169時間目 「課外授業〜回り出す歯車〜」
2018年12月2日初投稿。
続編を投稿させていただきます。
前回もそうでしたが、視点が行ったり来たりしているので、見づらいかとは思いますがご容赦を。
前話の投稿ののち、感想いただいたり、メッセージいただいたりした皆様、ありがとうございます。
作者の励みです。
169話目
***
全体を俯瞰して見た時に、何が必要かを考える。
それは、一種、彼の癖だったのだろう。
王女殿下のお披露目を目的としたサロンを、天井裏から眺めていたハルが思うこと。
念話を送れる魔法具を使い、部下達に指示を出す。
その部下達が、今度は警備を担当している騎士達に、耳打ちをする。
やれ、あちらで喧騒を起こす貴族がいるから仲裁しろ。
やれ、あちらで手持ち無沙汰なご令嬢にサクラも兼ねた衛兵を向かわせろ。
最終的には、何番のテーブルでどんな料理がなくなったかまでも指示を飛ばす羽目になった辺り。
改めて会場を俯瞰して、警護対象者達へと視線を向ける。
今はいない、間宮と榊原の他に、見当たらないのはソフィアと浅沼か。
ハルは即座に、後者2名はフケたな、と見抜いた。
実際、半分程度は事実であった。
残り半分を考慮して救援という選択肢は、残念ながら今のハルには想像の埒外である。
銀次の妻達であるラピスとローガンは、恐れ多くも王妃と意気投合したようだ。
おおかた、仕事に忙しい旦那について、お互いに愚痴っているのだろう。
銀次も国王陛下も、報われない。
シャルは、母にくっついて回っているようだ。
なんとはなしに、王妃と母達のえげつない会話(※聞こえていますとも)を聞きつつ、寝ている王女殿下に目が奪われているところを見るに、母性本能が旺盛と見た。
可愛いもの好きだもんなぁ、と若干目元が緩む。
伊野田はダンスに誘われるのを断って逃げ回っている。
どうやらロリペドの令息に捕まりそうになっているらしい。
あ、オリビアが駆けつけた。
彼女も、伊野田とは長いせいか、姉妹のように振舞っている。
実は、女神様って言ったら、この会場の何人が信じるのだろうか。
さて、伊野田はオリビアが援護して逃げたところを、榊原の足元に逃げ込んでいた。
オリビアは、すぐに大食漢で料理に夢中になっていた徳川の背中に隠れて難を逃れている。
香神は徳川ほどには大食漢ではなかった筈までも、これまた料理に手を伸ばしていた。
おおかた、研究の一環なのだろう。
あれのおかげで、また校舎の飯のレパートリーが増えるのなら万々歳だ。
2度と食べられるとは思っていなかった日本の伝統的な和食を食べた時には、ハルですら涙ぐみそうになった。
と言っている合間に、香神はどうやらダンスへ誘われたらしい。
男に逃げるという選択肢は無い。
ハルは合掌をしつつ、内心でエールを送っておいた。
榊原は、先ほどの件を終えてから、なんとか顔色も無難に会場に戻ってきている。
今は、逃げてきた伊野田をわざと抱き上げて、追いかけ回していたロリペド令息を良い笑顔で牽制していた。
本当、良い性格だよな。
肝も据わっているから、オレの部下に欲しかった。
生真面目なオレの部下達にも、見習わせてやりたいわ。
次に、杉坂姉妹双子の片割れであるエマは、これまた貴族令息に口説かれているらしい。
困った表情をしているのを、ルーチェが援護へと入った。
更にそこに、永曽根とディランが一緒に助けに入ったおかげか、令息の方が逃げて行った。
令息の気持ちは分かる。
永曽根はぶっちゃけ、あれで20歳とか信じられない。
傭兵とか冒険者とかいうなら、完全にベテランのガチ勢だ。
1人で怪力猿狩れるとかいう頭が可笑しい部類での。
逃げるのも、当然と言える。
あれで、今後の進路が保父さんとか世の中間違ってる。
それにしても、永曽根はよく見ているな。
然り気無く、生徒達がトラブルに巻き込まれそうになると、寄っていくようにしているようだ。
整って入るが厳つい顔が、こういう時は役立つと知っているようだ。
後は、常盤兄弟であるが、彼らはあまり代わり映えしない。
ひとところのテーブルに陣取り、普通に飯を食って普通に談笑して、のんびり会場の招待客達を眺めている。
………ほのぼのしいわ。
紀乃が車椅子ということもあるが、河南もマイペースだからだろうか。
癒される空間。
美味しそうに食事を頬張っている2人の背後に、満開の花畑でも見えそうだ。
河南は、先ほどのオルフェウス陛下の時に香神を呼びに行って以降、目立っては動いていない。
まぁ、会場の女性達に目移りするような奴でもないか。
珍しい白髪も合間って、細身のビジュアルは目線を集めているのだが、いかんせん彼は紀乃への介助で忙しく動いているせいで、全く気付いていない。
だが、
—————………はぁ。
ふとした瞬間に、河南が吐いた溜息。
気になったので、視線と共に会話も拾おうと聴覚を集中させた。
「あレあレ?お兄ちゃン、疲れちゃっタ?」
「えっ………いや、別にそうじゃなかったんだけど…」
「じゃア、何か悩み事?」
「いや、悩み事でもないんだけど…」
落ち着いたとも、落ち込んだとも言える声音と共に、河南はもう一度小さな溜息を吐いた。
紀乃が小首を傾げる。
杉坂姉妹のような双子ほどでは無いにしろ、よく似た2人の兄弟が顔を見合わせる。
………押し殺した黄色い悲鳴が聞こえたのは、気のせいか?
2人を伺っていた令嬢達に、オクサレ様が紛れていたようだ。
この世界にも、地味にいるんだな。
と、オクサレ様という知識を植えつけた、元同僚兼薮医者を思い出してハルは溜息を吐いた。
さて、閑話休題。
「………なんていうか、さぁ」
「うン」
「………足りない」
「うン」
「………なんか、足りないの。
わかんないけど」
「うン?」
………ほのぼのしいなぁ。
天井裏で、ハルは脱力した。
要領を得ない会話は、本来ならハルが好むところではない。
だが、この兄弟に関して言うと少し例外だったらしい。
そんなハルの内心を知らず、またしても料理を頬張った河南。
もぐもぐと咀嚼に動く口が、それだけではないように尖ってしまっていた。
珍しいな、とも思う。
普段、こうした表情を見せないのが、河南だった筈だ。
むしろ、表情の変化に関して言えば紀乃の方が得意だった気がするまでも。
「分からないノニ、足りないっテ分かるノ?」
「………分からない」
「うン、僕モ残念ながラ、分からないヨ」
「………でも、なんか物足りないっていうか…。
…なんか…こう、………見ていたいものがあった気がする………?」
「抽象的過ぎテ、分からないネ」
「うん、オレも言ってて分からなくなって来た」
と、兄弟の至極マイペースな会話が続く。
その間も、料理を咀嚼する手と口は止まっていない。
意外と食べるな、と場違いな考えまで及んでしまい始めたところで。
「お兄ちゃんサァ、もしかしテ、アンジェさん探してるンじゃないノ?」
「んぐぅ…っ!?」
河南が、咀嚼しようとしていたチキンレッグを喉に詰まらせた。
紀乃が前触れもなく、放った一言で。
—————………アンジェさん?
「(…ってローガンの、妹さんだよな、全く似てない可愛い方の女蛮勇族)」
天井裏で、その様子を和みながら見ていたハルが小首を傾げる。
その間に、胸元を叩いてチキンレッグの塊を胃へと嚥下させ近くにあったシャンパンを一気に煽った河南。
「な、なんで、そこで…ゴホッ、アンジェさんが出てくるんだよ!?」
抑えたような声音ながらも、齷齪と。
河南がグラスを片手に紀乃へと問い詰めるが、肝心の本人は目を瞬かせて唖然としているだけだった。
「エッ…嘘、気付いテなかったノ?」
間違った。
一言だけ、バカにしたように呟いた。
その一言で、ハルも察しが付く。
一方、河南は首元までを真っ赤に染めて、沈黙。
分かり易い反応である。
ははぁんなるほどそういうことか。と、ハルはひとりごちて。
腕組みをしつつ、その場でうんうんと頷いたのは、少しばかり彼らのペースに引きずられて緊張感が彼方へと飛んでいってしまったからだろうが。
おっといけない。と再度気を引き締めて、会場へと視線を戻す。
「じゃ、じゃあ、なんで紀乃は気付いたんだよ…?」
目元を赤らめて、視線を逸らしながら河南が問う。
これまたどこからか黄色い悲鳴が上がった。
だが、2人は訝しげに周りを見渡すのみであった。
「そリャ、あんだケ目デ追ってたからネェ…」
「うぐ…ッ、そんなに目で追ってた?」
「レーダーでモ付いてるのカト思ってたヨ」
それは、相当である。
少なからず気付いていなかったハルとしては、ちょっとだけ見てみたい気にも駆られてしまった。
次からは、河南の視線にも気を配るとしよう。
「実際、南端砦カラ帰って来た辺りカラ、兄さンなんだカぼーっとしてル回数増エてたデショ?」
「あー…うん、まぁ………確かに」
自覚はあったらしい。
そういえば、確かにぼーっとしていることが多かった。
元々がそうだったので、あまり気にしていなかった。
だが、言われてしまえば確かに、前の時よりも頻度が高かったと感じたハル。
なるほど、恋煩いだった訳だ、とある種の納得。
口元に笑みが浮かぶまでも、眉が下がってしまうのは否めない。
銀次もそうだが、自身から面倒を背負い込むなど奇特なものだ。
魔族との恋愛・結婚は、時に命懸けになることもある。
多少ヴァルトからの忠告というか、ありがたい金言は一度、聞いたことがあったものだ。
そんな金言も、おそらく魔族との恋愛で苦労した経験からだろう。
ヴァルトはその経験を重く引きずっているのが分かっているので茶化すことなど出来ないし、忘れて自分と付き合えなんてことも言えよう筈が無い
ハルは、自分自身すらも重ねて、苦く笑った。
それはともかく、今は河南の話。
「なんか、気になっちゃうというか、………うん」
「南端砦ノ時、庇ってくれタもんネェ」
「………それも、あるのかな?
後、お前の身の回りの世話、手伝ってくれたりもするし…」
「そウそウ。
お兄ちゃンの手ガ塞がってタ時とかネ」
なるほど。
それは、ポイントも高くなろうものだ。
紀乃が介護を必要としているのを分かっているので、アンジェも最初から生徒とは別に気遣って過ごしているようだ。
まぁ、彼女が薬師、ひいては医者志望と言うこともあるのだろうが。
河南も紀乃も、2人揃って医者志望。
必然的に一緒にいる時間が多い為、目にする時間も多くなるということだろうか。
馴染んでいる証拠だろう。
改めて思い返してみると、なんだか感慨深いものである。
ハルは、生徒達の姿を眺めやった。
思い思い、パーティーを楽しんでいる。
色々な面倒があっても、楽しむという根源を忘れていない気がする。
ハルとて、この『異世界クラス』について、最初から見ていた訳ではない。
どちらかと言うか、新参者である。
だが、それを踏まえても彼らが、この世界に来て余裕を持ち始めていると感じた。
良いことか悪いことかは、別として。
恋愛を考える暇があると言うことは、それほど余裕があるということだ。
感心する反面、不憫にも思う。
忘れがちになってしまうが、これが当たり前ではないのだ。
この世界では、彼らは十分適齢期。
何がと言えば結婚の適齢期であるが、彼らが生まれ育った現代では違う。
河南は、19歳。
紀乃は、18歳。
まだ大学生と、高校生の年齢だ。
勿論、ハルも銀次と同じで、学校生活など送ったことは無い。
だが、現代で見ていたから分かる。
このぐらいの年齢の連中は、まだまだ親に頼りきっていた年代である、と。
良くも悪くも、脛齧り。
甘えていても、まだ許される成人前だ。
唐突に、奪われて良いものではない、未来があった筈の子どもだったのに。
そこで、ハルはこれ以上いけない、と首を振る。
たらればを言っても、無駄なこと。
ここにいることが、現実。
それ以外は、全て幻想である。
少しばかり内情に踏み入り過ぎてしまうのは、ハルの悪い癖だ。
他に、生徒達へと視線を向けて、相も変わらずの様子であることを確認し、次へと目を移す。
例の危険人物達へと視線を巡らせる。
黒髪に、赤い瞳。
礼服の胸に気障ったらしく、この時期に大輪となる薔薇を差した麗しの君。
偏に、人間では無いと分かるオーラ。
しかし、この会場の夜会染みた熱気に紛れ、正体を探らせないそれ。
化け物の類は、専門外だ。
そう、独りごちながら、会場の俯瞰を続ける。
既に、人相書きは間宮に託した。
他にも、あの薔薇の君が接触した貴族家のいくつかは、ピックアップしている。
ご丁寧に、擦れ違い様にメモを交換するなどという昨今のスパイでもしないような所業を見せられれば、嫌が応でも何かしらの企みがあると知らせているようなものだ。
しかも、
「(………オレに気付いていながら、尚堂々としてやがる。
オレが下に見られてるのか、それとも警戒した上でこれなのか…)」
気付いている。
気付いていた。
屋根裏に潜む、自身を監視する瞳を。
ハルの存在に、あるいは間宮の存在を。
あの麗人は気付いていた筈なのだ。
それを、奢りと取るか、あるいは偶然と見るか。
俄かに判断はつかない。
ただ、偶然だと楽観するには、あのオーラは不吉すぎる。
念のため、ヴァルトやヴィズ、騎士団にも伝えてある。
間宮も今頃は、王室の控え室あたりで銀次とゲイルに伝えている筈。
警戒をし過ぎるということは無い。
視線を向けても、バラの麗人は元の位置からあまり動いていない。
ご令嬢の何名かに言い寄られているらしいが、笑顔で受け答えをしている。
周りにいた貴族の令息が、何やらイライラした様子でそれを眺めていた。
いつの時代も、男の嫉妬は見苦しいものだ。
昔、自分も今のバラの麗人と似たような立場だったのかと考えると、なんとも言えない気持ちにさせられたが。
だが、
「(何故、あんなにも、平然としている?)」
先ほどのことだ。
榊原と、たっぷり数分近くも腕を折るか折らないかの攻防をしたのは、たった数十分前のこと。
なのに、もう既に彼は『異世界クラス』の面々を気にする素ぶりが見られなくなった。
勿論、彼と接触を図った貴族家は、気にしている。
むしろ、気にし過ぎていると言えるだろうか。
なのに、あのバラの麗人は、もはや興味も薄れたとばかり。
余裕さえも、感じられる。
警戒されていると、微塵も感じていないかのような風情である。
喉元に小骨が痞えたような違和感が残る。
何か気になってしまって、ついつい思考を深めてしまう。
————………いや、その前に。
背後を振り返る。
「(………外巡りの連中が、戻ってこない?)」
いつだっただろうか。
最後に彼らがハルの後ろ背に、巡回への着任報告に来たのは。
—————…ぞっとした。
今回のパーティーでのハル率いる隠密部隊の人員は、最大人数を配置した。
勿論、ハルはヴァルトの私兵という扱いながらも、隠密部隊では一番の腕を誇る。
今回のサロンでの警備担当責任者は、隠密部隊ではない。
だが、実質はヴァルト。
ヴァルトもそれを知っているから、今回の隠密作戦への参加を許可していた。
だからこそ、今回の隠密部隊にはハルがいて、多数の麾下への下知を担っていた訳で。
そんな彼の元に、今の今まで外の巡回の面子が戻っていないことは可笑しいのだ。
「(…おいおい、こりゃ冗談じゃねぇぞ?)」
最悪を想像して、思わず背筋が震えた。
最大人数の半数が、戻ってこない。
そんなこと、あってはならないことである。
考えられる理由は、2通り。
殺されたか、逃げたか。
いや、もう1つあったか。
寝返った可能性だ。
「おい、会場の警備集めろ」
急いで、部下達に指示を出す。
勿論、慌てた様子なんて、見せないよう細心の注意を払う。
指示を出した、数秒後には天井裏に、警備にあたっていた隠密のほとんどが集まっていた。
会場内の警備を無防備にする訳にもいかないので、三分の一が残った上でのほとんど。
それでも、2・3人が足りない。
そして、巡回に行った面子は、1人もいない。
戻って来ていない。
その時、ようやくその場の全員が、由々しき事態であることに気付いた。
「ーーッ…いつからだ…、くそったれめ」
気味が悪い。
一体、何の冗談かと、いっそ気が違えたように笑い飛ばしてやりたかった。
隠密である自分ですら把握出来ない何かが起きている。
何者かの手によって、封じられている。
ハルが見下ろした会場の中、入り口に藍色髪と黒髪が現れたと同時、部下達を再度会場へと散らせた。
彼本人は、闇に溶けるように天井裏を後にするのみである。
***
ラングスタの告白。
間宮からの報告。
ついでに、国王からの進捗状況。
3拍子揃って、既にマッハで胃が捻じ切れそう。
気が付けば、既に1時間。
どうしてこんなにも疲労しているのか。
そして、何故オレ達が参加する場所、向かう場所で問題が起こるのだろうか。
それこそ、何かに取り憑かれているとしか思えない。
パーティー1つまともに終えられないのかとげっそりする。
更に、会場に戻ってからも、笑みは浮かべつつも内心はうんざりとするようなことばかりが続く。
「手中の珠とはいえ、アイ殿のような美しき花を隠されるとは。
騎士団長殿も人が悪いですなぁ」
「はは、いやいや。
靡いていただいたのが最近のことで、隠していたなどとは…」
「一体、どちらのご令嬢でいらしたのでしょうや」
「ああ、こちら『予言の騎士』ギンジ・クロガネ様の妹君であらせられる」
「………これはこれは、あの『予言の騎士』様の妹君とは…!」
「お初お目にかかります。藍・黒鋼と申します」
ひきつりそうな頰を堪えて、笑顔を維持する。
こちらの都合なんて知る由もなく、遠慮も無く。
貴族家達が、ゲイルどころかオレまでを標的に、歩み寄ってくる。
下衆な視線を躱しても、背筋が粟立つ。
強すぎる香水に、鼻の奥が痺れるように痛む。
囲まれて、逃げられない。
あっという間に人だかりとなってしまって、満足に進めないのが本音。
早く、生徒達と合流しないとならない。
なのに、貴族家の連中は御構い無しだ。
これでは、報告どころか、注意喚起すらも出来ない。
さっきから、上を見上げても、ハルがいないんだ。
間宮も、さっき廊下で気になることがあるとかで消えてしまってから、戻ってきていない。
ああもう、どうしてこんな時に…!?
2人揃ってとか、何かあったとしか思えないのに。
「遂にウィンチェスター卿も、ご婚姻をお決めになられたとはおめでたい。
これで、騎士団も安泰ですな」
「アビゲイル様と並んでも、全く見劣りなさいませんわねぇ。
お似合いですわ」
しかも、貴族家の面々は、褒め称えているように聞こえる耳触りの良い台詞を吐きつつ、目や仕草がこちらを軽んじ蔑んでいる。
悪意しか感じられない時点で、既にこの貴族家どもの相手はうんざりだ。
そして、無茶な内容、無理難題を吹っかけてくるだろう。
下手に言質を取られれば、思い足枷や手枷が出来上がる。
気を抜けば、足元を掬われるだろう。
焦燥を抱えながら、当たり障りなく。
捌いていくのは至難の技。
ゲイルは慣れ、オレも知識と経験を総動員する。
貴族家の囲いの外に、ヴィズを見つけた。
だが、オレ達へと近寄ろうとしては、他貴族家の面々から引き留められてしまっている。
救援は見込めない。
ヴァルトも、サロンの奥で警備の指示を出しているようだ。
オレ達が囲まれているところに衛兵を向けてくれたらしいが、下手に貴族達が囲いとなって辿り着けていない。
その最中、
—————………ああ、これは………。
唐突に襲われるのは、既視感。
覚えがある感覚である。
以前にも使われた手だと、過去に痛い目を見た記憶が蘇った。
あれは、2月のことだったか。
ヴァルトとハルとは、まだ味方どころか敵同士だと思っていたあの頃。
あの時も、こうして先回りをしていた貴族家に囲まれたことを想起する。
ゲイルはいなかったが、その代わり間宮がいた。
足止めだ。
オレ達をこの場に縫い止めようとしている。
またしても、貴族家を使われている。
このまま、囲いの外からぐっさりと殺られたとしても、一向に驚かない。
そして、その貴族家の奥で。
ふと、赤が瞬いた気がした。
凝った憎悪の瞳が、針のよう突き立つ錯覚に襲われる。
しっかりと、顔が強張ったのが分かった。
————………始まってしまった。
落胆と無力感に、ぐったりと脱力するかのような感覚。
気をしっかり保っていなければ、その場に崩れ落ちてしまいそうな心持ちだ。
逡巡する。
この場を乗り切る為に、脳髄をシャッフルさせるかのように考える最善策。
「(………こうなったら、上を跳ぶか?)」
ゲイルが小さく耳打ちをして来たが、そんなことをしてもどうにもならない。
跳んでいるうちに、刃物か何かが投擲されでもしたらオシマイ。
避けることは出来ても、どこに着地出来るか。
しっかりとした足場を確保出来なければ、追撃を受けてそのまま2人でお陀仏か。
それに、このままというのも、論外。
殺気は感じない。
ただ、周りは悪意ばかりが振りまかれているのだ。
安心出来る要素など、1つもない。
思考は加速する。
しかし、その直後、
「………やはり、貴女もか」
目前に進み出て来たのは、胸にバラを差した美丈夫。
人相書きの通り。
端正な顔に、冬の夜空のような黒髪。
そして、爛々と敵意と憎悪を凝り固めて混ぜ込んだかのような、赤い瞳。
隣のゲイルは、息を呑んで硬直する。
この男が、例のーーーー…。
囲んでいた貴族家の数名が、歪な口元を嘲笑に彩った。
—————………やはり?オレも?
どういう意味だ?
問いかけられた言葉に、思考が定まらず。
散漫になった察知能力の端で、きらりと何か銀色が光った気がした。
***
しかし、
「あら、皆様、少し不躾ではございませんこと?」
囲いの外から掛けられた、唐突な声。
凛と空気を震わす声音だった。
——————………その声は、彼らが思っていた以上に、力を持っていた。
「少しばかり、道を開けてくださらない?
可愛い息子と、そんな可愛い息子が選んだ娘候補とまだまだゆっくりとお話ししたいことがございますの」
周囲を囲んでいた貴族達が、ぎくりと体を強張らせる。
声の主を中心として、囲んでいた貴族家の人波が自然と割れた。
ぽかりと口を開けて、ゲイルと銀次の両名がその先をみやる。
斯くして中心にいたのは、
「やっと、戻ってきてくださったようですわね?
アビィ、アイ様?」
ヴィオラ公爵夫人。
ゲイルの母親で、この場の貴族家に対し、王家の次に権威を持った女性。
その場の悪意に凝り固まった空気が、あっという間に霧散。
そして、気が付けば、銀次の目の前にいた筈の赤目の青年は消えていた。
彼らの視界の端で、光ったのは何だったか。
定かには分からずとも漂う魔力の残骸が、仄かに空気を揺らめかせている。
「………あ…ッ」
「ぎ…っ、………アイ殿…!」
そこで、かくりと銀次の膝が落ちた。
ゲイルが咄嗟に彼の脇と腕を支え、ゆっくりと床に座らせるように跪く。
「まぁ、大丈夫ですの!?」
目を見開いたヴィオラ公爵夫人。
その横を、少し早足で擦り抜けて来たのは、彼女の横に控えていたヴィクトリア。
「病み上がりだと聞いていたわ。
無理をなさったのではなくて?」
そう言って、額や頰に手をかざし、熱を確かめる。
その途中、銀次の目の前で、
————………今のは、なんですの?
彼女は、唇だけを動かした。
「………ええ、すみません。
ちょっと、立ち眩みが…」
そう言って、少しばかりふらついたように銀次が前かがみに。
ずるり、とゲイルの手が滑る。
「あ………っ、この唐変木、ちゃんと支えていなさいな!」
「む、無茶を言わないでくれ…ッ、その、…さ、支えている場所が柔らかくて…!」
ゲイルに檄を飛ばしつつ、ヴィッキーが彼女の肩を支えるように抱いた。
その耳元。
————………一部、貴族家が、クーデターを企んでいます。今のが、その発起だったようですが、未遂に終わりました。
落とし込まれた小さな呟き。
小さく息を呑んだ、ヴィッキー。
それでも流石は元公爵家令嬢にして現役の商売人。
普通ならば強張る表情も、多少困惑が滲んだのみ。
穏やかな微笑みに変われば、きっとこの場の誰もが物騒な会話をしていたなんて思いもしないだろう。
「顔が少し青いわ、休みましょう?」
「………申し訳ありません」
「無理をさせたようだな、すまない」
「本当よ。
用事に託けて、連れ回し過ぎているのではなくて?」
「………耳に痛いな」
まるで、何事も無かったかのような振る舞いで、彼女は銀次の手を支えた。
ゲイルが傍で、同じように彼女の腰を支える。
中心で、ほうと安堵にも似た溜息を吐いた淑女然りとした銀次は、青い顔をそのままに、それでも注意深く周りを観察する。
「(………3、4、5…8人か。
どうりで、魔力の反応が多すぎると思った)」
内心で深めた確信。
「…おっと」
先ほどと同じような形で、今度はゲイルへとよろめいた銀次。
—————…顔を変えているのが2人、魔法具を持っているのが6人。
背中を支えていた彼の手が、強張る。
それでも、やはり彼もまた、公爵家令息にして騎士団長。
顔色は一切変えないまま、端から見ればまるで御伽噺の王子か何かのように、足元がふらつく細い体を横抱きに抱え上げた。
サロンを抜け、大窓を開けた先にあるテラスへと2人は進む。
あとはごゆっくり。とばかりにヴィッキーは、彼らのそのすぐ後ろで窓を閉めた。
窓ガラスの向こうで、見つめあった2人。
恥じらいながら、視線を逸らした初心な姿を、口惜しいあるいは名残惜しげに眺める令嬢達。
羨望と、嫉妬。
明らかな悪意を後ろ背に、ヴィッキーは振り返る。
「少し、2人だけにしておきましょう?
きっと、サプライズがあったから、アイ様も疲れてしまったのだろうし…」
内心で拍手喝采をしながら。
ヴィッキーは、クーデターの発起現場ということを知ることも無く、鶴の一声で納めてしまった公爵夫人へと向かい合った。
「あら、残念。
………無茶をさせられないとなれば、アレも無理かしらねぇ…」
「お義母様、本気でおっしゃってます?」
「あ、あらいやだ、冗談に決まっているじゃありませんの」
針のように凝った視線を向けられ、ヴィオラ公爵夫人が背筋を強張らせる。
………果たして、アレとはなんなのか。
周りでそれを聞いていた貴族家各位が、首を傾げる。
だが、なおも続くヴィッキーの視線もあり、誰も追求は出来なかった。
そんな彼女達の様子を眺めながら、瞳に暗い色を宿した者達が落とした舌打ち。
聞こえながらも、聞こえなかったふりをしてヴィッキーは、颯爽と貴族家の間をすり抜けた。
————……早く、伝えなくちゃ…!
自身が、聞いた言葉。
銀次から受け取ったSOSを、兄達へと報せる為に。
***
「(………やはり、正解だったか)」
銀次様達と別れて、数刻。
螺旋階段を有する故に、一部がカーブした廊下の先。
T字路となった廊下の壁面に、小さく残された血痕。
これには、はぁと大仰な溜息を吐かざるを得ない。
間違いない。
ここで、誰かが襲われた。
気になることがあると銀次様へと誤魔化して、この場に辿り着いた。
ここに来るまでの間に、校舎で嗅いだことのある香水の匂いまで残っている。
おそらく、浅沼とソフィアだろう。
だが、血痕の主人は、ソフィアではない。
彼女は、もっと甘い香りがしていた為に、おそらく浅沼のものと考えられる。
肝心の2人の姿は見えないが、血の匂いが残るのはT字路の奥。
そちらから、香水の匂いはしない。
ソフィアは逃げた。
浅沼が捕まった。
おそらく、そういった構図にはなっているだろう。
では、逃げたソフィアがどこに行ったのか?と言われると、流石に思考が及ばないまでも。
「(………調べれば分かることか)」
別行動となったのを悔しく思う反面、その勘が間違ってはいなかったことに喜色が綯交ぜになる。
「(急がねば。
………おそらく、これ以上は時間が許されない)」
先ほど、会場から何やら不穏な空気が漂ってきた。
おそらく、クーデターの発起が始まったのだろう。
騒がしく無いところを見ると、未遂になったか銀次様達が未然に防いだか。
どちらにせよ、急いで銀次様の元へ駆けつけたい。
焦っているのを、自覚した。
だが、自覚した自身の感情を鑑みて、足が止まる。
————………嫉妬か。
脳裏に浮かんだ、その単語。
榊原を思って、真っ先に浮かぶのはその単語だった。
この年で、初めて感じるそれ。
オレも存外人間らしい感情を残していたようだ。
ああ、悔しいさ。
銀次様のお側に侍ることが出来るのは、オレだけだと思っていたのに。
なのに、銀次様は簡単にあの頭が少し切れて運動神経が良いだけの榊原を弟子に迎えたのだから。
オレだけでは、足りなかったというのか。
それとも、あのバカが望んだままに分け与えただけなのか。
そんなに易い、立場ではないのに…。
「(………オレが、信用できなくなったから?)」
ふと、背筋が粟立ったその思考。
愚の骨頂とも言える、浮上した思惟を掻き消す為に頭を振る。
脳髄が揺れて思惟が霧散するが、腹底の鈍重な濁りが消えることはない。
クラスメートどころか、銀次様にも言っていないことがある。
それは、事実。
榊原は、全てを曝け出して、受け止められた。
クラスメートにも、銀次様にも。
だけど、オレはなにをしている?
罪科に背を向けて、銀次様からもそっぽを向いて。
………その上で、信用を勝ち取ろうとしている?
辿り着いた思考に、怖気が走った。
——————…『浅マシイナ…』
今はもう体から出て行った筈の忌まわしい悪魔の声が、脳裏に響いた気がした。
腹の底の、鈍重な気配が更に増す。
苛立ち紛れに、吐き出す呼気。
それすらも黒く濁っているような気がして、意味もなくその場で深呼吸を繰り返す。
この感情が、何なのか。
罪悪感。
銀次様にも、シャルさんにも。
ごく僅かではあるが、小堺に対しても。
そして、かつて殺した、両親にも。
壁に寄りかかる。
乱れた呼気を整える為に、目の裏でチカチカと喚いているそれを冷たい壁に押し付けた。
きっと、これからもずっと抱えて生きていくことになる、その咎。
果たして、その咎を打ち明けられるか?
自問自答を繰り返す。
中には、意味も理解も出来ない、ちぐはぐな自問自答すらもある。
シャルには、どう説明する?
小堺には、どう贖う?
銀次様に、なんと言って許しを請えば良い?
————………『誰モ、オ前ヲ愛サナイ…』
耳元で囁かれたかのようなその言葉に、膝が震えた。
だが、
「(………分かっているさ。
けど、そんなオレでも………)」
2度・3度。
あるいは、もっと多かったかもしれない。
間宮は、頭を振った。
首筋に差し込んで来る冷気を無視して、目線を上げた。
手を伸ばした先。
そこは、かつて、両親すらも忌み嫌った赤毛を厭わずに伸ばしてくれた手が触れた箇所。
そして、視線の先に、開いた手のひらが映る。
そこもまた、血に汚れていても構わずに握りしめてくれた手が触れた箇所。
瞑目する。
思考を全て、打ち切る。
こんなことをしている場合ではない、と再度頭を振った。
何を馬鹿な。
今のオレに出来ること、やるべきこと。
少なくとも、こんな場所で自問自答に耽っている事ではない。
思考を追い出した時には、既に冷静に現場を観察出来るようになっていた。
目線の先には、2度目になる血痕。
「(………血痕は小さい。
匂いもごく僅か…、大怪我をしているということでは無さそうだ…)」
廊下の奥へと足を進める。
血の匂いを追いかけながら、同時に鼻腔に届く臭いに顔を顰める。
汗臭いとも饐えたとも言える、野卑な臭い。
鼻が曲がりそうな心地を覚えながら、奥へ奥へと誘われていった。
ゲリラ対策の為に入り組んだ城内は、ほんのちょっと気を抜くだけで全くデタラメな場所に出る。
庭先にいた筈が、いつの間にか城外にいることもあるという。
本当のことだ。
これが、かつての大戦時から残されている、『転移型迷路』の縮小版などとは後に気づくことになるのだが。
そこで、ようやっと廊下の先が見えてきた。
廊下の奥に配置された扉。
掛けられた粗末な板切れには、『遺品預所』となっている。
処刑や投獄で亡くなった犯罪者たちの遺品を整理する場所のようだ。
血と野卑な臭いも、その扉の先へと続いていた。
「(………人の気配。
数は5、10、15……30)」
扉から感じる気配で、おおよその数を割り出す。
多いと思えば多いし、少ないと言えば少ない。
クーデターの発起を企ててのことならば、もう少し人員を確保するのが常套手段ではないのだろうか。
考えつつも、扉へと張り付く。
廊下は一本道で、隠れる場所は無い。
だが、もしこの場で襲われて迎撃することになるのであれば、1人ずつ相手にすることが出来る。
絶妙な開戦場所であるが、あくまで慎重に。
扉のほんの僅かな隙間や鍵穴から、中の様子を伺ってみる。
瞬間、
「(………クソッたれ!!)」
脳髄が沸騰した。
扉を蹴り破る。
鍵が掛かっていようがいなかろうが、関係ない。
そして、
「(既に、ここまで連中の手が入っていたか…!)」
扉の先で見たものは、小部屋に詰め込まれた木箱だった。
どれもこれも、乱雑に目くぎを外されて、蓋が取り払われている。
木箱の中には、折り重なっている人の姿。
ほとんどの人間に意識がなく、たとえ意識があっても朦朧としているようだ。
そのほとんどの人間に、心当たりのある顔が含まれている。
今回のお披露目パーティーに際して、ハルが率いていた隠密部隊の面々であった。
おそらく、かなり前から会場の隠密が、少なからず削られていたのだろう。
ここにいるのが、30人近く。
会場にいるのは、ハルを含めて残り20人もいない。
背筋に氷塊を落とされるような気分だ。
————…この状況は、不味い。
隠密を相手取り圧倒するだけの能力を持っている相手。
そんな存在が、会場に紛れ込めない筈が無い。
饐えた臭いの理由が気になるが、時間が惜しい。
一刻も早く、銀次様にお知らせせねば。
迅速に踵を返し、先ほど蹴り破った扉を押し開く。
直後、
「(ーーーー………ッ!?)」
声があったとしても、呻き声1つ上げられなかったことだろう。
脳髄へと叩きつけられる暴威。
気配すらも感知出来ず、気付けば床に昏倒させられていた。
頭部に走る灼熱。
失せていく血の気と共に、地面に流れ落ちていく錯覚を覚えた。
ガツッ、と目の前に落ちてきたのは革靴の爪先。
あっという間に、オレを戦闘不能に追い込んだ革靴を履いた人影は、饐えた臭いと埃に塗れていた。
少しずつ、落ちて来る瞼。
抗う術は無い。
意識が闇へと落ちゆく間際、
「………ごめん」
小さく呟かれた謝罪。
その声音に滲む感情に、何故か滲んだ寂寥と罪悪感。
おおよそ、自信を昏倒させたとは思えない。
声音は全く違うというのに、聞き覚えがあるように思えた。
以前、師と慕う銀次が、墓標となったあばら屋に向けた懺悔の声に似ていたから。
***
時間は、少し遡る。
唐突に元ウィンチェスター家の当主であるラングスタから告げられた、自身のルーツ。
そこに隠れた、魔族の存在。
その答えに、今度こそゲイルが頭を抱えた。
「上位種じゃないか…!!
なんで、そんな大事なことを…ッ!
しかも、それがお祖母様なんて…!!」
彼の、その混乱も最もだ。
心当たりがあったオレとしても、やっぱりかと思う反面、違っていて欲しかったとも思う。
魔族の中でも、上位種である吸血鬼。
その血を少なからず継いでいると聞いて、職務に誠実であるこの男が何の感慨も抱かないとは思えない。
そして、危機感も。
「…だから、だったのか!?
だから、オレは…ッ、…あの時、お前を襲ったのは…!」
「落ち着け、ゲイル。
意識が無かったお前に、オレを襲うことは出来なかった…」
「だが、オレに吸血鬼が取り憑いたのは事実だろう!?」
半ば自棄になったかのように、怒鳴り散らしたゲイル。
彼は分かってしまったのだろう。
ルーツに組み込まれた血や因子が、少なからず何かしらの影響を及ぼさないとも限らない。
以前、『ボミット病』の因子の関連性に気付いた時に、種族としての親和性も考慮していた。
それを聞いていたゲイルだから、勘付いてしまった。
自身が、一度その身を吸血鬼に委ねてしまったことを。
「血を啜ったんだろう!?
オレが、お前を引き倒して…ッ!」
「お前じゃない」
「違う、オレだ!!
お前を組み敷いて血を啜ったのは、間違いなくオレの体だ…!!
お前を殺す為にッ!!」
「ゲイル!」
————…パン!
乾いた音。
錯乱しているゲイルに、張り手を繰り出した。
簡単に左頬を張られた男は、その場で少しよろめいた。
反動で、ソファーが鳴った音が、訪れた静寂の中によく響く。
「確かに、オレが気付いた理由はそれだ」
静かに言葉を重ねた。
その間も、ラングスタは俯いたまま睨みつけているのはカーペット。
何がなにやら分かっていない国王陛下が、両目を忙しなく瞬かせている。
「テメェは、確かに一度吸血鬼に取り憑かれた。
その時に取り憑いた奴が、テメェとの親和性を唱えていたから、今回のことも察するのは早かった」
そう、先にも言った経験則のこと。
旧校舎の魔物討伐と探索の折に遭遇した吸血鬼、アレキサンダー。
彼が言っていた。
ゲイルとの相性が良い、とその親和性について。
持ち帰ろうとまでしていたぐらいなのだから、何かしらの因子が関係あると思っていた。
流石に、血統やルーツに関係あるとは思わなかったが。
「でもな、逆に考えればその一回きりだ。
合成魔獣討伐の時も、テメェとオレが喧嘩してた時も、親父さんの策に嵌まって暴走した時も、南端砦で死にかけた時も。
必要に駆られてもなお、お前はお前のままだった」
これまで、彼がもし吸血鬼としての特性を持っていたのなら、それを発現していたのなら。
それこそ、今の今までオレ達が無事であったとは思えない。
それ以外にも、多々ある兆候は見当たらない。
だからこそ、言おう。
「正直、テメェがなんだろうがどうでも良い。
これからもオレの共犯者で、酒飲みで殴り合い仲間の、オトモダチって奴で十分だ」
信用して良いと、オレはそう思っている。
オレの言葉に、目線を上げたゲイル。
少し潤んだ瞳が、恨めしそうに見ている。
肩を竦めて、おどけてみせた。
「それとも、お前まだ肩書き増やしたいか?
現役の魔族で騎士団長やってまーす!ってか?」
「………馬鹿を言うな」
更に言葉で茶化せば、今度は非難をするような目線が飛んできたまでも。
—————………数秒後。
隣から聞こえてきたのは、怒声でも嗚咽でも無かった。
心底からの、溜息だ。
「………お前は、本当にオレを転がすのが得意だな」
「転がすとか人聞きの悪いこと言うなよ。
人心掌握の手腕が優れていると言え…」
やめろ、その言い方。
オレがテメェを誑かしたみてぇに聞こえるじゃねぇか。
「………ふは…これでは、騎士団長も形無しですな」
そこで、息を詰めて成り行きを見守っていた国王陛下が、溜息交じりにふくふくと。
そんな声に、ゲイルは咄嗟に耳まで赤く染めて、「お恥ずかしい…」と消え入りそうな顔で呟いた。
そうだろう、形無しだろう。
なにせ、オレからしてみれば、コイツはまだまだ未熟な童貞野郎だ。
「童貞言うな」
「悔しかったら、捨ててみろ」
「クソっ、なんて婚約者だ!」
「口が悪いわ、未来の旦那さま(笑)」
「……意地が悪いぞ、未来の奥方殿…!」
今度こそ、笑った。
うん、ちょっと鳥肌立ったもん。
2人揃って吹き出したから、これまた国王陛下も一緒になって笑ってた。
………なにやってんだかねぇ。
ゲイルも、何がしか吹っ切れたようだ。
ルーツが分かったところで、今のゲイルがゲイルという個人の人間であると今までの功績が証明している。
そもそも、いくら頑丈とは言え、オレとやりあっていつまでも勝てない時点で、分かろうものである。
確かに、隔世遺伝が少しは隠れているのだろう。
だが、その間オレ達の様子を見て、あんぐりと大口開けて呆けた公爵閣下には理解はまだ及ばなかったことだろう。
「………悩んだオレが馬鹿だった」
「そうそう。
悩むより、先に慣れろってんだ」
「無茶を言う」
「無理と無茶は言うが、無謀は言わない。お前と違って」
「オレだって言わん」
「嘘つけ、童貞」
「しつこい」
淑女の姿で童貞童貞と連呼するな、とチョップをいただいた。
アイアンクローで応対しておいた。
3倍返しだ!
—————………そんなこんな。
話が脱線してしまったが、本題に戻ろう。
そう思い改めてそこでラングスタへと向き合った。
彼は、何故か哀愁と共に何かを諦めたような風情で、ソファーに沈んでいる。
………おおかた、オレ達のやりとりに肩の力が抜けてしまったのだろう。
「………話を続けます」
そう呟いた時、先ほどよりも数年老けてみえたのは気のせいでは無いと思う。
「我が母は、吸血鬼だった。
正確には、吸血鬼と人間の間に産まれたダムピール(半吸血鬼)だったようですが…」
「それでも、十分血が濃いだろうな…」
ウィンチェスター家の先祖、しかも家系的にかなり近しいゲイルの祖母が吸血鬼の血筋だった。
ゲイルは、おそらくその因子を継いでいる。
頑強な体と、他兄弟を含めた多数の魔法属性の発現然り。
親和性が認識された旧校舎然り、とまぁオレと似たもので、人間やめて化け物に片足突っ込んでいると言っても過言ではないのかもしれんが。
まぁ、オレみたいに、意識ぶっ飛んで暴走するよかマシか。
「幸運にも、私はその因子を継ぐことはありませんでした。
多少、髪の色が黒く濃かった程度で…」
そう言って、溜息交じりに見つめたのはゲイル。
確かに、彼の髪も黒い。
現代人の黒髪と似通っていることは、伊野田と見比べているから分かっている。
思えば、その違和感を感じたのも、彼が最初だったか。
一方、ゲイルはと言えば、ラングスタの言葉に少しばかり眉を顰めていた。
おそらく、「幸運にも〜」という、彼の話はじめに納得がいかなかったのだろう。
慣れろ。
普通の人間は、お前みてぇに張り手一発で、割り切れたりしない。
「問題は、私の家族にその吸血鬼としての特徴が現れてしまっていたことです」
「違う、兄達は…!」
咄嗟に、ゲイルが反論する。
オレも、これには少しばかり目を諌めそうになるが、
「それは違う。
ここで言っているのは、ヴィンセントやシュヴァルツのことではない」
早とちりだったようだ。
彼はヴィズとヴァルトの関与を否定した。
では、彼の言う家族とは、誰が?
首を傾げそうになったオレに、ラングスタは無言の一瞥を寄越した。
「………私には、弟がいます。
双子の、吸血鬼としての特性を受け継いだ弟達が…」
「な…ッ!?」
言葉を失った。
驚愕した故に、ゲイルが体を前のめりにした。
「(………あぁ、だからか)」
オレは、内心でようやっと納得していた。
彼の、異様なまでの『魔族』嫌い。
こうでもしないと、公爵家が守れないと考えていたのだろう。
なにせ、弟達がダムピールの子ども。
つまりは、吸血鬼のクォーター。
しかも、特性を受け継いだと言うことは、多少なりとも身体能力か本能、見た目に現れている可能性が高い。
むしろ、全てが当てはまるのかもしれない。
「そんなこと、今まで一度も聞いたことは…!
何故、知られていないのか!?」
「私、ひいては父が隠したからだ。
弟達2人の存在は、ウィンチェスター家にとっては災禍となる故に…」
隠した。
その言葉に、今度こそオレ達は絶句した。
ラングスタは、ふと視線を窓へと向ける。
遠い目をして、何かを想起しているのかしれない。
「………2人には、黒髪と赤い目が受け継がれた。
それだけではなく、吸血本能も飛び抜けた身体能力すらも、全てが受け継がれていた」
隔世遺伝だ。
子よりも孫に、受け継がれた祖先の特性。
「魔法属性までもが、『闇』だった。
父も焦ったことだろうし、物心ついた頃の私ですら弟達の異常性を理解していた」
「だから、隠したと?
………まさか、殺したのでは…!?」
ゲイルが、最悪に思い至って、その場で腰をあげる。
襟首をつかんで止めて、ソファーにUターンさせた。
話が進まなくなる。
オレの行動に再度ラングスタが目礼を寄越した。
猪突猛進だねぇ、アンタの息子。
手綱がそろそろ千切れるわ。
「私たちも、そこまで非道では無い。
………いや、ある意味、それ以上に残酷だったのかもしれんな」
そう言って、ラングスタはまた視線を窓の外へ。
「遠ざけた、だけだった」
小さな呟きだった。
それでも、沈黙に支配された部屋には、染み込むように通った言葉。
「名ばかりではあるが、我がウィンチェスター家の持つ領地の一つ。
あの城壁の向こうの、今は既に干からびて田畑どころか草木も育たぬ荒地に尖塔があるのを知っているか?」
「………視察の際に、見たことがある」
問いかけに、ゲイルが苦々しく答える。
それだけで、理解してしまった。
彼も、勿論、オレ達も。
「あの尖塔は、我が父が建設させたものだ。
双子の弟達は、そこに幽閉していた」
微かに滲んだ懺悔、あるいは慚愧。
きっと、彼は罪悪感に、苛まされているのだろう。
幽閉と聞かされて、殺すのとどちらが残酷かを比較しようにも無理だった。
だって、どっちも殺されている。
前者は、尊厳と自由と、存在理由。
後者は、命。
比較できるかと言えば、否。
オレは、知っている。
その前者の意味を、身をもって知っている。
それは、オレの記憶をトレースされた、ゲイルとて同じことだろう。
彼の握り締められた拳の間から、血が滲んだのを確かに見た。
自然と、動かない左腕を掻き抱く。
背筋に嫌な汗が滲んだが、勤めて冷静に、息を吐いて、込み上げてきた嘔吐感を堪える。
過去の記憶の想起も幽閉された双子達の幻視も掻き消した。
今は、オレのトラウマなんかよりも、重要なことがある。
吸血鬼のクォーターである双子の弟達がいることは、今の話で分かった。
次だ。
「………幽閉していたってことは、今は?」
彼らの存在を、今イレギュラーとは言えオレがいる状況で、ゲイルへと打ち明けたその理由を知らなくちゃいけない。
これまたラングスタが、オレに疲れた一瞥をくれる。
この場合は、おそらく睥睨だったのだろうが。
理由は、後になって分かる。
「最近になって、尖塔の牢の鍵が壊され、2人がいなくなっていることに気がつきました。
ほんの、半月前です」
「なんだって…?」
告白は、最悪の現状を示唆していた。
控え室は、静寂に包まれた。
「そういうことか…」
この場、このタイミングでの彼からの告白であることが、どれだけ危険を孕んでいるか。
幽閉されていた筈の双子の兄弟が消えた。
理由は、吸血鬼としての特性や『闇』属性を持ち合わせて、産まれてきてしまったこと。
たった、それだけ。
自身では選べない、産まれる場所を間違っただけのこと。
ぎしっ、と隣のゲイルから、奥歯を噛み締めた音が響いた。
噛み締め過ぎて歯が欠けた音も。
国王陛下もこの告白について、頭を抱えている。
この話がもしも、この控え室にいたオレ達以外に知られようものならば、最悪ラングスタの首だけでは済まなくなる。
対応を誤れば最悪、戦争に発展するのだから。
それだけの危険が、この告白の裏に隠れている。
過去、魔族との戦争『人魔戦争』のおかげで、どれだけの被害が出たか。
ダドルアード王国ですら、300年前に魔族からの侵攻を受けた。
他国でも、『青竜国』も魔族からの侵攻を受けて、王家の代替わりが発生するなど、様々な情勢に圧倒的な影響を与える。
なまじ、相手は吸血鬼。
ダドルアード王国が、どれほどの被害を受けるかなど計り知れない。
もしかすれば、国が残らない可能性も高い。
隣のゲイルが直情的な暴力に手を振り上げていないことを確認しながら、オレは冷静に問いかける。
「え…っと、鍵は、どちらから?」
牢屋の鍵。
ラングスタは、それが壊されたと言っていた。
その場合、内側からか外側からなのかによって、対応も変わって来る。
「外側からです。
間諜に調べさせたところ、内側には一切傷は無かったそうでして…」
予想通り、外側からの干渉。
つまり、双子の彼らは自分たちから逃げ出したのではなく、外側から何者かに連れ出されたということ。
どのみち、最悪な状況は変わらないまでも。
「間諜には、2人の行方を探らせているが、………正直、全く足取りが掴めません」
「…だろうね。
匿われている可能性があるなら、半月前にいなくなった時点で捜索は不可能に近い」
この世界では、捜索の手段が発達していない。
以前、捜索に役立てたことのある『探索の魔法具』なんてのは、例外である。
王城にある魔法具も、ほとんど使えない現状。
唯一例外であるのは、ラピスが個人的に所有していた魔法具であるが、あれはラピスが魔法具に使われている魔法陣の特性を知っていて何度か調整を重ねてくれていたからである。
そして、たとえ公爵家であっても、おいそれと過去の遺物と言える魔法具を所有することは難しい。
どのみち、地道な捜索活動を行うしかない。
それも、他言無用であるからして、完全なる孤立無援。
随分と、危なっかしい橋を渡っていたものだ。
「このままでは、係累に被害が及ばないとも限りません。
それが、私だけならばまだ良いのですが、………妻や娘達が手にかかると思えば…」
そう言って、視線を流すのはゲイル。
家族に対して危険が及ぶのは、恐怖体験としてつい最近体験したばかりのラングスタ。
オレの仕返しは随分と、彼にとってトラウマになっているらしい。
「ですが、討伐をしようにも、私だけの力では難しく。
そもそも、捜索すらも侭ならないのが現状でございます」
「………だから、最近屋敷の私兵が増えていたのか」
心当たりに、顎に手を当てて思考するゲイル。
増えた私兵は、襲撃を警戒してのこと。
なるほど、前兆はいくつかあった筈ではあるが、ゲイルが気付いていなかっただけか。
「人員を割こうにも、既に私は表舞台を退いた身。
どうにも出来ません」
「つまり、自分の代わりに、ゲイルに捜索を依頼したかった訳だ。
生死を問わず、ね」
言葉を重ねると、忌々しげに睨まれるまでも。
それでも、要点は間違っていなかったのか、ラングスタはその場で重々しく頷いた。
「………必要ならば」
その言葉に、ゲイルが目を見開いた。
彼にとって言えば、ラングスタの双子の弟達は、今まで冷遇されてきた兄達と同じ。
貴族の慣習やその体面、面倒臭い柵の中で埋もれてきた負の連鎖。
捜索だけならばまだしも、討伐までも託されてしまったゲイル。
これには、我慢する理由も理性も無かったようだ。
「身勝手な行動の尻拭いではないか!
我が父ながら、呆れて物が言え…んごっ!?」
「はい、耳元で怒鳴らな〜い」
そんな彼に、裏拳を1つ。
小気味良い音が、控え室の中に響いた。
ずっと言わなかったけど、うるさいんだよさっきから。
なまじ、オレも聴力他が、天龍族並みだから余計に。
そんなオレの行動に、体を強張らせて叱責を待っていたであろうラングスタは唖然。
涙目で睨みつけて来るゲイル。
そんな彼に、耳を指差して親指を下に下げてやると、顔を真っ青にした。
よしよし、良い子だ。
首を掻っ切られたくなかったら、黙れ。
「………捜索と討伐に関しては、オレ達でも行うことにしよう。
おそらく、ゲイルだけでは捜索が出来たとしても、捕縛か討伐に手が足りない。
相手が吸血鬼なら、尚更だ」
そんなオレの言葉に、ゲイルが不満げな表情をしている。
「ギンジ。良いのか?」
「何が?」
「お前は、この先巡礼に…」
「あと5日もすれば、出立するな。
とはいえ、こっちには『探索の魔法具』があるし、例の尖塔を調べれば髪の毛でも爪でも、いくらかは見つかるだろう」
捜索の目処は立っている。
この機会に、王城騎士団が所有している『探索の魔法具』に関しても、ラピスとヴァルトあたりに調整してもらえば良い。
「内側から鍵を開けられたのであれば、協力者がいる筈。
その協力者が、現在彼らを匿っていると見て間違いない」
「見当は付くな。
ウィンチェスター家の後釜を狙っている貴族家を、洗い直せる」
推測ではあるが、おそらく間違いはないだろう。
この件は、おそらく王家に不満を持った貴族家か、ウィンチェスター家に恨みを持っている者達が絡んでいる。
何故かと言えば、これが噂にもなっていないからだ。
もし一般人がそれを見つけたのだとすれば、少なからず噂にはなるだろう。
人の口に戸は立たない。
助け出したのだとすれば、それを吹聴する者が現れる。
しかし、オレ達のところには、その噂が辿りつくことは無かった。
アンテナは、常に張っている。
市井からや商売人からも、『聖王協会』から、王城・騎士団、果ては裏ルートに至るまで、情報収集は欠かしていない。
だというにも関わらず、今の今までオレ達は初耳だった。
ならば、少なくとも情報を秘匿出来る組織、あるいはスポンサーがいる。
この中世ヨーロッパのような世界観の国では、そう言った力を持った組織・スポンサーというのは限られて来る。
ダドルアード王国で言うならば、貴族家だけだ。
裏ルートの商売人、あるいは奴隷商人が手に入れた可能性も無きにしも非ずではある。だが、それなら先にも言った裏ルートの情報網に引っかかる筈。
吸血鬼の特徴を持った双子なんて、目玉商品だ。
売り出さない筈が無い。
つまり、不確定要素を抜いても、この件は貴族が絡んでいると見て良い。
最近、不穏な動きのある貴族家の中に、おそらく双子を隠匿している貴族家があるだろう。
そんな結論へと至った折、
「実は、その件も含めまして、お耳に入れたいことがございまして…」
挙手をして、その言葉を重ねたのは国王陛下だった。
彼は、先ほどの話も相俟ってか青白い顔のままである。
気づけば、その表情にゲイルも血の気が引いていた。
「最近、息子も不穏な動きを…」
「あの馬鹿王子が?」
例の馬鹿王子こと、インディンガス王家嫡男のウィズリー・N・インディンガス。
政略的島流しか拘留かで、最後まで国王陛下が悩んでいた筈の彼。
編入試験の後、大してオレ達も話を聞いていなかった。
こちらにも、そこまで話が入ってきた訳では無いし。
————……って、まさか。
「そのまさか、でございます」
今度ばかりは、オレも頭を抱えた。
「どうやら、不穏な動きのある貴族達とコンタクトを取っていたらしく。
………調べてみれば、大量の魔法具や武具を購入した模様でして…」
「クーデターの準備でもしてんのかよ?」
「………どうやら、そのようです」
「なにそれ、笑えない」
口元が引きつった。
動き回っている貴族家に、既に王位継承権を放棄させられている王子。
それが、魔法具や武具の購入に関わっているとなれば、目的なんて高が知れている。
他にも、ラングスタ不在のうちに、水面下で貴族家がこそこそと動き回っていたのだ。
なにせ、動きのあった貴族家が多すぎて、見張りが足りない。
関連性があるのか無いのか、俄かに判断がつかない状況である。
資料を見る限り、貴族家の名前には聞き覚えもあった。
テネルミア家。
これは、以前編入試験の時にラピスやオリビア達を侮辱した為、オレが侯爵位を降格させる事を国王陛下に迫った家。
その後、降格ばかりか当主が行なっていた裏の事業による不正が見つかり、爵位を剥奪されている。
リラ・フンケルン家。
こちらも、編入試験の時にディランに脅しを掛けようとしていた貴族家で、侯爵位を剥奪される結果になった。
他にも、わんさか名前が掲載されていた。
最近とは言わずとも、以前から没落あるいは降格した家の系譜を含んでいる貴族家各位だ。
「他にもサンガリット家、ブラウン家…。
………と、以前爵位を剥奪、あるいは降格させられた家の者達が大分呼応している様子でして…」
「………大御所がいない間に、勢力拡大を図ってた面々もいたらしいな」
そんなオレの言葉に、ラングスタとゲイルが揃って視線を逸らした。
今回のこと、オレ達も無関係だったとは言えない。
ラングスタの失脚に関しては、ほぼオレ達2人が追い込んだと言われても仕方ないのだから。
………時期が悪かったな。
はてさて。
そんな親子喧嘩の結末については置いておいて。
「………偶然にしちゃ、出来過ぎてるよなぁ」
王子と貴族家の不穏な動き。
買い付けられた大量の魔法具や武具。
消えた吸血鬼クォーターの双子。
3つも揃って、同時期に発覚した。
それが偶然だと言い切ることは、オレには出来ない。
それは、この場にいる誰もが、同意見だったらしい。
うん、危険。
むしろ、これに危機感感じないなら、この世界を生き抜くことは難しそう。
そして、
「確率の高いのは、今日だ。
今回のお披露目パーティーを奇襲するつもりで、ほぼ間違いない」
狙われる可能性が高い場所など、限られる。
馬鹿王子が今の王家への待遇に不満があって事を起こすのであれば、今日ほどキャストが集まっている日は無い。
馬鹿王子にとって、王位継承を邪魔する時期王妃。
普段は、後宮にいることもあって国王陛下や王妃、世話係を除いて滅多に会う事は出来ないらしい。
それは、同じ王家であっても、男である馬鹿王子も同じ。
後は、お披露目の為に、王城に集められた貴族家。
呼応しなかった貴族家もあるだろう。
言うなれば、現国王の傘下である貴族家ならば、この機会に一掃する画策をしても不思議では無い。
なおかつ、あの馬鹿王子が個人的に恨んでいる可能性のあるオレ達が参加している。
今回のパーティーは絶好の機会である。
クーデターにはもってこいだ。
「なんとしても、阻止するぞ。
まだ、会場では動きが無い筈」
「ああ、今ならまだ間に合う」
オレ達の元に、情報が届かないなんてことはあり得ない。
ハルに間宮、その他腕の良い隠密部隊が、このお披露目パーティーに必要以上の人員配置がされている。
こくり、と頷いたゲイル。
そして、ラングスタも鼻を鳴らしながら、それでも決意を固めた瞳でオレ達を睥睨した。
「もはや、致し方なし。
ウィズリーには、今日この時を持って引導を渡す事に致しましょう」
覚悟を決めたらしい、ウィリアムス国王陛下。
馬鹿王子の処遇。
国王は散々苦慮してきただろうに、その心中は計り知れない。
オレ達は何をと言わず、そのまま無言のままに頷きを返すだけに務めた。
そんな中、
「(お忙しいところ、失礼いたします。
至急、お耳に入れたいことが…)」
オレの一番弟子である間宮が報告に現れた。
懸念事項である、『白竜国』国王陛下・オルフェウス・エリヤ・ドラゴニス・グリードバイレルのお忍び訪問。
秘密裏に、ウィリアムズ国王陛下が、招いていたようだ。
まぁ、ディーヴァを預かっている手前、堂々とは表敬訪問は出来ず。
かといって、前回のような会議を開くのも論外。
お忍びの理由は、慮ることは出来る。
問題は、重なった時期だ。
今回のクーデターの件がもし現実のものになろうとしているのであれば。
万が一、オルフェウスが巻き込まれてみろ。
オレ達が今まで優位に立っていた貿易や、その他協定などが全部ポシャる。
強気には出れなくなる。
オレ達は勿論、ダドルアード王国も。
そして、紛れ込んでいた危険人物の存在。
黒髪に、赤目の青年。
かつて、オレが見たことのある吸血鬼のアレキサンダーと似通った相貌だ。
ハルの人相書きには、薔薇の麗人なんて小洒落た名前をつけられていたまでも。
アイツのセンスに、ちょっとイラっとする。
ラングスタの証言により、それが例の双子だと分かる。
既に賽は振られていた。
今回のクーデターが全て憶測を超え、現実のものになろうとしていることが判明したのである。
***
テラスからベランダへと抜けて、人心地。
いや、焦った焦った。
先ほどは、かなり際どかった。
何がって、クーデター開催の前兆だよ。
さっきオレ達を囲うように集まってた貴族達が、もしかするとほとんど手を貸しているなんてことになれば骨だ。
しかも、アイツ等はゲイルを狙っていた。
ついでに、ゲイルに引っ付いていたオレもだ。
藍が銀次と気付かれた訳でもあるまいし。
つまりは、ゲイルを含めた『異世界クラス』の面子を狙っていたということ。
おかげで、恥ずかしながら本気で足の力が抜けた。
そこまで進行している。
予想が違えたな。
既に、秒読み段階だった。
まぁ、それもあって、こうしてアディショナルタイムが貰えたと思えば、安いものだろうか。
オレが銀次では無い、藍という病弱な少女の設定で良かった。
ゲイルと密着した体勢のままというのが、少しばかり気恥ずかしい。
こうでもしないと、窓を挟んだ向こう側である会場の危険人物達に見咎められる可能性がある。
安堵の溜息も、どこか重い。
それよりも、
「(………さっき、触ったオレの柔らかい部分の感想は?)」
「………ぐぅ」
聞いておかねばならない。
今現在、コイツが真っ赤になっている理由を。
なんか、変な声出したなこの唐変木。
さっき、へたり込んだ時に支えられた彼の手が、オレの胸を思いっきり掴んでいた。
地味に痛い。
ムッツリ野郎め。
そして、触った感触思い出して手をにぎにぎするんじゃないッ!!
窓から見えないのを良いことに、ゲイルの手を思いっきり抓っておく。
現在進行形の腰を抱く腕は後で圧し折るとして。
「ハル」
「ここにいるぜ?」
呼び出したのはハル。
もちろん、来賓客には見えないよう、オレ達が窓からの壁となる。
もはや、今回のパーティー会場は、死地に変わりつつあった。
今現在は、来賓客に気付かれた様子は無いだろう。
異変を感じ取ってはいても、詳細を分かっていなかったヴィッキーさんがその証拠。
先に、オレが耳打ちをするまで、彼女はそのクーデターの前兆に気付いていなかった。
勿論、ヴィオラ侯爵夫人も論外。
彼女は、素だった。
あれが、素。
おかげで助かった。
助かったまでも、………少しばかり天然で鈍感である事はよく分かった。
これは、嫁に来るご令嬢は少しばかり苦労するだろう。
と、話は逸れた。
遠い目をしていたが、改めて現実へと向き直らなくては。
「あちらは、既に臨戦態勢だった。
………準備は万端ってところか?」
「ああ。悪ぃな、オレ達もさっき、やっと異変に気付いたぐらいだ」
オレの足元に背中を向けて座り込んだハル。
その背に、少しばかりの哀愁と、苛立ちを感じ取った。
「………つまり?」
「隠密部隊の外回りの面子が、半数戻ってきていない」
「隠密まで…」
ゲイルが苦い顔で、唸る。
おおかた殺られたか、裏切っていたか、寝返ったか…。
間に合うとは思っていたが、限りなくリミットは残されていなかったようだ。
じんわりと、背筋に汗がにじむ。
それとは別に、ハルの背中をじっと見つめた。
嫌な予感がする。
「………他には?」
「………浅沼とソフィアが戻ってこない。間宮もだ」
「っ…!いつからだ…ッ?」
「浅沼とソフィアは、………オルフェウス陛下に絡まれてからだな。
間宮については、お前が戻ってきてからだ」
浅沼、ソフィアならまだしも、間宮までもが戻ってこない。
先ほど、控え室で別れてからまだ20分も経っていない。
だが、その20分の間に間宮が戻ってこないなんてことが有り得ないだろう。
悪魔事件の後から、またアイツはオレにべったりとなった。
気付けば、背後に付き従っている。
もはや、パターン。
そんな彼がいないだけで、背筋が薄ら寒く感じた。
「なんにせよ、さっき動いた連中はピックアップ出来てる。
ヴァルトには伝えたが、ヴィズがご令嬢方に捕まっててまだ情報が渡せていない」
そう言って、渡されたのはまたしても人相書き。
今回は、そこまで凝ってはいないまでも、その枚数10枚以上。
これまた、見覚えのある貴族家の顔を見つけた。
だが、その中にウィズリーの顔は無かった。
まぁ、会場に入っていれば、オレではなくハルやヴァルトが気づく筈。
馬鹿王子は、担がれただけかもしれない。
だとすれば、貴族家のいくつかを捕縛することが出来れば、訴追材料には十分だろう。
国王陛下も、既に武具買い付けなどの証拠は掴んでいるらしい。
「そういえば、さっき使われたのって?」
「さっき?囲まれた時か?」
「うん、凄い魔力反応だったから、一瞬蜂の巣にでもされるのかと…」
「………ぞっとしないな」
ゲイルが、青い顔になった。
蜂の巣と聞いて、オレの記憶から想像が出来たのだろう。
実際、オレは戦場で見てきたからね、蜂の巣。
「魔力の残り方からして、あれは『魔性の囀り』。
魔法の発現を邪魔する魔法具だ」
「………つまり、発動されれば魔法を使うのは難しくなるってことか…」
ジャミングシステム、ということらしい。
実際、今回の会場に使われている魔法陣には、同じ原理のものが使われている。
担当責任者のヴァルトが教えてくれた。
魔法は使えない。
だが、魔法具はその限りでは無い。
実際、今回持ち込まれているであろう武器類の他、魔法具が大量に買い付けられているのだから。
前に、魔力の発露を邪魔する『封魔の南京錠』を使われたことがあったか。
それと似たような効果、と考えれば厄介だ。
使ったのは、目の前のハルだったがな。
オレどころか、ゲイルですらも魔法の行使が出来なかった。
苦い記憶だ。
「気をつけなければならないのは、魔法具の行使と対処だな」
「既に、ヴァルトが気付いて対処はしてる。
ただ、魔法陣を起動させたまま書き換えるのはまだ時間が掛かるとさ…」
「なら、とにかく時間を稼ぐしかねぇか」
書き換えしか出来ないのは少し痛いか。
魔法陣の起動を止めるのは危機管理からして論外だし。
自然と重い溜息が出てくる。
使えるカードが少ない上に、求められる成果が釣り合わ無い。
現代でも無茶振りなオーダーはしょっちゅうだった。
よもや、この世界でも求められるとは。
浅沼、ソフィアの安否も心配だし、間宮のこともある。
心労が重なるものだ。
慎重に動くしか無いだろう。
盗み見るようにして、背後の窓へと視線を向ける。
窓に面したサロンに一見すると人はいないように見えた。
だが、確かにこの先には、虎視眈々と革命を狙う反逆者達が存在している。
犇めき合う貴族家の中で、何割がこのパーティーを純粋に楽しんでいるのだろうか。
重苦しい2度目の溜息が空気に溶けた。
暗雲立ち込める内心とは違う、晴れ晴れとした蒼天。
見上げても、胸中が晴れることは無かった。
***
銀次さんとゲイルさんの、掛け合いに違和感が無さすぎる件について。
なんども言いますが、このお話はホモォ(^P^)ではありません。
それなら、ムーンさんで投稿しますがな。
純粋に、冒険奇譚異世界ものとして書きたいのです。
距離が近過ぎる点に関してはご容赦を。
そのうち、全くゲイル氏が出なくなる筈ですので。
誤字脱字乱文等失礼いたします。