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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、新学期編
152/179

144時間目 「特別科目~忍とジュリエット~」

2017年3月12日初投稿。


続編を投稿させていただきます。


144話目です。

***



『お願いします…!

 わ、私を、こちらのクラスに居させてください!

 もう、あんな人達と一緒にいるのは、嫌なんです…!』


 声を震わせながらも必死な懇願。


 『聖王教会』からの帰路。

 予期せず、オレ達は足止めを食っていた。


『…気持ちは分かるけど…』

『(それは、オレも同感です)』


 どうやら、離脱希望だった様だ。


 誰がって、この子。


 偽物一行と一緒にいた、黒髪の小柄な少女である。


 身長は、おそらく伊野田か徳川辺りとミート。

 小柄過ぎて、中学生どころか小学生にも見えてしまう程の体形だ。

 顔立ちは、まぁまぁ整っている。

 それでも、ウチの生徒達のレベルには遠く及ばないけども。

 それこそ、間宮の理想の女性(シャル)とは月とスッポンレベル。

 ………あんまり言うと失礼か。


 閑話休題。


 彼女の言葉を鵜呑みにして、要約する。

 要するに、今のあの連中との行動も、あの連中どもの環境も嫌だから、こちらに乗り換えたいと言う事だ。


 その返答に対しては、オレ達の言葉に集約されている。

 気持ちは分からんでも無い。


 だが、はいそうですか、と簡単に引き受ける事は出来ない。


 これで、向こう側に誘拐だのなんだのと騒がれても困るからだ。

 騒ぎそうなのが、数名いる事だしね。


『名前は?』

『小堺 唯花です』


 黒髪の少女、もとい小堺は涙ながらにオレ達を見上げている。

 どちらかと言えば、間宮だろうが。


 そこで、表題になっている間宮へと視線を向ける。

 彼もオレを見上げて、首を振っただけである。

 やはり、記憶には無い、という事か。


『許可は取って来た?』

『………は、はい…ッ』


 はい、嘘。

 また目線が泳いでるし。

 ってか、逃げ出したって聞いているんだから、許可だって取って来てないのは分かってんの。


『許可が無ければ、駄目。

 一度は向こうに戻って、泉谷先生から直接頼みに来て貰ってよ』

『そ、そんなっ、嫌です!

 絶対に、許してくれる訳ないですもんッ!』


 ………信用無いでやんの。

 誰がって、泉谷の事であるが。


 それも分からんでも無いので、オレ的には頷かざるを得ないけどね。


 意地悪をしたい訳じゃないので、次に行こう。

 質問、である。


『ウチのクラスに来るって事は、必然的に戦闘訓練も必要って事になるけど、そこら辺は分かってる?』

『…えっ…!?』


 はい、分かっていないね。

 驚いた様子の小堺に、若干の呆れ。


 オレ、基本的には佐藤以外の全員に訓練義務付けしてるからね?

 例外は、無い。


『ウチの生徒、全員訓練受けてるんだよ。

 赤ちゃん抱えている子達は違うにしても、その子以外全員訓練受けてるよ?』


 勿論、佐藤と藤本の事である。


『……そ、そんな…ッ、嫌です…!

 わ、わたし、戦いたくない…ッ!』


 ………戦いたくない、と来たか。

 驚きの一言に、この場にいる全員が絶句してしまっていた。


 腹立つ。

 ごほん。

 ………いや、ちょっと良い過ぎか。

 まぁ、率直に言うと、腹立たしいのは間違いないけども。


 なんというか、遣る瀬無い。


 そんなので、良くここまで生き残って来れたものである。

 後ろに隠れて守って貰っていただけなんて、余程の御姫様待遇だった事だろう。


 仕方ない。

 今回は、例外として割り切ろう。

 大前提として、許可が必要になるが、もし許可が下りたなら受け入れる方針でも良いのかもしれない。


『なら、雑用って事で良い?

 訓練を受けられないなら、必然的に…』

『ど、どうしてッ!?

 ただ、いさせて貰う事も出来ないんですか…!?』


 ………。


 …………。


 しん、と静寂が訪れた。

 オレ以外の誰もが、言葉を失って黙り込んでしまっている。


 ………ちょっと、待って。

 何それ?


 オレが感じたのは、その一言だけである。

 怒りすらも浮かばず、いっそ呆れる事しか出来なかった。


『………君、何か勘違いして無い?』

『な、何がですか…?』

『この世界、現代とは違うんだけど?』


 そう言った途端、彼女は視線を逸らした。

 唇がへの字にひん曲げられたのが見えたので、十中八九分かっているけど聞きたくないと考えているのだろう。


『普通の学校なんて、無いよ。

 この世界では、どの学校であっても、魔法を学ぶし戦闘訓練も受ける。

 じゃないと、生き残れないからだ』

『生き残れないなんて…そんな、大袈裟な…ッ』

『大袈裟じゃないよ、事実だよ?

 この世界には、UNSC(※国際連合安全保障理事会)も無いし安保条約だって無いけど?』


 つまり、いつだって戦争を起こそうと思えば、起きるって事。

 この世界は、そう言った法案どころか、法律だって世界基準では発布されていないから。


 だから、学校では騎士達や魔術師の育成がされている。

 国防への事業の一環だからこそ。

 養成学校は王国が率先して事業展開している訳。


『戦争が起きたら、どうするつもり?

 そんな時まで、守って貰うの?

 守って貰う人間がいなくなったら、それからはどうするの?』

『…そ、そんなの、…今考えなくたって…ッ』

『今、考えなきゃ、死ぬよ。

 いつか必ず、その時は来る』


 戦争が起こらない保証は無い。

 今でこそ、『白竜国』も『赤竜国』も仮想敵国から外れているからと言って、『竜王諸国ドラゴニス』が攻めて来ない訳では無い。

 それ以外にも、政略戦争が起きる可能性は高い。

 西方の国々も、既に国ぐるみで貧困に喘いでいる現状だからだ。


 実際、オレ達はダドルアード王国だから、まだ良いだけ。

 他の東方、北方の国々は、そろそろ戦火の秒読み段階に入るだろう。

 既に、その一報もオレ達は入手している。

 彼等の本拠地である新生ダーク・ウォール王国が矛先に成らない保証も無い。


 しかも、だ。


『今まで、旅をして来たのに、そんなことも分かって無かったの?』


 普通、これで分かるよ。

 今までの旅がなんだったのか、って事になっちゃうだろうが。


 しかも、話に聞くと護衛にもこの生徒達の一部にも被害が出たとかなんとか。

 クラスメートが死んだのを見ているなら、すぐにこの世界の現実は分かるだろうものだったけど?


『あ、あたしがしたくてしていた訳じゃありません!』


 しかし、彼女の答えはこうだ。

 フラストレーションが、更に上昇。


 オレ以外の生徒達からも、ムッとした空気が垂れ流れて来る。


『なら、何で王国に残らなかったの?

 残れば良かったじゃん、そんな状態なら…』

『そ、それは、………言葉が分からないし』


 あら、そう?

 それなら、納得………なんて、すると思ったか。


『なら、何で勉強しなかったの?』

『そんな片手間で覚えられるものじゃありませんよ、英語なんて!』

『えっ、君戦闘訓練受けた事無いんでしょ?

 なら、片手間じゃなくて、勉強する時間いくらでもあったんじゃないの?』

『………ッ!』


 言い包められて、黙った。

 ほら、何もやって無かったんじゃない。


 英語の勉強もしないし、訓練も受けない。

 だから、いざ旅に出るとなる段階で、言葉が分からなくて同行をしなくちゃいけないなんて、ただのお荷物である。


 オレ達まとめてのフラストレーションゲージが、更に上昇した。

 こんな甘えた奴まで、あのクラスにいたとはね。


『藤本、お前ならどうする?』


 引き合いに出して悪いが、藤本に聞いてみる。

 彼女も日本人であるし、最近『異世界クラス』に来たばかりと言う事もあって小堺からの共感も得やすかろう。

 勿論、佐藤にも聞くつもり。


『…あ、あたし…ですか?

 ……んと、戦う為に、努力します』

『では、佐藤はどうする?』

『あたしも、この子達がいるので、戦う為の努力をします』


 そう言って、2人は揃って赤ん坊を見た。

 今では佐藤だけでは無く、藤本まで子煩悩な姿を見せて赤ん坊をあやしている。


 いつ泣き出すか、冷や冷やとしているのはオレだ。

 それはさておき。


 それでも、彼女達は、戦う意思を示している。

 そうしないと、この世界では自分の身を守る事が出来ないと、身を持って知っているからだ。


 そんな彼女達の様子を見て、小堺は眼を丸めていた。


『じゃあ、その戦いすらも出来ない現状、お前達は何をするべきだと思っている?』

『出来る限り、勉強したり…雑用でも手伝わせて貰ってます』

『あたしも、同じです。

 言葉を教えて貰うのは当然ですし、その代わりに出来る事は手伝います』


 はっきりと、2人は答えた。

 何もしていない訳では無い、と言う事。


 実際、佐藤は赤ん坊の面倒を見る傍らに、今後は清掃やメンテナンスを頼む事にしている。

 ヘンデルを護衛兼ハウスキーパーとして雇っているのもその所為。

 (※その分、給与も高くしてあるんだよ?)

 藤本だって、既に勉強の傍らにオレ達のルーチンに参加しているしね。


 と言う訳で、ただ居させて貰うなんて虫の良い話は存在しない。

 そんなことになったら、生徒達の中でも軋轢が出ちゃうと思うから、オレも絶対にしないしね。


『戦闘訓練が出来ないなら、雑用ぐらいはやって貰わないと』

『………で、でも、だって…あ、あたし、今まで何も…ッ』

『そっちでは何も言われなかったとしても、こっちでは違うよ』

『な、なんで意地悪ばかり言うんですか?

 あ、あたしは、一緒に居させて貰うだけで良いと思ってるのに…ッ』

『掃除洗濯、家事全般、生活するには当たり前でしょ?

 働かざる者食うべからずとも言うし』


 意地悪でも何でも無い。

 これは、言っておくが当たり前の事だ。

 それもしなくて良いなんて、そんな生活を生徒達に許すつもりは無い。


 それは、生徒とは言わない。

 ただのニート。

 ウチの校舎で、自宅警備員なんぞ許さん。


『必要な事は、自分達でする。

 それがオレ達の校舎のルールで、基本の話。

 守れないなら、どのみち受け入れられないよ』


 きっぱりと言い切った。

 泣きそうな表情をしている彼女には悪いが、


『世の中、そんなに甘くねぇんだから』


 はっきりと言葉を重ねて、突っぱねた。


 理解して欲しい。


 彼女は、例え環境が悪くても、何もしないでも生きて来る事が出来た。

 何もしないで、と言う前提がある。

 そんなの環境が悪いとは、言えない。

 むしろ、恵まれていると思って良い。


 世の中、もっと悲惨な環境で生きている人達もいる。

 今日、オレ達が受けた患者達が、言い方は悪いとしてもその良い証拠。


 食事に困る事も無い。

 彼女達は、黙っていても庇護下にあるから、暖かく栄養満点の食事を取れる。

 病気に怯える事も無い。

 これまた黙っていても、受け入れを表明した王国や庇護をしている面々から最高の治療を受けられる。


 甘受して置いて、いざ嫌になったらその環境を捨てる。

 そう簡単に、ホイホイと受け入れ先を変えられると思って貰っても困るしな。


 前にもゲイルに言った事。

 一度そう言う事をした人間は、同じことを繰り返す。

 オレ達がいざ窮地に立たされても、彼女は救援はおろか呆気なく切り捨てるかもしれない。

 平気な顔で、鞍替えをするかもしれない。

 そんな奴、信用ならない。


 オレの言葉には、生徒達も賛同していた。

 ましてや、ゲイルも同じ気持ちのようだ。

 虫が良すぎる、と。


 意地悪ではない。

 信用が出来ないのだ。


 だが、気に食わないのは、事実。

 環境は自分で変えるもの。

 その環境を作り出したのは、自分達だと自覚するべきだ。


 それを、彼女はまるで、他人の所為にしている。


 何もしなかったから。

 その何もしなかった事が、既にその時点で彼女の環境を決めた要因ともなっているのだ。


『王城に戻って、ちゃんと話し合いなさい。

 きっと、今頃、彼等だって君の事を探している』


 保護はしない。

 だから、帰れ、と遠回しながらも告げた。


『な、なんで…、なんでそんな冷たいんですか…ッ』


 すると、彼女はボロボロと涙を流し始めた。

 哀れとは思うが、同情だけではどうしようも出来ない事もある。


 今は、そのどうしようも無い状況である。


 前に徳川の問題があった時にも思ったが、自分がやるべき仕事を果たせないと言うなら、権利は主張出来ない。

 義務あっての権利。

 その義務を果たそうとしないのであれば、容赦なくオレは切り捨てる。


 生徒達にも、そう言ってあった。


『あ、あたしが、アイツ等の仲間だったからですか…?』

『違う。

 最初に、許可が必要だと言った筈だ』

『い、嫌です』

『なら、戦闘訓練を受けろ』

『そ、それも、嫌です…!』

『なら、雑用だ。

 掃除洗濯、家事全般を受け持って貰おう』

『嫌、嫌ッ、嫌ぁああああ!』


 畳みかける様に告げた言葉に、とうとう彼女は絶叫した。

 泣きながら頭を抱え、聞く耳もいらないとばかりに耳を塞ぐ。


 心を塞いだ。


 こうなれば、オレも無理。


 騎士達に頼んで、王城に送り届けて貰った方が良いだろう。

 その後の話し合いなどは、泉谷の仕事だからオレは知らない。

 関わり過ぎだ。


 ゲイルへと振り返ると、彼は溜息混じりに頷いた。


『ユイカと言ったナ。

 送ル、スル、同行、スル』


 流暢とは言えないまでも、ゲイルが日本語で話しかける。

 最近教え始めたばかりだったが、今まで聞いていた事もあってか覚えは早かったのだ。


 しかし、


『い、嫌!

 あ、あたしは、王城には戻りたくありません!』

『ソレ、駄目。

 理由、許可無イ、義務、拒絶、ギンジ、命令オーダー

『嫌ですッ!

 いさせて貰うだけなのに、なんで…ッ!?

 あんな人達の許可なんていらない!

 戦いたくも無いし、掃除とか洗濯とか…、あたしは普通の子どもなのに…ッ!!』


 小堺は、ゲイルすらも拒絶。

 そうして、一通り都合の良い言葉をを吐き散らかして、


『奏君と一緒にいたいだけなの!

 邪魔しないで…!』


 騎士達が囲もうとしたその中を、彼女は突然駆け出した。


 ゲイルが部下達に追わせようとする。

 だが、それよりも早く彼女は路地裏へと駆け込んでしまった。


 来た時もそうだったが、帰る時まで路地裏を通るなんて、怖いもの知らずの子だなぁ。


 振り返ったゲイルに、苦々しい顔をされた。

 流石に騎士達を路地裏に突入させる訳にも行かないからだ。


 何故なら、彼等は騎士。

 路地裏の貧民層に見つかったら、仲間を呼ばれて袋叩きにされ兼ねない。

 確執は、結構深いのです。


 ………放っておくしかないだろう。


 溜息が、漏れた。

 オレだけではなく、生徒達からもゲイルからも。


 例の彼女に表題にされていた隣の間宮など、大仰な溜息と共に天を仰いでいる。

 普段が普段で、無感動なコイツにしては珍しい仕草だった。


『(………今ので、思い出しました。

 あの小娘、オレが施設にいた時も散々お姫様扱いされて、当たり前の顔をしていた性悪女です)』


 日本語は解除し、英語で。

 そして、間宮特有の精神感応テレパスで返って来た言葉に、オレも同じように天を仰いだ。


 おそらく、変わっていないとの事。

 性格の事だ。

 つまり、彼女は昔から、あのような状態だったらしい。


「ウチ校舎に受け入れられると思うか?」

『(あれは、不可能でしょう。

 絶対にシャルさん達と喧嘩をするでしょうし、そもそも何も出来ません)』


 矯正は、ほぼ不可能か。

 おそらくは、田所や藤田と同じで、染み付いてしまっているのだろうから。


 ………何も出来ない、なんて言い方も気になるが。


『(壊滅的なんですよ、何もかも。

 不器用とかの問題では無く、やる事成す事滅茶苦茶で成功しないんです)』

「………お前は、その尻拭いをやっていたようだな」

『(その通りです。

 引抜スカウト受けて、解放されたと思ったのに…)』


 と言う彼の言葉には、今度こそ同情の念を禁じ得ない。

 

 どうやら、施設の中では色んな意味でのツーカー。

 しかも、完全に間宮が彼女の尻拭いをする羽目になる意味で。


 施設ってね、そう言うものなの。

 ノルマみたいなのがあって、個々人の仕事が終わっても同じ部署の子が終わってないと連帯責任でペナルティとか。

 ウチの施設はそこまで厳しくなかったけど、ねぇ。


 ………オレも良く、同じ部署の子の所為でペナルティ食ってたっけ。

 ペナルティを食わないように、と言う要領の良さはまだ無かったけども。

 なんにせよ、オレと同じで、間宮もとばっちりばかりだったようだ。


 そう考えると、オレも許可を取ったとしても引き受ける事は出来ないかも。

 と言うか、十中八九生徒達が無理だろう。

 今の日本語でのやり取りは、全員が聞いていた事もあるし、その所為か女子組の一部は殺気立っている。


 しかも、本人は路地裏に逃げ込んでしまった。

 このまま、王城にも帰らないで、逃げ続けるつもりなのかは甚だ疑問。


 何かあっても、困る訳では無い。

 ただ、寝覚めが悪いというだけの話。


 しかし、


『いやぁあああああッ!!

 は、離してよぉおおお!!』


 路地裏から響いた悲鳴に、思わず呆気。

 嫌な予感が、早くも的中である。


 怖いもの知らずとは思った。

 だが、本当に何の予備知識も無しに、路地裏に入ったとかだったらただの馬鹿。


 ………あの様子だと、ただの馬鹿だったんだろうね。


『(………行ってきます)』

「はぁぁあ…、済まん、間宮」


 間宮が、これまた大きな溜息混じりに、路地裏へと歩き出した。

 その動きは、いつもとは比べ物にならない程に緩慢。

 本気で行きたくないんだろう。

 気持ちは分かる。


 だが、騎士達が路地裏に入れないとなるとこの中で普通に行けるのは、オレか間宮かハルぐらい。


 けど、先に間宮が動いた。

 おそらくは、同郷のよしみ。

 なので、そのまま任せる方向で。


 オレまで、大仰な溜息を吐くしか出来ない。

 そこで、


「アイツ等、気付いてたの?」

「うんにゃ、全く…」


 話しかけたのは、ハルへだった。

 問いかけた内容の意味は、偽物一行が小堺の行方不明に気付いていたかどうか。


 ちなみにハルは、オレ達の頭上、通りにあるお店の屋上で待機してました。


 実は、小堺少女が接触して来る前の段階で、彼もここに待機。

 言うなれば、影警護です。

 今日は、ヴァルトがヴィッキーさんにお呼ばれして、食事に出かけたとか何とかだから、時間外充ててオレ達の護衛になって貰っていたの。


 降って来たハルが、アクセサリーをじゃら付かせながら、ハッと鼻で笑う。


「指摘して初めて気付いてたぐらいだ。

 ったく、どん臭い連中の癖に、態度だけは一丁前でよぉ…」


 あれ、何かあった?

 えらくご機嫌斜めな彼に、こてりと首を傾げた。


「お前が、良く我慢してるなってこった。

 オレなら、会ったあの瞬間で、ご寸刻みの鱶の餌にしてた」

「………それ、本人達に言ってないよな?」

「喧嘩売られたから、簡単に殺せるから喧嘩にもならないって事ぐらいは言っておいたぜ…」

「今後は、ヴァルトの立場の事も考えて、スルースキル発動願います」

「了解しました、って言いたいが、スルースキルはどうやって習得するべきかねぇ…」

「経験値割り振りで」

「どこのロールプレイング」


 ケラケラと一頻り笑って見せて。

 彼のリミットゲージがこれ以上マイナス臨界突破しないよう、場を和ませておく。

 一定の効果はあっただろう。

 背後で生徒達も、ちらほらと笑っていた。


「んじゃ、そろそろ間宮も捕獲しただろうから、オレも影に戻りますよ、っと」

「オレだけじゃなく、間宮まで悪いな」

「次は、給与の申請するから、覚悟しておけぇい」

「カルダミアン追加料金でどうだ?」

「やだぁ、乗っちゃう乗っちゃう!

 今なら、お前の上にも乗っちゃうかもぉ!」

「それは遠慮する」

「ノリ悪ぃなお前」

「乗りだけにね…」


 ここら辺で、騎士達も笑い始めた。

 悪ノリし過ぎたらしい。

 ………乗り押しであるけども、途中でかなり本気の一言が混じっていた感じがしたので、オレの負けとして引き下がっておく。

 どれかは、言わない。

 きっと、すぐにわかる。


 閑話休題それはともかく


 こちらも来た時と同じく、屋上へと戻って行ったハルを見送って溜息。


 全く。

 ………アイツ等はどうしてここまで、面倒臭いのだろうか。

 関わるな、と言った矢先から、冒険者ギルドに依頼同行に、今回のアポ無し巡礼とかニアミスが多過ぎる。

 そろそろ、ゲイルに頼んでスケジュール確認しておくべき?


「………ねぇ、間宮、あのバカ女助けに行ったの?」

「うん?」


 ふと、オレの足下に来たのは、シャル。

 少々表情が撫すくれているのを見れば、嫌でも彼女が質問をして来た意味も理由も分かる。

 間宮が小堺を救援に行ったのが気に食わないのだろう。


 バカ女とはまぁ、よくも言ったものだが…。

 お義父さん、そんな言葉を教えた覚えはありませんが?


 とはいえ、やはり脈ありか。

 オレの可愛い娘をしょぼくれさせるとは、やはりけしからん奴等だ。


「まぁ、昔のよしみ、と言うか、そんな感じ」

「…ふぅん。

 まぁ、別にあたしには、関係ない事だけど…」

「とか言いつつ、少し気にし過ぎてはおらんかや?」


 そこで、ふとラピスが会話に混ざり込んで来た。

 彼女もまた撫すくれた様な表情をしているのは、おそらく今までの日本語での会話が半分も理解出来ていなかっただけ。

 ゲイルが完全に理解していたのは、『言葉の精霊』の加護があるから。


 きっと、オレがまた色目使ったとか思っているのかもしれない。

 突然泣いて蹲って逃げ出した状況を見て、ただ突っぱねただけだと察して欲しかったものだけどもね。

 まぁ、矛先になったのは、シャルだ。

 余計な事を言って、オレが引っ被るのもどうか。


「ちょっ、そ、そんなこと無い!」


 そこで、表題にされたシャルが声を張り上げた。


「おやおや、そうムキになる事でもあるまい?」

「そうそう、関係ないとか言ったなら、間宮があの子とどうこうなろうがって事もどうでも良いでしょ?」

「そ、そんなこと言ってないでしょ!?」


 あれまぁ、真っ赤になっちゃって。

 ウチの娘をここまで赤面させるとは、アイツもやりおるわ。


 ………あんまり美味しくないネタね。


 って言うか、今のはどっち?

 結局のところ、ややこしくなっちゃって、オレとラピスで顔を見合わせる事となってしまった。


「………ほうほう」

「………なるほどねぇ…」

「~~~~~ッ/////、揶揄わないでよ、馬鹿ぁああ!!」


 いやはや、少々揶揄い過ぎたようだ。

 そのまま、シャルは肩を怒らせてズンズンと校舎へと向かって行ってしまった。


 シャルからの怒声に、揃って肩を竦めた夫婦の図。

 オレなんか、しっかりちゃっかり耳にダメージを被ってしまった。

 (※幸いにも、赤ちゃんは泣いていない)


 慌てて追いかけるのは、オレ達では無く女子組であった。


 なんか、放っておいても上手く行きそうね。

 勿論、間宮とシャルの事。


 こうして、無自覚なのかは知らないが、嫉妬しているのが良い証拠。

 揶揄うのは止めて、見守る事にしましょうか。


 顔を見合わせたまま、苦笑を零して。

 先行している女子組の背中を追う様に、オレ達も校舎への帰路を辿った。



***



『いやぁああああ!』

「おい、コイツ、何言っているか、分からんぞ…!?」

「どうせ、傷物にするんだから、言葉なんてどうでも良いだろ?」

「この容姿と体型じゃ、二束三文で買い叩かれるのがオチだしなぁ…!」

『やだぁあああ!

 離してよぉ!!

 誰かああッ、助けてぇええッ!!』


 オレが路地裏で小堺を見つけた時。

 彼女は、半分ほど服を剥かれていた。

 ならず者に襲われたのは明白で、今も下卑た上に野卑で粗暴な男達に、抑え込まれている。


 こんな非力な状況で、よくもまぁ路地裏に迷い込もうと思ったものだ。

 普通は忌避する。

 それも出来ないのだから、あれは生存能力も壊滅的と言えるのか。


 そうなのだ。

 コイツは、昔から壊滅的だったのだ。


 何をやらせても、失敗する。

 掃除は出来ない、洗濯も出来ない。

 調理も出来なければ、片付けだって儘ならなかった。

 この女はすぐに泣いて、あやしてくれるのを待つだけだ。


 オレは昔から要領だけは良かったらしく、仕事を終わらせるのは早かった。

 それが、勝手にこの女の担当だと押し付けられて、更には施設教員達にまでお似合いだと言われる始末。


 あの時、オレが戦闘訓練を受けていたなら、アイツ等こそご寸刻みの鱶の餌にしていたものを。


 なのに、この少女の周りには、男どもがよくもまぁ群がっていた。

 嫌われないのだ、基本的に。

 ひわの様なか弱さや愛らしさを、無自覚に表現でもしているのか。

 子どもも大人も、仕方ないとばかりにこの女には、甘い顔ばかり。

 お姫様のように扱われてきた。


 そのお姫様扱いの裏に、召使と言うオレの存在があったのはほとんどの人間が認識していないに違いないが。


 最終的には、あの施設の誰よりも早く、金持ちの好事家に引き取られていった筈。

 器量良しと言うか、なんと言うか。

 とにかく、あの女は昔からそう言う女だった。


 それが、向こうの偽物一行でも、同じことだったのだろう。

 ただ、あの一行では構い倒されている様には見えなかったので、おそらくその庇護をしていたクラスメートは死んだか。

 どのみち、新しい召使が欲しかったので、オレを指名しに来たのかもしれない。

 迷惑な話だ。


「うぉっ、なんだ!?」

「この餓鬼、邪魔すん…なぁッ!?」

「テメェ、…ごふッ!?」


 そうこう考えている内に、ならず者は呆気なく片付いた。

 転がる男達を、無造作に眺めやって溜息。

 はぁ、虚しい。


 ウチのクラスの女子達なら、このならず者達程度は軽々と制圧出来る。


『か、奏君…!』


 半分ほど剥かれて、大事な秘所ぐらいは隠れているものの。

 あられも無い格好となった小堺 唯花。


 ならず者を撃退したオレを、大事な場所を隠す事も忘れて見上げていた。


 その眼には、純粋な感情だけ。

 恋慕、尊敬、熱情。

 オレが思っていたような、召使を見つけたとかそう言った邪悪な色は一切見受けられない。


「(だからこそ、質が悪い…)」


 無意識だから気付いていない。

 無自覚だから、迷惑なのだ。


 辟易とした溜息を零しつつ、背中を向けた。


『(早く服を着ろ)』

『………きゃッ!?

 ………か、奏君、み、見ちゃった?』


 赤面して、体を隠す彼女。

 今更だ。

 馬鹿なのだろうか。


『(お前の貧相な体を見たところで、嬉しくもなんともない)』

『むぅ…ッ!

 喋れるようになったら毒舌なんだね…』


 どうでも良い会話が続く。

 イライラして来た。


 早く服を着ろ。

 慣れ合うつもりは、毛頭無い。


 こっちは、一刻も早く銀次様の下へと戻りたいのだ。

 いくらゲイル氏やハルさん達がいるとしても、オレがいない間に何かあってからでは困るのだから。


 布擦れの音を聞きながら、路地裏の一点を見つめながら待つ。


『あ、あの、奏君…』

『(服は着たのか?)』

『えっ、あ、うん、………ゴメン、まだ』

『(早くしろ)』

『…ふえっ…あの、なんか怒ってる?』


 怒らない訳がなかろうが。

 本当に馬鹿なのか、この女は。


 その後、要らない会話を更に数回続けたところで、やっとこの少女が身なりを整えた。


 とはいえ、ボロボロの有様だ。

 路地裏で押し倒されて、蛮族に圧し掛かられたのだから当然か。

 見れば、制服のボタンもいくつか千切れてしまっていた。

 元々か否かは、先ほど会った時に確認しているのだから分かっている。


 きょろきょろと辺りを見回す。

 夜目が利く為、探し物はすぐに見つかった。

 飛んだボタンだ。

 時間が無いので縫う事は出来ずとも、回収しておけば後でどうとでも出来るだろう。


『あ、これ…ボタン、良く見つけられたね…』


 受け取った彼女は、気の抜けた様な笑みを浮かべた。

 暴漢に襲われた後だと言うのに、これである。


 基本的に、この女は生存本能と言う者が存在していない可能性が高い。

 運だけで生きて来たのか。

 それはそれで、凄いとも思うが。


『か、奏君、あの…助けてくれて、ありがとう』

『(………これに懲りたら、路地裏等入るな)』

『うん、ゴメンね』


 だが、その直後。


 彼女はオレの向けて、じんわりと目尻を下げた。

 眼に涙が、溜り始めていた。


 表情の良く変わる女は、感情の起伏すらも激しいのか。

 いっそ、煩わしかった。


『………た、助けに来てくれたんだよね…ッ』

『(………嫌々だ)』

『そ、それでも…ッ、それでもだよ…ッ』

『(泣くな)』


 煩わしいと続けようとした言葉の合間。


『うぇえええええッ!!』


 彼女は突然オレに抱き着こうとして来た。

 生理的嫌悪。

 咄嗟に避けると、彼女は派手に路地裏の通路に転んだ。


『(…何がしたい?)』

『う、受け止めてくれても…ッ』

『(誰が…触るのも嫌だ)』

『そ、そんな…ッ、何でそんなこと言うの…!?

 折角、8年ぶりに会えたのに…ッ!』


 そのまま、10年でも20年でも会いたくなかったとは言うべきか迷う。


 これだから、無自覚なのは嫌いなのだ。

 コイツの所為で、オレは施設の中でもかなり下の位置に見られていたのだから。

 コイツに懸想をする子ども達の嫉妬に付き合った事もある。


 嫌いにならない方が可笑しいのだ。


『(お前の事等、なんとも思っていないからだ)』

『そ、そんな事言って…ほ、本当は…ッ』

『(本当も何も事実。

 お前の事など、今まで毛ほども思い出したことは無い)』


 突っぱねる。

 当たり前の事。


 小堺は、地面に座り込んだまま、涙を零してオレを見上げる。

 その姿は、なるほどか弱く非力なひわを思わせる。


 世の男どもなら、これでころりと靡くだろう。

 だが、オレとしてはこの小憎たらしい顔は既に見飽き、更には辟易とさせられる要因だ。


 嫌なのだ。

 何もかもを、他力本願で縋るだけのこの女が。


 甘えるだけしか能の無い、娼妓の様な馬鹿が。


 しかし、


『ねぇ、………か、奏君、一緒に逃げよう?』


 ………。


 ………は?


 一瞬、言われた意味が分からなかった。


『か、奏君も、こんなところに来て、大変なのに…ッ。

 あ、きっと、あの先生に無理矢理、働かされたりしてるんでしょ…?

 一緒に逃げよう!?

 2人なら、きっとこの世界でもなんとか…ッ』


 夢物語を語る小堺。

 はっきり言って、屑だと思った。


 逃げる?

 そんな馬鹿な事をして堪るものか。

 折角、この世界に来て、あの方の力となれる時が来たと言うのに。


 しかも、銀次様が、オレを無理矢理働かせてるだと?

 働かせていただいているのは、むしろオレだ。

 あの方の為に戦い、矛とも盾ともなる為に、訓練を受けていると言うのに。


 怒りが、脳髄を沸き立たせた。

 どす黒い感情が、腸で蜷局を巻く。


『(貴様、本当に現実を見ていないのか!?)』

『ひぅ…ッ!?』


 思わず、怒気を吹き上げてしまった。

 精神感応テレパスにも現れた大音声に、小堺の肩がいっそ滑稽な程に跳ねる。


 怒られた事が少ないとは知っている。

 引き取られた先でも、家事全般に無縁な生活をして来たのだろう。

 この世界に来てからも、同じような状況だったに違いない。

 手指は汚れず、調理担当組のあかぎれや、他の生徒達のたこの出来た手とも違う、子どもらしい紅葉の様な手。

 それを見れば、すぐに分かる。


 本当に、この女は馬鹿だ。

 オレには、もう付き合い切れない。


『(何故、逃げる等と言う選択肢が出て来る!?

 この世界では、逃げたところでどこも変わらないと言うのに…ッ!!)』

『だ、大丈夫だよ!

 こ、根拠は無いけど、…あたし達なら、きっと…ッ!』

『(その独りよがりな馬鹿げた妄想を捨てろ!!

 理想はただの夢物語だと、その年になってもまだ理解出来ないのか!?)』

『…ひっ…、お、怒らないでよ…!』


 そう言って、彼女はまた泣き出した。

 そして、オレに縋るような眼を向けて来るのだから、救いようが無い。


『何を怒ってるのか、分からないよ…ッ。

 だ、だって、この世界は、あたし達の世界とは違うんだよ…!?』

『(何を当たり前の事を言っているのか…)』

『あ、当たり前だから、嫌なの…ッ!

 あ、あたしは、戦った事なんて無いし、魔法だって知らない…ッ。

 使えたら良いとは思った事は確かにあったけど…ッ、でも…ッ』

『(でももクソもあるか。

 現実を見れないなら、最初から引っ込んでいれば良かったものを…)』


 吐き捨てる。

 正直、付き合ってはいられなかった。


 何が、戦った事が無いだ。

 魔法を知らないだ。


 この異世界に来た時は、誰もがそうだった。

 『異世界クラス』の女子組等、最初は運動音痴すらも混ざっていたと言うのに。


 まるで、悲劇のヒロイン気取り。

 反吐が出そうだった。


『えっ…きゃっ…!?』

「(………何故、いつもオレはこんな役回りなのか…)」


 無言で小堺を小脇に抱え、そのまま路地裏の壁を蹴って屋上へと跳んだ。


 視界の端で、銀色の輝きが見えた。

 おそらく、ハルさんが影についていてくれたようだ。

 律儀、と言うよりは、過保護な事だ。


 ………今のやり取りを見られていたとすれば、少しばかり恥ずかしいと言うか悔しい。


 本当に、オレはこんな役回りばかりだ。


『ね、ねぇっ、どこに行くの!?

 これって、飛んでるの!?』

『(舌を噛むから、黙ってろ)』

『も、もう…ッ、何で冷たくなっちゃうの…?』


 冷たくしているからだ。

 だが、応える義務は無い。


 そのまま、無言で屋上を飛び越える。

 銀次様の鍛錬のおかげか、人1人を抱えながらでもパルクールはお手の物。


 だが、徐々に近づいている王城に小堺が気付いた。


『えっ、やだ…ッ、奏君、どこに行くの!?』

『(王城だ)』

『嫌だよッ、一緒に逃げようって言ったじゃない…ッ!

 降りて、このまま…ッ!』

『(オレは了承していない)』

『そんなの駄目…ッ!

 奏君も、あたしと一緒に逃げるの…ッ!!』


 この女は、どこまで馬鹿なのだろう。

 勝手に自分の逃避行に巻き込まないで欲しいものだ。


 屋上を蹴った脚へと『風』の加護を掛け、滑空時間を長く取る。

 ひゅんひゅんと風を切る音と共に、王城への道のりも早く通過出来る。


 しかし、その途中。


『小堺さーん!』

『どこ行ったのー!?』


 可聴域に捕らえた声。

 ここ最近、何度も耳にした少女達のものだった。


 御剣 華月と毛利 志津佳だったか。

 あのクラスの中では、比較的まともな部類の少女達だった筈だ。


 どうやら、小堺を探して、声を張り上げているのか。

 手っ取り早い。

 彼女達と合流すれば、おのずと厄介払いも出来るだろう。


 行き先を変更し、その声のした方角へと足を向ける。

 腕の中で何故か小堺が安堵したかのような溜息を吐いたのが聞こえて、腹立たしいものの。


 奴等は、商業区の銅像前で集まっていた。


 王城からここまで探しながらやって来たと言うのは分かる。

 人数は少ない。

 いるのは、おそらくあのまともな部類の6名と泉谷ぐらいか。

 他は、王城に残った様だ。


 薄情とは思うが、この女相手ならば仕方ないとも思えるか。

 むしろ、探してくれるだけ、まだマシなものだ。


『えっ、なんで…ッ、奏君…!?』


 これまた小堺が状況に気付いて暴れた。

 だが、もう遅い。


 最後の屋上の縁を蹴り、銅像の近くへと着地した。

 気付いた数名が、飛び退くようにして後退る。


『わっ…、君…確か、間宮君…?』

『(荷物の配送だ)』

『きゃあッ!!』


 最初に、御剣 華月と眼が合った。

 片目の包帯さえなければ、きっと杉坂姉妹とも引けを取らない美少女だろうに、勿体ないと思った。

 何が勿体ないかは、さておいて。


 受け取れ、とばかりに小脇に抱えていた小堺を放り投げた。

 文字通り、荷物を運んだだけ。

 地面に転んだ彼女は、無様な程に受け身も取れずに地面に突っ伏している。


 訓練を少しでも受けないからそうなる。


『………なんで、』

『(路地裏に迷い込んで暴漢に襲われていた)』

『えっ、あ、嘘…ッ、助けてくれたの…!?』


 驚きに見開かれた面々の眼に、こちらが少々驚きだ。

 普通、助けると思うが?


 ………それが出来ないのも、この常識知らずの面々だったか。


 離脱希望の件は、秘匿して置く。

 話すべきは本人であってオレでは無い。

 無用な波風を立てる事も、巻き込まれる事も勘弁願いたいから。


『(次からは、手綱でも付けておけ。

 尻拭いは御免だ)』

『い、良い方はともかく…ありがとう』


 華月が頭を下げたのを皮切りに、他の面々も安堵したか。

 溜息混じりに、各々で頭を下げたのを見送ってから踵を返そうとした。


 だが、


『ま、待ってよ、奏君…!』

『小堺さん…!?』


 起き上がった彼女が、よろけながらもオレに向かって駆けた。

 学習しないようだ。


 毛利 志津佳が驚愕の滲む声を掛ける。


 触れられるよりも先に、避けた。

 これまた派手に、小堺は地面に転がっていた。


『(先にも言ったが、気安く触るな)』

『な、なんで、そんな事言うの…!

 あ、あたし達、一緒の施設で育ったのに…ッ!!』

『(だから、どうした?

 オレは、お前の事等、今まで一度も思い出した事は無いと言った筈だ)』


 何を聞いていたのか。

 オレは先にも言ったが、もうこの馬鹿女には関わりたくないのだ。


 これがシャルさんなら、どれだけ至福か。

 想像するだけで表情が緩みそうになる。

 だが、努めて引き締めて辛辣な視線を向けたまま、


『(甘えるな、馬鹿女。

 オレは、もうお前の召使でも同胞でも無い)』


 言い捨てて、振り返った。

 視線の先には、小堺の所属するクラスの担当、泉谷がいる。


『とっとと連れて行け。

 ウチの校舎に来られても迷惑だ』

『………し、知り合いだったの?』


 忠言したのに、その返答は疑問。

 つくづく、この泉谷と言う男には、苛立たされるものである。


 睨み付けると、踏鞴を踏んだ。

 どのみち、こんな男は銀次様が相手にされるまでも無いと言うのに、この場で始末できないとは。

 いっそ、心底から口惜しい。


『(返事は、了承以外受け入れない。

 貴様の躾の成っていない餓鬼を連れて、即座に王城へと帰還しろ)』

『………で、でも、君は知り合いなんだよね?

 小堺さんの事、なんでそんなに冷たくあしらえるの…!?』


 でももくそもあるものか。

 この男まで、本気で話を聞いていなかった様だ。


 苛立ちに、目線に殺気すらも滲み出した。


 しかし、


『か、奏君は、あ、あたしの、施設での友達なんです…!』


 泉谷の言葉に答えたのは、小堺。

 オレの背後で立ち上がった彼女が、これまたオレに向けて抱き着いて来ようとする。


 つくづく学習しない、小娘が。

 再三の事なので、見るのも億劫になる為、上空に逃れる様にして避けた。

 泉谷がいたので、間一髪で抱き留められていたが。


『(そのまま、帰れ。

 もう、二度とオレ達にも、校舎にも近付くな…)』

『なんで!?

 なんでよ、奏君!!

 あたし、ずっと君の事、好きだったんだよ!?』

『(だから、どうした?)』


 恋慕などとは、程遠い。

 召使として、の間違いだろう。


 好きだの惚れただの、心底迷惑で煩わしい事この上ない。


『一緒に逃げてよ…!

 こんな馬鹿げた世界、もう嫌だよ!!

 でも、奏君となら、あたしは…ッ、それでも良いって思えるのに…ッ!』


 ………。


 ああ、本当に。

 この女は、馬鹿なのだ。


 苛立ちのままに、背中の脇差を抜いた。

 否、


『辞めておけ、坊主。

 それ以上は、銀次に迷惑かけるだけだ…』


 正確には抜こうとしたが、背後に現れたハルさんに止められた。

 柄頭を抑えられただけだ。

 それでも、踏みとどまるには十分である。


『お前の気持ちは分かる。

 だが、切った張ったの面倒は、流石にオレ達だけじゃ手に負えなくなる』

『(了承です)』


 オレも重々、分かっている。

 銀次様の負担になる訳にはいかないから、今まで我慢していたのだから。


 反射的に構えたであろう面々。

 どれもこれも中途半端で、ハルさんどころかオレにすら勝てそうにも無い奴等ばかりだった。

 だが、そのおかげで、頭も冷えた。

 これ以上は、ただの弱いもの虐めでしかない。


『(消えろ)』


 冷たく、吐き捨てる。

 実際は、精神感応テレパスで語り掛けているだけなので、吐き捨てるも何も無いのだが。


『(現実から逃げて、理想ばかり吐き掛ける馬鹿女等、願い下げだ)』

『~~~~~ッ!!』


 小堺の眼が、絶望に見開かれた。


 成り行きを見ていた少女達が、驚きに目を見開いている。


 言い過ぎと、言うなかれ。

 罵詈雑言を吐き捨てるのでも構わぬ。


 それだけの馬鹿なのだ、この女は。

 事実を言っているだけで、多少なりとも言葉は選んでいるのだから。


『(銀次様に言われた言葉を良く理解してから、物を言え。

 この世界は、甘くは無い。

 今まではそれで良かったのかもしれんが、少なくとも今後は通用しない)』


 言い捨てて、今度こそ踵を返した。

 ハルさんがオレを気づかわし気に見ていたが、その表情には何とも言えぬ苦笑で応えておいた。


 過剰に反応しているのは、オレの過去をこの女が知っている所為か。

 まだ、銀次様にも話せていない、過去を。

 ハルさんも理由を知っているだろうに、何も言う事は無かった。


『待って…ッ、お願い、待ってよ!』


 それでも、小堺はまだしつこく食い下がって来た。

 抱き留めた泉谷が抑えようとしているのを、暴れて抜け出そうとしている。


『ねぇ、どうして!?

 あ、あたし、ずっと奏君の事、想ってきたのに…ッ!』


 何が、想ってきたか。

 どのみち、オレに縋ろうとしているだけではないか。


『(召使が欲しくば、他を当たれ。

 オレはもう、お前の様な女の顔など見たくも無い)』

『嘘、嘘だよッ、…そ、そんなのって無いよ!

 ずっと、好きだったのに、なんで応えてくれないの…ッ!!』


 馬鹿は馬鹿でも、救いようの無い馬鹿だったようだ。

 何を当たり前のように、応えて貰えると思っているのか。


 オレが、昔から自己表現能力を全く持たなかったからか。

 あるいは、年下だったことも相俟って、勝手にこの勘違いの馬鹿が、姉のように振舞っていたからか。


 どっちにしろ、質が悪いのは相変わらず。


『(嫌いだからだ)』

『えっ…!?』


 当たり前の事を、当たり前のように返す。

 これが、一番の根源。


『(他力本願の、お前の様な甘えた考えの人間がオレは死ぬほど嫌いだ)』

『そ、そんな…ッ、あ、あたし、他力本願でも甘えてもいないのに…ッ!』

『(無自覚なのも、考え物か)』


 はっ、と鼻を鳴らした。

 この問答が、本当に必要なものかも怪しくなってきた。


 もう一度、振り返る。

 小堺に向けて、殺気を放った。


 小堺は、暴れるのを辞めて、硬直した。

 ついでに、泉谷すらも硬直していたが、知るものか。


『(その喚く声すら、煩わしい。

 喋るな、語り掛けるな、オレの前に二度と姿を現すな)』


 ここまで言い含めて、それでもダメならお手上げか。

 どのみち、今後は関わるつもりも無い。


 そのまま縋るような視線を振り払うように踵を返し、夜空へと飛び立った。


『待ってよ、奏君!!

 お願いだから、待ってよぉ…!!』

『ちょ…ッ、小堺さん、落ち着いて…!』

『嫌だよッ、置いてかないで…!!

 奏君ッ!!』


 後ろ背に、まだ彼女が叫んでいたが、振り返る事はしない。

 振り返れば、つけあがるだけである。


 甘えた馬鹿は、すぐにつけあがる。

 だから、嫌いなのだ。


「………随分と熱烈じゃねぇの。

 良いのか、あんなに慕われてるのに、突っぱねて」


 横を並走(※この場合は、並空か?)したハルさんに、揶揄われる。

 その眼が面白そうに輝いているのを見て、思わず辟易とした溜息。


 疲れた。

 本当に、疲れた。


 なまじ、普段喋る量の倍以上を、語ったからだろうか。


 精神感応テレパスも魔力を使う。

 億劫になり始めて、唇を動かすだけに留めた。


「(質の悪いストーカーの様なものです)」

「はははっ、お前も言うねぇ」


 カラカラと笑った、ハルさん。

 帰りの道すがらの屋上へと降り立ったと同時に、彼は踵を返した。


「オレは、このまま王城に戻るわ。

 アイツ等が変な行動しないように見張っておく」

「(それは、有難いですが…)」


 申し出は、有難い。

 だが、突飛な行動に、少しばかり違和感を感じる。


「ちょっと、突いて来るだけさ」

「(そのちょっとが、少々不安なのですが?)」

「テメェも刃物抜いたんだから、お相子だろ?

 銀次には内緒にして置いてやるから、お前は黙ってそのまま校舎に戻んな」

「(………む、了承です)」


 それを言われると、黙らざるを得ない。

 苛立ち任せとはいえ、刃物を抜こうとしたのは事実である。


 銀次様には、修行不足と嘆かれるだろう。

 汚名返上の為に、明日はあの方のご機嫌を伺い続けなければ。


 ハルさんは、そのまま別の屋上へと飛び移りながら、王城へと戻って行った。


 黒髪の踊るその背中を見送り、はぁと改めて溜息。

 その場で、少々だらしがないまでも、寝転がった。


「(………あの小娘、散々吐き捨てやがって…ッ)」


 苛立ちが、収まらない。

 もっと言えば、殺意すらも煮え滾る腹の底を収めておきたかった。


 銀次様は、機敏だ。

 オレのこの苛立ちすらも、きっとすぐに気付かれてしまうだろう。


 オレに関わる心労は、もう彼には負わせたくない。

 過去の話をしないのも、その所為だ。


 きっと、あの方は今までの行動を、後悔なさる。

 オレがやってのけた事であっても、きっと自分の事のように苛立ち、そして胸を痛めてしまわれるだろう。


 それが嫌だったのだ。

 銀次様には、迷惑はかけたくない。

 言えないのではなく、言いたくないだけだと分かっていながら。


「(………過去からは、逃げられない。

 そんなの、ずっと知っていた筈だったのに…)」


 いざ、目の前に過去を知る少女が現れただけで、これである。

 つくづく、情けないクソ餓鬼だ。


 他力本願だったのは、オレもそう。

 甘えていたのは、オレもそう。

 だからこそ失敗し、あの施設に入り、そうしてこの道へと足を踏み入れる事になった。


 この道に脚を踏み入れた事に関しては、後悔はしていない。

 最愛とも呼べるほど、いっそ崇拝する銀次様の弟子になれたのだから。

 榊原が2番弟子になった事が、少々面白くないまでも。

 それでも、彼が信用を置いてくれると言う事実だけは変わらないという、勝手な自己満足で乗り切っている。


 けど、それ以外は…。


「(知られたくも無ければ、………語りたくも無い…)」


 榊原は、既に自身の過去を話した様だ。

 しかし、オレはまだ言えぬまま。


 出来れば、墓の底まで持って行きたい秘密ばかり。


 いっそ、過去が消えてくれれば良いのに。

 何度も思った理想を思い浮かべてから、自嘲を零した。


「(………現実が見えていないのは、オレも一緒では無いか。

 ………馬鹿馬鹿しい)」


 今日だけで何度も吐き続けた大仰な溜息が、星の煌めく夜空に消えた。



***



 奏君こと間宮が、消えてから。


 滂沱の如く涙を流し、暴れていた小堺。

 だが、糸が切れたように項垂れたかと思えば、それからは誰の言葉にすらも反応を返さなくなってしまった。


 反応が無かった事は、元々ではある。

 クラスメートが旅の途中で亡くなった時。

 そのクラスメートが、彼女と殊更深く関わっていた友人だった事で、彼女は心を閉ざしたのだ。


 少なくとも、一緒に行動していた華月達はそう思っていた。

 泉谷は理由が分からず、おどおどするだけ。

 それも、もう無理だと割り切ってからは、一切気に掛けなくなった。


 だからこそ、驚いたのはある。

 今回、間宮へと食い下がっていた彼女は、今まで見た事が無い程に感情を露にしていた。


 好きとも言っていたか。

 ずっと想い続けていたとも、言っていた。


 正直、富豪家の少女と言う事しか知らなかったクラスメートの以外な一面。

 施設育ちと言う事だって知らなければ、間宮と知り合いと言う事も知らなかった。


 だからなのか。

 同じ生徒である彼女達も、大いに戸惑っていた。


 消えた彼女が見つかったは良いが、素直に喜べない。


 王城への帰り道も、彼女は項垂れたまま。

 自力で歩く事は出来ていても、足下はおぼつかない。


 泉谷が手を引いているが、格好だけだ。

 彼女の事を本心から気に掛けている様には見えなかった。


 王城に着いた。

 待ち受けていたのは、この王国の騎士達。

 ゲイルが率いた、騎士団一行である。


「散々言った筈だが?

 王国内を動くならば、護衛を付ける様にと…」

「………すみません」

「まぁ、良い。

 報告は既に受けた。

 今後は、生徒達の人数確認をしてから、王城に戻って貰いたいものだ」


 皮肉交じりの言葉に、泉谷が唇を噛み締める。

 他の生徒達も罰が悪そうに、その場で目線を逸らしていた。


 それでも、彼女達はまだマシだ。

 それを小堺の所為にする事は無いのだから。


 そこで、ふとゲイルが気付く。


「………怪我をしているのか?」

「…えっ、…っと、あ…」


 泉谷も今になってようやく気付いたか。

 小堺の膝小僧は、擦りむけて出血していた。


 遅すぎるとは思うが、正直気に掛ける余裕が無かった所為か。


 間宮も路地裏で暴漢に襲われたと言っていた。

 派手に転んだりもしていたので、おそらくその時にでも擦りむいていたのだろう。


 はぁ、と溜息混じり。

 ゲイルが、懐からスキットルを取り出した。


 まさか、酒でも飲む気か、とぎょっとした面々。

 ゲイルは、その面々の驚愕の視線を物ともせず、スキットルの封を切ると、小堺の前にしゃがみ込む。


『脚、見セル。

 手当、必要』


 カタコトでの言葉は、手当の申し出。


 スキットルを持ち歩いていたのは消毒用かと、誰もが安堵した。


 だが、小堺からの反応は無い。

 ゲイルが視線を向けたのは泉谷ではあるが、彼は罰が悪そうに視線を逸らしているだけ。

 代わりに、御剣兄へと視線を向ける。


 視線に気付いた御剣兄が、大仰な溜息を一つ。

 反応を示さない小堺の膝を抱き、自身の膝に固定した。

 擦りむけた膝小僧が、ゲイルに見える位置にしたのだ。

 それにすら、反応を返さない小堺に、ゲイルの眉根が寄っている。


 だが、それでも何も言う事は無かった。


 大方、何かしらのトラブルがあった事は、着崩れた制服を見れば分かる。

 理由は、間宮辺りに聞けば良い。


 そのまま、彼は小堺の脚を取って、消毒を始めた。


 そんなゲイルの姿を見ていて、他の面々は少々目を丸めていた。

 意外と、面倒見が良いと思ったのである。


「『キュア』」


 消毒が終わると、そのまま下位の治癒魔法を発動。

 汚れ以外はあっと言う間に消えた小堺の膝を見て、ゲイルはスキットルを懐に仕舞い、立ち上がった。


「少しは、気に掛けろ。

 見つけて連れ帰り、保護をするだけがお前の仕事では無いだろう」

「………ッ」


 もっともな事を言われ、鼻白む泉谷。

 こうしたところでも、銀次との差は一目瞭然だった。


 ゲイルは今度こそ、彼等の前を通り過ぎる。

 颯爽と、王城の門を潜って行った。


 礼も言えないまま、泉谷はその背中を見送るだけ。

 当の小堺も、反応すらしなかった。

 

「………あんな優しい人なのに、怒らせちゃったんだ…」

「………そうだね」


 華月と志津佳が、落胆のままに踵を返した。

 言葉に滲んだ落胆が、殊更彼等の胸の内に棘のように突き刺さった。


 他の生徒達も、彼女達に続くように王城へと戻ろうと脚を向けている。


 その中で、泉谷と小堺は動かない。

 泉谷が手を握っているのだから、小堺が動き様も無い訳だが。


 泉谷の場合は、動けないと言った方が、正しかった。


「(………僕に、これ以上どうしろと言うんだ…)」


 内心を駆け巡る、憤怒。

 罵詈雑言を吐き捨てたくても、スラングには馴染みの無い性格が災いしてか、子ども染みた言い訳ばかりが頭に過るだけだった。


「(………あの人は、どうする?

 そんなこと、考えた事も無いのかもしれないけど…)」


 銀次に当てはめてみる。

 悔しいが、確かに彼は教師としても模範的な、それでいて人間性にも優れているように見えたから。


 だが、


「(きっと、こんな失態だって、彼はしないのだろう…)」


 結局、答えは出なかった。

 そもそも、間違いを犯さない人なのだ、と認識してしまっていた。


 その答え自体が、間違いだと気付く筈も無い。


 4月の風は、生温い。

 だが、既に夜の帳が落ちた現在では、冷たい夜風となっていた。


 突っ立っていても風邪をひくだけ。

 そうなれば、更に滞在日数が延びる事になってしまう。

 このダドルアード王国への滞在は、なるべく短くしたいと考え、泉谷もまた王城へと足を進めた。


 手を取った小堺の顔色を、気にする事すら出来ないままで。



***



 ただ、なんとなくだった。

 それが、今回のハルの行動理念。


 今頃、兄妹水入らずだろうヴァルトや、校舎で生徒達と食事を取っているだろう銀次の護衛も。

 それ等を蹴ってまで、王城へと戻ったのは、それこそなんとなく、だ。

 気まぐれから来る行動である。


 所変わって、偽物一行の晩餐が行われている食堂。

 天井裏に潜んだハルの存在に気付くことなく、同行していなかった生徒達と今しがた戻って来た生徒達とで、少し遅い食事を取っている。


 同行しなかったのは、田所、藤田とその恋人のチャラ男、生意気そうな茶髪の少年。

 田所は、ハルからの恫喝で失禁した結果、出歩けず。

 藤田とチャラ男、茶髪の少年は面倒くさがった為である。


 同行したのは、御剣兄妹に毛利、青葉、五行、プース

 やはり、この面々は少なからずまともだったのか、探しに出回っていたとしても文句は一言も言っていなかった。


 口数も少なく、手も遅い。

 晩餐の席が、まるでお通夜である。

 大分堪えたようだ。


 そんな彼等を見下ろしながら、殊更手が動いていない2人へと視線を向ける。

 泉谷と小堺だ。


 泉谷は、どこか心ここにあらず。

 ついでに、食欲が元々無かったのか、皿を突くだけだ。

 小堺に至っては、既に食事をすると言う行動すらも忘れたかのように座っているだけだ。


 こりゃ、相当堪えたのだろう、と納得。

 勿論、間宮の言葉。

 あの少年が、あそこまで言葉を重ねる事も珍しければ、激昂を露にするのも珍しい。

 最初に見た時から、昔の銀次そっくりだと思っていたが。

 それは、少々、見込み違いだったようだ。


「(………過去に何かあるのは、分かったが。

 あの女が深くまで知っているとも思えなかったけどねぇ…)」


 ハルは、彼等の行動を見守っていた。

 勿論、最初から最後まで。


 だからこそ、腑に落ちない事が多い。

 間宮の言動もだが、小堺のあそこまでの執着も正直可笑しい。


 それに、他にも気になる事があった。


 この偽物一行は、苛立ちはあるが新しい発見やら疑問やらで、退屈する事が無い。

 護衛と言う訳では無いが、監視のし甲斐はある。

 護衛や監視のし甲斐の無い『異世界クラス』とは、これまた雲泥の差だ。


 それはともかく。


 ハルが気になったのは、護衛達の動きだ。

 勿論、元々彼等に随伴している魔術師部隊の事であるのだが、


「(そこそこやるだろうが、練度もまるで素人だし、要人警護には魔術師は向かねぇってのに…)」


 思うのは、分不相応な護衛達。

 悪い意味での、分不相応。

 正直、随伴の護衛である筈の彼等ですら、力量が生徒達とどっこいどっこいなのだ。


 普通は、ミート以上の力量を宛てる。

 ゲイルの場合は過剰戦力だし、レベルクラッシャーを地で行く銀次は問題外。

 その弟子である間宮もそうだ。

 『異世界クラス』はつくづく、常識から外れている。


 だが、こちらはこちらで、更に常識から外れている。


 普通は、もっと護衛として成り立つ戦力が割り当てられて然るべきだ。

 もっとも、あれが新生ダーク・ウォール王国の精鋭だと言うのであれば、国防能力とて高が知れているが。


「(それにしては、アイツ等自負がねぇんだよなぁ…)」


 アイツ等、自負、と言ったのは、護衛達に向けて。

 記憶に新しいかとは思うが、彼が個人的に接触した時の護衛達の反応を見て、思った事。


 緩慢過ぎる。

 守ると言う行動が、おざなりだった。


 最初にハルが出て来た時点で、警戒をしても可笑しくなかった。

 なのに、無警戒にも程がある。

 簡単に接触を許してしまっていた時には、ハルも内心では驚いていた。


 そして、馬鹿にした時の態度。

 激昂も然ることながら、遣る瀬無さや疲れすら滲んでいた。

 挑発の言葉には、『職務だ』としか返ってこない始末。

 どう考えても、護衛としての職務が嫌々としか思えない。


 きっと、そのうち、あの連中も馬鹿な行動に付き合わされた突き上げで、本国に戻って粛清なり謹慎なりさせられるだろう。

 哀れな事だ。


「(毒見もしねぇ、警戒もしてねぇ。

 ………随分とまぁ、甘ったれた環境を作り上げてるもんだ…)」


 今もこうして見ている限り。

 どうも護衛としての能力と言うか、管理が行き届いていない。


 これは、やはり溜め込んでいるものがあるから、と言う事だろうか。


 そんな中、


『おい、風呂の準備はどうなってんだよ!』


 またしても、田所の耳障りな怒声が響く。

 日本語で話しても聞こえないどころか分からないと知っていても、彼は英語の教養が無い所為か構う様子があまり見られない。


「………言葉を分かり兼ねます」

「お風呂の準備、出来てるのかって聞いてんの。

 あたしも風呂入りたいし、ちょっとアンタ等城の奴捕まえて聞いてきてくれない?」


 通訳をしたのは藤田だった。

 親切心では無く、あくまで自身の感情に基づいてであり、食事の手を既に辞めて頬杖を付いて、護衛達を顎で使っていた。


「………マルクス、頼む」

「………はっ」


 護衛達が動き出したが、それも嫌々に見える。

 藤田は気付いているのか気付いていないのか、溜息を吐いていた。


「本ッ当に、全ッ然、使えないんだからぁ。

 騎士団長とか言うイケメンが日本語喋れるのも吃驚したけど、アンタ等も少しは見習ったらぁ?」

「………。」


 返答は無い。

 その言葉には、ハルも同意出来ない。


 この世界は、この世界だ。

 彼等が暮らして来た現代とは法も秩序も違うし、普通教養を持って然るべきなのは彼女達の方だ。

 とんだ、とばっちりと言うだけ。


 それこそ、更に哀れに思えて来たハルが、護衛達に視線を向ける。

 誰もが辟易と、壁際に整列しているだけだった。


 そこへ、先ほど風呂の準備を聞きに食堂を離れた魔術師が戻って来る。


「本日は、風呂の準備は行っていないそうです」

「だったら、準備する様に言って来て」

「無駄です。

 この時間からは、既に風呂焚きも動きませんと言われました」

「はぁッ!?

 アンタ等が沸かして来なさいよ!」

「無茶を言わないでください。

 我等が動ける範囲は、これが限界でございますれば…」

「はっ、やっぱり使えないわねぇ!」


 ガタリ、と大きな音を立て席を立った、藤田。

 恋人のチャラ男がそんな彼女を追う様にして席を立ったのを見て、おや?とハルが小首を傾げる。


 冒険者ギルドでの事は、彼も知っている。

 あの時も、実はハルが影警護に入っていたからだ。


 その時に、過去の失態や咎を暴露されて、遠巻きにされていたのは見ていた。

 その筆頭に立っていたのが、あのチャラ男だった筈なのに、と。


『何を怒ってるの、リコたん?』

『アイツ等が風呂の準備させてもくれないし、してもくれないから、あたしが行くの!』

『そ、そんな事、リコたんがする必要無いよ?』

『良いのよ、あたしが直接城の人間捕まえて、準備させるんだから…ッ!』


 少なくとも、今のやり取りの中に、チャラ男が彼女を忌避する様子は見られない。

 少々、気になったので、脳内にメモしておく。


 それはともかく。


 席を立った藤田は、どうやら自分で行動をするつもりのようだ。

 まぁ、その準備を他人任せにしているのは、さておいて。

 先程、魔術師が突っぱねられただろう風呂焚きを、自らで申請しに向かうつもりらしい。


 やはり、銀次の言っていた通り、阿婆擦れだ。

 それに付き合わされた護衛達は、何名かが真っ赤な顔になって憤慨している。

 だが、これまた不憫としか思えない。


 また、少々お灸を据えるか。

 仕方なくではあるが、天井裏を離れ、食堂の扉の前に立ったハル。


 扉が開け放たれ、藤田がチャラ男と共に出て来る。

 それを待ち構えた。


『げっ…!』

『…アンタ…ッ!』


 途端に、彼女達は勇み足を止めて、表情を愕然としたものへと変えた。


『さっきも言ったが、風呂の準備は今日は行ってないんだよ。

 何度も言わせんなよ、クソ餓鬼ども』


 敢えて日本語で、その場の全員に聞こえる様に声を張る。

 ハルの登場に、食堂の中にいた面々が呆気に取られている。


『………いつからそこに…?』

『今さっきだが、耳は良いんでね。

 食堂の外にまで聞こえてたから、話が分かっただけだ』


 呆然としている藤田達に変わって、問いかけたのは兄の方の御剣。

 ハルが肩を竦めると、彼は憮然とした表情のまま、


『王城の人間なのか?』

『まぁ、そう言えばそうだし、そうじゃないと言えばそうだな』


 聞いたのは、彼の所属。

 だが、どっちつかずの答えを返し、のらりくらりと躱して見せた。


 基本的には、ハルはヴァルトの護衛だ。

 彼が王城にいる間は勿論王城での仕事をするし、彼が『異世界クラス』に居ればそこでの仕事に従事する。

 今日はどちらもいないので、当て嵌らないものの。


 なんとなく、と言う行動理念は間違ってはいなかった。

 もしかしたら、絶好の機会なのかもしれない、と唇を少しだけ歪ませる。


『ちょっとオイタが過ぎるぜ、お前等?

 おかげで、オレの上司やら騎士団長様がお怒りなんだ』


 言葉を重ねて、数秒。

 即座に目を逸らした面々は、既に気付いているだろう。


 自分達の、今現在の環境がもう悪化の一途でしかない事を。


 分かっていないのは、当の過激な生徒である本人達ばかり。

 もう一度肩を竦めたハルは、そのまま護衛達へと眼を向けた。


「アンタ等、面貸しな。

 悪いが、今後これ以上の問題を起こされると、『竜王諸国ドラゴニス』同様の処罰が必要になっちまう」

「………御意」


 脅しを使って、引き抜いたのは護衛達。

 皆が皆、難しそうな顔をして、食堂の入り口へと足を向けた。


 そこで、


「はっ、様を見ろっての」


 小気味良さそうに、鼻を鳴らした藤田。

 護衛の数名が、歯を食い縛ったのがハルからはしっかりと見えた。


 これまた、哀れ。

 だから、言っておく。


「言っておくが、お前達は今日一杯監視が付くから、謹慎処分な」

「なっ!?」

「当たり前だろ?

 随伴がいなくなるって事は、こっちの護衛が付くって事だ。

 勝手な真似は出来ないと思え」


 釘を刺した。


 つまりは、そう言う事。

 護衛達には自由に命令出来たとしても、こちらの騎士達には無理だ。


 愕然とした表情を見せた藤田を最後に、扉を閉めたハル。

 様を見ろ、と口には出さずに口の中で転がして。


 食堂の扉を閉めた矢先に、ハルは護衛達を振り返る。

 誰もが、意気消沈とばかりの表情をしていたので、苦笑を零してしまった。


「安心しろよ、命令なんか何にも受けちゃいねぇから」

「………は、はい?」


 今度は、彼等が呆気に取られる番。

 揃いも揃って口を開けた護衛達の前で、殊更爽やかにハルが笑った。


「連れ出す要件は、これで十分だろ?

 息抜き出来る場所、案内してやんよ」


 と言う訳で。

 ハルの御呼び出し、と言うだけ。

 いきなりの事に、呆気どころか驚きの余りに硬直した護衛達。


 そんな彼等を他所に、ハルは至極愉し気に王城の廊下を進むだけだった。



***



 途中で、王城勤務の騎士団に、護衛の引継ぎを行う。


 確かに命令は無かった。

 だが、王城内での偽物一行の護衛を引き受けている部隊は、必要とあらば動くしかない。


 解任された『夕闇トワイライト騎士団』とは別に割り振られた騎士団は、『彗星コメット騎士団』。

 王国内の騎士序列としては、3番目の黄系。

 城内警護の騎士団だった。

 数日前には、ヴァルトも騎士団復帰の過程として所属していた騎士団だ。

 そんな彼等とも既に顔見知りのハルは、ゲイルとも懇意。

 しかも、直属の上司がゲイルの兄であるヴァルトなのだから、逆らおうとしても無意味だが。


 とはいえ、無理強いをする訳では無く。

 呆気なく、快諾を受けてそのまま護衛を任せたハルの手腕は見事なものだ。


 引継ぎはスムーズに終わり。


 未だに呆然としている護衛達を引き連れて、ハルは王城を出た。

 ズンズンと突き進むのは、スラムにも近い商業区の一角。


 途中から、護衛達の一部が眉根を寄せている。

 おそらく、どこに連れ込まれるのかと、不安に思っているのだろう。


 だが、ハルは何も説明はせず。

 目的の場所へと、黙々と足を進めるだけであった。


 程なくして到着したのは、倉庫の様な場所。

 実際は、元倉庫にして、ヴァルトが武器商人であった頃に事務所兼倉庫として使っていた、仮の住まいだった。


 扉の鍵を開け、簡素なホールへ。

 薄暗い上に、少々埃っぽい場所ではあったが、見た目はバーカウンターを備えた酒場の様な場所である。

 閉店した元酒場と見せかけて、地下にはまだ武器商人としての仕事場を残していると言う事だ。


 そんな場所に何故、ハルが護衛達を案内したか、と言えば。


「ここなら、誰にも聞かれる心配はねぇぞ。

 オレしかいねぇし、周りの目だって気にする必要が無い…」

「………聞かれたくない話でもあるのか?」

「そりゃ、お前達の方だ。

 愚痴を零すのにも、アンタ等機密とか色々抱えていそうだからな…」


 今度こそ呆気に取られた彼等に、にかり、と笑ったハル。


「とっておきを開けてやるよ。

 ほら、好きなところに座って、好きなように愚痴れ」


 突然のご招待は、この酒宴の為だ。


 鬱憤が溜っていると考えての行動である。

 おそらく、間違ってはいなかった事だろう。


 顔を見合わせ、途端に破顔した様に肩の力を抜いた護衛達。


 彼等の護衛体勢は2個小隊。

 護衛としては多いかもしれないが、旅先では少なすぎる。

 四六時中拘束されるのが当たり前だ。

 自由などあって無い様なものだった筈。


 酒を飲む事も、儘ならなかった。

 シガレットとて、経費の兼ね合いで無理だったのか、配給をするとあれよあれよと口に咥え始めた。


 ささやかな労いと言う名目に、その場にいた誰もが安堵した様子である。

 そして、酒の誘惑は、いくら騎士達であっても抗いがたい。

 今まで禁酒生活だったのだから、当然のこと。


 グラスや酒の準備で、背を向けたハルがほくそ笑んでいるとも知らず。


 勿論、ハルはその為だけでは無い(・・・・・・・・・)、皮算用を持っている。

 だが、言わぬが花。


 この故郷を離れた異国の地で、どれだけ安心できるか等高が知れていようとも。

 肩の力を抜けば、それなりの愚痴は零れて来るだろう。

 酒の力を借りれば、更にその倍率も上がる。


 だが、普通の酒場であれば、彼等の口は滑らかとは行かない。

 正直、誰が聞いているかも分からない場所だ。

 勿論、裏社会の人間からしてみれば、酒場の喧騒は良い隠れ蓑であるものの。


 彼等は、魔術師であり、根本が騎士。

 おそらく、周りに気兼ねなくと言う状況は、良い潤滑剤となるに違いない。


 だからこその、この秘密の酒場へのご招待。


「おら、オレの大好きなカルダミアンだ。

 とっておきと言ったからには、良く味わって飲みやがれってんだ」

「こ、これは、申し訳ない」

「かたじけなく存じます」


 部隊長から始まって、副部隊長とグラスが回り、護衛達全員に振舞われた辺りから、彼等からのハルへの警戒が抜けた。

 勿論、毒等入れていないが、毒見すらせずに乾杯を始める始末。

 やはり、少々警戒心が薄いなぁ、と彼もまたシガレットに火を点けながら苦笑を零す。


「(分かるよ、………オレも同じだったからな)」


 純粋に、こうした護衛で当たり散らされる立場は知っている。

 数年前までは、彼も同じ状況だった。


 ましてや、彼の護衛は護衛であって違う。

 逆に暗殺対象の下に滑り込み、護衛として信頼を得てから殺すと言う、ある種の裏切りが付き物だった事が多い。

 そう言った時は、当たり散らされると殊更苛立ったものだ。


 だが、彼等には解放と言う言葉は無い。

 ハルの場合は、殺して終わり。

 それが命令遂行だったからだ。


 彼等には、その解放の手段が、本国に戻る事以外に残っていない。

 おそらく、本国に帰ってからも、彼等にとっては非常な現実が待ち受けている事だろう。


 だからこそ。

 皮算用とは別に、同情から来る親切心も多々あった訳で。


「ほらほら、手が止まってるぞ。

 今、つまみも作ってやるから、好きに寛げ」

「な、何から何まで、申し訳も…ッ」

「お手伝いを…ッ」

「ばぁか!

 ホストの仕事を取るんじゃねぇよ」


 即席バーカウンターは、程なくして大盛況となった。

 出るわ出るわの、愚痴り合い。

 その愚痴に付き合って相槌を打ち、更に酒を進めて機密情報すらも簡単に抜き取っていくハル。

 これまた、彼の手腕は見事な物だ。

 銀次がこの状況を見ていたならば、「お前とはもう二度と酒が飲めない」と戦慄していた事だろう。


 さて、閑話休題それはともかく


 その後の酒宴は、時計の針が日付を変えるまで続いた。


 勿論、王城へと帰れるように加減はした。

 更には、へべれけになって帰った様子を王城の人間に見られても大丈夫なように、巡回の騎士団への采配もしておいた。

 いつの間に、と言うなかれ。

 それが出来るのも、元裏社会の人間としての力量である。


 息抜きと称した、籠絡作戦は成功である。

 景気よく振舞った自身も大好きなカルダミアンや、つまみなどの諸経費を失った懐は寂しくなったものの。


 その分、実りは大きい。


 王城へと護衛達を送り届け、自身も多少酒精を漂わせながらも、


「(さて、………こりゃ、どっちから先に報告するべきかねぇ…)」


 思案を重ねながらも、ハルは宵闇へと紛れていく。

 握りしめた掌には、今回の諸経費の領収書と、彼等から抜き取った情報がある。


 どっちから、と言った通りに、報告をすべき相手が複数いるから、と言う事で。

 彼の仕事は、まだまだ終わってはいない。



***



 夜半の事。


 随伴の魔術師の護衛達がいなくなり。

 この王国の騎士団が護衛に就くと言う居心地の悪い晩餐を終えた後は、偽物一行はそれぞれの部屋へと即座に戻され、軟禁状態となっていた。


 以前の『夕闇トワイライト騎士団』の問題を考慮し、今回の騎士団の人選は侯爵以上の肩書きの集まった部隊だ。

 彼等がいくら喚こうとも、動じる事も応じる事も無い騎士団である。


 そのおかげか、田所も藤田も、泉谷も騒ぐことは無く。

 粛々と、割り当てられた王城内の部屋に戻っていた。


 複数名は、特例として鍛錬に出ていたが、御剣兄妹他の友人達だけだ。

 残りは、例外なく部屋の中へと放り込まれたままであった。


 それは、全ての言葉に反応を返さず、心を塞いだ小堺も同じこと。


「(………どうして、奏君………?)」


 ぐるぐると、同じ言葉ばかりが彼女の脳裏には巡っていた。


 精神が崩壊し掛けていた。


 奏君、こと間宮の事を想い続けていたのは、本当の事だった。


 富豪の両親に引き取られて、施設を離れた後も。

 彼女はずっと間宮の事を気に掛けていたし、両親へと彼女と同じく養子縁組をして欲しいと懇願していたものである。


 実際、間宮の今の名前ではなく、別の名前でだったのだが。


 それが叶わなかったのは、彼が既に引抜スカウトを受けていたから。

 両親が間宮の養子縁組を決断したその時には、裏社会デビューの階段へと足を掛けていたのだ。


 勿論、そのような裏事情は、一般人である彼女達には知らされない。

 随分前に里親の下に引き取られた、と聞いた時。

 小堺は、絶望を味わったものだ。

 

 それからは、色褪せた日々を過ごして来た。

 お嬢様、と言う称号も彼女にとっては、間宮がいない事で何の価値も無かった。


 普通に通う事が出来た学校では、取り巻きが増えた。

 だが、それでも、間宮程心が震わされ、また想うと言う気持ちを向ける相手は現れなかった。


 両親の勧めで、なんとなく学校に通い、なんとなく進学し、なんとなく良いお見合いをさせられ、なんとなく結婚をして、なんとなく幸せな生の幕を閉じる。

 そんな未来予想図を描いていた小堺は、日常すらもどうでも良かった。


 だが、それも、この世界に来た時に、崩れ去った。

 その他人から与えられる、なんとなくであっても幸せだった筈の未来が崩れたのだ。


 現代とは違う世界。

 剣や魔法、常識や言語すらも異なる世界。


 見知らぬ地に放り出され、異界の怪物に襲われる。

 命からがら逃げたのは、何度数えたかも分からない。

 クラスメート達が、目の前で死んで行く。

 保護されてからも、その厳しい現実は変わらなかった。


 王国に保護され、『予言の騎士』と『その教えを受けた子等』として擁立された、その後も。

 現実を受け入れられない小堺は、クラスメート達の励ましを受けながらも耳を塞ぐばかりだった。


 そのうち、クラスメート達は、離れて行った。

 当たり前だ。

 お嬢様育ちで、お姫様の様な振る舞いをするクラスメートまで背負うには、彼等の心の余裕も力の余裕も足りなかったのだから。

 その誰もが、訓練中の事故や病気で、死んだが。

 唯一残っていた女友達も、旅の途中で死んだ。


 更に、心を塞いだ小堺。

 もうこの世界では、生きていけない程に心から追い詰められていた。


 その筈だった。


 その視界の中に、想い続けた懐かしくも恋い焦がれた赤髪が映った時。

 間宮を見つけた時に、色褪せていた感情が一気に戻って来た。


 小堺は、『予言の騎士』が2人いる事すらも知らなかった。

 彼女は今までの邂逅の中でも、常に俯いていたままだったから。

 今まで、話のやり取りどころか、顔すらも見た事が無かったのだ。


 だが、『聖王教会』でのボランティアの最中。

 精神感応テレパスによって齎された、求めていた声。

 その声に導かれ、視線を上げた。


 間宮がいた。


 焦がれて止まず、何度も夢に見た少年がいた。


 自分と同じく、成長が止まっているのか。

 施設の時と変わらぬ姿をした、間宮の姿を見た。


 その瞬間、彼女の心に一気に感情が溢れ出した。

 色褪せていた世界が、一瞬にして色の満ち溢れた世界へと変わったのである。


 だが、話しかける事は出来なかった。

 その時には、彼は既に彼女に背を向けてしまっていたからだ。

 教会の中に戻って行ってしまった後。


 そして、市井からの心無い言葉と視線が突き刺さる。

 周りの野次すらも耳に入って来た事もあって、怖くなってその場を逃げ出すしか出来なかった。


 生きていたのだ。

 こんな世界で、再会出来た。


 その喜びに、逃げ込んだ路地裏で咽び泣いた。


 夜を待って、彼等を待ち伏せた。

 どこに行けば会えるのか等、あてずっぽうも良い所だった。

 だが、それでも彼女の潜んでいた噴水広場近くの路地の前を、彼等は通りかかったのだ。


 絶好のチャンスに、彼女は無我夢中で飛び出した。

 感動の再会が待ち受けていると思っていた。


 縋り付いて、咽び泣いて。

 そして、彼への想いの丈をぶつけ、結ばれる。


 運命の糸に結ばれた、姫と王子の恋物語を脳裏に過らせながら。

 胸に陶酔にも似た、歓喜を馳せながら。


 しかし、


『あ、あの…ッ、奏君、覚えてない…?』

『(ふるふる)』


 その想いは、呆気なく打ち砕かれた。

 こんなにも想い続けていた小堺とは違って、間宮はもはや記憶の片隅にも彼女の存在を認識していなかったのだ。


 何度目かも分からない絶望を覚えた。


 それでも、間宮と言う存在が、目の前にいる事で。

 彼女は、心を壊す事は無かった。

 傷付いただけで済んだのは不幸中の幸いだった。

 当事者である間宮が、彼女をどう思っていようが彼女には関係が無かったからだ。


 当たり前の事と認識していた。

 勿論、彼女達が結ばれる運命にある事を、だ。

 間宮が自分を覚えていなかったとしても。

 自己陶酔の結果、彼の意思の存在を忘れた彼女は、身勝手な振る舞いに身を任せた。


 だが、それも全て、銀次の言葉で打ち砕かれた。

 ただ、居させて貰う事が出来るなんて、小堺以外には思っても見ない事だろう。

 もし、偽物一行の一部が編入を希望したとしても、それ相応の訓練なり雑用なりは受け入れた上での筈。

 勿論、小堺以外の迷惑な面々は、除くものの。


 そんな都合の良い話が、ある訳が無い。

 当たり前の事を、それでも小堺は当たり前だと受け入れられなかった。

 元々育ってきた環境が遠因にあるとしても、だ。


 そうして、逃げ出した。

 自分と間宮との仲を、邪魔をする異質の存在として、銀次やゲイル達を認識したまま。


 路地裏に逃げ込んで、どうするか等考えてもいなかった。

 ただ、銀次やゲイルの魔の手から逃れなければいけないと思っていた。


 そうすれば、間宮が助けに来てくれる。

 自分を迎えに来てくれる。

 そうして、一緒に逃げ出すのだ。

 甘く馨しい禁断の恋に身を焦がすように。


 ならず者に襲われた時も、そんな考えばかりがあった。

 叫び声を上げれば、助けてくれる。

 間宮でなくても、声を聞き付けた誰かが助けに来てくれる。


 そう信じて疑っていなかった。

 実際に、間宮が助けに来てくれたのだから、彼女がそれが当然と信じて疑わなかった。


 だが、そんなもの理想だ。

 現実はそう甘くは無い。


 間宮に、素気無く突っぱねられる。

 おざなりな返答に、彼女は違和感を最初は覚えていた。


「(………どうして、そんなに冷たいの?)」


 理由など、彼女には分かる由も無い。

 元々、間宮に取ってもお荷物で、存在自体を認識されていなかったのだから。


 彼女は、それでも気付かなかった。

 間宮がどんな思いで、目の前に相対しているか等。


 一緒に逃げよう、と言ってしまった。

 銀次に課せられた無理矢理の労働だと、息巻いてしまった。

 彼と一緒ならば、この世界でも生きていけると、半ば本気で思い込んでしまっていた。


 その全てが間違いだ。

 結果、彼女は滅多に激情を露にしない間宮を、心底から激怒させてしまった。


 だが、それにも気付かないのは、もはや救いようが無かった。


 だから、間宮ももう付き合い切れないと、とっとと王城へと送り届けようとしたのだ。

 途中で、偽物一行が探しに出ている事に気付いて、彼等に熨斗付けて放り出しすらもした。


 自分の気持ちを、何故受け取ってくれないのか。

 ここまで思い続けた自分に、何故応えてくれないのか。

 どうしてここまで、冷たくあしらわれるのか。


 最後まで、彼女は気付く事が出来なかった。


 間宮にとっては、既に彼女は敵。

 言い方云々はともかく、紛れも無い面倒ごとだったのだ。


 間宮は、最後までその態度を一貫して貫き、小堺の前から姿を消した。

 叫んでも喚いても、彼は振り返りもしなかった。


 胸に満ちたのは、仄暗い感情。

 目の前が真っ暗になる。


 もう何度目かも分からない、絶望が彼女に襲い掛かった。

 それが、今度は言いようも無い速度と深度を持って、彼女の臓腑を塗り潰すように。


 心が壊れる様に。

 何かが砕けるような音を最後に、彼女は意識では無く心を手放していた。


 そうして、気が付いた時。


 彼女は真っ暗な中で膝を抱えていた。

 目の前には、2つの蝋燭の様な火が揺れている。


「(………ここは、どこだろう?)」


 考えても、答えは出ない。

 なにせ、周りは真っ暗な闇の中だったのだから。


 夜目が利くような場所では無さそうだ。

 ましてや、彼女は現代で育った普通よりも更にか弱いお嬢様。

 夜目を利かせる生活なんて、している訳も無い。


 目の前で揺れる蝋燭の火も、闇を照らし出そうとはしていなかった。


 だが、


『………汝は、何故、諦められる?』


 その蝋燭は、ゆらりと揺らめきながら、彼女に語り掛けて来た。

 仄暗い水底から響くような、余韻を残す声音。

 しゃがれた声だ。

 老人か子どもか、男か女かすらも判断は付かない。

 判断が付いた所で、彼女にとってはどうでも良かった。


 間宮が、居ない。

 彼が、自分を拒絶した。


 それだけで、彼女にとっては世界が塗り潰されたとも同義だったからだ。

 しかし、尚もその蝋燭の火は、言葉を重ねた。


『………何故、欲しない?』

「………欲する?」

『左様。

 何故、その男を、心底から欲しようとしていない?』


 小堺の胸の内など、お見通しか。

 蝋燭の火は、しゃがれた声のままで嗤う。


 そして、蝋燭の火は、揺れながらも近付いて来ていた。


『汝の心を奪った男だ。

 汝も同じように、心を奪ってやれば良かろうに…』

「………拒絶、されちゃったもの…」

『だから、どうした?』


 誘惑にも似た、甘い声音。

 しゃがれていながらも、猫撫で声のように擦り付けられた声と言葉に、小堺が目を見開いた。


 真っ直ぐに、蝋燭の火を見る。


『欲するならば、奪え』

「………欲しいなら、奪う…」

『その為ならば、殺しとて厭うな…』

「………その為に、殺すのも恐れない…」

『汝の心を奪った男を、汝が奪うのだ』

「………奪って………どうするの?」


 その疑問に、蝋燭は微笑んだ気がした。


『愛するのだ。

 髪の毛の先から、爪の先まで、骨の髄まで、愛し尽くしてやれば良い』


 揺れる、炎。

 二重にも三重にも、揺れては煌めき、小堺の眼に焼き付いた。


 それが、何かの眼である事すらも、気付かずに。


「欲しいなら、奪う」

『そうだ』

「その為に、殺す」

『その通り』

「奪って、愛す」

『その意気だ』


 繰り返された問答は、いつしか明けた夜明けの光によってかき消された。

 窓から差し込む、朝日。


 その朝日を背中に浴びながらも、逆光の中を嗤った小堺。


「欲しいなら、奪えば良いの。

 その為には、殺しだって、恐れないもの。

 そして、奪ったら、愛して愛して愛し尽くしてあげるからね…」


 待っててね、間宮君と。

 唇だけが動いた矢先。


 朝日に照らされた彼女の影には、角の様な影までもが映り込んでいた。



***

面倒臭い少女の続編は、このような形で落ち着きました。

お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、タイトルの『忍』は間宮くんの事。

彼は、もう忍で良いと思うんです。

ついでにハルさんも、もうヴァルト専属の忍で良いと思うんです。


今回もまた、長ったらしい説明文に紛れてフラグを突っ込みまくり。

熱烈なストーカーにロックオンされた間宮君の今後も、お楽しみに。


誤字脱字乱文等失礼致します。

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