閑話 「特別課外授業~魔術師と戦士の画策~」
2016年8月19日初投稿。
またしても少し遅くなってしまいましたが、続編を投稿させていただきます。
閑話扱いではありますが、本編とかなり密接に話を作ってしまったので、もうこれも本編の一部で良いかな、と思っています。
以前予告した通り、平均年齢200歳越えの御婆ちゃん達がメインの話。
***
天気も快晴で、空気も温かくなってきた2月初旬。
燦々と二つの太陽から降り注ぐ光の中、『異世界クラス』校舎の玄関先に、複数の影が立っていた。
そのどの人物も、簡易な旅装姿。
ウチ一人は、外套ともマントとも言える様相で、すっぽりとフードを被っている。
「さて、準備は出来たかや?」
『はーい!』
「大丈夫です!」
「はいよ」
「(こくこく)」
良く通る鈴の転がるような声に、賛同を返す各々の生徒達の答え。
よしよし、としたり顔で頷いている声の主は、先ほど言った通りフードを目深に被っているラピスだ。
彼女自身も、細い肩に掛けられた荷物をぱんぱんと叩いて、もう一度忘れ物が無いかを確認したと同時、
「では、私達も出掛けてくるとする。
くれぐれもお主は、今日一日安静に、というか大人しくしておれよ?」
「………言うに事欠いて………ッ」
そう言って、頭に氷嚢を乗せた状態でソファーにぐったりと横たわっている銀次に向かって振り返り、にんまりと笑みを見せた彼女。
対する銀次は、これ見よがしなラピスのその声音と態度に、歯を食いしばるのみである。
2月初旬の某日。
ここ最近の怒涛の忙しさから一転、春休みと称した休みを設けた『異世界クラス』。
しかし、その休みを設けた筈の銀次は、休み2日目の今日、突然の高熱でダウンしてしまった。
おそらく、ここ数日の無理が祟ったのだろう、とは常駐医師の見解。
それもそうだ。
ここ数日、彼のスケジュールは過密に過ぎた。
小うるさく囀っていた、王国貴族達の子息・子女の編入試験。
そして、その期間中の合間合間で消化していた、各方面との約束事。
冒険者ギルドのSランク冒険者各位との顔合わせ食事会や、編入試験に伴う男爵家2家との食事会。
ラピス達との、報酬と称した飲み会や、貴族家からの追求に備えた飲み会等もその一例だ。
また、秘密裏にではあるが、裏でこそこそと消化していた『聖王教会』への出向や、武器商人シュヴァルツ・ローランとの取引・交渉、魔術ギルドへの顔出し。
ついでに、女性関係でのいざこざの件。
これだけのスケジュールの所為か、ほとんど睡眠時間が無かったと言っても過言では無い。
まぁ、忙しさ以外での精神的な負荷による不眠であったのも事実ではあるのだが、それは余談としておこう。
そして、その過密スケジュールの終了に伴い、夜の生活がかなり盛んになった、という所為でもない事を追記しておく。
閑話休題。
そんな過密なスケジュールと度重なる問題発生。
その折に溜め込んでいた心労が、スケジュールの消化と共に休みに入ったという安堵から、とうとう本日にしてこうして表面化したようだ。
朝の段階で、真っ先に気付いたのはラピス。
実はここ数日、生徒達にはまだまだ内緒であるものの、寝所を共にしているのは彼女だ。
体を重ねていた青年の体温が異常に高い事に驚いて目覚め、次いで彼の喉が半分かさついて潰れている事にも、二度めの驚愕。
すぐに銀次の体調不良に気付き、そのまま療養を申し付けたのも彼女だった。
「熱はそう長引くことも無いじゃろうが、お主はしばらく安静じゃ。
それもこれも、今までの不摂生の賜物じゃから、文句も反論も聞けんがのう」
「………チッ、分かってらぁ」
ラピスのその一言に、言われた通り文句も反論も出来ずに黙り込んだ銀次。
ただ黙り込むのも癪だったのか、舌打ちだけを零したものの、それ以外は何も言えないのだから言い負かされたも同義であった。
ただ、やはり体調が悪いというのは本当なのか。
今回ばかりは、頭も回らず声を上げるのも億劫そうで、それ以外何も言う事は無くラピスを見送っていた。
ちなみに、気候にも恵まれた本日。
銀次を言い負かしたラピスは、冒険者ギルドへと出向する予定を立てていた。
それと言うのも、以前からSランク冒険者としての登録だけは再発行してあったが、例によって例の如く、銀次の時のようにジャッキーからの速達便で、依頼消化の旨を求める書面が届いていたのである。
それを受け取ったラピスは、これ幸いと準備に乗り出した。
彼女自身も、病気やブランクの所為もあって、冒険者としての力量が衰えている事は自覚していた頃。
久しぶりに勘を取り戻す、もしくはそれ相応のデモンストレーションと考えて、即座に動き始めたようだ。
ついでに、依頼だけを物色する為の下見も行った上で、本日は既にその依頼に向けた出発も兼ねている。
用意周到な事だ、とどこかの誰かさんが思ったほどの迅速さだった。
元々、Sランク冒険者であった事から、こうした準備は手慣れたものだったのもあっただろう。
そして、そのついでとばかりに、
「じゃあ、先生!ラピスさんの言う通り、大人しくしてるんだよ?」
「お土産はたっぷり語って聞かせてやるじゃん!」
「大人しく待ってたら、物理的にもお土産してあげるよ?」
「はははっ。ラピスさんも間宮もいるし、キャンプみたいなもんだよね」
「(ご静養を願います)」
強制的な留守番と相成った銀次を、励ましたり諭すような口調でそう言った、ラピスと同じく旅装姿の生徒達。
今回は、生徒達も彼女の依頼へと同行する。
生徒の一人の言う通り、まるでキャンプにでも赴くような風体の少年少女達。
バックパックをラピス同様、ぱんぱんにした伊野田、ソフィア、エマ、榊原、間宮の5人。
中でも、榊原と間宮は、テントや寝袋用の荷物も担いでいる為、女子達よりも大荷物となっていた。
間宮など、荷物に埋もれてしまいそうな有様であるが、
「(これも、修行の一環となりますので、)」
と、意に介した様子が無いのは、師匠としては褒めるべきか呆れるべきか判断に迷った。
何の事は無い。
彼女達は、既に冒険者ランクとしては、SからBランクという高位ランクにいる。
その為、冒険者ギルドとしては、少しでも貢献して欲しい人材に他ならない。
ただし、問題が一つ。
生徒達自身が既に高位ランクという事で、ノルマ消化に関しても比例して高位レベルとなっている。
だが、生徒達単体では、基本的に冒険者ギルドの依頼消化は出来ない。
それを、担任教師である銀次が、許していないというのが要因の一つで、残りは生徒達の経験不足だ。
以前の期末試験は、特例中の特例だった訳で。
しかし、これがラピスの知っていた唯一の抜け穴で、生徒達単体での依頼消化ではない方法でノルマ整理が可能だった。
Sランク、またはそれに見合ったAランク引率者の下、A以上の高位ランク依頼に同行する事でノルマが整理出来るのである。
以前、生徒達のみで冒険者ギルドの依頼を受けた時も、同じような形でAランク冒険者パーティーのレト達と共に依頼を受けた。
それと同様に、Sランクであるラピスと間宮の依頼に、同行するという形を取るのである。
そして、これは既にラピスが、ジャッキーに通達した上で許可も取り付けていた決定事項。
これまた用意周到なこった、と呆れてしまった何処かの誰かさんだったが、ジャッキーまでもが頷いてしまったのであれば、今更意義を唱えられる訳も無く。
「どの道、そうそう動いてらんないし、大人しくしてるよ。
語って貰うのは思い出話とついでに失敗談でも頼もうか。
榊原は、楽観的過ぎるから帰ってきてから〆る。
………間宮は心配せんでも動き回らんから、ラピスと生徒達の事任せたぞ」
仕方なく、生徒達の激励や正論につらつらと律儀に介してから、不貞腐れたようにしてソファーへと丸まった。
と言う訳で、今回はこの5人がラピスの依頼に同行する次第。
だが、今回ラピスに同行するのは、この5人だけ。
残りの7人の生徒達はどうするのか、と言えば、
「じゃあ、こっちも準備は万端ね?」
『はいっ』
「忘れ物は無いな、シャル?」
「な、何度も聞かなくても、大丈夫よ!」
「うふふ。ライド様は、心配性でいらっしゃいますから、」
こちらもこちらで、旅装姿のアメジスが、確認の音頭を取った。
それに合わせて返答する生徒達は、全員が男子生徒、と少々むさくるしい。
ただ、横合いで確認をしているライドと共に、そんな彼へと反論したシャル。
オリビアは今回、別件に出向予定となっているが、そんな叔父と姪のやり取りに苦笑を零している。
こちらはこちらでAランクパーティーとして冒険者の依頼をこなしてくるようだ。
先程のラピスと同じ要領で、引率者がAランク冒険者で闇小神族のライドとアメジス。
浅沼、香神、河南、紀乃、徳川、永曽根、と言った男子と、シャルが同行する。
余談ではあるが、車椅子の生活を余儀なくされている紀乃は、移動の際には永曽根に背負われる事となっている。
永曽根は既にAランク冒険者としてソロの活動程度であれば可能な力量もあって、今回は戦闘要員としてではなく紀乃の足だ。
そして、紀乃はといえば、兄である河南同様、既に魔法の実力で言えばこの『異世界クラス』の中ではトップクラス。
背負われたままであっても、十分に実力を発揮出来るだろう事は、ラピスのお墨付きも相俟って、もはや疑うべくは無いだろう。
彼も彼で、実戦経験に関しては河南同様に不足している。
なので、その点を今回の依頼への同行でカバー、もしくは大幅なスキルアップを図ろうと画策しての事だった。
ちなみに、この面子の中で、唯一シャルは冒険者登録をしていない。
だが、こうして上位ランクの冒険者が引率と言う形であれば例え冒険者登録をしていなくても同行者扱いとして、特例で許可される。
その分、経験不足や実技試験も兼ねて、彼等と行動を共にするのだ。
ただ、このシャルの同行には、銀次にとって一つの懸念材料があった。
最初の依頼消化の話が持ち上がった時。
実を言えば、シャルは母親であるラピスとの面々と同行する予定だったのだ。
しかし、それが当日となる今日の朝に、突然こちらへと同行すると表明した。
これには、流石の母親も唖然呆然で、銀次も熱に浮かされた思考の中で驚いていたのを覚えている。
いきなり、どうしたというのか。
しかし、それは、残念ながら、なんとなく銀次もラピスも思い至ってしまう節がある。
その為、問い質すことは出来なかった。
要は、夜の生活に関して、一部の生徒達だけでは無くシャルにまで勘付かれた可能性がある、という事である。
いささか、顕著過ぎたのは否定が出来ない。
いくら防音を施したところで、朝方になって戻ってくる気だるげな母親を見れば嫌でも勘付くだろう。
夜中に部屋に出入りしていた事もあって、その場面を目撃された可能性も十分ある。
そして、今回の件に関しては、流石に銀次もラピスもどう説明するべきか、攻めあぐねてしまっていた。
その為、彼女が表明した別動隊での行動も、お咎め無しだ。
一応のフォローを申し訳程度にライドやアメジスにお願いしてはいるが、彼等も彼等で大の大人が揃って眉尻を下げている様には呆れ気味だった。
期待は出来ない、と思っておいた方が良いのかもしれない。
まぁ、またしても銀次を原因とした親子喧嘩の勃発はさておき、
「では、悪いがギンジの事は、お主に任せたからな?」
「ああ、分かっている。
私の目が黒い内には、コイツが校舎から抜け出す事が無いように見張っておくさ、」
「………たかが、体調不良程度で、大袈裟な…」
銀次の言う通り、大袈裟ではあるが、ありそうで怖いという予想を阻止する為の戦闘要員、ローガンが校舎に残る事になる。
おかげで、銀次は既に居心地が悪そうな風情だ。
睨みを利かされているのも要因の一つではあるが、最もな理由は気まずいというものだろう。
なにせ、彼女とは一度、過密スケジュールの期間中に問題を起こしている。
勿論、その問題も解決、というよりは飲み逃げ女の事や、シュヴァルツ・ローランとの確執で、それどころでも無くなった為有耶無耶になったという経緯もある。
しかし、やはり終息したとは言えない状況での、まさかの2人きり。
気まずくもなろう。
頼みの綱である妹のアンジェも、薬師としてのボランティア業務として『聖王教会』に出向する事になっている。
この出向に関しては、実は彼女たっての希望であった。
現在のダドルアード王国で、治療が行えるのは医療院か『聖王教会』だけ。
兼ねてより、薬師としての勉強の為に外へ出ることを目標にしていたアンジェは、姉の旅に同行した事でこのダドルアード王国にやってきた。
そして、その勉強の場所として選んだのが、『聖王教会』だった。
医療院は、そのすべてが人間達の経営するものだったが、彼女は女蛮勇族であり、つまるところは魔族。
種族が判明してしまった場合の追求が、悪い意味で予想出来ない。
その為、まだ比較的種族への反感が少ない『聖王教会』を選んだ、という次第である。
ついでに、『聖王教会』にはボミット病の試薬試験中のミアがいるから、そちらの治療経過の診断も兼ねて、という事になっている。
まぁ、良くも悪くも働き者の姉妹、という事で。
「では、私も行ってまいりますので、」
「ああ、行っておいで。
もし何かあれば呼ぶし、羽を伸ばしてくると良い」
「ご配慮、ありがとうございますわ」
そんなアンジェと共に『聖王教会』に出向するオリビア。
実家帰り、と言うべきか。
勿論、良い意味での実家帰りなので、別に銀次との間に問題があった訳では無い。
要は、アンジェが出向する為の、『聖王教会』への繋ぎ役としての抜擢である。
と言う訳で、
「では、行ってくる」
『行ってきまーす』
「(………ゆっくりと休んでいてくださいませ)」
まず、ラピス一行が、最初に玄関先から出て行った。
向かうは冒険者ギルドという事で、ライドやアメジス達と方向は同じだ。
「では、任された」
「うん!ちゃんと帰りも無事に送り届けてあげる」
『行ってきます!』
「………大人しくしてなさいよ」
「………はいはい」
それに続いて、ライドとアメジスの一行が、出立した。
シャルはご丁寧にも、銀次へと再三の念押しをしてから、玄関先から出て行く。
言い逃げだ。
苦笑を零しつつ、銀次も見送った。
「では、私達も、」
「ええ。参りましょう。
銀次様、行って参りますわ」
「はい、行ってらっしゃい」
「行ってこい。頑張るんだぞ?」
そして、最後にアンジェとオリビアが、『聖王教会』へと出立した。
総勢、17人が続々と校舎から出立すれば、後に残るのは何とも言えない寂寥感。
残されたのは、玄関先で護衛の為に立っている騎士団と、校舎の中で残された銀次とローガンの2人だけ、となる訳で。
「………なんだか、一気に静かになったな」
「休むには、丁度良いと思うがな、」
「………あー、はいはい。
言われた通り、大人しく休む事に致します」
なんとも言えない微妙な雰囲気だけが残される。
そんな中で、しっかりとしたローガンからの釘刺しに、苦虫を噛み潰したような顔をして答えた銀次。
口元が尖っているのは、もはやご愛敬と言うべきか。
こうして、春休み2日目となった本日。
強制的な休養を余儀なくされた担任教師と、護衛兼居候の微妙な一日が始まった。
***
話は少し、遡る。
それは、『異世界クラス』の面々が、校舎を出立するよりも、前。
更に言えば、銀次の消化していたスケジュールのほとんどが終了するよりも、編入試験が一段落するよりも前。
編入試験が始まった、その次の日の事だった。
約、2週間は前の事である。
―――この時間は必要なものなのだろうか。
2人きりとされた空間の中、2人の女はそう考えていた。
どちらも、酒のグラスを手に、頬杖をついている。
向かい合った席で、お互いに少々どころでは無い気まずさを感じながら、酒とつまみを消費するだけの時間。
この時間は、本当に必要なものなのか。
この席をセッティングした要因の意図を図りかね、魔術師と戦士は細々と溜息を吐いた。
片や、森子神族のラピス。
未亡人、子持ち、Sランク冒険者、付いた二つ名は『太古の魔女』。
ついでに、現在は『異世界クラス』校舎の医務員にして、医療開発部門責任者。
『ボミット病』を発病しながらも、その死病の研究も行っている。
片や、女蛮勇族のローガン。
未婚、処女、Sランク冒険者で、付いた二つ名が『紅蓮の槍葬者』。
ついでに現在は、『異世界クラス』の居候にして、『ボミット病』の特効薬を持ち込んだ功労者。
死病の研究に尽力している妹の傍ら、護衛や手伝いなどの用務員としても働いている。
共通項が、Sランク冒険者という事しかない女性陣2人。
魔術師と戦士。
文字通り、立場や役回りが完全に間逆の2人である。
そんな2人が何故こうして、顔を突き合わせているのか。
そもそもの発端は、この席にはいないもう一人のSランク冒険者が原因だ。
その名も、銀次・黒鋼。
未婚、特定の相手も無し、Sランク冒険者。
『予言の騎士』にして、『異世界クラス』担当教諭、技術開発部門責任者。
ラピスと同じく『ボミット病』を発症しながら、治療と研究を並行して行っている。
この魔術師と戦士の2人が居候している、『異世界クラス』の大黒柱。
ここに、彼女達2人を呼び出した張本人が、銀次だ。
曰く、彼女達の雰囲気を、見兼ねているのだという。
お互いがお互い、ファーストコンタクトがよろしくなかった。
早とちりから、ローガンは銀次を攻撃した。
それこそ、半死半生とそう変わらない傷をつけた事は、本人にとっても彼女にとっても心の傷となっていた。
そして、その傷を負った瞬間は、ラピスも見ていた。
むしろ、彼女達を守る為に、銀次が負傷したと同義な状況だった。
ラピス自身にも、心の傷となった事件だった。
今にして思えば、あの時は仕方なかった。
状況証拠や、彼女自身の妹が行方不明となっていたのだから、冷静に対処しろという事の方が無理のように思えた。
だが、その事件が結局のところ、彼女達2人の間に溝を作った。
その時のわだかまりが、未だに解消されていないまま、ここ数日ずるずると同居を続けている。
そんな微妙な2人の関係が、やはり銀次からしてみれば気になったようで。
そして、そんな銀次のここ最近の雰囲気を、見兼ねていたのは女性陣2人も一緒だったようで。
ここにはいない、更にもう一人の原因となった青二才の騎士団長こと、ゲイルとの関係である。
何があったのかは、昨夜のうちに聞かされた。
とはいえ、それでも、彼等の仲違いをするような理由は、そもそものお互いの秘匿癖が原因だ、と揃って批判。
銀次もそれ相応の秘匿はあったからだ。
だからこそ、仲違いを解消しろ、と詰ったのが昨夜。
だが、それと引き換えに提示された条件が、これだ。
ラピスとローガン。
この2人のわだかまりも、彼にとっても懸念材料となっていた。
と言う訳で、こうして歩み寄りと言う名の飲み会がセッティングされた訳だ。
その当の本人は不在だが、時間指定の上でセッティングされ、更には既に足を運んでしまった。
後は、嵩を括るほかない、とお互いに考えている。
だからこそ、その気になれば逃げられたものを。
こうして、お互いがお互いに微妙な雰囲気のままだとしても、顔を突き合わせているのだから。
ぽりぽりと、炒り付けられた豆を咀嚼する音が響く室内。
完全な個室制の店は、周りに気兼ねが無い分室内の空気が悪化すると途端に、居心地の悪い空間となる。
微妙な雰囲気の中、先に耐え兼ねた方が口を開くことになった。
「なんぞ、この店の料理も、校舎の物とはやはり違うのう」
「………そうだな。私は、ハヤトの作ってくれた炒り豆の方が好きだ」
「そうそう。私もあれは、好きじゃ。
『かしゅーなっつ』と言っておったが、あの絶妙な塩加減がたまらぬ」
ただ、話題はやはり、料理。
以前のSランク冒険者が集った主要会議でも、会話の発端は料理だった。
そう言えば、と思い出して苦笑を零すラピス。
そんな彼女の苦笑を見てか、ローガンも少々強張っていた肩の力を抜いた。
ついでに、固く噤まれて口元も、少しだけ緩んだ。
「………昨夜は、済まなかった。
少々、酒の力も借りて、気が大きくなっていたようだ、」
「………そ、それは気にしなしゃんせ。
私も変に棘のある言い方で返してしまった事もあるし、お互い様じゃろ?」
話のきっかけが出来てからの、謝罪。
銀次を含めた昨夜の飲み会では、その雰囲気のままだった。
だから、お互いがお互いの事を知らないまま、刺々しい言葉の応酬を少なからず行ってしまった。
それは、既に成人を済ませているお互いにとって、恥ずべきことだ。
そう思って、ローガンも謝罪をした。
それを受けて、ラピスも同じ気持ちのまま、許し、互いに非があったことを認めて、こちらも謝罪。
これにて、昨夜のわだかまりは解消されたように思えた。
「………ただ、そ、その、出来れば、先に聞いておきたい」
「な、なんぞ?」
「………ギンジも言っていたが、過去に何かがあったのだろう?
知らずとはいえ踏み込んでしまって申し訳ないとは思うが、知らないからこそ何がいけないのか、分からなかったこともあるのだ…」
「………ああ、そういうことか。
当然にして、然もありじゃのう…」
ローガンは、良くも悪くも、真面目だった。
だから、昨夜の飲み会の時に、銀次から、あるいはラピスから窘められた言葉の数々を思い出し、その中で疑問や納得が出来ていないものに関して、答えを求めていた。
それを見て、ラピスは苦笑交じりに、酒のグラスを煽った。
「何、馬鹿な女の半生が、人よりも違うというだけの話じゃ…」
「………聞いてはいけないものか?」
「………いや?隠し立てする事のものでもない、」
そう言って、手酌をしようとしたラピス。
その手をローガンが取り、酌の為に酒のボトルを傾けた。
「私も、出来る限りの事は、話しておきたい」
「………そうさのう。
ならば、お互いに、過去の話をまずしていくことにしようか、」
「ああ」
そう言って、ラピスが今度はボトルを取った。
ボトルの口を向けた先は、ローガンの手元のグラスで、お互いが酌を返した形で、
「さて、どちらから話そうか?」
「………私から行こう。おそらく、私の方が昔話は短いだろうから、」
ローガンは、そう言ってグラスを煽った。
からり、とグラスの中の氷が、彼女の口端から上向きに生えた牙に当たる。
「………それは、私を年寄り扱いしておるからかのう?」
「………むしろ、年で言うなら、私の方が上だと思うが?」
「………。」
「………。」
話の出鼻を挫かれた。
まぁ、ラピスも悪いが、今のはローガンの言い回しも悪かった。
お互いに無言になったと同時、苦笑と共に昔語りを開始した。
***
ローガンディア・ハルバート。
彼女は、どちらかと言えばこちらの世界の王族で考えれば姫君と大差が無い。
母は、女蛮勇族の狩猟部隊隊長。
祖母は、女蛮勇族の里の、族長である。
女蛮勇族は、総じて主家の血を重視し、族長を王とした縦社会となっている。
一族代々で、十字を模したハルバートを宝刀とし、扱いを許されるのもハルバートだけだ。
髪の色や、眼の色も脈々と守られてきている、純然たる赤。
その髪や眼の色が、一種の立場の表れだと言っても過言では無い、というのが本人の談だ。
その為、彼女の立場とすれば、姫。
もしくは、王孫女だろう。
その風貌からは考えられないものの、女蛮勇族の里では彼女を姫や、次期族長候補として、憧憬や畏敬の念を覚え見守る戦士達が待っている。
そのほとんどが女性であった。
ただ、彼女は父を知らない。
女蛮勇族はよほどの事が無ければ、子どもを妊娠した後にすぐに里へ戻るからだ。
その際に、『暗黒大陸』密林の真っ只中に、付いて来られる相手ならば同行も許可される。
ただし、その同行が認められない人物との間に身ごもった時は、その場で別れるという風習があるが為に、彼女は父を知らないのだ。
ちなみに、妹が1人。
妹も、同様に父を知らない。
血は一緒だという事なので、おそらく同一人物との間に身ごもった子だと思っている。
通いで子作りをしたという事だが、そんな母の行動力にローガンは素直に畏敬の念を抱く。
自分自身には、出来そうにないと考えてしまったからだ。
彼女自身、未だに男に体を許したことはない。
………その話をした時に、ラピスが炒り豆を喉に痞えさせていた。
まぁ、突然そんな話をされて、驚くのも無理はないだろう。
多少、気を許したからと言って、そこまで親しい間柄でも無い。
そもそも、親しい間柄の人間でも、話題にすることはほとんどないと言っても過言では無いだろうが。
「………正直、もう私も薹が立つ。
この際妥協が出来ないと考えてもいるし、子どもだけでも作って里に帰ろうかとも考えているが、」
「そ、それは、一族的には大丈夫なのか?」
「問題ない。母上も、それで私と妹達を生んでいるのだから、」
そこで、ラピスがきょとり、と目を瞬かせた。
そんな彼女の表情を見て、今度はローガンが炒り豆を喉に痞させる番となったようだ。
260を数える森子神族であっても、表情はまるで幼子のようだったらしい。
………銀次が惹かれているのは、ローガンにも分かる気がした。
話は逸れたが、
「………なんぞ、妹は一人だけではないのかや?」
「ああ。アンジェ以外にも、里に戻れば3人ほど妹がいるな」
「………つまり、お主は5人姉妹の長女という事か」
「そうだな。今現在、放浪の旅を許されているのは私と、特例でアンジェだけだ。
だから、滅多に里から出てくる事は無いだろうが、」
そう言って、苦笑を零して、酒のグラスを煽ったローガン。
喉に残っていたいがらっぽさを、臓腑の奥深くへと流し込みがてら、少々脱線した話を軌道に戻した。
女蛮勇族は、男が自然と生まれてこない種族となっている。
原因は分からない。
言い伝えでは、強さを極めた結果、男神を狩り殺してしまった呪い、という事だったが、ローガン自身は信じていなかった。
男神が狩り殺される程の力は、女蛮勇族には無い、と分かっての事だ。
ただし、男が全く生まれないという事では無い。
時たま、男系の種族との間に、生まれることがあるのは周知だ。
その男の子どもたちに関しては、特に女蛮勇族では迫害も偏見も無い。
いくら女だけの種族だからといって、異性を排除している訳では無いからだ。
捨てたりもされなければ、ましてや迫害もされない。
普通の狩猟部隊には組み込まれないものの、才能さえ恵まれているのであれば戦士としても育てられる。
ただ、男神の呪いという風習のおかげで、特殊な環境で育つことを余儀なくされる。
成人するまで、女子として育てられるのだ。
男神の呪いで成人するまでは病気や呪いで、早死にする可能性があるとのことで。
その為、女装した少年達が女蛮勇族には多い。
傍から見れば、結局は女だけの種族のように見えるだろう。
………男の娘が、自然に発生しているという事でもあるが、それは余談としておこう。
まぁ、これまた少し話が逸れたが、稀にしか男が生まれない為に生じてくる弊害。
それが、子孫を残すことが出来ない、という事だった。
だが、先程の放浪の旅、と言われていた通り。
彼女達、女蛮勇族の里には、とある風習がある。
それが、見聞を広めるための旅なのである。
先祖代々、この女蛮勇族に伝わっている方法だ。
まず、女蛮勇族では、1年に一度、里を挙げた催しが行われている。
それが、武闘大会。
以前、銀次が冒険者ギルドの催しとして発案したそれを、彼女達種族も1年に一度だけ開催している。
その年、最も強い戦士を選出する為だ。
そして、その武闘大会で優勝した者は、里にも族長にも認められた戦士とされる。
過去、ローガンも同じように優勝した。
そして、里にも族長にも認められて、この時初めて戦士として名乗る事が許されたのだ。
戦士に認められた者は、その際に一族に代々伝わる装飾や家宝、『インヒ薬』を渡される。
すべてが、褒章と、本人の名誉となるのである。
そして、戦士として認められた後、強制的な旅に出される。
50年の目途で、戻ってくる事が許される過酷な武者修行の旅だ。
ちなみに、婿探しを兼ねているというのは、もはやお約束だ。
実際、武者修行と婿探しを兼ねたこの放浪の旅は、一律の効果は齎している。
その過程で、ローガンや妹達が生まれたのだから。
「それは、聞いた事があるのう。
………確か、以前『竜王諸国』のギルドで、見たことがあったが、」
「ああ。女蛮勇族自体は、1年に一度必ず一人は里から出てくるからな。
過去、300年の中で、私も他の里の同胞や里の仲間達と何度か顔を合わせることもあった」
と言う訳で、意外と女蛮勇族は、メジャーな種族ともなっている。
その分、他の種族にも女蛮勇族の旅が、婿探しを兼ねている事は周知の事実となっていた。
なので、人間領に出ている魔族達としても、人気は高い。
その美貌がやや男寄りではあっても、なかなかの美形揃いであることも周知。
その上、種族や年齢を問わず子作りを、任意やとある条件の下行わせてくれるとなれば、自然と男が多く人間との間に子どもを望まない種族には、それこそ女神のように崇められている種族だった。
ただし、そのとある条件というのが問題で、彼女自身はそう言った浮いた話が無いのだが。
これもまた、余談としておこう。
閑話休題。
彼女自身は、300年以上、人間領を旅しているが、先程話した通り50年を目途として里に戻る者が大半だ。
子どもが出来る例外以外は、見聞広めや武者修行。
その為、50年で満足して帰っていく戦士達がほとんどで、ローガンのように300年以上も放浪している方が珍しいのだ。
まぁ、それも先程のとある条件が、ネックとなっているのだが。
………余談としよう。
彼女が行き遅れであることは、彼女自身が良く分かっているのだから。
***
「女蛮勇族としての風習は、これぐらいだろうか」
そう言って、ひとまず話を区切った彼女。
多少喋り疲れたのか、酒のグラスをやや乱暴に煽って空にしたローガン。
ラピスが酌の手を出した。
それと同時に、口を開く。
「聞いた事はあったが、なかなか粋な種族であるのう。
少々、排他的に過ぎる森子神族や闇小神族とは大違いじゃ」
「………それは仕方ないと思う。
私からしてみても、森子神族達は、かなりの美形揃いだ。
人間からしてみれば、まさしく喉から手が出る程欲しい程の種族だろうな…」
苦笑を零して、ラピスへとウインクをして見せたローガン。
そのウインクを見て、同じようにして苦笑を零したラピスは、自他共に認める美貌に関してはもう言われ慣れている所為か、辟易としてしまうのはいつも通りだった。
女蛮勇族は、言うなれば魔族達からの人気が高い。
先程も言った通り、子作りも任意か条件を満たせば可能であることから、自然と嫁候補の種族として人気が高まる。
それに対して、森子神族は、むしろ魔族よりも人間からの人気が高い。
言うまでも無く、その美貌の所為だ。
その所為で、過去人間領で不幸に見舞われてきたのが、森子神族という種族であった。
見た目が華やかであるのは当たり前。
始祖の代から、脈々と血を受け継いでいるからこそのその美しさは、人間や種族、男女問わずに魅了する。
その最たる禍根が、人間達による森子神族の乱獲。
奴隷や娼婦、もしくは人間の貴族達に囲われて、無理矢理に服従をさせられた。
その過程で、寿命を全うすることなく早世した同胞も多い。
だからこそ、種族を隠して生活することを余儀なくされる。
彼女達は、そうした危険な立ち位置にいる。
だから、ローガンの言い分は、ある意味禁句のようなものだった。
しまった、と顔を青ざめさせたローガンだったが、
「いや、気にするな。
確かに、美醜の話云々は、少々口が重くなる話題ではあるが、今はそこまで私等も気にしておらぬから、」
「………銀次達か」
「ああ。あ奴等は、種族など関係なく、私等家族を受け入れてくれておるからな、」
ラピスは、一つ首を振ったと同時に、微笑みを浮かべた。
ローガンは未だに見たことの無いような、穏やかな母としての微笑みだった。
思わず、同じ同性にも関わらず、見惚れてしまったローガン。
口元に運ぼうとしていた炒り豆が落ちた。
その炒り豆の行方を目線で追ったラピスが、これまた苦笑を零す。
彼女としては、ローガンのような同性の反応も、実は慣れっこだったりした。
「私としては、今までの生よりも、ここ最近が充足していると感じおる。
………悪いことが起こる前兆やもしれんが、」
「え、縁起でもない事を言うな」
「ほほほっ。言葉の綾じゃ。
それもこれも、この『異世界クラス』で厄介になってからの事じゃ」
そう言って、彼女もまたグラスを空にした。
ローガンが今度は手酌を返し、ついでに溶けて消えかけの氷をアイスペールから補充した矢先、
「………私も、お主と同じ、冒険者として100年を過ごした。
だから、お主が今まで歩んできた過去は、多少なりとも理解出来ておる」
「………ああ、そうか」
ラピスの唐突の言葉に、彼女はふと気付いた。
彼女も、冒険者だった頃があったという話のニュアンスで、それ以外は不透明という事に。
きっと、話し辛い事があるのだろう。
そう思って、彼女自身は口を閉じることにした。
「じゃが、私とお主の道順が同じとは思わぬ。
私は魔術師として、お主は戦士として歩んできた道であるからして、おそらく感じることもまた違った事じゃろう?」
「………そうだろうな」
「………差支えが無ければ、聞かせてくれぬかの?
私も、既に100年のブランクがあって、冒険者稼業からは遠のいておるでな」
「ああ。私如きの話で良ければ、」
会話の内容は、彼女の冒険者としての活動に、シフトした。
まだまだ、酒宴は始まったばかり。
酒のグラスをまた一つ空にしてから、ローガンが話し始める。
それを聞く、ラピスもまた酒が進むに任せて、若干わくわくとしながら耳を傾けた。
***
まず、彼女が初めて冒険者となったのは、約280年前。
旅に出てから、すぐの事。
登録をしたのは、今は既に無い西の街、ソドムランドだった。
今現在最西端の国となっている、マグタの街の前身である。
当時のソドムランドは、北方領とは違って魔族の排斥運動もそれほどでは無かった。
ダドルアード王国と似たようなもので、入国審査や冒険者登録、住居の申請等も身分や出自さえはっきりと出来れば、多少の金品で簡単に出来るようになっていた。
ただ、女蛮勇族の里から出たばかりの当時のローガンには、まず何をするべきか分かっていなかった。
里での教養は、一度旅に出た事のある先達から聞いていたので、かろうじて金品が入用だという事は知っていた。
しかし、どうすればその金品が手に入るのかは、手探りの状態だった。
その為、最初は四苦八苦。
人間では無く魔族を中心に、聞き込みをした。
そこで、やっと冒険者ギルドの存在を知り、そこで登録し、更に依頼をこなすことで金品が手に入ると分かった。
その時だった。
運よく、大型の魔獣の討伐依頼があったのは。
彼女が冒険者ギルドへとやって来た時には、クラスを問わず、冒険者がかき集められていた。
まさか、彼女自身も冒険者登録してからの最初の依頼が、このような大型魔獣の討伐だとは思っていなかった事だろう。
冒険者ギルドでの登録は簡単に済まされた。
本来なら、登録料がかかるところではあったが、それも無かった。
冒険者ギルドとしては、猫の手でも借りたい現状があったからだ。
大型魔獣の討伐が無事に完了しなければ、街にも被害が及ぶ。
最悪、冒険者ギルド自体の存続も危うくなるという事で、そう言った登録料等の手間は全て省いて、登録者を募ったのが、彼女にとっては功を奏した。
そこで、彼女は自身の現在のランクを、知った。
Aランク。
それが、彼女の初めての冒険者登録した際の、ランクだった。
おかげで、冒険者ギルドは沸き立った。
登録一発目で、Aランクを叩き出すような猛者は、人間は疎か、魔族でも久しく見られなかったからだった。
しかし、彼女は反対に愕然としてしまった。
女蛮勇族の戦士として認められ、里の外への旅を許された身の上である自分。
次期族長候補という事も手伝って、彼女自身はその力量が唯一無二のものでなければならないと思っていた。
だというのに、自分はランクで言えば、2番目なのだ、と。
Sランクから最低ラインのEランクまである中で、自分は2番目のAランクで、まだまだ高みには程遠い。
初めて、この世界での力量を知らされた気がした。
井の中の蛙、大海を知らず。
この諺の通り、残念ながらローガンは知らなかったのだ。
世界が広いという事を。
この世界には、自分以上の猛者がゴロゴロとしている事を。
だからこそ、彼女は落胆した。
大型魔獣の討伐だって、どうでも良かった。
自分が思い上がっていたのだと、眼に見える形になってしまって自暴自棄になってしまったのだ。
ただし、彼女はそれでも、大型魔獣の討伐はきっちりと参加した。
金品がもらえるのであれば、今後の生活の為にはそれに越した事は無い。
生き残る事等一つも考えず、また死ぬことも考えの埒外だ。
かき集められた冒険者達が、命の危険すらも感じて緊張感を高める一方で彼女は落胆したままだった。
こうなったら、武者修行の旅の本懐の下、強くなってやると。
落胆の後、確固たる決意を固められたのは、彼女にとって僥倖だった事だろう。
そして、彼女は冒険者登録わずか数日にして、大型魔獣の討伐を成功させてしまった。
更に言えば、ほぼ単騎と言える功績を引っ提げて。
実を言うならば、人間領では並外れた大型で、魔物では無く魔獣と称されるものも、『暗黒大陸』では当然のように生息している。
その討伐どころか狩猟程度、彼女は何度も経験して来た。
だからこそ、今回の大型魔獣の討伐も、簡単な狩猟程度にしか考えていなかったのもある。
おかげで、かき集められた冒険者達は無駄骨も良い所だ。
ほぼ、単騎で突撃した彼女は、あっという間に魔獣の四肢を、自慢であり家宝でもあるハルバートで潰してやった。
かと思えば、四肢を潰されて倒れ込んだ魔獣の脳天へとハルバートを叩きこんでやった。
他の冒険者の中でも、剛の者や、魔族達は同じように参加したものの。
結局、決定打となったのはローガンの四肢を潰した功績と脳天の一撃。
準備に数日を擁し、念には念を入れた討伐作戦。
それも、良くも悪くもローガンの活躍のおかげか、たった数分で完了してしまったのだ。
その時の冒険者ギルドの責任者は、恐怖心やら色々な呵責が合わさって泡すら吹いていたらしい。
***
「ほほほっ!お主も、また規格外な事をしよるのう!」
「………若かったんだ、」
その時の状況を聞いて、ラピスも大笑いだ。
実は彼女自身も、冒険者登録して1発でSランクである猛者であったが、やはりこうした戦士達の冒険譚、英雄譚を聞くのは好きらしい。
もう一人の規格外、銀次の話を生徒達から聞くのも、実は彼女の楽しみの一つだと余談としておこう。
ゴーレム討伐の一件は、既にシャルの記憶を覗いて知っている。
その記憶と照らし合わせて娘から聞く話も、彼女は好きだというのも余談だ。
閑話休題。
冒険者登録わずか数日での快挙は、彼女にとっては大した功績でも何でもなかったらしい。
その時に付いた『紅蓮の槍葬者』の異名も、当時の彼女からしてみれば当たり前の事だと思い込んでいた節もあったようだ。
同じく冒険者としての『太古の魔女』の異名を取るラピスも、流石にこれには少々呆れの混じった溜息を吐く。
「………本に、若かったよなぁ」
「ああ………若かった」
お互いに、そう言った過去がある、と言うのはやはり酒の肴にはなるものだ。
ラピスも同じように冒険者として活動して来た事もある手前、彼女から聞く冒険譚に似通ったエピソードは少なからず持っていた。
まぁ、ローガンの話をまとめれば、一番大きな内容としてはこの登録数日での大型魔獣の討伐の話が大いな盛り上がりを見せた。
後は、細々とした冒険譚。
冒険者各位が、必ず経験するであろう依頼や、その依頼に付随した問題等の話に始終した。
大方の話を終えて、またグラスが一つ空いた頃。
「私の話は、そろそろ良いだろう?
出来れば、お前の話を聞かせて貰いたいのだが、」
切り出したのは、ローガンの方からだった。
酒のグラスが空くペースに合わせて、口数も増えて来た辺り、彼女も程よく酔いが回って来た頃合いだった。
「………そうさのう」
対するラピスも、ほろ酔いと言って間違いない。
少しだけ赤らんだ頬のままに、とろりと目を蕩けさせた姿は、色香が撒き散らされた妖艶な様にも見えた。
同性であるローガンですらも、一瞬生唾を飲み込んだというのは、余談としておこう。
「………お主の話に比べると、大して面白みは無いやもしれんが、」
「………それでもだ。
それに、私は面白可笑しく話をしたい訳では無く、ただ純粋に知りたいから聞いているのだ」
そう言って、真摯な姿でラピスに向き合ったローガン。
肘を付いて懐いていたテーブルから、体勢すらも正して彼女の言葉を待つ。
その姿を見て、ラピスも同じく体勢を正した。
そのまま背もたれに、ゆっくりと寄りかかるようにして、一度呼吸を正している。
まるで、その話をするのを、躊躇っているようにも見えた。
少なくとも、ローガンにはそういう風に見えたようだ。
だが、彼女はその場で目を瞬くと、
「………私が森子神族であることは、既に知っておろう?」
ややあって、話し始めたのは、彼女も既に周知の事実。
その問いかけに、ローガンは「何を当たり前の事を………」と思わず呟いてしまったが、
「………森子神族が、人間領でも類を見ない程の希少魔族である事も知っておるかの?」
そこで、彼女は察した。
今から聞く、彼女からの話は、おそらく重い話である事を。
先程正した姿勢を、更に正した。
背筋を伸ばし、ラピスに真正面から向かい合うようにして。
そこで、ふとラピスが苦笑を零す。
「何も、そこまで固くなる必要は無い。
………ただ、出来れば揶揄もせず、横やりも入れずに、聞いておいて欲しいだけじゃ」
「………ああ、分かった」
話をする体勢は、お互いに整った。
後は、ラピスが踏ん切りを付けるだけ、となった。
そこで、彼女は空けたグラスを更に並々と満たし、それを一息に半分ほど煽った。
勢いを借りるつもりなのか。
自棄にも見えるその飲み方に、それだけ話し辛い内容か、とローガンはふと居た堪れなくなってしまうものの、
「………少し長くなるぞ」
そう言って、彼女が話し始めたのを皮切りに、手の中のグラスを握り締めた。
***
彼女が話した内容は、以前銀次に話して聞かせた話と同じである。
森子神族として産まれ、その森子神族からたった一つ魔法の属性を間違えただけで排斥された幼少期。
排斥を受けた上に、両親から捨てられた過去。
人間領で生き抜く為に、学び、時に逃亡を繰り返し、冒険者への転身をした事。
その後、冒険者としての仲間達の死をきっかけに、『暗黒大陸』へと戻り、迷子を経て、森子神族の一方的な闇小神族蹂躙へと遭遇した話。
そこで、今は亡きランフェジェットと運命の出会いを果たした事。
彼と契りを交わし、子を育んだものの、結局逃亡を余儀なくされた苦い記憶。
シャルを産んだ後に、己の浅慮から今とはまた別のダドルアード王国からの徴兵や、病気の発症、更に重なったランフェの発症と、その後の逃亡。
そして、最愛の夫ランフェとの、悲壮な別れまで。
彼女は、淡々とそれでいて、涙ぐみながらもローガンへと語って聞かせた。
己の過ちに満ちた、と自負する過去。
それでいて、今の自分が出来上がった、2世紀にも渡る壮絶な歴史。
それと共に、もう一つ語って聞かせたのが、シャルを付き離そうとして銀次に叱責された事だった。
病気で長くは無いと悟っていた。
娘のシャルの事だけが気掛かりだったが、それも銀次達との出会いがあったおかげで杞憂となった。
『暗黒大陸』大森林の仲間を呼び寄せ、シャルを預け、自分は死ぬつもりだった事も明かした。
しかし、それを銀次が強制的に、阻止した顛末までを語ったのだ。
その頃には、彼女達の手元のグラスは、既に空になっていた。
「………あ奴のおかげで、私は今を生きておる。
シャルもそうであろうが、私もあ奴に救われた1人として、あの校舎であ奴に報いるつもりじゃ」
今現在、彼女が森の丸太小屋を離れ、人間領で生活している理由。
それが、今回の話の最終的な総括へとつながった。
余談として、現在銀次と確執を持ってしまったゲイルが、その夜に襲撃に来た話もした。
ローガンもそれには憤りを覚えたのか、口には出さずとも憤慨していたようだ。
どうりで、あれだけ仲睦まじかった2人が、険悪な雰囲気になっている訳だと納得できたのは僥倖である。
***
最後まで聞き終えた時、ローガンは酷い脱力感に見舞われた。
それと同時に、無用に立ち行ってしまった事への罪悪感も覚えてしまっていた。
言うなれば、彼女の過去は凄惨の一言に尽きる。
かつて、銀次が思っていた事は、ローガンも同じ意見であった。
自分が、不用意に踏み込んでいい領域では無かった筈だ。
それを聞いてしまった事への罪悪感も然ることながら、聞いてしまった事への後悔も少なからずあった。
太刀打ち出来ない訳だ、と納得してしまった事もある。
彼女自身は、まだ結婚も妊娠も経験してはいない。
行く行くはと考えてはいたものの、彼女が引っ提げた結婚相手への条件から、それが難しい事もあって、約300年の時を彼女は処女のまま生きている。
誰かに、体を許した事も無ければ、腹に身籠った事も無い。
何かを競っている訳では無い。
それにしても、彼女としては女としての生き様が、彼女よりも劣ると自覚してしまったというのが最もだった。
そこで、また先に動いたのはラピスだった。
アイスペールに突き刺さったままのボトルを手に取ると、やや乱暴に空になったグラスへと注ぐ。
返しの手は、そのままローガンのグラスへと向けられていた。
拒否する理由も、また場の雰囲気にのまれたままで拒否する事も出来ないまま、ローガンはグラスに並々と酒を注がれるのを見ているだけだった。
そして、ラピスはまた乱暴にボトルをアイスペールの氷の中に突き刺すと、今しがたたっぷりと満たしたグラスを一息に半分ほど、またしても煽ったのだった。
「………ふう。
こうして、家族以外に過去の話をしたのは、お主が2人目じゃ…」
涙の滲んだ眼元を誤魔化すようにして、口元を拭ったラピス。
やや掠れた声も、酒に咽た体を装ったつもりだったのだろうが、残念ながらローガンには分かってしまっていた。
辛かっただろう。
この話をするのは、躊躇っただろう。
それでも、話してくれた。
その事実は、彼女にとっては何よりの誉れに思えた。
「ありがとう。話してくれて」
「なんの。………面白みも無い、長話に付き合わせてしまっただけじゃ」
「………聞けて良かった」
「………そうか」
そうして、今度はお互いにグラスを、どちらともなく差し出しあった。
かちん、と鳴り響く乾杯の音頭。
そこでやっと、この席を銀次にセッティングされた意図を、どちらともなく理解できた。
要は、信仰を深めろ、という事だったのだろう。
お互いの事を知れば、おのずと歩み寄るきっかけが出来るから、と。
「………本に、あ奴も粋な男じゃのう」
「………ああ」
そう言って、これまたどちらともなく苦笑を零し、2人はそのままグラスを傾け続けた。
***
歩み寄る事が出来た後は、彼女達の話題は尽きることは無かった。
元々、彼女達は最初のコンタクトが最悪だっただけである。
お互いに成人した身の上であり、また大人といて達観した知識や一般的な感性も十分持ち合わせている。
出会い頭にぶつかったから、その後も険悪。
と言うのは、お互い大人としての対応では無いと自覚している事もあって、今まで表立って生徒達の前で険悪にならなかったのが良い証拠。
それに、2人とも根は真面目。
しかも、多少見栄っ張りや、寂しがりな一面があるのはお互い様。
そんな似たもの同士の2人だからこそ、打ち解けてからは早かった。
グラスを傾けて消費する酒の速度に比例して、口数が増える。
酒の肴となり得る冒険者稼業の話は勿論、失敗談や多少の自慢話、ついでに今まで出会って来た良い男や、鼻持ちならない悪い男の話まで。
「………その時、そのガイウスと言う男が、無様にも狩猟用の罠に引っかかったものだから、」
「ほほほっ!どこにでもおるのう!
そう言った罠に、ひっきりなしにかかる馬鹿と言う者は、」
「そうそう。特にそのガイウスは、その確率が段違いに高くて、罠を見つけ出して掛かる天才とか言われていたものだ」
なんて、笑い話を交えながら。
酌を差し出し合い、先程までの悲壮な空気はどこへやら。
別の意味での、腹のよじれるような笑い話で涙を滲ませつつも、やや高齢な女子達の飲み会は続いていた。
そんな中、
「そういえば、お主はあ奴とどういう出会いをしたのじゃ?」
「うん?」
次に格好の肴とされたのは、所謂馴れ初め話だ。
女子達が合わさると、どうしてもそう言った話になりがちではあるが、どうやら高齢なこの女子2人でも例外では無かったらしい。
馴れ初め、と言っても別にローガンは、銀次と付き合っている訳では無い。
勿論、ラピスも同じではあるが、そこはそれ。
お互いが出会った時の話に興味が沸くのは、当然の事だった。
ただ、ラピスは既に銀次と出会った時の事は、先程の昔語りの時に話してしまっている。
まだ口を割っていないのは、ローガンの方だ。
このままでは、フェアでは無いだろう。
と、ラピスが追求する為に、言葉を重ねようとした時だった。
「拾っただけだ」
「………は?」
多少躊躇うか、と思っていたローガンからの言葉は、たった一言だった。
拾ったのだ、と。
まるで、犬猫の扱いのようで、思わずラピスは噴き出しそうになってしまった。
「わ、笑うなら笑えば良いが………」
「い、いや、話しておくれ…ッ」
お互いに笑い出しそうな、それでいて泣き出しそうな微妙な顔だった。
それでも、なんとかラピスが堪えた為、ローガンも若干酒から来るのとはまた違う赤面をしながらも、例の初遭遇のエピソードを語ったのである。
「『白竜国』からダドルアード王国に来たは良いが、外壁の間所で追い返されてしまってな。
仕方なく、一度『白竜国』に戻ろうかと引き返して森の中を歩いていた時に、アイツが同じように街道に出没していた魔物の討伐に出て来ていたのだ」
「………ふむふむ」
「運悪く、魔物に連れ去られて孤立したらしいが、単騎でそのまま魔物を討伐していた。
だが、その先を考えていなかったのか、森の中で行き倒れていたから、それを私が拾ったのだ」
「なるほど………、その時から、無茶な性格は変わっておらんと見える」
「………まったくだ」
女性陣は、藪蛇だった。
「だが、私も最初拾った時は、男装している令嬢かと勘違いしていて、」
「ぷぷぅ~ッ!!」
残念ながら、その辺りでラピスが我慢できずに噴き出した。
まぁ、確かに見ようによれば、彼は男装の麗人と言われても納得できてしまう程、女然りとした顔をしている。
否定が出来ないローガンも、眉間の皺を揉み解すだけだった。
ラピスの笑いの波が収まった頃、またローガンの話が始まった。
「拾った後、傷の手当てをしてやっている時に、男と気付いた。
まぁ、拾ってしまった手前、捨てられる訳も無く、そのまま看病していたのだが、」
そして、かくかくしかじか、と洞窟内で起きたあれやこれ。
性別が判明した時の、水浴びの事も一応話はしたが、これまたラピスが腹を抱えて笑っていた。
この辺りで既に、いささか話す心持ちが薄らいでしまったローガンであった。
だが、それでもラピスとのフェアを貫く為に、言葉を重ね続けた。
ボミット病の発症や、合成魔獣との遭遇。
ただ、彼の自己治癒能力の驚異的な向上に関して、また処置も含めた3度にも渡る口吸いの件については、口を閉ざしておいた。
銀次の自己治癒能力の向上に関しては、ラピスが知っているかどうか、ローガンは半信半疑だった為。
そして、口吸いに関しては、いかんせん気恥ずかしさも然ることながら、敢えて言う必要は無いと考えての事である。
「ははぁ、なるほど。
あ奴も、悪運の強い男じゃのう」
「私が通りかからねば、もしくは私が『インヒ薬』を持っていなければ………。
今にして思えば、出会ったのも何かの因果だったのだろうな」
まるで、出会うべくして出会った、必然とも言える遭遇。
それを語った後に、ローガンは気恥ずかしくも改めて嬉しさを噛み締めた。
その表情を見ていたラピスが、一瞬だけ唇を尖らせたのも知らず。
「その分、私とてアイツに会った事で、色々と助けられた。
それこそ、妹の事もあったが、アイツの生徒達に救われなければ、今頃は魔物の腹の中か、汚物と化していたとしても不思議では無かったからな」
「………お互い、あ奴に借りがあるという事じゃのう」
「………ふふ。そうなるか」
改めて、考えさせられたお互いの境遇。
過去の話はさておいても、結果的に言えば銀次という男に、直接にしろ間接にしろ救われたのは事実だった。
「………もう一つ、聞いておきたい事があるのじゃが、良いだろうか?」
「うん?」
そこで、ふとまたしてもラピスから、口を開いた。
表情は、先程と違ってやや緊張、もしくは固い印象を見受けられた。
ローガンも、先程ラピスの昔語りを聞いた時同様に、姿勢を正してしまう。
そこで、
「お互いが懇意である事は、もはや疑いようの無い事実じゃ。
………そこで、不躾ではあるが、今一度お主に問いたい事がある」
念入りに前置きをした上で、彼女は問うた。
ローガンは、その問いかけに対して、眼を真ん丸に見開くことしか出来ない。
「懇意であるとは別に、あ奴に抱いている感情は、ありはしないかや?」
***
びくり、とローガンが体を引き攣らせた。
その時、太陽光は丁度真上にあったのか、多少日の光が足りずに校舎内は薄暗かった。
時刻は昼時だろうか。
自分がいるのは、校舎ダイニングの一人がけのソファーだった。
どうやら、転寝をしてしまっていたようだ、とローガンが頭を振って、眠気を振り落とす。
そこで、振り落とされずに戻って来た思考に、総毛立つ。
自分がどうして、校舎に残っているのか、そして転寝をしてしまったソファーに何の為に座っていたのかを思い出したのだ。
銀次だ。
今日になって、体調を悪化させた働き者過ぎる働き者。
いっそ、過労で死のうとしているのではないかと、勘繰ってしまう程に働き過ぎている馬鹿の所為だ、と目を見開いた時。
目の前のソファーに、不貞腐れつつも寝そべっていただろう人物の姿は無かった。
「………ッ、ギンジ…!?」
焦った。
ローガンは、その場で立ち上がって、ぐるりと周りを見渡す。
しかし、目的の人物の姿は見えない。
がらんとした人気の無い、普段では考えられない程の静寂に満ちた空間が広がっているだけだ。
更に焦った。
自分が転寝をしている間に、一体どこへ行ったのか、と。
だが、そこからすぐに、彼女が落ち着け、と自身を制止できたのは僥倖だった。
あれだけ、生徒はもとよりラピスにも、オリビアにも言われていたのだ。
自分の目を盗んで外にほいほいと出て行くような馬鹿ではない。
銀次の事は、無茶ばかりする馬鹿ではあるが、愚かではないと思っているから。
そこで、ふと気配を探ってみる事にした。
彼女自身、戦線に身を置いて長らく、300年以上の実績がある。
大抵の人物の気配ぐらいであれば、隠されてさえいなければすぐに発見できる。
すぐさま、眼を閉じて集中。
気配を探り始める。
玄関先に、4名の気配。
だが、これは校舎の護衛に付いている、騎士団の面々だろう。
そして、裏庭にも3名の気配。
これも、同じく校舎裏の警備で、おそらく物置の監視も兼ねた歩哨。
そのどの面々の中にも、銀次の気配は無い。
と、気配を探り始めて、数秒。
「………なんだ、風呂か」
彼女が気配を探って、ようやっと見つける事が出来た銀次の気配。
彼は、風呂場だった。
ダイニングから、たった数メートルしか離れていない部屋の中だった。
安心したと同時に、それとは別の不安が首をもたげてしまった。
何をしているのか、と。
いや、別に風呂に入るだけならば、大した問題では無い。
しかし、いつから入っていたのか、というのが疑問だった。
そこで、ぞわりと悪寒。
思えば、今しがた彼の気配を見つけるまで、多少ではあっても時間が掛かったのは事実。
隠されてさえいなければ、と前置きしたように、彼女自身も気配を探るのは得意だという自負もあって、若干時間が掛かってしまったように思えた。
勿論、人間には気配が微量になる瞬間が、必ずある。
意図的に隠そうとした時。
隠密や、それ相応の後ろ暗い人間が、よく使っている気配を消す行動。
もしくは、なんらかの理由で、気配が遮断されてしまう時。
魔法陣や物理的な結界に閉じ込められた時に起こりうる弊害だ。
そして、もう一つ。
眠っている時、だ。
「……ま、まさか、」
感じていた悪寒に後押しされるように、彼女が慌てて駆け出した。
先程、落ち着けと自制した言葉も、念頭からすっぽ抜かしている。
もし、風呂で倒れていたら。
今朝方、ラピスが介抱している傍らで、確認の為に彼の額に触れた時、確かに熱いと感じた。
高熱だった筈だ。
そんな中で、風呂に入っている。
そこまで思い至って、大丈夫では無い、と結論が出た。
普段では滅多に見られない慌てようのまま、彼女は廊下を駆けた。
そして、風呂場の扉に飛びつくようにして、その扉を大きく開け放つ。
気配を探るなんてまどろっこしい事、この時の彼女には出来ようも無かった。
脱衣所代わりのスペースを足早に通り過ぎる。
棚の上に設置された籠の中に、彼の衣服が乱雑に放り入れられているのすらも、彼女の目には既に映りさえしなかった。
「ギンジ!」
叫びながら、仕切り代わりの衝立から飛び出した。
瞬間、彼女の目に飛び込んできたのは、
「お、おいおい…ッ」
焦った様子のまま、咄嗟に、かろうじて腰を布一枚で隠した青年の肌色だった。
銀次である。
そして、その銀次は、説明するまでも無く入浴中。
しかも、現在は頭を洗っている最中だったのか、銀色の髪を露わにし、泡立った石鹸の香りを漂わせていた。
まぁ、そこは良いだろう。
彼女は、一度初遭遇の洞窟内で、彼の髪とウィッグの秘密は知っている。
ただ、問題はそこでは無い。
両手は扱えず、片手のみで隠した下半身。
しかし、全てを覆い隠すことは出来なかったのか、ローガンの位置からは隠しきれていない部分がはっきりと見えてしまった。
とどのつまり、全裸の男性の目の前に、生娘の女が突撃したような形だ。
「………あれ?」
「あ、あれ?………じゃ、ねぇだろうが!!
なんで駆け込んでくるの!?
ってか、鍵掛けてあった筈なのに、なんで入ってきちゃったの!?」
思った以上に、元気なギンジの姿。
倒れているなんて事も無く、朝方見た時のような気だるげな気配も見受けられない。
熱があれば、多少は見た目にも変化がある筈だ。
しかし、未だ昼時と言うのに、その兆候が見られない。
驚きだ。
いや、本当に驚いているのは、それについてでは無い。
「な、何故、服を着ていないのだ!?」
「ここが風呂だからに決まってんだろうが!!」
彼が全裸で目の前にいる事で、すっかり頭が沸騰してしまった彼女の一言。
当たり前のことながら、やはり生娘はどれだけ年をとっても生娘だった。
全裸の男を前にして、冷静でいられる生娘は少ない。
彼女も、例外では無かった。
ただ、今回の事は、彼女だけが悪い訳では無い。
しかし、銀次にとって、災難であった事は確かだった。
***
とりあえず、である。
ローガンは、風呂場を辞した。
先程と同じく、当たり前の事ではあるが、全裸の男性が入っている浴室に乱入したまま留まる事など出来ようも無く。
そのまま、済まない!とおざなりな謝罪をして、来た時と同じようにして飛び出した。
数秒足らずの行動である。
ただ、その数秒足らずの間に、彼女自身の寿命が3年は縮んだだろう出来事だった。
「(………や、やはり、雄々しかった…ッ)」
なんて、脳内で考えている辺り、既に彼女の思考はショート寸前だ。
まずは、慌て過ぎて、乱入した事を恥ずべきだ。
ついでに、風呂場の鍵を気付かずに壊してしまった事も、猛省すべきだろう。
徳川ですら、壊したことの無い風呂場の鍵。
哀れ、火事場の馬鹿力も斯くや、と言う女蛮勇族の膂力には、流石に対抗できなかった鍵の末路が、今の風呂場の扉の現状である。
しばらくは、生徒達が交代で、見張りしなければならなくなるだろう。
とまぁ、そんな風呂場の今後の運用はさておき。
「(………ど、どうしよう!
こ、この状況は、予想はしてなかったけど……ッ)」
動揺も然ることながら、緊張した内面で床の一点を睨み続けるローガン。
その脳内には、あられも無い想像が、もんもんと渦巻いていた。
期待しなかった訳では無い。
彼と2人きりとなる、この今日という日に。
「(………ゆっくり、話なんて出来なかったけど、
で、でも、この状況は、い、言うなれば、好機なんじゃ…ッ)」
混乱が収まると、その次に襲い来た感情は漠然とした期待だった。
風呂に入っている、意中の男。
風呂に入っているからには裸で、言うなれば無防備な状態だ。
それは、既に先程も確認して来たばかり。
………余談である。
そして、その青年は、どうやら体調不良が多少は改善しているようだった。
病み上がりという事は憂慮すべきだろうが、それでも彼女にとっては好機を捨てるべき理由にはなりそうにも無かった。
それもその筈だ。
実は、彼女としては、この状況は所謂作られた状況だったからである。
普段は、着ない人族のシャツ。
その胸ポケットから、徐に取り出した小瓶があった。
中には、小豆のような丸薬が数個、からりと揺れている。
ラベルも無く、蓋もコルクと言った簡易なものであるが、それが彼女にとっては最高の宝物のような目線で、眺める。
思い起こされたのは、数日前の事だった。
***
きっかけは、例の銀次から女子会と称された飲み会。
そして、更に1週間と3日程経過した、3日前の事だ。
銀次が体調不良に伴い、その他諸々の問題もあって情緒不安定となった後。
なんとか持ち直して、同じく問題となっていた武器商人・シュヴァルツ・ローランとの食事会を終えてからの事だった。
食事会と言うにはあまりにもかけ離れた顛末。
正体不明とも言える襲撃者による急襲によって、シュヴァルツ・ローランの護衛・ハルが重症を負った折、ラピス達もまた現場へと急行した。
勿論、その急行した理由と言うのは、まったく別の理由だった。
言うなれば、単独で死地へと向かおうとした銀次への叱責を兼ねていた。
しかし、結果として、重症となっていたハルを救う手立てとなれた事は、なんにせよ幸運だった。
だが、その帰り際、彼女達はあろうことか当の本人に拒絶されたのだ。
余裕が無い、癇癪に付き合っている暇は無い、と叱責どころか追及の声すらも聞いてはもらえなかった。
更には、その時の態度や声音が、彼女達にとっては傷となった。
校舎に帰る道すがら、その態度に関して恐怖では無く怒りが勝ったとしても、その時ばかりは、流石の彼女達2人も傷付いたのだ。
そして、校舎に戻ってきて、怒りの発散を酒や愚痴に求め。
ついでに、ここ最近こそこそと動き回っている銀次の行動原理を追求する為に、彼の部屋を独断で漁りまわった。
普段は制止を呼びかけるだろう間宮も、今回は銀次では無く女性陣2人に味方した。
おかげで、彼女達にも分かってしまった。
銀次が何をもって、ここまでの行動原理を秘匿してまで、こそこそと動き回っているのかを。
散々表題となっていた『天龍族』からの手紙。
それが、彼にとっては既に、死刑宣告とも取れる死地への切符。
その手紙が届いたからこその、ここ最近の体調不良や情緒不安定(※自分達の行動如何も影響しているとは分かっていても、)だと、改めて分かったのである。
そこで、彼女達も一度は同じように、一気に気持ちを萎ませてしまった。
ラピスもローガンも、みっともないと分かっていながら涙を零した。
互いに、銀次の事を悪しからず思い、また居候や同僚以上の好意を向けている事は分かっている。
以前銀次にセッティングされた酒の席で、お互いに気持ちをぶちまけた事があったからだ。
ラピスからの追求にローガンは答えた。
少なからず、好意、あるいは恋愛感情を抱いている、という事を。
それは、ラピスも同じく、彼女に打ち明けていた。
自分も同じなのだ、と。
既に人妻、1児の母となった経験があれど、亡き夫とは別に、銀次に対して恋愛感情を向けている、という事を。
要は、お互いの気持ちを知った上で、取り決めをしていたのである。
『異世界クラス』の女生徒各位と同じく、『抜け駆け禁止』と言う御題名目を掲げた同盟のようなものだった。
まぁ、それもラピスが先走ってしまった事によって、一度は破綻してしまったのだが。
しかし、ラピスはそれをローガンに詫びた。
己の浅慮を、勝手な行動を、そして欲望には抗えなかったという浅ましさを。
その上で、どうするべきか、と言うのを話し合っていた、と言うのは余談である。
銀次と女性陣の関係が、一気に問題となった日に。
それを承知の上で、ローガンも一度は身を引く決意をしたし、ラピスも銀次の件とは別に、友人関係が壊れる可能性も考慮していた。
だが、それ以降、銀次とラピスの仲に、進展は無かった。
銀次が体調不良と情緒不安定で、3日間もの間伏せっていた事も要因の一つ。
その間に、結局ラピスもローガンも、銀次どころかお互いと話はしていなかった。
その為、このような状況になってから、ラピスは考えた。
このような状況だからこそ、お互いが最良の道を歩けるように、と。
銀次の部屋で、家探しを行った後の気だるくも、寂寥感溢れる空間で、一つの妙案を口にした。
「………お主は、それでもギンジと結ばれたいと思うかや?」
今更になって、彼女は自身の気持ちを理解した。
悩んでいた事も、どうしようもないと考えていた彼女との関係も、全てを改善する為の覚悟を決めた。
腹を括った。
そう言える。
それが、ローガンへの問いかけに、全て集約された言葉だった。
涙を滲ませ、それを拭う事すらもおざなりに、目を丸くしているローガン。
いつもは無表情で、感情を露わにする事の方が少ない間宮すらも動揺している中。
そんな中でも、彼女はまっすぐにローガンへと視線を向けたままだった。
まるで、彼女からの返答を待っているように。
「………なんだ、いきなり、」
「良いから、答えやれ」
「………。」
反論だろう言葉を封殺し、有無を言わさぬ口調で問い質す。
銀次の事をどう思っているのかは、知っている。
だが、今後、彼女が銀次とどうなりたいのか、その一点だけが知りたいのだ、と。
そんな彼女の視線と、並々ならぬ雰囲気に気圧されてか、
「………見苦しいと思うなら、思えば良い」
ローガンは、多少罰が悪そうながらも、返答を返した。
そっぽを向きつつ、それでも彼女としては最大限譲歩したであろう、是の答え、と共に。
つまるところ、ローガンだってラピス同様の考えを持っている。
銀次と一線を越えて、結ばれたい。
今まで、漠然としか考えていなかった、結婚という二文字。
それが、銀次を目の前にすれば、可能と思えてしまった事もある。
ラピスの昔話を聞かされた時にも思った、漠然とした期待や憧憬。
いつか、自分もこうなるのだろうか、という希望的観測。
その想像上の伴侶には、確かに銀次の姿があったから。
彼女にとっては、それこそ結婚はもう二度と出来ないと考えていた、夢のまた夢だった。
それは、彼女が己の伴侶に求める、条件が問題だったからだ。
いわば、女蛮勇族の風習が、原因だった。
女蛮勇族は、任意やとある条件の下、種族を問わず子作りをすることが出来る、と内外共に公表している。
それは、各種族間でも周知の事実だった。
しかし、その「とある条件」というのが、何を隠そう『強さ』を意味している。
女蛮勇族は男が生まれ辛い種族という事もあり、種一つにとっても強さを求めていた。
とどのつまり、女蛮勇族を打倒し得る力を持った猛者の種を欲していると言う事だ。
だが、彼女、ローガンディア・ハルバートは、過去数百年の長きに渡って、『紅蓮の槍葬者』の異名を、冒険者の間に轟かせてきた。
そうそう、挑みかかってくる猛者がいる訳も無く、それどころか彼女自身の風貌も相俟って男が寄り付かなかった。
おかげで、300年を過ぎた今でも、彼女は生娘のままとなっている。
なればこそ、今回自覚した銀次への恋愛感情に関して、ローガン自身も並々ならぬ決意を持っていた。
勿論、彼女の求める強さに、彼は当て嵌まっている。
強さもそうだが、その性格はもとより顔立ちに至るまで、彼女にとっての至上の存在となっていたのが、銀次だったのだ。
だからこそ、彼女も腹を括って、今のように答えた。
見苦しいと思うなら思えば良い、と言う言葉の通り。
自分自身も今になってもまだ諦めていないという見苦しさは、身をもって知っていた。
それでも、彼女にとっては300年もの長きに渡って、待ち侘びた相手が銀次だったのだ。
そうそう簡単に諦めることも、またその相手を逃がすことも出来る訳も無かった。
閑話休題。
彼女の答えを聞いて、ラピスは大仰に頷くだけ。
どことなく、満足気な表情をしている。
そんな彼女達の温度差の違いに、小首を傾げて戸惑っている間宮にもお構いなしに、彼女はそのまま微妙な空気の中で、徐に口を開いた。
お互いの友情を壊すことなく、また銀次との問題も解消出来るだろう妙案を言葉にする為に。
「………お主も、ギンジと結ばれよ」
「………も?」
「(………?)」
意味が不明瞭だったのか、ローガンですらも小首を傾げる中。
覚悟を決めた森子神族は、それでも臆する事無く、輝かんばかりの笑顔すら滲ませて、
「お主も、ギンジへと気持ちを伝えるのじゃ。
そして、一夜を共にし、結ばれるが良い」
などと言う傍から聞けば、夫では無く浮気相手に、公然と浮気を許した妻のような一言をのたまった。
懐が深いというべきか、後先を考えていないと言うべきか。
それでも、彼女にとっては妙案であったらしく、笑みは菩薩のように穏やかなままであった。
その表情に、唖然としたのはローガン。
さしもの間宮ですら、例外では無かった。
「以前、酒の席でも話したと思うが、銀次との事は『抜け駆け禁止』。
お互いに『和平』を結んだのじゃ。
それを私が破ってしまった事もあって、一度は破綻させてしまったのもまた事実」
「………そ、それは、もう良いと、」
「いいや、良くない。
例えお主が許したとしても、私自身が許すことは出来ぬからじゃ」
「………。」
律儀過ぎると、呆れればいいのか。
今更そんな話を、と叱責すればいいのか、判断に迷った。
ただ、ラピスからの申し出に、ローガンが嫌悪感を覚えることは無かった。
少なくとも、剣呑な雰囲気になる事は無い。
その話が何の関係があるのか、分からないとばかりの表情のままではあった。
だが、それでも、激昂する事も悲観する事も無い。
内心は、少々苛立ちが着々と蓄積しているものの。
表向きには、落ち着いた様子で。
内心では、大いに混乱しながらも、無言で続きを待つだけとなった。
「思えば、私もお主も魔族じゃ。
人間であるギンジの手前、添い遂げるというのは少し難しいとは考えておるが、」
そこまで言って、一度言葉を区切ったラピス。
その言葉の奥には、彼がこの先生き永らえる可能性の低さも、配慮されていた。
しかし、その表情に言葉通りの悲壮感はあまり感じられない。
このラピスの様子には、少々ローガンも呆気に取られた。
その後に続いた、彼女の言葉にもだが。
「それでも、我等の種族では、有体に一夫多妻と言うのは当たり前の事じゃろう?」
呆気に取られたのは、何もローガンだけでは無い。
間宮も同じだ。
それほど、ラピスの口にした言葉は、彼女達を驚かせた一言だったのである。
先程の言葉と掛け合わせて考えれば、おのずと答えは出た。
つまるところ、ラピスもローガンも一緒に、銀次の妻になれば良い、と言っているのである。
彼女の妙案は、この異世界においての当たり前の制度に則った形だ。
おおよそ、現代では過去の歴史か、海外の一部でしか認可されていない制度。
それが、一夫多妻制だ。
だが、この異世界では、残念ながら認可どころか推奨されている。
世継ぎや子孫を多く残す為の、脆弱な種族である人間ならではの制度だ。
貴族は勿論、名のある豪商にでもなれば2名から最大20名と、妻を娶っている例もある。
それが当たり前のご時世だからだ。
無論、その一夫多妻制については、魔族にも当て嵌まる。
ランフェは違ったものの、森子神族や闇小神族でも、強い戦士や魔術師ともなれば妻を2~3名娶ったりもする。
獣人の一部の種には、1年ごとに伴侶を変えるなんて例もあったりする。
そして、女蛮勇族であっても、複数の同胞に一人の男の種を仕込ませるなんて一例も少なからずあった。
そう言った一例についても、ローガンは良く知っている。
実際、彼女の里で行われている、交配の一例だ。
その一夫多妻の制度を、彼女達も同じように銀次相手に取ろうと言っているのだ。
「勿論、お主にもあ奴にも、無理強いをする訳にもいかぬ」
「………あ、ああ」
「だが、お主がそれを許すと言えば、あとはギンジの判断に任せることになるじゃろう」
だからこそ、彼女は先程、ローガンの気持ちを確かめたのだ。
まだ、結ばれたいと考えているか。
例え短い期間だとしても、彼を伴侶として愛し、愛される覚悟があるのかどうか。
ラピスの覚悟は、それとは別だったという事だ。
ローガンを同じ妻という立ち位置に、受け入れるという覚悟だった。
「………だが、それでは、お前が、」
「私は、気にしない。
それに、あ奴もまた、既に立場ある人間として、この王国でも立ち回っておる。
コレクションのように思われるのはちと業腹やもしれんが、あ奴の場合はそれが逆に箔となる可能性もあろう」
まぁ、彼女の言う事も、半分は事実だ。
彼は『予言の騎士』であり、この『異世界クラス』の担当教諭。
それが、この異世界で言う適齢期である20歳を過ぎても独身で、ついでに女の影も無いとなれば、それもそれで少々体裁が悪い。
30歳を過ぎても独身である青二才の騎士団長なんてのもいるが、それも特例中の特例である。
本人は全く気にしていない上に、家に反抗して結婚しないというのだから、相当なものだとは思うが。
それはそれ。
だが、この話にはただし、と前置きを付けなければいけない。
「問題は、種族じゃが、」
「………。」
そこで、ラピスもローガンも少々、悲し気な顔で俯いた。
表題に上げていた通り、森子神族と女蛮勇族は、見た目こそ秀麗であっても、所詮は魔族。
人間領にある完全なる人間社会のダドルアード王国では、如何せん口性無い言葉の的になる事が予想される。
それは、彼女達も勿論の事ながら、最終的には『予言の騎士』の風評へと関わってしまう。
それでは、困るのだ。
彼女達は、確かに彼を愛して、彼が死ぬその時まで添い遂げたいと願っている。
だが、迷惑を掛けてまで一緒にいたい、とはならない。
そこまで、後先を考えられない程、考え無しの馬鹿な箱入り娘ではない。
「これは、お主の返答次第ではあるが、」
しかし、その問題に総じて、これまたラピスが妙案を提示した。
「我らが、『人間となる』のじゃ」
「………は?」
「(………どういう事でしょう?)」
これまた、呆気に取られたローガン。
先程同様、間宮も同じだった。
だが、そんな呆気に取られた2人の表情を見ても、小動もしないラピスはにんまりと口元を笑みで彩った。
さながら、悪巧みをしている悪童のような笑みで。
「これを、お主に託そう」
そして、渡されたのは、じゃらじゃらと、なんとも邪魔臭そうな代物だった。
首輪が1本と、腕輪と指輪が2本ずつ、対になった魔法具だった。
首輪を装着し、残りを両腕、両手の指に装着すれば良いというものだったが、ローガンには見たことも聞いた事も無い魔法具。
間宮も初見であり、遠目ながらも興味深そうな顔で眺めていた。
その用途は、自ずと知れるとラピスは、にっこりと笑うだけに留めた。
その代わり、
「その魔法具は、お主がしっかりと仕事をこなしてから起動させてくれる」
条件を付けるような口調。
そして、そのまま笑みを絶やさぬままで、もう一つ彼女が提案したのは、
「確か、あ奴は今後、校舎の改築期間を目途に、『春季休暇』なる休暇を取ると言っておった」
そして、その休みを利用する。
「生徒達の半分は、私と共に冒険者の依頼に同行させよう。
残り半分は、ライド達に協力を仰ぎ、連れ出す事にする。
ついでに、アンジェやオリビアにも話を通して、その日程の間だけ校舎を離れて貰う事にしよう」
無論、お主も一緒じゃぞ?と、ラピスが目を向けたのは間宮。
きょとんとした表情で立ち尽くした彼に、思わず口元を緩めてしまいそうになったのはローガンだ。
だが、ラピスの口から次に飛び出した言葉に、その口元は引き攣った。
「その間、お主はギンジと2人きりじゃ。
つまり、私達がいない間に、お主もギンジに想いを伝えるのじゃ。
勿論、既成事実を作る為に、一夜を共にするのが一番良いじゃろう」
なんてことを言うのだろうか、この森子神族は。
呆気に取られ、もはや脳内が真っ白になったローガンにはその一言しか浮かばなかった。
先程まで同じく呆気に取られていた間宮は、頬を赤らめながらも手をポンと打って同調していたのを、ラピスだけが見ていた。
背後のませた青少年の行動に、思考が塗りつぶされたローガンが気付ける筈も無い。
「御膳立てはしてやるが、残念ながら後はお主の気概次第じゃ。
………初めてで負担になるかとは思うが、それでもあ奴との今後の関係を思うなら、形振りは構わず押し倒してしまうが良い」
………伴侶になるだろう男に対しての物言いではない。
だが、それを突っ込める人間は、残念ながらこの室内にはいなかった。
無論、聞き耳を立てている生徒もいない時間帯だ。
この時、ローガンやラピスよりはまだ冷静な状況で話を聞いていた間宮は、この女性陣2人のやり取りを見ていて思った。
女性は、怖いものなのだ、と。
「それに、確か『インヒの種』も持っておったじゃろう?
これまた初めてで負担とはなるだろうが、必要とあらば使ってしまえ」
「………ああ。分かった」
ラピスからの後押しで、ようやく真っ白な思考から立ち直ったローガン。
彼女も、覚悟を決めたのか。
その眼には、少しの戸惑いはあればこそ、決意とも期待とも付かない光が宿っていた。
「言っておくが、好機は一度きりじゃ」
「ああ、分かっている。
アイツと添い遂げられるなら、私ももう躊躇はしない」
「よしっ、その意気じゃ!」
こうして、アダルト組である女子達の結束は、強くなっていく。
友情と愛情、どちらも捨てられるべくも無く、また捨てようとはしないからこその行動であった。
その時は、それが2人にとって、最良だと思っていたからこそだ。
***
そして、今日へと繋がったという次第であった。
だからこそ、今ローガンと銀次は、2人きりなのである。
あの後、細々と計画を練り、今日の為に動いて来た2人。
ラピスは、ジャッキーからの督促状が届いたのを良い事に、さっさと冒険者ギルドへと出向き、期間的にも面子的にも相応しいだろう依頼を見繕って来た。
ラピスは、Sランク依頼で未達成となっていた東の森に存在する『幽霊屋敷』の調査だ。
実は、この『幽霊屋敷』。
元は彼女達家族が住んでいた邸宅だったという。
それが、以前の王国からの徴兵によって、そのままになってしまっていた。
その為、侵入者対策であった罠が起動したまま、今も現役で残ってしまっているのだろう、という事だ。
だが、その侵入者対策の罠も、これまた彼女考案のもの。
彼女ならば簡単に解除が可能という事で、実質的に危険なのは移動や、道中の魔物のみと言うイージークエストとなる。
期間も、魔法陣を使えば1泊2日程度の遠征となるのだからお誂え向きだった。
対するライド達も、Aランクの依頼で、東の森への遠征。
期間的な拘束も1泊2日。
簡単な魔物の駆除と縄張りの調査となっているが、良くある討伐依頼だ。
実戦経験を培わせるという事であれば、十分な理由となり、また引率にAランクのライドとアメジスも同行するという事で、概ね問題は無い。
表題に上がっていたライドやアメジスにも、短い期間の間でしっかりと根回し。
勿論、アンジェにすらも話を付け、その為にオリビアを丸め込んで『聖王教会』へと実家帰りの名目で、泊まり込みまでさせる算段を付けた。
しかも、本日ばかりは青二才の騎士団長ことゲイルにも既に話が付いている。
ローガンの為に、彼も本日は校舎の護衛はお休み。
まぁ、最近片付いた武器商人との件で、各所を回っているのか忙しくて当分は出向出来ない、という裏事情も含まれるが。
ローガンの本日の予定の為だけに、ラピスや間宮が秘密裏に行動。
彼女の為の御膳立てをしていた、という事である。
そして、今日この日。
彼女の日程は、それこそ銀次を中心に組み立てられていた。
まずは、銀次と話をする。
以前の事も含めて謝罪もそうだが、想いを伝えるのだ。
雰囲気は重要だ。
だからこそ、最初はゆっくりと話をしようと、決めていた。
また、昼や夜に、お互い腹がすくのは当然だ。
この日の為に、食事担当の面々も抱き込んで、昼食や夕食の準備は当の昔に済ませてある。
簡単に温めれば事済むだけの料理ばかり。
………当の本人の手作りではない理由は、割愛しておこう。
要するに、ハルバート捌きは見事でも、包丁捌きは不得手だったというだけの話だ。
とまぁ、そんな1日の日程を組み立てていたのだが、それも残念ながら悉く空回りしていた。
それは、当日の朝から、銀次が体調不良だった事も起因している。
まさか、ラピスも銀次本人が高熱を出してダウンするなどとは予想もつかなかった事だろう。
出鼻を挫かれたような形だが、予定は待ってくれない。
仕方なく、銀次の体調を見て、作戦を決行する事を決めた。
更に言えば、ローガンはこの前の日に、一睡もする事が出来なかった。
興奮や期待、また諸々の不安で、まるで遠足を心待ちにした小学生のように、一切眠る事が出来なかったのである。
これも、流石にラピスが予想していなかった事態だ。
その上、今日は気候が安定しすぎていて、転寝日和。
既に、2月であっても20度程の気温に、時折吹く風も心地良く過ごしやすかった。
銀次もソファーでぐったりしている事だし、話が出来る筈も無く、またそんな話が出来る程の雰囲気でも無かった。
結果的に、手持無沙汰になった寝不足の彼女が転寝をしてしまったのは、仕方ない事だったのかもしれない。
閑話休題。
問題は、彼女が転寝をしてしまった事では無く、銀次との今後の事である。
どうするべきか。
というのは、既に彼女も腹を括っている部分だ。
彼と添い遂げる為に、多少無理矢理であろうとも、結ばれるしかないのだ。
銀次がどう思うだろうが、念頭には無い。
彼女にとっては、ラピスの妙案が最良と信じて疑わない、道だったからだ。
だが、頭では分かっていても、
「(………で、でも、どうすれば…!
こ、このまま、ここで立ち尽くしていて良いとは思わんが、次はどう動けば良いのか、)」
それを恙なく実行できるとは、限らない。
彼女もその限りでは無い。
先程から散々、下品な程に「生娘」だ、繰り返している事実もある。
そして、彼女が今こうして握り締めている、小瓶の中身にも問題があった。
この小豆豆のような丸薬は、女蛮勇族に伝わる秘薬である。
名前は無い。
だが、言い方は多々あれど、使用用途はすべて同じ。
以前、『インヒ薬』の活用や精製方法等の話し合いの時、一度チラリと出て来た話題の1つ。
元々『インヒトレント』は、『インヒ薬』の他にも、優れた効能を持っていたからこそ重宝されていた。
でなければ、女蛮勇族も飼おうとは思わないだろう。
その1つの理由が、種にある。
成長が進み、花が咲き、花が散る。
自然に自生している草木や花と同じ生育をしている『インヒトレント』だが、必要とするのは魔力。
そして、その魔力は、花が散り種となった時に凝縮される。
その種が、女蛮勇族の秘薬でもある催淫効果を持った薬の原料となる。
媚薬だ。
この世界でも、多数存在している効果の程の確証も無い媚薬の数々。
その中でも、群を抜いて効果が高く、また実績を持っているのもこの丸薬だった。
彼女はまだ試したことは無い。
しかし、周りの反応を見れば、嫌でも分かる。
市場に出回っている、嘘か真かも定かでは無い二級品とは訳が違う。
実際に使って効果を発揮した一例が自分達だと、案に理解しているというのも分かっているのだ。
………あまり、そう言った方面の話は、知りたくなかった事実だったが。
使った、と言う実体験は聞いている。
ならば、疑いようも無い。
とはいえ、それを今から自分が使うのだ、と考えると尻込みしてしまう部分もあった。
正直に言えば、怖いのだ。
この後の行動で、銀次にどう思われてしまうのか。
そして、その行動の末にどうなってしまうのか。
また、この丸薬を使った事で、自分自身がどうなってしまうのか。
その先に待っているだろう行為も、はっきりと言うならば怖い。
一度は、ラピス相手に見せていた気概。
それも、今では出鼻を挫かれた挙句に、諸々の要素が伴って、萎んでしまっていた。
「………どう、すれば、」
ぶつぶつと、小瓶を眺めながら同じことを繰り返すローガン。
ラピスと話していた時の勇ましさは、一切見受けられない。
しかし、だ。
「………あ」
そんな彼女の耳に、ふと大きな水音が響いた。
思い出した。
自分は、風呂場の前にいるのだと。
そして、中には銀次が入浴している。
とはいえ、彼だっていつまでも入っているつもりな訳が無いだろう。
いつかは出てくる。
好機だ、と先程に感じたのは、間違いでは無い。
だが、彼が入浴を終えて風呂から出てしまえば、その好機は失われる。
そう考えた時、彼女の脳内には焦燥。
しかし、それと共に、いつぞやラピスにも見せた、気概が覗き始めた。
好機は、一度だけとは限らない。
この先、少し時間を置いて、機会を伺うのも一つの手だ。
だが、時間は1日だけと、限られているのが事実。
今この状況で、2人きりという御膳立てがある中で、事を遂行しなくてはならない。
そう考えた時、ふと脳裏に過った微笑み。
ラピスの、菩薩のような笑みだ。
―――「こんな形ではあるが、私にとっては初めての友人じゃ」
そう言って、嬉しそうに恥ずかしそうに微笑んだ彼女。
そんなラピスは、彼女がこのまま里に戻るのも、また根無し草の冒険者稼業へと戻るのも良しとせず、共に銀次を支える妻として、迎え入れようとしてくれた。
今、ここで、彼女が、好機を逃すことになれば。
そんな懐の深さを見せてくれた彼女に、申し訳が立たないのではないか。
こんな力ばかりに秀でただけの馬鹿な女に、数々の御膳立てをしてくれた彼女に、報いる事が出来ないのではないか。
彼女は、何も銀次の事を想っているだけでは無い。
そうしたラピスからの心遣いを受け、彼女と同じように銀次を支えて行こうと決めたのだ。
ラピスも同じように、自分が守り、支えようと決めたのだ。
そこで、彼女の目には、きらりと光るものが浮かんだ。
だが、それを流す暇もあればこそ。
彼女は、少し震えた手で、小瓶のコルクを引き抜いた。
***
そして、後編に続きます。
正直やらかした、と思ってはいましたが、色々と乱立してしまったフラグの所為でどこからどこまで回収すれば良いのやら、と攻めあぐねてしまってすっかり長くなってしまいました。
ローガンさんは、果たしてアサシン・ティーチャーを押し倒すことが出来るのでしょうか。
ただ、今後はラピス姉さんも、娘のご機嫌取りが大変そうではありますが、それでも幼女趣味疑惑をアサシン・ティーチャーから払拭する為に、頑張る事でしょう。
ちなみに、この話。
エロは………無いとは言い切れませんね。
誤字脱字乱文等失礼致します。




