表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、デビュタント編
175/179

167時間目 「課外授業〜蝶よ花よ〜」

2018年11月17日初投稿。


続編、投稿します。


デビュタント編本編開始です。

中世の昼のパーティー形式なんて礼儀作法なんて知りませんので、独断と偏見です。

フィクションです。

ご了承いただける方のみ、閲覧願います。


167話目です。

 ***




 来たる、4月末日。

 問題も課題も多々あれど、時間は止まってくれない。


 とうとうデビュタントの日がやって来た。


 ………やって来てしまった。


「では、この中からご自由にどうぞ」


 そう言って、白壇の精巧な装飾を施されたクロゼットを開けるルーチェ。

 衣装用とフィッティングルームを兼ねているという、我が校舎の教室と同等程度の広さをしたクロゼットである。

 その中には、色とりどりのドレスが収まっていた。


「うわぁあーっ、凄いね、ルーチェちゃん!」

「これぞ、貴族ってやつ!?」

「ぶっちゃけ、痺れる憧れるぅ!」


 女子組が歓声を上げる。

 歓声を上げていないのは、オリビアやシャルぐらいなものだったか。

 まぁ、彼女達は呆然としていただけだったまでも、目はキラキラと輝いていた。


 女子にとっての夢の世界というものではなかろうか。


 男爵家とはいえ、流石は貴族令嬢のクロゼット。

 選り取り見取りの衣装部屋。


 やはり女子らしく社交界に憧れを持っている女子達からは、口々に賛美が飛ぶ。

 そのおかげでルーチェも、どこか照れ臭そうだ。


 何故こうして、ルーチェのクロゼットを拝見させて貰っているかといえば。


 それは、国王からのオーダーである、生後半年の娘のデビュタントパーティーへの参加である。

 つまり、社交界デビュー。


 しかし、蒼天の霹靂とばかりに、校舎とともにこの世界に転移して来たオレ達に、パーティーの衣装などは持ち合わせは無い。

 ある訳がない。


 女子は勿論、男子も同じ。

 その為、このパーティーに臨むにあたり、レンタルを考えていた。


 女子組はともかく、男子組は最近色々な意味で成長が著しい。

 この間、制服を作ったばかりだというのに、既にキツイと言い出した面々もいるのだから、衣装を買っても着れなくなることはあり得そうな話である。


 金に困っている訳ではないまでも、そこで散財しても良いかと言えばそうではない。

 巡礼の為に、物資を買い込んだこともあるし、その他研究費の名目で色々と出費があることがわかっているのだから。


 なので、貴族家であるゲイルやディラン、ルーチェからの申し出があった際に、喜んでお願いした次第である。

 男子組も今頃は、彼らのクロゼットの前で騒いでいるだろう。

 冷めていそうな面々が、どんな反応をしているか見れないのが残念ながら。


「さっさと選んでこい。

 化粧でもするんなら、結構時間もギリギリだぞ?」

『はーい!!』


 クロゼットに、女子組を放流。

 ルーチェを引っ張りながら、喜んで駆け込んでいった。


 その様子を見て、微笑ましくもあって和んだのは内緒である。


 ちなみに、放流されていないオリビアとシャルは、既にドレスアップ済みだから。

 以前、シャルの必要不可欠な爆買いに付き合った際に、オリビアと色違いの揃いで買い揃えたマーメイドドレスを着用している。

 それぞれ、髪をアップにまとめ、花やレースをふんだんに使ったコサージュ(ソフィア作)でおめかし。

 さすが、美少女2人。

 化粧もなしに、輝いて見える。


「ほれ、お主もそろそろ準備せぬか」

「そうだぞ。

 ある意味、一番手間が掛かるのはお前だろうが」


 ぼんやりと彼女達の様子を眺めていたオレに飛ぶ叱責の声。


 こちらも既に、着替え終わっているラピスとローガン。

 ラピスは前の冒険者ギルドでの飲食会に参加した時と同じだが、今回ローガンが新しく衣装を新調。

 こちらは、彼女自身がいつの間にやらラピスと買い出しに出かけていたようだ。


 黒を基調とした、Aラインのドレス。

 アップされた彼女の赤い髪と同じ色のレースが、体のラインを引き立てながらも黒を暗くしない絶妙なコントラスト。

 首回りの華やかなネックレスも、白肌を引き立たせている。


 そして、彼女にしては珍しい薄化粧。

 女性らしい華やかな装いに、お披露目を受けた際、どうして今のオレは男ではないのか!と地団駄を踏んだ。


 牙を隠す為の魔法具まで用意していた彼女達に死角はない。

 なんと、ラピスが所有していた、人間へと姿を変える魔法具をローガンが本日は利用している。


 その為、彼女は今日、どこからどう見ても人間の女性。

 しかも、かなりの美女。

 ラピスと並ぶと、マジで凄まじい迫力の美女。


 おかげで、どうして今のオレは男ではないのか!と(以下省略)。


 ああ、そうそう。

 今回の、パーティー会場での、魔法具の使用に関して。

 そもそも、全部の魔法具をダメにすると、貴族の連中が使っている姿を少しだけ誤魔化す類の魔法具が利用不可になる、とブーイングが上がったのだ。

 どういう意味かと言えば、推して察するべし。


 シルエットや頭部を隠す為に、貴族連中は簡易な魔法具を使っているんだと。


 まぁ、そのおかげで、オレ達も簡易な魔法具が使えるようになるんだけどね。


 ただし、属性や出力に制限がかかっているので、攻撃系のものは使えないことになっている。

 間宮の指輪のようなものは、完全にアウト。

 しかし、こう言った見た目を誤魔化すものは、属性的に『聖』属性とされているので問題なし。


 って、そんな話はともかくとして。


「………心の準備をさせてくれよ」

「既に身体は女であろうや?何を躊躇う」

「本当、それな」


 とりあえず、もうっちょっと和ませて欲しいと願っても無理な話。

 さっき、女子組に言っていた内容と同じく、時間は有限。


 そして、容赦なく抉られる豆腐メンタル。


 そもそも、なんでオレがここにいるのかっている理由がそれだ。

 非常にしょっぱい、ついでにかなり無残な理由であるが、今のオレは女の体である。


 そう、女の体。


 つまり、女の衣装で参加するの。

 オレが、女装して、参加するの。


 不本意だけどな。

 本っ当に、不本意だけどな。


 大事なことだから、2回言った。


 この非常にしょっぱい無残な理由は、ゲイルからのオーダーである。


 もともと、オレは男装で臨むつもりだった。

 幻影での変装が出来ないとはいえ、晒しやらシークレットブーツやらで色々と誤魔化せる場所を誤魔化せば、なんとかなるレベルだった。

 悲しいことに、女になっても違和感がなかったのだから。


 しかし、何を隠そう例の女体化カミングアウトの際に、ゲイルが平身低頭………、どころか這いつくばってお願いして来た内容。

 それが、これ。


 オレが女装しての参加だったわけだ。


 曰くの牽制、というのがゲイルの言だった。


 というのも、彼の父親であるラングスタの失脚以降、ウィンチェスター家の後継者はほぼゲイル一択。


 だが、そんな次期当主である彼は、未だに独り身。

 現在35歳である彼が、独り身というのは貴族的には珍しくなくとも、その顔面偏差値的には奇跡的なほどに珍しいことだ。


 その為、外聞を気にした彼の母親が、画策したようだ。

 なんと、今回のパーティーへと、婚約の為の候補者を3人も擁立した上で、面通しをぶつけて来てしまっていた。


 非常に面倒くさい理由。

 ゲイルとしても、それは完全に予想外の動きだったらしい。


 その為ゲイルは、回避を出来る方法を探していた。

 候補者への面子を保ったまま、しかも彼が絶対に婚姻しなくても済むようにしなければならない。


 これまた、非常に面倒くさい。


 その上で、ゲイルとしては、候補者への面通し自体、遠慮したい事情がある。


 なにせ、彼には好きな女性がいる、というのだから。

 うん、知ってた。

 ついでに、相手も知ってる。

 というか、知られていないと思っていたのは、ゲイルだけだと思う。


 だからこそ、オレとしてもこのゲイルの母親からの画策に対して、協力するのは吝かではない。


 下手な貴族令嬢に捕まって、人生の墓場行きってのはかわいそうだとも思うしな。


 そんな下手な貴族令嬢に捕まらない為には、黙らせる為の相手が必要。

 足りない脳みそでゲイルは、しっかりと考えた。


 それが、今回の作戦。

 偽装婚約。


 ただし、一般女性には頼めるはずもなく、勿論貴族令嬢に頼もうものなら、それこそ婚約回避という大前提が破綻する。


 いっそのこと、うちのクラスの面子にでも頼もうかと思っていたそうだ。


 それもそれで、失礼な話だと思うけどな。

 多分、ソフィアかエマあたりに頼もうとしていたのだろうが。


 そんな中、丁度よくオレが女体化して戻って来た訳だ。

 うん、オレも言うけど、絶好のタイミングだわな。


 そんなこんなで、オレもこうして女子組達と同じように、ルーチェの家にお邪魔する羽目になったのだ。


 既にドレスはゲイル経由で、ヴィッキーさんからレンタル済み。

 オレのサイズに合わせた靴や装飾、ウィッグなどその他諸々も確保済みであった。


 なので、あとは着替えるだけ。

 景気良く服を脱ぎ捨てた。


「……ゴメン、後ろのホック頼めるか?」

「………それは、構わんが…」


 オレの頼みに、ローガンが歯切れ悪く応じた。

 小首を傾げて振り返ると、赤面の呆れ顔をした彼女と目が合うが。


「少しは恥ずかしがったらどうだ?」

「オレが恥ずかしがる理由は無いんだが?」


 苦言を呈された。

 解せん。

 なので、もう一度逆向きに、小首を傾げる。


 なんで、オレが恥ずかしがらなければならないのか。


 着替えをするには、脱がなきゃいけない。

 しかも、このクロゼットはフィッティングルームも兼ねていると聞いている。

 女子組は、既にクロゼットの奥にある、姿見の前でフィッティングをしているようだ。

 そして、この場にいるのは、ラピスにローガン、シャルにオリビアと女子ばかり。

 遠慮をする必要もない。


 そう思って、周りを見渡してみると、やはり何故か顔を赤らめたオリビアと目があった。


 ………え?なんで?


 下を見てみるが、相変わらずの女性の体だ。

 戻る気配は微塵も感じられない。


 胸の谷間に、既に今日何度目かもわからない溜息。


 そして、今着ているドレスは、背中が大きく開いているものだ。

 着ている最中なので、背中も胸も丸出し状態だが。


 傷跡やら首の刺青なんかが目立つかと思っていたら、ここ最近の治癒力向上のおかげか、薄れるどころか消えてしまっていた。

 血流上昇で浮かび上がったとしても、まったく目立たなくなったのはオレとしても僥倖なことであった。


 そんなオレの様子に、結局何かを諦めたらしいローガン。

 オレの背中のホックを留めてくれたその手は、やや乱暴である。

 理不尽。


 便利なチャックなんてものはこちらの世界には無いので、全てがボタンかホックである。

 この時代・世代の人間が大変不便であることが身に染みる。


 なんか、気になる反応だが、多分分かり合えない何かがあると思われる。


「じゃーん、これどうじゃん!?」

「うちは、こっち〜!」


 と、そこへ衣装の海を抜けて、放流されていた女子組が戻ってきた。


 ソフィアは薄桃色、エマはペールブルーの豪奢なドレスを選んだようだ。


 2人とも、最近はお互いの性格などと真逆な行動を取ることが少なくなり、衣服や趣味、色などの使い分けが薄れ始めた。

 きっと、今も自分の好きな色を選んだのだろう。


 自由に選んだこちらの色が、2人には合っている。

 確かに、そう思えて微笑ましく思った。


「わぁ、先生のドレスも素敵!」


 シャルのドレスと似た色をした若草色のドレスを選んだ伊野田が、オレの足元に駆け寄ってくる。


 彼女の言う通り、ヴィッキーさんが選んで貸し出してくれた深い紺色のドレスは確かに素敵だ。

 多少、露出が多いと感じるまでも、素敵の一言。

 最初見た時、なんでこれを着るのがオレなのかと泣きそうになったが。


「ちゃっかり、自分のドレスは用意してたんじゃん」

「乗り気じゃんね〜」


 そして、揶揄われる。


 こらそこ杉坂姉妹。

 野次を飛ばすな。

 乗り気でもなんでもねぇわ。


「体格が合うレディからの借り物なんだが?」

『えっ、誰?』

「ゲイルのお姉さん」

『あ、納得』


 安定の、双子シンクロ。


 シャルの髪を結っていたラピスが、鏡越しに吹き出したのが見えた。


 そして、その鏡越しに、シャルがオレを睨みつけているのも見えた。

 げっそりする。


 幸せを逃しまくっている溜息を吐いて、これまた着替えへと集中。


 ここで、既に準備を終えているルーチェ以外を、もう一度フィッティングルームへと追い払う。

 何が楽しくて、仲良くお着替えをしなけりゃならんのか。


 もともと、オレが男だったことを思い出して欲しいものだ。


 ………エマに関しては、わざとだと思われるがな。

 まだ諦めていないらしい。

 しつこい。


「ギンジ先生は、お化粧しないのです?」


 伊野田と共に、戻ってきたルーチェからの問いかけ。

 これまたげっそりとしながらも、苦笑をこぼす。


「ああ、オレは必要ないと思って…」


 そう言って、傍のテーブルに置いておいたウィッグを掴んでブラブラと振る。

 自分でやったが、気色悪い。


 とはいえ、先に言われた化粧に関しては、必要ない。

 そもそも、社交界デビューの目的が色々と違う。

 ウィッグで片目は隠すつもりだったし、別にこの顔で貴族令息を捉まえてくる予定も無いから。


 正直、そこまで本気で臨みたく無かったのも本音だった。


 だが、しかし、高を括っていたのはここまで。


「駄目じゃん!!」

「ちょっ、銀次、何言ってるし!!」

「は?………ほぁっ!?

 お前ら、ちゃんとドレス着てから出てこい、ど阿呆!!」


 会話の中どころか、ドレスルームに飛び込んできた杉坂姉妹。


 着替え途中だった為に、2人にして瑞々しく肉厚なわがままボディが丸見え状態。


 今度は、ラピスどころかシャルまでもが、鏡ごしに噴き出した。


 オレが、男である事実が忘れられている。

 がりがりと削られるSAN値。


 とはいえ、嫌な予感。

 感じた悪寒をそのままに、オレはその場でクイックターンを繰り出した。


「先生のメイクはウチらがやるって決めてるんだから!!」

「ギンジで遊べるチャンス、滅多にねえじゃん!」

『だから、逃げんなよ!!』


 そんなオレを、彼女達はなりふり構わずに捕まえた。

 全部、丸出しの状態で。


「お前なんで、オレで当たり前のように遊ぼうとしてやがる!!

 そして、服を着ろ!!」


 やはり、オレの性別がどこかに、忘れ去られているようだ。

 何から何まで、丸裸な彼女達のいろんな柔らかな部分が、背中やら腕に当たって鳥肌が止まらない。

 主に、背筋に感じる殺気故に。


 災難である。


 ………そして、このあとオレはめちゃくちゃ、遊ばれた。




 ***




 4月も残り、5日を残した末のこの日。


 王城のサロンを開放した次期お妃様のお披露目パーティーが催された。


 現在、開場15分前。

 既に、控え室には多くの貴族家が集まっている。


 口々に掛けられる挨拶や、久々の邂逅を喜ぶ声。

 それと、美辞麗句に飾り立てられた、腹の奥に毒を含んだ賛美。


 微笑みを崩すことなく、軽く受け流しつつも応じ続ける。

 頰がひきつりそうになるのは、こうしてオレ自身が来賓として参加する機会が、ここ数年でめっきり減少していた為もあっただろうが。


 変に緊張するものだ。

 培ってきた礼儀作法が錆び付いていないか、少し不安に思う。


 顔には出さずに、内心で溜息。


『異世界クラス』の男子組への礼服の貸し出しの為、今回ギンジ達とは別行動となった。


 オレが礼服を貸し出したのは、永曽根と浅沼、それと肩幅で引っかかってしまった香神だった。

 残りの面々は、ディランから礼服の貸し出しを受けていて、既に合流している。


 それにしても、と来賓の頭一個上から、それとなく視線を向ける先。

 そこには、一塊になっている『異世界クラス』の面々がいる。


 礼服姿の彼らは見慣れないことも相まって、随分と大人びて見えた。

 礼儀作法は、付け焼き刃なんて言っていた癖して、なかなかに堂に入った対応を見せている彼らは、貴族令息然りとしていて泰然だ。


 今も、貴族家の者や、令息達と会話を交わしているようだ。


 もともと社交的な榊原をはじめとして、落ち着き払った永曽根、余裕すらも感じられる香神、男爵家として教養を物にしているディラン。

 彼らが中心に、他の面々のフォローまでもを捌いている。


 ハヤトなぞ、不機嫌になりそうな徳川をフォローしつつ、貴族達を和やかに躱している。

 ギンジの二番弟子として、凄まじい情報処理能力を遺憾無く発揮しているようだ。


 彼の愛想の良さと、対話技術は是非ともオレも鞭撻願いたいものである。


 斯く言う一番弟子である間宮は既に姿を眩ましているようだがな。

 逃げ足の早い。

 大方、師匠を探しに行ったのだと思われるのだが、相変わらずのギンジ馬鹿である。


 しかし、彼らを見ていて、失敗したなと思う。

 見れば、顔の良い面々へと、少しでも近づこうと娘を持っているかだろう貴族家も集まろうとしていた。


 先にも言った令息然りとした姿。

 ついでに、礼服の上からでも分かる、引き締まった体躯を持った面々も多くなっている。

 その見た目通り、彼らの実力は我々騎士団も認めるところ。


『予言の騎士』から教えを受けていることも含め、顔良し、器量良し、礼儀も良しとなれば令嬢達も放っておかないだろう。


 しかし、オレが挨拶回りを優先して彼らから離れなければ、起こり得なかった事態。

 これは、後で謝罪をしておいた方が良いかもしれん。


「団長様、警護の件ですが…」


 ふと、そこへ今回のパーティーの警護担当である騎士団の体調が顔を出した。

 パーティーの開場、10分前。


「ああ、すぐ行く。

 それでは申し訳ありませんが…」


 周りを囲まれていた貴族達を躱し、一度控え室を出る。

 とはいえ、これも元々示し合わせていたことである。


 ギンジ達と合流してから会場へと入らなければならない為、その前に貴族達の挨拶を躱しておきたかった。

 しつこい連中は、婚約の申し入れから言質取りまで枚挙に暇がないからな。


 今回、ギンジをエスコートするにあたり、会場入りは一番最後になるように調整している。

 まぁ、されている、というべきか。


 例の母上の画策のおかげで、オレに注目が集まるようセッティングをされてしまっていたらしい。

 ギンジをエスコートすることにならなければ、おそらく候補者のいずれかの女性を選べと王城に詰め掛けてきたことだろう。

 我が母ながら、ぞっとする。


 閑話休題(それはともかく)


 時間になれば、各々順々に会場へと足を運び出す。

 最後の開場入りとなっているオレも含め、控え室には『異世界クラス』の面々が残ることになる。


 当たり障りなく挨拶を終えた彼らも、少々疲れているようだ。


「すまんな、オレの仕事を優先してしまって。

 君達への配慮が足りなかった…」

「ああ、いえ、大丈夫ですよ?

 オレ達としては、何か有益な情報が手に入るかと思っての行動でしたから」


 そう言って、にっこりと笑ったハヤト。

 出来た生徒である。


 他の面々も、世間話をした程度だと気にしていなかったようだ。

 突っかかられた訳ではないのもあるだろうが、多少は気を遣ったので疲れただけだと苦笑をこぼしていた。


 本当に、出来た生徒達だ。

 巻き込んでしまっている手前、良心が痛んだ。


 ついでに、胃も痛んだ。

 キリキリ聞こえて来そうなそれに、思わず手を添える。


「胃薬いります?」という浅沼の心遣いが、目に染みる。


 そんな中、ふと控え室の扉が開かれた。


「お待たせ〜!」

「ちょっと、時間かかっちゃったじゃん!」

「すみません、少し遅くなりました」

「悪かったわね」


 入ってきたのは、『異世界クラス』の女子組だった。


 一気に、控え室は華やかになった。


 薄桃色のAラインシルエットのドレスを選び、自慢の金髪に花のアクセントを付けてハーフアップにしたソフィア。

 ペールブルーでプリンセスラインのドレスに、金髪をお団子に結い上げたエマ。

 ライトグリーンでAラインのミニ丈ドレスに、ゆるくウェーブのかかった髪をサイドに流した伊野田。

 ターコイズブルーのマーメイドラインのドレスに、団子にした銀髪にコサージュをふんだんに盛り付け、耳を隠しながらも華やかになっているシャル。

 ライラック色のシャルと色違いのマーメイドラインのドレスに、ハーフアップにした髪をお団子にしてこれまたコサージュで飾り付けたオリビア。

 プリムローズ・イエローのプリンセスラインのドレスに、編み込んだ三つ編みを団子にしたルーチェ。


 これには、男子組も感心したり呆然としたりと様々な様子である。

 いつもとは違う、思い思いに着飾った姿の女子組も、また貴族令嬢然りとした華やかさがあった。


 今度は、貴族令息達が放っておかないだろう。

 斯く言う令嬢達からも、嫉妬の視線を受けそうなものだ。


 オレとしても、目が眩んでしまいそうな粒揃いの美女達である。


 しかし、だ。


「あれ?先生は?」


 その中に、1人欠けている人間がいる。

 瞬間、思い通りの反応に満足しVサインまでしていたソフィアが、苦笑をこぼした。

 ついでに、視界の端でシャルが歯噛みしたのも分かる。


「まぁた、渋っちゃって…!」

「時間無いって言ったの、自分だったのにね」


 という杉坂姉妹の言葉尻を捉えると、おそらくここに来るまでにも何かしらアクシデントがあった訳か。

 渋る、と言うことは、出てこようとしていないと言うことだろう。


 時刻は、既に開場時刻になろうとしている。

 いくらなんでも、時間になって控え室を出て行くのでは間に合わない。


 だが、一向にその扉の向こうから、エスコートする筈のギンジが出て来ることはなかった。


「仕方ありませんわね」

「もう、先生ったら…!」


 業を煮やして、オリビアと伊野田が動いた。


 控え室の扉の向こうに消えたかと思えば、


「さぁ、ギンジ様も、お・は・や・く!」

「もう、時間が無いんですからね〜!」

「いや…ちょっ、待っ…!」


 聞こえてきた、押し問答。

 なんだ、すぐそこまで来ているんじゃないか。


「これこれ、今はギンジではなく…」

「いや、そう言う問題でもないっ!

 とにかく、ちょっと待ってくれ!」

「どうでも良い。

 恥ずかしがる理由が無いと言ったのは、その口だろうが」

「そりゃそうだけど、それとこれとは…ッ!」


 会話を聞いて、杉坂姉妹はニヤニヤ。

 シャルは何やらイライラとした様子で、彼女からは状況が推し量れん。

 ルーチェは困ってオロオロとしているのを、ディランになだめられているので以下同文。


 分かった。

 ………思った以上に出来上がりが、アレだったんだな。


 呆れてしまうが、まぁ仕方ない。


 元々、女顔だったのだから、それ以上もそれ以下もないと思うんだが。

 それとも、衣装が合わなかったのか。


 まぁ、それに関しては頼み込んだ手前、文句が言えないので黙るとして。


「とりあえず、揃っているならそろそろ行こう」


 このままでは、埒があかない。

 時間も有限であることだし、こちらから先に動くことにした。


 出来上がりがどうであれ、請い願ったオレがどうこう言えることではない。

 諦める、という感情は得意なのだ。

 不名誉ながらな。


 そう思いつつ、控え室の扉を押した。

 だが、その直後、


「………はっ?」


 頼んだことを、後悔した。




 ***




 ————…それは、花だった。


 誰が思ったか。

 あるいは、誰もが思ったか。


 次期お妃様と目される、王女殿下のお披露目デビュタントを兼ねたサロン。


 今回は、秘匿事項とも言われていた王国の賓客『異世界クラス』の生徒達が初めて参加するパーティーということもあり、盛況に尽きた。

 招待された貴族家は勿論、配偶者やパートナー、親族までもを引き連れて当初予定していた人数を大幅に更新。


 絢爛豪華な装いのサロンには、王城召抱えのオーケストラの生演奏に、豪勢なヴュッフェ。

 窓際のテラスには、休憩スペースまで設けられている。


 開場には既に、多くの来賓が詰め掛けていた。


 そんな中、


「まぁ、アビゲイル様よ!」


 いち早く気付いた令嬢の、黄色い声。

 礼儀作法がなっていないと咎められる声は上がらなかった。


 誰もが、その呼び名に惹きつけられた。


 開場に響いた、どよめき。

 伝播する。


 貴族令嬢達の主な目的を全て掻っ攫ってしまった王国騎士団随一の槍の名手にして美貌の次期公爵家当主。


 誰もがそんな青年の登場を、心待ちにしていた。

 名が呼び連ねられたのを耳に、扉へと視線を集める。


 熱烈に、あるいは羨望と嫉妬の濁った色を宿して。


 開け放たれた重厚な大扉のその中央。

 堂々たる風情で佇む、黒髪の麗人。


 豪奢な銀や真珠の装飾を施されたフロックコート。

 微笑みに彩られた端正な顔立ちに、背中に流された一括りに揺れる長い黒髪。

 だというのに、押し込められた精悍な体躯がシルエットからも分かる武人のそれ。


 神が依怙贔屓のごとく、二物・三物以上を与えただろう男がそこにいた。


 しかし、その視線の先に、異変。

 確かに男は、その場に佇んでいるまでも、その隣を歩く女性の姿があった。


 会場に、更なるどよめきが伝播する。


 今回のパーティーに彼、アビゲイル・ウィンチェスターが参加すると表沙汰になってから、彼がエスコートする女性の存在などは浮上していなかった。

 だからこそ、令嬢達は粧し込んで気合いを入れ、令嬢ではなくとも親族の誰かを宛てがい、あわよくば公爵家の末席に連なろうと躍起になっていたというのに。


 由々しき事態と言えただろう。


 必然、エスコートされているその女性へと、自然と視線が集まる。

 先ほどとはまた別の、熱烈でいて嫉妬や憎悪、殺意までもが込められて。


 女性は、恥ずかしがっているのか視線を下げていた。


 だが、ふと優しげに苦笑をこぼした、アビゲイルが耳打ちをした途端。

 その女性が、唇を引き結んだかのように見えた。


 そうして、視線が上がったと同時。


 —————…時が止まる。


 深い紺色の髪は、編み込まれサイドで結い上げられ、大ぶりな白い花の髪飾りが良く映える。


 透き通るような白い肌に、薄化粧。

 その美貌には、誰もが嫉妬と羨望を向けた。

 髪と同じ色合いのデコルテのドレスは、プリンセスライン。

 上半身はタイトで細いながらも豊満な胸元を強調しつつ体躯を引き締め、腰から下のレースとシルクで盛り付けられたボリュームが華やかに飾る。


 初参加であろうことは、間違いなく。

 オペラ・グローブに覆われた手が、心許なさそうにアビゲイルの袖を掴んで震えていた。


 そんな女性の姿を見て、男性陣は目を奪われた。

 女性陣すらも、それはほとんど同じ。


 ————…それは、花だった。


 誰が思ったか。

 あるいは、誰もが思ったか。


 会場の空気が、まるでイブニングパーティーのような熱に酔い始めた瞬間であった。




 ***




 これは、やってしまった。

 当初の目論見を、完全に外してしまったようだ。


 出来れば、目立たないように。

 今回は、お披露目と言ってもメインは王女殿下だから。


 そう考えていたが、しかし。


 会場に入った直後、うつむいていたオレにゲイルが揶揄う言葉をかけた。


「ドレスコードが間違っていたかもしれんな」、と。


 怪訝に思って顔を上げた瞬間、ヤバイと感じた。

 空気が、一気に変わったのだ。


 いや、ガチで。


 自意識過剰とかじゃない。

 真剣に、ヤバイぐらいに空気が変わっちゃったの。


 まぁ、隣でエスコートしているのが公爵家時期当主にして王国騎士団騎士団長・アビゲイル・ウィンチェスターとか言う時点で、目論見も何もなかったかもしれないのだが。


 警備担当部隊で、会場の奥にいたヴァルトが噴き出したのが聞こえた。

 ついでに、頭上で影警護に回っていただろうハルが転げ回っているだろう気配を感じる。

 更についでに、背後の生徒達も笑ったのが分かった。

 この雰囲気は、浅沼と香神と徳川だろうな。


 アイツら、まとめて後で〆よう。

 怒りで、拳が震える。

 掴んでいたゲイルの腕が、ミシミシと言っているが知ったことか。


 しかも、


「(オレはこの会場を出るまでに、何人背中に気を付ければ良いのやら…)」

「(…巻き込んでしまって、済まん…)」


 突き刺さる、視線。

 視線、視線、視線。


 精神的なものだけではない。

 物理的に刺さりそうなものまで、含まれている。


 羨望、憧憬、嫉妬、憤怒、殺意。

 前半はゲイルに、後半はオレに。


 中でも、嫉妬と殺意が凄まじい。

 そして、その視線のほとんどが女性からのものである。


 昼のパーティーとはいえ、さすがは社交界。

 覚悟は決めていたつもりだったが、これは少々早計だったかもしれない。

 ………げしょ。


 安請け合いをするんじゃなかった。

 女の嫉妬は、一番手を焼くんだからえらいこっちゃ。


 とはいえ、


「この度の陛下におかれましては、ご機嫌麗しく。

 また、次期お妃様の晴れの日を、心よりお祝い申し上げまする」

「いや、アビゲイルも今日はよく来てくれた。

 それに、………このような麗しき手中の珠を連れてくるとは、こちらとしても祝いを述べるべきかな?」


 固まってはいられない。

 ゲイルのエスコートもある為、さっさと主賓へと挨拶へと向かう。


 今回のオレの女装の件は、すでに国王陛下も知っている。

 と言うか、知らせないと面倒なことになるので、絶対に知らせないといけない面子です、当たり前。


 なのに、その国王陛下は顔が引きつっちゃってる。

 オレの劇的ビフォーアフターのせいだよね。

 わかります。


「ご機嫌麗しゅう、国王陛下。

 また、王女殿下も生誕、ならびに生後6月をおめでとうございまする」


 声音を調整して、ゆったりとした口調で口上を述べ、辞儀(カーツェー)

 顔面の筋肉を総動員して最大限の微笑みを見せれば、卒倒寸前の国王陛下の出来上がりとなってしまった。


 ………おい、オレの微笑みをなんだと思ってんだ?

 返せこの野郎。


 まぁ、返却しようがないので放っておいて。


 国王陛下の気持ちは分からんでもない。

 なにせ今のオレの惨状は、酷いもんだ。


 ドレスや靴、装飾こそ借り物で地味な系統ながら、化粧で随分と盛られてしまった。

 完全にどこの国のお姫様ですか状態。


 それもこれも、はっちゃけた杉坂姉妹のせい。


 鏡を見て、一瞬オレも誰だか、分からんかった。


 おかげで、オレは生徒達からも、失笑(※と言う名の、驚愕の笑い)を受けたのだ。

 しかも、ゲイルには最初、認識もして貰えなかった。


 こいつ、よりにもよって「どなたでしょうか?」って、完全に部外者と勘違いしていたんだから。


 激しく遺憾である。

 そんなに、オレは違和感がねぇのかコンチクショーめ。

 違う意味でハンカチを噛む羽目になったのは、余談である。


「こちら、『予言の騎士』ギンジ・クロガネ殿が妹君・『アイ』殿でございます。

 陛下にご報告が遅くなってしまいましたが、この度私の婚約者としてご紹介に参りました」

「ご紹介に預かりました、藍・黒鋼と申します」


 そして、今回参加するにあたってオレは、架空の存在である黒鋼 藍として別人になりすます。


 設定としては、黒鋼 銀次の妹。

 オレと色合いが似ていることはこれで誤魔化せるし、今まで病弱で外に出てこれなかったと言っておけば、『異世界クラス』の内情を知らない貴族連中には通じるはず。

 生徒達を、ゲイルに充てがうよりもその方が、立場的には申し分ない。


「兄君におかれましては、日頃兼ねてよりお世話になりまして」

「不甲斐ない兄ではありますが、お役に立てているようで何よりでございます。

 今後とも、ご懇意のほどをよろしくお願いいたしますわ」


 目礼を重ねれば、国王陛下の隣で王女殿下を抱いたお妃様がほう、と感嘆の溜息をこぼしたのが分かる。

 付け焼き刃とはいえ、礼儀作法は間違っていないようだ。


 ちなみに、今は王女殿下、寝ちゃってます。

 そりゃ、昼のパーティーとはいえ、12時開催なんだから飯かお昼寝の時間だよね。


 赤ちゃんらしい、ふくふくとした顔に真っ白なシルクのおくるみ。

 見る限りで、大事にされていると分かる。


 ………見ているオレとしては、恐々としているのが実情。


 すみません。

 国王陛下も、オレが赤ちゃん苦手っていうのを教えてあるので、苦笑しながら許してくれている。

 本当に、すみません。


 嫁さんも出来たことだし、そろそろ頑張んないと。


 それは、ともかく。


「このような祝いの席であるにも関わらず、風邪などひいてしまいました兄ですが…」

「いえ、お忙しい兄君のこと、無理が祟られたのでしょう。

 ご療養くださいとお伝えくださいませ」


 そうそう。

『予言の騎士』こと銀次(オレ)に関しては、風邪で欠席ってことにしてある。


 今回は祝いの席でもある上に、その祝われる当人が赤ん坊なのでなんの不思議もない。

 実際、そうした理由で欠席する参加者もいたからね。


 ちなみに、オレの仕事放棄(ストライキ)している左腕をどうしているか?といえば、今回は大仰ながら魔法具を使わせてもらっている。

 幻影魔法の一種なので、一見すると自由に動いているように見えるらしい。


 オレが、身体的にハンデがあることは、貴族には知れ渡ってきているからな。

 兄妹揃って、と言われると怪しまれそうなので、こういった形で少しばかりカモフラージュだ。


「(………ん?)」


 そこで、ふと眼が合った。


 亜麻色の髪の妙齢の女性。

 年の頃を見た目で判別できそうにない美女だが、お妃様と同じぐらいだろうか。


 挑むように、あるいは射抜くようにオレを見ている。


 生憎と、美女の知り合いは多かれど、彼女のような年上の女性は記憶にないのだが。


 国王陛下の側に侍っている状況を見ても、彼女がある程度の地位にいることは分かる。


 ただ、


「(もしかして、お前の母親か?)」

「(よ、よくわかったな………)」


 面影があると感じられるのは、隣に立つ男(ゲイル)だ。


 オレの目線に気づいてか。

 彼も、その挑み掛かるような女性の視線に、たじろいだ。


 やはり、彼女はゲイルの母親だったらしい。


 何故睨まれているのかは、察している。


 夫であるラングスタを追い詰めた件で、オレが加担していることは本人の口から聞いているだろう。

 ゲイルに肩入れしている上で、こうしてコネクションを広げているのが気にくわないのだろう。


 無論、オレがということになるのだが。


 ちなみに、以前イレギュラーでお邪魔した時、オレは執事としか顔を合わせていない。

 えっと、確かゲオルグさんと息子のルークくん?

 彼らにはウィッグの中身まで、ごちゃっと見られてはしまったが、ゲイルが口止めをしていた筈。


 そして、オレはその後、ゲイルの家にはお邪魔していない。

 なので、家族とはノータッチだった。


 いくら兄弟達と懇意とはいえ、そこまでは弁えている。

 相手は、公爵。

 そして、母親であろうとも、公爵夫人という肩書きは本物。


 とはいえ、オレはそんな公爵夫人へと、これからご挨拶にいかなくちゃいけないんだが?

 心持ちげっそりとしながらも、国王・お妃様へと辞去の口上を述べて、次に挨拶を待つ貴族達へと道を譲る。


「ご機嫌麗しゅう、母上」


 まずは、ゲイルがやや強張った面持ちながらも、口を開いた。

 オレは、そんな彼にエスコートを受け、公爵夫人の前へと立つ。


 上から下まで、彼女から眺められる。

 実質、品定めなので、居心地が悪いとは思いながらも気付いていないふりで微笑んだ。


 そうして微笑みながら、ちらりと彼女の背後を盗み見る。


 公爵夫人である彼女の背後に並ぶ、5人の少女達。


 ………間違った。


 1人、ゲイルと同じようなフロックコートを着ている為、少年だったようだ。


 身なりや髪肌の質、佇まいからして貴族令嬢。

 うち、1名か2名が見たことがあると思われる。


 ただし、その4人の誰もが、オレを睨んでいた。

 凝視の度合いが、嫉妬や憎悪を含んでいる時点で、彼女達がどういった境遇にあるのか察することは可能である。


 そこで、オレの品定めを終えたのか。


 扇子で口元を隠した公爵夫人が、徐に口を開いた。


「ご機嫌麗しく見えるのなら、貴方の目は節穴ではなくて?」

「………手厳しいな。

 国王陛下や藍殿の御前では控えてくれと朝の段階で言った筈でしたが?」

「生憎と、了承した覚えは無くってよ?

 貴方のせいで、夫や娘達がどれだけ白い目に晒されているか…」


 と、開いた口から溢れ出たのは、辛辣な言葉。

 内容は、愚痴でもあるか。


 ラングスタの件に関しては、オレも過剰に反応してしまったとは思う。


 今でも、ラングスタは夢にうなされて、医者の世話になっているそうだ。


 だが、そこはそれ。

 ゲイルのせいにするのは、お門違いだ。


 まぁ、当人達に言ったところで、承服する訳もない。

 苦笑をこぼしておいた。


 そんなオレの苦笑に、公爵夫人はいっそう鋭い視線を向ける。


「ところで、いつまでも侍らせているだけで、挨拶もさせないご令嬢はどこのどなたかしら?」

「母上…」


 とっさに、諌めようとしたゲイル。

 しかし、効果はなさそうだ。


 呆れた様子ではあるが、彼は溜息半分。

 気持ちを切り替えて、


「『予言の騎士』様の妹君である、藍殿です」

「お初お目にかかります。

 藍・黒鋼と…」

「あら、そう。

 『予言の騎士』に妹君がいるとは聞いたことは無かったけれど」


 紹介してくれた矢先のこと。


 口上を述べようとして、敢え無くばっさり。

 これには、ちょっとばかり唖然。


 こりゃ、随分と嫌われたもんだ。

 勿論、今のオレではなく『予言の騎士』であるオレだろうが。


「病弱であまり表に出られなかったようですので、知られていないのも無理は無いかと」

「あら、このような席には出られるのに?」

「今回は、デビュタントも含めての席。

 王女殿下が新生児であることで風邪で欠席された『予言の騎士』様は別として、オレが無理を言って出席していただいたのです…」

「その風邪で出席という『予言の騎士』様も、どうかと思ってよ?

 体調管理も、肩書きに必要な嗜みではなくて?」

「無茶を言わないでください。

 本来なら忙しい身の上の方なのですから…」


 刺々しい公爵夫人の物言いは、配慮の欠片もない。

 普通なら、問題になりそうなものながら、彼女も公爵家に嫁いだ自負があるのだろう。


 まぁ、没落させる予定は無いまでも、その一歩手前までは追い詰めた。

 没落するかもしれないと危機感を抱いているのはウィンチェスター家の面々が一番強いようだ。


 その一因であるゲイルはもとより、オレに対して懐疑的になるのは仕方ない。


 ここまで、毛嫌いされるとは思ってなかったまでも。

 口端が引きつらないように気にしながら、目礼に留めておこうと視線を少し下げた。


 ————………筈だったが、


「あ〜ら、それをおっしゃるなら、いつまでも国王陛下のお耳に入る場所で長々と言葉を交わしていることが公爵家の嗜みでございますの?」

「ひゃい…ッ!?」


 突然、背後からするり、と撫でられた背中。

 素っ頓狂な声を上げかけて、咄嗟になんとか声量は抑えたまでも、驚きのあまりに一瞬だけ礼儀作法も忘れ振り返る。


「お久しぶりですわね、『藍』様?」

「ヴィッキーさん…ッ」

「姉上…?」


 斯くして。


 そこにいたのはアンニュイな色気を振りまく女性。


 名を、ヴィクトリア・ハリス。

 旧姓は、ウィンチェスターであり、隣のゲイルの腹違いのお姉さん。

 今自分が着ているドレスの借主である。


 ………接近に気づけなかったとか、オレも存分緊張してたらしい。

 先程の悲鳴と合わせて恥ずかしい。


 そんな彼女は、今日は見事なほど絢爛でありながら真っ黒なドレスでご登場。


 豊満な肢体を押し込め、胸元が溢れんばかり。

 血筋なのか白い肌と黒いドレスのコントラストが良く映え、更に色気を強調しているようだった。


 実際、オレより大きいよね?

 …こだまスイカな、ローガンぐらい?


 なんてことを考えていたからか、背後から鋭い視線が叩きつけられた。

 オレの嫁さん達、まじエスパー。


 というわけで、そんな目線が打ち付けられそうな場所は無視して、ゲイルの面影を持つ麗しいお顔へと視線を上げる。

 若干、面白くなさそうな顔をされた。

 ついでに、同じく溢れんばかりとなっているオレの胸元のその谷間に何故か指を突っ込まれた。


 警備担当であった、近衛兵達が前かがみになったのが見えてげんなりする。


 それはともかく。


 彼女の登場と、先ほどの言葉。

 ゲイルの母である女性から、更に怒気とも取れる剣呑な雰囲気が流れ始めた。


「ご機嫌麗しゅう、お義母様」


 しかし、ヴィッキーさんはなんのその。

 その空気の中を全く動じた風もなく、悠々と挨拶へと切り替える。


 流石は、元貴族令嬢にして商売人。

 胆力が違う。


「あなた達は、2人揃って…!」

「あら、ゲイルとは違って、私は病弱なご令嬢を連れ回したりはしておりませんことよ」


 そう言って茶目っ気たっぷりに、オレへとウィンク。


 彼女の言いたいことが理解できたと同時に、なんだか無性に肩の力が抜けてしまったのは何故だろうか。


 ただ、肩の力が、それ以上に入ってしまった人間もいるわけで。


「お黙りなさい!

 家の名を捨て泥を被せていった分際で…!」


 鋭い叱責の声。


 元々吊り目がちであった目を更に吊り上げた公爵夫人が、憤怒を露わにした。

 ………ここ、昼とはいえ社交界で、国王陛下の御前だって分かってんのかねぇ?


「あら、あたくし、ウィンチェスターの姓は捨ててから、名乗っていませんの。

 泥を被せるだなんて、人聞きの悪い言い方ですこと」

「その物言いが、既に我がウィンチェスター家を…!」

「あなたが後妻とは認めても、ウィンチェスター家の母としては認めてませんわ」

「な…っ!?」


 瞬間、ゲイルの顔どころか、オレまで緊張した。


 ヴィッキーさんの一言は、ウィンチェスター家の難しい、正妻・側室問題へと真っ向から切り込んでいたからだ。


 突然のことに、公爵夫人も絶句。

 彼女に侍っていた貴族令嬢達すらも、青い顔をしてしまっていた。


 この言葉の意味合いは、公爵家に関わる人間なら誰もが知っている。

 現在、目の前にいる公爵夫人である彼女、ヴィオラ・ウィンチェスターは、後妻。


 先代の公爵夫人は既に鬼籍に入り、ヴィッキーさんはその前妻の娘なのだ。


 一種のタブーとも言える、言葉だった。


 だが、そうした空気も、彼女はなんのその。


「あら、ごめんあそばせ?

 あたくしったら、逆に口性の無いことを申し上げましたわ。

 ………お許しくださいますわよねぇ、お義母様?」


 何事も無かったかのような口ぶりで、謝罪。

 貴族令嬢としての嗜み故かの、強かな口上には流石にオレも舌を巻く。


 公爵夫人は、今だに絶句したまま。

 唇を噛み締めているが、真っ赤な顔で言い返す言葉も無くした様子だ。


 それを、「ざまぁみろ」と痛快な気分で見ていることは出来ない。

 これじゃあ、理性的な駆け引きが出来なくなる。


 オレもゲイルもどうしたものか、と顔を見合わせてしまった。

 ヴィッキーさんも、やり過ぎたとは自覚しているようで、広げた扇子で隠れて舌を出している。


 その時だった。


「それぐらいにしてやれ、ヴィッキー」


 背後からかかる、更にもう1人分の声。


「…ッ…兄様」

「兄上!」


 今度は、ヴィッキーさんが驚いて、振り返る番だったようで。


 ヴィッキーさんと同じく、オレ達の背後から現れたのは彼らに兄と呼ばれた通り、ウィンチェスター家の長兄・ヴィンセント・ウィンチェスターであった。


 ゲイルにそっくりな黒髪と、群青にも似た紺碧の瞳。


 瞳の色だけ取り替えて、ゲイルを老けさせればこんな顔になるだろう男性。

 そんなヴィンセントことヴィズが、ドレスコードに基づいた黒を基調としたモーニングコートで立っていた。


「ヴィズさん」

「お久しゅう、藍殿?

 お加減はお変わりありませんか?」

「ええ、今日はなんとか…」


 お互い、苦笑を零して挨拶を交わす。

 事情を知っているからか、ヴィズもまた淀みなく言動に怪しまれる点は無い。


 実際、この件に関しては、ヴィッキーさんは女体化の件を知らなくても女装の件は知っているし、ヴィズに至っては全部を知っている。


 カミングアウトの時にはなかったけど、このパーティーに『暁天ドーン騎士団』団長として参加することが決まってから、ちゃんと理由を説明して、協力してもらう手筈になっていたから。


 とはいえ、ウィンチェスター家の兄妹姉弟一同が3人も集まったおかげで、何やら真っ黒なのに華やかだ。


「豪華な共演」と、近衛兵の誰かが呟いたのも聞こえた。

 オレも、そう思う。


 そして、ヴィズの登場には、真っ赤だった顔を真っ青にした公爵夫人も出来上がり。


 うーん、と色々、複雑な事情故って感じだな。


 失脚した公爵閣下ことラングスタと違ってヴィオラ公爵夫人は、ヴィズやヴァルト、ヴィッキーさんの出奔に対して、負い目のようなものを持っていた、と。


 事前情報としては知っていても、聞くのと見るのでは違う訳だ。


 騎士昇格試験の飲み会の時だけでは足りなかった情報は、追々ヴィズとヴァルトから聞き取りさせてもらっていた。

 ヴィッキーさんとは、ちょっとばかし疎遠になっていたので聞けなかったまでも。


 その内容的には、こうして見ている通り。


 ヴィッキーさんに関しては、ヴィオラ公爵夫人はかなりキツめ。

 これは、ウィンチェスター姓を捨ててまで商売人として成り上がった彼女へ、少なからず貴族としての矜持を踏みにじられたと感じているから。


 ただし、これがヴィズとヴァルトになると、対応が180度反転する。

 これは、ラングスタが彼らを冷遇したばかりか暗殺まで行おうとした凶行への、負い目。


 実際、彼らにはヴィオラから、度々気遣うような手紙をもらっていたそうだ。

 ヴィズもヴァルトも、ラングスタへの不信感から鵜呑みにはしていなかったようだが、手紙の内容を一部見せてもらったオレからしてみれば事実だと感じた。


 オレは、母親を知らない。


 けど、母親ってこういうものだよな?っていう、一種の母性のようなものは感じることがある。

 ラピスを見ていてもそうだし、最近では18歳にして母になった佐藤を見ていて思うこと。

 雰囲気が、違うというべきかな?


 手紙の内容は、体調・精神面、仕事を気遣う内容ばかり。

 ちゃんと食べているか、眠れているか、このような状況になってしまっていることへの深謝が5割ずつ。


 曰く、彼らの母親である故・フォルニア夫人との約束だったようだ。

 詳しいことはわからないまでも、今のヴィオラ公爵夫人の反応を見れば一目瞭然であることは間違いない。


「義母上、本日はご機嫌麗しゅう」

「…ヴィンセントさん…」

「…ならびに、お久しゅうございます。

 以前より、手紙をいただきご返答が遅れていたことに関しましては、改めてこの場でお詫びいたします」

「い、いえ…そんな」


 先ほどのヴィッキーさんとの舌戦とは、対照的な会話。

 これには、どうやらヴィッキーさんすらも、肩透かしのような形になったのかオレの顔を見ながら肩を竦めている。


 その間、ヴィズは当初のスタンスを崩すことなく、一歩引いたところで口上を述べる。

 ただ、


「度々、お気遣いいただき、ありがとうございました」


 ふんわりと、微笑む姿。


 その雰囲気が柔らかくなっているのは感じた。

 砦で会った時よりも、この間城の中で報告の為に会っていた時よりも、更に。


 本当に、家族と接していると感じられる距離感。

 ヴィズは、手紙の内容を素直に受け入れることにしたようだ。


 今度は、オレとゲイルが顔を見合わせて、苦笑をすることになった。

「あら、妬けちゃう」と言って、オレの背中に抱きついたヴィッキーさんは、どうしたもんか。


 はてさて。

 そんなヴィズの様子に、社交界で一定の地位を築いてきた公爵夫人が気づかぬはずもなく、


「あ、そんな…そんなことを言って貰える程、何も出来なくて…」


 眦を潤ませて、ヴィオラ公爵夫人が涙を堪えるように口元をハンカチで抑えた。


 その背を支えるようにして、中高生ぐらいの少女と小学生ぐらいの少年が進み出る。


 同じ黒髪で、それぞれ琥珀の瞳と空色の瞳。

 彼女達がゲイルの妹と弟であると、言われなくても分かる。


 ヴィズは、そんな彼らにも苦笑にも似た微笑を向けていた。


 どうやら、彼は過去を洗い流す道を選んだらしい。

 そう感じた瞬間に、なんだかオレ達までくすぐったくなってしまって、ついつい社交界ということも忘れて微笑みあった。


 ………近衛兵の数名が、何故か卒倒したんだが。

 何故だ、解せん。


「…わ、私ったら、お見苦しいものをお見せして…」


 涙ぐみはしたものの、公爵夫人としての矜持を守ったヴィオラ公爵夫人。

 口元を押さえていたハンカチで目元を軽く拭うと、ヴィズを見上げながら微笑んだ。


「いつか、あの人もあなた方を認めてくれる筈と、信じています」

「…道のりは長いだろうが、死ぬまでには努力いたします」


 なんて、ヴィズが茶化している間。


「少し、外す…」

「え?」


 そう言って、ゲイルがおもむろに動く。

 向かった先を見て、ヴィッキーさんと一緒で吹き出したのは、ちょっとばかし内緒。


 答えは、彼が向かった先で苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、役職故に逃げ出すことが出来ないウィンチェスター家の次男坊の怒号が聞こえたことで分かる。




 ***




 はてさて、ウィンチェスター家の兄妹姉弟が、勢ぞろいして数分。

 貴族令嬢達の視線が、こぞって向けられることでちょっとした団子状態になってしまっていた。


 モーニングコートをそつなく着こなした上に、長い黒髪を撫で付けた40歳を超えているとは全く見えないヴィズ。

 騎士服の上からでも分かる筋骨隆々の体を魔術師部隊顧問としてのローブに押し込めた故・フォルニア夫人の面影を残したヴァルト。

 黒髪に黒いドレスでモノトーンでありながらも、まるで年齢を感じさせない華やかな装いのヴィッキーさん。

 そして、この社交界の花形である、絢爛豪華なフロックコート姿のゲイル。


 ウィンチェスターの成人済み兄妹姉弟が揃い踏みである。


 そこに、これまた年齢不詳で、黒髪に空色の瞳の公爵夫人ヴィオラ公爵夫人。

 ゲイルの妹であるラングスタから琥珀の瞳を継いだメリッサ・ウィンチェスターと、弟であるヴィオラ公爵夫人の空色の瞳を継いだライリー・ウィンチェスター。


 ここにラングスタがいれば、家族団欒となっただろう。

 ぶっちゃけ眼福です。

 オレですら、そう思う。


 うん、オレはゲイルの見た目と性根は認めてんのよ?

 それ以外がダメダメだから、扱いが雑になってるけど。


 改めて、メリッサちゃんとライリーくんを紹介される。


 付け焼き刃で覚えた辞儀カーツェーで挨拶をすると、両極端な反応をされたが気にしない方向で。

 妹には睨まれ、弟には赤面されたってだけ。

 さすがゲイルの姉弟。

 顔に出るね。


「ヴィンセントさんや、シュヴァルツさんともお会いしてらっしゃったの?」

「ええ、ヴィズさんは、以前南端砦の兄達の遠征の際にお世話になったとのことで、報告の為にいらしていた時。

 ヴァルトさんは、いつも『異世界クラス』の研究所に出入りされてますから…」

「そ、そうだったのですね…。

 わ、私てっきり、先に挨拶を済ませたものかと、驚いてしまいましたわ」

「そ、そんな…挨拶だなんて…」


 この数分、紆余曲折もありながらヴィオラ公爵夫人の態度が軟化した。


 どうやら、ヴィズが耳打ちをしてくれたらしく、オレこと藍の助言でこの兄妹姉弟の再会やらなにやら、ついでに仲違いが解消されたことになっているらしい。


 実際には、銀次オレが協力したんだが、この際藍の功績にしちゃえってことで。


 オレとしては、どっちでも良いんだけど。

 藍という設定の人間は、巡礼の旅の途中で死んだことにしておくし。


 無駄な設定は、とにかく省くってね。


 そんなことよりも、だ。


「ああ、挨拶といえば、こちらのご令嬢方をあなたに紹介したくって…」

「母上…」

「…分かっていますとも!

 だけどねぇ、あの人もそうだったけれど、側室を持っておくことも大事な公爵家としての義務を果たすことに…」


 そう言って、云々。

 御託を並べながらも、ヴィオラ公爵夫人が呼ばわったのは、彼女の背後で石像よろしく固まってしまっていた令嬢達であった。


 どうやら、ウィンチェスター兄妹姉弟の勢ぞろいで、気圧されていたらしい。

 狼の群れに放られた羊のような風情だったのが少し笑えた。


 そんな令嬢達だったが、公爵夫人から声をかけられたと同時にその顔つきは真剣なものになった。

 無論、真剣ですと顔に書いてあるものではなく、微笑をまとって。


「ミリオット侯爵家が次女、ゾーイティファニー・ミリオットですわ。

 本日はお日柄もよく、またもう一度アビゲイル様にお会い出来ましたこと光栄に思いますわ」


 控えていた1人目は、オレ達も見たことがある顔だった。


 例の3日間だけの子息子女編入試験の時に、とっぱじめからオレに食ってかかってゲイルに一喝されたご令嬢。

 あの後、すっかり成りを潜めていたらしいが、今回は社交界ということとヴィオラ公爵夫人のコネでこの場に立っているようだ。

 まぁ、侯爵家なら立場的にも、申し分がないというのも事実。


「セイヴァルドーナ侯爵家が娘、スカーレット・セイヴァルドーナと申します。

 お初にお目にかかりますわ、アビゲイル様、藍様」


 続いてのご令嬢は、珍しい褐色の肌で髪は燃えるような真紅。

 洗練されたオレンジと桃色でまとめたドレスを身にまとい、耳に揺れるイヤリングが大玉の真珠。

 セイヴァルドーナと言われて、オレも聞き覚えがある。

 彼女の家は、貿易ごとに携わっている貴族家の大御所のひとつだからだ。


「シェリル・クローバーと申します。

 クローバー伯爵家が三女で、姉はカーラ・クローバーと、エステル・グランデですわ」

「あ、どちらも、歌劇講演の…」

「ご存知でいらして、嬉しいですわ」


 少し家格は下がるが、こちらはご家族が有名なお家柄。

 現在ダドルアード王国と、『竜王諸国』を股に掛けて公演している歌劇のトップ1・2が彼女の姉妹である。


 いつか、ヴィッキーさんにもらった講演のチケットも、彼女達のどちらかのものだった筈。

 おかげで、流石のオレも知ってた。


 むしろ、知らない方がびっくりだわなんて副音声が聞こえた気がするまでも。


 そんな姉達を持つ彼女も、転がる鈴のような声音からして歌声には自信があるんだろう。

 話題に上った途端に、周りの令嬢達にも分かるように胸を張った。


 ………うん。

 性格があまりよろしくなさそうってのが、今ので分かった。


「お初お目にかかる。

 ダドルアード王国騎士団、および『白雷白雷(ライトニング)騎士団』団長を務める、アビゲイル・ウィンチェスターと申し上げる。

 そして、こちらが私が婚約を申し込んでいる、アイ・クロガネ殿」

「お目にかかれて、光栄ですわ。

 兄が親しいこと以外なんの取り柄も無い身の上ではありますが、よろしくお願いいたします」


 紹介を受け返礼をした際、ゲイルには親愛、オレには殺意と嫉妬が向けられたが、気にしたら負け。


 こうもあからさまだと、分かり易いから良いけど気づかないフリをするのが大変だわ。

(※普通はわかりません)


「聞いていた通り、市井の方なのですわね?」


 ヴィオラ公爵夫人の言葉に、少しばかり困った風に笑った。

 言い方はどうかと思うが、彼女から毒気が感じられないので、おそらく貴族故の素だ。


 他の令嬢達が、口角をあげたのが分かる。

 ヴィオラ公爵夫人の言葉尻だけを捉えて、大方貶そうとしているように思っているんだろうが、


「失礼ながら、お作法はどなたが?」

「ええ、兄からがほとんどでございますが、アビゲイル様にも少しばかりお手伝いいただきましたわ。

 慣れないもので、お見苦しいとは思いますが…」


 っつか、本人ですし。

 でも、アビゲイルにも指導をもらったのも本当。

 なにせ、体重移動の慣れで、どうしても半歩に一回左に傾ぐ癖があるし。


「そんなことありませんことよ?

 背筋が伸びていて、凛とした風情が令嬢としても素晴らしいこと。

 どこかの誰かさんも、少しは役に立つようでなによりだわ?」

「オレの礼儀作法を見たのは、母上ではありませんか」

「その通りだけれど、今のあなたを見ていると錆びついているんじゃ無いかと冷や水を浴びた気分でしたのよ?」


 なんて、笑い話へと変わって、和やかな空気になっていた。

 これには、貴族令嬢達どころか、妹であるメリッサ嬢も唖然としてしまっている。


 オレ、この短時間ながら、だいたいヴィオラ公爵夫人が分かってきたからね?


 この人、自意識過剰が嫌いなんだよ。


 だから、自信満々な様に見えるヴィッキーさんのこと苦手にしている。

 ゲイルのことだって内心はともかく、なんでも出来る感覚派の天才だからサボっているように見えちゃってお説教じみたことを言っているって感じだろうしね。


 まぁ、彼女にとっての長男がゲイルだからってこともあるんだろうけど。


 だからこそ、一歩引いて、少し謙遜をする方がちょうどいい。

 謙遜しすぎるのは、逆に自意識過剰と思われかねないが、これで良い?大丈夫?と伺うようなスタンスを崩さなければ嫌われることは無い。


 ヴィズのおかげで、多分認識も多少上方修正されているだろうがね。


 と、安心していたのも、束の間。


「そういえば、この唐変木アビィが婚約を申し込んだなんて言っていたけれど…」

「え、あぅ…はい、その…ッ」


 唐突の質疑に、つい戸惑った様子を見せてしまう。

 今回は、ちょっとばかり素だった。


 えっ、嘘でしょ、馴れ初め話せって?

 設定は決めてたけど、そんな詳しい内容ストーリーなんて考えてきてませんって。


 あ、遠巻きに話半分だった、ヴィズとヴァルトが吹き出した。


「ちょっと、詳しく聞かせていただけませんこと?

 母としては、武芸一辺倒のウドの大木が、どのようにしてあなたを口説いたのかが気になりましてよ?」

「あら、あたくしもそれは気になりますわ。

 この口下手の木偶の坊が、どんな甘い言葉で陥落させたのやら…」


 しかも、ヴィッキーさんが乗っかっちゃう始末。

 実はあんた、オレの内情知って揶揄う気満々だっただろ?


 そして、唐変木やらウドの大木やら木偶の坊とは、ゲイルと書いて木の精霊か?

 内心、笑うよりも先に呆れてしまった。

 すごい、言われよう(笑)


 なにはともあれ、いろんな意味で強い女性陣に囲まれてしまっては逃げようも無い。


「(国王から報告受けといて)」

「(了承した)」


 逃走は諦めて、目線でアイコンタクト。

 その際に、例の貴族達がなにかしら動いている件の報告を聞いておくよう頼みつけて、女性陣に囲まれながらサロンの片隅へと連行された。


 ついでに、頼れる味方こと間宮は、


「野暮ですことよ?

 ここから先は、女の園なのですから?」


 と、ヴィッキーさんから妖艶に申しつかって、追い払われてしまった。

 つまり、救助も見込めない。


 脳内に流れていたのは、ド◯ドナであることだけ追記しておく。




 ***




 国王陛下への挨拶をつつがなく終え、とっとと逃げた先。


 会場の中、出来るだけダンスを誘われないようにと考えれば、壁の花と化すのはある程度予想出来たこと。

 間宮が先生に張り付いているなら、オレがやるべきことは会場内の警戒ぐらい。

 まぁ、それに関しても、騎士団の人達がいるから杞憂なんだろうけど。


「ありゃりゃ、藍ちゃん、連行されちゃった」

「ぶふ…ッ、藍ちゃんって呼び方、お前よく真顔で出来んな」

「いつまでも、アンタみたいに笑ってらんないからねぇ…」



 警戒半分眺めていた人が集まった先で、紺色のウィッグをした女性に間違いないシルエットが女性達に囲まれていくのが見えて苦笑をこぼす。


 隣には、会場へと入って早々、挨拶もそこそこにテーブルの料理へと手を進めた香神。

 なんか、この会場で出てる料理、少しでも再現出来たらもっとレパートリーが広がるとか言いながら、片っ端から料理を口に詰め込んでってる。


 そんなの先生に頼めば、城の料理人から簡単にレシピ渡してもらえるだろうに、と呆れ半分面白半分で見てる。


 だって、香神は気にしてないだろうけど、結構良い顔してるからね。


 ゲイルさんのところに近づけなくて溢れちゃってる爵位の低い貴族令嬢達の視線を集めてるのに、気づかずにむしゃむしゃ食べてるんだもん。

 なんか、そのギャップが面白い。


 頭は悪く無いくせに、変なところ鈍感なところね。


 とまぁ、内心でクラスメートを笑うのは、この辺にしといて。


「あ、噂をすれば、こっちに戻ってきたんだ?

 どうせ、女同士の会話に混ざるなんて野暮って言われたんでしょ?」

「(…なぜ、分かる?)」


 げんなりとした、間宮。


 そんな彼が戻ってきて早々、オレと同じように壁の花と化す。


 この間の悪魔事件からこれまで、会話もそこそこだった相手がこうして、隣にいるというのも珍しくてついつい苦笑を零してしまった。


「女子が集まったら、大抵女子トークになるの当たり前じゃん。

 ウチの女子組見てても分かるでしょ?」

「(………そういえば、そうだったか)」


 先生のところはいられないだろうけど、大方真上でハルさんあたりが護衛してくれてんでしょ?

 ヴァルトさんは、今ゲイルさん達と行動してるから、護衛のし甲斐も無いだろうし。


 そんなオレを、隣で見ていた・・・・・・間宮。

 彼は、いつものようにこてりと首を傾げていた。


「さっきから、オレずっと会場見渡してたしね。

 主観的だけじゃなくて、客観的に見た方が分かることは多いと思うよ」

「(………いや、そうではなく)」

「ん、なに?」


 なにが言いたいのか、外したらしい。

 ちょっと恥ずかしい。

 わかる気にはなっていたけど、細かい機敏が分からないのは仕方ない。


 だが、間宮はその答えを言うことなく、黙り込んだ。


「ねぇ、ちょっと黙り込んでないでさぁ」

「(いや…なんでもない)」

「気になるんだよ。

 こういう時はちょっとぐらい言ってくれたって良いだろ、兄弟子さんよ?」

「(弟弟子の成長のために、黙してただ待つ時も必要かと)」

「あ、ずりぃ!こういう時だけ、弟弟子って使うんだ」


 普段は、弟弟子なんて言えば、即座に拳が飛んでくるのに。

 認めてないとか、なんとか。


 しかも、言葉より先に殴るなんて、なんてスパルタ。


 だが、間宮とやんややんやと言い合っていれば、はたと気付く。

 目の前の香神が呆けながら、オレ達を見ていた。


「………お前ら、そんな仲良かったか?」

「別に、仲なんて良くないよ」

「(お手手繋いでやろうか、弟弟子)」

「アンタ、ちょっと黙っててよ!」


 間宮はともかく、香神の言い方はなんか含みがありそうで怖い。

 別に、仲が良いというわけじゃない。


 こうして絡んでくる間宮が、なんだか珍しいというだけで…。


 そこで、ふと。

 もう一度、はたと気付いた。


「?(こてり)」

「あ?どうした?」


 急に動きを止めたオレに、2人が怪訝そうに首を傾げる。

 オレも、なにが気になったのか、はっきりと分からない。


 でも、何か今、不思議に思えたことがあったのだ。


「間宮…アンタ…!」

「……??」


 そうだ。

 わかった。


 さっきから感じてた、違和感の正体。


「アンタ、背伸びたでしょ!?」

「Σ…っ!?」

「えっ、いきなり、それ?」


 オレの言葉に、間宮がびっくりしている。

 例えるなら、「きょとん」って感じな擬音がつきそう。


 逆に、何故か香神は項垂れてた。

 こいつ、気付いてたの!?


 隣に並んだ時に、違和感を感じた訳だよ!

 目線の位置が一緒だったんだから。


 いつからだろ?

 本当に、気づかなかったとか迂闊!


 っていうか、香神に負けたとか悔しい。

 ………多分、こいつサヴァン症候群だから、気付いてたけど言ってなかっただけに違いない。


「………??」


 しかし、これにはオレ達よりも、間宮が驚いている様子だった。

 さっきのきょとん顔に加えて、呆然とした様子で自分の手を眺めている。


 意外に思えて、目の前で手を振ってみる。

 バシッ!って痛い音と共に、手首が折れた。

 ………間違った。

 折れてはいないけど、折れるかと思うぐらいの激痛が走った。


 もうやだ、暴力系兄弟子。

(※後に、師匠とか弟子はそんなもんだと先生に笑われた。オレとしては絶対違うと思う)


 って、それはともかくとして。


「いつ頃からって、………前の悪魔事件の後ぐらいからだろ?」

「ぐらいからだろ?って、分かんなかった人間に、聞くのマジなにそれ!?」

「文法おかしいぞ、お前。

 …ほら、間宮何日か寝込んだじゃん」


 うん、確かに何日か、鍛錬に出てもスタミナが続かない日があってダウンしてたっけ。

 無理して出てくんなって、先生が追い払ってたのは見てる。


「あの後だいぶ回復してからフラっと厨房に紅茶淹れに来た時に、目線が一緒だったからな」

「なんでその時に、指摘しなかった訳!?」

「つうか、皆が気付いてなかったのに、オレが気付いてなかったわ…」


 やっぱり、香神は気付いていた。

 気付いていたけど、他の誰も気付いてなかったのに気付かなかったとか。

 ………ややこしいよ!


「(どうりで、丈が合わないと…)」


 んでもって、当の本人である間宮も気付いてなかった、と。


 それもそれで、びっくりだよ!


 しみじみとした口調の念話が飛んで来て、ため息交じりに頭を振った彼。

 しかも、問題はそっち?

 喜ぶべきことじゃない訳?


 怒りよりも、先に呆れた。


「(………感覚が狂って、どうも調子が悪かったんだ。

 だから不調のせいだと思っていた…)」

「あ〜………!!

 これだから、感覚派の天才肌はァ!」

「それ、天才肌関係あるか?」


 蹲って叫ぶ。

 勿論、声量はある程度抑えてるけど、若干視線が集まってるのが煩わしい。


 香神のもっともな指摘に、ちょっと腹が立ってスネにローキック叩き込んでおいて、唸ってるのを横目に下から間宮を睨め付ける。


「伸びすぎじゃん!!」

「(そこか…)」

「………そこなんだな」


 ………なによ、悪い?


 いくら、平均的とは言っても、永曽根とか河南とか浅沼とか、隣の香神とか…って、ほぼ全員じゃん。

 オレ、身長で勝ってたの、間宮と徳川ぐらいなんだけど。

 紀乃は例外だよ、車椅子なんだから。

 女子には負けないとしても、どっこいどっこいだし。


「しかも、間宮に身長まで負けちゃったら、勝てる要素が何も無くなっちゃうじゃん!!」

「(ナンノ勝負ナンダカサッパリダ)」

「カタコト、ムカつくぅ!!」

「おい、騒ぐな、榊原。

 お前、なんか頭沸いてるみてぇに見られてんぞ…」

「冷静なアンタもムカつくよ!」


 2度目のおイタは、足の小指を踏みつけることにした。

 地味に痛いやつ。


 なんでオレばっかり。と蹲った香神の横で、間宮が何故か興味深そうにオレを見ているのが、さらにムカつく。


 違和感の正体が分かったのは良いけど、こうして彼に視線を向けられるのも同じぐらい違和感があった。

 むず痒い背筋を我慢しながら、もう一度彼を睨め付けるが、


「(………いや、目線が変わるのも悪くないと思ってな…)」

「………なにそれ、嫌味ぃ?」


 微笑んだ口元を見て、もう一つの違和感に気付いたのだった。


 見たこともない、穏やかな笑み。

 そう感じたのは、間違いでは無かったはずだ。


 だが、問いかけるよりも先に、


颯人ハヤトっ、永曽根が呼んでる!」

「香神もちょっと来て、面倒なことになってるから…!」


 賑やかすぎる壁の花となっていたオレ達のもとへ、駆け寄って来たのは徳川と河南だった。

 言葉尻から捉えて、問題発生。


 しかも、永曽根が対応しきれないってことは相当なことだろう。


「うん、分かった」

「お、おう…」


 彼らの後について、ひょこひょこと人混みを抜ける。


 途中、少しばかり気になって、間宮を振り返ったのは、きっと先ほどの彼の表情が見慣れないものだったせいだろう。


 だが、オレの視線の先。

 壁際には、間宮はもういなかった。


 いつの間にか、消えている。

 それは、いつも通りの間宮の姿。

 もう、驚きはしない。


 だが、何故かそれを少しばかり勿体ないと思ってしまった時、


「オレ、間宮があんな風に笑ってるの、初めて見た気がしたぜ…」


 前を歩いていた香神の、一言。

 彼も、気が付いた。


 やっぱり、この違和感は、気のせいじゃなかった。


「うん、なんていうか………、アイツ、ちょっと変わったね」

「………ああ」


 些細な変化だと思う。


 なにがきっかけなのかも、分からない。


 オレ達以外にも、気付いているのか否か、それだって分からないけど。


 間宮アイツが意外とオレ達に、心を許してくれているのかもしれないと思った。

 友達とか、そんなんじゃなく、仲間として。


 その変化を感じられるようになったことも、きっと些細なことなんだろうけど。


 なんだか、柄にもなく面目映くなって、恥ずかしさで頰に熱が集まる。

 これまた気付かれたのか、香神が隣でニヤニヤしていた。


 3度目のおイタは、背中を思いっきり抓ってやった。

 ひぎゃあ!なんて、香神にしては珍しい素っ頓狂な悲鳴があがる。

 ざまぁみろってんだ。




 ***




「まぁ!

 こんな綺麗な肌をしているのに、なにもしてないですって?」

「ええ、特にケアなどはしていませんし…」


 と、オレの頰を突くのは、ヴィッキーさん。

 オレとの仲は勝手知ったるとばかりに、距離が近いのは気のせいではないだろう。


 その実、彼女がオレへの防波堤になってくれている。

 それを分かっているから、邪険に出来ない。


 所変わって、サロンの窓際。

 ここには全面の窓ガラスと、その先に広がる庭を眺めることの出来るテラスが完備されている。

 昼のパーティーだからこそ出来る、おもてなしだな。


 ソフトドリンクからアルコールドリンクまで、給仕達が配って回っている。

 オレの手元にも、ソフトドリンク。

 逆にヴィッキーさんの手元にはアルコール(ワインのような蒸留酒を果実ジュースで割ったもの)がしっかりと揺れている。


「若さってものは、いいですわねぇ。

 歳を重ねていくと、どうしても悩みが増えてしまいますし…」

「あら、お義母様も、お悩み?」

「あなたと違って、私は繊細ですの。

 …とはいえ、似たような悩みなのでしょうけど」

「あたくしは、ニキビですわね」

「私もですわ。

 しかも、最近は治ったと思っても、色が残ってしまって…」


 そして、そんなヴィッキーさんと同じように、オレの隣を陣取ったヴィオラ公爵夫人。

 彼女もまた、アルコールを嗜んでいた。


 先ほどのヴィズからの援護射撃のおかげか、当たりは柔らかくなっている。

 それどころか、少しずつではあるが打ち解けてくれているように感じているのは気のせいではないだろう。


 理由は簡単。


「そうですね…。

 ニキビ肌なら、乾燥か肌に残った油脂が原因ですので清潔に保つことと保湿でしょうか。

 色素沈着なら、角質と肌改善系のお茶を飲んだ方がいいかと」

「石鹸で洗っているのですけど、それだけだとダメですの?」

「そんな便利なお茶がありますの?」


 簡易的、美容講座のおかげである。

 やはり、2人とも女性だ。


 現代でも世の女性達が無視できなかったように、この世界の女性達も美への関心や執着が強い。


 最近では、石鹸というこの世界的に言う大発見があった訳で、必然的に女性達の関心が高まっている。


 そんな中、こうしてオレが話している内容は前衛的なようだ。

 しかも、貴族の令嬢達であれば無理がない範囲に収まっている美容法が多い。

 石鹸をした後の保湿目的の蜂蜜やオイルのパッティング、健康・美容に効果のあるお茶の配合などなど。


 オレは、例の石鹸マイスターの資格の時に、片手間でアズマから聞いていただけの内容なんだけど。


「肌理が崩れている時は、あまり洗い過ぎず。

 こすってしまうと、かえって角質を剥がしてしまったり、表面に傷を作ってしまいますから。

 お茶に関してですが、バラの実を煎じたものがいかがでしょう?

 ローズヒップと言いまして、発汗や血行促進の作用がありますので…」

「発汗?」

「汗が多く出ることですよ?

 汗の中には、体温調整の他、体に溜まった老廃物を排出する働きもあります」

「ケッコウ促進とは、なんですの?」

「血の巡りを良くすることです。

 これによって、必要な栄養素をしっかりと体内に運ぶことができますの」


 そこまで淀みなく説明すれば、ヴィオラ公爵夫人を含む女性陣から関心したようなため息が漏れる。

 ヴィオラ公爵夫人は、目を輝かせて話を聞いていた。


 いつか娘になるかもしれない(仮)の少女が、美容に詳しいってことで期待しているようだ。

 ついでに、兄である銀次オレが医者ってことは先ほど掴みで話したので、彼女からの心証も上方修正されているらしい。


 なので、ヴィッキーさんの防波堤は、彼女からは実質必要がない状態。


 では、どこから?といえば、


「ですが、私達でも聞いたこともないお茶の名前ばかりですのね」

「そうですわねぇ。

 薬の原材料なのは分かりましても、毒にならないとは限りませんし?」

「先にあなたはなにもしていないと言っていましたわよねぇ。

 効果の程が確かめようがありませんのでは?」


 と、三者三様の言葉で、それとなく毒を差し込んでくる声音。


 ヴィッキーさんの視線が、やや尖る。


 ヴィオラ公爵夫人と共にテーブルを囲んだゾーイティファニー、スカーレット、シェリルの3名。

 勿論、この席に集まってきた貴族令嬢達が周りを囲んでいたりする訳で、ここだけ人口密度が上がっている。


 男子率0%。

 完全に女子だけの集まりと化している。

 さっきまで、ゲイルの弟ライリーくんもいたけど、女子率の高さにお兄ちゃん達のところに逃げちゃった。


 オレが場違い。


 真上あたりで、ハルが大爆笑していること請け合いだ。

 賭けたって良い。


 って、そんなことはともかくとして。


「(大丈夫ですの?

 わたくしとしては、いくつか脅しのネタは掴んでおりましてよ?)」

「(いまのところは、まだ。

 物理的な攻撃に至っていないので…)」


 扇子で隠した口元を寄せ、耳打ちをくれたヴィッキーさん。

 行き過ぎなようなら咎めると擁護を考えてくれているそうだ。


 脅しのネタ掴んでるとか、怖いよ。

 この人、一体このパーティーにどういった気概で臨んでいるのか分かんない。


 またちょっと話が逸れた。


 先ほどから、こうして少しずつ嫌味な言葉を重ねてくるゾーイティファニーをはじめとした令嬢達。

 これには、ヴィオラ公爵夫人も少しばかり眉を諌めているのを横目で確認。


 明らかに嫉妬や蹴落としてやろうという悪意が見て取れる。


 こんなの、オレだけじゃなくても分かろうもの。


 それでいて、美容講座はあっさり受け入れているんだから、強かなことで。

 まぁ、別にこんなことまで秘匿したくないから、オープンにしてるけど。


 ついでに、と言ってはあれだけど、


「自分で試してもいない方法を、他者に進めるなんてどうかしているのではなくて?」

「これ、メリッサ。

 淑女としての言葉遣いを、お忘れですか?」

「す、みません、母上。

 で、でも、この人の言っていること、おかしいじゃありませんこと?」


 度々、毒どころか貶し文句までかけてくるのがメリッサちゃん。

 ゲイルの20歳下の妹。

 今年15歳の公爵家令嬢と言うからそれなりかと思ったら、随分と甘やかされていたようだ。

 高飛車で、傲慢、我儘放題らしい。


 オレ、こんなのが妹なら、ぶん殴ると思われる。


 そんな公爵令嬢メリッサちゃんは、オレに噛み付くことにご執心なのだ。


 きっと、兄貴を奪おうとしているどこの馬の骨とも知らん阿婆擦れとでも思っているのだろう。

 視線がそう言ってる。


 ヴィッキーさんは、そういった彼女達からの視線や悪意の防波堤になってくれているということ。


 本来なら、そこまでしてもらう必要はなかったはずなのにね。

 なんか、ゲイルがこのパーティーで母上ことヴィオラ公爵夫人を始め、彼女達3人と妹のメリッサちゃんが呼ばれるのを見越して、ヴィッキーさんを呼んでいたらしい。

 しかも、ちゃんと国王陛下に許可とって。


 抜け目がないので、オレもなにも言えなかった。

 まぁ、実際知らなかったので、終わったら文句の一つでも言ってやろう。

 ちょっとぐらいなら、感謝してやっても良い。


「それにしても…」


 ヴィオラ公爵夫人からの、話題転換。

 これには、好き好きに囀っていた、令嬢達も黙った。


「アビゲイルは、校舎では普段どのような様子でいらっしゃるの?」

「…普段ですか?」

「いえ、ね?

 今までも、何度か校舎での護衛の件は話をしてはいたのですけれど、あの子ったら上手くやっているとか問題ないとか言うばかりで、肝心な業務内容を話してくださらなかったものだから…」


 そう言って、物憂げに頰を傾げたヴィオラ公爵夫人。


「しかも、最近は体調を崩すことも多くて…」

「まぁ、それは心配ですわ!」

「大変、何かお病気なのかしら!」

「ヴィオラ様、お医者様にはご相談されまして?」


 ゲイルの不調と聞いて、やや大げさなくらいに騒ぐご令嬢達。

 必死だなぁ、と内心苦笑をこぼす。


 これには、オレも少しだけ驚いたふりをしておいた。


 そして、ゲイルが不調っつったら、きっと先月あたりからのオレとの喧嘩習慣だろうな。

 言い方はどうよ?と思うけど、これ以外言いようがない。


「それに、最近は夜勤だと言って、後者に泊り込むことも多くて家に帰ることの方が少なくて…」

「考えすぎじゃなくて、お義母様?」

「でも、最近1ヶ月でもあの子のベッドが埋まったことがたった数回だなんて、おかしいじゃない?」


 あ、それはすいません。


 前々からの校舎への侵入者対策と悪魔の件で、警備を強化していたからそのせいです。

 ついでに、家には帰らずに王城に泊まることも多々あったとか。


 放蕩息子?


 おい、ゲイル、お前やっぱり無茶苦茶家族に心配かけてんじゃねぇか。


「体調を崩したのも、そのせいじゃないかと思うのだけど…」

「症状としては、どう言ったものだったのです?」

「吐いたり、寝つきが悪かったり、寝ても夜中に飛び起きたり、と言うのは執事から聞いておりましたわ」

「…そうでしたの、ご心配ですわね。

 ですが、校舎ではそのような素ぶり、あまり見られませんでしたけど…」


 うん、最近は平気そうだったし。

 むしろ、3階リビングのソファーに、自分でクッションを買ってきたりもしてた。


「なのに、やっぱりあの子はなにも言ってくれなくて…」


 と、相当悩んでいらっしゃる様子のヴィオラ公爵夫人。


 多分、これはゲイルの口下手具合の話じゃないよなぁ。

 オレとしては、色々と心当たりがある。


 アイツは、おそらく秘匿事項が多いから、喋らなかっただけ。


 さっき話していた石鹸の話もそうだけど、シガレットとか『ボミット病』の薬の件で、うちは取扱要注意の案件が見事にごろごろしている。

 しかも、ここ数ヶ月では、偽物一行や合成魔獣キメラの討伐、悪魔騒動の件もあったしで、箝口令がわんさか増えてた。


 申し訳ないが、こればかりは当たり障りの無い話をするしか無い。


「ここ数ヶ月と言いますと、私も病状が安定し始めた時でしたので申し訳ありませんが詳しくは存じ上げないのです」

「あら、そういえばそうでしたわね。

 お加減の方、今は大丈夫なのかしら?」

「ええ、今は薬も効いて、日常生活に支障は無く」


 控えめに微笑んでみせると、ヴィオラ公爵夫人は安堵したかのような表情を見せた。

 母親としての心配は取り除けていないのに、根は優しい方なんだろうな。


「病弱だなんておっしゃる割には、このような席に参加されているじゃありませんこと?」

「これ、メリッサ!」

「あなた、先ほどから少し言葉が過ぎるわよ?」

「ヴィクトリアお姉様は、黙っていてくださいます?

 お姉様には関係のないことですわよ?」


 そこで、更にメリッサちゃんが噛み付いてきたまでも、


「あら、黙っている理由がなくってよ?」


 なんて、ため息半分「おほほほほ」なんて笑いながら、メリッサちゃんの頰を引っ張っていたヴィッキーさん。

 さすが、ゲイルをいつも尻に敷いているだけあって、堂に入っているわ。


 そんな彼女達を横目に、ヴィオラ公爵夫人も思わずため息。

 こちらもこちらで、躾に苦労しているようだ。


 ………帰ったら、ヘンデルと佐藤に釘を刺しておこう。

 ふと、そこで、


「そうそう、あなたとのアビゲイルの馴れ初めをまだ聞いてませんでしたわね?

 あの唐変木がどうやって、あなたを射止めたのかしら?」

「い、いえ…そんな、射止めたなんて…」


 急速な話題変換。

 びっくりして、思わずソフトドリンクを吹き出しそうになってむせた。


 い、射止めたとか、いつの時代だ?

 やべぇわ、鳥肌立った。

 ………ああ、ここ時代的には中世だったわ。


 そして、この話題変換には、令嬢達の視線もどぎつくなった。

 あ、防波堤ヴィッキーさんがいないから、これ見よがしに殺気を向けてきてる令嬢までいる。


 とはいえ、どうしたものか。

『藍』とゲイルの設定なら確かにあるんだけど、詳しく擦り合わせた訳じゃないから…。


「その…あんまり、面白みもございませんのよ?」

「あの子とも馴れ初めというだけで、十分面白いですわ。

 あの子、あの歳になっても、浮いた話一つ出てこないのですから、母親としては困っておりましたの…!」


 前置きはしてみたが、ひいてはくれなさそうだ。

 うぅ…恥ずかしいから、あんまりそういう恋バナ的な話はしたくないんだけど…。


 と、若干、挙動不審になっていた矢先のこと。


「そろそろ、彼女を解放して差し上げてくれないか、母上?」


 姦しいと言えるサロンの中、やってきた勇者。


 助け舟を出してくれたのは、話題に上っていたゲイルである。

 そんな彼は、オレを救出に来たというだけなのに、若干疲弊している様子だ。


 頰が赤いってことは、きっとさっきまでの会話は耳に届いていたんだろう。


 そんな彼の様子に、サロンの令嬢達が立ち上がる。


「あ〜ら、その歳まで浮いた話の無かった唐変木さん。

 女の会話に割り込んでくるなんて、野暮というものですわよ?」


 流石に扱いに慣れているのか。

 唐突に現れたゲイルに、気にした様子もなくぞんざいに追い払おうとするヴィオラ公爵夫人。


「そう言った詮索をすることは、野暮とは言わないのですか?」


 対するゲイルは、苦々しい顔で反撃。

 これには、ヴィオラ公爵夫人もちょっとばかり旗色が悪いと悟ったらしい。


 意外とゲイルは母親に対して、強かなんだな。


「それよりも、少し良いか?」

「え、ええ…どのようなご用件で?」


 照れ臭そうな表情で、手を差し伸べてきたゲイル。

 なんだか本当に恋仲なのかと錯覚してしまいそうなそんな彼の様子に、周りのご令嬢達の視線が更に剣呑に変わる。


 ああ、怖い怖い。

 怖いと言えば、防波堤だったヴィッキーさんが未だにメリッサちゃんの頰を抓りあげているところもだが。


「まったく、良いところで邪魔が入るのだから…」

「先に聞き出しておけばよかったですね、母上。

 とはいえ、そうそう簡単にオレ達の仲を詮索されるのも考えものですが?」

「あら、それならいつ、あなたはわたくしに孫の顔を見せてくださるのかしら?」

「そういう話を藍殿の前では、しないでください!」


 更に照れた様子の顔をしたゲイルが、強めの抗議。

 してやったりとした表情で見送るヴィオア公爵夫人は、やはり侮れないんだろうね。


「あ、待ってくださいまし、お兄様!

 わたくしも…!」

「あなたにはまだ早くってよ。

 とりあえず、ここでしばらく目上の人間への言葉遣いを学んでからになさい?」


 メリッサちゃんが、ゲイルを追随しようとする。

 しかし、それを許さないのがヴィッキーさん。


 ビシィ!と痛い音をさせて、扇子がメリッサちゃんの額に直撃した。

 ………礼儀作法の件は、良いのだろうか?


 とはいえ、助かるのは確か。

 お茶目なウィンクに、サービスとして投げキッスを返して、ゲイルの腕にエスコートを任せた。


 途中、テラスからの段差を降りる足がよろける。

 ヒールを履いている為、少しばかり足元が覚束ない。


 それを、苦もなくゲイルが抱き寄せて、


「すまん、少し疲れたか?」


 と、然りげ無く支えてくれるのを見れば、こいつは確かに根っからの貴族でプレイボーイだと判明した。

 ただし、鈍感であるというだけで。


 オレの背中には、針山が出来そうなくらい嫉妬と憤怒の視線が突き刺さっているんだからな。

 感覚が、狂いそうになる。


 本当の意味での悪意が、見えなくなるのは困るんだが。


 まぁ、あの女子率100%のお茶会から抜け出せたので良しとしよう。


「それで、一体なんのご用事でしたの?」

「………。」


 要件に水を向けるが、ゲイルは途端押し黙った。

 ………考えてなかったのか。


 と呆れ半分で、そんな彼の横顔を盗み見た。

 だが、


「…会って欲しい、人がいるといえば良いか…」

「………。」


 今度は、オレが黙る番となった。


 ゲイルの顔が、文字通り苦渋に歪んでいたからだ。


 雰囲気から察するに、彼は今もまだ逡巡していることだろう。

 その言葉の意味する、人物に会わせるかどうか。


 誰なのかは分からん。


 先ほど、国王陛下が会場を途中退席したのは見た。

 ゲイルはその報告に、行ってくれていた筈だったのだが。


 内容は、顔からだけでは察せそうにはない。

 それに、未だにパーティー会場の中であるからして、細かい話を聞くことは出来ない。

 どこに、耳があるか分からん。


 揃って固い表情になってしまっていたせいか、途中すれ違ったヴィズが怪訝そうな顔でオレ達を見送っているのが分かった。


 ひとまず、会ってみるだけ会ってみよう。

 会ってみて、それからどうするか決めた方が良さそうだと結論付けて、エスコートされるがままに会場を後にした。


 麻痺していたのか、否か。

 ———………その背に突き刺さる、本当の悪意に満ちた視線に気付けずに。




 ***

誤字脱字乱文等失礼いたします。


ちょっと、気合いいれてみた。

これが、作者の本気だ!


………逆に言えば、この程度が本気ということだ。

戦闘力、クソである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング よろしければポチっと、お願いいたします。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ