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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、遠征編
136/179

129時間目 「緊急科目~エネミーエンカウント~」2 ※流血・暴力・グロ表現注意

2017年1月3日初投稿。


明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。


大分遅くなってしまいましたが、続編を投稿させていただきます。



129話目です。

※タイトル通り、流血・暴力・グロ表現注意となっております。

 苦手な方は申し訳ありません。ご注意くださいますよう、よろしくお願いします。


***



 第2ラウンドの開始。

 正直、第1ラウンドどこ行った?だけど、第2ラウンドったら第2ラウンドだ。


「っらぁああああ!!」

「………その気迫と、正直さだけは褒めてやらぁ」


 オレの滅多に上げない大音声。

 その声と共に、頬に傷のある男と衝突した。


 切り結ぶ直前に聞こえた、男の言葉。

 ぞくりと、思わず背筋が怖気だった。


 オレは刀を、落下の速度も上乗せして振り下ろした。

 男は、今まで足場の無い状態で体を支えていた鎖を振り回して。


 刀と鎖。

 甲高い金属音が、響き渡る。


 そう思われた直後、男が消えた。


「………ッ!?」


 大きく空ぶった刀の切先。

 空中で思わず踏鞴を踏もうとして、バランスを崩した。


「馬鹿が。

 質を度外視した量産品でそんな代物受け止めようとするか」


 消えた筈の男の声が、頭上で(・・・)聞こえた。

 そう思った時には、バランスを崩したオレを真っ直ぐに見上げている(・・・・・・)男と、眼があった。


 違う。

 頭上にいるのではない。

 真下にいる。


 態勢を崩して、オレが空中に寝そべった格好となっているから、そう見えただけ。

 でも、………何で真下にいる?


 瞬間、目の前に男の靴底が飛び込んできた。


「がぁあ…ッ!!」


 走った熱と痛みは、どちらが速かったか。

 先程から何度も見舞われて、桁外れな威力を身を持って知っている蹴りの一撃。


 悲鳴にも似た声を上げながら、上空へと無様に打ち上げられた。

 ラピスから掛けられていた筈の『防御強化ガードニング』が意味を持たない。


 打ち上げられながらも、態勢を整える。

 痛みで頭が可笑しくなりそうながらも、空中で男を見下ろした。


 男は、足場にしていた日本刀から降りたと同時、日本刀の柄を掴んで空中で1回転。

 また、同じように刀を足場に壁に立っていた。


 逆上がりの要領で、蹴り上げられたって事かよ。

 オレの相手は、そんな子ども染みた動きでも出来るって事か?


「ふっざけ、やがってぇ…!!」


 一瞬で頭に血が上る。


 正直、あの男はオレだって、一発ぶん殴ってやらなきゃ気が済まない。

 それぐらいは、恨みつらみが募っている。


「アグラヴェイン…ッ!!」

『そう怒鳴らずとも、聞こえておるわ!』


 空中に打ち上げられた格好を整えて、彼の名を呼ぶ。

 空中でスロットを駆ったアグラヴェインが、オレの背後へと回り込み足場となる。


 その足場を利用する事で、もう一度男へと飛ぶ。

 今度は蹴りだって、刀の切り払いだって食らってやるものか。


 頬に傷のある男は、今度は鎖を砦の瓦礫へと投げて起点を作り、日本刀の鞘を壁から引っこ抜いた。

 その場で振り子のように体を揺らすと、壁に沿って駆け出す。


 アクロバティックなその動きは、まるで某ハリウッドの蜘蛛男。

 足場が無い事をなんとも思っていないらしい。

 鎖分銅を左手で掴み、そのまま壁を駆けた男は、鎖の余剰分が無くなったと同時に、オレに向けて壁を蹴った。


 視線が交差する。

 男が右手に握った日本刀を翻した。

 逆袈裟でのそれに、オレは真上から振り下ろす。


 ーーーーガキンッ!


 金属音が鳴り、目の前に火花が散った。

 男がにやりと口元を歪ませ、鍔迫り合いとなる。


 だが、ここは空中。

 足場が無い場所では、後は落下するだけ。


 そして、男は鎖分銅で砦の瓦礫を起点にしていた為、振り子の原理で砦の壁へと戻る。

 オレは、落下する前に回り込んだサラマンドラの手を足場に、更に男へと追撃を。


 風鳴りが五月蝿い。


 だが、男が壁に着地する前に、オレは男の真横へと追いついた。

 背後を取った形だ。

 好機である。


「シィ…ッ!」

「はっ!」


 擦れ違い様に薙ぎ払う。

 だが、男は日本刀を更に切り返し、盾のように構えて受け止めた。


 膂力で男の起点がずれた。

 畳みかけようと更に突きを繰り出そうとした瞬間、


「がは…ッ!!」


 脇腹に走った熱と、駆け巡った内臓に響いた異音。


 吹き飛ばされる。

 吹き飛んだ傍らで、男へと視線を向けた。


 男は悠々と鼻を鳴らすようにして、壁へと着地していた。

 態勢は崩れているが、片足立ちのような格好となっている。


 またしても、オレはアイツに蹴られた訳か。

 しかも、ご丁寧にオレの力を利用して。


 膂力でズレた起点をそのまま直そうとはせずに、回し蹴りの膂力として組み込んだようだ。


 クソ、食らってやるかと言ったばかりに…ッ!


「アグラヴェイン、頼む!」

『既に、ここにいる!』


 もう一度、呼ぶのはアグラヴェイン。

 瞬間、彼がオレの背後から、スロットで現れたと同時にオレの脚を掴んだ。


 意思疎通など、内心で十分。

 なまじ、戦闘中にそんな言葉を交わしている暇など無い。


 オレの意図を正確に読み取ったアグラヴェインが、スロットの馬上でオレを思い切り振り回した。

 遠心力が追加されて、先ほど強打された脇腹が痛むが、今は恨み言も言いっこなしだ。


『行け、主!』

「オーレイ!!」


 気安い掛け声を上げつつも、空中に投げ出された体。

 否、弾丸のように投げられた。


 それで良い。

 これが、オレの命令オーダーだから。


 しっかりと見据えた頬に傷のある男が、微かに目を見開いたのが確かに見えた。


「はぁあああああッ!!」

「チッ!」


 舌打ちを零した男が、もう一度刀から降りた。

 それと同時に、またしても柄に手を掛けて、一回転。


 だが、今度はオレに蹴りを向けるでもなく、


「せえぇッ!!」

「シィイッ!!」


 砦に突き立てていた刀身を抜き、オレを迎撃した。

 日本刀同士の刀身がぶつかり、鍔迫り合いとなる。


 だが、それも一瞬の事。

 弾丸のように投げられた膂力の分、オレが競り勝った。


 砦の壁に、頬に傷のある男が打ち付けられる。

 砦の壁が崩れ、真下にあったバルコニーや新しく設置した防波堤に落ちていく。


 放射状に凹んだ砦の壁に、埋もれた男。

 そこに、オレが覆い被さった形となった。

 それでも、足場が無い現状はそのまま落ちるだけとなるだろう。

 切り返しをされる前に、自重を支えた脚を踏ん張って刀を引いた。


 トドメを刺す。

 ここで、殺さなければ、またオレだけではなく生徒達にも危害を及ぼし兼ねない。


 正直、男の怨恨の原因が見えて来ない今、殺すかどうかは迷っている。


 だが、例え理由があろうと無かろうと、この男がオレにした行為は事実で。

 生徒達やゲイル達に向けた凶刃や、砦の騎士達の命を奪ったのも本当の事だ。


 だから、例えそれが早とちりであっても。


「お前は、殺す!

 じゃないと、オレだっておちおち、休んでもいられねぇからなぁ!」


 迷いを断ち切る様に、声を荒げながらも吠えた。

 そうして、男へと切先を向けた。

 首に向けて、一刺し。

 それだけだ。


 それで、事が済むのだと、暗示のように繰り返しながらも、切先を突き込んだ。


「………舐めて掛かってんのは、どっちだよ?」


 その男の唸るような声が、耳朶を打つまでは。



***



 屋上の崩れ落ちた砦の展望テラスは、いつの間にか晴れ渡った夜空の下で煌々と照らされている。

 明るいのは何よりだが、周りが壁に囲まれている分落ち着かない。

 野外とはまた違った状況に、少しばかり浮足立っているのは認めざるを得なかった。


『(………叩き出せれば、一番良いが、)』


 もう何度目かも分からない打ち合いに、辟易となりつつあった。

 壁の外に弾き飛ばして、そのまま転落死をさせてしまいたい。


 頬に傷のある男の、その更に下の弟子である少女と切り結ぶ事、幾号。


 双方、一歩も退かない猛襲。

 これには、流石の同輩達どころか、騎士達も目で追う事すらも難しいようだ。

 感じる視線が忙しなく、逆に意識が削がれてしまいそうになるのを、気力で持ち堪える。


 刀がいなされ、切り結ばれ、更にはいなされ。

 着々と、立ち位置が入れ替わる。

 いつの間にか、足下の砂地には、円形の足跡が刻まれていた。


 その円の外には、お互いにはみ出してもいない。

 これは、銀次様からの修練の賜物だろう。

 足場の悪い雪や泥の中でも動けるように、下半身の強化を重点的に行ってくれたおかげで、こうして砂地である戦闘地帯(フィールド)にも対応が出来ている。

 心の奥底から、何度目かも分からない感謝を贈る。


 しかし、感動を覚えて感慨に浸っている暇は無い。

 その猛襲は、入れ代わり立ち代わり。

 そうして、何度目かの短剣と脇差の応酬で、激しく打ち合った。


 短剣の鍔と、脇差の鍔。

 形状は違っても用途が同じそれが、組み合った鈍い金属音。


 鍔迫り合いとなり、足下の砂が初めて円形から崩れた。


「…この、駄犬が、舐めくさって…ッ!」

『(………舐めて掛かったのは、そちらの方。

 死に行く師匠の心配よりも、お前は自分の身を案じてはどうか?)』

「ほざけ!貴様のような駄犬の屑の飼い主に、師匠センセイが遅れを取るものか!」

『(それも、こちらの科白だ)』


 近距離で交わされた罵詈雑言の応酬。

 唾すら吐き散らしながら怒鳴る弟子らしき少女は、随分と血が上っているようだ。

 それを、わざと精神感応テレパスで煽り続ける。

 とはいえ、オレとて冷静そうに見えて、実は腹の底で激情を滾らせていた。


 あの頬に傷のある男達が、銀次様、ひいては同輩達に向けた凶刃は度し難い程の殺意だ。

 悪意としては生易しく、害意としては質が悪い。

 銀次様も何故ここまで、あの頬に傷のある男からの妄執にも似た怨恨を覚えられているのかは不明と来た。


 とはいえ、敵だ。

 銀次様の敵は、オレの敵。

 師匠の敵なのだから、弟子であるオレにとっても敵。


 そんなもの、自明の理だ。

 分かっている。

 疑いすらも、持つことは許されない。


 だから、殺す。

 正直、勝てるかどうかは分からないとしても。


 今まで培ってきた経験と、今までの修練は無駄にしない。

 例え、腕が切れ、脚が飛ぼうとも、必ずやその喉笛を食いちぎってくれる。


 気概を殺意に塗り固め、脇差を更に押し込む。

 体の大きさは、5分と言ったところか。

 悔しいが、16歳になってもまだ140を超えない身長では、このような発展途上の少女とすら目線が同じ。

 どう見積もっても、そのフードの奥に見えるあどけない顔は13・14程度だ。


 それでも、力では負ける事は無い。

 銀次様の教えでフットワークを中心に磨いては来たが、筋力を養う訓練を休んだ事は無い。


「………ぐぅ…ッ!」


 少女が一歩、退いた。

 このまま、押し切れる。


 やはり、発展途上の見た目同様に、力に関しても子ども然り。

 男が女に力で勝てる道理は、少ない。


 しかし、


「獣臭いのです、この駄犬が!!」


 一喝とも言える怒声を上げたと同時、少女がその身を退いた。

 押し込んでいた力点がずれ、思わず踏鞴を踏んだ。


 だが、耐えた。

 腕に掛かっていた膂力の所為か、いなし方も中途半端。

 この程度ならば、銀次様との修練で何度も、


「『風』の精霊よ。

 汝らの猛威を叩き込め!」

「(………ッ!?)」


 脳裏でいなされた刀をどう切り返そうか逡巡していた最中に聞こえた、詠唱の文言に思わず息を詰まらせた。


 この少女、まさか魔法が使えたのか………!?


「『風の刃(ウィンド・カッター)』!!」


 その思考は、発現した魔法によってかき消された。

 目の前で爆発でもしたかのような風の猛威に、踏ん張っていた脚も災いしてかもろに直撃を食らってしまった。


 吹き飛ばされた。

 直前に聞こえた同輩の少女の悲鳴すらも、誰の物かも判断が付かない。


 壁に叩き付けられた、肺から息が絞り出された。


 不甲斐無い。

 この程度、銀次様なら軽くサイドステップ程度で避けて見せただろうに。


 壁に凭れながら、下唇を噛み締める。

 それでも、昏倒して無様に倒れ込む事の無いように、地面に脇差を刺して堪えた。


 汗と海水、砂埃で前髪が額に張り付いて不快だった。


「この、駄犬程度に魔法すらも使うなんて、師匠センセイに笑われます」

『(………なるほど、使わなければならない程に切羽詰まっていたらしい)』

「お黙りなさい、駄犬!

 いい加減、その醜悪な獣臭い顔を見るのも不愉快です!」


 下位魔法とはいえ、直撃は流石に堪えた。


 まさか、この少女も詠唱を、短縮して使えるとは。

 無詠唱では無いまでも、発現のタイムラグはコンマ数秒も無かっただろう。


 敵ながら、見事なものだ。

 それでも、気丈に目を少女へと向けたまま、唇を噛み締めて咽そうになる息を堪える。


 煽りも忘れない。

 銀次様から聞いた、一種の戦闘心理術。


 どんなに分の悪い戦時も、決して余裕は崩すな。

 その為には、表情を殺す事も、ましてや表す事も必要だと。


 いつか、銀次様の前の師匠、ルリ様にも言われた事があった。

 ………今にして思うと、どうやら銀次様の押し売りだったようだ。


 つらつらとそんなことを考えながら、口元は不気味に微笑んでいた。

 口端から血が垂れていようが、強打した後頭部から血が垂れて来ようとも、絶対にこの四面楚歌の内心を悟られぬように。


 オレの笑みを見て、弟子の少女が息を呑んだ。

 銀次様を真似てみたが、案外効果は高かったらしい。


 あの人は、お顔の造形が整っている分、笑みを浮かべると途端に精神破綻者マッドハッターにも似た悪どい顔となるから。


「こ、この、………お前のような駄犬如きに、私が臆するとでも、」

『(駄犬駄犬と五月蝿い小娘だ。

 ………それしか語録が無い程、頭の容量が少ないと自分で公言しているのか?)』

「ーーーーーッ!?

 お前、言わせておけば………キ●●イめッ!!」

『(………精神感応テレパスにいちいち答えて、一人で道化を演じている時点で、お前の方がよっぽど●チガ●だ)』


 今更のことながら、本当のことを指摘してやる。


 今までも面白いぐらいに煽り文句に乗ってくれたものだが、これまた効果があったらしい。

 周りを見て、同輩達や騎士達の異常者を見るような視線にたじろいだ少女。


 まぁ、今の精神感応テレパスは、わざと同輩達にも聞こえる様に、この部屋全体に調節した訳だが。

 噴き出しそうになりながらも、意図を正確に読み取った同輩達が白んだ視線を少女へと向けている。

 何と言ったか、これは。

 ………確か、完全アウェイ。(※地味に正解)


 一瞬にして、顔を真っ赤にした弟子の少女。

 その眼が、殺意を宿し爛々と、オレへと向けられた。


「お前は、殺す!」

『(………腑抜け。

 最初から、殺す気で来ないから、恥を掻く)』

「ーーーッ!!」


 今度は精神感応テレパスに反応することなく、何の芸も無く突っ込んできた少女。

 動きは、恐ろしく早い。

 正直、オレでも、銀次様との手合わせで目を養えていなければ、追うのも困難だっただろう。


 だが、付いて行ける。

 後は、彼女がどう出て来るかだが、


「『風』の精霊達よ!

 主の敵を汝等の力で細切れにしてしまえ!

 『疾風の輪舞(ウィンド・ロンド)』!」


 来た。

 魔法だ。


 そう思った時には、ありとあらゆる迎撃のシミュレートから、的確な方法を選び取っている。


『(『土の壁(アース・ウォール)』!)』


 目の前に、『土』の壁を生成。

 向こうはやはり、詠唱を短縮してしか使えないようだ。

 こちらは、無詠唱で扱えるように訓練をして来たおかげか、なんとか発現の後であっても『土』壁の精製が間に合った。

 しかも、地面が砂地であることも幸いしてか、発現がいつも以上に早い。


 何故屋上がこのような惨状になっているのかは不明だったが、今は有難い。


 と、安心している暇は無い。


「それで、防いだつもりか!?」


 『土』の壁を飛び越えるようにして、少女が宙を舞う。

 オレは、魔法の発現の為に、地面に手を付いてその姿を見上げている。


 さて、迎撃のシミュレートは、どちらで(・・・・)行こうか。

 無意識のうちに、口元に笑みが浮かんでいた。

 いけないとは思いつつも、今後の少女を見舞う惨状に、少しどころか心底からの愉悦が沸いた。


 短剣を振り下ろさんと落下途中の少女が、眼を瞠った。

 だが、その表情も、今となっては後の祭り。


「『水の奔流(アクア・スプラッシュ)』」


 控えていた(・・・・・)次の魔法を発現する。

 悪いが、こっちは継続行使どころか、同時行使も出来るよう訓練を積んできたのだがら。


 オレの言葉と共に、地面が水を含んだ。

 一足早く、四つ足を踏ん張ってその砂と水の混じりあった泥から離脱。


 少女は、避ける暇もなく泥の中に脚を突っ込んだ。

 なまじ、落下速度と自重も相俟って、膝上よりも更に太腿までが埋まった状態となる。

 泥に飲み込まれた感触は、さぞ気持ちが悪かろう。


 先程から浮かびっぱなしの愉悦のままに、離脱をした先で手を翳した時には口元の表情筋が引き攣るかと思った。

 どうやら、今回ばかりはオレの表情筋も仕事を放棄したらしい。

 (※後背で見ていた同輩の何名かが、似た者師弟と呟いていたのを確かに聞いた為、後でしっかりと灸を据える事を決めたが………)


『(爆ぜろ!)』


 『土』壁を回り込んだと同時、その向こう側へと投げたマークⅡ手榴弾(パイナップル)


 あ゛ッ!!と気付いた同輩達がいたが、もう遅い。

 悪いが、銀次様は没収されただろうが、オレが預かっていた分は未だに手元にあっただけだ。

 回り込んだ『土』壁を更に、強化。

 同輩達や騎士達にも被害が及ばぬように、四角に囲むように精製することも忘れない。


 その瞬間、


ーーーーーードゥンッ!!


 投げ捨てたきっかり5秒後に、『土』壁の向こう側で爆音が轟いた。

 地響きにも似た揺れも感じたが、この際仕方ないと割り切っておく。

 ここまで破壊され尽された屋上があるのだから、壁が無くなろうが床が抜けようが、大して変わらないだろう。


 しばしの沈黙の後、ふぅと溜息。

 怖い、と同輩達が呟いていたのは確かに聞いたが、無視をしておいた。

 ………今更だ。


 そう思って、少女の生存確認をしようと『土』壁を操作する。

 窮鼠猫を噛むとは言わないが、死にぞこないの我武者羅な反撃程危険な物は無いと言うのは知っているので、あくまで慎重に。


 多少は残した『土』壁から中を覗く。

 硝煙が蔓延した『土』壁の中、一見すると少女の姿は見えなかった。


 鉄錆の香りが鼻を突くが、凄惨な有様を想像していたオレとしては少々物足りない状況だ。

 もっとこう、血が飛び散っていたりはしないものだろうか。


 そう思って、更に身を乗り出して『土』壁の奥を覗こうとした途端、


『ギャオォオオオオオオオオオオ!!』

『(…ッ!?)』

「間宮、上だ!!」

「マミヤくん!!」


 いつの間にか、床の抜けた屋上からオレを見下ろしていた火竜。


 そして、その火竜の首に、鎖を巻き付けて浮いている少女も見えた。

 脚は泥だらけと同時に、血塗れとなっている。


 おそらく、火竜の首に巻き付いた鎖だ。

 あれで、泥からの脱出を果たした。

 だが、抜け出したは良いが、手榴弾の破片によって細切れにされたのか。


 しかし、何故ここまで火竜が降りて来ていたのに、気付けなかったのか。

 それに、迎撃に飛んでいた筈の首長竜(サーベンティーク)はどうした?


 脳裏に様々な疑問が浮かび、咄嗟に動く事が出来なかった。


 それと同時に、


「『風』の精霊達よ!

 風神の名の下に、主の敵となる者に汝等の力の一端を今此処に示し給え!」


 聞こえた詠唱と、その文言。

 我に返って、慌てて飛び退ろうとバックステップを踏んだ筈が、


「『獅子王の墓標(ピラミッド)』」


 どこからか聞こえた男の声。

 その声と共に、何かに(・・・)阻まれる(・・・・)ように背中を強打した。

 ついでに、頭も強打した所為か、凄まじい轟音が響いた。

 ………首の骨から異音が聞こえたのだが。


 ハッとして、周りを見渡した。

 正直、脳が揺れた所為か、不格好にふらつくもののそんなもの今はどうでも良い。

 目の前には、黄金色の半透明な壁。

 しかも、それが四方を囲むようにして、頂点に向けて細くなるように結ばれて精製されている。

 まるで、ピラミッド。

 まさに、墓標。


 これも魔法だ。

 思い至ったと同時に、背筋が粟立った。


「いかん…ッ!!」

「『聖』属性の上位結界だと…ッ!!」


 ラピス殿とゲイル殿の声が聞こえた気がした。

 しかし、その時には既に遅い。

 壁を叩くが抜け出せない。

 何の効果かは不明ながら、魔法が発現する気配も無かった。


 弟子の少女の詠唱は、完結している。

 このままでは、直撃する。

 しかも、先ほどの詠唱の長さから言えば、確実に中位以上を超えて来る。

 いくら詠唱が短縮されていても、それぐらいは分かった。


「『風の竜巻(ウィンド・トルネード)』!」


 放たれた魔法は、思っていた通りに中位の『風の竜巻』。

 これまたどのような効果があるのか不明ながら、オレの退路を断っていた壁を越えて風の猛威が襲い掛かった。


 おそらく、内からの行動を阻害する魔法結界の一種だったか。

 今更気付いても、これまた後の祭りだ。

 竜巻に呑まれて、体が宙に舞う。

 抗う暇すらも無かった。



***



 一瞬、何が起きたのか判断が付かなかった。


 男が呟いた瞬間。

 一瞬だけ、躊躇してしまったのは認めよう。

 確かに認めるさ。


 まだ、迷っていた。

 本当に、殺してしまって良いのか。

 もしかしたら、人違いの勘違いで、オレとは全く関係ないんじゃないか?と。


 気付けば、血を流しているのが、オレだった。 


 男の首へと突き立てた筈の切先は、ズレて背後の壁に突き立っていた。

 男の髪を数本切っただけだ。


 その代わり、オレの右腕は、半ばから切れていた。


 ぶらり、と日本刀にぶら下がった腕。

 それを見て、一瞬、本当に何が起きたのか分からずに、呆けてしまっていた。


 そんなオレの表情を、何故か怒りを露にして見ていた男。

 その視線が交差した瞬間、


「………テメェ、そんなんで本当にオレが殺せるとか思ってんのか?」


 そう言って、オレの腹に膝を叩き込んだ。


「がふ…ッ!?」

『主…ッ!』

『おいおい、なんつー男だ…ッ!!』


 これまた訳も分からないまま、吹き飛ばされる。

 膝で蹴られたと気付くにも、時間が掛かった。


 遠ざかる男の目の前に、オレの腕が不格好にプラン揺れて、日本刀と共に残されていた。


 その瞬間、


「ぎィ…あ゛ぁああぁああ゛ああぁッッ!!」


 脳を貫いた痛みに、思わず悲鳴を上げた。


 背後に感じた衝撃は、アグラヴェインが空中に放り出されたオレを受け止めたものだろうか。

 それとも、男の膝蹴りがオレの背骨すらも貫通するかのようにへし折った痛みだったのか。


 アグラヴェインの腕の中で、はくはくと喘ぐオレには分からなかった。

 血塊となった血反吐が、喉から溢れて来る。

 その時点で既に窒息寸前だと言うのに、蹴られた腹の痛みで満足に息も吸えない。


 がひゅ、と喉から絞り出された息。

 けく、と鳴った異音は、どこからのものかも判別は付かない。


「甘く見られ過ぎてて、反吐が出らぁ。

 今の迷った挙句の、透かしっ屁みてぇな突きは何だぁ!?」


 男は、壁に背を預けつつ、オレの刀を手に取った。


 男が右手に握っていた筈の刀が、いつの間にか左手にある。

 意識が朦朧として視界も霞んでいる状態で、そこまで見えたのは奇跡だ。


 そのいつの間にか左腕に持ち替えた刀で、今しがたオレの腕を二の腕から切り落としたと分かったのも、同じだった。


 ………なんだよ、それ。

 鍔迫り合いをしていた矢先の、突きだったのに。

 おかしいだろ、その手品みたいな動き。

 持ち替えたのなんて、全く気付かなかったし、見えもしなかった。


 けど、それがすべて、事実なのだ。

 現実なのだ。

 そう思った瞬間、意識が真っ黒に塗り潰されるのを感じた。


『これ、寝るな!

 何を、諦めて、死のうとしておるのか!』


 アグラヴェインが、オレの頭上で怒鳴っている。

 サラマンドラも何かを言っていたが、此方は聴覚も遠くなって聞こえなかった。


 意識が落ちかけている。

 分かっていても、抗えない。


 息が出来ない。

 肺が機能しているのかどうかすらも、定かじゃない。

 競り上がって来た血反吐で窒息するなんて、なんて間抜けな死に様か。


 霞む視界の先で、オレの日本刀からオレの腕をもぎ取った男。

 それをぐしゃりと、握り潰す。

 残っていた血がひしゃげた関節部から骨を突き出しながら、噴き出した。


 そうしてオレの腕を無残な姿にしてから、やっと満足したらしい男がごみのように腕を放り捨てる。


 ああ、左腕も動かないのに、右腕までも無くなるなんて。

 これからは、介護が必須だな。

 ………要介護の『予言の騎士』なんて、どんな予言だってんだよ。

 畜生め。


 こんなところで、こんな間抜けな死に様晒すなんて。

 こんなところで、終わってしまうなんて。


 ゴメン。

 脳裏に過る、謝罪。


 ラピス。

 ローガン。

 生徒達。

 ゲイル。

 アグラヴェイン。

 サラマンドラ。


 本当にゴメン。

 走馬燈が、過った。


 無理だった。

 オレみたいな屑が、『予言の騎士』なんて、結局夢物語の間違いだったみたいだ。

 この世界に来てからの半年。

 なんだかんだで楽しかったのだと、思い返す。


 生理的に滲んだ涙が、いつしか悔し涙に変わった。

 そうして、眼の端を決壊し、零れた。


 意識が途切れた。



***



 だが、その意識が途切れる寸前、


『………またしても、諦めるか?

 本当に、困った主もいたものよなぁ………』


 どこかで(・・・・)聞いた事(・・・・)のあるような(・・・・・・)声が聞こえた気がした。



***



 逃げられない。

 抗えない。


 細切れにされそうな程の暴風の中、体を揉みくちゃにされた。

 内臓すらもシェイクされる感覚に、堪え切れずに嘔吐。

 ズタズタに引き裂かれる肌と、痛みを感じる前に上乗せされる傷の数々。


 放ったことはあっても、放たれた事は無かったな、と他人事のように思う。

 終わった頃には、良くて満身創痍ぼろぞうきんか。

 最悪、死ぬだろう。


 そもそも、意識が持っていなければ、そのまま外に投げ出されて死ぬ。

 意識を保っていたとしても、五体満足で無ければ地面に叩き付けられて死ぬ。


 どのみち、死ぬでは無いか。

 これは、困った。


 折角、罪滅ぼし(・・・・)が出来ると思っていたと言うのに。


 銀次様の下で、彼の命を守り続ける。

 彼の命だけではなく、彼の大事なものを守り続ける事が出来れば、生まれた瞬間から疎まれてきたオレにも価値が見出せると思っていたのに。


 死んだ、父も母も。

 ………いや、それも間違いか。

 オレが、殺した父と母も、納得してくれると思っていた。

 虐待の末に、些細な(・・・)反撃のつもりの悪戯で呆気なく死んでしまった父母に申し訳が立つと思っていた。


 生きている意味を、オレ自身が納得出来ると思っていたのに。


 揉みくちゃにされた体が、ふと宙に浮いた。

 眼を開けた先には、満点の星空と満月を少し過ぎた十六夜月が覗いている。

 竜巻の目に、放り出されたらしい。


 死ぬのか。

 このまま、落ちて死ぬのか。


 そう思うと、今更ながらに恐怖が湧きあがって来た。

 抗えないと、分かっているのに。


 そう、諦念に目を細めた瞬間だった。


「駄目よぉおおお!

 マミヤぁああああ、諦めないでぇえッ!」


 悲鳴染みた絶叫が、まるで耳の近くで聞こえたかのように耳朶を打った。


 この声は、誰のものか。

 正直、言っていた通りに悲鳴染みていて判別が付かない。


 だが、その言葉の意味は伝わった。


 その声が、自棄に耳に残った。

 駄目だ、と言っている。

 諦めるな、と言っている。

 死ぬな、と言っている。


 オレの2度目に貰い受けた名を呼んでいる。


 それが、誰かなんて、どうでも良い。

 良くは無いが、後で確認すれば良いのだから、それで良い。


 その声が、その言葉が、オレを生かそうとしている。

 頭を鈍器で殴られたような衝撃と共に、恐怖とは別に全身を駆け巡り湧き上がる何か。


 嫌だ。

 嫌だッ。

 嫌だッ!


『(まだ、死にたくない…ッ!

 死んで、堪るものか!)』


 唇を噛み締めた。

 血が滲んだのも分かる程に、八重歯が食い込んだ。

 

 痛みに、意識が鮮明となる。

 朦朧としていたそれが、急激に蘇って来ては脳髄へと指令を送った。


 竜巻の目にいる。

 それが、なんと僥倖の事か。


 先程の周りを囲んでいた壁は消えている。

 魔法が使える。

 内に宿る魔力が、多少は心許ないながらも感知出来る。


 ならば、


『(『風』の精霊達よ)』


 脳内で、いつも通りに詠唱を完結させる。

 声が出ないと分かっていながら、唇を動かしても見た。


 瞬間、


『(全てを、お返ししてやりなさい)』


 簡潔な指令と共に、周りを乱舞していた『風』の精霊達へと念話を送った。


 竜巻が弾け飛ぶようにして、霧散する。

 行き場を失ったそれこそ暴風と呼ぶべき疾風が駆け巡る。


「………嘘…ッ!」


 切羽詰まった弟子の少女の声がした。

 オレの言葉通り、暴風と化したそれが、勢力を緩めずに火竜ごと少女へと向かった。


 ………同輩達に被害が出なければ良いが。

 少し心配になったが、そこはそれ。

 いや、ラピス殿もゲイル氏もいるのだから、『盾』ぐらいは張って凌いでくれているだろう。

 でなければ、先ほどの少女の声だって聞こえる筈もあるまい。


 そうして、空中に浮遊したまま、真下を見下ろした。


 火竜の絶叫が響いた。

 暴風の中で、鎖にぶら下がった少女が先ほどの自分の焼き増しのように揉みくちゃとされていた。

 様を見ろ、だ。


 そして、同輩達も思った通り無事だったらしい。

 ゲイル氏が張った『盾』の内側で、余波とも言える突風から顔を守っている。

 怪我も無く、大丈夫そうだ。


 そこでふと、視線が合った。

 暴風の中で、顔や髪を庇いながらも、オレを見上げている視線があった。


 シャルさんだった。

 そして、思い返す。

 先程の悲鳴染みた絶叫も、彼女の声だったのでは無いか、と。

 そう考えれば、あの声も聞き覚えがあると言うものだ。


 思わず、苦笑を零してしまった。

 伸びてしまった前髪の所為で、眉が隠れてしまうので意味は無いものの。


 直後、彼女は真っ赤な顔をして、その場で頽れてしまった。

 おや?と小首を思わず傾げそうになってしまう。

 ………血塗れで見るに堪えない姿だったから、悍ましかったのかもしれない。

 少しだけ悲しいと感じた。

 ………何故かは、分からないまでも。


 とはいえ、そんなことを思っている場合でも無かったか。


 視線を今一度、火竜へと向ける。

 暴風は、未だに止んではいなかった。


 浮遊して見下ろしてみて初めて分かったが、火竜の背中には鐙か鞍のようなものが付けられ、そこに4名が座っているか立っている。


 1人は、騎士服を着た獣人。

 腕を負傷しているのか、鞍に取り付けられた手綱を片手で握って今にも落ちかけている。


 もう1人は、フードを被った小さな人影。

 これまた必死で手綱にしがみ付いているが、脚が露出されているところを見ると少年だろうか。


 ………いや、おそらく少女だ。

 見覚えがある靴や靴下を履いているから、ほぼ間違いないだろう。


 もう1人が、これまたフードを被った男。

 骨格や叫び声からして男の様だが、手綱にしがみ付いてあちこちに飛ばされて体を強打している。

 体重が軽すぎるのでは?と思わず心配になる。

 あのままだと、どこか骨折でもしていそうなものだ。

 それもまぁ、敵の戦力を削る意味では、良い仕事をしたと思えるが。


 そして、最後の1人が、これまたフードを被った人影。

 こちらは、成人しているようで、骨格からして男だとかろうじて分かる。

 だが、その男の周りに浮遊する精霊達の量と質を見れば、それが魔術師である事も、先ほどの結界魔法もあの男によるものだと理解が出来た。


 火竜の方はと言えば、これまた満身創痍か。

 暴風を受けて、鱗が剥げた場所から血が滲んでいる。

 ついでに、至るところに見受けられる深い傷は、もしかしなくてもサーベンティークとの死闘の余波か。


 そう言えば、サーベンティークはどうしたのか?

 向こうが反撃をして来ない事を確認して、再度視線を同輩達の下へ。


 見るべきは、おそらく宿主のヴィンセント氏。

 と、そこまで見た時に、サーベンティークの姿が見えない事に納得が行った。


 地面に蹲って、息も絶え絶えな様子だった。

 おそらく、魔力枯渇だろう。

 今までは『暗黒大陸』の魔力が豊富を通り越して過多気味だった土地柄のおかげで、発現が長かっただけであって、此方の大陸に戻ればその魔力の消費に供給が追い付かなくなったようだ。

 分かっていた結果とはいえ、少しだけ残念だ。


 だが、それでも彼は持った方だ。

 魔力総量は、きっとオレにも届かないと言うのに、今の今まで中位の精霊を発現し続けていたのだし。


 そこまで考えたと同時に、意識を切り替えた。

 言っては悪いが、ヴィンセント氏はオレよりも格下である。


 そんな彼がここまでやっている。

 奮い立つ、何か。


 火竜をこの砦に近付けないようにしていてくれた。

 おかげで、オレもあの弟子の少女だけを相手にする事が出来ていた。

 窮地を招かれたとしても、文句は言えない。

 それまでに仕留められ無かったオレも悪いのだから。


 腹の奥底でくすぶっていた怒り。

 それが、目の前で爆発しようとしている。


 何を簡単に諦めていたのか。

 あの少女に一矢報いらんとしていた気概は、どこにやったのか。


 これでは、負け犬と言われても仕方ないではないか。


「(オレは、まだ良い。

 だが、銀次様がそのように呼ばれるのは、許せない…!)」


 そうして、改めて胸に刻んだ怒り。


 満身創痍がなんだ。

 体中がズタボロが、どうした。

 もっと酷い傷を受けても、銀次様は立ち上がった。

 もっと凄惨な過去を持ちながらも、あの人は今も戦っている。


 それを、オレが諦めてどうする。

 それこそ、銀次様を貶す行為では無いか。


 怒りが、頂点に達した。

 今までの怠惰な自分に対しての怒り。

 そして、寛容とは聞こえが良いものの、死を受け入れようとしていた早すぎる諦念すら浮かばせた自分自身への憎しみ。

 それと同時に、燻っていた火種を導火線に移すかのように、脳内での詠唱を完結させた。


「(『()』の精霊達よ。

 清流を牙へと変え、立ち塞ぐ猛威を押し流せ!

 『黒鯨の噴気(ホエール・スパウト)』!!)」


 『水』の上位魔法を発現し、火竜の頭から大量の水を降り注がせる。

 空中から眺める事の何と、痛快な事か。


 正直、魔力総量が心許ない時に、何をやっているのかと思わないでもない。

 少しでも冷静な思考が残っていれば、躊躇しただろう。


 しかし、今はそんな躊躇は必要ないと思っている。

 全力でぶつかる。

 でなければ、あの少女どころか、火竜だって仕留める事は出来ない。


 後ろを任された。

 それはつまり、この場を任されたのも同義。


 少女だけではなく、あの火竜とてオレの獲物。

 仕留めきれなければ、銀次様に顔向けどころか、この砦を守り切る事だって出来ない。

 『暗黒大陸』で回復して来た魔力も全て、使い切ってしまっても構わないと思った。

 全ての力を持って、ここで火竜も弟子の少女も撃ち落とす。


 手を握る。

 その中指には、ややサイズの合わないながらも、指輪が嵌ったまま。

 負傷した傷からの出血で血塗れになっているが、その指輪に嵌った魔石の効果は衰えている様子は見られない。


 銀次様から、託されたもの。

 『雷』属性を含んだ魔法具で、切り札。

 『暗黒大陸』では、同じ属性を持ち洞窟の崩落を招きかねない突進攻撃を齎す厄介な魔物を、たった一撃で葬り去る程の威力を見せてくれたそれ。


 息を吐く。

 空中に留まる為に発現していた『風』の魔法を解いた。


 落下する。

 着地と同時に、しっかりと体を丸めて落下の衝撃を殺し、そのまま走り出す。


 目の前では、今しがた自分が放った水魔法の影響で滝の中のような有様だった。

 しかし、躊躇なくその中へと突っ込んだ。


 頭から引っ被った水が、夜風の中では冷たい。

 しかし、脚を止める事等必要ない。


 今の体で出来る事は限られている。

 なまじ、体中に負った傷の所為か、いつもよりも感覚が鈍いと感じている。

 最大限の疾駆で、未だに続く放水の威力に負けて前足を付いた火竜の足下へ。


 同じく放水を受けているだろう、火竜の背中の者達どころか首に鎖でぶら下がった少女も気付いていない。

 それで良い。

 彼等に気付かれて、邪魔されたとしても面倒だ。


 ああ、だが、これぐらいは良いだろうか。


『(駄犬駄犬と五月蝿いんだよ、しょんべん臭い小娘がぁ!)』

「………ッ!?」

「真下…ッ!?」


 ………オレとて、それなりには怒りが溜まっていたんだよ。


 わざと飛ばした精神感応テレパスの怒声に、少女も魔術師も気付いた。

 だが、もう遅い。

 オレは、既に火竜の足下で、拳を振り上げている。


 怒り任せに振った拳。

 勿論、指には『雷』の指輪。

 正真正銘の切り札。


 そうして、火竜の前脚に拳を叩き付けた瞬間、


 ーーーーーーバチィ…ンッ!!


 目の前で黄金色の火花が弾けた。


『グギャアアアアアアアアアアアアアア!!!』


 今度こそ、悲鳴とも言える絶叫を上げた火竜。


「ギィ…ッくあああぁああぁああぁあ!!」

「ぐ…ッ!?」


 鎖で首にぶら下がっていた少女もまた、悲鳴を上げていた。

 放水で濡れている上に、鉄製の鎖で直接火竜に繋がっていたのだから、当然だ。


 背中に乗っていたであろう魔術師も、手綱を放り出して鞍へと蹲った。


 更には、他にも甲高い悲鳴や、聞くに堪えない野太い悲鳴が聞こえた気がしたが、どうせ敵なのだから構うものか。


 こちらも、叩き付けた右腕が感電し、被害を被ったが動けない訳では無い。

 最後の魔力を振り絞って体中を『土』魔法で覆い隠した。

 水に濡れている事は分かっているので、まともに撃ち込む等の愚を犯す訳にもいかない。

 念には念をと、ダメージが通ったと分かった瞬間には、『土』の中へと潜って離脱したが。


 ーーーーーー放水は止んだ。


 警戒をしながらも、『土』から顔を出す。

 離脱と言った通りに、同輩達の退避していた『盾』のギリギリまで下がっていたので、背中に掛かる驚きの声。


 ただ、反応する事も、今は出来そうに無い。

 魔力枯渇もそうだが、全身が今になってじくじくと痛み出していた。

 傷だらけの上に、水を引っ被ったのだから当然か。


 放水は止んだが、火竜からは蒸気が濛々と上がっていて、詳細が見届けられない。

 配線がショートする時のような、バチバチと言う音が未だに聞こえている。


 だが、探った気配の中には、まともに意識を保っているだろう面子がいないと感じられた。

 勿論、オレが最初から火竜ごと感電させるつもりだった少女の気配も希薄なものだ。

 あの殺意に満ちた、嫌悪を通り越して愉快だった気配は、おそらく死んだか気を失ったかで薄らいでいる。

 目的は達したと言えよう。


 そこで、煙が晴れた。


 火竜は、その場で雁首を落として、痙攣していた。

 大きすぎる口から洩れる息遣いは、かなりのダメージを見込んでいるだろう。

 ただ、未だに生きていると言うのは、想定外。

 ………どうやら、あのサイの魔物(ライノセロス・ホーン)よりも頑丈だったらしい。

 まぁ、体の大きさから言って当然か。


 視線を巡らせると、その火竜の顎と前足の隙間に、白目を剥いて倒れている少女も見えた。

 こちらも、未だに息があるらしい。

 見るに堪えない白目と、失禁した姿は社会的に死んだと言っても過言ではないだろうが。

 ………果たして、社会的に活動出来ているのかどうかも不明ながら。


 拳を見る。

 感電した影響でか、腕が上がらなかった。


 指輪は健在だが、その指輪を中心としたオレの拳から皮膚が焼け爛れていた。

 治療を急がないと、刀が握れなくなってしまう。


 ただ、思った。

 火竜がまだ生きているのは、体形の違いと思う。

 しかし、鎖で繋がって一緒に感電した少女が生きているのは可笑しい。


 ………魔力が足りなかったか。

 調子に乗って、上位魔法まで使った所為で、仕損じたとは間抜けな話。


「(………これも、銀次様の為)」


 まだ動くだろう左手に、袖から隠しナイフを取り出して構えた。

 背後で同輩達が息を呑んだ。

 その声が聞こえながらも、オレは構えたナイフを下げる事はしない。


 トドメを刺すなら、今。

 冷静な思考が、胸の内までも凍り付かせていく。


 あの頬に傷のある男も、今この場にいる弟子も、放っておけば更なる災いとなってオレ達の前に姿を現すだろう。

 こうして相手にする度に、満身創痍にされたのでは堪ったものではない。


 同輩達に見られるのは、少しばかり心苦しい。

 中でも、命すらも諦めていたオレを声のみで奮い立たせてくれた少女に見せるのは、苦しい等では到底表せない程の痛みを伴う。

 それでも、これはオレがやるべき事。

 他の誰でも無い、銀次様の1番弟子であるオレが、やるべきことなのだと考えて。


「………ッ!?」


 そうして、ナイフを放とうとした左腕。

 それが、唐突に掴まれた。


「………だ、駄目よ、マミヤ…、殺しちゃ駄目!」


 ああ、またか、と思う。

 それと同時に、何故か感じたのは、歓喜。


『(………シャル、さん)』

「だ、駄目…こ、殺さないで…ッ!

 ………そんなこと、アンタがする必要無い…ッ」


 そう言って、オレの手からナイフをもぎ取ろうとする彼女。

 震えているようで、手に力が入っていない。


 だが、オレはその手を振り払おうとは思えなかった。

 簡単に振り払えるのに。


『(………何故、止めるんです?)』


 どうして、君は、こんなオレを厭う事無く、その綺麗な手を触れてくれるのだろう。


「な、何故…って、………駄目だからよ…ッ!

 そんなの、騎士達に任せておけば、処刑でもなんでもしてくれるじゃない!

 あ、あんな奴等に、アンタが手を汚してまで、する事じゃ…ッ」

『(今取り逃がせば、また同じような事が起きます)』

「………ッ!!」


 意地が悪いと思いながらも、彼女へと問いかける。

 オレが汚れ過ぎているのか、人を殺める事を忌避している様にも見える彼女がいつにも無く綺麗だと思ってしまう。


 息を詰めた彼女には、申し訳ない事をしてしまった。

 彼女は、敵を案じているのではなく、オレを案じてくれていると言うのに。


「そ、そりゃ、こ、今回は、全然、………あたし達じゃ、敵わなかったけど、………」


 そう言って、沈んだ彼女。

 抵抗も成す術も無く制圧された事実を、正直に受け止めているらしい。


 そんなシャルさんの言葉に、黙って成り行きを見守っていた同輩達の表情も曇った。


『(………次も間に合うとは思えません。

 正直、今のままの貴女、もしくはクラスメート達では、特に…)』


 事実だけを淡々と告げる。

 勝てたとは言え、オレとて危なかったのだ。


 もし、今回の一件でオレ達が間に合わなかったと考えれば、薄ら寒い悪寒が背筋に走る。


 今、この場にいる、この綺麗な少女も害されていた。

 実際、その綺麗な手が半ばから切り落とされる等と言う暴挙を、許してしまっていたと言うのに、


「そ、その時は、また戦えば良いんでしょ…ッ!」

『(…ッ!

 ………戦うつもりで、いるんですか?)』


 次に続いた言葉に、一瞬だけ言葉を忘れた。

 かろうじて絞り出せた言葉(※というよりは漏れてしまった思考だったが、)は震えていたかもしれない。

 どう反応すれば良いのか、分からない。


 あれだけの窮地を迎えておいて、未だに立ち向かうつもりでいるのか。

 いや、オレだってそうするだろうが、今まで窮地という窮地を体験して来たとは思えない彼女の口から、そんな言葉が飛び出すとは思ってもみなかった。


 オレのそんな様子を見上げながら、少女が息巻いた。


「そ、そうよ、………戦うわ!

 こ、今度は、逆にこてんぱんに出来ちゃうぐらいに、あたし達が強くなれば良い話じゃない…ッ!」


 その言葉に、呆気にとられる。


 だが、同時にそれがただの気休めだと分かってしまった。

 気丈に振舞いながら、オレの手を取っていた彼女の手は無視できない程に震えている。

 シミ1つ無い綺麗な肌だ。

 オレのような人間の手を取っていて、良い訳が無い。


 なのに、彼女はそんなオレの思考を読み取ったかのように、更に手を強く握り込んできて。

 不覚にも、勝手に体が緊張した。


「………こ、このままじゃ、駄目だって、分かってるもの………ッ!

 こ、このまま、ギンジや、マミヤに………、おんぶに抱っこじゃいられない…ッ!」


 自分に言い聞かせるような、その言葉。

 いくら58歳を超えた森子神族エルフだろうが、12・3歳の少女から出た言葉とは思えない。

 オレは、どんな顔をしていただろう。

 きっと、間抜けな面を晒していたに違いない。


 だが、その気概は伝わった。

 オレだけでは無く、見守る様に黙っていた同輩達にも。

 勿論、同じように見守っていただろう母親のラピス殿や、ローガン殿、ゲイル氏にも伝わっただろう。


 腕に、意味も無く入れていた力を抜いた。

 ナイフを足下に落とせば、彼女はそのナイフを視線で見送った後、オレの顔を見て、


「………ぁ、………ふふッ」


 何故か、ふんにゃりと笑っていた。

 (※後から聞いたら、オレが思っていた以上に幼い顔をして見返していたのが可愛かったとの事だが、少々絞まらなかった)


 畜生、と内心で恨み言を一つ。

 この年になって初めて、人を思う気持ちが分かった。

 無条件で抱きしめたくなるとか言う、意味不明な銀次様の衝動なんかも理解出来た。


 可愛いじゃないか、こんなの。

 いや、オレの脳内に勝手にフィルターが掛かっているだけやもしれん。

 それでも、可愛いと思ってしまったのだから、仕方ない。


 ………やられた。

 どうやら、弟子の少女には勝てたが、此方の少女には勝てなかったようだ。


 努めて表情に内心を出さないように、溜息混じりに熱い吐息を逃がす。

 

 と、そう思っていた矢先の事。

 空気が揺れた。


「………ッ!」

「えッ…きゃっ!?」


 シャルさんを片腕で抱き、最後の力を振り絞って飛ぶ。

 正直、あのままへたり込んでしまいたいぐらいには体が疲弊やら魔力枯渇で重たいと感じていたが、シャルさんを巻き込むわけにもいかない。


 耳元で聞こえた悲鳴まで可愛いとか思っている辺り、頭が湧いたか。

 まぁ、そんなオレの初恋はどうでも良い。


 思った以上に脚がもつれて、大して距離は稼げなかった。

 だが、真後ろよりも斜め後方に避けた事が幸いしてか、砂地に背中から滑り込んだオレの足下を蹂躙していく何か(・・)は避ける事が出来た。


 オレよりも身長も体重も及ばないシャルさんは、勿論無事だ。

 まぁ、多少なりとも衝撃はあったが。

 無理やり吐き出された息を詰めながら、視線だけで今しがたの攻撃の元を睨む。


 足下を蹂躙した何かは、焼け焦げた跡を残していた。

 おそらく『火』属性魔法。


 火竜は未だに、地面に体を横たえて痙攣していた。

 しかし、その背にいた男の1人が立ち上がり、オレ達のいた場所へと向けて手を翳したままだった。

 その手には、帯状の巻物が垂れている。


 あれは、見た事がある。

 魔法陣の書かれた巻物だ。

 『天龍族』の伯垂はくすいとか言う、少女が使っていたものである。

 (※少女と言うには、年齢がかなり高齢ではあるものの)


「随分と、派手にやってくれたものだ」


 男が、そう言って忌々し気に、オレを睨む。

 オレへと向けられていた手が、今度は火竜へと向けられ魔法陣が展開される。


「(………させるか…ッ!)」


 不味い、あれは治癒魔法陣…ッ!


 そう思って、袖からナイフを引き抜こうとしてはたと気付く。

 先程使ったばかりだった。


 そして、今しがた蹂躙された地面に置き去りだったのを思い出して視線を向ければ、形は残っているが見事に赤熱している無残な鉄くずの姿。

 あれは流石に使えそうにない。


 舌打ち混じりに、起き上がろうとした。

 だが、唐突に抜けた力。

 まだ動くはずの左腕の力が抜けてしまい、かくりと地面に倒れ込んだ。

 ………否、抱きかかえたままのシャルさんに倒れ込んだ。


 ひゃあ!とオレに倒れ込まれた彼女が悲鳴を上げる。

 可愛い。

 いや、いや、そうじゃない。


 ………これまた、不味い。

 体が限界のようだ。


「………ふん、何をしたかったのかは知らないが、残念だったな。

 あそこまで魔法を連発したのだから、魔力も枯渇して当然の事だろう」


 鼻持ちならない声と共に、男が嘲笑う。

 失敗した。

 やっぱり、調子に乗って上位魔法なんか使うのではなかった。


 と、再三の公開に、悔しまぎれに歯を食い縛った。

 しかし、その矢先、


「ーーーッ!?」


 男が治癒魔法の展開陣を急遽取りやめて、しゃがみこんだ。

 多少なりとも回復したであろう火竜の皮膚へと、赤い点が2つ。


 遅れて轟いた銃声に、眼を瞠った。


「よくやってくれた、マミヤ。

 後は休んでいてくれ」

「こっから先は、オレ達に任せな、坊主」

「よくやったよ、お前さん」


 頭上から聞こえた、三者三様の声。

 ゲイル氏、ヴァルト氏、ハル氏の声だ。

 それと共に、ようやっと今しがたの銃声が『隠密ハイデン』のものだと分かる。


 そして、あのフードを被った魔術師らしき男の魔法を妨害したのが、彼等だとも分かった。


 力が抜ける。

 元々、抜けてはいたが、体を支える力も抜けきってしまった。


 いやはや、情けない。

 そして、ラッキーとは思うが申し訳ない。

 シャルさんの慎ましい胸に右半分の顔面が埋もれたままである。


 まぁ、盗み見た彼女は恥ずかしがってはいるが、押し退けようとはしていなかった。

 満更でもなさそうだ。

 この際、そのまま甘えさせて貰おう。


 頑張った褒美に、少しは大目に見て貰える事を期待して。


 薄れていく視界の中で、オレ達の前に立ちはだかった三名の姿が見えた。

 それに、赤い髪と銀の髪が混じり、5名が魔術師の男へと相対している姿も見えて、これならオレが寝ていても大丈夫そうだ、と安堵の溜息を吐いた。


 そうして、そのまま途切れる意識。

 最後に吸い込んだ息に、シャルさんの甘い香りが混ざっていて、不覚にも萌えた。



***



 一方、


「マミヤは、」

「眠ったらしい。

 正直、ここまで意識を保っていたのが、凄ェさ」

「師弟揃って、規格外だな」

「『風の竜巻(ウインド・トルネード)』の直撃を受けていながらじゃからのう」

「………報いねば、なるまい」


 間宮がシャルの慎ましい胸の谷間で、意識を飛ばした時。

 そんな彼を守る様に立ちはだかった5人は、各々でそんな間宮への純粋な感想や憧憬を零していた。


 たかが16歳。

 そんな少年が、今まで成す術も無く、彼等を蹂躙しようとしていた敵の火竜もろとも、頬に傷のある男の弟子である少女を撃退した。


 奮い立つ気概と、背筋に這い上る高揚。


 火竜の背から今になって現れた新たな敵を睥睨しつつ、5人が各々で獲物を構えた。

 未だに、魔力が残っているラピスと、ゲイル、そしてヴァルト。

 ラピスは魔法攻撃に備えて『盾』を展開する。

 ゲイルは、今しがた握っていた『隠密ハイデン』を腰に差し、利き手に白銀の槍を構えながらも、左手で治癒魔法を発現し間宮へと掛けた。

 ヴァルトは、『隠密ハイデン』を構えている。

 先程の『隠密ハイデン』の銃弾は、この2人が放ったものだった。


 ちなみに、ゲイルが腰に差しているのは先程弾が撃てなくなってしまったものでは無く、騎士団が回収して来た4丁の中の1つ。

 先程、撃てなくなってしまったのは、注ぎ込んでいたゲイルの魔力に耐え切れずに銃身に組み込まれていた『闇』の魔法陣が融解してしまったようだ。


 一方、魔法を扱えないローガンとハルは、それぞれ獲物を構えたままだ。

 ローガンはハルバートを上段に構えつつ、相手の動向を睨み付けている。

 ハルはナイフをひらりひらりと弄ばせながら、思慮深く火竜の背の気配を探っていた。


「………魔術師の男以外にも、背中に乗ってるな。

 さっきの獣人と、子どもらしき気配、それからもう一つ。

 ただ、どれも気絶してるみたいでピクリともしねぇわ」

「あんだけの『雷』電叩き込まれて、意識があるあの魔術師が可笑しいさ」


 ハルの気配察知が完了した辺りで、ヴァルトが『隠密ハイデン』の魔法陣を起動した。

 狙いは雑ながらも、魔術師の男が隠れたであろう火竜の背後。

 この際、火竜はこのまま殺すとしても、あの魔術師がまた治癒魔法を使って来ても困る為の牽制だった。


 しかし、


「下がりゃんせ!精霊が、騒いでおる!」

「………ッ、何か来るぞ!」


 鋭く飛んだラピスとゲイルの声。

 それとほぼ同時に、火竜の足下を駆け抜ける様に何かが駆け出してきた。


「チッ、この魔力反応は、まさか魔物か…!?」

飢餓黒狼(ハングリー・ウルフ)だ!」

「何故、このような場所に…ッ!」


 それは、四足を持った獣。

 黒い表皮に、爛々と血走った目で、彼女達に躍りかかったのは魔物だった。


 ローガンの叫びの通り、飢餓黒狼ハングリー・ウルフと呼ばれたそれ。

 本来なら、ダドルアード王国近郊には生息しておらず、『暗黒大陸』に程近い北方在来種の魔物だった。

 それが、何故ここにいるのか、と半ばパニックになったラピス。

 彼女へと向けて、躍りかかったハングリー・ウルフがローガンのハルバートの一撃で胴を真っ二つにされた。


 しかし、ハングリー・ウルフはそれ一体だけでは無く、火竜の足下から湧いて出て来る。

 その異様な光景に、即座に勘付いたのはこの中では1番魔法陣に精通しているだろうヴァルトだった。


「ありゃ、魔族魔法の一種で『召喚魔法』だ!

 ハングリー・ウルフの北方群生地に無理矢理魔法で繋いで、こっちに呼び出してやがる!」

「………何!?」

「そ、それは、『人魔大戦』の時にも使われた、禁術では…!?」


 反応したのは、魔法陣の概要と効果が分かっているラピスやゲイル。

 『召喚魔法』と言う、意外とメジャーな魔法である事から生徒達も気付いた。


 その名の通り、『召喚』を目的とした魔法で、人や精霊、果ては悪魔まで呼び出す事も可能となっていた。


 ただ、不味い状況である事はローガンもハルも認識していた為か、『盾』の展開で動けないラピスを守る様にして展開し、魔物へと相対する。


 ハルバートを振るい、ハングリー・ウルフを切断する。

 ナイフを閃かせ、的確に脊髄へと刃を突き入れる。

 背後で見守っていた生徒達からしてみても、惚れ惚れとするようなフットワークと絶妙な技術。

 更には、即席の割にはチームワークもバッチリだ。

 ハルは元々乱戦はした事が無くとも、周りに合わせる近接戦を得意としている。

 そして、ローガンはその近接戦を得意とした銀次達と肩を並べて戦った事もあったからこそ。


 とはいえ、湧いて出て来るハングリー・ウルフの群れは、途切れる様子が見られない。

 彼女達の2つしか無い腕と1つしか無い体を、上回ろうという勢いだった。


「あ奴、火竜の背後に回って、魔法陣を起動しておる!

 このままでは、火竜も回復されてしまうッ!」


 どうやら、先ほど火竜の背中に隠れた魔術師は、火竜の背から降りて魔法陣を起動しているようだ。

 ラピスの言葉を代弁するかのように、先ほどまでぶすぶすと煙を上げながら痙攣を繰り返していた火竜の傷も癒えて行く。

 引き攣って異様な音となっていた呼吸も、大分整い始めてしまった。

 先程着弾した弾痕も、塞がろうとしている。


 だが、そこで何故かラピスが、にやりと口元を歪めた。


「私の前で、魔法陣しか扱えぬ魔術師と公言するような真似をしおって…」


 そう言って、良い度胸じゃ、と付け加えた彼女。

 後背にラピスを守って大立ち回りをしていたローガンも、思わず背筋を粟立たせた。

 ハルは、いち早く危険を察知して、素知らぬ顔で後退を開始している。


「退けよ、ローガン!

 この私を前にして、こそこそと隠れて魔法陣を起動するような魔術師は、こうしてくれる!!」


 折角彼女を守って立ち回っていたローガンの背中に、ラピスが叫んだ大音声。

 その時には、好意を無駄にするかのように、ラピスが発現を控えさせていた魔法の詠唱が完結していた。


「『雷』の精霊達よ!

 須く主の敵たる者達を、汝等の紫電で舐め尽せ!

 『鳴海雷ライトニング・バン』!」


 ラピスの放った『雷』魔法が、タイムラグを物ともせずに砦へと直撃した。

 勿論、『盾』を展開したままであるからして、彼女達に被害は一切見受けられない。


 狙いは、火竜の後方。

 火竜の尾っぽすらも、黒炭へと変えたそれは、まさに魔法陣を起動しているだろう魔術師を狙ったものだ。


 上位魔法を軽々と扱い、更には『盾』との同時行使。

 流石は『太古の魔女』の異名を持つ、魔術師か。


 その異名の由来たる所以を目の当たりにして、面々が絶句する中。


 先程から際限なく湧いて出ていたハングリー・ウルフの群れはまとめて消し炭となって床に転がっている。

 血肉の焼けた異臭が漂うが、夜風に流れてすぐに消えた。


 火竜も今一度受けた雷電に、これまた痙攣を繰り返している。

 正直、二度もの雷電を受けておきながら生きている時点で頑丈過ぎると、背筋を粟立たせたのはヴァルトだけでは無かった筈だ。


 ただ、肝心の魔術師がどうなったのかは、定かでは無い。

 二度目ともなる濛々と立ち込める蒸気の音だけを残して、沈黙が支配した。


 その時だった。

 空を裂く、金属音が沈黙を切り裂いた。


「ーーー伏せろ、ラピス…ッ!?」

「ひゃああ!?」


 いち早く動いたのは、ローガン。

 『盾』を構えたまま蒸気の向こうを透かし見ようとしていた彼女へと放たれた金属が、彼女の振るったハルバートに弾かれた。

 だが、弾いた際に頬を掠めたそれに、ローガンが眉を顰める。


 横目で地面に落ちたその金属を確認して、短剣である事も分かった。


 すわ、先ほどの魔術師が、破れかぶれで投げ付けて来たものか。


「おい、さっきの奴と気配が違う!

 警戒しろ!」


 警戒を露にした面々だったが、更に動いたのはハル。

 空中へと飛びあがったと同時に、二振りの細身のナイフを交差する。


 交差したナイフにかち合った金属音。

 これまた短剣で、横目にその飛んできた方向を確認したハルが歯噛みした。


「寝てた1人が、お目覚めになったらしいぜ!」


 着地と同時に、ハルが駆け出す。

 そんな彼に向けて、更に短剣が繰り出されたが、それをナイフで弾き、あるいは避けてと着々に進んだ彼。


 しかし、そんな彼に向けて、蒸気の向こうから更に飛来物。


「『炎の槍(フレイム・ランス)』!」

「チッ!」


 軽快に進んでいた筈のハルが、踏鞴を踏んでその場で急停止した。

 更にバックステップで飛び退ると同時に、彼の今いた場所には槍を象った炎が突き立っている。


 短剣の飛来はまだ続き、ゲイル達の下へも飛んできた。

 それを、ゲイルが槍で弾くと、煩わしそうな表情をしながらも、腰から『隠密ハイデン』を抜いた。

 ゲイルの背中に庇われるような格好となっていたヴァルトは既に、照準を合わせている。


 魔法が飛んできた位置と、短剣の飛んできた位置が違う。

 先程のハルの言葉通り、火竜の背にいたもう1人とやらが目を覚ましたらしい。


 『隠密ハイデン』の銃声が響く。

 狙いは、短剣が飛んできた筈の位置で、蒸気の向こうだろうが『闇』の弾丸は切り裂いた。

 だが、向こうも火竜を隠れ蓑にやり過ごしながら、短剣を投げて来ている。

 あてずっっぽうのように見えて、的確な放物線を描いてゲイルやヴァルトを狙ったそれに、ハルが対応した。


 全員の脳裏に、少々どころではない不安が過る。


 このままでは、先ほどと同じ堂々巡りになるのではないか、と。


 どうやら、ラピスの『鳴海雷ライトニング・バン』を受けても、敵の魔術師は健在のようだ。

 現に、火竜の傷がまたしても、治癒を開始している。

 そして、先ほどは魔物の『召喚魔法(※後に銀次から無限リポップと名付けられる)』で足止めされたそれが、今度は短剣を投げる投擲手に交代した。


 魔術師の命とも言える魔力の余力が、どれだけあるのか分からない。

 正直、ラピスも先ほどから連発している上位魔法のおかげで、『暗黒大陸』で満タン近くまで回復した魔力も心許なくなっては来ていた。


 不安にも駆られよう。


 そして、不安を現実にするかのように、


「おい、不味い!火竜が目を覚ました!」


 ヴァルトの声同様、火竜が目を覚ました。

 ぐるぐると喉奥で唸り声を上げて、自身を痛めつけた人間達を睥睨するかのように目を細める。


 ただ、起き上がるまでにはまだ至っていないようだ。

 殺意を宿した眼と共に、口惜しそうにガァアア!と唸り声とも呼べる雄叫びを上げた。


「………おい、別嬪の姉さん!

 もう一度、アイツに一発見舞う事は出来るか!?」

「やろうと思えば出来ない事も無いのう」


 ヴァルトからの質疑に、ラピスが思案気な表情を見せる。

 チラと視線を向けたのは砦の外。

 おそらく、此方が騒がし過ぎて聞き取れず不気味な程静かな外の戦闘、銀次の事が気掛かりなのだろう。

 更にと視線を向けたのは、銀次から預かったポーチ。

 今は、彼女の腰に巻かれたそれには、魔力放出型魔法具と共に彼の精製して吐き出した魔石が入っている。

 魔石から直接、魔力を吸収する方法はあるのはある。

 『闇』属性の『魔力吸収ドレイン』を使えば事済むだけだ。


 とはいえ、魔石でどれだけ回復出来るかは、ラピスも経験をした事が無い為分からない。

 期待していた以上か以下か、どちらにしても確認をしてから使わなければならない。


 だが、現状はそうも言ってはいられなかった。


 着々と、火竜が回復している。


 既に剝げた鱗や火傷を負っただろう首周りは、鱗が爛々と輝き出している。

 飛竜と同じとも言える生態系を持つ火竜は、首に逆鱗を持っている事は知っていた。

 その逆鱗である首筋が回復した時点で、火竜もそろそろ立ち上がる事になるだろう。


 そうなっては、またしても上空からの撃ち込み放題となってしまう。

 更に言えば、その上で短剣や魔法を使われては、いくら彼等で合っても対処が間に合わなくなってしまうだろう。


 決めるべきは、今。

 ラピスは、唇を噛み締めつつも、意識を切り替えた。


 考えるのは、後。

 間宮が繋いでくれた、この好機を無駄にはすまいと。


 意識を切り替えたと同時に、踏ん切りを付けた彼女はまたしても手が速かった。


「『聖』の精霊達よ!

 汝等の敵たる猛威を、聖神の名の下に我が前から一掃せよ!

 『女神の聖槍ソフィア・オブ・ホーリーランス』!」


 後先を考えないと言った通り、『盾』の余力だけを残した全力の上位魔法。

 それも、詠唱短縮で発現した彼女に、これまた後背で控えていた生徒達がぞくりと背筋に悪寒を走らせた。


 照準は、火竜の真上。

 一か八か、先に火竜だけを仕留め、それから魔術師なり投擲手なりを仕留める。


 そう考えての事だった。

 そう決めていた筈だったのだ。


「『聖なる障壁(ホーリー・ウォール)』!」

「えっ…?」


 突如響いた詠唱完結の声に、耳を疑った。


 火竜を覆い隠すように、その壁は生まれる。

 直後、ラピスの放った『女神の聖槍ソフィア・オブ・ホーリーランス』と『聖なる障壁(ホーリー・ウォール)』が衝突。

 その場は、眼を開ける事も叶わない程の、目映い閃光の中に呑まれてしまった。


 ラピスは、しまった!と内心で焦燥に駆られた。

 まさか、まだ障壁を張る余力まで残していたとは思ってもみず、この状況では悪手とも言えるお互いの視界を潰す魔法となってしまったからだ。


 『聖』属性同士が、ぶつかり合って光が埋め尽くす。

 こちらには遮蔽物が一切ない事に気付いて、更にラピスが焦燥を露にしてしまう。


 今からでも、『盾』を『障壁』に出来ないか。

 そうは思っても、『盾』の余力だけを残していたこともあって、既に魔力は枯渇を始めている。


 万事休す。

 ぐっと歯噛みした彼女。


 その耳元で、ヒュンと掠めた金属音があった。

 不味い、と躱そうと身を捩った。

 だが、既にその時には、彼女の肩を掠めて背後へと抜けた短剣があり、遅れて噴き出した血潮にびくりと体が強張った。


「あぁっ…!」

「ラピス!」

「ラピス殿…ッ!!」


 ローガンやゲイルの声が聞こえたが、言葉を返す事も出来ずに地面に倒れ込んだ。

 何百年ぶりに負った傷は、痛かった。


 集中が途切れ、『盾』が消えかけてしまっている。

 不味いと魔力を送り込むが、それよりも先に閃光の奥より放たれた『炎』が『盾』へとぶち当たって、その『盾』を割り砕いていた。


「うぐ…ぅッ!?」

「ぐは…ッ!」

「おわっ!!」

「クソッ!」


 第一線にいたローガンが炎の余波で吹き飛ばされた。

 続けて、ゲイルが。

 ハルが目を瞑ったまま飛び退った。

 ヴァルトが地面に伏せる。


 背後にいたであろう生徒達や騎士達も、様々な恰好で危険を回避しようと動いていた。

 庇い、あるいは押し倒し、地面に伏せて耐え忍ぶ。


 目の前で炎が踊っていた。

 流石にこれは、焼かれる。


 ラピスが、自身に襲い掛かるであろう、身を焦がす痛みに身構えてぎゅっと頭を抱え込んだ。


 その刹那、


「『黒闇の盾(ダーク・シールド)』」


 背後から聞こえたその声に、三度耳を疑った。


 その声は、低くそれでいて良く通るバリトンの声。

 後背で魔力枯渇で下がっていた筈の男の、強いて言えば頑固な3兄弟の1番上の兄の声だった筈である。


 眼を見開きつつも、目の前を見た。

 そこには、光どころか迫る炎すらも遮る、漆黒の盾が存在していた。


 『闇』属性だと気付いた時、その声の方向へと振り返る。

 冷汗を零しながら、それでも頑固な3兄弟の一番上の兄ことヴィンセントが、手を翳した格好のままで立っていた。


「間に合わなくて、済まない」


 そう言って、立ち上がったヴィンセント。

 その足下には、いつの間にかアリアナが侍る様にして座り込み、更に後背にはへたり込みながらも満足気に微笑んだ砦の騎士達の姿があった。

 先程、屋上にいた騎士達の比では無く、有事に集った騎士達よりも更に多い。

 砦の騎士達の大半がここにいるのではないか、と思える程の彼等だが、しかしその魔力総量は何故かごっそりと減っている。

 その代わりに、ヴィンセントには魔力が溢れんばかりに満ち溢れている。


 驚いた表情を見せたラピスや、吹き飛んだ場所で呆然とヴィンセントを見ていたゲイル達にも、彼は苦笑を零した。


「砦の皆に協力して貰い、魔力を拝借した。

 『闇』魔法は、『魔力吸収ドレイン』も出来るからな」

「………ああ、」


 なるほどそう言うことか。

 ラピスの喘ぐような納得の声と共に、同じく苦笑を零したゲイル達。


 時間が掛かったのは、その為か。

 正直、ギリギリで間に合った事に感謝すれば良いのか、遅いと不平を言おうかは迷ってしまったものの。


 そうして、種明かしを済ませたかと思えば、ヴィンセントは手を水平に薙ぐ。


 紡ぐ名は、決まっている。


「来い、サーベンティーク」

『やれやれ、今日は一段と精霊使いの荒い事よ』


 ゲイル達の代わりに不平を零しながら顕現した、『水』の中位精霊(サーベンティーク)

 火竜への対抗策へは、十分すぎる戦力だ。


 光が途切れた。

 次いで、目の前に展開していた『闇』の壁に、金属音と魔法がぶつかる衝撃が伝わった。

 更に言えば、その向こうで火竜が雄叫びを上げているのも聞こえたが、


「私とて、これで終いにするほど、落ちぶれてはおらぬ!」


 言葉と同時に、腰のポーチへと手を突っ込んだラピス。

 手に当たる感触を頼りに引っこ抜いた魔石は、手にしただけでも分かる程に魔力が内包されていた。


 先程、不安を覚えていたのも、取り越し苦労かとやや辟易としながらも。

 彼女は、その魔石を握り込む。


 不本意にも使い慣れてしまった『魔力吸収ドレイン』は、詠唱など必要も無い。

 脳裏にでイメージを構築するだけで事足りる。


 そうして、魔石から吸い上げた魔力が体中に駆け巡ったと同時に、溢れ出しそうな程に濃密な魔力の質を自覚して思わず眩暈がした。

 あれだけの魔力総量がある訳だ、と内心で銀次の出鱈目な魔力総量に納得できてしまったのも余談だったか。

 暴走すらも斯くやと言う程の魔力に、とっととラピスは使い果たしてしまおうと息巻いた。


 まずは、目の前の脅威を退ける。


「『聖』の精霊達よ!

 何者も何物も通さぬ壁を我が前に!

 『聖なる障壁(ホーリー・ウォール)』」


 今度は、先ほど学んだように、しっかりと物理攻撃も防ぐことの出来る『障壁ウォール』を張った。

 これで、魔法どころか短剣もおそらく、防げるはずだ。


「『火』の精霊達よ!

 彼の者を焼き払え!!

 『大蛇の火炎(フレイム・スネーク)』!

 『風』の精霊達よ!

 砂塵を巻き上げ、猛威を振るえ!

 『風の竜巻(ウィンド・トルネード)』!」


 更に続けざまに行使したのは、『火』の上位魔法と『風』の中位魔法。

 身をくねらせた大蛇の如く、踊る炎が『闇』の壁の向こうへと踊り、先程間宮を直撃した『風の竜巻(ウィンド・トルネード)』よりも、更に大型の暴風が火の粉をまき散らして火竜へと向かう。

 もはや、彼女にとっては、鉄板である複合魔法だった。


 しかも、その怒涛の魔法の発現は、更に続く。

 (※正直、こうでもしないと有り余った魔力が暴走しそうで怖い、と言う裏事情もあったが)


「『水』の精霊達よ!

 清流を牙へと変え、立ち塞ぐ猛威を押し流せ!

 『黒鯨の噴気(フォエール・スパウト)』!」


 間宮が使った上位魔法は、ラピスの手によってまさに天災の域へと達しようとしていた。

 頭上から噴き出した『水』が滝とも見間違う威力で襲い掛かる。

 押し流された大量の砂が、『障壁』の向こう側で火竜すらも押し流すのを確かに見た。


 火の粉を巻き散らしていた暴風が立ち消え、その代わりに洪水にも似た水流が猛威を振るう。

 押し流された火竜が、砦の壁をぶち破って外へと押し流された。

 火竜の悲鳴にも似た絶叫が、砦の外で木霊する。

 ついでに、その背中に乗っていただろう面々の悲鳴も木霊していた。


 その悲鳴には、流石に愉悦よりも先にいっそ憐憫を覚えたのは『太古の魔女』の異名を目の当たりにした生徒達含む男達だった。


 部屋全体に展開した『障壁』によって、此方の被害は皆無だ。

 恐るべきは、魔法の威力よりも、息をするにも等しい感覚で、その魔法を扱った彼女だろうか。

 これまた、更に戦々恐々となった面々を差し置いて、ラピスはその場でふんぞり返った。


「ふん!魔法陣如きで私に対抗しよう等とは、200年は早いわ」

「………人間に無茶を言うな」


 吹き飛ばされた後に、立ち直ったローガンがラピスの横に並ぶ。

 正直、彼女もラピスの隣に並ぶのが怖かったものの、そうも言っていられないのが現状だった。


 ただ、ここで、少々哀れな1匹がいた。


『………さて、妾は何の為に、呼び出されたのだったか、』


 取り残されたのはサーベンティークだ。

 復活した火竜の切り札ともなるべき理由で呼び出された彼女だったが、ラピスの魔法攻撃の前に成す術も無く消えた火竜を見失った今、存在意義と用途が行方不明となっていた。

 こちらにも、生徒達の憐憫の視線が突き刺さる。


 少々、気が抜けてしまいそうな空気に、誰ともなく安堵を零したのは不謹慎とは言え仕方のない事だっただろう。



***



 しかし、そんな中である。


「………おや?」


 ラピスが、何かに気付き、目線を横へと流した。


「ッ…うん?」


 ローガンもほぼ同時に気付いた。

 そうして、彼女もラピスと全く同じ方向を見る。


 その瞬間である。


 ーーーーーーードンッ!!


『きゃああ!』

『うわぁあ!!』


 急激な揺れが、砦を襲った。


 悲鳴を上げた生徒達と、その場で蹲った騎士達。

 ラピス達も立っている事も儘成らずに、その場でへたり込んで振動に耐えた。


 その中で、ただ一人ゲイルだけが背筋を凍らせた。


「………な、なんだ…この威は、」


 今までに感じた事の無い、凄まじい覇気を感じて鳥肌が止まらなかった。


 異変はそれだけに留まらない。

 縦揺れにも似た振動の次は、砦の外で強大な光の柱が走った。


 悲鳴にも似た轟音を響かせ、下から上に突き上げるようなその閃光に、誰もが目を瞠って外を見た。


 間宮が飛び起きた。

 気絶していただろうハルも、同じくだ。


 砦の真横に走ったその閃光の柱に、ぞくりと嫌な予感がしたのは誰が速かったか。

 少なくとも、ラピスとローガンには、それが嫌なものである事ははっきりと第六感で感じ取れていた。


 奇しくも、この時、全員の脳裏に同一人物が浮かぶ。

 外で戦闘をしていた筈の、銀次。


 彼等の脳裏で過った不安。

 それが、今現実になろうとしている。


 生徒達は、覚えている。

 この、とてつもない圧迫感を。

 今までに一度だけ、彼が魔力を暴走させた時、これと同じ圧迫感や膨れ上がる魔力を肌で感じた。


 その場に居合わせていたゲイルや、騎士団もまた同様だ。

 圧し掛かるようなその威圧感に、人知れず体を震わせていた。


 それは、ラピスとて同じこと。

 実体の無い精神体のみでありながら、校舎の外からこの圧迫感やとてつもない魔力を肌で感じた経験がある。


 ふらり、とラピスが脚を踏み出した。

 砦の崩れ落ちた壁の縁へと、よろよろと近付いていく。


 釣られるように、ローガンもまたそんな彼女の背中を追った。


 先程、轟音で目を覚ました間宮も、シャルの手を借りながらふらふらとラピスの後を追う。


 縁に立って、砦の下を見下ろした時、


「………なんという、事じゃ…」


 呆然と、言葉を発したラピス。

 ローガンは、絶句したままだ。

 間宮は苦々し気に、見下ろした光景を見ている。


 いつの間にか、砦の縁を覗き込んでいた、ほぼ全員が目の当たりにした変異。

 そして、その元凶。


 宵闇の中、燦然と輝く月。

 その月明かりの下で、まるで光を反射するかのような輝きを持って、空中に浮かぶ人物。


 銀色の髪に、銀の瞳。

 しかし、その瞳には仄暗い影が落ち、意思が感じられない。

 爛々と輝く圧倒的なオーラは、数十メートルを離れた彼等からも、異常だとはっきり認識出来た。


 銀次が、そこにいた。

 しかし、それは彼等が知る、銀次の姿とは全く異なっていた。


 長大な尾をくねらせ(・・・・・・・・・)、光を反射あるいは強めて煌々と輝く()を肌に纏い、背中には透明でありながらも折り畳まれた(・・・・・・)雄大な翼(・・・・)が1対。


 その姿は、人間と龍を掛け合わせたような、異質。

 まるで合成魔獣(キメラ)


 面々は、眼を瞠り、その姿を目にしたまま微動だに出来ない。

 誰もが言葉を失った。

 自身達の教師、友人、あるいは恋人の変わり果てた姿に、誰もが絶句する他出来なかった。


 そんな中で、


『………サテ、始メヨウカ』


 ぼそりと呟かれた声は、銀次のもの(・・・・・)では無かった(・・・・・・)

 だが、その言葉は紛れも無く、彼の唇から発せられている。


 望月を過ぎた月の下に、顕現した銀次の姿をした全く別のもの(・・)

 正体不明の魔物とも言えるそれが、眼を覚ました瞬間であった。



***

改めまして、明けましておめでとうございます。

昨年はより一層の読者の皆様のご愛顧をありがとうございました。

また今年も、よろしくお願いします。


新年早々何をやっているのか、とも思いますが、日常生活でのルーチンワークと化したこの小説投稿が無ければ、今年も新年が始まらないと考えた末の結果でございます。


皆さまもお忙しいとは思いますが、また今年も拙い作者のこのような拙い作品でもよろしくお願いいたします。



誤字脱字乱文等失礼致します。

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