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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、遠征編
134/179

127時間目 「緊急科目~ドラゴンエンカウント~」 ※流血・暴力表現注意

2016年12月21日初投稿。



127話目です。

※タイトル通り、流血・暴力表現を含みます。

苦手な方は、ご注意くださいませ。

***



 はた、と眼を開けた時。


 そこには曇天が広がっていた。

 薄暗い雲の真下に、眠っていたようだ。


 屋外だ。


 だが、その曇天も既に、嵐が通り過ぎた後のように切れ間が覗いていた。

 雲の隙間からは、星空も垣間見える。


 今日は、満月か。

 いや、少し細って見えるから、望月は過ぎているのか。


 満月には色んな呼び方がある。

 天文学を専攻して学んだ訳では無いが、教師免許の取得を目指した折に理化学の天文学を少しだけ齧った事があったから知っていた。


 十五夜、十五日月、望月、そして満月。

 古来から、女性や母神の象徴であるとされてきた。


 日本でも、『古事記』に読まれた、ツクヨミが月の神格であり夜を収めているとか。

 イザナギが禊を行って右目を洗ったら、生まれたとか言うけど。

 どんだけ目がでかいの?とか思ったりしたっけ。

 ちなみには、同時に生まれたアマテラスは左目で、太陽の女神なんだと。


 『竹取物語』でもかぐや姫が月に帰るってのは有名だしね。

 ウサギが住んでいると言う言い伝えになったのは、『今昔物語集』の天竺部に記されている記載が元になっているとか。

 ………これまた専攻外で詳しくは知らんけど。


 なんて現実逃避をしつつも、つらつらと思い出す。


 今まで、オレは何をしていたのだろうか。

 実際、記憶がぶつぶつ途切れて、曖昧すぎるけども。


 砦で襲撃を受けて、搔っ攫われた事が端を発した一連の出来事。

 まさに、怒涛。

 捕まって、拷問され、遂には放置された。

 しかも、オレがこうして拘束されている間に、生徒達への殺害勧告までもを残した、頬に傷のある男達。


 要するに、オレは無力だったわけだ。

 努めて明るく言っているのも、その事実を無意識に認めたくないだけ。


 月の事とか考えていたのも、全てその為で。


 ………もう、そうしていないと、壊れてしまいそうだ。


 頭が痛い。

 喉が引き攣る。

 心臓が、嫌な音ばかりを発して、今にも破裂しそうだ。


 無駄な事を考えていないと、無様に泣き叫んでも足りない。

 ぐぅ、と喉が奇怪な音を立て始めた。


 その時だった。


「………目が、覚めたのかや?」


 目前が、白銀の糸のようなカーテンに覆われた。


「………ラピス?」

「そうじゃ。

 私は、今、ここにおるぞ?」

「………夢でも、見てるのかな?」

「それは、お主が自分でしっかりと確認してから言いやれ?」


 カーテンと思ったのは、彼女の髪で。

 そして、目前でオレを覗き込んだのは、同僚兼友人にそっくりどころの騒ぎではない程瓜二つな絶世の美女で。

 オレの嫁さんであるラピスで。


 そして、オレの目の前にいる筈の無い、砦に残してきた筈の大切な人。


 そこまで考えが至った時、はたと気付いた。


「ラピス…!?」

「こ、これ、急に大きな声を上げるでは、」


 信じられないと思った。

 目の前に、最期に一目でも会いたいと、言葉を交わしたいと思っていた最愛の人がいる。


 もう、二度と言葉を交わすどころか会えないと思っていた、彼女がいて。


 驚きの余り、起き上がった。

 オレの顔を覗き込んでいたラピスが、これまた驚いて飛び退った。


 瞬間、目の前が揺れて、今度は横倒しに地面に倒れた。

 あれ、なんで、こんな魔力も体力も消費してんの?


「ほ、ほれ、言わんこっちゃない。

 お主、血が足りない上に、低体温症でかなり危険な状態だったのじゃぞ?」

「…い、いや、それは、拷問を受けたからってのは、………分かるし、………ッ、って、そうじゃなくてッ」


 もう一度、頭を上げ、視線を彼女へと向ける。

 気付けば、その手がオレの手を握りしめてくれていた。


 左側なのに、ラピスやローガンなら拒否反応が出ないとか、現金な腕。

 まぁ、動くことも無いし感覚も通っていないから、分からないまでも。


「………なんで、ラピスがここにいるの?」

「お主を探しに来たに決まっておろう?」


 そう言って、ふぅと溜息混じり。

 彼女は、オレの肩を押して、もう一度地面に転がした。


 また曇天の空と、切れ間から覗く十六夜月が見える。

 雑な扱いではあるが、貧血気味の頭には優しい心遣い。


 あ、でも、ちょっと待って。

 それ以前に、オレどうなってんの?


 記憶違いが無ければ、オレは確か洞窟の中に取り残された筈だし。

 ついでに言えば、ビルベルって言う人魚と一緒に。


「オレ、洞窟の中に、………それに、捕まって、それで、」

「………大丈夫じゃ。

 もう大丈夫………」


 そんなオレの拙い言葉に、ラピスは大丈夫と繰り返した。

 慈愛に満ちた瞳で、オレの頬を撫でる。

 ラピスの手は、温かかった。


 ラピスの眼に、じんわりと浮かんだ涙。

 それを見て、オレもなんだか涙が滲んできてしまって、引き攣った息を繰り返すのみ。


 何かを言おうとしても、言えそうにも無くて。

 情けなくて、更に涙が溢れた。


 ころり、と溢れたオレの涙と、ラピスの眼から零れ落ちたそれが混ざって頬を流れ落ちる。

 それを、彼女は優しく拭い取る。


「………助けに来たと言ったであろう?」


 そう言って、ラピスが微笑んだ。

 それと同時に、けく、と情けなくも喉が鳴った。


 くしゃりと、自分でも分かる程に表情が歪んだだろう。

 そんなオレの顔を見ながらも、ラピスは相変わらず微笑んだままで、


「なぁ?

 もう、大丈夫であろ?」


 それだけを言って、オレに口付けを落とした。

 涙で濡れたしょっぱい味がする。


 けど、そんなもの気にならないままで、夢中で彼女の首に腕を回した。


 現金なものだ。

 一時は、命すらも危ぶめられたと分かっている。


 拷問を受けていた時の恐怖も、それこそ無力を感じて打ちひしがれた時の感情も拭い去れてはいない。

 だと言うのに、彼女と触れ合っているだけで、薄らいでいく恐怖があった。


 正直、何かを忘れている気がしないでもない。

 むしろ、ダメだと分かっていても。

 この状況がある今だけは、彼女の温もりを堪能したかった。


 しかし、


「ごっほん!!」


 咳払いが、突然響いた。


「………ッ!?」

「………ひゃッ、………っと忘れておった」


 お互いに驚いて、一瞬だけ何が起こったのか分からなかった。

 どうやら、自分達の世界に完全に入り込んでしまっていたようだが、


「………仲睦まじい事は分かっているが、時と場合を考えてくれるか?」

「………ヴィンセント?」


 視線を向けた先には、ヴィンセントがいて。


 これまた驚きのあまりに、眼を丸めてしまう。


 しかも、そんな彼の隣には、何故か金髪美女が侍っている。

 彼女はオレ達に向けて、微笑みながらも手をひらひらと振っていたが。


「………えっと、お前こそ?」

「わ、私の事は、良いから、それよりも先に、貴方の方だ…!」


 ………いやいや、その状況はどうなってんの?

 アンタこそ、TPOを考えて?


 って、そんな話だったか?


「………エマと間宮が、寝ている事が唯一の救いじゃったのう」

「えっ!?」


 ラピスの呟いた言葉に、もう一度飛び起きる。


 見れば、焚火が傍で揺れている。

 その焚火の向こう側に、外套に丸まっている2人の姿。


 金色の髪と、赤い髪が覗いているのですぐに分かった。

 金色の髪はエマで、赤い髪は間宮で間違いない。

 本当に、この2人も一緒に来てたのか。


 そこで、ふと焚火へと視線を向けた。

 なんか、可笑しい。

 薪が見当たらなかったからだ。


 そこで、まさかと思えば、


『目覚めたようで、なによりだな』

「うわぁお…ッ!

 ………なんで具現化までしてんの、サラマンドラ」

『主の体温がこれ以上下がらないように、こうして焚火で暖を取らせていただけだが』


 そう言って、空中に胡坐をかいてふんぞり返ったサラマンドラ。


 吃驚した。

 寝起きに、この酒呑童子張りの強面は堪える。

 まぁ、輪郭まで炎だから、顔の造詣がそこまで詳しく分かる訳じゃないんだけど………。


 どうりで、魔力が消費されている訳だよ。

 有り難いけども勝手に具現化されてちゃ、それだけ魔力も消費するよね。


 ………でも、その割には魔力の消費が少ない気がするけども。


『目覚めた途端、また話が脱線してまとまらぬのは、主の悪い癖よな』

「…って、アグラヴェインまで…ッ!?」


 しかも、これまた吃驚。

 アグラヴェインまで具現化して、オレの傍で胡坐かいて座っている。


 魔力の消費が早い訳だよ、本当。


 ………あれ?

 でも、それだと、ますます可笑しいんだけど。


『ここは、『暗黒大陸』故、魔力を消費した傍から空気からの摂取で、かなり魔力が蓄えられておる』

「………『暗黒大陸』ッ、………って、そういや、ビルベルにもそんなこと聞いた気がしたな」

「ビルベルならば、あちらで休んで居るよ」


 ラピスが指を指した先。

 そこには、確かに何度も見た、青とも緑とも付かない髪色で、下半身が魚然りとした美女。

 彼女が岩場に腰掛けていた。


 しかも、その岩場の近くには、まるで井戸端会議でもしているかのようにこれまた下半身が尾ひれとなった美女達が侍っている。

 あれまぁ、何あの楽園。

 ………オアシス?


「どこを見て、何を考えているのか言ってみよ」

「いッ、ひゃひゃひゃ、いっひゃい!

 ………ほへんははい(ゴメンナサイ)


 これまた脱線した思考回路を目敏くラピスに見咎められ、頬を引っ張られた。

 いやはや、痛い痛い。

 でも、そんな痛みを感じるって事は、オレが現実逃避の末に見せた夢幻では無いって事だけども。


 先程の感動が、痛みの涙で塗り替えられてしまった。


 閑話休題。

 まぁ、それは良いとして。


「………でも、良くオレが、こんな僻地にいるなんて分かったな」

「ああ、それはヴィンセントが首尾良く、」


 えっ?………ヴィンセント?


 関係ない筈の会話に突然出て来た彼の下へと視線を向ける。

 と、焚火に照らされてか、それとも美女に迫られてかは定かでは無いまでも、頬を赤らめた彼がいた。


「………『水』の中位精霊と、契約をしていたのでな」

「あ、それで、魔法が使えた訳だ」


 そんな彼の答えに、やっと疑問だった魔法の行使への答えが分かった。


 ボミット病の緩和策、どう考えても腑に落ちなかったから。

 因子があるのに、魔法が使える理由だ。


 中位精霊ぐらいなら、因子から魔力を奪い取って行使が出来るって予想は当たっていた。


 って、『水』の中位精霊?


「………貴方が、オレに纏わりついていると言っていた通り、オレは『闇』と共に『水』の精霊の加護も受けている」

「………それで、精霊が視えたのか」

「焦ったぞ。

 こっちは、あまりに公にすると不味いと思っていたからな」

「………で、それがどうしたの?」

「………貴方は、無関心な事にはかなりドライなのだな」


 呆れた表情をされたが、それがどうしたって感じ。

 ウチの生徒達だって、『闇』属性が全員中位以上の精霊と契約している前例があるし。


 それよりも、今の会話になんでその『水』の精霊が関わっているかなんだけど?


「『サーベンティーク』と言うんだが、彼女は海洋生物となら念話が可能なんだ。

 魔物達の目撃証言を辿って追いかけたら、この『暗黒大陸』に到達した」

「………うわぁお、それはまた…ッ」


 彼の顔を見なくても、大変だったことは分かる。


 確か、人魚のビルベルであっても、4時間はかかる道のりだった筈。

 人魚って、確か海中なら『天龍族』にも勝てるとか言っていたし、それを追いかけたって言う『水』の精霊も凄い。


 あ、もしかして、そのサーベンティークとやらに、彼等が乗って来た?

 だから、ここにラピスとヴィンセント、間宮とエマが一緒にいるって事で合ってる?


 問いかけると、こくりと苦笑ながらも頷いた2人。


 うわぁい、面倒を掛けたとかのレベルじゃない。

 マジで、本当に迷惑を掛けちゃって、なんとお詫びすれば良いのやら。


「…ゴメン、こんなところまで、………しかも、アンタは砦を離れてまで、」

「謝罪はいらない。

 むしろ、貴方には大きな借りがあるからな」

「そうじゃのう。

 まずは、謝罪よりも、欲しい言葉があるのじゃが?」


 そんな2人の言葉に、オレも思わず苦笑をした。

 分かっている。

 言うべき言葉は、謝罪ではない事ぐらい。


「ありがとう、本当に、助かったよ」

「どういたしまして、じゃ」

「借りを返さないままでは、騎士道精神に反するだけだ」


 ラピスの言葉は当たり前の事ながら。

 ヴィンセントの彼らしいと言えば彼らしい物言いに、思わず笑ってしまった。

 ラピスも揃って、笑声を上げた。


 頬を掻いて、照れくさそうにした彼。

 こんなところまで、どうやらゲイルとそっくりだったらしい。


 そこで、


「あら、目覚めたのね、『予言の騎士(ギンジ)』くん」


 外套を羽織った、ビルベルがやって来た。


 名前が、銀次君とは、なかなかあざとい。


 人魚達の井戸端会議オアシスはもう良いのだろうか?


 視線を向けた先には、既に人魚達がいなくなっていた。

 あれ?

 出来れば、お名前ぐらいは聞いておきたかったんだけども。


 ………ラピスに睨まれたので、目線を戻しておく。

 いやはや、ローガンと言い彼女と言い第六感が優れまくってんな。


「………彼女達には、先に戻って貰ったわ。

 まだ嫁入り前どころか、成人も迎えていない人魚もいるから、」

「………そ、そうなの?

 ってか、ビルベル以外に、あんなに人魚がいた訳?」


 そう問いかけた途端、ビルベルの表情が陰った。

 あ、これ、ヤバい事聞いちゃったかも。


 と、オレが微妙な表情になった時、彼女はそれを見ながらも苦笑を零した。


「………あたしの首輪と同じだったのよ」

「えっ………と、まさか、人質だった?」


 遠回し過ぎる言い回しも、何とか頭が付いて行けた。

 それもこれも、いつも遠回し過ぎる言い方をするゲイルに慣れていたおかげだろうか。


 そこで、やっと色々と合点がいった。


 彼女がアイツ等に与していたのは、その所為だったのか。


「私達、もっと『暗黒大陸』の中央の海域で生活していたの。

 なのに、突然アイツ等が火竜でやって来て、いきなり攫われて捕まったわ。

 協力しないと彼女達を殺すと言われて、………あたしには、どうしようも出来なかった」


 そう言って、目線を伏せた彼女。

 「ごめんなさい」と、彼女はオレに謝罪をした。


 そんな事情があったなら、それは仕方ないと思う。

 彼女にとっては、大事な者達。

 天秤に掛けて、比べるべくもない。

 それが、アイツ等の手の中にあったなら、オレ個人の命を危ぶめてでも命令は聞くだろう。


 彼女も、被害者だ。

 しかも、オレ達に全く関係ない分、謝るべきはオレの方。


「こちらこそ、ゴメン。

 ………なんだか、巻き込んでしまったようで、」

「いいえ、あたしにもっと力があれば、あんな奴等に屈しなくて済んだのだもの、」

「でも、」


 そこで、ふとラピスがオレの唇に手を当てた。

 小声で「堂々巡りになるから、黙っていなしゃんせ」と呟かれ、これまた無様にもくしゃりと顔を歪めてしまう。


 だが、ビルベルはそんなオレの表情を見て、肩の力を抜いた。

 そうして、苦々しい表情が残りながらも、綺麗に微笑む。


「貴方は優しいのね。

 だから、ごめんなさい、ありがとう。

 人間の事、あたし達はあまり知らないけど、悪い人達ばかりじゃないのは分かったから」


 勿論、彼女達もね?とウィンクを落とし、ヴィンセントに侍ったままの金髪の少女へと目配せ。

 そういや、雰囲気が似ているけども、彼女もまさか人魚?


「アリアナと言います。

 改めて、助けてくださって、ありがとうございました」

「………いや、助けたのはオレじゃなくて、彼等だし、」

「それでも、貴方の人望が無ければ、こんな危険地帯には誰も助けに来てくれないわ」

「………。」


 そう言われると、照れくさくなってしまう。

 それも、然も当然のこと。

 オレが嫌われているなら、借りがあろうとなかろうと、彼等はきっと来てくれなかっただろう。


 こうして助け出されたのは、奇跡としか思えない。

 そして、こうして会話を交わせ、ついでに面と向かっている事実。


 僥倖な事と共に、恵まれている事だ。


 ただし、ちょっと気になった。


「………ところで、なんでヴィンセントに侍ってる?」

「そ、それは、聞かないでくれ…ッ!!」

「よくぞ、聞いてくれました!

 聞いてくださいッ、『予言の騎士』様!!」


 正反対な事を言っている2人。

 ラピスもビルベルも苦笑を零しているが、オレにとっちゃ意味が分からんからきょとんとする他無い。


 とまぁ、かくかくしかじか。

 色々と紆余曲折はあれど、最終的にまとめると、助けられた事で恩を感じ、ついでにヴィンセントの人間性や男気に惚れたアリアナさんが、猛アタックしているという構図らしい。


 ………なんか、既にアリアナさんの中では、夫婦関係になっているようだけども。

 ヴィンセントは恥ずかしがっているだけ。

 満更でも無さそうだから、これで良いのかもしれない。


 いやはや。

 人間、どこで転機が訪れるか分からんもんだな。

 人間が人魚の嫁さん貰うとか、世界一と言っても過言ではない程幸せな事なんじゃない?


『………さて、惚れた腫れたの、惚気話をしている暇があったのか?』

「………あ゛」


 って、またしても話が脱線した。

 アグラヴェインに言われて気付いたけど、こんな和やかにしている暇が無かったんじゃなかったっけ。


 主に、砦の危機的方向で。


「そ、そうだ、アイツ等、砦に向かうとかなんとか…ッ!」

「ああ、そうじゃったそうじゃった。

 火竜を使って移動をしている様で、追いかける事は出来んが、」

「………さっきから、聞くけど、火竜って?」


 嘘、まさか、ドラゴン?

 アイツ等、よりにもよってドラゴンまで、配下に従えている訳!?


「飛竜の上位種で、『火』属性の加護を受けておるから火竜じゃな。

 飛行速度は飛竜と大して変わらぬが、それでも砦までであれば1時間も掛からぬじゃろう」

「嘘だろ、こんなのんびりしている場合じゃ…ッ!」

「焦っても、今更どうしようも無かろう。

 それに、お主が回復しない事には、我等とて動けなかったのだから、」

「しかも、オレ待ちとか…ッ!!

 いや、ゴメン、マジ、本当にごめんなさい!!」


 起き上がり、立ち上がり、ワタワタと動き出した途端眩暈が襲ってきた。

 ぐらりと倒れかける体を、懐に入った誰かが支える。


 覗いた赤い髪で、誰かはすぐに分かった。


「ま、間宮、お前も悪かった。

 こんなところまで、突き合わせて、」

「(銀次様のいる場所が、オレの居場所です)」


 いつの間にか、眼を覚ましていたのか。

 そう言って、口元を緩めた間宮。


 目尻には赤い涙の跡が残って、痛々しい表情ともなってしまっていた。


 本当に、ゴメン。

 また、オレはこの優秀な弟子を泣かせてしまった。


 こんな僻地くんだりまで、来て貰っちゃったりして。


「ウチだって、いるんだからね、銀次!」


 こちらもいつの間にか目覚めていたエマが、オレの右側へと潜り込んでオレの体を支えた。

 彼女もまた、オレの人望の結果だろうか。


 この身に余る、信頼を実感する。

 有り難い。


 生徒達に支えられないと立てないなんて、情けない状態この上ないけども。


 しかし、体の違和感は無い。

 おそらく、治癒は済ませてくれていたのだろう。

 ついでに、洞窟内で更に強まったであろう、『天龍族』の血のおかげもあるのか。


 一長一短ではあるが、今回ばかりはあの『天龍族』の男に感謝だけはしておこう。

 何故、『天龍族』がアイツ等に与しているのかは不明ながら。

 それでも、生還出来た事実は、あの男が飲ませた血にある。


 っとと、それよりも忘れていた。

 助けて貰った彼女達も、勿論言わなければいけない言葉があった。


「お前等も、ありがとう。

 おかげで、助かった」

「お安い御用じゃん!」

「(当たり前の事をしたまでですから、)」


 照れながらも笑ったエマと間宮に、これまた苦笑を零して。


 そうして、振り返る。

 既にラピスが立ち上がり、


「帰りの準備は出来ておる」


 手を伸ばした先には、既に魔力反応を灯した地面があった。


「もう少し休ませておきたいとは思うが、致し方あるまい」


 そして、ヴィンセントも同じように立ち上がる。

 アリアナがそれに釣られて、彼の腕にぶら下がっているが、梃でも離れてやるものかという気概の表れが少しだけ面白かった。


「あたしも、連れて行って。

 せめて、アイツ等の横っ面叩いてやらないと、気が済まないの」


 同じように立ち上がったビルベル。

 首にかけられたままの首輪の鎖を握り、唇を噛み締めた彼女にオレの答えは決まっている。


 首肯だけをして、彼女の首輪へと手を触れた。

 アグラヴェインに干渉を頼み、首輪を消した。

 文字通り、『闇』属性の特性を活かして、首輪自体の存在を消したのである。


「これで、やっとアイツ等に目にもの、見せてやれるわ!」


 名実ともに自由になった彼女が、魔力を立ち昇らせながらも不敵に笑った。

 

 今更に気付いたが、強力な助っ人なんじゃなかろうか。

 確か、人魚って魔族では下位であっても、『水』関連の魔法能力は森子神族エルフどころか、ラピスにも匹敵するとか聞いているし。


「急ぐじゃん!

 砦の皆も、首を長くして待ってる!」

「(安心させてやりましょう)」

「ああ、そうだな」


 オレを支えた生徒達にも、微笑んだ。

 ちょっとした悪戯心で、力の入る右腕を支えていたエマには、きゅっと頭を絞ってやった。


 ふぎゃっ!?なんて、可愛らしい抗議の声。

 ついつい、肩に力が入っていたようだが、おかげで強張っていた体も緊張が解れた。


 曇天の空は、いつの間にか晴れ間が見え始めていた。

 雲の切れ間から覗く、満月を過ぎてもまだ真ん丸い月が、オレ達の燦然と輝いて見せている。


 魔力光が更に強まった気がする。

 反撃開始の合図のようなそれと共に、


「行こう」


 背後を振り返る。


「祈るしか出来んが、ゲイルがなんとかしているだろう」

「私も、旦那様と共にどこまでもお供します…!」


 ヴィンセントと、アリアナ。


「そうそう、ゲイルもいるし、ローガンもおるじゃろう」

「あたしがいるからには、安心してよ」


 ラピスと、ビルベル。


『………ようよう、病み上がりの癖に無茶をする』

『まぁまぁ、それも主だろう?』


 アグラヴェインと、サラマンドラ。


「(後ろは任せてください)」

「皆だって、それなりには強くなってんだから、火竜程度どうってことないじゃん!」


 そして、オレの体を支えている間宮と、エマ。


 皆、表情には陰りが見える。

 不安も見える。


 でも、それを表に出すと、前に進めない。

 そう分かっているからこそ、全員が明るい声と振る舞いで、自分自身も鼓舞している。


 オレも、見習わなきゃな。


「………オレの生徒達にも、友達にも、嫁さんにだって手出しはさせねぇよ」


 そう呟いた。


「えっ、嘘、はぁ!?

 嫁さんって、………誰ッ!?」

「あ…ッ!」

「これ、馬鹿者…ッ!!」


 ラピスの叱責の声に、我に返ったがもう遅い。


 ………エマの事、すっかり忘れて暴露しちゃった。

 こりゃ、荒れそうだ。


 なんてことを他人事のように思いながらも、改めて。

 踏みしめる。


 魔法陣は、既に魔力を限界まで溜め込んで、月明かりの下に照らし出されていた。


「『転移』!」


 ラピスの声と共に、文字通りオレ達は飛んだ。



***



 屋上に、その音は嫌に木霊する。

 肉を裂き、筋肉を抜け、内臓まで到達したであろう、その音。


 突き立てられた短剣は、真っ直ぐにゲイルの脇の下を貫いていた。

 血潮が溢れ、噴き出す。


 彼が手を上げて晒されていたそこは、騎士服も甲冑も、ましてや下に着た帷子すらも無い無防備な急所。


「………が…ッ!!」

「ゲイルさん!!」

「ゲイルーーーーーッ!!」

「騎士団長ッ!?」


 血を吐いて、ゲイルがその場でゆっくりと倒れた。

 手を掲げていた事が仇となり、横倒しに倒れた時に受け身すらも取れない。


 なまじ、脇の下は入りようによっては、肺まで到達する。

 人体急所の一つでもあり、呼吸困難すらも引き起こす事が出来る場所だ。

 そこを、短剣とは言え、根元まで突き立てられたのだ。


 頑丈だと銀次から言われ続けたゲイルであっても、流石にここまでを鍛えること等出来ず。

 倒れ伏して、もがき苦しむ事しか出来なかった。


「が…っは、…ひゅー…ッ、くは…ッ!」


 息が出来ずに、喉から抜ける呼吸音が可笑しい。

 むしろ、満足に息が吸えていないのだろう。

 

 こうなっては、起き上がるどころか、『盾』の展開を継続することすら困難。

 

 自明の理である。


 そして、その影響は、計り知れない。

 衝撃が、彼等の目の前で起きた。


 展開されたゲイルの『盾』が、薄れる。

 そして、まるでそれを見計らったかのように、火竜が灼熱の業火を吐き出した。


 薄れた『盾』の名残に、火球が衝突。

 一瞬にして、その『盾』は砕け、飛び散った。


 その下に展開した伊野田の『盾』に激突するのに、コンマ数秒も掛からず、


「ぐぅ…ーーーーーッ!!」

「きゃああッ!!」

「耐えろ!皆」

「手を離すなよ!!」


 3度目の衝撃。

 凄まじい轟音と共に振動が、砦を襲った。

 屋上が、まるで地震を受けたかのように揺れ、縦にも横にも揺さぶられる。


 衝撃で生徒達がこけつまろびつ、地震に見舞われたかのような阿鼻叫喚。

 それでも、繋いでいた手は離さなかった。


 その甲斐あって、『盾』は消えず、火球の灼熱を弾き続けていた。


 たった数秒の事だ。

 その数秒が、彼等にとっては何十分と感じた事だろう。


 やっと火球が消えた時、『盾』はボロボロの有様でなんとか堪えたとしか言いようがない。

 砦屋上の積み石は、熱で赤熱しているばかりか溶け出して煙を上げている。


「く、っそ、騎士団、撃てぇええ!!」


 なんとか態勢を整えた香神達が、火竜に向けて『水』魔法を放つ。

 初球から中級まで、魔力の温存も考えつつも、一斉に弾き出された『水』魔法が夜空に青い軌跡を描いた。


 しかし、


「………ッ!嘘だろ…ッ!!」


 思わず、香神どころか騎士団も絶句する光景が広がった。


 飛翔した数々の『水』属性の魔法。

 しかし、それは火竜に直撃する事も無く、弾かれた。

 まるで、見えない壁(・・・・・)があるかのように、『水』属性の一切を火竜に通さなかったのである。


「まさか、………『障壁ウォール』!?」

「嘘だ、『聖』属性を、火竜が使えるなど………ッ!」


 愕然とする、香神と騎士達。

 それでも、香神は唇を嚙み締めたと同時に、


「だったら、ぶち破ってやらぁあ!!」


 控えていた『雷』属性の魔法へと、更に干渉。

 威力を強め、脳裏で精霊達に懇願をしながらも、一撃へと全ての魔力を込めた。


「『雷の閃光(ライトニング・ボルト)』!!」


 上位魔法、その無詠唱での発現。

 暗黒の雲の上、火竜の更に頭上から、一筋の雷が降り注ぐ。

 太く、強大にして、一瞬にして砦からの景色すらも塗り潰す雷光が、火竜へと直撃(・・)する。


「落ちろぉおおーーーーーーーーーーッ!!」


 香神の叫び声と共に、轟音が響いた。

 ガシャンともバリンとも取れる、ガラスの砕け散るような音が響いた。


『グギャォオオオオオオーーーーーーッ!!』


 火竜が、悲鳴を上げたように思えた。


 しかし、その直撃した筈のそれは、火竜の体を焼くことは無かった。

 ましてや、火竜を落とす事も出来なかった。


 確かに、『障壁』は壊れた。

 しかし、その『障壁』の奥には、更に『盾』があった。


 しっかりと、その眼で見てしまったのだ。

 雷光は『障壁』を壊しただけで、『盾』に防がれていた。

 直撃したその瞬間、全てが弾かれて外に流されていた。


 火竜は、ただただ轟音に驚いただけ。

 直撃した訳では無く、その体に受けた衝撃に狼狽えただけだったようだ。


「………嘘…だ…、そんな………ッ!」


 今度こそ、へたり込んだ香神。


 彼の全ての魔力を掛けた1撃すらも、その『盾』の前に弾かれたのだから。

 魔力枯渇も相俟って、全身の力が抜けてしまった。

 

「………はははっ。なかなか、ガッツのある餓鬼だなぁ!」


 そんな中、嘲笑うような男の声がした。

 それは、屋上の中から。


 先程、ゲイルに短剣を突き立てた獣人の男。

 そんな彼は、香神を振り返りつつも、未だにゲイルの傍に立っていた。


 犬のような獣人で、厳つい顔。

 身長も高く、ガタイも良さそうな、年の頃が30~40代前後の男。


 ゲイルの言っていた人相通りの男が、まさに今そこにいた。


「騎士団長ッ!!」

「ゲイル!!」


 騎士達が走る。

 治療を終えていたローガンも、即座に生徒達をすり抜けて走った。


 それでも、遅い。


「残念、間に合わなぁ~い!」


 男が、もう一振りの短剣を、懐から抜いた。

 それと同時に、振りかぶる。


 倒れ伏し、既に意識すらも朦朧としているゲイルに向けて。

 上から下へ、その凶刃を今一度突き立てる。


 瞬間、


「っらぁああああッ!!」

「がは…ッ!?」


 短剣を突き立てようとしていた男が、恫喝声と共に弾き飛ばされた。

 滑り込んだのは、赤茶色の髪。


 榊原だ。


 先程獣人が生徒達や騎士団をすり抜けたように、彼もまた屋上を駆け抜けて滑り込んでいた。

 それこそ、ローガンや騎士団よりも早く。


 そして、ゲイルに向けて短剣を突き立てようとしていた男の懐へと、訓練の賜物である蹴りを繰り出したのだ。


「………ッ、させないよ、卑怯者…ッ!」


 その場で態勢を整えたと同時に、頭にあったバンダナを直した榊原。

 ゲイルを守る様にして立ちはだかった彼が、空手の型を構えて殺意すらも滲ませつつ敵を見据えていた。


 一方、蹴り飛ばされた敵こと獣人の男は、砦屋上の壁に激突。

 しかし、そのまま床に叩き付けられる前に、態勢を整えて前転をした後、四つ足を踏ん張った。

 そうして、榊原を見据えた。


「おっと、こっちの餓鬼も、意外とガッツがあらぁ…!」


 そう言った男は、口端から垂れた涎を拭う。

 既に臨戦態勢を取っていた為、防具も装着済み。

 そんな具足ブーツを付けた榊原の蹴りを受けても、男は血反吐を吐くことなく立っている。


 舌打ちを零した榊原が、構えた。


「下がれ、榊原!ゲイルを頼む!」

「ろ、ローガンさん…!」


 だが、そこでローガンが辿り着き、榊原の更に前に立つ。


 火傷の治療は済まされているが、燃えた髪や吹き飛んだ耳当て帽子、マスクは無い。


 女蛮勇族アマゾネス然りとした、角と牙が露になっている彼女。

 それを見て、獣人の男がひゅー♪と、口笛を鳴らした。


「おっと、こりゃ、女蛮勇族アマゾネスが相手とはツイてるぜ!

 勝ったら子作りし放題なんだろぉ?」


 舌なめずりをした、獣人の男。

 目線は、彼女の捲れられて燃えていた腕や、ボタンが外れている胸元へと向けられている。

 生理的な嫌悪感に、ローガンの表情が強張った。


 だが、


「抜かせ、犬もどき。

 私に勝てると思うなど、200年早い!」


 腹に力を込めた、恫喝声。

 その手に、振ったハルバートを構え、腰を落とした彼女。


 今回は、気合も然ることながら、コンディションも問題は無い。

 腰だって不謹慎ながらも元凶ギンジがいないことも相俟って絶好調。

 彼女の自信も、いつも以上に底上げされていた。


「良いねぇ、その強気な態度。

 オレが勝ったら、その顔ぐちゃぐちゃになるまで、蕩けさせてやるよ」

「ほざけ、発情犬!」


 ローガンが駆け出した。

 獣人の男も同じく、四つ足を駆使してローガンへと突進する。


 まるで、獣のような戦闘スタイル。

 その動きも然ることながら、瞬く間に縮めれた距離からして、速い。


 接近を許さぬように、ハルバートを横薙ぎに振ったローガン。

 しかし、男はそのハルバートの更に下を潜り抜けた。


 口に咥えていた短剣を離したと同時、飛び上がる様にして彼女の懐へと斬り込んで来る。

 それを、彼女は反り返って避けた。

 しっかりと、その動きが見えていた。


 獣人の男は、少しだけ目を見開いたと同時、顎を強打されて逆に仰け反った。


「はぁッ!!」

「がぶっ…!?」


 彼女は、反り返った態勢を戻さずに、そのまま背後に倒れた。

 頭を打ち付ける前に片手を付き、上体を支える為に踏ん張っていた脚を、蹴り上げる。


 獣人の男の顎を、脚でのアッパー。

 バキッ、と重い音と共に、男の口端から血が飛んだ。


 獣人の男が、背後に倒れた。

 ローガンは、その片手を基点にバク転の要領で態勢を立て直し、ハルバートを構える。


 ゲイルを回収しながらも、間近で見ていた榊原にはその姿がダブって見えた。

 担当教師ギンジの戦闘スタイルとも言える、アクロバティックな動きだったからだ。


 それもその筈。

 彼女の組手の相手となるのは、もっぱら銀次か間宮、またはゲイルだった。

 今では、それが当たり前となっている。

 そして、銀次にしても間宮にしても、似通った動きをする。

 唯一、純粋な力のぶつかり合いになるのがゲイルであって、後の2人は散々振り回して疲弊させた挙句、隙を付いて来る。


 最初は、かなりてこずった。

 銀次どころか間宮にも勝てなかったものだ。

 しかし、それも最近では、彼女自身が同じ動きをする事で、何とか対処が可能になった。


 言うなれば、見慣れ、体が覚えている動きだった訳だ。


 今、相手にしている獣人の男も、速度重視。

 言うまでも無く銀次と間宮に似通っている。

 その上で、扱う武器も短剣となれば、対処の方法は分かっていた。


 受け流し、あるいは避けて、おそらく隙を突いて来るだろう動き。

 それを予測すれば良い。


 彼女自身も修練の賜物と、発揮した真価にふふ、と口端を上げた。


「痛ってぇ、なぁ…!」


 獣人の男は、それでも起き上がった。

 顎を擦りながら、その場で後ろに転がりつつ、これまた四つ足を踏ん張って。


 舌を噛んだらしく、ぺっと血を吐き出した。

 歯が欠けたのか、その血反吐に白い欠片が混ざっている。


「痛ぇ、痛ぇ、こんなのいつ振りだ?

 餓鬼どころか女に蹴られたなんて、久しぶり過ぎて笑えねぇだろ…ッ!」

「はっ、怠慢だな」

「テメェも痛い思いさせなきゃ気が済まねぇ!」


 獣人の男が、これまたローガンへと突進の如く駆け出した。

 彼女は、それを落ち着いて、その場で向かい打とうと腰を低く落とす。


 だが、


「『ガァアアアアアアアアアア』!!」

「………ッ!!」


 男が短剣を咥えていた口を、大きく開いた。

 叫ぶ。

 それは、咆哮。


 獣人が扱う身体強化ブーストの一種で、『咆哮ハウリング』。

 声に魔力を乗せた波状攻撃。

 気が弱い人間なら、一発で失神まで持っていける。


 それを、あろうことかローガンの至近距離で放ってきた。


 ゼロ距離のそれに、ローガンの眼が揺れた。

 違う。

 三半規管が揺れたのだ。


 彼女がそう思った時には、もう遅い。


 ぐらり、と倒れそうになる体を堪えた。

 だが、その時には獣人の男が更に彼女の目の前へと迫っている。


「お返しだぁ」


 男の声と共に、彼女の肩へと吸い込まれるように突き立てられようとしている短剣。


 殺しはしない。

 しかし、甚振って遊んでやろうと言う、嗜虐心溢れる1撃。


 成す術も無く、躱せもせず。

 短剣を肩に受ける。


 そう思って、迫る痛みに耐えようと歯を食い縛った。



***



 その刹那、


「ごぼ…ッ!?」


 ローガンの背後から伸びた正拳が、男の顔面を直撃した。

 獣人の男が更に吹っ飛び、今度は床を転がって壁に激突する。


 鼻がへし曲がり、鼻血が噴き出す。


 何が起こったのか。


 一瞬、意味が分からずに、ローガンはその場で立ち尽くしていた。

 しかし、ふと正気に戻り、視線を横へ。


 ローガンの肩から出たその手は、籠手を纏っていた。

 凝った意匠に、施された装飾は騎士団の物であったが、


「………ゲイル?」

「残念、オレは違う」


 振り返った先にいたのは、彼女の思い浮かべた友人では無かった。


 肩に突き出されていた拳が、振られながらも戻された。

 多少痛かったのか、その表情には眉根が寄っている。


 似てはいる。

 しかし、その髪の色と、表情の使い方だけが違う。


「久しぶりだな、赤髪の姉さんよ」

「ヴぁ、ヴァルト殿…!?」


 濃い茶髪の髪に、琥珀色の眼。

 獰猛な肉食獣を思わせる不敵に歪んだその表情は、ゲイルと似ている顔をしながらも似つかない。

 だが、彼の兄弟である事は間違いない。


 シュヴァルツ・ウィンチェスター。

 ゲイルの2番目の兄だ。


「な、何故、貴方が…!?」


 驚いたのは、それだけではない。

 何故、彼がここにいるのか。


 唐突に現れた事にも驚いたが、ダドルアード王国に残してきた彼が、この南端砦にいる事も驚きだった。


 騎士団どころか、生徒達も目を丸めていたものの。


「女神様の要請だよ。

 あの『予言の騎士(やさおとこ)』が死にかけてやがったようだから、様子を見て来いってな」

「………女神、………まさか、オリビアか!?」


 素っ頓狂な声を上げたローガン。

 そんな彼女の言葉に、ヴァルトは答えもせずに苦く笑っただけだった。


 以前の、討伐隊の折にも同じような事があった。

 それを思い出したのは、生徒達の方が早かっただろうか。


 どうやら、彼女は今回の1件も、銀次の危機を察知していたようだ。

 しかし、彼女はダドルアード王国から北の森まで離れた事はあっても、南端砦まで出てくることは出来ない。

 あの時とは、状況が違い過ぎる。


 あの時は、銀次も馬や徒歩で移動し、その道中に魔力の痕跡を色濃く残していた。

 しかし、今回は、転移魔法陣を使っての移動だ。

 道中に魔力の痕跡どころか、彼が通った道順すら無い。


 彼女が、ここに来る事は出来なかった。

 しかし、彼等は来る事が出来る。

 砦と『異世界クラス』の校舎を繋ぐ、転移魔法陣によって。


 だから、来たのだ、とヴァルトが告げた矢先に、


「ご名答、ってね」


 先程の彼女の素っ頓狂な声に、ヴァルトの代わりに答えたのは飄々とした声。


 ローガンの更に前に立った、黒髪の長身痩躯はハルだ。

 ヴァルトの護衛にして、銀次の元同僚であるという、異色の経歴を持つ召喚者。

 彼もまた、ヴァルトと共に転移魔法陣で、この砦へとやって来た。


「ハル、そのケダモノはお前に任せるから、上手く抑えておけよ」

「オッケー、任された」


 そう言って、ヴァルトはハルに下知をした。

 ローガンから選手交代となり、獣人の男の相手をハルが引き受けた形だ。


「………やってくれるじゃねぇの、次から次へと、」

「オレ達に喧嘩を売るのが悪いんだよ」


 獰猛に苛立ち混じりに、唸り声すらも上げた獣人の男。

 態勢を整えた彼は、邪魔者となったヴァルトとハルを、交互に睨み付けていた。


「余所見は厳禁だ。

 ウチの旦那様にゃ、指一本触れさせやしねぇからよ」

「………男に興味はねぇだよ!

 あの世で後悔しやがれ、クソ餓鬼がぁ!!」


 殺気が交錯した。

 瞬間、ナイフと短剣で、彼等は切り結び始めている。


 応酬は速い。

 ハルバートとは違って、ナイフも短剣も手数が有利だ。


 ハルは、手に2本の短剣を。

 獣人の男は、片手に1本だ。

 だが、やはり手数の有利が活きたのか、徐々に獣人の男が押され始めた。


 まかり間違っても、彼とて銀次の元同僚。

 腕はこちらに来て鈍るどころか、上がっているのが本来だ。


 おかげで、その立ち姿にも戦闘にも安心出来る。


「ぼけっとしてないで、こっち来い」

「………はっ、えっ?…うん?」


 そこで、溜息一つを吐いたヴァルトが、ローガンを連れて下がる。

 何故?と思うよりも先に、彼女は言われるがままに下がったのだが、


「アンタ、魔力は多少あったよな。

 悪いが、オレの代わりにコイツを使って欲しい」

「えっ?」


 後方に下がるつもりだったようで、騎士団が集まった場所へと戻ったヴァルト。

 そこで、彼が差し出された紙きれのようなもの。


 しかし、ただの紙切れでは無い。

 その紙の表面には、彼女も見慣れている魔法陣が描かれていた。


「知識だけで描いたは良いが、『闇』属性と『聖』属性じゃ相性が悪くて、上手く発動しねぇんだ」

「………あ、」


 ヴァルトが顎でしゃくった先。

 そこで、やっとローガンも意味が理解出来た。


 今しがた、榊原と別の騎士の力を借りて、こちらに後退させられたゲイルの姿がある。


 顔が赤い。

 だが、唇は紫色だ。

 呼吸が出来ていないのだろう。


 意識が朦朧としているらしく、琥珀色の瞳が混濁している。

 眉根が寄った表情が、いっそ哀れだ。


 そして、ヴァルトが差し出した紙に書かれた魔法陣は、おそらく『聖』属性の回復魔法のものだろう。

 過去、何度か冒険者をしている時に、見掛けたものだ。

 使い方は、知っている。


 そして、その魔法陣を起こしたヴァルトは、『闇』属性と言うのも知っていた。

 相性が悪いと言うのは、揶揄でも何でもない。

 『聖』と『闇』の相反する属性が、発動を妨げてしまうという事だ。


「ああ、私とて魔力は少ないが、喜んで、」

「おう、………弟を頼む」


 一も二も無く頷いたローガン。

 そんな彼女に珍しく目礼をして、ヴァルトはその場で立ち上がった。


「『水』属性、詠唱構え!

 『盾』にぶつかるまでの時間に、出来るだけ威力を減退させる!」


 魔力枯渇でへたり込んだままの香神に代わり、ヴァルトが更に騎士団へと号令をかける。

 ゲイルも香神も動けなくなった今、指揮官不在のままではこの窮地は脱せないだろう。


 ローガンに、ゲイルの治癒を任せたのもその為だった。

 騎士団には、なるべく魔力を温存させたかったからだ。


 そして、彼はそのまま『盾』を継続する為に、手と手を繋ぎ、魔力を伊野田へと送り続けている生徒達へも声を掛けた。


「苦労を掛けるが、頼む!

 こっちは、オレ達でどうにかすっから、気張れ!」

『はいっ!』

『おうっ!』


 女子組男子組の返答の声は、未だに爛々としていた。

 魔力の余裕はまだありそうだ。


「砦の騎士達は、仲間を呼んで来い!

 魔力の維持をする為の要員の確保と、威力の減退の要員を要請する!」

「は、はいっ!」


 更に、砦の騎士達へも伝達を叫ぶ。

 ゲイル以上の強面と野太いヴァルトの恫喝声に、震え上がった騎士達が転げる様に屋上から階下へと降りて行った。


 そこで、


「ウィンチェスター卿!!来ます!!」

「………チッ、なかなか、魔力総量が高い個体らしいな」


 『水』以外の属性であるが故に、待機をしていた騎士からの報告。


 頭上で羽搏き、砦を尚も攻撃をしようとしている火竜が、4度目の火球を口に生み出している。


 ヴァルトの言葉通り、魔力総量の高い個体のようだ。

 通常の飛竜は、『風』属性に適性が強く、成体となれば魔力総量も5000を超える。

 火竜もまた同じと考えられているが、1度の火球が魔力2000分に相当すると言うデータが存在している。


 これで、4度目の火球。

 ヴァルトは知らないまでも、砦の状態を見れば、それが初めてでは無い事は分かっている。


 合計8000以上の魔力総量を持っていると言う事実に、歯噛みをしたヴァルト。

 だが、見上げてばかりではいられない。


「一斉射、開始!」


 ヴァルトの号令の下、魔法を控えていた騎士団が一斉に『水』魔法を発射。

 先程の時同様に夜空を裂く青い軌跡。

 だが、火球に吸い込まれるようにして即座に蒸発しては消えていく。


 焼け石に水、と思われたが。

 しかし、火球の勢いは確かに、落ちた。


 その証拠に、『盾』に衝突した瞬間に、その火球は弾けたからだ。

 衝撃は起きた。

 しかし、先ほどの地震のような縦揺れは無かった。


 『盾』の周りだけに甚大な被害を齎したが、先ほどのような被害は起きてはいない。


 このまま、魔力が続く限りに凌ぐ。

 そうすれば、おそらく火竜も魔力が尽きて、自力で飛べる内に消える筈である。


 と、希望的観測とは思いつつも、予想していたヴァルトの目の前で、その異変は起きた。


『ギャォオオオオオオオオオオ!』


 けたたましい雄叫びを上げた火竜が、頭を下げた。

 それと同時に、雄大に火の粉を散らしながらも羽搏いていた翼を、畳んだ(・・・)のである。


「………おいおい、まさか、突っ込んで来るつもりかよッ…!!」


 そう言葉にした瞬間、その予想は現実となった。


 頭から急降下して来た火竜が、真っ直ぐに砦に向かって来ていたのである。

 その光景に、恐慌を来したのは砦の騎士達だった。


 しかし、ヴァルトはその場で歯噛みをする間も無く、


「『土』属性、『壁』を展開!!

 『風』属性は、ありったけぶち込んで火竜の勢いを殺せ!!」


 再度、響き渡った号令。

 反応出来た騎士達は、ごく僅かだった。


 それでも、砦を覆う様に出来上がった『壁』。

 薄っぺらいまでも、間に合った。

 『風』属性の魔法も、下位中位問わず、火竜へと向かっていく。


 だが、やはり火竜に張られているであろう『盾』が、魔法を弾いてしまう。

 『壁』はあるが、勢いを殺す事は難しかったようだ。


「衝撃に備えろ!」 


 そうヴァルトが、怒鳴った途端。


ーーーーーーゴゥンッ!!


 もう何度目かも分からない轟音が響き渡る。


 『壁』に激突した火竜。

 土で出来た薄っぺらいそれは、まるで玩具の積み木崩しのように崩れた。

 破片や砂埃が飛び散る中、眼前に迫った火竜の威に押されて誰もがその場で最悪な最期を悟った。


 だが、幸運な事が一つ。


 『盾』にぶつかったのだ。


 そして、火竜もまた『盾』を張っていた。

 『盾』同士が魔法と言う事もあり、ここで力が拮抗したのである。


 『盾』は魔法は防ぐが、物理攻撃は通してしまう。

 だが、今回は予期せず、敵の守りが彼等の命を繋いだ形となった訳である。


 イケる。

 ヴァルトは、そう思った。


 砂埃に晒され、土くれが当たった各所が痛む。

 それでも、退けない。

 退くわけにはいかないのだ。


 退けば、この場にいる全員が、火竜に焼き殺されるか食い殺されるからだ。


 だが、今の火竜ならば、押し留まらせる事が出来る。


 火竜が『聖』属性を使う等聞いた事も無い。

 しかし、『盾』と『盾』がぶつかっている今ならば、火竜は動けないだろう。

 その証拠に、無理矢理押し切ろうと躍起になっている火竜が、砦の櫓を壊しながらも後ろ脚を踏ん張っているのだから。


 そこで、ヴァルトが腰から抜いた、武器。

 筒状の武器は、騎士団も生徒達も、一度は見た事があるものだった。


 『隠密ハイデン』と言う名を関する、『闇』属性専用の火縄銃。

 彼自身が持つその『隠密ハイデン』が、火竜に対して有効である事を告げていた。


 なにせ、彼が持っている『隠密ハイデン』には、念の為に組み込んでおいた隠し玉(・・・)があるのだから。


「鉛食らって、我慢しな!」


 ヴァルトが、引き金を引いた。

 『風』属性の魔法陣が発動し、威力を上限まで引き上げる。


 そして、射出された弾丸は、『闇』属性の持つ具現化によるものではない。

 本物の鋼の弾丸(・・・・・・・)だ。


 ドン!と腹に響く銃声と、キュイン!と空気を叩く射出音。

 それ等が響いた直後、火竜が悲鳴を上げながらも仰け反った。


『グギャォオオオオオオオオオオ!!』


 着弾した弾丸は、火竜の眉間に穴を開け、ドプッ、と生々しい音を立てて血を噴き出した。

 しかし、浅い。

 おそらく、表皮で止まっているのだろう。

 出血が少ないのがその証拠だ。


「………チッ、鱗が固すぎるか…ッ、」


 ヴァルトが歯噛みをしながらも、次弾を火縄銃へと装填する。

 しかし、その直後、


「馬鹿、伏せろッ…!!」

「ハル…ッ!?」


 そんなヴァルト目掛けて、飛びかかったのはハル。

 踏鞴を踏みつつも、そのまま背後へと倒れたヴァルトだったが、


ーーーードンッ!!


 耳を疑う爆音が、彼の耳朶を打った。


 信じられたないとばかりに、目を瞠る。

 そんなヴァルトに覆い被さったハルの背中に、火竜の眉間に上がったような血飛沫が上がった。


「…は、ハル……ッ!」

「………ゆ、油断すんな、馬鹿ヴァルト……ッ!

 ………火竜の背中に何か乗ってる(・・・・・・)…!」


 その言葉と共に、ハルは力を抜いた。

 ずしり、と重くなった彼の体は弛緩している。


 ヴァルトが、背筋を怖気立たせた。

 かろうじて、息はある。

 だが、何故、このような形になってしまったのか。


 視線を火竜へと向けたヴァルトには、すぐに分かった。


 統率も何もあったものではない、砦の騎士達の魔法の攻撃。

 その色とりどりとも言える幻想的な光景の先で、火竜の背中から黒光りする何かが覗いていた。


 筒状の武器を構えたフードの男が、ヴァルト達に向けて銃口を向けていた。

 火竜が暴れるのに、まるでお構いなしな仕草。


 狙撃されたのだ。

 そう思った時には、言いようの無い悪寒がヴァルトの背筋を這い上った。


 元々、この火縄銃は、持ち込みから始まって、彼の手元に研究材料として回って来る事となった。

 その持ち込みを受けたのも、彼自身だった。


 しかし、その持ち込みをした人物は、全てとは言っていなかった。


 一度は、その狙撃を受けている。

 それは、彼に火縄銃の研究を任せた、銀次が身をもって。


 そして、今の銃声は、彼が研究開発をする前の、現存の火縄銃の銃声だった。


 ………いる。

 火竜の背中に、例の火縄銃を持ち込んだ男が、いる。


 ハルは、自分を庇って火縄銃の弾丸を受けた。

 それが、何よりの証拠だ。


 あの男が、いる。

 今この時にも、ヴァルトへと銃口を向けて。


 元祖、『タネガシマ』。

 自分の開発した『隠密ハイデン』の原型となった、火縄銃の銃口を、今も自分に向けている。


 逃がしはしないと、そう言っているように。


 しかし、そう思った矢先の事。


「………なんだよ、お楽しみの途中だったっつうのに…!!」


 咆哮を上げたのは、今しがたハルが相手どっていた獣人の獣。

 ハルに手痛くやられたのか、切り傷だらけとなった男は、それでもまだ二本の足で立ち、健在である。


 一方、ハルは自分の上で、意識を失ってしまっている。

 ショック症状と、銀次が言っていた筈だ。

 銃に撃たれ、内臓までを損傷すると、いかなる屈強な人間であっても、一時は意識も失ってしまう。

 そして、そのまま放置すれば、命すらも危うい。


 そう聞いた時、この火縄銃の有用性も然ることながら、危険性も十分に理解出来た。

 それが、自身に向けられている銃口の意味。


 ハルがいなくなった今、『盾』となる人間もいない。

 更に言えば、この獣人に対抗する手立ても無い。


 背筋に走った悪寒は、既に無視出来ない程の震えとして、ヴァルトの体中を支配しようとしていた。


「あ~ぁ、また、オレがやっこさんに、怒鳴られる!

 全部全部、邪魔しやがったお前等の所為だ!」


 そう言って、怒りを露に、獣人の男が四足を付いた。


 腕を前足に、脚を後ろ脚に、態勢を低く構え、犬のように唸り声を上げるその姿は、狩猟を目前に控えた獰猛な肉食獣。


 ぎしり、とヴァルトが歯を食い縛る。

 ハルを横に退け、震える手足をなんとか使って、立ち上がった。

 手には、火縄銃。

 先程装填した筈の鉛玉は、倒れた拍子にどこかへ転がったが、それでもまだこの銃は『闇』属性の弾丸を具現化し、吐き出す事ぐらいならば可能だった。


 しかし、手元には集中できないでいた。

 今も、首筋をチクチクと刺激する、殺気。


 火竜の背に乗った男が、銃口を未だに自身へと向けているのが分かっている。

 撃てば、撃たれる。

 緊張感に、吐き気すらも齎した。


 だが、獣人の男は、そんなヴァルトの緊張すらも、逆手に取っていた。


「そんな豆粒が当たるかよぉ!!」


 そう言って、四足を踏ん張って駆け出してきた獣人の男。

 その動きは、恐ろしく早い。

 ハルだったからこそ、あれだけの手傷を付けられたのだ。

 銀次や間宮の圧倒的なスピードに慣れているローガンだったからこそ、あの動きに目が付いていけたのだ。

 榊原の一撃だって、完全なる不意打ちからのビギナーズラック。


 今目の前にいる獣人の男には、もはや通用しない。


 引き金を引く指が引き攣った。

 しまった、と思うよりも先、『タネガシマ』の爆音とはまた違う、『隠密ハイデン』の銃声が響いた。

 『闇』の発現はしたが、中途半端。

 射出速度を上げる為の『風』属性の発動も、曖昧なものでしかない。


 獣人の男には、それすらも見えたのか。

 宣言通り、豆粒と言った闇の弾丸を、サイドステップで躱してしまう。


 躱されてしまった。


 ヴァルトの眼の先で、獣人の男が地面を蹴った。

 飛びかかり、その口にある牙やその手にある爪を突き立てようと、迫っている。


 その直後、爆音が響いた。

 『タネガシマ』の銃声と思った時、自身の体は崩れ落ちる瞬間だった。


 太腿に、圧倒的な激痛と熱が走る。

 背筋が冷える感覚とは逆に、太腿に集まった熱。

 

 足を撃たれた。

 そう感じた時には、全てがスローモーションのように、崩れ落ちようとしていた。


「ヴァルトさん…ッ!!」

「ヴァルト!」


 背後で響いた榊原や、ローガンの声。

 切羽詰まった、そのすべての声に、ヴァルトは呆気ない最期を悟った。


「(………救援も、何もあったもんじゃねぇな)」


 何も出来なかった。

 寂寥感にも似た無力感に、崩れ落ちる景色を目に焼き付けて。


「死に晒せぇ!!」


 獣人の男が振りかぶったナイフが、真っ直ぐにヴァルトへと向けられている。

 首だ。

 致命傷になる。


 そう思ったとしても、ヴァルトは全く反応出来ないままだった。


 だが、


「………簡単に、諦めないでくれ…ッ」


 唐突に聞こえたバリトン。

 酷く掠れながらも、息遣いまでしっかりと聞こえたそれは声。


 そして、その声と共に延ばされた腕が、ヴァルトの肩を掴んだ。

 騎士服の甲冑の継ぎ目をわしと掴んだそれが、一気に彼を背後へと引き倒す。


「ぐ…ッ!?」

「ヴァルトさん…ッ!!」


 引き倒されたヴァルトが、地面に背中を強かに打ち付けてくぐもった呻き声を漏らす。


「ぎゃんッ!?」


 瞬間、更に悲痛な悲鳴を伴った獣人の男の声も聞こえた。

 何が起こったのか。

 一瞬、理解の追いつかなかった彼が目線を上げた直後、銃声が轟く。


「はぁああああああッ!!」


 気鋭一閃。


 ヴァルトの前に立ちはだかるように立った、その背中。

 白銀に輝く槍を一振り、横薙ぎに払ったかと思えば、重苦しいながらも金属音が響いた。


 ヴァルトや、そんな彼に駆け寄った榊原の背後で、何かが落ちる。


 煙を上げた、鉛玉だった。

 ぱっくりと割れたそれが、2欠片、彼等の背後に落ちた。


 そして、


「………済まない、兄さん。

 救援、感謝する…ッ!」


 その背中に翻った黒髪と、その言葉、その声。


 ゲイルだった。


 鳥肌を立てたのは、ヴァルトだったか。

 それとも、その後姿に感銘を受けた、砦の騎士達だったか。


「………テメェ、寝ぼけてねぇだろうな…ッ!」


 ついつい、憎まれ口を叩いてしまった。

 恥ずかしくないと言えば、嘘になる。


 先程、自分は本当に、命すらも諦めかけたのだから。


 だが、その声を背中に受けたゲイルは、振り返りながらも苦笑を零した。

 酷く穏やかながらも、決意を秘めた強い眼光が彼を射抜く。


「………もう、油断はしない…」


 そう言って、彼は獣人の男に向き直った。


 そう言えば、あの後あの男はどうなったのか。

 と、ヴァルトも視線を向けると、これまた盛大に鼻血を噴き出した獣人の男が、砦屋上の地面をのたうち回っている。

 鼻が折れて、あらぬ方向へと向いているが確かに見えた。


 どうやら、ヴァルトを引き倒した際に、ゲイルは槍の柄を渾身の力で叩き付けたのだろう。


 そして、銃声が響いたのは、火竜の背に乗った男からの狙撃。

 しかし、ゲイルはその槍を返して、飛んできた鉛玉を真っ二つにしてみせた。


 恐るべき身体能力と言うべきか、あるいは反射神経と言うべきか。

 ヴァルトどころか、ハルにも出来ないかもしれない芸当だった。

 

 その芸当を覚えた彼は、何を隠そうローガンと同じく、銀次や間宮と常日頃から修練と称してぼこぼこにされている1人だった訳だが。


 更には、その隣に赤い髪が翻り、並ぶようにして立った。

 手には魔法陣の書かれた紙(※後に、銀次からスクロールと名付けられる魔法具)を、ご自慢のハルバートへと持ち替えた女丈夫ローガン


「………オレの獲物だ。

 後ろは任せた」

「任されたが、なるべく早めに終わらせろ。

 私とて、腕は2つしか無いのだ」


 彼女が向きあったのは、火竜だった。

 そして、その視線は火竜では無く、更にその後ろ。


 『タネガシマ』の銃口を構えているであろう、フードを被った男へと向けられている。


 背筋が粟立つ感覚を覚えたのは、何度目か。

 出血で意識が朦朧とする中でも、ヴァルトはその2人の後ろ姿を鮮明に脳裏に焼き付けた。


 ゲイルは獣人に対処し、ローガンはフードを被った男からの狙撃に対処する。

 臆することなく、恐怖に屈する事無く。

 彼等は、その先を見据え、己がするべきことを見極めている。


 出来るか出来ないか、ではなかった。

 やるか、やらないか。


 先程とはまた違う背筋への悪寒に、ヴァルトは鳥肌が止まらなかった。


 それは、気付いていないながらも彼の太腿の出血を見つけて、傷口を抑えていた榊原も同じこと。


「………ヤバい………、格好いい」

「………おう、悔しいが、鳥肌が立ったぜ」

 

 そう呟いてから、潔く認識した2人。

 そんな2人の先で、ゲイルもローガンもそれぞれ、動き出そうとしていた。


 合図は、唐突に。

 爆音とも言える、銃声から始まる。


「せぇえぁああああああッ!!」

「ふっ…!!」


 ゲイルが駆け出した。

 その背に、追随するかのようにして、銃弾が迫る。


 しかし、それはローガンが振るったハルバートに弾かれて砦から明後日の方向へと弾かれて消えた。


 言葉の通り、ゲイルはローガンに背後の全てを任せていた。

 振り返りもしない、その潔い強靭な精神力は凄まじい。


 銃口を構えていた筈の男すらも、眼を瞠り、ついでに口元をにやりと歪めた。

 それが、ローガンには見えずとも分かった。


 しかし、彼女もまた口元をにやりと、吊り上げたと同時に、


「アイツの背中を任されたからには、通すわけにはいかん!」


 切先を掲げて、フードの男へと向ける。

 挑発とも取れる行為。

 実際には、まさにそれだった。


 これまた、後背に控えていたヴァルトや騎士団が鳥肌が止まらなくなったのを尻目に、


「はぁああああああ!!」

「このッ、死にぞこないがぁあああ!!」


 獣人の男と、ゲイルが衝突した。

 態勢を立て直した男が、言葉だけは威勢の良い様子で向かい打つ。


 獣人の男は、何とか短剣でゲイルの槍をいなした。


 しかし、そのいなされ方は、中途半端。


 銀次どころか間宮にまで、もっと精巧ないなされ方をされてカウンターを受けまくっていたゲイルからしてみれば子どもの児戯とも同義。

 この程度かと落胆すら禁じ得ない。


「甘いッ!!」

「ぐッ、ギャッ!!」


 そのいなされた先で、槍を返したゲイルに強かに肩を強打される。

 更には、槍を振るった後の見え見えの隙すら突く事は出来ないまま、彼の回し蹴りによって吹き飛ばされた。


 再三激突した壁が、大きく凹んだ。

 外側から見れば、積み上げられた石が大きくずれて、放射状に迫り出している事だろう。


 先程、榊原やローガンから受けた威力とは、まさに別格のそれ。

 獣人の男は、今度こそ態勢を整える事すら出来ずに、地面に落ちた。


 強打された肩は、折れたか外れたか。

 動かない様子を見て、男が顔中を血だらけにしつつも、低い唸り声を上げて歯噛みをした。


「………テメェ…ッ!」

「先ほどのお返しだ。

 この程度では、まだ足りんぐらいだがな、」


 そう言って、少しだけ乱れた息を吐いたゲイル。

 見れば、脇腹の傷には、真新しい鮮血が滲んでいる。


 完治には、至らなかった。

 ローガンだけの魔力では、やはり足りなかったようだ。


 それでも、彼女は逆にその足りない魔力で補えるだけを治療した。

 それが、彼の脇の下から中に、内臓まで到達する程の深さの傷だ。


 表面上は、薄くなった程度。

 しかし、内臓や筋肉、それに付随した身体組織は全てが完治している。


 呼吸不全で動かなかった彼が、こうして立ち上がれたのはそのローガンの機転によるものだった。

 だが、それでも十分だ、とゲイルは思う。


 油断さえしなければ、この獣人の男には遅れは取らない。

 それは、彼自身が今まで培ってきた経験と、自負によって揺るぎない自信ともなっている。


 背後で、また銃声が轟いた。

 それと共に、金属音を交えた重低音が響く。


 風を切る音も、幾つか聞こえた。


「………お前は、オレが始末する。

 よくも、オレ達を騙し遂せて、銀次をかどわかす手助けをしてくれたな…ッ!」

「騙される方が、悪いんだ、ろうが…ッ!!」


 獣人の男が、三度四足の構えとなった。

 勢いだけで言えば、間宮ともそう変わらないだろう速度で、ゲイルへと駆け抜けて来る。


 更には、


『ガァアアアアアアアアア!!』


 体内魔力を集中した、渾身の『咆哮』。

 耳に走った痛みと揺れる三半規管に、ぐらりと眩暈を起こすが、それも彼はしっかりと足を踏み締めて耐えた。


 背後で、生徒の1人が呻き声を上げ、更には砦の数人が倒れ伏す音も聞こえた。

 それでも、


「………それが、どうしたぁあああ!!」


 ゲイルは倒れる事も無く、獣人の男を迎え撃った。

 獣人の男の眼が、見開かれた。


 まるで、信じられないものでも見たかのように。


 しかし、ゲイルはその獣人の男の短剣を腕に受けつつも、


「もっと凄まじい『咆哮』ならば、何度も聞いてきた!」


 白銀の槍を振り上げ、唖然とした男へと振り下ろした。

 狙いは、その腕。


 そして、逃げようと男の短剣が抜けた瞬間には、負傷した腕を翻して男の腕を掴んですらいた。

 これもまた、強靭な精神と、彼が培ってきた経験からなせる業。


 銀次が、この手法を得意としていた。

 ナイフで受け止めたその腕を翻すようにして掴み、そのまま膂力を用いて蹴り技なり投げ技へと移行する。

 間近どころか、常に受け続けていた彼にとって、この程度は容易い。


 そして、彼が今まで聞いてきた中で一番の『咆哮』はと言えば、何を隠そう冒険者ギルド最強の男ジャクソン・グレニュー

 ジャッキーのもの以外は、それこそ獣の慟哭程度。

 聞き慣れたとも言えるその『咆哮』には、明らかに劣る獣人の男の『咆哮』。


 その程度で、彼が倒れる等、有り得ない。


 そこで、遂にその均衡に、終止符。


「せぇぁあああああッ!!」

「………ッ、へ…ッ!?」


 ゲイルの手に、骨が砕ける程にがっしりと掴まれた男の腕が、槍によって半ばから切り落とされた。

 男の間抜けな声と共に、男が自身の脚に込めていた力で、後方へと勝手に離れていく。


 ゲイルの手元に残る、男の腕。

 その断面から、切れた筋組織やら骨が覗いている。


 男がその眼で、自身の腕の断面を眺め、数秒。

 脳が理解をしたと同時に、男の残った腕の断面から血潮が噴き出した。


「ひぎゃあぁあぁああ゛ぁあああ゛あぁぁあーーーーーーーッ!!?」


 耳障りであり、はた迷惑な大音声の悲鳴が響く。

 切り落とされた腕は、彼の利き手であろう右腕だった。


 そして、残る左腕は、先ほどのゲイルの柄による一撃で、折れたか外れたかでぶら下がったまま。

 獣人の男は、自身の腕から噴き出す血を抑える事も出来ず、いっそ滑稽な程に暴れながら地面をのたうち回った。


 勝敗が決した。

 それと同義な結果を齎したゲイルが、大仰な息を吐いたと同時。


「済まない、これを燃やしておいてくれ!」


 まるでお使いでも頼むかのような口調で、放り捨てた男の腕。

 ゲイルの血と男の血に塗れたそれが、後方で待機し、ゲイルの激戦を熱にうなされるように見つめていた騎士団の目の前へと落ちる。

 間抜けな声がまたしても聞こえ、その後男達のむさくるしい絶叫が響く。


 とはいえ、そこは騎士団。

 慣れた動作で、獣人の腕を焼いた。


 これで、治癒での切断された腕の再生は見込めない。

 上級よりも更に上である神級の治癒魔法を使わない限りは、失った手足は戻らないからだ。


 獣人の男は、これで無力化できる。


 それにすらもゲイルは、大仰な溜息を吐いただけ。

 当たり前の事をしただけであったからだ。

 そして、負傷した腕に、手を添えた。


「我が声に応えし、精霊達よ。

 清廉なる聖神の名と加護の下にその力の一端を、我が前に示し給え。

 『ヒーリング』」


 詠唱し、治癒魔法を使おうとした。

 わざわざ詠唱まで呟いたのは、痛みで無詠唱が出来るまでの集中が出来なかったからだ。


 そうして、使おうとした後に、痛みでガンガンと痛む頭を抑えつつもその腕を見下ろしたが、


「………ッ、な、おってない…!?」 


 その腕の負傷どころか、血も止まらない腕があるだけだった。


 ゲイルだけでは無く、背後の騎士団でも息を呑む声が聞こえた。


 治療が出来ていない。

 むしろ、魔法が行使出来ていない。


 驚きに、眼を瞠った瞬間、


「ゲイル、呆けていないで、『障壁』を張ってくれ!!」


 未だに狙撃を受け、その銃弾を弾き続けているローガンからの叱責の声に我に返る。

 彼女の言う通り、今は呆けている場合ではない。

 それは、彼も分かっていた。


 だが、意味が分からない。

 詠唱までしたと言うのに、傷が塞がっていない。

 ましてや、血も止まらず、魔法が発現出来た痕跡も見当たらない。


「チッ、………こんな時に、失敗するなど…ッ!」


 最初、ゲイルはそう思った。

 しかし、やるべき事があると思い至り、傷の治療を後回しに。


 そして、当初と同じく、手を空中に掲げる。

 血が腕を伝い落ちる感覚に、薄気味悪い予感を感じつつも。


「我が声に応えし精霊達よ。

 清廉なる聖神の名と加護の下、何者も通さぬ堅牢なる壁と、その力の一端を我が前に示し給え。

 『聖なる障壁(ホーリー・ウォール)』!」


 魔力を引き絞る。

 今回は失敗出来ないと、肩に力が入っているのは分かっていた。


 しかし、守護型ディフェンスの魔法は、魔力調整はほとんど必要ない。

 イメージさえ間違えなければ、発現出来る。


 そう考えていたゲイルの目前で、その異変は起きた。


「………えっ…!?」

「ば、馬鹿、何をしている!?」  


 爆音の銃声が轟く。

 なまじ、『障壁』が完成したと気を抜いていた事もあってか、反応が遅れた。


 ローガンが目の前で、銃弾を弾く。

 しかし、その赤熱した鉛玉の欠片が、ゲイルの頬を掠めて行った。


 何者も何物も通さぬ、堅牢なる壁。

 それが『聖なる障壁』だったのに、今しがたの狙撃は、確実に彼等の懐まで迫っていた。


 その事実に、やっとゲイルが気付いた時、


「………魔法が、使えない…ッ!?」


 同時に気付いた、愕然とした事実。


 魔法が使えなくなっている。

 内包された魔力はある。

 今まで『盾』で使った分を差し引いても、後1・2回ぐらいならば『障壁』を張る事が出来るだけの魔力が残っている。


 それにも関わらず、魔法は発現しなかった。

 魔法が使えない。

 

 ぞっと、背筋を粟立たせたゲイルが、ふらりとよろけた。

 その直後、


「アハハハハッ、ざまぁねぇな、騎士団長!!

 ギャハハハハハハハハハハハハハハハ!!」


 背後で、獣人の男が醜悪なまでの、笑い声を上げた。


「使えねぇよな!使えねぇ筈だよ!!

 短剣には、毒がたっぷり塗ってある!!

 普通の人間には害が無い毒でも、魔法を扱う人間からしてみりゃ、悪夢みてぇな毒がなぁッ!!」

「………なッ…んだと…!?」


 驚愕に、ゲイルが視線を下げる。

 腕の傷は塞がっていない。

 脇の下に受けた傷も、小さくはなっているが血が止まっていない。


 治癒魔法が失敗した。

 ある程度の必要量の魔力を込めれば発現する筈の『障壁』すらも失敗した。


 そして、獣人の男の言葉に、やっと理解が追い付く。

 失敗したのではない。

 そもそも、使えなくなっていたのだ、と。


「………『ヘレジーの呪い』か!!」


 脳裏に閃いた、その毒。

 そして、その毒の名称と効力までもを、思い出した。


 『ヘレジーの呪い』とは、この世界で当たり前のように流通している毒の一種。


 とは言っても、元は『ヘレジー』と言う名前の薬草。

 野草としてであれば、荒野でも無い限りはそこら辺にも群生している。

 食用としても害は無い為、野菜が足りない貧困層がサラダ等で食べている事も多い。

 一見すると害の無いただの野草だ。


 しかし、これを魔術師や、魔法を扱う人間が口にすると途端に害悪を及ぼす。

 『ヘレジー』には、魔力の外への流れを完全に遮断してしまう効果が含まれているからだ。

 詳しい効能や作用は、解明されてはいない。

 だが、体内で魔力の流れを狂わせ外に向かわせない、つまり『魔法』を『使えなく』してしまう恐ろしい薬効がある。


 『ヘレジー』を煎じ、乾燥させた毒として『ヘレジーの呪い』は裏社会で流通している。

 なまじ、簡単に手に入ってしまう為、騎士団でも魔術師師団でも恐れられていた毒だった。


 獣人の男の持っていた短剣に、その毒が塗られていた。

 服用、塗布、または吸引でも効果を発揮してしまうこの毒に、ゲイルは最初の1撃を受けた段階で、既に侵されていたと言う事だ。


 愕然としたゲイルに、更に追い打ちをかける男の声。


「ご名答だ!その通りだよ、馬鹿野郎が!

 ざまぁみろ、クソ騎士団長!!

 魔法が使えなくなったテメェなんて、火竜の前じゃ木偶の棒だ!!

 ギャハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」


 肯定し、更に笑い声を上げた獣人の男。

 ふらふらとその場で立ち上がると、着ていた騎士服の一部を破き、器用にも口で腕に巻き付けると、そのまま駆け出した。


 眼前で咢を開いた、火竜の下へ。

 跳躍。

 そして、火竜の背中に飛び乗って、獣人の男は見えなくなった。


 解毒剤を持っていたかもしれない。

 しかし、追いかける事は叶わない。


 その獣人の男が飛び乗ってしまった火竜は、既に何度目かも分からない火球を喉奥から絞り出そうとしていた。


「不味い………ッ、『盾』を構えろ!」


 ローガンが声を張り上げた。


 最初の1撃目のように、彼女が相殺をすることはもう出来ない。

 籠手に込められていた魔力は、先ほどのもので全て撃ち切ってしまったからだ。


 しかし、


「も、もう、無理…ッ、これ以上は………ッ、」

「………やってるわ、よぉ…ッ!!」

「も、もう魔力が…!」

「………ッ!!」


 そう言って振り返った先にいた、生徒達もまたギリギリの状態だった。

 伊野田等、既に顔から血の気すらも引いている。

 明らかに魔力枯渇を引き起こしていると言うのに、それでも毅然と手を掲げていた。


 後ろに続くシャル達とて、既に限界が近い。

 残りの魔力は少なく、余力も無い。

 そして、屋上に上がって来た騎士達とて、既に手を繋いでいると言うのに、それでも『盾』への魔力供給が足りない。


 未だに、火竜の周りに展開された『盾』と、伊野田や生徒達が張った『盾』はぶつかり合っている。

 ギシギシと軋むような、『盾』の悲鳴すらも聞こえていた。

 その余波で、魔力が消費され続けているのだ。

 その状態では、展開を強化するどころか、維持をするのすら難しい。


 そして、ローガンも既に魔力は無い。

 先程、ゲイルの治療の為に、魔法陣を起動してしまった。


 当のゲイルも、『ヘレジーの呪い』の効果で魔法が使えない。

 フラフラと、その場で呆然と火竜を眺めているだけだ。


 勿論、背後にいた騎士団も、『聖』属性がいないばかりか、これまた魔力枯渇に陥っている。

 先程の火竜の体当たりを受け止める為に、魔力を消費した結果だ。


 万策尽きた。

 生徒達の表情にも、ゲイル達の表情にも絶望が滲む。


 灼熱の火球が今まさに、火竜の口から吐き出されようとしている。


 まさに、その瞬間だった。


「ゴメン、皆…ッ!」


 生徒の1人が、突如その手を離した。

 否、繋いでいた手を、背後にいた弟に託して、輪の中から抜け出したのだ。


「兄チャん…ッ!?」


 抜け出して、走り出したのは河南だった。

 河南は、そのまま真っ直ぐと駆け抜けると、その火竜の咢の、その真下へと滑り込む。


 その場にいた誰もが息を呑んだ。

 一体、何をするつもりか、と。


 火竜の背中の狙撃手は、火竜の影になった河南に対し舌打ちを一つ。

 真下に滑り込まれ、狙撃が出来ないのだ。


 そして、その直後、火竜が灼熱を吐き出した。

 ゼロ距離。


 そして、今にも崩れ落ちそうな『盾』。

 受け止めるのには、明らかに無謀と思われるそれが、吐き出された。


 だが、


「崩れろ…ッ!!」


 直後、河南の叫び声と共に、屋上の地面が消えた。



***



 地面が、突然消えた。

 誰もが、そう思った。


 だが、違う。

 落ちたのだ。


 河南が、『土』で操作をして、屋上の地面を形作っていた石畳を全て砂に変えてしまったのである。


 今まで地面だったものが、砂になった。

 どうなるのか等、考えなくとも分かるだろう。


 砂が落ちるのと合わせて、生徒達も雪崩に巻き込まれたかのように階下へと落ちた。

 言うなれば、蟻地獄だ。

 巻き込まれた生徒達は、たちまち体制を崩して砂の中に飲み込まれかけた。

 実際には、砂の上に落ちたと言う形になった訳だが。


 砂がクッションになり、大怪我をすることは無いだろう。


 しかも、真下のエリアは、展望フロアだった。

 真下の部屋のほとんど全てが、使われていない展望フロアである。


 その事を知っていたのは、生徒達の中でも一握り。

 何を隠そう、徳川が探索と称して、砦中を歩き回ったからだ。

 それに付き合わされたのは何も騎士達だけでは無く、探しに向かわされた生徒達の一部も同じこと。

 そして、その話は、生徒達の話題にも上ったことがあった。


 そのおかげもあって、真下のフロアの存在を知っていた彼は、躊躇なく屋上の地面を崩した。


 そうして、何とか火竜の火球を、『盾』にぶつける事も、ましてや生徒達に直撃させることも無くやり過ごして見せたのである。


 ただし、ゴメンと呟いた通り、これは少々乱暴過ぎた。


 ついでに、魔力の精度があの一瞬では足りず、石畳の幾つかはそのままの形で残ってしまっている。

 縁や物見台、尖閣は調整して後方に崩れる様に仕向けたとしても、流石にあの一瞬で全てを砂に変える事は出来なかったのが悔やまれる。


 砂と一緒に崩れ落ちたそれ等が、生徒達にも騎士達にも容赦なく迫った。


「どわぁああ、危ない!

 河南、マジ危ない!!」

「乱暴な方法だなぁ…ッ!」

「おい、砂に埋もれてる奴いねぇか!?」

「ひぇええ、河南ってば、怒るとこんな事しちゃうわけ…!?」

「ゴメンって、言ったじゃないか!

 全員揃って、火達磨になるよか、何倍もマシだろう!?」

「キヒヒヒヒヒッ、兄ちゃンこそ、不謹慎だネ!」

「不謹慎具合は、紀乃には言われたくないよ!!」


 等と言い合いをしながらも、全員が無事である事を確認した。

 文句を言っている生徒が半々で、呆れている生徒が半々である。


「うぇえ、砂が口の中に入った…!」

「も、もうちょっと、先に言っておいてちょうだい…ッ!!」


 女子組なんぞ、もろに頭から砂の上に落ちた所為か、全員が砂塗れとなってしまっている。

 汗を掻いていた事もあって、ほとんどが煤けてしまっているようにも見えてしまっていた。


 だが、河南の言う通りだ。

 大火傷をするよりも、多少はマシ。

 それでも、犠牲者が出なかった事が、幸いだと思っての事だ。


 そして、更に幸いな事は、もう一つ。

 砦の地面が崩れた事で、火竜が足場にしていた屋上の縁や、物見台までもが崩れ落ちた。


 これには、流石の火竜もバランスを崩し、顎をぶつける様にして、階下へと落ちて行ったのである。


 まるで落とし穴に落ちたお笑い芸人のようだった。

 とは、しっかりと最前列で見ていた河南の余談だ。


 背中に乗っていたであろう、獣人の男の悲鳴が聞こえた。

 少女の悲鳴も混じっていたが、アイツ等の仲間であるならば敵だろう。


 その間抜けな光景に、砂の上に座り込んだ一部の面々が口元を歪めるようにして笑った。

 ざまぁみろ、と。


「………まぁ、なんにせよ、助かったぞ、カナン。

 火竜が戻ってくる前に、この状況を打破する作戦を考えなければな…」


 翼があるからには飛んで戻って来るだろうが、戻って来るまでの間に態勢を整える時間は作れる。


 何が出来るかは、不透明ながら。

 それでも、この万策尽きた状況を切り抜けられたのは、僥倖な事。


 そう考えて、即座に号令をかけたゲイル。


「魔力総量が残っている者は、火竜が戻って来た瞬間に総攻撃。

 兄さん、使える『隠密ハイデン』はその1丁だけだろうか?」

「………オレの分と、『予言の騎士(やさおとこ)』に渡した分が、全部で4丁。

 ついでに、あの別嬪の姉さんが預かっているとかで1丁だったか………」

「全部合わせて6丁だな。

 よし、フォトン部隊は銀次の部屋とラピス殿の部屋を捜索し、『隠密ハイデン』を大至急、この場に揃えてくれ!」

「砦の騎士で、治癒術師はいるか!?

 先に怪我人を後方に下げて、治療をさせてやりてぇ!」


 ウィンチェスター兄弟が揃って司令塔となり、騎士達の仕事を割り振っていく。

 ジリ貧になるとは分かっている。

 だが、何もしないで、蹂躙されるよりは何かをした方がマシと考えた者も少なくは無かった。


 魔力枯渇を起こしている生徒達は、ほとんどが離脱するしかないだろう。

 『聖』属性が扱える伊野田とゲイルが使えなくなってしまった今、攻撃が最大の防御と言っても過言ではない。


 それがどこまで通用するのかは、未知数。

 抗うだけ抗ってみようと、意気込みを露にしたゲイルを筆頭にした騎士達が、慌ただしく動き出す。


 先程、撃たれて負傷したハルが、後方へと運ばれていった。

 その時、ハルのポーチを弄りながらも見送ったヴァルト。

 そんな彼が、自身の『隠密ハイデン』を肩に担ぎながらも、ゲイルへと歩み寄る。


「『ヘレジーの呪い』の解毒薬だ。

 ハルが毒を扱うから、一応アイツの荷物を探ったら、出て来た」

「………ありがたいな、流石はギンジの同僚だ」


 『アンチヘレジー』と書かれたラベルの薬瓶には、薬包がいくつか入っていた。

 何の迷いも無く飲み込んだゲイル。

 正直、喉に絡みついて飲み込むのが難しくとも、気合で飲み込んだようだ。


「…とはいえ、効果が表れるのは10分から、20分程度は掛かる」

「ああ、分かっている。

 それまで、凌がなければ、な」


 そう言って、苦し気にも笑ったゲイル。

 そんな彼の表情を見て、ヴァルトがふと問いかけた。


「………兄貴とは、上手くやれたか?」

「……ふ、問題も多かったが、それでも、………ギンジのおかげでな」

「そうかよ、なら、安心した。

 死んでも、心残りは無さそうだ」

「縁起でもないから、そんな事を言わないでくれ」


 茶化し合いながら、最後となるかもしれない言葉を掛け合った。

 兄弟の仲が、回復傾向にあって心底良かったと、ゲイルもヴァルトもお互いに同じことを思っていた。


 それを、生徒達もどこか微笑ましそうに眺めている。

 今の現状では、既に全員の生還が難しいかもしれないと、分かっていながら。


 最初の段階で、魔力を枯渇させた香神や、先程までの『盾』での消耗で意識すらも朦朧としている伊野田、『土』魔法で窮地を救った河南は既に戦力外。

 他の生徒達も、既に余力が無い。

 魔法を使えたとしても、おそらくは1・2度が限界だろう。


 そして、『ヘレジーの呪い』毒を受け、魔法が使えないゲイルもまた肉弾戦を余儀なくされている。

 ローガンも既に隠し玉も魔力も使い切ってしまった。

 騎士団も似たり寄ったりな有様だ。


 頼りの綱は、『隠密ハイデン』での遠距離での直接攻撃と、肉弾戦での死闘。

 こうした掛け合いも、これが最後。

 そう思えば、死に向かう恐怖を一時だけであっても、和ませる事が出来たのは僥倖な事。

 戦場を知らない生徒達にとっては初めての窮地。

 とはいえ、最初で最後の戦場ともなろう場所でも、家族との繋がりを大事に出来る彼等の優しい性根が、恐怖を和らげていた。


 しかし、そんな穏やかな時間も終わりを告げた。


 火竜が吠える。

 その鳴き声が、近づいて来ている。

 耳が良い紀乃だけでは無く、この場にいる全員に聞こえた遠吠え。

 すぐに、分かった。


 もう、時間は無い。

 いよいよ、生徒達や騎士達、この砦の命運をかけた最期の決戦が迫っている。


「『隠密ハイデン』はまだか!?」

「魔力残ってない奴は、死にたくなけりゃ下がっておけよ!!」

「冗談だろ!!」

「この際、素手でもやってやらぁ!!」


 ゲイルがヴァルトが、血気盛んな生徒である徳川と永曽根が怒号を飛ばす。

 彼等は、本当に素手でも飛び込んでいきそうだ。


「………火竜は無いが、飛竜なら倒した事があるからな!」

「この時ばかりは、本気で貴女が頼もしいな」

「無理すんなよ、逞しい姉さん」


 ハルバートを振るい、勇猛にも火竜を相手にしようとするローガン。

 その背中に、ゲイル達も同じく、奮い立たされた。


 そして、その時は来た。


『グギャオオォオオオオオオ!!』


 恨みつらみの篭っていそうな火竜の雄叫びが、全員の鼓膜を揺さぶった。

 耳の良い紀乃や、獣人の騎士達等その場で耳を抑えて蹲ってしまう。


 火竜は、砦の壁面を下から上に滑空しながらも現れた。

 先程の顎をぶつけた衝撃で歯が欠けたか折れたのか、口端から血を流しながらも彼等の目前に腹を晒して飛び立っていく。


 ヴァルトが、残り少ない魔力を振り絞って『隠密ハイデン』を構えた。

 『盾』では物理攻撃までは防げない。

 防げるのは、魔法攻撃だけだ。

 とはいえ、隠し玉でもある鉛玉も常備している彼には、残りの鉛玉の分だけでも攻撃手段があると考えていた。


 また、ゲイルとローガンも同じく、槍やハルバートを構えて接近戦の構えを見せている。

 『隠密ハイデン』は間に合わなかった。

 それでも、彼等はせめて一矢報いてやろうと言う気概を持って、震える脚を叱咤し、生徒達を守る様にして前に出た。


 そして、余力が無くとも素手で、武器で戦えると豪語した永曽根や徳川、榊原も前に出る。

 それぞれが、後方へと下げられ動けない生徒達を庇うような位置取りを取っている。


 火竜が旋回する。

 真っ直ぐに、火竜は砦に突っ込んで来る。


 決戦の火蓋が、今切って落とされようとしていた。


 しかし、その矢先、


「………えっ…!?」

「………なん、で…ッ!?」

「火竜が…、通り過ぎただけ…!?」


 火竜は突っ込んで来る事も無く、砦の上を旋回するだけに留めていた。

 何故か。

 そんなもの、生徒達には分からない。


 しかし、ゲイルもローガンもすぐに分かった、異変があった。


「迎撃態勢!!」

「降りて来た!奴等だ!!」


 黒い影が、その火竜の背から降りた。

 落ちたとも形容できるその落下速度に、眼を瞠るのはゲイル達どころか騎士達も一緒だった。


 まるで着地の事を考えていない。

 そもそも、火竜は砦の上空数10メートル以上は高見で、旋回を続けていると言うのに、躊躇いも無く飛び降りた。


 その事実に、ゲイル達が一瞬呆然と空を見上げていた瞬間、


「………何処見てんだ?」

「ーーーーーーなッ!?」


 その声は、彼等の耳朶を打った。


 ゲイルの真後ろ。

 そこには、既に黒いフードの男が、抜身の刀を手に立っていた。



***

遅くなりましたが、続編を投稿させていただきます。


こんかいもまた、かなりの長丁場。

そして、長引いてしまっていますが、今後の明確な敵との初遭遇と言う大切なお話ですので、作者も気合を入れて奮闘しております。


とはいえ、時間が無かったので、今回もこれまで。

次回の投稿もまた未定となっておりますが、ご了承くださいませ。


クリスマスも重なるので、それ以降になるかと。

いやはや、申し訳ない。


誤字脱字乱文等失礼致します。

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