閑話 「~白亜の使いと、ご乱心の騎士様~」
2016年10月20日初投稿。
またしても、期間が空いてしまいましたが、続編を投稿させていただきます。
閑話扱いではありますが、話の内容はタイトルに集約されております。
はてさて、長引いてしまったランクアップ試験は、どうなったのでしょうね。
***
今日も今日とて、眩しい日差しであった。
それもこれも、二つも昇っている豪華なのか迷惑なのかも(※十中八九後者だが)分からん太陽のおかげだ。
春先だというのに既に外套が必要ない程の、麗らかな陽気のダドルアード王国。
ただし、未だに北大陸では、真冬並みの豪雪だというのは考えられない。
北海道と沖縄の距離での違いとは思えなくなってきたんだが、オレ達人間が生息しているこの大陸はどんだけ広いのか。
まさか、地球儀で言う北半球と南半球並みに違うとか言わないよね。
そうであって欲しいけど、ファンタジー世界に常識を求めちゃいけない気がする。
閑話休題。
そんな麗らかな陽気の、午後の事。
昨日行われた冒険者ギルド主催のランクアップ試験。
その残りの仕事を片づける為に、今日は生徒達や嫁さん達も伴って出向した。
春休みだからこそ出来る連日のお出かけだね。
最近は、訓練しか行っていなかった所為もあって、生徒達もどこか嬉しそうだ。
ちなみに、男子組、女子組と別れて、今日は一日自由にして良いと言ってある。
その為に、護衛の騎士も多めに貸し出して貰った。
なので、男女で分けて買い物やらギルドでの依頼やら、と言った息抜きをさせるつもり。
そもそも春休みにした意味が、ここ最近無かったからね。
ラピスもローガンも自由にして良いとは言ったけど、彼女達2人は一貫してオレと一緒に来ると言っていた。
曰く、オレは放っておくと、いらん問題を抱え込むからだって。
………愛されてるとか思ったオレの感動を返せ。
そんなこんなでの、お出掛け日和。
ついでに、道中で待ち合わせをしておいた面々も拾っていく。
「今日は付き合って貰って悪いな。
春休みとはいえ、少しでもクラスメートに馴染めれば良いかと思って、」
「お、お気遣い感謝します!」
なんて、赤面をしながらも、生徒達の輪に加わったのはディランだ。
校舎の説明会の時に会って以来だから、約1週間ぶりだろうか。
待ち合わせをしたのは、商業区入り口の大きな銅像(※誰の銅像なのかは不明)の前。
彼は、以前の編入試験の時に見た、シャツとズボンと言った簡易な装いだった。
流石に暑かったのか外套は脱いでいたが、シャツの上に羽織った質の高そうな新緑色のベストが市井の人間とはまた違った装いとさせている。
茶髪と相俟ってアースカラーが映える青年である。
「ここまでで大丈夫だ。
後は、護衛の騎士様方もいらっしゃるから、心配はいらない」
「行ってらっしゃいませ、坊ちゃん」
そこで、背後に控えていた、護衛か付き人だろう面々に振り返った彼。
貴族家の子どもって、一貫して呼び名が坊ちゃんなんだなぁ、としみじみと思ったこの頃。
そういや、ゲイルもあの見た目で、ザ・執事さんからは坊ちゃん呼びだったっけ。
話が逸れた。
「よろしくな、ディラン」
「オレ達相手なら、堅苦しくならなくていいから」
「ほら、先生って別格だからね」
「よろしくな~!!」
「あ、ああ、よろしく」
早速、男子組に揉まれて、四苦八苦している様子のディラン。
そんな彼の百面相にふくふくと笑いが漏れる。
まぁ、男子組に関しては、弱い者虐めをする馬鹿もいないし、面倒見が良いお人好しが揃っているから心配ないだろう。
中でも、長曾根や榊原なんか、既に父性も母性も持ち合わせちゃったり、徳川なんか滅茶苦茶人懐っこっかったり。
そんな事を思いながらも、ディランを加えて歩くこと数分。
今度は、商業区をちょっと奥に入った区画へと足を運ぶ。
メモを片手にたどり着いたのは、少々お高い印象の受ける宿屋の前だった。
「今回は、お誘いいただき、光栄です」
「こちらこそ、応じてくださって恐悦至極ですよ、レディ・ルーチェ」
「ま、まぁっ、『予言の騎士』様が、わ、私ごときに…ッ」
「なら、その敬語禁止ね?
じゃないと、オレも猫被って謙った似非紳士を演じることになるから、」
「わ、分かりました」
なんて気安くは無いだろうが軽い掛け合いをして、ディラン同様に生徒達の輪に加わったのはルーチェ。
彼女は、相変わらず出家したまま、商業区の一角にあるこの宿で、使用人と共に生活している。
とはいえ、彼女としては、こうした生活の方が性に合っていたのか、気に入っている様子だった。
一応、母親とも話し合いはしたという事だったので、それ以上の事はオレもとやかく言わないつもりだ。
そんな彼女も、今日はシャツとズボンと言った簡素な装い。
とはいえ、胸元にあしらわれたフリルや、ズボンの素材からしてこれまた、市井の人間とはまた違っている。
一見すると乗馬スタイルにも見えるが、外套を羽織っているから別として。
それが似合う体型だった事もあって、ご令嬢としての風格を損なわずに良く似合っている。
「よろしく、ルーチェ!」
「よろしくじゃん?とりま、自己紹介っしょ」
「よろしくね?ルーチェさん」
「しょうがないから、よろしくしてあげるわ」
「よ、よろしくお願いします」
そんな彼女も、生徒達に迎えられると、途端に赤面をしておずおずとお辞儀をしていた。
まぁ、元々女子組に関しては、男に対しての警戒心が強いだけで、同性となるとガードが緩む傾向がある。
シャルの物言いはどうかと思うが、そんな彼女も頬が若干赤い。
ツンデレなんだから。
まぁ、女子組も女子組で、問題は無いだろう。
「あ、えっと、何か?」
そこでふと、そんなルーチェを送り出す為に、宿屋の前に待機していた男性と女性両名の視線が気になった。
これまた、彼女の付き人だろうが、一緒に同居している使用人の方かな?
そういや、親父さんであるスプラードゥが、使用人を増やしたとか言っていたっけね。
以前は1人だったけど、今は3人で彼女の世話兼護衛として生活しているらしい。
「いえ、大したことでは無かったのですが、」
「そ、その、恐れ多いとは思いますが、『予言の騎士』様も、『教えを受けた子等』の皆様も、お嬢様に対して馴れ馴れし過ぎないかと、」
「あ、いや、これウチの校舎の元々のスタンスだから、」
いや、確かに貴族の子息と令嬢が入って来る環境としてはフレンドリー過ぎるとは思うけどね。
「あ、あなた達、そんな小さなことで『予言の騎士』様方を困らせないでッ」
「申し訳ありませんが、これも我等が男爵家使用人としての務めです」
そう言ったのは、いかにもと言った侍女の装いをした女性だった。
なんか、婦長さんとかパートリーダーとかの雰囲気バシバシ。
とはいえね、
「何か、不満があるなら、スプラードゥ経由で伝えてくれ?
こちらとしても、お宅のご息女を預かるからと言って、今までのスタンスを変えてまで受け入れようとは思っていないから、」
「………ッ」
苦笑交じりではあるが、軽く牽制。
主人であるスプラードゥを呼び捨てにしたのもそうだけど、主人の了承は得ているのだからそれ以上は彼女達使用人の領分では無い、と言ったつもりだ。
まぁ、権力を傘に着て、とかまた言われるのは控えたいので、それ以上は言わないけども。
侍女さんが、顔色を悪くしながらも、チラリとルーチェへと目を配る。
「父が許しているという事は、私も了承しているという事です。
私の事を思うなら、余計なことは言わないで…」
彼女も彼女で青い顔をして、使用人達にそう言って踵を返した。
「すみません、使用人達が不作法で…っ!?」
その足で、オレに向かって頭を下げようとするのを、掴んで止めた。
「言いましたでしょう、ルーチェ嬢?
言葉遣いを直してくださらなければ、私もこうして不慣れな敬語を使わねばなりません、と」
「す、すみませ…っ、いえ、ゴメンなさい!」
「よろしい。
だから、不必要にオレに頭を下げる必要も無いからね?」
「は、はい」
掴んでいた手をそのまま、撫で繰り回す手に変えて、また苦笑。
そう言えば、頬を赤らめた彼女が俯き気味に頷いたので、そのままぽすぽすと叩いて強制終了。
「じゃあ、お嬢様をお預かりいたしますので、また後程…」
「は、はいッ、失礼しました…ッ」
そんなやり取りをして、そのまま再度冒険者ギルドを目指して歩き出した。
とりあえず、ルーチェの使用人からはあまりよく思われないだろうけど、このスタンスを変えるつもりは更々無いから、そのままにしておく。
何かあったら、スプラードゥから報告でもなんでもして貰えれば良い。
それに、
「相手が目上の人間だと分かっていながらも、ああ言って貰えるって事は慕われてるって証拠だ。
だから、お前も使用人さん達には、敬意を払って接するようにしなさいね?」
「は、はいっ!」
つまるところは、彼女が使用人さん達から慕われている結果。
これに関しても、オレは不敬だとか、とやかく言うつもりは無い。
ただの放蕩娘とか、馬鹿王子みたいなどうしようもない人間には人は付いて来ないし、ああいう風に身の上を考えても貰えない。
主人としても、使用人としても恵まれた環境だと思うよ?
それを考えると、オレも結構恵まれていたのかもしれない。
悪友達に囲まれながらも、オレも結構な頻度で彼等からの便宜を図って貰えたのは、否定できないから。
ちょっとだけセンチメンタルな気分になって、苦笑を零す。
「(ギンジ様も慕われておりますとも)」
「心を読んだようなセリフ、止めてくれる?」
ふと、なんてことを言い出したのは間宮で。
まるで思考を読まれているかのような一言だった。
思わずセンチな気分も吹っ飛んだ。
………こいつはやっぱりエスパーなんじゃねぇかと、最近本当に疑っているんだが、マジで…。
「(オレがその筆頭ですから)」
「ねえ、聞いて?頼むから、聞いて?
そして、そんな堂々と胸を張られても、オレがただ照れるだけだから…」
頼むからやめて。
照れちゃったとしても、オレは顔が赤くなるだけです。
そして白いから、目立つから。
マジでお願い。
女にしか見えなくなるの。
やめて。
なんて安定の師弟漫才の中、
「何故、彼は喋っていないのに、会話が通じているのでしょうか?」
「ああ、2人揃ってエスパーなだけだから、」
「えす、ぱー?」
「いたいけなディランに、いらん事吹き込むんじゃねぇ!」
オレ達のやり取りを不思議に思ったディランを揶揄かった榊原。
そんな彼には、これまた安定のアイアンクロー。
「イタイイタイイタイ!」と悲鳴を上げる榊原は、ちょっと最近反逆と悪ふざけが過ぎるので反省しなさい。
握力増したから、簡単にトマトピューレには出来るんだぞ?
いや、しないけど。
「これこれ、遊んでおらんと、さっさと行かぬか」
「早めに行って切り上げなければ、また日が暮れるんじゃないのか?」
という嫁さん2人からの言葉に、なんとか脱線を回避。
いや、回避は出来てねぇけども、時間のロスは免れたね。
そんなこんなで、冒険者ギルドへと向かう一行。
かなりの大所帯の所為で人目を集めたものの、まぁ予定していた時間よりも早めに到着出来たの良しとしよう。
ただし、
「(頭、撫でられてしまった………)」
『(むっ、またライバル出現の予感!)』
「(あ、ルーチェさんも、また天然な先生の餌食かな?)」
「(アイツ、本当に見境無しに愛想振りまくんだから、もうっ!)」
そんな女子組の心の中での会話など、知る由も無い。
ついでに、
「(あ奴こそ、いたいけな少女を弄んで、)」
「(本っ当に、懲りない奴だな、この見境無しの女たらし、)」
嫁さん2人の心中の会話も、知る由は無かった。
ただ、背筋に悪寒が走ったのは間違いなかったので、何かしらは恨み言を呟かれているのは分かったよ。
理由は知らんけども………。
***
時刻は、丁度昼を回った頃だった。
道中で新しい生徒を迎えてから到着した冒険者ギルドは、昼時という事もあって、奥にある酒場のスペースが繁盛している。
勿論、受付付近も、これから依頼を受けるだろう冒険者の列が出来ていた。
そんな中、
「あーっ、義姉さんだぁ!」
「おっと…ッ!おやおや、アメジス。
ちょっと見ない間に、やんちゃになったかや?」
「えへへ~!」
丁度、酒場のカウンターで、昼食を取っていたらしいライド達と出くわした。
アメジスが嬉しそうに、ラピスへと飛び掛かるようにして抱き着き、2人揃ってよろけていた。
それを、背後のローガンが微笑ましそうに目尻を下げて支えるような形となった。
いやはや、仲が良いもんだ。
一方、カウンターに取り残された形のライドは、静かに目礼。
兄妹で、随分と印象と落ち着きが違うもんだが、慣れたものである。
ちなみに、この2人。
冒険者としての活動の際は、人間然りとした様相になっている。
髪の色は明るいライトブルーそのままだが、ダドルアード王国では標準的な北欧系の白い肌と、髪と同じライトブルーの瞳。
闇小神族然りとした、浅黒い肌も額の紋様も今は見えない。
斯く言うオレも、それが無かったら一瞬誰かは分からないものだ。
「先日ぶりだが、どうやら息災のようだな」
「おかげさまで。
………お前もローガンの一件に一枚噛んでたのは知ってるけどな」
「その件に関しては、恨まれる覚えは無い」
「オレも恨み言は言うつもりはねぇよ」
なんだか、会う度に太々しさがグレードアップしているようなライド。
気安い掛け合いと共に拳を合わせる。
そんなオレ達に、義姉への熱い抱擁を終えたアメジスが加わる。
「上手く行ったんだから、文句ないでしょ?」
「………一枚噛まれた挙句に、その結果がまとめて共有されている事実について」
「良いじゃない!
義姉さんが幸せならそれで良いけど、本来ならアンタみたいな命知らずには勿体ないぐらいなんだから!」
「畜生、否定出来ねぇ」
兄妹揃って太々しさがグレードアップしているとは、これいかに。
しかも、安定のディスりっぷりに、否定出来ない事実が憎い。
とはいえ、これ以上は生徒達のニヤニヤした笑みと恨みがましい視線が痛いので強制終了。
(※気付いている男子組がニヤニヤ、恨みがましい視線は女子組からのものである)
………あれ、まだ公式発表はしてない筈………?
まぁ、良いや。
それはともかくとして、彼等がいてくれたのは僥倖だ。
いくら騎士団の護衛があるとはいえ、ちょっと生徒達だけでは不安だったからね。
「そういや、今日は依頼受けるのか?」
「一応はそのつもりだったが、引率が必要なら引き受けるぞ?」
「何々?今日も男の子組引き受ける感じ?」
「あ~、まぁ、アメジスはどっちでも良いけど、良ければ頼みたいかな?」
「ああ、任された」
そう言うと、快く引き受けてくれたライド。
相変わらず面倒見が良いというか、結構な確率で快諾してくれるものだから頭が上がらない。
なんか、好意の振り切れっぷりが、怖いというかなんというか。
一方、どっちでも良いと言われたアメジスの方は、少々撫すくれてしまったものの、
「女子組が買い物に行くってんだけど、そっちには…」
「行く行く!女の子同士の買い物って、こっちに来てからの夢だったのよ!!」
女子組のショッピングに呆気なく食いついた。
アメジスも女の子だから、そこはかとなく同世代とのガールズトークに飢えていたらしい。
ただ、夢だったのは分かったから、ラピスではなくオレに抱き着くのは止めてくれ。
もれなく、背後の女性陣からの視線が痛いんだから。
(※嫁さん2人を含めた、女子組からの視線である)
話が分かっていない様子のディランとルーチェは呆然としてしまっているが、まぁそこは置いておいて。
「じゃあ、交渉成立ってことで。
お礼は飯の代金でも、ウチの校舎での食事でも、」
『勿論、校舎での食事で』
「………イツデモオ待チシテマスヨ~」
即答だった。
びっくりだ。
まぁ、この程度で釣られてくれるなら、安いもんだけども。
来るときは事前に言って貰って、榊原と香神に腕によりを掛けて貰おう。
………いや、勿論オレも少しは手伝うよ?
「あっ、でも、アメジスにはちょっと悪いんだけど、今日、新人が1人いるのと、もう1人誘う予定なんだけど良いのか?」
ああ、そういや、忘れてた。
今日のショッピングの予定、生徒達だけじゃなかったのだ。
買い物の参加者は、これで全部ではない。
そう思ってアメジスに確認してみたが、
「な、何よっ、その言い方!
あたしが新人虐めたり、追加される女の子虐めるって言いたいの!?」
「い、いや、そういうこっちゃねぇけど、」
何故か目くじらを立てられてしまった。
ごめんごめん。
言い方とかその他諸々のタイミングが悪かったね………。
とはいえ、オレに抱き着きながら怒鳴るのは止めてくれ。
主に二つの意味で。
「ほれほれ、アメジスはギンジから離れなしゃんせ。
それに、ここは校舎では無いのだから、大きな声を張り上げるでは無いぞ、はしたない」
「はーい」
鼓膜のダメージに苦笑をしていたが、ラピスからの助け舟で事なきを得た。
見た目にそぐわぬ豊満な肢体は確かに魅力的だったが、それも仕方ない事だ。
………考えがバレたのか、両側から尻を抓られたけども。
勿論、背後の嫁さん達からだ。
痛い。
そして、何となく下半身への信用の無さが感じられて、これまた二つの意味で涙目である。
「はぁっはっは!相変わらず、賑やかな連中だな!」
そんな中で、腹に響く笑声と共に、受付カウンターの奥から出て来たジャッキー。
背後には、私服姿のレトと、シャツとズボン姿のディルも、それぞれ顔を覗かせている。
「昨日振りだな、ジャッキー。
………もう昼間なのに、まだ酒臭くないか?」
潔く気付いたが、かなり酒臭い。
昼間っからという訳でもあるまいし、呼気からのようなので昨夜の酒だろう。
………いくら、久しぶりの同業者との酒盛りだからって、どんだけ飲んだのよ、あんた。
「もっと言ってやってくれっす!」
「………親父、馬鹿、朝まで、飲んでた」
「………子ども達の反面教師になるんじゃねぇよ、親父さん」
姉弟に揃いも揃って口々に批判されるジャッキー。
苦笑を零しつつ頭を掻いたが、誤魔化しきれて無いと思うぞ?
まぁ、良いや。
今日の要件は、酒飲み親父への説教では無いし。
「とりあえず、昨日言ってた要件を片づけに来たよ。
ついでに、新しく入った生徒達も冒険者ギルドへ登録するのもお願い」
「おっ、分かってんじゃねぇか!
新規の登録は大歓迎だし、それがお前の生徒なら尚更だ!」
なんて和やかな会話の中、表題に上がった生徒2人は目が点だ。
「あ、あの、冒険者登録をするのですか?」
「えっと、………それは、皆様も行っていらっしゃいますの?」
「ああ、うん。
経験値稼ぐのと、実力を試すのには、冒険者ギルドの依頼はうってつけだからね」
驚いた2人が、おずおず怖々と言った形で問いかけて来た。
そういや、校舎での説明会の時にも、冒険者ギルドの件って触れて無かったね。
男爵家とはいえ、貴族家の子達だから、そう言った発想は無かったのかもしれない。
かくかくしかじか、説明をしてディランとルーチェにも納得して貰う。
とはいえ、ランクに関してはノルマも何も設けていないし、彼等のプレッシャーにもならないように生徒達のランクは伏せておいた。
「んじゃ、まずは新規登録を済ましちまえ」
と言うジャッキーの一言で、ディランとルーチェをカウンターの前に出す。
先ほど列を成していた冒険者達は、ジャッキーの登場でいつの間にか散っていた。
………そこはかとなく、申し訳ない。
そして、ディランとルーチェが登録している間に、
「話は聞いていると思うが、ウチの女子達と買い物でも行って来い」
「えっと、それは別に良いっすけど、」
改めて、昨日振りのレトへと向き合った。
昨日の今日でのオレ相手だからか。
レトが、やや怯えているのか何なのか、緊張しているのは分かった。
ちょっとだけ、凹む。
とはいえ、その中に落ち込んでいるとか、悲壮感のようなものを感じなかったのはちょっと意外だった。
彼女も彼女で、気分の切り替え方は心得ていたようだ。
「あたし、アメジス!よろしくね!」
「あ、えっと、レトっす、よろしくっす」
そんな彼女へ、オレの横合いからひょっこりと顔を覗かせて、アメジスが自己紹介。
きょとり、とした彼女も返答を返すが、なんかフランク過ぎない?
………後から聞いたら、人間社会で魔族に会うと、大体アメジスはこんな調子だとの事だった。
同族意識が、天元突破。
「アメジスさんって、もしかして最近登録したAランクの?」
「そうそう!そういうレトちゃんも、Aランクでしょ?
同じランクの人間同士、女の子としても仲良くしようねぇ!」
と、早くもお互いに親密感でも覚えているのか、着々と意気投合している様子の2人。
これを見ていた女子組も、なんだかんだでアメジス自身の気質が分かってきているのか、困ったような微笑みを浮かべつつも嫌な空気ではない。
うん、ショッピングの引率としても、大丈夫そうだ。
そう思って、シガレットを吸おうと懐を探っていた矢先。
「今日、オレの、師事、してくれる、本当?」
何故か、これまたおずおず怖々と。
先ほどまでジャッキーの背中に張り付いていた筈のディルが、オレの下へとやって来た。
喉を鳴らす勢いどころか、尻尾が堪え切れずにぶんぶんと振られているのが、安定のあざと可愛いさ。
………ウチの生徒達も、これぐらい可愛ければ甘やかせるのに。
いや、決して可愛くない訳ではないけども。
「ああ、構わないよ。
まぁ、オレとしても、お前にはちょっと打診しておきたい事もあるし、」
苦笑を零しつつも、そう答えると途端にディルの顔が輝いた。
どうやら、相当オレとの手合わせが嬉しいらしいが、
「やった!オレ、嬉しい!ギンジ、大好き!」
「ほぎゃああああああッ!」
次の瞬間には、オレの間抜けな叫び声が冒険者ギルドに響き渡った。
ううっ、年下とはいえ、オレよりガタイの良い男に抱き着かれるとか完全にトラウマ発動ですが、何か?
流石に、どんなにあざと可愛かったとしても、全力でのホールドに関しては是非とも遠慮したかった。
***
トラウマ発動で、ガタガタ床で震えていた数十分後。
なんとか立ち直ったオレに、ジャッキーやライド達の困ったような微笑みが胸に刺さる。
まさか、大男からのハグだけで、こんな状態になるとは想像もしてなかっただろう。
出来れば、オレも知られたくなかった。
………そして、この小型犬に見せかけて実はかなりの大型犬に、リードを付けておいて欲しかった。
なんてこともありながら、
「お前の生徒にしちゃぁ、控えめだな」
「まだ、基礎の基礎も教えて無いんだから、当然だろ?」
「まっ、今後に期待ってことだろうな」
無事ディランもルーチェも冒険者登録を終えた。
ちなみに、ディランもルーチェもDランク。
ウチの生徒にしては控え目って事で、若干ジャッキーが訝し気ではあったけども、あんまり言わないでやってよ。
過度な期待は、それだけでストレスにもなるもんだ。
ディラン達も、生徒達に後れを取っている自覚はあるから、肩身が狭くなっちゃってるし。
今後に期待って所は否定しないけども、ランクの話は触れないように。
「あ、そういや、」
ふとランクの件で思い出したが、ディルやサミーの結果はどうだったのだろう?
あの2人も、ランクアップ試験は合格していたから、新たにSランクで追加されても可笑しくなかった筈だけど。
「残念ながら、2人ともランクアップはしてなかったな。
まだ経験が足りないのか、それとも実績が足りないのかは判断付かんが、」
「あら、そうだったのか、残念だ」
どうやら、ダメだったらしい。
おかげで、オレへのハグを色んな意味で拒絶されて凹んでいたディルが、更に凹んでいた。
あれだけの魔法が使えたサミーがダメだったとなると、思った以上にSランクに求められるレベルが高いな。
………なぁ、オレ、場違いとかじゃねぇよな?
とはいえ、間宮もSランクだから、早々へこたれてはいられないけども。
「まぁ、お前のランクアップが控えているから、それでチャラだ」
「だ・か・ら、勝手にオレを伸し上げるな!」
そんなジャッキーからの揶揄かいに、思わず怒鳴ってしまった。
ランクアップを前提に話されても困るんだってばッ。
事実、これ以上上がりたくないってのが、実は本音だったりするし。
………だって、面倒そうじゃん。
「今でさえ、肩書きが多すぎて忙しいのに、余計な風評背負ってらんないよ」
「そう言うんじゃねぇよ。
実際、オレもまだダメだったし、ダグラスもまだだって言うんだから、最後の希望はお前に掛かってんだろ?」
「………そこはかとなく、プレッシャーを感じる」
ダメだ、ジャッキーの話が通じそうに無い。
斯くなる上は、上がっていない事実を叩き付けるしか出来ないものの、
「あ~………、話の途中、悪いんだが、」
「はい?」
「あん?」
そこで、ふとオレ達の会話に割って入った勇者がいた。
何を隠そう、オレの嫁であるローガンだ。
しかし、彼女。
何故か、所在無さげな様子で、ギルドカード片手に立っている。
表情は、どこか焦っているような困惑顔だったのだが、頬を赤らめているようにも見えた。
「おい、まさか………ッ」
「おいおいおいおいっ」
嫌な予感に、背筋が凍った。
口に咥えていたシガレットが落ちかけて、慌てて掴んだ。
………って、あっづぃっ!!
ただ、予想は外れなかった。
「SSランク、なったぞ」
『でぇええええええええええええッ!?』
オレを含む、生徒達の悲鳴が最終的に冒険者ギルドに響き渡った。
ジーザス神様!
この異世界の場合は、女神様なんだろうが、もうこの際どっちでも良い!!
まさかの嫁さんがSSランク!!
一足先に、ウチの嫁さんが伝説に片足突っ込んじまったぜ、どうしてくれんの!?
「ほほほほほほほっ!
規格外は、何もギンジだけでは無かったのぅ!
ほほほほほほほほほほほっ!」
心底楽しそうに笑っているラピスが、今は心の底から憎らしい。
おのれ。
今夜の添い寝はお前の番だから、覚悟しておけ…ッ。
考えが伝わったのか、ブルリと震えてラピスが黙る。
最初から黙っておけば、今夜は意識があるウチに終わらせられたかもしれないのにね………。
とはいえ、
「え、えっと…、ほ、ほら、その…ッ、お前だってきっと上がっている筈だからな!」
「それ、フォローになってないよ、ローガン?
そして、地味に嬉しいという感情が隠しきれてねぇから、ちょっとオレの為にもその表情を隠そうか?」
「す、すまん!」
嬉しいのか焦っちゃってるのか、可愛い顔しやがって、あざとい嫁さんめ。
今日は、ラピスだけと言わず、可愛がってやろうかと本気で考えてしまったよ。
………まだ3人でのあれやこれやに関しては、未知数なので実行には移さんがね。
そこで、またしてもオレの考えが伝わったのか、ローガンが逃げた。
それこそ、そそくさと逃げた。
流石は、SSランク。
逃げ足もスーパースペシャルだな。
………とはいえ、
「だぁっはっはっは!ひ-ッ、ひーッ!
こ、これは、楽しみだなぁ、ぷぷ、『予言の騎士』様よぉ…ぶほぉっ!!」
「テメェ、笑うか皮肉るのか、どっちかにしやがれッ!!」
思わずと言った心境で、ジャッキーを背後から蹴り倒した。
蹴り倒されたにも関わらず、彼はそのまま床をローリングしながら大爆笑をしていた。
笑い声も、既に品が無くなっている。
既にギルドマスターとしても、Sランク冒険者としての威厳も皆無だ。
「………どーしてくれんだよ、これ…」
これでオレの逃げ道が塞がれた形。
おのれ、ローガン。
二重の意味で、今日はラピスの前哨戦として可愛がってやるしかあるまい。
更には、
「ぶふっ、アンタ、マジ、最高…ッ」
「アンタは、いきなり沸いて出て、笑ってんじゃねぇ!!」
そして、いつの間にか現れたヘンデルにまで、笑われている始末。
こっちはこっちで、さっきオレが予期せず握ってしまったシガレットで、同じ痛みを味わってもらうことにした。
あっづぅ!?と、悲鳴を上げて逃げた彼も到底Sランク冒険者としての威厳は皆無だ。
あーあ、もう、今日はこのネタで弄り回される未来しか見えねぇよ。
………未来が見えるだけ、まだマシかな?
まぁ、それこはかとなく話が逸れた。
いつまでも、二の足は踏んでいられないし、どのみち逃げ場は無いだろう。
仕方ない。
腹を括って、オレも意を決して、ギルドカードをカウンターに差し出した。
しかし、
「あ、すみません、ギンジ様。
これ、………シガレットケースです」
「………あれ?」
『ぶほぉおおおおお!!』
………しまった、間違えた。
なんにせよ、締まらなかったな、畜生め。
予期せず、川柳が出来上がってしまったのも、これまた余談である。
***
ちなみにではあるが、
「………ゴメン、ギルドカード忘れて来たっぽい」
ギルドカードは、マジで何の掛値無しに、忘れて来ていたようだった。
「………お前、」
「逃げたな」
「ああ、逃げたな」
「………お主は、相変わらず自覚が足りないというか、」
ジャッキーから始まり、ローガン、ヘンデル、最終的にはラピス。
と、言った順番で胡乱げな視線と共に呆れた言葉を掛けられたが、こればっかりは仕方ない。
どうやら、いらないと油断した外套のポケットに入れたままだったようだ。
内ポケットに入っているつもりでいたので、今回はマジでアンラッキー。
この際、旦那としての威厳とかはともかく、ランクアップ手続きは先延ばしにさせて貰おう。
しかし、そんな矢先の事だった。
「再発行を掛けて、新しく銅板を登録してしまえば良いのではないか?」
いらん事を言った勇者が、また一人。
これまた同じく昨日振りのダグラス氏だった。
一体どこに隠れていたのか、ギルド内の騒ぎを聞きつけて現れた彼。
そんな彼の一言で、結局最後の逃げ道も塞がれてしまったようである。
曰く、そう言った手合いは、良くあるらしく、彼も対応は慣れているとの事だった。
再発行の代金は掛かるが、後日再発行前の銅板を持ち込むことで代金も返金される、とか規約も交えて説明してくれたが、
「………アンタが、今、ちょっぴり嫌いになった」
「元は好きだったという訳でもあるまい?」
割とガチな本音を返したら、皮肉を持って返された。
うぇええ………、変に警戒してたの、気付かれた~………。
そんなダグラス氏は、無表情のままで平然さを装ってはいた。
だが、その気配には、完全に喜々として楽しんでいる感情が滲みだしていたので、思わず叫ぶ。
「アンタもオレをプレッシャーで圧死させようとしてんなぁッ!!」
「意味が分からない」
オレからの魂の叫びに、彼はふっと微笑んだ。
ああ、もう、やっぱり面白がっているじゃないか、畜生め。
………この人、無表情がデフォ過ぎるけど、案外笑うとあどけないんだけど。
閑話休題。
もうそろそろ、オレは話のレールをしっかりと引いておくべきだ。
とはいえ、
「ああ、もう分かったよ」
これで完全に逃げ道は無くなった。
泣く泣くカウンターに向かって、おざなりに登録用紙への記入を終え、腹いせ混じりに盛大に指を切って銅板へと血を垂らす。
魔法陣が展開した、認証魔法具が淡い銀色を発した。
………あれ?
以前、登録した時と、反応が違う?
「………はっ?」
「おっ?」
「あ………」
「………ほぅ?」
「おいおい…」
『おおっ!!』
『(うむうむ)』
オレの間抜けな声と共に、肩から覗き込んでいた面々が声を上げた。
先ほどと同じく、ジャッキーを始めとした、ローガン、ラピス、ヘンデル、生徒達と続いて、何故か同じ格好をして頷いている間宮とダグラス氏。
………全員共通ではあるが、最後の2人はかなり腹が立ったぞ…ッ!
だが、その怒りも、銅板に浮かんだ文字を見て一気に萎んだ。
その代わり、膨れ上がるやるせなさに、膝から崩れ落ちた。
「なんでだああああああああああ!!?」
『キターーーーーーーーーーーーーー!!』
オレの絶叫と生徒達の歓声、が、またしても冒険者ギルドへと響き渡った。
『アオーーーーーーーーーーーーーン!!』
ついでに触発されてしまった狼獣人×2の雄叫びまで混ざって、ギルド内は阿鼻叫喚。
依頼を見繕っていた筈の若い冒険者達が、一斉に逃げ出した。
何度もお騒がせしてすみません。
内容は、以下の通り。
ーーーーーーーーーーーーー
Name・ギンジ・クロガネ
Age・24
Sex・男
Birth・10/2
Tribe・人間
Rank・SS
ーーーーーーーーーーーーー
である。
以上。
もう、これにはぐぅの音も出ない。
叫びはしたが、それ以上はもう何も言えない。
「ぎゃははははははっ!!ひーーーっ!!
も、もう限界だ、腹が捩れる…ッ!!」
「………くっ、ふ…っ、ぐ…ッ!
(何故だ…ッ?
SSランクが出て喜ばしい筈なのに、こんなにも笑いが込み上げるのは…ッ)」
そして、結局笑い者にされるっていうオチね。
ヘンデルは床をゴロゴロと転がって人間モップになったかと思えば、床板をバンバン叩いて埃立ててるし、ダグラス氏は口元を隠して壁に寄りかかってはいるけど、確実に方が震えているから笑ってのは分かり切ってんだよッ!!
どうやら、結局オレの安寧は、守られてくれないのが常だったらしい。
………イジメ、良くない。
笑いものにされている彼等からの言葉を聞きながら、安定のミノムシ形態へと移行する他無かった。
***
阿鼻叫喚から、更に数十分後。
ミノムシ形態かなんとか復活しながらも、げんなりとしたオレを先頭に、冒険者ギルドの裏手に回る。
表からだと分からないけども、冒険者ギルドって結構な土地を保有してたりするのね。
………現実逃避だね。
知ってるよ。
オレが安定の笑いものにされた事実は、どうあっても消えて無くならないからね。
生徒達どころか、護衛の騎士連中、居合わせただけの冒険者にまで笑われたオレのブロークンハートの責任は、誰が取ってくれるのか。
とりあえず、生徒達はそれぞれ依頼と買い物へと叩き出した。
「先生がご乱心だ~!!(^^)!」と全員が、にやけ顔で出て行ったのも腹立たしいが、図ったかのように手際が良かったのにも腹が立つ。
オレがミノムシ形態の間に、とっとと依頼を見繕っていたり申請完了していたりと、ちゃっかりしていた男子組。
思わず、そのちゃっかりさに怒れば良いのか、成長を喜ぶべきか判断に迷ってしまった。
対する女子組も、ちゃっかりオレの懐から財布をスッて行きやがったしな!
ちゃっかりどころか、手癖が悪い!と本気で憤慨しそうになったけども、元々財布ごと渡すつもりだったので、今となっては油断したオレが悪いとは思っているけども。
………あー、もう、悔しいなぁ。
とりあえず、生徒達は明日の訓練でどうこうしてやろう。
ついでに、騎士団の連中は、オレと強制組手の刑で憂さ晴らしの糧になって貰う。
そんな復讐の算段を脳内で展開している中、
「ほら、いい加減、機嫌を直せ?」
「そうそう。
お主が、規格外なのは、今に始まったことでもあるまいし、ぷくくくくっ」
「(流石、ギンジ様です)」
「あ゛ー、笑った笑った」
「お、オレは、まだ無理だ…ッ、ぶっほぉ!」
「おめでと!ギンジ!流石!」
「………久しぶりに、こんなに腹が痛くなった…」
復讐の算段から、暗殺の算段に切り替えたくなる筆頭の面々からの言葉がぐっさりと。
笑われるのは仕方ないとしても、怒鳴ったって怒られないと思う。
「お前等揃いも揃って、その表情を改めろ!!」
オレの言葉通り、揃いも揃ってニヤケた表情の面々だ。
ローガンから始まり、ラピス、間宮、ジャッキー、ヘンデル、ディル、ダグラス氏。
勝手に笑っていろ。
ただし言っておくが、笑っていられるのも今のうちだ。
うち2名には報復と言う名目で夜の生き地獄をお見舞いしてくれようそうしよう。
勿論、嫁さん2人に決まってんだろうが。
………ローガンに至っては連夜となる訳だが、懲りないね本当。
残りの面々に関しても、うち2名には修練と称したフルボッコに、うち2名には後で絶対に顔が腫れあがる程度には殴ってやる。
(※前者が、間宮とディル、後者がジャッキーとヘンデルの事だ。)
ただ、最後の1名に関しては、他国の冒険者。
流石に、どんな結果を招くか分からんため、報復は遠慮しておくことにしたが。
いっそ、滑稽な程に笑い転げている面々に溜息も出ない。
ダグラス氏に至っては、元が無表情だったとは思えなかった。
ああもう、こんな事なら、やっぱり冒険者ギルドなんて来るんじゃ無かった。
今回は、オレとローガンの2人がSSランクへと昇格。
おかげで、こうしてイジメの的にされているわけだ。
いつの間にか、オレは人外なだけではなく、伝説に足を踏み入れていたことになる。
それはローガンも一緒ながら、考えてみれば彼女も彼女で300年以上を冒険者として生きている猛者なのだから、押して察するべし。
とはいえ、これで彼女はジャッキーよりも強いと証明されたのだが、どうしてくれようか。
あ、でも、考えてみると実績だけで言うなら、合成魔獣の単独討伐って事例があったな。
勿論、昨日のランクアップ試験の際での阿鼻叫喚だ。
………うわぁい、ハイスペック。
ラピスがどうかは、未だに不明。
ただ、結果を見るのはかなり怖いから、まだ先延ばしにしておきたいとかいう本音。
………チキンとか言うんじゃねぇし。
「それよりも、」
ふらふらと、先頭を歩きながら気になった。
「今、どこに向かってんの?」
「ああ、済まん。
私の用事を先に片づけさせて貰おうと思ってな、」
気付けば先頭に立っていたけど、行先知らない。
そう思って振り返ると、ちょっとだけ目を丸めた後に苦笑を零したダグラス氏。
どうやら、彼の用事の為に移動していたらしい。
要件があるとは聞いていたが、裏手に回らなきゃいけない事?
………そこまで考えて、ゲイルとの初遭遇を思い出すオレ。
まさか、この面々に裏手で言葉と言わず拳でぼこぼこにされんの?とか、勝手に想像して身震いしてしまった。
ダグラス氏が、横できょとりと目を瞬いた。
気配で、オレが勝手な想像で緊張したのに気付いたらしい。
「ああ、えっと、………やましい意味は無く、単純に目的地が裏手なだけだ」
「言葉の上乗せで、更に怪しく聞こえる件、」
「ふむ、意外と繊細なのだな。
………扱いが難しい御仁のようだ」
「独り言のつもりだろうが、最後のも聞こえているからなッ?」
繊細な上に扱いが難しくて悪かったね!
大男からのハグも駄目だし、袋小路に誘い出されるのも駄目な部類だよッ!
トラウマ発動したら、お前なんてアタフタするしかねぇんだからね!
………言ってて、ただの自爆だと気付いて、更に凹む。
「………耳も良くて、警戒心も強いとは、さながら地竜のようだな」
更に、続いたダグラス氏の呟き。
耳聡く反応してしまい、思わず胡乱げな表情をしてしまう。
「………遠回しに、侮辱してない?」
「貴方の受け取り次第だと思うのだがな?」
ギルド内でも思ったけど、この人本当に歯に衣着せないよね!
ああ言えばこう言うっていうか、目には目をって言うか、皮肉を皮肉で返してくるあたり!
でも、なんか憎めない…ッ、悔しい…ッ!!
「(………同族嫌悪なだけでは?)」
「お前さん、今日の食卓の彩りに添えて欲しいなら、素直にそう言え?」
「(ごごごごごごご無体です!)」
突如として反旗を翻した間宮には、アイアンクロー。
トマトピューレはサラダドレッシングにしても上手いんだぞ、この野郎。
いや、しないけど。
安定の師弟漫才へと戻ると、また背後から爆笑が返って来た。
「も、もう無理!アイツ、オレの腹筋壊す気か…ッ!」
「まさかの腹筋ログアウト発言!?
でも、むしろロストしちまえ、羨ましいシックスパック野郎!!」
笑い出したのはヘンデルで、おそらく笑いの沸点が低くなっているんだろうな。
箸が転げても笑うとかいうあれだ。
………出来れば、そこまで育った腹筋やら上腕二頭筋を、オレに譲渡してくれるなら喜んでトドメを刺すけそども。
「褒めているのか貶しているのか紙一重な一言だな」
「………ッ、やっぱアンタ嫌いだ!」
憧れの筋肉への展望を見抜かれた気分になったよ!
そして、シックスパックとかでも、十分腹筋で通じる神秘。
とはいえ、もうそろそろ、オレが限界だから茶化すの止めて?
じゃないと、泣く。
もしくは、この場で『火』の精霊召喚が先かもしれんけども、恨むなよ。
しかし、これにはなぜか嫁さん2人の口撃が火を吹いた。
「………腹筋は十分だった筈だが…?」
「………そも、お主が筋骨隆々だと気持ち悪いと思うがのぅ」
「桃色アウトな発言、止めてぇえええ!!」
ローガンの一言は、かなり過激な一言である。
それって、裸を見たことがあるって意味と同義だけど、そこんところどうなん?
そして、ラピスは地味にオレの女顔をディスっている件ねッ!
………もう、立ち直れないかもしれない。
目を覆い隠して、ふらふらと膝から崩れ落ちる。
またしてもミノムシ形態へと移行しようとして、
「…あれ?」
ふと、そこで、目の前が暗くなった。
影が差した、と咄嗟に気付くが、オレの前には誰もいない。
ダグラス氏は一応先行していたが、歩いていたのは隣だ。
後は全員、オレの後ろをニヤニヤと笑いながら付いて来ていた筈である。
地面を見て、きょとりと目を瞬いた。
影となって覆い被さる存在は、自棄にデカい。
そこで、再三の嫌な予感。
ついでに、本能的な恐怖心を感じ、正体を確認しようとして顔を上げる。
その瞬間だった。
「ぬぎゃ!」
「あ、ーーーッ、こら…ッ!」
もの凄い力で押し倒された。
堪え切れなかった無様な悲鳴が上がる。
しかも、衝撃のおかげで後頭部を強打して、目の前に星が散ったのを確かに見た。
「こ、これ、ギンジ!」
「なんなのだ、これは…ッ」
更には、頭上から響く嫁さん達の慌てた声。
押し倒されたのは分かるが、何に押し倒されたのかも判断出来ない。
目の前には、真っ白な毛玉のようなものが居座っていた。
かなり重いのも相俟って、窒息しそうだ。
しかも、もがいて抜け出そうにも、下半身が完全にプレスされてしまっている。
これはアカン!
完全にマウント取られて、カウント3秒前だ!
なんでいきなり、こんなことになってんの!?
止めて!
お願い!
誰か助けて!
大男も嫌だけど、意味不明なものに圧し掛かられるのだって嫌なの!!
再三の触発されたトラウマによって、脳みそが解けそうになる。
心拍が上昇し、早鐘のように耳朶を打つ。
体が勝手に震える。
プレスとは別の要因で呼吸が荒くなり、勝手に目の色が変異していく感覚も分かった。
歯ががちがちと震えてかち合わされる。
ダメだ、もう。
………こんな、ところで…ッ!
「こら、ガルフォン!止めろ!
この方は、餌でも無ければ、同種でも無いんだから…ッ」
「ーーーーーーッ!?」
途切れかけた意識の中で、響いた声。
トラウマ発動の瞬間にしては、良く脳裏に響いた。
一気に我に返る。
声の質にもだが、その言葉の意味に対しても。
「い、今なんて言った!?
餌とか同種とか、またオレの事人外扱いか…ッ!?」
「今はそれどころではないんだぞッ!?」
あ、………これ、なんとかなりそう。
………初めてダグラス氏の怒鳴り声を聞いた気がする。
オレがどんなに皮肉っても、のらりくらりと交わしてた癖して、マジで慌ててんのな。
そんなダグラス氏の慌てた声を聞いてか、否か。
トラウマ発動で、フラッシュバックを起こしかけていた意識が、なんとか沸騰せずに戻って来た。
荒くなっている呼吸も、ガタガタ震えている体もまだ許容範囲内。
お漏らしはしそうだけども、まだ大丈夫。
変異している目だって、怖がって目を閉じているフリで誤魔化せる。
その筈だ。
だから、堪えろ、オレ…ッ!
「ステイ!!ステイだ!!
大人しくしてくれ、ガルフォン!!」
「手綱しっかり握っとけ、ダグラス!!」
「おいおい、調教されてる筈だろッ!?」
頭上から響く声は、ダグラス氏だけのものではない。
慌てくさったジャッキーと、ヘンデルの声にも、煮えくり返った意識を引き戻して貰える。
腕に感じる痛みやら何やらも、それを助けていた。
どうやら、オレの腕を掴んで、引っ張り出そうとしてくれているようだ。
それに、だ。
沸騰しかけた意識がなんとか落ち着くと、耳で拾う言葉の意味も認識出来た。
ガルフォン、というのはおそらく名前で、今オレに圧し掛かっている白い毛玉の名前だ。
この白い毛玉が何なのかは分からないが、ダグラス氏が叫んでいる言葉、ジャッキーやヘンデルの言っていた言葉合わせると、答えはすんなり出て来た。
呼ばれる名前と、ステイという命令。
手綱、調教、と来れば、おのずと分かる。
犬、馬、もしくはそれに準ずる、躾を行われた動物だと考えれば良い。
『退け!!』
腹に力を込めて、息を振り絞る。
声を張り上げて、圧し掛かっている白い毛玉に向かって命令する。
動物の調教と言うのは、まずは最初に畏怖を与えてからでなければ、命令も聞かなければ信頼関係も築けない。
馬の調教は、オレも知っている。
犬の調教だって、一時期は虎の調教もした事があるぐらいだ。
だからやれる。
何の根拠も無い確信ではあった。
だが、声を張り上げて、殺気を飛ばし、更に虎の子でもある威圧感を発した。
途端、体に感じていた圧迫感が消えた。
『………ッ!?』
頭上から、息を呑む声が聞こえながらも、気にせずに立ち上がった。
ばきっ!とか、どんっ!とか言う不穏な音が聞こえる中、視線の先で白い毛玉が逃げようとしているのが見えた。
いつの間にか、腕を掴んでいたジャッキー達の腕は無い。
そんなことは気にも留めないまま、オレはまた腹に力を込める。
『コラッ!!』
そして、恫喝。
白い毛玉が、びくっと体を大きく戦慄かせて、壁にまで後退するのが俄かに見えた。
そこで、その白い毛玉の全容が分かった。
***
その姿を見た瞬間、息を呑んだ。
呼吸が、止まったかのような錯覚を覚える。
耳朶を打っていた早鐘のような心音も、それ以外の雑音も遠ざかっていく。
荘厳という言葉を、絵に描いたような存在がそこにいた。
蜥蜴のような顔、というよりは犬かライオンとかの四足獣とミックスになったような顔。
体にしても、同じく蜥蜴や四足獣のミックスと言うイメージを受ける。
赤色の瞳は爛々としながらも透き通り、宝石のようにも見えた。
全身を覆っているだろう真っ白な体毛が、日の光を受けて燦然と輝いていた。
長大に伸びた尻尾まで真っ白だが、それが今は体の下に隠されて丸まっている。
そして、その背中に当たるだろう場所には、悠然と存在している翼。
揶揄ではない。
本当に、鳥類が持っているような翼が生えている。
一見すると、真っ白な獅子に蜥蜴のような顔と、鳥のような翼を配合したかのような動物だった。
かつて見たことが無い、というのが本音。
とはいえ、合成魔獣のような歪さを感じるわけではない。
むしろ、これが正解だと、思わせられるような。
そんな絶妙な配合の生き物。
神話の世界で顕現する、天の使いかとも思える程の荘厳な気配を纏っていた。
これを、オレはなんと呼ぶか、知っている。
竜だ。
いや、正確には西洋的な見た目からして、ドラゴンと呼ぶべきなのだろう。
だが、あまりにもちゃちな呼び名に感じてしまって呼べそうにない。
これが、竜なのか。
間違いない。
オレが知っているけども、知らない生き物だ。
初めてお目に掛かった事と、そのあまりの美しさに。
思わず呆然と見惚れてしまう。
この異世界に来て、心の底から良かったと思えた事は少ない。
魔法の存在に助けられて以来の事かもしれない。
でも、今は心の底から、良かったと思っている。
こんな素晴らしい生き物に、出逢えたのだと考えると、それだけで高揚感と感動で胸がせっつくような感覚がする。
痛いとも思った。
ぼろり、と頬を落ちる何か。
いつの間にか、涙まで流していたようだ。
しかし、これは、この感動は、どう言葉に表したら良いのか分からない。
衝動のまま、足を一歩踏み出した。
気分が高まり過ぎてしまって、目の前の生物しか見えていない。
更に、一歩踏み出す。
竜だと思われる生物が、また更に後退する。
その瞬間だった。
『………お、怒らないで…ッ』
クルルルルルッ!と、喉を鳴らした彼か彼女かも分からない竜。
怯えに滲んだ声と共に、そんな風に言っているように聞こえて、思わず目を見開いてしまった。
オレを一心に見つめているその目も、見開かれた。
体の下、後ろ足の間に隠されていた尻尾が、ゆらりと揺らめいて徐々に立ち上がっていく。
あ、警戒を解いてくれてる?
それとも、警戒しているから、いつでも飛び立てるように準備しているのかな?
「大丈夫、怒ってないよ。
………だから、近くに寄らせてくれないか?」
そう言って、もう一度ゆっくりと歩み寄った。
『………本当?
本当に、僕の事、怒ってない?』
すると、もう一度、クルルルルル、と、喉が鳴っている。
なんだろう。
なんとなく、言っている事が分かるような気がして、苦笑とも微笑みとも付かない表情を浮かべてしまう。
………オレの妄想の中では、この子はどうやら男の子のようだ。
「近くに寄せてくれれば、チャラにしてあげる?」
そう言って、また一歩。
すると、ゆらりと揺れていた尻尾が、地面に丸まるようにして横たえられた。
顔は蜥蜴で、体が獅子で、翼が鳥。
尻尾もまるで、猫のように優雅で、美しいと感じた姿形が途端に愛らしく感じてしまう。
「怖い事は、しない。
お前がオレを怖がらせなければ、何もしないから」
そう言って、更に一歩踏み出した。
そんなオレの一歩に合わせて、彼もまたクルルルルル、と喉を鳴らした。
『ごめんなさい、さっきは、ちょっと、興奮しちゃっただけなの…』
なんとなく聞こえたような気がした声に、そしてその言葉通りにしょんぼりとした様な動きで頭を垂れた姿に、思わず苦笑。
オレは、興奮しちゃっただけ、という彼の気まぐれで、失禁しかけた訳だ。
ただ、怒りはもう明後日の方向へと吹っ飛んでいた。
今は、長大で優雅なその体躯へと、辿り着かせてほしい。
あわよくば、その体に触れさせてほしい。
更に贅沢を言えば、その体毛の中へと顔を埋めさせて欲しい。
願望が行動に直結したのか、その足が更に一歩近付いた。
後ろで、何か言っているが聞こえない。
危ないとか、命知らずとか言われている気がするけども、まったく気にならなかった。
五感の全てが、彼へと向けられている。
視界も、聴覚も、吸い寄せられるような感覚。
また一歩、と近付いた時、
『………僕も、ちょっとだけ近くに寄っていい?』
喉の鳴る音は、いつしか勘違いとは思えない程に、言葉として伝わって来ていた。
言葉だと、認識するのが先か、脳裏に直接訴えかけられる感情だと認識するのが先か。
「おいで…」
手を差し出し、更にもう一歩近寄ったと同時に、その白い体毛の中に指が埋もれていた。
ぞくり、と背筋を駆け上る、快感じみた電流。
いや、もう、快感と呼ぶに相応しいのかもしれない。
まるで、さ迷い歩いて迷子になった砂漠の中で、オアシスでも見つけたかのような歓喜が、脊椎を貫いていく感覚に背筋が粟立った。
指、掌、手の甲と、次々と白い体毛が迎え入れてくれる。
柔らかくて、あったかい。
高級絨毯でも、ここまでの手触りは感じないだろう。
オレを見つめている彼の目が細められ、とろりと蕩けたかのように思えた。
そんなオレも、きっと蕩けた目をしているのだろう。
周りの事なんかどうでも良いが、彼にだけははしたないと思われたくはないものだ。
『こ、今度は優しくする。
圧し掛かったり、押し倒したりもしないよ…?
だから、僕もあなたを触っても良い?』
「ああ、もう、そんな事気にしてないから、」
そう言って、胴体へと触れていた手を彼の頭へと移動させる。
抵抗なんてされる訳も無い、という先ほどと同じ根拠の無い確信のままで、頬から始まって鼻筋、鬣まで、と撫でるようにして手を滑らせる。
その手の動きに、ふるり、と震えた彼に、一旦手を放してしまったが。
『ダメ、やめないで、………気持ち良い』
「ああ、なんて可愛いんだろう…ッ。
そんな事言ってると、こうしてしまうぞ…」
頭を撫でる手をそのままに、もう一歩足を踏み込む。
そこで、オレの首筋から頬に掛けて、彼の逞しい筋肉の束のような首が、柔らかい体毛と共にずっしりと感じられた。
その瞬間に、またしても脊椎を駆け巡った快感。
腰が跳ね、足が小刻みに震えるのを感じながら、大きく吸い込んだ息。
「………あ、」
香った彼の匂いは、極上の香水かと思えるぐらいに甘美なもの。
それだけでも、背筋が粟立つのを感じて、堪らずに体を痙攣させてしまう。
香りによって快感を覚えるのは、初めての経験だったかもしれない。
『………はふぅ…。気持ち良い』
「………オレも、」
そう言った瞬間に、彼はどすんと腰を落とした。
かと思えば、オレに向かって背中の翼を大きく広げ、まるで両腕で包み込むかのようにして閉じ込める。
抱擁にも似た、それでいてどこか違う感覚に、無意識下のうちに、流れ落ちていた涙が更に溢れた。
悲しいかな、オレの腕が片腕でしかない無い事にも、涙が零れてしまう。
左目に巻かれた包帯が、水を吸って貼りつくような感覚が邪魔で仕方ない。
剥ぎ取ってしまおうかとも思ったが、撫でる手を止める暇すら惜しい。
彼が座り込んだのに合わせて、オレも寄り添うようにして座り込む。
以前、翼に覆われたままだが、包み込まれるかのような安心感があるだけで、そこに恐怖心など一切感じられなかった。
まるで、魂の片割れが帰って来たかのようだ。
多幸感に包まれて、気を抜けば咽び泣きそう。
首筋に縋りつくようにして座っている事もあって、どくどくと彼の心音すらも聞こえる。
その距離に、招き入れてくれた事がなによりも嬉しい。
そのうち、彼は首を下して、オレを押し倒すかのようにして地面に伏せた。
オレも、地面に寝転がるような格好になったまま、彼の頬や額、鬣に至るまでと撫で透いて行く。
『気持ちいい、それにとっても、ぽかぽかして、幸せ…』
「………オレも、幸せ…」
お互いが、幸せを感じている事実。
感動を通り越し、極まって、背筋を駆け上る衝動のままに、彼の首筋へと縋り付いて鬣の中へと顔を埋める。
ぎゅう、と抱き締めれば、翼で同じようにして返してくれる。
恋人同士のようで、それでいて家族のようで。
もう、何もかもがどうでも良くなってしまう程、彼の事しか眼中に無かった。
『ねぇ、もっと撫でて…?』
途中で上がる催促の声に、夢中で撫でる。
中でも眉間と鬣の間、丁度耳らしきものの付け根が気持ち良いのか、恍惚とした声が上がる。
『噛んでも良い…?』
「………ふふ、痛くしないなら、いくらでも…」
更には、ちょっとだけ怖い催促もされたが、気にならなかった。
大人しく、彼の視線の先を見極めて、差し出すようにして顎を逸らす。
肩口に、大きな口がぱくりと被さった。
歯というよりも、牙と形容できるそれが当たっても、死ぬとは思えなかった。
「…はッ…あ、」
むしろ、まるで前戯のように感じて、嬌声を上げてしまう。
ひくりと、喉が跳ねたが、そこへと舌が触れたと感じた瞬間、大きく肩を震わせた。
そこで、離れていった口。
物足りなさすら感じて、戦慄く。
見れば、彼はオレの首筋から、肩に掛けて噛み付いていた。
甘噛みだったのか、歯型が残る程度にしか跡が付いていない。
その噛み跡も、数秒もすれば薄れていく。
勿体ない。
そう感じた矢先、
『そんな物足りなさそうな顔してたら、項を噛んじゃうよ…?』
「………あはは、お望みなら、どうぞ?」
彼からの申し出に、歓喜を覚える。
誘惑しているとしか思えない流し目と、恍惚とした吐息を吐き出した。
もう一度、彼を迎え入れようと、顎を逸らす。
そんな中、
「………そこまでだ、ギンジ殿!
それ以上はいけない…ッ!!」
シャットダウンしていた筈の雑音。
切羽詰まったような、聞き覚えのある声が聞こえて、一気に現実へと引き戻されてしまった。
***
現実に引き戻されて、しばらく。
白銀の不思議な生き物との逢瀬を邪魔されて、ぼーっとしている中で。
例の飛竜がいる手前では、オレも使い物にならないだろうとの事で、場所を移したのはジャッキーのマスタールーム。
嫁さん2人に半ば引き摺られるようにして、移動した。
どれだけ惚けていたのは分からないものの、何があったのかもほとんど覚えていない。
とはいえ、かなり濃厚で濃密な時間を過ごしたのは確かだった。
音も、時間も、感覚すらもすべてを共有するかのような、甘ったるい逢瀬。
幸せな時間だったと、胸を張って言える。
邪魔をされてしまって、心底残念だ。
「聞いているのか、ギンジ殿!?」
「ふぁ…?」
そんな中で、突然聞こえた声に目を見張る。
目の前に迫った端正な顔が、怒りの形相で真っ赤に染まっている。
先程から、彼はこうして度々怒声を上げていた。
ついでに、先程の白い毛玉こと飛竜との逢瀬を邪魔してくれたのも、彼だった。
オレにとっては、邪魔者Aである。
「………まったく、こ奴はまた色目を使いおって、」
「飛竜相手なんぞ、博愛主義も甚だしい…」
なんてことを言って、頭を抱えているのは嫁さん2人。
邪魔者Bと邪魔者Cは、彼女達。
引きずられるようにして、飛竜から引き離してくれたのも彼女達だ。
頭を抱えつつも、随分とご立腹な様子の彼女達。
そんな彼女達の怒りの矛先がオレだと分かってはいても、今はそれほど怖いとは思えない不思議。
オレには、彼がいる。
彼とは飛竜の事で、そんな彼の名前はガルフォンというらしい。
彼にさえ嫌われなければ、オレは生きていけると思っている。
ただ、その飼い主こと邪魔者Aは、
「分っていないようだから、最初から説明させてもらうぞ?
まず、飛竜に防具も無く近付くなんて、自殺行為も良いところだ!
しかも、そんな飛竜に許可も得ずに触りに行ったばかりか、翼に閉じ込められたりして…!
そのまま、捕食されても文句は言えないんだぞ!」
と、こんな具合。
ガミガミと煩く、怒鳴り散らしてくれている。
最初のポーカーフェイスは、いつの間にやらどこかに吹っ飛んでしまったようだ。
「許可ならくれたし、捕食もされてません~…」
「捕食されかけていたじゃないか!
言っておくが、餌としての意味だけでなく、生殖としての意味も含まれているからな…!?」
なんてことを言われても、実際オレには右から左。
彼の怒りの形相も、その怒鳴り声にも、今のオレとしてはあまり恐怖を感じない不思議。
珍しくも間宮や、ついでにディルなんかが彼の怒声に恐々としている中で、オレだけが平然としていた。
危険な事だとは思えなかったし、今更そんなことを言われても仕方ない。
「飛竜にとっては、首を噛む行為自体が求愛だ!
そんなものを受けて、貴方が無事にいられる保証なんてどこにも無い!」
「そんなに怒鳴らなくたって、聞こえてるよ…」
へぇ~、そうなんだ~。
なんて、脳内で冷めつつも、それでいてガルフォンから求愛された事実に胸を高鳴らせる。
彼にだったら、食われても良かったと思っている神秘。
双方の意味として、である。
………いやだ、何を言わすの?
頬が染まるのを感じて、ふいと視線を逸らした。
そんなオレの様子を見てか、野暮な飼い主はまたしてもヒートアップ。
「聞こえているなら、反省してくれ!
『予言の騎士』である貴方が、飛竜に拉致されたなんて大問題だ!
しかも、それが『黄竜国』の飛竜だと知れれば、それこそ国家問題になってしまう!
少しは、自分が要人であるという自覚と、それ相応の危機管理能力を持って…ッ」
「あ~、はいはい…」
「返事が軽い!?」
あれまぁ、動揺しちゃって。
………この人、こんなに熱血漢だっけね?
知らなかった一面が垣間見れたってことになるのか、これも。
別に、彼を茶化しているつもりは無い。
右から左で受け流しているとも言うが………。
ここまで怒られなければいけない理由も、なんとなく分かっている。
なんでこんなに怒られてるかって事も、一応は分かってるからね?
まず、飛竜とは。
文字通り、空を飛ぶ竜で、性格としては勇敢にして狂暴。
また、縄張り意識も非常に高く、同族であっても群れが違うだけで食い殺すような気性の荒い竜との事だ。
ただし、ガルフォンは、卵の段階で人間の手に渡り、インプリンティングを受けている。
そして、人間と共に暮らし、調教や訓練を受けて、こうして人の移動手段となっている希少な例だとも聞いた。
父親兼母親は、『黄竜国』本部にいる調教師の一人と、卵を産んだ父親だそうだ。
うん?と思ったけども、なんか動物の生態にもあるように、雌雄同体だから雄でも雌でも関係なく卵は産めるみたい。
それを聞いて、オレも産めるの?と聞いたら、馬鹿か!?と怒られた。
曰く、飛竜にとって、首、それも項を噛む行為は求愛だと。
しかも、飛竜にとって求愛とは求婚とも同じとの事だった。
オレ、男なのに、ガルフォンから求婚されちゃったんだぁ。
愛されたものだ。
ちょっと嬉しいとか思っている事実。
ちなみに、ガルフォンは、子どもとはまた違うけども、年若い飛竜で、今はまだ訓練中と教えてくれた。
だから、今回の事も事故だと、ダグラス氏は言っている。
とはいえ、
「ちゃんと聞いているし、分かってるよ。
オレだって、別に国家問題にするつもりなんて無いし、危険だと思ったらそもそも近付かないし…」
「なら、どうして、近付いたのか聞かせてくれ…」
「当たり前じゃん、危険だとは思わなかったからだよ」
「………それが、分かっていないと言っているんだ!」
何が悪かったのかなんて、もうどうでも良い。
というよりも、オレが悪い事をしたとは思っていないのもある。
だって、彼・ガルフォンはあんなにも綺麗だ。
オレにとっては、天使とも思える荘厳な生物だ。
気高く、それでいて繊細な上に、少しだけ茶目っ気のある愛嬌たっぷりの可愛い飛竜。
そんな彼に、危険だなんてレッテルを貼った奴が悪い。
しかし、
「あ~、なんか、百面相しているところ、悪いんだが…」
「ふぅん?」
そこで、オレ達の会話に割り込んだ声。
夢見現とした中で気の無い返事をしつつも、声のした方向へと視線を向ければ、そこにいたのはジャッキーだった。
目をまん丸にした偉丈夫は、どことなく気まずそうだ。
………というか、若干、頬が赤いのは何事なのだろうか?
筋肉ダルマの毛もくじゃら親父の赤面顔とか、誰得だ?
そんなジャッキーだったが、
「ダグラスもちっとは、落ち着け。
確かにお前にとっちゃ大事件だったかもしれんが、コイツにとっちゃ些末事だったんだろう」
「尚の事悪いわ!この方の危機管理能力はどうなっている!?」
「それは、オレじゃなく、お目付け役の騎士団長様か、そこにいる嫁さん方に言ってくれ」
そこで、はたとダグラス氏の目が見開かれる。
そして、ぐりんっと擬音が付きそうな程に顔ごと向けられたのは、これまた気まずそうなラピスとローガンの嫁さん方。
「重婚だったのか…!?」
「うん、ほぼ同時期に2人だったけども…」
ダグラス氏、目がこれでもかと見開かれてしまったけども、怖いよか可愛いね。
なんだろう、この偉丈夫。
ディル系列で、あざと可愛い系でも狙ってんのか?
「………って、話が逸れたが、」
あ、それはオレも思った。
なので、ジャッキーの一言と共に、軌道修正。
「とりあえず、ダグラスは怒りの矛先は、この際納めておいてくれ。
んでもって、ギンジは、オレの質問に正直に答えてくれ」
「………やむを得ないだろう」
「………別に良いけど、何か重大な事?」
「悪いが、真面目な話だ。
お前にとっては、かなり際どい事聞くことになるだろうが、」
そう言って、自棄に熱心に前置きをするジャッキー。
その表情も、声音も真面目そのものだった為、オレも改めて話を聞く態勢を取る。
そんなオレを見て、ダグラス氏がまたしても撫すくれた表情を見せたが、この際知る者か。
「まず聞きてぇのは、あのガルフォンに圧し掛かれた時の事なんだが、」
「………抱き着かれたと言って?」
「茶化すなって言っただろうが!」
早速、話の腰を折ってしまったオレ。
ガルルルルッと、噛み付かれたので黙ることにした。
………ヘンデルから、小声で「命知らずだ」と呟いたのは確かに聞いた。
それはともかく、
「なんで、あんなに興奮されたのかは、分かるか?」
「………知らない、かな?」
「そも、人間に対してガルフォンが、あんなにも興奮する姿はオレも初めて見たのだが、」
「ああ、オレも飛竜が人間に欲情紛いな匂いを発したのは、初めて見た」
あ、そうだったのか。
確かに、ガルフォンは超反応していたっけ。
じゃれ付くっていえば聞こえは良いが、完全にマウント取られてたしねぇ。
トラウマ発動しなくて、本当に良かった。
そこで、「次だ」とジャッキーが指を立てた。
「ダグラスがどんなに手綱を引いても、オレ達がどんなに押しても引いてもびくともしなかった飛竜だが、お前の発した一言であっという間に飛び退いた。
あの時、お前の言っていた言葉なんだが、」
「へっ?」
問いかけられた言葉に、素っ頓狂な声が出た。
オレの言っていた言葉………?
何か、トラウマ発動一歩手前の沸騰寸前の脳みそで、NGワードでも連発していたのだろうか。
小首を傾げてしまった瞬間、
「お前は、あの時何語で話してたんだ?」
「は…?」
今度は、言われている意味が分からなかった。
何語で話していたのか?
本当に、ジャッキーは何を言っているんだろうか。
あの時も何も、ずっと同じ言語を使っていたつもりだった。
だから、彼が言うように、何語やらなにやらも言われる筋合いなど無い筈なのに、
「ついでに言うなら、あの飛竜の声が、お前には|聞こえているようだった《・・・・・・・・・・・》んだが、」
次に続いたジャッキーの言葉に、絶句する。
「………それは、オレも気になっていたんだが、」
「そういえば、そうだな」
「会話が成立しているように聞こえていたのは、私の気の所為ではなかったのかや…?」
ジャッキー以外にも、続々と上がる声。
ダグラス氏とローガン、ラピスまでもが同じ意見だった。
「………あれ?」
そこで、はた、と気付く。
確かに、彼は流暢に喋っていた。
だが、ふと思い返してみると、オレ以外にガルフォンと会話していた人間は、この中にはいない。
「………あ、…嘘」
やっと、気付いた。
意味が、分かったような気がした。
「………まさか、誰も分かってない?」
………妄想じゃなかった。
本当に、彼の言葉が分かっていたのだ。
温度差の理由が、今になって分かった。
そして、息を呑む。
そんなオレの呟きへの返答は、
「悪いが、鳴き声だけしか聞こえて無かった。
正直、何を言っているかなんてことも、そもそもどんな感情なのかもさっぱりわからねぇ」
ジャッキーの、はっきりとした声と態度だった。
そして、そんな彼を擁護するようにして、頷きを返す面々。
彼等には、ガルフォンの言っていることは、分からない。
その代わり、オレが分かっている。
だから、言葉を交わしているオレと、そうではない彼等で温度差があった。
更には、その言葉が分かる理由。
根本からして、何かが違うという事でのみ言うならば、それは明白だ。
「………貴方、まさか、『天龍族』の血を引いているの、か?」
そんな中、ダグラス氏がぼそりと呟いた言葉。
その一言で、この場にいた全員の表情が強張った。
理由を、あるいはその結果を知っているオレ達は勿論、『天龍族』という名を聞いたヘンデルも。
咄嗟に言葉が出てこなくて、息が引き攣った。
『天龍族』の血を浴びたかどうか。
そして、その血に適応しているか、いないか。
なんなんだよ、これは。
更に、視線を順々に巡らせていく。
ラピス、ローガン、間宮、ジャッキー、ディル、ヘンデル、そしてダグラス氏。
全員が全員、青い顔をしている。
そんな彼等の真っ青な表情を見たと同時に、オレ自身も表情が凍った。
***
全員が、青い顔でソファーやひじ掛けにもたれる中。
オレはと言えば、完全に意気消沈だ。
なにせ、規格外度合が、埒外な方向でかっ飛んでしまっていたからな。
こんなことを、知りたくなかった。
オレは、知らないうちに、動物相手にもバイリンガルになっていたようだ。
まさか異種族の、それも獣人や亜人と言わず、動物の類である飛竜と会話が出来るようになっているなんて。
ちなみに、オレはガルフォンを一喝した時も、彼等には分からない言語を話していたらしい。
なにそれ、無意識って怖いなんてレベルの話じゃねぇ。
そして、それがまたしても、『天龍族』絡み何てことも知りたくなかった。
とてもではないが、和気藹々とは言えない雰囲気で。
しかし、そんな中で、
「………実を言うと、相談したかったのは、ガルフォンの事だったんだ」
ふと口火を切ったのはダグラス氏だった。
ガルフォンの名前に反応して、顔を上げる。
どんな酷い顔をしているのか定かでは無いが、そんなオレの表情を見てダグラス氏も苦々しい表情を作っていた。
「こちらに来る前に、『天龍族』に尋問を受けた話はした筈だ。
尋問事態も然して剣呑ではなく、無事に解放されたと思っていたつもりだったのだが、ガルフォンが酷く怯えてしまっていた。
こちらに着いてからはずっと塞いでしまっていたんだ」
「………そんな感じは、しなかったんだけど?」
「ああ、………貴方が来るまではな」
そう言って、苦々しげな表情を更に歪めつつ、ダグラス氏は続ける。
「実際、今日の朝まで食事も満足に取っていなかった。
こんなことは今までなかったから、オレもどうしようか悩んでいたのだが、」
「それが、なんでオレに相談するって話になった?」
「………昨日、ジャッキーが言っていた。
貴方が博識で、見た目以上に広い見聞と知識があるようだから、と」
それで、相談されるって…。
流石に、オレも犬猫の飼い方は知ってても、飛竜の飼い方なんて知らないんだけどね。
「とはいえ、貴方が来た瞬間に、ガルフォンは見違えた様に元気になったから驚いた。
………ましてや、あんな風にガルフォンが人間に対して、求愛をするのを見たのも実際初めての事だ」
………初めて尽くしってことだな。
しかも、そんな求愛まで受けた人間が、まさか言葉を交えた意思疎通が出来るとも思ってなかっただろうね。
オレも思ってなかったもの。
「元気になるのは、良い事なんじゃねぇのか?」
そこで、静かに話を聞いていたジャッキーが問いかける。
「確かにそうなのだが、あんなにもはしゃいだ姿を見たのも、実のところ初めてだ」
そう言って、オレに対して恨みがましい視線を向けるダグラス氏。
何が言いたいかってのは、なんとなく分かる。
最初に、あの裏庭に足を踏み込んだ途端、ガルフォンはオレを圧し潰すような形になった。
じゃれついていた、という解釈は可能だ。
本人も、興奮してしまったとか、調子に乗ってしまったとか言っていたもの。
オレに対して、何故か驚異の反応を見せた飛竜。
ガルフォンとダグラス氏がどれだけ長い間、一緒にいたのかはわからない。
分からないまでも、その過程をすっ飛ばすようにして、じゃれ付かれた挙句に求愛までされたオレは、彼にとっても面白くない存在の筈だからな。
とはいえ、オレにはどうしようも出来ないんだが。
まぁ、オレがガルフォンをこれ以上誘惑しないようにすれば良いだけの事なのだろうが。
………無理な気もする。
話が逸れたが、
「気になっては、いたのだ。
『天龍族』から尋問された内容は、ガルフォンだけにしか分からない言語で話されていた。
飼い主の義務だ、と言い張ったところで、彼等は教えてくれなかったからな…」
「………もしかしたら、脅迫を受けた可能性があるってことか…」
「そうなるだろうが、オレには結局のところ分からず終いだな」
そう言って、お手上げといった様子で首を振るダグラス氏。
そりゃそうだろう。
『天龍族』と話をしたのは、ガルフォンだけ。
しかも、『天龍族』と竜種だけが使える、いわゆる『竜言語』を使っていたようだ。
となると、つまりはこういうことだ。
今まで元気がなかったガルフォンが、何故かオレを見て大興奮。
何かしらのシンパシーか、有り得るとは思えないものの、フェロモンを感じ取ってしまった。
そして、オレもガルフォンの言っている事が分かるものだから、もしかしたら元気がなかった理由が分かるかもしれない。
相談するには、誂えたかのようなタイミング。
………なんか、気色悪いぐらい、ぴったりのタイミングね、本当。
「………あんなことがあった後で、あまり近付けたくないとは思っているのだが、済まないがもう一度ガルフォンに会ってくれるか?」
「………本音を隠すつもりが無い事も分かったけども、ガルフォンと会えるなら了承する」
何この人、頼みごとをする態度以前の問題なんだけど。
本音がダダ漏れですけど、分かってますか?
さっきから、オレのイメージ崩しまくっている自覚は、果たして彼にあるんだろうか。
………いや、無いな。
明け透けというよりかは、隠し事が苦手なタイプなのだろう。
まぁ、それは良いや。
先程引っぺがされたガルフォンと、もう一度会えるというなら喜んで引き受ける。
と、堪え性も無く待ち切れずに立ち上がった矢先、
「ただし、」
前置きと共に、ダグラス氏は一言。
「こちらもそちらも、手綱をしっかり握っておくように、」
「………やっぱ、アンタ嫌い」
揶揄でもなんでも、酷くねぇ?
***
とか思っていたら、揶揄でもなんでもなかった件。
「これ、新手のプレイか何かですか?」
「ぷ、ぷれい…?
………遊びのつもりは無いのだが?」
そうだよね、本気なんだよね。
本来の用途で、しっかり使われているとしても、24歳の男に付けるにはハードルが高すぎるよ。
何を隠そう、オレの首には首輪がはまっている。
揶揄でも何でもない。
奴隷用だという首輪(※ただし、諸々の機能は封印状態)と、手綱で文字通り繋がれている状態である。
ちなみに、そのリードの先は、しっかりとローガンが握っている。
………だから、何のプレイかと…ッ!
『ぎ、ギンジ、ごめんね。
もしかして、その首輪、僕の所為……?』
ガルフォンは、相変わらず手綱を付けられた状態で、冒険者ギルドの裏手にある厩で寝そべっていた。
心無しか、しょんぼりしてしまっている。
そして、オレの首に掛けられた首輪を見て、更にしょんぼり。
可哀そうに。
「大丈夫、大丈夫。
お前の所為じゃないから、元気出して?」
『………本当?
だって、ギンジも、ちょっと悲しそうだけど、』
「悲しいんじゃなくて、恥ずかしいのね…」
可哀そうなのは、オレも一緒だとか笑えない。
マジで、羞恥プレイとしか思えない構図だからね、これ。
実際、貴族御用達の通りを歩いていると、たまにこうして繋がれた奴隷を見かけることはある。
だから、首輪もリードも使用用途としては間違っていない。
とはいえ、オレだって一応は『予言の騎士』だってこと、誰か気付いて?
「やはり、言っている事が分かっているようだな」
「………ああ、分かるよ。
こんなにはっきり話しているのに、分からないなんて、飼い主としてどうかと思うけど…?」
「………痛いところを突いてくるな…」
オレの事を要人だと何度も怒鳴り散らしていた本人へと、腹いせ混じりに皮肉をプレゼント。
したっけ、結構堪えたのか、眉を下げてこちらもしょんぼり。
………この人、本当にどこの路線狙ってんの?
閑話休題。
「恥ずかしいのは分かったから、とっとと終わらせろ」
というジャッキーの苦笑交じりの一言で、さっそく本題へと入る。
オレもガルフォンも、お互いに飼い主に手綱を引かれた状態で近寄れないまま、厩の中で向き合った。
「なぁ、ガルフォン。
ここ最近、元気がなかったって聞いたんだけど、本当なのか?」
『………うん、ちょっとね…』
「それは、ダドルアード王国に来る前に、『天龍族』と会ったから?」
『………そうなんだ。
凄く怖くて、それに、隊長とか呼ばれた奴が、僕の父さんよりもずっとずっと強かったみたいだった…』
どうやら、ダグラス氏の読みは当たっていたようだ。
元気がなかったのは、萎縮してしまっていたから。食欲が無かったのもおそらくその所為だろう。
「何を聞かれたのか、それは覚えているのか?」
『覚えてるよ?
確か、『異端の堕龍』っていうのを探してるって言ってた』
「………ッ、そうか」
………やはり、『天龍族』は『異端の堕龍』を探していたようだ。
ダグラス氏に説明した内容に虚偽は無かったようだが、それ以外はどうだろう?
「他には、何か聞かれたのか?
『異端の堕龍』の事で詳しい内容とか、彼等が漏らしていた小さな呟きなんかでも良いんだが、」
そのまま、続け様に質問を重ねると、ガルフォンは尻尾を丸めてしまう。
あれまぁ、思い出して怯えちゃった?
しかし、
『………なんか、名前みたいなもの、言ってた気がする。
『シュウホウ』とか、後、『アンナ』とか言っていたような、』
「…えっ?」
ガルフォンが発した次の言葉には、絶句した。
びくりと、体が戦慄く。
がくがくと、手指が震えるのを感じた。
ぶわり、と冷や汗が吹き出す。
喉が、干からびたかのように、張り付く。
「お、おい、どうした…?」
「ギンジ…?」
後ろで、ローガンとラピスが心配そうな声を発したが、正直聞こえてこない。
だって、それは、有り得ない。
その名前は、有り得ちゃいけない。
百歩譲って、『アンナ』という名前なら、覚えはある。
覚えがないとは言えない。
同名だと言うならそこまでながら、以前の飲み逃げ女の名前がアンナだったからだ。
だが、もう一つの名前は、何度も言うが有り得ちゃいけない。
『シュウホウ』という名前は、とある名前の音読みだ。
そして、その名前は、オレにとって馴染みがあるなんてものではない。
それは、間宮も同じだろう。
この名前は、既に伝説と言っても、過言ではないからだ。
『シュウホウ』と読む名前は、オレ達の中では一人の人物を表す。
普段は訓読みで呼ばれていたが、戦場ではその名の音読みである『シュウホウ』と呼ばれていた。
オレの、師匠だ。
「………嘘、だ」
崩れ落ちそうになる膝を、必死に堪える。
しかし、既に隠すことは出来ない。
体が震え、歯がカチカチと鳴らされて、誤魔化しきれない。
更に言うなら、心拍の変動で眼球の色素変異も起こっているだろう。
ガルフォンの手綱を握ったままの、ダグラス氏の目が見開かれたのが横目で見えた。
『………あの、ギンジ、大丈夫?
僕、何か悪いこと言っちゃった?』
ガルフォンは、そんなオレを見て目を丸める。
そして、おずおずと言った様子で、首を伸ばしてくれる。
だが、ダグラス氏が握る手綱に邪魔をされてしまったのか、その場で残念そうに眉根を寄せた(※様に見える)だけだった。
だが、
『あのね、何千年って長い間、逃げ続けているんだって…』
「………な、なんぜんねん…、えっ?」
そのまま、先程と同じくおずおずと言葉を重ねた彼。
目を伏せて、『可哀そうだよね…』と、悲痛そうな表情で二の句を告げる。
そんな彼の一言で、意識が現実へと引き戻された。
「………な、何千年って、それ、本当に『天龍族』が言ってたのか?」
『うん、そうだよ?
『シュウホウ』は裏切り者だって言っていたし、『アンナ』はそんな彼と共謀したって言ってた。
それで、かれこれ何千年もの間、逃げ続けてるみたいなこと、話してたよ?』
あれ………?
「………ち、がう…?」
もしかして、勘違い………?
呼吸が、戻って来た。
張り付いていた喉も、違和感を残しながらも強張りが解ける。
さっと、顔が青ざめながらも、震えが引いていく。
冷や汗が、顎を伝う感触がうざったい。
安堵した。
何千年なんて、途方もない時間だ。
そして、オレの師匠は、紛れも無く人間だった。
何千年という途方もない時間を生きられるような人種では無かっただろう。
出なければ、あんな惨たらしい死を迎えることも無かった筈なのだから。
だから、きっと、違う。
そう考えた瞬間に、心の底から安堵した。
………他人の空似とはまた違うが、名前の読み方が同じだっただけだろう。
その所為か、若干足下がおぼつかない。
ぐらり、と体がよろめいたけども、間宮とローガンが両側から支えてくれたので、倒れる事は無かった。
『ギンジ…!?』
「だ、大丈夫、大丈夫だから、」
そんなオレに、またしても近寄ろうとしたガルフォン。
手綱がピンと張って、見るからに痛々しい程首輪が食い込むのを見て、手を振った。
無茶はしなくて良い。
大丈夫。
だが、近寄れなかったことが悲しいのか、また彼はしょんぼりと、頭を垂れてしまう。
くそ…ッ!
この手綱さえなければ、撫で繰り回して慰めてやれるというのに。
そう考えられるだけの脳みそは、戻って来たようだ。
精神的余裕も、ガルフォンのおかげで復活した。
今日何度目になるのか分からないトラウマ発動も、なんとか踏みとどまることが出来たようだ。
なら、聞けるだけ聞いておこう。
ガルフォンも落ち込んでしまっているようだから、長引かせたくはない。
「………名前は、良い。
他に、何か言っていたか?」
『あとは、特に何も言ってなかったかな。
『シュウホウ』と『アンナ』の事を聞いたのも、2人の事を庇うつもりなら、引き裂くぞ!って脅すつもりだったみたいだし、』
「………脅されたのか?」
『うん、おっかない顔と、圧し潰されそうなぐらいの覇気まで出してた…。
おかげで、ずっと怖くて、おなかの調子も良くなかったんだ』
ああ、なるほど。
それは、具合も悪くなるわ。
だって、オレも1週間前ぐらいに、そんな風になっていた1人だもの。
そんなオレの事は、さておいて。
「分かったよ、ガルフォン。ありがとう」
おかげで、色々と分かった事がある。
『シュウホウ』の名前が同名なだけの他人だという事も、『アンナ』がどういう立ち位置なのかも分かった。
ガルフォンも怯えてしまっているようだし、これで質問は終わりだろう。
『………僕、ギンジの役に立った?』
ふとそこで、ガルフォンがゆらりと尻尾を揺らしながら顔を上げた。
あ、これは知ってる。
犬猫でも、馬でもそうなんだけど、褒めて欲しい時の合図。
しかも、これでもかってぐらい、撫で繰り回して欲しい時のものだ。
「勿論だよ、ガルフォン!」
『本当!?じゃあ、僕、またギンジになでなでして貰える!?』
勿論さ!と、手を広げ、彼へと駆け寄ろうとする。
ガルフォンも同じく、翼を大きく広げて駆け出す姿勢を取った。
感動の抱擁。
また、あのふわふっわの体毛に埋もれることが出来る。
その至福の瞬間だ。
しかし、
「ぐえっ!?」
『キュ~~~~~ッ』
「こら、お前は、また性懲りもなく!」
「ハウス!ハウスだ、ガルフォン!」
感動の抱擁は、無情にも達成できなかった。
お互いに、同時に上げた悲鳴。
斯く言うオレも首が苦しかった。
そして、オレ達の首に掛かったGと共に、怒声が轟く。
ローガンとダグラス氏の声だった。
………そういや、忘れていたっけね。
オレもガルフォンも、手綱付きだったよ………。
***
「うわぁあああん、嫁さんが至福の時を邪魔するよぉおお!」
『うえぇえええん!なんで、ダメなの!
なんで、ギンジになでなでしてもらうの、ダメなの~~!?』
冒険者ギルドの裏手で、悲痛な人間と竜の声が木霊する。
傍から聞いていれば、阿鼻叫喚と言った風だったようだが、当事者としては知ったこっちゃない。
………ある種、異様な光景だったと、後にヘンデルが語っていたが、アイツはいつか本気で殴ろう。
「(………結局、必要不可欠な装備だったようですね)」
「………精神感応で分かるのじゃが、お主もなかなか辛口じゃのぅ…」
なんて間宮とラピスの会話は、ローガンに手綱を引かれたオレには聞こえなかった。
最近目覚めた怪力具合で引きずる事ぐらいは出来るものの、正直首が締まっていたから酸欠だったんだ………。
ただ、間宮はきっと失礼なことを考えたのは分かった。
後で、ぼこぼこにしてくれる。
「………んで?
結局、ガルフォンはなんて言ってたんだ?」
「首輪を取ってくれたら、教えてやる!」
「………ガルフォンと戯れたくて必死だな」
「ぶほぉッ!…オレ、本気で、腹筋壊れる…!」
オレの必死な様子にジャッキーは始終呆れっぱなし。
ヘンデルはついに、笑いすぎによってマウントに沈んだが、そっちもそっちで知ったこっちゃねぇ。
「落ち着け、ガルフォン!
なんで、こんなにもギンジ殿に興奮しているんだ!?」
『だって、ギンジ良い匂いするんだもん!
僕の父さんと同じぐらい、強くて優しくて気持ち良い匂いがするんだもん!!』
「えぇい、何を言っているのか分からん!
頼むから落ち着いてくれ!」
そして、飼い主である邪魔者Aも、ガルフォンを抑えるのに必死だ。
心行くまでイチャイチャさせてくれれば、そんな労力も必要ないというのに………。
それはともかく、ガルフォン曰く良い匂いがするらしい。
どんな匂いかは正直分からなかったものの、それは嬉しい事を聞いたものだ。
あはは、心行くまで堪能して良いんだよ。
邪魔者さえ、いなければね。
「………オレ、結局、相手、してもらえなかった」
そんな中、ただ一人別の事を考えていたディルの一言。
騒がしいオレ達の喧騒の中、かき消されてしまって、こちらもオレの耳には入ってこなかった。
ただ、悪い事をしてしまった自覚はあるよ。
気付いたのは、校舎に戻ってからだったのだが………。
ーーーー結局のところ。
この日、オレがガルフォンと戯れる事が出来たかどうかは、当事者のみが知る。
まぁ、後日はたっぷり堪能したんだけども、ね。
それは、また別の話ってことで。
***
………以前話をいただいていた、リードを付けた24歳男の図。
地味に書いていた作者が楽し過ぎただけの話でした。
そして、飛竜に関しては、移動手段として用いられる動物としていずれ出没させるつもりでいました。
ただし、今回出て来たガルフォンくんは、ダグラス氏の所有という扱いになるので、残念ながらギンジくんとは結ばれないとかいう………。
書いてて大丈夫か?となんとなく思いながらも投稿。
エタるよりも、マシ。
そろそろ本編に戻りたいとか思いつつ、こうして閑話を増やしておきたいとか言う二律背反。
春休み編が長引きすぎておりますが、もう少しお付き合いくださいませ。
誤字脱字乱文等失礼いたします。




