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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、遠征編
126/179

119時間目 「課外授業~『南端砦』~」2

2016年12月1日初投稿。


続編を投稿させていただきます。

心待ちにしていた話だったので、かなり筆が進んでなんとかかんとか2話目に進みます。


119話目です。

役に立たないヘタレ騎士団長が通ります。

***



 確執の深すぎる兄弟の兄へと、ラピスが張り手を見舞ってしばらく。

 ゲイルの兄ことヴィンセントは、無表情ながらも彼女の背後でうっそりと佇んでいるだけだ。


 未だにダウンしたままのゲイルには、目もくれない。


 兄弟のやり取りを見て、辟易とした溜息を吐いたラピス。

 自分でも吐いてしまいそうだ。と、心の中で揶揄をしながらも、


「足は骨折だけとしても、上の切り傷が酷いのう。

 消毒をするのは当然じゃが、さてどうしたものか、」


 彼女の手は、治療の為に割かれていた。


 場所は相変わらず、南端砦から1キロ程離れた浜辺である。


 自力で動けないらしい怪我人の下に辿り着いたラピスが、簡単な処置と共に治療を始める。

 出血多量と、各所に見受けられた打撲や切り傷は、あっと言う間に消え去った。


 血液が不足した状態であっても、体の痛みが取り除かれた事によって、自力で動けなかった騎士は即座に立ち上がれるまでになっている。


「………こんな、高等な魔法が受けられるなんて、」

「しかも、医者とか、」

「………わざわざ、こんな『南端砦』に…?」


 ざわざわと、さざめき合う騎士達。

 人数としては、30名程であったが、ラピスの手際に対して皆が驚いた表情を見せていた。


「次は、誰かや!

 私の気はそこまで長くは無いのじゃぞ」


 恫喝染みた声を上げた途端、周りの騎士達までもがたじろぐ。


 今まで行動している限り、高飛車でも居丈高でも無かった彼女が、何故か人が変わったような振る舞いをしている。

 これには、ゲイルの部下達も呆気に取られていた。


 とはいえ、何故ラピスはこのような態度を取っているのか。


 偏に、ゲイルの心情を察しての事だった。

 居丈高な態度を取っているのは、いわば演技だ。

 そうすれば、ラピスに視線を集める事が出来る。

 猜疑や欺瞞、敵意の篭った視線を、ゲイルではなく彼女に集める作戦だった。


 無論、その中には、ヴィンセントの視線も含まれる。


 チラり、と見たゲイルの表情は、呆然としていた。

 隠しきれていないだろう、恐怖心や不安がありありと滲み出してしまってすらいる。


 放っておけば、そのうちまたトラウマの発動で、吐くだろう。

 その前に、ヘイトをまとめて、ラピスが引き受けただけである。


「ほれ、次はどいつじゃ?」

「す、すみませんが、お願いします」


 これまた脅迫染みた声を上げれば、おずおずと足を引きずった騎士が前に出た。

 獣人の青年だった。

 それを見ても、彼女は顔色一つ変えずに、処置を行っていく。


「他に、違和を感じる場所は無いかや?」

「は、はい、骨折程度のようでして、」

「程度を決めるのは医者の仕事じゃ!」

「はひっ、すみません!」


 ラピスの怒号に尻尾を丸めた青年。

 しかし、それも束の間の出来事で、瞬きの間には彼の足からは痛みが取り除かれていた。


「粉砕していなくてよかったな。

 骨を継ぎ接ぎしながらの施術になったから、長丁場になるところであった」

「い、いいえ、ここまで治して貰ったのが、そもそも…ッ」

「なんじゃ、ここには治癒魔術師もおらぬのか?」


 そんなやり取りを続けながら、数分後。

 怪我人と呼べる怪我人は、全くいなくなっていた。


 討伐の際にも、怪我人だけで済んでいたのが僥倖だったか。

 死人も出ていない。

 重症で動けなかった人間も、既に自力で動き回れるだけになっていた。


 それもこれも、彼女が高度な治癒魔術を扱えるからこその、恩恵である。


「………感謝する。

 こちらにも治癒魔法を扱える人員はいるが、魔力不足で…」


 そう言って、ヴィンセントが見やった先。

 そこには不貞腐れた表情を隠しもせずに、座り込みながら頬杖を付いている厳つい顔の男がいた。

 騎士服は着ていないから、おそらくは要請で駆り出された犯罪者の一部なのだろう。


 この程度の治療も出来ないとは。

 と、ラピスが呆れて何も言えなくなった。


 ましてや、自身の力不足を棚に上げて、仕事を取られたと不貞腐れている態度も気に食わなかった。


「常日頃から使い続け、修練を続けておればこの程度容易いわ」

「………耳に痛い」


 ヴィンセントは、眉を寄せてはみたものの、その通りだとばかりに首肯した。

 無表情のままであるが、頬に咲いた平手の痕(季節外れのもみじ)が、いっそ滑稽である。


 閑話休題それはともかく


「不躾ではありますが、よほど御高名なお医者様とお見受け致します。

 このような辺鄙な南端砦に、何用があっての事だったのでしょうか?」


 比較的、ゲイルと比べればラピスに対して丁寧に接しているヴィンセント。

 口調も、ゲイルに向けるよりも数倍は穏やかだ。


 問われた質疑には、純粋な疑問があった。

 表情や目の色から判断したラピスが、強かな演技を続けたまま、顎をしゃくる。


「そこで伸びておる、騎士団長にでも聞けば良かろう?」


 皮肉交じりではあるが、そう告げて。


 実際、ヴィンセントに対して、既に腸を煮え滾らせているラピス。

 質問に答える義理は無いと思っていた。


 南端砦の日程が短縮された折、早めに到着したならば、銀次が来るよりも先に治療を始めてやろうとも思っていた。

 だが、目の前の馬鹿な兄の所為で、そんな気持ちも薄れてしまっている。


 皮肉を返されたと分かっているヴィンセントだが、眉根を寄せるだけで無言を貫いた。

 またしても、ゲイルには目もくれようとはしない。


 その表情や行動にも同じく、苛立ちが勝るラピス。

 とはいえ、このままでは堂々巡りである。


「私が魔術師であり、医者である事は既に告げた通り。

 この砦で、病魔が蔓延していると聞いて、騎士団と共に治療に来たのじゃ」

「………治療、ですって?」


 その瞬間、ヴィンセントの表情が強張った。

 一瞬ではあった。

 しかし、ラピスは確かに、その強張った表情を見ていた。


「王国に、伝令部隊分隊長と言う騎士が駆け込んだのでな。

 おかげで、この南端砦の実情と、病魔の蔓延を知る事が出来た訳じゃ」

「………そ、それは、獣人の伝令兵でしたか?」


 そこでふと、会話に紛れ込んできたのは先程治療した獣人の騎士だった。

 その表情には、ありありと不安が見て取れる。

 だが、獣人という事と、ついでに同じような顔立ちをしているのを見て、即座に身内と悟ったラピスは隠す事なく事実を口にした。


「そうじゃ、レオナルドと言ったかの。

 付いた時には、傷だらけに泥まみれで、挙句に『ボミット病』まで発症しておったが、」

「………ま、まさか、アイツも発症していたんですか!?」

「とはいえ、治療済みじゃ。

 衰弱こそあれど、目を覚まして後遺症も無いから、後続と共に連れ帰って来る段取りとなっておる」


 死病の発症を聞いて、驚いていた青年。

 だが、それも束の間、既に治療を受けて無事だと言われた途端、安堵したが故にか泣き始めてしまった。


「………お主等は、そのレオナルドに感謝せぇよ。

 私は、医者と言う地位を得ながらも、薬の研究者の補佐役でもある。

 それに、先にも言った通り、私が治療をしに来たと言ったのは、事実であって嘘ではない」

「………。」


 俄かに、騒然となった騎士達。

 ヴィンセントは、口を開いて固まったままである。


 泣きじゃくり始めた獣人の青年は、きっと誇らしい気持ちでいっぱいなのだろう。

 思わず貰い泣きをしそうになり、ラピスまで鼻がツンとしてしまった。

 だが、努めておくびにも出すことなく表情を引き締め、改めてヴィンセントへと向かい合う。


「弟に思うところがあるのは分かるが、時と場合を考えよ。

 砦の部下達の命を思うなら、ここまで騎士達を動かして私を同行させる為に頭まで下げた弟を悪し様に言って、良い事があるとは思わぬぞ」

「………耳に痛い」


 勿論、半分はラピスの方便でもあった。

 頭を下げられた訳では無いものの、騎士団を動かしたのは誰でも無くゲイルの意思だ。


 銀次もラピスも、その背を押しただけ。

 良案を提示して、彼に選択を取らせただけだった。


 そのラピスの言葉に、ヴィンセントが今度こそ苦々しい表情を作った。

 弟に対する、意識が切り替わらないのか。

 部下達の命を天秤に掛けてまで、守るプライドがあるのかどうかはラピスにとっては分からなかった。


 しかし、


「けっ、何が、御高名なお医者様だ」


 その時、険の混じった声が彼女達の耳に届いた。

 先ほど、不貞腐れていた魔術師の男である。


 いつしか険が取れていたヴィンセントの部下達すら、鼻白む一言。

 それに、ラピスは冷たい一瞥を持って答えた。


「どうせ、その場凌ぎしか出来ねぇんだろ?

 御高名だか権威だか知らねぇが、そんなにお偉い魔術師様なら、砦のシステムごと変えてくれってんだ!」


 そう言って、吐き捨てた男。

 砦のシステム云々と言った通り、不満がありありと見て取れる。


「貴様、ルルリア様に無礼だぞ!」

「助けて貰っておきながら!」

「分を弁えろ!」


 いきり立ったゲイルの部下達が、男に向けていっそ殺伐とした視線すらも向けている。

 然もありなん。

 ラピスは、『予言の騎士』と懇意どころか恋仲の医者である。

 しかも、通常の行軍とは比べ物にならない程の美味なる旅の食事を作ってくれていた彼女は、既に騎士達の中でも女神に次ぐ地位と言っても過言ではない。

 彼女自身の類まれなる美貌も、後押ししている陶酔の結果。


 しかし、ラピスはその男に対して、


「おやおや、負け犬がよう吠える」

「ああッ?」


 怒るでもなく、見下しただけである。

 激昂を露にした男が、立ち上がった。


 つい先ほどにも思った事であるが、自身の力量を棚上げして不貞腐れる等、ラピスには到底許せる行為では無かった。

 元が犯罪者と言っても、その力が誰かの為に使える。

 その喜びを感じず、慢心し怠慢な仕事しかしない等、魔術師の風上には置けないとも思う。


 だからこそ、彼女はこの男の事は、豚以下であると結論付けた。


「自身の境遇を嘆くばかりで、能動的に感受する立場の者が何をほざく。

 変えたければ、自分の力で変えてみよ。

 名誉も価値も名声も、自分の力で掴み取って見せるのが男であろうや」

「なんだと、このアマぁ!」

「ほほほ、お主のような家畜崩れに恫喝されたところで、怖くもなんともないわ」


 言えるだけのことを言って、彼女は哄笑しただけだ。

 実際、この程度の男なんぞ、彼女が手を出すまでも無く騎士団の面々が取り押さえられる。


 我慢出来なくなった男が、殴りかかろうと飛び出した。

 だが、それを感知したのは、ゲイルの部下達の方が早い。


「なにしやがるッ、こ、この…ッ、王国の、犬ども、がっ!」

「ルルリア様への侮辱は、我等への侮辱とも等しい事を心得よ!」

「ならず者め!

 犯罪には飽き足らず、性根まで腐り落したか!」


 とっとと拘束された魔術師の男。

 騎士達は少々やり過ぎな嫌いがあるのう、と他人事のように眺めていたラピス。


 罵詈雑言の類は、すぐに右から左へと受け流す。


「では、先にも言った通り、お主等の治療が控えておるからの。

 時間は有限。

 とっとと砦に案内をしなしゃんせ」


 何事も無かったかのように、ヴィンセントや部下達に向き合った彼女。

 その表情は、後に『氷の女王』と南端砦で語り継がれる程の、絶対零度の微笑みであった。


 ヴィンセントが、溜息を吐いた。

 案内しなかったらしなかったで、面倒な事になりそうだったからである。


「心無い言葉をお耳に入れた事、謝罪する」

「別に、あの程度の言葉等、吐いて捨てる程聞いていたわ。

 それよりお主は、私よりも先に弟に謝罪してはどうか?」

「………耳に痛い忠言、心より身に沁みます。

 砦へとご案内させていただきますので、どうぞ」


 ラピスの嫌味を受けても、ヴィンセントはどこ吹く風。

 ただ、その眉間に皺が増えているのは、見逃さなかった。


 とはいえ、今回はラピスの手柄だ。

 おかげで、拒否をされる事なく、南端砦へと足を踏み入れる事が出来た。


 たとえ、南端砦に一番来るべきだった当人(ゲイル)が、ダウンしていたとしても。



***



 砦へと入り、馬を厩に預ける。

 ついでに、道中で確保していた捕虜達も引き渡し、彼女達は一心地付いた。


 ゲイルは、ソファーにゴミ箱を抱え込んで丸まっている。

 復活の兆しどころか、見込みすらない。

 ラピスは、再度辟易とした溜息を吐くばかりだった。


「失礼致します。

 先ほど頼まれていた、資料と病人の算出が出来まして、」

「失礼致します!

 お茶をお持ちしました」


 その矢先の事である。


 報告に現れたのは、ヴィンセント。

 彼の言葉通り、ラピスが先ほど頼んでおいた、砦の運用資料や病人の算出結果を持って来たのである。


 それと、茶の差し入れに入ってきたのは、先ほど身内の安否を確認して泣きじゃくっていた獣人の青年だった。

 名前をダーウィン・カイゼル。

 彼は、レオナルドの実兄であり、カイゼル家の次男だそうだ。

 ちなみに、8人兄弟との事である。


「なかなか、早かったようじゃのう。

 悪いが、まだ青二才ゲイルが復活しておらぬから、私が先に見させて貰うぞ」


 お茶を受け取りつつ、ヴィンセントからの資料を受け取ったラピス。

 本来、この仕事をすべき人間はダウンしたままだ。

 致し方ない事であろう。


「………体調不良ですか?」

「お主が拒絶した事を端に発した持病じゃ」

「………耳に痛い」


 ヴィンセントの呆れ交じりに視線に、ラピスは再度嫌味を返すだけだ。

 ダーウィンの耳と尻尾が垂れ下がっていた。


 しかし、その直後、ゲイルが激しく嘔吐を始める。

 胃の中身はもはや何も無いと言うのに、げほげほと可哀そうな程に嘔吐いていた。


 ダーウィンの耳と尻尾がピンと立った。


「あの、まさか、騎士団長様も病気なのでは…!?」

「今しがた言ったばかりじゃ。

 何度も言うと、こ奴がまた発症するでな………、触れないようにしてやっておくれ」


 これまた死病と疑ったのは、ダーウィンである。

 過剰反応を起こすようになってしまったのは、この砦の環境故だっただろうか。


 過去200年ほど前に、町娘として紛れていた時代には自分も同じだったと、苦笑交じりに茶を啜った。

 ご丁寧に、気付かれないように『解毒』の魔法を掛けて。


 これは、銀次に最初の段階で、忠言を貰っていたものであった。

 身の上と貞操を考えるなら、必須だと言う。

 心配性というか過保護であると、呆れたのは遂6日前だっただろうか。

 (※姐さんも十分心配性で過保護である)


 それはともかく、


「ふむ、レオナルドの言う通り、半数を超えておったのう」


 彼女が先に目を通したのは、病人を算出した資料だった。

 実際、彼女が砦の資料を見たところで、分かる事が少ないからこそ、ゲイルが復活してから任せるつもりであった。


 彼女の言葉通り、算出された病人の数が108名。

 『ボミット病』の初期症状が出ているのがうち3割、重症が5割、残り2割は原因不明となっている。


 ラピスは即座に、9割が『ボミット病』と判断した。

 原因不明の2割の一部は精神的ストレスによって即発された、精神疾患だと推測できる。

 つまり、今のゲイルと同じ有様と言う事だ。


 だが、残りの9割は発症前の潜伏期間を含めて、『ボミット病』と予想出来る。

 症状に、倦怠感や空咳、眩暈が含まれているのも証拠だ。


「重症患者だけは、先に診療を開始しておいた方が良かろうな。

 ………なんぞ、今まで死人が数える程しかいないと言うのが、気に掛かるが、」


 そう言って、ラピスはついと視線をヴィンセントへと向けた。

 彼は、無表情のまま立ち尽くしている。

 微動だにしない事も相まって、人形のようにも見えた。

 だが、瞬きが増え、瞳が揺れていた。

 おそらく要因を知っているのも彼だろうと、ラピスは予想を付けた。


「ダーウィンとやら。

 悪いが、席を外してくれやしないかや?」

「え、は、はい!構いません////」


 なにやら赤面しながら、居室から出て行った青年が気になるものの。

 ラピスはひとまず、茶を啜りつつ、資料をテーブルの上に投げ出した。


 目線をゲイルへと向ける。

 嘔吐はしていないが、隠し切れない嗚咽が漏れている。

 不甲斐なさでも感じているのか、否か。


 いつもは頼もしい程に大きな背中が、小さく見えた瞬間だった。


 精神的な疾患は、彼も重症だ。

 しばらくは、使い物にならないだろうと判断して、ラピスは溜息を吐いて立ち上がった。


「済まぬが、なるべく使っておらぬ部屋かどこかで、広い空間は無いかや?」


 問いかけたのは、今回の肝。


 肝心の『予言の騎士(ギンジ)』を連れて来る為の、転移魔法陣の設置の為だった。


「ありますが、何に使われるので?」

「魔法陣を描きたい。

 後続で来る予定の者達がいるでな」


 ヴィンセントの質疑に、隠すことも無く答えたラピス。

 彼が目を見開いたのを横目に、彼女は説明を続けた。


「3月末までに帰還せねばならぬ予定があるでな。

 その為に私達が先行して、転移魔法陣を描き、それに乗って後続を迎える事になっておるのよ」

「………ですが、今は既に失われた遺産では?」

「それは、………私が魔術師である事を分かって言っておるのかや?」


 ヴィンセントからの再度の質問には、答え辛かった。

 多少言い淀みつつも、ラピスはなんとかどもる事なく、一瞬口走りそうになった種族云々の話を胸の底にしまい込む。


 ヴィンセントはそれ以上言及することも無かった。

 そこで、ラピスが核心に触れる。


「私も研究には携わったが、流用を決めたのは『予言の騎士』じゃ」

「………は、話には聞いておりましたが、何故このような辺鄙な砦に『予言の騎士』様が…?」

「それも、あ奴に聞いた方が早いであろうよ」


 触れてくれるなと言っておきながら、自分からゲイルの話題へと触れたラピス。

 疲れて眠ったのか否か、その背中が反応する事は無かった。


 今度は安堵したように、溜息を吐いた。


「………アビゲイルが、何か?」

「『予言の騎士』の護衛の任を受けておるのが、青二才ゲイルじゃ。

 その伝手を使って、この砦の事や兄弟達の事を相談し、今回の砦への訪問を漕ぎ着けた、とは聞いておる」


 そう言って、しばらく説明を続けた彼女。

 かくかくしかじか。


 そして、後続部隊には、先ほど表題に上がったレオナルドがいる事も告げた。

 彼の足や回復具合を考えても、転移魔法陣を使う方法しかなかったというのも付け加えた。


「………左様でしたか。

 処置までしてくださったようで、重ね重ねありがとうございます」


 納得をしたのか、無表情ながらも謝辞を述べたヴィンセント。

 頭を小さく下げた辺り、敬意も多少は表したのかもしれない。


 ただし、


「私だけではなく、その決断をしたゲイルにも言ってやれ」

「………耳に痛い」


 ラピスは、再三ともなる嫌味で毒吐いた。

 このやり取りは、おそらく彼がゲイルと和解するまで続くかもしれない。



***



 ヴィンセントの先導を受けて、護衛を伴ったラピスが案内されたのは、ダンスホールと表記された一室であった。

 元は砦はなく、居城だったらしい。

 戦時中に魔族に陥落されたが、それを人間達が奪い返してから堅牢な造りを見込んで砦に流用されたという過去を持っている。

 不釣り合いな尖塔が見えたのは、その所為だったようだ。


 納得したラピスが、ダンスホールの中央へと進む。


 城の造りとしては、あまり相応しくないものの、石造りのダンスホールは圧巻だった。

 古い造りではあるが、豪勢なピアノもあった。

 音が鳴るかどうかは、触ってみなければ分からない。

 ここに銀次達がいれば、ドラキュラ城のようだと揶揄しただろう。


 騎士達の詰める場所で、ダンスなど行われる事も無い。

 絶好の穴場であった。


 片手間で魔法を使い、燭台を何本か灯してラピスが床を見た。

 床まで石造りなのは、流石に頭を抱えたくなった。

 これでは、魔法を使いながらではないと魔法陣を彫り込めないし、魔法陣の痕を残す事になってしまうからだ。

 この訪問が終われば、転移魔法陣は使えなくするつもりでもあった。


 今後の診療の為と考えれば、転移魔法陣を残しても良い。

 だが、それを判断するのはラピスではなく、ゲイルや銀次の仕事である。


 仕方なく、ラピスはヴィンセントへと振り返った。


「悪いが、人数を少し借りても良いかや?」

「………不備がありましたか?」

「石に魔法陣を描くには掘り込まねばならん。

 砂を敷いて『土』魔術で頑強な円台を作り、その上に描く事にしよう」

「………すぐに、手配します」


 そう言って、ダンスホールを出て行った彼。

 小間使いでも付けて頼めば良かろうに、と思った彼女もはたと気付いた。 

 どのみち、この砦を運営している人数では、小間使いまで手配は出来ないのだろうと思い至ったからである。


 しばらくして、ヴィンセントが戻ってきた。

 命令を受けた騎士達も一緒である。


 だが、騎士達が抱えているのは、砂の入った土嚢のようだった。


 洪水被害でもあったのか、真新しい麻袋に入れられたそれは少々湿っている。

 だが、魔法で乾燥まで出来る彼女としては、特に関係ない。


 むしろ、手配に行くよりも先に、既にある備品を使った辺り頭が回ると言うべきか。

 早くに始められそうな準備に、ラピスが嬉しそうに砂をぶちまけるように騎士達へと申し付けた。


 だが、


「………ッ!?」

「ルルリア様…!?」

「おのれ、何をしている!?」


 ぶちまけられたのは、ラピスの頭上だった。


 ラピスが息を詰めて、飛び退った。

 見ていた護衛の騎士達と、ヴィンセントすらも目を瞠る。


 なんとか回避できた。

 とはいえ、もう少しで濡れた砂塗れになっていたことだろう。

 もし押しつぶされて居れば、窒息も有り得た。


 間違う事なき、悪意である。


「何をしている?」

「申し訳ありません、手が滑りまして…」

「謝るべきは私ではなく、彼女だ」

「どうも、すいません」


 唸るようなヴィンセントの恫喝の声がダンスホールに響いた。

 しかし、騎士達はあくまでわざとではない体を装って、謝罪もおざなりであった。


 何をしたいのか?

 彼女は、飛び退って着地した場所で、乱れた衣服を整えるように叩きながら、考えを巡らせる。

 実際、怒りよりも先に呆れが来ていた。


 こんなことをして、ただで済むとは思っていないだろうに。

 自分達の総帥であるヴィンセントの立場が悪くなるような事をしている。

 しかも、わざわざ王国から来た、騎士団ではない魔術師に。


 だが、考えたところで、答えが出なかった。

 ラピスは、少々険の混じった視線で騎士達を一瞥しつつ、


「お主等がやらぬのであれば、私が勝手にやるまでよ」


 そう言って、即座に魔法を発現した。

 脳内で既に、詠唱は完結している。


 発生したのは、小規模な『風』属性の刃。

 騎士達が持っていた砂の詰まった土嚢の袋が切り裂かれ、バサバサと床に落ちる。

 驚いたのか、土嚢を取り落とす騎士までいた。


 お返しだ、とフンと鼻を鳴らしたラピス。

 ヴィンセントが、扉の近くで溜息と共に頭を抱えているのが見えた。

 

 ただし、傷を付けるつもりは無い。

 なので、『風』の精霊達には、人体に影響を出さないように願っておいた。

 これも、彼女が器用であり、精霊に好かれている証拠だ。


「………何を…ッ」

「やめろ、口まで出したら、」


 騎士達は激昂したようにラピスを睨みつけている。

 口を出そうとしたが、これ以上は無礼と断じられると考えたのか、全員が黙り込んだままである。


 だが、彼女は素知らぬ様子で砂をいじり始めた。

 この程度の敵意や殺気なら、ローガンやゲイルの方がまだマシとまで考えていた。

 銀次のは含まない方向だと言うのは、余談である。


 砂の上に乗り、トントンと足で形を整えながら土台を作っていく。

 円台の形に近付いたは良いが、砂が足りなかったのか少し小さい。


 これでは、大荷物となるだろう物資が運べないと考えて、


「これ、ぼーっとしておらんと、次の砂を持ってきやれ。

 それとも、手を滑らすようじゃから、そのガタイで力仕事は向いていないと言い張るかや?」


 これまた挑発や嫌味も込めて、騎士達へと一言。

 おかげで、騎士達の憤怒の形相が強まった。


 これまた、ヴィンセントが大きな溜息を一つ。

 反応する様子が無いのを見兼ねて、「行って来い」と指示を出す。

 渋々ながら、騎士達は退出していった。


 演技なのか本性なのか分からない、強かな彼女の一面に触れたゲイルの部下達が呆然としていた。

 これまた余談である。


 その後、このやり取りが3回も続いた。

 ラピスが途中から面白くなってしまったのもあるだろう。

 『予言の騎士』を尻に引いている嫁の1人は、やはり強かだったようだ。


 最後になった時、無礼を働いた騎士達は息も切れ切れであった。

 もはや、怒りを抱く余力も無さそうだ。


 出来上がった円台は、全長が2メートルを超えていた。

 ある程度の形を整えてから、『土』魔法で完全な円形へと変え、更には水分を蒸発させながら硬質化させた。

 一見すれば、石床と同じぐらいの色合いと硬度へと変わった砂の円台の出来上がりだ。

 その中央に彼女が立ち、その場で『水』魔法と『風』魔法を同時に発現した。


 その辺りで、ヴィンセントが目を瞠っていた。

 無礼を働こうとしていた騎士達も、呆然とラピスの様子を見ている。


 彼女は、魔法陣程度であれば、道具を使わなくても描くことが出来る。

 実際に使うのは魔力付与を施すインクだけで、全て魔法で描く事で精密さも正確さも兼ね備えていた。


 その過程で、彼女の周りには2色の属性光が、踊るようにして乱舞。

 幻想的な光景に、誰もが言葉を失う光景だった。


 実は、この光景を見た事のある銀次も、同じように見惚れていた。

 妖精のようだったとは、本人の談だ。

 とはいえ、その後に欲情したギンジに、昼間から宿の一室に引きずり込まれたのは、いい思い出なのか悪い思い出なのか。


 思い出してしまって、背筋が震えたラピス。

 頭を振って魔法の発現へと集中した。


 若干赤面していた様子に、ゲイルの部下達が小首を傾げていたのは別の話である。


「ふぅ、スペルの間違いは無いかや?

 ………幾何模様も、数式も間違ってはおらぬが、………ふむ、我ながら上出来じゃのう」


 その数分後、ラピスの満足げな独り言だけがダンスホールに響く。

 口を挟む者はおらず、また口を挟める次元の話ではない。


 黒々とした円台には、2メートル越えの転移魔法陣が描かれた。

 校舎に描いたのと同じ双方向性の魔法陣。

 違いがあるとすれば、甲と乙程度で、どちらが受け手になるのかと言うだけの話だった。


 後はインクを流して、魔力反応を確認すれば、転移魔法陣の設置は完了だ。


 出来上がりに満足したのか、彼女は鼻歌混じりに円台を下りる。

 中指にしていた指輪とネックレスを交互に弄り、ご機嫌な様子だ。

 先ほどの無礼な騎士達への怒りも忘れているかもしれない。


 その絶世の美女の微笑みにうっかりと見惚れた騎士達が、先ほどの無礼を思い出したのか悶え始めていた。

 さて、それはさておき。


「………さて、青二才ゲイルは復活したじゃろうか?」

 

 話題に上げたのは、未だに案内された居室で寝ているだろうゲイルの事だった。

 精神的な負荷の所為か、ラピスが部屋を出る頃には寝入ってしまっている。


 その瞬間、またしてもヴィンセントの表情が強張った。


「なんぞ、思うところもあるだろうが、砦の部下達の為にここは休戦にしてやった方が良いのでは無いかや?」


 だが、敢えてラピスは、ずけずけと言葉を重ねる。

 しっかりとした歩みと共に、冷笑とも呼べる笑みを深めていた。


「あ奴が、砦の実情を聞いた時、どんな顔をしていたと思う?」

「………知る由も、」

「まるで、雪山に捨てられた子どものように、所在なさげにしておった」

「………。」

「あ奴が今、ああして体調を崩しておるのは、今に始まった事では無いぞ。

 前にも、一度、お前のもう一人の弟の所為で、あんな状態になっておったわ」

「………ヴァルトの?」


 ヴァルトの名前が出た途端、ヴィンセントが目を瞬かせる。

 ご丁寧に、ラピスの表情を真偽を確かめるようにして凝視しながら。


 それに対して、彼女は嘘偽りは言っていない。

 だからこそ、堂々と歩み続けていた。


「護衛の傭兵と共謀し、実の弟に自白剤を飲ませ、拷問まで行ったようじゃ。

 次に会うと決まった時、朝からあの調子で、同じ医者でもある『予言の騎士』すら匙を投げておったわ」

「………ッ?」


 拷問のくだりで、ヴィンセントがまたしても目を瞠った。

 流石に行き過ぎた行為だったことに、及ばずながらも察したのであろう。


「………じゃが、今では、昔から仲の良かったような兄弟に戻った。

 何故か、分かるかや?」

「………。」


 ラピスの問いかけに、ヴィンセントは答えない。

 むしろ、答えられなかった。


 分からなかったからだ。

 そこまでの険悪な関係になっておきながら、何故修復出来たのか。


「理由は、おそらくここに(・・・)書いてある」


 そう言って、彼女が探った懐。

 取り出されたのは、1枚の手紙。


 その蝋印に気付いたヴィンセントが、はっと息を詰めた。


 これも、出発前に秘密裏に託されていたものである。

 何を隠そう、ゲイルのもう一人の実兄である、ヴァルトから。


 砦に付いた時、もし万が一問題があったら、目の前にいる長兄ヴィンセントに渡して欲しい。

 そう言って、彼から託されていた。


 その手紙を差し出したラピス。

 その表情は、無表情ながらも穏やかだった。


 ヴィンセントが受け取ろうと、手を伸ばした。


 しかし、


「おっと、それよりも先に、ゲイルの状態を確認せねばのう!」


 手が触れるか触れないかの位置で、彼女は一転して楽し気な表情をしながら手紙を引っ込めた。

 まるで、悪戯好きの童女のような振る舞いだった。

 思わず、ヴィンセントがつんのめる。


 驚きの余り、彼の目が丸まっていた。

 目の丸め方まで青二才ゲイルに似ている、と苦笑気味なラピス。


 だが、彼女はすたすたと歩き出す。

 固まったままのヴィンセントを残して、護衛を伴ってダンスホールを出て行ってしまった。


 これには、唖然としたヴィンセント。

 先ほどの無礼を働いた騎士達すらも、唖然としたまま彼女の背中を見送って。


「………悪女だ」

「むしろ、魔女だ…」

「………でも、そこが良い」

「………今夜のおかずが決まったぞ」


 四者四様の感想を零して、だらりと石床に突っ伏した。

 その表情には、先ほどのような憤怒は、到底見受けられなくなっていた。



***



 最初に案内された居室へと戻ったラピス。

 ソファーには、寝起きなのか呆然とした様子のゲイルが取り残されていた。


「………どこへ?」

「転移魔法陣の設置に向かっておった」


 そう言って、改めてソファーへと座ったラピス。

 後から追随していた護衛の騎士達が、苦笑気味なのには流石にゲイルも怪訝そうにしていた。

 とはいっても、小首を傾げた程度ではあるが。


「大丈夫ですか、騎士団長」

「流石に、あれは無いとは思いますけど、」

「………あれなら、オレも吐きます」


 そう言って、部下達からの労いや慰めの声を聞いて、赤面を始めたゲイル。

 その様子を楽しそうにふくふくと笑っていたラピスが、ふとある事に気付いた。


 それは、彼女の中指にあった指輪だった。

 指輪の中央にはめ込まれた魔石が、青色へと変わっている。


 合図だ。

 先ほど、彼女は魔法陣を設置した後に、指輪を弄っていたのは、何もご機嫌だったからだけでは無い。

 設置してすぐに、合図を送っていたのである。

 その返答が、今しがた来た形だ。


 向こうは、早すぎると焦っているだろうか。

 慌てている銀次を想像して、くすくすとまた笑った。


「………ご機嫌だな、ラピス殿…」

「ふふ、やっとお役ご免じゃ。

 嬉しくない訳が無かろうて、」


 魔法陣の設置も終わり、更には返答が来た。

 そうなれば、彼女が強かな態度を取って、演技をする必要は無くなるのである。


 気を張るのに、疲れていた手前、ラピスは安堵していた。

 銀次が来てくれれば、この状況も少しは緩和されるだろう。


 勿論、目の前の青二才ことゲイルの体調不良も。


 穏やかでいて生温い視線を向けられ、意図に気付いたのか頭を掻いたゲイル。

 鼻先どころか、耳まで真っ赤になっていた。

 これから来る後続の面々ならば、一緒になって揶揄ってくれる。

 楽しみだ。


 それが少しでも、彼の精神疾患への緩衝材になればと思いつつも、彼女はテーブルに出されたままだったお茶を飲み干した。


 その様子を、小さく開いた扉の先から、秘密裏に見聞している人間がいた事にも気付かぬままに。



***



 ゲイルとラピスが、護衛の騎士達と共にダドルアード王国を出立してから5日後。


 時刻は、夕方に差し掛かろうとしていた時間帯の事だった。

 宿で待機しているオレ達は、相変わらず修行三昧である。


 ただし、今回はただの修行ではなく、特別科目の実習も含まれていた。


「おひっ、ぶぅ、ひぃい!!」


 と、振り回されて奇妙な悲鳴を上げる浅沼。


「足が届かない…です」


 低身長の切実な悩みを涙目で発露した伊野田。


「うげぇ、結構、難しいのな!」


 舌を噛みそうになりながらも、懸命に励む香神。


「よ、ほっ、意外と、慣れたら、簡単そう!」


 器用にも勝手にコツを掴んだ榊原。


「結構、高いし、揺れるし、最悪!」


 振動も乗り心地もお気に召さないのか、文句ばかりのエマ。


「意外と可愛いけど、やっぱり見るのとやるのは違うね…ッ」


 気に入ったようではあるけど、上達はしていないソフィア。


「こ、怖い…無理、………ごめんなさいごめんなさい」


 高所恐怖症が仇となって、もはや何に謝っているのか分からない河南。


「足届かねぇ!うわ、揺れるしぃい!?」


 これまた低身長故の悩みを発露し、その大音声の所為で振り落とされる結果となった徳川。


「ははっ、楽しいなぁ!

 やっぱり、こっちの世界来て、良かったかも!」


 と、某爆走将軍のように、とっとと上達して乗り回している永曽根。


「届かないわよ、馬鹿!笑ってないで、助けなさい!」


 これまた低身長故の悩みの発露と、オレへと怒鳴る事で忙しいシャル。


 個性があって良いのか、悪いのか。

 とりあえず、低身長組は可哀そうだから、特注での鐙の発注を決めた。

 うん、そう決めた。


 呆れ交じりながら、生徒達の様子を眺めておく。

 何をしているか、と言えば。


 特別科目で表題に上がったことのあった『乗馬』である。

 訓練で逃げる足を確保するのは当然のことながら、こうした乗り物の技術も必要不可欠だ。


 白竜国の騎士団を撃退したというご褒美がてら、早速技術習得の特別科目をねじ込んだのである。

 ご褒美という響きに騙されて、生徒達は喜び勇んで臨んでくれた。


 この宿、庭先が滅茶苦茶広い。

 何せ、他国から来たお客の馬が走り回っても良いように、ってのがコンセプト。

 おかげで、オレ達もしっかり恩恵に肖っています。


 以前、男子組が嬉々としてやりたがっていたので、こうして修練に組み込んでみた。

 まぁ、まだ春休み中だから、授業ではなくレクリエーションみたいなものだけども。


 ただ、永曽根は、結構広いとはいえ、庭を爆走するのを辞めろ。

 暴走族の血が騒いでいるとかだったら、叩き落すけど?


 ちなみに、名前の出なかった紀乃と間宮は、見学組である。

 理由は簡単。

 紀乃は下半身不随で乗れないし、間宮は既に乗れるから。


 それから、ディランとルーチェが不参加なのも、勿論乗れるから。

 その代わりと言ってはなんだが、


「そのグリップを持って、肩に担ぐようにして構えろ。

 その動作を出来るだけ最小限の動きで出来る様に、しっかり体に沁み込ませろよ?」

『はいっ』


 特別科目の講習として、これまたヴァルトに出張して貰っている。

 そして、何をやっているかと言えば、チート改造された『タネガシマ』こと『隠密ハイデン』の扱いを学んでいるのである。


 元々、『闇』属性を持った生徒達には、持たせるつもりだった。

 対象者は、榊原、河南、永曽根、間宮、ディラン、ルーチェだ。


 既に試射もしたり、内部構造に精通しているヴァルトに頼んだら、即座にOKしてくれたの。

 おかげで、オレも手が余っているから、生徒達の乗馬訓練に集中出来る。


「ああ、抱え込むな。

 万が一暴発したら腸無くなるし、そんな癖付けてたら猫背になって命中度も下がる」


 ハルも同じく、抗議に参加している。

 けども、彼の場合は、元祖『タネガシマ』しか撃てないので、扱い方云々は抜きにして姿勢だけの教授となっていた。

 とはいえ、彼も流石は裏社会の人間。

 『隠密ハイデン』を構える姿も様になっている。


 とはいえ、物騒なこと言って生徒を脅すのは辞めて?

 腸無くなるとは、血生臭すぎるでしょ。


 そんな中、


「ぐう…っ、ううっ、いっつも、こんな訓練を…!?」

「うん、そう。

 生徒達は、全員これぐらいはクリア出来るから、」

「うぐぉ…ッ、子どもに負けるオレって…!」


 オレの真横で、なんとかかんとか腹筋のノルマを半分ほど消化したのは、レオナルド。

 例の伝令で、純粋ピュア過ぎる純情な獣人青年である。

 ちなみに、年齢が16だと聞いて驚いた。

 ガタイだけを見ると明らかに20代越えてんのに、またしても獣人マジックに驚かされた形である。

 ………1度目は、ディルだったけど。


 閑話休題。


 彼は、ここ数日ですっかりと回復し、今ではこうしてオレ達と行動を共にしている。


 何故かと言えば、オレ達が『南端砦』に行くのと同時に、彼も帰還が決定しているからである。

 突っ込んで聞いた話、色々と問題がありそうなのは分かった。

 だが、このまま王国に残しておいたところで『闇』属性を持っているのだから、針の筵だろう。

 砦には兄弟もいるし、お仲間の多いらしいから、せめて砦に返してやろうって事で。

 常に一緒に行動をしているのは、合図が来たら即座に移動できるようにだ。


 そして、オレも流石に、ラピスと早く会いたい。

 こんな長期間離れた事が無かったから、余計にそう思うんだろうけど。


 まぁ、ラピスの帰還を心待ちにしているのはもう2人いる。

 言わずもがな、シャルだ。

 お母さんが居なくなった途端、ガクリと訓練の結果が落ちた。

 ホームシックと言うかなんというか。

 微笑ましいので、怒りはしない。


 そして、もう1人は、ローガンである。

 理由は、押して察しろ。

 ………夜の仲良しのルーチンが早くなって、また腰ががくがくしてるらしいってだけ。

 オレが控えれば良いだけとはいえ、どうしてもムラムラしちゃうんだもん。

 最近、色気が増えたのか、ムラムラしちゃうんだもん。

 大事な事だから2回言った。


 閑話休題それはともかく

 色惚けもそろそろ終いにしないと、オレの背後で休憩中の当の本人から尻肉を千切られかねない。


 うん?

 ゲイル?

 別にどっちでも良い。(※酷い)


「感覚は掴んだな?

 しばらくは、こうして訓練に乗馬を組み込むから、しっかりと習得してくれよ。

 後、暴走族ナガソネはとっとと戻ってこい!」


 そんなこんなで、乗馬訓練を終了。


 まぁ、今日は初日だったのだから、結果が凄惨であってもまだ及第点。

 馬の背に乗れただけでも、実は凄いと言うのは天狗になりそうだから教えてやらないがな。

 むしろ、ある程度乗りこなしている、榊原と永曽根が異常なだけだ。

 

 一部を除いて疲れ切った表情で戻って来る生徒達。


 そんな彼等を見渡しながら、ふと気付いた。


 胸元が熱い。

 そう思って、シャツの襟もとに手を突っ込んだ。


『きゃあ!』

「何してるのよ!?」

「別にやましい事はしていない」


 素っ頓狂な黄色い悲鳴を上げた杉坂姉妹とシャルは一体どうしたのか。

 (※後から、胸筋が見えていたとか聞かされて悲鳴の意味が分かった)


 取り出したのは、指輪を通したチェーンであった。

 そこには、ラピスとローガンとでお揃いのリングと共に、魔法具である指輪も通してあった。

 右手に付けると修練で壊しそうだったし、左手だと失くしそうだったからである。


 その指輪の中央にある魔石が、赤く発色していた。

 記憶では、青色だった筈である。


 そこで、はたと気付いた。

 合図だ、と。


 だが、その瞬間に、背筋に粟立つ何か。


「今、ラピス達が出立してから何日目だっけ?」

「(5日目です)」

「だよね、………早すぎねぇ?」


 だって、早すぎる。

 すわ救難信号かと驚いてしまっても、可笑しくは無い。


「(東の森にある、転移魔法陣でも使ったのでは?

 ラピス殿なら使えますし、使えば1日分ぐらいは短縮できますよね)」 


 そこで、出来る弟子からの一言で、納得できた。

 おかげで、無様に大慌てをする必要もなくなったのは確かである。


 いや、心配して無いって訳じゃないけども、それも然もありなん。

 内心で心臓をバクバクとさせながらも、改めて生徒達へと視線を向けた。


 指輪に興味津々そうにしていた面々の顔があった。

 間抜け面だったが、それ以上は言うまい。


「ちょっと早いが、合図だ。

 出立準備をして、正面玄関に集合」

『はいっ!』


 だが、オレからの号令はこれだけで事足りる。

 疲れ切った表情をしながらも、即座にその場から駆け出した生徒達。


「せめて、馬具の片付けをしてから行けぇ!」

『はぃいいいいい…ッ!』


 迅速なのは良いが、馬ごと放置とかどうなんだ。

 しっかりしているのかちゃっかりしているのか、よく分からなくなった。


 ついでに、


「ねぇ、例のあれ出来てる?」

「出来てる、出来てる!余裕じゃん!」

「マジか、やったぁあ!」


 杉坂姉妹は、一体何を企んでいるのか。

 小声で話しているつもりだろうが、聴力強化組には丸聞こえなんだが、おい。


 ………ソフィアが製作者でエマが依頼者である辺り、察しが付きそう。

 服飾関係だろうね、うん。


 まぁ、それは置いておいて。


 オレも、ちゃきちゃき準備しないと。

 オレだってラピスと早く会いたいから、集合に遅れたくはない。


 そうして、馬を貸し出してくれた騎士団と共に馬の手綱を引いている傍らで、ふとオレの背後に立った誰か。

 振り返って見ると、


「………いざとなったら、使え」

「おわっ」


 そして、突然投げ渡されたものに、吃驚。

 投げた犯人は、ヴァルトである。


 手綱を握っていた所為で受け取り損ねそうになったのを、慌てて足で蹴り上げてキャッチした。

 我ながら、器用なものである。


 そこにあったのは、合図の時に使ったのとは違う指輪だった。

 魔法具だとすぐに分かる。

 だが、どっかで見覚えがある。

 何を隠そう、ハルがオレ達を拉致した時に使用していた、『雷』属性の指輪(スタンガン)じゃねぇか。


「おい、危険物所持…」

「お前に言われたかねぇよ。

 まぁ、餞別と言うか、万が一の為だよ」


 そう言って、シガレットを吹かしたヴァルト。

 どうでも良いけど、厩って馬以外にも動物がいるから、火気厳禁………。


 それはともかく、軽く使用方法の説明をしてくれた。

 既に指輪に組み込まれた魔石が魔力を吸収しているので、起動を念じるだけで使えるとか。

 ああ、つまり、魔力はいらないのか。

 魔法が使えないハルが使えたのは、つまりそう言うことだった訳だ。


 ただし、という補足説明。

 魔力を込める事も出来るので、出力調整はその魔力の込め方次第だとか。


 今のまま使えば、最低限の出力。

 オレかゲイル並みの人間が使えば、完全に死刑執行レベルの出力となる訳だ。

 ………やっぱり、危険物所持だよね。


 そして、ついでとばかりに、


「後、これも、いざとなったら使え。

 ヴィンセント兄貴に渡せば良い」


 今度差し出されたのは、手紙。

 そういえば、ラピスにも渡してたけど、何?


 オレがその手紙を受け取ったと同時に、何故か彼は頬を掻いていた。

 というか、家族としての手紙なら、そんな風に言わなくても届けるけど?


「テメェには、借りがあるからな」

「………それ、いつの話を言ってる訳?」

「色々だよ、色々………」


 そう言って、鼻の頭を赤らめながら、ヴァルトは厩を後にした。

 なんか、素直じゃないのもゲイルそっくりね。


 まぁ、餞別とか言われた(※指輪だけ)から、持っているに越したことは無いだろうけども。

 ほっこりしつつも、苦笑と共に胸元に手紙をしまっておいた。


 だが、


「テメェ、色目使ってんじゃねぇぞ?」

「どこが?」


 またしても、ハルから恨みがましい視線をいただいた。

 突然の登場でもある。


 ………オレがどうして、ヴァルトに色目を使う理由があるのか説明しなさい、今すぐに!



***



 また無理を言って、改築中の校舎に入らせて貰う。


 今度は、生徒達も一緒で、なおかつ大荷物だ。

 オレや生徒達の着替えやその他の荷物と、消耗品各種、『ボミット病』関連の薬や備品も搬送予定だからね。

 ついでに、王国からの南端砦への補給物資も一緒って事で、大八車すらも持ち込んだというぶっ飛び具合。

 いや、先行部隊に持たせると足が遅くなると思って、こっちで引き受けちゃったの。


 ジョンさんも親方さんも、無茶言った挙句に手伝って貰っちゃってゴメンナサイ!


 なんてことがありながら、総勢17名と騎士団の護衛が校舎の3階リビングに集合。

 ラピスが書いた2メートル越えの転移魔法陣が、魔力光を放っている。


 オレと生徒達15人で、ローガンとアンジェさんも同行する予定だ。

 そこに、南端砦所属のレオナルドも追加される。


 ちなみにオリビアは『聖域』を離れる訳にいかないので、今回はお留守番。

 ヴァルト達も同じく留守番で、オレ達が帰って来る頃には校舎の改築も終わっているので、受け渡しやその他諸々の手続きも任せておいたりして。


 とにかく頼りになる、兄貴様である。

 マジで、ゲイルも見習えば良い。

 余談である。

 彼も彼で、へたれていなければ滅茶苦茶頼りになるのは、知っているからね。

 オレもだけど。

 げっそり。


 そこで、改めて合図を出した。

 魔法具の指輪に魔力を通す。

 タイムラグ無しで、向こうにはオレの時と同じ反応がある筈である。

 (※後に反応した時の色が、反転している事に気付いたけども)


 対となる魔法具はラピスが持っている。

 先ほどの合図が救援信号ではなくただの合図であったなら、数分後には彼女達が到着する予定であろう。


「こんな魔法陣を使ってまで、…ぐす…ッ。

 ………ぼ、本当に、ありがとうござびばず…ッ」


 涙ぐんだレオナルド。

 今まで不遇の環境に置かれた砦にいた所為か、温情に対して涙もろいようだ。


 くすり、と苦笑を零して、魔法陣の起動反応を待つ。

 まぁ、オレも転移魔法陣が使えなければ、きっと行けなかっただろう。

 言わなくても良い事だから、言わないけども。

 これまた、ラピス様々である。


「だが、お前もなんで、ここまでやってくれるんだ?」


 そこで、ふと話しかけられた。

 これまた、犯人はヴァルト。


 振り返って見た先で、彼は先程同様シガレットを吹かしながら、自棄に難しい顔をしていた。

 まぁ、リビングだから良いけど、改築中だから禁煙だってば………。


 それはさておき、


「これ、ぶっちゃけて言えば、『予言の騎士』としての職務にゃ、関係ねぇだろ?

 ゲイルに相談されたとはいえ、忙しい身の上でテメェが引き受ける道理も無いんじゃねぇか?」


 聞かれた言葉に、ふと気付く。

 確かに、言われてみれば、そうかもしれない。


 今後のスケジュールを考えれば、抜いても良かった予定だ。

 まぁ、既に手筈を整えてしまったので、今更辞める事は出来ないけども。


 そう言えば、オレどうして、ここまで躍起になってんだろう。

 ゲイルの頼み事があるとはいえ、なんかのめり込み過ぎている気がしないでもない。


 答えに窮するのを見てか、難しい顔が苦々しい顔になったヴァルト。

 後ろめたい事があるとか思いこまれても困るのに。


 でも、………どうしよう。

 答えるべき答えが、見つからない。


 だって、オレも分からないから。


 だが、


「先生が、お人好しってだけだよねぇ」

「そうそう!困ってる人、助けるのが趣味なんだろ?」


 そこで言葉を返したのは、オレでは無かった。


 くすくすと笑いながら、榊原が言った。

 それに賛同した徳川も、にっかりと笑っている。


 それ、お前達に言われると、なんか照れる。


「あ、あたしの時も、お母さんの時もそうだったもの」

「私の時もそうだったな」

「ええ、ギンジ様には、色々と助けていただきました」


 次に賛同したのはシャルで、頬を赤らめながら口を尖らせていた。

 対して、ローガンとアンジェさんが穏やかに笑う。


 そういや、彼女達としっかりと向き合ったのも、助けた時だったか。


「放っておけないからって、すぐ口出しちゃうの!」

「たまにうるさいとか思うけど、心配性だからねぇ」


 そう言って、杉坂姉妹が揃って、笑い声を上げた。


 うるさいとか言われても、どうしても口出しちゃうんです。

 ………制服着崩したりとかね。


「オレ達の事、必要以上に気にかけてくれちゃったりね」

「キヒヒッ。

 先生ノ車椅子ノ押し方、病院みたいデ割ト安心スルけどネ」


 なんてエピソードまで語ってくれた、常盤兄弟。


 だ、だって、大変そうだったんだもん。

 なんか、兄弟愛が微笑ましくてついつい手を出しちゃったりしたけどさぁ。


「喧嘩の仲裁とか割と早かったり、容赦ねぇ時もあるけどな」

「そうそう、まるでオレ達の事見張ってんのかって思うぐらいな」


 顎への蹴りがよほどトラウマなのか、苦い顔をしながらも笑った永曽根。

 答えた香神が、やけに厭味ったらしくニヤニヤ笑った。


 ………監視していたのは、否定出来んな。


「私たちの事も気にかけてくださいましたしね」

「オレ達がここにいるのは、ギンジ先生のおかげです」


 そう言って、ルーチェとディランが胸を張っている。


 魔法の属性の事とか、とても他人事とは思えなかったんだもの。


「オレの事、気持ち悪いとも言わないで、見捨てなかったりね」

「あたし達が運動音痴でも、しっかり練習できるようにこっそり付き合ってくれたりね」


 じんわりと涙ぐみながらも、微笑んだ浅沼。

 同じく涙ぐみながら、穏やかに笑った伊野田。


 しかし、伊野田はそれ、言っちゃいかん奴。

 ………主に、徳川とか徳川とか徳川が、食いついちゃうから。


「あ、ズリィ!」

「ああっ、言っちゃった!」

「ダメじゃん、伊野っち」


 ほら、予想通り徳川に食いつかれたじゃん。


 困った様子で笑う他の生徒達に宥められて、徳川が大人しくなった。

 とはいえ、今後は彼からの秘密の特訓も催促されそうだね。


 そして、


「………ふふ、こうして慕われるのは、それ相応の理由があるからですの」

「(こくこく)」

「マミヤ様も、『自分達を守る為に、身を挺してくれたギンジ様の雄姿はずっと脳裏に焼き付けております』って」


 そんなオレ達の様子を微笑ましくも笑いながら、オリビアが締めくくった。

 バ○ルヘッド並みの速度で首肯した間宮も共に。


 お前達の言葉が、何やら一番背筋にむず痒くなるって気付いて?


「とにかく、先生は困った奴も問題も見過ごせない、お節介でお馬鹿さんなお人好しって事で、」


 そして、最終的な総括は、何故か榊原が行った。

 それに対して、生徒達どころかローガン達までもが頷き合って、


『異議なし!』


 そう、締めくくった。


「………。」


 思わず、唖然とするオレ。


「………はっ」

「………よくもまぁ、ここまで懐かれてんなぁ…」


 ヴァルト達が、口元だけではあるが笑った。


 ………ちょっと、オレもこの状況、良く分かってない。

 照れるし、恥ずかしいし、居た堪れないし、背筋どころかいろんなところがムズムズするから辞めて!


 でも、まぁ、


「(………いつの間にか、なんだかんだで慕われてたんだな)」


 嬉しい出来事ではあった。

 生徒達やローガン達からの言葉は、素直に嬉しい。


 だからなのか。


 これだけは言えるかもと、脳裏に浮かんだ答え。

 先ほど、窮した筈の答えは、割とすんなり出て来た。


「………オレ、コイツ等と一緒に、ここまでやってきたからさ」


 そう言って、ヴァルトに向かって振り返った。

 苦笑とも言えるだろう、不格好な笑みを浮かべながら。


 何故か今だけは、自分が浮かべている表情が鏡を見ないでも分かった気がした。


「だから、やっぱりコイツ等の手本になれないような生き方、したくないんだと思う」


 それだけを言えば、ヴァルトもハルも微笑んだ。

 ヴァルトは、「ほざけ」と鼻で笑い、ハルは、「博愛主義のお前らしい」と珍しく大口を開けて。


 なんだ、答えは簡単だったな。

 オレ、生徒達の事をいつでも第一に考えてたから、きっと今回の事も見過ごせなかったんだと思う。



***



 そこで、


「やぁやぁ、お揃いのようじゃのう」

「………数日ぶりだ」


 転移魔法陣が魔力反応を見せた。


 転移して来たのは、ラピスとゲイル。

 転移して引き返すだけなので、他の騎士達の姿は無かった。


 ああ、良かった。

 救難信号とかじゃなくて、ほっと一安心。

 自棄に早すぎるから、やっぱりまだ心配してたの。


 こういうところも、心配性って言われる原因だよねぇ。


「………うぁッ、」

「おい…ッ!」

「ゲイル…!?」


 しかし、そこでフラリとゲイルの体が傾いだ。

 慌てて、飛び込んだオレとヴァルト。


 床に激突する前に、2人揃って下敷きになるような形で、何とか支える事が出来る。

 いやぁねぇ、この筋肉達磨マッスルフェスティバル


 だが、ふざけてばかりもいられなかった。

 顔色も真っ青で、目の下の隈も既に無視出来ない程の濃さになっている。

 勿論の事、ゲイルの顔色だ。


 しかも、感じ取れる気配や魔力が、自棄に弱弱しい。

 まさか、魔力枯渇でも起こしたか?

 脂汗まで浮かんでいるばかりか、鼻に突いた匂いがやや酸っぱい。

 ………まさか、吐いてたりした訳?


「おい、ラピス…?」

「………どうした、コイツ」

「………済まんが、少々休ませてから戻った方が良さそうじゃのう」


 ラピスに言われた通り、自力で立てるかどうかも怪しいゲイルをソファーへと2人ががりで引きずって行く。

 脈拍を計ってみたが、自棄に早い。

 ただ、『探索サーチ』を掛けてみたところで、原因が分かった。


「………健康そのものだが、魔力が枯渇気味。

 ついでに、なんか前にも見た事がある症状なのは気のせいじゃないだろうな」

「うむ。

 前と同じで、精神的負荷からくる疾患と思われる」


 前にヴァルトの時にも起こしていた、心因性ストレス障害だ。

 外的要因やトラウマから、精神的な負荷で起こりうる一種の精神疾患。


 変な病気で良かったと喜ぶべきか、またかよと呆れるべきか。

 いや、彼の心情を考えれば、それも然もありなん。


 振り返った先でのラピスは、難しい顔をしていた。


「こうなった要因は、一番上の兄貴で間違いない?」

「そうなるのう。

 顔を合わせた途端に拒絶されたかと思えば、色々と吐き捨てられてしまった故、」


 あれまぁ、嫌な予感が的中したのかもしれない。

 元々、一番上のヴィンセントと言う兄貴が、気難しい性格をしているという事はゲイルからもヴァルトからも聞いていたから。

 驚かないけども、遣る瀬無いとしか思えない。


 チラリと視線を向けた、ヴァルトも気まずそうだ。

 荒い呼吸を繰り返しながらソファーに寝そべったゲイルは、流石にこれ以上は耐え切れそうに無いのだが。


「………少し、休んだら、………大丈夫だ」

「大丈夫そうじゃねぇから、休ませてぇんだが?」

「無理すんなって言っただろうが、」

「………オレの、けじめ………なんだ」


 それだけを言って、何故か穏やかに笑ったゲイル。

 だが、苦し気にも悲し気にも見えて、痛々しいとしか言えない微笑みだった。


 何故か安心したらしいゲイルが、そのまますーっと寝息を立て始めた。

 仕方ない。

 オリビアにお願いして、意味があるのか分からんけども治癒魔法でも掛けておいて貰おう。


 オリビアを呼ばわって、軽く看病もお願いする。

 その間に、こっちはこっちで情報共有だ。


「悪いな、ラピス。

 何があったか、話してくれるか?」

「………迷惑かけたな、愚弟が」

「別に悪い事も無ければ、愚兄の片割れに言われとうも無いのぅ」


 ………あちゃー、彼女も相当気が立ってらっしゃる。

 オレは苦笑を零し、ヴァルトなんかは身に覚えがあるのか、頭を掻いて気まずそうに視線を逸らした。


「簡単な事じゃ。

 南端砦に到着したら、顔を合わせたその場で拒絶された」


 まぁ、それでもラピスは詳細だけは話してくれた。


 まずは日程だが、5日で南端砦へと到着。

 この間に使ったのが、間宮の睨んでいた東の森に設置された霊廟内の転移魔法陣。

 転移魔法陣のおかげで、『クォドラ森林』を3時間後には抜けて、街道に出ていた為2日分を短縮出来たらしい。

 そして、そのまま南端砦へと速足で向かった。


 南端砦の近くまで行ったが、途中でゲイルが外傷性ストレス障害を発症してダウン。

 だが、その間に斥候の連絡で、騎士団が魔物と交戦中、及び苦戦中との報が入って急行し、魔物の討伐に手を貸した。

 終了後、改めて顔を合わせたゲイルとヴィンセントだったものの、結局彼からいただいたのは礼ではなく、拒絶。

 しかも、手柄を横取りした等とも言われた為、遂にゲイルの精神的ストレスの限界が来た。


 と、ちょっとだけ機嫌が悪そうなラピスから語られた全貌。

 一応は、騎士団の治療なども行ってきたは良いが、あまり歓迎ムードでは無かったのは彼女の口調からしても分かる。


「………気を付けよ、ギンジ。

 あのヴィンセントと言う男、かなり厄介そうじゃ」

「あー………、聞いただけでも、想像出来る気がする」


 なんか、思った通りの気難しいおじさんってニュアンスは感じ取ったよ。

 ついでに、最初の頃のヴァルト同様で、かなりゲイルに対して負の感情が偏ってそうなところもね。


 これまたヴァルトが、気まずそう。


「迷惑どころか、面目ねぇよ…」

「………まぁ、全部お前等の親父さんが悪いって事で、」

「………ゲイルの仕事引き継いで、隠遁でもさせるかねぇ…」


 ははは、アンタが言うと本気に聞こえるから辞めて。

 まぁ、賛成ではあるけども。


「すみません、気難しい団長なんです………。

 でも、根はまじめで優しくて、オレ達の事しっかりと見てくれる人で、」


 レオナルドが、何故かちゃっかりポジキャンを開始した。

 けども、悪いけど身内に対しての態度と、外部に対しての態度の温度差がある時点で信頼は出来ないからね?


 オレも、何とかなく今の状況だけ見ると、ラピス寄り。

 厄介で嫌味な、おっさんってイメージしかない。

 ただ、ゲイルやヴァルトの心情を考えると、そこまで悪い奴とか思い込みたくないのも本当だけど。

 ついでに、先入観を持ちたくないから、口にも出さないようにしている。


 とはいえ、不安なのは不安。

 この遠征、平穏無事に終わってくれるとは思ってなかったけども、ここまで最初から厄介ごとが続くとはねぇ………。


 とりあえず、そろそろ移動しないと。

 建築連合のジョンさんや親方さんの仕事、いつまでも邪魔しちゃ悪いし。


 そう思って、ソファーにぐったりとしているゲイルを、担ぎ上げる。

 オリビアには、念の為に睡眠魔法も追加して貰った。

 移動途中に目が覚めて、オレにゲロ引っかけられても困るしね。


 これまたオレの怪力具合で、筋肉達磨も苦にならない。

 ………生徒達から、ぞっとしたような表情を返されたのには流石に傷付いたけど………。

 それどころか、ヴァルトやハルまでもが、呆然としていたのが傷付いた。


 閑話休題それはともかく


「じゃあ改めて、行ってくるよ。

 留守番は任せたから、よろしく頼む」

「はいですの!」

「おう」

「行ってこーい」


 出立の音頭と共に、留守番組のオリビア達へと向き直る。

 最後のハルの気の抜けた返事がかなり苛立つが、まぁオリビアもヴァルトも頼もし過ぎるぐらいだから溜飲を下げておく。


 さて、忘れ物は無いかな?と。


「各自荷物は手に持ったな?

 簡単には………戻って来れるけど、なるべく多用したくないから、忘れ物は注意してくれ」

『はいっ』


 生徒達に出立の音頭と声かけ。

 ついでに、騎士団にも目線を向けたが、大八車にまとめて積載されていたので、愚問だった。


 ではでは、行きますか。

 全員が魔法陣に乗り込み、はみ出していたりしないか確認をしながら、詠唱を唱える。

 既に一度唱えているから、まだ忘れてはいない。


「『来なり、来たれ、時の盤石。

 落ちる砂には、時は無し。

 名を穿つは銀次・黒鋼。


 精霊との契約を定めし名をラピスラズリ・L・ウィズダム。

 誓約の供物は、我が魔なる血潮。

 誓約の主の定めし彼方へと帰属せよ』」


 オレの体から魔力が吸い上げられる感覚と共に、転移魔法陣の魔力反応の光が強まった。

 最後に見たのは、手を振るオリビアと、転移魔法陣の起動を興味津々に眺めていたヴァルトとハル。


 苦笑と共に、南端砦の双方向性の魔法陣へと飛んだ。



***



 転移が完了したと同時に、魔力が抜けた喪失感を感じた。

 ジェットコースターの落下を思わせる感覚だけが残る。


 足下にあった転移魔法陣の魔力反応光が収まったと同時に、視界もクリアとなった。


 そこで、


「………おぅ」


 吃驚した。

 何が?

 そこには、ゲイルとそっくりな顔をした男性。

 そして、その背後にずらりと整列した騎士の姿があったからだ。


 目の前に立っていたゲイルにそっくりな男性が、おそらく長兄なのだろう。

 ゲイルを10年ぐらい老けさせたら、こんな顔になりそうだ。

 あ、目の色が、オレと同じような群青色してる。


 しかし、彼もまた、吃驚した顔をしていた。


 ………ああ、そういやゲイルを担いだままだったもの。

 190越えの成人男性担いで平然としているとか、吃驚仰天どころの騒ぎじゃないよね。

 それ以外の吃驚要素だとしても、触れないでおく。


 そんなオレの内心はともかく。


 ゲイルとそっくりな顔をした彼は、恭しく膝をつき、頭を垂れた。


「ご拝顔賜り、恐悦至極でございます」


 彼に合わせるかのように、背後の騎士達も全員が膝をついた。

 これまた、オレが吃驚。


「………あ、いや、そんな畏まらなくても…。

 えっと、初めまして、銀次 黒鋼です」

「紹介が遅れまして、申し訳もございません。

 私が『暁天ドーン騎士団』団長にして、南端砦総帥を務めさせていただいております、ヴィンセント・ウィンチェスターでございます」


 ………あれ?

 ラピスから聞いてた事前情報とちょっとだけ違う。


 なんか、想像通り堅苦しいけど、思った以上に好意的に思えるのはオレだけだろうか?

 隣を見てみると、ラピスが困ったような表情をしている。

 あれ、ラピスも困惑してるって、こんな感じでは無かったって事?


 なんか、ゲイルがいたから大袈裟に、反応しただけなのだろうか。

 もしくは、余所者への警戒心で、単に対応が分かれてだだけ?


 俄かに、判断しかねる。

 オレとしては、この程度大した事じゃないじゃん、とか思っている。


 だって、オレ達が召喚された当初の騎士団、もっと酷かったし。


 しかし、そう思っていた矢先のことだった。


「申し訳ありませんが、このままお帰りくださいませ。

 我等は、貴方様のような雲上の如く尊き方に助けていただく程、高尚な身の上でも、脆弱な者達でもありません故」

「………はっ?」


 前言撤回。


 かなりどころか、滅茶苦茶厄介じゃんか、馬鹿ぁ!

 担いでいたゲイルに殺意が沸いた瞬間である。


 ………開口一番帰れとか、本当良い度胸だわこのおっさん。



***

と言う訳で、癖の強い兄貴の登場です。


ヴィンセント・ウィンチェスター。

年齢は、53歳。

ゲイルとは19歳違うとか言うぶっ飛び具合。

異母兄弟ではありますが、ウィンチェスター家の長男にして、『闇』属性持ちの異端の騎士。

騎士歴もかなり長くて、既に40年となっております。


気難しくて癖が強くて頑固者、と言う兄貴が書きたくて仕方なかった。

ここまで進めたのも、皆様のご愛顧のおかげです。

ありがとうございます。


誤字脱字乱文等失礼致します。

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