131時間目 「緊急科目~望まぬ進化~」 ※流血・暴力表現注意
2017年1月18日初投稿。
大変遅くなりまして、申し訳ありません。
続編を投稿させていただきます。
131話目です。
※タイトル通り、流血・暴力表現があります。
苦手な方は、申し訳ありませんが、ご注意くださいませ。
***
意地にも似た、『剣気』のぶつかり合い。
衝撃派によって、轟々と突風が吹き荒ぶ。
破られた沈黙の中、月か見下ろす氷上での戦闘が始まった。
氷柱から飛ぶ。
狙いは勿論、頬に傷のある男。
やはり、男は右腕を負傷しているようだ。
左手から刀を持ち替える気配は無い。
利き手では無い腕で『剣気』を放てたことから、元々の剣技が相当なものである。
そして、更に言えば男は、やはり背骨か頸椎を損傷している。
動きがぎこちない。
たった数ミリの罅であっても、激痛を伴う大怪我だからな。
放っておくと、不随になったりもする。
過去、その所為で引退した同業者も何度か見て来た。
好機だ。
男は、全力ではない。
満身創痍でもある。
満身創痍具合はオレも同等ではあるものの、膂力や更に強化された怪力の分、優勢。
受け止めるかいなすか、いずれにしても男の行動の幅は狭まっている。
「せぇえいッ!!」
「ッ、シャア!」
真向からの振り下ろしに対し、男はいなす事を選択したようだ。
ぶつかり合いと見せかけた気鋭篭った一声とは裏腹に、金属音がぶつかり合った音はかなり小さい。
受け流されたのを感じたと同時に、体の力を抜く。
いなされるままに流されたと同時に、背後へと回り込んだ。
回り込んだのは、左側。
アグラヴェイン監修のスパイクでグリップを効かせて、振り返り様に斬撃を放とうとした。
しかし、その直後。
「甘ェ!」
「ぐぅ…ッ!」
男が放ったのは、回し蹴り。
過去、オレも師匠から散々受けた様な、滑らかで淀みの無い動きだった。
咄嗟に切り払おうとしていた刀を盾にしたが、威力に衰えは無い。
噛み合っていたグリップも意味を成さず、吹き飛ばされた。
態勢を立て直しながら、後方にあった氷柱へ着地する。
男を見れば、自分自身もダメージを被ったらしく、ふら付いてその場で蹲っている。
激痛だったことだろう。
胸椎以上の損傷は、体幹を保持するのも難しくなる程の重症だ。
酷いときは、呼吸器に支障が出る。
ただ、男はそこまでいっていないようだ。
おそらくは、背骨の罅か、神経の圧迫ダメージに留まってはいるだろう。
このまま、倒れてくれるのが一番良い。
まぁ、下半身不随やら呼吸不全の人間を嬲り殺す趣味は無いが。
だが、そうは問屋が卸さないのが、現状だ。
男は大きく息を吐いたと同時に、態勢を立て直した。
よろめいて、それでいて表情が歪んでいる。
見上げた根性。
正直、すぐ顔に出たり動けなくなってしまう、オレにもその胆力を分けて欲しい。
無い物強請りだとは分かっているがね。
「辛そうじゃねぇの。
このまま行けば、脊髄損傷で一生介護暮らしになるぞ」
「………はっ、生憎、そんな生な鍛え方はしちゃいねぇんだよ」
立場が逆転したな。
拷問を受けていた時は、オレがあんな科白を吐いたものだが。
「大体、テメェはオレを生かすつもりはねぇだろうが。
そんな野郎に、老後の心配をされるなんて、反吐が出らぁ」
「殺さなきゃ、こっちが殺される。
今すぐ、剣を引いて、二度と手を出さないと誓ってくれるなら話は別だが、」
「はははっ、面白くもねぇ冗談だな」
冗談ではなく、割と本気だったんだが。
いやまぁ、口封じ云々を考えれば、生かしておく理由が無いのよ?
でも、やっぱり迷っている。
人違い、勘違いの末の死闘なら、それこそお互いに骨折り損のくたびれ儲けだ。
………やっぱり、確認してからにしよう。
今更になって引け腰なんて、情けないけども。
「………何度も言っているが、オレはアンタに何かをした覚えは無い。
大体、初対面の相手で、今までどこにいたのかも分からない人間に、恨まれる覚えなんて無いんだ」
気丈に、平坦に。
なるべく、感情を見透かされないよう、努めて淡々と話した。
しかし、男はどうあっても、オレに怒りをぶつけたいらしい。
殺気が強まり、怒気が溢れ出した。
「そうかいそうかい。
流石は、『予言の騎士』様だ。
それだけ高尚な身分だってんなら、覚えが無ェのも無理も無ェわな」
「………だから、身分云々関係無く、覚えが無いって言ってんだろ?」
「ほざけ、人殺しの屑野郎。
髪色、眼の色が変わろうが、その顔だけは変えようが無ェだろうよ!」
そう言って、男は切り掛かって来た。
氷柱から飛び、先ほどのオレと同じようにして紅時雨を振り下ろして来る。
まさに、聞く耳持たずと言った様子だ。
話にならない。
男の怒りを煽っただけで、結局進展も何も無い。
必要な確認も取れなかった。
組み合えば、互いに会話をする余裕など無い。
いなす事はせず、真っ向から受け止める。
響いた金属音も大きい。
その分、腕に掛かった重量も相当なものだったが、怪力倍率が上がった状態なら何とか受け止められた。
逆に、眉を顰めたのは男の方だ。
自分で自分にダメージを加算していくことになる分、やりにくいだろう。
かと言って、手加減をしていられないのは分かっている。
剣技は、達人クラス。
受け止められたと分かった途端、男は刀を弾いた。
だが、着地をする前に更に、横薙ぎを一閃。
受け止める。
しかし、それすらも弾いたかと思えば、切り返しで逆袈裟斬り。
着地をしなければ、踏み込みが出来ない。
その分の膂力が刀に込められない筈だ。
だが、オレが腕に感じる重量は、変わらない。
体幹からして鍛え上げているのか。
空中での戦闘でも感じていたが、この男はありとあらゆる戦闘領域を想定した鍛錬に余念が無かったようだ。
剣閃がかち合う度に、金属音が鳴る。
『剣気』までもが乗り始め、オレも『剣気』を返す。
だが、真っ向からここまでの『剣気』を受けた事が無かった所為で、甘い。
隙間を縫うように迫るそれが、頬や腕にかすり傷を負わせてきた。
鎌鼬のようなものだ。
知らない間に、肌が避けているあれ。
男の『剣気』はまさに、それ。
鋭すぎる。
重すぎる。
満身創痍になっていながらも、こんなところまで格の違いが出て来るなんて。
頬に傷のある男と、リフティングのような形で斬り合う事数十回。
男は未だに地面に脚を付けていない。
しかも、その状態で緩急まで付けて来る始末だ。
刃が打ち合う金属音の間隔も狭まって来ている。
隙間を縫う『剣気』による怪我も、無視出来なくなってきた。
片腕同士とはいえ、これは流石にオレも分が悪い。
息が苦しい。
息吐く暇も無い。
猛襲とはまた別の、緊張感の漂う攻防だ。
一つでも迎撃損ねれば、被害は甚大だろう。
最悪、頭か胸、腹を両断される。
紅時雨の切れ味は、オレも身を持って知っている。
だからこそ、この男に持たせたままには出来ない。
鬼に金棒なんてもんじゃねぇぞ。
悪魔にグングニル渡すようなもんだ。
「考え事か?」
「………ッ!?」
唐突に、男の愉し気な声が降る。
びくついたのが、傍目にも分かっただろう。
切り返しが、逸れた。
しまった。
そう思った時には、遅い。
白刃が、目の前を通過しようとしている。
飛び退く。
それよりも早く、顎を裂き、胸を切り裂いた紅時雨。
何度も言うが、身を持って知っている流石の切れ味だ。
どぷっ、と噴き出した鮮血の音まで聞こえたが、構っていられない。
飛び退いたは良い。
だが、そこから先に氷柱は無い。
高さ十数メートルの氷柱から落ちるとなると、流石に着地が心許ないか。
『ギンジ…ッ!!』
『先生!』
砦の上部からの悲鳴を聞きながら、痛みに霧散しそうな意識を集中させる。
肩甲骨を動かすイメージ。
翼が動いた。
だが、不十分だ。
勢いは殺せるだろうが、羽搏かせる事は難しそうだ。
………また使える事があるなら、練習をしなければ。
迫る氷の地表。
着地の衝撃に、歯を食い縛ろうとした。
『この馬鹿者、我等を忘れるな!』
『何の為に顕現しているのか、分からんだろう!?』
その瞬間に聞こえた声に、ハッと我に返る。
目の前には、スロットの首と腕を広げたアグラヴェインの姿。
受け身を取って背中で、彼の腕に飛び込んだ。
掻っ攫う様にしてオレを受け止めたアグラヴェインが、スロットを駆る。
あっと言う間に氷柱を見下ろしていた先で、サラマンドラが頬に傷のある男へと拳を振るっていた。
回避を選択した男。
だが、サラマンドラの拳が氷柱を砕いた。
氷が瓦礫のようにして氷上へと落ちる。
飛び退いた男が、別の氷柱へと降り立った。
『投げるぞ、主!』
「おう!」
その氷柱へと向けて、アグラヴェインにまたしても弾丸のように投擲される。
胸の傷に響いたが、これまた文句は後。
「チィッ!!」
着地した男が舌打ちをした後に、一瞬迷った素振りを見せた。
受け止めるのは無理と判断したか。
その場から、再び飛び退いたと同時に別の氷柱へと飛び移った。
「サラマンドラ!」
『おうよ!』
先程男がいた氷柱へと着地したは良いが、グリップだけでは足りずに止まれない。
そのまま氷柱を蹴る様にして頭上へと飛び、力を逃がした。
すかさずオレの背後に回り込んだサラマンドラが、アグラヴェイン同様にオレを投げた。
ぞんざいとか言う文句は言わない。
再び弾丸のように飛び、迫ったオレに向けて男がまたしても舌打ち。
今度は受け止めるかいなすか決めたようで、紅時雨を上段へと構える。
………いや、違う。
振り抜いた。
『剣気』を放って来たか。
目の前の空間が歪む。
弾丸のように飛んでいる為、接近が先ほどよりも恐ろしく早い。
『剣気』を放つのは無理と判断。
刀へと『剣気』を纏わせると同時に、
「ッらぁああああ!!」
「………相殺しやがるか…ッ!」
『剣気』を受け止め、その衝撃波に乗じて下肢を持ち上げる。
その場で一回転。
男には相殺したように見えただろうが、衝撃を下に逃がしただけだ。
だが、やはり近すぎたのか、逃がしが甘い。
『剣気』による切り傷がまたしても、腕や脚に増えた。
じくじくと痛むが、泣き言は言ってられない。
一回転をしたその態勢のまま、落ちる。
「痛いなんて言ってられねぇなぁ!」
男が刀を掲げた。
右腕が動き、刀の峰へと添えられる。
その口元が、何故か楽し気に歪んでいる。
アイツも戦闘狂の厭いでもあるのだろうか。
刀を振り下ろす。
それに応えるように、男も紅時雨を掲げた。
またしても、響き渡った金属音。
男が刀の峰に右腕を添えたのは、両腕で受け止めるつもりがあったようだ。
口元が歪んでいる。
笑みでも無く、痛みでも無い中途半端な歪み。
それでも、怪我を押してでも受け切るとは、かなり戦い慣れているとしか思えない。
普通は躊躇する。
それだけ、戦いの中に身を置いていた証拠か。
しかし、
「クソが…ッ!」
「チィ…ッ!」
ほぼ、同時に表情を驚愕に塗り替える。
オレの渾身の振り下ろしは、男に受け止め切られてしまった。
だが、その威力を受け切れなかったのは、足場の方だ。
氷柱が、凹み、更に言えば砕けた。
思った以上に見た目よりも脆かったのだろうか。
それとも、オレ達の『剣気』の影響に、耐え切れなかっただけなのかは定かでは無い。
お互いに、態勢を崩した。
崩れ落ちる氷柱の瓦礫の中を飛ぶ。
落ちる氷塊を足場に、オレは別の氷柱へと飛んだ。
不格好ながら、背中に生えている御大層な翼も総動員だ。
格好悪いとは思うが、必死である。
対する男は、氷塊をボードか何かのように、崩れ落ちる氷柱から滑り降りて行った。
銀盤にも似た氷上へと到達すると同時に、紅時雨を刺して勢いを殺す。
マジで、ハリウッドの化け物的ヒーロー並みな動きをしてくれるものだ。
マシンガンをぶっ放す傭兵さん辺りでも可。
氷柱の上から、男のいる氷上を見下ろす。
『やれ、何を手加減しておる?』
「手加減なんてしてないよ。
今までも全部本気だったのに、そんなこと言われちゃ立つ瀬がない」
『………押し切れた場面は、多々あった。
お主は、一体何を遊んでいる?』
「言いたいことは分かってるけど、こっちも必死だよ」
いつの間にかオレの背後に待機してくれていたアグラヴェインから、怪訝そうな声で問いかけられた。
彼が言いたいのは、オレが踏み込み切れてないって事なんだろうね。
引け腰と言うか、及び腰。
いや、あの男の剣技を見ていると、どうしても体が勝手に竦んじゃうというかなんというか。
………気の所為だと思いたいんだけど。
『カウンターが怖いか?』
「それもある」
『それ以外もあるのか?』
「………体の扱いが、ちょっとだけ違う。
今までの通りに動かしていると、罷り間違うとこっちがダメージ受ける可能性が………」
『………『昇華』の影響か』
これまたいつの間にか背後にいたサラマンドラからも問いかけられた。
言わなくても分かってくれたようだけど、その通り。
カウンターも怖いし、いなされても困る。
ただ、それ以上に、体が軽すぎて扱いに困っているのが、正直なところである。
あれだ。
以前、手合わせのつもりが、間宮を重症に追い込んだ時みたいな感じ。
まさに、あの状況。
今は手加減する必要が無いと分かっているけども、それ以前にオレの動きが雑になって隙が生まれちゃ元も子も無い。
再三の好都合が、まさかアンラッキーに転ぶとはね。
少々、調子に乗り過ぎていたかもしれない。
『………攻めあぐねているようだが、』
「………いや、」
どうする?
全力でぶつかるのも、有りだろうか。
というか、手加減云々をしていて、結局負けましたじゃ意味が無い気がする。
かと言って、猪突猛進に力だけでぶつかりに行くのも、なんだか怖い。
あの男、オレが思っている以上に、戦闘慣れしているし………。
だが、考えている時間は少ない。
男は、氷上でオレを見上げて、刀を構えている。
おそらく、また『剣気』を飛ばしてくるだろう。
弾けるか。
………否。
受け止めるのも難しそうだ。
腕が重い。
視線を少しだけ下げた。
地面に、ぱたぱたと落ちる血潮。
一つ一つは小さな傷でも、数が多ければそれなりの出血量となる。
視界が霞む。
今までも、かなりの出血量で動き回っていた事もあってか、体の限界の方が近いだろう。
ならば、
「押し切る。
援護を、頼む」
『………行くが良い』
『後ろは、任せろ!』
覚悟を決めた。
ぶつかり合うなら、全力で。
恐れていてばかりでは、何も始まらない。
アグラヴェインからも、サラマンドラからも頼もしい返答を受けた。
後ろを振り返る必要は無い。
後背に守るのは、砦。
オレの大事な生徒達。
オレの唯一無二の友人達。
そして、愛し慈しむ、女がいる。
手出しをさせない。
その為には、目の前の脅威を、怨嗟を、憂慮を断ち切る。
『行くぞ、おらぁあッ!!』
覚悟の表れか。
またしても出た、『咆哮』にも似た恫喝の声。
氷柱がびりびりと鳴動し、物理的な衝撃波すらも起こした。
「………また、出鱈目な事をしやがって、」
紅時雨を構えていた男が、苦々し気に表情を歪ませた。
傷にでも響いたか。
安心しろ、オレもちょっと吃驚した。
………相変わらず、絞まらないんだから、もう。
閑話休題。
氷柱から飛び出す。
力を入れ過ぎたらしく、足場が大きく抉れて破片を巻き散らした。
「(………やっぱり、力が強くなってる)」
膂力が上がった分、動きは早くなる。
あっと言う間に男の目の前に飛び込んだ。
これに関しても、多少オレが吃驚。
男も同じく、眼を少しだけ諫めた。
とはいえ、やっぱり無理と退く訳にも行かない。
横薙ぎに振り抜いた刀。
男は、構えていた紅時雨を水平に均し、迎撃に出て来た。
やはり『剣気』は纏っていたか。
またしても、刀と刀のぶつかり合いで、『剣気』同士のぶつかり合いとなった。
これまた、衝撃波が氷上を舐める。
オレの頬や鼻先に、新しい傷が出来上がる。
男には傷が出来ないまでも、痛みを堪えるような表情となっているのは確かに見た。
流石の男も、背骨か脊椎の損傷は、激痛らしいな。
お互いに弾かれて、氷上を滑る。
オレの足下にはアグラヴェイン監修のスパイクがある為、大きく後退することは無い。
代わりに、何の装備も無い男の革靴は、グリップを失って大きく表情を滑った。
態勢を多少崩した男へと、更に追撃。
これまた足下の氷を大きく抉りながら、最初から全力疾走。
「チィ…ッ!」
下半身の鍛錬もかなりのものか。
不安定な態勢を両足のみで踏ん張った男が、これまた『剣気』を纏わせた紅時雨を振り下ろして来た。
オレは愚直なまでの直進で、振り上げを選択。
鍔迫り合いともなった金属音。
高く澄んだ甲高いものではなく、重く刀同士の命をぶつけ合うような音。
男が眼を瞠った。
紅時雨の刀身に、魔法陣が浮かび上がり、そして消えた。
何だ、今の…?
「良い気になりやがって…クソッたれッ!」
「………なるほど、テメェが焦る程のものだったのか」
どうやら、男を恐々とさせる効果はあったようだ。
(※後から聞いたら、武器自体に付与出来る『防護強化』とやらの魔法陣が、砕けたらしい)
やはり、紅時雨との打ち合いとなると、アグラヴェイン監修の刀に軍配が上がるか。
これまで、何合と打ち合っているのを考えると、紅時雨も十分優れているとは思うが。
(※ただし、これも『防護強化』効果かもしれないとは、アグラヴェインから聞いた)
押し切れる。
今のオレなら、何とかこの男へと無事では済まない一撃を見舞える。
それを警戒しているのか、男は鍔迫り合いを解かない。
オレが解く為に弾こうとするのを、絶妙な力加減で阻止して来ている。
戦闘慣れってレベルの話じゃねぇ。
コイツ、剣豪どころか達人クラスの剣技だ。
一抹の不安が過る。
オレは、確かに達人と謳われた師匠の下で、修練を行った。
とはいえ、それが完璧であった訳では無い。
師匠が使っていた名も無い流派も中途半端な師事で終わり、剣技に関しても途中から自己流となっている。
謂わば、我流の粗雑な剣技なのだ。
対する男はと言えば、見事なもの。
切り返し一つとっても、手品みたいな両手での剣技の扱いや、更に言えば『剣気』一つとっても、完璧に仕上がっている。
仙人レベル。
剣豪程度が、太刀打ち出来る相手では無い。
怪我やその他諸々の条件によって、こうして対等に打ち合えているが、果たしてどこまで通用するのか。
怪力で押し切っても、良い事が無いように思えてしまう。
無様に隙を晒して、たった一度の隙が命取りにもなり兼ねない。
覚悟を決めたというのに、またしても迷う。
先程の逡巡が、焦りとなって駆け巡る。
男が、気付いた。
オレがまだ、迷っている事に。
にぃ、と口元を不気味に歪ませ、その眼が侮蔑を浮かべる。
「………そんなふらふらと覚束ないチャンバラごっこで、オレを倒そうとしてんのか?」
「ふらふらで足下覚束ないのは、そっちだろう!」
「口だけは一丁前のボンクラが。
………テメェ、オレの事舐め腐ってんのも、大概にしやがれよ!」
男が、怒気を強めた。
瞬間、今まで弾こうと思っても弾けなかった鍔迫り合いの均衡が、一気に崩される。
弾かれて、上体が仰け反る。
そこに、男が瞬く間に切り返した紅時雨が迫る。
手首のスナップを効かせ、オレも刀を切り返した。
だが、コンマ数秒、間に合わない。
弾かれた。
刀自体を弾かれた。
大きく後方へと弧を描くように飛んでいく日本刀の風切り音。
ぐ、と歯噛みをしながら、氷上を削るようにしてバックステップ。
男は追随して来たが、やはり足下のグリップの問題かオレよりも勢いは足りない。
『主、追加だ!』
「サンキュー!」
その隙を突いて、アグラヴェインのアシストが入る。
氷上から闇を纏って突き出した刀の柄。
後方に舞ってしまった1本は捨て鉢に、滑る様にして駆けながらアグラヴェイン曰く追加された新たな日本刀を握りしめる。
これまた、追随していた男が舌打ちを零した。
男は追うのを諦めたのか、その場で『剣気』を振るって来た。
その場で一旦停止。
しっかりと足を踏ん張り、『剣気』を振るい返す。
中央部よりもややオレ寄りでぶつかり合ったそれが、更に衝撃波を生み出し氷上に罅を入れた。
ビキビキと氷の割れる音を聞きながら、今度はオレから仕掛ける。
駆け出したと同時に、『剣気』を振るう。
横薙ぎのそれに、男が眼を瞠った。
振り下ろしからの『剣気』はルリでも出来るが、横薙ぎでの『剣気』はオレのオリジナルだ。
両手が使えないというハンデを、どういった態勢からでも『剣気』を放てるような訓練に切り替えた故の産物だった。
だが、男は目を瞠っただけで、その口元をまたしても歪ませる。
赤い三日月のように裂けた笑み。
横薙ぎのそれに被せる様に、男もまた『剣気』を振り下ろす。
再三の衝撃波が走る。
オレの髪を大きく揺らしたそれに構わず、駆ける。
暴風で頭が重いとすら感じるが、この際髪の事は考えない事にする。
更に、右腕を翻した。
ぶつかり合っていた『剣気』へと、更に追加する『剣気』。
その瞬間、男がまたしても眼を瞠る。
知ってるか?
『剣気』同士の中に、『剣気』を追加すると暴発するって。
そのままの勢いで、オレは跳躍。
『剣気』の中に更に叩き込まれた『剣気』は、男の目の前で弾けた。
寸でのところで、男が横っ飛びに回避した。
だが、その外套の裾ばかりか、膝から下の脚をごっそりと引き裂いた暴風に、赤が混じる。
その光景を真下に見据えながら、オレは空中で宙返りをしながら悠々と氷上へと着地した。
かまいたちの原理だ。
暴風がぶつかり合って真空を作り、そこにある物質へと傷を作る。
日本では未だに妖怪の仕業と信じられている節があるが、要は凄まじい風のぶつかり合いの壁と壁の間に出来た隙間だ。
それを、『剣技』でのぶつかり合いで無理矢理作り上げる。
ルリとの手合わせで成功させた剣術でもある。
………あの時は、ルリもそれなりの手傷を負って、ネチネチと嫌味を言われたものだったか。
ルリの嫌味よりも、同僚兼女医から怒られた方が怖かったけども。
実際、『剣気』が使える相手では無いと出来ない芸当ではある。
だが、男が使えると分かってからは割と使う事に躊躇は無かった。
先程も言ったが、使える有効な手段を使って何が悪い?だ。
「………腕にも続いて、脚までとは、」
案の定、脚に無視出来ない程の痛手を負った男が、氷上で忌々し気にオレを睨んでいた。
オレはその睥睨を、涼しい顔で受け流しておくだけで良い。
腕は、オレの体を使った誰かの所為であって、実際にはオレの所為じゃない。
むしろ、殺し合いを先に仕掛けて来たのは、あの男だ。
拷問の件もまとめてお返ししているだけで、責められる筋合いも無く、また謝罪も必要は無いと思っている。
………だが、何故だろう。
背筋に薄ら寒い、恐々とするような悪寒を感じるのは。
内心をおくびにも出さずに、言い返す。
「テメェだって、人の事舐め腐ってんのは変わらないだろうが」
「………はっ。
格下を舐め腐って、何が悪ぃ」
「その格下に、言いようにやられて襤褸雑巾になっている癖に」
「言うじゃねぇの、悲鳴上げてのたうち回っていた虫けら風情が、」
この野郎、拷問の時の事言ってやがんのか、畜生め。
返って来たのは、皮肉を多いに含めた揶揄いだった。
言ったな?
だったら、オレだって同じような思いはさせてやらないと気が済まない。
脚どころか、全身血塗れに染めてやる。
「死に晒せ!」
「吠えてろ、『予言の騎士』」
再三の餓鬼扱いに、ボルテージもマックスだ。
迷っているとか云々よりも先に、この舐め腐ったおっさんに目に物を見せてやる。
『剣気』を飛ばし、駆け出す。
先程と同じく、『剣気』での攻撃を仕掛けるつもりだったが、さて掛かるだろうか。
「二度も同じ轍踏むかってんだ!」
案の定、男は回避を選択した。
『剣気』は飛ばしてこない。
おかげで、『剣気』での鎌鼬攻撃を仕掛ける事は出来なくなった訳だが、その分こっちは切り込む事に集中出来る。
ついでに言っておくが、
「サラマンドラぁ!」
『良し来た!』
「………ッ!」
こっちには、オレ以外にも伏兵がいるんだよ。
オレの掛け声に応えるように、サラマンドラが男の回避した方向へと回り込んでいる。
大きく息を吸い込んだと同時に、口からは火炎放射器並みの炎が吐き出される。
これも、男が回避を選択。
しかし、脚の怪我と氷上によりグリップを失って、その回避した距離は短い。
男の外套の裾が焦げる。
舌打ちを零した男の横合いから、追い打ちを掛ける。
鍔迫り合いとなった刀が、甲高い金属音を響かせた。
「2人がかりじゃなきゃ、満足に戦えねぇか?」
向き合った男がオレを揶揄う。
煽ろうとしているのか、随分と小憎たらしい笑みを浮かべていた。
「生憎と、3人がかりなんだぜ?」
オレは、揶揄い等ものともしない。
意思の疎通は、内心だけで十分。
『騎士道精神には反するが、主が言うなら仕方あるまい』
「…く…ッ!」
背後にいつの間にか現れたアグラヴェインに、男の表情が引き攣る。
アグラヴェインは、大刀を既に鎖に変化させながらロデオの態勢を取っていた。
………地獄絵図、再びか?
男が無理矢理、鍔迫り合いを弾いた。
オレも反動で仰け反り、刀が後方へと流される。
だが、男は追撃をせずに、即座に横っ飛び。
男がいた場所へとアグラヴェインが振り下ろした鎖が、氷を砕いて破片を巻き散らす。
ちなみに、オレにも当たった。
だが、流石はアグラヴェイン様で、オレへの攻撃は透過するようになっている。
おかげで、オレは無傷だが、氷の破片は当たったよ?
まぁ、それも良いけど。
「サラマンドラ、追撃!」
『おうよッ!』
声を掛けつつも、オレはサラマンドラの背後を通過するようにして、氷柱を迂回するように回り込む。
氷柱へと隠れる寸前に、サラマンドラが男へと拳を振り上げるのが見えた。
『ぬぅんッ!!』
「チィ…ッ!」
サラマンドラの灼熱の鉄拳を避け、男が大きく後退。
だが、脚から滴った血によって、足下のグリップが心許ない。
その場で、ずるりと、脚を滑らせた。
踏みとどまり、転倒することは無かったが、その衝撃にも激痛を伴ったか、男が息を詰めて呻き声を漏らした。
男がよろめき、氷柱へと背中を預ける。
「せぇええああああっ!!」
「………ッ!」
その背後から氷柱ごと、男へと刀を振り抜いた。
男が、しゃがみ込み、そのまま横に転がる様にして飛び退る。
負傷した脚を擦ったのか、氷上に赤い尾を引いて。
見るからに凄惨な脚の傷が見えたが、こっちだって必死なのだ。
手加減は不要。
「っらあッ!!」
グリップを最大限効かせて、その場で跳躍する。
それと同時に、腰に捻りを咥えて回し蹴り。
対象は、今しがた真っ二つに斬り捨てた氷柱だ。
氷柱を男に向けて、倒せれば良い。
倒せなくても、破片でも飛ばす事が出来れば十分ダメージとなり得る。
そう考えていた矢先、すっかり失念していた事実。
今、オレは以前よりも怪力となっていたのだったか。
氷柱が、豪快な音を立てて砕けた。
更に言えば、見るからにオレの頭部よりも大きな破片を巻き散らしながら、男へと向かって飛ぶ。
倒せれば良いとしか思っていなかっただけに、驚愕の結果にオレが逆に度肝を抜かれた。
しかし、それは男も一緒。
「出鱈目過ぎるだろうがッ!」
半ば悲鳴のような慟哭と共に、立ち上がると同時に氷柱の破片を回避するように駆け抜ける。
弾丸のように氷上へと穿たれる破片は、ほとんどが瓦礫サイズ。
流石に直撃をして無事でいられる保証はない。
………あわや、凄惨なスプラッターかと思ったが、
『おいおい、主も呆然としている暇は無いだろうが、』
「あり?」
砕け散った氷柱の破片は、オレの頭からも降り注いだ。
蹴ったのが>の形だったので、>の上の部分が残ってそのままオレに振って来たらしい。
サラマンドラが駆け付けて、オレの頭の上をガードしてくれる。
彼の体を形作った炎が、氷柱の破片がオレに到達するよりも早く蒸発していった。
その間にも、男が駆け抜けた先。
見事に、全ての氷柱の破片を回避したようだが、落ちて来た破片の影響で氷上が割れた。
地震の様な揺れと共に、割れ砕けた氷上が半壊する。
男が隆起した氷塊に脚を取られて、踏鞴を踏んだ。
割れ砕けた氷上の一部が切り離され、男がその上に取り残された。
『これで、袋の鼠か?』
「………正直、そうなってくれるのが一番有り難いんだけど、」
倒壊を続けている氷柱からサラマンドラに救助されて、アグラヴェインの下へ。
スロットの馬上で鼻を鳴らした彼だが、まだ警戒している雰囲気は健在だ。
それはオレも一緒。
あの男なら、この状況でもまだハリウッド俳優も裸足で逃げ出す芸当で、打開してしまいそうなものだ。
ただ、阻止することは出来る。
集中砲火なら、男もあの狭い足場では回避に徹することになるだろう。
腰から抜き取った、『隠密』。
先程、ヴァルトが放ってくれた一丁で、グリップを細くしたオレ特注のもの。
氷上に取り残された男の表情が、強張った。
正直、こんな方法での決着は嫌だった。
だが、四の五の言ってはいられない。
『隠密』に組み込まれた『闇』の魔法陣を起動し、いつでも弾を射出出来るように待機する。
その上で男を、改めて見た。
満身創痍で、立っているのもやっとだろう姿。
頭から顎から、腕や脚に至るまで、無事な部分が見当たらない程の怪我。
出血量も相当だろう。
更には、背骨か脊椎が損傷したことで、動きにもキレどころかふら付いている。
どこか野卑な相貌。
端正な顔立ちなのはこの世界特有で、その頬に走った刀傷だけが物騒だ。
流れるような黒髪はストレート。
長く伸ばした右側の前髪と、襟足が風に遊ばれている。
そして、あの類まれなる剣技だ。
こうして敵対行動さえ取られず、普通の傭兵や冒険者として出会っていたなら、高い給金を払ってでも、オレや生徒達の剣術指南役をお願いしたかった。
まぁ、それもこの状態では、無理な話だが。
構えた火縄銃の照準は、男の胸へと合わせた。
頭を潰すのは、忍びない。
それに、今まで襲撃だの拷問だの、あれだけのことをしてくれたのだ。
オレだけではなく、ヴァルトやハル、生徒達、ゲイルやローガン、ラピスにも被害が及んだのだから、即死させるなんて真似はしない。
胸を撃つのは、せめてもの情け。
下手に脚や腹を撃っても、出血多量で逝くには時間が掛かる。
胸なら当たり所さえ悪くなければ即死はせず、かと言って時間を掛けずに死ねる。
その時間で、少しでも懺悔をして欲しい。
男にとっては悔しかろうが、オレに取っては最大の配慮だ。
そう思って、引き金を引く指を、引き絞る。
瞬間、
「………あっ…!!」
「嘘…ッ!」
砦から、生徒達の息を呑む声が聞こえた気がした。
砦の上部から、海の上の氷上。
ここまで1キロ近く離れていて、それでも聞こえたという、今の自分の可聴域には少々戸惑う。
生徒達の目の前での、殺しにも躊躇いが産まれた。
しかし、迷ってばかりではいられない。
覚悟を決めたのだ。
だからこそ、もう躊躇わない。
引き金の最期の余りを、引いた。
***
キュン!と風鳴り音が駆け抜けると共に、闇の弾丸が射出された。
照準に狂いは無く、男の中心目掛けて弾丸が飛ぶ。
だが、一瞬だった。
気の所為か。
男の紅時雨を持っていた腕が、ブレた。
唐突に脳裏に過った、嫌な予感。
何かを忘れている気がしたのだ。
それも、1つや2つでは無い、大事な何かを忘れていると感じたのだ。
「………!」
まさに、そのコンマ数秒の瞬間、キィン!と金属音が響いた。
男の手が、上に跳ね上がる。
その胸には、赤い弾痕は穿たれていなかった。
***
驚きに呆ける事数秒。
余りにも唐突に、現実に呼び戻された。
『主!!』
「………ッ!」
サラマンドラに抱え込まれて、目の前が灼熱の炎の中へと飲み込まれる。
轟音。
次いで、足下が砕ける感覚。
揶揄でもなんでもない。
氷上が砕け、割れた。
轟音と共に、降り注いだのは火球。
サラマンドラ越しで気付くのが遅れてしまったが、確かに氷上を3分の2にまで砕いたのは灼熱の炎だった。
無論、オレを抱え込んだサラマンドラの物では無い。
では、誰が?
嫌な予感に、更に背筋が怖気立った。
だが、訳が分からない。
男は、健在。
倒れる素振りすらも見えない。
『隠密』の狙撃を受けて、何故平然と立っている?
着弾しなかった?
照準は間違う事なく、男に向けていたというのに?
今の炎は、男からのものか?
何故、刀を上に掲げているのかも、理解不明だった。
だが、唐突に、思い出した。
以前も、こんな事があったのだ、と。
あれは、いつだったか。
『呆けている暇は無いぞ!
サラマンドラ、主を砦へ!』
思い返そうとした瞬間に、切羽詰まったアグラヴェインの声で思考が中断される。
更に、立て続けに響く、轟音にも。
『おぐぅ…ッ!』
オレを抱え込んでいるサラマンドラが、苦痛に満ちた声を上げた。
轟音と共に、降り注いだ火球。
それだけでは無い、紫電が走った。
サラマンドラが間一髪退避。
アグラヴェインが『闇』で盾を張り、氷上へとの着弾を防いだ。
まかり間違って、海にも到達すると援軍に来てくれたビルベル達も危ないからだろうか。
そう思った矢先に、がくんと揺れた体。
サラマンドラが跳躍するようにして、空中へと逃れる。
『ぬおぅ…ッ!』
こちらは、アグラヴェインの呻き声だったようだが、珍しい事もあるものだ。
そう思って、サラマンドラの腕の中から、真下を見下ろした。
「……か、火竜…ッ!?」
そこには、氷上を踏み砕く勢いで着陸した火竜の姿があった。
赤い竜麟に、炎を象ったような翼。
蜥蜴を更に獰猛にしたような頭部は、まさに竜と呼ぶに相応しい姿。
砦に到着した矢先に、チラと上空を飛ぶそれを見ただけだったが、こうしてみるとかなりの巨躯だったようだ。
だが、確か火竜は、砦でラピスが抑えている筈だったのでは?
それに、砦から呆然とオレを見下ろしている彼等を見る限り、負けたとは到底思えなかったのだが。
そこでふと、火竜の背中が見えた。
鐙か鞍か、火竜の背中に申し訳程度に付けられたそこに、男女含めて5名が立っている。
騎士風の格好をした獣人。
フードを目深に被った男が2人に、少女が1人。
そして、黒髪にも似た藍色の髪を靡かせた少女。
全員が、健在だ。
それよりも、先に気になったのは、その火竜に纏わりついている色。
精霊だった。
『聖』属性が異常な程多い。
確か、治癒魔法の影響を受けると、一時的に精霊が残ると聞いたのはラピスからだったか。
まさか、治癒魔法を使われて、復活した?
そして、使ったのはおそらく、フードを目深に被った男の片割れだ。
アイツから、魔力反応をあの中の誰よりも多く感じた。
「………チッ、あの魔術師潰さなきゃ、堂々巡りって事かよ」
『主も、怪我の治癒を先にした方が良い!』
折角の好機に、随分と派手な登場をしてくれたものだ。
悔しいが、奴等の存在を忘れていたオレの落ち度か。
そうだ。
忘れていたのだ。
あの男に、仲間がいる事を。
ましてや、あの火竜を移動手段に、砦へと襲撃した事も。
そう言えば、忘れていたと言えば、もう一つ。
手に持った『隠密』と、こうして男との距離が離れた現在だから、思い出したこと。
オレは、あの男の事を、一度は狙撃した事もあったのだ。
だが、それも未遂に終わっている。
男は、カトラスを犠牲に、音速で飛ぶ弾丸を、1キロ弱は離れた場所で斬り捨てた。
その時の焼き増しだ。
おそらく、今の狙撃も不発や外れた訳では無い。
男が振り上げていた紅時雨がその証拠。
切り捨てられたのだ。
またしても、男に着弾する前に、刀によって防がれたのだ。
どうして忘れていたのか。
全く持って、頭が痛い。
オレは、何度同じ轍を踏めば、気が済むのだろうか。
歯噛みをしながらも、火竜が氷上で暴れ回っている姿を無言で見下ろすしかない。
アグラヴェインは、『盾』の向こうで、火竜からの攻撃を防いでいた。
尾を振り回し、噛みつき攻撃を繰り出し、挙句には火炎放射のように炎を噴き出している。
その攻撃の対角線上には、ビルベル達がいた。
アグラヴェインが、彼等を守ってくれている。
だから、彼はオレをサラマンドラに預けて、砦へと退避させた代わりに自らが残ったのか。
正直、申し訳ない気持ちで一杯になる。
本来なら、オレもあの場に残って、応戦するべきだったのに。
『………今の主では、無理だ。
それに、主を守りながらの方が、アグラヴェインの負担が大きい』
内心を読まれたか。
オレを抱きかかえたままで、砦へと飛ぶサラマンドラに諭された。
その炎で象られた輪郭の奥で、表情は少し戸惑っている様にも見える。
「………主って呼ばれるオレの立場がねぇよ」
『それでも、主は、オレ達の主だ。
死なれては困る』
契約だけの関係と言えば聞こえは悪いが、よくもまぁこんな情けない男を主と呼んでくれる。
悔しくて、吐き気がした。
そうこうしている内に、砦の上部へと到達する。
『先生ッ!』
『ギンジ』
『酷い怪我…ッ!!』
サラマンドラによって下ろされた砦の縁で、オレを出迎えたラピスや生徒達。
怯えながらも、生徒達がオレを呼ぶ。
ラピス達もその場で頽れたまま、オレの名前を呼んだ。
だが、その眼には明らかな戸惑いがあった。
ふと、苦しくなって、視線を逸らす。
なんて説明するべきか、もしくはこのまま分からないとしらを切るか。
オレだって、満足に説明が出来ない事ばかりだ。
言えない事ばかりが増えて行くことが、心苦しくなる。
だが、視線を逸らした先には、間宮がいた。
彼も大分怪我をした様子で、今は治癒を完了した様だが満身創痍のようにも見えた。
魔力も枯渇しているだろうか。
その間宮の眼は、真っ直ぐだった。
良くも悪くも、疑いもせず心酔するかのようにオレを見上げる彼の眼に、内心を全て見透かされているような気分にさせられた。
そうして、問いかけられたその言葉にも。
『(………怯えは貴方様のもの。
生徒達は、貴方様の怯えを映している鏡でしかありません)』
それだけ言って、彼はオレの足下に傅いた。
言われた言葉の意味が分からなくて、呆然としている。
そんな中でも、彼は更にオレを振り仰ぐ。
『(許可を下さい。
貴方の魔石を戴く許可も、隣に立たせていただく許可も、)』
そうして、手に持っていた魔石を掲げた彼。
驚いた。
許可がどうの、と言うのよりも、物怖じすらしていない彼の態度に。
「………お前、オレが怖くないのか?」
不覚にも、声が震えた。
聞きたくなってしまって、何も考えずに聞いてしまった一言。
一瞬だけ、後悔した。
けど、口に出してしまった言葉は、取り消す事は出来ない。
だが、間宮は、
『(銀次様を恐れる等、今更です)』
あっけらかんと、そう言って。
そうして、オレを見上げながら微笑んだ。
………そういえば、そうだったな。
オレに対して、間宮が物怖じをしないの元々の事だったか。
本当に今更だった事を思い出して、肩の力が抜けるのを感じる。
思わず、安堵の溜息と共に、苦笑を零してしまった。
「じゃあ、やるか。
オレの背中、任せて良いんだよな?」
『(任せて下さるのであれば、)』
オレの言葉に、間宮が当たり前のように返す。
なんだか、気負って損した気分だ。
でもまぁ、もうそんなこと、どうでも良い気がしてくるから不思議なもので。
手に持ったままだった、抜身の日本刀を翻す。
「あ…ッ!」
重苦しかった後ろ髪をばっさりと、切り落とした。
エマから、小さな悲鳴が上がったが気にしない。
地面に落ちた音からして、相当な量となっていたらしい。
どうりで重かった訳だ。
前の時と同じで、足首にも届くぐらいまで、急激に伸びていたようだしな。
幾分、すっきりとした頭の感触にほっとしてから、改めて間宮へと向き合った。
「魔石は、好きなだけ使え。
元々、出し惜しみもするつもりは無い」
『(有り難く頂戴します)』
手に持っていた魔石を握りしめ、間宮がうっそりと微笑んだ。
『魔力吸収』を使ったのか、枯渇していた魔力が見る見るうちに回復していく。
たった数秒で、溢れんばかりの魔力に眼を瞠る。
………やっぱり、吐き出した魔石まで規格外だったのね。
閑話休題。
今は、間宮だけがオレの味方である事を確認出来れば十分だ。
背中に、物言いただけな視線が突き刺さる。
だが、全てに対して、無視を決め込んだ。
申し訳ないが、嫁さん達や生徒達のフォローも後回しにさせて貰おう。
視線を砦の外へと向ける。
アグラヴェインが撤退したのが、遠目に見えた。
ただ、火竜も同じく撤退を始めたのか、氷の地表から翼を羽搏かせ、離陸を開始しようとしていた。
真上から見た火竜の背中に、いつの間にか頬に傷のある男が回収されている。
「チッ…、このままじゃ、二の舞だな」
魔術師がいる現在、回復されてしまえば全てがパァだ。
あの男が復活するとなれば、流石にもうオレ達に打つ手が無くなる。
もう一度、暴走なんて起こしてみろ。
それこそ、砦を全壊させても、まだ戦いが続くかもしれない。
元より、オレの体がもちそうにない。
………どうするか。
『………うぬぅ、火竜の相手だけなら、まだなんとかなったが、』
「お疲れ様、アグラヴェイン」
『ただ、火竜には『盾』はあったが、『障壁』では無かったことは確認した。
物理攻撃ならば、何とか通るやもしれぬぞ』
戻って来たアグラヴェインが、報告してくれた情報。
喜んで良いのか、悪いのか。
少なくとも、あの魔術師が『聖』属性を扱えることだけは、はっきりした程度となるが、
「ギンジ、あの魔術師は、おそらく魔法陣を使って全属性を操っておる…」
そう言って、追加情報をくれたのはラピスだった。
顔が青褪めてはいるが、眼は意外にもしっかりとオレを見据えている。
頷きを返し、その視線に応えた。
「………魔法陣、って事は、魔力総量を気にするだけで良いって事になるな」
「………そこまで、魔力総量があるようには思えなかったのじゃが、」
首を傾げたラピスに、続いてオレも首を傾げた。
ついでに、ラピスを支えていたらしいゲイルが、同じように頷いた。
視線は、今しがた離陸した火竜の背中。
例の魔術師へと向けられている。
「上位魔法を幾つか使っていたが、本人にそこまで魔力総量は無さそうだぞ」
「………そのうえで、火竜を回復させたり上位魔法を乱発していたとなると、」
そう考えた時に、ふとラピス、ゲイル、オレの視線が間宮へと一斉に向けられた。
向けられた間宮はと言えば、肩をびくりと竦めている。
とはいえ、問題は間宮では無い。
「………ラピスや間宮と同じ方法で、『魔力吸収』を使っていた可能性は高いな」
答えは、ローガンが返してくれた。
「そう考えれば、納得出来る」
「そもそも、あれだけの魔法の乱発ならば、お主以上の魔力が必要となるじゃろうからな、」
「………人間では持ちえない程の魔力総量だな」
「遠回しな人外宣言について」
あれ、何だろう。
眼から、汗が………。
構えていたのが、馬鹿みたいじゃねぇのオレ。
ラピス達の反応が、今まで通り過ぎて逆に吃驚しているオレは悪くないと思う。
まぁ、そんなこともさておいて。
火竜がいよいよ、砦の高さまで飛び立ち、上空へと旋回を始めている。
火竜に隠れて頬に傷のある男達の動向はほとんど見えなくなったが、おそらく治癒なり攻撃態勢なりに入って来るだろう。
そうなれば、打つ手が本当に無くなってしまう。
今度こそ、全滅の憂き目を見る事になる可能性が高いが、
「………今なら、まだ間に合うか、」
火竜を睥睨しながら、思った事。
移動手段は、火竜。
そして、あれだけの大怪我だったのだから、頬に傷のある男は治癒が必須。
火竜だけの相手なら、まだなんとかなる。
だが、そこにあの頬に傷のある男と、弟子らしき少女が加わってしまうと圧倒的に不利になるのはこっちの方。
そうなる前に、落とす。
火竜を、落とすのだ。
間に合うかもしれない、と言ったのはそう言う事。
だが、どうやってあの火竜を落とすか。
空を飛び回る、火の名を冠する竜。
出来れば、行動を固定したい。
だが、その固定方法となると、また空の上であるからして限られて来る。
………いや、ちょっと待てよ。
「アグラヴェイン、さっき火竜に張られているのが『盾』だって言ったよね?」
『うん?どうした、いきなり』
戸惑った様子のアグラヴェインも、ややあって頷いた。
火竜に張られているのは、『盾』だけ。
魔法・物理双方を防ぐ『障壁』では無い。
それだけ聞ければ、十分だ。
「うん、行ける。
まだ、間に合う!」
***
方法は、1度きり。
失敗すれば、砦諸共、全滅となる。
甘んじて受けるつもりは無い。
無抵抗のままで、アイツ等に命を差し出してやれるものか。
ましてや、オレの大事なものを壊す、と宣言している奴等の事だ。
オレにとって、地獄にも等しい暴挙を見舞ってくれる事だろう。
そんなの、御免だ。
拷問だけで、十分だ。
もう、オレの大事なものに、指一本触れさせはしない。
だからこそ、出来る事をする。
まずは、
「頼むぞ、ヴィンセント!」
「了承している。
これが最後だ、行ってくれサーベンティーク!」
『その言葉が本当であることを期待しておるからの!』
夜空に向けて飛び出した、青い鱗の首長竜の様なサーベンティークの姿。
それを見送ってから、更にこちらで増援を。
続いて送り出すのは、未だに顕現したままである眷属達。
「アグラヴェイン、サラマンドラ!
火竜の退路を出来るだけ狭めてくれ!」
『了承!』
『任せとけ!』
サーベンティークに続いて、夜空へと飛び出して行くアグラヴェインとサラマンドラ。
闇にも溶けそうな猛馬で駆ける騎士と、炎の化身と言うべき2人。
オレの言葉通り、サーベンティークが前衛となり、アグラヴェイン、サラマンドラの両名が火竜の退路を妨害する。
考え付いた作戦の為には、火竜をどうしても一か所で留め置いておかないとならない。
さぁ、最終決戦と行こう。
『グギャォオオオオオオオオ!!』
威嚇か、宣戦布告か。
火竜が、空中にて大音声の叫び声を上げる。
『叫ぶばかりか、能無しめ!』
それを、サーベンティークは臆する事無く、迎え撃つ。
『はははっ、威勢の良い精霊であるな』
『火竜を落とすというのも、久々だな!』
アグラヴェインにサラマンドラも、どちらも愉快そうに空中を滑るように飛ぶ。
攻撃を仕掛けたのは、火竜が早かった。
『グルァアアアアアアアア!!』
喉にある特殊な器官からの分泌液で精製する火球を、真っ向からサーベンティーク達に向けて放って来た。
まずは、1つ。
サーベンティークが水の膜を精製。
着弾したと同時に、爆音と共に濛々と水蒸気が立ち上る。
だが、ものともせずに、サーベンティークはその中を突き進み、アグラヴェイン達もそこに続いた。
彼等の戦闘を見上げながら、ぐっと拳を握る。
この火竜が、砦への襲撃の際に、通算5発もの火球を精製出来た事は分かっている。
体力、魔力。
共に、火竜は回復している。
ラピスが判断した結果の為、疑いようが無い。
どういった方法かは分からないまでも、おそらく5発は火球の精製が可能と言う事。
しかし、その攻撃方法も、しっかりと封じさせて貰う。
『(まずは、1発目)』
その戦闘を見上げながらも、此方の準備も怠らない。
正直、アグラヴェインがああして戦闘に参加している時点で、制御が心許ないとは言え、いつまでも甘えてはいられない。
想像し、魔力を集中させ、具現化までの手順を踏む。
魔力が溢れ返って、やはり制御が難しい。
イメージを崩さないように、着々と練り合わせる魔力。
その間も、彼等の空中での戦闘は続いている。
より派手に、激しく。
火竜が旋回し、サーベンティークから逃れる様に飛ぶ。
追随するサーベンティークは、火竜の尾に触れるか触れないかの位置にぴったりと張り付き、隙を見計らって水球を飛ばす。
だが、着弾しても、それは火竜の背中、魔術師を中心に張られた『盾』に防がれていた。
そして、その背中からは黒い銃口が覗いている。
『火縄銃』だ。
狙っているのは、サーベンティーク。
射手は、誰だろう。
あの男は、まだ回復が終わっているとは思えない。
魔術師は、『盾』を張り続けているし、他に『聖』属性を持っているような人間は、あの背中にはいなかった筈だ。
だとすると、あの弟子の少女か。
やはり、師事は受けているのだろう。
こちらもこちらで、ハイスペックな弟子だ。
ガゥンッ!!と、小さな火柱が走る。
空中では、夜空に紛れそうな程に、小さなものだ。
しかし、それでも砦からはしっかりと見えた。
サーベンティークは、構わずに追随をしている。
代わりに、彼女の周りに浮かんだのは、『闇』。
追随をする傍ら、アグラヴェインが『闇』の力で、弾丸を文字通り飲み込んでいるのだ。
吐き出せるとも聞いているが、さてそちらは彼の自由裁量に任せている。
その時だった。
『グルゥウッ!!?』
火竜が、戸惑いを大いに含んだ悲鳴を上げた。
その頭上からは、サラマンドラが大活躍の鉄拳を振りかぶっている。
火竜の戸惑いの悲鳴は、その為だ。
突然鼻先に投じられたサラマンドラからの火球に慄いた。
『逃げ回るような腰抜けには、こうしてくれる!!』
そうして、彼は更に火球を、飛ばす。
拳に纏った赤の炎が、剛速球の野球のボールのように投じられる。
まさに、炎の魔球ってか。
だが、『盾』に弾かれ、着弾はしない。
ダメージにはならない。
しかし、衝撃を嫌がった火竜が、再び旋回した。
サーベンティークが更に追い縋る。
サラマンドラやアグラヴェインも、それに続いて更に激しい空中戦を続けていく。
『グギャォオオオオオオオオッ!!』
イライラとしているのが、此方からでも分かる。
空の王者が、制空権を他者に侵されたとなれば、腹立たしい事この上ないだろう。
残念だったな。
こちらには、3体も飛べる奴がいるんだ。
………オレは、もう無理。
翼が勝手に消えちゃったから。
なんてことは、さておいて。
「間宮、しっかり狙え」
「(了承しました)」
更に、ここで透過するのは、狙撃要員である間宮。
彼には既に、『隠密』を構えさせてあった。
しかも、『隠密』には、ヴァルトの隠し玉である鉛玉が入っている。
『盾』では、物理攻撃は防げない。
これなら、十分に効力がある筈だ。
「撃て!」
銃声が、夜空を突き刺す。
着弾は、火竜の横っ腹。
頭を狙ったと後から聞いたが、やはり空中戦の最中では狙いも付けようが無いか。
『ギャアアアアアアアアッ』
それでも、横っ腹に穴を開けられた火竜にとっては、驚きも相俟って痛烈な攻撃だっただろう。
旋回していた体を、今度は急降下へと切り替えた。
パニックになったのか、まるで背中に乗っている全員を振り落とすような勢いだった。
その時、背中から何かが落下したのが見える。
『火縄銃』のようだ。
どうやら、今の急降下で、弟子の少女が振り落とされかけたかして落としたのだろう。
これは、好都合。
向こうからの狙撃は、これで少しでも減らせる。
「誤射さえしなけりゃ、いくらでも撃って良いぞ」
「(元よりそのつもりです)」
気を良くして、間宮に更に狙撃の指示を出す。
火竜は、急降下から更に急旋回をして、砦の真上を飛んでいる。
背後の生徒達が、凄いと呟きながら呆然と見上げる。
まるで、怪獣大決戦だものな。
わぁお、ファンタジー、って奴。
って、脳内脱線ばかり繰り返していた所為か。
『(いつまでもふざけておらんで、そちらの準備を進めんか)』
アグラヴェインに、怒られました。
あら、空中戦をしていながら、精神感応なんて余裕ね、アグラヴェイン。
でも、ゴメン。
マジで、オレも本気出さないと間に合わない。
更に、精製に魔力を練り込んでいく。
元々の魔力が高い所為で、オレは兎に角イメージ通りに具現化するのが下手くそだ。
先程から、イメージは出来ているのに、魔力が定まってくれない。
その間にも、火竜が2発目の火球を吐いた。
狙いは、火竜の進路を邪魔するようにして回り込んだサラマンドラである。
しかし、彼は真っ向から、その火球へと拳を振りかぶる。
相殺するつもりか。
ボゥンッ!
と、爆音がまたしても夜空に響く。
火球はその場で暴発し、サラマンドラは見事相殺を果たした。
これには、流石の火竜も驚きの余り、急停止。
ーーーガゥンッ!!
爆音と別に、銃声が轟いた。
すかさず、間宮が狙撃したのである。
今度は、顎下に着弾を確認。
赤い血潮が噴き出したが、やはり遠すぎて貫通までには至らない。
だが、それにすら火竜は驚いて、今度は急上昇。
背中の連中がどうなっているのかは考えたくも無い。
遠くに悲鳴のようなものも聞こえるので、おそらくへばりつくので精一杯な状況だと思われる。
………敵ながら、同情の念すら沸いてしまったが、そんなクソみたいな感情は他所に置いておいて、
「………あと、もうちょっと…ッ!」
銃架は、具現化を終えた。
後は、本体。
しかし、ここで難航中。
独特のフォルムを持っている物を精製しているから、やはり魔力が定まってくれないと精製どころか、具現化に移る事すら出来ない。
おかげで、以前の魔力の暴走時と同じく、魔力が暴風のように荒れ狂ってしまっている。
「きゃっ!」
「ちょっ…先生ッ!?」
「これこれ、もっと魔力を抑えんか…ッ!」
背後で、生徒や、嫁さん達からの悲鳴も聞こえる。
ゴメンね、頑張るから。
だから、もうちょっと踏ん張ってくれ。
………こっちも、割と必死なの。
そこで、更に頭上では、空中戦は激化。
急上昇した火竜が、追い縋っているサーベンティークへと尾を振るう。
いよいよもって、制空権の奪取へと動き出したようだ。
サーベンティークは、その尾の一撃は回避した。
しかし、追い縋っていた火竜からは大きく引き剥がされてしまい、その間に火竜が更に急旋回。
サーベンティークに、真正面から火球を放った。
すかさず、回り込んだアグラヴェインが、『闇の盾』を精製。
火球は、『闇の盾』とぶつかり合って派手な爆音と、火の粉を巻き散らす。
なにはともあれ、これで、3発目。
残りは、2発。
なんとしても、間に合わせなければならない。
更に、火竜がサーベンティークへと追撃を計るが、濛々と立ち昇った煙の奥からはサラマンドラが現れた。
追随をしていた彼が、サーベンティークを追い越した形。
そこで、大きく振りかぶった拳。
轟々と燃え盛る炎を纏ったそれが、振り落とされる。
凄まじい轟音が響き渡る。
先程と同じく、『盾』に弾かれ炎でのダメージは通らずとも、衝撃だけは本物だ。
真向から殴り飛ばされた火竜が、墜落するようにして落ちる。
そこへ、追随するサーベンティーク達。
更には、
「散々、あたし達をコケにしてくれたお返しよッ!!
用意、………撃てぇッ!!」
火竜が落ちた先、その海上にはビルベルをはじめとした人魚達が待機。
真下から発射された『水』の中位魔法、『氷の矢』は、その数が数千本にも上っている。
流石は、『海の龍族』と名高い魔族である、人魚達だ。
続々と着弾する『氷の矢』だが、やはり『盾』に弾かれ澄んだ金属音の様なものを響かせながら砕かれていく。
だが、これまた衝撃は通っているようで、火竜がこれまた嫌がった。
海上擦れ擦れで急旋回。
更には、急上昇と慌ただしい動きには、既に王者の風格どころか余裕すらも見受けられない。
「待ちなさいよ、空飛ぶ火吐き蜥蜴!
氷漬けにして、海の底に沈めてやるんだからッ!!」
そんな可哀想にも見えて来た火竜へと、ビルベルの恫喝紛いな大音声が吐き掛けられる。
………いやはや、彼女もなかなか怖いもんだ。
『ギャァアアアアアアアッ!!』
だが、ここでまたしても、火竜の悲鳴が響き渡った。
首筋に、ゴプリと溢れ出した血飛沫と、そこに見受けられた弾痕。
真下を見ると、間宮が弾を再装填する直後だった。
銃声が消えたと思ったのは、おそらく『隠密』に備えられている『風』の防音を起動したからか。
オレが聞こえなかっただけとか言わないよね。
魔力の暴風の所為で、既にオレも耳は聞こえなくなってきているけども。
しかし、火竜は本格的に、体をくねらせながら苦しみ始めた。
今の一撃が、どうやらとてつもなく効いたらしい。
………まさか、逆鱗でも撃った?
この距離からそこまでの精密な射撃をするとは、流石間宮。
『(いい加減にしろ、主!
まだか!?)』
おっとっと、またしても脳内脱線がバレてアグラヴェインに怒られてしまった。
目線を戻せば、火竜が火炎放射のように、闇雲に火を吐き出している。
………確かに、火吐き蜥蜴だわ。
火球に換算すると、4発目となるだろう。
おかげで、サラマンドラすらも火竜に近付けなくなってしまっている。
とはいえ、
『(大丈夫、もう、終わったから)』
アグラヴェインに怒られるより、数秒程度の誤差ではあったが、此方の準備はしっかりと終わった。
***
手元に魔力を霧散させながら、具現化したずっしりとした重さ。
その重さが心強いと感じてしまうのは、オレがやはり銃弾の飛び交う戦場を駆け回って来た過去がある所為か。
月明かりを反射する、漆黒の銃身。
金属をただ無骨に継ぎ接ぎをしたかのような独特のフォルム。
銃身から下に、申し訳程度に飛び出したグリップ。
そして、一番の特徴を持っているのが、キューブでも嵌め込んだかのようなマズルブレーキ。
その名も、PGM へカートⅡ。
フランスPGMプレシジョン社が開発、製造しているウルティマラティオシリーズの中でも、最大口径モデルの対物狙撃銃。
フランス陸軍の正式大型狙撃銃であり、FR-12.7と言う名でも知られている。
ちなみに、フランス語で「12.7mm口径ボルトアクションライフル」の意味で、その略称。
また、へカートと言うのは、ギリシア神話で『死の女神』とも謳われるヘカテーから取られている。
銃機関弾薬である、・50BMG(12.7×99mm)を使用する、ボルトアクション対物ライフルで、約1.8km以上での射撃を想定して設計された長距離狙撃銃だ。
大きな特徴であるマズルブレーキは、7.62×51mm NATO弾を使用するライフルにおいて想定されるレベルにまで反動を軽減するために、装着された高効率のもの。
ちなみに、マズルブレーキって、銃口なんかに装着する部品で、概ね円筒の周囲、または箱形の側面に穴をあけた形状をしたものね。
日本語では「銃口制退器」とか言う。
つまり、反動を逃がす為に、勝手にスライドしてくれる必要な部品。
それが最初から備わってるって事。
そして、この銃の特徴は、なんと言っても反動だ。
普通の人だとぶっ飛ぶよ。
その為に、最初から銃架にも似たニ脚が装備されているし、調整も可能な代物になっている。
さっき、手こずってたの、実はここを具現化しようかどうしようかだったの。
………まぁ、無理だったけど。
先に別の三脚銃架を具現化して置いたので、問題は無いけどね。
銃身は放熱と重量軽減のために、深いフルーティング(表面に螺旋状の溝掘り加工を施すこと)を行われて、想定しうる全ての問題に対処されている。
長距離の破壊狙撃や、嫌がらせの射撃もなんのその。
他にも、安全な距離から、HEIAPを使用して、不発弾を破壊する対物ライフルとしても知られている。
またまたちなみに。HEIAPって何かと言えば、特殊効果を発揮してくれる弾頭の事ね。
その特殊効果ってのは、後で説明する。
まぁ、数ある弾頭の中でも化け物だと思ってくれて良い。
ついでに、対物ライフルとしても、化け物クラスのPGM へカートⅡと一緒になれば、どうなるか。
そんなもの、まさに鬼に金棒。
もしくは、雷神に鎚とか、悪魔にグングニルとか。
要するに、化け物同士の、夢の競演な訳で。
反撃の時は、来た。
『(良いよ、2人とも!離脱して!)』
『(ふん、ようやくか!)』
『(待ちくたびれたな!)』
先進感応で、火竜を追い詰めていた彼等に離脱を促す。
そろそろ、魔力が心許なくなりつつあった2人が、消える様にして追い縋っていた火竜から離れた。
「ヴィンセント、サーベンティークを退かせてくれ!」
「分かった!」
そして、追随を続けていたサーベンティークも、退却させる。
彼からの精神感応を受けてか、輪郭を溶かすように空中で水となった彼女は、あっと言う間に魔力の塊のようになってヴィンセントの胸元へと吸い込まれた。
ありがとう、と労いの声が聞こえた。
オレも、それに習って、離脱した2人に労いの声を内心で発しておく。
火竜は、突然消えた追撃者達を探して、右往左往と空中を旋回している。
火球は、残り1発。
「間宮、頼む!」
「(了承、です!)」
今しがた、最後の鉛玉を打ち切った間宮が、後方へと『隠密』を放る。
それと同時に、立ち上がりがてら手を真上へと翳した。
『(お見舞いして、やりなさい!)』
『風』が舞い上がる。
オレの魔石で吸収した所為か、間宮からは魔力が洪水のように溢れ返っている。
その魔力を半分程も使って、彼は頭上へと翳した掌から上位魔法を使用した。
「(『黒鯨の噴気』!!)」
火竜の頭上の、更に上。
そこから、水瓶をひっくり返したかのような『水』が突如として溢れ出した。
引っ被った火竜が、これまた仰天。
やはり火の名を冠するだけあって、水が苦手なのか。
即座に、翼を羽搏かせて、水流から逃れた火竜はやっと、敵が上空では無く、地表にいる事に気付いた。
先ほどまで、追随していたアグラヴェイン達も、砦へと戻って来ている。
『ここまで、酷使されたのは久々の事だ』
『ハラハラしまくって、寿命が縮むかと思ったぞ!
まぁ、楽しかったけどな!』
帰ってくるなり、文句や皮肉や嫌味のオンパレードである。
ついでに、酷使されたのは本当の事で、早々にオレの中へと引っ込む始末。
まぁ、文句は言えない。
ありがとう、ともう一度、労いを内心へと唱えてから。
頭上を見上げる。
火竜は、砦を見下ろして、にやりと笑ったかのように見えた。
すかさず、声を張り上げた。
『来いよ、空飛ぶ火吐き蜥蜴!!
この×××の、××××野郎めッ!!』
盛大なスラングを、大音声で。
これまた、覇気にも似た圧迫感を伴った声量が発せられ、床や壁がビリビリと震えた。
後ろで、生徒達が耳を抑えて、ひっくり返る始末だ。
………マジで、ゴメン。
でも、謝罪は後で。
意味が分かったとは思えない。
しかし、オレの大音声を聞いてか、火竜がいよいよオレのいる砦をロックオンした。
火竜が口を開ける。
喉の奥にある器官とやらから、ナパームにも似た液体が飛び散る。
そこへ、すかさず『火』属性の精霊の加護で、火種を投下。
轟、と瞬く間に炎となったそれを、魔力で調節しながら球状に精製し、サイズ、威力、速度が最高になるまで、引き絞るようにして口腔へと溜めている。
「最後だ、間宮。もう一度頼む」
「(はいッ!)」
それを見届けてから、言葉通りに最後の指示を間宮へと下した。
間宮は、先ほどと同じように、手を上に翳す。
しかし、先ほどとは違って、使用する精霊の属性は、『水』では無く『風』。
「(『風の竜巻』!!)」
放たれた、渦を巻く暴風。
さながら、台風の様な有様となった。
瓦礫や、砂塵が舞い狂う。
間宮を台風の目とし、砦から真っ直ぐに伸びた暴風の渦は、火竜へと向かう。
しかし、届かない。
火竜は、まるで嘲笑うかのように、悠々とその中心点であるオレ達を見下ろしていた。
しかし、それで良い。
『盾』がある以上、魔法でのダメージが通らないとは分かっている。
これは、ただの道だ。
オレが、今からぶっ放す、『死の女神』の弾道を安定させる為の、道となるべき風の渦である。
嵐が過ぎ去った後の暴風は、弾道にかなりのブレを引き起こす。
その予防策が、この風の渦と言う訳だ。
グリップを握り、へカートⅡと共に具現化した、ピカティニー・レールに既に装着済みであるフランス陸軍制式のスコープであるScrome Lte J10 F1を覗き込む。
倍率は、勿論最大値である1.8km。
馬鹿のように大口を開けた、火竜の咽喉ち●こまで丸見えだ。
三脚を引き、着々と微調整を掛ける。
態勢がキツイが、四の五の言っている理由は無い。
勿論、狙うはど真ん中。
ノックバックに備えて、未だにスパイクを履いた革靴を、石の床に嚙み合わせる。
火竜は、今にも火球を吐き出さんとしていた。
しかし、此方も既に照準は合わせた。
引き金を引く。
この1発で、勝負は見えた。
ーーーーゴゥンッ!!
銃声は、もはや爆発にも似た轟音だった。
サプレッサーは付けていなかったので、当たり前の事。
しかし、この爆音とも言える銃声も、へカートⅡの魅力でもある。
戦場では、戦車や装甲車相手に、何度もお世話になりました。
予算の関係で、旧校舎のコレクションには加えられなかったが、この異世界で扱う日が来ようとは、分からないものである。
閑話休題。
銃弾は、走るように風の渦を抜けた。
爆音に気付いたか。
火竜が目を見開いた。
しかし、もう遅い。
発射速度が 最大825m/秒を超える弾丸は、あっと言う間に火竜の喉奥へと吸い込まれた。
一瞬の静寂。
しかし、次の瞬間には、轟音が辺りを蹂躙した。
***
火竜の口腔にあった火球が、爆炎と化す。
灼熱に堪えられるように進化した筈の火竜の口腔は、跡形も無く吹き飛んだ。
更に、喉奥へと着弾した、HEIAP弾頭内の榴弾が脳天を突き破るようにして貫通した。
弾かれたように、火竜の背中から何かが落ちた。
榴弾が直撃したのか。
頭が潰れた死骸が落ちていく。
騎士の制服のようなものを着ていたようだが、おそらく砦に潜伏していたとかいう奴等の仲間の1人だろう。
延焼、爆発、貫通。
三位一体とも言える、効果。
これこそが、先ほど言っていたHEIAP弾頭の特殊効果の事である。
HEIAPって、何かって言えば、徹甲弾、榴弾、焼夷弾の3つの性能を併せ持った弾頭の事ね。
目標を攻撃する時に、衝突した瞬間に先端で焼夷弾に火を点けてくれる特殊効果を発揮するので、爆薬の起爆を誘発出来る。
装甲目標の破壊にもうってつけで、対物ライフル用の弾も存在している。
それが今回、火竜に着弾したのだ。
先程も言った通り、火竜の口腔は自身が吐き散らかす火炎の灼熱に堪えられるように進化し、殊更頑丈となっている。
今回はその頑丈さが仇となった訳だ。
徹甲弾が火球すらも物ともせず突き進む。
そして、その頑丈な咽喉へと衝突した瞬間に、焼夷弾が引火。
火竜が喉奥に虎視眈々と吐き出そうとしていた火球を誘爆した。
ついでに、誘爆したと同時に、徹甲弾が弾け、榴弾が飛び出す。
それが、火竜の脳髄を貫通した。
貫通した榴弾は、今しがた落ちた奴らの仲間の1人の被害者を引き連れて夜空を飛び去った。
落ちた仲間らしき物の頭は、見事に潰れて、首から下しか見受けられない。
それが、海へと落ちたと同時に、泡を伴って消える。
おそらく、魔物達の餌になって、骨も残らないだろう。
そして、脳髄を巻き散らしながら、榴弾が貫通した火竜はと言えば、
『………グルゥ…』
断末魔とも言えないお粗末な唸り声と共に、上下の顎が砕け散った状態でそのまま空中で制止していた。
ただし、もう生きてはいない。
爛々と怒りと生気を漲らせていた眼球が、瞼の裏へとぐるりと逃げた。
力強く躍動するかのように羽搏いていた翼すらも、その動きを停止。
そして、ぐらり、とその場でその雄大な長躯を傾かせたかと思えば、頭から真っ逆さまに海上へと墜落していく。
錐揉み回転をしながら、腹を天に向ける。
背中が下になった。
重力に引かれる様に、空の王者から滑落する様に。
火竜が、落ちた。
***
やっと、一段落。
ここまで、長かった。
そして、難産でした。
プロットは出来上がっていたのですが、どうやってアサシン・ティーチャーを活躍させればいいのやら、と。
最近、情けないところばかり書いていた反動でしょうかね。
次回で、頬に傷のある男達との決着です。
色々とフラグが大量投下ともなりましたが、ターニングポイントの第一回目が終了となります。
アサイン・ティーチャーの進化と共に、生徒達の次なる成長も目前です。
誤字脱字乱文等失礼致します。
 




