせが進み、更に言えば永曽根がバンドの要であるドラム(※パーカスの楽器をいくつか配置し直しただけの簡単なもの)準備を整えていく。

 オレも、伊野田のピアノの音に合わせて、声出しを少し行う。


 驚いたことに、永曽根がキック・ペダルまでも準備しているとは思っても見なかったけどね。

 それをどこから調達したのか、オレが聞きたい。

(※『闇』魔法での滅茶苦茶運用方法を使っていたことをオレはまだ知らない)


 緊張するのは変わりないまでも、先ほどまでの目眩すら感じていたプレッシャーからは解放された。


 ………すごいよなぁ、ウチの生徒達。

 なんか、こう………、オレが指示しなくても、あるいは指示が出来なくても、ある程度動いてくれるようになってくれて。

 最初の頃、自主性が無いだの云々言っていた時期が、嘘のようだ。


 立ち位置を確認して、ヴィオラ公爵夫人へと目礼。


「…それでは、ご静聴のほどよろしくお願い致します」


 彼女の声が通り、ざわついていた貴族家が多少静かになる。

 歌唱を得意分野としているシェリルの生家、クローバー伯爵家が配置したサクラもいるのか、多少と言う表現にとどまった。


 とはいえ、これぐらいならば大して問題ではない。

 これから、永曽根がバカスカとうるさくするんだからね。

 オレは、それに負けないように、頑張るしかあるまい。


 永曽根が、ドラムのスティックを叩いてカウント。


 チョイスした曲は、現代ではアコースティックバンドとして有名なアーティストの代表曲。

 彼女達のセレクトの中でオレが分かるものに限定されていたが、意外と趣味が合うものである。


 ピアノの伴奏からスタートし、ギターの高音と低音で分けた香神と榊原が一斉に音階を弾き出す。


 ざわり、と会場内の空気が変わった。


 更にそこへ、駄目押しのように永曽根が、叩き込んでいく即席ドラム。

 音の奔流がサロン内を駆け抜けた。


 ああ、若干、先ほどの言葉を訂正させて欲しい。

 赤信号云々も彼らと共になら、なんてこと考えていたオレだが、なめてかかっていたのだろう。


 お前ら、絶対このままプロでも食っていけるよ!

 そんなの奴らのセッションに、歌の素人とも言えるオレを混ぜるんじゃねぇよ!!


 食われて食われて、散々だった。

 何がって、オレがだけど!?

 素人なんだから、いくら鍛えた肺活量でも声が通らないわ。


 っつか、伊野田の速弾きがもはや、芸術な件。

 そっちにほとんど注目が言ってて、もはや歌唱の採点どころの話じゃなかっただろうね。


 ここまで、こいつらの動向監視を怠っていたことを、悔しく思ったことなど無かった。

 まぁ、あの校舎は既に、抜け殻のようなもの。

 もう、そんな監視の仕事なんて、2度と有り得ないのだろうけども。


 とりあえず余談ではあるが、この日新たな音楽の先駆けが出来た、と追記しておく。




 ***




「ま…や…っ!

 まみ…!!」


 遠のいていた意識が、ふわふわと焦点を合わせずに、しかしゆっくりと戻ってくる。


「…だい…ょ…ぶ…っ?」


 かけられる声音。

 その声が、段々と鮮明となって耳朶を打つ。


「しっかりしてよ、間宮!」


 呼ばれているのは、オレ。

 オレの名前。


 叱咤の声とともに、しっかりその呼びかけが判別できるようになった途端、今まで彷徨っていた意識が鮮明になった。


「………っ!!」

「大丈夫かい、間宮!?」


 目が覚めたと同時に、跳ね起きる。

 実際には上半身だけを起こすだけの情けない格好となった。


 それでも、覚醒には間違い無く。


「(…ここは…、いや、オレは…!)」


 頭の痛みに、思わず引きつった呼気。

 顎から滴ったのは、間違いなくオレの頭部からの出血だろう。


「大丈夫?」


 視線を上げて、呼びかけていた人物を確認する。


 浅沼だった。

 今にも泣きそうな困りきった情けない顔で、オレを見下ろしていた。


「(お前こそ、突然消えたから驚いただろうに…)」

「ごめん、オレも間宮と同じような感じだったらしくて…イタッ!?」


 そういいつつ、頭の後ろを掻いた、行方不明となっていたクラスメートは、自分で傷口をこすったのか今度は情けない悲鳴をあげた。


 同じような状況と言われ、結局自分も同じく情けないと断じたのがなんともしょっぱいが。


 周りを見渡してみる。

 場所は、おそらく自分が足を踏み入れたはずの、遺品管理室。

 先に見つける羽目になった木箱の中には、未だに気絶した隠密達が犇いている。

 だが、何名かは気が付いているようで仲間の安否を確認していた。


 おそらく、浅沼もあの中に紛れていたのかもしれない。

 生きていたのは、僥倖なことか。

 もちろん、自分自身も。


「………それにしても、間宮までやられちゃったなんてね…」

「(…情けないが、仕方ないだろう。

 オレとて、銀次様の前では、ひよっこ同然なのだから)」

「…正直、間宮がひよっこなら、オレ達卵からも生まれてないと思うけど…」


 そこは、置いておいて。


「(下手人は見たか?)」

「あ…うん、確か、黒い髪と赤い目の、なんというかこう…彫りの深いイケメンさんだったね」


 オレはともかく、浅沼はどうやら今回の行方不明に至った経緯に関係する人物と顔を合わせていたようだ。

 目撃者として始末していないことに対しては、少々不用心と感じるまでも。

 狙いがあったのか、否か。


 まぁ、その不用心だか目的だかのおかげで、こちらの人員が減っていないのだ。

 生きていてこその物種。

 感謝するべきなのだろう。


 ところで、


「(黒髪に赤目の美丈夫とは、こんな顔をしていたか?)」

「あっ…そうそう!

 こんな感じ…だったけど、あれ?なんか違う?」


 浅沼に見せたのは、オレが預かったままになっていた人相書き。

 例の吸血鬼の混血(ダムピール)と思しき、黒髪の美丈夫の顔である。


 なるほど、下手人はおそらく、もう1人のようだ。


 今回、クーデターへの参加が疑われているのは、あの余計なことばかりしてくる鬱陶しいウィンチェスター家元当主・ラングスタの弟達である双子。


 会場サロンで見かけたのは、片割れだった。

 てっきり参加者に姿形を変えて紛れていると思っていたが、どうやら裏方の突入部隊だったらしい。


 その突入部隊の尖兵に、まんまとやられてしまったと言うのは腹立たしいことこの上ない。


「そうだ!間宮、大変かもしんない!

 私兵の人達が城内に集まってきてて、なんか色々運び込んでたみたいなんだ!」


 そこで、突然慌てだした浅沼。


 どうして彼が行方不明になったのか?と思っていたが、これで合点がいった。

 どうやら理由はクーデターの準備を目撃してしまったから、ということになるのだろう。


「(色々…というのは、武器だろうか?)」

「それが…確認する前に捕まっちゃったからわからないんだけど…。

 っていうか、そっちにソフィアが行ってくれたんじゃなかったの?」

「(ソフィアも、同じく戻ってきていないが?)」

「ええっ!?じゃあ、大変だ!

 もしかしたら、ソフィアも捕まっちゃったのかも…!!」


 慌てだしたと思えば、駆け出して。

 なんとも忙しい浅沼の様子に、1つ嘆息を零して立ち上がる。


 胸元から取り出した『聖なる御手(ヒーリング)』のスクロール。

 以前、ヴァルトが開発していた例の魔法陣を持ち運べるそれが、実用に耐えうるかどうかのテストとして渡されていた試作品。

 使う機会はほとほと巡ってこなかった訳で、結果を先延ばしにしていたものだったが。


 特別な伝導紙という布にも似た紙へと魔力を流し込むイメージで魔法陣を起動する。

 そうすれば、確かにじんわりと『聖』属性の魔力が体に巡ってきた。


 頭部へと断続的に走っていた痛みと鬱陶しい熱が消える。

 はて、この程度ならば問題ないだろうか。


「ちょ、ちょっと早く、間宮も一緒に来てよ!!ソフィアを探さないと!?

 てっきり、ソフィアがみんなに教えてくれたから、間宮がこっちに来てくれたと思ってたのに!!」


 更に忙しい様子の浅沼が、バタバタと戻ってくる。

 腕を掴まれそうになったのを、軽くいなしてから頭を掴んで静止させた。


「(うるさい)」

「イタタタタタタタタ!イタイ、イタイ!!イッタイッ!!」


 アイアンクローである、と言うのは指摘されても認識しない。

 地味に、こいつの負傷箇所も一緒に掴んでいるとかも、オレには関係ない。


 予備にと持たされていた2枚目のスクロールを、浅沼の後頭部へと押し付けて起動する。

 目に見える範囲で、彼の傷口が緩やかにふさがっていくのが見えた。


 予期せず、傷口がふさがっていく状況を見ることになったので新鮮な気持ちである。

 ただ、当の本人は何をされているのかわからずに、巨体をバタバタと動かしているだけであったまでも。


「(………シュール、というのだろうな)」


 側から見れば、倍以上の体格をした大人が良いように子どもに痛めつけられている構図である。

 シュールなことこの上ないだろう。

 今日久しぶりに自覚した成長を前にしても、悔しいが浅沼との体格差は子どもと大人。


 現に、部屋の中にいた隠密連中の目が、微笑ましいやら呆れているやら。


 苛立ち紛れに、頭蓋を軋むまで痛めつけてから離した。


「傷、治ってる…!でも、こんな痛いことしなくても〜…!」

「(………頭は冷えたか、木偶の坊)」

「間宮が、辛辣な件について。

 これは、銀次先生に抗議した方が良い案件だと思うんだけど…」

「(抗議したが貴様の最期だ)」

「暗殺宣告!?」


 涙目になった浅沼を、鼻を鳴らして捨て置いた。


 その刹那。


「………っ!何、この音!?」

「(クソ…っ、始まったようだな…!)」


 けたたましい、重低音がこの狭い室内にも響き渡る。

 爆音には程遠いまでも、壁か何かが崩れ落ちる音に感じたのは気のせいではないだろう。


 バカなことを言い合っているうちに、どうやら随分と時間を消費したか。


「ど、どどどどうしよう!?」

「(とにかく、急いで会場へと戻る)」

「で、でも…私兵とか、集まってたんだよ!?」

「(だからどうした?)」


 こうなってしまった以上は、もう仕方ない。

 それならば、会場に戻って銀次様達と合流するまでに、会場外の私兵どもを鎮圧しておかなければ。


 無様に気絶をしていたのだから、この程度の仕事を熟すのは必須事項である。


「で、でも、だって、あの赤目のイケメンとか、めちゃくちゃ速かったよ!?

 びゅって!びゅんって、見えなかったんだよ!?」

「(もしそうだとしても、今度は正面からぶち当たるだけだ…)」


 もちろん、先に気絶させられた半吸血鬼ダムピールへのリベンジに燃えながら。


 未だにバタバタと、思い切りの悪い浅沼の尻を蹴飛ばしながら遺品管理室を後にする。

 会場内での銀次様の身辺は、悔しいながらあの唐変木ゲイルと、榊原ヘタレに任せるしかあるまい。




 ***




 結果オーライと言うべきか、なんというか。


「では、歌唱勝負は、アイ・クロガネ様の勝利ですわ」


 安堵の溜息と共に、辞儀カーツェー

 気づけば引きつってしまいそうな口元を隠しながら、床へと視線を落とした。


 もう少しヴィオラ公爵夫人が、オレ以外の参加者へと忖度するかと思っていたので、この状況は少々こちらとしても予想外であった。


 おかげで、歌唱勝負に賭けていたシェリルの気配がかなり怪しい。

 口元は笑っているのに、目が笑っていないなんて芸当もご令嬢は出来るんだなぁ。

 他人事ながら、笑ってしまった。


「先ほどの曲目は、皆様の故郷のものなのでしょう?

 楽器の使い方も不思議で…、なんと言うか前衛的でしたわねぇ!」


 こちらは、先ほどのいざこざを忘れたかのようなヴィオラ公爵夫人のはしゃぎっぷりに驚いてしまうところである。

「…ヴィオラ公爵夫人の言う通りですな」、「中でも、ピアノは〜…」、「ティンパニを横にして、足で叩くとは〜…」と、まだまだ囀っている貴族達。

 クーデターに関係していると思われる貴族家まで、その様とはこちらが逆に心配になってしまった。

 あんたら、大丈夫?


「…よかった、なんとかなったようで…」


 改めてゲイルと合流した時、心底から安堵じたかのような声で囁かれた。

 どうでも良いけど、距離が近いから、ちょっと離れて。


「オレも、こんな理由でどうにかなるとは思ってはなかった…」

「なんにせよ、お疲れ様」

「………まだ、ダンスが残っている件について」

「それに関しては、大丈夫だろう?」


 ああ、大丈夫そうだね。

 別の意味で、大丈夫ではないけども。


 なにせ、周りの殺気が、どうにもこうにも収まりがつかなくなっているから。


 貴族家へとそれとなく視線を向ければ、ほとんどの者達が懐から何かを取り出しているところだった。

 その何かは、この会場内に戻ってきた時と同じ、『魔性の囀り(セイレーン・チープ)』。


 ヴァルトへと視線を向けようにも、今回ばかりは貴族家に囲まれてアイコンタクトが阻まれる。

 そもそも、ヴァルトが見つからない。


 そうこうしているうちに、貴族家の輪を開いて黒髪の美青年が前に進み出てきた。


 ————元ウィンチェスター公爵家次男・カーティス。

 片割れである弟よりも、やや目元が柔らかいという美丈夫。


 目があった瞬間(正確には、オレではなくゲイルの目であったが)、膨れ上がった殺気。


「————…っ!?」


 それとほぼ同時、真上からの殺気まで振りかかってきた。


「全員、伏せろ!!」


 ご令嬢ロールプレイも忘れて、背後へと叫ぶ。


 次いで、爆音。

 天井が、落ちてくる。


 瓦礫が会場のあちこちに降り注ぐ。

 悲鳴が会場内を満たし、崩落の音に紛れかき消される。

 瓦礫に巻き込まれて、囲んでいた貴族家の一部までもが押しつぶされ、あるいは怪我をした。

 ピアノや立食形式の料理が積まれたテーブルを破壊して、瓦礫が降り注ぐ。


「…ゔぐ…っ!!」


 その瓦礫に紛れて、人が降ってきたのを確かに見た。

 悲鳴と瓦礫の音にかき消された、くぐもった呻き声。

 天井をぶち破り、彼らは落ちてきたのだ。


 積み上がった瓦礫の上。

 黒髪に赤い目で、こんな場所であれば、誰もが見惚れただろう美丈夫。

 目元が少しつり上がっているのは、おそらく血筋なのだろう。

 草臥れたシャツとズボンの姿で、足元に同じ黒髪の青年を踏み台にするかのように、その人影は立ち上がった。


「いつまで、茶番を続けるつもりだ?」


 呟いて、ギロリと睥睨するのは、オレ達。

 ————元ウィンチェスター公爵家三男・トーラス。


 このクーデターを企てた最後の切り札にして、役者が揃った。




 ***

当初から考えていたネタの1つ。

香神と永曽根、榊原の男子組3人トリオと伊野田のセッションです。

ヴォーカルは先生で、銀河の歌姫的「オレの歌をきけぇえええ!」な展開。


ただし、榊原は音符を読んで弾くことは出来るけど、体で表現することは無理な人種。

いますよね、ダンスになると残念なアーティスト。


しかも、この話に関しては、ダドルアード王国的な話で一番最初に考えついていたネタだったので、やっと書くことが出来て嬉しい。


誤字脱字乱文等失礼いたします。

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