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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、遠征編
125/179

118時間目 「課外授業~『南端砦』~」 ※流血・暴力表現注意

2016年11月29日初投稿。


続編を投稿させていただきます。

ちょっと遅くなりましたが、今日発売のゲームが気になって集中出来ませんでした。

発売しましたね、最終幻想のシリーズ15作目。

一応、ダウンロード版とかトレーラーを見て気になってはいたのですが、プレイを楽しみにパソコンをパチパチ。

………買いに行けるかどうか、分からないです。主に金欠。…げしょ。


新章開始でした。


118話目です。

魔物の討伐ではありますが、タイトル通り流血・暴力表現がありますので苦手な方はご注意を。

***



 その日は、憎らしいぐらいの晴天だった。

 きっと、荒涼たる外壁の外に出るには、まさにうってつけのピクニック日和だろう。


 しかし、そんな呑気な事は言ってられない。

 問題と仕事が山積みだからだ。


 部屋に入った瞬間、埃臭さと黴臭さが鼻を突いた。


 紙の匂いや劣化したインクの匂いもしたが、垢臭い体臭も感じていた。

 どうやら3日以上は、引き篭っていたらしい。


 差し入れた時と同じ場所に置かれたコーヒーカップ。

 中身は飲んだようだが、片付ける余裕も無かったのだろう。


 大仰な溜息を吐き出して、視線を向けた。

 今も尚、机に嚙り付いている悪友へと。


「………お前、いつまで資料とにらめっこしているつもりだ?」

「いつから発症例があったのか、報告がどれだけあったのかも分からないんだ。

 これは、オレが調べるべき仕事で、義務だ」

「………その資料が見つかったら、満足出来んのかよ?」

「いや、父上の訴追材料にするつもりだ。

 『ボミット病』の発症例があったというのに、看過していた事実も罪も重い」


 理路整然と、彼から返って来る言葉。

 別に言葉遊びをしに来た訳では無いというのに、この馬鹿は一体何をしたいのか。


 文字通り、血眼になって資料を漁っていたゲイルを訪ねたのは、部下の騎士達に頼まれたのもある。


 護衛の仕事も後回しで、正直見ていられなかったのもあった。

 そしてなによりも、わざわざ訪ねて来たヴァルトが、オレに頭を下げたからだった。


 悪い。

 頼む。

 お前じゃなきゃ、多分無理だ。


 そう言って、悔しそうにオレに頭を下げたヴァルト。

 弟の事を、本心から心配していた兄の姿だった。


 ゲイルは、3日間も執務室と資料室に引きこもっている。


 オレが最後にコーヒーを差し入れたのも、2日前。

 オルフェウス達と会談した、その日だけだ。


 無理をするなと言い含めておいたが、全くコイツも何をやっているんだか。


「そんなもの、後回しでも良いだろう?」

「そんなもの?

 簡単に片づけて良い問題じゃない!」

「だからって、お前が資料を漁ったところで、何が出来る?」

「父上を公爵としても、騎士団顧問としても排斥しなければならない!

 兄上を連れ戻し、療養させる為には、父上の存在があっては余計な面倒しか起こらない!」

「それは、今じゃなきゃいけないことか?

 お前にしか出来ない事か?」

「ああ、そうだ!

 父上さえいなければ、こんな事にはならなかった!

 もっと早く手を打って、隠遁でもさせておけば良かったのに、それをしなかったオレの罰でもある!!」


 怒鳴り声を上げた、彼。

 持っていた資料が彼の手の膂力に負けて、ひしゃげて今にも破れそうだ。


 確かに、兄を連れ戻して療養させるとなると、家族すらも魔族同様に倦厭していた父親の存在が邪魔になるだろう。

 ヴァルトもこの文言で黙らされ、結局彼を連れ出す事が出来なかったと嘆いていた。


 だが、そんな事では、家族は幸せにはなれない。

 そもそも、迷った挙句に出した答えで、全てが解決するとは思えない。


 オレは、拳を握りしめた。

 そして、


「いい加減にしろよ、ゲイル!

 もっと周りを見て、お前らしい答えを出せ!」


 その拳を、ゲイルの後頭部へと向けて、振り下ろした。


 ガイン!と金属を伴った音が響く。

 その音の中に、骨が折れた小気味の良い音も響いた。


 半ば本気だった。

 本気で殴った。


 ゲイルは、その拳を、右腕一本で防御ガードした。

 金属音がしたのは、彼の来ていた甲冑の籠手が、オレの拳を受け止めたから。


 だが、衝撃までは受け止め切れず、彼の腕は折れた。

 吹っ飛びはしなかったが、椅子ごと大きく床を滑って、停止した時にはゲイルが凄まじい形相でオレを睨んでいた。


「邪魔をしないでくれ、ギンジ!」

「邪魔をしているんじゃない。

 馬鹿をやっている友人の奇行を、オレらしい方法で止めてやっているだけだ」

「それの何が違う!」


 折れた腕を押えて、ゲイルが激昂を露に立ち上がる。

 オレも久々にここまでの怒気を叩き付けられ、正直腰が引けてしまった。


 泣く子も黙る騎士団長の顔を、こんな時ばっかり覗かせるんだから。

 もう一度、溜息を吐いた。


 そして、もう一度、拳を握りしめて構えた。


「次は、その顔面にぶち込むぞ?

 それが嫌なら、一度この資料室から出て、周りをよく見てみやがれ」

「やれるものなら…ッ!」


 そう言って、向かってくるゲイル。

 聞く耳は持っていなかった。


 おいおい、資料室だというのに、ここでやり合おうってのかよ。

 獲物が手元に無かったのは僥倖だったが、そんなハングリー精神は今はいらん。


 内心で、ちょっと脱線。

 久々の友人からの殺気に、脳内がストライキだ。


「ちょっとは頭を冷やせ!」


 向かってきた、彼の顔面に向けて、宣言通り正拳を繰り出した。

 勿論、手加減したが、パン!と大きな音と共に、ゲイルの体が仰け反る。

 そんな彼の腕の関節を決めて。

 向かってきた彼の勢いのままに、背中に背負ってぶん投げた。


「ぐはっ…!」


 投げ出されたゲイルの体が、寸分違わず開けっ放しの扉から外に出た。

 扉を押えていた間宮が、やれやれと頭を振っているのが見えている。


 扉から外に投げ出されたゲイルが、廊下に出た。

 廊下には昼間の煩わしい程の日差しが照り付けていて、彼が眩しさに眉を顰めたのも見えた。


 そこで、再度同じ文言を繰り返す。


「頭を冷やせ、ゲイル。

 今は、誰を責めるとか排斥するとか、そんなことを言っている場合じゃねぇだろうが」


 そう言って、オレも資料室から歩み出す。

 先程ゲイル同様に頑丈な籠手を殴った所為でちょっとばかし痛かった手を振りつつ、コーヒーカップも忘れずに回収する。

 コーヒーなんかの残り滓って洗うのこびり付くと洗うの大変なんだから。


 そんなオレの様子を、ゲイルはまた憎い敵でも見るようにして睨みつけていた。


 しかし、


「う、ウィンチェスター卿!」

「………。」


 横合いから掛けられた声に、煩わしそうに眼を向ける。

 そこで、彼ははたと気付いた。


 声のした方向にいたのは、簡易なシャツとパンツだけの青年だった。

 だが、オレもゲイルも彼の事は知っている。


 急報を知らせに駆けてくれた、伝令の青年レオナルドだ。


 今日の内に、彼は目覚めていたらしい。

 だからこそ、ラピスが宿に戻って来て、出立準備を進めていたのもある。


「ど、どうかお願いします!

 団長を助けてください!

 オレ達だけではもう無理なんです!

 頼れるのは、騎士団長であり弟である貴方だけなんです!」


 そう言って、その場で傅いたレオナルド。

 ただ、体が完全に回復している訳ではなく、土下座に近い姿勢しか取れない。


 しかし、その誠意は伝わった。


 カップを間宮へと預けてから、そんな2人のやり取りを眺める。

 ゲイルは、先ほどの表情が嘘のように呆然と、鼻血を垂らしながらレオナルドを見ていた。


 そんな彼は、これでちっとは頭が冷えただろうか。

 小首を傾げつつも首の骨を鳴らして、再度オレはゲイルへと問いかける。


「お前がやるべき事は、こうして資料室に引きこもる事か?

 冷静な頭で周りを見れば、本当に何をするべきかは、お前も分かってるんじゃないのか?」

「………周りを…?」


 そう言って、先ほどよりも落ち着いたらしいゲイルが周りを見渡した。

 そこには、オレ達のやり取りをこれまた心配そうに見守っていた彼の部下達。


 そして、ヴァルトやハルもいた。

 その目線は呆れ気味であっても、気づかわし気な雰囲気を持っている。


 ゲイルがもう一度、はたと気付いた。


 彼の兄であるヴァルトだって、心配なのだ。

 一番上の兄であるヴィンセントの事もそうだが、勿論目の前にいるゲイルの事も。


「………今まで色んな事背負わせていたオレが言える義理はねぇだろうが、」


 そう言って、前置きしてから。

 ヴァルトは苦し気に言葉を吐き出した。


「オレ達兄弟の事を思ってくれるってんなら、お前自身の事も思いやってくれねぇか?」


 心底から、苦しそうな声だった。


 目を瞠ったゲイル。


 その言葉は、オレも言われた事があった。

 それは、当人ゲイルの口からだ。


 だからこそ、今は腹立たしい。

 状況が状況とはいえ、この体たらくはなんなのか、と。


「レオナルド見て、今のヴァルトの顔見て、何か思わねぇ?」

「………?」

「自分が馬鹿やってんの、分からないかって聞いてんの?

 本当にお前がやるべきことは、こんなことじゃないんじゃねぇのか?」


 そう言って、辟易とした表情を隠すことも無く溜息。

 その瞬間、またしてもゲイルが苦々し気な表情をしたのが見えた。


 だが、言いたいことは封殺する。


「お前らしくないじゃんか、そんなの。

 父親の事訴追するだとか、追い出すだとか………。

 そんなこと言うよりも先に、お前なら飛び出して行くと思ってたんだけど?」

「………職務を放棄して、飛び出すわけにも…」

「今だって、職務放棄して護衛も政務もやってねぇだろ?」

「うぐっ、そ、それは、………その通りだが、」

「それがお前らしくないって言ってんの」


 そう言って、彼の目線へと合わせる様にしゃがみ込む。

 オレが言うべきことで、彼がすべき事。


 全てを集約した、一言を。


「行けよ」

「………は?」


 呆然と、オレを見るゲイル。

 鼻血も相まって、間抜けな表情だった。


 思わず、苦笑を零してしまう。

 胸元からハンカチを取り出して、彼の顔に投げ付けておいた。


「お前は、先に『南端砦』に行け。

 オレ達は後から追いかけるから、先に行って兄貴の容態でも顔でも見て来い」


 それが、オレの言うべきこと。

 コイツの為に、オレが出来る事。


 その瞬間、ゲイルは表情をくしゃりと歪ませた。

 それだけではなく、大粒の涙を零して、そのままハンカチに顔を埋めて嗚咽を漏らし始めた。


 オレもヴァルトも、苦笑を零して顔を見合わせるだけだ。

 部下達どころかレオナルドも、呆然としていた。


 『ボミット病』を発症した、兄貴の事。

 その兄貴を排斥しようとしていた父親の事。

 その父親が隠していた『南端砦』の内情。


 色んな事が重なって、混乱したまま相談もしないで動こうとするから、こうなった。

 ゲイルは、ただただテンパってただけだ。

 一人で空回って、ぐるぐると焦っていただけだ。


 背中を擦ってやったら、もっと泣いた。


 馬鹿野郎が。

 らしくない事するから、空回りして感情を溜め込むだけになったんじゃねぇか。


 最初から、言えば良かったのに。

 何度目かの焼き増しに、結局仕方ないなぁと溜息を吐くしかなかった。



***



 憎らしい晴天の空の下。


 2つもの太陽が昇る世界と成り果てた世界は、年々気温や海水温も上昇して来た。


 最近では、今まで海水に浸かっていなかった砦の土台部分が沈んだようだ。

 あわや浸水の憂き目を見る事になりかけたものである。

 それもこれも、おそらくは北方にあると噂の、氷山地帯が気温の上昇で溶け出した所為だろう。


 そして、南端である事も相まって、海水温が冬場であっても暖かい海域である砦。

 この砦周辺の海域は、海から昇って来る魔物の数が異常に多い。

 それも、本国がランク付けをし始めてから昨今まで付けられている危険度数を表すランクで、平均がCランクという高位な魔物ばかり。

 おかげで、定期的に設けている討伐任務を取っても、命懸けだ。


 その分、騎士団の質や練度の向上には役立っているのだが、それも最近では怪我人ばかりが増える現状。

 治癒魔術師はいるものの、大して宛てに出来る程の能力は無い。

 元は犯罪者であり、正式な騎士団登用の試験も受けていない為である。

 基礎が出来ていないばかりか、魔力総量も心許ないとあっては、居ても居なくても変わらなかった。

 とはいえ、居るのと居ないのとでは大きく違う。

 その為、ここ最近は、治癒魔術師の機嫌を損ねないよう、且つ助長しないような采配を取る綱渡りのようなやり取りを進める必要があった。


 頭が痛い物である。


 『南端砦(サウスエンド・ザイ)』と呼ばれる防衛砦。

 通称『終着点ハカバ』。

 とある属性(・・・・・)しか持たない異端の騎士や、犯罪者が送り込まれる場所。


 その砦の最上階でもある指令室。

 大判のガラス張りの窓から続く、バルコニーには黒髪の男性の姿があった。


 陰鬱な気分で海を眺めた男性。

 年の頃は、見ようによっては30代にも見えるし、40代にも見える。

 年齢は、俄かに判断が付かない。

 端正な顔立ちとは別に、疲れ切った表情も相俟ったが故か。


 そんな男性は、群青にも似た青の瞳を細めた。


 その視線の先には、何度かお目見えした事のある魔物達が、海面から顔を出しているのが見える。

 魔物達が、虎視眈々と狙っているのはこの砦。

 人間で溢れた砦に乗り込み、新鮮な人肉を貪りたくて仕方のない飢えた害畜だ。


 そうならないよう、秘密裏に(・・・・)防波堤(・・・)を設置したり、定期的な誘導作戦で駆除をしたりはしているが、どれもこれも鼬ごっこだ。

 奴ら魔物の繁殖期間は、恐ろしく短い。

 2ヶ月に1度討伐すれば普通は数を減らすものだが、奴らはその2ヶ月後にもほとんど変わらない数と勢力を伴って現れる。

 どちらかが倒れるまで、もしくは何か対策が講じられるまでは続けられるだろう。


 その時まで、自分自身が生きていられるのかどうか。

 それすらも分からない。

 そう虚しい考えに至った青年は、自嘲気味にバルコニーから室内へと戻った。


 中天に差し掛かろうとしている太陽の光が、東向きの窓辺から容赦なく降り注いでいる。

 おかげで室内は明かるいまでも、背中に感じる熱に辟易としてしまう。

 そのうち太陽光にやられて、年齢の割には黒々としている自慢の髪が無くなるかもしれない。


 そう思っていた矢先の事。


「お忙しいところ、失礼いたします!

 伝令部隊隊長、ダーウィン・カイゼルでございます!」

「入れ」


 ノックと共に、彼の執務室の扉の先に声が掛けられた。


 入出の許可を出し、執務机の椅子へとどっかりと座り込む。

 政務はまだ始めていなかったが、執務机にどっさりと積み上げられていた書類や資料が、数枚零れ落ちていくのを見て、更に辟易とした気分にさせられた。


 拾いに行くのも億劫で、そのままにしていたが、


「遅くなりまして、申し訳ございません。

 ………えっと、これは、」

「すまん、今落としたものだ」


 扉から許可を受けて入室した色黒の青年の足下にまで、舞い落ちてしまった書類。

 その書類を、拾い上げた青年が怪訝そうに差し出すのを見て、これまた辟易とした様子で頭を抱える事しか出来なかった。

 謝辞を述べて手を伸ばす。

 その書類を、呼びだてられていた青年はそのまま黒髪の男性へと手渡した。


 この黒髪の男性と青年のやり取りを見る限り、上司と部下である事は間違いないだろう。

 そして、遥かに立場が上であるのは、黒髪の男性である事も分かる。


 そこで、改めて黒髪の男性が要件を切り出した。


「レオナルドが、職務放棄の上、逃亡したそうだな」


 その一言に、今しがた書類を手放したばかりの青年の手が震える。


「は、はい!………お恥ずかしい話ですが、」

「いや、良い。

 この生活に耐え兼ねたのであれば、致し方ないとは思っているからな」


 青年は、心苦しそうに俯いた。

 今にも、噛み締めた唇を、噛み切ってしまいそうだ。


 それに対して、呼び立てた張本人である、この砦の司令官は手を振っただけだ。

 仕方ない、と言葉にも雰囲気にも諦念を滲ませている。


「し、しかし、それでも身内の恥!

 代わりに、処断を受ける覚悟は出来ておりますれば…ッ」


 言い募った青年だが、しかし顔色は優れない。

 今しがた言ったように、逃亡したレオナルドという騎士が、彼の身内である事は事実だったからだ。


 今現在は、ダドルアード王国に辿り着き、献身的な介護を受けている青年。

 それが、話題に上ったレオナルドである。

 だが、そのレオナルドの家族や上司はといえば、その青年がどのような気持ちで逃亡したか等、知る由も無い。


 ………いや。


 知っているのに、知らないふりをしていると言うべきか。

 司令官の男性は、彼がどうして脱走騎士として砦を飛び出したのかは、多少なりとも理解はしている。


 だが、それは目の前にいる身内であり上司でもある青年には、打ち明けられない。

 秘密にしなければいけない事だ。

 でなければ、この砦に関わる全ての騎士達の今後を左右してしまうから。


 内心では苦しいと感じる胸の内をひた隠し、司令官の男性は努めて無表情を貫いた。


 怒っているように見えて、その実何の感情も持っていない表情だ。

 砦で暮らす200余名の騎士達も、それは十分に分かっている。

 だからこそ、反発が少なく、彼はこの司令官としての席に座り続けている。


「戻って来る事があれば、それもまた良し。

 戻らなければ、それもまた良しだ。

 もし戻ってきた場合には、お前も意固地にならず、迎え入れてやって欲しい」

「は、はっ!

 寛大なご処断をいただき、まことにありがとうございます!」

「それ以外の沙汰も、戻ってきてから下すことにしよう。

 今はもう、お前も気にせず、下がって良い」

「はっ!それでは、失礼いたします!」


 青年が退出する。

 司令官の男性は、にこりともせずその背中を見送った。

 内心では、他の家族の事でも大変だろうに、と憐憫すらも向けながら。


 扉が閉まり、途端に、司令官の男性1人となった指令室。

 静かな空間の中、


「………はぁ」


 司令官の男性の溜息だけが大きく響いた。


「………逃がしたか。

 多少過激ではあっても、軟禁をしておけば良かったな」


 そんな物騒な事まで、呟く始末。

 だが、その一言は冷血な意図を含みながらも、まるで彼自身を追い詰めるような響きを持っていた。


 実際、彼は追い詰められている。

 もし、先ほど話題に上ったレオナルドが、本国であるダドルアード王国に辿り着いてしまえば、彼とてこの件で訴追をされる可能性は高い。

 いくら無駄だとはいえ、報告の義務を怠れば団長として就任した司令官でさえ、更迭は免れない。

 騎士の規律は厳しく、だからこそ清廉なのだ。

 まぁ、それも本国の騎士団指令本部の匂い立つ程の腐敗は除くものだ。


 報告の義務と言ったのは、この砦を取り巻く最悪の環境の事。

 詳細に言えば、この砦で蔓延している死病、『吐き出し(ボミット)病』の事である。


 この砦に集められるのは、異端の騎士と犯罪者。

 約6割が犯罪者で、残り4割が異端だ。


 異端と呼ばれる所以は、適性を持った魔法属性。

 『闇』属性であるだけで、この砦に派遣されてくるのだ。


 そんな中で、この砦では『ボミット病』の発症は年々増え続けていた。

 文献や記録で読んだ限りでの発症率が、この砦で賄えてしまえる程の数がある。

 ともすれば、嫌でも『ボミット病』の要因が『闇』属性である事は気付く。

 誰が言い出したかは知らないが、『闇』属性に適性を持った人間は、全て遥か昔に女神に討伐された魔人達の末裔ではないかとすら囁かれる始末だ。

 しかし、今ではその発症した人数が『南端砦』の半数を超えた。

 もはや、『南端砦』の運営どころか、維持すらも難しい状況である。


 実際、先に言っていた魔物の討伐云々に関しても、既に人員が割り振れなくなってきた。

 数日後には、討伐作戦を起こさなければならないと言うのに。

 おかげで、間引きが出来ない為、怪我人が増えるだけだ。


 だが、それだけの発症例があるにも関わらず、その報告を司令官である彼は、ここ数年行っていない。


 無駄だからだ。


 騎士団でその報告を真っ先に検分するのが、自身の父である事を知っているからだ。

 そして、その父が自分達のように禁忌とも言える『魔族魔法』を使える人間を、助けようとする等とは思えなかったからだ。

 頼みの綱である弟の耳に、入れようとする筈も無かった。


 死病の治療法は無く、また救援も望めない。

 一時期、彼も世を儚んで入水でも身投げでもしてしまおうと思った事もあった。

 それも、未遂と終わったのは、幸運な事か不運な事だったか。


 とはいえ、今では緩和策ぐらいならば、講じる事は出来たのは僥倖だった事だろう。

 だが、とある方法(・・・・・)でなんとか生存率を上げる事が出来るようになってからは、騎士達の寿命を全うさせる為奔走している。

 粉骨砕身の気概を持って、砦の維持や政務にと忙しく、もう彼自身も入水や身投げは考えなくなった。

 考える暇すらも無くなったというべきだろうか。


 しかしながら、


「(………限界は近い、か)」


 苦々しいものが滲んだその表情に、影が差す。

 陰鬱とした雰囲気と相俟って、死相にも似た顔が逆光となって指令室に浮かびあがっていた。


 その表情が晴れるのは、いつの成る事か。


 ただ、そう長い先の未来ではない事は、白槍を背負った騎士達だけが知っていた。


 その5日後、彼にとっての転機が訪れる。

 彼自身の政務どころか、日常すらも更に忙しく賑やかになること等、今はまだこの砦にいる誰もが知る由も無かった。

 勿論、当の本人である砦の司令官(ヴィンセント)にすら。



***



「では、行ってくるぞ。

 しばらく会えなくなるが、お主も息災での」

「ああ、気を付けてな」


 馬に乗ったラピスが、地面に立ったオレを見下ろして、出立の文言を口にした。

 森子神族エルフに伝わるという外套を身に着け、相変わらずの耳当て帽子で耳を隠した姿。


 そんな彼女を、オレも真っ直ぐに見上げて見送る。


「済まない、兄さん。留守は任せた」

「任せておけ。

 また馬鹿やって、そっちの姉さん困らせんなよ?」

「そ、そんなことしない!」


 そう言って、馬に今しがた跨ったのはゲイルだった。

 顔や折れた腕の治療もしっかりと終わって、ついでに風呂にも入らせて。

 すっきりさっぱりとした状態で、困った友人を出立させることになった。


 全く、馬鹿な男だよ、本当に。

 そして、現金なものだ。

 オレ達の護衛を離れて『南端砦』に行っていいと言った途端に、有り得ない程の速度で出立準備を終えやがったんだから。

 最初から、そのやる気をこっちに向けて欲しかった。


 閑話休題それはともかく


 ゲイルとラピス。

 この両名が、今回先行して『南端砦』に向かう事になった。


 理由は簡単。

 移動日数の短縮の為である。


 『南端砦』までは、どんなに急いでも1週間だ。

 だが、それは馬に乗れる騎士団や馬車での移動に限っていて、徒歩では更に日数が嵩んでしまう。


 オレが『天龍族』の居城に招待されるまでの日数は、おおよその半分を切った。

 なまじ、生還が難しいと考えている手前、『南端砦』に行くのは今が最後。

 そう分かっていた。


 もう、時間は掛けられない。

 だからこそ、ラピスにこの方法を提示された時、了承をする他無かった。


 彼女の提示した方法とは、彼女が持っている転移魔法陣の知識を使っての移動だった。


 既に、現在改築中の校舎に無理を言って入れて貰い、双方向性の転移魔法陣は描いて来た。

 後は、対となる双方向性の魔法陣を『南端砦』で描くだけだ。


 先に、彼女達を送り出し、オレ達は宿で待機する。

 合図を待って、彼女達が転移魔法陣の使用を確かめてから、今度はオレ達も一緒に転移魔法陣で『南端砦』へと移動する。

 そうすれば、オレ達は行きも帰りも日数を短縮でき、治療の為に割ける時間を大幅に伸ばす事が出来る。


 ちなみに、合図に関しては、ヴァルトが考案した魔法具を試験的に使う事となった。

 魔力を込めると、魔石の色が変化するという指輪。

 色が変化するだけとはいえ、それが対となる魔法具の魔力に反応するという事で、今回の作戦の合図として試験的に取り入れたのだ。

 彼曰く、平地で魔力の満ち溢れた『暗黒大陸』以外であれば、どこでも使えるだろうとのこと。


 話が逸れたが、その方法をラピスから提示された時、最初は渋った。

 しかし、レオナルドが目覚め、起き上がる事が出来る様になるまではオレ達も動けない。


 苦渋の決断だった。

 とはいえ、このまま彼の目覚めや回復を待っていれば、そのうちゲイルが倒れただろう。

 ぶっちゃけ、今日も大分危険な状態だったと思っている。


 反応こそしっかりしていたものの、足下や体の捌き方がまるで子どもだったからな。

 じゃなきゃ、真正面から拳を受けるような馬鹿でもない。

 関節を決められて受け身も取れずにぶん投げられる大馬鹿でもない。


 まぁ、そんなことは置いておいて。


「悪い、ラピス。

 ………頼む」

「任されたぞ」


 そう言って、頼もしくも輝かしい笑みを浮かべた彼女。

 やっぱり、オレの嫁さんは最高だ。


「テメェ、ラピスに何かあったら、承知しねぇからな?」

「分かっている。

 護衛も精鋭を揃えたし、オレが責任をもって…」

「それが一番安心ならねぇんだけどな」

「はぐ…っ!?」


 ゲイルには、念押しをしてラピスの道中の安全を保障させた。

 まぁ、コイツ自身が王国防衛の要ではあるから杞憂だとは思うし、ラピスもそこまで軟な女じゃないってのは分かっているけども、念には念を入れてだ。


 正直、コイツの精鋭って言葉、まだ信用は出来んのだ。


 騎士達の護衛も付くとは言っても、なんと言っても男所帯だ。

 ラピスは自他共に認める美貌の持ち主で、正直言って心配なのは彼女の命では無く貞操である。

 だからこその念押し。

 オレにお前の部下を殺させるような真似はさせないでくれよ、って事で。


 ………たまにお前が、ラピスの微笑みに見惚れているのは知ってるからな?

 まぁ、童貞だから、無理だろうけど。


 そんなオレの、余計な心配もさておき。


「………ありがとう、ギンジ」

「………最初から、相談してくれりゃ、オレも骨が折れなかった訳なんだが、」

「それに関しては、済まない。

 だが、お前のおかげで、オレもこうして自分らしくいられる」


 そう言って、胸を張ったゲイル。


 オレからの叱咤激励は相当堪えたようだ。

 ヴァルトには、何故か逆恨みまでされてしまったのは、全部コイツの所為である。


 まぁ、すっきりした顔しているから、まだ溜飲は下がるよ。

 本気で3日間も完徹していたらしく、目の下の隈が気になるけども、それ以上に表情から険が取れている。

 これには、部下達も安心したようで、オレが拝み倒されたものだが。


 閑話休題。

 何度、話が脱線すれば気が済むのか。


「では、行ってくる。

 お主もこの青二才ゲイルと一緒で、私がいないからと言って無理をするではないぞ?」

「分かってるよ」


 そう言って、悪戯っ子のように笑ったラピス。


「では、また1週間後に。

 オレも言える義理ではないが、ラピス殿の言う通り無理はするなよ」

「うるっせぇよ、馬鹿。

 とっとと行け!」


 苦笑を零して、同じような言葉を掛けてきた彼に向けて、ナイフを投げておいた。

 テメェ、自分を棚に上げるんじゃねぇよ!

 オレだって人の事言えないけど、今回ばかりはテメェには前科があるって事忘れんじゃねぇ!


 なんて怒ってはみたものの。

 なんだかんだで、彼等ならば大丈夫だろう。


 ゲイルとラピスが『南端砦』へと出立した。

 護衛の騎士達を、2個小隊引き連れて。


 次に会うのは、1週間後。

 そして、オレ達の残り時間も1週間。


 準備はしておかなければならない。



***


 

 さて、所変わって王城へと足を運んだオレ達。

 今日の朝方にもお邪魔したが、今度は列記とした仕事として戻って来ている。


 それが何かと言えば、目覚めたレオナルドの経過観察だ。


「はい、口開けて」

「ひゃい!////」

「服まくって、胸まで出して停止」

「………はい////」

「心音聞くから静かにね」

「………ふぁい?////」


 お医者さんごっこではない。

 断じて、ごっこではなく、しっかりと診察しているのだ。


 だから、背後で笑うのを辞めろ!

 ヴァルトにハルだ、この野郎!

 テメェ等揃って、腹筋までプルプル震わせてんのは分かってんだよ!


 ………いや、レオナルドの反応は、オレも面白いけどさぁ。


「衰弱している以外は、健康そのものだよ。

 付いている筋肉も実用的で逞しいし、訓練も怠ってない証拠だな」

「ありがとうございます////」


 そう言って、顔を赤らめるレオナルド。

 しかも、目線も忙しなくあっちゃこっちゃへと向けられている。

 ちなみに、尻尾もあっちゃこっちゃぶんぶかぶんぶか動いている。


 おかげで、背後のヴァルト達が隠しているつもりだろうが、大爆笑だ。

 間宮も、くすりと苦笑を零していた。


 レオナルドの診断は、衰弱は見られても健康そのものだ。

 心音を聞くふりをして『探索サーチ』を掛けてみても、新たに魔石が精製された痕跡は無かった。

 むしろ、健康そのものだ。

 治療薬の投与は、一応成功だと言えるだろう。


「今更だけど、改めて。

 オレが『予言の騎士』銀次・黒鋼だ」

「は、はい!レオナルド・カイゼルと申します!

 『暁天ドーン騎士団』伝令部隊分隊長です!」


 本当に改めて過ぎるけどね。

 診察してたのに、名前とか役職知らなかったとか。


 反応が楽しい彼・レオナルド・カイゼル。

 オレの顔を見て何を勘違いしているのか、真っ赤な顔で直視してくる。

 正直、居た堪れない。


 まぁ、それはさておき。


「火急の報せを持ち、遠路遥々よく来てくれた。

 おかげで、『南端砦』の現状も知れたし、迅速に騎士団を動かすことも出来た」

「い、いいえ、これがオレの、…いやッ、私の仕事ですので!」

「………堅苦しくなくていい。

 オレも、そこまで御大層な人間ではないし、言ってしまえば騎士としては、君よりも下の立場だし、」

「そ、そんなこと、滅相もございません!」


 恐縮しきりな彼には悪いが、オレも騎士として採用試験受けてから2ヶ月だから。

 新米も良いところだから。

 まぁ、新米とは思えない程、ゲイルとか部下とかパシリまくっているけどさぁ。


 労いつつも、彼の精神状態が安定している事にほっと一息。

 もう既にゲイルが騎士団2個小隊を動かして、『南端砦』に向かった旨は彼も知っているからこそかもしれないまでも、まぁ悲観されているよりもまだ良いか。


「とりあえず、しばらくは休養してて。

 後々には、オレ達と一緒に『南端砦』に戻る事にはなるだろうし、」

「は、はいっ、ご配慮、恐れ入ります!」


 なんだか、とってもやる気が漲っているけども、別に休むのまで気合入れんでもよし。

 そして、尻尾が扇風機並みに回っているんだが、これ何?

 背後でまたしても、ヴァルト達が噴き出していた。


「………あっ、で、ですが、オレ…」

「うん?どうしたの?」

「………ッ////い、いえ、その…ッ!」


 そして、オレが問いかける度に、顔を赤らめるのを辞めようか!

 尻尾をぶんぶか振り回すのも辞めて!

 オレが貞操の危機を感じる!


 そして、ヴァルト達も笑うの辞めんかい!


「うるっさい!」

「あぶねっ!?」

「おいおい、幼気いたいけな青年の前でそれは無いじゃねぇの?ぷーーっ!!」

「だったら、黙れ!

 オレにナイフを投げさせるんじゃねぇ!」


 いやもう、マジで辞めてください。

 ………レオナルドが、オレを女だと勘違いして発情しちゃってる件。

 マジで、勘弁して。


「ごっほん。

 とりあえず気を取り直して、さっき言いかけた事話して?」

「………あ、いえ、そ、その、申し訳ありません。

 お、オレ、実は、命令を無視して、ここに来てしまったので、」

「うん?」


 レオナルドの言葉に、オレ達は一斉に息を潜めた。

 今まで笑っていたヴァルト達ですらも。


 斯く言うオレも、一旦思考が停止した。


 それ、どういう事だろう?

 もし万が一、その言葉の通りだったとしたら、『南端砦』に先行したラピス達も意味が無くなってしまうのだけど………。


「………団長に、言っても無駄だから行くなって、言われていたんです。

 でも、団長も『ボミット病』を発症したらしくて、血や魔石を吐いてて、オレ、居ても立ってもいられなくて、」

「………命令を受けたのではなく、自発的に動いたって事?」

「…は、はい、………申し訳ありましぇん!」


 噛んだな、青少年。

 まぁ、ちょっと可愛いから良いとして。

 (※良くない)


 ………とはいえ、これはちょっと不味いかも。


 振り返ると、ヴァルトが渋い顔をしていた。

 隣のハルも同じような有様だが、オレと見解は一致しているだろう。


「………命令違反は、最低でも謹慎か懲戒免職の懲罰が科せられる」

「オレ達のところなんか、容赦なく消されたじゃん」

「………ハルは黙れ。

 ヴァルトの言葉を鵜呑みにするなら、レオナルドは砦に戻るのも大変って事になるんだが、」


 オレ達、裏社会人のセオリーなんてどうでも良いわ。

 むしろ、それ以上話すと、オレが元軍人って嘘がどっかこっかでバレるから辞めて?


 話が逸れた。

 ヴァルトの語ってくれた騎士団の処遇。


 命令違反は、最低でも謹慎処分か懲戒免職だそうだ。

 大事ともなれば、犯罪者へと早変わりするばかりか、処刑対象にもなってしまうらしい。


 今回は、紛れもなく大事になってしまっている。


 もし、その言葉通りとなると、不味い。


 一応、彼が『南端砦』で仲間と認識されているだろうことを念頭に、連れ帰るつもりでいたのだ。

 もしこれで、彼が命令違反の上で、謹慎あるいは懲戒免職となっていたら。


 厄介だ。


 オレ達はただの違反者を連れ回しただけになってしまう。

 それを理由に、『南端砦』への立ち入りを禁止されても可笑しくない。


 そうなると、ゲイル達も不味い。

 レオナルドの訴追がどういった方向に行くのかは、不透明。


 その件で、逆に団長のヴィンセントに追及されたりなんかしてみろ。

 それこそ『南端砦』への移動手段と治療計画そのものが破綻する。


 不味った。

 先走り過ぎて、やっちまった感。

 これ、オレが思っている以上に、大事だったようだ。


 ああ、もうゲイルの馬鹿!

 空回りしまくって時間食った所為で、オレ達まで空回りしたじゃねぇか!


 と、内心での友人への罵詈雑言と、大仰な溜息を零す他無かった。

 ………ただの診察の筈が、とんでもない事実が発覚したもんだよ。



***



 二つの太陽は、『暗黒大陸』の向こうへと顔を隠す。

 今が3月とは思えない炎天下も過ぎ去り、夜の帳が落ちようとしている時刻。


 昼頃に出立したダドルアード王国からは、既に2日分(・・・)の距離はあるだろうか。


 馬列を組んで、進む一団があった。

 一様に騎士の様相をした行軍は、規模からして2個中隊。


 アビゲイル(ゲイル)・ウィンチェスターこと騎士団長の率いる一団だ。

 昼頃に、王国を出立した先行部隊である。


 ゲイルの隣を進む馬の背には、茶褐色とも言える外套コートを纏った小柄な影もある。

 外套のフードから覗くのは、緑がかった銀糸。


 『異世界クラス』医療担当でもあり、『太古の魔女』の異名を掲げたラピスラズリ(ラピス)・L・ウィズダムである。


 そんな2人を先導のように進む馬列も、夕暮れの時刻を受けてゆったりと停止。

 そのまま、野宿の準備へと慌ただしく移行し始めた。


 ラピスは、簡単な保存食を水で戻したり、ダドルアード王国では標準的に食べられている豆のスープを作ったりと、食事の準備に追われていた。

 ゲイルは、野営のテントや歩哨のシフトを組みながら、騎士団へと指示を出している。


 しかし、それもすぐに終わった。

 騎士団の部下達が、ゲイルに早めに休むように忠言したからである。


 何を隠そう、彼もこの遠征に臨むまで不眠不休で3日程は執務室や資料室に引きこもっていた。


 おかげで、夕暮れ時の薄暗い明かりの中、隈の浮いたやつれたゲイルの顔が浮かび上がっている。

 言ってしまえば、不気味だ。


 早々に、食事の支度をしているラピスの下へと、放り込まれた。


「何か、手伝う事は…?」

「今しがた部下達に言われた言葉を思い出したらどうじゃ?」


 そんなラピスの下へと放り込まれた後でも、手伝いを申し出たゲイル。

 懲りないものだ、とラピスは苦笑を零した。

 そして、比較的柔らかくではあるが、聞く人が聞けば冷たい声音で、忠言を重ねる。


 部下やラピスからの忠言を受けて、ゲイルが心なしか背中を丸めた。

 朝方の事もそうだが、不甲斐無い所ばかりを見られてしまっている為、どうにも肩身の狭い思いを感じる。


 しかも、今回の先行部隊の派遣は、ラピスからの提案があっての事だった。

 送り出してくれた彼の友人である、黒鋼 銀次からの言葉ではある。

 ゲイルもそれを知っているからこそ、彼女には頭が上がらなかった。

 ………女性全般に弱いという時点で、元々頭が上がる事は無いのだろうが。


 燻っていた自分に叱咤激励をしてくれたことも然る事ながら、家族の問題を抱えている事を念頭に置き、こうして『南端砦』へと向かわせてくれた。

 ゲイルにとっては有難い上に僥倖な事だ。

 頭が下がる思いは、何度も覚えた。

 それは、友人に対してもそうだが、隣に馬を並ばせたラピスにも同じことだった。


 そんな彼女は、小さな欠伸を一つ零しながらも、豆のスープを煮詰めているだけだ。

 煮立てば煮立つ程、味が濃厚になる事は知っているのだろう。

 気負いは一切見受けられない。

 むしろ、彼女は体力の温存の為に、極力無駄な行動をしたいとは思っていないようだ。

 それは、会話と言う手段も含まれる。


 嫌われている訳では無いと思いたい。


「………なんぞ、私の顔に何かついておるか?」

「い、いや…そうではなく、」


 そう考えている間、ずっと彼女の表情を見ていたのか。

 胡乱げな眼を向けられて、思わずゲイルがワタワタと慌てふためいた。


 対するラピスは、相変わらず胡乱げな表情をしているだけだ。

 

「………いや、貴女は、まるで気負っていないように思えて、」

「気負う必要がどこにある?

 ………わざわざここまでの道中も転移魔法陣を使って、日数を短縮したのじゃ。

 これからの道中で、何事も無ければ1週間も掛からぬであろうよ」

「………あ、い、いや、日数の事では無く、」


 ラピスからの返答は、ゲイルにとっては答えでは無かった。


 と言うのも、彼が聞きたかったのは不安では無いのか、という一点だった。

 こうして落ち着いた頃合いで、聞くような話題ではないとは思っている。


 とはいえ、ゲイルには少しばかり気になる事があった事もある。


 ラピスが、銀次と恋仲になっているのは、分かっている。

 報告を受けた訳では無くとも、『白竜国』との会談の際に、散々ハグや口付け(キス)を行っていたのだ。

 気付かない方が可笑しい。

 ただ、その前より彼は気付いていたものの、口には出さなかった。


 そんな恋仲となった筈のラピスが、銀次の庇護下から外れて、騎士団と行動を共にしている。

 触りだけしか聞いてはいないが、彼女は騎士が嫌いだった筈だ。

 それを思い出して、またしても尻の座りが悪くなってしまうゲイルだったが、


「………男所帯に放り込まれたのに、か?」


 ついつい口を付いて出てしまった言葉は、限りなく下衆の極みであった。

 本人にそんなつもりは無い。

 むしろ、彼女の身持ちや貞操を心配しての言葉だった。


 だが、受け取り方は人それぞれ。

 むしろ、この一言から、更に深く意味を汲み取れと言う方が無理な話だ。

 案の定、ラピスの視線に険が混じった。


「狼になりたいと?」

「い、いやっ、そんなことは無い!

 断じて……ッ、心配をしただけなんだ…ッ!

 誓っても良い!」

「そこまで、大慌てをせんでも良いじゃろうに。

 ………まぁ、お主が言いたいことは、なんとなく察することは出来たが…」


 察することが出来たのか、とゲイルが驚きに目を瞠る。

 ラピスの視線の剣呑さを見るに、完全に勘違いをされているのは分かっていた。


 だが、彼女は溜息を一つ吐いて、豆のスープを味見しただけだった。

 味に満足したのか、こくりと頷く。

 傍らに備えておいた木製のスープカップへとスープを注ぎ、ゲイルへと差し出した。


 そして、口にしたのは事実だけであった。


「私はこれでも、『太古の魔女』じゃ」

「………それは、」

「知っている通り、100年前には名を馳せた冒険者。

 今は既に引退してブランクがあると言っても、実力に関しては未だに衰えてはおらぬ」

「………ああ」


 その事実に関しては、ゲイルも知っている。

 むしろ、目の当たりにした事がある、と言って良いだろう。


 北の森でのアンジェ救出の折の事だ。

 森から襲撃を受けていた彼等を助ける為に、彼女は颯爽と空から舞い降りた。

 かと思えば、中級から上級までの大規模範囲魔法をほぼ無詠唱とも言える状況で放っていた。

 難を逃れたのは、銀次だけでなくその集中砲火に隠れてやり過ごそうとするしか出来なかったゲイル達も同じである。

 その威力に関しては、もはや疑いようも無かった。


 もし、彼女がここにいるゲイルや、騎士達に害されそうになった時。

 勿論、もしもの話ではあるが。

 きっと、先述した大規模範囲魔法で一掃してくれる事だろう。

 何の迷いも無く、躊躇もせず。


 彼女自身の身や貞操を守る事が、銀次の安寧につながる。

 だからこそ、彼女の判断は情け容赦も無いだろう。


 そんなことは、分かっている。


 愚問だった、と気付いたゲイル。

 ややあって、気恥ずかしさから頬を染めて、半ば成り行きで受け取ったスープへと視線を落とした。


 保存食とは言っても、ラピスが道中に食べられる野草や、群生している野菜等を見つけて見繕ってくれていた。

 それ等の野草や野菜がたっぷり入ったスープは見るからに美味しそうだ。

 だが、口を付ける気分にもなれず、彼はスープを見下ろすだけだった。


「それに、」


 そんな中、ラピスが続けた一言。

 その一言で、ゲイルの視線がスープから、引き剝がされた。


「私は、銀次と結ばれた仲。

 威を借る訳では無いが、友人であるお主と、その部下である騎士どもが手出しをするとは思えぬでな」


 苦笑とも、自嘲とも言える微笑みをゲイルに向けたラピス。

 その表情を見た瞬間、ゲイルも悟った。


 当たり前のことであり、それが信頼である事を。

 銀次の想い人となった彼女を、友人であるゲイルが傷付ける訳がない。

 そのゲイルの部下達も、彼女を害しようとする筈も無い。


 その信頼を向けられていた事実に、ゲイルも同じように微笑んだ。

 穏やかでいて、柔らかい笑顔だった。


「………その通りだったな」

「じゃろう?」


 くすくすと、小さな笑声を上げて。

 嫁と友人が、その旦那兼友人当人を通じて親交を深める。


 その様子を微笑ましそうに見ている騎士達の視線の多い事。

 彼等もまた、その2人の旦那兼友人を微笑ましく思っている証拠だっただろうか。



***



 その後、騎士達が交代でラピスの作った食事を終えた。

 これまた交代で歩哨や休息へと動き出す頃。


 ゲイルとラピス、それからゲイルの部下であり、今回の2個中隊の隊長格である騎士達が焚火を囲む。

 2個中隊はそれぞれ、ライトニング部隊とフォトン部隊。

 隊長格の面々は、いつぞや何度か銀次も世話になっているカルロスとスプラードゥだった。 


 内容は勿論、今後の日程である。


「ここまで来たからには、もう急ぐ必要は無かろう?

 なにせ、ダドルアード王国からは、既に2日分は距離を稼いでおる」

「ええ。

 計算といたしましては、残り4日で『南端砦』に辿り着くと思われます」

「転移魔法陣を使わせていただいたのは、大きいですからね」

「………ああ、そうだな。

 では、計算は4日分として、野営の設置場所や歩哨の分担を、」


 とはいえ、彼等の言う通り、たった1日で2日分の距離を移動出来た。

 先ほどもラピスが口にしたように、転移魔法陣を使ったおかげだ。

 ダドルアード王国の東の森入口付近にある霊廟は、これまた過去銀次達が使わせて貰った経緯がある転移魔法陣。

 その魔法陣を起動する為に魔力を消費したのはゲイルであったが、許可を下したのはラピスだ。


 彼女も、ゲイルが焦っている事は承知していた。

 その為、大盤振る舞いとばかりに転移魔法陣の使用の許可を下した。


 急げば1週間であるが、馬を乗り潰すわけにもいかない現在。

 2日分が短縮出来たおかげで、夕刻に至るまでの間に『クォドラ森林』を経由して、東の街道に抜けた彼等の足取りは早い。 

 この調子で行くなら、おそらく1週間も掛からずに『南端砦』へと到着出来るだろう。


「では、私はこれにて失礼致します。

 騎士団長もなるべく、早めにお休みになられますよう」

「私は歩哨部隊の統率へと戻ります。

 騎士団長もラピス様も、おやすみなさいませ」


 恙無く日程の会議は終えて、隊長格2人が焚火の輪から外れていく。

 カルロスは明け方の歩哨に備え休息を取り、スプラードゥは警戒歩哨の分担の為に警備へと戻った。


 残されたラピスとゲイルは、それぞれの騎士達をコーヒー片手に見送った。


 選別として受け取ったコーヒーは、ラピスもゲイルも恩恵に肖る事になった。

 おかげで、眠気はあまり感じていない。


「………最初は、泥水か毒かと疑ったものだが、」

「ふふ、銀次が『カフワ』の実を炒めたり、削ったりし始めた時には、私も何をしているか分からないものじゃった。

 ………本に、あ奴の頭脳はいっそ妬ましい程、羨ましいものじゃ」


 そう言って、お互いが苦笑交じりにコーヒーを啜る。

 ちなみに、ゲイルはブラックでも構わないが、ラピスははちみつを入れてまろやかにしたい派だった。

 余談である。


 そんなコーヒーブレイクと共に、穏やかな時間を過ごす中。


「そういえば、お主にまだ報告していない事があったのじゃ」

「うん?」


 潔く切り出したラピスが、咳払いを一つ。

 そして、報告と銘打って姿勢を正した。


 ただ、報告と口に出した辺りで、ゲイルもなんとなく察しが付いた。

 その真っ白な頬が、やや赤らんでいるのを見ても一目瞭然だったとは、内心だけに留めておこうとゲイルは苦笑を零す。


「銀次とは、その…恋仲に、なっておって、の…///」


 ラピスは、単刀直入、口にした。

 銀次との、最近進展した間柄。

 気付いていたゲイルも、改めて当人の口から聞いて、ほっこりとしてしまう。


 胸に到来するのは、喜びだろうか。

 表情にまで現れたのか、いつもの険を帯びた無表情ではなく穏やかな微笑みを浮かべて。


「おめでとう、ラピス殿」

「あ、りがとう、と言うべきかや?

 ………とはいえ、その、なんというか、………気恥ずかしいものでもあるでな」

「良いでは無いか。

 どのみち、オレとしては銀次には、早めに伴侶が必要だと思っていたからな」


 彼の言葉通り、そう言う事。

 彼も、彼女の主人兼自分の友人である銀次の身持ちに関しては、思うところがあった。


 なにせ、銀次は無茶ばかりする。

 なまじ、その無茶が出来てしまうだけの鍛えた肉体と精神力がある所為だとは思っていたが、まさか鍛えるのも辞めて鈍れとも言えない。


 きっと、遅かれ早かれ、命の危険は降って湧く。

 ならば、こうしてラピスのような女性と関係を持ち、あわよくば所帯を持てば変わるとは思っていた。

 無茶ばかりするのも、守るべき家族が出来れば少しは変わるだろう、と。


 それに対しては同意見だったのか、ラピスも頷いた。

 銀次の無茶や無理の仕方は、彼女にとっても死にたがりとしか思えなかった事もある。


 とはいえ、


「しかし、その………、報告がそれだけでは無くて、の」

「うん?………まさか、子どもでも出来たのでは…!?」


 続いたラピスの言葉に、ゲイルが驚きのあまり立ち上がった。

 灰掻き用の枝を蹴って焚火の中に放ってしまったのは、驚嘆で固まった2人も気付かなかっただろう。


 それはともかく。


「い、いや、そうではない…!

 むしろ、私は森子神族エルフじゃから、おそらく子宝に恵まれるのは時間が掛かるじゃろう…」

「………な、なんだ、それなら良かった。

 いくら、1週間とはいえ、身重の嫁を貸し出して貰ってしまったのかと不安になってしまった」


 残念ながら、と言うべきか。

 はたまた、喜ばしいと言うべきか。

 ラピスは269歳を数えながらも、未だに子宝は1人だけだ。

 それも、50年以上の年月を掛けてだったので、銀次との間の子どもは半ば諦めていると言っても良い。

 銀次も欲しいとは言っていなかったので、お互いに分かり合っているという状況だった。

 (※とはいえ、銀次は欲しくない訳でも無かったが、大人ながらの擦れ違いであった)


 さて、話が逸れたが、


「………報告と言うのは、その、………ローガンの事なのじゃが、」

「………え?………っと、ローガン殿が、何故?」


 はた、とゲイルが瞬いた。

 しかし、その瞬間、これまた思い出したのは、いつぞやの冒険者ギルドでの事だ。


 あの時は、銀次がジャッキーから無茶なお願いを聞かされていた。

 ランクアップ試験の監督官を請け負った時の事だ。


 思い出してみると、あの時も何やら嫁やら妻帯しているやらと言っていた気がする。

 何を隠そう、その表題に上がっていたのは勿論銀次と、ローガンの筈だった。

 あの時、ラピスはいなかった。

 そう考えた時、ゲイルがまたしても目を瞠った。


「………まさか、彼女とも…!?」

「う、うむ。………察しの通り、ローガンも銀次と結ばれておる」


 驚きの余り、硬直したゲイル。

 ラピスは、その様子を見て伝えるのを早まったか、と大慌てとなっていた。


 いくら、妻帯者が2人以上である貴族が多いとはいえ、銀次はそうではない。

 ゲイルからしてみれば、市井の人間だ。

 まぁ、その生活ぶりや与えられた待遇、残してきた実績は到底市井の人間とは言えないまでも。

 それでも、彼は叙勲や爵位を受けた訳では無いので、十分常識の範疇を外れている。


 ゲイルが驚いたのも無理はない。

 と、気まずそうに、ラピスが頬を掻いた。


 しかし、硬直したままだったゲイルがややあって口を開く。


「………それを、貴女は了承しているのか?」

「ああ、うむ。

 それは、勿論のことで、むしろ銀次よりも先に了承したのぅ」

「………ローガン殿も?」

「うむ。………実は、」


 彼の確認の言葉。

 それに対して、紆余曲折は省いたが、ラピスは正直に話した。


 ラピスとローガンの間で、約束事があった事。

 しかし、それをラピスが反故にしてしまい、結果ローガンが飛び出してしまった1件があった事。

 その後、銀次が塞ぎ込んだり、彼女達に対して冷たくなったことを受けて原因を探った折、彼の死期ともいえる時間が迫っていた事。

 それを受けて、2人が仲違いを辞め、銀次を支えようと決めた事。

 そして、銀次の知らぬところで画策し、お互いが嫁と言う立場に収まるように一計を案じた事。


 そうして、銀次が市井の人間にして2人の妻を持つ妻帯者となった事を、素直に、それこそ馬鹿正直に話した。


 その間、ゲイルは黙って聞いていた。

 黙らざるを得ないと言う事もあったが、驚きの余り言葉が出なかった。


 それで良いのか?という思いと共に、湧き上がる何か。

 知らず知らずのうちに、彼は目尻に涙が溜まっていた。


 語り終えたラピスも、少々涙を滲ませながらも溜息一つ。


「まぁ、大まかに言えば、こういった具合でな。

 今は、お互いに1日置きであ奴と同衾したり、それこそ………ごにょごにょ………したりしておる」

「………問題は起きていないのか?

 それに、生徒達やシャル君も、知らないのでは?」

「………知らぬじゃろうが、気付いている者はおるじゃろう。

 お主と同じように、気付いていながら何も言わない生徒も、多くいたようじゃ」


 そう言って、また一つ溜息を吐いたラピス。

 その表情には、悲壮は見て取れない。

 どちらかと言うと、気恥ずかしさと共にどこか遣る瀬無さが滲んでいた。


 おそらくは、生徒達にも娘にも、黙っているのが心苦しいのだろう。

 こうして、ゲイルに対して話したのは、銀次が恥ずかしがって言わなかったからであって。


 そうして、報告を終えた後、ラピスが目を見開いた。


 目の前の青二才の騎士団長が、何故か涙を零していたからである。


「……な、なな、なんぞあった…ッ?」

「い、いや………、ラピス殿も、ローガン殿も、………慎ましいと思って、」

「そ、それは、お互いに利害が一致したからであって、」

「………利害が一致したとしても、好いた男を共有するなど、考えられる人間は少ない…」


 ゲイルも泣いている事に驚いたのか、ハンカチを取り出して顔を拭った。

 真っ赤になった目尻と鼻が痛々しい。

 朝方にも同じような泣きっ面を晒していたが、まだ涙腺が緩んでいるのか否か。


 ついでに言うなら、彼の泣き顔がそこまで珍しくないので、ラピスが逆に呆れ気味だった。


 なんとはなしに、この話はこれで終わりにした方が良いと思ったのはどちらが先だっただろうか。

 コーヒーを啜りつつ無言。

 お互いが、手持無沙汰になり始めた頃、


「そ、そういえば、…」

「う、うん?」


 ワタワタとしながらであるが、ふとラピスが話題変換。

 銀次曰く下手くそな話題変換ではあるが、お互いがお互いに気まずかった所為もあってか、救われたのは確かである。


「銀次は聞いておるようだが、私は知らぬでな。

 これから向かう『南端砦』とやらと、ついでにお主の兄の事を聞きたいのじゃが?」


 そこで、彼女が口にしたのは、今後の事。

 これから向かう『南端砦』の現状と、常駐している『暁天ドーン騎士団』団長でもあるゲイルの兄の事だった。


 確かに、銀次は既に酒の席で、ゲイルから聞いている。

 だが、こうして同行していたラピスは未だに詳細を聞いていない事を、今しがた思い出したようだ。


 実際、この『南端砦』に向かう案を述べたのはラピスだ。

 とはいえ、それは彼女が只ならぬ不穏な雰囲気と、彼等の焦りようを見ていたからであって、実情を知っている訳では無かった。


 思い至ったゲイルが、そういえば、と目を瞬かせる。

 まだ赤い目尻をハンカチで抑えつつ、少し温くなったコーヒーを見下ろした。


「………『南端砦』は、ダドルアード王国の南端にある。

 海を挟んだ『暗黒大陸』からの侵攻を防ぐ要塞でもあり、今は巡視をしている砦だな」


 そう言って、語り始めたゲイル。


 口調は先程と打って変わって、重苦しい。

 更に言えば、表情も険しかった。


 しかも、その言葉には、『南端砦』の現在の実情しか含まれてはいなかった。

 雰囲気が変わった事にラピスが気付き、怪訝そうな表情を見せる。


「………オレも、知っているのはこれぐらいだ。

 後は、『暁天騎士団』の規模が、200名前後である事と、内訳が騎士と犯罪者の半々で構成されている事ぐらいしか、」

「………兄の事は、どうなのじゃ?

 私はどちらかと言うと、騎士団に興味があるのではなく、その兄について興味があるのじゃが、」

「………。」


 ラピスの言葉に、押し黙ったゲイル。

 その沈黙が、何かしらの拒絶のように思えたラピスが、心なしかまた表情を険しくする。


 前々からではあったが、彼は親兄弟の話となると口を噤んでしまう。

 戯れに聞いたことがあった。

 いつだったか、シャルとのやり取りを微笑ましく見ていたゲイルに、ラピスが言ったのだ。


『お主とて、親の庇護下ですくすくと育ったのであろう?』


 と、揶揄を込めて。


 しかし、それに対する返答は、苦笑だけだった。

 まるで、オレは違うと言っているように。

 ………奇しくも、捨て子であると表明した銀次の表情とダブって見えてしまったのが、彼等を似た者同士と決定付ける一幕となった。

 余談である。


 彼女自身も、自分自身の事はゲイルに話せていない。

 銀次やローガンには話したが、家族以外で話したのはこの2人だけ。


 だからこそ、ゲイルの気持ちも分かってしまった。


「………話したくない事なのじゃな?」

「………い、いや、そう言う訳では無いのだ。

 ただ、なんて言って良いのか、………分からない」


 言い淀んでいるのは、はっきりと分かった。

 余計な詮索だったか、と内心でラピスがこれまた慌ててしまう。


 しかし、


「兄は、昔から、気難しい人だった事だけは、覚えている」


 ややあって、ゲイルは語り始めた。


 兄と過ごした幼少期は、短い。

 その短い期間の中でも、彼の心の中に残っているエピソード。


 彼の事を、ヴァルトのように嫌うでもなく、我儘を叶えてくれる存在でもあった。


 優しかった、と思う。

 思い出しつつも、ゲイルは感想のような言葉を続けた。


 『闇』属性で生まれたが為に、隔離され冷遇され。

 彼にとっての自由は、既に屋敷の外にしか無かったというのに、騎士団に入ってからも何かと屋敷に戻って来ては、2番目の兄(ヴァルト)の事も長女(ヴィッキー)の事も気にかけていた。

 その輪の中に、自分も交えてくれていた。


 年が上がると共に、彼の職務が激務と化していくと共に。

 その接触は、少なくなった。

 むしろ、無くなってしまったとも言えて、ゲイルが寂しいと感じていた事も語った。


「………その優しさが、今となっては本心とも分からんがな」


 そう言って、悲し気に締めくくったゲイル。

 ラピスは、難しい表情で、そんなゲイルを眺めている事しか出来なかった。


 手に持っていたコーヒーは、既に冷め切っていた。



***



 その4日後の事である。

 当初の予定通り、無事東の街道を抜けた一行。


 森を抜ける前から、潮の混じった香りを感じていたが、海岸線を一望出来るようになった時、目の前には濃紺の地平線が見えていた。


 目と鼻の先に迫った、『南端砦』。

 街道の終着点の終わりも差し掛かり、既に砦の尖塔や灯台代わりの物見櫓も見え始めていた。


 1週間と見積もっていた日程は、5日目にして終点となりつつある。


 途中、魔物の襲撃も、幾度とあった。

 これを片付けたのは、ほとんどがラピスだ。


 騎士達の損失や消耗を避ける為に、最初から大規模な魔法での一掃を施した。

 おかげで、戦闘と言える戦闘は、騎士達もゲイルすらも経験していなかった。


 魔力に関しては、心配も無い。

 いくらゲイルや銀次に負けるとはいえ、彼女も『太古の魔女』という異名を引っ提げた女丈夫。

 軽々と上級魔法を扱い、魔物を寄せ付けもしなかった。


 ただし、それ以外での問題が、少々。

 ならず者が、少なからず横行していた事であった。


 騎士達の見解では、おそらく『南端砦』からの脱走兵。

 及び、東側の街や国で焙れた者達が、流れ着いたのではないかとのことだ。


 この東の奥まった森を拠点にしたのは、『南端砦』への補給部隊への襲撃に味を占めた可能性がある。


 これで、レオナルドが血みどろで、王国に辿り着いた経緯が知れた。

 ラピスも診察をしたのだから分かっていたが、魔物にやられたひっかき傷の外にも刀傷も見受けられたのは、彼等からの襲撃を受けた折に負傷したからだろう。


 ちなみに、そのならず者達の対処もラピスが行った。

 魔法で一掃し、ほとんどを無力化してしまう。

 中には、それでも立ち上がり、向かってくる気骨のある者はいた。

 だが、それでも周りは武装した精鋭の騎士団。

 ラピスに凶刃が届くまでも無く、敢え無く御用となっていた。


 ゲイルが捕縛指示と共に、捕虜としてそのまま連れていくことを決めていた。

 おそらくは、『南端砦』での奴隷としての有用を目的としているのだろう。

 元々、『南端砦』は犯罪者の収容も可能とした砦である為、人員が増えるとなれば一石二鳥だった。


 とはいえ、


「………お主、そろそろ、気をしっかり持たぬと、」

「………済まない。

 わかって、は、いるんだが、…ぐぇ…ッ!」


 当のゲイルが、途中途中でダウンしている有様だ。

 何故か。

 流石に医者の任も持っているラピスは、これまた見当がついていた。


 トラウマだ。

 以前、ヴァルトとの会合の時にも同じような事になっていた。

 あの時は、拷問や薬を使われた恐怖心で、当人達との接触を極端に恐れるようになったからだった。


 今回も同じだろう。

 過去のトラウマが触発されて、兄に会うのが怖いのだろう。

 別に長兄がゲイルに何をしたという話は聞いていないとしても、反応や掛けられる言葉の数々を不安に思って情緒を不安定にしている。


 嘔吐くゲイルの背を撫でながら、ラピスが溜息を零す。

 こんなところまで、銀次とそっくりなのか、と。

 意外と図太そうに見えて、彼もまたナイーブな一面を持っていたようだ。

 知らなかった訳ではないまでも、もはやこれは病気だ。

 しかも、薬で症状を緩和できる訳でもない精神的な病である為に、質が悪い。

 おかげで、ラピスは辟易としてしまう。


 そうは言っても、既に砦は目前だ。

 更には、


「斥候より、報告です。

 砦より南西1キロの海岸線浜辺付近で、騎士団と魔物が交戦中!

 魔物は、サハギンかハンマーフィッシュ!

 騎士団の人数が当初の報告よりも少ない事から、苦戦をしている模様でございます!」


 ゲイルが一時休憩を挟んでいる間に、斥候を放った結果。

 報告に戻ってきた騎士が、やや表情に緊張を走らせながら報告をしたのは、交戦している騎士団と思しき一団の苦戦。


「はぁ。もう、次から次へと、」


 ラピスは、再三の溜息と共に立ち上がった。


「私が先行するでな、1個中隊を借りるぞ。

 青二才ゲイルに半分と、捕虜どもに半分を割いて、ここで待機しておれ!」


 この場で、魔物の掃討に対する絶対的な切り札は彼女。

 潔く決断した彼女は、颯爽と馬に跨ると、スプラードゥ率いるフォトン部隊を先行して砦への道を走る。


 斥候の報告通り、砦から1キロ前後の距離。

 彼女達からしてみれば、既に目と鼻の先で魔物と交戦している一団が見受けられた。


 遠目に見る限りでも、ラピスには事足りる。

 森と風と共に生きる森子神族エルフの視力は、4.0を超える。


 蛇のような頭に獰猛なコングマンのような体をくっつけた、Bランク相当の海の魔物、サハギンが4体。

 それに、ハンマーのような頭角を持ったこれまた魚とコングマンを掛け合わせたようなCランク相当の水辺の魔物、ハンマーフィッシュが10体以上。

 隊列を組むような形で、海から続々と現れては、騎士団を包囲している。


 一方、騎士団はといえば、徐々に後退をしながら包囲網から外れる様に動いているようだ。

 陣頭指揮を執っているのは、漆黒の兜を被った騎馬兵。

 しかし、怪我人も多いのか、何人かが攻撃をするでもなく、じりじりと後退を続けるだけ。

 苦戦の報は、事実だったようだ。


「(………流石に、この位置からでは、巻き込みそうじゃ…)」


 ぎりり、と歯噛みをしたラピス。

 焦ってはいられない。

 とはいえ、逆にのんびりしていては、騎士達の隊列も瓦解するやもしれない。

 包囲が完成した時には、虐殺が始まるだろう。


 だが、魔法は使えない。

 強力な魔法は、どれも範囲魔法だ。

 騎士団を巻き込んでしまっては元も子も無い。

 

「あまり、得意ではないが、仕方あるまい…!」


 そう言って、彼女は外套の背に手を入れた。

 そこには、筒状の杖が一振り、佩かれている。


 『タネガシマ』から、改良を重ねられた火縄銃、『隠密(ハイデン)』。

 銀次に念の為と言われつつも、半ば無理矢理持たされたものだ。


 本来の火縄銃やライフルとは違って、反動も一切無ければ耳を馬鹿にしてしまうような爆音も発さない。

 (※以前よりも更に改良を重ねて、ハンドガン程度の射出音はするようになっている)

 さらに言えば、火種もいらず、魔力のみでの実用を可能にした代物だ。


 今この場で使うには、うってつけ。

 まさか、念の為で持たされた獲物を、こうも早く使う事になるとは思ってもみなかったが。


「全体、停まれ!」


 ラピスの号令で馬列が停まり、彼女はこれまた颯爽と馬から滑るように地面へと降りる。

 そこで、片足を立てて、射出態勢へと入ったと同時、


「『風』の精霊達よ!

 我が前に道筋を作り、補佐しておくれ!」


 『風』の精霊を、文節無しで発現。

 むしろ、この場合は大規模な魔法を使う訳では無く、補助を目的として発動した意味合いが高い。


 先ほども言った通り、彼女はやや『隠密ハイデン』に対して、苦手意識を持っている。

 何故かと言えば、彼女は命中度がそこまで高くない所為である。

 娘には確かに弓を教えたものの、彼女自身も扱ったことがあるのは数回程度。

 命中率も無ければ、それこそ才能も無かった。


 その為の、『風』の精霊の補助。

 まかり間違って、騎士団を誤射してしまっても困るからこその処置であった。


 ーーーードン!ドン!


 まずは、2発。

 『風』の精霊の補助によって、2発の弾丸が寸分の狂いも無く飛ぶ。

 司令官となっていたであろうサハギンの頭部へと命中した。

 1発目で目玉が炸裂し、よろけたところで額に2発目。

 頭部が消え去ったサハギンが、浜辺に倒れ伏すのをしっかりと確認した後、彼女は更に引き金を絞った。


 3発目と4発目で、包囲の為に騎士団の側面に回り込んでいたハンマーフィッシュの胴体が断裂した。

 5発目と6発目で、恐慌を起こして騎士団に襲い掛かろうとしたハンマーフィッシュが頭部を失って浜辺に突っ伏す。

 7発目と8発目で、2体目のサハギンの頭部を木っ端微塵。

 9発目と10発目で、音を聞きつけて、こちらに飛び跳ねて来ていたハンマーフィッシュがもんどりうって絶命した。


 なにも2発を撃たなくても、命中はするし絶命もする。

 しかし、万全を期して、彼女は魔力総量との相談をしながら、2発ずつを使って魔物達を仕留めていく。


 魔物による包囲は崩れた。

 今まで交戦をしていた騎士達が、状況を把握仕切れずに呆然としている中、


「後退せよ!」


 鋭いラピスの声と共に、黒い兜の騎兵が指示を出し始めた。

 先ほどよりは迅速に、それでいて慎重に後退を開始。


 魔物達が逃がすものかとばかりに、追い縋ろうと必死に飛び跳ねている。

 しかし、3体目のサハギンが、ラピスからの射撃で倒れたのを受けて、一斉に恐慌を起こし始める。


 わたわたと、そこら辺を飛び回るだけのもの。

 パニックでも起こしたのか、その場で泡を吹いて地面をばたばたともがくもの。


 そのうち、騎士団は魔物達を一定の距離を置いて、一列の隊列を組みなおして対峙出来るだけ整えられた。

 もう、援護は必要ないだろう。

 そうラピスは思ったが、しかしこのまま騎士達の討伐を見ているだけというのも、なんだか物足りないと感じている。

 別に戦闘狂バトルジャンキーではないものの、若かりし頃の感覚が疼いてしまっているようだ。


「まぁ、ここまで掃討しておれば、大して変わるまい」


 そう結論付けた彼女は、射出態勢を崩して立ち上がるなり。


「『雷』の精霊達よ!

 我が手に、暴君の咆哮を!

 『雷の柱(ライトニング・ピラー)』!」


 詠唱。

 轟音。

 砂埃。


 背後にいたフォトン部隊ですら、唖然とその様子を見ていた。

 苦戦していた筈の騎士団等、言わずもがな。


 ラピスの簡潔な詠唱の後、光の柱が浜辺に出現した。

 直視した者は、雷光がしばらく目に焼き付いたように見えた事だろう。


 中級魔法でありながら、威力は上級の域を遥かに超えていた。

 彼女としては、出力を絞って広範囲ではなく、一点集中という形で精霊達へとお願いをしただけである。

 それもまた、ラピスが『太古の魔女』である所以の、魔法の才覚だっただろうか。

 射撃の才能は無くとも、これがあるからこそ彼女は伝説となっている。


 だが、そんな驚きの光景も、かき消された。


「………危ないッ!」


 突如響いた、バリトンの声によって。


 一瞬、彼女にとっては、聞き馴染みのある声のように聞こえた。

 しかし、砂埃の先から飛び出した何かによって、その声が誰のものかは判断が出来なかった。


 それは、サハギンだった。

 蛇と人間を掛け合わせたような体躯で、鱗を持っている海の魔物。


 その鱗を炭化させて、血みどろになりながらも飛び出してきた、決死の復讐を試みた1体だった。


 目の前に、サハギンの持つ、鉾が振りかぶられている。

 直撃すれば、いくら彼女として即死するやもしれない。


 だが、呆然とするだけで、それに対して構える事すらも出来なかった彼女。

 凶刃が、彼女の喉元を捕らえようとしていた。


 しかし、


「はぁああああああああッ!!」


 気鋭一閃の、雄々しい咆哮が響いた。


 横合いからの奇襲により、サハギンの体は吹っ飛んだ。

 それどころか、鱗すらも突き破った槍の一撃が、胴体に風穴を開けている。


 血が飛び散り、彼女の頬を濡らす。

 瞬間、彼女は何者かの腕の中に、抱きかかえられていた。


「大丈夫か、ラピス殿!お怪我は!?」

「い、いや、無い…が、」

「なら、良かった!頼むから、油断はしてくれるな。

 貴方に、毛ほどであっても怪我をさせた等、ギンジに知られればオレの首が無くなる」

「お、大袈裟な…ッ」


 気安い掛け合いと共に、ラピスの体の強張りが解けた。


 それは、ゲイルだった。

 先ほど、街道で休憩の為に置き去りにした筈の彼が、今しがたの気鋭迸る一撃を、サハギンに見舞ったようだ。

 その証拠に、今まで曇り1つ見られなかった白銀の槍には血化粧が施されている。


 だが、ほっとしたのも束の間の事。

 胴体に風穴を開けられながらも、サハギンが起き上がったのである。


 もはや、立つことは出来ないのか、地面に四足をついている。

 しかし、その眼には未だに、殺意が爛々と迸っていた。


 そして、次の瞬間には、腹を擦るようにして、手と足だけの力で這いずって来る。

 まるで、トカゲのような動きだ。

 元々、蛇等の爬虫類と同じ進化過程にあったが故か。


 そんなサハギンに向けて、ゲイルが一言。


「ギンジなら、こう言うだろうな。

 『お前みたいな魔物なんて、大嫌い』だと」

「ぶふっ」


 ラピスが噴き出した。

 言いそうだ、と言うのは、もはや安定の蛇嫌いの彼の事だからだろうか。


 ただし、その瞬間にも、既にゲイルは槍を振りかぶっている。

 下から打ち上げる様に白銀の槍を逆袈裟に跳ね上げたかと思えば、その口元は魔法の詠唱を刻んでいる。

 器用なものだ、とラピスが苦笑を零した。

 これで、精神的な情緒不安定も無ければ完璧なのに、とも。


 それはさておき。


「雷帝の力の一端を、今此処に示し給え!

 『雷の槍ライントニング・ランス』」


 詠唱が完結し、魔法が発現する。

 『雷』属性、中級魔法、『雷の槍ライントニング・ランス』。


 打ち上げられた態勢で成す術もなく雷の槍の直撃を受けたサハギンが、断末魔の悲鳴と共に黒影へと変わる。

 『雷』属性の圧倒的な熱量に、空中で炭化して消し炭となった結果であった。


 その場には、燃え滓がちらほらと落ちるのみになった。

 雪のように降る灰色の消し炭を見て、それからラピスの無事を確認して。


 ゲイルは大仰な溜息を一つ吐いて、警戒を解いた。

 ラピスが改めて浜辺へと視線を向けるが、あちらも似たような有様だ。


 通常の魔法と威力の違い過ぎるこの2人の魔法の前では、魔物の形すらも残らなかった。

 浜辺の一部すらも焦がし、これまた炭化した消し炭が数体転がっているような状態。


 討伐に関しては終了しただろう。

 それを呆気にとられた様子で見ていた騎士団からも、呆然としながらもちらほらと鬨の声が上がっていた。

 純粋に、生還できたことが嬉しいのだろう。


 とはいえ、その中に剣呑な視線が複数混じっている事には、ゲイルやラピスもすぐに気付いていたものの。


「『暁天ドーン騎士団』に属する部隊とお見受けする!

 我が名はアビゲイル・ウィンチェスター!

 王国騎士団騎士団長にして、『白雷ライトニング騎士団』団長である!」


 街道と浜辺という距離を開けながら、ゲイルが名乗りを上げる。

 俄かに混乱し始めた『暁天ドーン騎士団』を尻目に、ゲイルの背後から追いついたライトニング部隊や捕虜等も合流し、街道を改めて騎乗して進み始めた。


 しばらくすると街道が途切れ、浜辺へと降りる道が出来始める。

 その浜辺への降り口である街道の切れ間に、『暁天ドーン騎士団』は整列していた。


「改めて、我が名はアビゲイル・ウィンチェスター。

 王国騎士団騎士団長にして、『白雷ライトニング騎士団』団長である」


 彼等の目前に馬上で立った時、ゲイルが再度名乗りを上げた。

 それに対し、『暁天ドーン騎士団』からは、黒い兜の騎士が一人、前へと躍り出た。


 兜を取り去り、背中まで長く伸びた黒髪を露にした騎士。

 その男性の表情が見えた瞬間、ラピスも驚いた。


 瓜二つとまではいかないまでも、ゲイルとそっくりな顔が出て来た為である。

 黒髪も然ることながら、顔立ちは彼が後10年ほど年老いたような雰囲気だ。

 年齢と、群青にも似た青の瞳だけが、相違点。

 しかし、それ以外はそっくりな姿をした彼が、ヴィンセント・ウィンチェスターであり、ゲイルの兄であろう事が即座に分かった。


 しかし、ラピスが驚いたのは、それだけではない。

 そんなゲイルに似た彼の表情が、弟と再会したとは思えない程に憤怒にも猜疑にも懲り固められていたからである。


「………。」


 しかも、彼はゲイルの名乗りに対して、無言だった。

 堅苦しい雰囲気で、不穏な気配もしていた。


 気付いたのはゲイルも一緒だったのか、眉根を寄せている。

 そればかりか、動揺でもしてしまったのか、馬上から降りる礼儀作法すらも忘れて硬直してしまっていた。


 ラピスが、ゲイルから聞いた兄の人物像を思い返す。


 優しくはあったが、気難しい人間だった、と。

 それと同時に、本心を表情の裏に隠してしまうので、本心では何を思っていたのか分からないとも。


「遅くなりましたが、お久しゅうございます。

 何年振りかは分かりませんが、ご息災のようでなによりです、兄上」

「………アビゲイル、」


 久方ぶりの再会である兄弟。

 先ほどの名乗りとは違って、ゲイルが柔らかく微笑みながら兄に向けて礼を取る。

 冷汗は浮いているが、表情は取り繕えたようだ。


 だが、対するヴィンセントの表情は、解れていなかった。

 不味い、とラピスが息を呑む。


 その瞬間、


「………何をしに来た?」

「………えっ?」


 口を開いたヴィンセントから掛けられた言葉。

 ゲイルが間抜けにも口を開けたまま、固まってしまった。


 気にした様子も無く、続けたヴィンセント。

 その瞳には、憎悪にも似た憤怒。


 ラピスが間に入ろうとしたが、遅かった。


「自分の有能さを、見せつけにでも来たのか?」

「違う、そんなつもりでは…ッ!」

「では、どのようなつもりだったのか、言ってみろ。

 私たちの職務は私達の職務で、それが援軍だろうが何だろうが邪魔される筋合いはない」

「そんな、…ッ、邪魔など…!」

「邪魔ではなく、横やりだったか?

 どうせ、同じことではないか…」


 悪し様に吐きかけられた言葉。

 配慮など、一切なかった。


 遂に、言葉を失って、真っ青となったゲイル。

 その額には、冷や汗とも脂汗ともつかない滴が、浮き出始めていた。


「いい加減にしやれ、礼儀知らず!

 助けて貰っておいて、礼すらも言えぬのか、この騎士団は…!」


 その様子を見て、我慢出来なくなったラピスが仲介に入る。

 先ほどと同じく、居丈高にだ。


 しかし、彼女もまた隠し切れない冷や汗が浮いていた。


「………貴殿には、関係無い事だ」

「関係ないじゃと!?

 手を貸さねば、討伐すらも危うかった癖に、よくもそんな口が利けたものじゃのう!」

「………頼んだ覚えは、」

「なんじゃと!?」


 その物言いに、ラピスがカチンと来てしまった。

 先ほどの強かさは演技であったが、今は本気で怒りをぶちまけようとしている。


 しかし、そうなるよりも先に、


「………うっ」


 背後で聞こえた不穏な呻き声に、ラピスが顔を青褪めさせた。

 振り返る。


 そして、


「げほ…ッぐ、ぇえ…ッ!」


 その先にいた筈のゲイルが、脱兎のごとく駆け出した瞬間を見た。

 草陰に飛びつくようにして蹲り、吐き出した。


 文字通り、吐き出した。


 頭を抱えたラピス。

 呆然と、それを見送ったヴィンセント。


 どうやら、この訪問。

 問題続きとなりそうだ。


 『ボミット病』の他に、病を抱えた男達の介護が大変そうな旅路であった。

 嗚咽混じりの嘔吐の声を聞きつつも、ラピスはその場でこれまた大仰な溜息と共に、


「折角の人の好意を無碍にするとは何事かぁ!」


 精一杯の怒声と腕力で、呆然としていたヴィンセントの頬を張り倒す。

 それだけしか、鬱憤を晴らす手段が無かったのである。


 前途多難な、砦への訪問であった。



***

拒絶されて、トラウマ発動のゲイル氏。

ラピスにもこれには流石にうんざりとするしかないでしょう。


アサシン・ティーチャーの事は、たとえゲロ塗れでも抱きしめられますが、ゲイル氏は無理。

まぁ、アサシン・ティーチャーの嫁さんですから。


ちなみに、この砦の話はターニングポイントともなります。

長々と続いてしまう可能性もありますが、ご了承くださいませ。

とにもかくにも、新章開始でございます!


誤字脱字乱文等失礼致します。

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