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異世界クラスのアサシン・クリード~ただし、引退しました~  作者: 瑠璃色唐辛子
特別学校異世界クラス設立
10/179

8時間目 「体育~決闘は清く正しく、オレルール~」 ※流血表現注意

2015年9月2日初投稿。


連続投稿を失礼致します。

16時間目という名の16話目です。

そろそろ、別の生徒達の心情を語っておきたいですが、決闘話が長引きました。


感想を下さった狐狗狸こくり様ありがとうございます!お返事は感想にてご返信いたします!


(改稿しました)

***



『始め!!』


 二つの太陽をいただく異世界の 蒼天の空の下。


『うらぁああああああ!!!』


 響いたのは、騎士の決闘(ころしあい)を開始する合図。

 それと同時に、騎士の決闘を申し込んできたメイソンが、気鋭一声。


 己の獲物であるハルバートにも似た槍を、突き込んできた。


「(……まぁ、初動はこんなもんだよな)」


 と、オレはどこか他人事ながらも、突き込まれた槍をバックステップ一つで避けた。

 尖部と鉤部がやや目測を惑わせるが、避けられない攻撃では無い。

 耳元を掠めて行く重量武器の切っ先。

 切っ先は敢え無く空を切り、オレの耳横を通り過ぎた。

 最初から頭を狙ってくるとは、オレのルールを完全に無視しているようなものだ。


 軸足を安定させた時には、メイソンの表情が驚愕を露にしているのが見えた。


 正直、この程度?としか思えなかったが、


『おい、アイツ、初見で避けたぞッ!』

『副団長の渾身の突きだぞ?』

『目で追うのも精いっぱいなのに…!』


 メイソンの為に集まっている見物人ギャラリーからは驚嘆の声が上がっていた。

 いやいやいやいや、お前等相当レベル低いな!


『…避けただと…!?』

『…テメェもかよ』


 驚きで目を丸くしたメイソン。

 突きの勢いのせいで、少しだけ近くなった男の体勢は隙だらけ。

 このまま、顎先にローキックでもぶち込めば、脳震盪で即ノックアウト出来るのではないだろうか。


 まぁ、初手も初動も、一応は様子見だ。

 この世界の騎士相手に、オレがどこまでやれるのか。

 念の為に、実地で知っておく必要がある。


 殺気や怒気、覇気と言った圧力が有効なのは、既に実験済み。

 残りは、オレの鈍っているかもしれない腕と、対人戦闘に置ける自身の実力を判断するだけだ。

 負けるとは思っていないけど、視察とか情報収集は大事にしてるの。

 じゃないと、痛い目に合うって言うのは、骨身に染みてるからね。


 と、それはさておき。


『まぐれで避けたぐらいで、調子に乗るな…!!』


 いきなり、怒声を張り上げたメイソン。

 いや、別に調子に乗ってるとかじゃなく、ね。

 大振りに空を切った初手が恥ずかしかったのか、彼の頬が怒り以外の感情で若干赤らんでいるのが良く分かる。

 地味に気持ち悪いとしか言わない。


 そこで、


『せぇええええええいッ!!』

『…あ、そういう使い方なんだ』


 彼は、突きで空振った槍を、そのまま斜め下方向へと旋回させた。

 これによって、オレの真横を通過していた槍の切っ先に備え付けられた鉤部が、更にバックステップで避けたオレの目前を通過していく。

 はらり、と前髪が数本、風に舞い散る。


 あの槍、思った以上に厄介な武器だ。 

 ハルバートにも似た槍で、長い尖部と突起ピックのような鉤部を両側に2つ備え付けた、全長2メートル越えの重量武器。

 刺突は勿論、両端の鉤部を引っ掛けてしまえば、確実に流血は免れない。

 普通の槍と違って、鉤部でっぱりがあるから目測も狂う。


 あくまで、普通の人間としての見解なら、近寄り難い血生臭い武器だ。

 ただし、オレとしての見解であれば、


「(取り回しが難しそうだし、重いからどのみち大した攻撃速度は期待できない。

 しかも、コイツ右利きの癖に、左側に薙ぎ払っちゃってるから、引きが出来なくなって脇腹がガラ空きじゃないか…)」


 ……とまぁ、そう言うこと。

 結論から言って、この男の事は、特に脅威とは感じない。


 現に今も、オレの目の前には無謀にも晒された脇腹がある。

 思わず人体急所の腎臓でも肝臓でも狙ってローキックを叩き込みたくなってウズウズする。

 でも、オレの場合は人体急所に脚を叩き込むと、文句無しで逝ってしまうので、手加減をしようにも出来ない。

 ………染み付いた反撃本能程怖いものはない。


『…くっ、おのれぇ!!』


 そうこうしているうちに、勝手にヒートアップしたメイソンが、引きが出来なくなった槍を、わざわざ地面に突き刺して持ち直した。

 その行動の意味は何?

 旋回させればもっと隙は少ないのに、何故わざわざ地面に突き刺したの?


 そして、無駄な動作を一つ挟んでからの攻撃は、呆気ない振り下ろしだけだった。

 実際には、目視しないでも避けられる。

 しかも、持ち直しの時に、まったく調整をしていないせいで、大振り過ぎるし、鉤部が邪魔して切っ先が地面に弾かれる始末。

 こんな大振りのボーナス攻撃、子どものチャンバラでしか、お目にかかった事は無いぞ。

 そして、今度は頭から爪先までが隙だらけ。

 コイツ、なんでオレに決闘を申し込もうと思ったんだろう?


 あ、分かった。

 コイツ、上流貴族の型に嵌った槍術の訓練しかしてないんだ。

 実戦形式で、乱取り稽古なんて事もした事無いんだろう。

 それでよく、外回りの実働部隊に入ってるもんだ。


「(…兄貴も、お前の武器の使い方見て、眼を諌めてんぞ~…)」


 チラリと横目で流し見た、オレ達の決闘の証人を引き受けたメイソンの兄、ジェイデン。

 彼も獲物は槍だが、こちらはメイソンよりもスタンダードな薙刀のような槍だ。

 そして、その目線は、メイソンの武器の取扱を見て、苦々しい顔をしていた。

 うん、お兄ちゃんも吃驚なんだろうね。

 コイツのポンコツ槍捌き。


「(そんな槍捌きを、眼で追うだけで精いっぱいとか言っているのが、この騎士団って事は、やっぱりあんまりレベルは高くないよなぁ。

 オレ、なんであの時、本気で抵抗しなかったんだろう。

 そうすりゃ、生徒達が傷付くのは阻止出来たってのに、)」


 そう考えても後の祭り。

 言い訳をするつもりは無いが、異世界での対人戦闘と『魔法』の存在を警戒し過ぎる余り、最初の段階での諦めが早過ぎた。

 身動きが取れなくなってからでは遅かったのに、ちょっとどころでは無く深く反省。


 こんなのに、一度でも負けたと考えると、酷く億劫になった。


『避けるなぁ!』

『当たったら痛いっしょ?』


 何を当り前の事を言ってるの?


『そうだ、痛いぞ!この鉤部は、今まで何度も、』

『当たればね』

『うぐっ…!?…き、貴様ぁあああ!!』


 そして、繰り返されるチャンバラ。

 軽いステップで真横に良ければ、耳元を掠めていく尖部。

 そのまま、鉤部を引っ掛けようとする薙ぎ払いに移行して、またしても地面に槍を突き刺してからの、大振りな振り下ろし。

 どうやら、コイツのパターンがこの3連撃のようだ。

 もう、眼を瞑っていても避けられるような気がして来た。


 時折、やっぱり隙だらけな萩払いや、我武者羅な突きが入ってくるが、ほとんどワンパターンに嵌まっている。

 その都度、オレが少しずつ立ち位置を調整すれば、同じような3連撃しか放ってこない。


『このっ、ちょこまか…っと!!』

『…いや、オレ実際そこまで動いてねぇよ?』


 簡単なステップと少し後ろに下がるだけで、回避は出来る

 というか、そろそろ目が慣れてきてしまった。

 先んじて、回避行動を取ると、まるでオレの動きが見えなかったかのように、メイソンの目が見開かれる。

 いや、お前、本当に雑魚だな。


『先生、がんばれー!!』

「負けんなよ、銀次ぃー!承知しねぇぞー!」

『お見事ですわ、ギンジ様ぁ!!』

『はぁあああんっ!お見事な体捌きでございますぅ!!』


 背後からの声援も、自棄に心地良い。

 相変わらずエマの声援と、痴女騎士イザベラの声援は怖い。

 このまま、時間だけをダラダラと過ごして、軽く運動しているのも良いかもしれない。


 一方で、


『おい、なんでメイソンさんの攻撃が当たらねぇんだよッ』

『知るかよ、オレに聞くな!』

『とっとと畳んでください、大将ぉ!!』

『うるせぇなぁ!!そんな事分かってんだよ!!』


 焦れて来ているのは、メイソンとその見物人ギャラリー

 ここまでポンコツとは思って無かったから、拍子抜けをしているオレも、無表情で淡々と捌いているから、そこまで余裕そうには見えないんだろう。

 実際、そう言う風に見せているだけだ。

 理由は、メイソンがそれを見て、勝手に突っ込んできてくれるから。

 こっちから仕掛けるの、地味に殺しそうで面倒臭い。


 そこで、ふと気付いた。

 周りを見てみれば、明らかに見物人ギャラリーが増えている。


『何してんだ?』

『『予言の騎士』様と、『蒼天騎士団』の副団長の決闘だって、』

『『蒼天騎士団』?実働部隊がどうしたってんだ?』

『知りませんよ、そんなの』


 ……これ、いつの間にか、結構な大事になってないか?


『あんなのが、『予言の騎士』様なのか?』

『女じゃないか…!』

『馬鹿!一応、男なんだって話だ!』

『やめろよ、聞こえんだろ?』

『『予言の騎士』だかなんだか知らないけど、』

『オレ達騎士がどんな思いで、』


 ………聞こえてるよ、もう。

 ついでに言うなら、オレを女と言った奴は誰だ?

 テメェも顔を覚えておくぞ、コン畜生!


『隙ありぃ!!』

『…いや、無いから』


 と、ここで無理やり突っ込んできたメイソン。

 完全に心臓狙いだったそれを、回り込むようにして回避するが、集まっていた見物人達の視線は嫌に冷たい。


 どうやら、オレは『予言の騎士』として、大手を振って歓迎されている訳では無さそうだ。

 刻一刻と増えている見物人ギャラリーの姿。


 今更ながら、ジェイデンの顔付きが忌々しそうなものに変わった。

 見物人もある意味、決闘では証人になるからな。

 下手に言い逃れができなくなる分、メイソンの兄であるジェイデンにとってもこの状況は不味い。

 まぁ、痴女騎士イザベラという、比較的権力をもった人間もいるから、恩赦で握り潰す事は出来るだろうが、人の口に戸は立たない。


 しかも、


「(おいおいおいおい、混ざって良いのかよ、国王様…?)」


 その見物人達の中には、見知った気配が混ざり込んでいる。

 国王陛下だ。

 熱心に視線を注いでいるように感じられるが、頼むから混ざる前に止めてくれないか?

 主に、この暴走騎士メイソンと部下の暴走騎士団とりまき達を。


『貴様は、避けるしか出来んのか、腰抜け目ぇ!』

「そうは言っても、隙があり過ぎて、うっかりやると殺しちゃうんだけど、」

『言葉も忘れたかぁ!!』


 メイソンの挑発の声に、わざと日本語で返す。

 繰り返すけど、わざとだよ?

 そして、それに対して、メイソンが逆に挑発されている。

 チョロいでやんの。


 そして、コイツの攻撃に関しては、既に甘いとしか言いようが無い。

 牢屋に入れられた当初の段階で、拷問以外が生ぬるいと感じたのは、やはり気のせいでは無かった。


 オレのように、血生臭い気配が無い。

 この騎士団は、殺しに特化した戦闘集団では無い。

 それはつまり、戦争を知らないという事。

 

 たとえ実働部隊とは言え、戦争を知らないのであれば、オレとは比較にならない。


 オレは、知っている。

 もっと、酷い地獄を。


 身を砕くような、訓練と称した拷問。

 その拷問に耐える為に、真っ先に捨てさせられる感情。


 オレの育った施設では、選ばれた子ども達が皆、その道へと吸い上げられた。

 おそらく、今現在の懸念となっている間宮もだろう。

 感情を捨てさせられると、ほとんど感情の乱れが現れなくなる。

 オレも、間宮も感情の起伏が少ないのは、その所為だ。


 加えて、オレは『最凶』とも呼ばれた師匠を持っている。


 訓練内容に関しては割愛させて貰うが、あれはオレも途中で死を選ぼうとした。

 それほどの過酷な生活を強いられて来たオレにとって、戦争も地獄も知らないだろうこの男達は驚異に感じない。

 恐怖は感じない。


 だって、お前達は知らないだろう?


 命乞いなど無意味の紛争地帯。

 成す術も無く蹂躙されて、地図から抹消される村々。

 不条理と理不尽をただ嘆くしか出来ない、人々の怨嗟の声。


 そして、怨嗟の声から生まれる、復讐の連鎖も。

 無情にも、体中に差し込まれる毒の注射器も。

 泣き喚いても解放されることの無い生き地獄も。


 ………しまった。


「ーーーーーーーーーッ!」


 ぶるり、と背筋を駆け上った悪寒。

 一瞬だけ強張った筋肉が、身体の自由を奪った。

 思考の深みに嵌り過ぎたようだ。

 思い出してはいけない事まで思い出してしまった。


『はぁあああッ!!』


 鋭い気合の声に、我に帰る。


 しかし、気付いた時には、既に遅い。

 目の前に迫った槍の尖部。


『チィッ!!』


 咄嗟に、コンバットナイフで弾く。

 だが、考えても見て欲しい。

 たかだか数キロ程度のナイフと、数十キロは下らない槍がぶつかりあえば、どうなるのか。


『その程度で、防げると思ったかぁ!!』

『……クソッたれ』


 メイソンの嬉々とした声が、腹立たしい。

 思わず悪態を吐いた。


 メイン装備のコンバットナイフは、槍との衝撃で刃先が割れた。

 破片と化した切っ先が、彼方へと飛んで行く。


 微かな金属音が、一瞬の静寂の中に響いた。


『これで、終わりだぁあ!!』


 これをメイソンが好機と見たのか、ここぞとばかりに鉤部を薙ぎ払う。

 しゃがんで避けた。

 だが、メイソンは今までとは逆方向へと薙ぎ払いを掛けた為、今度は引きが上手くいったのか、続けて足下を狙った薙ぎ払いを仕掛けてきた。

 転倒狙いか。

 大人しく転んでやる義理は無いが。


『…フッ…!』


 軽く息を吐き出して、オレはそのまま地面を蹴った。

 逡巡の後に、跳躍。

 空中で蜻蛉を切って、体勢を立て直す。

 その後、最初よりも後方へと着地して、メイソンとの距離を大きく開けた。


 その間に、少々乱れた息を整える。

 今のは、少々不味かった。

 反応出来なければ、最悪眼が潰されていたしな。

 まさか、こんな事で息を乱すなんて、オレも随分と鈍っている。


 思い出し掛けたトラウマに関しては、記憶を封じて蓋をした。


 その時、背後でどっと沸いた見物人。

 もとい、オレの生徒達。


「銀次凄ぇじゃんッ!」

「うわぁ!アクロバティック!!」

「今の何!?なんか、凄い!」

「何あれ、映画みたい!」

「先生、格好良いー!!」

「先生、完全に主人公気質だったんだっ!!」

「…喧嘩で負ける訳だ」

「凄ぇのは分かったけど、今の何だよ!?全然見えなかった!!」

「オレ鳥肌立った!」

「僕もだヨ。実は先生、凄い人だったんだネ」

「(こくこくこく!)」

『さすがです!ギンジ様!頑張ってくださいまし!』


 うむ。

 なんとなく、気分が良い。

 おかげで、乱れていた感情も、少しだけ落ち着いた。


 そして、言葉は分からずとも、生徒達に触発されたのか。

 集まり始めていた騎士団以外の見物人達からも歓声が沸いた。

 やはり、気分が良い。

 思わず、口元が弛んでしまった。


 ただし、


『ああんっ…良い!良いです!素敵です!!ギンジ様ぁあん!そんな男、恐るるに足りませぬ!』


 痴女騎士イザベラは、その陶酔し切った声をどうにかしろ。

 再三の怖気が背筋を走るわ。

 なんで、お前は普通に応援出来んのか。


 って、あ。

 今、国王が辟易とした気配がした。

 ……やっぱり、痴女騎士イザベラは、国王陛下にとっても悩みの種だったらしいな。

 国王から差し向けられたって訳ではなさそうで安心した。


 閑話休題それはともかく


『ちょこまか逃げおってぇ!』


 どうやら、『終わりだぁ!!』と派手に空振ったのが相当恥ずかしかった様子のメイソンが、息も絶え絶えの真っ赤な顔で怒鳴った。

 しかも、見物人ギャラリーの湧いた歓声も気に入らなかったようだ。


『貴様なんぞ、『予言の騎士』では無く、道化師クラウンで十分だ!!』

『おいおい、城にも宮廷道化師ジェスターぐらいいるんじゃないのか?

 アイツ等を馬鹿にしてると、そのうち足下から救われんぞー?』

『うるさい!!潔く死ね!!』


 メイソンの怒声は、見物人達が失笑する程には寒々しい気鋭だった。

 お前こそ、今は道化だ。


 そして、コイツはやっぱり、オレとの決闘の確約なんて頭の片隅にも残っていないようだ。

 だって、まず前提が可笑しいだろ。

 殺しは無しって言ったのに、二言目には死ね死ねって、今時の小学生よりも質が悪いよ。

 まぁ、前言撤回して、殺そうかどうか迷ってのはオレも一緒なんだけどね。


「(飽きてきたなぁ…)」


 と言う、内心の通り、表情にはありありと、辟易が浮かんでいるだろう。

 何を勘違いしたのか、好機到来とばかりに切り込んでくるメイソンは、もういい加減に力の差を理解したら良いと思う。


 うん、やっぱり、もう殺そう。

 防御一辺倒は切り上げる。

 少し癪ではあるが、痴女騎士の言葉を借りるなら、この男は恐るるに足らない。

 元々、この男は許すつもりは無かったのもある。

 この決闘の場だって、裏を返せば、オレにとっては絶好の報復のチャンスだ。

 自ら掘ってくれた墓穴のおかげで、まだるっこしい小細工無しで、この男を奈落の底に叩き込める。

 しかも、騎士の決闘は、決闘中の殺人も罪には問われない。

 これなんて、お膳立て?


『…さて、どうしてくれようか、』

『何をぶつぶつと、ほざいているのかぁ!』


 オレの言葉に、メイソンはあらん限りの早さで刺突を繰り出してくる。

 このまま、簡単なステップで避けるだけならば、先ほどまでの雑な3連撃のパターンに嵌るんだろうが、


『隙が多いんだよ』


 そこへ、渾身の蹴りを叩き込んだ。


 めきり、ともぼきん、とも付かない、湿った音が響く。

 おそらく、見物人ギャラリー達にも聞こえたのだろう。

 ひっきりなしに聞こえていた歓声が、止んだ。

 騎士団の見物人ギャラリーから飛んでいた野次も止んだ。


『ぐぉっ…!?あがぁああああああああ!!!』


 悲鳴を上げたメイソン。

 証人兼審判役のジェイデンも絶句していた。 


 その悲鳴に、何事かと気付いていなかった見物人ギャラリー達も気付いたようだ。

 メイソンの腕が、あらぬ方向へひしゃげているのを。


 オレは、メイソンが突きで伸ばし切っていた右腕を叩き上げただけだ。

 しかし、侮るなかれ。

 オレの脚力は、麻痺して使えない左腕をカバーする為に、通常以上に鍛え込んでいる。

 その威力は、文字通り格が違う。

 鉄板で出来た扉ぐらいなら、オレは蹴りで弾き飛ばせる。

 メイソンの腕は、その脚力からの急襲を受けて、甲冑の境目に沿って圧し折れていた。

 甲冑という防具が、何の役にも立っていない。


『腕…ッ、腕がぁ…!!』


 圧し折れた腕を抱えて蹲ろうとしたメイソン。


『はい、次はこっちね』


 その状態の彼へと、膝を叩き込む。

 彼の鼻っ柱がまたしても、小気味良い音と共に圧し折れた。

 敵前でしゃがむとは何事だ?

 それに、酷いとは言われたくない。

 コイツは、オレを非戦闘員と判断した上で、決闘に持ち込んで来たのだ。

 左腕も使えないハンデもあるし、武器はコンバットナイフ一本。

 それに対して、メイソンは重装備に重量武器だ。

 はっきり言えば外道だ。

 オレがもし、本当の非戦闘員だった場合は、成す術も無く初撃で殺されていただろう。

 相手が外道なら、こっちも文句は言わせない。


『こ、この…ッ!よくもぉ!!』


 鼻血を噴きながらも、メイソンはまだ果敢に片腕のみで槍を振るった。

 その心意気は天晴と言いたいが、要は自暴自棄やけっぱちになったこどもじみた攻撃でしかなく、当たるどころか掠りもしなかった。

 しかも、また隙が出来てるから、容赦なく的当てが出来るメイソンにとっての悪循環。


『ほら、次は、胸、脚』

『ぐおぅ!?…ぎゅふっ!!』


 言葉通り、ガラ空きだった胸に一発蹴りを叩き込む。

 更にそこから、軸足を沈み込ませ、地面に片手を付き、スライディングのような形で脚払いを仕掛ける。

 某アーケードゲームにこんな連続技を叩き込んでくるチャイナ娘がいた気がする。


 そして、脚払いのせいで、見事に背中から地面にひっくり返ったメイソン。

 ジャンプに失敗したカエルのような有様だった。

 胸を背中を打ち付けて息が詰まったのか、あくあくとだらしなく大口を開けているが、


『急所を晒して良いのか?』


 その首に脚を置いた。

 甲冑を来ていても、のけぞっていては急所が丸見えである。

 ここに体重を掛けて踏み込めば、圧し折ることも容易だ。

 だが、


『おら、最初の勢いはどうしたよ?

 オレを地面に這い蹲らせたかったんだろう?』


 まだ、殺さない。

 屈辱を与え、汚泥に塗れて沈ませてやるまでは、解放してやらない。


 だから、ジェイデンが決着を叫ぼうとしたのを、


『まだ終わらせない』


 睥睨し、押し留める。

 折角の報復の機会なんだ。

 この程度で終わらせて貰っては困る。


 案の定、ジェイデンは喉を貼り付かせて固まった。

 ………殺気も混じってしまったようで、ちょっと悪いことをした気がする。


 甚振っていると自覚はあるが、必要な懲罰は受けて貰う。

 オレの事を馬鹿にするのは、良い。

 別に、オレの人生は、褒められたことばかりでは無いから。

 だが、女子達を娼婦と呼び、男子達を奴隷と呼び、オリビアまで遊女扱いした事に関しては、今更命乞いしたところで、許すつもりはない。


『が…っ!こ、こっ、のっ…外道、が…ッ!』


 しかし、本人は自分の事を棚に上げて、オレを罵倒。

 どの口がそれを言うのか。


『テメェが言うのか?

 オレの事を、非戦闘員だと勝手に思い込んで決闘を申し込んだ癖に、』


 見下して、暗に仕返しだと返してやった。

 勘違いと、思い上がりを矯正しようとしてやってるだけだ。


 そこで、やっと気付いたらしい。

 メイソンが眼を見開き、次の瞬間にさっと表情を青くした。

 だが、気付くのが遅すぎたな。


 コンバットナイフは投げ捨てた。

 刃先が折れたそれは、今は邪魔になるだけだ。


 自由にした右手で、メイソンの髪を引っ掴んだ。

 以前の仕返しに、思いっきり頭皮が激痛を齎す方法で、引き摺り上げるようにして起き上がらせる。


 見物人ギャラリーから息を呑む声が聞こえるが、耳を貸すつもりはない。


 起き上がらせたメイソンの顔面へと膝蹴りを一発。

 打ちあがったところで手を離し、アッパーを一発。

 更に、高く打ちあがり、仰け反ったところへ、腹にムーンサルトを叩き込んだ。


 一回転をした視界の端。

 そこで、メイソンが胃液を吐き出したのを見た。

 ムーンサルトで、甲冑の上からでも浸透するように鳩尾に衝撃を打ち込んだのだ。

 様を見ろ。


 しかし、これだけで終わらせるのは癪である。

 やっぱり、オレもまだまだ若かった。


 着地と同時に、今度は胴回し回転蹴りを決める。

 飛びあがって上方から捻りを加えた蹴りを放つこの技は、またしても彼の顔にストライクを決めた。

 革靴の踵が口に接触したのか、靴裏から歯が折れた生々しい感触が伝わる。

 ああ、気持ち良い。

 別に、嗜虐性思考が強い訳じゃないけど、命中の瞬間っていつも気持ち良いもんだ。


 まぁ、そんなオレの内心はさておき。


『ほごぁ…ッ!』


 歯が抜け落ちて、気の抜けるような声を上げて、背面から地面に叩き付けられようとしているメイソン。

 そんな彼を追いかけて、腕を引っ掴む。

 そこから、更に膝蹴りを見舞い、圧し折れば、とうとう彼は槍を手放した。

 同時に、これで彼の両腕が、再起不能なまでに破壊された事となる。

 この世界には、『魔法』という便利な能力があるが、どの程度の治療が可能かどうかは知らない。

 少なくとも、オレは彼の騎士生命を断つつもりである。


『おぎゃああああああああああッ!!』

『…無様な悲鳴だな、おい』


 再三の絶叫と共に、地面に落ちた彼。

 ただし、腕は掴んだままなので、彼の全重量の支点は圧し折れた腕に掛かったままである。

 悲鳴とも呻き声とも付かない声が、ひっきりなしに漏れている。


 はてさて、これで心も圧し折れたかな?


 藻掻いている彼の横っ面を軽く蹴って黙らせて、爪先で顎を掬うように顔を上げさせた。

 口から、鼻からと血や色々な液体を垂れ流し、眼からも涙を流してぐしゃぐしゃになったメイソンの顔。

 鉄錆の臭いと吐瀉物の混ざった異臭に塗れ、昨晩ともまた違う物理的顔面整形を果たした彼。


 そんな彼を見下して、


『お前が、オレに言った言葉を覚えているか?』


 至極、楽しげな抑揚のある声で尋ねた。

 彼にとっては、絶望を彩られるだろう、オレが報復の為に用意していた言葉。

 コイツが、オレを牢屋に吊るし上げた時の言葉。

 待ち構えている拷問や末路を嬉々として語り、そうして最後に言い残した捨て台詞。


『”次はテメェの命乞いを聞かせてくれよ。

 無様に顔面の穴と言う穴から血を垂れ流して泣き叫んでくれ”、だったか?』

『ヒィッ…!』


 オレのその言葉に、喉に貼り付いた悲鳴を上げるメイソン。

 忘れていたのか、それとも考えないようにしていたのか。

 顔は、青を通り越して白くなっていた。 

 奇しくも、彼にとっての待望の顔を、自身が晒すことになった形だ。

 良かったねぇ。


 わざとらしくにっこりと笑えば、彼はおこりのように震え出す。

 

『ひゃ、ひゃめへくれ…!ひゃのむっ!』


 途端に、嘆願するメイソン。

 命乞いの言葉は、歯が無くなった事で空気が漏れて、ほとんど言葉になっていない。


 無様な姿だ。

 ここにいる誰もが思っただろう。

 兄であるジェイデンすら、止める事すらせずに黙っている。

 横目で見れば、何かを堪えるかのように眼を瞑り、拳をきつく握り締めていた。


 だが、もう遅い。

 命乞いも謝罪も、遅すぎる。


 だから、オレも用意してあった、絶望の言葉を贈ろう。


『オレがそう言ったら、お前はどう答えるつもりだった?』


 突き離すような言葉。

 絶句したメイソンが、絶望に塗れた眼をオレに向けていた。


『知るもんか。そう言うつもりだったんだろう?』


 きっと、彼はそう言った。

 そう言って、今のオレと同じように、絶望のどん底へと突き落とそうとしていただろう。

 それを、オレは返しただけだ。


『お前は、喧嘩を売る相手を間違えたんだ』


 全て、彼が悪い。

 自分で蒔いた種だ。

 彼の行動すべてが、今の状況を作り上げたのだ。

 それを、今更覆そうとするなんて不可能だ。

 彼の最大の過ちにして、最大の間違い。

 オレを、本気で怒らせたから、こうなったのだ。


『これは、エマの分』

『ぐへぇッ!?』


 下段蹴り(ローキック)を腹に叩き込む。

 潰れたカエルのような声を上げて、またしてもメイソンが吐瀉物を吐き出した。

 甲冑の腹部が、べっこりと凹む。


 彼女の痛みは、こんなもんじゃなかった。

 気丈に振舞ってはいても、年相応に喜怒哀楽のあるセブンティーンで、その実、一番過去の傷が深い少女なのだ。


『これは、オリビアを泣かせた分』

『ごひゃっ…!!』


 更にもう一発。

 今度は、靴裏に肋骨が折れる音も伝わった。

 更に激しく嘔吐するメイソン。

 ギャラリーからも思わず呻き声や嗚咽が上がる。

 同時多発ゲロはやめろ。


 オリビアの痛みだって、こんなもんじゃなかった。

 そもそも、女神様を遊女と呼ぶとは何事だ。

 今まで、無神論者だった自分が言うのもなんだが、人間如きが卑下して良い芯材では無いというのに。

 この罰当たり。


『そんでもって、これがオレの分』


 以前、彼から強かに頂いた拳やらなにやらをまとめて返す。

 鼻と顔は重点的に殴っておいた。

 まぁ、ぶっちゃけオレのはどうでも良いんだけど。

 ノリとテンションで仕返しをしておいただけ。


 ………おっと。

 もう一つあった。

 一番のメインは、忘れちゃいけない。


 オレのカツラ問題を、生徒達にバラシたお返しだ。


『ラストぉ…!』

『ひ、ひぃいいいいいっ!』


 これだけは、手加減無し。

 抜群の柔軟性を活かして、天高く振り上げた踵。

 ほぼ垂直からの踵落とし。

 ダメージ定評は、同僚兼友人達から絶対に二度と食らいたくないというお墨付きだ。

 二度程食らっている同居人兼友人アズマには、次食らったら死ぬ、と嘆かれた事もある。

 ………もう一度食らわせておけば、裏切られる事も無かったんだろうか?


 さて、そんなことよりも、


『アディオス』


 振り落とした踵は、真っ直ぐに彼の肩を直撃し、彼の肩骨や鎖骨を割り砕いた。

 脳天は流石に殺してしまうので肩で妥協したが、再三の骨の折れる小気味良い音が靴裏に伝わった。


 オレの必殺とも言える踵落としを食らったメイソンは言わずもがな、白眼を剥いて気絶していた。

 口からは、泡やら血やら吐瀉物やらと溢れている。


『二度とオレ達に関わるんじゃねぇよ。

 次は、意識だけじゃなく、命も刈り取ってやるからな』


 聞こえていないだろうが、吐き捨てる。

 満身創痍ぼろぞうきんと化した彼を、地面に投げ捨て、踵を返した。


『そ、そこまでです。勝者、ギンジ・クロガネ殿…』


 ジェイデンが、表情を引き攣らせ、掠れた声で勝敗を告げる。

 途中から、野次どころか声援も飛ばなくなっていたから、少々やり過ぎた気もしないでもないが、これで少しは、オレの力を誇示する事も出来たし、見せしめにもなっただろう。

 絶句し、黙り込んだ騎士団の見物人ギャラリーを見れば、効果は抜群のようだ。


 そこで、ふと顔を上げる。


『噛み付かれたから黙らせておいたからな。

 痴女騎士イザベラから報告させるつもりだったが、見ていたなら必要ないだろう?』


 声を掛けたのは、いつの間にか見物人に混ざっていた国王だ。

 例の武道家気質の、厳つい国王様。

 今日は、マントや王冠を省いたラフな格好をしていたので、おそらく書類仕事かお休みだったのだろうが、わざわざ騒ぎを聞いて駆け付けたとなれば、ご苦労な事だ。


 見物人達も、オレが声を掛けるまで、彼の国王陛下の存在にすら気付いていなかったらしい。

 慌てふためいて傅き、頭を垂れた見物人達。

 騎士団の中の数名など、死刑宣告を受けたかのように青い顔をしていた。


『存じておりまする。

 このような事があった事、誠に申し訳なく、』

『次は無い。オレ達は、この国に愛着など無いからな』

『ははっ。金輪際、このような事が無いよう、十分な配慮をさせていただきます。

 また、つきましては、この騎士の処遇に関しては、今後こちらに一任を願いたいのですが、』

『好きにしろ』


 言質は取った。

 メイソンのような不届き者が、今後出て来た時には、オレ達は大手を振ってこの街を出て行く事だが出来るだろう。


 ただ、先に止めてくれとは思ったが、今にして思えば、制止をしなかったのは、この国王の策略だったように思える。

 暴走騎士メイソンや、その部下の暴走騎士団とりまき達を見せしめとしたパフォーマンス。

 ついでに、オレの『予言の騎士』としての力の喧伝だろうか。

 そう考えると、まんまと策略に乗ってしまったようで癪だな。


 今も、治療の為の衛生兵だろうか、ローブを纏った騎士達が動き始めている。

 準備の良いことだ。


『はぁ…初日から、なんでこんなに疲れるんだか…、』


 溜息と共に、先ほど放り投げたコンバットナイフを拾う。

 刃先が折れたそれも、今の段階ではまだ使えない訳では無い。

 断面は綺麗なものだ。

 別の機会で、斬る以外にも役立ってくれるだろう。


 まぁ、疲れてはいるけども、存外内心はすっきりしている。

 言わずもがな、メイソンをぼこぼこに出来たからだ。

 やはり、他人のもたらした結果よりも、自身で行った結果を見る方がスッキリする。

 喧嘩で血が騒ぐとは、オレもまだまだ若かったらしい。


『また、何かありましたら、どうぞ遠慮なくお申し付けくださいませ』


 そう言って、国王も踵を返した。

 癪ではあるものの、策略が上手くいったことで上機嫌なのか、気配はご満悦の様子だ。


 ……って、ちょっと待った。


『……痴女騎士イザベラをオレに近付けるな』

『………我が姪が、多大なるご迷惑を、』


 本当にな。


 だから、とっと引き取ってください。

 じゃないと、オレの心労ゲージの振り切れっぷりが阿呆の次元に突入するから。


『善処致します』


 と、言う回答だけで、国王は立ち去った。

 襤褸雑巾メイソンも、担架で衛生兵によって運び出されていた。


 今後、こういった面倒事が起きない事を祈るしかなさそうだ。

 後、痴女騎士イザベラは、どうやって引き取ってくれるつもりなんだろう?

 早急的解決を望む。


 さて、オレも戻るとするか。


『先生ぇ!!』


 と、思ったら生徒達の方から駆け出して来た。

 愛されたもんだ。


「先生凄い!こんなに強かったの!?」

「実は、アンタ、捕まらなくても良かったんじゃねぇの!?」

「凄かったです、先生!あ、あたし、ドキドキしちゃいました」


 ソフィアには感嘆を受け、エマからは叱咤を受け、伊野田からは嬉しい感想を貰った。

 ちなみにエマからは心配させんじゃねぇ!と一発受け取った。

 地味に痛かった。


「先生、さすがだねぇ。ちょっと、怖かった」

「アンタ、本当に軍人だったんだな」

「ふんっ!う、羨ましくなんかないんだからな…!」

「お、オレだって羨ましくねぇよ!だからオリビアちゃん紹介して!」


 榊原には怖がられている挙句に、香神にはやっと納得された様子。

 いや、元軍人ってのもあながち間違いではないけど、事実でもないから。

 浅沼はなんでオレをチラチラと見ながら負け惜しみのような言葉を放つのか。

 徳川の言葉も微妙に困るからやめろ、自分で口説け。


「お見事だったなぁ、先生」

「か、格好良かったぞ」

「うんうン。僕もそう思ウ」

「(ご立派でございました!)」


 安定の間宮はともかく、永曽根と常盤兄弟の賛美は素直に受け取っておこう。

 落ち着き払っちゃって、まぁ。


『凄かったです、ギンジ様。やはり、姉様の眼に間違いありませんでした!』

『お見事でございましたギンジ様!

 どうか私めも、あの男のように蹴ったり踏んだりとお願いいたします!あわよくばベッドの上で…!!』


 オリビアはありがとう。

 抱き付いて来た感触が、とても柔らかくして素直に嬉しい。


 だが、痴女騎士イザベラは、今すぐ黙れ。

 オレの人格が疑われる。

 恍惚とした表情でケツを差し出そうとするな、仮にも王族の人間だろうが。

 だから、早くコイツを引き取ってってば、国王コノヤロウ!


「銀次…あ、あのさ…」

「あ?…どうした、エマ?」


 ふと、そんな中。

 エマが目線を逸らしつつも、オレの背中を突いてきた。

 だから、何?

 その可愛らしいアポイントメント。

 思わず、口端が緩んだ。


「さっき、ウチの事……、なんか言ってた?」

「…さっき?」

「ほら、…あの騎士をぼこぼこにしている時、」


 ああ、名前だけは聞き取れたのか。

 一瞬、ヒアリングが出来ていたのかと思って驚いた。


「エマの事を侮辱した事の仕返ししてきただけだ」

「あ、そ、そう、か…」


 ぼっと、音がしそうな程、エマが頬を染めた。

 おお、珍しい超反応。


「あ、そういや、忘れてた…」

「え、あ、何?」


 びくり、とオレの言葉に驚いたエマが、半歩下がった。

 え?オレ、お前にも怖がられていたっけ?

 ただ、顔が赤いのは何で?


「…罰として顔に油性マジックで豚のケツって書くの忘れてた…」

「銀次って、突拍子も無いどうでも良い事を覚えてるよな…」


 何を言うか。

 確かに突拍子も無いが、どうでも良い事ではない筈だ。

 ……あれ?

 でも、言われてみると、案外どうでも良い事かもしれない。


『先生って、色んな意味で鬼畜だよね』

「…お前等は相変わらず、息ぴったりだな」


 更には、榊原と伊野田に揃って突っ込まれた。

 一応どうでも良い事だと自覚はしたのに、傷を抉られた気分である。


「……あたしも、なんか一言言っておけば良かった?」

「やめとけ。変に興奮されても困るから…」

「たとえば、どんな?」

「こんな…」


 と言いつつ、オレはイザベラを指す。

 相変わらず彼女はオレの足元に跪いてハァハァ言っていた。

 いや、だから王族の女がそれはちょっとどうなんだ?


「…確かに困るね」

「分かってもらえたようで、なによりだ」


 それで納得できるのもどうなのか。


 ともあれ、これで面倒くさいイベントも消費した事だし、


「じゃあ、行こうか。

 オレ達の新しい校舎が待ってるだろうし、」


 そう言って、生徒達を促した。

 出来れば、金輪際、この城には近寄りたくないものである。


 と、思ったら。


「先生、お風呂入りに来たんじゃなかったの?」

「あ゛…」


 ソフィアに言われて、城に戻った理由をやっと思い出した。

 決闘騒ぎのせいで、当初の目的を忘れていた。


 いやはや。

 『予言の騎士』という肩書きを引き受けた初日から、疲労感が半端ねぇ。


 オレ達異世界クラスの今後の展望は、あんまり明るくないのかもしれない。

 ………とほほ。



***



「あ゛ー…生き返った~」


 湯船に肩までどっぷりと浸かり、口から漏れ出た吐息。

 意図せず零れたそれは、嫌にジジ臭かった。


 だってね。

 もうね。

 オレのスケジュールが、いよいよ可笑しいから。


 召喚されてからこちら、怒涛の1週間を過ごした。


 騎士達の急襲から始まり、連行、投獄、拷問のフルコースを味わって、憔悴したところでブラックアウト。

 後々に、王国騎士団側の勘違いが発覚して、国王との謁見を交えた謝罪会見に、オレ達が召喚された解説という本題がぶっ込まれ、本題の『予言の騎士』への職業転向ジョブチェンジを迫られ、これを拒否。


 そして、転職を拒否したら拒否したで、騎士共が命懸けで交渉に来るわ、記憶のフラッシュバックでぶっ倒れるわ、生徒に迷惑を掛けるわ、結局根負けして協力要請を受けるしか無くなるわ、散々な有様だ。


 しかも、翌日には突然の『聖王教会』本部へ召喚されたかと思えば、風呂入りに来ただけだと言うのに、暴走騎士共に絡まれた挙句の決闘騒ぎだ。


 阿呆でしょ、もう。


 そもそも、この国は一体どうなっているのか。

 この王国でも国宗としている女神様の残した石板に記されていた『予言の騎士』としての大役を押し付けたと思ったら、その下々の騎士共が反発するって何?


 自分達の問題を自分達で解決しないで、勝手に人を祀り上げた癖して。

 異世界の世界情勢なんて、こっちだって首を突っ込みたくもねぇってのに、生徒達まで巻き込んでおいて、どの口が抜かすのか。


 別に世界の終焉とか、ぶっちゃけてしまえばどうでも良い。

 勝手に終焉でも滅亡でも迎えてよ。

 オレ達を巻き込まないでほしい。


 下衆で屑の騎士には、絶対不可避の決闘を申し込まれるし、しかも殺す気満々だったし。

 何が楽しくて、協力要請を受けた筈の王国の騎士団から殺意を向けられなければならないのか。

 ふざけんな。

 きっちりかっちり、再起不能はんごろしまでは追い込んだけど、今後二度とこんな面倒臭いイベントは御免だ。


 オレ達が来るよりも前から現在進行形で内部分裂している騎士団なんて知らないよ。

 暴走騎士メイソンに関しては、オレはもうノータッチを貫く事にした。

 王国や騎士団に対応を任せて、知らん振りだ。


 そもそも、今回のいざこざも元はと言えば、暴走騎士の蒔いた種だ。

 何を持って償うのかも知らないし、知りたくも無いし、生きようが死のうがどうでも良い。


 ドライ過ぎると言われようと、オレは元々そう言う世界の人間だったのだから、処分や粛清がどういうものかも知ってる。

 元軍人というのも、あながち間違いでは無いから。


 閑話休題それはともかく


「やっぱ、日本人なら、風呂だよ風呂…」


 またしても、オッサン叱りの声が漏れた。

 呟いた声は、広すぎる浴室には反響しない。

 しかし、この広さは落ち着かないが、なにやら大浴場を貸し切っているような気分になれたのは、いかんせん約得と言えるかもしれない。


 風呂は偉い。

 何が偉いって、まさにご褒美だからだ。


 体も洗えるし、気分もリフレッシュできる。

 ついでに、体の芯からぽかぽか温まって、多幸感を感じさせてくれる。


 某アニメキャラのビール一気飲み女が『風呂は命の洗濯』と言っていた言葉には、オレも激しく同意する。

 顎まで温かいお湯に沈み、浴槽の淵に後頭部を乗せて、天井を見上げる。

 湯気に包まれた浴室の中は、どういう原理なのかは不明ながら、ランタンのような道具で明るく照らされていた。

 しかも、西側に一面のガラスのような窓があるので、ランタン自体も不要だった。


 この異世界は、時代背景が中世ヨーロッパらしかったので、風呂に関してはあまり期待してはいなかった。

 しかし、これは申し分無い。

 この大浴場を作った人間を、今なら天才と褒め湛えてやる。

 ちなみに、一般市民は行水らしく、名のある貴族家で無いと滅多に風呂が無いらしい。

 借り受けた建物に備え付けられて無かったら、真っ先に改修工事をしてくれる。


 と、まぁ、そんなリフレッシュタイムの前にも、実は一悶着あった。


 最初は執事が、次にメイドが、最後に娼婦が、とあれよあれよと人が入れ替わり立ち替わりと、入って来たのである。

 王国から差し向けられた、お持て成し要因らしい。

 だが、一人でお風呂を楽しみたい派のオレにとっては、真に遺憾なことである。

 おいおいおいおい、何の嫌がらせだ?と色々な意味でキレた。

 執事は丁重にお引き取りいただき、メイドは自棄っぱちでお引き取りいただき、娼婦に関しては有無を言わさず叩き出した。

 だから、掌返しの反動がデカイから!

 逆にただの嫌がらせと言われた方がしっくり来るわ。

 決闘騒ぎを終えて、やっと風呂に入れたオレになんて仕打ちだ。


「(…なんで、最終的に執事に扮した男娼までやってくるんだ!

 オレは別に、そういう趣味だから娼婦も遠慮した訳じゃねぇっての…!)」


 邪推である。

 今度国王に会うことがあるなら、容赦なく心を抉ってくれる。


「(見られたくねぇもんもあるから一人っての、気付けと言っても無駄なんだろうか?)」


 しかも、オレの体は色々と爆弾を抱えている。

 左腕の麻痺は勿論のこと、体のあちこちに残った無数の傷跡然り。

 体温の上昇によって浮き上がる白粉おしろい彫りや、一番の問題でもあるカツラの中身に関しても同様である。

 そんなカツラもやっと洗濯出来た。

 浴槽の淵に置かれた風呂桶の中に鎮座した黒髪ウィッグは、傍から見ると異様な光景だろう。

 1週間ぶりに解放された地毛も洗えたし、余は満足じゃ。


「というか、1週間もウィッグを被ってたオレが凄いと思う…」


 なんて言う、自分への労いもしばしば。

 熱が籠って大変な事になるウィッグで、呼吸困難寸前だっただろう髪も解放され、今はお団子状態で、この王国の名産品らしき民族性の高い柄をした布で覆われている。

 これが、こっちではタオル代わりなんだそうだ。


 ちなみに、地毛を隠しているカツラに関しては、まだ諦めるつもりはない。

 例え暴走騎士のせいで、自他共に認める事になったとしても、中身は隠したいし、理由だってあまり言いたくない。

 折角ここまで引っ張っているのだから、もうちょっと頑張りたいとか言うしょうも無い理由もあったりなんだり。

 まぁ、約1名の生徒まみやは要注意だろうがな。

 アイツ、地味にオレの施設の後輩みたいだから、風の噂で知られていそうで怖い。


 まぁ、それも良いだろう。

 どのみち、この異世界を生き残る為に、生徒達を鍛えるのは決定事項。

 その中に、オレの後輩であるデビュー前の裏社会人が混じっていたとしても、特に問題は無い。

 いっその事、弟子入り制度でも使って、徹底的に鍛えてみようか?なんて考えても見たり。


「…その前にアイツの専任担当が誰か、口を割らせなきゃならんだろうが、」


 知り合いだったらどうしましょう?

 これで、友人とか先輩の名前が出て来たら、色々な意味で引くーわ。


 なんて事を考えつつも、リラックスタイムは続く。


 やッぱり風呂は偉いよ。

 もう、本気でここが異世界だとか考えたくない。

 オレにとって、鬼門になりつつある城の中とか言う事も考えたくない。

 このまま眠ってしまう事が出来れば、どれだけ気持ちが良いだろう。

 溺死をするかもしれないという事も、ある意味考えたくなかった。


 ましてや、


「(……足音は、女、か?)」


 この状況で、誰かが入ってくるなんて事も考えたくなかった。


 扉の奥で、何者かが動いている。

 足音からして、体重の軽い女性。

 浴場と脱衣所をつなぐ扉は一つだけ。

 その扉が、開く音が耳に届く。

 続いて、ぺたり、と浴室に足を踏み入れる音。


 オレが警戒を強めるには、十分な音だった。


 背後に警戒をしつつも、オレは自身の格好を見下した。

 頭は、民族性豊かな布のおかげで隠せている。

 しかし、それ以外はどうあっても隠せそうにない。

 これは、諦めるしか無さそうだ。


 次に、装備の確認だ。

 浴槽の淵に置かれた風呂桶の中に、手を突っ込む。

 ウィッグの下には、小型のピックが隠されていた。

 これも、昔取った杵柄で、オレの嗜み。

 いつも、ウィッグの下には、肌身離さずピッグが仕込まれていた。

 生憎と、これ以外に持ち込んでいないこともあって、少しだけ心許無い。


 その間にも、背後の気配は確実に近寄ってきている。


『誰だ…?』


 その侵入者へと、牽制の為に声を掛ける。

 ぺたぺたと近づいていた足音が一瞬だけ止まった。


 裸足で、しかも忍び足で入ってきた所は褒めてやるが、随分と練度の足りない分かりやすい足音だった。

 おそらくは、素人。

 先程お引き取り願ったメイドか、もしくは叩き出した娼婦が戻ってきただろうか。

 忍び足が、すり足に変わった。


 ………やっぱり素人だな。

 なんで、バレテるのに、わざわざ近寄ろうとするのか。


『何の用だ、』


 前言撤回。

 ピック一本で十分な相手のようなので、立ち上がりがてら振り返る。


 と、同時。


「ぎゃああああああっ!な、なんで立ち上がるしっ!

 なんで頭隠して、そっち隠してねぇんだよっ!」


 悲鳴を上げられた。


「お前、ちょ…ッ、何してんだ、エマ!」


 オレの入浴中に浴場へと侵入したのは、オレの生徒だった。

 金色の髪に、眼が覚める程のグラビア体型。


 杉坂姉妹こと、杉坂・エマ・カルロシュア。

 姉のソフィアとは、一卵性双生児でぶっちゃけどっちがどっち?って見分けが難しいものの、口の悪さではクラスでも負けないのは妹の方だ。

 おかげで、違いも一目瞭然である。


「それはこっちの台詞だしぃ!!前を隠せよ、変態教師!!」


 おっと、いけない。

 彼女の前に、オレのグロテスクな松茸が露出していた。

 いや、風呂入ってたんだから、仕方ないだろうに。


 ってか、なんでエマがいるの?



***



 色々と突っ込みどころが満載な一悶着もあって、


「……気持ち良いな」

「……そうだね」


 風呂の浴槽の中に、肩を並べるようにして入るオレ達。


 予期せず肉体美を披露してしまった変態教師ことオレ。

 エマの目の前には、文字通りオレの息子がご開帳されてしまった訳で、そんなあられも無い姿である状況を隠す為に、湯船に沈むしか選択肢は無かった。

 頭は最初から手拭いで隠してあったので問題は無い。

 だが、頭隠してなんとやら、という状況を体現してしまった気分としては、真に残念であるとしか言えない。


 対するエマは、特大の手拭いを体に巻き付けただけの、これまた無防備な姿。

 こちらの手拭いも、自棄に民族性溢れる絵柄が染め抜かれているが、今は真っ白では無かった事を喜ぶしかない。

 ……白だと濡れたら透けるから。

 だが、たとえそんな民族性溢れる絵柄の手拭いで身体を隠していたとしても、男と入浴するという問題行動は解せん。

 正直、濡れてしまえば、体のラインは丸分かりだ。

 頼むから服を着てくれ。

 いや、服を着て風呂に入って来た場合は、風呂の鉄則の掟(ルール)知らずと嘆くしかない。

 ………結局、どっちがマシかなぁ?と考えて、判定は出来なかった。


「そもそも、風呂入るのに服着ててどうすんだよ?」

「…ごもっとも」


 と、言うエマからの一言で、オレも溜飲を下げた。


 その通りだ。

 ここは、風呂なのだから。


 どっちにしろ、彼女が隣にいる事で、一人の時間は邪魔されたとしても、華やかな入浴になったのには変わりない。

 数日前の寝起きのサプライズと含めて、眼福だと割り切るしかない。

 オレの称号が、結局エロ方面で増えて行く結果しか予想できないが。


 とはいえ、


「なんで、一緒に入る必要があんだよ?」

「ウ、ウウウウチもしばらく、お風呂入れて無かったから!

 …ソフィア達と違って、ウチは成り行きで銀次の看病してたし…ッ」

「…それは、申し訳ないことをしたな」


 オレが更にもっともな事を聞けば、驚きの真相が返ってきた。


 ……それは、ちょっと申し訳ないことをした。

 年頃のお嬢さんであるエマにしてみれば、1週間もお風呂に入れない状況は地獄だった事だろうに。

 そう言えば、オレが昏倒して目が覚めた時、何故かエマは一緒にいた。

 寝起きサプライズは甲乙付けがたいものだったが、看病の為に彼女は残っていたようだ。

 他の連中が、食事や風呂を堪能している間にも、彼女はオレに付き合っていたらしい。

 それは本当に申し訳ない。


 ………だけどね?


「だからって、一緒に入るか?」

「アンタなら、ウチを襲う心配は無いんだろ?」

「……公序良俗の問題だ」

「混浴出来てうれしい癖に、」

「……そう言う話じゃない」


 そもそも、一緒に風呂に入るメリットが無いわ。


「恥じらいは無いのか、お前は…」

「銀次相手なら、いらないっしょ?」

「それはそれで、オレが男としての自信を失うわ」


 なにその、オレ限定での危機感ゼロ傾向。

 恥じらいどころか危機感皆無で、オレの精神耐久力エロメンタルでも試したいの?

 そこはかとなく、傷つくわ。

 そして、オレの日本男児としての尊厳が、リアス式海岸並に削られて行くわ。

 ………元々、そう言った尊厳は、失ったと思う今日この頃。


 溜息と共に、頭を掻く。

 そもそも、コイツの認識として、オレはどういった立ち位置になっているのだろう。

 教師?

 保護者?

 それとも、いざとなった時の防波堤や弾除け程度?

 それもそれで傷付くもんだが、


「それよりもさぁ?

 なんで、銀次、頭だけ隠してんの?普通、頭じゃなくて、下半身を先に隠さねぇ?」

「お前は、公共浴場の使用マナーを知らんのか?」


 これ、普通にマナーだと思うよ?

 基本的に持ち込みのタオルとか手拭いって、お湯が汚れるから湯船に入れない決まり。

 だが、案の定、エマは眼をぱちくりとしていた。

 ……本気で知らなかったんだな。


「そもそも、ウチ等銭湯とかスパとか、行ったこと無いから知らないや…」

「行った事が無いだと?それでも、日本人か?」

「日系だし、」

「…そういや、そうだったな」


 そうだった。

 話している言語がバリバリの日本語だから忘れそうになってしまうが、そもそも彼女達姉妹は日系だ。

 生粋の日本人では無いから、そう言った公共浴場などの使用も皆無だったんだろう。

 勿体ない。

 風呂は命の洗濯だと言うのに。


 そこで、ふと頭に被った手拭い越しにチラリとエマを見る。

 あんまり凝視するのは不躾だろうが、彼女はそれなりの整った顔立ち同様、身体付きも随分と整っている。

 日本語が堪能過ぎて、最近では違和感を感じる事も無かったものの、見た目からしてみれば、アメリカ人さながらの容貌をしている。


 金色の髪に、空色のくりくりとした瞳。

 白人特有の白肌で、うっすらと赤みが強調される天然のチーク具合。

 しかも、身体だって、海外あちら特有のむちむち加減。


「(…目算としては、100、50、70だろうか、)」


 勿論スリーサイズである。

 何、その典型的なぼんきゅっぼん。

 思わず、オレの下半身が臨戦態勢に突入しそうになった。


 しかし、エマはオレの内心すら知らず。

 徐にオレの目の前を横切ったかと思えば、あろうことかオレの足を湯船の中で跨いで、


「…アンタ、本当にカツラだったんだ」


 ぼそりと、呟く。


 彼女の目線の先には、風呂桶の中に鎮座した黒髪ウィッグ。

 珍妙な光景だ。

 恥ずかしいからあんまり見てくれるな。

 そして、居た堪れない。

 ………色々な意味で。


 まず、オレの足を跨いでいる体勢をどうにかしてくれ。

 オレの息子がまたしても、臨戦態勢バキューンしちゃう。


「カツラと言うな。言うなら、せめてウィッグと、」

「…ハゲてんの?」

「最後まで聞けよ、お前。そして、断じて禿げていない」

「じゃあ、なんでカツラ被ってんのさ」

「だから、ウィッグと言えと、」

「ハゲてんの?」

「だから、最後まで聞けよ、お前。

 そして、断じて禿げて無い!わざとだろ、このヤロウ!」


 カツラじゃない、ウィッグ!

 そして、断じて禿げて無い!

 中身を隠したいから被ってるだけだ!

 最後まで話を聞けと、何度言わせるんだ。


 と、言うオレの切実な内心も、エマに通じる訳も無く。

 じっと、空色の瞳に見詰められて、思わずたじろぐ。

 彼女の考えは良く分からないが、どうやら相当オレのウィッグの中身(※この場合は、脳味噌では無い)が気になっている様子。


 現在は、民族性溢れる手拭いのおかげで、隠せてはいるが、時間の問題だろうと諦めかけている自分がいる。


「髪あるのに、なんで隠すの?」


 手拭いの奥を透かし見ようとしているのか、彼女の目線が細められた。

 視線に耐えかねてそっぽを向くが、さて、どうやってこの言及を切り抜けようか。


 目線を戻すと、彼女はまだオレの手拭いに覆われた頭を見ていた。

 そこまで気になるものだろうか?と、考えて彼女の顔よりも下へと目線を向けて、密かに納得。


 地味に、彼女の豊かな胸が眼の前に寄せ上げられている。

 見事な谷間だ。

 その見事な谷間は、たった一枚の手拭いによって隠されているだけだ。


 ……男としても、人間の生理現象としても、駄目だと思っても視線が吸い寄せられてしまう。

 彼女自身も、気になるからと言う理由でオレの頭を見ているのだから納得だ。

 知的好奇心や興味は、万国共通だろう。


 ちなみに、そんなエマは、金色の髪をお団子にしていた。

 普段はお下げ髪にしているというのに、今日は輝かんばかりの白いうなじを見せつけているそのギャップが、自棄に色っぽい。

 ついでに言うなら、いつもは眼鏡を掛けていたが、風呂に入るという事でそれも外している。

 姉のソフィア同様、可愛らしい顔立ちをしている。

 無表情や仏頂面でさえ無ければ、十分魅力的だと言うのに。


 閑話休題それはともかく


 こうしてギャップを見せつけられると、まざまざと彼女が女だと言う事を自覚する。

 それが、ほとんど裸に近い状態で、眼の前にいるのだ。

 いかんともしがたい状況に、勝手に生唾を飲み込んでしまう。

 オレも男である。

 教師だとか生徒だとか云々、かなぐり捨ててやりたくなる時もある。

 特に今は、オレの息子も自主規制パオーンしていることだし。


 と、言う冗談はさておいて。


「…それで?」


 目の前の豊満な胸の谷間に引き寄せられていた視線を、上に上げる。

 彼女は、やはりまだオレの頭を注視していた。


 しかし、オレの質問の声に、ハッとして目を瞬く。

 そんな彼女へと、最近標準装備デフォルトとなった苦笑と共に、素朴な疑問を問いかけた。


「なんで、オレと混浴をしようと思ったんだ?」

「…えっ?」


 何故、彼女が混浴しているのか。

 先程も言っていたように、彼女に恥じらいがあれば、そもそも男であるオレと一緒に風呂に入ろうとは思わない筈である。

 だが、彼女は恥じらい云々の前に、


「…無理してるのは、分かってるんだぞ?震えてるじゃねぇか、」

「ち、違うし…!震えてなんか、」


 彼女は、否定をしようとしたが、悪いがオレの目は誤魔化せない。

 湯船に漬かって紛らわせているように見えて、彼女の体はごく僅かではあるが震えていた。

 決して、寒さに震えている訳では無い。

 それをどうして、放っておけようか。


 彼女エマには、男を怖がってしまうという、根本的な問題がある。

 オレと同じで、トラウマが酷いのだ。


 それも、男相手への不信感が強く、更には人間不信もセットになっている。

 このクラスに来てから、当たり障りの無い生徒達とのやり取りには少しは慣れたらしいし、ついでに言うならお付き合いをしていた事もあるとは知っているが、それでも根本的な解決には至っていない。

 彼女が気丈に振舞いつつも、騎士連中を相手に怯えていたのも、一概にこのトラウマが要因となっている。

 まぁ、原始的な恐怖心も織り交ぜられていたとは思うがな。

 オレも地味に怖かったもん。


 しかし、そのトラウマによる恐怖心に無理を押してまで、男であるオレと入浴するリスク。

 それに見合う理由があるのなら、また別だ。

 

「一緒に入る理由だって、無いだろう?

 お前がオレに少なからず怯えているのは、もう分かってんだ」

「べ、別に、アンタの事なんて、怖くねぇしっ!」

「震えているのにか?」

「震えてなんかねぇし!」


 そう言って、そっぽを向いたエマ。


 だが、隠そうとしても無理だ。

 彼女は先述したとおり、白人特有の白い肌をしている。

 おかげで、頬や肌が上気すればすぐに分かる。

 これが、風呂に入っていることによる赤面では無いのも、分かっている。


 仕方ない。

 素直じゃないエマの為に、オレから先んじて聞いてやろう。


「オレに、何か聞きたいことがあったんだろう?」

「む、むぅ…ッ」


 と、オレの言葉に、あからさまに口を尖らせた彼女。

 憎まれ口すらも噤み、頬を膨らませた。


 どうやら図星だったようで。

 少し悔しいのか、表情に険が混じった。


 伊達にオレも、10年近く裏社会を見てきた訳じゃない。

 オレに隠し事が出来るようになるには、まだまだ修行が足りないな。

 とか言いつつ、オレもまだ23歳ではあるが、


「聞きたいのは、オレのウィッグの中身の事だけじゃないだろう?

 他にも気になっていることがあるから、無理してまで二人きりになったんじゃないのか?」

「…あ、アンタのそう言うところ嫌いっ」


 あらまぁ、嫌われたようで。

 考えていることを表情から読み取って、看破するのもオレ達裏社会人のテクニックの一つだ。

 生徒相手には、特に重宝している能力でもあるが、エマにとっては見透かされているようで落ち着かないらしい。


 本当に素直じゃないんだから。


「オレも無理を押して道理を通そうとする子どもは嫌いだ」

「…子どもじゃねぇし!」

「オレにとってはまだまだ子どもだよ。

 お前は生徒であって、オレは教師なんだから」


 存外に、これ以上の言い逃れは無理だ、と鼻で笑ってやった。

 その途端、彼女はオレにお湯をぶっかけつつ、元の場所に戻った。


 ああ、良かった。

 そろそろ、体勢をどうにかしないと、オレの息子が…(以下省略)。


「………昨日の事なんだけど、」

「昨日?」


 意を決したのか、浴槽の淵にもたれかかったエマが、溜め息を共に白状した。

 昨日の事と言うと、


「オレが、お前の腕を掴んじまった時の事か?」

「……うん」


 途端に、罰が悪くなってしまう。

 オレが、フラッシュバックと痙攣発作を引き起こして、彼女の言動に過剰反応した時の事だ。

 まだ昨日のことだと言うのに、既に記憶が彼方になりかけていた。


 ぼそり、と呟かれた肯定。

 あの時の事は、まだオレにとっては棘のように刺さっている。

 湯船の中に沈んだままの彼女の腕には、今でもくっきりと青あざとしてその時の痕が残っている。


「…あの時は、ゴメンな。オレも、手加減を知らないで、」

「そ、それはもう良いってば!

 ベ、別に今更、あの時のことを怒ろうとか、謝れとか言う訳じゃないしっ」

「オレのケジメの問題だ」

「……そ、それは、そうかもしれないけど、」


 オレのはっきりとした口調にか、彼女はふと消え入りそうな声で肯定を示し、そのまま目線を湯船の中に固定してしまった。

 ただ、ぶつぶつと呟く声は漏れていて「男らしいとか思って無いし、」とか「そもそも、なんで、コイツは変なところで、」云々かんぬん。


 続きを聞かせて貰っても良い?


「アンタ、……あの時変だったよね?」

「一概に言うとすれば、豹変したとも言えるだろうな…」

「…そう言うことじゃないけど…っ。

 ぶっ倒れた後とか、眼を見開いてがくがく震えて、過呼吸みたいなの起こしてたし、眼の色も変わってたし、首とか肩のあたりにも変な模様、浮き出てたし…」


 彼女の言葉に、オレも納得した。

 それは確かに、驚くだろう。


 エマが気にしているのは、骨折寸前まで腕を掴まれた事でも、オレが豹変した事でも無い。

 最近浮き彫りになりつつある、オレの体の異変についてだろう。

 すい、とエマの目線が、オレの首筋に向けられた。

 そこには、上気した肌にうっすらと蛇の鱗が浮き上がって見えている事だろう。


「それ、鱗?」

「ああ、刺青だけどな。

 白粉おしろい彫りと言う技術で、普段は目に見えない程透明なんだが、血行が良くなると浮き出てくる」

「…そっか。でも、なんで蛇みたいな鱗なの?」


 今度は、オレが口を噤む番だった。


 彼女にとっては、純粋な疑問だったのだろう。

 ただ、今のオレにとって、その質問に懇切丁寧に答えられる胆力は皆無だ。


 そうなると必然的に、5年前の地獄を露見させる事になる。

 好き好んで、拷問や凌辱、生体実験の過去を話せるほど、オレの傷は浅くはない。


「…オレが蛇に捕食されたから、かな」


 情けなくも、その言葉尻は震えていた。


 過去を思い出して、体を震わせるのはオレも一緒。

 むしろ、オレはエマよりも、精神面は弱いかもしれない。


 オレが彼女の立場なら、例えこの話を聞きたいとしても、風呂場にまで突撃する事は出来なかっただろうから。


 それはともかく。

 溜息と共に、目線を逸らす。


 これ以上は聞いてくれるな。

 言外に行動で示したそれを、エマも感じ取ったのだろう。


「……なんか、ゴメン」

「いや、」


 浴室の中には、それっきり沈黙が落ちた。

 お互いが無言のまま、隣合うようにして座るだけ。


 しかし、その沈黙を破ったのも、またエマだった。


「…じゃあ、眼の色はどうしたの?」


 どうやら、彼女は刺青の件に関しては、言及を取りやめたようだ。

 その代わりと言ってはなんだが、別の疑問である眼の色に関して会話をシフトしたらしい。


「薬品の大量摂取による、色素異常だ」

「…えっ、それってどういう…?」

「不慮の事故だ。それ以上は、聞いてくれるな」


 だが、そんな疑問も無碍に跳ね除ける。

 彼女にとって、刺青と関連があるとは思っていなかったのだろうが、眼の色素異常に関しても、残念ながら過去のトラウマが関わっている。

 これ以上は、オレも過去の古傷が抉られてしまうので、言及を避けた。


 すると、途端に機嫌がわるくなったエマ。

 眉間に深い皺を刻み、横目にも分かる程、唇を尖らせている。

 そんな顔をされても、それ以上を話したくはない。


 若いとはいえ、分かりやすい反応だとは思うがな。

 思わず、苦笑をしてしまった。


 だが、ここで彼女を侮ってはいけなかった。


「じゃあ、なんでカツラしてんの?」


 その言葉に、オレは大仰な溜息とともにがっくりと頭垂れた。


 折角、話題を逸らせたと思っていたとのに、巡り巡って戻ってきてしまった。

 これもエマの策略なのだとしたら、大した策士だろうが、彼女の場合は天然故のマグレのジャブだろう。 

 クリーンヒットだ。

 畜生め。


「だから、ウィッグと言え、と何度言えば分かる?」

「変わらないじゃん。どっちも、頭のアクセサリー…」

「全国のカツラ愛好家に謝れ」

「どうやって?…ってか、むしろ禿げて無いとか言いつつ被ってる銀次の方が、全国のハゲに謝った方が良いと思う」

「全国のハゲとは言って無い!流石にそれは可哀そう!

 そして、名前の後ろにせめて先生を付けなさい」

「今更じゃん!…ってか、話を逸らすなしっ!」


 強かな拳をいただいた。

 良い拳だ。

 こっちもクリーンヒット。

 だが、お前、仮にも先生に向かって、加減も無しに殴るとは何事だ。


 親父にはぶたれた事は無かったのに。

 元々いないし、親父以外にはぼこぼこぼこぼこ死にかけるまで殴られて来たけどな。

 虚しくなった。


 閑話休題それはともかく


「これも企業秘密。聞いてくれるな」


 彼女の疑問には、ほとんど答えられない。


 鱗の刺青も、眼の色の変異も、この髪の色も。

 オレにとっては、過去の忌々しい記憶が、根源にこびり付いている。


 安易に語れる内容では無い。


 一様に突っぱねてしまうのは悪いとは思う。

 だが、それを話してやれるかと言えば、それも悪いが無理だ。


 この会話は、打ち切ろう。

 じゃないと、折角温まった体が、違う意味で冷え切ってしまいそうだ。


 しかし、


「…じゃあ、見る」


 ………んん?


 ふと、エマの手が伸びてきて、思わずのけぞった。

 ついでに、その手は引っ掴んで制止した。


「こ、こら、エマ!」

「教えてくれないんでしょ?だったら、見るしか無いじゃん!」

「そう言う問題じゃない!」

「聞くなって言うから、行動してんの!」


 それがそもそも、論外だろうが!


 突っぱねたせいか、了承を得られるのは難しかったようだ。


 彼女の狙いは、オレの頭に被ったままの手拭いだ。

 爪が引っ掛かって、少しずらされてしまったが、寸でのところでなんとか押し留める事に成功した。


「ぎ、銀次…!ちょ、ちょっと痛い…!」


 オレが掴んだ手に、抗議を上げるエマ。

 顔も、痛みに歪んだように見える。

 しかし、咄嗟とは言え、手加減は間違えていない筈だ。


「騙されんぞ。加減はしてる」


 オレが本気で掴めば、手なんて小さな骨の集合体は、すぐに割り砕く事が出来る。

 鍛えた握力は、150を超えているのだ。

 だから、オレだって細心の注意は払っている。

 昨日の件は、暴発だっただけで……。


「チッ」


 と盛大に返された舌打ち。

 若干イラっとした。

 それでもやはり、オレを騙そうとするには修行不足だ。


 だが、そこでふと、


「でも、良いの?銀次」


 視線を下に落としたエマ。

 そして、何かを思い付いたように、にやりと悪い顔で笑った。


 背筋に言い様の無い怖気が走り、嫌な予感が脳裏を過る。


「見えてるよ?ア・ソ・コ♪」


 ………ほらな。

 オレの怖気と、嫌な予感は、どうやら外れてはいなかったらしい。


 そういえば、そうだった。


 オレの一本しか使えない腕は、彼女の手を制止している最中。

 頼みの綱である手拭いだって、頭を隠す為に使われている最中だ。


 つまり、必然的にオレの下半身は、湯船の中で無防備にも御開帳。

 エマに対しては、二度目のコンニチワである。

 しかも、若干臨戦態勢になっているのは、いかんせん生理現象だ。

 オレの息子を反応させたエマの我が儘ボディが悪い。


「銀次、こっちも逞しいね」

「見るんじゃない!そして、感想を言うんじゃない!」


 エマの女として間違っている感想は嗜めておいた。

 しかし、右手で隠していた急所を見られていた事で多少動揺しているのは確か。


 そして、忘れていた。


「じゃあ、これでおアイコ?」


 エマは、両手があるという事。

 更には、そんな彼女が手拭い一枚である事を。


 彼女の言葉が言い終わるか否か。


 その間に、オレの目の前には見事な肌色がお目見えしていた。


 黄金比率というのは、この事か。

 張りと弾力のあるバスト。

 滑らかな曲線を描く、くびれたウエスト。

 そこからセクシー筋とやらを浮かばせながら緩やかなカーブを描いて辿り付く、下腹部、そして局部。

 下毛も見えている。

 金色だ。


 水に濡れ、更には上気した肌が相俟って、生々しい。

 お湯のウェーブに任せて、眼の前でぶるんぶるんと揺れる胸も艶めかしい。

 いっそ眼の毒とも思える程の曲線美。

 それを、目の当たりにする事となり、悔しいがオレも一瞬、男としては完全にしてやられた。


「隙アリ!」


 恥部へと目線が至る途中で、その声が上がった。

 エマは、自身の身体を犠牲に、オレの頭に掛かっていたタオルを奪い取ったのである。


 彼女の眼に曝された髪の色。

 簡単に結んでいただけのお団子も、今の衝撃でほどけてしまったらしい。

 首筋に、垂れた銀糸。


「………」

「………」


 お互い、無言でどちらからとも無く見つめあった。


 なんて執念だよ、全く。

 たとえ、タオル一枚だとしても、オレが手も足も出ないままで6歳も年下の少女に、むざむざ奪い取られるとは思ってもみなかった。


 どうやらオレのスケジュールとは別に、思った以上に色んな意味で前途多難の日々が待っているようだ。



***

誤字脱字乱文等失礼致します。

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