94時間目 「道徳~思い立ったら吉日が、正解とは限らない~」2
2016年7月20日初投稿。
続編を投稿させていただきます。
改稿作業に手を付けるとか言いつつも、結局筆が進んだのは続編の方でした。
ラピスとくっ付いてすぐの喧嘩には、色々反響をいただきました。
仲直りらぶらぶは、残念ながらまだまだ先です。
そして、本当にくっつける気があるのか?と友人にも聞かれたのですが、………。
ノーコメント。
94話目です。
今回は、ローガンさん目線が入ります。
***
結局、あの後ローガンは校舎を飛び出してしまったようだ。
帽子もマスクも付けず、どこに行ったというのか。
何事が無ければ良いと、心配になってしまうものの、それでも突然殴られた事や逃げるように飛び出された事への憤りが、どうしても勝ってしまう。
生徒達が様子を見に来るまで、オレは呆然としていた。
殴られたというのは、一目でわかっただろう。
すぐに治るとはいえ、頬を腫らし、口元から血を垂れ流していたのだから。
床にぶちまけた書類等の惨状も相俟って、オレが彼女と問題を起こしたのは丸分かりだ。
だが、それだけでは、何があったのか分からない。
問題があったのは分かっても、何があったのかまでは分からなかったのだろう。
「どうしたの?」
「ローガンさん、泣いてたよ?」
「また、怒らせたの?」
「アンタ、なにしたんだよ…!」
生徒達から受ける、数々の追求の言葉。
やっぱり、彼女は涙ながらに飛び出してしまったようだ。
そして、オレが怒らせてしまった前提で、やはり大きな理由の一つとなってしまっているようで。
それに対して、残念ながらオレは答える事が出来なかった。
生徒達も、何があったのか分からない。
とはいえ、オレだって一体何があって、どうして彼女が怒ってしまったのか分からないのだ。
生徒達からの追求に、オレは首を振るしか出来なかった。
そもそも、何の話をしていたのだったか。
褒章を含めたお詫びやお礼の名目でプレゼントを渡して、喜んで受け取って貰えた。
そこまでは良かったのだ。
「(………ああ、そっか。
オレが、ラピスへのプレゼントを買えなかった事を、話したのだったか)」
そうだった。
彼女との最後の会話を思い出す。
オレがプレゼントを買って来た。
それが、アンジェさんやオリビア、ローガンへのものだけだった。
結局、ラピスへのプレゼントは、色々な感情が邪魔をして買う事も出来なかったのだ。
オレが情けないだけの、笑い話のようなもの。
しかし、それに対して彼女の反応は劇的で。
怒鳴り声と共に、殴り飛ばされた。
そして、言われたのだ。
女と見れば見境が無いのか、と。
贈り物も受け取れない、と突き返すどころか放り投げられた。
それが、拒絶のようで、今となっては怒りの矛先ともなってしまっているのだが。
頬の腫れは既に引いた。
切れていた口内も、折れていた歯も元通りになっていた。
鼓膜が破れたのも、回復はし始めている。
見た目も体調も、元通りになりつつある。
そんな中で、オレの気分は回復の兆しが無い。
「追いかけなくて良いの?」
「ローガンさん、一人だけだと危ないんじゃないの?」
生徒達から言われたのは、結局彼女の安否。
オレの負傷はどうでも良いのか?と、これまたフラストレーションが溜まった。
「アイツも、Sランク冒険者だ。
何があったとしても、一人でなんとかするだろうさ…」
そう言って、生徒達からの追求を振り切って。
ぽてぽてと、ダイニングから場所を移し、先に部屋を片付けようとオレの部屋へと向かう。
しかし、
「な、なんぞ、あったのか?」
「…ッ、………ラピス」
オレが階段を登り切ったところで、部屋から顔を出したのはラピス。
ローガンの話題の表題にもなった彼女で、目下オレの悩み事の一部を担っている彼女だった。
まだ腰に違和感でもあるのか、若干足下が覚束ない。
ふらり、とよろめきそうになる体を手摺を支えに立っている。
そんな彼女を見て、ふとオレの脳裏に過ったのは、
「(………やっぱり、あのピアス…。ジェットだ…)」
彼女の耳にあった、黒色の宝石だった。
またしても喉に異物感を感じ、唾液を飲み込もうとして苦労した。
「………どうした?」
渋面を作ってしまっていたのか、怪訝そうな顔をして小首を傾げたラピス。
その動作や仕草が、可愛いとは思う。
しかしもう、衝動的で我武者羅な劣情は、感じなくなっていた。
………最低だな、オレ。
心内を誤魔化そうとして、結局苦笑することしか出来なかった。
「…いや、ちょっと喧嘩しただけだ…」
「………ローガンと、かや?」
そう言って、肩を竦める。
そんなオレの姿を見てか、彼女は表情を強張らせた。
しっかりと相手を言い当てられて、苦笑も漏れない。
間違いではない。
だから、同じように肩を竦めて、虚勢と言われようが笑うだけに留めた。
「ああ、馬鹿者って殴られちゃった」
「………ッ」
しかし、彼女はそんなオレの言葉に、表情を凍り付かせた。
まるで信じられないようなものを、見るような顔で。
てっきり、呆れてくれるかと思っていたのに。
彼女のその表情を見て、オレも同じように驚いてしまった。
「…………やれ」
「えっ?」
そんな彼女は、ぼそり、と呟いた。
思わず、聞き返す。
聴力を強化していたオレですら、聞き取れない音量だった。
だが、
「いますぐに、ローガンを追いかけや!
このままでは、二度と会えなくなるやもしれぬぞ…!!」
次の瞬間には、怒声が響いた。
先程のローガンの叱咤にも似た、怒号ともいうべき声が。
ぽつねん、と固まってしまったオレ。
そんなオレを見て、ラピスは怒りを露わに詰め寄って来た。
「よりにもよって、こんな時に…ッ!
ローガンの気持ちを、お主は少しでも理解していたのでは無かったのか…!?」
「い、いきなり、なんだよ…ッ」
訳が分からない。
ついつい、半端な感情をぶら下げたまま、言い返してしまう。
余りにも普段と違う剣幕。
しかも、その言及はローガンの気持ちに及んでいる。
少しでも、彼女の気持ちを理解していたのか。
そこまで言われても、結局オレにはさっぱりだ、としか思えない。
だが、何故かそのままころり、と大粒の涙を零したラピス。
再三の衝撃に、頭が真っ白になる。
今日何度目かも分からない、冷や水を浴びせられた気分。
しかも、
「大馬鹿者!お主は、大馬鹿者じゃ!
何故、分からぬ!何故、分かろうとしない!?
この校舎に暮らしている女達が、どれだけお主の事を想っていると考えているのか!」
「な、何の話を…!ってか、そんなの…ッ」
そんな話が、突然ラピスの口から飛び出した。
いきなり、何の話をしているのか。
今、その話が関係あるのか?
真っ白になった脳内で、それでも恨み言ばかりが浮かぶ。
言い返そうと躍起になろうとしている。
だって、先程から意味の分からない事ばかり。
ローガンからのいきなりの叱責に、生徒達からのオレが悪いと決めつけたような追求。
そんな中での、今のラピスからの叱咤。
叱咤と言うよりも、呆れも含んだ突然の怒りに、ただただこちらがフラストレーションを溜め込むばかりだ。
朝の機嫌は、もうどこを探しても出てこないだろう。
せっかく、久しぶりに幸せだと、感じられた筈なのに。
「追いかけろ!今すぐ!
………校舎の事は、私に任せて、早う行きやれ!!」
そして、最終的に言い渡されたのは、それだけで。
涙をぼろぼろと流して、ラピスはそのままその場で崩れ落ちてしまって、
「………分かったよ」
結局、オレはそんな彼女の言葉通りに、行動する事を余儀なくされた。
訳が分からなかった。
意味が分からなかった。
それ以上は、何も言う気にもなれず、オレは今しがた上って来た階段を降りた。
「馬鹿者…ッ、大馬鹿者じゃ…!」
頭上から聞こえる、呟きと言うには大きすぎる彼女の泣き声を聞きながら。
舌打ちをしたい気持ちを堪えつつ、逃げるように背を向けた。
しかし、ダイニングに降りた途端、オレに向けられていた視線。
生徒達からのもの。
オリビアやアンジェさんまで、どこか気遣わし気ながらも、腫物のようにオレを見る視線。
堪えた筈の舌打ちをしたい気持ちが、頭を覗かせてしまった。
だが、それ以上は何も言わない。
オレだって、今は何を聞かれたとしても、分からないとしか答えられないから。
外套を羽織り、そのまま無言で校舎を飛び出した。
「(訳が分からない…。なんだよ、なんなんだよ…!)」
気持ちが逸って罵詈雑言を口走りそうになり、そのまま衝動に任せるように駆け出した。
自分自身の、その感情にすら行動にすら苛立つ。
堪える必要が無くなった舌打ちが漏れた。
***
昼間に歩いた筈の商業区を、走り抜ける。
いくら休みを言いつけたとしても、今日も今日とて予定はあったのだが、それも全てキャンセルだ。
今日こそは、遅れ気味で後回しになっていた生徒達のカウンセリングを行おうと思っていたのに。
それも、抜き打ちで。
ついでに、書き溜めておいた彼等の通信簿も渡してやろうと思っていたのに。
期末試験も終わって、編入試験も終わって。
出来ればその前に年末恒例のイベントを一つ、ぶち込んでおいてやりたかった。
学校で言うところの、進路説明会のようなものである。
ウチの校舎も『特別学校』と名乗っているからには、現代でのこれまた学校体制には準じようと思ってね。
それ以外が規格外だから(笑)
しかし、そんな予定も全て、水泡に帰した。
それもこれも、ローガンがキレたからだ。
そのまま、飛び出して行ってしまったからだ。
何がいけなかったのか、オレにはまだまだ分かっていない。
訳が分からない。
意味が分からない。
けど、既にオレが悪いことが前提になっている、と分かってしまっている。
生徒達の様子から見ても、やっぱりオレが悪いのだろう。
だからこそ、オレはラピスにまで叱咤された。
追いかけろ、と。
飛び出してしまったローガンを、今すぐに連れ戻せ、と。
でなければ、二度と彼女に会えなくなるかもしれない、なんて物騒なことまで言われてしまった。
本当に何がいけなかったのか。
納得どころか理解が出来ない。
結局、何一つ分かっていないまでも。
「匂いは…ッ?」
「(商業区奥まで続いています。
ただ、既に時間が時間ですので、そろそろオレも鼻は効きそうにありません)」
オレの後背には、いつの間にか間宮も走っていた。
だが、咎めようと思う気力すらも沸かない。
彼の鼻を頼りに、先程から商業区を走っているからだ。
探って貰っているのは、ローガンの香り。
オレには微か過ぎて分からないものの、間宮の鼻にはしっかりとローガンの香りが分かっているようだ。
以前、アンジェさん捜索の時にも役立った金木犀の香り。
今では、ローガンも一緒になって使っているらしく、その香りが今のオレ達の道しるべ。
しかし、時刻は既に夕食を控えた時刻。
商業区は夕食の買い物ラッシュを想定してか、既に夜食用飲食店が凌ぎを削るようにして、腹の空くかぐわしい香りを振りまいている。
このままでは、彼女の匂いも飲食店の臭いに混じって分からなくなってしまうだろう。
「(その角を右に…ッ)」
「チッ!右方面は、スラム街じゃねぇか…ッ」
商業区を、間宮の言った通りに、右へと舵を切って走る。
昼間は、左側の高級店舗街へと足を向けた筈だったのに、二度と踏み込みたくなかった筈のスラム街にまたしても足を踏み込むことになるとは、思いもよらなかったものだ。
脳内で、警告音が鳴り響いている気がする。
ほとんど丸腰の状態で、オレは今スラム街に足を向けてしまっていた。
腰にナイフ一本。
校舎内では銃を携帯する必要は無い、と判断して部屋に置きっぱなしにしていたのが悔やまれる。
間宮が唯一、背中の脇差を背負ったままだった事が救いだろうか。
そんな考えを巡らしつつも、足は勢いを弱めていない。
しかし、
「ぎ、ギンジ…ッ!どこへ行く!?」
そこで響いたバリトンの、怒声混じりな声。
聞き馴染みのありすぎる声だった。
思わず、足が踏鞴を踏んだ。
背中に間宮が激突したが、最近怪力に変貌したオレの体は物ともしないまま、逆に間宮を吹っ飛ばした。
………大丈夫?
「お、お前は、また護衛も付けずに…!」
「今回は緊急事態だ」
「………その緊急事態とやらの理由は聞かんぞ」
地面にしりもちを付いた間宮を見下ろす傍ら、声の方向へと振り返る。
案の定、そこにはオレが聞き慣れてしまった声の持ち主、ゲイルが憤怒の形相で駆け込んでくる。
しかも、オレが足を向けている場所が場所だ。
彼にとっては、再三の意味で恐々としている事だろう。
だが、何故彼がこの商業区の西側にいるのだろうか?
王城へと出向していた筈だったし、いつも校舎へと向かう道順は中央区だ。
ぶらついている場所が違う。
問い質すかどうか、判断に迷っていたところ、
「先程、警邏部隊より報告があった。
『赤い髪のハルバートを持った魔族らしき偉丈夫が、商業区のスラム街へと逃げ込んだ』そうだ」
「ゲッ…!」
彼も彼の職務として、この場所にいた事が判明した。
ついでに、彼としてはおそらく報告にあった『赤い髪』と『ハルバート』、『魔族らしき偉丈夫』という件で、当の本人を特定したと思われる。
「ローガンで、間違いないな?
お前の剣幕からすると、緊急事態とやらも彼女か?」
「………ああ、そうだよ」
渋々ではあるが、素直に認めておいた。
彼女が逃げ込んだ、と言うのは事実無根であっても、目撃情報が彼女である事は間違いない。
そして、先程言い放った緊急事態と言う報告も、彼女である。
「分かった。オレも、同行する。
ただ、その前に出来れば、これを見て欲しい」
そう言って、ぺらり、とオレの前に差し出した紙。
手紙のようなそれは、なんと3枚もあった。
「なんだよ、こんな時に…ッ!」
「分かっているが、こちらも急務だ」
そう言って、ずい、と押し付けられてしまっては、受け取らざるを得ない。
これまた渋々と言った表情を隠しもせず、押し付けられた手紙を見て、
「………ッ、おいおい、嘘だろ…ッ?」
血の気が引いた。
今日は、本当に心臓に悪い事が重なる日だった。
一枚目の手紙は、白い封筒に赤い蝋印。
その蝋印は、何十年か前の大河でお馴染みとなった伊達家家紋のような、両脇に植物が末広がりに描かれ、その中央に竜がとぐろを巻いている。
これは、オレとしても何度か見た事のある蝋印で、国の紋章だ。
「遂に来たぞ。『白竜国』からの、訪問期日の通達だ」
ゲイルの言葉通り、『白竜国』からの手紙。
中身は、おそらくオレが盟約の期限として設けた半年の、タイムリミットを見越した訪問期日の通達。
遂に、二度目の邂逅と、二度目の全面対決の日取りが決まった訳だ。
こんな時に、と考えなくもない。
しかし、こんな時だからと言って、結局のところオレの感覚だ。
彼等は国で動いているのだから、関係は無い。
そして、残念ながら、ゲイルもそれは同じで、考慮はしていても今回は王城からの使いとして、直接来ていると言っても過言ではない。
クソッタレ。
また、オレの予定が詰まりに詰まって、忙しくなりそうだ。
「しかも、それだけじゃないぞ…」
「ああ、分かっている」
手紙は、この一枚だけではない。
一枚目の手紙をスライドし、二枚目の手紙へと目を向ける。
これには、蝋印には何の変哲もない、ダドルアード王国商業ギルドのマーク。
商業ギルド、となるとオレとして贔屓にしている商売人か、ヴィッキーさんぐらいしか覚えが無かった。
差出人を確認しようと、裏面を見る。
そこで、この手紙の差出人が潔く判明したと同時、あまりの驚きで硬直してしまった。
「………兄さんからだ」
そこには、達筆な筆記体で、『シュヴァルツ・ローラン』と確かに記されていた。
この世界の文字は現代のアルファベットとは違うものの、それでも文字を書くときには筆記体として崩されることがある。
思わず、二度見。
そして、ゲイルへと視線を向ける。
驚いた表情は、もはや隠せない。
背筋が凍った。
「………オレにも、来た。
おそらく内容は同じだと思うが、食事会の誘いだ」
「確実に殺しに来る、常套手段じゃねぇか…」
「………うむ」
言われなくても分かった。
誘いと言うのは揶揄で、確実にオレ達を仕留めたい口実だ。
復讐や報復、という二文字が真っ先に浮かぶ。
まさか、再三校舎まで来ておきながら、ハルが今までオレに手を出してこなかった理由はこの為だったのだろうか。
こうして、食事会と称した誘いを出来る日取りを見計らっていたのだろうか。
ああ、もうっ!
次から次へと厄介事ばっかりだ。
しかも、懸念はまだまだ残っていて、最後に残った三枚目の手紙には、既に嫌な予感しかしていない。
だって、この手紙の中で、明らかに封筒や装飾が華美で豪奢だ。
それに、魔力が篭っているというのも、手に持った瞬間から分かっている。
目の前もチカチカし始めている。
この手紙は、完全に鬼門だと、オレの直感が警鐘を鳴らしていた。
「………まず、見てくれ。
ただ、手紙を開くのは、出来れば校舎に戻ってからにして欲しい」
ゲイルの言葉通りにした方が良いだろう。
言うなれば、この最後の手紙は、機密文書も同義だ。
二枚目の手紙をスライドして見た手紙の蝋印は、これまた竜。
しかし、そのどっしりとした重圧的な趣の蝋印からして、龍と言った方がしっくりと来る。
赤い蝋印の中ですら、視線でオレを射抜かんとしている『龍』の頭。
そして、その龍の頭を讃え、引き立てるようにして周りを宿り木のような植物が覆っている。
「………遂に、来ちゃったか…」
そう呟いて、頭を抱えるしかない。
その手紙は、待ち遠しくもあり、また先延ばしにしておきたかった招待状だった。
『天龍族』からの、斬首台への道とも同義な、招待状だった。
2月の中旬を迎えようとしている現在。
1月末日から、と考えればだいぶ早かったと思う上に、早すぎると言っても良い。
オレにとっては、既に関わりたくないトップ1に堂々と降臨してしまっている種族からの手紙だった。
「………オレが、王城へと呼び出された理由は、これが大半だ。
残りは、ついでと言った形で、国王陛下より通達の旨を、」
「ああ、分かった。
………やっぱり、お前が王城に呼び出されるとろくな事が起こらないって再確認したよ」
「………済まん」
オレの嫌な予感は、奇しくも現実となってしまった。
校舎でも考えていた、嫌な予感だ。
この世界に来てからは、嫌な予感が的中するのが何度目かも分からない。
オレの第六感は、既に危険察知の為に人外を軽く超えているかもしれない。
それでも、結局突発的な事には対応出来ないままだが。
………ローガンの事とかな。
空しくなった。
「(………ラピスの言った通り、もう二度と会えないかもしれないな…)」
もう、賽は振られてしまったのだ。
このままだと、オレもいつ死んでしまうかも分からない。
殺されるのか、はたまた突発的な事故で死ぬのか、判断は付きかねるものの、命の危険は臨界突破で間違いない。
「(………オレも、覚悟を決めよう)」
心残りは、早めに解消しておいた方が、無難なのかもしれない。
ーーその心残り、と言うのは所謂、色恋事だ。
それこそ、脳内がお花畑な、今まで滅多に考えた事も無かった桃色事情だ。
色々な事が重なってしまって、結局のところオレも彼女に対する気持ちをはっきりとしていなかった。
彼女と言うのは、ローガンの事だ。
一度は、キスまでした。
いや、一度ならず三度はした筈だが………。
それはともかく、その後彼女と別れた後、再会を心待ちにしていた。
薬の件も勿論あったが、それとは別に、持て余した感情が一体どこから来るものだったのか理解できず、どんな顔をして会えば良いのか分からない、と悩んでいた。
悩むというよりも、迷っていたという方が正しいが。
その後、ラピスの事があって、彼女へと気持ちが傾いていた。
彼女が過去を話してくれて、その上で協力を申し出てくれて、薬の研究に関しても大きく貢献してくれている。
今では、居て貰わないと困る、色んな意味で大事な人だ。
しかし、彼女の事が無ければ、きっとオレはローガンに気持ちを傾けていたのだろう。
もしかしたら、今頃は彼女と関係を結んでいたかもしれない。
先程も言ったように、色々な事が重なり過ぎた。
ラピスやシャルの親子関係、ゲイルの裏切りや問題ばかりの家族関係もそうだし、ローガン達を襲撃した召喚者達の事も、ましてや彼女に掌返しで殺されかけたのも、そうだった。
問題があり過ぎて、何から手を付けて良いのか分からなかった。
片付ける優先順位を見失っていた。
その間に、だんだんと気持ちが薄れ、傾いてしまって、余裕も無くなったこともあって考えなくなってしまった。
オレが、ローガンをどう思っているのか。
そして、彼女がオレをどう思っているのか。
ラピスに言われたことが、今更になって思い出される。
「(………オレは、分かってなかった。
分かろうとも、思ってなかった。
校舎にいる生徒達が、オリビアが、ローガンが………。
………どんな想いをオレに向けているのか)」
自意識過剰、と言われればそこまでだが、ちゃんと知っているつもりではいた。
多かれ少なかれ、オレは恋慕の情を受けていたのだ。
生徒達からは、伊野田、ソフィア、エマ。
彼女達の感情は憧憬も含まれていただろうが、明け透けで見るからに分かっていた。
エマやソフィアからは、既に本人を前にして宣言されてしまっていた。
戯れのような感情では無かったと、今でも思っている。
ただ、伊野田に関しては、今現在目立って感情が表に出てくる事が無いように思える。
………最近、榊原と良い雰囲気なので、もしかしたら気持ちがあちらに傾いた可能性はあるが。
そして、新たに生徒へと加わったシャルもまた同じ。
オレへと、幼いながらも恋慕の感情を持っていると、言われなくても分かってしまう。
既に、それはラピスへと、サプライズとして伝えてあった筈だ。
そんなシャルの感情に気付いていたからこそ、ラピスがシャルに入れ替わっていた時に気付けたという裏事情も含まれる。
更には、オリビア。
彼女は、眷属としてだけではない、恋愛感情が見え隠れしている。
流石にオレだって、女神様に欲情するなんて恐れ多い、と分かっている。
だからこそ、そんな彼女から向けられる感情には見て見ぬふりを決め込んできた。
ラピスに言われた通りだ。
オレは、分かっているのに、分かっていなかった。
その中に、ローガンも含まれているという事も、分かっていながら分からないふりをして来た。
何故、あの時彼女があんなにも怒っていたのか。
今になって思えば、ある程度予想が出来た。
彼女は、オレとラピスが一線を越えたことを、知っていたのだ。
分かっていたのだ。
まぁ、あれだけ騒いでいたのだから、知られていない方が可笑しいのかもしれない。
防音もくそも無いと、自分で言ったのは誰だ?
だが、彼女は何も言わなかった。
言おうとはしたのかもしれないし、色々と思うところはあったのだろう。
だが、彼女は大人だった。
口に出そうとはしないで、一切を封じ込めようとしていた。
なのに、オレがそれをぶち壊した。
彼女の気持ちに気付かないふりをしたまま、贈り物をした。
その時に彼女に言われた一言で、彼女の感情は良く分かる。
私にもあるのだから、ラピスにもあるのだろう、と。
彼女は、確かにそう言っていたじゃないか。
なのに、それが無かった。
傍から見れば、立派な裏切り行為にも等しい。
一夜であっても関係を結んだ相手には贈り物が無いのに、別の女には贈り物をしている。
そんなもの、怒られて当然だ。
彼女が言っていた『女と見れば、見境が無いのか』という一言も、これに起因していたのだ。
しっくり来た。
オレだって、それは怒る。
多分、関係ないと分かっていながらも、叱る。
ましてや、彼女はオレに対して、好意を持っていた。
恋慕の情だ。
それなのに、オレはまるで女と見ればお構いなしに贈り物や甘言で釣り、手玉に取っているような振る舞いをしている。
となれば、彼女が怒るのは無理もない。
だから、殴られたのだ。
ようやく、理由が分かった。
すっきりだ。
ーーだからこそ、話を戻そう。
「………まずは、ローガンを説得して連れ戻す。
こんな報告が立て続けに来たんじゃ、オレだって今後はのんびりしてられないだろうからな」
連れ戻さなきゃいけない。
許してもらえるかどうかは分からないが、ちゃんと謝って戻ってきて貰おう。
もう、今まで通りにのんびりと校舎を中心に行動は出来なくなる。
遠征も立て込むだろうし、必要ならばオレは王城に詰めていなければならなくなるだろう。
『予言の騎士』としての職務に、本格的に邁進しなければならない。
そして、その職務の傍らで、命を懸ける必要も出てくる。
『天龍族』からの招待状が届いてしまった現状の中では、処刑台への道が決まってしまったも同然だ。
もう、色恋云々と現を抜かしている場合ではない。
だからこそ、全て清算して行こう。
ラピスの事も、ローガンの事も、ましてや生徒達の事も。
「ああ、分かった」
「(お供致します)」
オレの言葉に、ゲイルも間宮も頷いた。
***
目の前に置かれたグラスの氷が、崩れる音が響く。
こんな時間から酒を飲むなんて、最近では珍しいことだ。
冒険者稼業の時は、咎める人も目も無かったので毎日のように煽っていた酒も、今では夜にしか飲まなくなった。
それもこれも、この王国に来てからの事。
グラスを持って、また一息に飲み干した。
何杯目か、数えるのも億劫だった。
グラスを置いた手に、ふと視線が止まる。
その手には、赤くなった痕がまだ残っていた。
人を殴った手だ。
ギンジを殴ってしまった、手だった。
「(………なんて、馬鹿なことを。
アイツの気持ちも振る舞いも、もう私には関係無かった筈なのに…)」
苛立った、というよりも腹立たしかった。
それが、ギンジを殴ってしまった、一番の要因だった。
「(………祝福しよう、と決めた筈なのに、)」
自然と眉根が寄せられ、俯いてしまう。
表情と同時に、気持ちまで沈んでしまった。
おかげで、まだ夕暮れ時であるこの時間帯に、酒屋に入り浸ってしまっている。
しかも、スラム街『亜人通り』と呼ばれる、治安も悪い場所で。
結局のところ、魔族である私には人間の社会であるダドルアード王国での居場所は少ない。
冒険者ギルドか、こうした『亜人』が大半を占める特定の酒場ぐらいしか、足を向けられる場所が無いのだ。
だが、冒険者ギルドは、彼と懇意にしているジャッキーもいる。
闇小神族であるライドやアメジスも、冒険者稼業をしているので顔を合わせることもあるだろう。
彼に、見つかる可能性は高い。
だからこそ、治安が悪いと分かっていながら『亜人通り』に来た。
『亜人通り』の片隅にひっそりと軒を連ねている酒場へと、わざわざ足を運んだ。
思えば、校舎にいるときは、気兼ねが無かった。
ギンジはもとより、生徒達も人間だ魔族だと、差別も区別も偏見も無かった。
護衛に付いている騎士団とて、ゲイルが全く気にしていなかったせいもあって、気安いものだったのが余計に。
目線を気にする、必要も無かった。
おかげで、この300余年を生きて来た中でも、穏やかな毎日を送っていた気がする。
そんな校舎を飛び出して来てしまったことで、やっと頭が冷えた。
きっかけは、なんだったのか。
この感情が爆発したきっかけは、既にうろ覚えだ。
頭に来て、腹が立って、カッとなって。
どれもこれも、衝動的な感情が爆発した結果としか言いようがない。
「(………アイツが悪いのではないのだ。
私が、もう少し、自身の感情を制御できれば、それで良かっただけなのに………)」
ギンジが、女子どもには遠慮も何もなく、寛容過ぎるというのは分かっていた筈だったのに。
誰彼構わず、年齢も問わないという訳でも無い。
色恋を交える訳ではなく、純粋に好意として、贈り物をしていたのは分かっていた筈だったのに。
だが、許せなかったのだ。
ラピスをないがしろにしていた事が。
一夜の関係。
それだけを言うならば、聞こえは悪いだろうが、それでも行為は行ったと分かっている。
見ていたのだ。
聞いていたのだ。
ギンジが起き出して、手洗いに駆け込んだ時から全て聞いていた。
あの時、ラピスがダイニングで隠れて仕事をしていなければ、私が駆けつけていた筈だったのだ。
その後、彼等がダイニングに場所を移した時も、階段の上から見ていた。
一緒になって、間宮も見ていた筈だった。
生徒達の何名かも、起きていた。
勿論、他人の情事を覗き見る趣味は無い。
情事が始まってしまったと分かった途端、逃げるようにして部屋に戻った。
だが、眠れなかった。
私ではなく、ラピスが彼を手に入れてしまった。
秘密裏に行っていた約束を反故にされ、そして想い人も奪われた。
涙が溢れた。
そのまま、一夜が明けてしまった。
しかし、そんな感情を晒したまま、もしくは不調を気付かせる訳にはいかなかった。
だから、普段通りを装って、何も知らないふりで振る舞っていたのに。
ダイニングに残っていた色濃い情事の香り。
なんともなかった筈の私ですら、一時は欲情してしまう程の残り香。
またしても、涙が溢れてしまった。
涙を零す前に部屋に引っ込んでみたが、結局立ち直るのには時間が掛かってしまった。
悔しかった。
やるせなかった。
なのに、
「(………アイツは、何を思ってラピスを…、)」
ギンジは、いつも通りだった。
それだけ情熱的な夜を過ごした筈なのに、彼は一夜明けると途端にラピスには見向きもしていなかった。
良くも悪くも、平然と振る舞っていた。
………多少は、機嫌が良かったようにも思えるが、生徒達の前ではいつも通りだった。
明け方近く、彼女を部屋に押し込めたのも知っている。
その後、片付けをしていたのも分かっている。
だが、修練や朝食の時間が終わっても、彼女の様子を見に行く素振りが無かった。
どうしたものだろうか。
人間と言うのは、そんなに風情の無いものなのか、と小首を傾げてしまったものだ。
肉体関係を持ったのならば、少なからずその後も接触するだろう。
それが、赤の他人ならばいざ知らず、色恋も含めた同居している人間同士なのだから。
なのに、それが無かった。
淡泊なのかそれとも、ただの羞恥による意気地なしだったのかは判断に迷う。
昼前には出掛けていた彼。
これ幸いと、ラピスに問い質そうと思って、彼女への部屋へと向かった。
開口一番に、謝罪をされたものだからどうしていいのか戸惑ったが。
だが、許す以外に、選択肢は無かった。
謝罪をされた、という事はすなわち、そういう事だ。
彼女も私との約束事について悩んでいたのか、私が部屋を訪ねて来てくれて良かったと苦笑を零していた。
知らず知らずのうちに、枷にしてしまっていたようで悪いな、とも感じてしまった。
それこそギンジには言えないような、秘密裏に行っていた約束事はあった。
以前、わだかまりを消化する為に、ギンジにセッティングしてもらったあの酒の席で、お互いの気持ちを吐き散らかして、改めて自分達がどんな気持ちでいるのかを分かりあった。
私も、ラピスも、ギンジを想っている。
そう考えるだけで、親近感にも似た同志としての繋がりが強くなった気がした。
打ち解ける事も出来た、と今ではそう思っていた。
それも反故にされてしまったからには、認識を改めるべきだと考えていたのだが。
しかし、謝罪をした後のラピスは、喜んでいなかった。
怒りたい気持ちが、その姿を見て一瞬にして霧散したのを今でも覚えている。
どうすればいいのか、分からない。
涙ながらに、ごちゃごちゃと考え込んでいただろう気持ちを吐き出した彼女は、とても一児の母とは思えなかった。
自身の感情に振り回されるようにして涙をぼろぼろと零す姿は、ようよう200年以上を生きた森子神族で、ましてや伝説ともなっている『太古の魔女』とは到底思えなかったのだ。
まるで、生娘。
苦笑しか漏れない。
こっちが生娘だというのに、何故経験が上である彼女を慰めなければならないのか。
苦行だった。
私も、どうする事も出来ないから、余計に。
前の夫との間で、板挟みにされた心情。
恋慕を持っていると分かっていた娘の手前、このような過ちを犯してしまった自身への浅ましさ。
約束を反故にしてしまった、申し訳なさ。
色々な事を溜め込んでいたのか、彼女は泣いていた。
ハンカチをぐしゃぐしゃにするまで、泣き続けていた。
その姿を見て、もう怒る気力など沸かない。
こっちだてやるせない上に、悲しかったというのに、それ以上を言う事も出来なかった。
ずるいと思った。
けど、それで良いのかもしれない、とも思った。
祝福するべきだ。
素直に、そう思ったのだ。
彼女は、今まで辛い思いをして、ここまで歩んできた。
その半生の中に、私が逆立ちしたって敵わない程の悲劇や災難に見舞われて来た。
私は、結婚も知らない。
子どもがいた事すら無い。
誰かに体を許した事も無いので、当然と言えば当然なのだが。
悲劇や災難も、せいぜい冒険者稼業の傍らで騙されかけたり、依頼に失敗した程度の話だ。
彼女程、濃厚で凄惨な過去を歩んできた訳では無い。
だから、ギンジにセッティングされた酒の席で、彼女の昔話を聞いた時に思った事がある。
憧憬や、畏敬の念。
私には、きっと結婚も出来ないだろう。
万が一結婚して、子どもが出来たとしても、ラピスと同じような困難に見舞われた時、その子を命がけで守る事が出来ないかもしれない。
ましてや、病気を抱えた夫も、助けることは出来ないだろう。
だって、私には、何も出来ないから。
それが、今になって思い起こされた。
幸せになって欲しい。
彼女には、もう悲劇や災難に見舞われず、平穏な余生を送って欲しい。
心の底から、憧憬や畏敬の念と共に、沸き上がって来た感情がそれだ。
誰かを思いやって傷つき続けた彼女には、もう苦しんで欲しくは無い。
私がこれ以上、彼女に賢しら口で何を言っても、結局は彼と彼女の問題で。
そして、それは怒る事でも叱る事でもなく、むしろ祝うべき催事であるならば、それを祝福しよう。
一度は、そう思っていたのだ。
なのに、結局、
「(………アイツが、あんなに女好きとは思わなかった…!!
ラピスの事も、一夜限りと考えた訳ではあるまいな…ッ!)」
彼は昼時まで出かけていたかと思えば、女子どもを伴って帰って来た。
ラピスの様子を見に来る事すら無く、彼は平然とダイニングで子ども達をあやしていたのである。
生徒達から言われる前から、気付いていた。
臭いで女である事も、ましてや獣人の類である事も分かっていた。
そして、あろうことかまたしても、その子ども達がギンジに恋慕紛いな感情を抱いている事が分かってしまった。
聞けば、彼は彼女達が抑圧された生活をしている事を見兼ねていたらしい。
魔術ギルドと言う私でも聞いた事のある施設のマスターとサブマスター。
それは確かに、いくら才能があろうとも、獣人である事も女である事も知られる訳にはいかないだろう。
冒険者の中でも、得に魔術師連中は己を誇示する傾向が強かったからだ。
女に、ましてや魔族に顎で使われるなど、魔術師連中からしてみれば計り知れない程の屈辱を伴う、とどこかの冒険者ギルドのスタッフが話していた事も知っている。
こそり、と聞いたその子ども達の本心は、確かに年相応の生活を望んでいた。
それに気付いたギンジも凄いが、それに気付けるほどに接触していたのか、という不安も鎌首をもたげる結果となってしまった。
なるほど、高尚なことである。
それは、その少女達への好意の1つとして、微笑ましく見守っていられた。
しかし、それが今である必要は無いだろう。
今である必要がどこにあるのか、しっかりと説明をして欲しかった。
ラピスのところには顔を出さない癖に、彼女達を招いたのか。
用事があったと言えばそこまでで、彼女達から訪ねて来たと言われれば仕方ないとは思っても、それでも順序があるだろう、と客観的に思う。
そう考えると、腹の奥底から怒気がとぐろを巻いて溢れ出してくるのを確かに感じた。
思えば、この時から彼に対しての怒りを溜め込んでいたのかもしれない。
更には、
「(オリビアや私には贈り物をしておいて、ラピスには無いだのと抜かしおって…ッ!
アイツは、本当に彼女の事を想っていたのか、甚だ疑問だな…!)」
一度は、祝福しようと思っていたのも束の間だった。
彼は私を徐に部屋へと呼ばわると、何でもない事のように手渡して来た。
その時ばかりは、私も舞い上がってしまったものだ。
豪奢な装飾に包まれた、これたま豪奢な箱に、中に入っていたのは300年以上冒険者として生きて来た私でも見たことも無いような、見事な篭手だった。
おそらくオルハルコン制で、魔力を芳醇に蓄えているのが手に取るように感じられた。
実際に手に取って見れば案の定、軽さも然ることながら掌で感じられた魔力は相当なものだ。
嬉しかった。
素直に感謝を述べて、大切にしようと心に決めたのだ。
これまた、一度は。
しかし、
「(なんで、あのようなものを買い与えるのが、私だったのか…!)」
彼はあろうことか、私や女神(※実はアンジェにも)には贈り物をしておきながら、一番大切な人間への贈り物は無い、とのたまったのだ。
許せなかった。
ラピスをないがしろにされたと思った。
なによりも、一度は祝福しようと思っていた気持ちを、無残にも踏みにじられたと思った。
馬鹿なのか、あの男は。
何故、こうも怒られるようなことを、平気でしてしまうのだろうか。
あの時ばかりは、本気で殴ってしまった。
北の森の猫の魔物の頭部ぐらいなら一撃で粉砕できる拳を、あろうことか生身の彼に見舞ってしまった。
思った以上に頑丈だったのか、死にはしなかった。
しかし、頬を腫らし、口や耳から出血して、呆然としていた彼には殊更効いただろう。
拳だけでは到底足りず、彼に罵詈雑言を吐き捨てた。
いや、実際には一言しか言えなかった気がするが、爆発した感情に振り回されて「見境無し」のようなことは言ってしまったように思う。
だが、本当の事だろう。
アイツがあそこまで女にだらしないとは思ってもみなかったが、今回ばかりは堪忍袋の緒もはち切れた。
一番許せなかったのは、結局のところラピスの事だ。
幸せになって欲しい、と思っていた同志とも思えた女性を、ないがしろにされた事だ。
今になって思えば、勝手な言い分にも思える。
しかし、どうしても許せなかったのだ。
一体、どんな顔をして戻ればいいのか分からない。
いや、むしろ、戻るべきかどうかも分からない。
妹であるアンジェがいるからには、一度はあの校舎に戻るべきだとは思っている。
あの子がどうするのかは定かではないが、要職についてしまっているからには簡単に辞める訳にもいかず、更には勝手に帰る訳にも行かない。
道理は通さなければならない。
どんなに女癖が悪かろうが、ギンジは道理を通して来たのだから。
今になって思えば、馬鹿なことをしてしまったと思っている。
あの校舎にいるからには、ギンジにとって、我等は庇護下。
その庇護下である人間に手出しをしない人間だとは、今までのやり取りを見ていれば思えない。
実際に、庇護下であるラピスに手を出しているのだから、否定も出来ないだろう。
私はともかく、アンジェが毒牙に掛かるのも、時間の問題かもしれない。
それは、到底許せることではない。
だからこそ、馬鹿なことをしてしまったと、今更になって思う。
今頃、ギンジが私のしでかした事に対して、アンジェを問い詰めているのかもしれない。
そして、その見返りを求めているかもしれない。
復讐や報復と言う馬鹿げた理由で、アンジェの体が汚されてしまうのかもしれない。
ギンジに限って、それは無いという否定も、もはや出来なかった。
「(………ああ、馬鹿なことをした。
………あの時、飛び出す前に、アンジェを連れ出しておけばよかった…!)」
悲しいことに、あの時の自分は怒りばかりが先立ち、後の事など何一つ考えていなかった。
だからこそ、この後、どうすればいいのか分からない。
一体、どんな顔をしてあの校舎に戻れば良いのか、ましてや校舎に戻ってどうすればいいのかも分からなかった。
だが、戻らなければならない。
そうだ、分かっているのだ。
目の前のグラスは、既に並々と満たされていた。
先程飲み干した分は既に補充され、氷が解けて上の部分が薄まってしまっている。
目線だけで、周りを見渡した。
時刻は夕暮れ時。
だが、未だこの店には、客足が私か奥の席に一人しかいない。
それも、全て魔族でしかない。
人間は滅多に来ないのが、この『亜人通り』なのだから当然だろうか。
このまま、酒を飲み続けて、酔い潰れてみてしまいたい。
頑強過ぎる胃袋の所為で、今まで酔い潰れたことも無かったというのに、馬鹿なことだ。
ただ、ギンジと惰性のように飲んでいた時、実はかなり危なかった。
ほろ酔いを通り越して、何処か熱を持った思考がふわふわとしていたものだ。
もし、あの時ギンジが酔い潰れるではなく、私を口説いていたら。
もしかしたら、ころりと靡いていたかもしれない。
それぐらいは、私も酔いが回っていたのだ。
………いや、馬鹿な考えは良そう。
あんな女にだらしのない、不純な男に靡いていたかもしれないなど、考えたくも無い。
首を振って、思考を振り払った。
この一杯で最後にしよう。
どの道、私の懐もそこまで暖かい訳では無いのだし、今後はあの校舎からも出て行かなければならないだろう。
あの居心地の良かった校舎から出ていくことになれば、金もそれなりに入用になる。
最後にするべきだ。
そう思って、ぐい、とまた一息に飲み干そうと、グラスを傾けた。
しかし、
「見つけたぞ、テメェ…!!」
そこで、バン!と酒場の扉が開け放たれた。
カウベルがけたたましく鳴り響いたかと思えば、そこから入って来た人物の第一声は剣呑だった。
思わず、飲み干そうとしていたグラスの酒に、むせ返りそうになった。
驚きのあまり、やや零してしまった酒。
口元を拭うのも忘れて、その人物へと視線を固定させた。
短い黒髪に、透き通るような白い肌に、その肌と同化するかのような包帯を左目に巻いた女のようにも見える男。
改めてみると、その相貌は整いすぎていていっそ不快な程だった。
私と並べば、確実に性別が逆転して見えることが請け合いだからだ。
だが、そんな女のような顔をしていながらも、その声や口調は全く正反対。
怒気を滲ませ、苛立ち半分。
しかも、やや急いでここまでやってきたのか、心なしか息も荒い。
驚いてしまった。
純粋に、認める。
まさか、彼が追いかけてくるとは、思ってもみなかったのだ。
***
商業区スラム街の、やや奥まった北通路。
オレが以前お邪魔したスラム街とは反対方向で、住人達からは『亜人通り』と呼ばれている区画。
文字通り、亜人と呼ばれる種類の魔族が住まわっているのだ。
それも、桁が違う単位で。
人口が3万以上であるダドルアード王国ではあるが、統計が取れているのは全てでは無い。
一部は、スラムに住み着いている人間達だ。
その数は、5千にも1万にも届くと言われている。
その中に含まれていない1万人以上が、この区画に密集している。
ほとんどが魔族であり、人間とは違う見た目を持った亜人がほとんど。
姿形が動物的、もしくは異形であったり、はたまた体躯が倍以上に大きかったり小さかったり、と様々な種族が入り混じって、生活している場所らしい。
治安はスラム程悪くは無いらしいが、人間が踏み込むのは忌避されている。
どいつもこいつも、人間からの迫害によってこの区画へと押し込まれたからだ。
一度でも人間が迷い込もうものなら、生きては出られない。
そう言われている区画でもある。
人間にとってはスラム街と大して変わらないまでも、それでも魔族にとっては安全な区画らしい。
そんなスラム街『亜人通り』へと、オレ達は足を踏み入れた。
ゲイルは一度騎士たちの詰め所に戻り、騎士服を脱いでからここまで来た。
目立つ上に、余計な面倒が増えそうだったからだ。
まぁ、人間である以上は余計な面倒が起こりそうなのはオレ達も同じながら、それでも対策はして来た。
道中、不躾に向けられる視線は、大半が嫌悪。
憎悪も混ざり、殺意すらも向けられていた。
しかし、襲い掛かってくる猛者は、スラムの時以上に少なかった。
それもそのはずだ。
今回ばかりは、オレも邪魔をされては困る。
だから、意図的に覇気を発しておいた。
覇気とは魔族間でも一種のステータスとして、相手の力量を図る目安になるのだとか。
しかも、オレの覇気は、まさしく『天龍族』に匹敵するもの。
ゲイルのお墨付きも然ることながら、ラピス達も口を揃えて言っていたものである。
案の定、襲い掛かってくる馬鹿も猛者もおらず、突っかかってくる奴も少なかった。
突っかかって来たとしても、周りが止めてくれる。
おかげで、スムーズにローガンを探すことが出来たのは、なんにせよ僥倖である。
そんな区画の一角にあった酒場に、ローガンの香りは続いていた。
スラム街に入ってからは、間宮の索敵もスムーズだったのだ。
軒を連ねて露店を出すなんて事、スラム街ではまず出来ないらしい。
強盗が日常茶飯事で、そこら辺に酒の中毒者や薬の中毒者が転がっているような場所だ。
命自体が危ない上に、衛生的にもよろしくないだろう。
そんな索敵の後、店が判明したと同時にオレは覇気を一度解いた。
彼女も気配には鋭敏だから、オレが来たと分かって逃げられでもすれば困る。
そう思って、店を覗き込む。
彼女は気付くことなく、酒のグラスを見つめて考え込んでいるように見えた。
店内には、店主らしき男性と、カウンターにしか人がいない。
話をするにはお誂え向きで、好都合だった。
だが、スムーズだったのはここまでだった。
「ギンジ。先に行け」
「(込み入った話もあるでしょうから、オレ達はこちらで時間を潰します)」
「………悪いな」
気付けば、周りを魔族達が囲んでいた。
オレが、覇気を解いた事もあって、今まで通りかかった時とは別の魔族達が、目を付けて寄って来てしまったようだ。
言われた通り、魔族には安全でも人間には治安が悪すぎる区画である。
だが、ここにいる2人は、言うなればSランク冒険者。
ゲイルは騎士だが、それでも能力的には間宮と同等であり、何も心配することは無い。
間宮に至っては、実戦経験と言っておく。
これで、てこずるようならそれまでだ、と割り切っておく。
「何かあったら呼べ。最悪、逃げ込んできても良い」
「笑止。冗談は止してくれ」
「(この程度で根を上げては、貴方の弟子とは名乗れません)」
頼もしいものだ。
魔族達の事は彼等に任せることにして、オレはそのまま扉を開け放った。
若干、今まで溜め込んでいた苛立ちが出てしまったのか、加減を間違えてしまったけども。
扉についていたカウベルがけたたましく鳴り響く。
思った以上に、扉の立て付けが良かったのか勢いよく扉が開いた。
店内に入った時、ローガンはむせそうになっていた。
安心しろ。
オレも驚いたから。
「見つけたぞ、テメェ…!!」
そんな驚いた内心を誤魔化す為に、カチコミに来たヤクザよろしく怒声の篭った唸り声をあげる。
オレが今まで出して来た声の中で、一番低い声だったかもしれない。
更には、彼女を見つけた安堵も相俟って、やや大仰な溜息を吐く。
緊張緩和も、多少は含まれている。
今しがた始まったであろう外の喧騒を遮断するようにして、扉をやや乱暴に閉めた。
「………何故、ここに…ッ」
「テメェの香りを間宮が追ってくれた。
テメェこそ、人を殴り飛ばしておいてこんな時間から酒浸りなんて言いご身分だな…!」
オレがいることにも驚いたのか、彼女は目を白黒させていた。
カウンターチェストから腰が若干浮いていたが、逃げ出されるようなそぶりは見られなかった。
そのまま、苛立ち半分で彼女の隣へと腰かける。
カウンターにいた店主は、これまた動物的な獣人だった。
一目で人間だと分かるオレに対して、睨み付けるような視線を向けていたが、
「コイツと同じもの、ロックで」
そう言って、覇気を出しつつ告げれば、体を一つ震わせた後、黙って酒の瓶を手に取った。
隣のローガンまでびくり、と震えていたが構うものか。
というか、店内には、先程いないと思っていた、もう一人の客もいたようだ。
フードを被ったまま、静かにグラスを傾けているが、オレが今しがた発した覇気に反応して気配が少しだけ尖った。
静かに一人で飲んでいたところを申し訳ないことをしてしまったな。
まぁ、良い。
ここでは、オレを『予言の騎士』だと敬っている人間はいない。
オレも、素で喋れる。
ありのままで、彼女と話をしよう。
「まずは、ゴメン。
さっきの事は、オレも悪かった…」
「…えっ?」
グラスが来る前に、彼女へと先に詫びる。
丁度グラスを出そうとしていた店主が、手を震わせながらもグラスを置いた。
こちらにも申し訳ない事をしたな。
懐から取り出したチップを指で弾いておいた。
何の前触れもないそれを、店主は危なげなくキャッチしていた。
さて、それよりもこっちだ。
グラスを傾ける傍ら、ローガンへと視線を流せば、彼女は呆然とオレを見ていた。
なんだよ、その顔。
謝られるとは想っていなかったみたいだけど、オレだって自分が悪いというのはちゃんと認識している。
彼女が怒った理由も、ちゃんと分かっているからこそ、謝っているのだから。
「オレだって、馬鹿じゃねぇよ。
見境だのなんだの、あんな形相で言われれば嫌でも分かる」
「………そ、それは、」
「でも、なんで殴られなきゃいけなかった訳?
言ってくれればその場で謝罪だけで済んで、こんなところまで足を運ばないで済んだのに…ッ」
オレが怒っているのは、それだけだ。
殴る必要はあったのか?という事と、なんで逃げ出す必要まであったのか?という事だ。
言うなれば、ラピスとオレの関係について、彼女は関係ない。
オレだって、関係無い事に関して叱りはするが、殴りはしない。
ただ、別に怒っているから恨み言を吐いた訳じゃない。
要は、確認だ。
これを話の枕にして、彼女の本心を聞きたかった。
オレを、どう思っているのか。
「お、お前が、誰でも彼でも見境なく贈り物なんてするから…ッ」
「………見境なんて、付けないのは当たり前じゃん。
だって、あの校舎にいるのは全員気心知れた同居人なんだぜ?
なんで、見境を付ける理由があるの?」
「…うぐっ、………それは、」
指摘されたことに、腹を立てる様子でもなく言い淀んだ彼女。
明け透けだろうが何だろうが、オレは女も子どもも、ましてや生徒も関係なく同居人として見ている。
そう言ったつもりである。
ラピスのように色恋に発展した仲を想定していた訳では無い。
飽くまで、褒章とは別の贈り物としてだった。
「言うなればご褒美じゃん。
生徒達にも今までそうやってきたし、今まで不満なんて出なかったけど?」
「だが、時と場所を考えろ…!」
「時と場所を考えるって、どうして?
誕生日の時みたいに、サプライズで渡した方が良かったって事?」
「そうじゃない!まるで、ラピスをないがしろにしているようだったから、」
「ないがしろになんてしてないけど?
むしろ、気持ちを踏みにじられて、ないがしろにされたの、こっち」
ちょっとずつ、ペースを上げていく。
追い詰めて、聞き出すのだ。
彼女の本心を。
だが、今しがたの台詞で、彼女のラピスへの気持ちは分かった。
知ってはいたのだ。
オレ達の関係が、進展している事は。
オレが考えていた通り、彼女をないがしろにした上で、別の女に贈り物をしていたことが気に食わなかったようだ。
ただ、それに対しては、オレも言い分はある。
今はまだ言わないけども、少しは買えなかったという可能性も考慮はして欲しかったものだ。
「大体さぁ、殴る事ないじゃん?
オレとしては、お前たちにお礼がしたかったから、贈り物を選んできた訳だし…」
「だ、だからと言って、彼女を差し置いて受け取れるか…ッ」
「それで、殴ったの?短絡的すぎるだろ?」
そう言って、もう一度グラスを煽った。
ちなみに、少しだけチャラけているように見せているのは、わざとだ。
このスタンスの方が、一番相手からの話を聞き出しやすい。
怒っている風に見せると今は畏縮させてしまうだろうし、逆に優しくしているだけでは胡散臭いだろう。
彼女、きっとオレへの信用を投げ捨てかけている。
だからこそ、怒りもしたし飛び出してしまったのだろう。
妹さんの事をどうするつもりだったのか、小一時間でも問い詰めて聞き出してやりたいけど、今は他所に置いておこう。
今は、彼女の本心だ。
「ぶっちゃけさぁ、お前こそどうなの?
さっきからラピスの事をないがしろだのなんだのと偉そうに言ってくれてるけど、オレの事どう思ってるの?」
「…なっ…、何を、突然」
「いや、だってさぁ。オレに対する配慮は一切無いじゃない?
でも、それにしてはラピスに対してはかなり入れ込んでる………。
それって、やっぱり性別で区別してるのか?」
「…べ、別にそんな、つもりじゃ…ッ」
さてさて、これにはどう言い逃れをするのやら。
遠まわしでもなくあからさまでもなく、それでいて答え辛いだろう事を一気に踏み込んで聞いてみた。
まずは、男女での差別をしているのかどうか。
その答えによって、オレの事をどう思っているのか、大まかではあるが分かると思う。
やれやれ。
今まで、交渉事でしか使ったことのない技術を、色恋沙汰で使う羽目になるとは。
世の中、分からんね。
「………別に、差別なんて、してない」
「見境云々言って来たってことは、オレとラピスが恋仲になったのも気付いてんだろ?
なのに、オレに対してだけ怒っているのはなんで?」
「そ、それは、お前が、ラピスの事を…ッ」
「ないがしろになんてしてないって言っただろ?
オレだって男だから甲斐性は持ってるつもりだし、ラピスのところに行かなかったのは入り浸っちゃうと思ったからだし、」
まぁ、どんな顔をして会えば良いのか分からなくなったなんて言う別の理由もあるんだけど………。
それも、まだ言わなくて良いだろう。
………いや、言った方が良いのか。
先に彼女へ贈り物が出来なかった理由を、ローガンに話してしまうのだ。
もしかしたら、なにかしら勘違いをしている可能性は高い。
彼女は、早とちりが得意だから。
「彼女が、耳に付けてるピアスの石、何か分かる?」
「な、なんなんだ、いきなり…ッ。
………だが、分かる。おそらく、黒曜石だろう?」
「残念、外れ。あれ、黒玉だったんだよ」
そう言って、グラスを一息に煽る。
胃に沁みる。
やるせない感情が渦巻いていた事もあってか、自棄に酒が不味いと感じる。
だが、今の心情には丁度良い、苦さだ。
グラスをややカウンターへと突き出すように置けば、店主が寄ってきてグラスを回収していった。
そこで、ふとローガンへと顔を向ける。
彼女は、驚いた表情のまま、固まっていた。
はくはく、と唇を開けたり閉じたりしているが、言葉は発せない様だ。
やっぱり、彼女もラピスから過去の話を聞いているようだ。
「………もう、分かっただろ?
あれ、アイツの前の旦那の形見なんだよ…」
「………そ、そうだったのか…。………って、まさか、」
この一言だけで、察しの良い彼女には分かったようだ。
僥倖、僥倖。
それが、勘違いで無い事は祈るがな。
「………後生大事に前の夫の形見を身に着けてる女に、一体何を贈れって?」
目の前に、グラスを置かれる。
そして、またしても悪いタイミングでグラスを出させてしまった、店主の手が震えてしまった。
申し訳ないことをした。
しかも、滅茶苦茶情けない話を聞かれている気がする。
………本当に、やるせない。
けど、これで彼女の誤解が解けるなら、それで良い。
新しく来たグラスを、ややヤケクソ気味に煽って、2秒で空にしてやった。
***
困った。
本当に困った。
2人して、黙り込む事数分。
外からの灯りは無くなり、喧噪だけが響く。
………そういや、あの2人はまだ大丈夫なのだろうか?
夕暮れ時は既に過ぎて、時刻は夜。
もう、オレとしても帰り支度をしたい、と考えている。
だが、彼女とのことは、ここで白黒はっきりさせておかなければ。
後々の禍根にされても困るし、ラピスの言う通り二度と会えないなんて事にはなりたくない。
「………分かってくれた?」
「………ああ」
だんまりをオレから辞めて、彼女へと問う。
彼女はややあって、固唾を飲み込んだようにして大きく喉を鳴らしてから、頷きながら返答してくれた。
ちらり、と横目で見やった彼女の目には、もう嫌悪も憤怒も浮かんではいない。
視線を合わせようとしていないのはずっとだが、それでもオレへの不信感を覚えているようには見えなかった。
残りは、彼女の気持ちを聞くだけ。
どうするか、と言うのはオレが決めなければならないまでも、彼女の言い分は聞く。
既に通算、5杯目を数えたグラスを煽る。
店主のオレを見る目が、段々と化け物を見ているような目に変わっている。
………そろそろ、帰りたい。
色々な意味で。
「笑いたきゃ笑え。………どうせ、オレは意気地なしだよ」
「………そんなことは無い。
済まなかった。
………そんな事情があったなんて、私も気付いていなかったから、」
「殴られ損だわ」
「………済まん」
ちょっとだけ弱みを見せながらも、恨み言を呟く。
素直に謝られた辺り、おそらく彼女としては溜飲も下げて、事情に納得してくれたのだろう。
オレも、謝罪を受けたからには、溜飲は下げる。
だから、残るは彼女の気持ちだけだ。
「さて、オレは言いたいことは言った。
………後は、アンタの言い分を聞くだけなんだけど、」
「………べ、別に、私は言い分など、」
「他に言いたい事、無いの?
………恨み言でも良いし、憎まれ口でも良いし、溜め込んでる気持ち、無いの?」
「………。」
問い質したオレの言葉に、ぐっと黙り込んだ彼女。
難しい顔で、氷水が半分になった酒のグラスを握り、じっと中身を見ている。
そんな熱烈な視線を受ければ、氷も解けるわな。
多分、彼女としてはまだ口を割る気にはなれないだろうから、そのまま目線を逸らして店主へと合図。
懐から先程と同じようにチップを出して弾く。
これまた危なげもなくキャッチした店主が、オレの意図を正確に読み取って新しいグラスの準備を始めた。
………ここ治安や立地はともかく、良い店だ。
消せないやるせなさのままに、溜息を吐いた。
隣で、びくりとローガンが震えた。
別に怒ってないから、そんな怯えもしなくて良いだろうに。
そう言って、苦笑と共に指摘しようと口を開こうとした、最中。
「………そ、そんなに覇気をまき散らすな…!
い、今考えてる…!」
「………は?」
彼女は慌てたようにして声を発した。
それと同時に、ぼろり、とカウンターに涙を零していたのを見た気がするが、
「………何言ってんの?
オレ、覇気なんて今は、出して無いけど?」
「えっ?」
オレが気になったのは、そっちでは無かった。
彼女の言葉の方が、問題だった。
オレが、覇気をまき散らしている?
一体、何を言っているんだ?
オレは、先程意図的に店主に発して以降、一度も覇気は出していない。
オンオフぐらいは出来るようになっているらしいので、今はオフにしてあったのだから。
だから、覇気を発して威圧なんてしていないし、した覚えもない。
また、彼女の勘違いか?と、思わず小首を傾げそうになった瞬間。
ーーーーーカシャーン!
店内に響いたのは、甲高い破砕音だった。
グラスか何かが、割れる音だ。
咄嗟に、カウンターの奥へと目を向ける。
しかし、そこには店主の影も形も無く、出しっぱなしになった酒の瓶だけが残っている。
おいおい、どこにいった?
いつの間に、あの店主が逃げ出したのかすら分からない。
そもそも、なんで逃げ出したのかすら、
「…は?」
「………ッ、お、抑えろ…!わ、私まで…ッ!」
「…はい?」
だが、そんな意味が分からない状況の中、またしてもローガンが喚く。
今度は、かなり切羽詰まった様子の声で、思わず唖然として彼女を見返したが、
「………ッア、」
「お、おいおいッ…!」
そんな彼女は、突然痙攣したかと思えば、目を揺らした。
その瞼が一瞬にして閉じられ、カウンターに突っ伏す。
思わず腰を浮かせて、彼女へと手を伸ばす。
しかし、床に倒れることも無くカウンターに懐いただけの彼女は、まるで酔い潰れて眠っているだけのようで、ますます戸惑ってしまう。
「………な、なんなんだよ…ッ」
まさか、オレが来るまでの間に、かなり飲んでいたのか?
オレが負けるほどの酒豪である彼女が?
時間的に、無理だろう。
いや、ノンブレスで10杯ぐらい飲んでいれば潰れるだろうが、この酒はそこまで強くない。
なら、何故突然、眠ってしまったんだ?
酒に薬か何か混じっていたのか?
いや、待て。
思い出せ。
彼女を揺すろうと伸ばしていた手が、中途半端な位置で止まる。
先程、彼女が喚いた言葉を思い出した。
オレが、覇気をまき散らしていたという彼女。
『抑えろ』と言ったのは、きっとオレに向けて発した言葉で、『私まで』という言葉はおそらく現状を指していたのだろう。
つまり、要因は覇気だ。
オレが初めて覇気を発した時には、確かシャルが気を失っていた。
ローガンも、がくがくと震えていた筈だ。
この状況は、覇気が原因だと?
そんなつもりは一切無かったし、オンオフは出来ていた筈なのに?
ぞわり、と背筋が震えた。
それと同時に、いつの間にか店内は静まり返っていた。
先程まで聞こえていた筈の、外の喧騒すら聞こえなくなっていた。
どういうことだ?と、半ば呆然としたまま視線を外に向ける。
しかし、
「………アンタも『異端の堕龍』なんだね…」
突然、背後から掛けられた声に、震えた。
驚いた。
その声は、すぐ耳元で聞こえたから。
冷や汗が噴き出した。
振り返る。
「………ねぇ、アンタも『天龍族』の血を浴びたのかい?」
そこには、猫のように瞳孔を細めた銀色の目があった。
にんまり、と宵闇の三日月のように歪められた口元があった。
白い肌に、整った鼻梁の、フードを被った少女がいた。
そのフードには、見覚えがあった。
先程奥の席に見受けられた、もう一人の客のものだった。
***
伏線張りまくった所為で、回収がまたしても大変そうな今日この頃。
気付いた時にちらほら回収していると、段々前の話とのつながりが悪くなっていくのは、もはや作者の悪い癖です。
プロットさんの思い通りにはならないようです(笑)
誤字脱字乱文等失礼いたします。
 




