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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、贋作編
173/179

165時間目 「課外授業~ジュリエットの末路~」 ※流血・グロ表現注意

2017年11月21日初投稿。


長らくお待たせいたしました。

続編を投稿させていただきます。


病気の為に、2ヶ月ほど療養しておりました。

まだ完全復活には至っておりませんので、今後またしばらく更新が空いてしまうとは思いますがご了承くださいませ。


165話目。

タイトル通り、流血・グロ表現が含まれていますので苦手な方はご注意ください。


***



 覚悟は決めた。


 責め掛かって来た、間宮の姿をした悪魔。

 思えば、泉谷達が『予言の騎士』一行としての活動を始めた時から、渦巻いていただろう禍根の元。


 相手は、エリゴス。

 災厄の手下にして、悪魔の尖兵。


 これが自由に出来る身体を手にした以上、世界の終焉が始まったも同義。

 ソフィアの記憶の回想で見た、あの赤黒い大地に染め上げられた終焉の世を拝む事になる。


 ここで、断ち切る。

 それが、オレの仕事。

 『予言の騎士』としての仕事。


 師匠として、間宮に出来る最後の仕事。


 間宮もろとも殺すしかない、と。


「殺すしかないんだ…ッ」


 歯を食いしばり、日本刀を構える。

 脇差を振り抜いた姿のまま、躍りかかって来る悪魔を見据えた。


 動きは、俊敏。

 機動力は、『異世界クラス』でも随一。

 そして、刃物を扱わせるならばと、オレが積極的に叩き込んだノウハウ。


 全力の間宮の相手を、こんなにも早くすることになるとは思っていなかった。


「やめてぇ!!

 マミヤ、正気に戻ってよぉッ!!」


 路地裏に響く、シャルの悲痛な声に間宮が応える事は無い。


 オレも、その声に応える事は出来なかった。


 脇差の一撃を、日本刀で受け止める。

 受け流さないのは、彼が受け流した先での動きを想定している事が分かっているから。

 早々、受け止めきれない一撃ではないと分かっているのもある。


 だが、責めの手は、苛烈だ。


 脇差の一撃が防がれたと見るや、即座に悪魔が動き出す。

 間宮の身体は、流れるような動作を持って、回し蹴りを繰り出して来た。


 一閃、二閃。

 空中でのアクロバティックな動きは、彼本人の意思とは関係なく健在か。

 旋風脚によってしゃがみ、避けた態勢を後ろに転がす事で逃がす。


 着地した間宮が、そのまま脇差を突き込んで来る。

 身体を捻って回避。

 薙ぎ払いに持ちなおそうとしたその手に向けて、日本刀を返す。


 金属音が鳴り響く。

 通常の相手ならば、この一撃で獲物を弾き飛ばせた筈。


 通常の相手ならば、だ。


「(………なるほど、『予言の騎士』を名乗るだけはある)」

「それ以前に、コイツの師匠でね…!」


 間宮は、その腕の握りを甘くしただけで、獲物を弾き飛ばされる無様を回避。

 くるりと、手元で脇差を回すと、そのままオレの膂力によって振り回された刃を返した。


 だが、


「ついでに、その足技はオレの十八番だ!」

「(………ッ!!)」


 刀を落とさなかっただけで、オレの一撃を防いだとは思わない事だ。


 刃を振り上げた体制のままで、軽いステップ。

 そこから、後ろからの回し蹴りを見舞って、間宮の肩を強打。


 これまた、通常の相手なら肩が砕けただろう一撃を、間宮は寸でのところで飛び退って回避した。

 それでも、多少はダメージを被ったか。

 脇差を持っていた手が、一瞬だけぶらりと力を失った。


「(………酷いことをする。

 肩の骨に罅が入ったではないか…)」

「その程度で済んで、ラッキーだったな…」


 オレの蹴りが直撃した人間は、もっと手酷く痛い目に合う。

 何度も受けている間宮なんて、内臓破裂なんて日常茶飯事だった。


 背後で、シャルが息を呑む声。

 済まんな。

 これ以上、流石にオレも見過ごす訳にはいかないんだ。


 体勢を整え、そのまま一呼吸。

 日本刀を構え直した。


「本気とは、思ってなかったかい?」

「(………。)」

「オレが、本気で愛弟子を殺す訳が無いって、思ってたんだろう?」


 だから、高を括って、勝てないと分かっている相手に挑みかかっているんだろう?


 でも、残念だ。


「………弟子の不祥事は、オレの恥。

 今後、お前がその『器』で活動するつもりってんなら、オレはここでテメェ諸共間宮を殺す」


 本気だよ。


 覚悟は、決めたんだ。


 オレが師匠として、愛弟子である彼に出来る事。

 今後、悪魔が尖兵として赤目の悪魔量産に動くとしても、その『器』が間宮である事は絶対にあってはならない。


 これ以上、彼の過去を血生臭く彩ってやりたくはないから。

 例え、知らなくても。


 間宮の為にも、そんなことはさせない。

 何よりも、他の生徒達の為に。

 シャルの為に。


「そぉら、掛かって来な。

 最高の『器』のまま、オレが引導を渡してやるからさぁ…!!」


 殺気を、最高まで跳ね上げ、叩き付ける。


 覇気は、駄目。

 万が一、柳陸さん辺りに察知されるのは不味いから。


 それでも、怒気や殺気ぐらいは許せよ。

 ………じゃなきゃ、オレだって心がへし折れそうなんだから。


 絶対に、そんなこと気取らせないまでも。


「(………薄情者。

 むざむざと『教えを受けた子等』の1人を切り捨てるか、『予言の騎士』が…!)」


 そんなオレの様子に、これまた踏鞴を踏んだ悪魔。

 赤い目が動揺。


 思っていた通り、悪魔は高を括っていたらしい。

 間宮の姿をした『器』ならば、オレが手を出せない、と。

 そうして、無抵抗のオレを嬲り殺す算段でも付けていたのだろうし、それを災厄への手土産に意気揚々と悪魔量産へ乗り出そうとしていた。

 あくまでも、オレの予想。


「さっきも言ったが、薄情とは………」


 唇を舐めて湿らせて、更に一呼吸。

 戦慄している悪魔へと、もう一度うっそりと微笑み返す。


「その身体をみすみす悪魔に受け渡したまま、見捨てる事を言うんだよ…!!」


 今度は、オレから攻め込んだ。

 掛かってこいと言っておきながら決まりは悪いが、相手が慄いているのだから仕方ない。


 二の足を踏んだ奴が、攻め手を欠いた。

 そこへ踏み込んだとしても、オレにはデメリットは無い。


 日本刀を振り抜く。

 瞬間的に間宮が飛び退いたが、その場にはクレーターが出来た。


 そして、あろうことか剣閃が飛ぶ(・・)


「(----…ッ!?)」


 避け切れずに、間宮の身体がきりもみ回転をしながら路地裏の壁まで吹っ飛んだ。

 今のが本来の間宮なら、避けられただろうな。


 オレが『剣気』を使える事は知っていた筈だから。


「(今のは………、ッ!?)」

「おら、追加ぁ…!」


 壁に懐いて立ち上がらない様子の彼に、更に『剣気』を見舞う。

 今度は、回避行動をとった。


 壁に一直線の傷跡が刻まれる。

 『剣気』って壁とか有機物にぶつかると、こうなるんだな。


 叩き付けあった事とか、小さな的に目掛けてとかしか打った事無かったから知らなかった。


 一方、壁沿いに転がった悪魔は、何度かステップを繰り返しながら、オレの横合いへと回り込もうとしていた。

 ステップの様子を見ると、小賢しくも陽動を仕掛けているようだ。


 中身が悪魔ながら、間宮の癖に100年早い。


 一足で、肉薄。


「ステップとは、こうする…」

「----ッ!?」


 目の前に迫ったオレに、間宮の姿をした悪魔が息を呑んだ。

 そのまま、日本刀を振り下ろす。

 脇差を挟み、迎撃の為に眼前に掲げた。


 だが、


陽動フェイントも、こうする…!」


 オレは、日本刀を振り下ろすふりをしただけだった。


 本当の狙いは、足。

 間宮の足を、踏み込んだ勢いのままで蹴り飛ばした。


「(-----ッ!!!)」


 骨が折れる小気味良い音が、足に伝わる。


 機動力を削ぐ。

 戦術の基本にして、オレが常々間宮に言って来た事。


 だからこそ、アイツは打ち合いになった時に、足を狙ってくる事が多かった。

 勿論、オレも同じこと。


 だが、間宮では無い悪魔には、それを警戒しろと言うのが無理な話。


 汚い路地裏を転がった間宮の身体。

 そのまま、踏ん張る事も出来ずに別の壁へと叩きつけられて、そのまま跳ね返る。


 身体が軽いから、良く転がるんだわ。

 ウェイト増やした筈なのに、ね。

 オレ相手じゃ、踏ん張れというのが無理な話。


 蓋を開ければ、一方的な展開だ。


 間宮へ容赦をするか、と問われれば、常ならばオレは是と答えただろう。

 弟子相手に、本気になるのは大人げないとも答えた筈だ。


 だが、今の状況では、否。


「甘ったれた考えは、捨てろよ。

 オレも、もうとっくの昔に捨てたからよぉ…」


 もう、悪魔の『器』となってしまった、この子はオレの弟子ではないから。


 だが、そうは言っても、他が納得しない。

 今こうして、オレの殺意に晒されている悪魔もそうだろうが、今後の事を考えれば、十分な醜聞となり得る。

 オレ達、『異世界クラス』にとって、だ。


 北の森での、召喚者達を殺した夜の事を思い出す。

 あの時も、オレや『異世界クラス』の面子の為に、彼等を殺す事を決めた。


 諦めが早いって?

 決断が早いって?


 先延ばしにして、何か良いことがあるのか?


 あの時、彼等は既に犯罪に手を染め、オレ達の活動どころか存在自体を危ぶめていた。

 今、こうして悪魔の『器』にされた、間宮も同じだ。

 オレ達がいかに、もう弟子でも生徒でも無いと言い張ったとしても、悪魔の被害を受けた奴等が耳を貸してくれるか?

 存在を認知した国民が、それで納得してくれるだろうか。


 答えが、否だ。

 だからこそ、オレは容赦をしない、と決めた。


「殺すしかないなら、さくっと殺してやるしかねぇだろうが…。

 地獄で恨み言言われようがなんだろうが、被害が出た後じゃ恨み言の種類も違ってくるんだ」


 切り捨てる事を、決めたから。

 そうして、間宮と言う少年を救ってやることを、決めたから。


 だって、嫌だよ。

 地獄で再会した時に、何で見捨てたのかと詰られるよりも嫌なんだ。


 どうして、殺してくれなかったか、と詰られるのが嫌なんだ。


 きっと、間宮はそう言う。

 こんな裏社会(アンダーワールド)に落ちてしまった彼であっても、良心が残っていてなおかつ根が真面目な優しい子だったんだ。

 そんな彼が、散々の犠牲を出した自分の事を責めないとは、思わない。


 そして、何故それを止めてくれなかったのかと、オレを責めない訳がないだろう。

 だからこそ、殺すんだよ。


 師匠が弟子に、引導を渡してやるんだ。


「喧嘩を売る相手を、テメェが間違えただけだよ…」


 悪魔が、愕然とした表情で、オレを見上げている。


 今度こそ、振り下ろす。

 その覚悟と共に、日本刀を振り上げた。


「ゴメンなぁ、間宮…、お前が悪い訳じゃないのに…」


 悪魔では無く、間宮への謝罪。

 一言だけそう呟いて、震えそうになる唇を噛み締めて、掌を必要以上に軋ませて。


「あの世で、オレを詰ってくれ。

 そうしたら、オレは五体倒地してでも、首を落としてでも詫びてやる」


 振り下ろす。


 間宮へと、本気で殺す為の刃を、振り落とした。


「やめてぇえええええッ!!!」


 シャルの悲痛な声を後ろ背に、聞きながら。



***



 子どもの時の記憶など、全てが朧気だ。

 しばらく、孤児院や施設を転々とする事になった。


 最終的に、受け入れられたのが、銀次様も収容されていた組織ぐるみの施設だったのだ。

 そこで、オレは最初から、裏社会のエージェントになる事を勧められた。

 何を隠そう、会長本人から。


 その時、10歳になっていたオレは、分別ぐらいは付くようになっていた。

 それでも、半ばどうでも良かった。


 自分がやった事が、どれだけ異常だったことかを分かっていたのもある。

 苛まれていた事もある。

 罪悪感の欠如とやらも、この時には全くなくなっていた。

 むしろ、悪夢にうなされるぐらいには、認識していたのだ。


 だから、必要とされる場所が欲しかった。

 忘れられるなら、すぐにそうしたかった。


 だからこそ、オレは迷いなく、その教育方針へと進まされる事に迷う事無く頷いたのだ。


 修行は、虐待が生温いと言える程のものだった。

 殴る蹴るなんて当たり前。

 ナイフで刺され、銃で撃たれ、骨折等日常茶飯事だと自身の身体を見下ろして分かった事。


 何度も、死にかけた。

 それでも、オレは必要とされる場所があるというだけで、食らいついていた。


 それが、12歳ごろ。


 そんな時だ。

 ルリ様の師事が決まった。


 面倒くさそうにしながらも、オレの前に現れた彼を今でも覚えている。

 

 修行よりも、更に過酷な訓練があった。

 木登りをして、葉っぱが不自然に揺れたら、そこにナイフを打ち込まれる。

 しかも、急所を狙って。

 そんな無茶な修行もさせられた。


 ルリ様の師事になってから、死にかけた数が両手どころか両足を使っても足りない数になった。


 けれど、食らいついた。

 ルリ様が、期待している事が分かっていた。

 何故かは分からない。

 けど、誰かにオレを重ねていたのは、気付いていた。


 そして、必要としている事も。

 だから、食らいついた。

 死んでやるものか、と無駄な気概を発揮して、耐え抜いていたのだ。


 だが、ある時に、ルリ様が突然、オレの師事を外れた。


 1週間程いなくなり、帰って来たかと思えばまるで別人になっていた。


 まぁ、普通の人間にはきっと分からない、些細な変化だったことだろう。

 まず、いつも感じていた苛立ちが消えていた。

 眉間に刻まれていた皺も、前よりも薄くなっていたのを覚えている。


 何よりも、苦しそうな表情が薄れた。


 その理由は、訓練所に蔓延した噂で知る事になる。


 生死の境を彷徨って、帰還した組織の人間がいる。

 敵に掴まって細菌の被験者にされたのにも関わらず生きていた強運の持ち主。

 施設の先輩達の会話を、断片的に思い出す。


 武器の手入れをしていた所為で、断片的。

 だけど、凄い人だというのは、分かった。


 ルリ様曰くの、死にぞこないのアタッシュケースと呼ばれた方。


 なんぞ?と最初は思っていた。

 それでも、その当時は持ちきりになっていた噂だった。

 どこに行っても、耳にした。


 情報を吐く事無く、自らを襤褸雑巾にしてまで組織に忠誠を果たした、とか。

 あるいは、最凶と呼ばれた『鴉』の弟子で、自らも『戦場の鴉』だった、とか。

 顔に似合わぬ紛争地帯担当で、会長の愛人だった、とか。


 それこそ、ルリ様の同期と恋仲だったなんて話もあった。

 無論、男同士。

 これに関しては、耳に入れたルリ様が即座に鎮圧と言う名の制裁を食らわしているので蔓延する事は無かったまでも。


 聞けば聞く程、出来た人物なのだと感心した。

 訓練所内でも二通りに分かれた評価であったが、ルリ様が扱き下ろす事が無かった為、オレも同じく畏敬の念を覚えていた。


 ふと気になった。

 その英雄とも言える人間が帰還した時期と、ルリ様から険が抜けた時期が重なったこと。


 何かしら、関係があったのか。

 そう思って、聞いてみた事があったのだ。


「…何、お前?

 もしかして、アイツの話聞いて、………憧れたのか?」


 驚いたような表情の彼に、頷いて見せる。

 憧れ、と言う言葉は、未知の領域だったからこその興味。


「アイツは、馬鹿だよ。

 馬鹿でどうしようも無い男だ。

 じゃなきゃ、オレ達はこの場にいない。

 アイツがいなくなった2年前に、とっくに情報を流されて抹消されたのに…。

 ………アイツは、オレ達をあんなになっても、売らなかったんだから………」 


 最後に聞いた、あれは、涙声だったか。


 ルリ様にしては珍しい程に、饒舌だった。

 彼の事を話し始めた時の、ルリ様の表情は今でも覚えている。


 そして、


「本当に、馬鹿な奴。

 あんな状態になるぐらいなら、いっそ忠誠なんて豚に食わしてやれば良かったのに…」


 見捨てられれば、オレ達も危なかった。

 敵は、オレ達の情報を搾取した上で、彼を表社会も巻き込んだ細菌テロの火種にしようとしていた。

 それを阻止したのは、彼だ。

 命懸けで、それを阻止し続けたのは、間違いなく英雄と呼ばれた彼だった。


「………聞きたい?

 馬鹿なアイツの、馬鹿な武勇伝って奴…」


 オレを弟子としてくれた彼が、泣きそうな顔をして、語っていた事。


 今でも、夢に見る。


 拷問は当たり前。

 慰み者にされたのも、当たり前。

 そして、生体実験。

 人間の体を、物のように扱った凄惨な出来事。


「…それでも、アイツは持ち帰って来た。

 敵の情報、毒の種類………、アイツの身体自身をアタッシュケースみたいにしてな…」


 彼の身体ごと持ち帰った、細菌の種類。

 それによって、敵が何をしようとしたのかも分かったらしい。


 敵組織は、バイオテロを起こそうとしていた。

 そして、その混乱に乗じて、こちら側の陣営を崩そうとしていた。

 表まで巻き込んだ、その外道なまでの所業。

 人間とは思えない。

 しかし、未然に事故が防がれた。


「…オレ達、みんな…一度は、アイツに救われてんだよ。

 ………なのに、オレ達は何も返せない…」


 そう言って、締め括った。


 オレは、その話を聞いてから、ずっと考えていた。

 もし、その人に一度でも会えるなら、礼を言おうと。


 礼を言って、何が変わる訳では無い。

 そもそも、オレは礼を言える口は持ち合わせていないけど。


 それでも、その人の為に、出来る事をしよう。


 ………その機会は、思った以上に早く訪れたのだが。


「ああ、お前が間宮か…えっと、間宮 奏。

 15歳か。………思った以上に小さいな」


 先生とは、この夜間学校の特別クラスで出会った。

 オレは、15歳になって、そろそろ暗殺術よりも学力や一般常識が必要になったからと、この学校に引っ張り出された。


 黒髪のウィッグに、目の色が群青色の銀次様。

 初めて、英雄の目の前に立った時は、実は感動していたと言う事は内密にしておきたい。


 そんな彼は、無表情ながらもオレを物としては見ていなかった。

 見定めるようにして、オレを人として見ていた。


 ただ、それだけが嬉しかった。

 そして、言おうと思っていた言葉。


 それを、手話で先生に伝えた。


「(…ありがとうございます)」


 言ったと同時に、首を傾げられた。

 簡単な手話だから分かるだろうと思っていたけど。


 先生には伝わらなかったのかもしれない。


 しかし、オレの気持ちは、済んだ。


「施設育ちって聞いているが、こりゃまた随分と可愛いもんだ」


 頭を撫でられた感触。

 思った以上に、暖かい手だった。


 親に疎まれた赤髪を、厭う事無い優しい手だった。


「(どういたしまして)」


 と、それと同時に、返された片手の手話。

 ………通じていた。

 そう理解した時、本当の意味で尊敬する事を決めたのだ。


 思えば、師匠だったルリ様には申し訳ないと思っても、この尊敬の念や感動だけは捧げる相手は銀次様しかいなかったのだ。


 だからこそ、オレはこの人の『 』を選んだ。



***



 日本刀を振り下ろした。

 殺すつもりで、斬った。


 そのつもりだった。


 なのに、その手元は大きく外れていた。


「………シャルッ!?」

「やめてぇ!マミヤを殺さないでよぉ!!」


 その軌道を狂わせたのは、シャルだった。


 オレに背後からタックル。

 おかげで、よろめいた為に、軌道が大きくずれて、彼が背中を預けていた壁を切り払っただけに終わる。


 その瞬間、


「この馬鹿、下がれぇ…!!」

「きゃあ!!」


 オレが、大きく踏鞴を踏んで、後退せざるを得なかった。


 オレを愕然と見上げていた間宮の姿をした悪魔が、未だに握りしめていたままの脇差を切り払った。


 シャルを抱えて飛ぶことは、日本刀を持ったままでは出来なかった。

 それ以前に、避ける為に動くのが精いっぱいだった。


 それも、無駄だったが。


「………ぐ…ぅっ…!」


 脇腹を斬られた。

 大きく刻まれた傷痕から、血飛沫が飛ぶ。


 更には、


「ギンジ…ッ!!」

「だから、下がれと言っているだろうがぁ…!!」


 オレが避ける為に、押し退けたシャルのいる前で、間宮の姿をした悪魔が魔法を使う。

 無詠唱は、こんな時に厄介だ。


 切り刻まんとする風の刃が、容赦なくオレに迫って来る。

 シャルを背後に守っていては、避ける事すら叶わない。


「シャアア…ッ!!」


 とっさに、『剣気』を放つ。

 しかし、遅すぎた。

 ぶつかり合った暴風と『剣気』が暴発し、まるで4tトラックの突撃でも受けたかのような衝撃に襲われる。


 吹き飛ばされた。

 向かい側の壁へと叩きつけられ、無様に地面に転がり落ちる。


『(くはははははッ!

 驕ったなぁ、『予言の騎士』…!

 流石に、この小僧を好いた女子の手綱は握り切れておらなんだか…!)』


 ご丁寧に、精神感応テレパスで飛ばして来た嘲りの声。

 血反吐を吐き飛ばしながら立ち上がろうとするも、頭を打った時に脳震盪でも起こしたのか、起き上がれない。


『油断しおって、愚か者…!!』

『嬢ちゃんは、こっちだ!

 これ以上、ギンジの邪魔をするなら許さんぞ…!!』

「嫌ッ、止めて!!

 マミヤもギンジも、止めてよぉッ!!」


 アグラヴェインが、オレの前に立つ。

 サラマンドラが、同じように吹き飛んだが、それでも地面が近かったことで転がるだけで済んだシャルを回収。


 回収されたシャルは、オレや間宮に向けて更に言い募る。

 そういや、元々聞き分けが無いお転婆娘だった事を忘れていたな。


 最近は鳴りを潜めていた筈なのに。

 ついつい、脳内脱線をしてしまう。


『早く起きろ、主!』

「………無理、脳が揺れて、立てない…」

『軟弱者め!

 油断しておるから、そうなる…!』

「………ごもっとも」


 本当、ごもっとも。

 覚悟だけじゃ、足りなかったようだ。


『(足が動かずとも、これで十分。

 この身体は、特に魔力の親和性も高く、詠唱を必要とせぬからなぁ!!)』


 高笑いが脳裏に響く。

 その言葉通り、動けないオレに向けて竜巻や、土の礫を放ってきた悪魔。


 アグラヴェインが対抗して弾き返すまでも、それ以上を進めない。

 攻め込めない。


 分かっているから。

 彼等なら、簡単に殺す事が出来る。


 間宮を、殺す事は彼等にも可能だ。


 だが、アグラヴェインもサラマンドラも、それをしない。

 何故、か。


 2人とも、分かってくれていたから。

 オレが覚悟を決めたと共に、オレ以外の人間が手出しをして良い問題では無い、と。

 例えそれが、精霊であっても、だ。


 オレが、殺さなきゃ意味が無い。

 間宮の師匠である、オレがやらなきゃ意味が無いのだ、と。


 分かっているから、手出しをしなかった。

 さっきまで。


 シャルが出て来て、オレが傷付いた。

 アグラヴェインはその為に、前に出て守っているだけ。


 それ以上は、攻め込まない。


 サラマンドラも、同じ。

 シャルを回収するにはしたけど、そのままオレ達の事は静観している。

 

「どうして、アンタ達は平気なの…!?

 ギンジは、マミヤの師匠でッ!

 弟子なのに…ッ!!

 それを殺そうとしているのに、どうして止めないのよッ!!」


 更に続く、シャルの悲痛な声にも、彼等は答えなかった。

 何と言われようが、オレのオーダーを優先するからこその、彼等の矜持だから。


 立たなきゃ。

 オレが立たなきゃ、更に被害が拡大する。


 切り刻まれた傷口から、鮮血が溢れ出す。

 路地に篭っていた血臭が更に、強くなる。


「サラマンドラ、シャルを頼む…」

『分かった…』

「きゃっ、嫌ぁ…離してよッ!!

 止めなきゃ…ッ、ーーーッ!!」


 今は、シャルが邪魔だ。

 サラマンドラに命じて、シャルを離脱させる。


 悲痛な声が、路地裏に反響した。

 その後の、声なき悲鳴も後ろ背に届くが、こればかりはどうしようもない。


 最初から、こうしておけば良かったな。

 間宮を殺す瞬間等、恋慕の感情を抱いている彼女に見せて良い場面では無い。


 そうしている間にも、間宮の姿をした悪魔は魔法を放って来ている。

 オレに攻撃が届かないよう、アグラヴェインが『闇』を使って弾き、あるいは相殺するまでも余波は消えない。


 起き上がろうとするオレの前髪を、揺らしては消える突風。

 見下ろした地面には、額でも切っていたかぱたぱたと円形の飛沫が落ちる。

 それが、幾重にも歪んで見えた。


 唇を噛み締める。


 悔しいな。

 覚悟を決めたと言っておきながら、心が揺らぐ。


 ………間宮を取り戻したい。

 

『…無茶な事を考えるな…。

 悪魔の『器』はどのみち、もう………朽ちるまで…ッ』

「分かってるよ…」


 安定の内心筒抜け問題。

 アグラヴェインから、甘えた思考を叱咤される。


 分かっている。

 そうだ、分かっているのだ。


 ………それでも、


「なんで、………起き上がれねぇんだよ…ッ!」


 零れ落ちた、涙。

 地面に落ちた血を薄める様にして、そして混ざり合って消える。


 立たなきゃいけないと分かっているのに。

 分かっているのに、立てないのだ。


『(くははははは!!

 やはり『予言の騎士』も人の子!

 可愛い愛弟子は、斬れぬであろうよ…ッ!!)』


 叩きつけられる嘲笑。

 それを、オレは地面を見下ろしながら、受け止める事しか出来ない。


 情けない。

 歯痒い。

 悔しい。


 オレが間宮を鍛えて来たのは、こんな事の為じゃなかった。

 彼を弟子として育てて来たのは、あんな悪魔に身体を明け渡す為じゃ無かった。


 むざむざ、オレに殺される為に、慈しんで来た訳じゃないのに…ッ。


「………間宮ぁ!!」


 慟哭。

 叫び声。


 感情が抑えきれずに、路地裏が震える程の大音声。


「戻ってこいよ、馬鹿野郎!!

 オレは、こんな結末の為に、お前を育てて来た訳じゃねぇんだぞッ!!」


 心の底からの、悲鳴にも似た叫びだった。


『(くはははははッ、愉快痛快!!

 もう、この小僧には、毛程も汝等の声は届いておらぬわぁ!!)』


 無駄な事。

 そうとは分かっていても、叫ばずにはいられなかった。


 こんな形で、分かりたくなかった。

 あの時の、師匠の気持ち。

 裏切られた、あるいは牙を向けられたと、実感した師匠の気持ち。


 ………こんなに、虚しかったんだな。

 知らなかったよ。


 知りたくなかったよ。


 もう一度、歯を食いしばる。


 地面に付いていた擦り切れた手で、涙も血の痕を擦った。

 擦れただけのそれは、消える事は無い。


 それでも、十分だ。


「………ゴメンな、間宮…。

 最後まで、情けない師匠で………」


 立ち上がる。

 先ほどまで、揺れていた視界は、もう収まった。

 立ち上がらない、理由は無い。


 放り捨てられていた日本刀を、呼び戻す。

 アグラヴェインとの意思の疎通もあってか、それは路地裏の片隅から即座にオレの手元に闇を纏いながら戻って来た。


 ぎりり、とその柄を握りしめて、


「今度こそ、………解放してやるからな…」


 構えた。

 それは、間宮へと真っ直ぐに、向けられている。


『(粋がりおっても、本気で殺せる訳も無かろうや!)』


 悪魔が、更に魔法の攻勢を強める。

 怯えが含まれているような気すらも感じる、周到な『風』と『土』の乱舞。


 『風の竜巻(ウインド・トルネード)』が『石の礫(ストーン・グラヴェル)』を巻き込んで、殺傷能力が引き上げられる。

 それを、溜息一つ。


「アグラヴェイン、………合図とともに『盾』展開」

『………承知』


 最低限の命令オーダー

 こういう時、兄貴分である彼がいるのは、頼もしい。


 普段は、こうして召喚する事等、一目が無ければ出来ないからな。


「冥土の土産に、持っていけ…」


 そう言って、更に溜息一つ。


 目の前に迫りくる暴風サイクロンへと、日本刀を振り落とした。

 発生させるのは、『剣気』。

 それを、真正面から暴風へとぶつけた。


『(馬鹿め!!

 先程、弾き飛ばされたのを忘れたか…!!)』


 先程と同じ轍。

 しかし、今度は違う。


 暴風へと吸い込まれた『剣気』が、そのまま暴発を起こす。

 路地裏に、爆音が響く。

 回転軸を壊され行き場を失った凄まじい暴風が、容赦なく乱打していく。


 だが、


『(………何!?)』


 オレ達は、既にその場にはいない。

 空中に、身体を躍らせ、暴風から逃れている。


 更には、アグラヴェインの『闇の盾』が、足下に展開。

 おかげで、飛び交う弾丸の様な礫は、全てオレ達に届くことは無い。


 阿吽の呼吸とも言えるアグラヴェインとの意思疎通の結果、タイムラグは見当たらず。

 オレが考えていた通りの結果が生まれ、そしてその後は一直線。


 落下の速度すらも味方に、間宮へと迫る。


『(さ、させぬ!

 これ以上、『器』を壊させんぞ…!!)』


 自棄になったかのように、悪魔は魔法を行使。

 最も早く発現出来ただろう『風』の魔法は、咄嗟の判断で初級の『カッター』のみ。

 質より量を選択した結果、オレには両手の数でも足りない程の『風の刃』が殺到した。


 それを、『剣気』と共に、最小限の身のこなしで避ける。

 新たに掠り傷が増えるが、構うものか。

 どうせ、すぐに塞がる。


 確実に彼に近付く方法は、これだけだ。


 そして、これが間宮にとっての、花道になるのであれば。

 血で出来た花道と言うのも、嫌だろうが。


 どのみち、急所に当たりそうなものは、全て『剣気』で弾くか回避している。


「安心して、逝け…」

『(………こんな事があって…ッ!!)』


 目の前に着地。


 それと同時に、飛び散った鮮血。


 間宮の肩口から胸元までを、一気に切り裂いた。


 悪魔は、咄嗟に壁に身体を押し付けて、縦断されるのは避けたらしい。


 頬に掛かった血飛沫は、熱い。

 オレの目から零れた滴も、熱かった。


 ばらり、と包帯が解けたのを感じながら。


「………地獄で待ってな!

 オレも、後から行くからよぉ…!!」


 突き立てるようにして、日本刀を繰り出す。

 脇差を構えたが、切先をずらすだけに留まった。


 急所は外れたが、間宮の身体に突き立った刃。

 脇腹を貫通し、そのまま壁に押し付ける様にして貫いた日本刀。


「(………がひゅ…ッ!)」


 間宮の口から、鮮血が零れる。

 オレの顔半分を、まだらに濡らした。


 それが、決着。


『(………たまさか…ッ、こんな薄情で身勝手な師匠とは…ッ)』

「………いくらでも言え。

 どのみち、その言葉はそっくりそのまま返してやるが…」


 どちらが、身勝手か。

 勝手に人の愛弟子の身体を『器』にした事が、身勝手で無いとどの口が言えるのか。


 日本刀から手を、離す。

 間宮は、その場でぐったりと動かない。


 その眼からは、未だに赤い光が灯っていても。

 覇気は、消えた。

 瘴気も。


 しかし、


『(………く、はは…ッ、はははははっ!!)』


 それでも、嗤い出した、悪魔。

 間宮の姿をしながら、間宮の声で。

 禍々しい『闇の靄』を立ち昇らせながら、何が可笑しいのが哄笑を続ける。


 耳障りな声。

 だが、決して外に響く事の無い、その声。

 それを、オレは、ガンガンと揺さぶられる脳裏で聞いている事しか出来ない。


 それも、束の間。


『(我を倒したからと言って、有頂天になっては困る…)』

「………何?」


 悪魔が、嗤う。

 言葉を、紡ぐ。


『未だ、他の封印の悪魔どもは、解放されておらぬ。

 そして、今後、解放される事も無い…』


 アグラヴェインが、苛立ち混じりに反論。

 しかし、悪魔は呵呵大笑と、更に哄笑を大きくしただけ。


『(知らぬとは、真、愚かなり…!

 よもや、悪魔が我等だけと思うておったか…!!)』


 ………どういう、意味だ?


 訳が分からずに、その場に立ち尽くす。

 オレ達のその様子を知ってか知らずか、悪魔は更に哄笑と共に紡ぎ続ける。


 まるで、毒の様な言葉を。


『(既に、地獄の蓋は開かれた!!)』


『(封印された、6つの悪魔がいなくとも、この世に災厄様を目覚める準備は進められておる!)』


『(汝等の知らぬ、何百万年と言う月日を経て、我等はその礎を作って来た!)』


『(尖兵と呼ばれる悪魔は、我だけでは無かったと言う事よ!!)』


 そうして、更に嘲笑を強めた悪魔。


 意味が、理解出来ない。

 分かっている。


 この悪魔の言っている事は、不味い事だと。


 なのに、理解を出来るだけの思考が、追いついてくれない。


「………ど、ういう事だ…!

 お前達以外にも、悪魔がいるっていうのか…!?」

『(本に知らぬとは、愚かなり…!

 悪魔の存在が人間に関知される事件など、この世界の歴史の狭間で幾つも存在しておったというのに…!!)』

「------ッ!!」


 そこで、思い出す。


 香神達の事件を。

 そして、ゲイル達の知っていた、悪魔の出現時や取り憑かれた人間の行動等の情報を。


 『硫黄』の香り。

 靄とも言える『瘴気』。

 不可解な行動の増える操り人形。


 前例があるからこそ、知られている。

 だからこそ、オレ達も今回の件に悪魔が関わっている事を知れた。


 封印されている悪魔の数は、7つ。

 だが、それ以上の悪魔が、今も尚この世界に蔓延っているとしたら………?


「『石板』が壊されていたのは、その所為か…!」

『(くはははははっ。

 今更、気付いても遅い…!)』


 何故、石板に『人払い』の結界があったのか。

 悪魔からの侵攻を、更に言えば伝承の破壊を阻止する為だった。


 だからこそ、女神ソフィアと眷属である精霊達、『予言の騎士』であるオレしか入れないようになっていた。


 破壊された『石板』があるのも、その所為。

 悪魔達が女神が眠りについた後も、この世に残っていてそれを破壊して回っていたから。


 気付けた聖龍ションロンが、結界を張った。

 だから、破壊されていない『石板』も存在している。

 だが、それ以前のものは、破壊され虫食いだらけになってしまった。


『(まぁ、完全に破壊する事は出来ずとも、女神の言伝が、後世に伝わるのが遅らせる事が出来ただけで、僥倖な事よなぁ…)』


 その所為で、オレ達後世の人間への『石板』からのメッセージは、伝播が遅れた。

 各国で対応が可笑しなことになっているのも、一重にその所為だった訳だ。


『(………どのみち、気付いたところでどうにも出来ぬだろうよ。

 既に、賽は振られた…)』


 そう言って、最後に大きく哄笑。

 間宮の姿をした悪魔が、血反吐を吐いて。


『(手土産が、この小僧1人とは業腹ではあるが、………目にものを見よ、哀れな『予言の騎士』共よ…!)』


 負け犬の遠吠え。

 それにも似た、怨嗟の篭った声を、オレ達の脳髄へと叩き込んだ。


 オレ達は、その言葉に、ただ呆然と立ち尽くすだけ。



***



 だが、


「いやああああああああああああッ!!!」


 その空気を切り裂いた、悲鳴。

 絹を裂くような悲痛な金切り声に、一瞬にして路地裏の空気が変わる。


 シャルだった。

 彼女が、路地裏に戻って来てしまった。


 結局、遠ざける事が出来ずに、彼女にとっては最悪な現状を見せてしまった訳だ。


 そればかりか、


「………なんと言う事じゃ…ッ!」

「クソッ、………遅かったか!」


 応援に駆け付けた、ラピスやゲイルの姿もある。


『済まん、主。

 途中で合流した故、任せる他無かった…』


 舞い降りたサラマンドラ。

 心なしか、苦々しい表情の彼。


 彼もまた、オレ達の戦闘に戻りたくて、焦ったのだろう。

 こちらに応援として向かっていた彼等を見つけてシャルを預けた。

 こちらに戻って来るのは、分かった上で。


 戦闘の名残を残した、殺伐とした空気の中。

 きっと、オレは遣る瀬無い、何とも言えない表情をしていた事だろう。


 しかし、


「………ッ、ギンジ…!!」

『主…!!』

「…ッ!?」


 ゲイルが何かに気付く。

 アグラヴェインの気配が、尖った。


 そして、剣閃が、視界の隅で閃いた。


『(………そぅら、隙だらけだ)』


 脇差を振るったのは、かろうじてまだ息のあった間宮の姿をした悪魔。

 どす黒い血に塗れながら、オレに向けて無手を翳して(・・・・・・)いた。


 そう、無手。

 脇差を振るった筈の手に、既にその刃は見当たらない。


「ギンジぃ!!」

「きゃああッ!!」


 咄嗟に、ラピスがシャルを抱きかかえて、眼を塞ぐ。

 少し遅かった。


 オレの腹のど真ん中には、既に脇差が突き立っている。

 認識すると同時に、身体中に雷撃スパークが走った様に激痛が広がった。


「ごふ…ッ」

『(くはははははっ!!

 この程度で死ぬとは思わんが………、それ見た事か!!)』


 血反吐を噴き、その場に倒れ込む。

 腹から、ぼたぼたと零れ落ちる、また新しい鮮血が地面に沁み込んでいく。


 間宮から流れた、血と混ざりあっていく。


『(弟子の成長を喜ぶが良い…。

 まぁ、この小僧の身体は、既に我の『もの』であるがなぁ…!)』

「………この…ッ、」


 くたばりぞこない。

 そう言いかけて、ついつい口が強張った。


『(………ここまで傷めつけたのは、汝よ)』


 その後の悪魔の言葉に、口だけでは無く顔も強張る。

 否定が出来ない。


 そして、最後の最後で、またオレは揺らいでしまった。

 トドメを刺せない。


 なまじ、シャルがいる。

 ラピスやゲイルが、その後ろに騎士団がいる、この場では。


 再三の、虚しさが飛来。

 絶望にも似た虚無に、足下が崩れ落ちるような感覚すらした。


 実際には既に頽れて、地面に倒れ込んでいるまでも。


 だが、


「卑しい悪魔の分際で、賢しら口で吠えるでは無いわ…!!」


 その空気を切り裂いた、声。

 先程とは違う、悲痛な金切り声でもなく。


 凛とした怒気を孕んだ慟哭。

 ラピスの声。


「魔なる者を、拘束せよ!

 『聖なる束縛(ホーリー・バインド)』!」

『(ぎゃああああああああああああああああッ!!)』


 あっと言う間に完結した詠唱と共に、間宮の姿をした悪魔に向けて放たれた束縛バインド

 金にも銀にも見える光と共に、絡みついた鎖。


 途端に、悪魔が金切り声を上げた。


青二才ゲイル、やりやれ!」

「分かっている!

 『聖なる領域(リザレクション)』!」


 ラピスに続いて、ゲイルもその場で魔法を行使。

 先に見た復活の儀式の魔法陣とは雲泥の差である発光を齎しながら、オレ達の周りに展開する『聖』の魔法陣。

 無論、無詠唱。


 タイムラグは一切無く、オレ達どころか路地裏の隅から隅へと覆い尽くさんとする巨大な魔法陣が展開される。

 オレや間宮の傷が、見る間に癒えていく。

 脇差を抜けば、血が滴り落ちるが即座に消えた。

 先にオレが間宮に付けた、袈裟斬りの傷も、突き立てた日本刀の傷も血の痕を残して消える。


 だが、悪魔はその間にも、無様に叫び声を上げ続けていた。


 そこで、更に、


「使いやれ、ギンジ!」

「ーーーッ!!」


 放り投げられた、何か。

 それが小瓶の様な何かだと気付いた時には、反射的に手を伸ばしていた。


 中には、水。

 だが、小瓶には魔法陣が刻まれている。

 ただの水じゃない事は、確か。


「『聖水』じゃ!

 それを間宮に飲ませよ!!」

「………ッ!?

 間宮から追い出せるのか!?」

「『器』になって、まだ間もない!!

 半信半疑ではあるが、今なら出来るやもしれぬ!!」


 半信半疑。

 そんな言葉であっても、オレに躊躇は無かった。


 諦めるしかないと思っていた。

 間宮の事は、その命もろとも。


 なのに、こんな方法があったなんて知らなかった。

 ついつい、そんな時では無いと分かっていながらも、恨み言をアグラヴェインにぶつけようとしてしまうが、


『早くやれ!』

「チッ…!!」


 そんなアグラヴェインすらも、オレの叱責の声を投げる。


 だが、異論はない。

 地面をのたうち回る、間宮へと飛びついた。


 見れば、束縛バインドを受けた場所や、『領域リザレクション』に触れている箇所が焼け爛れている。

 悪魔に取り憑かれた人間の末路。

 話だけは聞いていたが、いざ目の前で見るとぞっとしない。


『(おのれ…ッ、人間如きが、森子神族エルフ如きがぁ…!)』

「冥土の土産も何もあったもんじゃねぇな…!」


 憎まれ口を一つ。

 間宮を抑え込みながら小瓶のコルクを引き抜き、そのままのたうち回る間宮の口へと突っ込む。

 逃れようと暴れるが、オレの怪力の前ではまな板の上の魚同然だ。


 程なくして、小瓶の中身が嚥下される。

 嘔吐こうが、暴れようがそのまま口もろとも、その身体を抑え込んだ。


 だが、ふと抑え込んだ身体が痙攣一つ。

 動かなくなる。


 もんどりうって、何事かと思いきや、突然首根っこを掴まれた。

 オレをこんな風に扱うのは、アグラヴェインぐらいなものだ。


『離れよ、出るぞ…!』

「うぉ…ッ!!」


 宙づりになった瞬間である。


『(ぐぎゃああああああああああッ!!)』


 耳障りで怖気の走る、何とも言えない叫び声が脳髄に叩き込まれる。

 あれだ。

 黒板をひっかくような、あの何とも言えない音。


 それが、脳裏に直接叩き込まれて、鳥肌が立つ。

 精神感応テレパスを繋いでいたからこその、余計なダメージ。


 だが、悲鳴と共に、それは出た(・・)


 間宮の口から、闇の靄の様なものが飛び出しては、空中へと踊る。

 間宮の目が赤から、金色へと変わった。


 靄が出尽くすと、その場にぐったりと倒れ込む。


「マミヤぁ…ッ!!」


 シャルが駆け込んで来た。

 地面に下ろされたオレも、すぐさま間宮へと飛びつく。


「しっかりして、マミヤッ!!

 お願い、死なないでよぉ…!!」

「…頼むから、生きてろよ…!!」


 脈拍を確認する。

 首を選んだのに、触れない。

 仰向けにして、胸を何拍かに分けて押す。


 そうして、もう一度脈を探す。

 だが、それよりも先に、


「(………がひゅ………ーーーッ)」


 血反吐の混じる、息を吹き返した。

 生きている。


 脈も弱いが、確かに触れた。 


「マミヤ…ッ!」

「………良かったぁ………」


 どうやら、間に合ったらしい。

 そして、ラピスが半信半疑と言っていた『聖水』とやらも、どうやら効果があったようだ。


 気付けば、彼女達もオレ達に駆け寄っていた。


「遅くなってしもうて、済まぬ!

 一度校舎に戻って、この小瓶を探しておったのじゃ…!」

「路地が入り組んでいる上に、浮浪者どもが邪魔をしてな…。

 間に合わなくて、済まなかった…」

「………いや、良い。

 結果としては、上々だ…」


 彼女達が応援に遅れた理由も分かって、一安心。

 ラピスはわざわざ、この小瓶を取りに校舎に戻ってくれたようだ。

 そして、ゲイル達は安定の治安問題に引っかかった、と。


 それでも、今回の件で大分、お縄に出来たのだろう。

 少しは、スラムの治安向上になるかもしれない。


 なんてことは、ともかく。


『………主!』


 アグラヴェインからの再三の鋭い声に、咄嗟に武器を構えて振り返る。


 そこには、未だに靄が滞空していた。

 そして、その真下には、


「………まだ、生きていたのか…!?」

『往生際の悪い!

 もう一度、収まるつもりらしいな…!』


 死んだと思っていた、小堺の身体があった。

 微かに胸が上下に動き、そして呼吸をしている様子も微かに確認出来る。


 失態だ。

 生存確認をするまでもないと思っていたが、ここにきてまだ生きていたとはーーーー…。


『チッ…!

 『領域リザレクション』の影響で、息を吹き返しおったのか…!』

「なるほど…使いどころを間違ったか」


 先に使われたゲイルの魔法の影響か。

 アグラヴェインが気付いて舌打ちを零すが、オレも同じような気分。

 ついでに、表題にされてしまったゲイルも苦い顔をしたのが見なくても分かった。


 だが、アグラヴェインは手を出そうとはしていない。

 追い縋る事も出来ない。


 見れば、その身体が薄っすらと透けている。


 不味い、魔力枯渇だ。


 オレ自身の魔力が足りなくなっているのが、今更ながらに分かる。

 おかげで、アグラヴェインも憎い仇とも言える悪魔を目の前にして、手が出せない。


「サラマンドラ、戻って!」

『口惜しいが、仕方ない!』


 サラマンドラをひっ込める。

 だが、やはり遅すぎたのか、クラリと目の前が揺れるのは魔力枯渇の前段階。


 アグラヴェインも悔しそうにしながら、オレの真横へと移った。


森子神族エルフの嫁には、『拘束バインド』を準備させておけ。

 騎士の小僧には、反撃の警戒をさせた方が良い…』

「要は、『聖』属性で臨機応変にってことだな…?」

『杜撰ではあるが、その通り』


 その言葉を最後に、アグラヴェインもオレの中へと戻る。

 ここまでの長丁場になるとも思えなかった為に、配分を考えていなかったのが仇となった訳だ。


 まぁ、それでも。


『おのれ…『予言の騎士』とはいえ、人間如きに…ッ』


 憑依を完了し、起き上がった小堺の姿をした悪魔エリゴス

 身体は満身創痍。

 もはや、どこが出血源か、返り血なのかも分からない様相のまま。


 そんな少女を殺すのは、容易い。

 そうとしか、思えなかった。


 実際には、容易く殺されてしまうと分かっているからこそ、悪魔も別の『器』を求めた。


 しかし、こういう時こそ注意が必要という事を、嫌と言う程理解していた。

 頭では。


「何してるんですか!!?」


 鋭い声が、飛ぶ。

 思わず、振り返る。


 解けた包帯が一瞬だけでも、両目を隠そうとしていたので野暮ったく。

 気付くのに、時間が掛かった。


 声の主が、誰なのか一瞬分からなかった。


「そ、その子は、僕の生徒なんですよ…!?」


 泉谷だった。

 そんな彼が、路地裏にバリケードとなっていた騎士達を押しのけて、駆け込んで来たのだ。

 その背後には、追いついたか合流したか、虎徹君達の姿もあった。


「………最悪、だ」


 口から、ぽろりと漏れた言葉。

 それと同時、


『くははははははははっ!!

 やはり、運は我に味方していた様だなぁ!!』


 小堺の姿をした悪魔が、高らかに嘲笑した。

 その姿と言葉のギャップ。

 一瞬だけ、オレ達に向けて激昂を露にしていた泉谷の表情が強張る。


 虎徹君達ですらも、異様な気配を感じてかぎょっとした様子で固まった。

 そうして、もう一度オレも振り返ろうとした。


 その瞬間、


『(伏せてください…!)』


 オレを押し倒した赤い髪。


「………間宮!?」


 先まで、瀕死の重傷で横たわっていた間宮だった。

 とても起き上がれる状況とは思えなかった彼に、思い切り押し倒された。


 その視界の先で、銀色の何かが閃く。

 間宮の肩口を掠める様に、飛来していったそれは、路地裏の壁に突き立った。


 短剣だった。

 小堺が先ほど、自身の胸に突き立てたままであった短剣だ。


 悪魔エリゴスからの攻撃だったと分かると同時。

 その通過点が、どこだったかを改めて察して、怖気が走った。


 おそらく、間宮が押し倒してくれなければ、今頃あの短剣が突き立っていたのは、オレの眉間だ。


『チッ…死にぞこないが…!』


 小堺の姿をした悪魔が、口惜し気に吐き捨てる。

 その瞬間、オレを押し倒したままであった間宮が、顔を上げたと同時にその眼を激昂に染め上げた。


『(それは、こちらの台詞だ、愚物め!)』


 精神感応で、叩きつけられる殺意。

 怒気も相俟って、彼の髪が逆立って見える。


 しかし、それも束の間の事、間宮の目が揺れた。


「…間宮、良い、無理をするな。

 その死にぞこないの愚物に付き合う必要はない…ッ」


 そうして、倒れ掛かって来る身体を受け止めた。

 限界だっただろう。

 何かを言う前に、意識が途切れた彼もまた満身創痍。


 転がしてシャルへと預けると、これまたシャルからはとげとげしい視線を受け取ったが、今はそちらまで構っている暇は無い。


 念じれば即座に現れる日本刀で、邪魔になった左眼の包帯を切り落とす。

 アグラヴェインが戻ってくれたからこその芸当か。


 クリアになった両の目の先で、小堺の姿をした悪魔は今まさに逃げようとしている。

 そうは、させて堪るか。


「ラピス、『拘束バインド』!!」

「言われずとも…ッ」

「ゲイル、『壁』を張って退路を断って!」

「了承!」


 背後の2人が、その場で魔法を行使。

 だが、一足早く小堺の姿をした悪魔が、瘴気と呼ばれた黒い靄と共に上空へと飛び出した。


「小堺さん!?」

「どういうこった…!?」


 背後からの、泉谷達の驚嘆の声。 


 それをバックに置きざりにするように、小堺の姿をした悪魔を追いかける。

 時間稼ぎぐらいなら、まだ間に合う!


 手近な壁を蹴って、同じく上空へ。

 膂力のおかげか、追いつく事は簡単に出来た。


 目の前には、血塗れの小堺の顔。

 その眼は、塗れた血と同じく真っ赤に、爛々と光っている。


 逃がす訳には、いかない。


『無知とは、愚かなり』


 しかし、その言葉と同時。

 彼女の身体に纏わりつくだけだった靄がまるで噴煙のように噴き上がる。


『(馬鹿者!

 生身のままで瘴気に突っ込む奴がおるか…!)』


 内心からのアグラヴェインの叱咤も、一足遅かった。


「あぐ…っ!?」


 黒い靄に触れた部分から、激痛が走った。

 なまじ、時間稼ぎの為にと懐に踏み込んでいた事が仇になって、気付けば目の前が真っ黒。


 激痛は、まるで劇薬でも引っ被ったかのようだった。


「ギンジッ!?」

「そんな!!」

『生身の人間が、瘴気に触れて無事でいられるとでも思ったか!?』


 ラピスやゲイルからの声。

 そして、悪魔エリゴスからの嘲笑。


 それを聞きながら、全身に重力が伸し掛かるのが分かった。

 追い縋ったは良いが、結局一太刀も浴びせる事無く落とされただけとは情けない。


 耳元で聞こえるじゅうじゅうと聞こえる音は、オレの肌が瘴気に負けて焼けている証左。

 本気で、劇薬被ったようなもんか。

 目が痛くて開けられない。

 先程、両目ともクリアにしたのが、こんな形で裏目に出るなんて。

 鼻に付く刺激臭に、そういや悪魔が現れた兆候が『硫黄』だったかと思い出して、劇薬云々を思わず納得してしまった。


 それも、只の現実逃避。


 出来るだけ身体を丸めて、迫りくるだろう地面との激突ダメージを最小限に抑えようとした。

 無駄かどうかは、激突してからしか分からない。


 その直後、


「うげッ」

「………間に合ったッ!」


 背中から感じた衝撃に、思わずくぐもった声を上げる。


「ギンジ…ッ!この馬鹿、受け身も取らずに…!

 …目が…ッ、表皮も焼けたか…!」


 だが、どうやら間近で聞こえた声は、ゲイルだった様で。

 固い甲冑や逞しい筋肉の感触が、背中や膝裏、ついでに接している右半身から感じられる。

 受け止めて貰ったらしい。


 やだわぁ、筋肉格差問題。

 オレは怪力になっただけだけど、彼は自前の筋肉で成人男性受け止めたって事だ。

 これも、現実逃避。


 正直に、今回ばかりはありがたい。

 彼が受け止めてくれなければ、今頃オレはこの焼けた目やら表皮やらの痛みと共に、落下の激痛に堪えて居なければならなかった。


「くそ…ッ、エリゴスは…!」


 痛む目を無理矢理こじ開けて、上空を見る。

 それでも、涙でぼやけてほとんど識別出来ない視界では意味も無い。


「………逃げた、ようだ…」


 ただ、ぼそりと呟いたゲイルの声に、落胆を募らせる。


「…済まん。

 『盾』を使う前に、お前の真下に滑り込んだから…」

「いや、………ゴメン」


 これは、ゲイルを責めるべきでは無い。

 勿論、ラピスも。


 判断を間違ったのは、オレ。

 焦った挙句に不用意に近付いて、返り討ちにあったオレの落ち度。


 ここで仕留めておくべきだった筈なのに。

 オレがたった一個、行動を間違っただけで取り逃がしてしまった。


 悔しいったら無い。

 生理的な涙とは別に、込み上げて来たそれが目の前を更に歪ませた。


「………それよりも、先に手当てを…」

「こっちに連れて来なしゃんせ!

 『聖水』は少ないが、まだストックがあるでな…!」


 表情云々以上に、オレの状態が酷いらしい。

 オレの意見を聞く間も無くゲイルが踵を返し、ラピスが慌てた様子で何かを準備している。


 オレの様子を見てか、誰かが息を呑む声も聞こえた。


 そういや、今更ではあるが、路地裏には騎士団やら泉谷一行やらと随分とごった返している。


 オレの失態は、騎士団の連中にも泉谷達にも見られたという事だ。

 ついでに言うなら、その失態の原因ともなった邪魔をしたのは泉谷である事も、今更ながらに思い出してしまう。

 ついつい、憮然とした表情をしてしまいそうになった。


「………酷い…ッ」

「あんまり見るんじゃねぇ…」


 その中に、華月ちゃんや虎徹君の声があった。

 ただ、純粋に心配していたり制止が混ざった声だったとしても、それにすら、苛立ちが混じった。


 結局、オレ達が引っ被る。

 泉谷アイツの失態を、オレ達が引っ被って更に失態を重ねるなんて不条理だ。

 赤っ恥じゃねぇか。


 ついつい、そんなことを考えてしまう。

 だが、その思考も、


「沁みるが、我慢じゃぞ?」

「えっ…-----っでぇええええ!!」


 ラピスの声と同時に顔中にぶっかけられた『聖水』の中和作用による更なる激痛で消え去った。


 同じ日に、二度も顔を焼く痛みと音を聞く事になったなんて。

 こんな経験をしているのは、この世界ではオレだけなんじゃなかろうか。


 厄日だと思う。

 年がら年中、厄日なのかもしれない。

 それなら、厄年だ。

 ああ、納得。


「いだだだだ…ッ、これ、痛い…超痛い!」

「我慢じゃ。

 目も顔も使い物にならなくなるのは、御免であろ?」

「目はともかく、顔はどうでも…ッ!

 あ゛ッ…いでででで…擦るな擦るなッ」

「私が許さんわ」

「オレの取り得、顔だけじゃ無いもん…ッ!」

「それは知っておるが、顔に傷が残るのは嫌じゃろ?

 見る度に思い出すのは、私が嫌じゃ」


 と、やや乱暴なラピスの手当てを受けつつ、


「それで、中和出来るのか?」

「分からんが、やってみるしかなかろう?

 瘴気に真正面から突っ込んで、眼が焼けた患者など私とて診た事が無いのじゃから…」

「何その、怖い会話!」

「黙って手当てを受けておれ」

「今は、ラピス殿に任せておくしかあるまい?」


 頭上の会話に戦慄。

 まさかの、行き当たりばったりの治療法に、ドン引きだ。


 それでも、次第に痛みが引き始めると、歪んでいた視界も晴れて来た。

 まだ目が痛いが、開けていられない程では無い。

 表皮の痛みに関しても、同様である。


「ふぅ…まだ、眼は赤いが…」

「肌も火傷の範疇か…」

「これなら、傷口を治してしまっても良かろうな。

 この者に、天上の加護を、『聖なる御手(ヒーリング)』」


 ラピスから見て、オレの目も顔も随分と良くなったらしい。

 仕上げとばかりに、『聖』属性の治癒魔法を受ければ、オレからしても文句なしの完治と言える。

 痛みも消え、少々違和感が残るまでも視界も良好である。


「目は問題無く、見えるかや?」

「ああ、大丈夫」

「それは、良かった。

 …目の赤みは、経過を見るしかあるまいな。

 まぁ、これで消毒をしても構わんじゃろうが…」

「ふぎゃッ…痛いって!!」


 念のためと、『聖水』を目薬の様に点眼された。

 痛いよ。

 情けない声が出る程、痛かったよ。

 絶対、用途が間違ってると思うんだ。


 そんなオレの講義の声など無視をして、他に瘴気による傷が無いか探し始める辺り根っからのお医者さんだと思うけどね、ラピスさんや。

 オレは、もうちょっと優しさが欲しい。


 閑話休題。


「マミヤも、眠っているだけの様だ」


 オレが手当てを受けている間に、ゲイルが間宮の様子を確認してくれたようだ。


 顔は青白いし、服も血塗れ。

 制服も無事な部位を見つけるのが難しい程ではあるが、それでも生きている。

 シャルの膝の上でくぅくぅと寝息を立てている姿は、贔屓目に見ても穏やかな事。


 だが、一度は悪魔が巣食っていた『器』としての身体である。

 一見すると無傷には見えるまでも、瘴気の影響や何か精神的に干渉された可能性も捨てきれないとはラピスの談で、


「経過観察は必要じゃろうがの」

「師弟揃って情けないものだな…」

「言うな、それ」


 ゲイルの一言に、少しばかり顔を歪ませてしまう。 

 本当の事だから、言い返せない。


 それでも、


「………良かった…」


 経過観察程度で済んだ事が、どれだけ僥倖な事か。


 一度は、諦めたのだ。

 オレは、師匠として弟子である間宮を、殺そうとしていた。


 それが助かった。

 最終的に見れば、悪魔を逃す結果になってマイナスと言っても過言では無い結果。

 なのに、そこまで悲観していないオレが、現金な事。


 安堵の溜息。

 一安心と共に、身体に圧し掛かって来たのは、疲労が先か重圧が先か。


 重苦しい溜息と共に、襲い来る眩暈やら眠気やら。

 抗う事も出来ないままで、遠慮なくラピスの首筋に頭を預けた。

 「こ、これ人前で…!」と怒られたけども、気にせずにぐりぐりと肩口に額を押し付けて、更に大仰な安堵の溜息を一つ。


「………最悪な、夜だ」

「………」


 呟いた言葉に、返答は無く。

 色々と複雑怪奇に入り混じった内容を含ませた一言だったからだ。


 本当に、最悪な夜である。

 胸糞悪さで言えば、ゲイルが裏切った時や、南端砦の時よりも酷いかもしれない。


 その言葉を聞いてか、ラピスは何も言わずにオレの頭を撫で、流れる様に背を擦る。

 まるで母親が子どもをなだめるような仕草。

 彼女からしてみれば、24年程度しか生きていないオレなんて小僧同然か。


 嫌な気分はしない。

 むしろ眠りに誘われるような安心感があって、これは不味いと、内心で独りごちた。


 これから、色々と事後処理などで動き回らなければいけないと分かっているのに、身体は正直なもので動いてくれそうもない。

 まぁ、眠ったところで、アグラヴェインのマンツーマンが待っているだけなんだろうけども。

 失態への叱責は、おそらく苛烈を極めるだろう。


 ………一瞬で、眠気が吹っ飛んだよ。


「………よし、補給完了」

「…もう良いのかや?

 もうちょっとくっ付いていても良いのじゃぞ?」


 ニマニマとした笑みを浮かべたラピスの意地の悪い声に苦笑。


「それはほら、…あんまりくっ付いているとオレの効かん坊(・・・・)が…」

「はて…今、その利かん坊はどこぞに逃げておらんかったかや?」

「その言い方どうにかして!?」


 その通りだけども!

 その通りだけども、悪ノリしないで!!


 見れば、背後でゲイルが噴き出していた。

 ………テメェ、この野郎。

 オレの胸の谷間見ただけで固まった奴が良くもまぁ下ネタに付いて来ようと思うもんだな。


 ………その胸の谷間を見たというシチュエーションに関しては、割愛しておく。



***



 地獄絵図だ。


「さて………、何から始めたもんかねぇ…」

「手当たり次第に………と言うしかあるまいな」


 そう呟いて立ち上がりがてら、見渡した路地裏の中。


 何度も言おう。

 地獄絵図だ。


 そこかしこに血の海が出来、荒れ放題な様子はまるで現世の爆撃現場。

 殺人事件だと言われたら、緊急速報か何かで猟奇的事件勃発と騒がれてしまいそうな現場である。


 そして、路地裏のたった一つの出入り口にごった返した騎士団連中と泉谷達。

 オレの生徒達も既に追いついていたのか、騎士団に混じって心配そうな表情を向けていた。

 苦笑を零して、彼等に手を振っておく。


「まずは、必要無いとは思うが現場検証をしてから………後片付けだな」

「騎士の領分なんで、オレは退かせて貰うよ。

 その代わり、泉谷達の相手はしておく」

「………大丈夫か?」

「大丈夫、………今回ばかりは、オレも流石に堪忍袋の緒が切れた」


 簡単な会話で、分担の割り振り。

 騎士の領分はゲイルに任せ、オレはふら付きながらもその場から踵を返す。


「私は、シャルに付いておっても良いかの?」

「ああ、頼むよ。

 ついでに、遠巻きで良いからゲイル達の手伝いも」

「心得た」


 後ろ背にラピスの声に応えて、向かうは泉谷の下。

 丁度、騎士団から抜け出して来たローガンや榊原、他の生徒達も集まって来たので合流する形になる。


「小堺さんに、何をしたんです!?

 それに、彼女は一体どこへ…!」


 開口一番に、怒鳴り付けるような声を発したのは泉谷だった。

 聴力が良くなっているオレには、多大なダメージとなった所為で眩暈が強くなった。


 実際、少しばかりよろけたのか、ローガンと榊原が咄嗟に支えてくれた。


「………大丈夫か?」

「貧血とその他諸々…。

 経過観察中なんだけど………まぁ、これ以上ガチの戦闘をしない限りは、大丈夫だって…」

「つまり、先生は今までガチの戦闘をしていたって事だ…」


 苦笑を零した榊原に、オレも流石にぐっと黙るしか出来ない。

 嫌だなぁ、藪蛇だよ、この子。

 絶対怒ってるよ、この子。


 ぶるり、と悪寒を感じて、とりあえずちょっとばかしローガンに寄りかかって榊原からは距離を置いておいた。


 閑話休題。


「オレ達は何かをした側じゃなくて、された側だよ」


 モンペよろしく怒鳴り込んで来た彼に、宥める様に言い返す。


「小堺の様子が可笑しくなっていたのは、気付いていなかったのか?」

「そ、………それは、先ほど聞きましたが…」

「彼女、悪魔憑きだったんだよ。

 多分、この旅に出る前から…」

「ッ…」

「な、なんで、そんな…」


 絶句した泉谷の代わりに、疑問を唱えたのは華月ちゃん。

 目尻に溜まった涙から、言いようの無い悲壮感を漂わせている。


 おそらく、泉谷一行の誰もが気付く事は出来なかっただろう。

 背後にいただろう五行君は悔しそうに「悪魔の気配さえ分かっとれば…」と呟いていたが、一度や二度程度ではあるが接触した事のあるオレ達ですら気付かなかったのだ。

 無理な話だろう。


 溜息混じり、今度は泉谷だけでなく生徒のいる前で話を進める。


「お前がその『精霊剣』とやらで壊した『石板』には、『精霊』を礎とした悪魔の封印が施されていた。

 だが、その『石板』が破壊されたことで、悪魔は解放された」

「そ、その話は…、さっきも聞きました…!

 何も、今ここで言わなくても…ッ」

「テメェは他の生徒達に言わねぇだろうから、オレが直接言ってやるんだよ」


 とまぁ、意地が悪いとは思うが、言葉通りの意味で。

 ネガキャンと言う訳でもないが、情報の共有に関して差異があるのは嫌だ。

 オレが、ね。


 泉谷はそれでいいと思っていただろうが、そうは問屋が卸さない。

 案の定、初耳だっただろう生徒達の一部が、驚愕と言った様子で泉谷を見ていた。


「その時にテメェ等が退治しようとしたのが、礎となっていた上位精霊だった。

 悪魔はまんまと逃げて、女神復活の為の数百年だが数千年以上も溜め込まれていた魔力も奪われた。

 全部、口車に乗せられたテメェの所為でな」


 おかげで、『石板の予言』は目下ノンストップだ、と鼻で嗤う。

 もう、嗤うしか出来ない。

 なまじ、悪魔エリゴスを逃がしてしまった現状では、既にお手上げ状態である。

 オレの落ち度も含まれているが、そこは割愛。


 愕然とした表情を見せる面々に向けて、遠慮なく更に言葉を重ねる。


「解放された悪魔は、尖兵だ。

 悪魔を量産する能力を持つ上に、対峙した感じで言うならかなり頭が回る厄介な相手だった。

 そもそも、生徒の1人に取り憑いて気付かれなかった時点で、相当知能が高いのは分かるだろうが…」


 一旦言葉を区切って、泉谷よりも周りの華月ちゃん達生徒を見渡してみる。

 ぎゃあぎゃあ五月蝿い田所や藤田がいないので、話を進めるのは簡単だ。


「うちの生徒が攫われて、現場には悪魔の痕跡が残っていた。

 痕跡を辿ってみれば、案の定だ。

 まぁ、実際オレも到着した時には、ちょっとばかし厄介な状況になってたんで、詳細を語るのも無理があるとはいえ…」


 そこで、一旦言葉を一区切り。

 背後で慌ただしく動き回っている、騎士団の連中の様子を見る様に視線で促してから、


「悪魔復活の儀式の所為で、何人も犠牲になった。

 それを全て行ったのが、お前達の生徒でエリゴスの依り代となっていた小堺だった訳だ…」

「そ、そんな…」

「小堺が先ほど、靄に紛れて逃げたのは見ただろうが。

 あれが、真実で現実なんだよ」


 正統性を主張。

 オレ達が主犯にされて、コイツ等に攻撃をされたくはない。


 まぁ、攻撃されたとしても、大して痛くも痒くも無いまでも。


 絶句した泉谷が、その場でよろけた。

 他の生徒達も、反論の仕様が無いとばかりに俯いた。

 華月ちゃんが目に涙を溜めているのを見るのが心苦しい。


「アンタが止めた所為で、事態は更に悪化した」

「………ッ!

 そ、それでも…!」

「アンタの生徒だから、手出しをするな?

 ………そうしていたら、今頃オレの生徒が2人ばかり死体になっていた筈だ…」


 包み隠さずに、当たり前の事を一つ。

 それだけで、泉谷は今度こそ言葉を失って、その場で棒立ちになった。


 本当に、コイツは分かっていない。

 オレ達が戦っている相手が、一体何であるかをそもそも分かっていない。

 殺さなければ、殺されるのはこっちだというのに。


 生憎と、オレは自分の生徒の命と他所の生徒の命なら、自分の生徒の命を選ぶ。

 聖人君子じゃないんでね。


「その落とし前を付けられるってんなら、その主張も通っただろうな」


「だが、もう賽は振られた。

 アンタの生徒が加害者になり、オレの生徒が被害者になった時点で、アンタの生徒の命を助ける選択肢は無かったよ」 


「悪魔に『器』にされた人間は、ほとんど例外なく元に戻る事は出来ない。

 殺すしか解放の手段が無いのに、悠長に助けましょうなんて出来るものか」


 そして、その悪魔は一体だけでは無い。

 既に、エリゴス以下、災厄に与する悪魔達はこの世のどこかで、活動を開始している。

 あのエリゴスの言葉を鵜呑みにするのなら、だが。


「その所為で、アンタはまた繰り返すんだ。

 今度はアンタの知らないところで、更に人が死ぬ。

 アンタのくだらないプライドか見栄で見逃された、悪魔に乗っ取られた生徒の手によって殺されるんだ!」


 言葉と共に叩きつけた怒気。

 泉谷以外の面々すらも、絶句する。


 ほらみろ、言った通りになっただろう?

 無責任な正義感を振り回した結果が、これだ。


 先の酒場でも、似たような事を言った覚えがあった。

 それが、こんな悪夢のような形で、現実になったのだから始末に負えない。


「だから、オレは言ったんだ。

 職務だとか使命だとか言って、引っ掻き回してくれるな、と」


 酒場での言葉を思い出してか、泉谷が喉を鳴らした。


 救いようが無いんだ。

 擁護の仕様も無いんだ。

 可哀想とは思っても、助けようと思えないんだ。


 それらが全て、身から出た錆だったから。


 だが、


「………だから、帰れって事ですか?」


 泉谷はその場で、頷く事は無かった。

 それどころか、オレに向けて挑む様な視線を向けて来た。


 悟ったよ。

 無駄だった、と。


「それでも、僕等にはもうこれしか残されてないんです!

 巡礼を続けて!!

 各地の魔物を退治して!!

 そうじゃなきゃ、今までやって来た事の何もかもが無駄になる!!」


 声高に叫んだ泉谷に、騒然となる。

 彼の生徒達までもが驚いていた。


「こんな事になって、よくもまだそんなことが言えたものだな…!!」


 ゲイルが唸るような声で、詰る。

 いつの間にか、オレ達の背後に戻って来ていたのか。


「今回の件だけでも、既に何の関係も無い人間が4人も死んでいるのだぞ!?

 以前の件を踏まえても既に両手両足を含めても足りない数の犠牲者を出しておいて、未だ職務だ責務だと、どの口が言い張るというのか!!」


 オレよりも強い剣幕と口調の彼に、一瞬だけたじろぎながら。


「それでも、僕等は全うしなくてはならないんです!!

 僕等が『予言の騎士』や『教えを受けた子等』として、出来る事をしなきゃいけないんです!!」


 それでも、やはり泉谷は退かない。

 意固地になっているのか。

 はたまた、彼の中にある何かしらの正義感を振りかざしているのか。


 まさか、コイツまでも悪魔に乗っ取られているなんてことは言うまい。


 先程と同じように、駄目だと悟る。

 コイツには、もう何を言っても無駄。


 これは、覚えがある。

 田所や藤谷にも感じた、諦念だ。


 無理だ、とはっきりそう言える。


「貴様ごときが、まだ『予言の騎士(その名)』を騙るか…ッ!!」

「もう、良い、ゲイル」


 激昂を露に、オレの前に出ようとした彼を制する。

 その眼はまさに憤怒で、真っ赤に染まっていた。


 許せんだろうね。

 コイツは、そう言う奴だ。


「………コイツは、言ったって分からないよ」

「しかし、これ(・・)を止めねば、また犠牲者が…!!」

「ああ、増やすだろうね。

 そうして、全世界から敵と認定されたら殺してもいいと思うよ…」


 オレの言葉に、ぎょっとしたゲイル。

 周りの人間も、唖然としている中で、オレは口元だけを歪める。


「言っても辞めない奴は、排除するしかないだろう。

 けど、それをするのは今じゃないし、オレ達じゃないだろうね…」

「……こ、殺すとか、排除とか、そう言う話では…!」


 今度は、ゲイルがたじろいだ。


 これで、落ち着いただろう。

 オレもわざと、過激な言葉を選んだから。


 仮にも他国の要人だ。

 それを『これ(・・)』呼ばわりしたのは、帳消しには出来なくても有耶無耶には出来る。


 頭に血が上って、言葉遣いが雑になるのはゲイルも一緒だ。

 その分、オレが冷静になれるのが有難い。


 そうして、改めて泉谷へと向かい合った。


 先まで、挑むようにオレを見ていた視線が、戦慄に揺れていた。


「オレは、言ったからな?

 辞めろと、国に帰れと、職務を捨てろと…」


 警告はした。

 その警告を無視して進もうとしているなら、どうしようも無い。

 諦めるしかない。

 その先で犠牲者が出たとしても、もう関知だって出来ない。

 そうして、その犠牲者が積み上がった先で、彼等がどのように世間から認識されるかどうかも、既にどうでも良いのだ。


「勝手にやって、勝手に自滅してくれ」


 それが、自業自得と言うものだ。

 吐き捨てて、踵を返した。


 元々、オレがここまで口出しをする必要も無かっただろうに、無駄な時間を過ごした気分だ。

 本当に厄介な事件ばかり運んでくる。

 その筆頭が泉谷あれ

 本当に、まともな虎徹君達に同情するしかない。


「ギンジ…ッ」

「お主は、それでいいのかや?」

「………それで良いも何も、アイツ等は明日には出てくんだよ。

 もう関係ない…」


 ゲイルやラピスが、言い募るまでも全部シャットアウト。


 疲れた。

 泉谷あれの相手をするのが、疲れた。

 ここまで疲れる相手、色んな意味でオルフェウスや頬に傷のある冒険者以来かもしれない。

 そして、精神的な疲れと同様に、肉体的な疲労も加算されている。


 オレは今すぐにでも、へたり込みたいよ。

 まぁ、そんな姿を晒すのも、癪だからやらないけど。


 それに、


「…早く帰って、間宮の容態を見てやろう。

 シャルだって、悪魔に連れ去られた害が無いとも限らないし…」

「………」

「………そう、じゃな」


 シャルの膝に頭を預けて、眠っている間宮。

 そんなシャルだって、いつの間にか壁に背を預けて眠ってしまっていた。


 間宮は、たった数十分であったとしても、仮にも悪魔の『器』になった身体だ。

 そして、シャルも悪魔に連れ去られた状況が不明のまま。


 何か害が無いとも限らない。

 ここで詳しく調べるのは人目に付くし、何よりも休ませてやりたい。


「………気遣ってくれて、ありがとう」


 ラピスがその傍らに跪き、シャルの頬を撫でながらオレを見上げる。

 その様子に、苦笑を零す。


「オレの義理の子ども達だからね…2人とも」

「………ほぅ、なるほど」


 ラピスもそれなりに気付いていたいただろうが、将来的に考えれば2人ともオレの子どもだもの。

 心配だってするし、気遣う事も当たり前。


 片方を殺そうとしたことは、この際割愛するとして。


 疲れた。

 帰りたい。


 有耶無耶でも良い。

 もう、悪魔の事も泉谷達の事だって、考えたくない。


 この2人が無事で、生きていてくれただけで、今回の事は一件落着にして良い。

 そう言えば、


「………お前が、それでいいなら…」


 ゲイルも、まだ何か言いたそうにしていたが、渋々と口を噤んだ。


 それでいいんだ。



***



 一方、ダドルアード王国上空を、その闇の靄は滑空していた。

 焦燥を露に、色で感情が分かるなら間違いなく怨嗟と分かる程に、毒々しい気配をまき散らして。


 逃げ出した小堺の身体を乗っ取った悪魔エリゴス

 少女に似つかわない険の浮いた表情のまま、ひたすらに北へと移動している。


 抜かった。

 してやられた。


 失敗した。


 今の悪魔の姿は、まさに負け犬が尻尾を巻いて逃げている様子に他ならない。


 復活の儀式で『器』を手に入れたとしても、乗っ取りが完了する前に邪魔をされた。

 死にぞこないの身体に、憑依しなおす事が出来たとはいえ、その身体とて既に一度は活動を止めている身体。

 いつ、ガタが来てしまうかも分からない。


 それゆえに、北へと逃げる。


 宛があるのか、否か。

 それすらも、分からない。


 だが、


『………む…ッ!?』


 そんなエリゴスの前に、白銀が回り込んだ。


 否。


 白銀の髪を持った偉丈夫が、立ちふさがる。


『貴様…その髪は、『天龍族』!!』

「そういう貴様は、第6の悪魔・エリゴスだろう?」


 月明かりを反射する白銀の髪の奥で、爛々と赤目が光る。

 柳陸だった。


 悠然としたいつもの立ち姿を崩さぬまま、彼は、エリゴスの前で浮遊している。

 その手元には、鏡と壺(・・・)がそれぞれ抱えられていた。


 エリゴスが、それを見て血相を変えた。

 それを確かに、柳陸は見た。


 しかし、既にその時には、遅い。


「前鏡・後鏡」


 月明かりを反射したのは、鏡も同じ。

 ぎらり、と見えない刃物のような強い光がエリゴスを前から、そしていつの間にか設置されていた後ろから貫いていた。


『ぐぎゅあああああああ!!』


 月明かりだけの宵闇に、悲鳴が響き渡った。

 眠りを破るその音量。

 だが、草木も眠る丑三つ時には、些細な囀りだったようだ。


 闇の靄が剥がれ落ちる。

 それと同時に、エリゴスに乗っ取られていた小堺の身体が、空中から放り出された。


 まるで、除霊。

 あるいは、悪魔祓い。


 いとも簡単に、柳陸はエリゴスを小堺から剥がしてしまった。


 小堺の身体は、そのまま重力に引かれて落ちていく。

 無論、柳陸が助ける素振りも無く。

 ダドルアード王国の城壁に叩きつけられて、そのまま城壁内のスラムへと落下していく木偶人形の様な有様。

 助かる見込み等露ほども無かった。


 柳陸の目的は、ただ一つだったのだから。


「エリゴス!」

『…嫌だ…ッ、辞めろぉ…!!』


 叫びながら、次の一手として差し向けたのは、鏡と共に抱えていた壺だった。

 その壺をエリゴスへと向けた途端、引き剥がされた闇の靄の奥が揺らいだ。


『やめろぉおぉおおおおーーーーー!!!』


 絶叫。

 子どもの駄々の様なそれに、柳陸が応える訳も無い。


 まるで、飲み込まれるかのように闇の靄(エリゴス)は、柳陸の抱えた壺の中へと吸い込まれる。

 抗う術も無く、絶叫と共に壺の中へと消えていく。


 最後の靄が壺の中へと消えた。

 その後、


「やれやれ、アベルも小間使いの荒い事だよ…」


 柳陸は、そう言いつつも溜息を一つ。


 壺の入り口を、コルクの様なもので塞ぐ。

 それと同時に、壺へと指を這わせ、幾つかの魔法陣と幾何学模様を発動させれば、封印が完了。

 文字通り、封印だった。

 この時を持って、悪魔の尖兵(エリゴス)は封じられたのだ。


 彼自身も、仕事は終わったとばかりに、二度目の溜息。


「………それにしても、期待外れも良いところだ。

 まさか、エリゴス程度に苦戦するなど、………アベルの気が知れんな」


 それが誰に向けての言葉か。

 ひとまず分かっているのは、既に封印を終えたエリゴスへの言葉ではないと言う事だけ。


 赤目がひたと見据えた先は、南。

 もう少し言えば、先にエリゴスが逃げ惑って来た場所だった事だろう。


「まぁ………私が、いくらか手解きをすれば、形だけは整おう。

 後は、あの幼稚過ぎる精神がどうにかなれば良いものではあるがな…」


 そう言いつつ、闇に紛れて柳陸は消えた。

 ダドルアード王国の上空に、突風を巻き起こしながら、消えたとしか言えない速度で。


 彼の意図は、分からない。

 今はまだ、彼も明かす気が無ければ、明るみになる事も無いだろう。


 気付かぬうちに、周りを囲まれている。

 ひたと、添えられた首元の刃物に気付けない獲物が、それに気付くのはいつか。


 今はまだ、誰にも分からない。



***

感想やコメント、レビューなどをありがとうございます。

追々、時間が出来た時に、お返事したいと思っておりますのでご了承の程。


感想で、まだディスってくる阿呆は、通報しました。

マナーを守って、常識と言う言葉を理解してくださる方のみ、こちらとしてもお相手させていただきたいと思っております。


誤字脱字乱文等失礼致します。

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