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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、デビュタント編
176/179

168時間目 「課外授業〜血は争えない〜」

2018年11月25日初投稿。


続編投稿です。

1年も療養すると、錆びつくんですかねぇ。

語彙力が凄まじいことに…。


勉強のし直しなどを視野に、更新頑張ります。


168話目です。


前回の話で、アイちゃん持ち上げすぎました?

読み返したら作者もドン引き具合のネカマっぷり(ネットじゃねぇけど、ある意味ネカマ)だったので、書き直しも考え中。

パーティー編、もうちょっと続きます。

 ***




 会場を後にして、ゲイルに連行(エスコート)されるがまま。

 たどり着いたのは、サロンと同じ階にある王家控え室だった。


 サロンを出た後も、彼はオレに会わせたい相手について話はしない。

 その話題で、口を開くこともなかった。

 せいぜいが、サロンでの公爵夫人達との会話を聞き出しただけ。


 やれ美容方法を話して来ただの、血行促進の茶を進めて来ただの。

 そんな内容ばかりだ。


 その話を聞いて、脱力しつつ「そのうち手配出来るようにしておいてくれないか?」と苦笑をこぼしていた。


 ついでに、


「お前が嫌なら戻るが…?」


 と、そう一言だけ言われた。


 よっぽどの相手なのだろうか、ゲイルは躊躇っているようだ。


 とはいえ、オレが嫌なら〜と言われても、オレはその理由がわからないままなのだ。


 試しに、誰が待っているのか聞いてみたまでも、ゲイルは黙り込んだだけ。


 嫌が応。

 そういうことなら、会ってみなければ、分からない。


 心当たりは、数人いるがな。


「アビゲイルです。入室いたします」


 扉の前で、ゲイルが声をかける。

 すると、中から国王陛下の声で、「入りなさい」と聞こえた。


 通された控え室。


 王家の控え室だけあって、先ほど見た控え室よりも広く、豪奢な内装をしていた。

 金や銀を使われ白檀を用いた調度品は豪華なものだ。

 柔らかそうなクリーム色のソファーが中央に3セット配置され、ローテーブルを囲むように向かい合っている。


 そのソファーの一つに、国王陛下は座っていた。

 手には、コーヒーのカップ。

 例に漏れず、コーヒーの魔力に陥落したようだ。


 そんな彼とは、別に。

 窓際へと視線を向ける。


 窓に向かって佇んでいる姿。

 こちらに背を向けたまま、身じろぎもしない。


 モーニングコートを着ていることから、男性と分かる。

 白髪の入り混じった髪は、老齢に感じられる。


 知っている人間に、このような男性がいただろうか?

 はて、と控え室の扉の前で、立ち止まって不躾にも注視してしまう。


 いや、


「(………この気配は…)」


 気付いた時、オレは無意識のうちに武器を探そうとしていた。

 手は自然と、髪留めの簪に伸びる。


「頼む、待ってくれ」


 それを、ゲイルが掴んで止めた。


 言われて、逡巡。

 手に込められていた力を抜く。


 ゲイルの安堵の溜息が聞こえて、そのすぐ後に国王陛下が口を開いた。


「アビゲイル、話しておらなんだか?」


 少し、緊張しているのか。

 強張っていると感じた声音に、動揺がうかがえる。


「申し訳ありません…。

 話せば、彼は来てくれないかと…」


 あ、それは腹立つ。


「テメェ、またそうやって独断専行か」

「すまん。

 ………だが、お前の反応がわからなかったから…」


 そう言ったゲイルの声音も緊張が滲んでいた。

 まぁ、一瞬で殺気立ったオレが、凶器を手にしようとした訳だから仕方ないだろうけど。


「………こうして、いきなり引き合わされる方が反応しづらいわ」

「………すまん」


 謝罪の言葉と共に、手を離された。

 オレも簪から手を離す。


 そこで、白髪頭の男性が、こちらを振り返った。


「相変わらず、尻に敷かれているようだな。

 ………公爵家としても、騎士団長としても恥ずべきことだ」


 そんな嫌味や苦言と共に。


 その男性は、オレも見知った顔だった。

 以前見た時よりも白髪が多少増えただろうし、その顔には覇気が薄れているようにも見える。

 しかし、鋭い眼光はそのままだ。


 憎悪にも似た視線を、オレに向けているところも。


 ウィンチェスター公爵家前当主、ラングスタ・ウィンチェスター。

 ゲイルの父親であり、先ほどまで会話を交わしていたヴィオラ公爵夫人の旦那である。


 この間の仕返しの一件から、2ヶ月ほど。


 騎士団の指南役を降り、ゲイル達から以前までの彼の兄弟や南端砦への非人道的な行為について訴追され、宰相の地位などを追いやられてよりしばらく。

 成りを潜めていたというのは聞いていたが、オレへの敵意はいまだ健在のようだ。


「お久しいですね」

「………。」


 返答があるとは思えないまでも、言葉をかけた。

 勿論、無論。


 だが、その顔はオレが思っていた顔とは少し違った。


「え…ッ?」


 ラングスタの顔は、目が点になるかと思えるほどに驚きに満ちていた。

 唖然、呆然である。


 えっ、あれ?

 なに、なんかびっくりするようなことあった?


 こっちも思わず唖然としてしまう。


 そして、


「男らしくないとは思っていたが、やはり女だったか!」


 唐突に叫ばれたその言葉。

 オレの行動は決まった。


「テメェ、フリーズしていたかと思えば、言うに事欠いてそれかぁ!!」

「ふごぉ!?」

「—————………そっちかぁ…」


 蹴りに行った。

 思わず。


 背後で、ゲイルが呆れた声で呟いた。


 だって、今の一言完璧地雷。

 オレだって、好き好んでこんな格好している訳じゃねぇっつうの。


 腹に突き刺さったヒールが痛々しい。

 だが、同情はしない。


 国王陛下が、何も見なかったとばかりに視線を外していた。




 ***




「あ、颯人くん!」

「どうしたの、みずほ?」


 少しばかり、人だかりになっていた場所に徳川達はいた。

 人の合間をすり抜けて、伊野田やオリビアちゃん達を見つけて、理由を聞こうとした矢先のこと。


「是非とも、お願いいたします!

 あなた方を一目見た時から、ずっと恋い焦がれておりました!」


 ありきたりな、告白だなぁ。

 最近、赤髪の偉丈婦相手にも聞いた覚えのあるものだぁ。とも思った。


 と、その一言を聞いて、この騒ぎの原因とその他諸々の面倒ごとの内容が理解できた。


「で、ですから…え〜…っ、この席では、ちょっと…いや、っ…いえ…少しばかり急を擁するので、返答をすることは出来ません、と…」

「いいえ、なにも今すぐ婚姻を望んでいる訳ではなく、この席で許す限りの時間を共に過ごさせていただければ!」


 しどろもどろになりつつも、取りなそうとしているのは永曽根。

 あわあわとしている浅沼は、完全に戦力外だろう。


 相手は、結構饒舌に話しを進めて来ているようで、対応に苦慮している状態。


 話題の中心は、なにを隠そう我が『異世界クラス』の花形であるソフィアとエマだった。


 一見するとサウジとかアラブ首長国連邦の民族衣装カンドゥーラを身にまとった貴族らしき男性。

 それが、ソフィアとエマを口説いている感じ。

 2人とも怖がってはいるけど、あからさまに嫌がってる感じはしない。


 きっと、先生に言われた通り、失礼なことしないようにって気をつけてるんだろうね。


 うん、面倒こと。

 たった数分、この構図を見ただけでなんとなく理解できたもん。


 んでもって。


 更に、問題なのはそれを口説いている人。


「あ〜…もしかして、『白竜国』のオルフェウス陛下では?」


 ある程度は、変装しているし髪も隠して、顔もよく見えないようにはしているけど、この人例の貿易国的に喧嘩売ってきた国主様だ。


 そう言った途端、ひえっ!?とかなに!?とか二種類の悲鳴が上がった。


 かたや、女子2人。

 かたや、男子数名。


 分かってなかったんだね、ソフィアもエマも。

 ついでに、永曽根は気付いていたからこその、しどろもどろ。


 流石の永曽根でも、一国城主のお相手は苦しかったみたいね。

 大方、どっかの遠方貴族が、口説いているだけだなんて思っていたんだろうけど。


「おや、君は確か榊原くんだったね。

 お久しゅう。

 前の時は、君が作戦の要だったそうじゃないか…」

「いや、確かにそうですけど、その作戦の件、この場で言ったら面子丸つぶれになっちゃいませんか?」

「うぐっ!?」


 とりあえず、反撃がてら痛いところを突いて、遠ざける。

 横目で、永曽根が助かったとばかりに胃を抑えたのが見えた。


 オルフェウス陛下は、身分がバレてもそこまで気にしていない様子。

 おそらく、賓客として呼ばれてたんだろうね。


 騒がれないように、って配慮だったんじゃないかな?


 オレ達はそれを知らなかったけど、きっと先生あたりなら知ってる筈。


 ウィリアムス国王に呼ばれたんだろう。

 じゃないと、こんなお披露目パーティーに他国の国王陛下が来る訳無いし。


 とまぁ、そこまで当たりを付けて。


「お久しぶりです、オルフェウス陛下。

 今日は、僕らの先生は風邪引いちゃってお休みしてるんですが、いないからって生徒口説くのはマナー違反じゃありません?」

「いやいや、口説いている訳では無かったのだが、花は愛でるべきだろう?」

「愛でるべき花が他人のものなら、一言断りを入れるべきですよ」

「………やはり、君は頭が切れるねぇ。

 どうかな?卒業してから、『白竜国』へ出稼ぎに来るというのは…」

「先生が許可してくれたら、ですね。

 まぁ、その前に今までの贈答品(・・・・・・・)が、熨斗つけて返されると思いますけど…」

「うぐ…ッ」


 案にお姉さん、送り返すよってことね。

 この人のお姉さんが『吐き出し(ボミット)病』治療の為に、王城に預けられているの知ってるから。


 とはいえ、オレ達の中でも知ってるのは一握り。

 それを知っていると分かった時点で、オルフェウス陛下は手も足も出なくなった訳だ。


 2度目のうめき声をいただいて、溜飲を下げる。

 別に言い負かしたからって、嬉しくもなんともないけど。


 ついでに、浅沼(そこ)

 拍手してんじゃなくて、自分の彼女を宥めておきなさい!


「………まったく、クロガネ殿は、君達をどこに向かわせる気なのやら」


 そこで、言い負かされたオルフェウス陛下の背後で、同じくカンドゥーラ姿だった男性(おそらく、ベンジャミンさん)が呆れ顔で進み出て来た。


 呆れ顔とはいえ、その目は射るように鋭い。

 背後で、仲間達が緊張したのが分かったが、これぐらいはなんのその。


 昔、退治したことのある、巨大兵器(ガンレム)の方がよっぽど怖い気迫をしていたように思える。

 ついでに言うなら、最近本気でやりあうようになった間宮の殺気がトラウマものだから。


「それ、よく言われますけど、僕たちの本懐ってなんだと思っていらっしゃいます?」


 にっこりと。

 笑顔の裏に刃物を隠すつもりで微笑めば、ベンジャミンさんの表情が明らかに曇った。


「………『女神の予言』の成就だ」

「ええ、そうなんです。

 貴族様相手のパワーゲームでも、貿易相手国とのマネーゲームでも無いんです」


 毒を混ぜて、更に笑みを深めた。

 きっと、今のオレは先生と同じぐらい、悪どい顔をしているんだろう。


 さっと、顔を青くしたのは、オルフェウス陛下。

 ベンジャミンさんは、奥歯を噛み締めたまま。


「巡礼という名の魔物との殺し合いにいかないとならないんですよ。

 先生曰く、魔物相手の『デスゲーム』だそうです」

「随分な物言いだな…」

「本当のことですからね」


 歯に絹着せぬ物言いで、敢えて相手の鼻白む言葉を選ぶ。

 激昂、あるいは動揺し、冷静な判断を鈍らせる。


 横で聞いてたら、ずるいなぁとしか思わなかったけど、やり方としては間違ってない交渉術。


 先生が、オレ達を守る為に使ってくれていた詭弁を、今度はオレ達が使う。

 それのなにが悪い。


 まぁ、別に交渉している訳じゃないけど、勝ち負けなら勝ちを取りに行っても罰は当たんないでしょ。


「忘れないでくださいね。

 オレ達人形でもないし、ましてや交渉の道具じゃないんで。

 次は作戦とか手ぬるいこと言わないで、真っ向から勝ちを拾いに行きますよ?」


 そう締めくくれば、目の前には青と赤の顔色が並んでいた。

 これだけ言っておけば、これ以上は大仰に口説いたりはしないでしょ。


「…ぐっ、………流石に部が悪いです、陛下」

「うぅっ、クロガネ殿がいなければ、言質ぐらいはいけると思ったのに…」


 なんて、内緒話が聞こえてくる。

 踵を返す前に、にっこりと笑っておいた。


「聞こえてますよ〜」

「しかも、地獄耳ときたもんだ」

「喧嘩売ってます?

 呼びますよ、間宮」

「………結構です」


 ちょっと際どいことを言っているのは自覚しながらも、腹が立ったので容赦なく召喚宣言してやった。


 オレ達だけだと、武力行使は出来るかもしれない。

 だけど、流石に間宮相手、と言うのは難しいと分かったのだろう。

 前の時に、既にオレ達の中で一番強いのが間宮だってことは先生が吹聴していたらしいしね。


「お前、段々先公に似て来たな…」

「一瞬、先生が乗り移っているのかと思っちゃったよ」

「いやぁ、それはそれで嫌だなぁ」

「えっ!?そこ喜ぶとこ」


 いや、素直に喜べない。

 ぶっちゃけ、浅沼の台詞ね。


「では、名残惜しいですが、私たちはこれで…」

「…この件は、くれぐれも内密に」


 そう言いつつ、『白竜国』のお二人は、人混みに紛れて行った。

 お忍びが完全にバレちゃったから、そのうち小煩い貴族連中に捉まるんだろうけどね。


 2人の姿が完全に見えなくなってから、一同の表情にやっと安堵が見えた。


「…ありがとうじゃん」

「ごめんね、榊原。

 なんて切り返したらいいものか、分からないまんまだったからどうしようもなくて…」

「気にしないでよ。

 下手に言質取られて、嫁に行かなきゃいけなくなるのも嫌っしょ?」

『絶対、嫌!』

「安定のシンクロいただきました〜」


 彼女達のシンクロ具合、既に神がかってるなぁなんて現実逃避。


 まぁ、オレも彼女達が、望まない結婚で不幸になるのは見たくない。

 ソフィアは浅沼と最近付き合い始めたらしいし、エマは昔付き合っていた好もあるし。


「ついでだから、お手洗いかどっか行って、気分転換でもしておいでよ」

「あ、うん」

「あ゛ー…冷や汗で、手ドロドロ」

「右に同じく」

「オレもだ」


 当人達もそうだが、永曽根も災難だったろう。

 彼も、額をハンカチで拭ってから、不快だと言わんばかりに顔をしかめた。


 それに関しては、オレも同じ気持ちである。


 存外、オレも緊張していたのか、どっと疲れた。

 じっとりと手が汗ばんでいたので、ハンカチを取り出して手を拭いておく。


 杉坂姉妹と、浅沼と永曽根は、オレのアドバイス通りに手洗いに向かうつもりのようだ。

 それに、香神とルーチェがくっついて行った。


 実を言うと、オレも行きたい。

 だが、せめて永曽根が戻ってくるまで他のメンバーについていた方が良さそうだ。


 オルフェウス陛下ほどの手合いは、もういないだろう。

 それでも、貴族家の中にはオレ達の今の不安定な立場を失墜させたくて仕方ない連中もうじゃうじゃいるらしい。

 先生が有能すぎるってのも、考えものなのかもね。


 とはいえ、


「他国の人、監視もつけずに放っといて良いのかねぇ…?」


 先ほど、人混みに紛れて行った2人の背中を、見える範囲で追いかける。

 案の定、貴族家に捕捉されたらしい。

 御愁傷様、と心にもないことを呟いて見て。


 ふと、そこで。


 ————…なんだ?


 会場内を見て、全体の雰囲気が気になった。


「(…なんだか、殺気立ってる?

 仮にも、王家のお祝いの席なのに…?)」


 殺気を含めた、悪意。

 剣呑な空気といえば分かりやすいだろうが、それが会場内に紛れている。

 人が多すぎて、その雰囲気がどこからなのかは判別出来ない。


 ご令嬢達の嫉妬や羨望なんかは、結構頻繁に行き来していたけどそれすら生ぬるい。

 それ以上に、なんだか悪意が強いと感じるのは気のせいか。


 窓際のサロンへと、視線を移す。

 そこで、お手本からコピペでもして来たような笑顔で公爵夫人やご令嬢達をさばいているだろう先生を探す。


 しかし、そこに先生がいないのに気付いた。

 ヴィッキーさんが、ゲイルさんの妹とか言う勝気でプライドの高そうな少女を軽々とあしらっている様子があるだけ。


 まさか、と思い更に会場へと目を凝らす。

 ゲイルを探し、見つからないことに気付き、最後に国王陛下がいるかどうか主賓席のあたりを探す。

 やはり、国王陛下は見当たらない。


「間宮、なんか変」

「(…オレもそう思ってた)」


 呟いた声に、背後に現れた気配。

 驚きはしない。


 こいつの神出鬼没具合に、いちいち驚いていたら身が持たない。


「(ハルさんにも、知らせてくる)」


 駆け足の念話に、返事もなく頷いた。


 先生もゲイルさんもいない今、この件は全体を警護しているヴァルトさんと隠密のハルさんにも共有しておかないと不味い。

 まぁ、2人のことだから、気付いてはいるのだろうけど。


 だが、それよりも先に、少し気になったことが一つ。

 消えた間宮に、念話を飛ばす。


「(ところで、あんたどこにいんの?)」

「………(天井裏)」

「(いますぐ出て来なさい。

 ノルマとして、ご令嬢3人とは最低でも踊りなさいよね!)」

「Σ…っ(ガビン)!?」


 やっぱりか、アイツ。

 ダンスレッスンを逃げてばかりだったのに、壁際の花に混ざって余裕そうだなとは思っていたが、最初から逃亡するつもりだったな。


 腹立たしい。

 ………オレだって、逃げられるものなら逃げたいのに。


 舌打ちをしたくても出来なくて、その場でちょっとだけ顔を顰めただけに留めた。

 その直後。


「失礼」

「———…ッ!」


 背後から掛けられた声。

 突然のことで、つい肩肘が強張ったのが自分でも分かる。


「あなたは、もしや『予言の騎士』の教え子殿か?」


 そう言って、声を掛けて来た人物がいた。

 接近に全く気付かなかった。


 不覚だ。

 間宮にバレたら、きっと一から修行しろとか理不尽なこと言うに違いない。


「ええ、…そうですけど?」


 内心の動揺を隠して、表情を改めてその人物へと向き直る。


 一番最初に見えた髪は、黒。

 端正な顔をした青年だった。

 ゲイルさんと似たように、背中に流れた黒髪を括って肩口に流している。

 礼服のその胸に刺された一輪の薔薇すらも、彼の魅力の一つのように思える。


 しかし、戦慄。

 一気に、オレは緊張を余儀なくされる。


 理由は、端正な顔とその奥底で爛々と輝いた、


「ああ、良かった。

 一度、お話が出来ればと思っていたのだ」


 ————………赤い瞳。


 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。

 オレは、どうやら驚きのあまりに魅入っていたらしい。


 綺麗な赤い瞳だったが、その目にはただ殺意だけがあった。

 先ほどのオルフェウス陛下とは、比較にならないほどの緊張が体を駆け巡る。


 オレが驚いたのを見咎めたらしく、その人物が苦笑とも取れる困った風に笑った。


 まずい、気付かれた。

 一歩退きそうになる足を、必死に叱咤してその場で縫い止める。


 だが、未熟者ゆえか。

 表情は強張ったまま、抜けてはくれない。


 その間に、その薔薇の君というべき青年は、いつの間にかオレが落としていたハンカチを拾い上げた。


「落としたよ、少年」

「………ありがとうございます」


 にっこりと、微笑まれて。

 それでも、オレは警戒を解くどころか肩の力を抜くことも出来ず。


 それに向けて、青年は大して気にした風もなく、


「これは困った。

 思った以上に、君達は出来上がっているようだ」


 甘い声で、呟いた。


 ————………厄介だ。

 そう言われたような気がした。


 ハンカチを渡された手が、いつの間にか彼に握り込まれ、今にもへし折れそうだった。




 ***




 無駄な時間を使ったような気がする。

 再起不能になったラングスタが、復活してしばらく。


 コーヒーを片手に、かくかくしかじかまるかいてちょん…って最後のも無駄だったけど、とりあえず説明はした。


 嫌々ながら、説明はした。

 本当に嫌だったけど。

 このままだと勘違いされそうだし。

 本当に嫌だったけど。


 大事なことだから、何回も言う。


『天龍宮』でのあれこれは端折ったけど、とりあえず不可抗力で女装していること。

 魔法具で誤魔化している程度のことだと思っているだろう。

 そして、オレが女としてこのパーティーに参加しているのは、ゲイルの要請であること。

 テメェの息子、結婚願望が皆無だぞって言ってやった。

 苦々しい顔が返された。


 ついでに、テメェの奥さんの画策が、ゲイルとしてもオレ達としても迷惑だったからうんたらかんたら。

 そう説明しつつ、カーペットに蹲った巨体を足蹴に謝罪させた。


 ちょっとラングスタが(国王陛下まで)涙目になっていたので、とりあえずの溜飲を下げて。


 はてさて、なんでオレ達はここにいたのだったかな、と思い出したのがついさっき。

 本当に、無駄な時間を過ごしたな。


 生徒達が大丈夫だろうか、不安である。


 閑話休題(それはともかく)


「それで、オレを呼び出した理由は?」

「………待て、私は呼んでおらんぞ!」

「あぁ?」

「ガラの悪い…っあだ!」


 4人でテーブルをやっとこさ囲んだ後。

 オレの言葉を皮切りにさっさと要件を聞いて帰るつもりだったというのに、しかし本人はオレを呼んでいないとか言う。


 またしても一触即発か、すわ鉄拳制裁かと思われた一瞬。


 ゲイルがオレの組んだ足を解いてドレスを整えた。

 余計な一言もつけて。


 なので、逆の足を組み替えて、ヒールの先でその屈強な太ももを突き刺した。

 そんなコントは、どうでもいい。


「ギンジを呼んだのはオレだ。

 先ほどの話、オレは彼にも聞いておいてもらった方が良いと考えている」


 改めて、切り出したゲイル。


 彼は、先ほどオレが公爵夫人とヴィッキーさんにドナドナされてから、国王陛下からの貴族家各位の不穏な動きについて報告を受けていた筈だった。


 そこで、何故ラングスタが出てきたのか。


「今回は人目を忍んで、パーティーに参加してもらったのです」

「いくら、当主の座を退いたとはいえ、王女殿下の晴れ舞台に参加しない訳にもいくまいに…」


 ああ、なるほど。

 盟友だったな、この2人。


 国王陛下としては、戻ってきて欲しいらしい。

 けど、オレ達やゲイルとしては、難しい感情が邪魔をする。


 悪いが、もうしばらく辛抱して欲しい。

 現宰相閣下とはうまくやっているようだしな。


 話は逸れたが。


 オレ達にとっては確執のある相手であろうと、当人達によれば盟友同士。

 晴れの日は、どちらも参加希望ということで、今回のパーティーにもお忍びで(後から聞いたら例の魔法具使用許可は彼の為だったらしい)参加していたようだ。


「私としては、少しでも今のお互いの状況を知ることが出来ればと思い引き合わせた次第でございました」


 曰く、ゲイルとラングスタの仲違い状態を、放って置けなかったとか。

 国王陛下としては、ラングスタが騎士団長をしていた時からの付き合いにもなるらしいから。


 それに、ラングスタの憔悴ぶり。

 オレも、少しばかりやり過ぎたかと思い始めている程だ。


 白髪の数だけではなく、げっそりと頰の痩けた様は覇気云々以前の問題。

 度々お忍びで出掛けて公爵家にお邪魔していたらしい国王陛下としても、これ以上は進退窮まると考えていたらしい。


 とはいえ、


「………それで、なんでオレが呼ばれる事態になったのやら」

「それは、済まん。オレの独断だ」


 そう言って、改めて恐々としたゲイルが挙手。

 その目が涙目なのは、然もありなん。

 よほどヒールの味がお気に召したらしい。


 そんなことはどうでもよく、睨みつけるようにしながらも顎をしゃくり、話の続きを促す。


「国王陛下の報告を聞いて、その後父上と引き合わせられたのだが…」


 オレの意図を理解してか、ため息半分に話し始めたゲイル。

 しかし、彼はオレと似たような顔で、ラングスタを睨む。

 その目には、剣呑な光。


 仲良しこよし、お手々繋いで帰りましょうとはなっていない訳だ。

 これには、国王陛下がため息を吐いていたが。


「先ほどの話…もう一度、ギンジの前で言ってくれませんか?」

「………。」


 水を向けられたのは、ラングスタ。

 苦々しい顔のまま、口を開くどころか固くへの字に結んだ。


 どうやら、簡単に話せる内容ではないらしい。


「なら、帰る」

「待っ…、ギンジ!」

「会場に生徒達を残してきてる。

 何かあったら、不味い」

「それは、ヴィズ兄上とヴァルト兄さんに任せてくれ。

 2人にも、依頼してあるから、何かあれば対処か報告をくれる手筈だ」

「………抜け目ねぇ奴め」

「ほめ言葉として受け取っておくから、座ってくれ」


 残念ながら、逃亡は出来なかった。

 面倒臭いから、とっとと逃げたかったのに。


 しかし、


「ラングスタ、お主が話さぬのであれば、わしからギンジ殿にお伝えするが…」

「………。」


 そこで、口を開いたのは、国王陛下。

 オレと同じく、このままでは埒が明かないと分かってのこと。


 これには、ラングスタが更に口をへし曲げた。


「この件、お主だけではどうすることも出来ずに持ち込んだのであろう?

 だが、アビゲイルもこの話を、片手間で受けることは出来ぬと判断し、その上でギンジ殿を呼ばれたのだ」

「………それは、承服しております」

「なれば、疾く、お話せよ」


 口調は柔らかいまでも、事実上の命令だった。

 こういう時は、彼らは臣下として割り切った関係になるようだ。


 国王陛下がここまでやって、ようやっとラングスタは観念したらしい。

 大仰な深呼吸を繰り返し、紅茶に手を伸ばして一呼吸置いてから、彼はひん曲がっていた唇を解いた。


「この話は、我がウィンチェスター家の汚点である。

 くれぐれも他言無用に、………お願いいたします」


 まずは、一言。

 前置きとして、ラングスタは箝口令を敷いた。


 その口調は、珍しくも依頼形式。

 観念したからには、公爵家元当主としての矜持よりも、依頼人である立場を弁えたらしい。


「誓おう」


 オレも、その依頼を受ける代わり、姿勢を正して話を聞くことにする。

 隣のゲイルには苦い顔をされた。


 おおかた、オレが散々言われても直さなかった足組みが簡単に解けたからだろう。

 そんなことは、どうでもよろしい。


「我がウィンチェスター家は、代々このダドルアード王国の騎士団長を務めて参りました。

 これは、この国がまだダドルアード王国では無かった時からも、変わらぬことでございます」


 ラングスタが語り始めたのは、ウィンチェスター家の栄華。

 まぁ、恐らくは先に言っていた話というのが、家の成り立ちや根元に関わってくるからなのだろうが。


「この国が、元はインディンガスという国だったことは?」

「陛下から、耳にしている。

 王権が2度、他家ダドルアードに簒奪された故である、と」

「左様。

 ………私は、恥ずかしながらダドルアード家が簒奪の折、インディンガス王家に矛を向けた側でありました」


 複雑な環境ではあったらしいな。

 まぁ、ウィリアムス国王陛下も、父親が以前のダドルアード王家からクーデターか何かで王権を奪還した際に即位したらしい。

 その父親が現在、彼の執務室の額縁にある時点でクーデターの結果と所在は理解に容易い。


「一度は、私はウィリアムス国王を、殺そうとした。

 しかし、王権奪還を阻止しようとして捕らえられた私を、ウィリアムス国王はそのまま騎士団の長として据え置いた。

 国の要である家は、例え王家が変わったとしても、変えるべきではないと」


 いくら、騎士団長とはいえ、敗戦の将。


 一度は家の取り潰しか、あるいは処刑を覚悟していたらしい。

 当時、既にヴィズとヴァルトが産まれていたラングスタは、命と引き換えに家族を守るつもりでいたようだ。


 しかし、それを陛下が許した。


 だからこそ、ラングスタはウィリアムス国王に忠誠を誓っている。

 その恩義に報いる為に。


「以来、私は王家の為に、粉骨砕身の気鋭で臨んできた。

 騎士団の長という立場とこの身に余る栄誉を守り、王家の繁栄だけを願って」


 そこで、一度ギロリとゲイル共々、睨まれた。


 聞いてる話、深くて良い話だもんな。

 レバー下げてるよ、オレも。


 とはいえ、その名誉を守る為に、一度は命を捨ててまで守ろうとしていた家族犠牲にしたのはどういうこった?って言いたいけど。


 睨まれたので、殺気で返しておく。

 途端、部屋の空気が重くなったのを察知して、国王陛下が咳払い。


 ラングスタが、冷や汗をこぼしながらも視線を逸らした。


「………確かに、あなた方には、私の行いが非道に映ったことだろう。

 しかしながら、先にも言った通りウィンチェスター家を、王家直属の騎士団の家系を守る為にはどうしても必要な処置だった」


 この一言に、今度はゲイルが殺気を滲ませた。

 仕方なかった、と言われているようなものだ。


「だからと言って、許されるとは思わないでいただきたい」

「それは重々承知している。」


 苦しんでいた兄貴達を見ていたから、ゲイルは簡単には承服出来なかっただろう。


 今度は、オレが咳払い。

 話が進まなくなる。


 ゲイルは、睨みつける視線はそのままでも、殺気だけはしまった。

 この、似た者親子。


「家名を守る為には、不穏分子は出来るだけ排除したかった。

 あの当時は、なにかとごたごたしていた為、失脚を狙って他方家が虎視眈々と後釜を狙っていたからして…」

「これは、即位以降、私が貴族家の手綱を上手く握れなかったことが原因でもあります。

 ラングスタだけの罪ではございませぬ」


 まぁ、オレもそこら辺は、慮る気はある。


 当時のことは知らない。

 なにせ、オレ達は部外者だから。


 話してもらったのだって、この国の生い立ち程度。

 どの程度、殺伐とした時期だったのか。


 愛していた家族を虐げることになる国とは、なんだろう。

 多数の死者を踏み越えてきたオレが言うべきことではないのだろうが。


「先にも言った通り、騎士団の長は清廉潔白でなくてはならなかった。

 お聞き及びの通り、『闇』属性を持っていたヴィンセントもシュヴァルツも、騎士団長たりえなかったのです」


「ヴィクトリアは、女。

 そして、残念ながら、必要とされる武芸の才は無かった」


「そして、ヴィクトリアが産まれた際、産後の肥立ちが悪くフォルニアが亡くなった。

 あの時、一度は家の断絶も考えざるを得なかったものです」


 そう言って、遠い目をしたラングスタ。

 当時のことを思い出して、涙ぐんでまでいる。


 察して余る、その心情。

 オレは、父親になったことは無いし、家名に重みがあるとも考えていない。


 彼のその肩にのし掛かっていた重責は分からない。

 だからこそ、オレはヴィズとヴァルトの件を、許すことは出来ないだろう。


 オレは、彼らの心情の方が、よほど理解できるから。


 まぁ、そんなオレの内心は、ともかくとして。


 だが、その2年後、側室として嫁いでいたヴィオラ公爵夫人が、ここにいるゲイルを懐妊。

 トントン拍子に、出産までこぎつけ、ゲイルはこの世に生を受けた。


 しかも、産まれてすぐに調べた、魔法属性で『闇』属性は見つからず。

 ラングスタは、歓喜した。


 公爵家としても騎士団長を輩出してきた王国の防衛の要としても、希望は繋がったのだから。


 そこで、ふとラングスタは表情を改めた。


「ですが、そもそもの話。

 何故、この代々騎士団長を務めてきた家に、ヴィンセントやシュヴァルツのような、『魔族魔法』の素質を持った者が産まれたのか…」


 彼の一言に、部屋の空気が止まる。


 ゲイルは、『魔族魔法』という言葉に。

 国王陛下も同じ。

 ゲイルに至っては、底冷えするような冷気が漏れ出している。


 しかし、オレだけは、まったく違うことを考えていた。


 別に『魔族魔法』だと言われたとしても、全く気にする必要はない。


 便利で使い勝手の良い『闇』属性が疎遠にされていれば、その分オレ達使い手が有利になるのだから。

隠密(ハイデン)』然り、高位精霊(アグラヴェイン)様然り。


 それ以上に、今まで考えもしなかった理由に思い至ったからだ。


「………まさか」

「そのまさかでございます」


 背筋が凍る。

 半信半疑ではあったが、オレの表情からラングスタは正解であろうと汲み取ったようだ。


「…ど、どういうことだ?」


 まだ、思い至っていないゲイルが、多少緊張した面持ちでオレ達を交互に見る。

 先ほどの話の時に、ゲイルは話の途中で退席したから知らないのだろう。


 きっと、障りだけを聞いている。

 だからこそ、この話の本質を聞く前に、まず先にオレに判断を仰ぐことを決めた。


 戻って来たのは、先ほどの問答の時。

 知らないことを責めることは出来ない。


「………ウィンチェスター家には、祖先に『魔族』がいるってことだよ」


 オレの言葉に絶句したゲイル。


 気にしていなかった訳では無かった。


 何故、ヴィズやヴァルトに、ゲイルに、父親が持っていない属性が発現したのか。

 この世界、属性は少なからず遺伝が関係すると知られているのだが。


 そもそも、ゲイルがここまで多芸な理由も、気になるところであった。


 コイツは、頑丈過ぎる。

 オレからしてみても、ゲイルは異常だろう。

 属性の持ち合わせ、その魔力総量も含めて彼は汎用に過ぎる。


 そして、ヴィズやヴァルト、ヴィッキーさんの秀でた一芸も同じ。

 ヴィズは、かなり高いレベルでの気配察知が可能だ。

 狙われ続けて過敏になっただけでは、あそこまでのレベルは少しばかり説明がつかないのではないかと、驚いていたのだから。


 そして、ヴァルトの危機管理能力の高さ。

 なにせ、先読みが凄いのだ。

 アイツは、そのエスパー染みた先読みで、商売人としての地位を築いてきたと言っても過言ではない。


 更にヴィッキーさんに至っては、武芸はからきしとはいえ商才と気配察知。

 というより、おそらく策略方面に長け、頭の回転速度が常人の域を超えている。

 気配察知に関しては、ヴィズほどのレベルでは無い。

 だが、ヴァルトが気付けなかったオレの本気の殺気に気付くぐらいには強い。

 ついでに、酒も強いと来ているが。


 つまり、全員がなにかしら、生命活動につながる一芸を持っているのだ。

 この汎用性に、おそらくヒントがあった。


 自身のルーツに、魔族がいることなどまさしく晴天の霹靂だったことだろう。

 顔に青みが差した彼は、膝の上で拳をキツく握り締めた。


 そして、唐突に吹き出す感情の波。

 憤怒だった。


「何故、そんなことを黙っていたのか!!」


 喉が裂けんばかりの、怒声。

 彼の膝の上でキツく握り締められていた拳が、引き絞られた弓の如く振り上げられた。

 目の前の、父親に向かって。


 それを、寸でのところで止めた。


 空気を叩いた波が、ラングスタの髪を揺らす。

 咄嗟に掴んだ腕にオレの爪が食い込み、彼の腕に数センチの蚯蚓腫れが浮かんだ。


 オレに視線を向けた、ラングスタ。

 何故止めた?と聞きたげなそれを、オレは黙って首を振ることで応えた。


 流石に、今のゲイルの拳はマズイ。

 加減をしていなかった筈だ。


 殺すための拳を、現役を退いた上にしばらく療養をしていたラングスタが受けて、無事で済むとは思っていない。

 今、彼を殺されても、肝心な事が分からないので意味はない。


 まぁ、オレがゲイルに、父親を殺させたくないといえば良いだけの話だった。

 最近、殺伐とした事件ばかりで、気が滅入る。


「………ここで、親父さんを殺しても、なんにもならない」


 横のゲイルから聞こえる荒い息遣い。

 それを耳元で聞きながら、同じくゲイルの耳元へと落とし込むように囁いた。


「今のお前の怒りは、分かる。

 だが、今は最後まで話を聞く事が先決だ」

「………分かっている」


 怒りに震えた声で、返答したゲイル。

 掴んでいた手は振り解かれ、オレの手は行き場を彷徨う。


 ………どうでも良いが、さっきオペラグローブ外しといて良かった。


 そうでなければおそらく、生地で滑ってゲイルの拳は止められなかったに違いない。

 潰れたトマトのような撲殺死体|(しかも、親族)を見なくて済んで本当に良かった。


 内心でかなり、バクバクしながら元の位置に座り直す。

 ラングスタから目礼を受けた。

 珍しいことだ。


 それよりも、問題は彼らの系譜について。


 親族の中に魔族がいて、その血を少なからずウィンチェスター家が継いでいる。

 小国とは言え、人間領の有名貴族には絶好のスキャンダルだ。


 そして、それは秘匿され続けていた。

 今、この場にいるゲイルが、今後後継者になる予定であるにも関わらず。


 国王は黙ったままだ。

 この態度からすると、おそらくは知ってはいたのだろう。


「………どれほどの先の先祖にいらっしゃるので?」

「………。」


 出来るだけ泰然と聞こえるよう、問いかける。

 ラングスタは多少言いづらそうにはしていたが、答える気はあるようようだ。


 ゲイルへと視線を向け。

 その後、オレを見て。


 ふと嘆息。

 腹を決めたらしい。


「私の母だ」

「…ッ」

「………お祖母様が…!?」


 その言葉に、思わず息を呑む。


 —————…近過ぎる。


 何十代も前と言うなら話はまだ、大ごとでは無かった。

 なのに、よりにもよってラングスタの母、ひいてはゲイルの祖母。


 怒りよりも、呆れが勝ったのか。

 ゲイルは、ソファーに力なくもたれ掛かる。


 いくら偏見が無いとはいえ、ショックだった事だろう。

 ゲイルの言葉尻を捉えるなら、彼も面識のある相手だったようだから。


 ふとそこで、


「何故、貴殿は気付かれましたか?」


 ラングスタはオレに、目を向けた。


「少なくとも………私とゲイルには、魔族としての遺伝は現れておりませぬ」


 オレが察知した理由。

 それを彼は少し、尚早に過ぎたことを訝しんでいたようだ。


 猜疑に凝った瞳が、オレを上から下まで眺めやる。

 呆然としていたゲイルも、その言葉には少しだけ反応して、視線をオレへと流したのが分かる。


「その前に一つ、聞きたい」


 答えることに渋る理由は無い。

 だが、それよりも先に、はっきりとさせたいことがある。


「その魔族の、種族は?」

「………。」

「………種族」


 オレが、今回の件に考えが及んだのは、一種の予感。

 ついでに、経験則だ。


 ゲイルの親和性を、誰かが・・・唱えていた。

 それを、覚えていたからだ。


 だから、敢えて聞いた。

 種族がはっきりするなら、きっとオレが気付いた理由もゲイルは分かるだろうから。


 ラングスタは、前かがみとなってカーペットを睨みつけた。

 大方、内心では「厄介でいて、嫌味な奴」と思われているだろう。


 実際、その通りだが。


 部屋を支配する、緊張と沈黙。

 だが、そのうちに沈黙に耐えかねたか、観念したらしい。


「………吸血鬼ヴァンパイアだ」




 ***




「………行った?」

「…うん、行ったみたい」


 廊下の先を覗き込み、浅沼がOKサインを出した。

 トイレの壁にもたれて隠れていたソフィアが、そのサインを見て頰を綻ばせながら出てきた。


 2人は顔を見合わせると同時、悪巧みをしているかのようなしたり顔となった。


 先ほど、オルフェウス陛下に遭遇し、口説かれた事件から數十分。


 大変遺憾なことながら、饒舌な彼の国王陛下の手腕によって、不名誉ながらも手に汗握った彼女達。

 榊原のアドバイス通り、気分転換とその他諸々を解消する為に会場を離れていた。


 クラスメート達がトイレから出て行ったのを見計らって、2人は落ち合った。

 勿論、他のクラスメートには内緒である。


 そう思っていたのは、彼女達ばかりであろうが。

 永曽根など、後からギンジに報告出来るとばかりにほくそ笑んで。

 エマは、リア充爆死しろ!とばかりに臍を噛んで。

 香神はそんな彼女を宥めつつ苦笑ばかりで、ルーチェに至ってはそもそも気付いていなかったまでも。


 何をするつもりかといえば、浅沼とソフィアという組み合わせからして、まぁ察して余りあるものであろう。


 そうして、落ち合った途端、彼らは頰を紅潮させてお互いにすり寄った。


「あ〜、やばい。

 大輔、アンタやっぱり筋肉質になったから、イケメンだよぉ」

「そ、そうかな?」

「うんうん!

 今日の礼服もすっごく似合ってる!」

「そ、そんな…ッ、そ、ソフィアの方が似合ってるよ」

「ありがとうじゃん、大輔♡」

「そ、ソフィアこそ♡」


 お気付きの通りだ。

 いちゃいちゃしている。


 それだけである。

 仕舞いには、簡単には見通せない廊下の隅であることからして、その場で抱擁を始めたあたり、彼女達がいかにバカップルであるか分かろうものだろう。


 ソフィアは、先日失恋したばかりなので、移り気が過ぎると言われようものだ。

 しかし、彼女は失恋の痛みも、今の相手である浅沼との恋愛へエネルギー変換している。


 未練を残さない為に。

 そのせいで、またエマや目の前の浅沼を傷付けないように。


 だが、そのおかげもあってか、ソフィアは以前よりも素直になれたと自覚しているのも事実だった。

 浅沼も言われなくても、分かっている。


 杉坂姉妹と一緒くたにされていても、彼女達はそれぞれ違う。

 当たり前だと分かっていても、自然とフラストレーションを溜めていたその双子としてのあり方。


 浅沼は、その不思議な彼女達の互換性を、理解していた。

 理解した上で、彼女達の差異に気付いていた。


 意外と侮れなかった浅沼という男の、その察知の早さにすっかりと絆されたソフィアであった。

 最初こそ、恥ずかしがっていた。

 それこそ、先に言った通り、失恋の余韻やら体面から鑑みて、振る舞いには少しばかり違和感が付き纏ったものだ。


 しかし、浅沼と少しずつ絆を深めていけば、全く気にならなくなった。

 それもこれも、浅沼が全力で、初めて出来た彼女であるソフィアを大事にしてくれた、ということがある。


 一途な男は、本気になると凄かったらしい。

 何がって、紳士レベル。


 そんな浅沼に、ソフィアは絆されたどころか、ぞっこんと相成ったらしい。

 まだ婚前交渉はしていないまでも、秒読みと言えるのかもしれない。


 さて、そんなラブラブバカップルは、キスの真っ最中。

 しかし、一通りいちゃついたところで、


「ふぅっ………あれ?」

「ん、………なに?」


 キスの余韻で乱れた呼吸と紅潮した頰のまま、ほぼ同時に顔を上げた。


 先ほどの榊原のような、雰囲気で異変を察知したとかではない。

 彼女達はまだ、そこまでではない。


 それよりも分かり易い異変があった為である。


 それは、廊下の端からだった。

 がしゃがしゃと、金属の擦れる音。


 それが、2人の耳に、届いたのだ。


 何事か、と2人は廊下の端から顔を覗かせた。

 上下に並んで壁から顔を出している姿は、少々シュールと言えるだろうか。


 金属音は、廊下の端から響いている。


 だが、この金属音が単一、あるいは少数であれば彼女達は異変と思うことは無かっただろう。

 せいぜいが、慌てたぐらいだ。

 巡回であれば、見咎められて連れ戻されるか注意されるかのどちらかとしか思わない。


 しかし、数は複数。

 尋常ではない、と2人ともすぐに理解した。


 だが、廊下の端にいた彼女達から、廊下の奥は流石に見通せない。


 それは2人も同じこと。

 彼女達は、若干カーブした見通しの悪い廊下の端にいた。

 その為、向こう側からも見えていなかったことだろう。


「……なんの音なんだろう?」

「音から判断して、甲冑か何か?」

「でも、足音は小さいよ?

 何か金属が入った箱とかを運んでいるだけなのかも…」

「でも、こんな音がするってことは、…結構多いよね?」


 そう言って、2人がお互いの顔を伺う。

 どちらの表情にも、気になると書いてある。


 苦笑をこぼしつつ、それでも真剣に、彼女達は廊下の端から体を滑り出させた。


 カーペットの上を差し足と摺り足でカーブの先にある廊下の奥が見える位置まで、そろりそろりと壁伝いに進む。


 廊下の端が見え始めて先導していた浅沼がソフィアを手の合図で止めた。


 彼の視線の先に、廊下の端に横切っていった集団があった。

 その場で少し戻り、もう一度2人は壁から顔を半分だけ覗かせる。


 横切ろうとしていた集団は、モーニングコートやフロックコート姿ではない。

 どちらかといえば、騎士服とも言えるが王国騎士団とは別の衣装が施されているようだった。


「何、アイツら?

 ………騎士団じゃないけど、貴族って訳でも無さそうじゃん」


 ソフィアの言葉通り。

 そして、その言葉通りの意味で、彼らを見るのならば招待客ではないと言うことになるが。


「………私兵ってやつじゃない?」


 顎に手を当て、考え込んでいた浅沼がふと思い出す。

 それは、本日こうして浅沼が着ている礼服の借主、アビゲイルの屋敷に招かれた時のことである。


 門の前や玄関前、廊下や庭先、果ては屋敷の物見台にまで張り付いて見張りをしている兵士達を見掛けた為だ。

 これが私兵というものかぁ、とフィクションに憧れが強い彼にとっては、感動した出来事であった。


 服装は勿論違う。

 だが、雰囲気はよく似ている。


 冒険者や傭兵のように、粗野ではない。

 むしろ、規律や規範を重んじる、生真面目な空気が印象的だった。

 それと、近いのである。


「でも………、なんで私兵が王城に出入りしているの?」


 しかし、問題はそこ。

 ソフィアの言葉通り、王城に招かれてもいない私兵がいるのはどういうことか。


 先ほどの大量の金属音も相まって、なにやらきな臭くなってきた。


 もう一度、2人は視線を交わし合う。

 ————…この状況を、どうするべきか。


「あたしは、一度みんなに知らせた方が良いと思う」

「う、うん、そうだよね…」


 ソフィアは、援軍を呼びにいくことを選んだ。

 それを、浅沼は少しの間の逡巡と歯切れの悪い返事で答えた。


「もしかして、大輔…」

「う、うん、ごめん…。

 ………僕は、尾行した方が良いと思ってる」


 ソフィアも、付き合いは短いながらも気付いた。

 浅沼は彼女に対して、真逆の回答である、と。


 それを聞いて、少しだけソフィアの顔が青褪めた。

 しかし、そんな彼女の顔を見て慌てて浅沼が首を振る。


「ち、違っ……ちょ、ちょっと違くて…えっと、僕としては、ふ、二手に分かれた方が良いとも思う」

「つまり、どっちかが知らせに行って、どっちかが尾行するってこと?」

「う、うん」


 その言葉を聞き、今度は剣呑な表情を見せるソフィア。

 こればかりは、浅沼も心情を掴み損ねたようだが、


「まさか、大輔が行くつもり?」


 ソフィアは援軍、浅沼が尾行。

 その構図になってしまったことに、少しばかり腹を立てている様子だった。


 だが、しかし。


「え、えっと…そうだけど、そ、それ以外に、ある?」


 そんな浅沼の言葉。

 ついでに、目線。


 それに気付いて、彼女は自身の姿を見下ろした。


「………あたしは、無理だもんね」


 すっかり忘れていたのだろう。

 彼女は今、ドレスを着て、足元は高いヒール。


 華やかな見栄えの良い姿ながら、残念なことに尾行や万が一見つかった際の逃走には向かない格好だというのは一目で分かる。


 しかも、今回は相手が私兵。

 つまり、戦闘訓練をある程度受けている集団を相手にする可能性がある。

 この場合、尾行してバレてもまずければ、捕まってもまずい。


 それが、実質戦闘出来る要因が浅沼1人であるならなおさらのことだった。


 悔しそうに歯噛みした後、ソフィアは頭を小さく振った。


 嘆く必要はないのだ。

 自分に出来る仕事をしに行くだけなのだから、と。


「わかった、大輔、気をつけて」

「うん、ソフィア、頼んだよ」


 そうして、お互いの頰に口づけ。

 最後に結局、唇同士のキスまで余計にしてしまったが、そこはご愛嬌。


 今から、物々しい場所に向かおうとしている男への見送りはこれで十分だ。


 そんな達成感。

 ソフィアは頬を綻ばせた。


 一方、浅沼はそんな彼女の表情を見て、ムラっとしていたのもご愛嬌。

 出来るだけ早く婚前交渉が出来ないもんかなぁ、と内心で安定のムッツリ加減を発揮していたのは、彼が『オクサレ様』である所以だろう。


 まぁ、今のソフィアならば、そんな内心を知ったとしても幻滅するどころか燃え上がるだろうが。


 それは、さておき。


 廊下の奥へ、それぞれが踵を返す。


 ソフィアは会場へと向けて。

 浅沼は、私兵達の消えた廊下の奥へ向けて。


 背中にソフィアが遠ざかる気配を感じつつ、彼は慎重に廊下の壁伝いに進んだ。

 カーペットに吸い込まれる足音ですら、細やかに。


 息を殺して、足のつま先まで神経を通わせるように、足音を消す。


 昔の130キロ近い巨漢だった時には、絶対に出来なかった芸当だったことだろう。

 1日に半数を、腰痛でダウンしていたようなものだったのだ。


 つくづく、この『異世界クラス』で良かったと、劇的ビフォーアフターな体躯に感謝する。


 若干、脳内が脱線しているが、浅沼は至極真剣であった。


 廊下の端へと辿り着いてすぐ、ゆっくりと壁から顔を覗かせて私兵達が消えて行った廊下の奥を盗み見る。


 そこに、目当ての私兵達はいない。

 だが、金属音は微かに聞こえている。

 まだ、それほど遠くには行っていない証左である。


 彼は、そう判断し一度廊下の端に戻ってから、詰めていた息を吐き出した。

 乱れたそれを整える為に、何度か深呼吸を繰り返した。


 この時、目を瞑ってしまうのは、少しばかり彼の悪い癖だったか。


 —————………それが、仇になった。


 彼は知らなかった。

 奥に消えて行った私兵達の最後に、


「………お前、見たな?」

「………ヒィ…ッ!?」


 1人だけ異質な者が、遅れて付いて来ていたことに。


 引きつった声と共に、浅沼が最後に見たもの。

 それは今頃、榊原が対峙しているであろう、赤い瞳を持った麗しい青年だった。




 ***




 一方、その場を離れたソフィアは、真っ青になっていた。


 廊下の中央に立ち尽くして。


「や、ヤバイ…っ!」


 言葉に出してしまうほどに、焦っている。


 それは、何を隠そう、彼女のちょっとしたうっかりのせいである。


 先ほど、浅沼と別れてからしばらく。

 カーブしている廊下の先へと抜けたことで、多少ならば足音が響いたところで問題はあるまいと走り出した。


 そう、走り出した。

 そこまでは良かったのだ。


 しかし、


「道が分かんない…ッ!」


 残念ながら、彼女には帰りの道すがらは脳裏に記憶されていなかった。


 それもそうだろう。

 先ほど、他国の国王(オルフェウス)に口説かれただけで、彼女達にとってはトラウマを二、三暴かれるような状況だった。

 手に汗握り、このまま連れ去られてしまうのではないかとヒヤヒヤとしていたのだ。


 解放されたとしても、その動揺は推して測るべし。


 トイレまでの道のりは、浅沼を含むクラスメート達が一緒だったから大丈夫だった。

 だが、その帰り道、1人でとなると話は別だ。


 緊張やらなにやらで、道を覚えておくのを忘れていた。

 うっかりだ。

 致命的ミスだ。


 だからこそ、こうして今焦っている。


 ただでさえ、勝手の分からない王城の中。

 しかも、その王城はゲリラ対策とばかりに、入り組んでしまっている。

 いかに王族が用心深いことか、伺い知れるというものだ。


 ソフィアにとっては、迷惑な話であっても。


「ど、どうしよう!

 早く、みんなのところ、行かなきゃいけないのに…!!」


 そうして言葉に出して見ても、彼女には帰り道が分かろう筈も無い。

 実際には、彼女はすぐ近くまで来ていた。


 あと、一歩か二歩進んだ後に、右に曲がれば良かったのだ。

 だが、彼女は違う選択をした。


 こう言う時は、道を通り過ぎていることが多い、とその場でUターンしてしまったのである。


「そう、確かこっち…!あたし達、右に曲がって、………いや左に曲がったんだ!

 だから、こっち!」


 そう自分を鼓舞するように呟きながら、彼女は来た道を戻った。

 そうして、右に向かう通路を見つけ左に曲がったならば逆に戻れば良いと考えての結果、その通路を進んでしまった。


 それが、運命の分かれ道になったとも知らず。


 その判断が間違いだったと彼女が気付くのは、それから数分後。

 城門前の中庭に出た時だ。




 ***




 掴まれた腕が、へし折れるかと思った。

 それほどに、強い力。


 加減はしているつもりなのか、あるいは全くの無意識なのか。


 榊原は、悲鳴をあげそうになった唇を噛み締めた。


 ぎり、と更に力がプラスされる。

 榊原は必死に奥歯を噛み締めつつ、その人物を睨みつけた。


 涼しい顔をして、青年はその眼光を受け止めている。


「やはり、厄介だね、少年。

 君達は、みんなこんな風に、肝が強いのかい?」


 そればかりか、まるで当たり前のように問いかけを続けてくる。

 目に爛々と殺意が篭っていなければ、人形とも間違えそうな青年だ。


 異常だ、とはっきりそう思えた。


「アンタ…こんなことして、なんのつもり…ッ?」

「………口を開く余裕すらある、か」


 榊原は、丹田へと力を込めた。

 決して、屈してやるものか、と言葉を紡いだ。


 実際、この程度の痛みなら、最近は毎日のように兄弟子の訓練で受けている。

 痛苦は慣れだ。


 だから、慣れたと勝手に錯覚するように、榊原は腕のことを他所に置いた。

 意識から、意図的に外すことで、痛みを外にやったのだ。


 それを、青年は今度こそ驚いたような声音で、受け止めた。

 そして、次の瞬間には面白いものでも見つけたとばかりに、その唇の端を歪めようとしていた。


 だが、


「おい、お前、なにやってんだ?」


 その青年の背後から、貴族の令息が1人抜けて来た。

 見てくれは普通の青年だった。


 金髪のそばかす顔。

 おそらく貴族家としても大した家格では無いのだろう彼は、しかしその場に勝手知ったるとばかりに飛び出して来た。


 榊原は、それを見咎めて、怜悧な視線を向ける。


 だが、それよりも先。

 へし折られんばかりだった彼の腕が、突然解放された。


「………えっ?」


 唖然と、その腕を見下ろした時。

 青年は、さもつまらなそうな顔をして、「邪魔が入ったな」と呟いた。


 目だけに篭っていた殺気が一瞬だけ漏れ出す。

 それは、榊原ではなく、何故か青年に向けられたものだった。


 なのに、次の瞬間には元通り。

 これまた異常な状況に、思わず目を白黒とさせてしまった。


 間宮あたりには、また未熟者と言われるだろうが、こればかりは仕方ない。

 本格的な師事は、ここ数ヶ月でのこと。

 空気ごと場を掌握し、絶対に相手に優位性を与えないなんていう手法は、彼にはまだ未知の領域である。


 ここまで、彼と無言で対峙した上、腕をへし折られそうになっていても苦鳴一つあげなかったことを誇るべきだ。


 それは、目の前の青年が、よく知っていたようだ。


 青年の赤の瞳が、いつか見たことのある強者を求める者の目(バトルジャンキー)の目だった事に気付いたとしても、今はすでに遅かった。


「すまんな、うちの従者が何か粗相をしなかったか?」

「………あ、い、いえ…お構いなく」


 いつの間にか、彼の手元に返って来ていたハンカチを見下ろして、榊原は一度呼吸を浅く吐き出した。


「落としたハンカチを拾ってくれただけですから…」

「そうか、それは良かった。

 すまない、少しばかり先約があるので、これにて失礼する」


 そう言って、そばかす顔の貴族の青年は、今しがたの赤い目の青年を引き連れていく。


 最後まで、あの青年は異常だった。


 人混みの中に消えていったその背中を見つめて、榊原は急激に周りの音が戻ってくるのを感じた。


 それと同時に、腕の痛みも。


「お、おい…ッ、颯人?

 どうしたんだよ、真っ青な顔して…!」

「大丈夫?」

「うん、大丈夫。

 ………ちょっと、人に酔ったのかも…」


 顔に出てしまっているのか、と少しばかり反省。


 上目遣いで問いかけて来た徳川と伊野田、両名の頭を撫でて安心させた。

 徳川は、おそらく誤魔化されてくれただろう。

 ただ、伊野田は多少違和感を覚えているらしい。


 そんな彼女を安心させるように、出来る限り微笑んでみせた。


「ちょっと、トイレ行ってくるね。

 多少酔っただけだから、すぐ戻ってくるよ…」


 見れば、いつの間にか、会場には永曽根と香神が戻って来ている。

 近くには、先ほどまで主賓席で王妃に捕まっていたらしいラピスさんもローガンもいた。


 なんか、子育て相談みたいなの受けてたね。

 えげつない内容まで聞いてらんなくてオレ達逃げ出したの忘れてた。


 でも、これなら、一度オレが抜けても大丈夫だろう。


 心配そうな彼女の視線を交わし、人の隙間を縫って出入口へと向かう。

 途中、すれ違う時に、永曽根に目線で合図。


「(危険人物発見)」

「(了解)」


 こういう時、永曽根は頼りになるなぁ、と安心する。

 これで、他のメンバーが先ほどまでオレと相対していた人物と接触する前に、なんとか回避してくれるだろう。


 目礼で返答を受けて、そのままで出入口の扉を潜った。

 出入口の衛兵にへらりと笑い、会場から遠ざかる。


 出来れば、少しでも遠くに。

 足が自然と早まった。


 左に曲がった通路の先の、さらに右に突き抜ける通路を見つけて迷わず飛び込む。

 何故か香水の香りが残っていたが、気にしちゃいられない。


 その通路の奥、T字路になった壁へともたれかかることにした。


 途端、


「………はぁ…っ、はぁ、はぁ…ッ!」


 息が切れ、その場にしゃがみ込む。


 ブルブルと震えた腕を、見下ろした。

 幸いにも折れてはいない。

 折れる寸前だったことは、確かである。


 だが、多少違和感を感じているあたり、違えたというべきだろう。

 筋肉が変な痙攣を起こしている。


「(………くそ、やられた。

 完全に油断してた…ッ)」


 なまじ、気を抜いていたのがまずかったのか。

 先ほど、雰囲気には気付いても、未熟者の自分はその雰囲気に呑まれそうになっていただけだ。


 多少の違和感に、気付いただけ。


 それが、どうした。


 その大元である殺気を携えた人間相手に、自分は気付けなかった。

 そればかりか、呆気なく接近を許した上、一歩間違えればその場で戦力外に陥っていたかもしれなかった。


 荒い息の奥で、未だに細かく痙攣している腕が歪んで見えた。


「(………どうやら、手酷くやられたらしいな)」

「————っ…間宮…ッ!?」


 いつの間にか。

 T字路の真向かいに、立っていた間宮。


 その隣には、ハルさんまでいた。


「榊原、よくやった。

 警戒はされただろうが、お前のおかげで何人か特定出来た」

「は、ハルさん…ッ」

「あとは、オレ達に任せろ。

 お前は何か事が起こった時の為に、出来るだけ分かっていない生徒達の元を離れるな」


 間宮と、ハルさんの顔を交互に見る。

 ハルさんは、困ったような顔をして頷いてくれた。


 間宮は、いつもと変わらない無表情のままだ。


 だが、


「(………最初は、あんなものだ)」

「え…ッ、お前も…?」

「(………オレの時など、もっと酷かった)」


 続いた言葉に、励ましを感じ取った。


 そっぽを向いて、さも悔しそうにしている姿は、これまた見た事があまり無い姿。

 酷かったということは、失敗したも同義では?と考えても、言葉には出せずに唖然とする。


 そんなオレの頭に、ハルさんの手が降って来た。


「踏ん張りな、榊原。

 テメェはオレ達から見ても着実に進歩してんだから、こんなところで潰れてる暇はねぇぞ?」


 その言葉と同時に、彼は暗闇に溶けた。

 綯い交ぜになった感情が、オレにはまだよく分からない。


 間宮も、壁から背を離して、その場を後にする。


「(オレは、ギンジ様の元へ…)」

「…ま、待って、それなら、オレも…」


 立ち上がろうとする。

 しかし、息が乱れ、足がかくりと床に落ちただけであった。


 —————……情けない。


 暗く澱んだ気持ちが、奥底に湧いて来た。


「(お前は、クラスメートを頼む…)」

「………でも、オレだけじゃ、どうにも…」


 突き放すような、そんな念話。

 その音に、先ほどのハルさんからの言葉すら霞んでしまう。


 ついつい、ナイーブになってしまって後ろ向きな言葉を吐こうとしてしまう。

 続く言葉は、「どうにもならない」だ。


 諦めの言葉。


 しかし、


「(オレは、口下手だから、貴族連中からアイツらを守れない。

 だが、お前なら、それが出来る…)」


 続いた念話が、一瞬理解出来ず。


 訳が分からないまま、呆けてしまっている間に、間宮も同じように闇に溶けた。


 あの消え方、一体どうすればあんな風になれるのだか見当が付かないんだけど?などと、全く関係ないことを考えて現実逃避。


 だが、頭の中は急速に回転を始める。

 時間を置いてゆっくりと噛み砕く事が出来れば、彼の言葉には、むしろハルさんよりも、強い励ましの言葉に滲んでいるように思えた。


「………なによ、それぇ〜…!

 アイツ、格好いいんだから、嫌になっちゃう…!」


 ————……つまり、適材適所ってことね。


 ついでに、背中は任せた。なんて副音声も聞こえて来そうなものであった。

 つまりは、そういう事で。


 我ながら、現金なこと。


 ネガティブな気持ちは消えた。

 いつの間にか、震えていた手足も、乱れていた呼吸も元通り。


 我ながら単純だと、苦く笑うしか出来なかった。




 ***




 その訪問は、唐突だった。


 胸糞悪いとも言える話を聞いていた時。

 重い沈黙が垂れ込めていた、そんな中。


 ふと、窓を閉め切っている筈の室内で、風の流れが変わったのを感じたのだ。

 背後をふり仰ぐ。


 そこには、赤髪の少年。

 オレの一番弟子だ。


 間宮の登場で、国王陛下もラングスタも、果てはゲイルまでもが驚いていた。


「(お忙しいところ、失礼いたします。

 至急、お耳に入れたいことが…)」


 室内の全員に分かるように、精神感応テレパス範囲を拡大している間宮の言葉。


 ラングスタが、彼が唇を使っていないことに気付いて、目を諫めていた。

 だが、説明は後だ。


 彼の声音からして、今回の報告が今まで話していた忌まわしい話の延長線上にあるような気がしてならない。


「(会場内にて、懸念事項と危険人物が複数名見つかった模様です)」

「懸念事項から、聞こう」

「(はい、『白竜国』国王陛下が、会場内に紛れ込んでおります)」


 その言葉に、思わずと言った風にこの場にいる、ダドルアード王国国王陛下を睨みつけた。

 恐々とした様子のウィリアムス国王陛下。


 その様子を見ていれば分かるさ。


 どうせ、お忍びってことで、呼び寄せたんだろう?


 王城で『ボミット病』の治療名目で預かっているディーヴァは、オルフェウスの実の姉だ。

 ウィリアムス国王陛下の娘の晴れの日ならば、招待客として紛れ込んでおけば存在が発覚したとしても、姉のことがバレる事は無いだろうからな。


 ………問題は、オレ達が報告を受けていない件だが。

 まぁ、それは良いとして。


「生徒達と、問題は無かったのか?」

「(概ねは。

 相変わらず懲りずに杉坂姉妹を口説いたようですが、榊原が舌先三寸で追い払っております)」

「………育て方間違えたか?」

「(即戦力としては、間違っていないかと…)」


 これまた、育て方間違ったかもしれない生徒まみやに慰められた。


 それは良い。

 次だ。


「(危険人物と接触したのも、榊原です。

 私は見ておりませんが、ハルさんが人相を確認しております)」


 そう言って、目の前に差し出されたB5用紙サイズほどの羊皮紙。


 描かれているのは、端正な顔立ちの黒髪の青年。

 人相書きのようだ。


 隣のゲイルが覗き込んで来て、息を呑んだ。


 目の色は赤、身長は榊原よりも少し大きいぐらい、と注釈まで書かれている。

 その注釈の中には、眉の形から果ては黒子が目の下にあったなんてことも書いてあった。


 ………どうでも良いが、上手すぎねぇ?


「(聞くところによると、オレ達『異世界クラス』のことを、警戒している口ぶりであったとのこと。

 また、榊原の腕を、何の前触れも無く圧し折ろうと出来るほどには怪力をもっている可能性が…)」

「腕が折れたのか?」


 それは、少しばかり不味い。


「(いえ、かろうじて折れてはいません。

 少し痙攣している程度の様子で、おそらくは休ませておけば回復するものです)」

「………そうか」


 思わず、安堵の吐息が漏れる。


 手元の羊皮紙へと改めて視線を落とし、ラングスタへと回す。


 —————………どうも、心当たりがあり過ぎる顔だ。

 なにせ、目の前のウィンチェスター親子とそっくりなのだから。


 これを、偶然と断ずることなど、出来ない。


 今しがたまで聞いていた忌まわしい話の延長線。

 先ほどの予感は、的中した。


 オレの悪い予感は、こういう時すらも外してはくれないようだ。


 全てが本当ならば、この羊皮紙に描かれた青年は、目下最大の懸念事項ということになる。


「———…間違い、ありません」


 ラングスタの認めたその一言。


 それが、確信に足る、波乱の幕開けを告げた。




 ***

アサシン・ティーチャー達にスポット当てすぎて、他の面々が空気に…。


生徒達の動かし方、色々と考えないとなりませんね。

ちなみに、間宮が榊原への態度を強めまくってた理由としては、嫉妬半分わざとです。


じゃないと、榊原ヘタっちゃうと考えての行動。

けど、今回は頑張ったし、間宮が出来ない仕事もこなしてくれていたので、とりあえず及第点って形で叱咤激励でした。


男の友情ですよ。

オクサレ様、呼ばれるやつじゃ無いですよ?


………ゲイル氏達の方が、よっぽどオクサレ様呼ばれそう。


誤字脱字乱文等、失礼いたします。


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