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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、贋作編
172/179

164時間目 「課外授業~悪魔の儀式~」 ※流血、グロ表現注意

2017年8月30日初投稿。


続編を投稿させていただきます。

遅くなりましたが、ご容赦くださいませ。



164話目です。

※タイトル通り、流血やグロ表現がありますので、苦手な方はご注意くださいませ。


***



 オレ達が、泉谷への説教か説得かも分からん無碍な時間を過ごしている間。

 どうやら、大変な事が起こっていたようだ。


 そして、酒場に入った時には、無かった嫌な空気。

 それが、街全体に満ちているのを感じる。


 何かが可笑しい。

 嫌な予感がして、思わず背筋が粟立った。


 まずは、間宮の談から。


「(20分ほど前に、シャルさんがいなくなってしまったのです。

 部屋に戻るのは確かに確認しました!

 しかし、その後、銀次様の部屋でお帰りを待っていた際に、つい寝入ってしまって…ッ)」

「気付いたら、いなくなっていた?」

「(はい、申し訳もございません!)」


 平身低頭、オレに頭を下げる間宮。

 しかし、彼が謝るのはちょっと違う。


 留守番を任せはしたが、総合的な警護の要はヘンデルだった筈である。

 それに、


「シャルがいなくなった時、お前が気付くまでのタイムラグは?」

「(おそらく、一時間前後!

 先に、ラピスさんが気付いて、オレ達を呼んでくれたのです!)」

「じゃあ、今ラピスは?」

「(シャルさんを探しに出ています!

 ただ、彼女の言う話では、部屋に『硫黄』の臭いが残っていたと…!)」

「『硫黄』…?」


 何それ?

 そんな危険物、誰が部屋に持ち込んだのか。

 ってか、校舎には『硫黄』なんて薬剤としても、置いて無かった筈なのに。


「『硫黄』だと!?」


 だが、この意味不明な残留物に驚いたのは、ゲイル。


「悪魔の兆候だ!

 悪魔が現れた時に、『硫黄』の香りが残される…!」

「悪魔だってぇ?」


 おいおい、一体どういうこった。

 なんで、こんなリアルタイムで!?


 しかも、シャルの部屋に残されていたって事は、


「シャルが、悪魔に攫われたって事になるのか!?」

「可能性としては考えられる!

 そも、間宮やローガンもいるあの校舎に、普通の人間が忍び込んで攫って行けるとも思えん!」


 ますます、背筋が粟立った。

 大変な事態だ。


 ラピスが気付いたおかげか、否か。

 幸いにして、タイムラグが少ないのは嬉しいが、


「(『探索の羅針盤』で探してはいます!

 しかし、何かの結界の様なものに阻まれているらしく、詳細な位置が知れぬ、と…ッ)」

「----ッ!

 だとすると、探し出すのも一苦労だな…!」


 畜生、どうしてこうなった。

 先ほどまで会話していた悪魔の話が、なんでこんな唐突に現実の脅威になってしまったのか。


 それに、懸念はまだある。


「五行君達の方は、小堺とか言う女の子がまたいなくなったって事で良いんだな…?」

「そないです」

「………」


 オレの問いかけに答えた五行君に対し、しかし青葉君は首を捻ったままだ。

 顎に手を当て、考える人のポーズ。


「………『硫黄』の臭い。

 ………小堺さんの部屋からも、確かそんな臭いがしていた筈です」

「…ッ、だとすると、彼女も攫われたか?」

「可能性としてはありそうですが………。

 でも、小堺さんと校舎から消えてしまったシャルと言う少女は、何の関係があったのか…」


 そう言われると、オレ達も答えが見つからない。

 せいぜいが体型が似ていると言う事ぐらいで、接点は無さそうなもの。

 姿かたちも似ても似つかないので、間違えた可能性は無いと思うが。


 ただ、青葉君は流石に高校生探偵として名が売れているだけある。

 現場の異変に良く気付いたようだ。


 だが、そこで更に青葉君が、何かに気付いたのか口を開いた。


「そう言えば、虎徹さんが小堺さんの様子が可笑しいと言っていたのも気になります。

 なんだか、普段と違ってカタコトのように喋っていたとか…」

「カタコト…?」

「人形みたいだったとも言ってました」


 話を聞けば、明日の出立に関して、報せが遅れていた小堺に華月ちゃん達が今日の昼間に報せに行った時があった、と。

 そこで、虎徹君が小堺の言動に、違和を覚えた。


 ただ、それに関しては、どうやら華月ちゃんも同じだったようだ。

 元々心が壊れていた所為もあって、クラスメートとの対話は無かったまでも、今までの様子と昼間見た彼女の様子が、擦り合わなかった。


「………人形のようだったと、言ったな。

 言葉も、覚束なかったのか?

 それとも、カタコトではあるが、流暢に話していたのか?」

「ゲイル、何が気になるんだ?」

「(………失踪に関係している、と?)」


 そこで、ゲイルが青葉君に詰め寄る。

 その必死な表情を見るからに、彼もまた何かしら気付いた人間だったようだ。


「僕達も、虎徹さんや華月さんから聞いた話で、定かでは無いですが…」

「確かに、そんなこと言ってたましたわ。

 今まで以上に口数が多くて、それでもカタコトみたいに喋っとったらしい…」

「………。」


 そこで、今度はゲイルが考える人のポーズ。

 だが、彼の場合は、それ程時間も掛からずに、オレ達に向けて振り返った。


「悪魔に取り憑かれた人間の、行動変化は知っているか?」

「………ッ、一度香神達の事件の時に…」

「大まかに分けると、2分化する。

 片や言葉少なに行動だけを起こすようになり、片や嘘のように流暢に喋る様になる、と…」

「(小堺に悪魔が取り憑いた、と?)」

「カタコトで喋ったというのもそうだし、人形の様な立ち振る舞いもそうだ。

 悪魔に操られている場合、本人の意思の関係ない行動をとる事が多い」


 つまり、つまりだ。

 今回の事、シャルが消えた事に、小堺が関係している。


 大まかに言えば、小堺に取り憑いた悪魔が関係している、と。


 そうなると、


「小堺がシャルを狙った理由は、1つだ」


 分かってしまう。

 彼女が、シャルを狙った理由が。


 視線を向けるのは、事実に打ち震えている愛弟子。


「(オレの所為です…!)」


 間宮だ。


 元々、小堺は異常な程に間宮に固執していたのは知っていた。


 そして、きっとなにかしらの理由で、間宮とシャルが懇意にしている事を分かっている。

 恋仲までは発展していないまでも、良い雰囲気なのは傍目から見ても分かるからだ。


「こら、アカンわ。

 早めに探し出さんと…!」

「ですが、どうやって…!?」


 五行君と青葉君が、慌てながらも駆け出そうとする。

 どうでも良いけど、先に探すべき人間がいるんじゃないか?と思ってしまうのは、オレだけだろうか?


「泉谷なら、この酒場にいるから、一応報せといて」

「あんな先生、いてもいなくても変わりませんわ!」

「それでも、情報の共有はしておいて。

 何かあった時、後から教えなかったことでオレ達を責め詰られても困る」

「…わかりました、すみません」


 五行君と青葉君が、渋々ながらも酒場へと脚を向ける。

 今にも走り出したいだろう。

 再三、続いている自身のクラスの面倒事だからこそ、解決したい気持ちはオレ達以上だろう。


 いや、オレとしては、もっとそれ以上に。


「………間宮、臭いは?」

「(『硫黄』は分かります。

 ですが、この数時間で、段々と町全体に蔓延しているようでして…)」

「シャルの匂いはどうだ?」

「(多少であれば、辿れそうです…)」


 よし、これで行動の目途は立つ。

 最悪、アグラヴェインを顕現する事も考えておくが、


「ゲイル、街全体の騎士団に通達!

 捜索隊を出してくれ!」

「承知した!

 後から、私も捜索に加わる!」

「頼む!」


 騎士団には捜索隊の結成を頼み、オレ達はそのまま足早に酒場から踵を返す。

 五行君達には悪いが、泉谷を含めた彼等に構っている暇は無い。


 シャルは、オレの義理の娘になるんだ。

 そして、一番弟子の間宮の恋人にもなる。


 なによりも、大事なオレ達『異世界クラス』の生徒なのだから。


「他の生徒達も同じように、出ているんだな?」

「(それぞれ、スリーマンセルと騎士達と共に行動しています!

 それから、街中に偽物一行の面々も散らばっているようでした!)」

「分かった!

 走るぞ!」


 最低限の詳細を確認して、駆け出す。


 曲がり角の手前の壁を蹴り上がり、そのまま家屋へと飛び移る。

 オレ達の場合は、街中を掛けずり回るよりも屋根の上を走った方が早い。


 匂いを辿っている間宮を追随する形で、宵闇を走り抜ける。

 星が少なく、月も少し雲に隠れてしまっている。

 見上げた先の空には、暗雲が立ち込めている様にも見えてしまった。


 嫌な予感が、加速する。



***



 何が起こったのか、分からなかった。


 最初は、ただ眠っていただけだった筈なのに、寝苦しくなったの。


 寝る前に何をしていたのか、思い出す。

 確か、今日は珍しくギンジに付いて行かずに留守番をしていた間宮の上着のボタンを付け直していたんだったっけ。

 怪我が多いし、他の生徒達とも違う修行をしているから、間宮の制服はその分脆くなっていたから。


 不格好なボタンの様相を見ながらも、間宮は口元を緩めてくれていた。

 もっと上手くなったら、またやってあげる。

 そう言って、憎まれ口を叩きながら、彼に背を向けたままおやすみと叫んで、部屋に戻った筈。


 恥ずかしかった。

 けど、それでも受け取ってくれた間宮の優しさが嬉しかった。


 行儀が悪いけど、着替えはしてあったからそのままベッドに潜りこんで。

 そうして、はにかみながらも間宮の微笑みを思い出しながら、眼を閉じた筈だったのだ。

 今日は、幸せな夢が見られる筈だと、思い込んでいた筈なのに。


 寝返りを打った時、可笑しいと気付いた。


 いつも母さんと眠っているベッドの感触じゃ無かった。

 どちらかと言えば、石に近い。

 固い感触に身体を強張らせながら目を覚ました。


 思った通り、目の前に移ったのは石畳。

 周りは真っ暗。


 空気がどこか湿っていて、重いとも感じる。


 それ以上に、あたしの身体がまるで鉛にでもなったように、重苦しくて起き上がる事も出来ない。


 鼻に付いた臭いは、何だろう?

 嗅いだ事があるような気がするのに、意識が靄がかって分からない。


 うっすらと開いた目線だけで、なんとか場所の把握に努める。

 けど、路地裏の様な場所としか分からない。

 背筋に氷塊のように汗が滑り落ちるのに、あたしの身体は未だに重苦しいままで動けない。


 不味いと分かっている。

 この状況は、あたしが校舎以外の場所にいる事しか分からない。


 こんな物のように放られた事は、腹立たしい。

 けど、おかげであたしがどこか別の場所に攫われた事は、しっかりと認識出来た。


 でも、誰に?

 それに攫われたって事は、間宮や騎士団すらも欺いたって事になる。

 そんなの無理だと分かっている。

 間宮は凄いもの。

 警護についている騎士団だって、精鋭だもの。

 それに、ローガンや母さんだっていたんだから、普通の人間には無理な筈なのに。


 だとすれば、もっと不味い。

 普通の人攫いとか、奴隷商人とかじゃない。


 もっと、悪質で間宮達以上の人間が関わってしまっている。


「ーーー…ッ、母…さん…ギン、ジ……ッ」


 助けて。

 助けてくれなきゃ、あたしにはどうしようも出来ない。


 助けてくれないかもなんて、考えない。

 そんなこと考えたら、きっともっと怖いから。


「………ま、みやぁ…ッ」


 大丈夫。

 大丈夫だから、泣いちゃ駄目。


 間宮ならきっと、あたしの匂いを辿ってくれる。

 ギンジなら、前みたいにあたしをあっと言う間に見つけ出してくれる。

 母さんだって、『探索の魔法陣』とか使って探してくれる。

 他の生徒達だって、同じ。


 だから、大丈夫。

 負けちゃ駄目。

 あたしが、ここで諦めちゃ、駄目。


 だけど、


「……アレ?モウ、起キタノ?」


 あたしの視線の先で、砂利を擦る音と共に現れた足。

 草臥れた革靴に包まれた、小さな足。


 その足を見て、ぞっとした。

 こんな子どもが、あたしを攫ったのか、と。

 こんな子どもが、間宮や警備の隙をついて、あたしを攫ったなんて、と。


 そう思って、目線だけでもその少女を向けた。

 どうせなら、顔を見てやろう。

 助けに来てくれた時、もし取り逃がしたとしても人相書きがあるのと無いのとでは違うのだ。

 ギンジがそう言っていたのだ。


 だから怖くても、見なければいけない。

 身体がどんなに重苦しくても、せめてその顔だけは見なければ。


 段々と視界が上がるにつれて、その見た目が奇妙に思える。


 あたし達が着ている制服とかいう、学校規則の服装に似ていた。

 細部は違う。

 けど、スカートにブレザーに、シャツにリボン。

 今の『異世界クラス』の制服じゃなく、前の時に生徒達が着ていた制服に似ている。


 そして、その顔。


「-----ッ!!

 あ、…アンタ…ッ」


 見た事のある顔だった。


 まるで仮面の様な、表情が一切消えた人形みたいな少女。

 でも、間違いない。


 間宮に執着していて、癇癪だけをまき散らして逃げ出した偽物達のクラスメートの1人。

 名前は覚えてないけど、顔だけは覚えている。

 間宮に色目を使っていたから、あの小憎たらしい泣き顔も睨み付けていたから、よく分かるのだ。


「マダ、準備出来テナイノ…。

 ダカラ、寝テテクレナイ、ト…」


 顔と一緒で、まるで人形の様に喋る。

 前に会った時の癇癪で喚き散らすような煩わしい声は打って変わって、これまた感情が伺えない声。

 背筋が粟立つ。


 それに、何?

 準備って、何の事?

 寝ててくれないと、って寝てる間に何をするつもりだったのよ?


 それに、先ほど彼女が目の前に現れてからずっと、強くなっているこの臭いは?


「マダ、駄目。

 寝テテ」


 その少女が、無感情な瞳であたしを見下ろしてくる。

 そして、その手を伸ばしてくる。


 その手が汚れているのは、何?

 真っ暗で何色に濡れているのか分からない。


 でも、先ほどから鼻を付く刺激臭よりも先に、むわっと香った臭いはすぐに分かった。

 鉄錆の臭いだ。


 嫌だ。

 辞めて。


 そんなもので手を濡らしているのに、あたしに触らないで。

 そもそも、あたしに触ろうとなんてしないで!


「さわ、らない…で…ッ」


 身じろぎをしようにも、身体は動かない。

 眼前に迫っていた手は、呆気なくあたしの顔を覆い隠した。


 更に強くなった鉄錆の臭いに、思わず咽そうになる。

 吐き気が込み上げる。


「五月蝿イカラ、黙ッテテ…」


 ふざけないで。


 そう考えても、あたしの瞼は勝手に落ちていく。

 息苦しさが増して、身体中が先ほどよりももっと酷く重苦しくなった時には、意識が途切れる寸前だった。


「た、…すけ…まみ、や」


 最後に呟いた声は、言葉にもなってなかった。


 けど、


「オ前ガ、アノ人ノ名前ヲ呼ブンジャナイ…ッ」


 人形みたいに変貌した少女が、あたしに苛立ち紛れに呟いていたのは脳裏のどこかにこびりついていた。


 どんな顔をしていたのかは、分からなくても。

 その感情が、どんなものかは分かった。


 嫉妬だ。


 ………だったら、負ける訳にはいかないわよね。



***



 まるで、街全体が何か靄に覆われているような感覚だ。

 蔓延している、硫黄の臭いに誰もが気付き始めている。


 もう、これはオレ達だけの問題とは言い切れないかもしれない。


 屋根の上を駆けながら、しきりに周りを見渡し怪訝そうにしている街の人間達の様子を眺めながら歯噛みする。


「(すみません…、もう鼻が利かない…ッ)」

「すまん、こっちもだ…!」


 そして、蔓延し続けている硫黄の臭いの所為で、オレ達もシャルの匂いが辿れなくなってしまった。

 これは、不味い。


 頼りになるのは、ラピスが使っている『探索の羅針盤』か。

 こうなると分かっていたら、シャルにも合図が送れる指輪の魔法具を見に付けさせておけば良かったと思っても後の祭り。


「済まない、アグラヴェイン!

 探すのを手伝ってくれ…!」

『了承…!』


 屋根から飛び降り、路地裏に転がり込む。

 それと同時に、アグラヴェインを顕現し、『探索サーチ』を開始して貰った。


『だが、これほどまでの規模に影響を及ぼしているとなると、我でも探れるかどうかが怪しいが…ッ』

「それでも、頼む…!」

『(貴方しか頼れません!)』


 オレからだけではなく、間宮からの懇願にアグラヴェインも頷く。

 『闇』が広がる感覚と共に、オレの脳裏に映像が多数叩き込まれるまでも、


『探れる『森子神族エルフ』の気配は、お前の嫁の物だけだ…ッ』

「----ッく、…どうして…!」

『何かに遮断されているとしか言えん。

 悪魔が関わっているともなれば、おそらく『瘴気』が関係しているだろうが…』


 見つかったのは、ラピスのみ。

 ローガンに支えられながら、『探索の魔法陣』を片手に必死で探し回っている。


 その顔を見て、胸が痛む。

 こんな形で、彼女から娘を奪う事だけはしたくない。


 勿論、オレだって同じ気持ち。


 祈るような気持ちで、更にアグラヴェインから送られてくる映像へと思考を回す。


 生徒達も駆けずり回っている。


 半泣きの伊野田やオリビア。

 そんな彼女を宥めながらも、声を張り上げている榊原。

 情報を集めているのか、街を歩く人に声を掛けている永曽根や香神。

 浅沼と徳川が騎士達を置き去りにしそうな勢いで、呼びかけをしながらも走り回っていた。

 河南も紀乃を背負いながら、探しているようだ。

 杉坂姉妹とディランとルーチェも同じ。

 ソーマの姿も見受けられ、そして王城待機で戻った筈のハルの姿も。


 王国中に散らばった各員の姿を認めても、それでもまだシャルの姿は見つけられない。

 だが、


「アグラヴェイン、さっき『瘴気』って言ってたよね!?」

『左様!

 奴等は、邪気の様な靄を操るのだ』

「それは、どうやって感知出来る!?」

『ッ!?

 出来るかどうかは分からぬが、探してみよう!』

「頼む!

 一番『瘴気』が濃い場所に、きっとシャルも一緒にいる!」


 一縷の望みを掛けて、先ほどのアグラヴェインの返答を思い出す。

 『瘴気』と言っていたのは、この街全体に満ちた禍々しくも息苦しい空気の事だろう。


 今は、この街全体に満ちている。

 でも、その濃度が少しでも違う場所があるなら。


『王城が、一番濃いのか…ッ。

 いや、待て、移動した形跡がある…ッ!』

「シャルを攫ったなら、オレ達の校舎にも残ってる筈だ…!」

『ああ、その通り、校舎に至り、そこから更に移動…!

 この方角は…南東…!』

「スラムか…!」


 路地裏から飛び出すように、もう一度屋根の上へ。

 匂いを辿ったからか、商業区の中間地点にいたおかげで、スラムは眼と鼻の先である。


 そして、スラムならば隠れ蓑には好条件。


「アグラヴェインは、このまま影を辿って移動して!

 オレ達は上を行く…!」

『承知!』


 スラムに向けて、屋根を蹴りつつ飛び跳ねた。

 そこへ、


「ギンジ!」

「見つけたのか!?」


 商業区の通りを跳躍で横断した時に、真下から掛けられた声。

 ラピスとローガン、そして騎士達。


 振り返った時、遠目に気付いた榊原達の姿も確認した。

 他にも、偽物一行の虎徹君達も見える。


「おそらく、スラムにいる可能性が高い!

 先に行っているけど、無理しない程度に付いて来て!」

「頼むぞ、ギンジ…ッ!」

「分かった!」


 伝達はした。

 騎士達が伝えれば、即座に捜索隊には伝わるだろう。

 現に、騎士達を集める為の緊急用の笛が慣らされたのが聞こえた。


 そのまま屋根を走り抜け、スラムに入る。

 瞬間、一気に空気が変わった。


 アグラヴェインの読みは大当たりだ。

 こちら側が明らかに、街の中と空気が違う。


『濃度が分からなくなり始めた!

 これ以上は、探れん!』

「後は虱潰しって事になるか…!

 それでも、ローリング作戦なら、なんとか探し出せる筈…ッ!」

「(僕等も2手に分かれましょう!)」

「拳銃持ってけ!見つけたら、それで合図!」

「(了承しました)」


 腰から抜いた拳銃を間宮に放る。

 危なげも無くキャッチした間宮が、オレとは別方向へと弾丸の様に飛び出した。


 どうやら、焦っているのは間宮も一緒。

 オレよりも、シャルの事を案じているかもしれない。


 横目でその様子を確認し苦笑を零しながら、スラムへと飛び降りる。

 その瞬間に影から現れたアグラヴェインと愛馬スロットが、オレを少々乱暴ながらも受け止めてくれた。


『ここに来て、ようやっと気配が探れるようになってきおったわ!』

「つまり、遮断されていた結界か何かの中に入ったって事か!?」

『おそらくは!

 だが、分散している気配も多い』


 スロットが駆け抜けるスラムの路地裏には、街以上の嫌な空気が立ち込めている。

 そして、硫黄の臭いも強い。

 そろそろ、オレ達も頭が痛くなってきた。


 『探索サーチ』で探ったシャルの気配は、先ほどよりかは感じられている。

 それでも、薄い。

 気配が薄すぎて、詳細な場所までは分からない。


 だが、馬鹿になった鼻でも、硫黄よりも強い臭気は感じられた。


「血の臭い…ッ」

『人の物かは分からぬ!

 辿れるか!?』

「分からないけど、やってみる!」


 血臭は、硫黄よりも強く感じられた。

 それがシャルのものか、あるいはただのスラムの日常茶飯事の他の人間のものかは定かでは無いが。


「こっから先、左!

 次は………右に曲がって!」

『チッ、小回りが利かぬ故、路地は厄介な!』


 スロットは普通の馬とも違って、更に巨躯だ。

 おかげで、路地を曲がったり遮蔽物のある時には、動きが制限される分動きが鈍くなる。


 それでも、


「近づいてる!

 もうちょっと頑張って…!」

『分かっておる!』


 血の臭いは、着実に近くなっている。

 間宮もこの臭いに気付けば、自力で辿り着いてくれるだろうが、


「(嫌な予感しかしない…ッ!

 何が起ころうとしてんだよ、一体…!)」


 取り憑かれた小堺もそうだが、シャルの安否が心配だ。

 何故、こんなにも気配が薄いのか。


 先程のように、遮断されているだけと言うなら、まだ良いが。

 最悪を想定するなら、オレは人選を間違えた。


「(ラピスかゲイルか、オリビアでも良かった。

 『聖』属性がいないんじゃ、怪我の手当が遅れてしまう…!)」


 悔しいが、オレには『聖』属性が無い。

 心底、あの時聖龍ションロンからの加護を受けられなかった事が悔やまれる。


 今言っても、もう無駄な事。

 そうは思っても、怖気が止まる事は無い。



***



 路地裏には、血だまりが広がっていた。

 手足が転がる。

 人間のものもある。

 獣のものもある。


 片っ端から集めて来たのか、攫って来たのか。


 その中心で靄に囲まれながら黙々と短剣を動かしていた少女は、人形の様な顔に飛び散った赤を拭う事すらもせずに、ゆったりと立ち上がった。


「………終ワッタ」


 一言呟いた時、血塗れの制服を見下ろして、それでも彼女は何も反応しなかった。

 どれどころか、うっそりと嗤う。


 路地裏の影の中、その少女の姿は禍々しいとしか言えなかった。

 振り返った少女が、見据える先。


 そこには、銀色の髪をした少女が寝転がっている。

 シャルだ。

 血塗れの地面からは少し離れた場所に眠っている彼女だが、その表情は苦し気に歪められている。


 そして、その彼女を苦しめている要因は、おそらく彼女に巻き付くように絡まった闇の靄。

 立ち昇る闇が揺らぐそれは、まるで彼女の身体を這いずるように拘束していた。


 そんな彼女に向けて、少女は歩み出す。

 苦し気なままの少女は、眼を覚ます事は無い。


「生贄ハ揃ッタ。

 後ハ、コノ女ヲ殺シテシマエバ、アノ人ハ私ノモノ…」


 そう言った少女の背後に広がる光景は、まさに地獄絵図。

 血だまりに沈んだ人も獣も混じった死骸。

 虚ろな目が彼女達を見ている。

 そんな中、心臓だけが分けられて四方を囲む様に放置されていた。


 この状況を知っている人間がいたならば、分かった筈だ。

 これが、復活の儀式である事は。


 何を復活させるのか。

 それは、定かでは無いまでも。


 ただ、少女はその準備をしていただけ。


 何かに突き動かされるようにして、ただ一心不乱に耳元か脳裏か、囁きかけ続ける悪魔の声に耳を傾けていただけだった。

 そこに、彼女の意思が関わっているか等、傍目には分からない。


 だが、一瞬だけでも、シャルを見る眼に浮かんだ憤怒を見れば、否が応でも彼女の意思である事は分かっただろう。


 シャルの前に辿り着いた時、語り掛ける様に彼女は口を開いた。


「貴女ガ悪イノ。

 貴女ガ奏クンヲ、独リ占メニシタカラ…」


「アタシノモノナノニ、貴女ガ奪オウトスルカライケナイノ…」


「ダカラ、貴女ハ殺スノ…。

 殺シテ、ソノ心臓ヲアタシが食ベテアゲルノ…」


「ソウシタラ奏クンハ、一生、アタシノモノダカラ…」


「ソウ、彼ガ(・・)囁イテイル(・・・・・)カラ…」


 徐に、持ち上げた手。

 そこには、既に血濡れで脂ぎった短剣が握られている。


 そのまま、胸を突き刺し、骨を引き剥がせば、心臓を抉り取れる。

 シャルが目覚める様子は、一向に見られない。


 苦し気に歪められた眉間を汗が滴る。

 固く結ばれたかのような瞼の奥には、小さな涙の滴が落ちようとしている。


 それでも、どうしようも出来ない。

 彼女には。


「アハ…ッ」


 そこで、人形の様な表情を一転して、笑顔に彩った少女。

 普通であれば、可憐だったことであろう。


 握った短剣と眼に宿った憤怒が、その顔を狂気に仕立て上げていなければ。


「コレデ、終ワリ。

 コレデ、奏クンハ、アタシノモノダ…!」


 短剣が振り落とされる。

 眠ったまま、何が起ころうとしているかも分からぬ、少女のその胸へと。



***



 しかし、その短剣が突き立てられる事は無かった。


 金属音が響き渡る。


「------ッッ!!」


 少女の目の前に、滑り込んだ影があった。


 振り下ろされた短剣を、受け止めた刃があった。

 赤髪を振り乱しながらも、間一髪シャルと少女の間に滑り込んだのが、間宮だったからだ。


 金属音は、短剣を受け止めたもの。

 そして、滑り込んだ間宮は、今の現状を見て即座に対処法は決めていた。


 即座に、その場で脇差を振り抜いた。

 元は非力な少女の手から、あっさりとそれは弾き飛ばされた。


 それだけではなく、彼はその場で足を振り上げた。

 少女に向ける蹴りとは思えない、殺意の篭った一撃を。


「ガヒュ…ッ!?」


 これまた呆気なく、少女は吹っ飛んだ。

 自らが生み出しただろう血の海へと、濡れた音と共に転がっていく。


 行動は決まった。


 排除する。

 目の前にいる、小堺 唯花を。


 悪魔に魅せられ、取り憑かれた元は小悪魔だった筈の存在を。

 今までとはまた違う、敵と認識した瞬間である。


 思えば、危なかった。

 駆け出した方向と、血の臭いが無ければ気付かなかった。


 そも、スラムの端に位置するような、こんな場所まで短時間で移動出来るとは思ってもみなかった事もある。


 だが、見つけた。

 見つけられた。


 何故かは、自分でも分からない。

 それでも、何かに呼ばれた気がしたのだ。


『(悪魔に取り憑かれ、外道に落ちたか…)』

「奏クン…ッ!」


 吹き飛ばされた先で、小堺が起き上がろうとする。

 しかし、その場で蹲って腹を抑えると、そのまま吐瀉物をまき散らした。


 それはそうだ。

 間宮の蹴りで、内臓がイカれていない訳が無いのだから。


 だが、その様子を見て、間宮は心配する気概は微塵も無く。

 むしろ、この状況ならば放っておいても害は無いとまで判断し、その場で踵を返す。


 地面に無造作に転がされていたままのシャルへと。


 だが、


「(なんだ、これは…ッ)」


 そのシャルを見た時に、間宮は思わず動揺を露にした。


 シャルの身体には、幾重にも黒い帯の様なものが巻き付き、靄を吹き上げながら渦巻いている。

 触れようとする。

 だが、その靄が邪魔をするかのように、間宮へもその黒い帯を伸ばして来た。

 咄嗟に振り払った。


 冷たい感触だった。


 『闇』属性かとも思ったが、それ以前に感じる魔力が何か違う。

 精霊が関連している魔力とは、また別と思えた。

 そして、それはその靄を立ち昇らせた黒い帯に拘束されているシャルから感じる魔力も、同じこと。


『(貴様、シャルさんに何をした…!?)』

「ゲボ…ッ、グフッ、…ッ………奏クン…」


 振り返って声なき慟哭を叩きつけても、小堺はその場で嘔吐しているだけ。

 更には、その血塗れの手を、彼に向けて差し出している。


 腹立たしい。

 まだ、このような状況で、助けて貰えると思っているのか。

 まだ、その手を取って貰えると思っているのか。


 苛立ちと共に、感じる呆れ。


 だが、現状では、シャルの事も小堺の事も、間宮に出来る事は少ない。

 小堺の事は、排除すると決めたからには殺す事だけなら可能。


 しかし、


「(………何故、ここまで血をばら撒いた?

 見つかる可能性を考慮出来なかっただけか?

 それに、取り出された心臓を、四つ角に配置しているのも何故…?)」


 感じた疑問には、小首を傾げるしか出来ない。


 散らばった人や獣の混じる死骸。

 その死骸から流れ出た、大陸の縮小図の様な血の海。

 四つ角に均等に並べられた、供物の様な有様の心臓。


 この凄惨であり、やや儀式染みた不可解な状況の答えを見つける事が出来るかどうか。


 救援が必要だ。

 そう判断したと同時、彼は頭上に向けて銀次から預かっていた拳銃を発砲していた。


『ドゥン!!』


 借り受けたのは、どうやらコルト・ガバメントだったようだ。

 爆音の様な銃声が響くが、好都合。

 これなら、ベレッタよりも音が届きやすい事だろう。


 その音を合図に、各所から騎士団の笛が鳴り始める。

 反響にもよるだろうが、おそらくは銀次様ともども、騎士団もこのまま駆け付けてくれる。


 間宮は、その場で一時深呼吸。

 何事も、落ち着いて対処に臨まなければ、と。


 そうして、怒りを多少は霧散させて、改めて小堺へと向き合った。

 いつでも、彼女へと応戦が出来る様に。


 とはいえ、彼女は先の間宮からの一撃から、動く事も儘成らず地面で血だらけになっているだけ。


「………奏クン…ッ、カ、ナデ…クン…、来テクレタ…ッ」


 相変わらず、自身の名を呟いて。

 手を差し出して、自分を求めているだけ。


 出来る事なら、今すぐにでも殺してやりたい。

 そうは思っても、間宮はこれ以上を動く事は出来なかった。


 背後に庇ったままのシャルの存在があるからだ。


 シャルに万が一があれば、銀次やラピスに顔向けが出来ない。

 それ以上に、おそらく自分が自分を許す事が出来なくなってしまうだろう。


 そもそも、この一件が始まったのは、異常な執着を持っていた小堺を間宮が捨て置いた所為だ。

 あの時にでも、とっとと排除しておけば良かったものを。

 温情とも言える、生温い感性のみに従って生かしたまま放置した事が遠因だ。


 何故、彼女がここまで自身に固執したのかは、定かでは無い。

 恋慕の感情があるとは思っても、それ以上が見当たらなかったからだ。


 だが、分からないとしても、彼女がこのような凶行に及んだ発端は自身。

 そう思えば、間宮はその場で小堺を監視しながら、ただただこの場を打開してくれるだろう救援の存在を待たなければならない。


 歯痒い。

 それでも、仕方ない。


 苦し気に眉根を顰めながらも、前髪に隠したままで見据える小堺。


「奏クン…、コレカラハ、ズット一緒ダヨ…!

 モウ、寂シクナンテ無イヨ…!」

「(………何が寂しいものか、愚か者め)」


 聞こえないとは分かっても、唇だけに乗せた侮蔑の言葉。

 小堺の見るに堪えない、狂相とその言葉に薄ら寒さすらも感じながらも、刻一刻と状況が整うのを待つ。


 だが、


「……ア、…ソウナノ…?

 …アタシデモ、良イノ…ッ?」


 その小堺の言葉が、突然変化した。


 自身へと語り掛けていた薄気味悪い言葉が、一転。

 まるで、何か見えない者(・・・・・)から、彼にも聞こえない声(・・・・・・)に応えるかのように。


「……ソウナノ…ッ?

 アタシデモ、…良イナラ、嬉シイ…ッ!」

「(なんだ? 何を言っている!?)」


 嫌な予感が過る。


 小堺の言葉の唐突の変化も然ることながら、その言葉の内容が可笑しい。

 理解は出来ずとも、彼女が何かしらに気付いた事は分かった。


 そして、その気付いた内容が、この状況を変えるものである事も。


「(先に…排除するべきか…ッ。

 だが………ッ、この状況の説明は…シャルさんの、容態は…!?)」


 逡巡する。

 迷っている。


 間宮は、内心で焦りながら、抜き放ったままの脇差の柄を強く握りしめた。

 このままではいけない、と分かっている。


 だが、打開する為に行動するのは、シャルの事がある手前二の足を踏んでしまう。


 そんな間宮の、逡巡の時間は小堺にとって、幸運とも言える時間だったか。

 身体を無造作に起き上がらせる。

 その動きがぎこちないのは、すぐに気付いた。

 転がった時に、やはり内臓を損傷しているのは分かるし、足の骨でも折っていたかもしれない。


 だが、彼女は物ともせずに、立ち上がった。

 まるで、人形ががくがくと歩き始めるかのような動作で、立ち上がったのだ。


「(………やはり、悪魔に取り憑かれているというのは…ッ)」


 この状況が、何よりの証拠か。

 常人では悲鳴を上げてのたうち回るだろう痛みすらも感じていないかのように振舞った小堺。


 異常だ。

 やはり、排除するべきだ。


 間宮は、脇差を構えて、再度踏み込みの体勢を取った。


 しかし、それ以上に小堺は、歩き出した。

 彼とは真逆の方向へ。


 思わず、驚嘆。

 排除されると理解をしていないのか。

 いや、理解していないのは最初からだっただろうが、どこに行こうとしているのか。


 間宮は、ここでもまた逡巡した。

 して、しまった。


 小堺は、かくかくと折れた足にてこずりながらも歩いた。

 路地裏の片隅へ。


 そして、無造作に何かを拾い上げた。


 振り返った小堺を見た時、間宮はとうとうこの瞬間を後悔する事になる。

 彼女が拾い上げたものは、先ほど弾き飛ばした短剣だった。


 その短剣が血塗れで、反射しなかった事。

 そして、路地裏の暗がりの中では何かが判別できなかったのが悔やまれる。


「コレデ、…ズット一緒ニイラレル…ッ」


 短剣を拾い上げた、小堺の表情が恍惚に歪む。


「奏クン…ッ、アイシテルカラ、ネ…!」


 嫌な予感が噴き上がる。

 衝動に任せて、間宮は駆け出した。


 しかし、


「アタシノ心臓ガ、貴方ヲ縛レルノ…ッ!!」

「------ッ!?」


 排除行動に移った時には、何もかもが遅すぎた。


 小堺は、呆気なくその短剣を、胸に突き立てた。

 自身の命を司る臓器が埋まっているだろう、左胸へと。


 排除を考えていたからには、彼女の生死はどうでも良かった。

 だが、それでも間宮は止める為に動いた。


 シャルがどうなるのか、分からなかったから。

 それ以前に、背筋を粟立たせた、この嫌な予感が止めるべきだと警鐘を鳴らしていたからだ。


 しかし、それは叶わなかった。


 血塗れの短剣が、更に血に染まる。


 噴き出した血液が、更に血の海へとまき散らされる。

 駆け出した間宮の頬にも掛かった。


 だが、それ以上の異変が、その場に巻き起こった。


 地面が発光。

 小堺から闇が噴き出した。


『アギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』


 その小堺の目は、白目も残さず黒目に塗り潰された。

 悲鳴のような雄叫びと共に、彼女の口から噴き出す闇の靄。


 発光した地面は、まるで血の海を巻き込むかのように渦巻いた。

 その下に見受けられたのは、彼も何度か見た事のある魔法陣だ。


 しかし、その形状は、今まで見た事のあるものとはどれとも一致しないものだった。


 更には、


「(………何…が…ッ!?)」


 唐突に、動かなくなった足。

 退避に動こうとした筈が、突然縄でも絡められたかのように足に巻き付いた何か。


 発光のおかげで、即座に分かる。

 先程、シャルを拘束していた闇の靄の様な黒い帯。

 それが、間宮自身の足にも絡みついている。


「(………では、シャルさんは…ッ!?)」


 転倒を避けながら腕を付き、その場で振り返る。

 自身の危険よりも、まず先に背後のシャルを見やった彼は、やはり銀次の愛弟子と言える行動だった。


 その視線の先で、シャルは寝転がったままだった。

 しかし、その小さな身体を拘束していた黒い帯の様なものは、消え去っている。


 代わりに、その黒い帯が自身の足に絡みついている訳だが。

 そして、その闇を纏った黒い帯が、足と言わず全身に拘束を巡らせようとしていた。


 このままでは、身動きが出来なくなる。

 シャルの拘束が解けたことに安心は出来ても、退避が出来ない現状は安堵には程遠い。


 更には、


『アーーーハッハッハッハッハ!!!』


 突然、路地裏に響き渡った笑声。

 笑うというよりも、嗤うと言った方がしっくりと来る。


 その笑声は、酷く混沌としているしゃがれ声だ。

 老婆や翁、女も男も、子どもまでもが混ざっているのではないかと勘違いしてしまう程の、猥雑な響きを持った声。


『器だ!

 我が求めた、最高の器だぁ…ッ!!』


 しゃがれていても、その声が歓喜に震えている事は理解出来た。

 その矛先が、自身に向いている事も。


「-----ッ!

 (抜け出せない…ッ、不味い…!)」


 拘束によって、身体が地面に倒れ伏す。

 魔法陣の発光の下、視線だけを上げた先では路地裏の上空を埋め尽くすかのような闇の靄が不気味に渦巻いている。


 小堺の口から漏れ出していた闇も途切れた。

 おそらく、あれが先ほどまで小堺を操っていた、悪魔の本来の姿。


 靄の様な姿のまま、取り憑いていたのだ。


 器と呼ばれた意味が、今でははっきりと分かった。

 小堺を操っていた事もそう。

 今、この悪魔には実体が無かったからこそ、あのような非力な小娘であってもその身体を使うしか方法が無かった。


 そして、今、その小堺の身体から出て来た。

 器ととして機能出来るのは、この場には自身とシャルの2人だけ。


 彼が感じていた嫌な予感が、現実になろうとしていた。


『その身体、貰うぞォ…!!』

「(…しまった…ッ!)」


 最初から、これが目的だった。

 シャルを使って、誘き寄せられたのは同じ。


 だが、目的が分かったとしても、今の間宮にはどうする事も出来なかった。



***



 銃声がした。

 きっと、間宮がシャルを見つけたのだ。


 爆音とも呼べる銃声のおかげで、場所も判別出来た。

 やはり、血の臭いを辿っているのは間違いなかった。


 だが、その後には、不気味な笑い声までもが聞こえたのは?

 路地裏の上空を、覆いつくすかのような靄は何だ?


 再三感じていた嫌な予感が、今まさに現実に成ろうとしている。


「あれは、何!?」

『おそらく、悪魔の本体だ…!

 我も見た事は今まで無かったが…ッ』


 オレの問いかけに、アグラヴェインが応える。

 焦燥を含んだ声音は、彼から感じた事が少ないとも思える程。


 やはり、悪魔が関係していた。

 おそらく、アグラヴェインが封印されていた墓から抜け出した悪魔だったのだろう。


 何故、このダドルアード王国にいたのかは、残念ながら分からない。

 取り憑かれていたのが小堺と言う事を鑑みれば、おそらく最初の段階で逃げ出したと見せかけたフェイク。

 彼女、あるいはあの一行の誰かに潜伏していた可能性が高い。 


 厄介事を運んできたのは、やはり偽物一行か。

 だが、表面化させたのは、間宮が関係したあの夜である可能性は否定出来ない。


「………チッ、今は四の五の言ってる場合じゃないな!」

『同感だ!

 このまま路地を駆けても、大して進まぬ!

 上を行くぞ!』


 今でも十分な速度で駆けていたスロットだったが、やはり路地裏は狭かった所為かトップスピードには程遠い。

 アグラヴェインが合図を下したと共に鐙を踏み込めば、スロットは路地の遮蔽物を踏み台に、軽々と上空へと駆けあがった。


 何度目かも分からない、遊覧飛行。

 タンデムじゃ無ければ、オレは遠慮したい。


 そんなことを言っている暇は無いので、漏れかけた掠れた悲鳴は飲み込みながら。


『あれは、魔法陣の発光か…!?』

「魔法陣…!?

 って事は、何かしらの儀式を行ったって事!?」

『だとすれば、復活の儀式の筈!

 魔法陣を必要とする魔法は、悪魔が扱えるものではない…!!』


 初見だと言っておきながら、自棄に詳しいアグラヴェインの言葉。

 それを聞いて、納得した事が一つ。


 以前、香神達が関わった事件にも、関係していたのは魔法陣だった。

 悪魔召喚の魔法陣に魅せられた老人が起こしたあの凄惨であり、身勝手な事件の時にも使われたのは魔法陣のみで魔法の類は一切無かった、と。


 報告書にもあったし、香神達からもそう聞いている。

 思えば、魔法を使われなかったからこそ、拘束された状態の徳川やエマが撃退出来たのだと考える。


「でも、そう簡単に出来るものなの!?

 復活の儀式には、何が必要だったんだ!?」

『出来る!

 生贄合わせて5つの心臓さえ揃えば、後は魔法陣と『器』だけで事足りる…!』

「生贄だと…!?」


 ああ、そう言えば、そんな話も聞いていた。

 悪魔召喚の折には、親族や冒険者が生贄に捧げられていた、と。


 その中に、シャルが含まれてしまった?

 なら、この鼻に届いている血臭が、彼女を含めた生贄の血?


「-----シャル…!!」


 怖気が走る。

 同時に、遣る瀬無さで涙さえも滲んで来そうになった。


 ラピスに、どんな顔をして会えば良いのか。

 間宮だって、どんな風に慰めれば良い?


 そして、オレ自身は、この気持ちをどこにぶつければ良いのか…!!


『………最悪、自身の手で始末を付けねばならぬと、覚悟しておけ!』

「どうやって…ッ!?」

『『器』にされた者を戻す方法は、知らぬ!

 あの場で一番確率が高い森子神族エルフの使い道は、その魔力総量を含めた『器』としての役割よ…!』

「つまり、シャルが『器』にされたかもしれない…!?」

『最悪を覚悟しておけ!

 後は、我にも、どうする事も出来ぬ!』


 その言葉を最後に、アグラヴェインはスロッの手綱を駆る事だけに集中した。


 段々と、渦巻いた靄が近付いている。


 スラムの端だ。

 ダドルアード王国の外壁すらも見える位置。


 こんなところまで、移動していたなんて。


 だが、


「………さっき、間宮の銃声が聞こえたのは…!?」


 気になる事が一つ。

 先程、聞こえた銃声は、明らかにあの靄や魔法陣の発光が現れる前だった筈。

 多少前後する事はあるだろうが、オレ達が気付くよりも更に前だった筈なのだ。


 その問いかけには、アグラヴェインも答えてはくれなかった。


 しかし、


「………シャル!!間宮!!」


 その答えは、一足で駆け抜けたスロットの眼下に広がっていた。


 見下ろした路地裏の袋小路にもなっている手広い空間。


 端に転がったシャルの姿。

 魔法陣の中心に、倒れ伏した間宮。


 他にも、人間か獣か分からない、バラバラにされた死骸が転がった地獄絵図。


『行け、主!

 我は、少しでも、この靄を払う!』

「言われなくても…!」


 アグラヴェインは、更にスロットの鐙を踏み込み、加速した。

 路地の上空を覆い尽くさんとする靄へと。


 その傍らで、オレはスロットの背中から飛び降りていた。

 早く早くと焦る脳内。


 飛び降りる落下速度よりも、早くあの場に辿り着きたい一心が逸る。


「シャルッ!…間宮ッ!

 無事か!?」


 飛び降りの勢いは、かなりのもの。

 地面にクレーターを作りながら、それでも着地した。

 勢いを殺すなんてことは、考える暇も無い。


 足が痺れて痛むまでも、そのままシャルへと飛びついた。


「シャル!

 しっかりしろ、シャル!!」

「………ん…ッ」


 揺すれば、その眉が顰められた。

 生きている。


 ほっとした。

 安堵の溜息が漏れると同時、その身体を確認していく。

 薄汚れている以外に、傷は無い。

 感じていた血臭は、彼女の物では無かった。


「…あぁ…ッ、良かった…シャル、無事で…!」

「んぅ…くるし…ッ」


 抱きしめれば、暖かい。

 身じろぎをした彼女は、どうやら目が覚めたようだ。


「ギンジ…?」

「ああ、オレだ。

 助けに来たから、もう大丈夫…!」

「………よ、かった…あ、あたし…」


 抱きしめた格好から、身体を離すと虚ろではあるものの、シャルはしっかりと眼を開けた。

 オレの存在をその瞳の中に認め、ほっとした安堵の溜息を吐いた。


 オレも同じだ。


 だが、確認するのは、彼女だけでは無い。


「………間宮…ッ!!」


 彼女を抱きかかえたままだが、間宮へと声を呼ばわる。

 彼は、魔法陣の中央に倒れ伏したままだった。


「………間宮、平気…!?」


 シャルも間宮の様子に気付いて、声を荒げる。

 咄嗟にオレを押しのけようとしたのにも気付いていないだろう。


 義理の父親よりも、好きな人の心配か。

 ちょっとしょっぱくなった。


 しょっぱくなったとしても、間宮の様子を確認するのは忘れないまでも。

 ただ、魔法陣の所為か、近寄れない。


 未だに、発光が続いている。

 儀式が続いているのか?

 止める方法は、どうすれば良い?


「サラマンドラ、何か知らないか!?」

『済まん、オレも専門外だ!』


 アグラヴェインに続いて、顕現させたサラマンドラ。

 それでも、彼はアグラヴェイン程、悪魔に精通している訳でもなく、この儀式の様子の事も分かっていない様子だった。


 倒れ伏したままの間宮は、無事なのか不明。

 かろうじて、背中が上下に動いているのは確認出来る為、生きているのは分かる。


 だが、どうしてこうなっている?


「-----ッ、いや…まさか…!?」


 息を呑んだと同時に、思い出す。

 先のアグラヴェインの言葉を借りれば、儀式に必要なものはおおよそ3つ。


 生贄と、魔法陣と、『器』。


 生贄は、今確認している地獄絵図の中、魔法陣の四隅にある心臓の事。

 5つと聞いていたが、1つ数が足りない。


 そう思った時、路地裏の片隅でもう一つ、死体が転がっている事に気付いた。


「………そう言う事か…!」


 小堺だ。

 彼女の身体は、どこが起点かも分からない程に血に塗れている。


 最後の心臓は、彼女の物だった。

 トリガーも彼女だったのだ。


 そして、『器』。

 今確認した限り、シャルには怪我も無く、またその『器』に使われた兆候も見られない。


「間宮…、間宮、返事をしてぇ!」


 こうして、今オレの手を振り払おうとしている姿に、嘘は無い。

 だからこそ、『器』にされたのが、誰か分かった。


 間宮だ。


 小堺が執着していたのも、そうだった。

 この場に誘き寄せる罠として、適任とも言えるシャルを選ばれた時に勘付いた事。


 そして、準備の段階で、使われた生贄がシャルでは無かった事もそう。


 最初から、悪魔の狙いは、自由に動き回れる『器』。

 小堺はその『器』を探す前段階の依り代の様なものだった。


 思えば、最初から狙いは、間宮だったのだろう。


 そう考えれば、しっくりと来る。

 小堺よりもシャルよりも、『器』に最適な人間は間宮以外にいない。


 自由に動けるのは、なにより。

 魔力総量や魔法能力をとっても、この中ではトップクラス。

 更には、オレの師事の下培ってきた、体術や戦闘術を鑑みれば、もはや疑う余地はない。


 思えば、オレ達のクラスの誰でも良かったのだろうが。

 それでも、オレを選ばなかった辺りは、まだ見境と分別があったとも言える。


 だが、間宮を『器』として選ばれ、使われた現時点ではどう考えても最悪だ。


 オレとしても、クラスとしても惜しい。

 今後も最も頼りにしていた愛弟子にして、大事な生徒。


『済まぬが、少々遅かったようだ…!』


 アグラヴェインが、上空から降り立った。

 路地の上空に立ち込めていた靄の様なものは、既に霧散を始めている。


 ただ、月を隠した暗雲の所為で、暗いのは相変わらず。

 唯一の発光減が、この魔法陣のみ。


『上のは、残骸でしか無かった。

 既に、本体は、『器』の中だ…!』

「『器』って何よ!?

 それって、間宮の事を言ってるの!?」

「………信じたくはないけどな」


 そして、彼が戻って来て、告げてくれた内容のおかげで、オレの仮説も仮設では無くなってしまった。


 だが、手出しは出来そうに無い。


「指を咥えて見てるつもり…!?」


 シャルが、激昂を露に、魔法を行使。

 暴風が吹き荒れたまでも、魔法陣に辿り着く前にかき消されてしまう。


『これなら、どうか!?』


 サラマンドラも炎を吹いたが、結果は同じ。

 魔法陣に辿り着いても、魔法陣を覆った何かの結界のようなものが阻んでしまった。


 魔法陣を破壊するには、至らない。

 そもそも、魔法陣は破壊が出来るのは、どちらかからと決まっている。

 あらかじめ、魔法陣に組み込まれる術式が決めるのだ。


 閉じ込めるタイプである行動阻害の魔法陣が中からは壊せない通り、外から壊せない魔法陣と言うものも存在する。


 今回見たそれは、オレでも初見の物。

 だが、おそらく、術式の中に、内からしか破壊出来ない術式が組み込まれている筈。


 魔法陣の発光が収まるまでは、どのみちどうしようもない。


「だったら、このまま、むざむざ間宮を悪魔に渡すの!?

 このまま、悪魔の手先にしちゃうつもり…!?」


 シャルがオレにしがみ付いた。

 悲痛な声を上げるが、オレにもどうしようもない事を言わないで欲しい。


「………渡すつもりは無い…」

「だったら…」

「でも、今は何も出来ないんだ…」


 魔法陣を壊せなければ、どうしようもない。

 そして、今、その魔法陣を壊せる人間は、この場にはいない。

 それは、精霊も同じ。


 儀式に必要な心臓は、魔法陣の中。

 小堺のみが、魔法陣の外にいるとはいえ、事切れた状況であるのを見れば今更どうこう出来る要素は見当たらない。

 アグラヴェインが、空の靄を払ったとしても、本体は無かった。


 つまり、儀式に必要なものは揃い、また全てが完結しようとしてしまっている。


「………でも、何か出来る筈じゃないの…!?」

「出来たら、オレだってとっくにやってる…!」


 抑え込んだ声音が漏れる。

 シャルが息を呑んだが、オレだって抑え込むので精一杯だ。


 自身の感情を抑え込むのに、必死なのだ。


 そこで、


「………ッ、光が…!」

「発光が収まった…」


 魔法陣からの光が薄らいでいく。

 そして、その中心で、間宮が動き出そうとしていた。



***



 オレが生まれた時、両親はオレを見て愕然としていた。


 奇異な赤い髪に、金色の瞳。

 日本人である顔立ちは、その髪にも目にも調和しない。


 黒髪と黒目の両親から、産まれる筈の無かった色を持った子どもだった。


 更には、泣いても喚いても、声を上げないオレを訝しがって、両親が病院に連れて行った時に見つかった、声帯異常。

 オレは、声帯が生まれつき閉塞し、声が出なかった。

 出せなかった。


 それも、両親がオレを突き放す、要因となった。


 物心が付いた時、両親が同じ部屋にいた事はほとんど無かった。

 食事は用意されたものを、ただ置いておかれるだけ。

 風呂は、残り湯を使ったただの湯浴び。

 衣服も、ただただ放っておかれたそれを勝手に漁って、身に着けていただけ。


 保育園や幼稚園には、通った事も無い。

 おそらく、両親としても恥ずかしくて通わせる事が出来なかったことだろう。


 外を歩くだけで、奇異な目で見られるオレ。

 両親は遠ざけた。


 しかし、遠ざけるだけでは、何も変わらない。

 存在がある。

 それだけで、両親は酷く苛まされていたようだ。


 オレの存在は、目障りだったことだろう。


 ある時、丁度帰宅した母親に、トイレに行っていたオレが鉢合わせた。

 それだけなら、まだ良かった。


 だが、手入れもされずにざんばらに伸びた赤い髪と、その間から覗く金の目に母親の箍が外れたらしいことは分かった。


 叩かれた。

 頬を、張られた。

 何度も叩かれて、そのまま部屋に放り込まれた。


 酷く痛かったのを、今でも覚えている。

 それが、始まりだったことも。


 父親が帰って来るなり、オレの部屋にずけずけと押し入って来た。

 そうして、母親同様に殴られた。


 曰く、オレの存在の所為で、こんな隠れるように暮らさなければならない、と。

 滅茶苦茶だと思った。

 それでも、オレの存在がある、と言う事実が分かっていた。


 声を上げないオレに、気を良くしたか。

 あるいは、捌け口としての利用方法を認識したか。


 父親も母親も、その日を境に豹変した。

 遠ざけられていた事が、どれだけ安寧だったかが分かった頃だった。


 殴られるのは、痛かった。

 蹴られるのも。


 煙草の火を押し付けられた時は、のたうち回ったものだ。

 それでも、オレは悲鳴一つ上げられないまま。


 サンドバックか、透明な子。

 なんだか、そんな言葉がしっくりと来る。


 殴るだけ殴って、飽きたら部屋に放り捨てられた。

 酷いときは、ベランダ。

 泣く事も無いから、安心して放り出して置けたようだ。


 オレがそこから、ベランダを伝って外に出るようにならなければ。

 警察に補導された。

 そして、両親が呼び出された。


 それよりも先に、オレの虐待の痕を認めた警察に、そのまま児童相談所に通報された事が不味かったか。

 保護される筈だったが、オレはそのまま家に連れ帰られた。

 父親が無理矢理に、オレを引っ張って連れて行った結果だ。


 まだ病院の診察が終わっていなかった為に、手続きが済んでいなかったらしい。

 そんなことは、孤児院に入った後に知った事。


 それが、オレの最初で最後の、反逆の始まりだった。


 家に帰るなり、両親がオレを罵倒しながら、殴る蹴る。

 今までの扱いよりも、更に凄惨たる結果になった事は分かっている。


 途中で、隣人や近所の人間が通報したのか、警察がやって来た。

 両親が、その対応に追われている間に、オレは何とか鍵の掛かる部屋に逃げ込む事は出来た。


 警察が帰った後、両親が来る。

 そうして、もっと酷く痛めつけられる。

 そんな事分かっていた。


 だから、部屋に逃げ込んだ時に、キッチンから包丁を持ちこんでいた。


 部屋の鍵を壊して入って来た父親の足を、包丁で刺した。

 簡単に倒れた。

 その上に馬乗りになって、頭に包丁を突き立てた。


 ぐぎゃ!と、悲鳴が上がる。

 何度も指し続けると、顔中が真っ赤に染まった。


 呆気なく、父親が死んだ。


 母親が悲鳴を上げて、逃げ出した。

 まるで発狂したかのような悲鳴は酷く煩わしかったが、同時に少しだけ気分が高揚したのをなんとなく、覚えている。


 痛みを与える側になった気分は、今まで感じていたどんな感情よりも爽快だった。


 警察を追い払った時に、厳重に掛けたのだろう。

 玄関に飛びついてもすぐに開かないドア。

 狂ったように叫びながら、外れない鍵を弄っていた母親を後ろから刺した。


 ぎゃっ!と悲鳴が上がる。

 そのまま、父親と同じように何度も背中を刺した。

 真っ赤に染まった。


 そして、母親も呆気なく死んだ。


 オレは血塗れのまま、立ち尽くしていた。

 これから、どうしようか、と。


 赤い髪を赤い血に染め、衣服も体も血塗れ。

 それを見下ろして、何故かうっそりと嗤った事だけは覚えている。


 そうだ、仕返しをしてやろう、と。


 殴られたり、蹴られたりした痛みは、返してやった。

 だけど、他にも与えられた痛みがあるじゃないか。


 オレは、そのまま玄関からリビングに戻って、ジッポと呼ばれるライターで煙草の火を点けた。

 正確には点けようとしたが、残念ながら息を吸い込みながらでは無いと火が点かない事には気付けない。

 父親が毎日吸っているから、美味しいのだろうと思っていたのに少し残念だった。

 何よりも、これを押し付けられた時、悶絶した痛みを味合わせてやろうと思ったのに、出来なかった事が残念だった。


 ただ、父親も母親もいなくなった今、好きな事が出来る。


 そこで、今度は酒の瓶を手繰り寄せて、ちびりと飲んでみる。


 不味かった。

 父親は、なんでこんなものを、美味そうに飲んでいたのか。

 酒が嫌いになった。


 他にやる事は無いかと探してみる。

 でも、これと言ってやりたいことも無かった。

 無知だったからだ。


 教えて貰ったこと等、無かった。

 両親がオレに与えてくれたのは、生と衣食住だけ。


 それも、今日から無くなると、子ども心には分かっていたが。

 なんだか、呆気ないものだ。

 そう思っていた。


 両親が死んでも、泣く事も無かった。

 元より、そう言った存在だった事だろう。


 それよりも、と手元に目を戻す。


 血濡れた手に握られたライター。

 火を点ける事は出来た。

 煙草よりも簡単だった。


 熱くて痛かった、悶絶したあの痛み。

 あれだけ小さな火種で、あれだけ痛かったのだ。


 きっと、このままならもっと痛いだろう。

 ライターを握りしめ、父親の下へと向かった。


 火を点ける。

 押し付けようとしたが、常に上を向く火の習性は知らなかった。

 指を火傷して、そのまま放り投げてしまった。


 父親の身体に、落ちた。

 じゅっ、と言う音と一緒に、焦げ臭くも生臭い臭いがした。


 血で消えた。

 けど、それを拾い上げて、もう一度火を点けてみる。

 湿気てしまったのか、時間が掛かった。


 それでも、火が点いた時に、もう一度チャレンジ。

 今度は、自分が指を火傷するような事が無いように、慎重に押し付けた。


 焼け焦げる音。

 焦げ臭い。


 真っ赤に染まった父親の顔が、無残に赤黒く焦げていく。

 それをじっと見ていた。


 だが、気付いたら、血に混じった脂に引火していた。

 父親の身体を全身嬲っていき、遂には父親の衣服にも引火して、火だるまにしていく。


 その様子すらも、オレは見ているだけだった。

 やがて、火は父親の身体から絨毯に燃え移り、部屋の中の散らばった衣類にも引火し始めた。

 煙が充満し始めた時に、不味いと思った。


 臭いし、苦しい。

 部屋から出て、そのままリビングで燃える様子を眺めていた。


 だが、燃え広がった火が、リビングまで来た時にいよいよ危ないと分かった。

 消える気配が無い。

 元より、消そうとしなかった自分が悪いのだけど。


 ベランダに逃げた。

 窓から部屋が燃える様を眺めていた。


 物心がついてからもたった数年だ。

 それでも、今まで暮らしていた部屋の様子が、瞬く間に炎で彩られて作り替えられていく。


 両親も家も無くなる。

 そうは思っても、この時にはどうしようも出来なかった。


 前に逃げた方法と同じで、ベランダを伝って外に出た。

 すると、巡回中だったらしい警察がオレを見つけて、そして火事になっているオレの部屋を見て、どこかに連絡をする。


 オレは、その血塗れのままで、保護された。

 どう見ても異常であろう姿や状況を見ても、子どもだからと保護されたのだ。


 消防車が来た。

 警察車両も沢山来た。

 それを、オレは保護された同じ警察車両の中で眺めているだけだった。


 燃え盛る今まで住んでいたアパートの一室が、黒焦げになっても涙すら零さなかった。


 児童保護施設の人間が来て、警察と共に事情を聞こうとする。

 けど、オレは声が出ないから、何も伝える事は出来なかった。

 文字も教わったことは無い。

 だから、伝える手段を持っていなかった。


 それを、警察も児童保護施設の人間も、良い様に捉えてしまったようだ。

 オレが、今回の事で心を閉ざしている、と。

 本当は、なんとも思っていなかっただけなのに。


 そして、オレは結局心神喪失と言う病名の様なものを引っ提げて、病院へ。

 両親からの虐待の痕が薄れる頃には、そのまま保護施設に入った。


 文字を教えられ、手話も教えられた。

 まずは、オレの自立支援の為に、教養が必要と考えられていたようだ。

 それ以前に、おそらく事件の全貌を警察が調べたかったというのもあっただろうが。


 文字や手話を一通り、覚えた時。

 改めて、警察から事情の説明を求められ、オレは素直に応じた。


 淡々と、ありのままを知らせたのだ。

 保護施設の人間がいる前で、馬鹿真面目に。


 オレには、異常性が見つかった。

 髪や目、声帯異常の他に、心神喪失よりも質の悪い異常性。


 罪悪感の欠如だ。

 オレは、全く悪い事をした等とは思っていなかった。

 包み隠さず知らせた事で、警察の人間も施設の人間も容易にそれに気付いたらしい。


 放任過ぎた両親と、その生活現状の所為でオレ自身も全く自覚していなかった事。


 ただし、未成年と言う事で、罪に問われる事も無かった。

 過剰ではあるが、正当防衛と判断された事もある。


 だが、この警察の事情聴取の時から、保護施設の人間の態度は全てガラリと変わった。


 いつ、オレが他の子どもにまで、その凶行に及ぶか。

 ましてや、その被害を被るのが、自分達施設の人間では無いか、と恐れられるようになっていた。


 精神病棟に入れられる話が出ていた。

 だが、それにも手続きが必要だったが、オレの前科を見るなり、どこの病院も受け入れを拒否したらしい。


 望まれないのは、どこでも同じだったようだ。

 

 保護施設から、別の施設に移動させられた。

 何とも思っていなかったが、やはり噂やそう言った類の話は付いて回る。


 しばらく、孤児院や施設を転々とする事になった。


 いらないのだ、と言われていた。

 そう思っていた。



ーーーーー『その通り…』


 脳裏に響く声音。

 暗闇に沈んだ世界の中、蝋燭の灯りの様な赤目が目の前で揺れている。


 なにが、あったのか。

 意識が靄掛かって、上手く思い出せない。


ーーーーー『汝は、いらない子だった…』


 ………オレは、いらない子。

 そうだ。

 その通り。


 だから、両親はオレを突き放した挙句、殴り付けて来た。

 怒りをぶつける捌け口にしたのだ。


 そして、その後も、誰にも必要とされなかった。


ーーーーー『だが、安心するが良い…?』


 ………安心?

 何を言われているのか、良く分からない。


 本能的に、いけないと分かっている。

 なのに、抗えない。


ーーーーー『今は、我が汝を必要としているのだ…』


 ………必要。

 オレが、必要…?


 誰が…?


ーーーーー『我が名は、エリゴス…』


 エリゴス。

 どこかで、聞いた筈なのに、思い出せない。


 ………それに、何かが引っかかる。

 何故、こんなに意識が朦朧としているのか………。


ーーーーー『我が欲するは、汝が身体…。

 その為には、汝が意識・意思は不要…』


 ………必要と言ったり、不要と言ったり。

 一貫しない答えだ。


 信用出来ない。


 分かっているのに、どうして抗えない?


 ………こんな奴なんかよりも、もっと信頼出来る人を知っている筈なのに…。

 いらない子だと言われたオレであっても、厭う事無く触れてくれた手があった筈なのに…。


 なのに、どうして…。



***



 魔法陣の発光が収まり、間宮が動き出した。

 起き上がり、ふらりとよろめきながらも、その場で立ち上がる。


 見たところ、外傷は無さそうだ。


 だが、


『気を付けろ、ギンジ。

 小僧の周りに渦巻いている靄………、あれが『瘴気』だ…』


 間宮から立ち昇る、闇。

 以前、校舎散策の折に見た『闇の靄(ダーク・ヘイズ)』の纏っていた空気にそっくりだった。


 そして、


「何よ…あの目…!!」

「赤い…!?」


 何よりも、間宮の様子の異変を感じたのは、その眼。

 赤く、爛々と光った瞳。


 いつもは、金の瞳が、今は真っ赤に染まっていた。


『悪魔の『器』になった証拠だ』


 そう言って、アグラヴェインが構えた、大剣。

 彼の言っていた通り、復活の儀式とやらが終了し、間宮が悪魔の『器』となったという証左。


「………間宮、お前…ッ」


 歯噛みする。

 信じられない気持ちで、縋る様に間宮を見る。


 頼むから、そんな悪魔ものなんかに、負けないで欲しい。

 出来る事なら、今すぐにでもその支配を断ち切って欲しい。


 オレの弟子なのだ。

 例え方向性やら教育方針を間違っていようが、生徒でありオレの愛弟子なのだ。


 だからこそ、こんな謀反紛いなことに、なって欲しくない。

 ………かつて、オレが師匠と刃を交えた時の様に。


 だが、想いは虚しく、


『来るぞ、馬鹿者!』

『構えろ、ギンジ!』

「----ッ!!」


 散った。


 アグラヴェイン達の声と同時に、間宮が動き出した。


 直行。

 オレに向けて、その手に握りしめた脇差を、振り払った。


「きゃあッ!?」


 かろうじて、返す事の出来た日本刀と、間宮の脇差がぶつかる。

 金属音が鳴り響く。


 シャルの悲鳴が路地裏に木霊する。


 ぎちぎちと、鳴り響く鍔競りの音。

 オレへの殺意を剥き出しにした、初めての弟子の様子に息を呑むしか出来ない。


「間宮…正気に戻れ…!!」


 最後の願いとばかりに、叩き付ける怒気と言葉。


 目の前の虚ろな表情が、途端に豹変した。

 嗤ったのだ。


 悟るしかない。

 これはもう、オレの弟子の間宮ではない。


 悪魔だと。


 唇が動き、言葉を発せようとした。


 かろうじて読めたその唇の動きは、『弟子に刃を向けられる気分はどうか?』と問いかけていた。

 オレを挑発しようとしていたようだ。


 しかし、すぐに異変に気付いたのか、少しばかり彼の表情が歪められる。

 おおかた、間宮が亜者だとは知らなかったのだろう。


 間宮は、先天的声帯閉塞。

 生まれつき、声を持っていない。


 怪訝そうな表情である弟子の姿をした悪魔を、押し返す。

 簡単に弾かれて飛んだ身体。

 しかし、それがいつも通りの動き(・・・・・・・・)で、体勢を整えて着地した事に違和感を禁じ得ない。

 身体は、間宮。

 なのに、中身は別人。


 ………悪夢なら、もうとっくの昔に醒めてくれて良いだろうに。


「………オレの弟子の身体、返して貰いたい…」

「(………出来ぬ相談だ)」


 声なき声で、唇が物申す。

 やはり、間宮ではない。

 古風な喋り方はしていたまでも、ここまででは無かった間宮の口調。


 それに、オレに対しては、敬語を崩さなかった。

 更に募る違和感に、日本刀を握りしめた手が小さく震える。


 それを見据えてか、否か。


「(どうやら、『予言の騎士』にとっては、この望まれぬ子(・・・・・)が大層、大事だったようだな)」


 そう言って、嘲笑う。

 唇が、弧を描く。


 暗い路地裏の中、その唇と眼の赤だけが爛々と光っている。


 それに、間宮の姿を借りた悪魔の言った言葉は、どういう意味か。

 

 『望まれぬ子(・・・・・)


 オレには、心当たりしかない言葉だった。

 かつては、オレがそうだと思い込んでいたのだから。


「………記憶を、読んだのか?」


 間宮の記憶を。

 オレも知り得ない、彼の過去を読んだのか?


 怒りが湧き立つ。

 オレだって知らないからとか、そう言った子ども染みた嫌悪感ではない。


 勝手に人の過去を暴き立てて、その闇に付け行ったのか、と。


「(我等悪魔にとって、この程度は造作も無い事…)」


 そう言って、うっそりと嗤った間宮。

 あんな嗤い方をするような子では無かったのに。


 思えば、身体を乗っ取るという行為が、どのようなものかオレは知っていた筈だった。

 かつて、ゲイルがそうだったように、記憶をトレースされる。

 吸血鬼ヴァンパイアである、アレクサンダーが行っていた方法で、それが条件だった。


 それが、間宮の身の上にも起こった。

 そして、オレにだって頑なに明かそうとしなかった過去を、悪魔に知られたという事になる。


 怒りと共に、遣る瀬無い気持ちも巻き起こる。


 だが、その怒りの矛先を向ける相手の身体が、身体だけが当人のもの。

 更に募るのは、無力感。


 そこで、


「(………まさか、これが声を持たぬとは、思ってもみなかった。

 しかし、それもまた良かろうて。

 この身体は馴染みも良く、薄暗い過去は我にとっては絶好の温床であるが故…)」


 悪魔が重ねた、声なき言葉。


 すぅ、と思考が冷えていくのが分かった。

 目の前にハレーションの様なチリチリとした光が散っては消える。


 覚悟をしなければ、ならないと思った。

 目の前の悪魔を排除する。

 その為に、間宮の身体を、どうこうするという覚悟をしなければならない、と。


 戸惑いは、ある。

 だが、それ以上に、怒りがある。


 そして、間宮の為を思うなら、と脳裏でチラつく師匠としての矜持があった。


 これ以上、辱める訳には、行かない。

 間宮の意思の無いところで、この悪魔が勝手に彼の過去をほじくり返すなんて許さない。

 対処法は、分からない。

 叩き出すなんて方法が、取れるとも思えない。


 それでも、これ以上、間宮が苦しむ事の無い様に。


 そう考えると、


「(可愛い弟子を、排除するか?

 ………薄情な師匠もいたものよなぁ…)」


 目の前の間宮の姿を、しっかりと見据える事が出来た。


 悪魔がオレを嘲笑う。

 それでも、オレも同じようにして、うっそりと嗤っただけだった。


「(………ッ!)」


 悪魔が、踏鞴を踏んだ。


 ………なんだ。

 この程度で、尻込みをする程度の奴が、オレの前の立つんじゃねぇ。


 以前、泉谷と対面した時の様な、釈然としない怒りまでもが込み上げる。

 しかし、脳裏は、既に冷え切っていた。


「薄情な師匠は、このまま見捨てるだろうな。

 オレは、情に厚いから、責任持って解放してやるだけだ…」


 そう言って、改めて構えた日本刀。

 切先に、迷いはない。


「来いよ、エリゴスとやら…」


 後悔させてやるから…。


 覚悟は、決めた。

 今この場で、間宮は殺すしかない。

 間宮ごと、この目の前にいる悪魔を斬るしかない。


 それで、今回の事件が片付く。

 悪魔を一体、退治出来る。


 世界の終焉を、少しでも食い止める事が出来るなら、


「オレが、間宮もろとも、引導を渡してやっから…」


 弟子を斬る事は、もう厭わない。



***

初めてと言う訳では無いまでも、間宮くんの心情にも触れた回です。

彼の経歴は、少しばかり特殊。

ギンジはそこら辺を気づいてはいましたが、真実は知らなかったのです。



誤字脱字乱文等、失礼致します。


※感想を再開させたのは良いですが、またしても閉鎖を検討中。

理由は推して察してください。


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