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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
異世界クラス、再戦編
119/179

113時間目 「社会研修~二度目の邂逅~」

2016年11月12日初投稿。


続編を投稿させていただきます。

今回は、少々忙しいので、駆け足投稿で失礼いたします。


新章開始です!

章設定やらなにやらは、また今度にさせていただきます。

***



「彼は、どこまで見通して動いていると思います?」

「………はて、武に偏った私では、分かり兼ねまする」


 馬車の中、白髪の男性の声が凛と響く。

 そこへ、重苦しくも良く通る声が、追随した。


 白髪の麗人とも言うべき男性は、書簡を広げて額を押さえたまま。

 一方の、騎士服と甲冑を着込んだ初老ともいえる男性は、その憂いを見せるかのような麗人へと伺うような視線を向けるのみ。


 先ほど、とある国に潜ませていた間諜から届けられた一報。

 それが、今白髪の麗人の膝下で広げられた書簡であったのだが、


「まさか、捕縛されたとは、………由々しき事態ですね」

「追及の手が、こちらに届く恐れもありますな。

 他国の王族と言うことを考慮して、ダドルアード王国が手を緩めてくれる事を祈る他ないかと、」

「………祈る事しか出来ないのが、不甲斐無いものです」


 そう言って、物憂げな表情と共に、溜息まで物憂げに吐き出した白髪の麗人。


 書簡で記された内容は、触りだけを言えば簡潔にも程がある。

 同じ『竜王諸国ドラゴニス』に属する一国の王族、それも時期国王候補が、他国で違法武器売買の疑いがあって捕縛されたというものなのだから。


 しかも、その他国と表題に上がっているのが、現在彼等が向かっている南端の貿易国、ダドルアード王国である事も問題があった。


「………繋がりは悟られてはなりません。

 とはいえ、彼の目が誤魔化し切れるかどうかも、博打としか言えませんねぇ」


 もう一度、大仰な溜息を零して、白髪の麗人は書簡を丸めた。

 これ以上眺めていたとしても、中の文字が変化することも無ければ内容が変わる事も無い。


 願わくば、悟られることのないように。

 祈らずにはいられない。


 まだ覚えは良い方だと考えてはいても、狼藉が続けば感情は容易く傾く。

 いくら、『竜王諸国』の威勢を持ってしても、これ以上は見過ごせない禍根へと発展するだろう。


 しかも、表題のダドルアード王国は各地に分布している『聖王教会』の本部。

 そのダドルアード王国に根付いた彼の存在がある限り、『聖王教会』も敵となる可能性は見過ごせない。


 どの時代も、宗教程悪意が無く、厄介なものは無い。

 それを、白髪の麗人自身も知っているからこそ、今回の事は有事にもしたくなければ問題にもしたくは無かった。


 ただでさえ、貿易枠でしてやられた。

 石鹸とシガレットの隆盛に伴い、以前あった貸付等あっと言う間にひっくり返されてしまったからだ。

 今は、逆にこちらから願い出なければ、貿易が滞ってしまう。


 過去の栄光にしがみ付くのもそろそろ限界で、手を打たなければならない。


 そう考えていた矢先に、今回の事があったのだ。


 捕縛された王族は、幸いにも城内での特別待遇を受けているようだ。

 だが、それもたった1人の青年の言葉一つで容易く覆るだろう。


 その青年の実績とその手腕が、既に国賓を超えているからこそだ。

 器用なものだと褒めるべきか、しゃしゃり出過ぎだと貶すべきかは判断に迷う。


 大仰な溜息一つ、白髪の麗人は瞑目する。


(つつ)こうと思っていた、討伐隊への参入も大きく出られなくなりましたね。

 彼を相手取るに当たっては、無策で臨むのは自殺行為と気を引き締めていたというのに、」

「揚げ足を取られかねませんからな。

 どのみち、あの男を相手にするとなれば、武力行使しか方法が無いのも事実でしょうが、」

「それが無駄だと知らしめたのが、討伐隊の一件ですよ。

 国内でも大々的に伝播させた事もあるでしょうが、国外にも轟いた時点で真偽は確かめるべくもありません」


 手の内のカードが、彼が動き回る度にガラクタ以下へと変えられていく。

 驚いたことに、他国にいながら、全てのカードを潰されたのは痛手であった。


 貿易の件もそうだが、既に引き渡しの盟約に関しては撤回が申し出られている。

 こちらからではなく、あちら側からである。

 当初考えていた半年を待たずして、状況がそっくりそのままひっくり返されてしまったのは痛恨の極みであった。

 貿易での優位性は潰されてしまったので、こちらのカードも使えなくなった。


 しかも、以前の討伐隊の件も、同じこと。

 時期はずれるともして、彼は既に『騎士』の資格を得てしまったとの事だ。

 あれだけ騎士という役職を持っていないと言い張っておきながら、討伐隊に参入したのはいかがなものか。

 と、報告を聞いた当初は腹が煮え繰り返ったものである。

 だが、その後日齎された報告で発覚した事実。

 まさか、本当に『騎士』の要職に就いてしまうとは思ってもみなかった。

 これで、偽証だと糾弾するというカードも、潰されてしまった形。


 更には、彼自身が各所で起こした、噂の尾ひれが長すぎる。


 冒険者ギルドでは、一発でSランク認定を受けた等と言う出鱈目な実績。

 『聖王教会』では、直に本物の『石板』へと触れる権利を得たと、大々的にお触れが回ったのも良い例だ。

 魔術ギルドでは、彼自身を認証する為の、魔法具の開発とその配備が着々と進んでいる。

 彼1人が自身達の敵と動くことで、どれだけの人間が敵に回るかも予想が付かなくなった形となっている。


 正直、半年でここまで状況が切迫するとは思いもよらなかった。

 11月の時点で『黒竜国』への報告に走った際、甘く見ていたしっぺ返しがここに来て手痛く帰ってきてしまったようだ。

 おそらく、『黒竜国』側からの追求も免れないだろう。

 そのことを考えると、今後『白竜国』側としても大人しくせざるを得ない。


 ダドルアード王国には、対外的な意味も含めて直接の手出しが出来ないと考えて良いだろう。


 ただでさえ、『聖王教会』と冒険者ギルド双方から、『竜王諸国』宛ての嘆願状が上がっているのだ。

 巡礼、派遣が出来ないとなれば、大陸内でも10億という規模の民衆が敵に回る。

 流石に、その10億という民衆を敵に回す気概は、『竜王諸国』としても持ち合わせていないのが現状。


「世が世なら、『軍神アレス』として、その名を轟かせた事でしょうね」

「『串刺し卿』も然ることながら、ダドルアード王国は抑止力を2つも手にしたという事になりますな」

「残念ながら、3つです。

 『例の武器』は表向きには口外出来ずとも、既に情報を知り得た国家としては脅威には変わりませんよ」


 そこまで言ってから、白髪の麗人は考え込んだ。

 その表情に、直感的に策謀の色を感じ取って、騎士甲冑の男性が黙り込むものの、


「………元より、その話も彼が発端であったのかもしれませんね。

 あの『例の武器』の流用性をかんがみるに、むしろ罠だったと疑うべきだったかもしれません」


 言ってから、納得したとばかりに白髪の麗人が頭を抱え込んだ。


 『例の武器』という、通称が『タネガシマ』と言うその武器を売買するという書状。

 それが各国に回ったのは、()が来てからの事ではないか。


 取引先をわざわざダドルアード王国へと集中させたのも、何かしらの意図があった筈。

 これ見よがしで、疑いの目を向けるのすら馬鹿馬鹿しかったそれ。

 だが、今になって思えば、一番単純で明確な意図だったと納得ができる。


 書状を回していた筈のシュヴァルツ・ローラン。

 彼の経歴を調べさせたとはいえ、よくよく思い返してみれば実態が掴めないのが事実だった。


 複数の子飼いの情報によれば、腕の良い護衛に阻まれて接触もままならなかったとか。


 考えられるのは、2つ。

 シュヴァルツ・ローランが、実は()である事。

 もう1つは、そのシュヴァルツ・ローランが、()と繋がっている事である。


 そう考えれば、今回の他国王族の捕縛についての手際も、納得が行く。

 まるで蜘蛛が獲物を待ち構えるように、巧妙な罠を張り巡らせていたかのように、迅速かつ的確な動きだったからだ。


 今しがた向かう場所へと思い馳せていた高揚とした気分。

 それが、次々と乱立していく問題の数々に、段々と萎んでいくのを確かに感じた。


 楽しみな面も多々あった筈が、今では辟易としてしまうのを隠しきれない。


 このまま、自分達が向かう場所は、果たして南国の楽園か。

 はたまた、煮立った釜の蓋を開けて待ち受ける、地獄の煉獄か。

 今は、それすらも、もう分からない。


「………恐ろしいものですね」


 そうして、呟いた一言と共に、内心で独りごちる。

 ………皮肉なものだ、と。


「彼は、国外へと一歩も動いていないというのに、私は国外に出なければ何の状況も変えることは出来ない」


 その事実が、どうしようも無く覆しようの無い力量の差だと見せつけられた気がした。


「致し方ない事でございましょう。

 思えば、あの男が持つ肩書きが、国々で過剰に慕われている反響も多いでしょうし」


 騎士甲冑の男の言に、更に白髪の麗人は溜息を吐く。


 その通りだと、認めざるを得ない一言だ。


 彼と陳述した青年の肩書きこそが最も厄介であり、謂わば元凶。

 『聖王教会』に伝わる『女神の石板』。

 その『石板』に記された『予言』が、その肩書きを裏打ちしているのだから。


 『予言の騎士』ギンジ・クロガネ。

 既に、この名を知らぬ者は、この大陸内にはいないかもしれない。


 各分野、各国、各地にその名が轟いている。

 多少噂が一人歩きしている部分は多かれど、その名は既に衆知のものだ。


 今でこそ、新生ダーク・ウォール王国擁立の『予言の騎士』がいるとはいえ、偽物だと断じるには然したる労力も必要ない。

 行動自体が、もはやならず者だ。

 各地で次々と問題を起こし、その度に入らぬ犠牲まで出している。

 そんなものを真面目に相手にする事すら馬鹿馬鹿しい。

 と、『竜王諸国』では満場一致で巡礼の拒否を決定していた。


 対する、ダドルアード王国擁立の『予言の騎士』はと言えば、言ってみれば聖人君子の鏡。

 教職としても敏腕らしく、生徒達の質も高いのは自分の目で確かめた。

 更に、各方面から齎された情報を擦り合わせると、人柄も温和で清廉潔白、職務へと取り組む姿勢やその結果も堂々たるもの。

 好印象ばかりが目立っている。


 実際、冒険者ギルドの情報を見れば、生徒達も驚きの平均Aランク。

 中には、Sランクに早々と仲間入りした生徒までいると聞けば、もう疑う余地も無い。


 偽物の『予言の騎士』達のように、錆だらけの中身を隠し、上辺だけを取り繕っているようには見えない。

 だからこそ、その名を聞いた時に、誰もが信仰を再確認する。


 『予言の騎士』が敵に回れば、すなわち『聖王教会』も敵に回るという事。

 先ほどの10億の民衆と言うのは、揶揄ではない。

 その名の通り、『聖王教会』信徒10億が、そのまま敵に回るという事だ。


 その所為で、二の足を踏んでしまうのはどこの『竜王諸国ドラゴニス』の国王達も同じ。

 迂闊な手は打てず。

 かと言ってまともに取り込む事すら難儀していた。


 全くもってしてやられたと言っても過言ではない。


 実際、彼本人から直接、『聖王教会』を頼っての脅迫は受けている。

 もう、これ以上は万策尽きたと、白髪の麗人は諦念を浮かべた表情で、窓の外へと視線を向けた。


 そこには、護衛達の馬列が続き、その先に荒野と化したダドルアード王国の国境が見える。

 森林が残りつつも、着々と風景が変わっていく世界だ。


 ここ数十年で、随分と様変わりしてしまったが、この辺は草原だったと記憶していた。

 いつからか、こうした荒野と化した様相しか見受けられず、それが今も拡大し続けている。


 それが、どこか自分達の国の有様を見ているようで。

 白髪の麗人は、ふと物悲しくなってしまった。

 過去の栄華は過ぎ去り、今は着々と枯れていくだけの国。


 それを思うと、ダドルアード王国も同じかもしれない。

 とはいえ、彼がいるとすれば、それも何かが変わりそうな予感がしてならないのは、果たして気の所為か。


 人1人に、地形を変えるだけの力は無いと思いなおし、自嘲にも似た苦い笑みを浮かべる。

 何を考えているのか、己は。

 羞恥すらを感じながらも、窓枠から視線を剥がした。


 すると、そこへ。


「失礼いたします、オルフェウス陛下!

 ディーヴァ宰相閣下より、書状を賜り馳せ参じました」


 走る馬車に並走した騎手からの声。

 一旦、馬車を止めるように指示を出した、オルフェウスと呼ばれた白髪の麗人。


「何用でしょうな」

「あまり、良い知らせとは思えないけど、開けておやり、ベンジャミン」

「はっ」


 馬車が停まったと同時、今度は馬車の扉がノックされる。

 火急のようだ。

 ベンジャミンと呼ばれた騎士甲冑の男が、扉を開く。


「竜王騎士団、騎士団長ベンジャミン・フォルガノットである。

 書状は確かに、受け取った」

「確かに献上致しました。

 それでは、これにて失礼いたします」


 書状の受け渡しを済ませたベンジャミンが、騎手を見送りつつも扉を閉める。

 馬車の発車する合図も忘れずに、元の座席へと戻ればオルフェウスへとその書状を手渡した。


「………姉上(・・)から、直接の書状のようですね」


 蝋封を確認しつつ、ためすがえすしていたオルフェウス。

 それも名前や筆跡を確認するまでの間で、即座にその書状を開き、中身を改めた。


 そして、


「………不味い事になりましたね」

「そのようですな」


 その内容へと目を通し終わった頃には、悲壮すら浮かべた表情で手紙を見下ろしていた。


『合流要請。

 南の女神のお膝元にて、白き竜旗を掲げよ。

 指揮権限は、全て我が歌姫の名の下に』


 それは、今回の訪問に、無策で挑もうとしていた彼等にとっても、まさに凶事としか言えない伝令だったのである。



***



 ふと、目を覚ます。


 春先の日差しが、少しばかり眩しいと感じた。

 ついでに、今日は、殊更寝覚めが良いと感じた。


 ここ数日忙しく走り回っていたものの、久方ぶりに気が抜けたのか。

 それとも、前夜の激しくも甘い嫁さんとの組体操で、意外にもハッスルし過ぎたのかは判断に迷う。


 まぁ、オレのそんな桃色事情はさておいて。


「起きろ、ローガン。

 生徒達が起こしに来たら、どう言い訳するんだ?」


 隣でぐっすりと寝ていただろう、嫁さん(ローガン)の肩を揺り起こす。

 彼女は、びくりと体を強張らせたかと思えば、


「………んっ、………それが、この状況に陥れた元凶の言う事か?」


 飛び起きようとして、失敗。

 腰を押さえ、そのままもう一度寝台のシーツの波に溺れてしまった。


 ………その姿すらも、艶めかしいよ。


「そう言うなよ、むしろ誘ってきたのは、お前…」

「ああああっ!言うな、言うんじゃない!」


 恥ずかしかったのか否か。

 大声を上げて飛び起きたローガンが、今度は失敗せずに寝台から抜け出した。


 艶めかしい肢体を晒したままで別室へと駆け込んでいく。


 ………いやはや、その行動も恥じらってくれんもんか。

 揺れる尻たぶや情火の名残を見せつけられたおかげで、オレの息子も朝からお元気なこった。


 まぁ、それもさておき。

 慌ててベッドから抜け出した彼女の、衣服や下着(わすれもの)を拾いつつも客室に備え付けられたバスルームへと向かう。

 籠に衣服を入れておけば、勝手にハウスキーパーが洗濯物を持って行ってくれるから楽チンだ。

 校舎では、毎朝全員が着替えを手に持って風呂場へ大移動だったからな。


 バスルームでさっさと朝のひとっ風呂を終わらせて。

 別室でばたばたと着替えをしているだろう、ローガンの姿を思い浮かべつつも苦笑を零す。


 そうこうしているうちに、軽く身支度を整えたところで、バスルームの扉が開いた。


「(おはようございます、ギンジ様)」

「ああ、おはよう、間宮」


 現れたのは、間宮だ。

 今しがたシャツを羽織ったオレの背後に回っら彼は、そのままウィッグの調整に入ってくれる。


 これも、いつも通り。

 最近は、こいつが朝一番にオレの下にやってくるのが、もはや習慣だ。

 朝の修練を夜に切り替えてからは、特に。


 勿論、やましい事は無い。

 ただ、コイツの修練に関しても、そろそろレベルアップが必要だと考えたからだ。


 覚えているだろうか。

 以前の、『赤竜国』王太子達が絡んだ大捕り物を。


 その時の事だ。

 コイツは、闇の中で間諜である爺さんのナイフを読み切れずに負傷した。

 修行不足だと、彼自身も嘆いていたものだ。


 だからこその、夜の修練。

 コイツ自身も願い出て来たことだし、オレも間宮の修練のステップアップを考えていたので丁度良かった。

 夜目に慣れる修練は元々行っていて、間宮も習得はしていた。

 しかし、そこに投げ物等の投擲物が混ざると、少々動きが鈍くなってしまうらしい。

 その修練の為に、ここ最近は飛び道具をメインにコイツを追い回していた。


 と言う訳で、早起きをしなくて良くなった代わりに、多少宵っ張りになっただけ。

 まぁ、今まで通りだとも、言えるけど。


「髪は終わったから良いよ。

 その代わり、包帯巻くの手伝って」

「(了承です)」


 そう言って、オレの背後に回ってセッティングの終わったウィッグの上から包帯を巻いてくれる間宮。


 相変わらず甲斐甲斐しいというか、世話焼きというか。

 まぁ、オレとしても楽ではあるから良いんだけど…。


 そこで、ふと視線に気付いた。

 オレが気付いた所為で、間宮も気付く。


「(………また、先を越された)」


 バスルームの扉から覗いていたのはローガンだった。

 吃驚した。


 何故か残念そうなその視線の意味が、多少気になるけど何なのだろうか。

 風呂はもう空いているから、入りたければ入れば良いのに。


 「?」と間宮と2人して、首を傾げるだけだ。



***



 その日の午後である。


 相変わらずである生徒達の修練中の事、


『主、上だ!!』

「………ッ!!」


 突然の内心からの声に、振り仰ぐ頭上。


「………おっと、気付いたか…!」


 突然頭上から降ってきた影。


 ハルだ。

 しかも、完全に気配を殺した上で、オレに獲物を向けつつも落下してきたのである。


 迎撃態勢に移ろうとしたところ、


「そう構えるんじゃねぇよ。

 生徒達を教えている手前、腕が鈍ってないか確かめてやっただけだろ?」


 そう言って、飄々とした様子でウィンク一つ。

 彼は、ただオレの目の前に着地した。


 獲物は、いつの間にか仕舞われている。


「………その割には、完璧な隠密だったじゃねぇか」


 流石のオレも、常日頃から探索サーチを掛けてくれているアグラヴェインが教えてくれなかったら、危なかったんだけども。

 そう思って、辟易とした表情を隠しもせずに彼を睨む。


「これぐらいしねぇと、オレだって鈍るからな」


 おどけたように、彼は大仰に肩を竦めるだけだ。

 しかし、考えてもみて欲しい。


 コイツ、隠密だけで言えば、オレ以上の腕前だ。

 それが、空から降ってきたなんて、有事だと考えるのは、何もオレだけでは無いのだから。


「………おかげで、生徒達まで警戒してんぞ」


 そう言って、首だけを傾げて背後へと視線を促した。


 そこには、オレが今しがた襲撃されたと俄かに気付いた生徒達。

 誰も彼もが、殺気立ってこちらを睨んでいた。


 男子組のほとんどは、かなりの高確率で気付いたらしい。

 咄嗟に動けていなかったのが浅沼とディランだけ。

 対する女子組は、ソフィアとシャル、ルーチェが呆然としているだけ。

 元々警戒心の強いエマと、驚いた事に伊野田が、こちらに警戒の視線を向けている。

 この結果だけを見るなら、なかなか生徒達も察知能力が高くなってきている。


 ハルだという事が分かった連中は、殺気は収めた。

 しかし、警戒しているのは、相変わらずのようだ。


「はぁ~、なるほど。

 ………たった半年で、ここまで育ってるとは驚きだ」

「呑気な事言ってないで、その殺気を仕舞え」


 やめて、大人げない。

 生徒達が殺気立ってるからって、殺気で返すんじゃない。


 ………ただでさえ、お前やオレの殺気は次元が違うんだから。


「分かった、分かった。

 これでいいか?」


 そう言って、肩を竦めて両手を上げたハル。

 彼に纏わりついていた殺気が霧散し、背後でこちらを警戒していた生徒達も肩の力を抜いたのが気配で分かった。


 ………とはいえ、殺気に気付く(・・・・・・)ようになった(・・・・・・)か。


 そう考えると、自嘲にも似た笑みが浮かぶ。


 オレで徐々に(・・・)慣らしていた(・・・・・・)とはいえ、習得が速いな。


 オレも間宮も、うかうかしてられなくなってきたかねぇ。

 背後でゆっくりと、自分達の訓練のノルマ消化に戻っていく生徒達に、達観した気持ちが芽生えた。


 さて、それはともかく。


「(ありがとう、アグラヴェイン。

 もう大丈夫だろうから………、)」

『………次は、接触する前に引きずり込むと、そのお調子者に伝えておけ』


 内心へと感謝を告げる。

 アグラヴェインのおかげで気付けたようなものだ。


 だが、彼も相当警戒心が引き上げられてしまったらしい。

 ややご立腹のようで、ハルに向けての忠告までいただいてしまった。


「………アグラヴェインが、次は『闇』の世界にご案内だと、」

「………悪かったよ」


 忠告の通りに伝えると、途端にしおらしくなったハル。

 どうやら、以前のご案内の件は、まだトラウマ並みに尾を引いていたらしい。


 これに懲りて、急襲をしてくれなくなれば良いけど。

 ………オレだけだと、『闇』の精霊様は止まってくれないし。

 げしょ。


「それよりも、何か用があったのか?」


 そこで、改めてハルに向き合う。

 彼がここに来るのは別に構わないのだが、サプライズ以外に用事が無ければヴァルトにべったりのハルにしては珍しい。


 そう思って、問いかけたところ、


「それに関しては、敬って欲しいぐらいだね。

 なにせ、お前が度肝を抜かれねぇように、先んじて動いてやったんだから、」

「………その尊敬すべき行動の理由を聞いているんだけど?」


 なんか、かなり腹が立つんだけど、コイツ。

 その理由が何かを聞いているのに、先に敬え媚び諂えとは随分と礼儀がなってないもんだが。


 そう思って、にっこりと笑って見せる。

 途端、ハルが一歩どころから、砂埃を立てつつも10歩ぐらい後退した。


 安定のNG笑顔問題。

 まさか、ハルまでもが後退る様になってしまったとは………、地味に傷つく。


「悪かった悪かった、ちょっと調子に乗り過ぎたな」

「………テメェ、オレの笑顔をなんだと、」

「閻魔様の死刑宣告だろ?」

「本気で死刑宣告が欲しいか、そうかそうか」


 言うに事欠いて、この野郎。

 良い度胸だ、そこに直れ。


 と、ナイフを手に駆け出そうとした矢先、


「アーッ!ちょっと待て、ちょっと待て!

 分かった分かった、手短に済ませるから、用件だけ言わせてくれよ!」


 早くもハルが降参とばかりに両手を上げた。

 とはいえ、オレの怒りは収まりそうもなさそうだったが、


「7つの太陽の下、白い竜の御旗が、女神の膝下で掲げられた」

「………ッ!!」


 殺しも斯くやと投擲しようとしていたナイフが、手を離れる事は無かった。

 その一言で、オレの怒りが萎む。


 それと同時に、気付いたその意味。


『7つの太陽の下、

 白い竜の御旗が、女神の膝下で掲げられた』


 簡潔で簡素ではあるが、隠語だ。

 つまりそれは、『7日の昼頃に、『白竜国』の国旗が、『聖王教会』前で確認された』という事に他ならない。


 来た。

 遂に、その時が来た。


 再戦の時だ。


 約半年ぶりとなる、『白竜国』国王陛下との。


 今日は、3月の9日だ。

 彼等は、一昨日の段階で、このダドルアード王国に到着したという事。


 とはいえ、王城からの知らせが無かったのは、少し気になるが。

 まぁ、何かしらの意図があったのか、それとも『白竜国』側が王城への到着の旨を通達しなかった可能性もある。

 先にお忍びで、勝手に入っているなんてこともたまにあるようだ。


 結局のところ、意図は定かではないし、定かにしたところで今はもう意味は無い。

 もう既に到着しているとの事だったのだから、どうでも良い。


 ただ、それだけを言って満足したのか。

 ハルは、そのまま逃げるようにして立ち去った。


 相変わらずの逃げ足。

 脱兎のごとくとはこの事か。


 過ぎ去り様に、護衛についていたゲイルとも擦れ違って。

 その瞬間、ゲイルも表情を変えたのが遠目に見えた。

 同じ内容を擦れ違い様に浴びせたのだろう。


 そして、そのゲイルの視線が、オレへと向けられた時。


「失礼いたします!

 『予言の騎士』ギンジ・クロガネ様がこちらにいらっしゃると聞き及び、馳せ参じた次第でございますれば!!」


 いつぞやの焼き増しか、否か。

 宿屋の裏庭に響き渡ったのは、オレの因縁の相手とも言える痴女騎士イザベラの大音声だった。



***



 ハルが来てくれた意味が、ようやく分かった。


 アイツ、痴女騎士イザベラ達が来る前に、オレ達が混乱しないように伝えに来てくれたんだろう。


 何がって、さっきの『白竜国』一行のご到着だ。


 ついでに、いつの間にか足下に刺さっていたナイフ。

 刃が細長く長い為、オレの手持ちのものではなくハルのものだと分かる。


 それにも、伝言(・・)があった。

 

 おそらく、城に詰めているヴァルトが察知したのだろう。

 それをわざわざヴァルトの護衛を諦めてまで、ハルがオレの下へと知らせに走ってくれた。


 ………そう考えると、敬え媚び諂えと言っていたアイツの言葉も素直に聞けたんだけどなぁ。


 まぁ、後でお礼と称して、ヴァルトの前で褒めちぎってやろう。

 安定のNG笑顔も忘れずにな。


 さて、話が逸れたが、


「状況は分かった。

 付いていくのも構わないが、以前と同じく同行者が付けさせて貰うぞ」


 そう言って、ゲイルの影に隠れながら痴女騎士イザベラと向かい合う。

 もはや、向かい合ってすらいないというクレームは受け付けない。


 オレとしても彼女と顔を合わせるのは久々だが、トラウマは健在だった。

 おかげで、背筋がぞわぞわして落ち着かないので、親友ゲイルバリケードでなんとか平静を保っている現状だ。


 それを、背後から見ている生徒達の視線の生温い事。

 悪かったね、心の傷はそう簡単には癒えないんです!


 って、また話が逸れた。


 何故、この痴女騎士イザベラとその親衛隊である『夕闇トワイライト騎士団』が来たのは、以前の理由と全く一緒だ。

 王城への出向命令が出た。

 その連行と護衛の為である。


 つまり、オレ達が半年前に交わした、盟約の期日であると暗に告げている訳。


 とはいえ、もうオレもそこまで気負いはしてないけども。


 だって、オレ達が貿易の出汁にされていた一件、もうほとんど解決しちゃったし。

 石鹸とシガレット、ついでに今後お披露目が(・・・・・)決定している発明(・・・・・・・・)で、更に貿易の輸入枠を増やすように交渉するつもり。

 当初の予定を大きく上回って、既に食料品以外での貿易のうまみは少ないぐらいだ。


 ついでに、『ボミット病』の特効薬の研究にも、既に目途が付いて、実用段階に移ろうとしている矢先の事。


 永曽根もオレも健在。

 『聖王教会』のミアどころか、かなりの重症だったラピスだって健在。

 それが、良い証拠。


 ついでに、抑止力に関しても、目途は付いている。

 『タネガシマ』の件は、公になってはいないとしても、各国の名のある銘家や豪商には話が回っていた。

 勿論、こちらはヴァルトの采配ではあったが、今となってはそれが出回っていない事が既に抑止力となっている。


 そして、オレ達が糾弾出来る材料も揃っている。


 だから、先ほども言ったように、気負いはしていない。

 少なくとも、目の前にいる痴女騎士イザベラよりは警戒していない、と言っても良い。


 またしても、話が逸れたけど、


「………同行者は問わず、と国王陛下のお達しです」

「んじゃあ、オリビア、おいで」

「はいですの!」


 どうやら国王陛下からの許可もあったようで、オレとしては内心で喜びつつもオリビアを呼ばわった。

 今のところ、痴女騎士イザベラへの抑止力として、一番のカードが彼女だ。


 久しぶりにオレを守る役目を請け負ってか、ウキウキルンルンと言った様子でオレの肩に舞い降りた彼女。

 それを見て、痴女騎士イザベラがかなり悔しそうな表情をしている。

 が、気にするものか。


「ああ、後、間宮も来い。

 一応、弟子として社会見学に来ておけ」

「(了解です)」


 そして、そのついでに間宮も呼ばわる。

 交渉事をするからには、今のうちから学ばせる良い機会だろう。


 将来は、コイツもオレと同じく、交渉事に加わって貰う事になる。

 声が無くとも、精神感応テレパスで話す術を得た今なら、十分コイツにも可能だろう。


 ふとそこで、


「念の為、医者は入り用では無かろうや?」

「勿論、来て貰えるなら助かるよ。

 ただ、王城だし貴族の前に出るけど、そこらへんは大丈夫?」

「お主の傍から片時も離れなければ、大丈夫だろうよ」


 そこで、同行の表明をしてきたのは、ラピス。


 彼女は『ボミット病』の第一人者とあって、付いて来る理由は十分だ。

 オレとしても嫁さんがいてくれるのは心強いので、同行を拒否するつもりは皆目無し。


「………となると、私はどうするべきだろうか」

「生徒達の修行見ててくれると助かるけど、付いて来るなら止めないよ?」

「………ふむ、き、貴族の前に出ることになると考えると、分不相応だろうな」


 そう言って、苦笑を零して宿に残ると表明したのはローガン。

 ………とはいえ、彼女が微かに下腹部を気にしているのは気付いた。


 貴族の前に出る云々の前に、移動が心許ないのだろう。

 ………何故って、オレとの夜の組体操の所為だけども、まぁ………なんかごめん。


 と言う訳で、オレとオリビア、間宮、ラピスと護衛のゲイル達騎士団が、同行予定と。

 オレの精神衛生と、肉体的バリケードも保たれる面子だ。

 実に頼もしい。


 対する痴女騎士(イザベラ)と言えば、ラピスを見て不満げな表情だ。

 まぁ、彼女としてはラピスは初見で、謂わばステータスに関しては一切分からない不審人物なのだろう。


 しかも、オリビアが同伴することで、オレへのバリケードが堅い。

 結局、彼女としては指を咥えて見ている他無いのに、更に別の女が侍っているのが気に食わない。


 とはいえ、まぁ、良いんだけど。

 彼女の事は、オレとしてはあんまり考えておきたくないと言うのが本音だからね。


「察しは付いているとは思うが、オレは王城へと出向が決まった。

 警護に関しては、ローガンと騎士団の連中が残るから、お前達は各々でトレーニングを終えたら自主学習とする」

『はい!』


 オレ達の方向を見て不安げな表情をしていた生徒達。

 おそらく、痴女騎士イザベラが来た事もあって、以前のトラウマが触発でもされたのかもしれない。


 そんな生徒達に向き直り、苦笑と共に連絡事項を伝達しておく。

 オレの伝達と表情か何かを見たのか。

 安心した様子で頷いた生徒達に、オレも頷きを一つ返してから踵を返した。


「頼むぞ、ローガン」

「ああ、任された」


 そして、今日は若干頼りになるのかならないのか分からないながらも、嫁さんへと生徒達を託す。

 まぁ、騎士達もいるし、宿に用心棒もいる事だし、不測の事態さえ無ければ彼等の肉体的バリケードも大丈夫だろう。

 そもそも、生徒達もそれなりにやる様になってきた。

 心配するだけ、杞憂になるだろう。


 だからこそ、オレもオレの仕事の為に集中しよう。


 さて、それじゃあ、準備が整ったところで、


「じゃ、乗り込みますか」


 白き竜の猛々しき叡智の王に、殴り込みと参りましょう。



***



「………じゃあ、そういうことで、」


 そう呟いて、扉を閉める。

 今しがたオレがいた居室の扉が閉まると、傍らに控えていた騎士達が厳重に鍵を掛けて仁王立ちとなった。

 まるで、開かずの間である。


 まぁ、そんなことはさておいて。


 意気込みつつも、王城へ来たオレ達。


 いくつか寄り道はした。

 王城に到着してから、王城内の騎士団詰所へと足を運び、ヴァルトを呼び出したりもする。


 何故ヴァルトかと言えば、彼にはちょとした仕事を任せている。

 何を隠そう『タネガシマ』の事であるが、大々的に喧伝してしまった時期があるという事で、彼の管轄内として話を進める事にした。

 前々からの打ち合わせの時に、『赤竜国』以外に書状を送った国と貴族をピックアップして貰ったけども、伏せる事自体が難しいという事が判明していた為である。

 しばらくは機密として扱うけども、存在自体はもう隠せない。

 威力なんかを知っているのは、『赤竜国』王太子だけなので、依然として対応としては変わらないがね。

 ついでに、護衛でハルが同席出来る事から、更に安全面でのバリケードも完璧だ。

 オレとしても、ヴァルトとしても、ね。


 まぁ、いざとなれば、『闇』と火の精霊様方がご降臨されるだけだしね。

 ………そうならないことを祈る他無い。


「これはこれは、お揃いで」


 そんなことを脳内でツラツラと考えている矢先だった。


 これまた以前とは違って、先に国王陛下ともども待機する控室へと通されたオレ達。

 今回は、突然議場へとご案内される訳では無かったので、心底安心した。


 そんな安堵を滲ませたオレ達が、控室での歓待を受けている最中。


 その控室へとやってきたのは幕僚の各位。

 何とか侯爵家が数名である。

 名前だけは巻きで聞いたけども、結局覚えられなかった。


 ともあれ、仲良くするつもりも、仲良くして何か良くなる訳でも無い。

 表向きには国王の決定に従ってはいるけども、オレ達『予言の騎士』一行の引き渡しを要求していた貴族各位でもあるからだ。

 つまりは、オレ達としては敵で、議場では味方だとしても油断ならない相手という事。


 だからなのか、自然とオリビアとラピス両名の視線が鋭いものとなっていた。


「お、おやおや、これはお美しい…」

「まさに女神と言うべき美しさでしょうか」

「………なんて可憐な、」

「失礼ですが、お話をお伺いしても?」


 そんな彼女達の視線にも気付かず、幕僚各位は入ってきた瞬間からラピスの面目映い御尊顔に夢中だった。

 ………挨拶も無しとか、良い度胸しているな。


 オレも自然と目線が険しくなった。

 けど、国王陛下がまるで酸欠の魚のような表情を見せた事で溜飲を下げた。


「これ、貴殿等!

 『予言の騎士』様への挨拶も無しに、お連れ様へと話しかけるとは不躾ぞ!」


 堪らず叱責を飛ばした国王陛下。

 ちょっとマジで怒ってらっしゃるけども、オレとしてはそっちに怒ってないんだけど。

 オレの嫁さん、不躾に質問攻めにした挙句、口説こうとしている方が問題だろう。


「これは、失礼いたしました。

 何分、この世の者とも思えぬ程のお美しい方でございましたので、」

「こ、これは、議場にも華が出るというものですな!」

「失礼いたしました、『予言の騎士』様。

 たまさか、『予言の騎士』様が、このような麗しい女性を同伴されるとは思ってもみませんで、」


 等々、数名からの謝罪は受けたとはいえ、叱責の声はあまり効いていない様子だった。

 だって、不満がありありで、ついでに全く気にした様子も無い。


 あわよくば、ラピスに話しかけようとしている視線がバシバシ。

 いい歳して油の乗ったおっさんどもが、美人秘書を見て鼻を下をデレデレと伸ばしているような有様である。


 ああ、気分が良くない。

 背後で、オレから発する冷気に気付いただろう間宮達が身震いをしていた。


「申し訳ありませぬ、ギンジ様。

 お連れ様があまりにも例を見ない程の麗しさでありました故、」


 国王からも謝罪を受けたものの、これに関してはクレームだ。


「………臣下の前で、王が軽々しく頭を下げるな。

 オレは気にしていないんだから、アンタも堂々としておけ」

「はっ、は…、寛恕の程、ありがとうございます」


 舐められているというのは分かっている。

 オレも、国王も。

 実際、この国は、瀕死だった時期が長いから、未だに増長している貴族が多いと考えて良い。


 その貴族達に国王が強く出られないというのは、結構最初の段階で知っている。

 だが、けじめは付けて貰いたい。

 甘い顔ばかりではなく、たまには冷酷に処断することも必要だ。


 ………オレみたいにね。


「貴殿等のその口調からして、我が妻を口説こうとなされたようにお見受け出来ますが、」

「いえいえ、口説こうなどとは滅相も、」

「おや、妻を娶られたなどとは、初耳ですなぁ…」

「私どもとしては、お祝いよりも先に紹介の一つでもいただきたかったものですが、」


 否定をしながらも若干にやけ顔で、未だにラピスを不躾に見つめる何とか侯爵数名。


 ラピスもそろそろ、その視線に耐え兼ねて来たのかちょびっとずつではあるが、オレの方へと退避してきている。

 背後のゲイル達も、段々と気配が剣呑になり始めた。


 ………お灸は据えなきゃな。


「分を弁えろ」


 地を這うような声音でそう言って。

 絶対零度の視線を、向けるだけ。


 瞬間、今まで饒舌に口を動かしていた何とか侯爵達が、一斉に口を噤んだ。


 行動までもを、停止させて。


 別に何のことは無い。

 意図的に、覇気を発してピンポイントでぶつけただけ。


 覇気の出し方についても、殺気等と同じ事は分かっていた。

 だからこそ、オレとしては器用貧乏とも言える特技を遺憾なく発揮するだけ。


 案の定、顔面蒼白にして固まった貴族各位。

 清々した。

 隠れて鼻を鳴らしておく。


「………また、規格外な事をしおって…」

「うふふ、流石はギンジ様ですわ」

「(同感ですとも)」

「(………本気で敵じゃなくて良かったぜ)」

「(………オレもだよ、畜生)」


 なんてオレのお連れ様各位からの小言は聞かないでおく。

 ヴァルトとハルの小声も聞こえてはいるけども、敢えて無視。


 一時停止に陥った貴族各位を尻目に、オレは悠々と紅茶を啜る。

 そんなオレの手に、ラピスが手を重ねて来た。


 顔を上げると、彼女と真正面から向き合った。

 そんな彼女の視線は、物憂げだった。


「なんぞ、私の為にそこまでせんでも良いのじゃぞ?」

「………何の事?」


 気にさせちゃったのなら、ゴメンね。

 にっこりと、それでいてNGにならないように心掛けながら、そんなラピスへと微笑む。


 途端、彼女は頬を染めて、きょとりと目を瞬いた。


 これ、一応はオレの為。

 ついでに言うなら、オレ達の今後の為ね。


 いつまでも、舐められてはいられない。

 オレも、国王も、本気で怒ると怖いってのは、見せつけないと。


 だから、ラピスは何も悪くない。


 と言う訳だったんだけど、


「おや、国王陛下、どうなさったので?」

「い、いいえ、」


 ………結局国王までもが怯えているのはどうかと思うんだが?


 トラウマにでもなっているのか、またしても白目を剥き掛けてガタガタと震えている。


 まぁ、ピンポイントの殺気まで受けた事あるんだから、それも当然か。

 オレの殺気、文字通り死を覚悟するぐらいには強くなっているらしいから。


 勿論、殺気を浴びた事のある面子の談ではあるけども。

 ゲイルとか間宮とかハルとか、やっぱりゲイルとか。


 閑話休題。

 こうして控室にいるのは、何もこんなことの為では無い。


「さて、いい加減世間話も終わりにして、そろそろ本題へと協議に移りましょう?」


 そこで、指をパチンと鳴らして、全員の意識をこちらに向ける。


 まぁ、実際に意識を向けさせたいのは、国王陛下へではある。

 だが、まぁ詳細はオレ達もしっかり頭に入っているので、この際オレでも良いだろう。


「まず、最初の議題に関しては、」


 議場での流れを作る為、ついでに全員の粗略が無い事を確かめる為の会議が始まった。

 これがあるのと無いのとでは、やはり議場でのやり取りが違ってくる。


 相手は、交渉事に優れた手腕を持っている『白竜王(オルフェウス)』。

 しかも、今回はあちらにもイレギュラーなお連れ様(・・・・)がいる(・・・)との事だ。


 こちらは、到着してから発覚した事実。

 意図的に伏せられていた、もしくは急遽同行が決まったと見て間違いないだろう。


 それが、今後の本会議にどう影響するのかは未知数。

 念には念を、しっかりとこちらの伝達ミスが無いように協議。


 備えあれば、憂いなしとはこの事である。


 とはいえ、半数以上は使い物にならなかった。

 なんでかって?


 まぁ、オレがやったこととはいえ、流石に常人へのお灸が覇気と言うのはやり過ぎだったらしい。


 ………貴族各位が、目を見開いて固まったまま気絶していたのは、協議が終わるまで気付けなかった。

 ホント、何しに来たの?



***



「(………ふむ、思いの外、随分と大人しくなった気がするなぁ)」


 議場へと到着した時、以前の時とはまた違った様相が広がっていた。


 まず、『白竜国』国王陛下こと、オルフェウス・イリヤ・ドラゴニス・グリードバイレル。


 オレの言葉通り、彼はかなり控えめになっていた。


 まるで自身の髪色と見間違う程に、真っ白な顔をしていた。

 どちらかと言えば、真っ青と言っても過言ではない。


 前は、オレが議場へと入った瞬間に、嬉々として先手を打ってきたというのに、あの溌剌とした威勢はどこへ行ったのだろうか?


 更に、その席順も、以前と若干変わっている。

 オルフェウス陛下の横には、妙齢にも程遠い幼年の少女が座っていた為だ。


「(………黒髪に、緑の目、………また珍しい組み合わせだな)」


 その少女は一言で言えば可憐だった。

 ただ、その表情には感情と言うものが一切感じ取れず、なまじ顔色も少々青い事からあまり体調が良くないと思われた。

 その視線は、どこかこちらを見ているようで見ていない、夢現にも思える。

 例を違わず美人だというのは、言わなくても分かるだろうがね。


 そして、その少女の隣。

 そこにもまた、席に座っている人物がいた。


 光の加減で、白とも銀ともいえる髪をした男性だった。

 顔立ちは例によって例の如く美形で、まさに美男美女が揃って座っているような状況。

 年齢は俄かに読み切れないが、どことなく若いと感じられる気配。

 しかし、その青年の特殊な部分は、その顔立ちでも気配でも無く、オーラとその耳の長さだった。


 オレも、何度か見た事のある、長さの耳だ。

 人はその耳を見て、自然とその種族を特定する事が出来る。


 もはや、王道とも言える身体的特徴らしいからな。


『あ奴、森子神族エルフじゃ…』

『見れば分かるよ』


 焦ったラピスから、咄嗟に精神感応テレパスが飛んできた。

 とはいえ、オレまで焦る必要はない。


 一応、この件は、ハルの伝言で聞いている(・・・・・)からね。


 今回のオルフェウスの同行者は、この2名だ。

 以前連れて来ていたような幕僚なども連れて来ていないらしい。


 その代わり、この黒髪の少女と森子神族エルフの男性が同行している。


 黒髪の少女が、実はオルフェウス陛下の実の姉という事も、その護衛兼従者である男性が森子神族エルフである事も知っている。


 一緒に来ているとは知ってはいても、議場へと同行させるかどうかは半信半疑。


 だが、こうして相対したという事は、彼等も敵として認識するべきだと再確認した。


 しかし、もう一つだけ疑問に思う事があった。


 オルフェウス各位の背後には、窓を塞ぐかのような形でずらりと『白竜国』竜王騎士団が並んでいる。

 竜王騎士団ってのは、『竜王諸国ドラゴニス』それぞれの国にある、王国直属の騎士団の名称を幾つかに分類していて、『白竜国』は竜王騎士団って訳。

 まぁ、以前とポジションに関しては変わらない。

 ただし、その顔ぶれが違っているというのは、一度お目に掛かった事のあるオレもゲイルもすぐに分かった。


 一番先頭にいる騎士の顔が、全く見覚えのない精悍でいて強面の男に代わっている。

 つまり、ベンジャミンがいない。

 半年前には、事あるごとにオルフェウスにくっ付いて回っていた、右腕とも言える竜王騎士団最強の呼び声が高いベンジャミン・フォルガノットがいない。


 それだけが、少しだけ気がかりだった。


 だが、ふとそこで思考を中断。

 横合いから、まるで突き刺さるような視線が感じられた。


 ラピスだ。

 オレが考え込んでいるのが分かったのか、彼女からは気づかわしげな視線が向けられている。


 苦笑と共にラピスへと一言。


「大丈夫だよ」

「………。」


 言葉と共に、軽くバードキスを頬に送る。

 いつもは「人前でなんて!」と怒る癖に、彼女はまたしても頬を赤らめたままで固まって、追求することは無かった。

 おかげで、オレの気合だけは十分だ。

 ………気合だけ、というのが悲しいけども。


 ただ、顰蹙は買ってしまったのか。

 オルフェウス陛下には目をまん丸にされ、森子神族エルフの男性や窓際に整列した騎士団の面々からは、眉を顰められてしまった。

 この世界、女性との交友が、戦国時代並みに貞淑なもんだからやりづらいねぇ。


 バードキスぐらい許せよ。

 悪かったね、リア充で。


 ………言ってて、かなり恥ずかしくなったけど。


 閑話休題それはともかく


「多少待たせてしまったようで、」

「い、いいえ、お気になさらずに、」


 国王陛下が上座へと着席。

 そんな彼から順に、オレ、ラピス、ヴァルトと座り、その後を幕僚各位が並んで座っていく。


 向こうの騎士団に対抗して、こちらも背後に騎士団が並ぶ。

 護衛としてもゲイルと間宮だけが(・・・)、オレ達の真後ろに立った。


 こちら側だけが、かなりの大所帯だが問題は無い。

 ホストはこっち。

 人数が多い事は、悪い事では無い。

 足さえ引っ張られなければ、だけども………。


 まぁ、それは良いとして、


「お久しぶりでございます、『予言の騎士』ギンジ・クロガネ様」

「お久しぶりでございます、オルフェウス陛下」


 挨拶を受け取り、同じように挨拶を返す。

 着席したままではあるが、以前とは違って対等な場所に座っているから立ち上がらなくても許される。


 しかし、ここでまたしても、疑問が湧きあがった。


 彼、こんなに堅い雰囲気だっただろうか?

 まぁ、悪戯っ気の多い、頭と口が回る大人げない大人だと失礼な事を思ってはいた。

 けど、半年前の訪問の際には、最終的にはここまで堅苦しくなかったような気がして、ギャップに戸惑ってしまう。


 しかも、先ほどよりも更に青褪めた表情をしている。

 その表情が、まるで死刑台へと上る虜囚のようにも見えてしまったのは、気の所為か?


 そこで、ふと、


「お初にお目に掛かります、インディンガス国王陛下、『予言の騎士』様、その他各位の皆々様」


 そんな髪色と同じ顔色のオルフェウスの隣から、姉である少女が言葉を紡ぐ。


「私、ディーヴァ・イリヤ・ドラゴニス・グリードバイレルと申します。

 『白竜国』宰相にして、ここにおりますグリードバイレル陛下の実姉となりますれば、どうかお見知りおきを」


 そう言って、目線だけの挨拶をした彼女。

 朗々と動かされた唇にも関わらず、その表情は相変わらず感情が乗らない不愛想なものだった。


 むしろ、これポーカーフェイスか何かで無表情を貫く作戦だろうか。

 ならば、こちらとしても、なるべく表情を悟られないように引き締めなければなるまいね。


「そして、私の隣にいるのが、クリスタル・カーティス。

 我が『白竜国』魔術師筆頭顧問にして、宰相補佐官でもある者です」

「ご紹介に預かりました、クリスタル・カーティスです。

 以後、お見知りおきくださいませ、ダドルアード王国の皆々様」


 流れるような動作で、彼女は隣にいる青年も紹介してくれた。

 宝石の名前を用いた事と言い、その容姿と言い森子神族エルフである事は間違いなくなった訳だ。


 隣でラピスが、難しそうな顔をしている。


 とはいえ、


「(………実姉が出てくるというのも、また予想外な行動だなぁ)」


 今回の訪問、この実姉を連れて来た意味は何だろう?


 いやはや、姉と言われなければ、子どもにも見える神秘。

 ………あれ、待って?

 オルフェウスも公式情報見たら、45歳とか書いてあったけど?

 ………お姉さん、少女にしか見えないけど、一体おいくつな訳?

 ぞっとした。

 出来れば、勘付かれなかった事を祈る。


 話が逸れた。

 とはいえ、見かけだけで言うならば、彼女はディーヴァと言う名前の通り、お飾りに侍らしているとしか思えない。


 それは、嫁さん(ラピス)を侍らせているオレも一緒ながら。

 この実姉が同行し、議場にまで出席している意図は、果たして何だろうか。


 それに、同席している森子神族エルフの男性も気になる。

 クリスタル・カーティスと名乗った彼、先ほどからちらちらとラピスに視線を向けているばかりか、挑むようにして睨みつけている。


 これまたラピスが心底居心地が悪そうに、尻をもじもじさせている。

 あんまり動くなよ。

 ………その動きが、艶めかしく見えてしまっているオレの下半身がキツクなっちまう。


 さて、それはさておき。


「ご丁寧にありがとうございます。

 もう既にご存知でしょうが、私がダドルアード王国現国王、ウィリアムズ・ノア・インディンガスでございます。

 また、隣に座られているのが、『予言の騎士』にして、特別学校『異世界クラス』担当教諭を勤められております、ギンジ・クロガネ様」

「国王陛下よりご紹介に預かりました、ギンジ・クロガネでございます。

 お見知りおきを、」


 こちらも自己紹介が始まり、まずはオレ。

 目線を下げて、軽い会釈に留めた挨拶に、またしてもクリスタルから挑むような視線が向けられている。


 ………種族柄嘘が吐けないって聞いてたの、やっぱりガセじゃなかったね。

 おかげで、流れが読みやすいかもしれない。


「次に、ギンジ様の隣が、特別学校『異世界クラス』医務担当、ルルリエ・シャルロット様です」


 次にラピスが呼ばれ、彼女も軽い辞儀をしただけに留めた。

 彼女が偽名なのは、この席には『太古の魔女』の異名を知る面々がいないとも限らないからである。


「ルルリエと申す。

 この席には、ギンジ様の補佐役として同行している次第ですので、悪しからず」

「………医務担当が、補佐役ですって?」


 そこに、何故か食いついてきたクリスタル。

 名前を呼ばわった時にも反応を示していたけど、役職にも反応するとはどういう事なのだろうか。


 聞きたいけども、それよりも先に自己紹介を終わらせてしまった方が良い。

 じゃないと、会議が進まない。


「彼女にオレが、全幅の信頼を置いているからこそ、ですよ」

「………そう、ですか」


 なんて返そうかしどろもどろになりかけていたラピスの手を机の下で握ってから。

 オレがさっさと返答すると、渋々ながらクリスタルは追求を取りやめたようだ。


 ………ただ、一瞬、彼の目が動揺していたのが気になるな。


 森子神族エルフと言う事を鑑みて、長命である事はほぼ間違いないだろう。

 となれば、もしかしたら彼女と接点があったか、否か。


 注意はしておこうか。


「続けてルルリエ様の隣が、我が王国騎士団の騎士団所属で、新しく魔術研究部署の顧問となったシュヴァルツ・ウィンチェスター卿です」

「ご紹介に賜りました、シュヴァルツ・ウィンチェスターでございます」


 国王の言葉通り、続けて紹介されたのがヴァルト。

 彼も軽い会釈のみで、その場で無表情のままだった。


 しかし、表情を変えたのは、オルフェウス一行の方だ。


 おそらく、気付いた(・・・・)

 名前の事である。

 きっと、彼等にはシュヴァルツと言う名前が、今は最も忌まわしく、聞き覚えのある名前となっているだろう。


 おかげで、ここにいる全員が『タネガシマ』の情報を持っている事は分かった。

 やっぱり同席させて良かった。


 とはいえ、………同席させない方がもうちょっと真偽が引っ張れたのかどうかは微妙なところ。


 まぁ、良いか。

 元々、ローランとは別人にする(・・・・・)ことになってるし。


「続けて、ウィンチェスター卿の隣が、我がダドルアード王国の宰相である、」


 その後は、幕僚各位の紹介がツラツラと続く。

 正直、名前は覚える気が無かったので、オレとしては聞き流しておいた方が無難。


 それよりも、面々の表情や、気配で情報を取得する方が有意義だしね。


 ただ、得られる情報が、極端に少ない。

 ………偏に、幼女然りとしたオルフェウスの実姉、ディーヴァ宰相閣下が無表情すぎるのがいけないと思う。


 なんでか、オルフェウスがかなり萎縮しちゃってる。

 以前の時とは比べ物にならないぐらい、覇気も威圧感も、カリスマ的なオーラも感じられないもの。


 あるのは、ただただ疲れ切った企業戦士サラリーマン臭にも似た、疲弊感。

 しかも、顔色が着々と悪くなっているのは、本当に気の所為でも無い筈だ。


 彼の右腕でもあるベンジャミンがいないのも気になるし、この状況は一体どう判断すれば良いのか迷ってしまう。


「では、紹介も終わったことですし、早速ですが、議会を始めさせていただきたいと思います」


 そこまで考えていたところで、国王陛下直々の紹介も終わった。

 ダドルアード王国の貿易担当大臣だという幕僚の一人が立ち上がり、会議の進行へと移った。


「まずは、貿易に関しての、今後の見通し等、………」


 そこで、各自に資料が回される。

 向こうの補佐官にも同じものが渡されて、全員の手に資料が行き渡ったところ。


 また貿易担当大臣が口上を淡々と述べつつも、水位や輸出入枠の決定条件、その他諸々を読み上げていく。


 資料を見る限り、以前見せて貰った貿易の際の資料よりも、格段に好条件となりつつあった。

 それを見て、内心でふくふくと悪どい笑みを浮かべていたオレだったが、


「申し訳ありませんが、こちらとしてはそのような話はどうでもよろしいのです」


 凛と響いた声とその言葉が、思考をぶち切った。


「………は?」


 こちら側の貿易担当大臣が、目を見開いて呆然と固まってしまっている。

 斯く言うオレ達も、残念ながら目を丸めてしまう。


 聞き間違いだっただろうか。

 どうでも良いと、聞こえてしまったが。


 今しがたその声を発した、ディーヴァ宰相閣下へと視線が集中した。


「この際、貿易の輸入枠も、その内訳もどうでも良いと申し上げたのです」


 だが、聞き間違いかと思ったそれも、彼女は本気だったようで。


 不愛想で愛嬌の欠片も無い表情のまま。

 そんな彼女は、ただ淡々と同じような言葉を繰り返した。


 途端、こちら側の貿易担当大臣が、素っ頓狂な声を上げる。


「…そ、それは、貿易を取りやめるという事ですか…!?」

「何故、そのような飛躍した考えに及ぶのかは理解に苦しみます。

 私達がしたい話は貿易では無く、こちらにいらっしゃる『予言の騎士』様方の身柄の所在についてですので、」


 明らかに馬鹿にしたような含みのある言葉。

 彼女は、その貿易担当大臣を一瞥すらすることは無く、一蹴。


 そして、あろうことか単刀直入とばかりに、本題を切り出してきた。


 『オレ達の身柄の所在』


 そう言ったからには、まだ引き渡し云々の話は、諦めていなかったという事で。

 分かっていた事ではあったけども、突然の事に思考が付いて行かなかった。


 隣で、国王陛下が資料を取り落とした。

 オレ達も、その場で彼女へと驚嘆の視線を向ける。


 そんな傍ら、背筋に氷塊が滑り落ちていくような感覚を味わった。


 始まったばかりの会議が、早くも波乱の様相を見せ始めてしまったのである。



***



「~~~ッ…297、298、299、300…ッ!」


 ダンベルを片手に、苦悶の表情を浮かべていた永曽根。

 そんな彼が、合計300もの回数を終えたと同時に、その修練もダンベルの役目も終えた。


 ちなみに、ダンベルは銀次特製だ。

 とはいっても、銅製金属を木材に固定しただけの代物である。

 『異世界クラス』の生徒達も、そのダンベルの恩恵に肖って自主的な筋力トレーニングをしている。


 そんな永曽根の後ろ。

 広大な敷地面積を誇る宿屋の裏庭では、これまた他の生徒達がトレーニングのノルマ消化、及び自習として、自由に強化訓練を行っていた。


 時刻は、既に午後2時を回った頃だっただろうか。

 『異世界クラス』教諭である銀次が、王城へと出向してから数えて1時間程度が経過している。


 浅沼や伊野田、シャル、ディラン、ルーチェは、未だにトレーニングノルマの真っ最中。

 顔を真っ赤に染め上げつつも、必死な様相で鍛錬に食らいついている。


 斯く言う既にノルマを終えた他の各クラスメートは、自主修練中となっていた。


 香神や、河南、紀乃は、精霊との対話を敢行中。

 銀次が魔法の修練をやり始めてから定着した座禅スタイルで、一見すると休んでいるように見えるかもしれない。

 だが、見る人が見れば周りを精霊達がざわざわと騒いでいるのが見える事だろう。


「はっ、………せっ!」

「ぐえ…ッ、ま、だまだぁ!」


 一方、残りの男子組である榊原と徳川は、対人組手を敢行していた。

 ここ最近は常に行動を共にしている2人が、威勢の良い掛け声を上げつつもあっちにこっちに走り回っている。

 最近は榊原の常勝となっているものの、徳川もまだまだ発展途上。

 今後は、どうなるかは分からない。


「~~~………そうだ。

 そこで、切り返しに、手首だけではなく、体全体を踏み込みに使う」

「あ、こうじゃん?」

「ううっ、………腰がキツイ…ッ」

「まだ体が固い所為もあるだろうから、柔軟は大切にしろ」


 そこで、女性特有の声が聞こえ、永曽根が視線を巡らせる。


 堂の入った説明をしているローガン。

 そんな彼女を講師に、杉坂姉妹が武器の修練をしているところだった。


 武器の修練に関しては、2人とも以前使ったこともある武器、ワンド鎚矛メイスを選択。

 そして、系統は違えども使い方は同じという事で、ローガンからの師事を受けている次第であった。


 ちなみに、ローガンは本日、若干の体調不良(・・・・・・・)という事で、あまり積極的には動き回っていなかった。

 お盛んな事だ、と気付いている男子組は、担当教諭の夜の事情に呆れていたものである。


 とはいえ、喜ぶべきことだと分かっている面々は、何も言わないでおく。

 24歳になる教諭の恋愛事情は、どうにもこうにも迂遠なものだった。

 きっと、碌な恋愛をして来ていない、とは女子組の予想ではあったが、その通りだったようだ。


 リア充爆発しろ!とは、良く浅沼が漏らしてはいたが、その気持ちがなんとなく分かる生徒もいるのは全員が彼女も彼氏もいない現状だからか。

 ………1人だけ少し怪しい行動をしている生徒はいるが、それに関しても全員がノータッチとしている。


 閑話休題それはともかく


 自身達の教師とクラスメートの、遅咲きの甘酸っぱい青春などさておいて。


 そんなこんなの、昼下がり。


「だぁ…っはぁ!…ぶひ、終わったぁあ~」


 息も切れ切れの満身創痍で、トレーニングノルマの終了を告げた浅沼。


 伊野田達は未だに、背筋やスクワットの過程で汗水どころか涙を零して頑張っていた。

 そのうち、シャルかルーチェ辺りが脱落ダウンするかもしれない。


 そんな半分ダウン仕掛けている面々の中へと、永曽根は足を延ばした。


「休憩して水分補給したら、オレに付き合え」

「ええっ!?も、もう、そんな体力無いよぉ…!」

「それも訓練だろぉが、つべこべ言わずに休憩入ってレモン水飲んで来い」 

「ぶ、ぶひぃ……」


 自主訓練が手持無沙汰になってしまった彼が、訓練用の槍を片手に浅沼を小突く。


 ただ、先述しておくならば、これはいじめではない。

 こうして訓練を強要していたとしても、彼にとっては親切心が根本にある。


 浅沼は最近、以前のだらしない120キロ越えの巨体が、みるみる萎んで既に80キロ代。

 おそらく、体重だけで言えば、永曽根と大して変わらなくなっている。


 そして体重の減量に伴って、以前の大肉中背と言っただらしのない体格も解消された。

 多少の皮の余りは見られても、引き締まったボディビルダーのような体つきになりつつあるのは、最近、宿の大浴場を使った時に、男子全員が驚きなながらも目の当たりにしている事実だった。


 そんな彼・浅沼は、筋肉の使い方やバランス、スタミナさえなんとかなれば永曽根に次ぐパワーファイターとなれるだろう。

 勿論、生徒達の中で、だ。

 間宮や、それこそ銀次には遠く及ばないというのは、分かっている。


 とはいえ、もしそうなれば扱う武器も当然、打撃系や重量系が適している。

 それを踏まえて、打撃系や重量系の武器を得意としている永曽根が、まとめて面倒を見ようと考えての事だった。


 教諭の手がただでさえ片腕だけだというのに、抱えている仕事だけでも一杯一杯だというのは、クラスメート全員が察していた。

 だからこそ、細かなところで手を煩わせないよう、生徒達が率先して動いている。


 それに、女子組がローガンに指南を受けているのも、その為だ。

 ちなみに、徳川が榊原と対人組手を行っているのも、完璧に組手の動作を扱えるのが榊原となりつつあるから。

 そして、香神と河南と紀乃が、座禅スタイルをしているのも、魔法概念をいち早く習得しつつ生徒達に還元しようとしているから。


 きっと、シャルやディラン、ルーチェ達がトレーニングノルマを終えた後は、他の面々が彼等を引っ張っていくだろう。

 それぞれの特性に合った自主訓練に参加させるようにして。


 全員が、そうやって個々の能力を活かし、出遅れている生徒達に差が開かないようにしている。

 そうすることが、銀次の為にも、自身達の為にもなる。

 『予言の騎士』と『その教えを受けた子等』としての、重責を全うできると考えて。


「(………とはいえ、今日はどうすっかなぁ。

 香神達のところにディラン、榊原達のところにシャル、杉坂姉妹のところにルーチェが行くとして、)」


 今日も同じルーチンとなるだろうことは分かっていた。

 言うなれば、いつも通りのルーチンだ。


 ただ、ディランとルーチェが遅れ過ぎている事だ、少しだけ問題だった。


 どちらも、必要な修練は実家で受けている。

 とはいっても、こっちの訓練に付いて来るのがかなり厳しそうになっている。

 どのみち、この校舎での修練は、本当に洒落にならない。

 今まで実家でも修練漬けだった永曽根も言うのだから、間違いはないだろう。


 ディランはスタミナや力はあっても、分配が出来ない。

 ルーチェはスタミナ配分が出来る代わりに、元々のステータスが心許ない。


 昨日、一昨日、それ以上前から、ディラン担当とルーチェ担当が出来ていた。

 とはいえ、これからは交互に変更した方が良いだろうか。


 ちなみに、残念ながらシャルが榊原達のところに行くのは決定事項である。

 体も小さく力も無い彼女は、魔法しか扱ってこなかった所為もあってか対人戦のスキルが乏しい。

 それを補うには、この中では榊原が最も適している。


「ぶ、ぶひぃ…、永曽根、準備出来たよ…ッ」

「あ、ああ…」


 そこで、思考を打ち切ったのは、浅沼からの声音。

 素振りでもして過ごそうと思っていた永曽根は、彼の休憩時間を悠々と思考だけで終えてしまったようだ。


 少しだけ苦い顔をしつつ、訓練用の槍をぐるりと回した永曽根。

 浅沼がビクビクおどおどとしつつも、同じく訓練用の槍を構えた。


 しかし、その矢先の事。


「失礼する!

 『予言の騎士』一行、『教えを受けた子等』とお見受けいたす!」


 裏庭に拡声器でも使ったのかと思える程に轟いた声音。

 それに、全員が顔をいち早く上げた。


 永曽根が、鋭い視線を送る。

 各々がその場から飛び起きたり、修練の手を止めて、その声のした方向を目視した。


 そこには、いつか見た事のある白銀とも呼べる騎士甲冑を纏った騎士達の姿があった。


 だが、ここにいる全員が、その意匠が見慣れたダドルアード王国のものではない事に気付く。


 まず、ダドルアード王国とデザインも違う。

 更に言えばダドルアード王国の紋章が胸元に刻まれていない。


 その代わり、刻まれていたのは、白竜を囲む蔓が左右対称に広がる紋章。

 彼等としても、見覚えのある(・・・・・・)国の紋章だった。


 そこで、


「我が名は、ベンジャミン・フォルガノット!

 『白竜国』竜王騎士団騎士団長にして、国王陛下より直々の勅命を賜った使者である!」


 更に響く大音声。


 ベンジャミン・フォルガノットと聞いて、一発で素性が分かったのは永曽根と香神だった。

 そして、『白竜国』と言う名を聞けば、全員の記憶が合致する。

 (※若干1名(トクガワ)だけは怪しかったようだが…)


 現在、王城へと来訪している『白竜国』国王陛下・オルフェウス。

 そのオルフェウスの右腕とも呼べる騎士が、多数の後続を率いて、『異世界クラス』の面々の目の前に現れた。


 その事実に、さっと生徒達も顔を青褪める。


「馬鹿な…ッ!

 他国の騎士が何故ここに…!?」


 更に、その事実を受けて、焦りを露にしたローガン。

 彼女は、全く別の理由で焦っていた。


 それは、この宿の護衛の事だった。


 ここに残された騎士団が、ゲイルの直属の親衛隊である事は知っている。


 その騎士団各位よりも先に、他国の騎士団が踏み入ってきた事態を受けて彼女は驚きを隠せない。

 生徒達も、その焦りや驚きは同じ。


 だが、答えは一つ。

 彼等が来た事によって、その答えは分かり切っている。


 突破された。

 そうとしか考えられない。


「貴殿等には、突然の事で申し訳ないが、我等と共に来ていただく!」


 俄かに動揺したローガンや生徒達に向けて、ベンジャミンは更に追随。

 轟くような声音に、生徒達からも畏怖の念が溢れ出す。

 更に、幾人かの生徒達は、緊張感を高めていた。


 それに、その口舌の内容は、強制だ。

 どうして連れていくのか、またどこに連れていくのかも不明。

 その声音にも口調にも、ありありと溢れた強制の言を聞く限り、もし反発したとしても、彼等は力づくでも押し通すだろう。


 新参であるシャル達は知らないだろうが、これは焼き増しだ。


 以前、彼等は、状況は違えど、こうして付いて来るように強制されたことがあった。


 暴走騎士メイソンによる、たぶらかし作戦の時の事だ。

 失敗に終わったとはいえ、それは看破した面々がいたからだ。


 あの時は、嘘を見破った紀乃と、悠然と騎士に向かい合った間宮、的確に伝達した香神と、撃退した立役者となったオリビアがいたものだ。


 しかし、今回はそのうちの2人がいない。

 間宮もオリビアも、銀次と共に王城へと同行している。


 更に言えば、あの時のような簡単に片付くような案件でもなさそうだ。

 それは、生徒達の一番前でベンジャミン達と相対した永曽根が分かっている。


 ベンジャミンの体から溢れ出ている威圧感。

 それが、暴走騎士メイソン等足下に及ばないと告げている。


 銀次やゲイルには及ばないまでも、きっと彼はそれに次ぐ実力の持ち主だ。


 未だに銀次やゲイルどころか、間宮にすら一本を取る事も出来ない自分達では、到底太刀打ちなど出来ないだろう。

 そんなこと、相対する前から分かっていた。


 焦燥に駆られ、脳内で警鐘が鳴り響く。


 ここにいる全員が、自身達の危うい状況に気付いたのである。


 3月初旬、9日を数えた春先の事。

 王城で勝敗の見えない舌戦を繰り広げる銀次とはまた別に、生徒達も窮地へと陥れられた瞬間であった。



***



「………いささか、無粋と存じ上げますが、」


 全くもって、今回ばかりは腹立たしい事この上ない。


 作ろうと思っていた流れすらも、作る前にご破算とされた。

 しかも、完全に先手を打たれた形で、こちらが浮足立ってしまっている。


 案の定、怒りが先走った。

 ついつい咎めるような口調を零してしまうのは、仕方のない事だっただろう。


「無粋も不躾も、百も承知しております。

 ですが、こちらとしては、悠長に長々と無駄な議題を話すつもりは一切ございません故、悪しからず」


 悪しからず、と言っておきながら、悪びれた様子すらないディーヴァ宰相閣下の無表情。

 流石のオレも、これには怒りよりも呆れを感じる。

 むしろ、拍手を送りたくなってしまった。


 よくもまぁ、この状況でそんな態度が取れるものである、と。


 折角の貿易だって、規制が掛かるかもしれない。

 それどころか、オレ達を通して『聖王教会』の心証が悪くなる可能性すらも考慮せずに、この口舌だとしたら脱帽だ。

 それどころか、そのまま床に帽子を叩き付けてしまうよ。

 ………決して、リアクション芸人ではないが。


「………順序を踏もうとも、思われないと」

「順序など踏んだところで、色よい返事が貰えた試しがございません故」


 内心をなんとかひた隠し、対面用の微笑みで問いかける。

 だが、ディーヴァ宰相閣下は、全く気にも留めず、あろうことか皮肉とも言える答えを返してきた。


 おいおい、それダドルアード王国からの返答について言ってんの?

 貿易の交渉の席で、それを持ち出すってのも凄い。

 けど、色よい返事が貰えると思っていた事自体が驚きなんだけど。


 こっちは、勝手に取引材料にされたの。

 しかも、こっちの都合も考えずに、移住しろなんて無茶を言ってくる始末。


 そんな国に行きたいとは思えないの当然でしょうに…。

 畜生、カチンときた。


「それは、腹いせという事でしょうか?」


 そのまま、交渉などは二の次で言葉を紡ぐ。

 ムッとした表情を見せたのは、クリスタル宰相補佐官ではあったが、


「腹いせなどと野卑な表現を使われるとは心外でございます」

「………それは良うございました。

 多少なりとも、気分が晴れます」


 そこで続いた、オレの物言い。

 ディーヴァ宰相閣下の眉が一ミリ程度ではあるが、ピクリと動いた。


 よし、無表情は崩せたね。

 ざまぁ見ろってんだ。


 挑発して、怒りを煽った形。

 まぁ、向こうも不躾な真似してくれたんだから、オレだって少しは意趣返しがしたいじゃんか。


 というか、むしろしないと気が済まない。

 何のために、こうして国家間で協議しているのか分からなくなってしまうもの。


 そう思っていた矢先に、


「果たして、そのような物言いでよろしいと思っているので?」


 ディーヴァ宰相閣下から返されたのが、脅迫紛いの一言だった。


 その言葉を聞いて、晴れた筈の気分がまたしても曇った。


 その物言いで、良いと思っているのかだってぇ?

 ………この不愛想で性格悪いクソ(アマ)ぁ、下手に出てりゃ。


「………それは、どのような意味で使っていらっしゃるので?」


 不遜な態度を崩さずに、頬杖を付いた。

 今度はクリスタルの眉が顰められたものの、ディーヴァ宰相閣下の表情は相変わらずだ。


 そこで、一か八かの挑発に出る事にした。


「まさか、このような公式の場で脅迫とは、恐れ入りました。

 それほど『竜王諸国ドラゴニス』としての威光が強いとは、ここ最近は耳にした覚えがございませんでした故、」


 表題に上げたのは、お家とはまた違うものの『竜王諸国ドラゴニス』の内情。

 要は、『お前達の威光が既に風前の灯になるぐらい、乱れ切ってんのはこっちも知ってるんだぞ?』っていう、脅迫も交えたものだ。


 あっちも脅迫してきたんだから、文句は聞かない。


 だが、ディーヴァ宰相閣下には、然して堪えなかったらしい。


「………貿易でしか生きながら得られない、貴殿等の国には分からぬ事でしょうね」


 氷のような一言が、議場に突き刺さった。


 皮肉を皮肉で返され、議場に静寂と冷たい空気が流れる。

 中でも、国王陛下と幕僚の面々が、完全に青褪めた表情をして固まっていた。


 オレ達はと言えば、流石に年の功。

 微笑のまま固まったオレ以外は、ラピスもヴァルトも平然としている。


 とはいえ、気付いてはいるんだろう。

 この流れが良く無い事。


 こりゃダメだ。

 この宰相閣下、もしかしなくても、貿易を二の次にしてオレ達の身柄を確保したいようだ。


 頑固で生真面目、ついでにせっかち者。

 性格も悪そうだし、これはこちらとしても骨が折れそうだ。

 (※地味にオレの性格そっくりとか言わないで)


 そう思って、いざ骨を折りに行きますか、とぐっと背筋を伸ばした。

 顎を引き、椅子の座る位置も多少変える。


 姿勢から、心意気を変える。

 そのつもりだった。


 しかし、


「申し上げます!」


 その瞬間だった。


 議場に響いたのは、扉の先からの焦燥塗れの伝令の声。


 その声音に、嫌な予感がしたのは何故だったのか。


「何用か!?会議中であるぞ!」


 その声音に答え、ゲイルの部下が扉へと向かう。


 しかし、内側から開けるよりも早く、その伝令はとっとと自身で扉を蹴破るようにして入ってきてしまった。


 あ、これ、後でゲイルにどやされるぞ。

 ………とは思ったけども、焦っているのだから仕方ない。


 そう思って、視線をそちらへと向けた矢先。


「か、火急の知らせでございます!」


 何故だろうか。

 その伝令の目が、真っ直ぐにオレを見据えていたように思えたのは。


 そして、その途端、ぞわりと背筋が粟立ち、思わず立ち上がってしまったのは、何故だったのか。


「『予言の騎士』ご一行様の逗留していた宿の警備が、何者かに破られました…ッ!」


 その言葉に、察しがついた。


「な…ッ!?」

「(………ッ!?)」

「なんだと…!?」

「………嘘じゃ…ッ!!」

「………ッ」


 驚きに、焦燥に戦慄したオレ達。


 その視線に見据えられながらも、伝令はなおも報告を続けた。


「生徒様各位は、そのまま誘拐されたとのこと。

 詳細は不明ですが、騎士団にも宿にいた従業員にも多数の被害が及んでおります!」


 報告の内容に、その場で棒立ちになってしまったオレ。


 生徒達が誘拐された?

 しかも、騎士団の警備を突破したという事は、必然的に、


「お、おい…ッ、宿には他にも護衛が残っていた筈だ……、一体…ッ!」


 一体、どうなったのか。


 ディランとルーチェもいる手前、男爵家が付けてくれた護衛だって、常駐するようになっていた。

 生徒達だってそうだが、ローガンだってあそこにはいた筈なのだ。


 そう聞こうとして、喉が貼りついたように固まってしまった。

 最悪の情景が、脳裏を過る。


「しょ、詳細が不明なのです!

 ………ただ、同じように誘拐されたか、もしくは………ッ」


 そこまで言って、伝令が口を噤んだ。

 言わないのでは無く、言葉が見つからなくて言えないのだろう。


 あるいは、オレから吹き上げられた殺意によって、黙り込んだが故か。


 言われなくても分かる。

 この現状は最悪だと。


 生徒達は、誘拐されて行方不明?

 ローガンは、詳細が分からずに安否不明?


 なんだって、こんなことになっているのか?

 なんで、こんな…ッ!


「ーーーッ!?」


 そこまで考えて、ハッと目を見開く。


 殺意すらもそのままに、振り返った。


「テメェ等か…ッ」


 そこには、薄い唇を歪めるようにして、微笑んだ少女がいた。

 この日一番の、表情の変化だった。


 『白竜国』宰相にして、国王陛下の実姉。

 ディーヴァ・イリヤ・ドラゴニス・グリードバイレル。


 そんな彼女が、物を言わぬまま、その行動を裏付けするようにして微笑んでいた。

 その表情が、良い証拠だった。


 今回の議場は、思った以上の荒れ模様になるようだ。

 沸騰しかけた脳内で、意外にも冷静にこの状況を受け止めている自分がいたのには、多少なりとも驚かざるを得なかった。



***

誤字脱字乱文等失礼いたします。

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