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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、新学期編
146/179

138時間目 「道徳~カウンセリング・中編~」

2017年2月14日初投稿。


続編を投稿させていただきます。

ちょっとしたカウンセリングや進路相談だった筈が、かなりのハードな内容へと早変わり。


日常風景すらも、殺伐としたアサシン・ティーチャー。

とくとご覧ください。


前回は浅沼君の過去が露になりましたが、今回は作者も大好きな生徒の1人の過去でございます。

まぁ、予想はしなくても、分かるとは思いますが。


138話目です。

(※以前の話に、内容を更に追加しております。)

***



 第一に思ったのは、ハルの馬鹿野郎だった。


 何がって?

 榊原が、オレに弟子入りを申し込んできている事だよ、この野郎。


 確かに、コイツは仕込めば、間宮2号にはなれるとは思った。

 けど、それは駄目だ。


 オレ達は、イレギュラー過ぎるだけ。

 間宮だって、施設育ちと言う事と、後々の就職先が裏社会だと分かっているからこそ、弟子入りをさせた。

 環境が違い過ぎたからだ。

 元々、ルリの弟子で、ある程度仕込みが会った事も起因する。


 しかし、榊原は駄目だ。 彼は、一般人。

 いくら、父親が刑務所にいる(・・・・・・・・・)からと言って、同じ仕込みが出来る訳が無い。

 しかも、オレの生徒。

 だから、駄目だ。


 なのに、ハルが火を点けてしまった。

 彼もまた、同じようにオレに対する鬱憤を晴らす為に、捌け口が欲しかったのかもしれない。

 でも、だからって、生徒を捌け口にして欲しくなかった。


 元々、彼はそう言った方面での負けず嫌いは強かった。

 鍛錬に邁進するのも、上にいる人間の多さが彼にとっての起爆剤となっていたからだ。

 特に、間宮に対しては、過剰な闘争心を燃え盛らせていた。


 その所為もあってか、ハルの言葉を聞いて奮起しようとしている。

 その第一歩が、弟子入りだった訳だ。


「………駄目だ」


 オレの固い声が、いっそ無様。


「っ………どうして?」


 努めてか。

 榊原の方が、まだ現状を理解しているのかもしれない。


 激昂を抑えている。

 オレもそれは同じだが、声音が震える。


 まさか、進路相談がこんな方向に行くなんて思ってもみなかった。

 ハルの馬鹿野郎。


「………お前は生徒だ。

 オレ達と同じ領域に、踏み込ませる訳にはいかない」

「………それは、間宮だって同じでしょ?」

「間宮は施設育ちで、環境が違う。

 一般人であるお前とは違う。

 元々のある程度の仕込みがあったからでもある」


 理由は簡潔。

 オレ達は、所詮いらない子。

 捨て子だった。

 だけど、彼は違う。

 ちゃんと待っている家族がいる。


 それだけの事。

 しかし、言ってから気付いた。


 ………これは、不味い、と。

 嗤ったのだ。

 榊原が。


「今までオレ達が、受けていた訓練だって、同じじゃないの?」


 そうだ。

 そう言われて、今更ながら思い出す。


 彼の言う通り、今オレが生徒達に施している鍛錬や教育も、元をただせば仕込みだ。

 この世界で生きていける様に、と言っておきながら。

 想定は、最悪裏社会でも生きていける様に、と言う仕込みをしてしまっていた。


 これは、オレの落ち度だ。

 命第一を優先するあまり、過剰な程に生徒達に刷り込んでしまった潜在意識。

 鍛錬、訓練、生きる為の知恵、そして順応性。


 言われてみれば、その通りだった。

 反論は出来ない。


 なまじ、永曽根や香神、徳川が後々には特殊部隊への配属が決まっている事もあってか、女子組を含めて過剰な程の英才教育を施してしまった。

 気付いた時には、後の祭り。

 きっと、彼等は言われずとも気付くだろう。


 人殺しの為の技術を仕込まれている事に。


 それに一番に気付いたのか、コイツだった。

 それだけだ。


「そ、れでも、駄目だ」

「だから、どうして?

 オレ、自分で言うのもなんだけど、大分仕上がってると思ってる。

 そりゃ、間宮には届かないけど…」

「ああ、だから駄目だ。

 最初の頃の間宮にも届いていないお前の事を、弟子入りさせる訳にはいかない」

「………じゃあ、オレが届けば良いって事?」

「そうじゃない」


 なんなんだろう、これ。

 涼惇さんやゲイルと相対した時のような、プレッシャーを感じているぞ。


 しかも、一言一言の後に、追い詰められている感をひしひしと覚える。


 って、忘れていた。

 コイツ、天才ハッカーとして、警視庁にもマークされた要注意人物だった。


 IQは脅威の200越え。

 オレだって、追い付けない。

 オレなんて、精々180だ。

 コイツの頭の回転率はスパコン並みと考えても、大袈裟なんかでは無い。


 そして、これまた気付いた時には、遅い。

 コイツは、オレの喉元に、言葉の刃物を突き付けたも同然だった。


「オレが一般人だから、駄目だって言いたいんでしょ?

 家族がいて、帰る場所があるから、駄目だって言いたいんでしょ?」


 淡々と、それでもやや捲し立てるような言葉を吐き捨てる。


 図星だった。

 その通りだった。


 オレ達とは圧倒的に違う、環境だ。

 生徒だから、成績が足りないからなんてのは、言い訳だ。

 そもそも、そんな言い訳は今更の事で、通用する訳がない。


 オレがただ、彼をこちら側に引き込みたくなかったから。

 血に染まって欲しくなかったから。


 それだけで、オレは彼の申し出を棄却しようとしている。


 狡いとは思うが、酷いとは思わない。

 なのに、彼はそうは思わないだろう。


「………なんで?

 親がいないって事が、特別なの?

 それとも、捨てられた事が、特別だって言いたいの?」

「………ッ、何もそんなことは言っていない」


 拳を握りしめた。

 おい、コラ。

 今の言い種は何だよ、教師に向かって。


 ましてや、捨て子だからって事を、明け透けに言いやがって。

 流石に、これにはキレそうだ。


 ーーーーだが、


「そう言う事なら、もうオレには親はいないよ」


 その後の、榊原の言葉に、一気に気持ちが萎んだのを感じた。


「………どう、いう…」

「ちょっと、待ってて…」


 そう言って、榊原は踵を返した。


 出口に向かって歩き、やや乱暴に扉を開いて、そのまま部屋を出て行った。

 可聴域に聞こえた足音は、そのまま階段を駆け上がって、廊下を速足で進んでいき、また乱暴に扉を開いた。

 自室に戻ったのか。

 そう思った時には、また扉を乱暴に開け閉めして、先ほどと同じように速足で戻って来た。


 次に、扉を開けた時、彼は少し泣きそうな顔で、手紙を握りしめて立っていた。


「読んで」

「………?」


 ぐしゃぐしゃの手紙だった。

 インクの滲んだ痕もある、草臥れたと言い切れる手紙。


 しかし、日本語の踊るその手紙を、榊原はオレの目の前に突き出していた。


 読むしかない。

 手紙を受け取って、慎重に開いて目を通す。


ーーーーーーーー


お兄ちゃんへ。


 今日、お父さんが死にました。

 お母さんも自殺しました。

 私は独りぼっちです。

 なんで、こんなことになったのか、私には分かりません。

 お父さんは、刑務所の中で死んだと聞かされて、会いに行った時には霊安室のベッドで、白い布を被って寝ていました。

 顔中、体中、痣だらけで、眼も口も腫れ上がっていました。

 お母さんはそんなお父さんの死んだ顔を見て、その場で泣いてわめいて、倒れてしまいました。

 警察の人が、説明してくれました。

 お父さんは、刑務所の中で暴行を受けて、その結果、死んでしまったのだと。

 本当にいきなりのことで、どうしてこんなことになったのか私にも分かりません。

 なのに、お母さんまで、倒れた後運び込まれた病院の屋上から飛び降りて、死んでしまいました。

 お父さんもお母さんも、死んでしまいました。

 私は独りぼっちで、のこされて、お兄ちゃんとも会えなくて、


ーーーーーーーー


 見ていられなくなった。


 そこで、オレは手紙から視線を逸らし、頭を抱える事しか出来ない。

 抱える瞬間に見た榊原は、俯いたままで。

 表情は伺い知れない。


 知らなかった。

 こんな手紙の存在は、知らなかった。


 いつだ?

 いつの事だ?

 オレには、情報が入って来ていない。


 もし、夜間クラスの生徒達の近親者に、訃報や重病の報せがあれば、すぐに連絡が来る筈だったのに。


「………これは、いつ?」

「オレ達が、召喚される丁度、その夕方。

 ………速達で来た」


 なるほど。

 本当にギリギリのタイミングで届いた訳だ。


 しかも、コイツ、それを今まで隠していたと言う事になる。


 オレにも生徒達にも悟らせず。

 自分の両親が死んだことを知っていながら、隠していたという事になる。


 なのに、オレに説教をしていた。

 生徒達の為に、尽力していた。


 徳川の時なんか、コイツが発起人にならなきゃ、成し遂げられなかった事ばかりだ。

 オレにはガンレムの時に、助けに来てくれた。

 しかも、その時、シャルとコイツを逃がす為とは言え、オレはなんと言った?

 自分を庇った父親の事を考えるならなんて、知らなかったとはいえ、なんて無神経な事を言ってしまったのか。 


 それを、隠して、今までずっと…?


「榊原、………ゴメン」

「………。」


 オレは、謝罪しか口に出せなかった。


 それ以上は言えない。

 こんな事、知らなかった。


 なんで、知らせてくれなかったのかと、怒る事だって出来ない。

 聞かなかったからだ。

 オレが、ちゃんと彼の様子に少しでも気付けば良かったのに、全く彼がそんな素振りを見せずに、気付けなかったからだ。


 オレの落ち度だ。

 居た堪れない。


「………済まなかった。

 …こんな事があったとは知らなくて…」


 言い訳染みた言葉を発して、黙り込むしか出来ない。

 本当に、オレは無様だ。


「………オレさぁ、先生…」


 しかし、口を開いたのは榊原。

 普段の饒舌さからは、かけ離れて程、重苦しい声音。


 呟くように、感情を吐露した。


「………どうしたら良いのか、分からなかったんだよね。

 オレの所為で、父さんが刑務所に入る事になって、母さんと妹も引っ越さなきゃならなくなって」



***



 元々、オレは裕福な家庭には育ってなかった。

 むしろ、貧乏。

 底辺も底辺だ。


 家賃やらなにやらの問題で、治安の悪い区域にも住んでた。

 借金もあったのか、取り立てが来ることもあったけど。


 オレはまだ良かった。

 女顔ではあったけど、ひょろひょろ伸びた身長のおかげで女には間違えられなかったもん。

 けど、妹は酷いもんだった。


 誘拐とかでは無いけど、不審者に声を掛けられるのはしょっちゅうだった。

 その度に、オレが守ってた。

 けど、妹は外に出るのを嫌がるぐらいには、怖がっていたと思う。


 なのに、両親は共働き。

 どっちも、近くの鉄工所で作業員と事務方をしていた。

 泣きつく相手は、帰ってからも誰もいなかった。


 貧乏な所為で、学校でも虐められた。

 しかも、オレは何を間違ったのか赤にも近い茶髪だったから。

 正直、小学校の時は良い思い出なんて、1つも無かった。


 けど、悪いことばかりでは無かった。

 治安が悪いことを知っている、地域住民の人達は優しかった。


 特にオレ達が虐められていたり、それこそ妹が不審者に声を掛けられても助けてくれた。

 しかも、近くにいた爺ちゃんが、知り合いの空手道場を紹介してくれて。

 そして、道場の人もオレ達の経済的余裕が無いと知って、中学に上がるまでなら無料で教えてくれると言ってくれたから。


 そこで、出会ったのが徳川だった訳。

 彼はオレの事を助けてくれた。

 けど、いざ彼が目の敵にされ始めた時に、オレは味方は出来なかった。


 じゃないと、虐められるから。

 この道場でも虐められたら、オレはこの先どうやって生きて行けばよかったのかもわからなかったし。


 そんな小学生だった。

 ちょっとずれている。

 何か行動した先々の事が、予想と言うか想像できちゃったんだよね。


 こうなったら、ああなる。

 じゃあ、こうしたら良い。

 こう言ったら、ああ言われる。

 じゃあ、こう返せば良い。


 近所じゃ有名なぐらい、オレは頭が良くて素行の良い子どもってレッテル。

 すぐに手に入れて、可愛がられて来た。


 けど、中学に入ってから、ちょっと違うと思い始めた。

 何がって言えば、オレの頭の事。


 中学に入っても、周りの子ども達は猿みたいだった。

 合わせるのだって大変なぐらいに、クソガキでバカみたいな奴等ばっかで、小学生から中学生に上がったってのに、こんなもん?って思ってた。


 実際には、オレがずれていた。

 理由は、中学で初めて受けた、学力テストの結果が返って来てから。


 両親が学校に呼ばれて、オレも授業中だったのに呼び出されて。

 そこで、初めてオレのIQが200を超えている事を知らされた。


 降って湧いた、おめでたい事だった。

 その時は、そう言う風に思おうと思っていたけど、やはり両親の喜びようとはオレの中で、温度差があった。

 今でも、それは覚えている。


 別に、記憶力が良いとかじゃない。

 それこそ、頭が良いと言うレベルの事では無くて、ただ回転率が早いだけ。


 パソコンを使った時に、それが良く分かった。


 多分、こうするとこうなる。

 教えられていない事でも、アイコン一つ文字1つ、読めばすぐに分かった。


 楽しかったよ。

 最初は。


 でも、学校でしかパソコンは使えない。

 家の経済状況を考えると、買ってなんて言えなかったから、大人しく放課後には中学校のパソコン室で、時間ぎりぎりまでネットをしたり文字を打ち込んだりしていた。


 一緒に帰ろうと中学校の前で待っていた妹が、飽きて眠ってしまうぐらいには。


 先生に呼ばれて、初めて気づいた。

 妹がいなくなっている事に。

 誘拐されたのかもしれない。

 遅い時間だったから、警察も呼ぼうかと話し合いをした。


 だが、幸いにも通りかかった近所のおばさんが、近くの公園であやしてくれていただけだった。

 おかげで、オレも怒られなくて済んだ。

 けど、パソコン室に入り浸る事は、辞めるしかないな、と諦めるしかなかった。


 楽しかった趣味も、オレには不釣り合いと言われた気がした。


 そんな時期だった。

 中学から報せを聞いたと言う、科学研究所とか何とかいうところの人が来たのは。


 なんでも、オレのIQが超えている事について、研究をしたいとの事だった。


 その代わり、謝礼も出すと言われた。

 好きな事をしていられるように、好きなものを買い与えると言われた。

 それこそ、両親も妹ももっと良い環境で暮らす事が出来る様に取り計らってくれるとも言われた。


 一度は、返事をしようとしてしまった。

 両親が頑なに断って、その人たちを追い返してしまわなければ、オレは頷いていただろう。


 謝礼は、見た事が無い程の桁だった。

 買い与えて貰えるなら、パソコンが良いと思ってもいた。

 今より良い生活を家族が出来るようになるなら、オレが一人犠牲になるぐらいどうって事無いとは思っていた。


 間違いだと気付いたのは、今になってからだったけど。


 ある時だった。

 何とはなしに、中学からの道すがらで見つけた、川辺の空き地。

 不法投棄とかで、ゴミが散乱していた。

 その中に見つけた、フォルムに飛びつくようにして駆け寄った。


 パソコンだった。

 家に持って帰って、その日のうちに綺麗に磨いて中身を確認した。

 マザーボードと呼ばれる基盤が、ちょっと焦げているぐらいなもので、後は綺麗なものだった。

 川辺に行って探したら、他にもいくつも破損したパソコンがあって、その中からいくつか拝借したマザーボードを繋げたら、起動するようにはなった。


 モニターは別だったけど、それも不法投棄の川辺で見つけた。

 配線がちょっと切れちゃって使えなかったようだが、近くに落ちていた別のビデオデッキやそれこそ同じような方のカーナビの配線を引っこ抜いて繋いだら、呆気なく使えるようになった。


 パソコンは簡単に出来上がった。

 キーボードは母さんが職場の使わなくなったものを、オレに持って帰って来てくれた。

 マウスは不法投棄の川辺で見つけて来た。


 1週間も経たないうちに、あっと言う間にパソコンが出来上った。


 出来るのは、文字を打ち込む事だけ。

 中に備わっているアクセサリの中のゲームを遊ぶだけ。

 それだけでも、オレに取っては満足だった。

 自分の家に、パソコンがあるという事だけで、嬉しかったのだ。


 だが、段々と飽きて来た。

 次を求めてしまった。


 今度は、ネットがしたくなった。

 ネットサーフィンをして、テレビや新聞だけでは知られない世界を見て見たかった。

 学校の授業では使えるし、楽しめる。

 けど、そんな短時間だけではなく、もっと長い時間を楽しめたら最高だと思った。


 学校で調べてみたら、電話回線でネットに繋げる事が分かった。

 月々の料金が掛かるから無理だと思った。

 けど、別の日に学校で調べたら、外にはネットの回線、いわゆるWi-fiが飛んでいる事を知って、早速試してみた。

 パスコードが必要だった。

 また別の日に学校で調べていたら、そのパスコードの解除方法が乗っているサイトを見つけた。

 これだ、と思った。

 違法だとは思っていなかった。

 そして、その日のうちに試して、呆気なくネットは繋がってしまった。


 その日から、ネットサーフィンを楽しむ日々が始まった。

 ネットにはなんでも乗ってた。

 オレが知らない事や、世界の事、果てはパソコン関連の仕事や、その仕事に関しての求人なんかもあると知った。


 ソースの使い方も、なんとなく覚えた。

 ハッキングの仕方も、ネットには乗っていたから、それも覚えた。

 その時には、勝手に外に飛んでいる回線を使う事を一部では違法だなんて、知っていても見なかったフリをしていた。


 1年後には、オレは株のレーディングをするようになっていた。

 とはいっても、買うようなお金は無いからある程度を予測して評価、もしくはそれに準ずつレビューを行って、買い手の人達が見る掲示板に書き込む程度だった。


 しかし、ここでふと疑問に思った。

 掲示板に書かれる評価や、その評価者のドメイン。

 オレの予想が的確で、随分と好評だったからちょっとした自信にもなっていた。


 出来心で、そのドメインを使って、勝手にその人に成りすまして株の売買をするようになってしまった。

 成功しちゃったから。

 やろうと思ったら、出来ちゃったから。


 貧乏だった。

 家が、裕福では無かった。

 中学でも、虐めは相変わらずだ。


 少しでも、逃げられるように、金銭が必要だと感じていたのだ。

 犯罪だと分かっていた。

 違法だとは、頭では分かっていた。


 自分ならもっと上手く、ちゃんと出来るのに。

 お金が無いばかりに、他の子達よりも出来る事が少ないなんてことがあって堪るものかと。


 馬鹿だよね。


 半年後。

 オレは、株を大当たりさせた。

 100万が4億に変わった。

 すぐに、名義を自分の口座に移し替えて、全額を振り込んだ。


 億万長者に、一瞬でなってしまった。

 ハッキングの結果だ。

 裏取引の株の情報をハッキングして、総取りしてしまったようなものだった。


 でも、その頃にはオレもパソコンに精通していた。

 慢心していたとでも言うのかな?


 ドメインやアドレス、投資に使ったのは誰とも知らない人間のもの。

 しかも、口座名義を変える時は、架空の会社をでっちあげて、そこを経由させてまで。

 捜査の手を攪乱出来るならと、ドイツ語の並ぶ画面に嚙り付いて、図書館から借りて来たドイツ語の辞書を片手に、海外の口座を作ったりして。


 まぁ、それも全部無駄になったけどね。


 突然のことだった。


 家に警察が来て、ガサ状と言うものを持っていた。

 つまりは、家宅捜索。


 珍しく家にいた両親が、てんやわんやとなっていた。

 オレは、その時、何を思っていただろうか。


 オレが使っていたパソコンが押収される。

 それはオレのものだ。

 絶対に渡さない。


 そう言って、警察官に飛び掛かったのは覚えている。

 けど、本当はそんな理由じゃなかったのは、オレは知っている。

 両親もオレのそんな様子を見て、気付いたのだろう。


 あのパソコンには、オレがハッキングしたデータが、その形跡が全て残ってしまっていた。

 慢心していたからこその、灯台下暗し。

 一番、残しておいちゃいけない履歴を残してしまっていた。


 すぐにバレた。

 当たり前だ。


 でも、オレが逮捕されることは無かった。


「わ、私がやりました。

 お金欲しさに、ハッキングをしました」


 がさ入れの後。

 もう一度、今度は逮捕状を持ってやって来た警察に対し、父がそう言った。


 父さんも、鉄工所で機械関連の部品を作っているらしくて。

 そして、その関係で、パソコンの修理を請け負っていた事もあったとかで。


 最初から、警察もオレか父さんのどちらかだと、的を絞っていた。

 よく見ると、逮捕状は2枚あったから。

 きっと、もう1枚はオレのだった。


 けど、その1枚は執行される事無く、父さんが逮捕されて、警察に連れていかれた。


 オレ達は、引っ越さなきゃならなくなった。

 父さんがいなくなって家計が苦しいのもそうだけど、犯罪者の家族となってしまったオレ達の居場所は、この治安が悪くても結束の固い区域でも受け入れてはもらえなかった。


 学校も転校する事になった。

 折角、中学を上がってからも、特別に無料で通わせて貰えた筈の道場も。

 オレ達を助けてくれていた近所の人達も。


 皆、お別れ。

 全部、オレの所為。


 父さんは、8年を食らった。

 執行猶予は付かなかった。


 刑務所に入れられてしまって、そのままオレは無罪放免。

 有り得ない。

 警察も裁判所も馬鹿なんじゃないかと思ってしまった。


 けど、一番の馬鹿は、オレだ。

 オレが、家族を滅茶苦茶にしてしまった。


 家計がもっと苦しくなって、母さんは夜の仕事もするようになってしまった。

 父さんがいなくなって寂しくてか、酒も飲む様になってしまった。

 それでも、オレの事を責める事も無く、妹に当たり散らす事も無く、頑張ってくれていたと思う。


 ただし、オレの方は、面倒ごとばかりが重なったけど。


 ある日だ。

 転校した先の学校に、また例の研究所の人達が来た。

 前の時は父さんも母さんもいたけど、今度はオレ1人しかいない時。


 目の前に、資料を出される。

 意味は分かった。

 そして、同時にその研究員達の裏に透けて見えた、欲望も垣間見えた。


 彼等はオレの頭脳が欲しいのだ。

 そして、オレをモルモットにしたいのだ。


 耳当たりの良い言葉ばかりを選んで、オレに吹き込んで来る。

 でも、実際には人体実験の被験者になれ、と言っている。


 学校の先生たちに協力して貰って、返事は後日、とその日は追い返した。

 すぐに、パソコン教室に引きこもって、ハッキングした。

 懲りずによくやるものだ、と思うけど、もう癖だった。


 そして、例の科学研究所のデータを見つけて、やはり自分の考えていた事が大当たりだと分かった。

 科学研究所なんて名前は掲げているけど、完全に非合法の場所だった。


 知ってる?

 オレ達みたいな、IQの高い子どもの中で、経済的な理由で連れて行かれたリ、身寄りの無い子が連れていかれた先で、どうなったのか。


 全部、データになって纏まってた。

 吐き気がした。

 彼等は、オレ達の脳みそ使って、人工知能が作りたかっただけだ。


 ハッキングの履歴は、消した。

 前の時の反省を踏まえて、しっかりと痕跡は残さないように念入りに。


 そして、この話は無かった事にしようと思った。

 このままだと、脳みそを玩具にされるだけだ。


 そう思っていたのに、科学研究所の奴等は、次の日もやって来た。

 その次の日も。

 学校と言わず、オレの登下校の時にもやって来て、所構わず耳障りな言葉を上げへつらって、オレに取り入ろうとして来た。


 オレだけなら、まだ良い。

 なのに、妹がいる前でも、新しい学校で出来た友達の前でも。

 このままだと、誘拐でもされ兼ねない。


 そう思った時に、どこか相談するところは無いかと、またハッキングをして探した。

 見つかった。

 非合法機関の癖に、製薬会社を経営していて、なおかつ会長が脳科学の権威とか言う組織。

 そうそう簡単に見つかるような場所とは思っていない。

 だけど、見つけてしまったのだから、どっちにしろオレが助けを求めるには十分だった。


 例の科学研究所の奴等に、脳みそを弄られるよりもマシ。

 すぐに、連絡を取った。

 ハッキングしたデータの中にあった、メールアドレスへと。


 返答は、文書でお願いした。

 オレの家には、もうパソコンは無かったから、メールが返って来ても受け取れなかったからだ。

 まさか、学校のアドレスに返して貰う訳にもいかないし。


 その翌日には、ポストに投函されていて吃驚したけど。


 オレの思っていた通り、非合法の科学研究所に関しては対応してくれるそうだ。

 その代わり、自分達の経営している実質無償での教育機関である特別学校に進学し、監視下に入る事と。

 家族の身辺は、組織が責任を持って、警護あるいは保証をしてくれる。

 オレの脳みそを役立てるポストを用意する。

 だから、進学した学校を卒業した後には、組織の構成員となれ、という内容。


 悪くない。

 モルモットよりは、遥かにマシだ。

 就職先が決まったも同然。

 まっとうな職じゃなくても、家族を食わせてやれるなら、なんでも良かった。


 オレが就職する頃には、父さんも帰って来る。

 妹も、きっと高校に入学出来る。

 母さんだって、夜の仕事はしないで済む。


 返答は即座に返した。

 これまた、メールでだ。

 文書で返すと、これまた足が付くからと指定されていたからね。


 その翌日のことだった。

 ニュースを見て、ぞっとした。


 例の科学研究所と冠した非合法組織が、非人道的な実験や研究を行っていたと告発されていたのだ。

 タイミング的に、オレのメールの所為だなとぼんやり思った。

 そして、オレが助けを求めた先の組織が、それなりの規模である事もこの時にはっきりと分かった。


 ………怖いもの知らずだな、と隠れて震えた。


 とはいえ、その後オレの下に例の科学研究所の人間が来ることは無くなった。

 まぁ、警視庁の人間がやって来た事ぐらいか。


 例のハッキングした事件の事で、聞かれた。

 父さんが何をやっていたのか、理解していたのかどうか。


 理解も何も、本当は父さんがやった事では無い。

 オレがやっていた事なのだから、理解していたに決まっている。

 だが、罪を逃れる為に、オレは知らない、と言った。


 本当は気付かれていただろうに。

 警視庁から来たエリートらしき人達は、名刺と文書と資料を置いて帰って行った。


 文書は、オレがパソコンに精通していた事を、さらっと触れながらも曖昧に濁した内容で、要は科学研究所の奴等と同じ勧誘だった。

 資料は、警察学校のパンフレット。

 そして、書かれていた名刺の肩書きは、警視総監。


 なるほど。

 オレが、裏社会に従事しないように、釘を刺しに来た訳だ。

 ついでに、就職先をどうするかも、強制的な斡旋もして来た訳。


 もう、遅かったけどね。

 ただ、この時にはもう、警視庁にマークされている事は分かった。

 それからは、パソコンは使っても、ハッキングはしないようにした。

 する必要も無かった事もあったし。


 そして、中学を卒業した時、初めて例の組織の構成員が、オレの家にやって来た。

 綺麗な女の人だった。

 金色の髪に、眼鏡掛けてて、物腰も柔らかい人。


 けど、その人のタイトスカートの太腿には、不自然なふくらみがあった。

 武器を持っている事は分かった。

 ああ、オレも行く行くは仲間入りなんだろうな、と思っていたものだ。


 その人は、こう言った。

 学校の説明をするから、付いて来て?と。

 何も、学校の説明だけで、オレが連れ出される事なんてあるのか?と疑問には思ったが、拒否権は無い。

 素直に従った。


 そのまま連れて行かれたのは、まだ改築中だった校舎だった。

 オレ達にとっての旧校舎。

 そこで、初めて、黒鋼先生に会った。


 綺麗な先生だと思った。

 けど、眼が怖い。

 口元が笑っているのに、眼が笑っていない。


 ああ、この人も、あの綺麗な女の人と一緒で、組織の構成員の1人なんだろうな、と分かった。


 こうして、オレはこの学校に通う事になった。

 ただ、拍子抜けだった。


 何が?って、特別学校なんていうから、もっと教育方法とか内容が違うと思っていたのに。

 オレが今まで通っていた学校と変わらなかった。

 先生が変わらないから、授業内容だってほとんど同じ。


 夜間学校の特別クラスとは思えない程、普通の授業風景。

 外が真っ暗だなんて、思えない。


 先生は普通にオレ達の先生で、オレ達も普通に先生の生徒だった。


 音楽聴きながら、先生の眠くなる授業を聞いて。

 いつも通り、適当に板書を書き写すだけ。


 こうして普通に時間帯が違うとは言え、同じ年代(※一部は違うけど、)の奴等と普通に授業を受けている。


 拍子抜けするような、光景。


 曲りなりにも、先生は器用だった。

 授業は、8科目もあるのに、全部を教えている。

 国語、数学、理科、社会、英語、保健体育、倫理、情報処理。

 その中でも、特に英語と情報処理は、一番オレも好きな課目。

 授業もそこそこ上手いし、オレが馬鹿みたいに噛み付いても、それを跳ね除けるだけの頭脳も力もある。

 元々のスペックがオレなんかとは比べ物にならなかった。


 だからこそ、こうして問題児ばかりの特別クラスに配属されてるんだと思ったけど。


 このまま、この学校を卒業するのも悪くない。

 そう思っていた。


 そんな矢先の事だった。

 突然、現れたのは、これまた組織の構成員だった。


 手紙を持っていた。

 妹からの、例の手紙だ。


 この手紙を届けてくれたのは、あの時の人とは違った。

 銀色の髪をした、これまた綺麗な人。

 男か女かは、はっきり分からなかった。

 サングラスを掛けていた事もあるし、体形も膝下ぐらいまである長いレザーコートを羽織っていた所為で、分からなかったし。


 でも、その人。

 最後に一言だけ、残して行った。


「………済まない」


 と。


 手紙を読む前だったから、何に謝られたのかは分からなかった。

 分からなかったけど、嫌な予感はした。


 そして、手紙を開いて読んで、そうして理由が分かってから納得した。


 守れなかった、と悔いてくれたのだ。

 オレの両親、ましてや妹も。


 妹がどこにいるのかは、分からない。

 手紙は2通あった。

 1通は妹のだったが、1通は組織からの手紙だった。


 謝罪だった。

 刑務所の仲間では、組織でも守れなかった、と。

 そして、妹が行方不明となってしまっている事も、その手紙には書いてあった。

 目下、妹の保護に動いてはいるが、現状ではその行方が不明。

 この手紙も、足取りを辿る為に入手したものだと言う事だ。


 どこに行ったのか、分からない。

 でもきっと、良い思いをしている訳では無いだろう。


 保護、されて居れば良いな。

 警察でも良いし、組織でも構わないから、保護して貰っていれば良い。


 そんな気持ちのまま、教室に向かった。

 異世界に召喚されるなんて、考えもしないままで、皆に知られないようにいつも通り振舞おうと思いながらも、込み上げて来る吐き気を堪えて。


 聞かれて、答えたら。

 知られてしまう。

 オレが、犯罪者である事も、父さんを犠牲に罪を免れた事も、その所為で父さんも母さんも死んで、妹が行方不明な事も。

 そして、オレが今後裏社会に従事することも。


 きっと、軽蔑される。

 だから、言わなかった。

 一生、隠さないといけないと思った。


 だから、言わずに一日を過ごして、夜になったら少しだけ泣こうと思っていた。

 その夜中の内に、異世界に召喚されたから、それも無理だったけどね。


 異世界に来たのは、罰が当たったんだと思ってた。

 きっと、この意味の分からない、訳の分からない世界で、オレ達は死んで行くんだろうって。

 そうして、そのまま誰にも知られる事無く、存在が抹消されるんだって。


 でも、そうならなかった。

 先生のおかげ。


 元軍人とか言ってたけど、知ってたよ。

 先生が、組織と繋がりのある、構成員だって事なんて。


 しかも、その立ち居振る舞いとか見れば、一目瞭然じゃん。

 多分、あの金髪の女の人よりも確実に強いんでしょ?

 あの銀色の髪の男だか女だか分からない人は分からないけど、それでも簡単に負けるような人でも無いでしょ?


 分かってた。

 知ってた。

 先生が、オレの先輩になる事なんて。


 なのに、先生は弱かったね。

 力の事じゃないよ。

 精神こころの事だよ。


 良く泣いて悲しそうで、すぐに倒れちゃうんだもん。

 異世界に最初に来た時だってそうだし、拷問を受けた後もそう。

 旧校舎で物品の回収中にまで倒れちゃって、もう見てらんなかったね、あの時は。


 でもさ、逃げないんだよね。

 そりゃ、言いたくない事とか隠し事の時は、すぐ目線逸らすけど。


 それでも、先生は向き合おうとして来た。

 何にでも。

 逃げようと思えば、きっと理由を付けなくても逃げられた。

 オレ達を捨てて、逃げる事が出来た筈なんだ。

 ましてや、組織の人なら、簡単だったんじゃないの?


 なのに、見捨てなかった。

 不味いだろうな、と思っていた徳川だって、見捨てなかった。


 先生が見捨てないって事は、大事って事。

 オレ達、滅茶苦茶大事にされてるって、分かった。


 その分、弱点になるって事も分かってたけど、その時は嬉しかった。

 泣いちゃうかと思ったぐらい。

 実際、シャルを預かった時とか、ちゃんとオレ達に向き合ってくれていると分かった時には、一緒になって泣いちゃったけど。


 オレ達が、しっかりしなきゃと思った。

 そうじゃなきゃ、先生も満足に戦えないと思った。

 だから、鍛錬に真面目に打ち込んで、先生がいなくても誰1人欠ける事無くこの世界を生きられるように、頑張った。

 そのつもりだったんだ。


 それが覆されたのは、南端砦の時。

 先生の大事な物だと認識していながら、自分達の身一つ守れなかった。


 むざむざと、殺されかけてしまった。


 オレは、化け物みたいに強いあの傷の男どころか、一緒にいた女の子にすら勝てなかった。

 手も足も出なかった。


 助けられてしまった。

 守りたかったのに、守れなかった。


 悔しかった。


 なのに、目の前で間宮がオレが手も足も出なかった少女に、勝ってしまった。

 ボロボロになりながら、それでも諦めずに立ち向かって、勝利を掴んでいた。


 鳥肌が立ったよ。

 正直、間宮の戦い方が、先生と瓜二つだったもん。

 自己犠牲も厭わない、それでいて我武者羅では無い戦い方。

 オレが今まで見て来た、先生の戦い方。


 でも、結局オレは見ているだけになった。

 何も出来なかった。


 間宮は、あれだけ出来たのに。

 オレは、オレ達は何も出来ないまま、戦闘は終わった。


 死にかけた先生を前にして、何を思ったと思う?

 なんで、もっとちゃんと上手く、自分達の身を守る為の努力が出来なかったのかって、後悔したんだ。

 先生の助けになれるように、訓練して来た筈なのに。

 それが、出来なかったから、悔しかったんだ。


 守りたくても、守れない。

 今のままじゃ、先生や皆の事どころか、自分の命一つだって守れないって気付いた。


 死にたくないよ。

 前に言った通り、オレ達はまだ先生がいないと、この世界じゃ生きていけない。

 

 でも、甘えてばかりじゃいられない。

 オレは、守らなきゃいけない。


 家族は守れなかった。

 でも、その代わり、守りたいと思えるものがこの世界で出来た。


 クラスメート達もそうだし、好きな子だってそう。

 先生の事だって、勿論だ。


 だから。

 だからこそ、



***



「オレ、先生や皆の為なら、死んでも良いと本気で思ってんだよ。

 今度こそ、本気で守らないといけないものが出来たから…。

 だから、その為には、命を懸けないといけないって、分かったんだ」


 独白の様な言葉と共に、榊原は頭を下げた。

 それだけでは足りないとばかりに、床に手を付いた。


 土下座だ。

 最近は、何度も見ている。


 だが、こうして生徒を見下ろす事になるとは、夢にも思わなかった。

 悲しかった。


「お願いします!

 オレに、稽古を付けてください!」


 更に、言い募る榊原。

 オレは、椅子に腰かけたまま、脱力して頭を抱えるだけ。


 眩暈もしていた。

 頭痛もしていた。

 何よりも、目頭が熱くて、抱えた手を退けることが出来ないでいた。


 情けない。


「………なんで、言わなかった?

 なんで、既にウチの組織からの勧誘スカウト受けてる事、言わなかった?」


 零れた言葉は、返答では無い。

 無理やり怒気を抑え込んだ固い声。


 こんな時まで、オレは無様だ。


 榊原が顔を上げた気配を感じるが、視線は向けずに彼の言葉を待った。


「………言っても、先生だもん。

 きっと、反対すると思ってた…。

 実際に、今もこうして反対されてるし…」


 確かに、そうだ。

 オレは、きっと反対した。


 でも、そんな事になっているなんてことは知らなかった。

 しかも、迎えに行ったとか言う金髪の女なんて、間違いなく同僚兼女医キリノじゃねぇかよ。

 ちゃっかり、洗脳かましてやがって、この野郎。


 組織は、本気だ。

 ルリを引っ張り出すならまだ分かるが、交渉役にキリノを連れて行った。

 その時点で、コイツと言うハッカーの才能が、喉から手が出る程に欲しかったという事。


 オレが、反対したところで、何が出来た訳でも無い。

 そして、今、オレが反対する意味も無くなっている訳だ。


 涙が、出て来た。

 先ほどまでの所為で、涙腺が緩んでいる。


 それ以上に、自分の生徒を、むざむざとこちらの世界に踏み込ませてしまう事になるなんて思ってなくて、悔しかった。


「………なんで、だよ。

 なんで、そんな馬鹿な事…」

「馬鹿な事じゃない。

 オレにとっては、大切な事だった…」

「馬鹿だよ。

 お前は、大馬鹿野郎だ」


 家族を守る為?

 自分の身の安全を確保する為?


 そんなもん、警察に先に届け出れば良かったじゃないか。

 ちゃんと、相談すれば、いくら犯罪者の子どもだと言うレッテルがあろうが無かろうが、通告や勧告ぐらいの事はしてくれた筈だ。


 ………って、あれか。

 科学研究機関のサーバーに、ハッキングした負い目か。

 そうかそうか。

 最初に犯罪を犯しているから、警察にも届けられなかったのか。


 ………だから、何で先に悪事に手を染めちゃうんだよ。

 香神や永曽根と言い、コイツと言い。


 しかも、彼の妹からの手紙を読めば、嫌でも分かる。

 自棄だ。

 自暴自棄になっているのだ。


 質が悪い。

 なのに、コイツは真剣だ。

 本気でオレに、弟子入りして、本気で裏社会の人間になろうとしている。


 なまじ、家族の身辺の保証と言われた。

 実際、人質に取られているのと同じ意味だ。

 ウチの組織は、そう言った事だって平気でする。

 逃げ場所なんて無い。

 NASAかCIAにでも逃げ込まなきゃ、どうにもならない。


 ………ああ、だからアズマも引き抜きを受けたのかな?

 だったら、納得だよ。

 悔しいけど。


 もう、こうなったら、オレだって折れるしかない。

 折れないと、コイツが死ぬ。

 将来、確実に、コイツがオレの知らないところで、死体になって帰って来る。


 そんなの知りたくない。

 見たくもない。

 聞きたくもない。


 なら、オレには選択肢なんて、1つしかない。


「………間宮が、どんな訓練を受けているのは、知ってるな?」

「………先生、ッ…」

「間宮は、弱音は吐かない。

 そりゃ、アイツは言葉が無いから仕方ないとは言っても、それでもアイツがオレの前で膝を屈することは無いだろう…」


 アイツも、負けず嫌いなのだ。

 それも筋金入りの。


「………お前は、すぐに文句を言う…。

 言わないと約束できるか?」

「………言わない…ッ」

「弱音、吐かずに続けられるか?」

「続けるよ!

 約束する!

 神様…ッ、女神様に、誓ったって良い!」


 大仰な事だ。

 別に、いるかどうかも分からない神様に誓う意味は無いのに。

 まぁ、女神様がいるけど。

 それはそれ。


 手を退けた。

 涙混じりの、オレの情けない顔を見られる。


 そんなもん、正直どうでも良い。


 目の前には、今にも泣き出しそうになっている榊原の、あどけないながらも凛とした表情。

 オレが泣いている事に気付いてか、余計に。

 それも、今はどうでも良い。


 コイツも、いつの間にか大人になっていた。


 巣立とうとしている訳では無い。

 しかし、自分の殻を破り、鬼にも夜叉にもなろうとしている。

 裏社会に生きる為に、死に物狂いで。

 絶対に曲げないと言う意思の見え隠れする目をしながら、オレの睨み上げている。


 お手上げだ。


「………分かった」


 そう言って、頷いた。

 頷いてしまった。


 もう、後戻りは出来ない。

 言質を取られているのだから。


「せ、先生…ッ、あ、ありがとう…ッ」


 今度こそ、平伏する様に頭を下げた榊原。

 肩が震えている。

 床に、滴が落ちる音もした。

 榊原も泣いているようだ。


 可聴域の所為で、余計な音まで拾ってしまうから、嫌になってしまう。


 立ち上がった。

 机を回り込んで、榊原の傍らに立つ。


 腰からは、オレの相棒でもあった、チタン製のナイフを抜いていた。


「………先に、言っておく。

 もう、生半可な覚悟や、甘ったれた甘言は聞けない」

「わ、わがっでまず…ッ!」

「………死を恐れるな、とは言わない。

 だが、常に隣に死がある事を意識しろ」


 でなければ、慢心するのだ。

 昔のオレのように。


「覚悟を見せろ。

 意地を張れ。

 虚勢でも良いから、せめて自身の矜持を守れるだけの度胸を持て。

 ………そして、力を求めろ」


 貪欲に、傲慢に。

 オレ達は、最初にそう教えられた。


 死ぬ覚悟。

 歩み続ける覚悟。


 そして、殺す覚悟。

 その十字架を背負って、歩み続ける覚悟。


 その覚悟を持って、全ての気概と成す。


 意地を張るのは、当たり前。

 虚勢を張るのも、その為だ。

 じゃなきゃ、舐められる。

 舐められると殺される。

 舐められない為には、その維持と虚勢を張れるだけの度胸と、力が必要だ。


 貪欲に力を求め続けた者だけが、この世界では生き残る。

 執着もあって良い。

 金でも物でも命でも、勿論愛でも良い。


 妄執が、貪欲な精神を培ってくれる。


「………覚悟を見せろ、でなくば殺す。

 死にたくなければ、地を這い蹲って汚泥を啜ってでも、のし上がれ」

「………あ゛、あ゛いッ!!」


 涙混じりの訛声で、榊原がその場で顔を上げた。

 オレを見上げて、眼を瞬かせる。


 差し出したのは、ナイフ。

 オレが今まで使っていた、少し刃の欠けてしまっているナイフだ。


 説明した事は無かっただろうが、意味は分かったらしい。

 榊原は、それを受け取った。


 そして、懐に抱き込んで、そのまま呻き声にも似た泣き声のままで蹲った。

 半年とちょっと前に、間宮に脇差を差し出した時のことを思い出す。


 アイツもまた、オレから受け取った脇差を抱き込んで、涙を零していたのだったか。

 オレなんかに、何の畏敬の念を覚えるのかは分からない。

 だが、それでも、こうして喜んで受け取ってくれる事は、オレにとっても誇りに思えた。



***



 しばらくして。


 榊原は床から、オレのベッドに場所を移して散々泣かせてやった。


 きっと、抱えていたものが、幾つもあったのだろう。

 それを悟らせないように、今まで気丈に振舞って来た。


 けど、オレに発露した事で、感情の箍が外れたらしい。

 おいおいと泣いて、しばらくは落ち着きそうにない。


 正直、よくも保ったものだと思う。

 両親の相次いだ死と、妹の行方不明だ。

 情緒不安定になっても仕方ないだろうに、コイツはそう言った素振りは一切見せようとしていなかった。

 それどころか、生徒達の為に出来る事をやったり、オレに対して説教までしたり。

 徳川の事を一番可愛がって、世話を焼いていた。

 彼だって、甘える相手が欲しかっただろうに。


 落ち着くまで。

 気が済むまで、泣けばいい。


 その間、オレは書類を作成しておくことにする。

 まだ、ルーチェの分だけが途中だったから、仕上げておこうと思っただけ。


 見て見ぬふりだ。

 明日からは、きっと許す事は出来なくなるから。


 そこで、ふと。


「………先生に、まだ言っておかないといけない事があるんだ」


 鼻を啜りながら、榊原が起き上がる。

 眼や鼻の頭まで真っ赤で、正直見ていられない。


 教室に戻る前に、先に目を冷やさせてやりたいな。


 それはともかく。


 ルーチェの通信簿も、最後のサインを書き終えれば終了となる。


 静かに頷いて、先を促した。

 彼が言わんとしている事がなんなのか、聞いてやらないといけない。

 もし、隠し事が他にもあるなら、聞こう。


「………例の『予言の騎士』一行なんだけど…」

「うん?」


 内容としては、ちょっと意外な話題が出て来た。

 例のと言われたのは、『予言の騎士ニセモノ』一行の事だが、それがどうかしたと言うのか。


 肩眉を上げて、更に続きを促した。

 すると、彼は少々話し辛そうにしながらも、おずおずと口を開いた。


 爆弾並みの、一言を。


「あの田所って奴、もしかしたらオレの中学の時のクラスメートかもしれない」

「………何だと?」



***



 かくかくしかじか。

 これまた、説明を受けてから、思ったのは『最悪』の一言だった。


 なんと、彼。

 榊原が転校する前に通っていた中学校の時の、虐めっ子筆頭だったらしい。


 しかも、家がそれなりに裕福とか。

 我儘放題に育っていそうだったから、然もありだな。


 とはいえ、不味い事になった。

 コイツが今まで隠していた事が、あの田所青年の一言で無駄になる。

 しかも、田所青年の性格を鑑みる限りは、おそらく黙っていると言う選択肢を取るような性格とも思えないしな。


「………気付かれてるか?」

「どうかな?

 向こうは、オレの事覚えているのかどうか分からないし、そもそもあんまり顔は合わせてなかったし…」


 そういや、コイツ走り回っていた以外は、貧血でダウンしていたっけか。

 飛鳥の輸血用に、ギリギリの600ccまで提供してくれたし。


 そのおかげで、田所青年には顔を見られる隙も機会も無かった。


「ただ、向こうは分かったと同時に、声を掛けて来るかもしれない。

 友好的に、とは流石に言い切れないし、あの調子だと無理があるように思えるが…」

「分かってる」

「………正直、オレは話しておいた方が良いと思う」


 何が?

 生徒達に、彼自身の生い立ちを、だ。


 渋い顔になった榊原を見て、無理かと思ってしまうのはオレがまだ甘い所為だろうか。


「いきなり知らされるよりは、事前に知らせておいて。

 それで、生徒達にも理解を求めておいた方が、オレは傷は浅くて済むと思っている」


 傷を無くすことは、無理にしてもだ。

 それでも、彼が感じている負い目を、不用意に晒されるよりはまだマシ。

 生徒達もある程度受け皿が出来た状態であれば、受け入れられると思っている。


 それに、ウチの校舎にいる生徒達。

 こう言っては難だが、結構脛傷持ちだと思うんだ。


 浅沼は、引きこもりのニート。

 伊野田は、親が裏社会の人間。

 香神は別としても、持って生まれた異能の所為で、家族が離反した原因を作ってしまっている。

 杉坂姉妹も昔の傷が原因で、高校を中退している。

 常盤兄弟も別ではあるが、家出同然で飛び出している事実。

 徳川は怪力と馬鹿の所為で、学校や家庭で問題を起こしていた。

 永曽根も、家出同然で飛び出し、暴走族からヤクザの手前までの転落人生。


 間宮は、例外中の例外。

 施設育ちだが、その前には普通の家庭に育っていたらしい。

 どういう経緯で、施設に入り、またオレの下にやって来たのはか、オレも手元に資料を持っていないから知らない。

 とはいえ、オレ達の仕事に脚を踏み入れるぐらいだ。

 何かしら、問題を起こしての、施設入りだった可能性は十分にある。

 今日のカウンセリングで聞いてみるのも良いか。

 師匠オレの過去は知っている癖に、弟子の過去を師匠が知らないのもなんだかなぁ、と思うんだ。


 って、話が逸れた。

 軌道修正と共に、再び榊原へと目線を移す。


 呆然とした、彼と眼が合った。

 今の、全部口に出していたからな。


「………良いの?

 クラスメート達のそんなこと、オレに教えて…」

「………お前、オレの弟子になったんじゃ無かったのか?」

「………ッ、そ、それは、そうだけど…ッ!」


 言っておくが、これは間宮には最初の段階で話している。

 オレと行動を共にする事が増えるなら、ある程度の知識は知っておいた方が良いと思っての事。

 勿論、他言無用と厳命しているし、他言した場合の処置も伝えている。

 だからこその、彼への暴露。

 悪用するような事があるとも思わんし、するならするで破門にするだけだ。


「オレ達と同じ土台に立つつもりなら、覚えておけ

 饒舌は銀、寡黙は金。

 時は金なり、時として命を救うのが、情報だ」


 そう言って、シガレットを取り出して、火を点ける。

 ケースの灰皿には、既に溢れんばかりの吸殻が残されていた。


 思えば、この時代に来てからも、煙草の消費は相変わらずか。

 オレも変わらない。

 本質も、外面も。

 変わったのは、体質ぐらいだ。


「………吐いて良いのは、血反吐ぐらいだ。

 オレ達は、情報を握ると同時に、絶対に吐いて捨てる事は許されない」

「………うん」


 そう言って、締めくくった。

 榊原は、神妙そうに頷いた後に、覚悟を決めた表情で、それでいて穏やかに微笑んだ。


「話すよ、オレ。

 皆に、オレの過去の事…」

「………そうしろ」


 決意を固めたらしい彼は、そのままオレの部屋を出て行った。

 真っ赤になった顔や腫れた目元をそのままに。


 オレの手元には、アイツの妹からの手紙が残されている。

 くしゃくしゃになったそれが、今は少しだけ皺を延ばされていた。


 今の榊原の、心境を表している様だ。

 これまた、寂寥感に胸が詰まる。

 オレもまた、泣いてしまいそうになったが、努めて涙腺を引き絞める。


 アイツは、きっともう泣く事は無いだろう。

 泣いたとしても、それは悲しみでは無い筈だ。

 そうだと、思いたい。


 階下で、生徒達がざわめく声が聞こえた。

 何があった?とか、何か言われたのか?とか、彼本人を心配をする言葉ばかりを掛けられているのが、オレの可聴域の中に聞こえた。

 ………オレの事、ぶん殴ってやるとかも聞こえたがな。

 今のは徳川の声だったので、後で呼び出した時には思いっきり殴ってやろうか。

 死ぬから、辞めた。

 アイアンクローぐらいにしてやろう。


 それはともかく。

 榊原は、何も言わなかった。

 今は、言うべき時では無く、踏ん切りはまだついていないのか。


 しかし、


 ーーーーー後で、皆に聞いて欲しい事があるから。

 今は、そっとしておいて。


 なんてことを言って、彼は席に着いた。

 きっと、そのまま突っ伏した筈だろうが、覚悟は決めて、有言は実行するつもりの様だ。


 ………本当に、可愛い奴。

 これまた、オレは弟子に恵まれたと思うしかなさそうだな。


「………ハルの馬鹿、お前の所為だ」

「ああ、悪かったよ」


 いつの間にか、オレのベッドの上にはハルがいた。

 寝転がって、オレに視線を向けている。

 強くは無い。

 咎めるような視線でも無い。

 何か、見守るような思いが混じっている事に、背筋がむず痒くなる。


 負け惜しみの様な一言を吐いて、睨み付けた。

 返って来るのは、肩を竦めたアイツのふざけた態度だけだ。


 まぁ、コイツらしいけど。


「………他に言いたい事は?」

「絶対に、お前には負けねぇ」

「はいはい」


 それだけ言って、ハルも消えた。

 きっと、屋根裏に逃れて、そのまま校舎裏に作った工場に篭ったヴァルトのところに戻ったのだろう。


 言い逃げだな。

 まぁ、それもアイツらしい。


 気付けば、オレの周りにはそんな奴ばかり。

 類は共を呼ぶと言う事か。


 再び訪れた静寂に、更に寂寥感が募った。



***



「………先生、榊原になんか言ったん?」


 お次にやって来たのは、エマ。

 出席番号順だから、当たり前だな。


「まぁ、座れ」


 そう言って、着席を促す。

 すると、彼女はむっとした表情をして、渋々ながらも席に着いた。


 今回は、悪い癖は封印。

 エマも感受性が強く、オレに対してはかなり過剰に反応する。

 パニックを起こされても敵わないので、例の嫌な呼び出し方法は使わなかった。

 元より、榊原もそんな余裕も無かったようだしね。


「はい、これ」

「何?

 ………って、通信簿?」

「進級おめでとう。

 ついでに、お前もウチの学校に来てから1年で、おめでとう」


 そう言うときょとり、と眼を瞬かせるエマ。

 相変わらず、常人離れした可愛さだな。


「もしかして、榊原が泣いてたのも、この所為?」

「うんにゃ、アイツに取ってはもっと別の問題。

 後で話すとか言われたんなら、余計な詮索はしないで本人から直接聞く事だな…」

「………ふーん」


 エマは納得している様子ではないものの、言い募る事は無かった。

 オレの言う通りに、榊原本人から聞くつもりだろう。


 さて、話が脱線しそうなので、軌道修正。


 エマの前期までの総合結果は、Bランク。

 元々の運動神経や頭脳に加えて、此方ではサボタージュもすることなく真面目に取り組んでいる。

 おかげで、女子組の中では今、ダントツに強いと思える逸材となった。

 男子に勝ったという快挙も、彼女が初だった訳だしな。


 『水』属性に適性を持っているが、シングルと侮る事なかれ。

 既に、無詠唱での発現や上級魔法の行使、更には状況に応じた魔法の使い方等は上級騎士に届くとは、ゲイルの談だ。

 以前問題にしていたトラウマだって、既に成りを潜めるようになったのはいつ頃からだっただろうか。

 今では、ならず者だろうがなんだろうが、男達の前に出ても平然としてられるまでには成長した。

 オレも見習いたいもんだよ、本当………。


 さて、彼女の能力に関しては、問題ない。

 精神面も安定していると言って良いので、おそらくカウンセリングも必要は無いだろう。


 諸々をすっ飛ばして、即座に進路相談に移った。


「前にも言ったけど、戻るまでの期間はどうしても掛かってしまうだろう。

 それまで、生徒でいる訳にもいかんし、就職を考えてみたらどうか、と言う提案だったんだが…」

「そういや、そうだね。

 ウチ等だって、もうそろそろ20歳超えるし、いつまでも先生の脛齧る訳にはいかないもんね」


 差し出した就職斡旋先のリストに、迷いなく食いついたエマ。

 その表情は真剣そのもので、いつものように揶揄うような笑みも浮かんではいない。


 ただし、その真剣さの表情が少し気になった。

 緊張しているのか?

 何故?

 いつもはオレに対して、緊張をするなんてことは無かった筈なのに。


「もし、他にやりたいことがあるなら、サポートする。

 ソフィアが服飾関係に就きたいようだし、起業をすると言うなら、それに付いて行くのもこの際、有りなのかもしれないけど?」

「前の4人は、なんか希望したの?」

「まぁ、それぞれのやりたいことを、決めていたな。

 内容に関しては、本人達に聞いて欲しいんだが…」


 参考までに聞きたかったらしいが、それは今の段階では濁しておく。

 先にも榊原に言ったが、情報だ。

 本人達が明かさないものを、オレがむざむざと明かすべきではない。


 そう言った後の事。


「………ウチ、先生のお嫁さんになりたい」


 噴いた。



***



 コーヒーを啜っている最中の事であった。

 突然、そんな事をエマが、言い出したのだ。


 オレの嫁になりたい、と。


 突然の事で、驚いた。

 啜っていたコーヒーを噴き、咽た。


 エマは、驚いた表情を、通信簿で隠すようにしてオレを伺っていた。

 通信簿に、まだらなコーヒーの染みが出来た事には気付いていない。


「ま…まっ、また…何で…ッ、えほ…ッそんなこと…」


 取り出したハンカチで、机の上を拭く。

 そうしながらも、視線は上げられなかった。


 揺れているだろう。

 今のオレはきっと、無様な程に動揺している。


 恥ずかしくて、顔を上げられない。


 いきなりの事だが、知ってはいた事である。

 彼女がオレに対して、好意を寄せているという事は。


 この世界に来た当初から、それよりも前から。

 分かってはいた。

 だが、分からないフリをして来たのは、偏に彼女達の今後の為とオレの為。


 教師として、担任として。

 保護者としても監視官としても、彼女達に手を出すわけにはいかなかった。


 なのに、彼女は面と向かって、はっきりと言った。

 恋人になりたい、では無く。

 オレの嫁になりたい、と。


 すっ飛ばし過ぎだ。


「………お前、年を考えなさい。

 まだ20歳にもなってないんだから、そんな青田買いみたいなことはするんじゃない」

「別に、ウチが20歳だろうが30歳だろうが、変わらないでしょ?

 先生だって今年で24歳なんだから、5歳しか変わらないんだし…」

「だからって、駄目だよ。

 オレは教師で、お前は生徒。

 領分は弁えているし、お前も弁えなきゃいけないことだろ?」

「………なんで?」

「なんでって、当たり前のことだろうが。

 オレは成人しているんだからな?

 いくら19歳だろうが、未成年は未成年なんだよ。

 それなのに、教師が未成年の生徒に手を出したなんて事になったら、外聞も悪い」


 辞めてよ、オレの悪い噂を助長するようなことは。


「お前達を無事に、卒業させるのが仕事なんだから」


 そう言うと、エマはあからさまに撫すくれた。

 気持ちは分からんでも無いが、オレの気持ちも分かって欲しい。


 前にも言ったけど、オレは彼女達を無事に卒業させてやる為の仕事をする簡単なお仕事に従事しているだけ。

 まぁ、事はそう簡単にはいかない段階に来てしまっているけども。

 それでも、オレには彼女達を無事に卒業させたいと思っている。

 この『異世界クラス』からもそうだが、3年間をしっかりと学校に通ったと言う功績を引っ提げて社会に戻って欲しい。


 現代に戻れるかは分からない。

 だが、戻れないと決め付ける事も出来ない。

 もしかしたら、例の世界の終焉とやらが終わった時には、ちゃんと女神様がオレ達を元の世界に帰してくれるとか、ね。


 それなのに、途中でオレが彼女達に手を出してしまったらアウトだ。

 彼女達は折角、今までの過去を払拭し、●ッチだの貞操観念が緩すぎるだのと言うレッテルから解放され、トラウマを克服する為にここに来ていた。

 それを、オレが無駄にすること等、あってはならない。


 そちゃ、嬉しいよ?

 エマだってソフィアだって、可愛いしグラマラスだし気立ても良いし、女の子としてのランクだってかなり高い。

 だからって、オレが手を出して良い訳じゃない。

 ましてや、オレは元軍人。

 既に一部の生徒達は、オレの正体には勘付いているとはいえ、それでも明かせない正体を持った胡散臭い男だ。

 泥軍人、裏社会人、薄汚れた犯罪者。

 一方、彼女達は花とか、宝石とか、オレ達とは住む世界も違う。

 高嶺の花として眺めているだけで、十分なのだ。 


 そう淡々と、説明をする。

 まぁ、勿論、元軍人の辺りでは、多少言葉を濁してあるがな。


 その間も、エマはふくれっ面のままだったが。


「………と言う訳で、オレには勿体ない。

 こっちでも向こうでも、お前達に相応しい人間が現れるだろう。

 青田買いをすることも無いし、オレだってお前達の様な若い少女達には食い付きたくても食いつけない」


 それも、彼女にとっては許せない事なのかもしれないけど。


 言いたいことは言った。

 淡々と言った所為で、無感動に聞こえるかもしれないが素直に嬉しい事だ。


 ここまで好いてくれるなんて、普通は無いだろう。

 しかも、男性恐怖症を患った筈の少女が、だ。

 オレだって同じような立場なら、二度と近寄れなくなるに違いないのに、逞しい事だとは思う。


 しかし、そう思っていられたのは、そこまでで。


「………前に決闘した時の事、覚えてる?」


 思った以上、予想以上。

 それぐらい逞しくなっていたらしい、彼女。


 持ち出して来た話は、例の決闘の話。

 こちらに来た当初、風呂場に乱入してきて髪の色や身体特徴やら●●まで見られた、あの時に持ち出された話の事だ。


 覚えているか、だって?

 当たり前だろうが、オレだって冷や冷やしてたんだよ、持ち出して来ないかどうかを。


 彼女の告白を聞いた途端、脳裏に過ったんだからな。



***



 彼女は言った。

 あの時の決闘の褒美だと。


 オレが無条件降伏したのを良いことに、もぎ取った権利だと。


「アンタの事を手に入れるなら、それぐらいの事をしなきゃ無理だって思ってた。

 絶対、物にしてやるって思ってた。

 アンタ以上の男なんて、あたしには見つからないし、見つけようとも思わない」


 前言撤回だ。

 こんなに逞しくならなくて良かったのに。


 椅子から立ち上がって、オレの隣に回り込んで来た彼女。

 頭を抱え込んだオレの右腕に縋り付き、オレに顔を上げさせた。


「ねぇ、ギンジ。

 男に二言は、無いって言ったじゃん」

「………オレは、困らせるなとも言った筈だぞ?」

「絶対、喜ぶ事だって、言ったっしょ」

「喜びたいのは山々なのかもしれないが、今回は素直に嬉しくない」

「ええ~、なんで?

 考えてもみてよ、ギンジ。

 ウチの体だって好きなようにして良いし、こんな美人が隣に侍るんだよ?」


 こうやって。

 と、オレの肩にしなだれかかって来たエマ。


 途端に、香って来た香水の香りに、鼻がツンとして脳髄が痺れるような感覚を催した。

 わぁ、良い匂い。

 ………じゃなくて。


「香水がキツイ、離れろ」

「………そんな風に、拒絶することなんてないじゃん!

 だったら、香水も付けないし、お化粧だってしないようにするッ」


 とはいっても、今でもすっぴんだけど。

 そう言って眼鏡を外して、オレの前に置いた彼女。


 見上げる様に、オレを見つめる彼女。

 白人然りとした白い肌に、金色の髪。

 淡い水色の瞳がオレを見ていた。

 

 こうしてみると、本当に彼女は可愛い。

 そして、綺麗だ。

 見れば見る程、日本人離れした神懸かるような、美辞麗句賞賛ばかりの言葉が出て来る。


 だが、その中に口説き文句は浮いて来ない。


 オレも、見慣れている部分が多い。

 確かに綺麗だが、ラピスと比べるとどうしても、普通では満足できない。


 エマ達が悪いと言う訳では無い。

 10人中、10人が美人だと称賛するだろうが、オレには物足りないと言うだけ。


 オレ、かなり面食いだったんだな。


「ねぇ、交換条件だった筈でしょ?

 ウチの事、………ギンジのお嫁さんにしてよ」


 そう言って、上目遣い。

 見れば見る程可愛らしいが、涙の膜まで張らせてやる事では無い気がする。


 ただ、オレの腕に縋る手は、震えていた。

 ………無理をしなくても良いのに。


「エマ、良く聞いてね?」

「………頷いてよ」

「無理。

 前にも言ったが、オレにはもう嫁さんがいる」

「………2人目でも良いから」

「生憎と、3人目だ。

 ………ッ、じゃなくて、オレの話をちゃんと聞け」

「3人目でも良い!

 ギンジは黙って、あたしの言葉に頷いてくれるだけで良いの!」

「話を聞けってば!」


 ヒステリーでも起こすように、オレに縋り付いてきた彼女を突き飛ばした。

 乱暴はいけない。

 けど、腕に縋り付かれた状態では、何か間違いが起こっても困る。


 突き飛ばした先で、腕を捕まえて転ぶことは無いようにした。

 反動で机の上のカップが零れた。


 そのまま、床に座り込むような形になったエマを見下ろして、声を掛ける。


「エマ、頼むから、オレを困らせるような事はしないでくれ。

 さっきも言ったが、もう嫁さんになった女性が2人もいて、オレの腕はただでさえ足りない。

 更に言うなら、お前は生徒。

 オレが手を出して良い人間では無い」

「なんで…ッ、約束じゃん!

 決闘したのに、………なんで頷いてくれないの…ッ」

「こんな願い事なら、オレはそもそも引き受けなかった」


 決闘の条件を、撤回するか?

 今なら、無条件降伏なんてことしないで、オレは彼女を平然と叩き伏せられる。


 オレに触れられなければ、撤回。

 それも有りだとは思う。

 だが、出来れば、オレはそんなことはしたくないと思っている。


 それに、


「お前、それはソフィアにちゃんと言ったのか?」

「な、何でっ…!?

 なんで、ソフィアが、今の話に出て来るし…ッ」


 更に動揺したエマが、オレの足下で震えていた。

 オレがまるで、関係を迫っている悪い奴のように思えて来たものの。


「お前等姉妹が揃って、オレに好意を抱いていた事は知っている。

 なのに、お前は姉の事を差し置いて、オレにあって無い様な決闘を持ちかけたその褒賞として、オレの愛人になろうとしている。

 それが、姉のソフィアに伝わったら、どうなると思っている?」

「………ッ!」

「傷つける事になる。

 分かっているんじゃないのか?」


 こんな方法で、誰が幸せになれると言うのだろう。

 エマだけだ。

 オレは勿論、ソフィアも、嫁さん達も良い顔をすることは出来ない。


 そんな事をするような子だとは、思ってなかった。

 そんな子がいるとは、思っていなかった。

 だからこそ、不意打ちだった。

 

 けど、この件は、禍根になる。

 オレが引き受ければ、更にドロドロの昼ドラみたいな酷い有様になるだろう。


 仮面夫婦も御免だ。

 オレだって、さっきも言ったが手が足りない。

 今でさえ、足りていない。


 しかも、3人目とか増やす予定はもう無いのだ。

 彼女達は、彼女達2人だからこそ、了承してくれて、オレが命ある限り添い遂げてくれると誓ってくれた。


 けど、そこにエマが加わる事があってはならない。

 顔を顰められるのは、分かっている。

 ましてや、ソフィアの事はどうなる?

 彼女まで娶って、オレがハーレムでも構成すると言うのか?

 そんなの、外聞が悪いどころか、オレの人格が疑われる。


 だから、最初から無理なのだ。

 この決闘の罰は、受け入れる事は出来ない。


 撤回させる方法は、いくらでも持ち合わせている。

 出来るなら使いたくないが、それもすべては彼女の出方次第となるだろうか。


「………エマ、もう一度言う。

 オレは、お前を嫁にすることも、その条件を呑む事も出来ない。

 他の願い事なら、いくらでも聞いてやろう。

 だけど、これだけは無理だ」

「………なんで、酷いよ…!

 嘘吐き…ッ、なんで、ウチの事だけ駄目なんだよ…ッ!」

「お前の事だけじゃないさ。

 オレは、ソフィアにも伊野田にもシャルにも、勿論、お前にも色目を使った事は無い」


 だから、無理だと。

 はっきりと、伝える。


「オレは、お前の恋人にも、旦那にもなれないよ」


 伝えたと同時。

 彼女は、オレの手を振り払って、立ち上がった。


 眼を真っ赤にして、涙をポロポロと零しながらオレを睨み付けていた。


「嘘吐きッ!」


 最後に、そんなことを吐き捨てて、部屋を飛び出した。

 ああ、こりゃどのみち、禍根になっちまったか。


 遣る瀬無い。


「………答える訳にも、いかねぇから仕方ねぇんだよ」


 ぼそりと呟いた言葉は、部屋の静寂に掻き消えた。


 答える事など出来ない。

 応える事もまた、出来やしないのだ。



***



 ---コンコン。


 ノックの音に、視線を上げた。

 シガレットを片手に、頭を悩ましていた事数分の事。


 見知った、意外な気配に目を細める。


「開いてるぞ、間宮」

「(………おずおず)」


 入って来たのは、間宮。

 理由は、分かっている。


 エマは、オレの部屋を飛び出してから、部屋に引きこもったらしい。

 次の生徒を呼びに行ってもいない。


 仕方の無い事だ。

 あの状態で、呼びに行けと言うのも、無理がある。


 そして、間宮が来たのは、生徒達を代表して次の指示を仰ぎに来たと言うところか。


 懐中時計を開いて、時刻を確認する。

 そろそろ、昼時か。

 結構、時間が掛かってしまったが、次のソフィア辺りで一旦オレも休憩にした方が良さそうだ。


「(………顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?)」

「ああ、気にすんな。

 ちょっと、オレもナーバスになっちゃっただけ」

「(………杉坂妹の姿も見えませんが?)」

「アイツは、体調不良で部屋に戻ったよ。

 悪いけど、次の出席番号のソフィアを呼んできてくれ…」

「(………分かりました)」


 戻って行った間宮は、少々困惑気味な表情をしていた。

 それでも、何も言わずに部屋を出て行く。


 そう言えば、榊原の事は、コイツにもちゃんと言っておかなければならないか。


 弟子入り半年で、兄弟子となるのだ。

 増長しないように、厳しく首根っこを押さえてやらなきゃな。


 まぁ、アイツに至っては、そんなことがある訳も無い。

 

 廊下を歩いて来る足音が聞こえた。

 扉の前に立ち、ノックをする気配は、やや緊張していた。


「入れ」

「し、失礼しまーす…」


 おずおずとやって来た彼女。

 エマと見れば見る程そっくりな、双子の少女。


 その表情が、少しだけ強張った。

 ついでに、眼が見開らかれた後に、絶句。


「………なんで、エマの眼鏡が置きっぱなし?」

「………置き土産だな」


 驚いた理由が分かった。

 そういや、エマは渡した筈の通信簿も、眼鏡すらも忘れて出て行ってしまった。


 後で、落ち着いたら渡し直さないと。

 眼鏡はそのまま、ソフィアへと渡しておく。

 きっと、彼女は心配して様子を見に行くだろうから。


「もしかして、出席番号順に全員呼んでるの?

 だとしたら、進路相談か何か?」

「ご名答。

 進級おめでとうって事と、ついでにこれも渡してる」

「わっ、通信簿だ!

 先生、律儀にこんなの書いててくれたんだねぇ」


 渡した通信簿に、ソフィアがはにかんだ。

 可愛い。

 とはいえ、エマの事をどうしても思い出してしまうので、表情を観察するのは控える様にした。


 ちなみに、彼女の前期までの能力値としては、Bランク。

 彼女もエマと同様に、元々の運動神経と頭脳が功を奏して、女子にしてはかなりのランク。

 『風』に適性を持っているが、シングルとは言えかなりの腕前。

 状況判断も悪くないし、組手での結果も向上傾向にあって、なおかつその為に努力を惜しまない姿勢もグッド。


 趣味にしている手芸や裁縫の腕も向上している。

 ローガンの焼けてなくなってしまった耳当て帽子は、既に彼女の手によって新しく作りなおされて、ローガンにとってもお気に入りだからな。


 それに、趣味をやっている所為が、精神面での振れ幅も少なくなってきた。

 この頃は、隣の部屋で泣いている気配は見られない。


「さて、通信簿も渡したところで、カウンセリングもしようと思っている」

「カウンセリング?

 前にもやってたみたいに、悩みとか相談事とか?」

「うん」


 そう言われて、彼女は首を傾げた。

 指を咥えるように唇に当ててから、こてりと。


 可愛い。

 なんだ、そのあざとい仕草と表情は。

 嫁さんにやられたら、即ベッドインコースだぞ。


 ………ごふんごふん。

 生徒に何を欲情しているんだ、オレは。


「………特に今は、何も無いよ?

 強いて言うなら、最近好きな人の周りが自棄に、女の人が多いって感じる事ぐらいで…」

「………聞かなかったことにしよう」


 勿論、好きな人云々も、女性関係の密度についても、だ。


 ………コイツも、気付いてやがるな。

 オレが嫁さん2人を娶った事は分かって無くても、女性関係で充実しているのは気付いているのか。

 ただ、それにしては、何も言ってこないし大して反応もしていないように思える。


 オレに向ける視線は相変わらずではあるが…。

 (※色目を使われている事ぐらいは、オレも分かっている)


 そして、釘を刺された形。

 んもう、この姉妹は本当に、色々と困らせてくれるんだから。


「………他には、何か気になる事とか、校舎の事で改善して欲しい事はあるのか?」

「ううん、特にない」


 オレが話題変換をしたからか、多少撫すくれながら。

 苦笑を零して、オレの質疑に首を振った彼女は、やはり精神面では大丈夫そうだ。


 じゃあ、進路相談と行きますか。


「はい、これ。

 オレがリストアップしておいた、就職の斡旋先」

「こんなにあるんだ。

 ………でも、どうしても就職しなきゃいけないって訳でも無いんじゃ?」

「それまで、生徒でいる気か?

 それとも、オレの脛齧りのニートにでもなりたいと?」

「そういう事じゃなくて。

 女の子なら、誰かのお嫁さんとか恋人とかなってみたいと思う訳です」

「………好きな相手がいるなら、反対はしない」

「そう?

 じゃあ、先生のお嫁さんに立候補しちゃおうかな?」

「生徒に手を出す趣味はねぇ」


 なんで、コイツ等こんなに明け透けなんだろう。


 とはいえ、冗談では無かったのか。

 またしても、撫すくれた表情をしたソフィアは、やはりエマにそっくりだ。


 だが、彼女のように言い募って来る事は無かった。

 代わりに、溜息を零しているが。


「………先生ってば、頑ななんだから」

「初志貫徹なんでね」


 全く、困った姉妹だ事。

 オレは、応える事が出来ないと分かって、この問答だ。


 さて、それよりも。


「………オレの女性関係については、放っておけ」

「そのうち、公表するの?」

「そのつもりだ」

「………ふーん。

 別に、先生ぐらいの肩書きなら、お嫁さんが2人いても3人いても、なんとも思われないと思うんだけど…」

「ゴメンだね、ハーレムなんて。

 そう言う外聞が悪いのは、向こうの『予言の騎士(ニセモノ)』一行に、熨斗付けて渡してやりたいもんだ」

「ふふっ。

 先生とアイツ等は、違うでしょ?」


 ケタケタと笑い出したソフィアに、苦笑。

 まぁ、理解の速さは姉であるソフィアの方が、数段大人だな。


 出来れば、余り突っ込んだ話に展開しないうちに、進路相談に戻りたいものだが。


「………これ以外って事、駄目なの?」

「なんだなんだ、皆してオレの斡旋先は気に食わないか?」

「そうじゃないけど、やりたいことが見つかったから…」


 ソフィアまでもが、オレの斡旋先とは別に就職先を決めているらしい。

 まぁ、理解わかってはいるので、敢えて茶化した訳だが。


「お店、開いてみたい」

「デザイナー兼オーナーとしてか?」

「うん。

 ブティックショップとか、ブランドショップ?

 なんか、この世界には、全然ファッションの関心が無いと思ったから…」


 そう言って、彼女は胸元から何かを取り出した。

 布だ。

 ただし、ただの布では無く、ハンカチだ。


 凝った刺繡の施されたそれを見て、見事なもんだと感嘆の溜息を漏らす。


「………思い出したの。

 あたし、昔からこういうお洒落を楽しむよりも、デザインを考えるのが好きだったこと」


 ツラツラと語り出したのは、子どもの頃の漠然とした未来への夢。


 デザイナー。

 もしくは、それに準ずるクリエイターとしての仕事に、関心が多かったそうだ。

 私生活でもお洒落に気を使っていた彼女だったが、確かにラピス達に作ってくれた耳当て帽子や、オレ達の水着を縫っていた功績を鑑みると、向いている職種のように思える。


 問題は、資金とスポンサー。

 ついでに、出店に関してのノウハウと言ったところか。


「………今すぐって訳じゃないの。

 今は、全然作品が足りないってのも分かってるし、出来る事ならもっともっと勉強して、自信が持てる様になってからの方が良いと思ってる」

「出資に関しては問題ないし、出来る限りの事はしてみるよ。

 あぁ、さっき言ってた斡旋先のリストに、商業ギルドのお偉いさんも含まれているから、ノウハウを学びたいという事ならすぐにでも予定を組めるぞ」

「ありがとう、先生」


 どうやら、やはり彼女はデザイナーとしての道を選択するようだ。


 冷や冷やしていたが、良かった。

 これで姉妹揃って、オレの嫁に成りたいとか言われて、駄々をこねられたら堪ったものでは無かった。


 今は、まだ未定。

 それでも、お互いの出来る限りの事をすると言う形で、今回の進路相談は終了となった。


 今は、勉学も鍛錬もあるし、ましてや遠征予定が立て込んでいる。

 それが落ち着く頃には、きっと彼女の作品が部屋を占領するような事にまでなっているかもしれない。 


「じゃあ、これで、進路相談は終わります。

 次の生徒達、呼んで来て?」


 問題なく終了した、2者面談にほっと一安心。

 呼び出しと共に、この面談の内容については口止めをしておいて、彼女を送り出す。


「………うん、分かった。

 エマの事も、ちょっと見てから行くけど、それでもいい?」

「ああ、構わない」


 ソフィアはそう言って、これまたおずおずと退出していった。


 しかし、


「本気だったのに…」


 扉を出た先で、彼女の呟きと溜息が聞こえた事は、知らないフリをしておいた。

 困らせてくれる姉妹だよ、本当。



***

(後編に続きます)

本当は、後編で区切るつもりだったのに、まさかの長丁場。

プロットに中身を詰め込み過ぎた結果です。

悲しい。


と言う訳で、今回の過去は榊原くん。

予想しなくても分かったでしょうが、彼もなかなかハードな人生を歩んでおります。


弟子入り祈願は、無事成就しました。

元々、間宮とタッグを組ませる目的で配置していたキャラだったので、やっとその第一歩を踏み締めてくれて嬉しい限りです。


お次は、残りの生徒達。

問題児は残り少ないので、なんとか後編でしっかりとカウンセリングだけは、終わらせたいと思っております。


誤字脱字乱文等失礼致します。

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