14時間目 「課外授業~校舎の実況検分~」 ※流血及びグロ表現注意
2015年9月9日初投稿。
前回はまたしてもホラー展開で終わりました。
今回は何で終わるのか、見当も付きません。
少々長くなってしまっている校舎散策編。
夜も長くなりましたが、昼も長くなってしまいました。
本編はシリアス過ぎる内容が続いておりますが、頑張ります。
自分で書いてて自分で泣けてきました。
主に、稚拙な文章に絶望しております。
第14話目です。
(改稿しました)
***
さてさて、2日連続の恐怖体験も終わったと思って良いだろうか。
勿論、オレも間宮も全く楽しくなかった。
何が楽しくて、こんな秋のちょっと寒い季節に、こんな立て続けに恐怖体験をしなくてはならないのだろう。
せめて、季節を考えて欲しいものだ。
『(そう言う問題じゃありませんっ!)』
『あ?そんなの分かってんよ』
隣で未だにマナーモードになったままの間宮に、何故か凄い勢いで怒られたものの、オレはこれ以上の恐怖体験は御免なので、記憶の彼方に抹消したいと思っている。
だからこその、こんなずれ込んだ感想を抱いているだけだ。
いやぁ、再三の恐怖体験のおかげで腕が痛い。
何故かしがみ付かれていた右腕が、である。
間宮は左側にいた筈なんだけどなぁ。
それに関しても間宮のマナーモードが更に悪化するだけだ。
オレも一緒に混ざりたいとは思っても、この目がまん丸で見上げてくる小動物並の器用なガクブルッぷりは真似できない。
閑話休題。
とりあえず、そんな間宮と一緒に恐怖体験をした宿直室ことモニタールームを後にして、割り出しを終えた地下室があるだろう校長室へと向かっていた。
オレ達がモニタールームに行ったのも、元々は恐怖体験をしたいが為では無く、表題に上がっていた地下室の場所を割り出す為だったからな。
その地下室の場所は、校舎内に数百台と設置されていた監視カメラと、それ等を稼働させ続けていた予備電源のおかげで割り出す事は成功した。
そして、その監視カメラや予備電源等も、しっかりと役割を果たしてから御臨終してくれたので、後で丁重に葬っておかねばなるまい。
あれ等のカメラ等も、この世界では立派なオーバーテクノロジーだからな。
そして、カメラ等のおかげで割り出した地下室の場所は、この学校の設立以来誰も踏み入った事は無く、寄り付きもしなかった校長室の真横だった。
そもそも、この夜間学校特別クラスには、校長など存在しないばかりか、今まで誰一人として就任した事は無い。
言うなればオレがそう言った仕事も兼任していた。
オレの知らない施設があったばかりか、その施設が誰も寄り付かないような場所にあったという時点で、もはや悪意しか感じられない。
と、言う訳で、まだまだマナーモードの間宮を引き連れて、校長室へと足を運んだのだが、
『………あったな』
『(………見事に、手形ですよね、これ)』
辿り着いた校長室の真横には、確かに押し開けられただろう床の一部と、おそらくはあの赤い眼の女が残しただろう、真っ赤な手形がべったりと床に張り付いている。
しかも、まだ廊下には昨夜の名残である、浸水した後が各所に見られると言うのに、手形は消えていなかった。
つまりは、水だけでは洗い流せない汚れ、という事になる。
『…血痕に見えるのはオレだけか?』
『(………同じく)』
再三のホラー体験に、背筋が凍り付いた。
手形はやはり、オレ達の予想通り血痕だった。
そして、その手形が残っていた位置は、廊下の隅に取り付けられた監視カメラの位置からして、モニタールームで確認した場所とも一致していた。
十中八九、あの赤い眼の女は、ここから這い出して来たばかりか、こうしてべったりと残るような血の手形を残して行ったと言う事だ。
………なんて危険人物が、校舎の地下に潜んでいたのだろうか。
まぁ、立ち尽くしていても終わらないだろう。
意を決して、胸元のライトを取り出し、押し開けられたままの床板の一部を足で端に避けた。
床板の一部であるタイルは意外と軽かったので、これならば女の力でも持ち上げられるだろうと納得した。
そして、床板のタイルを避けた先には、ぽっかりと開けた口のような暗闇と階段が続いていた。
途端、オレの鼻を付いたのは、鉄錆と黴の悪臭だった。
その嗅ぎ慣れたとも言える鉄錆がむっと香った瞬間、オレだけでは無く隣の間宮ですらも眉根を寄せていた。
しかも、その階段には点々と残った血の痕、もとい床にも残っていた不気味な手形が張り付いていた。
まるで、スタンプのように見えるが、そんな可愛らしいものでは無い事は、こうして嗅覚に届く鉄錆の臭いで分かっている。
しかし、手形が思った以上に小さいのは、気のせいでは無いだろう。
………あの女、もしかして、まだ相当若いんじゃないか?
『間宮、後から来い。生徒達に見られんじゃねぇぞ』
『(………心得ました)』
若干、ホッとした様子の間宮にイラッとしたものの、そのままオレが先に降りる事にした。
足が重いが、それが昨夜の一件で引き摺った疲労だけでは無いと分かっている。
とはいえ、こんなもので怖がっていたら、裏社会では生きていけないぞ?
『(苦手なものは、苦手なのです)』
『ああ、そう。それで、よく『ルリ』の弟子になれたもんだ』
『(……自分でも驚いています)』
いや、驚くなよ。
せめて胸を張ってやろうぜ、そこは。
そんな間宮の若干抜けている部分に癒されつつも、階段を一歩一歩確かめながら降りて行く。
ライトに照らし出される、剥き出しの配管やところどころに張られた蜘蛛の巣、そして積もりに積もった綿埃を見るに、どう考えても人が暮らせる環境とは思えない。
ただし、階段に付いていた手形はやはり新しいようで、階段に積もっていた埃が積もるどころか、血の痕に引き摺られるにして擦れていた。
一歩降りるごとに、空気に含まれる鉄錆の臭いも強くなり、黴臭さも相俟って喉がいがらっぽくなって来た。
ここに長いこといると、確実に病気になりそうだな。
更に階段を踏み外さないように、また警戒を続けながら降りて行くと、意外と短かったらしく、ライトの奥に床らしきものが浮かび上がった。
しかし、その床にも、血痕どころか夥しい血の海が広がっているようだ。
床に足を付けると、ライトにも映る程、埃が舞い散った。
『げほ…っ。…マジで、アレクサンダーの言う通りだったか…』
咳払いをしつつ、ライトで周囲を照らし出せば、浮かびあがったのは不気味な地下室。
そして、アレクサンダーの言っていた通り、壁に所狭しと並んだ、毒々しい顔の肉人形。
どれもこれもが、少しずつ違いはあっても、黒い眼窩の露出した眼と、真っ赤に裂けた口を持っている。
そして、オレが思っていた通り、黒髪に関してはカツラだったようで、中には丸坊主な肉人形も多数存在していた。
『どのみち、不気味な事には変わらねぇよ…』
眉根を寄せるが、それが嫌悪から来ているのか、それとも体調不良から来ているのかすら分からなかった。
正直、吐き気が込み上げて来ている。
しかし、そこへ、
『お、おい、ギンジ…!なんなのだ、この部屋は…!』
『ひぃぅ…っ!?』
突然に掛けられた声。
おかげで、間宮よろしく一瞬だけ飛び上がってしまった。
情けない声まで漏れてしまって、若干恥ずかしい。
そんなオレの背後から掛かった声は、この2日間ですっかり聞き慣れ初めてしまった男の声だった。
『げ、ゲイル…!?なんで、ここに…?』
ライトを向けた先で、階段をおっかな吃驚と言った様子で降りてきたのは、後方待機としていた間宮では無く、先程調査へ乗り出す前に別れた筈のゲイルだった。
間宮はどうしたのだろうか。
いや、そもそも、何故この男は、階段を降りてきているのだろうか。
『い、いや…、オレも通りかかっただけだったのだが、マミヤがここに入るのを躊躇していたようだったのでな…。
オレが代わりに降りるからと言って、見張りを頼んでおいたのだ』
『…あの野郎、勝手に何逃げてんだ…』
おいこら、間宮。
テメェは何をちゃっかり、ゲイルを生贄にして退避をしているのか。
破門にされたいのか、コノヤロウ。
しかも、その所為でコイツに地下室の存在がバレたじゃねぇかよ。
生徒達にもコイツ等にも知られ無いように、用心やら保険を掛けていたオレの苦労が水の泡じゃねぇか。
ああ、もう仕方ない。
こうなったら、コイツも巻き込んで、調査をしてやるしかないだろう。
開き直って、間宮からバトンタッチ。
んでもって、コイツを助手にしておこう。
『この部屋をどう思う?』
『率直に言えば、不気味だな。自棄に血生臭いし…』
ライトの奥で、ゲイルがしかめっ面をしていたが、おそらくオレも同じような顔をしているだろうな。
続けて、オレはライトを壁に向け、ゆっくりとスライドをさせる。
『壁に並んでいるのは、もしや昨夜のジョセイトとやらの肉人形か?』
『どうやら、そうらしい』
暗くてよく見えないだろうが、確かに肉人形で間違いないだろう。
って、あ、そうだ。
『なんか魔法か何かで明るくする方法って無いか?
調べようにも、こんな明かり一つじゃ限界があるしさ』
『ああ、ちょっと待て……』
オレの言葉に、ゲイルはすぐに何かの詠唱を始めた。
どうやらオレの勘は当たったようで、灯りを齎す魔法か何かがこの世界には存在しているようだ。
『我が声に応えし、精霊達よ。
星の輝きの一端を、今此処に示し給え。『星光』』
詠唱の簡潔と同時に、彼の掌に浮かび上がった球体の光。
まるで蛍光灯のような光に、ほっと一息。
こういった魔法があれば、この薄暗い不気味な地下室も、少しはマシだろう。
そう思って、振り返ったと言うのに、
『ヒィッ…!?』
『うぉおおおおおあああああっ!!?』
目に飛び込んできた光景に、思わずオレは絶句。
隣でゲイルは悲鳴を上げて、一目散に階段へと向かって逃げ出した。
いや、だって、ちょっ…嘘だろ、おい!?
だって、あの肉人形が所狭しと並んでいると予想はしていたけど、それが壁一面だとは思ってもみなかったもん。
壁を覆い尽くさんばかりの肉人形に、情けない事に大の男2人が一目散に逃げ出した。
降りたかと思えば、絶叫を上げて逃げ出したゲイルが飛び出して来た事で、見張りに立っていた間宮が滅茶苦茶驚いていた。
そして、続けて飛び出して来たオレに再度驚いていたが、
『テメェは、師匠を放り出して何をしているのか!』
とりあえず、八つ当たりとは分かっていながらも、拳骨を一発落としておいた。
あー…吃驚したし、怖かった。
何度目かも分からない恐怖体験に、既に寿命が10年は縮んでいる気がした。
***
とりあえず、オレ達が地下室から飛び出してからの事を結論だけ言うと、ゲイルが逃げ出した。
あの野郎、騎士団長様の癖して、チキンかよ。
テメェの明かりを頼りにしていたオレを放ったらかして、どうしてくれるんだ。
後でアイツは、もう一度筋肉椅子として扱っておいてやろう。
まぁ、座り心地はあんまり良くなかったけどな。
閑話休題。
その後、逃げ出したゲイルは放っておいて、オレ達は意を決して再度地下室へと踏み込んだ。
今度は、手動充電のバッテリーを繋いだ業務用の照明を持ち込んで武装も強化しておいた。
ここでも、文明の利器万歳だ。
おかげでゲイルの力なんぞ借りなくても、オレ達は地下室に入ることが出来たので、ざまぁみろと意味不明な卑下をしたり何だりしながらも、いざ進軍。
ついでに、またしても逃げようとしていた間宮は最初に行かせておいた。
『(ご無体です)』
『テメェの方がよっぽどだろうが。師匠を斥候にするとは、良い度胸だなぁ、おい』
『(違います。背後をお守りしていたのです)』
『前の方が危ないって分かっているのにか?』
このヤロウ、いけしゃあしゃあと。
もし、ゲイル同様にオレを置いて行った場合は、容赦なく破門にしてやるから覚悟しておけ。
一日どころかたった数時間で破門とか、最高記録じゃないのか?
いや、まぁ、師弟となったとはいえ、間宮も一応は異世界クラスの生徒だ。
今回は、オレも少々大人げなかったと思っているので、八つ当たりの拳骨に関しては、素直に謝っておこうか。
ごめんね、間宮。
さて、話が逸れたが、武装も強化して十分な光源も手に入れてから踏み込んだ地下室は、先ほどと変わらないまま、壁一面を覆い尽くし所狭しと並んだ肉人形の楽園だった。
………一斉に、これが動きだしたりしない事を祈る。
今度こそ、オレは気絶する。
しかし、地獄絵図のような有様ではあるが、業務用の照明を持ち込んだおかげで、その肉人形の細部も良く分かった。
肉人形の顔は、まるで子ども落書きのようなものだったのだ。
『……しかも、これ、クレヨンかパステルじゃねぇのか?』
『(こっちもです)』
地下室の中に充満した鉄錆の臭いとは別に、鼻に付いたのはオイルやワックスと言った独特の香料だった。
ほぼ油が主成分となる、ワックスやオイル、顔料、体質顔料などのその他諸々で出来た子ども達の友、クレヨンやパステル。
それが、この肉人形達の顔の正体だった訳だ。
そういえば、オレが回収した肉人形は、頭を潰してしまったので顔までは分からなかったものな。
種が分かれば何の事は無い。
先ほどはびくびくとしていた間宮も、肉人形を持ち上げてぶんぶんと振ったりして中身を確認している。
その中からは、ちゃぽちゃぽと音がしていることから、確認するまでも無く詰まっているのは血液だろう。
次に、照明を床に向けてみると、そこは一面が血の海であった。
乾いている部分がほとんどだったのが幸いではあったが、中には未だにオレ達の靴底に擦れて、形を変えている真新しい部分もある。
しかも、床には無造作に落ちた手斧が一つ。
その近くには、オペでもするのかと思う程の大机と、肉人形と思しき手足が散乱して転がっていた。
『……この手斧の手形、さっき床や階段に付いていたものと、大きさが一致するな』
『(………そ、そのようですね)』
『思った以上に、不気味なサイコ野郎が、関係しているらしいな』
いや、もう本当に。
しかも、そのサイコ野郎と思しき、赤い眼の女は校舎の外に出て行方不明と来ているからな。
『(気味が悪いです)』
『安心しろ、間宮。オレも同じだ。
だが、これより、気味が悪いもんなんてねぇだろう?』
と、オレが再度ライトを向けたのは、壁一面の肉人形。
『(そ、そそそそっちは、不気味ですぅ!!)』
しかし、途端にマナーモードとなった間宮。
そのうち、電話かメールでも受信するかもしれないと、密かに期待をしてみる。
閑話休題。
その肉人形の中身に関しても、やはりこの地下室で分かった。
『輸血パックだな』
『(……こんなものを使っていたなんて、)』
確かに血液ではあるが、おそらく家畜か何かの輸血パックだろう。
『Horse』やら『Pig』やらと書かれた輸血用の空のパックが、部屋の隅に設置されていたゴミ箱に無造作に捨てられていたもの。
しかも、随分と時間が経過している人形が中にはあったが、持ち上げて振って見ると、やはり中でちゃぽちゃぽと波打っていたので、血液も現役である事が分かった。
昨夜のオレの予想通り、血液の凝固を阻止する薬品を混ぜてあるのだろう。
当たって欲しく無かった予想ではあったが、まさか血液が家畜用のとは思っても見なかったので、今更になって気持ちが悪い。
そして、最後にもう一つ、オレ達が考えもしていなかった事実。
『この肉人形の皮膚だが、本物では無いにしても、人工の培養皮膚を使っているみたいだな…』
オレの言葉通り、この不気味な人形の皮膚は、人間の皮膚を酷似し過ぎていた。
どうりで、乳首や臍、恥部と言ったものが全く無い、のっぺりとした印象の体をしている訳だ。
昨夜は暗くて見えなかっただけで、人形の体には縫い目があったし、五体の境い目には継ぎ目もあった。
つまり、作り方は人形と同じく、縫い合わせているという事だ。
それだけならば、まだ良かった。
しかし、
『(そのような技術が、何故こんな学校の地下で使われているのでしょう?)』
間宮の疑問の通り、何故こんな学校の地下で、そんなものが作られているのか。
問題はそこである。
ましてや、何故動物性由来とは言え、血液を詰め込む必要があったのか。
更には、それを覆うようにして使われた表皮が、培養の人工皮膚であるのか。
皮膚の培養について、どういう原理で行われているのかは、医師免許を持っていないオレにも間宮にも分からない。
しかし、原理は不明でも、隠された悪意は嫌が応でも感じ取れた。
肉人形は、姿形どころか主成分すらも人間を模している。
まるで人間を作ろうとしているように感じたオレの予感は、間違っていて欲しかったというのに的中していたようだ。
思った以上に厄介な問題が浮上して、頭がこんがらがってしまいそうになる。
気味が悪いどころの騒ぎでは無い。
背筋に怖気が走り、肌が総毛立つ。
胃がムカムカして、吐き気が込み上げてきた。
そもそも、この校舎は一体何の為に、設立されたのだろう。
オレも含めて、当り前ではあるが生徒達すらも表向きの理由だけを聞いているだけで、もっと深い裏の理由があると邪推してしまうのは、もう仕方ない事だ。
浮上していた謎を解こうと、余計に謎が深まってしまったばかりか、却って迷宮入りしてしまったようだ。
ああ、もう、頭が痛い。
『(銀次様、…顔色が優れませんが…)』
『あ、ああ。……さすがに、オレもちょっと気持ち悪い』
間宮に指摘された通り、全身からの血の気が引いているのは分かっている。
そろそろ、オレも限界だ。
そして、おそらくこめかみを頻繁に押さえていることから、間宮も限界が近いだろう。
今日は、これで取りやめとしよう。
これ以上ここにいても、何も調べられないだろうし、現状でこんがらがっている頭を整理するには、しばらく休憩を挟む必要がありそうだ。
『出るぞ、間宮』
『(はい)』
またしても、明らかにほっとした様子の間宮を見て苦笑を零しつつ、さぁ戻ろう。と踵を返した。
しかし、
『…ん?』
ふと、そこへ見つけてしまった。
それは、この部屋に入ってからずっとそうだった、壁一面の肉人形。
だが、その一部分だけが、まるで崩されたかのように雪崩を起こして、床に散らばっていた。
そして、その奥に見えた壁には、紙な何かが大量に貼られていた。
『なんだ?…まさか、日記でも書いてたとか…?』
興味を引かれてしまったものは仕方ない。
オレは、無防備にもその壁に向かって歩き出していた。
***
その壁に貼られている紙を、何故か見なければいけない気がしたのだ。
何故だかは、今でも分からない。
ただ、その時は、漠然とそう思い込んでしまっていた。
***
興味に惹かれるがままに、壁へと近づいて行く。
まさか、この肉人形との思い出写真でも撮って飾っている訳でも無いだろう。
研究記録だったりするのか、それとも赤裸々な日記でも見れるのか。
『…これ…なんだ?』
少々の期待と不安を胸に、照明を掲げ、
『…ひゅ…ッ…----ッ!!』
オレは、それを見てしまった。
無様に、止まった呼吸。
心臓まで、一瞬止まったような錯覚を覚えた。
手から、業務用の照明が滑り落ちた。
甲高い、耳障りな金属音が地下室に反響し響き渡る。
背後から何事かと慌てて間宮が駆け寄ってきたが、オレには応える余裕すら無かった。
止まった呼吸や、真っ白になった思考のせいで、膝から崩れ落ちる。
床に激突する前に、間宮がオレを支えたようだった。
子どもの癖に、自棄に力強い腕だと思ったが、それ以上は何も考える事も出来ないまま、そこで、オレは意識を失った。
**
壁一面に貼られていた、大量の紙。
それはまるで、人形に隠されるような形で存在し、その紙の正体はすべてが写真だった。
貼り出されていた写真。
その中に映っていたのは、5年前のオレだった。
服をはぎ取られ、血みどろのままの身体。
実験台に拘束具で縛りつけられ、体中に管を差し込まれた無様な姿。
かつての人間を捨てさせられた時のオレの写真だった。
なんで、こんなものがあるのか。
しかも、何故こんな学校の中に?
考えたくも無い。
オレは、ここにいた赤い眼の少女に、知らぬ間に過去の地獄を暴かれていたなんて。
消え行く意識の中で、眼があった。
5年前のオレの眼と。
中には、オレの目玉を引き抜いた写真まであった。
その目玉の色は、良く覚えている。
オレの、色素変異を起こす前の、元の眼の色だった。
***
異変を感じたのは、先生に頼まれていた専門書の中に、訳の分からない手記のようなものが出てきたからだった。
途中でまたしてもぎっくり腰を再発して、仕事にならなくなった浅沼の代わりに護衛に付いた騎士の人達に手伝ってもらいながら、専門書を布でくるんで運び出しをしている最中、
「何これ…」
日記にしては分厚過ぎるし、書籍にしては中に書かれている文字が粗すぎる。
そのほとんどが手書きで、中には挿絵を斬り抜いて貼り付けたようなものまであった。
その挿絵が、どういう訳か人体構造や、人間の細胞移植をメインとしているようだったので、専門書として分類しても良いのか、微妙に悩むところだったのだ。
「ちょっと、先生に指示を仰いで来るね」
「うん、いってらっしゃい」
「ぎ、ぎっくり腰がぁ~……」
『いってらっしゃいませ』
丁度、オレ達のところを見回りに来てくれていたオリビアが、オレの心の中を読んで翻訳なんて事までしてくれたので、騎士の人達にもスムーズに用件も伝える事が出来た。
おかげで、オレはすぐに階下に降りて、先生を探す事に専念出来たんだけど、
『ギンジ…ッ!?』
途中で耳に響いたゲイルさんの声。
1階の階段を降り切った時に聞こえてきたその声は、自棄に切羽詰まっていて、なおかつ先生の名前を呼んでいるのは英語が分からなくてもすぐに分かった。
『しっかりしろ、ギンジ…ッ!おい!!』
声の方向へと眼を向ければ、ゲイルさんが先生を抱えて必死で何かを呼び掛けている。
そんなゲイルさんの腕に抱えられた先生は、まるで死人のようにぐったりとしていた。
背筋が、凍り付いた。
「嘘でしょ、先生!!」
その様子に、ただならぬ気配を感じ、先生に向かって走り出す。
ゲイルさんもオレの声に気付いたようで、すぐさまこっちに先生を抱えて走ってきた。
その背後に、間宮がいて、床に蹲って何かをしているようだったのが、視界の端に見えた。
けど、それ以上を知る事は出来なかった。
それよりも、今は先生だ。
「…ど、どうしたの、ゲイルさん!…え、あ、えっと『何があったの?』」
『分からん。突然、ギンジが倒れたのだ…!』
「えっと…あー『倒れた』…っ!?」
稚拙な英語であっても、ゲイルさんの言っていることはなんとか分かった。
他に何を言っているのかは分からなかったけど、先生の名前とどうなったかだけは分かって、先ほど凍り付いた背筋が、更に震えた。
『おい、どうしたんだ!!』
「な、先生!?」
「おい、先生!どうしたんだよ、榊原!!」
そこへ、運び出しの係だった香神や、永曽根、徳川もやってきた。
彼らの声に振り返れば、その近くから扉を開けて出て来た河南や紀乃は、おそらく保健室の担当だった筈。
『こ、こっち…!』
『む?』
そうだ、保健室。
そこで、どうすれば良いのか思い浮かんだのは、何にせよ幸いだった。
「ちょっとどうしたの!?」
「徳川の声、上まで聞こえてたんだけど、」
続けて、ソフィアとエマが降りて来て、先生を保健室に運びこんだオレ達を見て小さな悲鳴を上げていた。
『何があったんだ!?』
『それが、分からんのだ。突然、倒れたということしか、』
『はぁっ!?おい、間宮、どういうこった!?』
『(ふるふるふるふる)』
香神が詳しくゲイルさんや間宮に事情を聞いても、分からないというだけ。
オレがベッドに誘導すれば、行動だけで理解してくれたゲイルさんが、抱え上げた先生をベッドの上に寝かせた。
そして、その時やっと、先生の顔色を見る事まで出来た。
さぁ、と血の気が引いて行くような気分だった。
真っ青どころの話じゃない。
先程思った死人のようだという感想は、遠からず当たっていた。
唇もほぼ紫色に見えたし、額やこめかみを滑り落ちた汗が、冷や汗なのか脂汗なのかも分からない。
更には、目尻からぼろぼろと零れている涙に、言い様の無い恐怖が脳裏を過る。
また、あの時と同じだ。
この異世界に来て、最初の時。
校舎で目覚めたオレ達が、一番最初に目にした先生の姿。
悪夢に魘されているのか、それとも何か体に変調を来しているのか。
俄かには判断が付かない程に、弱ってしまった先生の姿。
がくがくと足が震え、体に力が入らなくなる感覚を味わった。
ただ、ベッドに寝かせてから、間宮が脈を確認したり、呼吸を整える為に先生の首の後ろに枕を入れて気道を確保したり、丸めたシーツをクッション代わりに足を上げて血流を戻していたり、とコマネズミのように動き回っている姿を見て、段々と思考が落ち着いて行くのも分かった。
一番年下の間宮がここまで頑張ってるのに、オレ達がしっかりしなくてどうするのか。
オレ達も、間宮が先生の容体を確認している間に、とりあえず応急処置だけでも出来るように動き出した。
先生の体を冷やさないように、新しいシーツを引っ張り出して掛けたり、常備されていた飲料水などでタオルを濡らして、額に浮かんだ汗を拭う。
手が空いている奴等には、3階で作業している筈の伊野田と浅沼、オリビアを呼びに行って貰った。
こんな時じゃ、オレ達全員作業どころじゃないだろうし、教えなかったら教えなかったで彼女達も良い思いはしないだろう。
『……昨日の夜、何があったんだ?』
『…校舎の探索の際に、少々問題が発生してな』
『だから、その問題が何かって聞いてんだよ』
その間に、会話が可能となった香神がゲイルさんを問い質していた。
こんな状態になるなんて、余程の事があったに違いないとは思っていても、先生はオレ達には一切教えてくれなかったから。
そして、案の定、伊野田達が駆け付けた頃には、オレ達は昨夜先生の身に何が起こったのか、ほとんど把握していた。
「はぁ!?魔物どころじゃなくて、魔族がここにいたの!?」
「しかも、上位とか言う強い魔族の奴だったらしくて、その時に先生怪我してたんだって…」
「…なんで、言ってくれなかったのよ…っ」
「貧血を起こす程出血したって、それヤバいんじゃないの…っ!?」
「(ぱくぱくぱくぱく)」
『マミヤ様が、『貧血自体であれば問題はありませんが、問題はその後の休息が不十分だった事です』と言っておりますわ』
「…だとよ」
苦々しげな顔をしたゲイルさんと、おそらく知ってはいたのだろう間宮。
そんな間宮の言葉を、オリビアを通じて香神が通訳してくれて、オレ達は再度この状況に納得をせざるを得なかった。
ここ数日、先生は休みなんて取っていなかった。
オレ達の事を一番に考えていたこともあって、先生自体が休憩をしていたのを見たのは、数えるほどしか無かったから。
しかも、昨日の今日で、街からここまで長時間の移動をしたり、わざわざオレ達を見回ってくれたり、オレ達とは別に仕事をしていたり。
正直、ハードどころじゃないスケジュールだった。
「倒れる訳だよ…」
「無茶すんなよ、って言ったじゃんか!」
涙目になりつつあった杉坂姉妹に、既に泣きだそうとしているオリビアと伊野田。
オレはそんな2人の頭を撫でるしかなくて、ベッドの上に眠っている先生へと視線を向けつつも、溜め息を吐いた。
なんで、先生は、こんな無茶ばっかりするんだろう。
言い方は悪いだろうが、先生にとってオレ達は、お荷物以外の何者でも無いじゃん。
実際、オレが先生の立場に立ったとしたら、自分の命や体裁を守るので精いっぱいで、正直生徒達にこうして気を配れるとは到底思えなかった。
いくら、先生が元軍人だって言っても、少し自分を疎かにし過ぎているとしか思えない。
………いや、その元軍人って言う履歴も、もしかしたら違うのかもしれない。
ふと、眼を向けたのは間宮だった。
彼は先ほどから、甲斐甲斐しく先生の世話を焼いているが、果たして15歳の少年があれだけ冷静に動けるだろうか。
ここにいる生徒達にの大半が17歳以上だというのに、その中で冷静に対処が出来ているのは永曽根ぐらいだ。
その永曽根も、現在は20歳を過ぎているので、彼とは5歳以上も違う。
そして、そんな彼の動きだけでは無く、知識。
先ほど、彼は気道を確保する為に枕を首の下に引いた。
更に、血流を戻す為に足の下にクッションを引いたり、という作業はどこか手慣れていて、正直15歳の少年の知識では無い気がする。
オレ達も、定期的にやっていた避難訓練の時にそう言った応急処置の仕方は先生から教わったが、その中に貧血を起こした人間の処置の方法は無かった。
雑誌やTVで知っている知識だったとはいえ、咄嗟の判断でオレ達が出来るか?と聞かれれば、無理だと答えるしかない。
正直、先生と間宮は、普通の教師や生徒とはどこかが違う。
昨日、メイソンとか言う騎士が殴り込みに来た時だって、間宮が一番前に出ていたし、オレにとってはそれが何故か当り前のように思えてしまった。
そんな間宮の背中に、どこか先生と似たような雰囲気を感じ取った所為もある。
だからこそ、オレにとっては既に先生が元軍人という事実が、今では信用できない。
だったら、間宮は何なんだ。
軍人として採用がされるのは、18歳からだと聞いていた。
日本に限った話ではあるが、それでも紛争地帯で無い限り、他の国だって15歳以下の軍属の子どもなんていないと思う。
つまりは、間宮という存在が、先生の経歴を否定しているということ。
「ねぇ、間宮…」
「………。」
その答えが弾き出された瞬間、オレは思わず間宮へと問い質そうとしていた。
しかし、
「………なんでもない、」
「………。」
残念ながら、それ以上を言う勇気は無かった。
彼等の経歴を、この場で明かす事も出来なかっただろうし、まず間宮が言う筈も無いと分かっていた。
更に言えば、間宮の無言の中に含まれた、警戒。
その質疑をした後に、オレがどうなるのか、その警戒を感じ取った段階で分かったから。
彼等は、オレ達とは別の世界の人間なんだ、と思い知らされた。
きっと、彼等からしてみれば当たり前の事が、今回のようなことなのだろう。
そして、それがオレ達にとっては、いつか当たり前になる。
だからこそ、今は言うべきでは無い。
彼等に、無用な質疑を吹っ掛けて困らせるべきでは無い。
そう考えて、苦笑と共に思考を打ち切った。
いつか、話して貰えるかどうかは分からなくても、それを受け入れられる間宮のような器になる事が出来たなら、それも不可能では無いと考えられたから。
***
眼を覚ますと、見知らぬ天井が眼に入った。
真っ白で、少しだけ湿った痕が見て取れる天井に、いつぞやの紛争地帯で水害に見舞われて担ぎ込まれた病院を思い出した。
だが、それはもう8年も前の事だった筈だ。
今は、違う。
そう感じ取った途端、
「………っ…ひぃ…!!」
「ッ!?(びくぅっ)」
突然、天井以外に眼の前に飛び込んできた赤い髪。
思わず、驚いて飛びあがってしまい、更には情けない悲鳴まで漏れてしまった。
ああ、もうこんなに驚くなんて事、ここ数日で起き過ぎて、正直心臓がもたない。
……ん?
ここ数日って、オレは何をしていたんだっけか?
はた、と気付いた。
オレが今まで何をしていたのか。
そして、オレが今までどこにいたのか。
更には、
「おぐぅ…っ」
「うわっ、先生…!?」
現状を自覚したと同時に、胃が収縮。
酷い吐き気と、まるで眼の前がぐるぐると回っているような錯覚を覚え、咄嗟に口を押さえた。
そうでもしないと、なんとも言えない胃のムカムカを堪えられず、そのまま何も入っていない筈の胃の中身を吐き出してしまいそうだったからだ。
その最中に、聞こえてきた声に、再三の衝撃。
「ちょ…ッ、大丈夫!?」
「(吐くなら、こちらに…ッ)」
その声は、オレが受け持っている筈の生徒達の声だったから。
視界の端で動く赤茶けた髪と、それよりも更に真っ赤な髪。
そこまで見えて、やっとここがどこなのかを理解出来た。
そして、自分が今までどういった状況に置かれていたのかも。
だが、いかんせん、喉元まで競り上がってきた吐き気は堪え切れず、赤い髪の少年、間宮に促されるままに、眼の前に差し出された洗面器へと中身をぶちまけていた。
「ごほっ…うぐっ…え゛…っ!」
『(全部吐いちゃってください。その方が、楽になります)』
『『全部吐いてしまえば、楽になりますよ』とマミヤ様が、おっしゃっていますわ』
視界の端で彼の口元が動いていたが読み取れなかった。
しかし、オレのそんな内心を呼んだように、重ねて聞こえた少女の鈴のような声が代弁をしてくれたおかげで、オレはそのまま背中を擦られるままに吐いた。
「大丈夫、先生…?」
「アンタ、また無茶しやがって…!」
「今は、よしなよ、エマ!」
ただ、口々に放たれる声の数々と、周りを囲んだ見知った気配には、段々と気持ちが落ち着いて行くのが分かる。
一通り、洗面器へと吐き出せば、幾分ムカムカしていた腹もすっきりし、同じくして気分も大分すっきりとした。
『大丈夫ですか、ギンジ様。
突然、倒れられたので、皆さまも心配されておりますよ?』
『……ああ、ゴメン。…ありがとう、オリビア…』
彼女の気遣うような声と背中に感じる手の温もりに、ささくれ立っていた神経が眼に見えて収まって行く。
やっぱり、女神様の加護は絶大な効果だな、と他人ごとの様に思いながら、
「ほら、水。飲める?」
「……ああ、悪い」
目の前に差し出された飲料水のペットボトル。
それを若干震えた手で受け取って、口の中を濯ぎ、更に口を付けて喉の奥へと流し込む。
腹の奥に流れ込んできた、冷たい感覚が自棄に心地良いと感じた。
「目が覚めて良かった~…。一時は、どうしようかと、」
「そうだネ。…まだ、顔色悪いカラ、しばらくは安静だろうケド、」
続けて聞こえてきた常盤兄弟の声に、ペットボトルの口を放す。
気付けば、半分ほどもがぶ飲みしていたようだ。
続けて、差し出された濡れたタオルを受け取り、口元を拭う。
「悪いな、お前達…」
「良いって、良いって。…オレ達の事より、先生は自分の心配をしてよね」
タオル越しに見た赤茶けた髪の青年、榊原の声と言葉に、どことなく罰が悪くなってタオルに顔を埋めた。
どうやら、オレは生徒達に心配ばかりかけてしまっているようだ。
居た堪れなさと申し訳無さと、それでいて再三の失態を思い起こして、耳まで真っ赤に染まっているのが分かる。
しかも、今さっき吐いたけど、その洗面器を片付けてくれているのも生徒兼弟子の間宮だ。
うわぁ、ゴメンよ。
「(お気になさらず)」
おそらく目元まで真っ赤になっただろう事は自覚しながら、そんな間宮へと目線を向ければ、彼は苦笑とも付かない微笑みを浮かべていた。
その手には、既に洗面器の影も形も無かったが、いつの間に片付けたのだろうか。
いや、それはともかく。
これまでの状況や記憶を思い起こしてみて、途切れている部分を見つけて溜息を零し、タオルへと染み込ませた。
オレは、あの地下室の探索の最中、真に遺憾な事にショック症状か何かで気絶してしまったらしい。
そして、運び込まれたのが、現在横たわっているベッドのある保健室で、オレが倒れたことを生徒達が何かしら伝達して、全員がここに揃っていると。
正直、これまで心臓に悪いことが起こりっぱなしではあったが、今回ばかりはオレの自律神経が耐え兼ねて、強制的なシャットダウンを起こしてくれたようだ。
今回、明らかになった地下室の存在と、その中に並んでいた肉人形、そしてその肉人形に囲まれて生活していたであろう女と、更にはその女が壁に貼り出していた大量の写真。
ダブルコンボどころの話では無く、ディカプル(10の意味)ぐらいは決まったと思う。
壁に貼り出されていた大量の写真は、そのほとんどがオレだった。
隠し撮りなんかだったらまだマシだったし、それならばまだ気味の悪いストーカーだと鼻で笑えたというのに、それも違う。
その写真の中身は、オレの5年前の姿だったからだ。
実験台か手術台かも定かでは無い机の上に、まな板の上の魚よろしく切り刻まれた身体。
何度も打ち込まれた注射器の痛みと、身体に繋がった管やチューブが齎す異物感も然ることながら、事あるごとに体を這いまわっていた蛇の鱗の感触まで鮮明に思い起こされた。
そして、体の各所に残された傷跡が、まるで火傷のように疼く。
更に言えば、もう既に回復の見込みも無い左腕と、色素変異してしまった眼がその実、一番疼いていた。
痛みに耐え兼ねて、またタオルの中へと顔を埋める。
写真の中には、オレの眼を繰り抜き、取り出している写真もあったのだ。
オレの元の眼の色をしたそれは、一体どこにいったのだろう。
そして、今、こうしてオレの眼となっている、色素異常を起こした眼は本当に自分のものなのだろうか。
「…っ…おえ゛…ッ!」
「わっ、先生ってば、」
思い出して、また嘔吐いてしまった。
心配する生徒達の声が聞こえているが、タオルに埋めた顔を上げる事はまだ出来そうにない。
涙が、止まらなかった。
抑えようと思っても、後から後から零れ落ちてくる涙が、生理的に流れてくるものだけでは無いと分かっていたから、余計に。
こんな姿は、生徒達には見せられないし、見せたくなかった。
あんなものが、まさか学校の地下に隠されているなんて誰が思うものか。
おかげで、何の前準備も無かったオレの心が、見事に圧し折れてしまった。
「……ねぇ、先生?」
ふと、掛けられた声。
それは、先ほどからオレを、無言で見下していた生徒のものだった。
タオルで顔を覆い隠したままで、返事すら儘ならず、彼の言葉を待つしか出来ない。
情けない姿に、思わずタオルに埋めた顔を歪ませた。
気付けば、保健室全体が静まり返っていた。
「無理しちゃダメって、言ったじゃん。
ここにいる全員、先生が倒れたって聞いて、どんだけ驚いたか分かってる?」
榊原の口調は、咎めるようなものだった。
しかし、その声音には、どこか怒り以外の感情が、混ざっているのが分かる。
「なんで、隠してたの?昨日の夜に、怪我をした事もだけど。
それよりも、体調が悪くて休息が必要だって事ぐらい、先生だったら自分で分かったでしょ?」
どうやら、昨夜の一件は、生徒達にも既に伝わってしまったようだ。
おそらく、ゲイルがゲロったと思われるが、今はこのヤロウと憤慨するよりも、それを話さざるを得ない状況を作ってしまったことが、申し訳ない。
………と言うか、どこまで話したんだろう。
話した内容によっては、ゲイルも十分生徒達の警戒対象になってしまうのだが。
閑話休題。
彼のごもっともな言葉に、心がぐっさりと突き刺された。
なまじ図星で生論、ついでにオレ自身も自覚していた部分もあったので、異論すらも挟む余地は無い。
そして、更に、彼の言葉は続く。
「ねぇ、お願いだからそろそろ自覚してよ、先生。
先生がオレ達の事を気遣ったり、気を配ったりしてくれるのは嬉しいけど、当人である先生が元気じゃないと、こっちはおちおち安心も出来ないんだってば」
「そうだぞ、先公。アンタに何かあったら、それこそオレ達が路頭に迷う事になる」
更に被さった香神の言葉には、正直笑えない。
だが、そんな笑えない事実も、言っては難だが正論な訳で、
「見栄を張るなって、前にも言わなかったか!?」
「そうだよ。ウチ等を守る為とか言って、1人で頑張らないでよっ」
続いて会話に踏み込んできたエマとソフィアの言葉は、聞き覚えがあるなんてものじゃない。
「生き残る為に、皆の力が必要だって言ったの、先生じゃんか!!」
「正直、なんでその中に先生が入っていないのか、オレには不思議でならないが?」
「先生って格好付けている訳じゃないのに、変に抱え込んじゃうから、僕達が心配だよ」
徳川の怒声のような声と、静かな怒気を孕んだ永曽根の声、呆れたような浅沼の声も続く。
「僕達に、教えてくれる事、まだまだいっぱいあるんでしょ?」
「ソウソウ。僕達、まだ英語だっテ、習得して無いんだヨ?」
常盤兄弟の言葉だって、それこそこれからしていかなければいけない事を如実に表している。
「頑張り過ぎだよ、先生…ぐすっ。…ひっく、1人で頑張って無理しないで?」
そうして、とうとう泣きだした伊野田の言葉が、自棄に耳に痛い。
「皆、同じ気持ちなのに、今は先生だけがそっぽ向いてる。
…ここにいる全員が言ってること、何か間違ってる?」
「………。」
榊原の言葉には、もう反論すらも出来ない。
涙も引っ込んで、言葉を発する事も可能な状況であっても、オレは黙り込むしか無かった。
一体、オレは何をしているのだろうか。
今は、もうオレは暗殺者では無く、この特別クラス改め、異世界クラスの教師となり、一般的な立場とは圧倒的に違う環境下だとしても、守るべき生徒がいる。
そんなオレの仕事で、守るべきは生徒の命だ。
その中には、オレ自身の命を守らなければ、成し得ない事もある。
だというのに、オレがこうして自身の命や体調をないがしろにした事で、生徒達に心配を掛けさせてしまってどうするのか。
むしろ彼等は、自分達の心配で精一杯だろうに。
再三の居た堪れなさに、本気で自分は何をしているのだろうか、と溜息を零す。
「溜息を零したいのは、むしろこっち」
「………う」
榊原からの皮肉の言葉に、苦笑すらもこぼせなかった。
いつもは飄々としている筈の彼の声音が、今回ばかりは真剣過ぎて、逆にオレにとっては少し怖いと感じられたのもある。
タオルに埋めていた顔を、目元まで上げてちらりと榊原を見上げた。
そんなオレに見上げられた榊原の眼が、それと同時に微笑むようにして細められたのに、いかんせん気恥ずかしさが勝った。
「別に怒って無いよ。ただ、先生が変わらず、オレ達の先生でいてくれれば良いだけ。
今の先生、正直見てられないから、無理してオレ達の事気遣ったり、守ろうとしなくて良いよ、って言いたかっただけなんだ」
そう言って、榊原は何故かオレの頭を撫でた。
ああ、畜生、素直にこれは悔しいぞ。
まさか、こんな風に、生徒に慰められて頭を撫でられて、嬉しいと感じるなんて。
なまじ、
「…阿呆。お前等を守るのが、オレの仕事だ」
「なら、先生は元気でいて貰わないと、オレ達も素直に守られてなんかやらないから、」
こんなに、安心してしまうなんて。
ああ、もう本気でオレは何をやってるんだろう。
こんな情けない姿を見せた挙句、守るべき立場の生徒達に心配を掛けて、慰められて安心したなんて、これじゃどっちが餓鬼なのか分かりはしない。
目元まで覗かせていたタオルから顔を上げる。
真っ赤な眼をしているだろうが、この際はこれ以上見栄を張っても意味は無いだろう。
目の前には、オレを心配そうに見ていながらも、どこか安心した様子で口元をゆるめた生徒達の姿。
そんな彼等の姿を見ながら、
「ご心配をお掛けしました」
そう言って、オレは頭を下げる他無かった。
精神的な度量では、オレは彼等と同等かそれ以下だ。
悔しいとも思いつつ、またそれが少しだけ誇らしいと感じたのは、気のせいでは無かった筈。
またしても滲み出してしまった涙。
隠すようにしてもう一度タオルに顔を埋めた。
その視界の端で、
「(貴方がオレ達の先生であって良かったように、そんな貴方の生徒がオレ達で良かったでしょう?)」
間宮が、無表情を崩して、微笑みながらそんな事を言っていた。
それを見て、涙線が決壊してしまって、結局、オレはタオルに顔を埋めるしか出来なくなってしまった。
***
その後、今回の校舎探索で一番の重傷者となったオレの容体も安定したという事で、生徒達には中断させてしまった旧校舎の物品作業に戻って貰うことにした。
泣いていた伊野田やオリビア、途中から泣きだしてしまった浅沼や杉坂姉妹が落ち着くのに少し時間は掛かったものの、オレが保健室で安静にしておく、という確約の下、リーダーシップを発揮しつつあった香神や永曽根、榊原のおかげで順次作業に戻って行く。
正直、ぼろ泣きした挙句に引っ付いて離れたがらなかったオリビアが一番大変だったが、
『オレが動けない代わりに生徒達を見て回ってくれ』
と、お願いすれば、
『ぐすっ…、はいっ!ギンジ様の杞憂を晴らす為に、私が頑張りますの!』
彼女はそう言って、喜び勇んで生徒達の見回りに飛び出してくれた。
………弾丸のようだったとは、この際言うまい。
今現在、保健室に残されているのは、保健室の物品回収組の常盤兄弟と、間宮、ゲイルだけとなっていた。
「(正直、死相が浮いておりますので、このままお休みいただきたいのですが、)」
間宮に言われた言葉には、苦笑を零すしかない。
そんな酷い顔をしているとはいえ、このまま何もかも放棄して眠ってしまうのは、流石にこの校舎で発覚した謎を放置するようで嫌だった。
無理はしないと言った手前、ベッドで休んだままという現状は諦めるので、このまま精査に入ろうと思う。
英語で話せば、常盤兄弟に聞こえたとしても問題は無いだろうし。
『済まなかった、ギンジ。
オレが、逃げ出した所為で、こんな事に、』
『お前の所為じゃねぇさ』
先ほどまでは黙っていたゲイルだったが、保健室に常盤兄弟以外の生徒達がいなくなったと同時に、どこか気不味そうに謝罪を述べた。
だが、あの肉人形が壁一面を覆い隠した地下室の様相を見てしまった後で言えば、逃げ出してしまったとしても無理はない。
生徒達とはまた別の理由で心を痛めてしまったようだが、正直に言えば今回ばかりは、彼は関係無い為、謝罪はお門違いだ。
『……むしろ、逃げてくれて良かった。あんまり知られたくない事、だったし、』
『………。』
そう言って、全ては語ることは出来ないまでも、苦笑と共に俯いた。
正直、あんなものを見られたいとは思わない。
オレも、自分自身の事ではあるが、今後二度と見たくないと思っているから。
しかし、
『真に言い辛いのだが、お前を運び出したのはオレだ…』
『……ッ』
………そうだったのか、と返答の代わりに溜息。
秘密が守られていると思っていたのは、どうやら違ったようだ。
オレが意識を失う寸前に、最後に感じた自棄に力強いと思った腕は、間宮では無くゲイルのものだったらしい。
そりゃそうか。
間宮じゃ、オレを運び出すことなんて出来ないだろう。
つまりは、あの地下室に貼られていた写真も、彼には見られた可能性があるという事。
チラリ、と視線を流せば、彼はやはり罰が悪そうに目線を逸らした。
どうやら、オレの予想は当たりのようだ。
しかし、まぁ、オレの隠し事というか秘密は、立て続けに暴かれていくな。
不本意極まりなく悔しいが、仕方ない。
『じゃあ、悪いがお前も巻き込ませて貰うから、』
『…承知した』
『ここから先は、他言無用。それも、良いな?』
『誓って』
地下室の一件も含めて、彼には巻き込まれて貰うことにした。
目線で間宮を促して、開いたままだったベッドの上のカーテンを閉じさせる。
閉められていくカーテンの向こうで、河南と紀乃の心配そうな視線とかち合ったが、苦笑を零して気にするな、と手を振っておいた。
残された2人が首を傾げていたのは、残念ながらオレにはもう見えなくなっていた。
『さて、作戦会議だ』
そう言って、苦笑を解除。
そして、真面目な顔になったと同時に、間宮もゲイルも表情をより一層引き締めていた。
『議題は、あの地下室の中身と、その中に存在していた赤眼の少女の事だが、』
『(ぴるぴるぴるぴる)』
『思い出して震えんじゃねぇよ、お前は』
地下室の話を切り出した途端に、間宮が数時間ぶりのマナーモード。
だから、お前はそのうち、電話かメールでも受信するんじゃなかろうな?
『正直、オレも今でも鳥肌が止まらないのだが、』
『オレもだよ、畜生。全員揃ってマナーモードとか、最初から締まらねぇな』
どうやら、あの問題の地下室は、オレ達に相当なトラウマを植え付けてくれたようだ。
しかも、オレにとってのトラウマの元凶までが詰まっていたのだから、眼も当てられない。
話が逸れた。
『まず、あの地下室についてだが…』
まず、と前置きしたのには意味がある。
一つどころの話じゃない、問題や議題が発生しているからだ。
ちなみに、オレが目下気になっているのは、三つ。
先程の謎も三つだったが、今回の疑問も三つだ。
一つ目は、地下室の人形が何の為に増産されていたのか。
二つ目は、その地下室の人形と共に暮らしていただろう赤い眼の女。
三つ目は、その赤い眼の女がオレの事を一方的に知っている事。
『(あの部屋は、潰しておいた方がよろしいかと…)』
『それは、オレも同感』
間宮の意見は、地下室を潰す、もしくは可能な限りで閉鎖する事。
それにはオレも同感、と言いたいところだったのだが、
『だけど、気になるのは、あの人形の材料なんだよ』
『材料?』
『ああ。こっちの世界には、無いだろう技術が使われている』
オレの言葉に、ゲイルが眼を見開いた。
正直、オレ達も驚いたなんてものじゃないから、そんな彼の反応は至極当然だ。
あの地下室一杯に並んでいた肉人形の皮膚は、人間の皮膚と質感が勝るとも劣らない、人工の培養皮膚が使われていた。
オレだって馬鹿では無いのだ。
その技術が使われている事が、どういった意味を持っているのかは把握しているつもりだ。
そして、それを踏まえて浮上する問題は、
『いくら場所が地下室とはいえ、この学校の敷地内に隠されていた事。
それも、オレ達が勉学に励んでいた校舎の真下で行われていたなんて、悪夢以外の何物でもない』
存外、オレの嫌な予感というのは、外れてくれなかった。
『使われなくなった廃校を買い取って改築し、この校舎を設立したのは、オレ達の施設の関係者だ。
この意味が分かるな、間宮?』
『(組織ぐるみ、もしくは国家機密に相当するかと、)』
『………どういう意味だ?』
少し分かっていないらしいゲイルの為に、少しだけオレ達の経歴を搔い摘んで説明する。
いくら軍属だと話した過去があるとはいえ、オレのあの写真を見た後だと、それだけでは納得できないだろうからな。
ただし、
『言っておくが、』
『分かっている。他言はしない』
念押しは忘れずに、だ。
それに対して、ゲイルが厳かに頷いているのを見て、少しばかりからかってやりたくなった。
『寝首を掻かなくて済みそうだ』
『……怖いことを言ってくれるな』
そう言って、苦い顔をしながら首を摩ったゲイル。
おそらく、オレの声音に滲んだ本気を察知してしまったのだろうが、言質は取ったからな。
オレも、この世界で初めて出来た友人の寝首を掻くような事態にならない事を祈る。
閑話休題。
『組織が何をしようとしていたのかは、まだ分からない。
だが、断片的に見るとしたら、この校舎は何らかの監獄、もしくは研究施設としての機能も持っていた可能性が高い』
確実に言える事は、ここのオレ達を集めた組織の人間や、出資しているだろう関係者が、何らかの意図を持って、この地下室を配置していたということだ。
オレ達は、文字通り『籠の鳥』で、もしかしたらこうした生活環境すらも研究の一環だったのかもしれない。
背筋に怖気が走るのは、もはやどうしようもない。
さて、少し話が脱線したが、そこで出てくるのがあの肉人形と、その肉人形に使われていた最先端の医療技術だ。
何故、あのような肉人形程度に、人工の培養皮膚が使われていたのか。
また、何故、あのような肉人形程度に、血液を詰め込む必要があったのか。
『骨格から言えば、人間そのものと考えられる。
暗がりで見た時には亡霊としか見えなかったとしても、オレ達もまんまと騙されたからな』
『ああ。……だが、それだと、人間を作ろうとしたとも考えられるのだが、そんな事が可能なのか?』
『……考えたくはないが、何でも作ろうとするのが人間だからな。
今回は自棄に突飛な内容にぶっ飛んではいるが、可能性としては考えられる』
突飛な内容と言ったのは、揶揄でも何でも無い。
中身である血液や、クレヨンで描かれた毒々しい顔と言う見てくれはともかく、姿かたちとしての出来映えとしてならば人間に限りなく近い。
実際に動いている姿を見た側としても、ゲイルならばまだしもオレだって騙された。
たとえ、魔物であるダークヘイズに取り憑かれた状態だったとしてもだ。
あの肉人形に足りないのは、骨格や筋肉。
そして、脳や心臓と言った、主要となる臓器類。
その臓器類をどのように補充するのか、と言うのは正直考えたくも無いが、明らかに意図的に、人間によく似せた人形を作った事は事実だ。
結論としてはぞっとしないが、気味の悪さを引っこ抜いて客観的に見ると、この研究は非常に画期的なものだ。
『人間の皮膚を、ほぼ変わらない弾力で再現できる。
それを医療技術として応用出来れば、医療の概念は覆される』
それは、この世界だけでは無い。
現代の世界でも同様だ。
骨格さえなんとかしてしまえば、人間の四肢ですら作り上げる事が可能になるだろう。
そうなれば、従来のように機械やシリコンで補っていた不自由な関節や筋肉が自由に動かせる義手や義足だって作成は可能だ。
そうなれば、もしかすると、オレの左腕の麻痺や紀乃の下半身不随にも応用が出来るかもしれない。
試してみる価値はあるだろう。
『…だから、オレはあの地下室を潰すのに反対だ。
………自分本位で申し訳ないとは思うが、勿体無いと思っている』
『(………。)』
『………。』
沈黙が落ちる。
紆余曲折はあったものの、オレとしてはあの技術をここで失うのは惜しい。
しかも、研究に関しては、今後医療方面で頼もうと思っていた紀乃に一任しようという算段も付けている。
彼は、先ほども言った通り下半身不随で、オレ達のように動き回るには制限が掛かる。
もしこの異世界の代名詞、『魔法』が使えたとしても、今後、生徒達に施していく戦闘員教育は、どうあっても施せないだろう。
ならば、強化訓練の時間を彼には、こういった医療関係などの別の知識と経験を授業の一環としてさせてやろうと思っていた。
アイツも、地味に理化学や保健の授業が大好きだし、挙句の果てには人体模型が前から欲しかった、だ。
うってつけかもしれない。
それに、もし研究が完成したとすれば、彼だって自由に動きまわれるかもしれないし、オレの腕だって役立たずを返上できる。
そうなれば、一石二鳥だ。
『(銀次様の腕が治るかもしれないというなら、僕も手伝います)』
『いや、お前は修行に専念してくれ。
正直、生徒の中でオレの次に頼りになるのはお前だ』
『(………心得ました)』
オレの腕が治るかもしれないという事を聞いて、間宮も賛同をしてくれたが、その前にお前は、しばらくは自分の事を考えて行動してくれ。
コイツも生徒であるという時点で矛盾はあるが、師匠にもしもがあった場合、生徒を守るのも弟子の役目だ。
そう言えば、彼は渋々ながらも頷いた。
先程までは、研究の内容まで怖がっていたというのに、間宮も以外と肝が据わっているかもしれない。
さて、この話は一旦置いておいて、時間も押しているし次に進もう。
『次に、赤い眼の少女に関してだが…』
次に進めた議題は、散々表題に上がっていた地下室から這い出して来た女に関してだ。
これには、流石のゲイルですらも、体を強張らせていた。
オレも同じ気持ちだから、笑う事は出来ない。
女生徒の幽霊然りとした姿と、あの特筆すべき赤い眼は、今も網膜の奥に鮮明に焼き付いている。
ちなみに、この赤い眼の女を少女と仮定したのは、取っ手や階段、手斧に残されていた手形が、異様に小さかったからだ。
比べてみれば、15歳の間宮よりも小さかった。
更に言えば、騎士団で唯一赤眼の女を目撃しているマシューの話では、生徒達と同じ制服を着ていたらしい事も判明しているから。
つまりは、この旧校舎には、生徒達の他にもう一人の生徒がいた、と言うこと。
いつの間にか授業に参加していたという話が有り得ない訳では無いのだ。
『(がくがくぶるぶる)』
おかげで間宮がマナーモードを再発したが、
『問題は、何故その少女が、地下室に隠されるように存在していたか』
『ぞっとしないな。…あの地下室の人形に囲まれて生活するなど、』
『その通り。正気の沙汰とは思えない』
地下室も然ることながら、オレはその少女の存在自体を知らなかった。
オレが常駐していた職員室は2階にあるので、1階の使用頻度はせいぜいこの保健室程度で、そもそも校長がいないから地下室が存在していた校長室自体近付く事も無かったから、気付きようも無い。
『仮説としては、2つだな。
あの赤い眼の少女は、地下室に監禁されていた。
そして、秘密裏にあの肉人形の制作を強要されていた』
『もう一つは、あの少女が自ら、あの地下室に閉じ籠もっていた事だろうか?』
『正解。お前も意外と、頭が回るんだな』
『…意外は余計だ』
そりゃ、すまんかった。
ともあれ、考えられるのは、オレの仮設とゲイルの仮設のこの2つ。
まずは、オレの仮設を検証して行く。
『もしオレの仮説が正しければ、これは国家機密に相当する。
S級かそれ以上の機密に該当し、またそれが人間を作成するという研究の名の下であれば、関わってくる機関や組織も色々と察しは付く』
だって、学校の地下にそんな研究機関を作っちゃうぐらいだもの。
『(会長が、医者ですものね)』
『確実に出資はしているだろうな』
間宮の言葉通り、オレ達の育った施設や所属していた組織の元締めである会長。
そんな彼は、製薬会社の理事の傍ら、現役の医者でもある。
そして、今回の表題と上がっている少女が使っていたのもまた、最先端の医療技術。
どう考えても、偶然にしては出来過ぎている。
ついでに考えてみると、この突発的にオレに斡旋された教師の仕事も、今回の地下室の研究や赤い眼の少女を、何らかの形で隠したいが為にでっち上げられた茶番である可能性が高い。
元々、オレは用済みで使い物にもならなかったから、もしかしたらそれを踏まえての抜擢だったのかもしれない。
………あれ?だとすると、可笑しいな。
この話は、元はと言えば、『ルリ』が蹴ってオレに回した事案だった筈だ。
そうなると、現在の組織の状況を考えると『ルリ』が用済みになる事は有り得ないだろうから、辻褄が合わなくなるんだが……。
………駄目だ、頭がこんがらがってきた。
これについては、後でゆっくりと改めて間宮と検討するとしよう。
『次に、もしゲイルの仮説が正しいとしたら、だが』
『………その場合は、ただの狂人の完成だと思うが、』
『ピンポーン!その通り』
わざとらしく、声のトーンを上げてみたが、流石にテンションを上げる事は出来なかったようだ。
ゲイルも間宮も、勿論オレも苦い顔で黙り込むしかない。
ゲイルの仮説通りであれば、完全なるサイコの完成だ。
あの赤眼の少女は、自らあのような地下室の研究施設に閉じ籠もり、秘密裏とはいえ嬉し楽しく研究に没頭していた事となってしまう。
更に言えば、もし出入りも自由だったとすれば、偶然にもオレ達とばったり出くわしたなんて事もあったかもしれない。
オレ達が今まで、どれだけの命の危機に曝されていたのか、想像も付かない。
しかし、
『(それは、有り得ないでしょう。
地下室にあった動物用の輸血パックなどは特許が必要で、医療機関でしか取り扱いは出来ません)』
間宮の言葉に、オレもやっと矛盾に気付いた。
『……そういや、そうだな。一個人で手に入れられるものじゃない』
裏社会に従事しているオレ達だからこそ、気付ける矛盾だ。
本来、動物用の輸血パックなどは、市場では出回っておらず、取り扱うにしても販売するにしても、特許が必要な筈だ。
しかも、その血液に混ぜられていた血液融解剤についても、同様だ。
種類は分からないし、蝙蝠の唾液とやらならまた別かもしれないが、どちらにせよ一般人に手に入れられるものでは無い。
まぁ、これまた裏社会人として従事しているオレ達は、そう言ったものが裏のマーケットで取り引きされている事があると分かっている。
彼女が一般人では無く裏社会の人間だとすれば、手に入れる事は可能だと思われるが、
『もし、一般人で無いとしても、どちらにしろ金が入用になるだろうな』
『(莫大な資産が無ければ、売買は儘ならないでしょうね)』
『あんな地下室で生活していたような少女に、そう言った人脈や伝も、それこそ莫大資産があるとは、ちょっと考え辛いな』
そもそも、どうやって管理しているのか、不明である。
人脈や伝を使うには、繋ぎが必要になるだろうし、もしそう言った繋ぎがあったとすれば、校舎にいなくとも寮生活であるオレ達が気付かないとも限らない。
そんな危険な橋を渡るぐらいなら、もっと別の場所に研究施設を設けると思うしな。
『………つまりは、どの道、何らかの機関が関わっているという事になるな』
『一番に落ち着くのは、やはり『飼われていた』という仮説だな』
よって、この仮説はおそらく却下だろう。
ああ、良かったあの少女が、サイコでは無くて。
同じ気持ちだったのか、間宮やゲイルまでも、あからさまにホッとしていた。
しかし、
『きゃあああああああああああっ!!』
見事なユニゾンで響き渡ったのは、御存じ双子の杉坂姉妹の悲鳴だった。
途端に、びくりと肩を跳ね上げた間宮とゲイル。
勿論、オレも吃驚した。
「いやぁああああああ!なんで、骨格標本が戻ってきてんのーーーー!!!」
「嘘だろ、おい!!ギンジぃいいいい!!」
「………あちゃー…」
どうやら、こちらも別の意味で問題が発生したようだ。
思い頭を抱えながら苦笑を零しつつ、ベッドから降りて彼女達の元へと歩き出す。
どうやら、重苦しい話は、ここで一旦ブレイクタイムとなるようだ。
***
さて、何故か戻ってきていたという骨格標本の件も片付け、その後も度々やってくる生徒達の質問を受け流しつつ、シリアス一直線だった重苦しい話を一旦区切り、ついでに煙草休憩(生徒に見つかってエラい怒られたけど…)もしてから、最後の議題へと進む。
『間宮も、ゲイルも、あの写真は見たな?』
『(申し訳ありません)』
『………すまん』
そう言って、今まで避けていたあの写真に触れれば、各々の反応を見せる2人。
間宮は唇を噛み締めて、手が震える程に握り締められていた。
ゲイルも似たようなものだったが、その眼には憔悴すらも浮かんでいる。
ふと、嘆息。
彼等が見せている反応は、まず何よりもおそらく怒りだろう。
そんな怒りを感じてくれる事に、悔しくも嬉しいと感じるオレは、最近少しばかり感情が大きく露出し始めているようだ。
『正直、詳しい事は話したくないし、おそらく話せない』
『(こくり)』
『………分かっている』
………今の間は、何だったのかな、ゲイルさんよ。
もしかして、聞こうと思ってたとか?
それは出来れば、オレが正気のままで話せるとは思って無いから、やめて欲しいんだが。
……いや、まぁ、それは良い。
話が逸れたが、別に謝って欲しい訳でも無いし、そもそもあんなところにあるとは思ってもみなかったから、それについては逆の見苦しいものを見せてゴメンとしか思えない。
それに、今回の議題は、そっちでは無いからな。
『あの写真があったという事は、あの赤い眼の少女は、少なからずオレを知っている可能性が高い。
それは、オレが感知していないところであり、一方的なものだとも言える』
今まで話して来た議題の中で、オレとしては一番ぞっとしない話。
あの赤い眼の少女は、オレの過去すらも交えて、オレを知っているということ。
しかも、オレが受けた生体実験の写真を貼り出していた事から、おそらくあの黒人の科学者どもと知り合いの可能性もある。
もしくは、立ち合っていたか何かだろうが、そうなると年齢的に可笑しいことになるし、そもそもオレの意識があった時には、あのような少女の姿は見た事が無い。
まぁ、オレもあの時期に関しては、記憶があやふやだから何とも言えないまでも。
『お前の知り合いでは無いのだな?』
『ああ、知らない』
もしかしたら、知り合いのなのかもしれないが、分からないとしか言えない。
『一方的に顔を知られている状況だ。
最悪の場合は、あっちは既にオレ達の居場所や住居を調べている可能性もある』
『(……たった一日でですか?)』
間宮の言い分はもっともだが、有り得ると考えて行動した方がいい。
彼女は、オレ達がこの旧校舎へと踏み込んだ時点で、地下室から這い出して来ていたが、その間この旧校舎は騎士達に包囲されていた。
しかし、オレ達に不審人物の情報は上がっていない。
つまり、騎士達にも見付けられない隠密行動が出来たということで、行動能力だけを言えば、並以上はあると推測される。
しかも、仮にもイカレた研究をしていたサイコ女。
用心するに越した事は無いだろう。
『しかし、仮にもし、お前達の住居を探り当てたとしても、あのような格好でうろつけば人目に付くだろう。
おいそれと、見動きは取れないと思うのだが、』
『あんな肉人形を作れる女が、人目を憚ると思うか?』
そもそも、あんな研究をしていた事と、現状で行方不明となっている時点で、十分脅威だ。
オレ達の命の危険は、大して変わらない。
更に言うなら、
『オレを知っている理由が、怨恨とも限らないからな…』
結局、裏社会の人間であるオレ達はそういう倫理の中に捕らわれ、絶対に逃れる事は出来ない。
誰かが殺され、殺した奴が殺され、更に殺した奴が抹消された。
そんな血を血で洗う抗争は、常日頃から起きている、云わば日常茶飯事だ。
怨恨も視野に入れて、今後の対策を取る他無いだろう。
『浮上した問題は、二つ。赤い眼の少女が、今現在自由の身である事だ。
不本意ではあるが、オレ達がその蓋を開けちまった可能性は拭い切れない…』
彼女が地下室から這い出して来たのは、オレ達が突入してからのほんのわずかな時間だった。
そして、オレ達は、一度彼女と遭遇しているのだ。
逃げ込んだロッカー室で、彼女はオレ達と遭遇し、何らかの方法でゲイルを気絶させ、オレに対しては『見つけた』と言っていた。
その意味は、そのままの通り、オレを見つけたという事で間違い無いだろう。
あの写真を壁に貼り出していたぐらいだから、流石に髪色を変えた程度では誤魔化せなかったようだ。
そう思うと、何故オレ達が無事だったのかが不思議でならないものの、彼女を校舎の外に逃がしてしまい取り逃がしてしまったのも事実。、
そして、その後彼女は現在を持って行方不明だ。
『正直、何をするかも分からない。
逃げ出してから、まだ一日とはいえ、されど一日だ。
どこまで行ったのか定かでは無いが、最悪の場合、既に街に潜伏している可能性も高い』
全面的に有り得る最悪の事態に備えて、警戒は怠らないようにしなければ。
それは、オレも勿論のこと、生徒達も同様だ。
『(了承ししました)』
厳かに頷いた間宮。
『念の為、街の巡回部隊にも通達しておこう』
『ああ、頼む』
こちらも、頷いたゲイル。
こういう時には、彼の騎士団長の肩書きが役に立つな。
おかげで、騎士団全体にも注意喚起が出来る。
さて、赤い眼の少女への対策はまとまったということで、
『次の問題なんだが、あの研究をどうやって秘匿するか、だな』
続いての問題は、あの地下室や研究成果に関してだ。
中身が不気味な地下室もそうだが、この研究はおそらく、この異世界の中では十分鬼門となるだろう。
なにせ、『魔法』なんてふざけたスパーナチュラル的な力が、其処ら中に転がっている世界なのだから。
肉人形を悪用されるのも怖いし、ダークヘイズのように操られるとは考えたくも無い。
だが、中身を移動するとなれば、結局人目に付いてしまうし、かと言って潰してしまうのは惜しい、と先程オレが結論付けた通り。
そうなると、結局は、
『………しばらくは、封鎖しておくしかないのでは無いか?』
『………その通りだな』
『(………それしか方法もありませんよね)』
そうだよね。
と言う訳で、満場一致でKEEP OUTって事で落ち着いた。
これには、ゲイルの馬鹿力に役立って貰い、破壊工作を行い、瓦礫を用いて床板どころか校長室前をすべて封鎖する。
おかげで、オレ達ですらこの瓦礫を撤去しなければ、地下室に入る事は出来なくなった。
一安心とは、まだほど遠いものの、これでようやっと落ち着けると考えると、重苦しい溜息が洩れた。
昨夜から引き続き、ハードな一日に疲れるものだ。
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誤字脱字乱文等失礼致します。




