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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、遠征編
132/179

125時間目 「緊急科目~向けられた狂気~」 ※流血・暴力・グロ表現注意

2016年12月15日初投稿。


続編を投稿させていただきます。


相変わらず、グロ表現多々の拷問の回が続いておりますが、苦手な方はゴメンナサイ。



125話目です。

※タイトル通り、流血や暴力・グロ表現を含みますので、ご注意を。

***



 鎖の耳障りな音で、目が覚める。


 どうやら、意識が落ちていたらしい。

 先程は眠りたくても痛みが邪魔をしていたが、とうとうそれも無意味になったか。


 休む事が出来るのは、睡眠のみ。

 とはいえ、それもこの状況では無理に等しいと思えるが。


 何時間が経過したのか。


 それとも、1度目の拷問の時同様に、そこまで時間が経っていないのか。

 もう、時間の感覚なんて、明後日の方向にぶっ飛んでしまっているので、把握する術も無いんだが。


 兎にも角にも、頭が痛い。

 可笑しくなってしまいそうな程に、かち割れそうだ。


 それもこれも、2度目の拷問を請け負ってくれた、フードを被った偉丈夫の所為なのだが。


 これと言って、特徴は無かった。

 例に漏れず、美形と言う事と、瞳が銀灰色にも似た水色と言う事以外は。


 その男に何をされたのかと言えば、簡潔な事だ。

 おそらく、魔法を使われたのだろう。


 情けなくも、悲鳴を上げてしまった。

 堪える事が、難しい程の拷問だった。

 それぐらい、強烈なもの。


 『雷』かあるいは『聖』属性の魔法で、体中を焼くような痛みを、常時体験させられた。

 実際、焼かれたりしたのかもしれないが、途中から胃の腑の奥から焦げ臭さすらも感じている。

 良く生きているものだ。


 こっちは、魔法が使えないと言うのに、容赦がない。

 何で使えないんだ?

 多分、いつか見た事のある魔封じとか言う魔法具が関係しているとは思うけども。


 だが、男の尋問に答える事は、無かった。

 ………無かったと思いたい。

 正直、途中途中で意識が混濁していたので、詳細が思い出せない。


 喉が張り付いて、それすらも不快だった。


「………のに、………が、……勿体ない……やがって、」

「………必要………、あの髪………我等………だ」


 周りで、何かを言っている。

 耳もイカれてしまったのか、余り良く聞こえない。


 だが、それよりも、少し気になった。


 なんか、オレから、奴等の意識が逸れている。

 しかも、どことなく葬式のような、それでいてすすり泣く声まで聞こえているのだが………。

 ………縁起でもない。


 目を開けて、極力息を潜めて、視線を巡らせる。


 先程のフードの男と、頬に傷のある男が、何かを言い合っている。

 生理的嫌悪を覚える男がいない。

 その代わり、別の魔術師らしき格好をした男が、立ち竦んで、


 泣いているのは、誰だ?

 女性の声だと思うのだが、ビルベルでは無い気がする。

 声のキーが、高い。

 ………頬に傷のある男の、弟子らしき少女ではあるまいな………。


「………分かった。

 ならば、蘇らせられれば、文句はあるまい」

「テメェは、神様かよ」

「………『等しい高み』を許された者だ」


 フードの男が歩み寄って来た。

 話をしていたのは、どうやらカタが付いたようではあるけども、何か嫌な予感がする。


 瞬間、


「………ッ、」

「………何?」


 またしても、激しい顎クイをされた。

 ………ってか、口だわ、顎じゃなくて。

 頬を両側から掴まれて、思い切り上向かされたおかげで、またしても首から異音が発する。


 それと同時に、フードの男と目が合った。


 その眼が、驚きに見開かれている。

 オレも目を見開いたが、男の眼の奥に透かし見たのは、驚愕と疑心。


 つまり、信じられないものでも見るかのような目だった。


 しかも、


「………が…ッ、ぶ…う…ッ!?」

「………しまった」


 男の不穏な声と共に、口から流れ込んで来る何か。

 正直、鼻が利かないから味覚も何も死んでいると言うのに、喉に絡みつく液体に咽る。


 男が手を放した。

 だが、オレの口の中には、意味不明な液体が居座ったまま。

 ついでに、息をしようとして更に咽返り、思わず嚥下してしまったそれ。


 何だろう。

 生暖かかった上に、粘ついていた気がする。


 行動も意味不明だが、男の表情も意味不明だ。


 なんで、そんな目をしてんの?

 信じられないとばかりに見開かれたそれに、表情も相俟って失敗をして叱責される前の会社員のようだ。

 しかも、さっきの不穏な言葉は、何?


 咳き込む事、数秒の事。

 痰が絡むわ、さっき飲んだ何かの液体の所為で、口の中が鉄臭く感じるわ。


 吐き気を感じて、思わず呻く。


「………生き返ったのか?」

「おいおい、何でアンタが驚いてんだよ」

「………私は、まだ何もしていない」

「………はっ?

 自力で息を吹き返したって言ってんのか?」


 そして、これまた不穏な言葉が並んだもんだ。


 呆然自失と言った男に向けて、頬に傷のある男が訝し気な声で問いかける。

 しかも、息を吹き返すだのなんだの。


 まるで、オレが死んでいたみたいな言い方じゃないか………。


 あれ?

 待てよ。


 さっき、痛みが邪魔して寝れなかったのに、さっきまで寝ていられたのはなんでだろう?


「………何を、飲ませた…?」

「………。」

「おいおい、マジかよ。

 さっきまで、心臓も呼吸も止まってやがっただろうが、」


 オレの言葉に、男は答えない。

 先程と同じような視線をして、無言でオレを見下ろしている。


 代わりに、頬に傷のある男が、オレの疑念に答えた。

 心臓も、呼吸も止まっていた。


 それは、すなわち、死んでいたと言う事だ。


 おいおい、オレ、マジで臨死体験までしちゃったって事かよ。

 なんつー、出鱈目な体になっていやがるのか。


 ………即死出来ないどころか、マジで死なないとか言わないだろうな。


 嫌な予感がして、思わず睨み付ける様にして視線を上げた。

 今、この男が何をしようとしたのか。


 先程の会話を思い返すなら、蘇らせるだのなんだの、それこそ荒唐無稽な事を言っていた。

 だが、何をするつもりだったのか。


「………何を、飲ませたのか、答えろってんだ…!」

「………。」


 それでも、男は無言のままだった。

 無言のまま、オレの前に手を差し出す。


 何の真似だろうか。

 しかも、その手には赤がべったりとこびり付いている。


 いや、血だ。

 血が、その手を汚している。


 その血はだくだくと、男の手首から溢れたものだった。

 おそらく、自分で付けたのだろう。

 オレは噛みついた覚えも無ければ、反撃すら出来ない拘束状態だから、そんなのよく分かっている。

 もしくは、頬に傷のある男と、言葉だけでなくやり合ったか?


 だが、そこで気付いた。


 男は無言。

 手を差し出した意味は、はっきり言えば無い。


 わざわざ、傷を見せつけるような真似をする必要が、どこにあると言うのか。

 ………いや、


「………おい、………まさか、」


 ………ある。


 これが、答えだ。

 無言であっても、その手が何よりの証拠。


 そして、オレが先ほどから、口内に感じている鉄錆の香りは、


「………血を、飲ませたのか?」

「ああ」


 今まで無言だった男が、ただ一言答えた。

 是、と。


 瞬間、オレの心臓が嫌な音を立てた。

 胃が収縮するような感覚がしたのに、吐こうとしても腹に力が入らない。

 むしろ、体に力が入らない。


 眩暈を感じ、更にはぐつぐつと腸が煮えるような感覚すらも覚えた。


 一体、何が起こっているのか。

 再三の戸惑いに、無様に


「………な、何を、なんで…ッ!!」


 半ばパニックになりながら、腹の奥底から感じる痛みに耐える。

 唇を噛み締める。

 でなければ、悲鳴を上げてのたうち回ってしまいそうな程の、熱と痛みと違和感が腹をぶち破ってしまいそうで。


 何故、血を飲ませたのか。

 何故、そんな事をする必要があったのか。

 何故、オレは先程から、嘔吐く事も出来ずに腹の奥底の痛みと格闘しなければいけないのか。


「………お前、今まで自分がどうなってたのか、分かるか?」

「……ぐッ、…う゛ぅ…ーーーーッ!」

「聞いちゃいねぇだろうが、聞いておけ。

 テメェは、心臓も呼吸も、さっきまで止まってたんだよ」


 問いかけて来たのは、頬に傷のある男。

 聞いちゃいねぇだろうが、聞いておけ?

 聞こえちゃいるが、反応できないんだよ、馬鹿野郎。


 とはいえ、やはりオレは死んでいたのか。

 一時だけとはいえ、なんてこった。


 しかも、「この兄ちゃんの所為でな」と指を指したのは、未だにオレを呆然と見下ろしている男。

 ああ、そういや、2度目の拷問相手は、この男だったなぁ。


 ふざけんな。

 ふざけんな!

 ふざけんな…ッ!!


「ふざけんじゃねぇ!

 なんで、オレがこんな目にあわされなきゃ…ッいげ…ッ!!」


 最後まで言う事も出来ず、オレの腹に頬に傷のある男が蹴りを見舞った。

 吐き気が込み上げる。

 だが、力が入らない所為で、これまた嘔吐が出来ない。


 どうせなら、情けなくとも下品であっても、吐瀉物を噴き掛けてやりたかったのに。


 オレの内心等、知る由も無く。

 男は、そのまま整然と、言葉を続けた。


「テメェが、『予言の騎士』だって事は、テメェが一番良く分かってんだろ?」


 ああ、なるほど。

 オレは『予言の騎士』と言う肩書き一つで、訳も分からず殺されなきゃいけない訳だ。


 もう一度言ってやろうか。

 ふざけるな。


 言葉には出来ない。

 叩き込まれた蹴りの所為で、咳が止まらない。


 いつの間にか、周囲の音が消えていた。

 オレの無様な息遣いと、咳だけが響く洞窟の中で、


「………なんで、生きてる?

 それに、その傷が勝手に治っちまう、便利で出鱈目な体もだ」


 男が静かに問いかける言葉に、オレは目線だけで返した。

 生理的に浮いた涙で潤んでいる滑稽な目線をしているだろう。


 尋問だろう男の言葉。

 返答をする義務も、理由も無い。


 咳が止まらない事もあって、返答も出来ないまでも。


「その髪の色も、本来は人間が持ってる訳がねぇ色なんだとよ。

 なら、何でお前は、そんな髪の色と、出鱈目な体を持ってるんだ?」

「………ッ、ぜぇ…ッ、知るか…ボケ…ッ!」


 なんとか返した言葉。

 それは、頬に傷のある男には、お気に召さなかったようだ。


 溜息を吐きつつも、男が振りかぶった腕。

 ボグッ、と重苦しい音と共に頬を殴られた。

 またしても、歯が欠けたか折れたと思う。


 口内に血が溢れ、更に咽せ返る。

 これ以上は、酸欠で意識が落ちそうなものなのに。


 だが、何故だろうか。

 腹の奥底が、熱い。

 痛みが、熱にどんどんと変わっていき、更に違和感が強くなっている。


 違和感どころの話じゃない。

 苦しかった息や、頭の痛みが引き始めている。


 眩暈が収まり始めた。

 吐き気は感じるが、腹に力が篭るようになって来る。


 可笑しい。

 なんだよ、この回復力(・・・)


 意識が落ちる寸前まで行われていた、フードを被った男からの拷問で、内臓をずたずたにされてもまだ足りない程の痛みを被っていた。

 その痛みと来たら、いっそ殺せと叫びたくなるものだ。

 一度体験したら、もう二度と忘れられないだろう痛みだった。

 癖になったりなんて、以ての外。


 おそらく、内臓が傷付いていたのは確かだったのだろう。

 全身が感電したかのようにショックを受けていたのも間違いは無い。


 それが、今、治り始めている。

 実験をしたことは無かったが、内臓の治癒が始まるタイミングだったのか。

 それとも、別の要因で(・・・・・)治癒が始まったのか。


 今となっては、もう分からない。


 咳が止まった。

 利かなかった鼻も元通りで、息をする度に鉄臭い。

 口内が切れたのは分かるが、胃の腑から上がって来る血臭が分かる。

 また更に吐き気を齎した。


 だが、


「………血を飲ませたのは、何でだ?」

「………。」

「………蘇らせるとか、なんとか、………意味不明な事も言ってやがったのは、何だったんだよ?」

「………。」


 男は、オレの質疑には答えない。

 でも、それが答えだ。

 無言は肯定。


 オレにとっては、もうそれだけで分かってしまった。


 コイツ、『天龍族』だ。


 銀の髪が人間には出ないとか、治癒能力の有無とか知っているのが良い証拠。

 だから、拷問を引き継いだ。

 意味不明な行動ではあったが、これで繋がった。


 しかも、それを頬に傷のある男達には、明かしていないと見えた。

 だから、黙り込んでいる。

 種族を明かすわけには、行かないからだ。


「………答えろ、テメェ!

 今すぐ、この場で、全員の耳に届くように、その理由を言ってみろ!」

「………。」


 恫喝声で、男に詰め寄る。

 実際は詰め寄る事も出来ず、ただ喚いているだけだとしても。


 だが、男にとっては、これだけで事足りた。

 一歩後退し、そのまま踵を返す。


「………今度はどうするつもりだってんだよ?」

「………蘇ったのなら、もう良いだろう。

 興が冷めた」


 そう言って、男が岩場を越えて、通路に消えて行った。

 しばらくかつかつと男の足音が聞こえていたが、それも消える。


 帰ったのだろう。

 おそらく、オレが気付いた事に気付いた。

 分が悪いと悟ったようだ。


 オレを消さなかったのは、きっとオレが口を割る事は無いと思ってか。


 その通りだとも。

 オレも半分はあの男達と同じ血が流れているなんてこと、口が裂けても言いたくない。

 ましてや、ここにいる敵の前では、特に。


「………何だったんだよ、一体」

「気まぐれ過ぎるのが、あの男ですからね」

「………。」


 男が消えた方向を睥睨する、頬に傷のある男と、その弟子であろう少女。

 ただ1人、オレを見つめたままの魔術師の男。


 微妙な雰囲気を残して消えた男のおかげで、洞窟までもが微妙な雰囲気となっていた。


 ふとそこで、魔術師の男とは別の方向から視線を感じた。

 目を上げる。


 ビルベルがいた。

 しかし、ビルベルは顔を伏せて、頭を抱えているようだ。

 肩が震えていた。


 彼女からの視線では無かった?


 そう思って、もう少しだけ意識を向けた先で、


「………ッ!」


 小さな息を呑む音。

 そこにいたのは、これまた足を抱えた少女だった。


 黒のフードを被り、口元しか伺い見えない。

 フードから覗く髪の色までも、黒。


 この子も確か、スコープ越しに見た少女では無かっただろうか。

 弟子であろう少女に、顎で使われていた子だった筈だ。


 どうやら、先ほどの視線は、この少女からのものだったらしい。


 そんな少女は、オレと目が合う瞬間に目を伏せた。

 ただ、その頬には、隠し切れない涙の痕が残っている。

 泣いていたのは、この子か。

 先程聞こえていたすすり泣きの音は、この少女だった様子。


 見れば見る程、痩せぎすで哀れに見える少女だ。

 サイズの合わない外套を着せられているのか、だぶだぶに見えてそれが余計に貧相に見せている。

 裾から覗いた足も、かなり細っこい。


 だが、履いている靴下と靴で、彼女が召喚者である事ははっきりした。


 この世界では、靴下を履く習慣を持っているのは貴族だけだ。

 だが、貴族では無いと言い切れるのは、彼女が『異世界クラス』の生徒達のようにローファーを履いていたからだ。


 見た目からして、ボロボロの彼女。

 おそらく、彼等に同行しているのは、それ以外の寄る辺が無いからだろう。

 薄汚れた格好からしても、それが良く分かってしまう。

 ………こんな状況で無ければ、保護をするところだと言うのに。


「………女に色目を使う暇があるとはなぁ」

「おぐ…ッ!?」


 なんてことを考えている場合では無かった。


 言葉と共に、頬に叩き付けられた刀の鞘。

 首が捻じれて、脳内に異音が響いた。

 人から強奪したもので、何をしてくれているのか。


 殴ったのは、勿論頬に傷のある男。


 首が痛くて持ち上がらなかったが、睨み付ける様に視線を上げる。

 だが、


「………まだ、そんな眼が出来るとはねぇ」


 そう言って、嗤った男。


 もう一度、鞘が叩き付けられる。

 今度は顔面に直接、突き立てる様にして。


 何度目かも分からない鼻血が噴き出す。

 ぶつけた後頭部から、また血が伝って落ちた。


「………洗いざらい吐けば、放っておいてやるってのによぉ」

「………信用出来る要素が無いんでね」


 馬鹿野郎、何を話せってんだ。


 オレが助かる保証なんて、一切ない。

 そして、話せば、生徒達の身にも危険が及ぶのなんか、分かり切っている。


 何がと言えば、オレのこの出鱈目とも言える治癒能力だが。


 髪の色なんて、もうどうしようもない。

 実際、オレが生死の狭間を彷徨っていたいた時には、既にこの状態だったのだから、予想ぐらいしか出来ないと言うのもある。

 ………本当に、どうしたらこんな色素変異が起きるのか。

 遺伝子配列にマジで、喧嘩売ってるレベルだ。


 閑話休題。

 そんなことを言っている場合でも無い。


 とはいえ、この治癒能力の事は、内外共に知らせるべき事では無いだろう。


 『天龍族』の血を浴びて、適合をした。

 簡潔な事であり、伏せなければいけない秘め事。


 コイツ等は、間違う事なき敵だ。

 オレにとっても、おそらく生徒達にとっても。

 もしかしたら、世界の敵かもしれない。


 そんな相手に漏らせば、ただでさえ『天龍族』の居城に行く前から神経をすり減らしているのに、全部パァだ。

 コイツ等は、嬉々として『天龍族』にリークするだろう。


 オレが同族を殺し、その血を浴びて人間の範疇から逸脱した『異端の堕龍』だと。


 そうなれば、オレが中心となった戦争が起こる。

 『人魔戦争』の再来だ。

 それだけは、避けなければいけない。


 口を割る訳には行かない。

 幸いにして、先ほどまで負っていたであろう、傷は治癒している。

 なら、まだ耐えられる。


 オレが口を割れば、オレだけのみならず、生徒達やラピス達にも被害が及ぶ。

 ゲイル達、最悪ダドルアード王国にも影響を与えかねない。


 なんとでも、死守する。

 この秘密は、墓場まで持っていくと、決めたのだから。

 その墓場が例え、今になろうとも。


 それが生徒達や、ラピス、ローガン達の為になると言うなら。

 甘んじて、拷問でもなんでも受けて、その死を受け入れよう。


「…にしても、減らず口が、まだ利けるたぁな」

「………鍛え方が違うんで、」

「誰も褒めちゃいねぇんだよ」


 ぐえっ!

 またしても、蹴られて腹が痛む。

 頬に傷のある男は、苛立たし気にオレを見下ろすだけだった。


 だが、これぐらいなら、まだまだ5年前の地獄には程遠い。

 思い出したら、フラッシュバックでこれまた情けない事になるから、記憶には蓋。


 それに、ぼこぼこ殴られる程度なら、先ほどの『天龍族』の男からの拷問の方が堪えたもんだ。

 内臓に直接影響が出るレベルで、延々と魔法を使われたからな。

 それこそ、一時は死ぬまで。


 本当に情け容赦も無かったもんだ。

 こっちは、魔法が使いたくても使えないと言うのに。

 ………いつか会ったら、万倍にして返してやる。


 内心で憤慨通り越して、報復の算段を着々と練り上げていると、


「………チッ、変に強情な野郎だ」

「時間の無駄では?」

「ああ、その通りだな」


 頬に傷のある男が、オレから離れた。

 先程腰掛けていた岩にどっかりと座り込み、これまた先ほどと同じように酒を煽る。

 弟子であろう少女が、傍に傅いた。


 ふと、そこで、


「おっ、飽きちゃった?」


 先程までいなかった筈の例の生理的嫌悪感しか感じない男が、唐突に洞窟内へ。

 どこか外にでも行っていたのか、外套がびしょ濡れとなっている。


 声音には、抑揚溢れる歓喜があった。

 思わず、背筋に怖気が走る。


 ………あの男を参加させるとか、言わないだろうな。

 何に?

 拷問ついでの尋問にだよ。


「時間の無駄だってだけだ」

「そう?そうなの?

 ならなら、オレが参加しちゃっても良い?」

「お前は壊すから、ダメだって言ってんだろ?」

「壊さないってばぁ!

 オレだって、馬鹿じゃないんだからさぁ!」


 不穏な会話だ。

 ついでに物騒過ぎる。


 やめてよ、本人の前で壊すとか壊さないとか。

 しかも、こっち拷問を受けるって分かり切っちゃってるから、余計に………ガクブル。


「そう言って、お前は前の時にも、壊したからダメだ」

「大人しく聞き分けたらどうです?」

「ええ~~~ッ?

 前のは加減が分からなかっただけなんだから、しょうがないじゃん!

 今度は、ばっちり加減もするし、」

「ダメったら、ダメだ」

「ブゥ~~~~ッ!」


 ………何だろう。

 母親と駄々っ子の会話に聞こえるのは、オレだけだろうか。

 内容は限りなく物騒だが、玩具を買って貰えない子どもが駄々こねているようにしか見えない。


 いや、まぁ、止めてくれている内は、文句は言わんけども。

 平静を装って、安堵の溜息を吐いた。


 だが、


「………砦からの連絡は入ったのか?」

「(………ッ、砦だと?)」


 唐突に、頬に傷のある男が切り出した言葉。

 思わず、耳をそばだててしまうが、こればっかりは仕方ない。


 男達の知っている砦と、オレの知っている砦。

 その情報が、マッチしているとは思えないまでも、否定出来る材料が無い。


 頬に傷のある男からの問いかけに、頭のネジがどこか緩い男が答える。


「それが、まだなんだよねぇ。

 正直、オレとしては、これ以上びしょ濡れになっちゃうと、相棒が拗ねちゃうから遠慮したい系」

「………あの、クソ犬、何やってやがんだぁ?」

「アンタが面倒くさいとか言って、正面から行っちゃったから、身動き取れなくなってたりしてぇ?」

「オレの所為だと言うつもりか?」

「やだなぁ、そんな睨まんくても良いっしょ?

 例えばの話だし、たぁとぉえぇばぁ!」


 ………少なくとも、上下関係はやっぱり母親と子どもなんだな。

 何故か無性に和みたくなるのは、何故だろう。


 とはいえ、会話の節々から、感じ取れるニュアンスから、オレの嫌な予感が的中したと思われる。


 多分、アイツ等は砦にも仲間を潜り込ませているんだろう。

 連絡云々は、その砦からの合図を待っているか、否か。

 そして、男は面倒くさいからと言って、侵入経路を正面にして、オレの下まで辿り着いたと言う事か。

 ………部屋割りまで分かったのは、内通者がいたからか。


 暗殺の上等手口だ。

 オレ達だって良く行っていたからな、潜入とか。


 でも、オレはまだ死んでいない。

 なんでだ?

 殺す機会はいくらでもあったし、先ほども一度死んでいたのだから、蘇らせる云々で揉める前にそれでカタが付いた筈なのに。


「………なんで、オレを浚った?」


 疑問のままに、口を開いた。

 喉がガラガラでみっともないと思っても、コイツ等相手に意味は無い。


 視線が、殺到する。

 1、2、3、4、5、6、って、うわぁお。

 ………全員がこっち見たな。

 ちょっと怖いよ。

 さっきのフード被った女の子とか、ビルベルまでオレを見てんだけど?


 まぁ、そっちは、この際どうでも良いけども。


 オレの言葉を受けて、頬に傷のある男が立ち上がった。

 一緒になって、頭のネジ緩男も立ち上がったけど、拳骨一つで制圧されている。

 ………コント?


「じゃあ、テメェもなんで、そんな髪の色と出鱈目な体してんだよ?」


 そう言って、オレの前に立った男。

 徐に、日本刀の鯉口を切ったかと思えば、刀の腹でひたひたとオレの頬を叩く。


 答えなければ、また切ると言う意思表示だろうか。

 痛いだろうが、怖くは無い。


 そして、真実だけを言う必要は無い。

 嘘も方便。

 オレにとっちゃ、得意分野だ。


「………女神のご加護だよ」

「へぇ………、そう来たか」


 にやり、と笑って、頬に傷のある男を睥睨。

 それに対し、頬に傷のある男が、これまたにやりと、極悪人とも見間違う笑みを向けた。

 正直、オレのNG笑顔も、これには負けると思うんだ。


「だったら、その女神様が助けてくれる事を祈っておけ」

「………はっ?

 …いぎぃ、…ーーーーーーッ!?」


 なんて、ふざけている場合じゃなかった。


 腹にぞぶり、と突き立てられた刀。

 治癒したばかりの内臓に、新たに刻まれた傷。

 巧妙に、急所は避けているようだが、それでも内臓を傷付けられる痛みってのは別物なんだぞ。


「………死にたくなかったら、ちゃんと答えな?」

「………っづぅ…ッ、………知ら゛ない゛。

 ………『予言の騎士』、だから、かも………」

「つくづく、強情な野郎だなぁ」


 そして、2度目の質疑。

 オレの答えは気に食わなかったようで、更に内臓を抉るように動かされた刀。


 痛いなんてもんじゃない。

 熱を帯びて、いっそ焼き切れそうな程にじくじくと啼く。


 でも、まだ耐え切れる。

 死ぬかもしれない前提が、オレにとっちゃ破綻しているのも同義だからだ。


 生徒達の為にも、死ねない。

 けど、生徒に禍根が降り掛かるなら、それを背負って死ぬ覚悟は出来ている。

 それが、例えラピスやローガンを悲しませる結果になっても。


 だが、オレはこの男から、せめて情報だけでも抜き取ってやらなきゃいけない。


「………なんで、浚ってまで、こんな事をする必要がある?」

「オレの質問に答えろって言ってんだろうが、分からねぇ奴だなぁ」


 再度、オレの腹を抉った刃に、くぐもった悲鳴が漏れた。

 息が引き攣る。

 オレだけでなく、息を呑んでいる少女やビルベルの声も聞こえた。


「………オレだって、知らねぇんだよ。

 テメェは、自分の知らねぇ事聞かれて、答えられんのかよ?」

「賢しら口で、ほざくな」


 口調も気に食わなかったのか、蹴り上げられた。

 顎の骨が軋む。

 治癒が始まっていた後頭部に、またしても裂傷が出来た。


 焦れて来ているのか。

 頬に傷のある男も、段々とイラついて来ているのが分かる。


 だが、オレにはまだ余裕がある。

 ………正直、どうしてなのかが分からないけども、それはそれ。


 この状況で、冷静な思考と意識があるってのは、オレにとって奇跡に近い。

 なら、その奇跡を、味方に付けておかなければ。


 こうして、浚われた理由は、聞かなきゃ分からない。

 死ぬならせめて、聞いておかなければならない事だから。


「………オレを、海に放り込んだ、あの時に…ッ!

 ………殺しておけば、良かった、だろうが…ッ!」

「………このクソ餓鬼がッ」


 更に、殴られる。

 蹴られる。

 骨が軋む音が脳髄に、叩き込まれる。


 ………それが、どうした?


「………なんで、浚う必要が、あった…ッ!?

 テメェ等に、オレを生かしておくメリットなんて、ミジンコ程度も存在しねぇだろうが…ッ!!」

「………。」


 とうとう、頬に傷のある男が黙った。

 その眼には、苛立ちと共に、爛々とした殺意が滾っている。


 不味いか。

 この男、元々何をするか分からんけど、キレると更に行動の予想が付かない。


 正直、死にたくはない。

 けど、生きる事を優先してはいられない状況だと言うのは、嫌でも分かっている。

 生き恥はもう二度と御免だ。


 こうなりゃ、男が疲れ果てるまで、付き合って貰おうか。

 それで死ねるなら、高笑いでもして逝ける。


 しかし、


「………そんなに聞きたきゃ、言ってやらぁ」


 オレの内心の覚悟とは裏腹に。

 男が一転して、表情や口調までも冷静に、暴虐の手を止めた。


 少し、拍子抜けだった。

 だが、頬に傷のある男は、前かがみになると同時に、ずいとオレの表情を覗き込むようにして、


「………苦しめ」


 ただ、一言そう言った。


 一瞬、なんと言われたのか、分からなかった。

 理解出来なかった訳じゃない。


 唐突に落とされたその言葉が、まるで呪いのような怨嗟を滲ませていた。

 耳に沁み込まされるのが、まるで毒でも飲み込むかのような感覚に似ている。


 狂気を、目の前に見ていた。


「テメェは、苦しんで、苦しんで、死んで行け。

 ありとあらゆる苦痛を味わって、死んで行ってもらわなきゃ困るんだよ。

 誰でも無い、オレがなぁ…」


 だから、生かした。

 と、男は、唇をまくり上げ、八重歯を覗かせながらも、にぃと嗤った。


「………あ゛」


 先程とは違う、爛々とした殺意。

 狂気に塗れたその眼を見た瞬間、不覚にも怖気が止まらなくなった。


 似ていたからだ。


 その眼が、その嗤い方が、その口上が。


 似ても似つかない、容貌をしているのに似ていた。

 有り得ないと、否定出来る要素があるにも関わらず、似ているとしか思えなかった。


 かつて、オレを怨恨を理由に、実験体モルモットにしたあの黒人の科学者マッドサイエンティストと。


 唐突に、脳裏を過る、追体験フラッシュバック

 不味いと思った。

 思い出してはいけないと思って、片方だけの目を強く瞑る。


 しかし、何を勘違いしたのか。

 そんなオレの行動を見た頬に傷のある男が、髪を掴んで頭を上げさせた。


 冷たい刃の感触が、瞼に当てられた。


「………拒絶なんて、させねぇよ。

 テメェには、そんな権利だって、無ぇんだ!」

「………ひっ…、ッ…ぐぁああああぁあああぁあああッ!!」


 ずぶり、と瞼の薄皮等簡単に破いた、刀の切先。

 目玉に突き立ったそれが、ぐりぐりと抉られる。

 悲鳴に、新たな悲鳴が連鎖する。

 フードを被った少女と、ビルベルの悲鳴が木霊する中で、オレの悲鳴が自棄に情けない。


 灼熱すらも生易しい痛みに、意識が混濁する。

 片目しか見えない眼から、視覚が消えた。

 治癒をするのかどうかは、試した事は無いオレには分からない。


 このまま、脳に刃でも突き込まれれば、おそらく死ねるだろう。

 ………死にたい。

 一瞬だけ、諦念が浮かんだ。


 この痛みには、流石に耐え切れそうにない。

 ましてや、この狂気を目の前にして、正気でいられるとは思えない。


 けど、それは許されない。

 男が、刀を引いた。

 言葉通り、男は今はまだオレを殺すつもりは無く、嬲って辱めて、それこそ苦痛塗れになってから、殺したいようだ。

 高尚な趣味だ。

 こんな性根ところまで、あのマッドサイエンティストにそっくりだとは。


 だが、そこで、地獄の時間は唐突に終わった。


「おっとっと、時間切れみたいだよーん!」


 洞窟内の空気に不釣り合いな程の、陽気な男の声。

 それと共に、洞窟内に飛び込んできた何かが、空気を揺らめかせた。


 それは、鳥だった。

 目を潰された所為で見えはしないが、羽搏く羽音が聞こえる。

 魔物なのか、それとも何かしらの魔法要素で作られた精霊のようなものなのかは、分からないまでも、どうやら合図だったようだ。


 目の前の男から、狂気や殺意が消えた。

 その代わり、希薄な気配が更に薄くなって、まるでオレへの興味すらも薄れたように思えた。


 だが、その予想は、当たりだったようだ。


「チッ、上手く乗せられて、結局時間切れだ」

「だから言ったのです、時間の無駄だと」

「うるせぇよ。

 それよか、準備は終わってんのか?」

「勿論です」

「こっちも準備は終わっているから、正直アンタの癇癪待ちだったんだが?」

「あはははっ!毒舌ぅ!」

「テメェもうるせぇよっ」


 男が離れて行き、幾つかの布擦れの音や靴音が続く。

 ついでに、折檻だろう、男の拳骨の音も。


 羽搏いていた鳥は、澄んだ鈴のような音を残して消えたようだ。

 魔力反応が無くなった。


 ぜぇぜぇと、荒い息を吐いて、痛みに耐える。

 流石に目を負傷した事が無いので、この痛みは新鮮過ぎた。


 そんなオレの、情けない呼吸音が響く中、これまた粘つく声が洞窟内に木霊した。


「オレ達はこれから、テメェが救ったとか言う砦を攻める」


 ぞくり、と背筋を走った悪寒。

 その言葉を聞いて、見えないと分かっていても、痛む目を懸命に抉じ開けた。


 男は、せせら笑うようにして、更に言葉を重ねる。


「まずは、お前の大事な生徒達から、奪ってやる。

 せいぜい、生徒達の死体が五体満足で残る事を祈っておけ」

「テメェ………ッ、ふざけんな!」

「ふざけて、時間を無駄に浪費したのはテメェだ。

 おかげで、せめて生かしておいてやろうと思っていた、オレの寛大な心は消え失せたぜ」


 そう言って、頬に傷のある男が、嗤ったのが分かった。

 歓喜が気配に、顕著に表れている。


 駄目だ、辞めろ。

 オレが、何の為に、この拷問に耐えたと思っているのか。


 頬に傷のある男が、オレ以上の力量を持っている事なんてもう分かり切っている。

 抵抗すら出来なかった、オレが良く分かっている。


 それが、砦を攻める?

 冗談じゃない。

 撃退出来る人間なんて、あの砦にはいやしない。


 オレが敵わなかった相手に、ゲイルや間宮、ラピスやローガンが敵うとは思えない。

 ましてや、生徒達なんて、そこそこのランクとはいえ、未だに間宮以外のSランクはいない。

 この男相手で、生き残る可能性がある面子は、1人もいないじゃないか。


「待て、このクソ野郎!

 テメェ!オレの生徒達に、何をするつもりだ!!」

「何を聞いてやがった?

 ………奪うって言ったら、命に決まってんだろうが」


 言葉に、笑い声が被さった。


 目の前が、真っ赤に染まる。

 本心からの狂気を、オレではなく生徒達に向けるつもりだ。


 それを、殺意として、ぶつけるつもりだ。

 ………狂っていやがる。


「辞めろ!オレなら、いくらでも甚振れば良い!

 生徒達には、手を出すな!」

「………良いねぇ、その顔が見たかった。

 だが、もう遅い。

 最初から、そうして大人しく従順にオレのリクエストに答えてくれてりゃ、命だけは助けてやったのに、」


 高笑いが、洞窟内に木霊する。

 初めて聞いた男の笑い声が、こんなにも狂気が滲んだものになるとは思ってもみなかった。


 怖気が止まらない。

 寒気すらもする。

 男は本気だ。

 本気で、殺す気だ。


 それが何かなんて、分かり切っている。

 オレの生徒達だ。

 砦にいる全員を殺すつもりでいるに違いない。


「………ふざけんなぁ!!」

「ハハ、ハハハハッ、アーハッハッハッハ!!

 叫べ、泣き叫べ!

 テメェの罰だ!怨嗟だ!

 オレから奪った(・・・・・・・)全てを悔やんで(・・・・・・・)、苦しめぇ!!」


 何を言っているのか、既に分からない。

 殺気が滲む。

 焦りに、固定された鎖に何度も、抗って。


 それでも、男は止められない。

 男の狂気は止まらない。


「殺してやるッ!

 生徒達に手ェ出したら、殺してやるからなぁ…ッ!」

「ハハハハハハッ!!

 やってみろ!テメェには、もう無理だ!

 せいぜい、この洞窟で、生徒達の死に様を思い浮かべておけ!!

 墓標に向かって、泣き崩れろ!」


 そのまま、男は高笑いをしたままだった。

 殺気すら滲ませていたのに、オレの言葉には慄きやしない。


 慄く必要がないと言われている気がした。

 お前なんか、取るに足らない虫けらだと言われた気がした。


 そして、感じた。


 無力を。


 あの地獄の時と同じだ。

 オレは、あの時と全く、何も変わっていない。


 また、強者に駆逐され、地獄を見るのだ。

 そして、その凶刃を受けるのが、オレの大事な生徒達となったのだ。


「チ、クショウ!畜生!チクショオォオオオオオオオオオオ!!」


 木霊した、オレの叫び声。

 それにすら、男が大笑いをしているような気がした。


 ぶつり、と心が折れた気がした。



***



 荒れ狂う海の中、進む大蛇とも言える影。

 嵐を抜けたのか、暴風は無くなったは良いが、相変わらずの土砂降りの雨の中。


 『水』の精霊(サーベンティーク)の背に跨り、大海原を進むヴィンセント達は、やっと『暗黒大陸』の海域へと踏み込んでいた。

 既に、人間領の海域は抜けてしまった。

 おかげで、先ほどから何度も『暗黒大陸』特有の強靭な肉体と、凶暴性を持つ魔物との戦闘が続いている。


 ヴィンセントの願いは、やはり敵わなかった。

 考えが甘かったとしか言えない。


 先程から、サーベンティークが戦闘に移る度、魔力が目に見える形で減っていく。


 幸い、サーベンティーク自身は、約数千年と言う経験の賜物から、魔力を温存した戦い方を良く心得ている。

 戦闘狂では無いのも相俟って、派手では無くとも上手い事こなしていた。


 それでも、限界は近い。

 そもそも、彼女が顕現している状況では、ヴィンセントも常に魔力を消費し続けている状態である。

 そして、ヴィンセントは、人並み以上とはいえ魔力をそこまで保有している訳では無かった。


 時間が刻一刻と過ぎる度に、彼の顔色が目に見えて青くなり始めていた。


 だが、それも、目の前に聳え立った、広大な岸壁を前に終わりを告げた。

 『暗黒大陸』だ。

 魔族や魔物、悪魔すらも住まうと呼ばれる大陸の北端へと至った一行。


「………やっとここまで来たか」

「これが、『暗黒大陸』とか言う、魔族の住む土地…?」

「正式には、魔族達が好む土地じゃな。

 ここにいるだけでも良く分かるじゃろうが、魔力が満ち溢れて森から岸壁から、噴き出しているのが良い証拠でな」

「(………空気だけで、魔力が回復出来そうですものね)」


 岸壁を見上げ、辟易とした表情を見せるヴィンセント。

 エマが小首を傾げたのに対し、『暗黒大陸』出身のラピスが答えた。

 間宮が、大きく息を吸い込んで、ふぅと溜息のようにして感嘆の息を吐く。


 そして、ここが目的地である事は、彼女が教えてくれた。


『この海中に、どうやら洞窟があるようだな』


 首を巡らせて、彼女は岸壁の下を伺い見る。

 いくら澄んでいるとは言っても、海中までは見通せないまでも、『水』の精霊である彼女は、既にどこら辺に洞窟があるのかは分かっているようだ。


『………さて、どうするか。

 また、水の膜を張って、私が直接潜って見ても良いのだが、』

「………問題は、その洞窟の大きさだな」

「人魚は穴倉を好むと聞いておる。

 そう大きな洞窟とは思えんがのう?」

『その通り。

 妾が入れないのであれば、汝等のみで洞窟に入って貰う事になろうよ』


 辟易とした表情を見せたのは、誰が早かっただろうか。

 これには、流石の間宮も勇み足とは行けなかった。


 なにせ、この海域には、魔物が多い。

 それこそ、南端砦の比では無い程の数と、ついでにレベルの違い。


 おそらく、海中で襲い掛かられては、ひとたまりも無いだろう。


「まずは、潜って洞窟を探してみよう。

 ティークが入れるようならそのまま、無理なようであれば、オレとマミヤくんで、突入する」

『そうした方が良かろうな』

「水の膜の上から、『障壁』を張ろう。

 少し魔力は回復しておるから、それぐらいならば安いものじゃ」

「えっと、………ヴィンセントさんと間宮で突入した後、私達は、どうすれば?」

「洞窟の出口があれば良いのだが、それを探って欲しい」

「うん、分かった」


 とりあえずとしては、方向は決まった。

 まず、サーベンティークともども、海中に潜って洞窟の入り口を探す。

 そして、洞窟の入り口を見つけ次第、そしてその大きさ次第で、別動隊で分かれるかどうかを判断する。

 別動隊を仮にA班・B班として、突入組がA班で、ヴィンセントと間宮。

 留守番兼出口の捜索組としてB班で、サーベンティークとラピスとエマとなった。


 そこで、


「中でもし銀次を見つけた場合は、これを使いやれ」

「えっと、………これは?」


 ラピスがヴィンセントに渡したのは、指輪だった。

 魔力を込めると色が変わる、ヴァルト開発の指輪だ。

 方向性によって色が逆転する仕様で、見つけた場合の合図として使えるだろうとのことだった。


 ただし、


「使えるかどうかは分からん。

 なにせ、洞窟内とは言えども、『暗黒大陸』の中じゃからな、」

「………分かりました」


 半信半疑ながらも、受け取ったヴィンセント。

 小指にしか入らなかったらしいが、無骨な指にはひどく不釣り合いだった。


 ただ、今はそれが使えるかどうかが論点だ。

 似合うかどうかは別である。


『もし何かあれば、私に報せよ。

 宿主のヴィズ坊やなら、私と精神感応テレパスで繋がる事が出来よう』


 もし使えなかった時の為、代替え案も用意はする。

 サーベンティークも、精神感応テレパスを使う事が出来るので、ここにいる半数以上が精神感応テレパスで繋がる事は出来る。

 しかし、これにもただしが付く。


「距離については、分からんがのう」

『………最悪、私が一度ヴィンセントの中に戻ると言う方法も使えなくは無いが、』

「………出口と共に、避難出来そうな岩棚も探すとしよう」


 要は、距離が離れすぎると、精神感応テレパスが使えない可能性が高いのだ。

 これには、流石にお手上げである。


 ともあれ、方向は決まった。

 そして、銀次の命が掛かっている現在は、四の五の言っている場合ではない。


『では、行くぞ?』


 まずは、サーベンティークが水の膜を形成。

 そこに被せる様にして、ラピスが球体型の全方位へ、『障壁ウォール』を張った。

 いち早く、酸素を取り入れようと、『風』魔法を使った間宮。

 何も出来なかったエマが、多少涙目になりつつも、サーベンティークが海中へと潜水を開始した。


 先程までの嵐と、外の雨の影響か。

 海中は濁り、先が見通せなかった。


『流石にこれは、骨が折れそうだな』

「………何か、明かりでもあれば良いのだが、」

「流石に、この『障壁』を張っている間は、他の魔法は使えぬのだが、」

「(あ、でしたら、僕が、)」


 そこで、間宮が腰に巻いていたポーチから、懐中電灯を取り出した。

 災害時にも使える、充電用のクランクが付いた小型の懐中電灯だ。


 パチリ、と明かりを灯す。

 だが、


『………意味は無かろうな』

「(………マシになった程度でしたね)」


 今度は、間宮が涙目になった。

 懐中電灯は、濁り切った海中では全くの無意味な代物だと、新発見出来ただけらしい。


 だが、ふとそこでエマが、ピンと何かを閃いた。


「あ、あの、ラピスさん、この水の膜と『障壁』の内側から、『水』魔法って使えます?」

「うん?

 ああ、まぁ、外からの衝撃を守るものであって、内側からは干渉ぐらいは出来るものだが、」

「あ、うん、じゃあ、やってみます」


 エマが徐に立ち上がり、手をかざした。

 水の膜と『障壁』の外、と意識を集中しながら、『水』の精霊達に援助を頼む。


 すると、濁っていた目の前が、段々と透かし見える様になり始めた。

 『水』の精霊に頼んだのは、水流を弄って海水以外の余計なものを端に避けて貰うだけの事。

 流石に海域全てに影響を齎す事は出来ないが、水の膜や『障壁』よりも外の進行方向のみならば、なんとか彼女の魔力総量でも間に合ったらしい。


『これはこれは、良く精霊達の使いどころを見極めておるのう』

「えっ、あ、へへっ、ありがとう、ティークちゃん」


 先程何も出来なかった鬱憤は晴らす事が出来たのか、エマが照れながらも微笑んだ。

 結局、間宮が沈んだだけの結果に終わったが、仕方ない。

 適材適所と、結果オーライである。


『あったぞ、あの洞窟のようじゃ』


 そこで、サーベンティークが発見した、岩壁の隙間。

 黒い影のようだったものが、段々と近付くうちに岩と岩の隙間が、洞窟のようになっている事が伺える。

 黒い口を開けた奈落の入り口にも見えた。


 そして、更には、サーベンティークが異変を嗅ぎ付けた。


『酷い血臭がまだ、ここら一帯に漂っておるのう。

 ………魔物達が嗅ぎ付けているようだ』


 海底に目を向ければ、確かに魔物達がうぞうぞと蠢いていた。

 その数や、顔ぶれに全員がぞっと背筋を凍らせる。

 軽く、Sランクは凌駕するだろう数が、海底には犇めいていたのである。

 近くまで寄って来た魔物もいるが、ラピスの『障壁』に阻まれたのか口惜しそうに離れていく。


「………洞窟は見つかったが、流石にサーベンティークは入れそうに無いな」


 そして、ヴィンセントの言葉通り、洞窟の大きさは当初の予想通り小さかった。

 人が潜り込むのは容易いだろうが、サーベンティーク程の巨体となれば無理だ。

 最悪、岸壁が崩落して洞窟が潰れ兼ねない。


『口惜しいが、仕方あるまい。

 先ほど言っていた通り、お主等だけで洞窟の中に潜り込め』


 そう言って、彼女は大きく息を吸い、そして吐き出した。

 海流が渦を巻き、洞窟まで一直線の渦の道が出来上がる。

 これによって、海中を進む間に魔物に襲われることは無いだろう。

 流石に数千年を生きる精霊は違う。と、ヴィンセント達が感心したところで、


「では、行ってくる」

「(後は任せます)」

『心得た』

「頼んだぞ」

「いってらっしゃい!

 マジで、気を付けてね、2人とも!」


 ヴィンセントと間宮が、サーベンティークの背から降り、渦へと滑り込む。

 水の膜や『障壁』を抜けたのか、途端に海水と水圧に晒されたが、2人は臆する事なく渦の中を突き進んだ。


『到着した。

 済まないが、2人を頼む』

『心得たよ、ヴィズ坊や。

 気を付けて、行っておいで』


 洞窟の入り口に到着したと同時に、ヴィンセントが精神感応テレパスでサーベンティークへと繋いだ。

 渦の道が途切れ、段々と海流が混濁していく。

 サーベンティークは名残惜し気にしながらも、海面へと泳ぎ始める。


 だが、それよりも早く、


 ーーーーゴゥンン……ッ!!


「何じゃ!?」

「何、地震!?」

『………いや、これは地震では無い…!』


 響いた轟音。

 彼女達がいた海中にまで振動が及ぶその音に、思わず肩を竦めたラピス達。


 サーベンティークが、海面を振り仰ぐ。

 瞬間、幾つもの気泡を伴った何かが、海中へと降り注いだ。



***



 風鳴りや雨の音に、負けず劣らずの轟音が響く。

 眼下(・・)に見据えた『暗黒大陸』。


 今しがたまでいた岩場や洞窟付近、そしてその真上の密林のような森は、業火に見舞われて、赤黒い炎と黒煙を上げている。

 そして、岩壁は今まさに崩落していた。


 轟々と唸り声のような、崩落の音は空気を震わせ続けている。


「おいおい、死んじまったんじゃねぇのぉ!?」


 勿体ねぇなぁ。と愚痴を零した、蛇のような顔をしたフードの男。

 拷問に参加出来なかった口惜しさからか、名残惜し気に崩れ落ちている岩壁を見つめている。


「生き埋めになったらなったで、その時はその時さ」


 対して、その問いに答えた頬に傷のある男は、ひゅうひゅうと打ち付ける風に目深に被ったフードが剝がされぬよう手で押さえながら、肩を竦めて見せた。

 あれだけの狂気を滲ませていた気配は微塵も感じれらない。


「どのみち、殺すのです。

 それが、今だっただけの話では?」

「お弟子ちゃんは、ドライ過ぎんのよ!

 オレだって、アイツには少しばかりの愛着ぐらい(・・・・・)ある(・・)んだから、もうちょっと楽しみたかったってのにぃ」

「貴方の愛着等、どうでも良いのです」


 興味が無さそうな弟子らしき少女。

 既に風によって剥がれたフードも然して気にせず、また眼下の光景にもまるで目を留めていなかった。


「………しかしまぁ、魔族を敵に回すような事を簡単にやってくれるな」


 やや辟易と言った様子の魔術師の男もまた、眼下の光景を眺めていた。

 口調からして、既に諦念が浮かんでいる。


 流石に、『暗黒大陸』の密林を燃やす等という暴挙には、物申したいと考えている様子だった。


「世界が敵になるんだ。

 魔族が云々どころの話じゃねぇだろうが」


 だが、それに対しても、頬に傷のある男は肩を竦めるだけ。


「………。」


 そして、辟易とした様子の面々とは裏腹に、1人だけ違う空気を纏った少女がいた。


 言葉に表すならば、悲壮だったか。

 俯いて窺い知れない表情は相変わらずだが、その頬には大粒の涙がボロボロと零れ落ちていた。

 まるで、心の底から、悲しみを表しているように。


 周りの人間は、まるで目もくれない。

 彼女は、ただひたすらに、悲し気に涙を零し続けていた。


「………それに、オレ達がやったと言うよりも、さっきの業火はコイツのもんだ」


 一方、魔術師の男に向けて、頬に傷のある男がそう言って下を指し示した。

 そこには、びっしりと褐色の鱗に覆われた背中がある。


 そして、背中だけではなく、長大な体と前方には頭、後方には長く伸びた刺々しい突起を備えた尾すらも見受けられる。

 更に言えば、背中から生えた二対の翼。

 全体を鱗に覆われながら、炎を纏うようなその翼は、豪雨を物ともせずに空を飛翔していた。


 飛竜種でありながら、『火』属性を備えた上位種だ。

 火竜とも呼ばれるそれは、背に頬に傷のある男達を乗せて南に首を向けて飛んでいる。


 先程、『暗黒大陸』北側の密林から岩壁に向けて、業火を見舞ったのはこの火竜だ。


「やれと命じたのは、アンタだろう?

 折角使役している火竜を、勝手に実行犯に仕立て上げないでくれ」

「どうせ、同じこった」


 言葉の通り、この火竜は魔術師が使役している、使い魔。

 分かりやすく言えば、飛竜達のように飼い慣らされた竜と言う事だった。


「使役出来たのは、誰のおかげだよ」

「分かっているさ、そこは。

 ただ、その使役をする為の大型の魔法具や、主従関係を築いたのは僕だからな」

「へいへい、オレだってそこら辺は分かっているよ」


 不毛な舌戦は続くが、そのうち火竜が遠ざかるに連れて声は消えた。

 豪雨の中、進む火竜。

 人魚や精霊とて、真っ青になる程の所要時間で、『暗黒大陸』から人間領である南端砦へと向かっていた。



***



 岩壁が、彼女達の目の前で崩れ行く。

 間一髪崩落して来た巨大な岩石や倒木を逃れるように、サーベンティーク達が海面へと顔を出した時、


「………なんじゃ、あれは…ッ!」

「山火事?なんで、こんな雨の中で…!」

『いや、微かではあるが、魔力反応を感じおる。

 おそらく、大規模な『火』属性の魔法を用いたのであろうよ』


 そこには、今まさに崩れ落ちる岩壁と、火の海と化した密林があった。

 雨の中、鎮火は早いだろう。

 だが、正直それを心配するよりも先に、洞窟の中に突入したヴィンセントと間宮の事が気掛かりだった。


『(聞こえるかい、ヴィズ坊や?)』


 サーベンティークが精神感応テレパスを繋ぐ。

 まさか、こんなにも早く使う事になるとは思ってもみなかっただろう。


 返答を待つ数秒間。

 焦れて、思わず長大な尾が、海面を幾度も叩く。

 被害を被ったエマが、悲鳴を上げる。


 だが、その数秒後には、返答があった。


『(ティークか。

 そちらは、大丈夫だろうか?)』


 ヴィンセントの声は、良くも悪くも平坦だった。

 焦りや苛立ち、ましてや苦痛の感情は流れ込んでこない事に、サーベンティークはほっと息を吐いた。


『(主は、自分の心配をしやれ?

 それで、無事なのであろうな?)』

『(幸いにも、オレ達は、な)』


 だが、その声音に、少しばかりの憔悴が浮かぶ。

 何があったのか。

 そんなことは、すぐに分かった。


『(洞窟の入り口が閉ざされた。

 ここから脱出することは無理だろう)』

『(仕方あるまいな。

 『暗黒大陸』の上部一面が、範囲魔法で焼き払われて、岩壁が崩落しておる)』

『(なるほど、先ほどの地震のような轟音はその所為だったか)』


 理由を説明すれば、納得はしたらしい。

 とはいえ、この状況は芳しくないのが本来だ。


『(そちらは、他に出口が無いか探して欲しい。

 幸い、海の中まで魔力が満ちているのか、魔力の回復速度も早いようだ)』

『(それはこちらも同じこと。

 なるべく、外界魔力を消費するようにするから、そちらもしかと魔力を溜め込んでおけよ?)』

『(了承した。

 では、改めて、頼んだ)』


 それを最後に、精神感応テレパスも途切れた。


『どうやら、主等もなんとか無事の様だ』

「それは良かった。

 こちらは、間宮とは流石に精神感応テレパスが繋がらなかった」

『仕方あるまい。

 妾とヴィズ坊やの精神感応テレパスは内に通ずる魔力が同じだからこそ繋がっただけだろうて、』


 そう言って、改めてサーベンティークは首を巡らせる。

 火の手の上がった、密林へと。


『主からの要請で、他の出口を探す事になった』

「少し難しいやもしれんが、やってみるとしようか」

「で、でも、洞窟の出口って、そう簡単に探せるものなの?」


 エマの言葉に、少しばかり消沈するラピス。

 だが、サーベンティークは、少しばかり俯くような仕草で考え込むと同時に、


『無ければ、作るしかあるまいな』


 と、のたまった。


『………え゛ッ…!?』


 流石に、ラピスもエマも絶句するしか出来ない。

 更に不安になる一行であった。


 だが、動かない事には始まらないだろう。

 サーベンティークが移動を開始すると、必然的に背中に乗っている2人も移動しなければならない。


 水の膜も『障壁』も解き、豪雨に晒されながらも動き出した1体と2人。

 留守番兼出口探索と相成ったB班だ。


 捜索すらも前途多難な彼女達を、聳え立つ岩壁が迎えようとしていた。

 『暗黒大陸』と言う名の下の、洗礼と共に。



***



 一方、B班とは別に、突入組となったA班。

 ヴィンセントと間宮である。


 彼等は、洞窟が崩れた折、間一髪崩落から命からがら逃れる事が出来ていた。

 何を隠そう、間宮が『水』魔法でサーベンティーク同様に水流を操って、水中での高速移動を敢行した為だ。

 サーベンティークの背に乗っていた時同様、高速移動は生身でのウォータースライダー。

 無論、こちらもセーフティーバーは無い。


 洞窟内には、無数の石柱や突起物、入り組んだ岩肌が障害物として立ちはだかっていた。

 頭上からは落下してくる岩壁もあった。

 その中を、間宮がヴィンセントを抱えて、飛ぶように移動する。

 ヴィンセントにとっては、戦々恐々以外の何物でも無かった。

 予期せず、意趣返しをされた形となってしまったようだ。


 閑話休題それはともかく


 なんとか難を逃れたは良いが、彼等の数メートル先でおそらく最後となるであろう岩石が落ちた。

 腹に響く振動が、海水を伝って肌にまで響く。


 間宮がこわごわとした様子で、塞がれた入り口に近付き隙間を探そうと試みるが、すぐに諦めてヴィンセントへと首を振った。

 仕方なしに、進むことを選択し、やっとこさ海面へ。

 高速移動のおかげで、大分入り組んだ洞窟の奥まで進む事は出来ていたようだ。

 そして、海面へと顔を出した時、丁度サーベンティークからの精神感応テレパスがあった。


「………向こうで出口を探して貰う事になった」


 衣服や髪から水を絞ったヴィンセントが間宮へと振り返る。

 彼も同じく、衣服を絞っていたが、頭を振って水気を落としている姿は犬のようにも見えた。

 余談である。


 とはいえ、


『(仕方ないでしょうね。

 あの崩落の要因は、一体何だったので?)』


 これまた精神感応テレパスで伝わってきた、間宮もの言葉。

 一応、近距離であれば、彼等も使えたようだ。


「どうやら、何者かが魔法で、上一帯を焼き払ったようだ。

 余波で岩壁が崩れて崩落したらしい」

『(敵が近くにいたと言うことですか。

 ラピスさん達が、遭遇しなかった事が幸運と言うしかありませんね)』

「ああ」


 間宮の言葉通り、危ないところだった。

 あれだけの崩落を起こすだけの力があれば、彼女達を海上で狙い撃つ事も出来ただろう。

 ニアミスで、彼女達が全滅していても不思議では無かった。


 僥倖としか言えないが、洞窟の入り口が塞がれた時点で喜べる事が少ない。


 だが、


『(ここまで来れば、僕にも血の臭いが分かります。

 やはり、銀次様は、この洞窟に拉致されたと見て、間違いないようです)』

「そうか。

 では、済まないが先導を頼む」


 これまた、僥倖な事。

 海から上がれば、間宮とて鼻が利く。


 そして、漂う血臭がかなりの濃度であり、方向性が分かりやすい。


 そして、それが銀次の物であることも、間宮には分かっていた。

 骨折り損とはならない事が分かったのは、喜ぶべきことだろう。

 もし洞窟を間違えていたとすれば、眼も充てられなかったからだ。


 そうこうして、水気を払って多少疲労を携えながらも。

 岸辺に上がり、2人で先を見据える。

 

 そこには、これまた奈落の底のような暗闇が広がっていた。


 間宮が、ぱちり、と懐中電灯を点灯する。

 今回は、役に立ったようで、洞窟の先が見透かせるようになった。


『(では、背後の警戒をお任せします)』

「ああ」


 懐中電灯の明かりを頼りに、2人は洞窟の奥へと進む。


 洞窟内はごつごつとしていた、足を何度も取られた。

 どこかからか、水が沸いているらしく、水滴が上から降って来る。


 その度に、ホラーが苦手な間宮が肩をビクつかせていたが、ヴィンセントが気付かなかったのは幸いだろうか。

 対するヴィンセントもまた、進む洞窟が思った以上に入り組んでいる事に不安を覚えていた。

 先程から、間宮は血臭を辿って、真っ直ぐに洞窟を進んでいる。

 だが、一歩外れてしまえば、その先は見通せない程の暗闇が続く。


 逸れれば、自力での生還が難しい可能性もあった。

 間宮の背中を見失わないように、背後の警戒をしながらも洞窟を進む。


 だが、その途中で、間宮がはたと足を止めた。


『(こちらからも、血の臭いがします。

 銀次様の物では無さそうですが、甘みが強い?)』


 精神感応テレパスでそう言って、間宮が懐中電灯の明かりを向けた先。

 そこもまた、洞窟。

 横穴のようではあるが、入り組んでいて懐中電灯の明かりだけでは奥まで見通せない。


 だが、間宮はそこからの血臭がすると言う。

 銀次とは違う、甘い香りもしているとのことだったが、


「………正直、違い等オレに言われても分からんのだが、」

『(ああ、そうでしたね、すみません。

 とはいえ、もしかしたらこちらにも怪我人がいるのかもしれませんので、もし時間が許されるなら探索してみるのも有りかもしれません)』

「………ああ、構わない。

 どのみち、ギンジの容態次第だろうがな」

『(………。)』


 流石に、ヴィンセントの言葉は、明け透け過ぎた。

 間宮の肩が落ちたのに気付いて、ヴィンセントが困惑してしまったものの、間宮はその次の瞬間には、金の瞳を猛禽類のように輝かせた。

 その眼の先に見据えられた闇が、懐中電灯に照らされる。

 しかし、その先には、懐中電灯とは違う光源が仄かに見えた。


『(明かりが見えます。

 もしかしたら、まだ仲間が残っているのかも、)』

「………崩落をさせておきながら?」

『(警戒をして損は無いでしょう)』


 間宮が懐中電灯を下向きにして、進み始める。

 敵に明かりを察知されないような配慮だった。

 暗がりの中で足を取られる回数が増えるが、明かりを辿る事で何とか開けた道へと出た。

 どうやら、一番太い洞窟の通路へと出たらしい。


 明かりが等間隔に点在したそこは、まさしく通路。

 おそらく、敵が使っていた主要道だろうと、間宮が気配を探る。


 か細い気配が、2人分。

 それは、彼等から向かって左側の通路の奥から。


 そして、間宮が嗅ぎ取っていた血臭もまた、その奥から漂っていた。


『(おそらく、銀次様がこの奥にいらっしゃいます)』

「………敵の人数は?」

『(気配が1つありますが、それにしては自棄にか細いです。

 ………眠っているのか、もしくは死にかけているのか、銀次様以外の血臭がするので、もしかしたら始末されかけた可能性もありますが、)』


 そう言いつつも、懐中電灯の明かりを切った間宮が、通路へと進む。

 足音を発さないと言うのに、駆け足のそれに正直ヴィンセントが辟易としてしまう。


 どうりで、彼を相手にすると、緊張する訳だ、と。

 実は、彼、間宮に苦手意識を持っていた。

 追いかけられた事もあるが、それよりも前から少しばかり距離を置きたかったのである。


 それは何故か。

 彼が何度か遭遇した暗殺者の、気配や身のこなしがそっくりだからだった。

 おかげで、気配に敏感になる事は出来た。

 とはいえ、それで苦手意識を持たないかと言えば、それとこれとは別である。


 人間不信となった一時期。

 彼等の気配が、息遣いが、その足音を殺した足音が(・・・)聞こえる度に、心も体も疲弊していった過去を思い出す。


 そこまで考えていた矢先、


『(止まってください)』

「………ッ!」


 唐突に前を走っていた間宮が止まり、ヴィンセントが思わずつんのめった。

 脚では止まり切れず岩肌の突起を掴んでやっと止まったものの、大きな音を立ててしまった。

 その所為もあってか、間宮に少しだけ睨まれる。

 手だけで謝罪をして斜面を受けたが、ヴィンセントがこれまた恐々としてしまう。


 見た目15歳の少年に、ここまで脅かされるとは、と。


 一方、そんな背後のヴィンセントの内心等知らずに、間宮は岩壁から中を覗き込む。


 通路の等間隔の明かりとは別に、光源が残っているようで明るかった。

 開けた通路と言うよりは、部屋のようになった場所。

 湧き水がちろちろと流れ落ちる音がする。

 そして、そこら辺に乱雑に置かれた酒瓶や食事の名残、焚火の跡。


 おそらく、ここを活動拠点か何かにしていた可能性が高い。

 そう思いつつも、ずりずりと背中を岩肌に押し付けつつも、更に顔を覗き込ませた。


 やはり部屋のような場所だったらしく、奥には通路は見当たらない。

 海水が溜まっているのか、池のようなものがあった。

 しかし、その池には、水色とも緑とも判別の付かない、不思議な髪色の頭が覗いている。

 間宮から見える位置からは、その髪の隙間から血が溢れているのも見えた。


『(敵かどうかは分かりませんが、やはり1人いますね。

 気配は感じられるので生きてはいるでしょうが、)』

『(ギンジはいないのか?)』

『(ここからは見えないのですが、血臭は確かに銀次様のものです)』


 警戒はすべきだが、間宮は焦っていた。

 流石に血臭に紛れた臓物の臭いが、無視できない程の濃度だ。


 内臓を傷付けている可能性が高い。

 銀次がいくら驚異的な治癒能力を持っていたとしても、流石に処置を急がなければ間に合わない可能性が高い。

 そして、意図的にか否か、銀次の膨大で畏怖すらも覚える魔力が感じられない。

 逸れは異常事態を示唆している。


『(行きます。援護を、)』

『(了承した)』


 意を決した間宮が、洞窟から身を乗り出す。

 忙しなく視線を向けて、他に敵の気配が無い事を確認する。


 やはり、洞窟内にいたのは、気配を感じた2人だけ。


 1人は、先ほども見たように、池のような海水溜まりで横になっている女性。

 そして、もう1人。


 問題の銀次はといえば、


『(銀次様…ッ!!)』

「………なんと惨い…ッ!」


 彼等の死角になる岩壁に、鎖で吊し上げられるようにして拘束を受けていた。

 脱力して投げ出された足は、ボロボロ。

 着たままであっただろう礼服すらも同じような有様で、無事な場所を探す方が難しい。

 銀次の頭上から湧き水がちろちろと流れ落ち、彼の衣服を濡らし、更には負傷した箇所からの血を奥にある別の泉のような場所に押し流していた。


 駆け寄った間宮。

 呆然と立ち竦むヴィンセント。


 満身創痍ぼろぞうきんとも言い換えられえる姿で見つかった銀次は、既に命を風前の灯のように吹き消そうとしていた。


『(銀次様…、銀次様…ッ!!)』


 間宮が必死に呼びかける。

 だが、その間宮が持ち上げた銀次の頬は、また赤に塗れてぬめっていた。


 見れば、無事だった筈の右目にも傷が出来ている。

 抉るように動かされた刀傷も見受けられ、瞳孔が収縮する感覚を間宮は覚えた。

 左目に巻いた包帯は途中で解けているが、視界を覆い隠したままである。


 更には、彼の銀色の髪が露になっていた。

 黒髪のウィッグはどこかに落としたか、それとも奪われたか。


 一瞬、ヴィンセントは彼が、本当に銀次本人なのか分からなかったぐらいである。


 全身が血塗れで、ところどころに見受けられる刀傷。

 鼻血の痕や、覗いた白肌に残る打撲の痕までもが、ところどころに見受けられる。


 凄惨な有様ではあるが、かろうじて息があった。

 間宮が、微かな呼吸音を聞き付け、慌てて彼の腕をぎちぎちに拘束している鎖を解こうと格闘する。

 その途中で、間宮が鎖に南京錠が嵌っている事に気付いた。

 魔力反応が微かにある事から、魔法具であると判断。

 先に、ピッキングでそちらの南京錠を解除しようと試みたが、弾かれた。

 流石に無茶だったようだ。


「待て、マミヤくん、少し下がって」


 そこで、なんとか硬直の解けたヴィンセントが、手を貸した。

 腰に佩いていた懐刀を、鎖に向けて突き立てる。

 何度か繰り返して、鎖が半ばから千切れて落ちた。


 銀次に当たらないよう、それをキャッチしたヴィンセント。

 ぐるぐる巻きになった鎖を解き、邪魔になっていた南京錠も鎖と共に地に落ちる。


 それと同時に、


『助かったぞ、小僧ども』

『やっと、出て来る事が出来たな!』


 唐突に顕現したアグラヴェインとサラマンドラ。

 やはり、南京錠は魔法具だったようで、『魔封じ』の効果があったのか、アグラヴェイン達も表に出て来る事が敵わなかったようだ。


 顕現したと同時に、アグラヴェインが銀次の体を闇で覆う。

 黒い闇を纏わりつかせた様は異常であるが、どうやら未だに出血の止まらない箇所へと止血をしてくれたようだ。


 サラマンドラも、大きく息を吸い込むと同時に、まるで羽衣のような透明さになった。

 そして何をするかと思えば、銀次の体へとこれまた覆いかぶさる。

 出血多量と共に、常に晒され続けた水の影響で低体温症になっていたからだ。

 体を温める為に、『火』属性の特性を活かし、彼の湯たんぽとなる役目を引き受けた。


『(助かります、お二方)』

『助かったのはこちらも同じ。

 そして、主の危機は、我等の危機である』

『正直、最初の襲撃の時から、出ようとしても出られなかったからな。

 焦ってはいたんだが、』


 着々と、銀次を助け出す算段が、進み始めていた。

 間宮が銀次の周りに、酸素の膜を張って、簡易的な呼吸器として扱った。


 だが、取り残されたヴィンセントは、またしても呆然としていた。

 昨日の昼間ともなった討伐の折の恐怖心が蘇ったのか。

 アグラヴェインとサラマンドラの同時顕現で、硬直した彼はその場で呆然と彼等の処置を眺めているだけとなってしまった。


 だが、そんな彼の足下で、


「………ん…ぅ…ッ!」

「………ッ!」


 海水の池の中、横たわっていた女性が目を覚ました。


「………あら、貴方達、は?」

「き、貴殿、まさか、人魚か…?」

「(………ッ!)」


 ヴィンセントが見下ろした先で、彼女は尾ひれをくねらせた。

 座りなおすような恰好となり、顔を上げた女性。


 先程も見た通り、青とも緑とも判別出来ない不思議な色合いの髪には、赤い血が滲んでいる。

 額から大きく裂傷が走り、痛々しい。

 だが、その美貌は女子ならば誰もが羨む、蠱惑的でいて他を凌駕するものだ。

 正直、ラピスや生徒達で見慣れていなければ、ヴィンセントも間宮も一目惚れでもした可能性は高い。

 しかし、それは横に置いておいて。


 間宮が、背中の脇差に手を掛けた。

 ヴィンセントも手に持った懐刀を構えている。


 人魚が、敵に与している事は既に、判明していたからだ。

 目覚めた女性意外に人魚が見当たらなければ、疑うのも当然というもの。


 しかし、その女性は彼等の警戒に気付いた様子は無く、頭を押さえて一通り呻いた後に視線を銀次へと向けた。


「彼の、お仲間なのかしら?」

「そうです。

 救助に来た者ですが、」

「あら、そうなの?

 見たところ人間の様だけれど、まさかここまで来ることが出来るなんて、」


 と、ふわりと微笑んだ女性。

 だが、ヴィンセントはともかく、間宮は警戒を解かなかった。


「坊やには、嫌われちゃったみたいね」

『(………お前が銀次様を連れ去ったのは、既に知っている)』

「そうね、その通りよ。

 貴方がそうして、私を睨むのも分からないでもないもの」


 そう言って、微笑みを自嘲気味の笑みへと変えた彼女。

 そして、その次に続いた言葉は、謝罪だった。


「………ごめんなさい。

 私も、この首輪の所為で、こうするしか無かったの…」


 そう言って、彼女が髪を掻き分けて見せた、首。

 そこには、無骨な鉄製の奴隷の首輪があった。

 息を潜めた、2人。

 静かに成り行きを見守っていたアグラヴェインだけが、唯一溜息を吐いた。

 (※サラマンドラは、羽衣に変化しているので、反応は出来ない)


「あの男達に、仲間も人質に取られている。

 出来れば、助けてあげたかったのだけど、首輪の命令と人質がいる手前では、逃がしてあげる事も出来なくて、」


 そう言って、寂しそうに彼女は俯いた。

 間宮が、脇差から手を退けた。

 警戒を解いた訳では無いが、少しだけ気がかりになった事があったのだ。


『(途中の横道から、銀次様のとは別の血臭がしていた。

 お前から香っている血臭と良く似たものだったが、仲間の物か?)』

「ええ、多分そう。

 人魚の血にも、魔力が宿っている『魅了チャーム』の効果があるの」


 眼を上げた女性。

 その眼が、懇願するようにして、間宮を見据えた。


「お願い、厚かましい事だとは分かっている。

 けど、仲間達も心配だし、私もこのままここで死んで行きたくはないわ」

『(………銀次様をこのような姿にしたのは、お前では無いのか?)』

「違うわ、やったのは、フードを被った男達。

 頬に傷のある男と、特徴が無かったけれど、凄い威圧感を持った偉丈夫よ」


 そう言って、当時の様子を語り出した女性。

 聞けば聞く程、凄惨な事実に、間宮の瞳孔は開き、息も荒くなりつつあった。

 握りしめられた拳から、またしても新しい血潮が零れ落ちる。


「………と言う訳なんだけど、それから彼が一頻り叫んで、動かなくなったと思ったら、地響きみたいな音がして、天井から岩が沢山降って来て、」


 頭を指さした人魚の女性が、当たっちゃったみたい。と苦笑を零した。

 話を纏めると、彼女も巻き込まれた被害者である公算は高い。


「マミヤくん、彼女を保護することは、」

『(時間が限られてはいますが、出来るだけの事はしておきましょう。

 それに、先ほどの横道からの血臭が彼女の言う通り、人魚の仲間だったとしたら、助けておいて損は無いでしょうから)』


 多少の皮算用とはいえ、銀次の背中を追ってきた間宮は即座に感情を切り捨てた。

 連れ去った彼女を許すつもりは無い。

 しかし、理由があったと言うならば、同時に助けるぐらいの事をして恩を売っておけば、後々の人魚達とのパイプも出来るかもしれない。

 『予言の騎士』としての銀次の職務に、少しなりとも役に立つ筈。


『(名前を聞かせてください。

 オレは、奏・間宮。銀次様の弟子です)』

「ご丁寧に、ありがとう。

 私は、ビルベルよ。

 こう見えても、人魚達の中では、比較的偉い位置にいるお姫様なんだから、」


 そう言って、こんな時にも茶目っ気たっぷりに笑った女性。

 殺伐とした空気が、少しだけ和らいだ。


 しかし、間宮はこくりと一つ、頷いただけで踵を返す。

 ヴィンセントへと、1つだけ目配せをして。


 どうやら、保護をして連れて行く事に異存は無いが、彼自身が手を出すつもりは無かったらしい。

 間宮は、銀次の下へと駆け、そのまま彼を背中に背負おうとしている。


 これまた取り残されたヴィンセント。

 ふぅ、と溜息混じりに、ビルベルへと振り返ったと同時に、


「済まないが、大人しくしていてくれ。

 『精霊達よ、鎖を砕け』」


 簡潔な詠唱と共に、ビルベルの首にあった奴隷の首輪の鎖が千切れた。

 流石に、奴隷の首輪までは外す事が出来ないが、これで多少なりとも自由になったのは確かである。


「ありがとう、おかげで好きなように動けるわ」


 そう言って、ざばり、と岩場に上がってきたビルベル。

 だが、その下半身は尾ひれであり、ヴィンセント達のように歩いて移動することは出来ないだろう。


 どうするのか、と疑問に思ったところで、


「『偽似コピー』」


 ぺたり、とヴィンセントの足へと触ったかと思えば、次の瞬間にはビルベルの尾ひれが、ぱっかりと2つに我、人間の足となっていた。

 これにはヴィンセントどころか、間宮も驚いている。


「あまり知られていないだろうけど、人魚は魔法でなんでも出来ちゃうんだから」


 そう言って、パチリとウィンクをした彼女。

 2人が揃って驚いた事に気を良くしたのか、ご機嫌なようだ。


 しかし、


「ま、まずは、その下を隠せ!」

『(………恥じらいが無いのも、人魚なんですかね?)』

「えっ!?なんで、どうして?

 人間って、この小股とか、お尻が好きとか聞いていたのに、」

「好きかどうかは別として、隠しておけッ!」


 下半身が何も纏っていないのは問題だろう。


 免疫が無い所為もあってかわたわたとしたヴィンセントと、顔を赤らめながらも辟易とした間宮の溜息が洞窟内に響く。

 人間は確かに、小股も尻も大好きである。

 とはいえ、それが今この状況でも有効と言う訳では無い。


 大慌てで、濡れた外套を脱ぎ捨てて、ビルベルに放ったヴィンセント。

 内心では、保護を申し出た事を少しだけ後悔したらしいと言うのには、余談であった。


 そこで、


『早う動かねば、主が危ないのだが、』

『(………なんだか、のんびりした連中だなぁ)』


 呆れ交じりなアグラヴェインとサラマンドラの意見が、珍しくも一致した。

 これもまた、余談である。



***



 何はともあれ、彼等は銀次の保護に成功した。


 前途多難ではあった捜索組にとっては、かなりの朗報となる。


 早速、移動を開始しながらも、ヴィンセントが精神感応テレパスで、未だ海上に顕現しているだろうサーベンティークへと繋ぐ。


『(聞こえるか、ティーク。

 こちらは、ギンジを保護、同時に協力者であろう人魚の確保も成功した)』

『(おお、それは僥倖な事よ。

 こちらは、未だに出口が探し出せてはおらぬ)』


 悠長に返ってきた声。

 歓喜と共に、申し訳なさげな感情まで滲んでいるが、流石に任せている手前でこれ以上の事を望むのは傲慢過ぎる。

 ヴィンセントは苦笑を一つ零して、首を緩く振った。


『(気にしないでくれ、仕方ないのだから。

 では、引き続き、出口の捜索を頼む。

 幸い、ここを根城にしていた男達が、明かりを設置したまま出て行ってくれたので、1度それを辿っていくつもりだ)』

『(罠の可能性もあるから、気を付けよ?)』


 精神感応テレパスを切って、ヴィンセントが嘆息。


 そして、改めて背中に背負った銀次を抱え直す。

 最初は、間宮が背負おうとしていたが、身長も腕力も足りずに、ギンジの足が引きずられてしまっていた為である。

 これまた沈んだ間宮が、肩を落としていた。

 慰めているのは、ビルベルだったが、間宮は聞いているのか聞いていないのか。


 そして、銀次の様子も、少しばかりもとに戻っていた。

 最初、ヴィンセントが戸惑ったような銀色の髪は、既に黒髪の中に覆われていた。


 間宮が、移動を開始する前に、湧き水の池に落ちていたウィッグを発見し確保。

 『風』の温風で乾かして、装着を完了したと言う次第である。


 今ならば、見た目だけで言えばすっかり元通りだ。

 ともあれ、傷の程度を診ないことには、楽観視出来ない。


 洞窟内を進む足が、先を急ぐように早まった。


『こちらの先は、行き止まりになっておる。

 やはり、この明かりの先が、出口である可能性は高いが、』

「………闇の中を見通すとは、考え付かなかったな」


 先導をしているのは、アグラヴェインであった。

 彼は、銀次考案の『探索サーチ』を用いて、洞窟の奥の奥まで隅々までもを見通して、出口を探していた。


 幸いにして、ここは『暗黒大陸』。

 魔力が満ち溢れた土地である事から、アグラヴェインは外界からの魔力供給でも、十分顕現と能力の維持を可能にしていた。

 それは、銀次の体温を上げる為に、羽衣に変化して纏わりついているサラマンドラも同じこと。


 仄暗い通路には、先ほどヴィンセントの言った通り、明かりが続いていた。

 頬に傷のある男を始めとした敵が、この通路を使っていた証拠。

 それを辿れば、何とか出口には辿り着くことが出来るかもしれない。

 希望的観測のまま、ひたすらに進む。


 奈落の底に、取り残されたような感覚を覚えながらも。

 背筋に這い上る、恐怖に竦む気配を断ち切るようにして、彼等は足を進め続けた。



***

なんとか、救出完了。

進みが遅い上に、また長々と続いてしまいそうな気配がありますが、やっと半分程度が終了したと言い張っておきます。


敵は、南へ。

目標は南端砦。

残された生徒達と、ゲイル達の命運はいかに。


そして、『暗黒大陸』からのアサシン・ティーチャーの無事の帰還はあるのか。

次回は、ラピス達の奮闘をご照覧あれ。


誤字脱字乱文等失礼致します。

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