96時間目 「特別科目~新参の騎士~」
2016年7月26日初投稿。
続編を投稿させていただきます。
ちょっとだけ駆け足です。
申し訳ない。
96話目です。
***
2日間、ベッドとトイレの往復しか出来なかったオレ。
回復してからも、何処か夢現の状態だったこともあってか、一部の生徒達が過保護になってしまった。
女子組は勿論、依存傾向のあった生徒達も。
顕著だったのは、エマだった。
オレが眉根を寄せて、頭を抱えるだけで大丈夫か?と慌てて駆け寄ってくる。
更には、オリビアも半狂乱になった。
最近のオレの状態異常に、遂に限界を感じたようだ。
ゴメン、と言おうにも、彼女はぼろぼろと泣いたままだった。
もしかしたら、精神感応でオレの感情を読み取ってしまった可能性も高い。
再三の申し訳なさで、オレまで涙が出て来てしまった。
本当に情けない。
そして、ラピスは勿論の事、ローガンも心配性を患ってしまった。
特にローガンは、オレの体調不良が自分の所為だと考えてしまっているらしい。
この2日間、オレと一緒になってグロッキー状態だった。
ただ、ラピスもそれは同じなのか、滅茶苦茶過保護になった。
3日前の怒鳴り声を思い出してみて欲しいものである。
しかし、オレとしては彼女の姿を見ることの方が辛かった。
おかげで、看病されている筈なのに、まったく落ち着かない。
感情が全く落ち着いてくれないから、情緒不安定になっていたのだろう。
気付けば、泣いている。
それを見て、更に生徒達が心配する。
悪循環だ。
これはもう、とっとと気持ちも環境も切り替えた方が良さそうだ。
そう思って、3日目となる今日。
「………いきなり、来られたかと思えば、」
「ああ、悪い。
ちょっと、心労で体調不良が続いているもんだから、」
オレは『聖王教会』に来ていた。
勿論、オリビアを含めた、女神達の癒しを求めての事だ。
イーサンには呆れ混じりに心配された。
けど、オリビアや女神様達の様子を見ているだけで、だいぶ癒されているのか泣き出すことは無かった。
まぁ、やっぱりここでも、滅茶苦茶心配されたけども。
ただ、女神達も心配するばかりでは駄目と知っていたのか、色々と大盤振る舞いをしてくれた。
まず、『占星』の女神だというアリーヤが、占いをしてくれた。
………結果は、凄惨たる有様だったおかげで、オレは更に凹んだけども……。
次に、『弦楽』の女神だというエヴリンが、弦楽器での演奏を披露してくれた。
………『眠りへの誘い』効果で、まったく聞けなかった。
最後に、『聖』属性を持っている女神達全員で、時たま『聖堂』で行われている結婚式等の余興である、女神様達からの『祝福』とやらを、特別に見せてくれた。
各々操る光の色が違うのか、数々の光が『聖堂』に上っていくのを見るのは確かに目には豪華だった。
しかし、忘れることなかれ。
この余興に関しては、第一の前提で女神様達が見えていない事が必須だ。
オレには女神様達の姿が見えてしまっている。
おかげで、彼女達が一生懸命になって魔力を捻り出した上で光の乱舞を作り上げているのを見て、感動するどころかハラハラしてしまった。
………だから、魔力の温存を考えなさいよ。
アンタ等、何の為に地上に留まっているのか、思い出してごらん?
嬉しいのが、気持ちだけとか。
おひねりと称して、ストックにしていた魔石を全部置いて行ってやったのは余談である。
まぁ、心配されるというのは、なんにせよ嬉しい事だ。
それが、彼女達のような見目麗しく、幼女であるならば。
………幼女趣味疑惑が留まる事を知らない。
なんて事もありながら、ついでに注意喚起。
「ちょっと事情があって、ミアの事が一部にバレた。
今後は、彼女の身持ちの事も考えて、色々と注意して欲しい」
「はい、かしこまりました。
わざわざ、お教えくださって、ありがとうございます」
「ありがとうございます、『予言の騎士』様」
実は、一番の目的はこれだった。
なのに、結局オレの願望を優先したことを誰か叱ってください。
彼等からの畏敬や感動の篭った視線が自棄に痛くて、またしても泣き出しそうになった。
***
午後になってから、もう一つの用事を消化する事にした。
後回しには出来ない用事だったからだ。
何の事は無い。
新しく編入することになった生徒達に、校舎案内という名目のカウンセリングだ。
………カウンセリングを受けるべきはオレだという、突っ込みは聞かない。
実際、生徒達に言われてしまったけども、敢えて耳を塞いで切り抜けたんだから………。
………片手で意味なかったけどね。
「と、言う訳で、今後はこの体制で、しばらく様子見を続けるつもりだから」
「はい、了承しました」
「かしこまりました」
そう言って、校舎の案内を終えて、ついでにオレ達の普段の様子を見せたところで、丁寧な所作で返答をした彼等。
ディランと、ルーチェ。
ついでに、彼等の保護者であるジョナサンとスプラードゥも一緒だ。
「ああ、それから、その言葉遣い、今は良いけど今後は改めてね?
オレに敬語を使う必要もないし、生徒達にもそれは同じだから」
「…うっ、ぜ、善処します」
「………右に同じく、」
口調だけは、そろそろ改めてくれても良いと思う。
以前、食事会の時もそう思ったが、彼等は堅苦しすぎる。
それは、貴族家としての教養だと褒めるべきところなのかもしれない。
だが、この校舎に編入することになれば全くの無意味だ。
オレもそうだし、ウチの生徒達だって貴族ではない。
何人かは、オレに対しての敬語を使う癖が抜けないまでも、普段は皆タメ口だし、時たま罵声が飛び交っている。
委縮してしまうだろう。
それに、敬語は時として、言葉を用いた壁になる。
生徒達に馴染めなければ、彼等もこの校舎に居辛くなるだろうし、退校することになっても困る。
それでは折角編入試験に合格した意味が無くなってしまうし、人材を失うのはオレとしても困る。
なので、早めに彼等には、このスタンスに慣れて貰わなければ。
今日は、一日全てを自由時間とし、生徒達にも自由にやらせておいた。
オレ自身の体調も優れないこともあって、授業もお預けだし、冬休みを控えているのでそこまで授業にこだわるつもりも無い。
………まぁ、抜き打ちカウンセリングが出来ていないままなので、それだけが心残りだが。
自由にやらせておいた生徒達の様子は、様々だ。
鍛錬に勤しむ者、これ幸いと趣味に没頭する者、掃除に精を出す者。
要職についている生徒達の中には一日専属の箇所に篭るなんてこともしている。
榊原と香神が、その最たる例だ。
現代での料理をこちらの食材で再現するつもりなのか、今日一日厨房に篭るつもりらしい。
食事時間を問わず、厨房から良い匂いが漂っているのはなんにせよ、腹の調子によろしくない。
体内時計が狂って、盛大に鳴ってしまいそうだ。
まぁ、それはともかく。
一通り校舎の案内と共に、生徒達の様子や施設の説明、各自の役割分担なんかを説明してから、場所をリビングへと移す。
ここで、オレも少しだけ一服を挟ませてもらう。
最近、シガレットも吸えていなかったので、頭がくらくらした。
そんな少し行儀悪い中でも、話は続けている。
監督官の時のオレと、この編入してからのオレにギャップを感じているのか、ディランもルーチェも目を白黒させていた。
これもオレのスタンスだから、早めに慣れて?
「それから、これは一応、今後の予定表ね。
予定は未定、って言葉もあるから、この通りになるとは鵜呑みにしないで欲しいけど、」
「はい!」
「………遠征が多そうですのね」
そう言って彼等に渡したのは、大まかではあるが日程表。
念の為に、保護者用にも書いておいたので、ジョナサン達にも渡しておいた。
まぁ、ゲイルも知っている予定ばかりだから、見なくても良いだろうが。
今のところ、予定が決まっている遠征や巡礼等。
一応、1年分作ってみたが、オレがそれを満了出来るかは、『天龍族』訪問の後の結果次第。
神のみぞ知る、である。
この辺りでまた涙が出そうになったけど、シガレットの煙に咽た体を装って誤魔化しておいた。
「前にも言った通り、『予言の騎士』と『その教えを受けた子等』としての活動の一環として、どうしても遠征が多くなるんだよ。
『聖王教会』の巡礼も必須だし、予定としては既に1ヶ月に1回のペースで各地を移動することになる」
そう言って、オレも一応予定表を開いて確認。
今のところ、3月初旬の『白竜国』国王の来訪は抜いている。
けど、必要なら生徒達にも出張って貰う必要はあるだろうから、あくまで未定とはいえ王城への出向をスケジュールとして書いておいた。
そして、3月の中旬は、1ヶ月丸々使って遠征だ。
目的地は、以前から度々表題に上がっていた『終着点』と呼ばれる、南端の灯台砦である。
これには、流石に知っているであろう保護者が難色を示した。
「………この遠征は、必要なのですか?」
「失礼ながら、ここには罪を犯した騎士達も送り込まれていると聞き及んでおりますが、」
「ああ、安心して。業務に参加する訳じゃないから」
言うなれば、遠征の名目は騎士団長直々の、砦の視察という事になっている。
それに、オレ達がくっ付いていく形。
医療関係で出向すると知っているのは、ゲイルやその親衛隊と国王ぐらいのものだ。
まだ、彼らに知らせるべきかは、決め兼ねている。
なので、そちらの方面の話も詳しく出来ないからあくまで実戦経験を培うため、と伝えておいた。
まぁ、砦に付いてからが、どうなるか分からないけども。
なんか、詳しくゲイルから聞いた話、兄貴がとにかく気難しそうなんだよね。
まさかとは思うが、似たもの親子とか言わないでね。
………スタンスが気に食わないから、帰れなんて言われたらどうしよう。
なんていうオレの不安はともかく、その後も細々としたスケジュールの詳細を説明。
3月末に控えている『天竜宮』への訪問には、驚かれていた。
まぁ、あまり詳細が知られていない魔族の城に、訪問する予定があるなんて吃驚するだろうさ。
名も知らない部族の元に、放り込まれるようなものだもの。
………過去、オレの師匠がやったように。
「………どうかなさったのです?」
「…お加減がよろしくないのですか?」
「いや、大丈夫。ちょっと、頭が痛い事案を思い出しただけだから、」
これまた涙が出て来そうになったのを、気合で堪えておいた。
過去の事は思い出さない。
代わりに未来の事を考えるんだ。
………よし、オレの未来はお先真っ暗だということしか分からない!
涙が止まらなくなった。
***
結局、涙が出て来てしまったので、トイレと称して一旦休憩。
生徒達にはまたしても、心配をさせてしまった。
ぐすん。
………オレの涙腺が、堪え性の無い件について。
ディラン達には、場をつなぐ為に間宮に頼んでお茶を出して貰って、その間に、緩んだ涙腺を引き締めつつ、目を冷やしておく。
いやはや、自分で墓穴を掘ってどうするよ。
………やっぱり、本格的にもう限界なのかもしれない。
安定のオレの豆腐メンタルに、もう溜息も出て来ない。
「済まんな、中座して…」
「いいえ、お構いなく」
「このような美味しいお茶まで淹れていただき、ありがとうございます」
どうやら、場を繋ぐのは何とかなったようだ。
間宮がどや顔でスタンバイしていた。
が、にっこり笑ってありがとうと言ってからそのままリビングから追い出した。
ご無体です!なんて言われても、お前だって今日は生徒の一人として自由にしていろ。
まぁ、自由過ぎる行動が、オレの背後に陣取る事だと言うならプライバシーの侵害として社会的に抹消してやる。
………言い過ぎたな、ゴメン。
後々、社会的に抹消されるのはオレの方だ。
またしても、涙が出て来そうになったが、これまた気合で堪えた。
「さて、さっきも言った通り、遠征の予定が詰まっている。
最終確認をしておきたいのだが、本当に大丈夫なんだろうな?」
そう言って、ディランとルーチェの両名を睥睨する。
ディランは大きく頷き、ルーチェも同じ。
ただし、そんなルーチェの父親であるスプラードゥが、少しだけ浮かない顔。
「ルーチェ、今からでも遅くは無いぞ?
家族の縁を切るなんて大仰な事までして、こんな校舎に入ってくることは無い」
当たり前だ。
今しがた、オレの言った言葉の通りなのだから。
なんと、このルーチェ。
母親の反対を押し切る為に、出家すると言い出したのだ。
以前、この校舎への編入資格を得る為の、強引な手段とはまさにこのことだ。
今は、出家した先である街の宿屋で、使用人の一人と生活をしている。
金も貴族家には頼らず、今までこつこつと溜めていたお小遣いを消費して。
勿論、秘密裏に護衛が付いてはいるものの、本気で彼女は男爵家を出たのである。
これには、スプラードゥ本人も驚いたし、母親のヘイリー夫人に至っては卒倒したらしい。
そこまでして、この校舎への編入を希望していたのだ。
まぁ、そこまで求めて貰えているのは、嬉しい限りである。
オレからしてみても、彼女は逸材。
女性で、しかも貴族家で、いくら初心者用のメニューだと言っても、ここまでの訓練について来られる人材は、オレだって獲得しておきたい。
もし無理なら、騎士見習いとしてくれないか?とゲイルからも打診された事もある程だからな。
だが、そんな彼女は、やはり間違っても貴族家。
勿論、家族がいる。
折角、家族がいるのに、彼女はそれを捨てようとしている。
『予言の騎士』と『その教えを受けた子等』としての職務に、安全なんていう二文字は存在しない。
保障だって無い。
オレに、命の保証や危険手当が無いように。
「もう二度と会えないなんて事もあり得る。
本当に、お前はそれで良いのか?」
だからこそ、今一度の最終確認。
保護者も含めて、こうして通告を言い渡す。
「いいえ、私の意思は変わりません。
この校舎への編入は、私個人の望みであり、最上の名誉でもありますので」
それでも、彼女はこの校舎への編入を、切望している。
そして、それを最上の名誉だと、オレの眼を見て言い切った。
意思は固い。
そして、彼女はきっと死すらも厭わないだろう。
希望を叶えてやるのは、やぶさかではない。
「………。」
オレは一旦、スプラードゥへと視線を向ける。
彼は一瞬だけ手指を震わせたものの、オレの視線に対して、ルーチェとよく似た意思の篭った瞳で頷いた。
こちらも、既に意思は固まっている。
なるほど。
ならば、後はオレの采配という事だ。
………まったく、どいつもこいつも、オレになんでもかんでも決定を押し付けやがる。
「………分かった。
後で、今現在寄宿している宿の場所を教えてくれ。
滞在費を、こちらから出しておく」
「えっ!?い、いいえ…!
そこまでして貰う事はありませんし、私もそれなりの資産は、」
「あと1ヶ月、その生活が続くとしたら?」
「………そ、それは、少し心許ないですが、」
現在、制服の新調と共に、校舎の新調も検討中。
それまでは、ルーチェが泊まれる部屋も無いし、ましてや予定は1ヶ月後。
今から着工したとしても、『白竜国』国王陛下・オルフェウスの訪問が終わってからが、再度入居予定だ。
だから、それまでの間はどうしても、宿での生活を余儀なくされる。
先行投資として、滞在費ぐらいは出してやるさ。
この校舎に来るために、ここまでの事をした彼女の行動力は、素直に評価できるものだと思っているから。
「ただし、入学するまでの間に、しっかりと母親と話をしておけ?
ちゃんと両親ともども了承を得て、胸を張って、ウチの校舎に入れるようにしてくれ」
「………うっ、」
「返事は?じゃないと、お前の編入資格は取り消しだ」
「は、はいっ!必ずや!」
はい、よろしい。
頼むから、次からはこんな強引な方法を取る前に、報告をして欲しいものである。
スプラードゥから聞き出したゲイルが知らせてくれなければ、オレだって知らなかっただろうからね。
まったく、もう。
「さて、これで、編入への説明会は終わりだ。
両名とも、保護者ともども、ごくろうさまでした」
「ありがとうございました」
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
オレが頭を下げるのに合わせて、ディランもルーチェも頭を下げた。
まだまだ口調が堅苦しいが、まぁ許容範囲という事にしておいてやろう。
「何か、聞きたい事はあるか?
先に、疑問やら粗略は解消しておきたいんだが、」
最終確認も含めて、質問があるのかを聞いてみた。
あらかじめ、粗略は無いように説明をしておきたいし、編入してから話が違うとなっても困るしな。
「あ、では、恐れながら、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ?」
おずおずと言った様子で、質問の意思を表明したのはルーチェ。
視線がオレの左腕に向いていたので、十中八九、質問の内容が分かってしまうが。
「腕は、どうなさったのですか?」
「これ、ルーチェ!」
やっぱり、腕の事だ。
もう、オレの動かない左腕の事が、どうやら彼女はずっと気になっていたようで。
父親に窘められて、渋々口を噤んだルーチェ。
ただ、気になるのかちらちらと視線をこちらに向けるのは忘れていない。
「も、申し訳ありません」
「いや、良いよ。気になるだろうから、仕方ない」
掌をひらひらと振って、苦笑を零す。
「オレは、元々軍属だったんだが、18の時に被爆した」
「ひ、被爆?………それに、ぐ、軍属?と言われますと、」
「こちらの形態とは少し違うが、騎士団と似たようなものだな。
魔法とは違う砲撃を受けて負傷したんだが、その後の処置が問題で後遺症が残ってしまって、もう二度と動かないと宣告されている」
嘘だけど。
動かないのは本当だから、全部が嘘って訳でも無いし。
まぁ、嘘も方便って事で。
「そ、そうだったのですね。
申し訳ありません、不躾な事をお聞きしてしまって、」
「気にしなくて良い。割と、頻繁に聞かれるから慣れてるし、」
むしろ、気にならない方が可笑しいと最近気付いた。
出会った人間の8割が、顔の次に腕へと視線を向けるから、慣れっこだ。
そういや、生徒達にカミングアウトしたのも、HR中に質問が無いかと聞いた時だったか。
もう、1年前になる、平穏な日々が懐かしく思う。
あの時はまだまだ、こんな状況になるとは思ってもみなかった、普通の学校だったのに。
………また、涙腺が決壊しそうになったので、苦笑を零しておいた。
「他には、無いか?」
「は、はぃ!ぶ、不躾ながら…!」
と、他の質問の有無を問うと同時に、ディランが声を上げた。
何か、緊張しているように見えるけども、一体何を聞きたいというのだろうか。
「あ、あの、『予言の騎士』様、」
「先生!」
「はひっ…!せ、先生の、その眼は一体どうなされたので?」
名称を正しただけで、乾いた悲鳴を上げたディランは、対人コミュニケーション能力に要チェックだな。
それはともかく、聞かれた内容は、左目に大仰に巻かれたままの包帯だ。
編入試験の3日目からのこの包帯は、彼等にとっても驚きだったようだ。
だが、どうするか。
………教えても良いのだが、怖がられても困るし。
まぁ、校舎に編入したら、遅かれ早かれ分かるだろうし、良いか。
怖がられたら、その時だ。
………オレが凹むだけだ。
「間宮、すまん」
「(お呼びでしょうか!)」
おそらく、校舎のどこにいても駆けつけるであろう、間宮を呼ばわる。
ドアから勢いよく登場した彼は、おそらく結構な確率で廊下に待機していたな。
ドアからの入室なのは、このリビングに屋根裏が無いからだ。
普段は、上からの頻度が高くなっている。
………コイツは、本気で忍者を目指しているんじゃなかろうな。
そして、ディラン達は揃って「Σ…ッ!?」と普段の間宮のようになっていた。
そりゃ、驚くよね。
だって、呼んでから1秒もしないうちから、入って来たし。
「包帯外すの手伝って?」
「(………よろしいので?)」
「校舎に編入すれば、すぐ分かる事だしな」
そこまで秘密主義を貫きたい訳では無いの。
と言う訳で、間宮に手伝ってもらいながら、大仰に巻かれた包帯を取り去った。
左目だけが銀色に変化したままの、異様なオッドアイ。
なまじ、右目が群青色になっているから、白と黒のモノトーンで気味が悪いとは思う。
ディラン達が、これまた揃って息を呑んだ。
スプラードゥの勤務の時には既にこの状態だったから、彼が一緒になって驚くのも無理はない。
「元々、色素異常を持っていたんだが、最近になって戻らなくなってしまったんだ」
「…そ、そうだったのですね。
………し、しかし、見事な銀の眼、で…」
「おべっかはいらないぞ?
しかも、変異してからは精霊の姿まで視えるようになっちゃったから、ぶっちゃけ言うとかなり不便」
「…せ、精霊の姿まで視えるのですか?」
「うん。だから、精霊の属性で、隠し事が出来るとは思わない事だ」
そう言って、にっこりと笑ってやるとディランもルーチェも固まった。
まぁ、こっちもこっちで編入してからすぐに分かる事だ。
お互いにね。
話の流れとして、上手い事つなげられたので、そのまま話しておく事にした。
何かと言えば、この校舎のある種の特異点。
そして、この世界に来てから表題に上がる事となった、ファンタジーな問題である。
「現在、ウチの校舎にいる生徒達は、どいつもこいつも魔法の属性に関しては異能が多い」
2本目のシガレットに火をつけて、煙と一緒に言葉を吐き出す。
「シングルは勿論だが、攻守が使える『聖』属性や、特化型が多い。
ダブル、トリプルも当たり前で、中には3属性の同時行使が可能な生徒もいる」
顎をしゃくって、間宮へと合図。
コイツも例の如く、『水』、『風』、『土』のトリプルなので、一番分かりやすい。
水の玉を生成し、風を巻き起こし、土の礫を更に生成。
ここまで、2秒もかからずに発現し、更にコイツは無詠唱と。
これまた揃って絶句した面々に、更に投下する爆弾。
「医務員には、全属性を扱える女性もいるし、新しく4重を扱えるようになった生徒なんかもいる」
医務員はラピス、クアドラプルなんて面子は、最近発覚した生徒の一人とゲイルである。
実は、アイツも『闇』属性を持っていたから。
まぁ、その属性を持っている奴が、実は一番多いなんて事になるけど。
「ちなみに、オレはダブル。
現在は、『火』の精霊・サラマンドラと契約していて、あともう一つ持っている」
そこまで言って、ふと言葉を区切る。
ディランもルーチェも、俯き気味でオレの話を聞いている。
ジョナサンも、どこか心苦しそうな顔をしていた。
その拳が震えているのは、感じている劣等感や、圧倒的な恐怖なのだろうが、
「これは今まで伏せて来たが、オレは『闇』の精霊・アグラヴェインとも契約している。
そして、生徒達の中では既にオレの知る限り、4人が『闇』属性を持っている」
この校舎では、そんな異能も大歓迎だ。
オレがその筆頭だからね。
オレの言葉を聞いて、ハッと顔を上げた2人。
ないし、ジョナサンも含めて3人。
スプラードゥは少し納得した様子で頷いただけだった。
実は、オレの魔力が暴走した折にも、スプラードゥはいたからな。
そして、この話をして、何が言いたいか。
劣等感を感じる必要も、恐怖を感じる必要も、なまじ、そんな悲壮染みた顔をする必要は無い。
オレの眼にも、既に視えている。
それは、この2人の少年少女が抱えている属性だ。
黒い色の光を纏った精霊は、間違いなく『闇』の精霊だろう。
ディランは色濃く、その身に纏わせている。
ルーチェは、ディランに比べれば若干少ないものの、これまたその身に纏わせていた。
この世界では、『闇』属性は別名『魔族魔法』。
忌避される属性であり、まだまだその誤った認識が覆される兆しが無いので、彼等もこの属性を持っている事に悩んでいたのだろう。
『闇』属性を明かすことは出来なかったので、ディランは魔法が使えないと言った。
ルーチェも、トリプルだったのに敢えてダブルと表明した。
だが、残念なことにオレには、分かっていた。
ディランが最初に魔法を使えないと進言した時、内包されている魔力の質で『闇』属性だと気付いた。
だから、即座に榊原と永曽根の座禅組に任せた。
そして、ルーチェの場合は、ダブルと表明した割には扱いが下手だったのだ。
『水』も『風』も扱いは出来るが、持続が出来ない。
なのに、内包されている魔力はそこそこだったし、貴族家であり騎士の家系なら魔法の扱いぐらい習いそうなものだ、と気になっていた。
そこへ、オレのファンタジーフィルターの開眼が重なった。
見れば、魔法を使う時、彼女の周りの『闇』属性が騒いで騒いで、他の属性の行使を邪魔しようとしていた。
だから、気付けた。
使い慣れているのは、おそらく『闇』属性だったのだろうと。
2人とも、この属性を隠していた。
だからこそ、この校舎への編入に躍起になっていたのだ。
騎士団に入れば、この属性というだけで忌避される。
そもそも、騎士団の採用試験に受かる事も出来ないかもしれない、と怖がってしまっていた。
そこで、丁度良くウチの校舎の編入試験の一報。
騎士になれないなら、『予言の騎士』が教鞭をとっている校舎に編入するしかない。
だからこそ、彼等は騎士採用試験ではなく、ウチの校舎の編入試験へとやって来たのだ。
そう考えると、今更ではあるが、色々と合点が行く。
どちらも、男爵家でありながら騎士の家系なのに、騎士団への試験をすっ飛ばしてここに来ていたからな。
そんな裏事情があったわけだ。
ちなみに、ウチの校舎ではオレと榊原、永曽根が、元々『闇』属性だった。
ついでに、最近新たに『闇』属性の発現に成功したのが、河南。
これは最近知った事実だった。
実は、河南も精霊が『視えて』いたようなのである。
それは、この世界に来てからずっとで、時たま彼がぼーっとどこかを眺めていたのは、実はその精霊達を目で追っていたから。
そして、最近覚えた対話を使って、『闇』の精霊の協力を得た。
おかげで、彼も最近は『ボミット病』対策の座禅会に参加予定である。
と言う訳で、生徒達の中では、4人だ。
ラピスやゲイル、ライドやアメジスを含めると8人になる。
その為、実は割合が一番高い属性が『闇』になったりする。
しかし、
「(トントン)」
「うん?どうした、間宮?」
ふとそこで、オレの肩を叩いたのは、間宮だった。
振り返ってみれば、彼はその場でにんまりと笑いながら、手を差し出した。
かと思えば、
「………うわぁお」
『Σ………ッ!?』
その手から溢れ出したのは、黒い靄のようなもの。
「(………オレも発現出来ましたので、5人です)」
ディラン達どころか、オレも目が点である。
にっこり笑ってのたまいやがった我が弟子には、にっこり笑ってアイアンクロー。
簡単にあっさり、使いこなしてんじゃねぇ!
オレの今までの苦労をなんだと思っていやがるのか…ッ!
………理不尽な理由ではあるが、怒らずにはいられなかった。
安定の弟子の、ハイスペック問題。
本日何度目かも分からない、涙腺崩壊の危機である。
***
そんなオレの涙腺危機一髪のような説明会も終えて、ディラン達は帰って行った。
次に彼等がこの校舎に来るのは、約1ヶ月後だ。
それまでは、春休みと称したオレ達の休み期間。
彼等も、身支度や家財の整理なんかを言いつけてある。
ルーチェは既に済んでしまっているだろうが、実家に戻って話し合いの期間だ。
校舎への編入はこの際受け入れるから、じっくり話し合って欲しいもんだ。
さて、残す仕事は、夜の食事会だけとなった。
時刻は、既に夕方。
今から準備をすれば、少し時間は余るが余裕を持って、指定された店に向かえるだろう。
まぁ、当の本人が、参加できるかどうかは分からないが。
そこで、ちらり、と横目で視線を送る。
そこには、ダイニングのソファーでぐったりした様子のゲイルが寝ていた。
あれ、顔色からして、死んでねぇ?
「生きてるか~、ゲイル?
死ぬのは、せめて家族問題解決してからにしようぜ~」
「え、縁起でも無い事を………」
声を掛けると、ぐったりしながらも返答は返って来た。
うん、死んでない。
………この後、どうなるのかは分からないものの。
ご指名は、オレとゲイル。
出来れば、オレ達2人だけで参加して欲しい、という要望だった。
律儀な事に、迎えの馬車まで準備しているとかなんとか。
しかし、そんなご指名を受けた彼の様子を見ていると、やっぱりオレとしては無理だとしか言えない。
そもそも、無理をして消化するべき用事では無いような気がする。
だって、彼等からのお誘いは、結局のところオレ達2人に対しての報復がメインだろう。
へもへも向かって、殺されるなんて馬鹿らしい。
簡単に殺されてやるつもりも無いが、わざわざ死に向かう真似は必要ないよね。
「やっぱり、お前は今日不参加だ」
「い、いやだ!大丈夫だから、」
「その顔色を見るに大丈夫じゃないから言ってんの」
真っ青通り越して、土気色一歩手前の真っ白な顔で何を言うか。
相手方に何と思われるかは分からないが、それでも彼はおそらく参加しない方が良い。
トラウマに関しては思うところの多々あるオレが言うのだ。
万が一、追体験でも起こしてみろ。
オレ達2人、揃って危ないだろう。
ゲイルを守りながら、ハルの相手は出来そうにもない。
だが、
「…行かなきゃ、いけないんだ…ッ!
こんな不甲斐ない姿であっても、けじめはつけたい…!」
そう言って、頑として譲らないゲイル。
これは、無理に押し込めても、それこそ這いずってでも来ようとするだろう。
生徒達が固唾をのんで、オレ達の様子を見ている。
医務担当のラピスは、眉間に皺を寄せて頭を抱えすらしていた。
「………分かったよ」
そう言って、オレは渋々と言った体を装い、踵を返した。
仕方ない。
こうなったら、こっちも強硬手段だ。
その振り返った先にいるのは、オリビア。
彼女も同じく固唾を呑んでオレ達のやり取りを見ていたが、オレが視線を向けたと同時に、徐に頷いた。
「(合図をしたら、眠らせろ)」
「(了解ですわ)」
最近、オレも間宮と一緒になってマスターした、精神感応だ。
オリビアが一方的に行えるものだったが、彼女の教授の下でオレも今では簡単な精神感応ぐらいなら、使えるようになった。
口では、分かったと返答した。
けど、この状況を見るに、絶対にコイツの参加は無理だ。
当初考えていた通り、彼女には悪いが、憎まれ役を買ってもらう。
約束の時間になったら、ゲイルは強制的に眠って貰い、オレだけが食事会に向かうとしよう。
………一人になるのは怖いが、まぁ常時臨戦態勢だ。
アグラヴェインに、サラマンドラと、今日は大盤振る舞いしてやろう。
「………支度してくる。
お前も風呂入るなら、早めにな…」
「………あ、ああ………うっ、ぷ…ッ」
支度をするようにほのめかして、風呂場に向かう。
そんなオレに返答をよこしたゲイルではあったが、結局またしても、トイレに駆け込んだ。
参加を表明するだけで、これである
………やっぱり駄目そうだ。
***
そして、約束の時間である。
勿論、ゲイルはオリビアに寝かしつけて貰い、オレだけで足を運んだ。
迎えの馬車が向かったのは、2日前にも来たことのある貴族御用達の高級店舗街。
そこの一角にある高級レストランが、今回指定された食事会の会場だった。
ただ、ロビーに入った途端、気になる臭いがあった。
香水では無いだろうが(※この世界には、まだ香水が流通していない)、滅茶苦茶キツイ鼻がひん曲がりそうなコロンのような匂いがしたのである。
流石のオレでも、頭がクラッとした。
一瞬で、鼻が利かなくなってしまった。
もしかして、こう言った高級レストランは、こうしたキツイ匂いを振りまいておくマナーでもあるのだろうか?
………んな訳あるか。
入り口で、これまた執事のような店員に招待状を見せる。
案の定、目を引ん剥かれた。
案内状にはしっかりと、『予言の騎士』様と嫌味ったらしく書かれていたからな。
「こ、これは、『予言の騎士』様!
本日は、お越し下さいまして、ありがとうございます」
「ご、ご予約のあったお客様は既に到着されております。
お、お部屋は、このロビーの突き当りを右に曲がってすぐの、」
半ば、恐々とした様子の店員達からの視線や言葉を頷きつつ、聞く。
そこまでは、大丈夫だった。
しかし、問題はそこからだったのだ。
「『予言の騎士』様!
このようなところで、奇遇でございますなぁ!」
「おおっ!ご機嫌麗しゅう!」
「いやはや、これも何かの縁でございますので、」
「いかがですか!丁度我等も、この店を選んだ次第でございますので、」
「………は?」
ロビーに屯していた貴族達。
その貴族達がオレの入って来た入り口へと目を向けた途端、「本当だった!」と嬉々として近寄って来たのである。
なんぞ?とこれまた、驚いてしまう。
しかも、その貴族達は、一度は見たことのある顔ぶれだったのだ。
おそらく、編入試験の時にお目見えしていた貴族連中だろう。
最初に「本当だった!」と声を上げて近寄ってきたのがなんとか侯爵家で、奇遇だと言って近寄ってきたのもなんとか侯爵家で、後は全てなんとか伯爵家各位だ。
ほとんどが、一度はオレに賄賂や買収を行おうとしていた貴族家だ。
直々に応対したのもほとんどだったので、名前は覚えていなくても顔だけは覚えていた。
しかし、こんなところで奇遇とは、良く言うものだ。
彼らの様子から見ると、明らかに待ち伏せていたような不自然さがあった。
たらり、とこめかみに冷や汗が落ちる。
こんなところで、まさかこんな豚貴族たちに捕まるなんて、思いもよらなかったからだ。
「き、奇遇ですねぇ。
確かに何かの縁とは思いますが、予定がありますので、」
「まぁ、そうおっしゃらず」
「いやいや、『予言の騎士』様程の方ならば、相手の方も時間にはうるさくされないでしょう?」
「『予言の騎士』様相手に、時間を気にするような者など、たかが知れておるのではありませぬか?」
にっこり外面の良い笑顔で乗り切ろうとするが、いかんせん向こうも何故か必死だった。
いや、何故か、なんて分かっている。
例の編入試験の事で、まだまだ賄賂や買収がしたくて溜まらないんだろう。
実際、ディラン達の男爵家には、ひっきりなしに口添えを求める嘆願状が届いているらしい。
面倒くさいことになったもんだ、と彼等には直接国王へとその嘆願書を、『贈る』ように伝えておいた。
少しは抑制できるかと思ったが、この様子を見るに皆無なようだが。
時間を気にするな、と口々に言われる中で辟易としてしまう。
待ち伏せと言い、彼らの必死さやしつこさと言い、なんなんだよもうっ!
と、ふと、考えた時だった。
「(………えっ?)」
ふと、思考にストップが掛かった。
周りでまだ、豚貴族達が騒いでいるが、それは全く耳に入ってこなくなった。
「(…あれ?………何、この既視感………?)」
思い返してみる。
どうにも可笑しいのだ、この状況が。
だって、オレがこの店に来た理由は、食事会の誘いがあったからだ。
しかも、秘密裏に。
なのに、どうしてこんな風に貴族達に囲まれているのか。
しかも、さっきなんとか侯爵が言っていたじゃないか。
「本当だった」と。
つまり、オレがこのレストランに出没する予定を、知っていたという事だ。
どこからか、情報が漏れたとは思う。
しかし、それがどこから漏れたか、さっぱりだ。
知っているのは、オレとゲイル、間宮のみ。
騎士達の一部はもしかしたらゲイルから聞いているかもしれないが、そう簡単に漏らしたりするだろうか?
それとも、また編入試験の時のように子飼いが放たれていたのか?
馬車でも、尾行られたか?
それにしては、この貴族たちの行動が可笑しい。
だって、オレが来た時には、既に彼等がここにいたのだから。
まるで、待ち構えていたかのような動きで、時間的に無理がある。
現に、奇遇とか何とか言いながら、この貴族達は時間を気にすることなく、オレをこうして見つけ出して拘束している。
待ち伏せていたとしか思えない。
まるで、足止めみたいだ。
「(………足止め、なのか?………でも、誰が何の為に?)」
足止め、と考えた場合、思い付くのは食事会に呼び出した当の本人達だ。
しかし、何の為に?
自分から呼び出しておいて、足止めをする必要は?
もしかして、こうして囲まれている間に、ハルがナイフを突き出して来てざっくりとオレを暗殺する手筈だったりしたのか?
と、薄ら寒い想像をしてしまって、周りを見渡す。
しかし、貴族達の囲む範囲は、前方のみで中途半端だ。
オレの背後は、がら空き。
これなら、さっさと離脱出来る。
やるなら徹底的に、4家5家程度ではなく、10か20家は呼び立てた方が隠れ蓑にするには効率が良い筈なのに。
だとすると、更にこの状況は可笑しい。
なんで、この程度の貴族家しか集めていないのか、ましてやオレを足止めするのに使っているのか。
「(………しかも、この既視感は覚えがあるぞ?)」
そうだ、可笑しいのだ。
この状況は、いつかオレが一度立たされた事のある状況に酷似していた。
あの時も、こうして周りを囲まれたのだ。
貴族達とは別に、軍人に。
オレが請け負った戦地での任務で、急遽、突発的に発生した要人警護。
相棒となった一人に一旦警護を任せて、何の用事だったかもう思い出せないけども出掛けた後。
帰って来た途端に、こうして周りを囲まれて職務質問を受けた。
急いでいる、待ち人がいる、時間なのだ、と言っても彼等はオレをその場に拘束するようにして足止めしてくれた。
そして、結局、要人警護は失敗したのだ。
「(………不味い!!)」
そこまで思い出したと同時に、ぶわりと背筋を駆け巡った悪寒。
「間宮ぁ!!」
「!!(ここに!)」
「任せた!」
言ったと同時に、走り出す。
間宮が、オレに付いて来ていたのは知っていた。
きっと、心配だったのだろう。
だから、この際叱ることはせずに、彼を使わせてもらう事にする。
先程、確認したがら空きの背後から、貴族の包囲を抜け出して走り出した。
突然走り出したオレに貴族達は驚きつつも、追い縋ろうとしていた。
それを、今度は間宮が足止めをするようにして、通せんぼ。
そうだ、足止めだったのだ、これは。
先程考えた、待ち伏せをさせた上での足止め行為。
それは、過去オレも経験がある。
暗殺の常套手段だ。
そして、暗殺される対象は、おそらくオレが今しがた邂逅しようとしていたヴァルト達。
一つ、忘れていた事実がある。
彼等の身持ちが、危ないという事実だ。
彼らも、オレ達を拷問までして情報を聞き出したのは、諸刃の剣だった筈なのだ。
危ない橋を渡っていたのは、オレ達よりもむしろ彼等。
既に、彼等は散々表題に上がった、『タネガシマ』を売買する手筈を整えていた。
しかし、その最終調整の段階で、オレ達が現れてしまった。
『タネガシマ』を既に決定している売買先に売り払うのか、先方をキャンセルしてオレ達に売り払うのかの判断に迷いに迷って、あんな誘拐事件を起こしたのだ。
キャンセルにしたということであれば、暗殺をされても可笑しくはない。
要は、買い付け先の先方も、相当危険な橋を渡っていた筈だからだ。
更にもう一つの懸念材料。
それは、彼等に『タネガシマ』を売り付けた、頬に傷のある冒険者だ。
今にして思えば、迂闊だった。
頭のネジが何本かっ飛んでいるのかすら分からない危険な相手だったのだ。
そんなのと接触しているヴァルト達が、危険ではないなんて保証がどこにあったのか。
先程の足止めは、オレを彼等に近づかせない為だ。
そして、彼等を暗殺する為に、仕組まれた罠だった。
ロビーを抜け、全室が個室であるレストラン内を駆け抜ける。
部屋の位置は、先程受付に口頭で案内を受けた。
突き当たりを右に曲がってすぐの大部屋で、扉に花のレリーフが掛かっているとのことだった。
突き当たりに差し掛かったと同時に、腰のホルスターから拳銃を引っこ抜いた。
緊急事態だったのでどちらを抜いたのかは分からなかったが、そのまま拳銃を持ったまま扉へと体当たりをするようにして突っ込んだ。
しかし、
「ぐっ…!?」
跳ね返された。
不味い、鍵が掛かっている。
招待を受けているのに、鍵なんて掛ける必要は無いのに。
だが、先程の体当たりで扉の蝶番がひしゃげてくれたのは僥倖だ。
多分、蹴り破れる。
今のオレの怪力事情であれば、倍率ドンだ。
「………ッ!おい、大丈夫か!?
ヴァルト!ハル!いたら、返事をしろ!!」
蹴りの体勢に移行しながら、中へと声を掛けた。
『………優男!さっさと、来やがれ!!』
すると、くぐもって聞こえ辛いながらも、中から聞こえた声。
ヴァルトの声だ。
しかも、オレを優男と呼ぶのは、彼ぐらいしか今のところ知らない。
まだ、彼は生きている。
ハルの返答が無かったので、彼だけ安否が分からない。
「せっ、えぇえええ!」
そこで、扉を蹴り破った。
扉ごとレリーフがぶっ飛んで、大部屋のテーブルにぶつかる音が盛大に響く。
扉を蹴破った先には、地獄絵図が広がっていた。
壁紙に飛び散った赤い飛沫。
床に倒れているのは、ごちゃごちゃしたアクセサリーの類から見て、間違いなくハルだろう。
途端、むわりと広がった鉄臭い香りに、頭の芯が凍り付くような感覚に襲われる。
なんで、今までこんな凄まじい血臭に気付けなかったのか…ッ!
「(くそッ!さっきの香水か何かの匂いの所為だ!
鼻が全く利かなかった…!)」
思えば、入り口であの香りを嗅いだ時から、オレは罠の中にいたのだろう。
周到過ぎる。
しかも、この常套手段が、こっちの世界でも通用するなんて考えたくもなかった。
その常套手段を使ってくれた人物は、今まさにヴァルトへとナイフを振り上げている。
「…ッ!くそったれ!」
そこで、すぐさま発砲した。
サイレンサーなんて付ける暇すら無かったので、爆音とも呼べる銃声が木霊した。
銃弾は狙い違わず、暗殺者らしき人物の腕に着弾した。
「ぎ…ッ!」
悲鳴を上げて、暗殺者がナイフを取り落とす。
からん、と大理石の床に落ちたそれは、いつか見たことのある気がする『防魔』付与のナイフだ。
間違いない。
頬に傷のある冒険者の仲間だ。
フードは被っているが、小柄な体形で、見るからに子どもとしか思えない。
そして、こちらに気付いて向けられた群青色の瞳に、心当たりのある人物の姿が合致した。
「よぉ、また会ったなぁ、鼠さんよぉ!!」
いつか見た、姿絵の通りの、子どもだ。
キャメロンが書いていた精密な姿絵通りの、頬に傷のある冒険者と行動を共にしていた子どもの姿がそこにあった。
そして、オレの校舎への潜入を果たして見せた、2匹目の鼠だった。
制御を掛ける必要は、もはや無くなった。
コイツは、今、ここで殺す。
殺さなければ、ならない。
ヴァルトの前に滑り込むようにして走りながら、引き金を引いた。
「………ッ!?」
しかし、弾が出なかった。
しまった、コイツはコルト・ガバメント。
スライドを引かないと、次弾装填が出来ない。
と、一瞬間誤付いた。
その、一瞬の隙を付かれた。
「チィッ!!」
盛大な舌打ちをして、その子どもは踵を返した。
まっすぐに向かったのは窓の方面で、そこにはぶち破られた痕跡が残っている。
窓からの侵入の後、襲撃を受けたという事か。
詳細は分かった。
それと同時に、歯でスライドを引くことで次弾装填を完了したコルト・ガバメント。
「逃がすかぁ!」
その背中に向けて、更に発砲。
響き渡る2発目の銃声に、レストランの内外を問わず悲鳴が聞こえた気がする。
「あぐっ…!」
そして、暗殺者らしき人物の悲鳴も、それに重なった。
頭を狙った筈だった。
だが、窓を通り抜ける瞬間に飛び上がった所為か、またしても肩へと着弾した。
以前発砲した時にも、同じ個所に着弾した筈だったが、傷跡を一つ増やしただけとは情けない。
そして、そのまま窓の外に、もんどりうって消える襲撃者。
本当に、一瞬の出来事のだったので、追い縋る事を迷って踏鞴を踏んでしまった。
だが、それも正解だったのかもしれない。
その後は、またしても恐るべきスピードで逃げ去っていく気配を感じる。
オレでも、追い縋るのは少し無理があっただろう。
「(オレが行きます!)」
「止せ、間宮!近くに、例の冒険者もいる可能性がある…!」
そこで、貴族達の足止めを終えて、駆けつけた間宮が飛び出そうと窓枠に足を掛ける。
寸でのところで、それを止めた。
あの子どもがいたという事は、必然的に頬に傷のある冒険者も近くにいると予想できる。
独断で動いたのか命令で動いたのか不明ではあるが、間宮だけで追わせるのは得策では無かった。
逃げ足の速い鼠の事である。
どの道、オレも追い縋るのは難しいと判断した手前、コイツも追い付けるとは思えない。
悔しいが、手詰まりだ。
それに、
「………ハルがやられた相手だ。お前も敵わんだろう」
「(………口惜しいですが、その通りです)」
ハルが、やられた。
床に倒れた、彼の姿を見下ろして、知らず知らずのうちに眉根が寄った。
彼がやられてしまった、という事はつまり、あの子どもがそれだけの実力者であることの証拠。
まだ微かに気配がある。
だが、だくだくと零れ落ちている血液の量は、致命傷だ。
「一撃、か?」
「………ああ、一瞬だった」
詳細を聞けば、苦々しい声でヴァルトが答えた。
そうか。
ハルでも、あの子どもに全く歯が立たなかったのか。
倒れたハルの傍にしゃがみ込み、視線を上げる。
そこには、顔に血飛沫を飛ばしながら、酷く憔悴した様子のヴァルトの姿。
彼自身も、怪我をしているのか肩を押さえている。
こちらも出血量が多いが、手当てをすれば一命は取り留めるだろう。
「間宮、頼む」
「(はい)」
間宮に指示を出して、ヴァルトの傷の手当てを任せた。
しかし、
「待ってくれ!オレよりも、ハルを…!」
「………無理だ。もう、間に合わない…」
怒声を上げて、自分よりも護衛であるハルを優先しろ、とヴァルトは言う。
だが、こっちもこっちで手詰まりだ。
手遅れだ。
出血量が多い。
うつぶせになっていた彼を、仰向けに転がす。
傷口は浅いが、首の頸動脈を寸分違わず切り裂いていた。
表情は、まるで眠りに付くように穏やかで、苦しんでいる様子は見られない。
目の周りに出来た縁取りのような隈さえなければ、大往生のようにも見えただろうに。
ここには『聖』属性もいないから、魔法での治癒も不可能だ。
それに、ここまでの出血量の傷を塞ぐには、生半可な『聖』属性の術者では無理だろう。
「お、おい、ゲイルはどうした!?
アイツも、一緒に来たんじゃねぇのかよ…!」
「………校舎に置いて来たんだ。
体調が優れなくて、置いて来るしかなかった…」
「……なっ!?」
そうだ、ゲイル程の術者なら、おそらく何とかなる傷だ。
しかし、ここに彼はいない。
校舎に置いてきてしまった。
それもこれも、もとはと言えばヴァルト達の行動が原因だったのが、恨み言を言ったところで事態は好転しない。
今言っても、どの道詮無い事だ。
今になって、あの時の判断が悔やまれるが、もう仕方が無い。
手詰まりだ。
最近感じ続けている、再三のやるせなさに溜息も出なかった。
絶句したヴァルトには悪いが、もうオレ達に出来ることは無い。
出来ることと言えば、安らかに眠れるように看取ってやるぐらいだろうか。
オレに看取られるのも、何故かオレを蛇蝎の如く嫌悪していた彼の事だから、業腹かもしれないものの。
「………ハル、苦しいか?」
「………い、や……?………むしろ、今は、少し………楽なぐらいだ………」
ハルへと、話しかける。
思った以上に、意識がはっきりしていたようだ。
返答が、返って来た。
頸動脈を切られて、苦しいではなく楽と言うのもどうかと思うが。
まぁ、もう麻痺が進んで、感覚が無くなっている可能性の方が高いな。
「………言い残したいことは、あるか?」
「……い、や…、特に………。
………言うなりゃ、ヴァルトの事、頼む………」
「おい、やめろ!ハル!しっかりしやがれ!」
ああ、確かに頼まれた。
ヴァルトが遮るように声を荒げるが、無茶なことを言ってやるな。
このまま、安らかに眠らせてやった方が良い。
「………オレも、そのうち、そっちに行くよ」
「………安心、しろって、か……?
……ふ、ざけん、な……、追い、かえして、やらぁ………」
「お手柔らかに、」
そう言って、ぺったりと湿った、彼の髪を撫でてやる。
ああ、懐かしい。
昔、訓練所のミッションに失敗して、不貞寝していたらしいアズマと彼を見つけた時にも、こうして頭を撫でたっけ。
その時には、オレも既にデビューの秒読み段階に入っていたから、余裕が無かった所為でそのまま放っておいたけど。
後から、訓練所の教官に見つかって大目玉を食らっていたと聞いた。
ちょっとだけ申し訳ない事をしたと思っていたのだ。
「………馬鹿、コハク……。
………お前なんか、天国に来られるか、バーカ…ッ」
「ああ、分かってるよ。
オレが地獄行きだってのも、お前だって同じだって事も…」
懐かしい呼び名を使いながら、彼は憎まれ口を叩く。
だが、瞬いていた目の色が、濁り始めている。
お別れのようだ。
「……けっ、テメェは、……いつも、そうだ。
………な、んでも、分かったような、口ぶり、で………」
「………だって、分かってるからね。
オレ達みたいな人殺しの末路なんて、大抵そんなもんだって、さ」
そう言えば、背後に控えていた間宮が震えた気がした。
ヴァルトが、目の前でぼろぼろと涙を零して、ハルの体に頭を縋り付かせた。
こんな姿、滅多に見れないんだろうな。
ここにゲイルがいれば、もしかしたらトラウマだろうがPTSDだろうが克服できたのかもしれない。
まぁ、言ってももう意味は無いけど。
「………そ、んなの、知って、る、さ。
オレ達、だって………それ、ぐらい、知ってた、のに……、」
ハルが、手を伸ばす。
手を伸ばした先には、彼に縋り付いたヴァルトの頭があった。
ぽすり、と撫でるようにして、ハルは彼に触れた。
そして、
「………今になって、死ぬのが、怖いとか、かっこ悪ぃ………」
へらり、と笑った。
「………ご、めんな、ヴァル………」
見たことも無いような、穏やかな笑顔で彼は笑った。
「お前、の、……楽しみにして、た……ガキの頃の、夢………一緒に見れそうに、ねぇや…」
そう言って、ゆっくりと息を吐いた。
***
「………馬鹿野郎…ッ!」
慟哭のような、ヴァルトの声だけが響いた。
手が落ちた。
ヴァルトの頭を撫でていた、ハルの手が力を失った。
穏やかな表情で、笑ったまま。
彼は、大きく息を吐いて、そのまま眠った。
ハルが、死んだ。
***
しかし、そんな時だった。
「………ぁ、」
ばたばたと、廊下を慌ただしく駆けてくる足音がした。
その中には、見知った気配があって、思わず目を見開いて顔を上げてしまった。
彼の死に立ち会ったことで、じんわりと滲んでいた涙が散った。
そして、その瞬間、
「こっちだ!ゲイル!!」
オレは叫んでいた。
***
キレた。
良く、校舎の生徒達も言っているが、確か怒ったと同義の言葉だった筈だ。
今、オレの心情は、それだけだ。
キレた。
感じていた体調不良だって、ものの見事に吹っ飛んだ。
寝ている場合じゃない。
そして、この怒りをぶつけなければ、到底収まる訳も無い。
誰でもない、アイツにだ。
「…いくらなんでも、1人で行くなんて無茶にも程がある…!!」
「まったくじゃ!」
「アイツ、反省したかと思えば、次から次へと…!」
そして、キレているのは、オレだけでは無い。
隣を走る、ラピスとローガン。
彼女達もまた、怒りを露わにして疾駆している。
しかも、ラピスなど、『風』魔法で脚力を上げてまで、オレ達2人のスピードに付いて来ている。
まぁ、本気で走っているのは、オレ達も同じなのだが。
こうなった要因は、全てアイツだ。
アイツとは、ギンジの事だ。
今回は、全部とは言わないが、アイツが悪い。
目が覚めれば、準備をしなければならない時間は、とっくの昔に過ぎ去っていた。
申し訳なさそうな顔をしたオリビアに、ギンジに頼まれて睡眠魔法を使ったと聞かされた時には、怒りの所為で吐き気がこみ上げて来たものだ。
そこで、不味いと、オレが騒いだ。
あまりの騒ぎ様に、ラピスとローガンがやっと異変に気付いた。
そして、ギンジが危険を承知で、死地に向かったのであると、初めて彼女達も知ったのである。
オレは、てっきり彼女達にも、報告をしていると思っていた。
何かと言えば、兄さん達からの食事会の誘いの事だ。
その誘いは、もはや死地への招待状も同義だった。
だというのに、まさか彼女達に報告していなかったとは、オレだって思ってもみなかった。
大事なことは先に言え、と散々人に言って来た癖をして、いざとなるとアイツはいつもそうだ。
そして、今回ばかりは、オレだけではなくラピスもローガンもキレたらしい。
すぐさま、準備ではなく、装備を整えた。
しかし、ここで問題が発生した。
肝心の、食事会を行う場所が、分からなかったのである。
いや、これはオレが悪いと認めよう。
招待状を紛失してしまったのだ。
昨日の夕方の段階には、しっかりと内ポケットに入れた筈の招待状。
それが、今日になっていつの間にやら消えていた。
おかげで、時間は分かっても場所が分からない。
そして、迎えに来る筈だった馬車は、ギンジが一人で乗って行ってしまった。
手詰まりだ。
こうなったら、高級そうなレストランを虱潰しに探すしかない、とやや辟易としていた時。
「これを使いやれ!」とラピスが持ち出したのは、とある魔法具だった。
この状況では、一番ありがたい類の魔法具。
その名も、『探索の羅針盤』。
人探しや、物探しに、昔から重宝して来た魔法具で、今では貴重な過去の遺物。
もはや、王国騎士団か、名のある貴族家にしか無いと噂されていた貴重な魔法具を、なんと彼女が一つだけ持っていたのだ。
流石は『太古の魔女』。
凄腕のSランク冒険者は、持ち物からしてSランクのようだ。
この『探索の羅針盤』は探したい対象の一部を魔法陣に乗せることで、大概の方角が分かる。
そして、近づけば近づくほど、魔法陣の色が青に変化し、最終的には白く発光する。
これのおかげで、すぐに食事会を行っているだろうレストランを特定出来た。
今回使ったのは、彼の部屋にあった髪だ。
それも、偽の黒髪に紛れていた、彼の本当の髪である銀髪をわざわざ探し出して使ったので、間違いはない。
時に路地裏を駆け抜け、必要ならば屋根の上も飛び跳ねてギンジの後を追った。
おかげで、20分程度の遅刻で事足りたのは、僥倖なことだ。
しかし、レストランのロビーに滑り込んだ時、すぐさま異変に気付いた。
珍しくも異様に、貴族が集まっているように感じられた。
そして、一様に彼等が奥の通路を見て恐々としている。
更には、騎士団の巡回や警邏部隊までもが駆けつけようとしている。
何があったか等は、すぐに察しが付いた。
おそらく、ギンジが戦闘へと移行したのだろう。
しかも、「なんだこの臭いは…!」とローガンが鼻を押さえた。
多少なりとも鼻が利く彼女からしてみれば、このレストランに漂っていた香りは、異様なものだったらしい。
斯く言うオレ達も、ロビーに漂っていた芳香には、鼻が曲がりそうだった。
馨しくも強烈な芳香と、血臭。
それが、混ざり合って、まるで麝香のような異臭となっていたようで。
残念ながら、その血臭がどちらのものかは、判断が付かなかった。
しかし、ギンジが兄達の、あるいは両方のものだと察しは付いた。
すぐさま、入り口で集まっていた店員に、彼等を案内しただろう一室を聞き、急いで駆け出した。
ラピスの持っている『探索の羅針盤』も、発光が白へと変化している。
ギンジが、ここにいるのは間違いない。
そこで、
「こっちだ!ゲイル!!」
はっきりと、ギンジの声が聞こえた。
半ば、叫び声ではあったが、確かに聞き馴染みのある彼の声だった。
先程聞いた、廊下の突き当たりから、反響するようにして聞こえた声。
彼はまだ、生きている。
生き残っている。
だが、近づくに連れて、強くなった血臭には、涙が溢れた。
知らず知らずのうちに、怒りも悲しみも全てがごちゃ混ぜになった、涙が溢れていた。
ギンジが生きているという事は、そういう事だ。
そういう、結果になってしまったのだ。
「ギンジ!!兄さん!?」
「ギンジ!!」
「この馬鹿者めが…!」
そんな、色々な感情に塗れたままで、突き当たりを右に曲がった部屋へと飛び込んだ。
扉は、既に破壊されて圧し曲がって、部屋の中程に落ちている。
しかし、飛び込んだ先の部屋の、想像していた筈の惨状とは少しばかり違った。
***
駆けつけたゲイルに、ラピスにローガン。
オレの救援のつもりだっただろう、彼等。
しかし、今回はオレではなく、ハルの悪運の強さが功を奏したようだ。
「『聖』属性の『リザレクション』、詠唱!急げ!!」
「………はぁッ!?」
急なオレからの要求に、涙でぼろぼろになった顔のままで唖然としてしまうゲイル。
なんで、泣いてんの!?
…いや、まぁ、オレとヴァルト達の、当初の関係性を考えれば最悪の事態を想定していたのだとは分かる。
だが、まだ最悪な状況には、なっていない。
今までは手詰まりだったとしても、彼等が来たからには大丈夫だ。
自信は無いが、やれるだけの事は出来る。
まだ、足掻ける。
「間宮、心臓マッサージ!ラピス、気道の確保、頼む!」
「(はいっ)」
「い、いきなりじゃのう!」
怒鳴るように叫び、各々へと指示を飛ばす。
間宮は当たり前のように、オレがやりたい事を汲み取って動き出してくれる。
以前、ラピスに行った時と同じ、心肺蘇生のフォーメーションだ。
ラピスは若干戸惑いながらも、ハルの首の傷を押さえながら、彼の顎を上向けてくれた。
心肺蘇生の方法自体は、彼女にも伝授してあったから手際もスムーズだ。
「お、おい、テメェ!!何するつもりだよ!?」
「ローガン!コイツの抑えを頼む!」
「………ああ、もう!後で、ちゃんと説明しろ!!」
そして、ローガンにはヴァルトを取り押さえておいて貰う。
邪魔をされでもしたら、困る。
そんな中、オレも、オレの仕事を行うべく、覚悟を決める。
まぁ、何の事は無いのだが、
「1、2、3、4、5!」
と、リズム良く間宮がハルの胸を押す傍らで、タイミングに合わせて空気を送り込む。
医療用マウスピースなんてものは無いので、ラピスに行った時のように、直接口から息を吹き込む人工呼吸だ。
何をしようとしているのか、分かっていなかった面々から唖然とされるが仕方ない。
緊急事態で、それに見合った必要な処置だから。
ハルを、呼び戻す。
以前のラピスの時と同じように、蘇生させるのだ。
頸動脈を切られた事による失血が死亡原因だった為、自信は無かった。
だが、やれば出来るもんだ。
きっと、まだ間に合う筈だ。
息を吹き返した、となれば治癒魔法で、回復する可能性は高い。
息を引き取って数秒だったこともあって、脳へのダメージだって最小限に減らせるだろう。
だから、
「戻ってこい、ハル…ッ!!」
その憎まれ口、まだまだ叩いて貰わないと、困る。
この世界では、唯一のオレの同僚で、オレの過去を知る唯一の理解者。
ヴァルトとの約束が、何なのかは、知る由も無い。
それでも、夢の続きは、まだ見られる。
可能性はあるんだ。
更に、その心臓マッサージと人工呼吸を繰り返し、
「ごふ…ッ!」
「来た!」
ハルが、息を吹き返した。
***
後は、ゲイルの準備、もとい詠唱を待つばかりとなっている。
「ゲイル!合図とともに、魔法を行使!」
「………ッ、」
「やれるな!?」
涙をぼろぼろと零しながら、唖然としたままの彼。
今日一日、PTSDによる最悪な体調不良の中で、無理を押して駆け付けただろうゲイル。
正直言って、彼には酷な事をしている。
苦行を強いてしまっている。
そんな事、彼の気持ちが痛い程理解しているオレだって、分かっているのだ。
しかし、そんな状態であっても、こうしてここまで駆け付けた。
この状況の中で、足を踏み入れてしまったのだ。
やって貰わないと困る。
その意思を込めるようにして、確認の声を叫んだ。
その瞬間、
「ああ…ッ!」
彼は、力強く、頷いた。
涙を零しながらの情けない顔だとしても、頼もしい表情で、大きく頷いた。
そして、
「『リザレクション』!!」
彼は、魔法を行使した。
それも、まさかまさかの無詠唱で、一切タイムラグを発生させずに。
これには、流石のオレも、ましてやラピスも驚いた。
『聖』属性特有の、白色の発光が彼を包む。
それと同時に、彼を基点にするかのように、床に浮かび上がっていく魔法陣。
オレと同じく膨大な彼の魔力が、魔法陣を駆け巡った。
そして、それと同時に道順が出来上がるかのようにして、魔力の終着点がハルへと到達した。
ハルの首にあった傷が、血の跡だけを残して瞬く間に消えた。
しかも、それだけでは無い。
魔法陣は、オレ達すらも飲み込んでいた。
ハルの処置をしていたオレも、間宮やラピスも、ローガンに押さえ込まれていたヴァルトも。
ヴァルトもまた、先程の暗殺者からの襲撃で、傷を負っていた。
それが、ハルの首の傷同様に、瞬く間に消えてしまったのである。
これには、流石の冷血な兄貴も驚愕の表情を浮かべたまま、固まってしまっていた。
魔法陣は役割を終えるようにして消えたが、それでも魔力の残痕が残る。
精霊が視えているオレ達からしてみると、幻想的な光景が目の前に広がっていた。
これこそ、奇跡なんだ。
この世界に来てから、初めて良かったと思えたこと。
それが、この魔法の存在だった。
万能ではない。
それでも、現代の医療技術では到底成し得なかった、奇跡を実現することが出来る。
奇跡なんだ。
………柄にもなく、そう思ってしまった。
***
またしても、発生した問題の中。
一件終わった部屋の中で、しばらくの間、ほとんど全員で放心状態だった。
残念ながら、まだハルは目を覚ましていない。
一応、造血剤を飲ませて寝かせておいたままだった。
『食事会の誘いに乗った筈が、暗殺者の襲撃に遭遇した』
今回の顛末は、このようにして伝えておいた。
駆け付けた騎士団の警邏部隊と、レストランのスタッフにである。
説明を求められ、そのまま聞き取り調査に渋々付き合った。
まぁ、ゲイルがいたので、連行されるような事態にはならなかったが。
その暗殺者の迎撃の為に、銃器を使ってしまったのが、少しだけ問題だったのだ。
爆音を響かせる拳銃は、下手するとある種異次元の攻撃力を持ったどんな魔法の着弾よりも五月蝿い。
おかげで、レストランの内外を問わず、野次馬を集める結果になってしまった。
なまじ、このレストランには、オレの足止めの為に餌に釣られた貴族達もいたこともあって、余計に騒ぎが大きくなってしまったのもある。
しかし、それもなんとか終息した。
オレの『予言の騎士』としての肩書きと、ゲイルの騎士団長の肩書きは、こういう時こそ意味がある。
部屋の惨状には、仕方ないと諦めてもらうしかない。
まぁ、ヴァルトが小切手のようなものを店舗責任者に渡していたので、どうにかなるだろうとは思っているが。
その間も、オレはぶち破られた窓に陣取って調べ物をしていた。
銃弾が着弾した時の血痕を回収し、人間か魔族か、あるいは性別なんかを調べられないか、確認したかったのである。
校舎に行けば、軽いDNA検査のキットがある。
これも、旧校舎から回収して来た、ハイスペックな備品に含まれていた。
あの校舎は、実は研究施設も兼ね備えていたんじゃなかろうか。
気分は、C○Iだ。
なんてことを考えながら、持ち歩いていた綿棒で血痕を数種類拭き取っていると、
「おい、優男…」
「………?」
背後から、なにやら固い調子の声で呼び立てられる。
そこにいたのはヴァルトで、彼の背中には未だに失血の影響で、目を覚ましていないハルが背負われている。
場所を移動したいのだろう。
顎でくい、と指示されたのは外だった。
だが、それよりも先に確認したいことがある。
移動するのはやぶさかでは無いが、彼らはこの後どうするつもりだろう。
「場所を移すのは良いとして、どうするつもりだ?
暗殺者は撃退出来ても、殺せた訳では無い」
「分かってる。だから、せめて今日一日、テメェ等の時間を貸せ」
なるほど。
時間を貸せ、とはよく言ったものだ。
雇ってやるから、付いて来いという事だろうな。
しかも、テメェ等という、複数形。
言い方は気に食わないが、彼にとってはこれが最大級の譲歩。
頼みごとを、したいのだと考えた。
それも、ハル同様蛇蝎の如く嫌っているだろう、オレやゲイルに。
ゲイルへと視線を向ける。
彼は青い顔をしながらも、こくりと頷いていた。
ただ、ここまで来た時のあの勇ましさはどこへ行ったのか、ここに来て顔色が悪くなっている。
しかも、フラッフラ。
………頼むから、ここで吐くのは辞めてほしい。
そんな中、オレ達のそのやり取りとは別に、抗議の声が上がった。
「これ!我等に説明は無しかや?」
「お前には、また洗いざらい吐いて貰いたいことがあるんだが…?」
抗議の声を上げたのは、女性陣。
怒り心頭と言った様子の、ラピスとローガン。
彼女達は、ゲイルと共にやってきて、ハルの人命救助に尽力してくれていた。
ただ、2人とも種族が魔族、という事も相俟って、貴族達の眼に極力触れないよう部屋に隠れたままだった。
聞き取り調査に来た騎士達の前にも、出なかったからな。
だが、一件が終わって、そろそろ終息しようとしている時間。
やっと、オレ達が落ち着いて、そして移動しようとしている時間を見計らって、彼女達もまたオレに声を掛けたようだ。
彼女達にも、確かに説明は求められていた。
だが、先程の騎士達からの聞き取り調査に答えた時、彼女達も聞こえていた筈だ。
ならば、説明も何も、今は必要ない。
そう考えた。
それに、何故、彼女達はややご立腹なのだろうか。
彼女達が怒りを覚える理由が、残念ながら見当たらないのだ。
だから、彼女達の抗議は受け流すことにした。
「………校舎に戻ってからでも良いだろう?
それに、今は忙しいから、アンタ達の癇癪は、相手にしてられないよ…」
辟易とした表情を隠すことなく、そう言って。
さっと、顔色を改めた2人。
この一言にすらも怒りを覚えたのか、一瞬で頬を赤らめていた。
『………なんだ(じゃ)と?』
しかも、見事なユニゾンで答えた2人は、きっと見た目は違っても根本はそっくりなのだろう。
その分、彼女達の相手をすることになれば、労力は2倍で間違いない。
今は、本当に忙しいのだ。
やらなければいけない事もあるし、話しをしないといけない事もある。
それに、この2日間の間に体調を崩した原因の一つが、彼女達の事だ。
出来れば、今は顔を合わせるのだって、控えておきたいと思っている。
きっと、彼女達もそれに気付いている筈だ。
気付いていないなら、直接言っておいてやろう。
「オレ、今、そんな余裕無いから、」
存外、冷たい声が出た。
そんなオレの声に、反応を見せた2人。
先程と同じように真っ赤な顔になるか、と思えた。
だが、そんなことは無かった。
2人とも、一瞬にして真っ青な顔になっていた。
何故、そんな顔をされるのか、分からない。
だが、そんな顔をされたところでどうしようもないし、どうでも良い。
本当の事だから。
「先に校舎に帰ってろ。
戻ってから、余裕があったら、説明ぐらいはするし、」
踵を返した。
怪訝そうな顔でハルを背負ったままオレ達の話を聞いていたヴァルトへと、視線を向ける。
見れば、彼も同じように真っ青な顔をしていた。
あれ?なんなん?
まぁ、今は良いや。
移動が先決だし、後で聞こう。
しかし、そこでオレの視線の間に、割って入って来たゲイル。
顔色は、元々悪かったけども、更に悪化している。
「……ぎ、ギンジ、そんな言い方は…!」
「言い方気にしてたら伝わんないよ。
今は、構ってる暇がないのは、本当の事だろ?」
邪険にしたい訳でも、ないがしろにしたい訳でも無い。
タイミングが悪いだけ。
だから、相手にはしていられない、というだけなのに言い方まで気にしなきゃいけないの?
ついつい苛立ってしまって、眉根を寄せる。
ゲイルは、そんなオレの表情を見て黙り込み、頭を抱え込んでしまった。
だから、本当にお前等兄弟の反応、なんなん?
はぁ、と溜め息を零しつつも、これまた後で聞こうと決めた。
そこで、ふと、
「(トントン)」
「ああ、間宮…どうした?」
肩をつつかれて、振り返る。
またしても、可愛らしいアポイントメントだな、と顔には出さずにほっこりした。
「(オレは、どうするべきですか?)」
ああ、そういや、間宮は招待されていないんだった。
付いて行って良いものか、コイツも判断に迷ったのだろう。
ふと、ヴァルトへと視線を向けると、苦々しい顔が返された。
うん、多分、歓迎されない。
「………お前も、ラピス達と帰れ。
後、ついでにこれ、医務スペースの金庫に突っ込んでおいて、」
間宮は、帰らせることにした。
その代わり、先程、回収していた血痕などの遺留品を、彼に託すことにする。
持ち歩くと、汚染か劣化しそうなもんだし。
「じゃあ、またな。
………遅くなるから、先に寝てて良い」
『………。』
「(ご武運を、)」
そう言って、返事も聞かずに彼女達とは別れた。
まぁ、返事を聞こうにも、2人とも黙り込んだままだったので、別に良いと思うけど。
………後、間宮は何か違う。
頼むから、まだこれから一仕事ありそうな言い方辞めて。
まぁ、まだまだ夜は長いみたいだけどね。
***
そろそろ、この章もお終いで、春休みと称した閑話を開始します。
それまでは、この長ったらしくなってしまった章に、もう少々お付き合いくださいませ。
女性陣2人の例の飲み会の全貌も明らかにします。
ついでに、ローガンさんの逃亡問題で出来なかったカウンセリングも行う予定です。
しばらくカウンセリングや、女性陣の心情などの閑話となりますが、ご了承くださいませ。
誤字脱字乱文等失礼致します。




